2009年06月26日

わが母の記(5)母からの第1信(中)

 高校の卒業式を終えて上京後、母から最初に受け取った手紙には、こう書かれていました。
 
 
 
090626letter1第1信
 
 
 


鉄ちゃん 元気で居る様子 昨夜お父さんからの電話(注1)で
安心しました 家の中も急に淋しくなりましたが
三人共元気に暮らして居ますから 安心して下さいね
家にも電話が九日に付きました 四帖半の室 水屋の
上に置きました 通話ができるのは一週間位かかる
そうです 三月十五日頃ですね 通話が出来る様になつ
たらスグに知らせますから 九日 こつちへ電話掛け
たそうですね せつかく掛けたのに残念でした
家の前の道の電線の工事等がまだだそうですから
此からは鉄ちゃんの声も聞けるし 嬉しく思ひます
室も前の三帖だそうね ソウジして自分一人の室です
から キチントして置きなさい いつ誰れが入つて見ても

良い様にね 其の中にだん/\荷物も多くなつて行く事
でしょうが 大事な物は U(注2)へ置いて頂く様にね
IさんNさん達 良い人ですから 何んでも話して
お父さんからも良く/\お願ひして有りますから
Iさんも 少しも心配しないで 東京に居る限り自分達が
責任見るからと言つて呉れてます 時どき 遊びに行つて
子供達にチヨコレート位持つて行つたら良いですからね
学校の方も 此れも運だから 来年はがんばつて 二ツか
三ツ位受けたら如何やら(注3)と思つてます
予備校の方も早く手続きをして 一年間しつかりやつて
下さいね お母さんは鉄ちゃんの体だけが心配ですから
食事の方も考へて 外に出たら 一日一本は牛乳忘れ

ずにノム事ですよ お金の方も少し位は 母さんの手持が
有りますから送ってあげます お菓子でも ホシイ
物が有つたら便り下さいね 当分 馴れるまでは
一二ヶ月 一番ツライ事です 誰れも一度は其の体験
を味わひ 一人前になつて行く物です(注4)
Y(注5)も 二十日 大阪を立つて上京しますから 二人で
連絡取つて下さい 其の時に 机の上のボール箱(注6)をチツキ
で送ります 駅止か 配達付きか どちらでも
フトン袋が 信貴山口駅から出したのですが 雪降りで荷物
がヒドクヨゴレて居ませんでしたか フトンや内身は大丈夫
だつたでしようか 出した後の ナイロンや紙類は ボツ/\
少しずゝ出る時に持つて出てステなさい 荷ヅナだけ
は又使うから 取つて置く事です では又便りします
元気でがんばつて下さいね 体に気をつけて 母より



(注1)我が家には、昭和45年当時、まだ電話がありませんでした。
   近所で早くに電話を引いている家からの呼び出しで、連絡を取っていました。
   この文面によると、復員後は証券マンだった父が、上京した折に立ち寄ったようです。
(注2)吉祥寺にいた従兄弟のこと。
(注3)大学は一つ受けただけでした。高校では、クラブ活動と学生運動に精を出していました。
   東大紛争で入試が中止となったのは、高校2年生の時でした。
(注4)戦時中、母は軍人だった父に付いて満州へ行っていました。
   終戦後は、悲惨な状況の中を、母は引き上げ船で舞鶴へ、そして出雲に帰ってきました。
   父は満州からシベリアへ抑留され、極寒の地で2年間の強制労働の後、帰国しました。
(注5)2歳違いの姉のこと。
(注6)私は自分の持ち物のほとんどすべてを東京に運びました。
    そのため、2年後の火事で、20年間のすべてを焼失しました。
posted by genjiito at 23:54| Comment(0) | TrackBack(0) | *回想追憶