2009年01月31日

京洛逍遥(55)昨年の廬山寺の節分会の舞台裏(附記版)

 昨年の廬山寺での節分会について、本ブログで「京洛逍遥(24)廬山寺の節分会に注文」(2008年2月 4日 (月))と題して拙文を書きました。

 そこでは、当日の節会の進行が緩慢だったことを、厳しく批判する立場で書きました。
 その文末に当たるところを、以下に引きます。


 
この行事は、伝統と格式があるようです。しかし、参拝者を軽視した運営であることが気掛かりです。
 まずは、無為に時間が過ぎる状況が多すぎます。境内で見ている者としては、主催者側の衆生への思いやりが、まったく感じられません。自分たちのやりたいように、自分たちのペースで進めるのは結構です。しかし、今回のようにあまりにも間延びした進行では、もう2度と来ない人が圧倒的に多いと思いました。これは、自分を含めて、豆撒きを待たずに、早々に帰った人が多かったことだけでも言えることです。

 そして、もっと丁寧に説明することです。さらには、豆と餅は、境内に集まった人たちに、均等に配りましょう。特に、前列にいる参拝者は、早くから来ているのです。その人たちに失望感を与えてはいけないと思います。遠くに投げることで快感を覚えていてはいけません。

 仏教は、衆生の救済を第一とするはずです。その心を忘れた、この廬山寺の節分会の運営は、人々の支持を得られないものとなっていきます。

 紫式部の関係で、この寺の存在は語り継ぐつもりです。しかし、現在のお寺としてのありようには、大いに疑問に思いました。

 今度、角田文衛先生にお目にかかったら、このことをお話しようと思います。先生はまだまだお元気なので、分かってくださると思います。そして、廬山寺の方に、こんな意見がある、ということを伝えてもらおうと思います。

 寺院は、格式に胡坐をかいてはいけません。格式に、奢ってもいけません。





 その記事に関して、先ほど関係者の方から、以下のようなコメントをいただいたのです。




散漫な感じになったのは本来あるべき法弓が無かったからです
節分会開始直前に法弓をする役の者が心臓発作で倒れ救急搬送されたため 代役などたてられずやむなく法弓無しとなり間延びした物となりました.
法弓師は私の父でありなんとか一命を取り留めました
ご迷惑をお掛けいたしました また 豆をまいておりました福娘は私の娘で初めてのお役と直前祖父が倒れた動揺の中なんとかあの場に立っていた事お察し下さい
今年は法弓師もかわり例年通り行われますので間があく事もないと思われます



 これに対して、何も知らずに無責任にも批判がましいことを述べた者として、早速、次ような返信のコメントを出しました。



 そうでしたか。存じませんでした。
 舞台裏で、そんなことがあったのですか。
 お父さんが一命を取り留められたとのこと。
 何よりも、よかったですね。

 妄言多謝。

 今年の節会が、ますます盛り上がりますように、お祈りいたします。




 これに対して、すぐに、以下の返信をいただきました。



ありがとうございます 父は意識が戻った時も弓の事を気にしておりました あの日は縁あって親子3代で節分のお手伝いをさせて頂く事になり 初めての振袖〜娘の叔母が数十年前福娘で着たおさがり〜つまりは父に取っては孫でありながら 遠き昔の娘の姿がそこにあり 幸せな時間が流れていました 記念撮影をとデジカメを向けると恐い顔の父が… そのまま倒れ救急搬送 緊急手術となりました
それから数日は現か幻かわからぬ日々でした

長々と書きましたが、今年も娘が福娘のお役をさせて頂くことになりました 数えの19 大厄です どうか福とまで言いません 何事もない一年を祈るばかりです もしお時間あれば法弓ごらんになってくださいませ.




 何も知らなかった者としては、ただただ関係者の皆様のご心痛がわからず、無責任な放言を記したことを恥じています。
 私は正直に感じたままを記したのですが、こうしてその舞台裏を語ってくださったことに対して、心より感謝します。
 事実を教えてくださったことで、あの無為な時間の流れの中の見えない部分での事情が、それも非常に大切なことが起きていたことがわかり、みなさまのお気持ちが篤く伝わってきました。
 私たち参会者にとっては意味不明の時間であっても、関係者のみなさまには緊張を強いる時間が経過していたのです。
 連絡をくださった方の悔しさと、無念さが伝わってきます。
 拙文が、どんなに心を痛ませたことか…。恐縮します。
 ただ、あの場にいた者は、みなそう思っていたと思います。
 これは、立場の違いです。そう片付けるしかないのです。


 如何ともし難い事態が生起したことがわかっただけでも、それを伝えてくださった方の誠意が私に染み通ってきました。
 何とも、気持ちが浄化される話を聞くこととなりました。
 一方的な批評に終わらなかったことで、今は自分が救われた思いでいます。

 そうであれば、何としても今年の節分会に行きたいのですが、残念ながら今年の2月3日は、大事な会議がいくつも重なっており、2月2日の早朝に上京しなければなりません。単身赴任者の悲しいところです。

 このブログをご覧の方は、たくさんいらっしゃるようです。
 来週の3日に京都に脚を運べる方は、どうか今年の廬山寺の節分会に行ってみてください。
 そして、昨年かなわなかったという「法弓」を、ぜひご覧ください。

 廬山寺のホームページには、この「法弓」について、次のように説明してありました。



◆法弓
追儺師が東・西・南・北・中央の5箇所に向い矢を射るのは、元三大師が使用された降魔矢に由来するもので、悪鬼、邪霊を降伏して平和を守ることを意味しています。




 昨年は、節分会の翌日の京都新聞の一面に、廬山寺のニュースを伝える鬼の股の間から、妻の顔がカラー写真で掲載されていました。
 そのことは、「源氏のゆかり(27)説明板37-廬山寺」で触れています。

 その妻も、今年は平日のために、仕事の関係で節分会に行けません。
 昨年は、ちょうど日曜日だったから、2人とも行けたのです。

 本当に、残念です。


【附記】
 本ブログ公開後、さらに、以下のような心のこもった文をいただきました。
 お気持ちを共有すべく、全文を引かせていただきます。
 今年の節分会が大成功でありますように…。




お心遣いありがとうございます 父はもとより私もご迷惑をおかけしたことをお詫びしたかったのです 悔しさも無念さも全くありません

廬山寺さんにもご迷惑をおかけしてしまいました 父は去年で長年させて頂いていた法弓師を最後にする事になっておりました 倒れたのが始まる10分程前で代役もたてられず ナシと言う事に管長さんがお決めになりました

管長さんは追難式のあと父の手術が終わった次の日の朝まで控え室でいてくださり心和ます話しをずっとしてくださいました

お詫びとお怒りをとくためにコメントさせて頂きました

それから 実は今年の法弓師は主人です 彼も父親が倒れ大変な一年を過ごした訳で息災を祈って弓を引くことと思いますが…急遽この大役に決まり私としては無事終わる事を祈るばかりです あと去年は見られなかった娘の晴れ着姿 きっとうれし涙でぼやけながらでしょうが思いっきり見るのを楽しみにしています

私は近世文学を専攻しておりました 一日中本を読み図書館に通いゆかりの地を訪れ…たった一言の文にああだこうだと考えを巡らせる時間…ブログを拝見していて忘れたふりをしていたそんな時間を思いだしました

お仕事がら関東との行き来大変だと存じますがどうぞ風邪など引かれませんように。 学生の頃からの恋人である奥様 うらやましい限りです。

posted by genjiito at 23:46| Comment(2) | TrackBack(0) | ◎京洛逍遥