2009年01月08日

わが母の記(3)扁桃腺を切る

 私は、小さい時から身体が弱く、栄養失調の一歩手前だったようです。
 体力がなかったので、小学校の2年生までは、体育は見学でした。虚弱児童だったのです。
 運動会でも、あまり走らないように、ということで、徒競走には出してもらえませんでした。
 しかし、運動神経はよかったので、3年生以降は対抗リレーなどの選手に選ばれました。
 野球はピッチャーで4番というポジションをもらったりしました。
 水泳は、学校のそばの神戸川というところで泳ぐのですが、この時も、私はいつも見学でした。
 そのせいもあってか、泳いでもいいということになってからも、水に入るのが苦手でした。
 40歳になってから、恩師の助言を得てスポーツクラブで水泳をするようになったのですが、こうしたことは、今の私を知る人は信用しないことでしょう。

 病気も、よくしました。しょっちゅう風邪を引いていました。
 学校を休むと、給食のコッペパンを友達が届けてくれました。
 身体が丈夫になるようにと、家では私のためにヤギの乳を配達してもらっていました。
 少し鼻につく独特の匂いが、今でも忘れられません。

 風邪を引きやすいのは、ノドの奥にあるアデノイドが大きいためだ、ということからだったのか、小学校に入ってすぐの頃に、切除手術をしました。
 出雲市今市というところにあった、今で言う耳鼻咽喉科で、ノドの奥にある肉の塊を、細長いギロチンのようなものの先端にある穴の中に嵌め込み、チョキンと切られた時のことを、鮮明に覚えています。一瞬のできごとでした。
 その時、母親がずっとそばにいてくれたので、縋り付くようにして怖さに耐えていました。
 確か、目の前に、コロンと肉の塊が転がり出たように思います。
 母はいつもニコニコしていたので、一緒にいると不安な思いになりませんでした。
 切られた時も、母はたこ焼きを半分に切ったような肉片を見て、笑っていました。
 口から、たくさんの血が出たように思いますが、母の笑顔に紛れて、他人事のようにその血を見ていた自分が、今も不思議です。

 親の笑顔は、子供にとっては宝物だと、今でも思っています。
 もっとも、自分がそうだったかと思い返すと、子供たちの前ではあまりニコニコはしていなかったように思います。
 その分、妻はいつもニコニコしているので、何とかうまくバランスがとれているのかも知れません。

 笑顔はいいですね。
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | TrackBack(0) | *回想追憶