2009年01月31日

京洛逍遥(55)昨年の廬山寺の節分会の舞台裏(附記版)

 昨年の廬山寺での節分会について、本ブログで「京洛逍遥(24)廬山寺の節分会に注文」(2008年2月 4日 (月))と題して拙文を書きました。

 そこでは、当日の節会の進行が緩慢だったことを、厳しく批判する立場で書きました。
 その文末に当たるところを、以下に引きます。


 
この行事は、伝統と格式があるようです。しかし、参拝者を軽視した運営であることが気掛かりです。
 まずは、無為に時間が過ぎる状況が多すぎます。境内で見ている者としては、主催者側の衆生への思いやりが、まったく感じられません。自分たちのやりたいように、自分たちのペースで進めるのは結構です。しかし、今回のようにあまりにも間延びした進行では、もう2度と来ない人が圧倒的に多いと思いました。これは、自分を含めて、豆撒きを待たずに、早々に帰った人が多かったことだけでも言えることです。

 そして、もっと丁寧に説明することです。さらには、豆と餅は、境内に集まった人たちに、均等に配りましょう。特に、前列にいる参拝者は、早くから来ているのです。その人たちに失望感を与えてはいけないと思います。遠くに投げることで快感を覚えていてはいけません。

 仏教は、衆生の救済を第一とするはずです。その心を忘れた、この廬山寺の節分会の運営は、人々の支持を得られないものとなっていきます。

 紫式部の関係で、この寺の存在は語り継ぐつもりです。しかし、現在のお寺としてのありようには、大いに疑問に思いました。

 今度、角田文衛先生にお目にかかったら、このことをお話しようと思います。先生はまだまだお元気なので、分かってくださると思います。そして、廬山寺の方に、こんな意見がある、ということを伝えてもらおうと思います。

 寺院は、格式に胡坐をかいてはいけません。格式に、奢ってもいけません。





 その記事に関して、先ほど関係者の方から、以下のようなコメントをいただいたのです。




散漫な感じになったのは本来あるべき法弓が無かったからです
節分会開始直前に法弓をする役の者が心臓発作で倒れ救急搬送されたため 代役などたてられずやむなく法弓無しとなり間延びした物となりました.
法弓師は私の父でありなんとか一命を取り留めました
ご迷惑をお掛けいたしました また 豆をまいておりました福娘は私の娘で初めてのお役と直前祖父が倒れた動揺の中なんとかあの場に立っていた事お察し下さい
今年は法弓師もかわり例年通り行われますので間があく事もないと思われます



 これに対して、何も知らずに無責任にも批判がましいことを述べた者として、早速、次ような返信のコメントを出しました。



 そうでしたか。存じませんでした。
 舞台裏で、そんなことがあったのですか。
 お父さんが一命を取り留められたとのこと。
 何よりも、よかったですね。

 妄言多謝。

 今年の節会が、ますます盛り上がりますように、お祈りいたします。




 これに対して、すぐに、以下の返信をいただきました。



ありがとうございます 父は意識が戻った時も弓の事を気にしておりました あの日は縁あって親子3代で節分のお手伝いをさせて頂く事になり 初めての振袖〜娘の叔母が数十年前福娘で着たおさがり〜つまりは父に取っては孫でありながら 遠き昔の娘の姿がそこにあり 幸せな時間が流れていました 記念撮影をとデジカメを向けると恐い顔の父が… そのまま倒れ救急搬送 緊急手術となりました
それから数日は現か幻かわからぬ日々でした

長々と書きましたが、今年も娘が福娘のお役をさせて頂くことになりました 数えの19 大厄です どうか福とまで言いません 何事もない一年を祈るばかりです もしお時間あれば法弓ごらんになってくださいませ.




 何も知らなかった者としては、ただただ関係者の皆様のご心痛がわからず、無責任な放言を記したことを恥じています。
 私は正直に感じたままを記したのですが、こうしてその舞台裏を語ってくださったことに対して、心より感謝します。
 事実を教えてくださったことで、あの無為な時間の流れの中の見えない部分での事情が、それも非常に大切なことが起きていたことがわかり、みなさまのお気持ちが篤く伝わってきました。
 私たち参会者にとっては意味不明の時間であっても、関係者のみなさまには緊張を強いる時間が経過していたのです。
 連絡をくださった方の悔しさと、無念さが伝わってきます。
 拙文が、どんなに心を痛ませたことか…。恐縮します。
 ただ、あの場にいた者は、みなそう思っていたと思います。
 これは、立場の違いです。そう片付けるしかないのです。


 如何ともし難い事態が生起したことがわかっただけでも、それを伝えてくださった方の誠意が私に染み通ってきました。
 何とも、気持ちが浄化される話を聞くこととなりました。
 一方的な批評に終わらなかったことで、今は自分が救われた思いでいます。

 そうであれば、何としても今年の節分会に行きたいのですが、残念ながら今年の2月3日は、大事な会議がいくつも重なっており、2月2日の早朝に上京しなければなりません。単身赴任者の悲しいところです。

 このブログをご覧の方は、たくさんいらっしゃるようです。
 来週の3日に京都に脚を運べる方は、どうか今年の廬山寺の節分会に行ってみてください。
 そして、昨年かなわなかったという「法弓」を、ぜひご覧ください。

 廬山寺のホームページには、この「法弓」について、次のように説明してありました。



◆法弓
追儺師が東・西・南・北・中央の5箇所に向い矢を射るのは、元三大師が使用された降魔矢に由来するもので、悪鬼、邪霊を降伏して平和を守ることを意味しています。




 昨年は、節分会の翌日の京都新聞の一面に、廬山寺のニュースを伝える鬼の股の間から、妻の顔がカラー写真で掲載されていました。
 そのことは、「源氏のゆかり(27)説明板37-廬山寺」で触れています。

 その妻も、今年は平日のために、仕事の関係で節分会に行けません。
 昨年は、ちょうど日曜日だったから、2人とも行けたのです。

 本当に、残念です。


【附記】
 本ブログ公開後、さらに、以下のような心のこもった文をいただきました。
 お気持ちを共有すべく、全文を引かせていただきます。
 今年の節分会が大成功でありますように…。




お心遣いありがとうございます 父はもとより私もご迷惑をおかけしたことをお詫びしたかったのです 悔しさも無念さも全くありません

廬山寺さんにもご迷惑をおかけしてしまいました 父は去年で長年させて頂いていた法弓師を最後にする事になっておりました 倒れたのが始まる10分程前で代役もたてられず ナシと言う事に管長さんがお決めになりました

管長さんは追難式のあと父の手術が終わった次の日の朝まで控え室でいてくださり心和ます話しをずっとしてくださいました

お詫びとお怒りをとくためにコメントさせて頂きました

それから 実は今年の法弓師は主人です 彼も父親が倒れ大変な一年を過ごした訳で息災を祈って弓を引くことと思いますが…急遽この大役に決まり私としては無事終わる事を祈るばかりです あと去年は見られなかった娘の晴れ着姿 きっとうれし涙でぼやけながらでしょうが思いっきり見るのを楽しみにしています

私は近世文学を専攻しておりました 一日中本を読み図書館に通いゆかりの地を訪れ…たった一言の文にああだこうだと考えを巡らせる時間…ブログを拝見していて忘れたふりをしていたそんな時間を思いだしました

お仕事がら関東との行き来大変だと存じますがどうぞ風邪など引かれませんように。 学生の頃からの恋人である奥様 うらやましい限りです。

posted by genjiito at 23:46| Comment(2) | TrackBack(0) | ◆京洛逍遥

2009年01月30日

『錦絵で楽しむ源氏絵物語』の勧め

 『源氏物語』の内容をわかりやすくまとめた本として、『錦絵で楽しむ源氏絵物語』(岩坪健編、和泉書院、2009.1)が刊行されました。これは、非常によくできた本です。


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 見開きの左頁に、江戸時代(19世紀中頃)に出版された多色刷りの木版画(錦絵)を配し、右頁に各巻の内容を千字以内で、わかりやすくまとめています。
 取り上げられた錦絵は、歌川豊国(国貞)筆の『源氏絵物語』で、東京都立中央図書館加賀文庫のものを、すべてカラー写真で掲載されています。

 本書には、初心者のためのいろいろな工夫があります。
 まず、ルビが多いことに好感を持ちました。これなら、これから『源氏物語』を読もうとする人も、固有名詞や有職故実などの、日頃あまり目にしない文字にたじろぐことなく、安心してお話に耳を傾けられます。
 あらすじの文章は、なるべく人名を使わない方針で書かれています。とはいうものの、たくさんの人名で解説せざるをえません。それでも、そのほとんどに、固有名詞などにはていねいにルビが付けられているので、余計なことに神経を使わずに読み進められるのです。
 この配慮は、意外と一般の方々には受け入れられるのではないでしょうか。

 巻の解説も、要領よくまとまっています。一つの巻に千字弱の字数なので、十分に説明がなされています。あらすじとか梗概というものは、帯に短し襷に長し、という例が多かったように思います。本書のように千字弱というのは、普通に読んで2分位なので、なかなかいい長さです。

 そして、本書の説明文がわかりやすいのは、具体的に読む人の助けになる情報が盛り込まれているからだと思います。
 例をあげてみましよう。

 第13巻「明石」の説明で、「須磨から明石へは、約八キロメートルしかありません。」(34頁)とあります。
 また、第22巻「玉葛」では、長谷寺までは「京都から七十二キロメートルもありますが、信心深さを示すため、歩いて行くことにしました。」(52頁)という説明になっています。また、その左頁の錦絵の下にある絵の説明にも、「本堂へは、約四百の石段を登る。」とあって、そのありようがよくわかる表現がなされています。

 本書は、とにかく初心者のためには、たいへんよくできた『源氏物語』のお話を理解するための案内書です。
 ただし、一つだけ私の感想として物足りない点があります。
 それは、絵の上部に書かれた和歌を、左右頁の真ん中に翻字し、その意味をわかりやすく解いてあるのですが、ここはもう一歩踏み込んで、変体がなで書かれた和歌の翻字を、書かれたかなの字母を生かした表記になっていたら、もっとよかったのでは、ということです。つまり、ここで正確な翻字を示されていると、かつての人たちが書き継いで来たかな文字を読む練習ができるからです。
 せっかく目の前の錦絵の中に、昔のかな文字が書かれているのです。
 ここで、変体がなを読む機会が提供されていてもよかったのでは、というのが、このよくできた本に対する唯一の私の要望です。

 もし改訂版を出されることがあれば、ぜひとも和歌を正確な翻字にされることを熱望します。
posted by genjiito at 23:45| Comment(2) | TrackBack(0) | ◆源氏物語

2009年01月29日

iPhoneで読書

 職場への通勤時間が2時間近くもあると、ずいぶんと本が読めます。
 毎週の京都からの上京でも、たっぷりと本が読めます。
 明日もそうです。
 明日は、職場から京都へ、なので、7時間も移動時間があります。
 とっかえひっかえ、本が読めます。

 と、これまではそうだったのですが、最近は目が不自由になったせいか、あの小刻みな振動が目の疲れを倍加し、直撃します。

 そこで今週からは、活字の本を読むのはやめて、「青空文庫」から iPhone にダウンロードした作品を読んでいます。

 iPhoneでの読書は、こんな画面でします。
 これは、マハトマ・ガンジーの「印度の婦人へ」という文です。


090129ebookガンジーの作品


 背景は茶系で、古紙の雰囲気があるものにしています。これは、いろいろなものに自由に変更できます。
 フォントサイズは「20」、行間は「10」、文字間は「3」にしています。
 なかなか読みやすいものです。
 その日によって、文字間と行間を変更したりしています。これは、目の疲れ具合に合わせてのことです。


 私が今週読んだ作品は、こんなものです。

・マハトマ・ガンジー「印度の婦人へ」
・小林多喜二『蟹工船』
・折口信夫「反省の文学源氏物語」
・夏目漱石「京に着ける夕」
・与謝野晶子「『新新訳源氏物語』あとがき」


 「青空文庫」は、その設立当初からアクセスしては様子を見ていました。しかし、これまで本気で読むモードでは利用していませんでした。ネット時代のネタとして、見ていただけです。

 今週からは、一ユーザーとして接しています。
 著作権の関係で、井上靖をはじめとする、読みたい作品が少ないのは致し方ないところです。
 それでも、50年前に遡っての、評価の高い作品が自由に読めるのは、贅沢なことです。

 これまでに、パームコンピューティングには、いち早く対応していました。
 記録を見たら、こんなことがありました。

 平成12年7月に、大阪樟蔭女子大学で開催された「西日本国語国文学データベース研究会(第16回)」で、「パームコンピューティングのすすめ」と題してお話をしていました。
 その時のレジメには、こう書いてあります。


手のひらに乗る、小さくて軽い電子版の携帯情報端末が普及しだした。メモをはじめとして、さまざまな日常の情報をいかに効率よく整理し、それをパソコンでどう活用するかを、具体的な例を提示して述べる。また、電子ブックの携帯版としての活用にも触れる。



 PDAと言われる手のひらサイズの電子手帳は、たくさん使ってきました。
 パームコンピューティング社のものに始まり、長くソニーのクリエを愛用してきました。
 しかし、ソニーが3年ほど前にクリエから撤退してからは、だんだんと遠ざかっていました。

 それが、昨夏よりiPhoneを使うようになり、またまたPDAの世界がおまけ的に付いてきたのです。

 電話と電子メールとホームページとブログ等々が、この一台で活用できるのです。
 クリエで電子ブックは、とても読み続けられませんでした。
 しかし、iPhoneでは可能なのです。

 その日の気分で、読みたい作品をダウンロードして楽しむというのも、リッチな時間の使い方です。
 それが、いとも簡単にできるのですから、今後とも大いに活用したいと思います。
posted by genjiito at 23:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑記

2009年01月28日

ハングル訳『源氏物語』その後

 ハングル訳『源氏物語』について、韓国で最初に翻訳された柳呈訳『ゲンジ イヤギ(源氏物語)』の刊行のことが確認できましたので、改めて報告します。

 この本は、現在日本においては、大阪府立中央図書館にあることが確認できるのみです。
 このことは、本ブログの本年1月18日の「ハングル訳『源氏物語』 の不確かな情報」に記した通りです。

 その後、韓国外国語大学校の金鍾徳先生から、本書に関する詳細な情報をいただきましたので、ここにまとめて報告いたします。

 さて、この『ゲンジ イヤギ(源氏物語)』は、ソウルにある乙酉文化社から1975年11月に『世界文学全集 全100巻』の中の第99巻として刊行されました。全一冊のグリーンの表紙の本です。

 この一冊本の巻頭には、国宝源氏物語絵巻の「宿木二」(徳川本)左半分のカラー図版が、口絵としてあります。大阪府立中央図書館で確認しています。

 その奥付は、次の通りです。


090116g19751975年版奥付


 さらに1979年6月には、同じ内容、同じ頁数で、『新装版世界文学全集 全60巻』の内の第4・5巻として、全2巻が刊行されました。
 この巻頭には、1975年版にあったカラー図版はありません。
 代わりに、出展は不明ですが、紫式部らしい絵が、上下ともに白黒写真版で掲載されています。

 この奥付は、次の通りです。



0901285g19791979年版奥付



 柳呈訳『源氏物語』は、1982年5月には別の韓国出版社から『世界代表古典文学全集 全12巻』の第7・8巻としても出版されています。
 これは、乙酉文化社版の抄訳のようです。

 乙酉文化社のものは、両方ともケースがありますが、特にカバーはないようです。

 ただし、神野藤昭夫先生からのご教示によると、1979年6月版の「下」には、ビニールカバーがかけられているそうです。
 さて、1975年11月版には、ビニールカバーはあったのでしょうか。
 大阪府立中央図書館の本には、このビニールカバーは、現在はついていませんでした。

 本のことを調べていると、いろいろなことがわかります。
 この本については、さらに追跡を続けたいと思います。

 ご存知のことがありましたら、ご教示いただけると助かります。
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2009年01月27日

井上靖卒読(57)『オリーブ地帯』

 父が大学教授でお嬢さん育ちの藤川京子と、教授が大の苦手な新聞記者椎葉了介との、突然の出会いから始まります。心中未遂となる京子は、非常にアクティブな女性です。

 その椎葉が結婚しようとしているのが、幼馴染みの椿泰子です。ただし、泰子は別の男である佐倉伸三に惹かれています。
 暗い影をもつ佐倉を交えることによって、男2人と女2人の恋愛感情の交錯がおもしろく捻れる作品です。

 恋愛感情の行き違いから、さまざまなドラマが展開します。
 特に、泰子の行動が、チョッとミステリー仕立てになっています。美女の背景に何があるのだろうか、ということを思わせながら、話は進行します。

 やがては、泰子という女性の影から必死に逃げようとする椎葉。京子と椎葉の関係はどうなるのか。
 どうすることもできない状況の中で、とにかく生きていくことが語られます。
 泰子が佐倉を、椎葉が泰子を、京子が椎葉を想っています。
 彼らによる、追いつ追われつの恋愛物語となっています。

 車窓からの琵琶湖の描写が、井上らしい点描だと思います。
 また、舞台は大阪なのに、どうしても東京の銀座界隈のように錯覚させる設定です。

 この小説を簡単にまとめると、一人の男が自分の心を整理する物語だ、と言えます。
 終わり方は、井上らしく余韻があります。【4】





初出誌︰婦人生活
連載期間︰1954年1月号〜12月号
収録状況

文春文庫︰オリーブ地帯




〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/
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2009年01月26日

インド人留学生の眼(3)「年末に実家で考えたこと」

インドから来ているクマール君の報告・第3弾です。


「年末に実家で考えたこと」

 子供の時から、社会のために何か出来るといいなぁー、と思っていました。そして、インドで親にもそう言われていました。
 もしちゃんと教育を受ければ、社会人になれば、この世の中をきれいにできる、と。
 でも本当だったのか、嘘だったのか、今、本当に考えるようになりました、最近。

 先月、インドに帰国し、すぐトンボ帰りしました。そして、逆カルチャショックというものを実感しました。
 10日間も、インドが耐えられなかったのです。
 この一年間で、日本に知らず知らず溶け込んでいたことが分かりました。

 インドに帰った時、インディラ・ガンディー空港から自分の実家まで、タクシーに乗りました。そこで、面白いことがありました。
 私は空港の特別タクシースタンドで、(先払いの)プリペードタクシーを予約しました。それなのに、不規則に並んでいるタクシーの中から、何回もいろんなドライバーに、連れていくようにお願いしなければなりません。
 インドで、タクシーを予約して乗った、ということが面白かったのです。私はインド人ですが、外国人にとって、これがいかに辛いものかを、初めて知りました。

 まず、びっくりしたのは、タクシーの予約料金でした。それは512ルピー(約1,500円)でした。去年までは150ルピー(450円)だったのに。
 何でそれほど高いのか、混んでいた窓口で聞いてみました。しかし、「Hath Hath 」、つまり「どけ、どけ」と言われるだけでした。
 そこで余儀なくされたことは、その人と口論するか、残念なことに、言われた通りのお金を出してタクシーを予約して乗るか、という選択でした。
 口論すれば、暴力まで覚悟しなければなりません。前の私だったら、後はどうなっても、きっと口論の方を選んだことでしょう。しかし、その時は疲れていて、早く家に帰りたかったのです。

 とにかく、家に着いてから領収書をもらって、その後に何かしよう、と思いました。
 家に着いてから領収書を聞くと、タクシードライバーは「それを持っているが、もし私に手渡すと自分はお金が貰えない」と言いました。その領収書をタクシースタンドに戻ってから、返さなければならないそうです。
 そこで念のために、その領収書のコピーを遠い店まで行ってしました。
 後でネットでチェックしたところ、283ルピー(850円)だったのです。

インドのタクシー料金

 ここで腹が立ったのは、金よりも、だまされたという気もちの方でした。その状況を変えるためには、ニューデリー警視庁に苦情を書かなければならないのです。

 同じようなことは、その10日間でいくらもありました。

 例えば、バイクを運転していて途中で、パンクがあったのです。
 せいぜい60ルピー(180円)もしないのに、150ルピー(450円)も払わされました。
 そこでも口論ができたのですが、やめておきました。

 今回は、紛争よりも平和に徹することにしました。

 その人たちも、悪い人じゃない、と思います。
 インドの物価も高くなっている一方だし、未整理分野の仕事をする人の人生には、政府はちっとも関わらないからだと思いました。
 経済の成長にも、経済危機にも、影響を受けない人たち、恩恵も打撃も受けない人たちは Unorganised sector の人ですから、自分で自分の人生、自分の子供の人生を支えなければなりません。
 それで、生き残るために、勝手に手数料を決めているわけです。

 ここで一番言いたいことは、システムがないと、人は勝手に何かをするしかない、ということです。それで、儲かる人は嬉しいかもしれないけど、見切られる人はつらいものです。
 問題は、ある社会を管理している、必要性を見抜く仕事をしている社会科学者、社会のシンクタンク、政府などに関係しています。

 システムということに関しては、日本が世界一、と言えるほど優れています。
 それはドイツ、アメリカ、スイス, ギリシャ、シンガポールなど、世界中の友達に聞いてみて分かりました。

 何で日本人は、システムを作るのに優れているのかが、今よく考える関心ごとです。
posted by genjiito at 19:52| Comment(0) | TrackBack(0) | ◆国際交流

2009年01月25日

英訳源氏の新たな切り口が見える本

 「源氏千年紀」ということで、2008年は『源氏物語』の話題で大いに盛り上がりました。
 2008年11月1日には、国立京都国際会館で天皇・皇后両陛下をお迎えしての記念式典が行われました。そこでは、「古典の日宣言」もなされました。
 11月2日から3日間は、「源氏物語国際フォーラム」として、世界各国の文学研究者・翻訳家・作家などが集合して意見が交換されました。私はその時に初めて平川祐弘氏の話を聞きました。平川氏は比較文学・比較文化が専門で、マンゾーニ著『いいなづけ』の翻訳で読売文学賞研究翻訳賞をとっておられます。
 当日の講演は、「ウェイリー源氏の衝撃」と題するものでした。チェンバレンによって退屈だとされた『源氏物語』ですが、アーサー・ウェイリーの翻訳は、「英語芸術作品」としてもすばらしいものだ、という趣旨でした。なかなかウィットに富んだ話しぶりで、大変刺激的でした。
 その折、近日中に『源氏物語』とアーサー・ウェイリーに関する著書を刊行する、とのことだったので、楽しみにしていました。

 『ア−サ−・ウェイリ− ― 『源氏物語』の翻訳者』(平川祐弘、白水社、488頁、2008年11月、4,200円)は、手にズッシリときます。しかし、その語り口は平易です。『源氏物語』のすばらしさを、芸術作品とも言える英文で世界に広めたアーサー・ウェイリーの、その生涯と業績について丁寧に実証的に語っている本です。
 原文(古文)、現代語訳、英文、日本語訳と、日頃は馴染みのない英語などの引用文がたくさん引かれています。ただし、引用された英文のほとんどが平川氏の翻訳なので、借り物ではない温もりが伝わってきます。
 通読しながら、引用が恣意的なように感じました。都合のいい場面が列挙されているようで、他の場面などがどのように訳されているのか知りたくなりました。もっとも、そうすると論点も複雑になり膨大な分量になるので、後は今後に期する、ということでしょう。これはこれで、若い人にはいい刺激となることでしょう。『源氏物語』の新しい切り口が示されたのです。そのように仕向けながら、独断と偏見というと悪く聞こえそうですが、小気味よく展開していきます。

 本書は刊行以来、たくさんの書評に取り上げられています。朝日新聞、京都新聞、読売新聞、東京新聞、中日新聞などなど。雑誌をあげると、さらに多くのものが見いだせるでしょう。それだけ、注目度の高いものだといえましょう。
 著者の目論見が一般読書人にあるようなので、これは社会的に受け入れられた証拠でもあります。もちろん、語られる内容については、今後とも検証が必要であることはもちろんですが…。

 本書の構成は、次のようになっています。


目次

はじめに

第一章 中国詩の新世界

第二章 西洋人の謡曲発見

第三章 日本の女たち

第四章 世界文学の中の『源氏物語』

第五章 翻訳の諸問題

第六章 大英帝国の衰退

第七章 晩年の諸業績

第八章 平安朝の恋とブルームズベリーの恋

むすびに




 私は、「はじめに」の後に、「第三章 日本の女たち」から読み始めました。
 この章の節を書き出しておきましょう。


・光源氏の「御心浅さ」

・空蝉の小袿か、スカーフか

・末松謙澄の英訳

・きぬぎぬの別れ

・夕顔のたわむれ

・夕顔の死

・文学の源泉としてのghostly Japan

・不可知論者ウェイリー

・物の怪とウェイリーの『源氏物語』発見

・フロイト的なるもの

・英語芸術作品としての首尾一貫性

・六条御息所の生き霊

・葵上の出産




 私にとっては、この章で8割方は興味が満たされました。そして、さらに多くの疑問に始まる問題意識を新たにしました。

 本書全体の内容紹介と寸評は、また別の機会に記します。

 ここでは、巻尾に付された「註」を通覧することで、本書のおもしろさを実感していただきたいと思います。

 平川氏の註は、単なる補足的なものではありません。
 多分に、平川氏の本音が出ていて、楽しみながら読み進んでいけます。

(1)「Arthur Waley」という名前を、日本語でどう表記するか、ということです。
 「近年は英語の一部二重母音を片仮名にも写そうとする新傾向というか流行のためにウェイリーと書く日本人が多数を占め、それに固定化しつつあるかに見える。」(434頁)として、自分も今後は「アーサー・ウェイリー」とすることを宣言しています。

(2)「蝉」がいないイギリスでは、空蝉の意味をどう伝えるか、ということについて。
 「「蝉」は英訳ではしばしば「蟋蟀(こおろぎ)」criketや「きりぎりす」grasshopperに置き換えられて登場する。それは、南フランスやイタリアと違って、イギリスには蝉がいないからである。(中略)ちなみに北京の蝉「知了」の聲は細くて、日本の蝉の声とずいぶん違う。」(441頁)
 文化や風土の違いを、翻訳はどのようなことばに置き換えるのか、ということは、翻訳論の大事なところです。こうした例を、今後ともたくさん例示し、訳者の工夫と文化の移植に注目する意義を感じました。

(3)日本の国文学界の『源氏物語』研究は微に入り細を穿っているが、学際的な研究は必ずしも発達しておらず、精神病理学的な方面からのアプローチにはいまだに見るべきものは多くない由である。(中略)ウェイリーは浮舟を「精神分裂症」と考えていたのかもしれない(第六分冊 The Brisge of Dreams 初版のイントロダクション、一八頁)。」(444頁)
 いわば、学際的な研究というものの必要性が強調されています。

(4)「いぬきは犬君(いぬき)とも書き、召使いの童女の名だが、ウェイリーは誤って男の子と取った。」(449頁)
 誤訳についての指摘はおおいのですが、それはウェイリーの評価に直結しないことは著者も何度も言うところです。ただし、この例はおもしろいので、ここに引いておきます。

(5)「日本文学を世界文学の中で鑑賞するためには、影響関係を探り出して比較するにせよ、無関係な二作品を比照するにせよ、適切な尺度の選び方が大事となるのではあるまいか。」(453頁)
 まさに、この「適切な尺度」なるものがなかなか見つからないのです。何かを固定しておかなければ、比較ができません。今後の検討課題です。

(6)「筆者が先に第三章で話題とした「小袿(こうちぎ)」を「スカーフ」に置き換えたような決定的に重大な問題点が吟味されていない。」(454頁)
 このことは、ぜひ本論で確認していただきたい、非常に興味深い話です。

(7)ウェイリーが用いた『源氏物語』について。
 「小西(甚一)は古田拡ほかの『源氏物語の英訳の研究』の誤った記述を踏まえてウェイリーは『湖月抄』本によっているなどと述べている。」(455頁)
 これについては、ウェイリー自身が翻訳初版の第二分冊の「翻訳底本についての註」で「博文館本を用いた」と書いていることから、本書の『源氏物語』の引用本文は、この博文館本(池邊義象校註、国文叢書本、1914年版)をあげています。

(8)正宗白鳥の「英訳を新たに日本文に翻訳したら、世界的名小説として、多くの読者を得るかもしれない」という推測に対して。
 「その日本文翻訳の出来映えがよければそうなるかもしれないが、英文直訳調の翻訳ならば結果は惨憺たるものになるだろう。」(455頁)
 平凡社から昨秋より『ウェイリー版 源氏物語 全4巻(平凡社ライブラリー) 』(佐復秀樹訳)が刊行されています。さて、この日本語への訳し戻しは、今後どのような評価を受けるのでしょうか。

(9)「谷崎訳や晶子新新訳がウェイリー英訳によって触発されたという可能性はないとはいわないが、河添(房江)のように断定するだけの根拠もない。」(456頁)
 これは、今のところは軸が揺れている段階です。しかし、おもしろいテーマではあります。

(10)「「葵」の巻の英訳は原文からの乖離がとくに著しい章だが、(中略)六条御息所の人格を英文でウェイリー流に造形してしまったのであろうか。」(456頁)
 平川氏らしい指摘です。

(11)「ウェイリーは富山房名著文庫、一九一四年刊の『源氏物語忍草』をたいへんよく使い込んでいる、と井原眞理子は報告しいてる。」(458頁)
 この井原氏の仕事は、今後とも注目されることでしょう。なお後出。

(12)「ウェイリーは一九三三年に出した最終の第六分冊 The Brisge of Dreams のイントロダクションの末尾(二四頁)で、第五分冊 The Lady of the Boat と第六分冊の英訳に関しては金子元臣に依拠した、と書いて、金子の本文校合だけでなく註釈も、仏教関係の言及を除いては、高く評価している。明治書院から出た三冊本の『定本源氏物語新解』をさすのであろう。」(459頁)
 この金子本をはじめとして、昭和10年前後は河内本という本文が注目されていた時代です。ウェイリーの英訳に、この河内本の本文による影響はないのでしょうか。英語力のある方は、ぜひこの問題にも注目していただきたいものです。

(13)「古文に対する自信のなさもあって日英対訳で『源氏物語』を読み出したような気もしいてる。」(462頁)
 本論でも、平川氏ご自身ことが語られています。

(14)「第二次大戦前には岡倉由三郎のような英語の大家でありながら、ナショナリズムのせいだろうか、ウェイリー訳源氏より末松訳源氏の方がいい、などと口走った日本人もいた。」(465頁)
 本論部分でも、末松謙澄にたいしては批判的な指摘がなされています。

(15)「宮本昭三郎『源氏物語に魅せられた男』(新潮選書、一九九三年)という伝がある。著者の宮本はロンドン大学東洋アフリカ学院に司書として長く勤めた。周辺部はよく調べてあるが、ウェイリーの作品内部に立ち入っていない点が物足りない。」(471頁)
 これは、立場の違いというものではないでしょうか。宮本氏は、人物に視点を当てての語り口でした。

(16)「ウェイリーは携帯用の大阪積善館の『源氏物語湖月抄』、一九一四年刊の有朋堂文庫本なども所持していた。与謝野晶子の一九一三年刊の『新訳源氏ものがたり』も持っていたが、これは抄訳だからこれをもとにウェイリーが英訳したという風評はもともと滑稽だある。『源氏物語』関係の書物は後年刊行された研究書を含めて三十一点が井原のリストに挙げられている。井原のウェイリー研究の公刊が待たれる。」(471頁)
 ウェイリーの生活実態が明らかになれば、その翻訳の背景や過程が少しずつ解明されてくることでしょう。この分野の研究は、今後ともますます目が離せない、という状況にあるようです。

 英訳源氏の研究において、あくまでもテキストに拘って検討していくという平川氏の姿勢は、本来あるべき手法だと思います。
 比較文学や比較文化は、えてして物差しが揺れて、恣意的な結論を導いたり、どちらでも言えるようなことになりかねないのです。その点では、本書は書かれた文をどう読むか、ということに徹しているので、その姿勢が明確です。

 ただし、私は論拠としてあげられた例が、はたして『源氏物語』の翻訳本文を論じるのに適切なものであったのか、ということと、それを裏切る例も多いのではないか、という危惧の念を抱きました。これは、私には英訳が読めないので、反論できないので引き下がらざるをえません。平川氏はシャープな視点で論破されているので、これはぜひとも今後の検討を待つしかないでしょう。

 いささか無責任な物言いとなりますが、若い人への期待ということに留めることにして、平川氏の業績を高く評価したいと思います。
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2009年01月24日

『源氏物語』の翻訳状況

 『源氏物語』の翻訳本に関する情報が錯綜していて、なかなか確定しませんでした。
 ようやく、現状が見えてきたので、以下に報告します。

『源氏物語』の翻訳言語情報
◆刊行されたもの 23種類◆
アッサム語・アラビア語・イタリア語・英語・オランダ語・クロアチア語・スウェーデン語・スペイン語・セルビア語・タミール語・チェコ語・中国語(簡体字)・中国語(繁体字)・テルグ語・ドイツ語・日本語・ハンガリー語・ハングル・パンジャビ語・ヒンディー語 ・フィンランド語・フランス語・ロシア語(2009年1月現在)

◆現在進行中のもの 5種類◆
ウクライナ語(中断)・トルコ語(出版待ち)・モンゴル語(確認中)・エスペラント(作成中)・ミャンマー語(作成中)

◆未確認(あるらしい、というもの) 7種類◆
ウルドゥー語・オリヤー語・スロベニア語・ハンガリー語・ヘブライ語・ポルトガル語・マラヤラム語


 また、すでに翻訳された言語についても、また別のチャレンジがなされています。

 フランス語、イタリア語、英語、フィンランド語、オランダ語などなど、再度の翻訳が試みられています。 
 『源氏物語』はいつの時代にも、世界中で興味と関心が持たれています。

 これ以外の最新情報や、補訂すべき情報をお持ちの方は、どうかご教示のほどを、よろしくお願いします。
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2009年01月23日

タイ語訳『源氏物語』がないこと

 『源氏物語』の翻訳に関する情報を集めています。

 その中で、タイ語訳の『源氏物語』が見あたらないので、タイにいる仲間のA先生にお尋ねしました。
 すぐに、「まだない」、との返事をいただきました。
 ただし、タイ語訳の『源氏物語』の漫画ならあるそうなので、さらにその本のことを調べてもらうことにしました。

 現在の所、タイ語に翻訳された日本古典文学作品は次の3つしかないそうです。

 Attaya訳『土佐日記』・『竹取物語』

 Saowalak訳『風姿花伝』

 A先生は、『古事記』神代の巻の翻訳を、来年出版するそうです。
 今後は、與謝野晶子の『源氏物語』を翻訳するとのことでした。

 A先生には、『おさな源氏』の多国語翻訳の仕事にも関わってもらっています。
 現在は、『おさな源氏』の第1巻「桐壺」のタイ語訳ができています。
 この『おさな源氏』の翻訳も、継続してお願いしています。

 遅々として進まない『おさな源氏』の多国語翻訳ですが、一歩ずつでも前に進んでいますので、気長に見ていてください。
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2009年01月22日

露天風呂の二人の想い

 寒い日は温泉に限ります。
 数年前には、しょっちゅう近場の温泉やスーパー銭湯へ、家族連れで車で行っていました。しかし、京都へ引っ越して車を手放してからは、とんと行く機会がなくなりました。
 最近では、鞍馬温泉くらいでしょうか。
 子どもたちが大きくなったこともあります。電車で行くのも、自転車で行くのも、どこか億劫になります。近くに有名な銭湯があり、何度かは行きました。しかし、やはり温泉とは違います。

 関東も関西も、温泉には恵まれた所に住んでいます。
 しかし、なかなか足を運ぶには至りません。

 こんな時には、薬用入浴剤があります。
 そして、入浴剤の袋の絵を見ている内に、なかなか味のあるイラストであることに気づきました。
 このアース製薬のシリーズは、もっとパターンがあると思われます。
 ひとまず、関東編ということで…。



090112onsen0入浴剤の箱


 まずは、秋田県の乳頭温泉です。
 この箱に入っている4種類のうち、これだけが男性と女性のコミュニケーションが少なからず成り立っているように感じられる絵柄です。もっとも、男性の気持ちは、まだ通じているとは言えないように見えますが…。
 男性の誘いに、女性はしばし思案中、というところでしょうか。


090112nyuuto秋田・乳頭


 次の長野県五色温泉は、男性が軽くいなされたような雰囲気を漂わせています。
 困ったな、という男性の心が感じられます。さてどうしようか、と灯りを見やる気持ちが表現されている絵だと見ました。


090112gosiki長野・五色


 群馬県桜山温泉です。
 背中を見せる女性に、どうしたものかと思案顔です。
 これは、まったく相手にもされていません。
 なかなかおもしろい場面となっています。
 

090112sakurayama群馬・桜山


 最後は、青森県猿倉温泉です。
 熱燗が用意してあります。しかし、まだ一緒に酌み交わすまでには、遠い道のりがありそうです。男性の眉の厳しさから、前途多難な関係が垣間見えます。

 
090112sarukura青森・猿倉


 何とも、思いつきの勝手な想像を記しました。
 女性が、すべて同じパターンで描かれているので、かえって男性の置かれている心理状態が、おもしろく自由に読み取れます。
 いろいろな状況が想像できて、濁り湯につかりながら、しばし楽しめます。
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2009年01月21日

井上靖卒読(56)『風と雲と砦』

 運を信条とする、山名鬼頭太が印象的な物語でした。
 安良里という女が、話を推し進めます。
 鬼頭太の幼友達の左近八郎が、その対局で語られます。
 なかなか姿を見せないみゆきが、伏流して話をおもしろくします。
 ここに、俵三蔵がからんできます。
 月が3人目の女にスポットライトを当てます。この3人目のひめが、みゆきの腕を抓るシーンがいいと思います。女の嫉妬がよく表現できているからです。
 こうして、男3人と女3人の物語が展開します。

 井上の戦国ものは、よく出来た作品がたくさんあります。これも、その一つです。
 風景の中で、登場人物が躍動しています。人の心のありようが、動きが、活写されています。
 物語の背景は、今から数百年前です。しかし、ちょうど目の前で展開しているような錯覚に陥りました。とにかく、安心して読み進められます。
 登場人物の輪郭が明確で、そして生き生きとしているので、読後もさわやかさが残ります。【4】


初出紙︰読売新聞、夕刊
連載期間︰1952年11月25日?1953年4月24日
連載回数︰150回

角川文庫︰風と雲と砦
井上靖小説全集14︰淀どの日記・風と雲と砦


映画化情報
映画の題名︰風と雲と砦
制作︰大映
監督︰森一生
封切年月︰1961年2月
主演俳優︰勝新太郎、水谷良重

〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/
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2009年01月20日

胡蝶掌本『谷崎源氏逍遥(一)』

 とてもかわいい豆本があります。胡蝶掌本と名付けられています。

 書名は、『谷崎源氏逍遥(一)』。

 フロッピーディスクのプラスチックケースに入っていて、縦横9センチほどの大きさで77頁の本です。


090120qsaka1豆本


 これは、本好きな仲間が刊行したもので、『源氏物語』と谷崎に対する思いが詰まっています。
 谷崎潤一郎の源氏訳に関する内容ですが、書誌的な情報が中心なので、読み物ではありません。しかし、大事な情報がギッシリと入っています。頁を繰る内に、書籍としての谷崎源氏が目の前に立ち現れて来ます。

 谷崎の旧訳源氏の付録(月報)に、興味深い記事のあることが紹介されています。
 その第11号と13号から、池田亀鑑の『校異源氏物語』は昭和15年の時点では索引が計画されていた、ということがわかるというのです。
 実際には、さらに15年の時日を経た『源氏物語大成』で実現します。しかし、こうした裏面史は、心を躍らせてくれます。1つの大きな仕事の背景にある「諸般の事情」というものに、さまざまな人の思惑や動きが見えてきます。想像を逞しくさせてくれます。

 この本は、すべてが手作りです。
 奥付はこうなっています。


090120tasaka奥付


 ただし、これは「個人配布はない」という限定版なのです。
 限られた人にしか手にできないのは、あまりにももったいないので、著者である田坂さんとの話の中から、国文学研究資料館に献本してもらえることになりました。
 これで、みなさんにこの本を見てもらえます。
 今しばらく、お待ちください。

 なお、この胡蝶掌本のことは、次のブログに記事があります。

田中栞日記


 昨秋、ハーバード大学での国際集会でも、本が大好きだという方の本に関する研究発表がありました。それも、懲りに凝った本の数々を会場に回覧しながら。たくさんの心温まる装丁の本を手にして、贅沢な思いに浸ることができました。
 本は、永遠に人の心を捉える魅力がありますね。

 ここで紹介した『谷崎源氏逍遥(一)』も、昨年の源氏千年紀の収穫の一つと言えるでしょう。
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2009年01月19日

崎陽軒の醤油差し

 新幹線で移動していると、自然と増えてくるものに、どうしたわけか醤油差しがあります。
 何故だか、おわかりでしょうか?

 それは、崎陽軒のシュウマイとビールを車内に持ち込むからです。
 そして、そのシュウマイに、陶器製の醤油差しが付いているのです。
 その絵が楽しいので、持ち帰って引き出しに入れておくことになります。

 いろいろと溜まったので、描かれた絵を並べてみました。


090112syuumai多彩な挿絵


 一覧して気づいたことは、飲んべえの親父は少なくて、女性が多いようです。
 子供も意外とたくさんありそうです。

 このシリーズは、いったいいくつあるのでしょうか。
 また溜まったら、紹介します。
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2009年01月18日

ハングル訳『源氏物語』 の不確かな情報

 大阪の東部、東大阪市に大阪府立中央図書館があります。
 かつては中之島にあったのですが、平成8年5月に荒本駅の前に移転したのです。



090116tosyokan中央図書館


 私は、この荒本駅の近くの高校に4年半ほど勤務していました。同じ頃、妻は同じ駅の反対側にある高校に勤務していました。共に、問題を起こした生徒の家庭訪問に明け暮れる日々でした。学習指導よりも、生活指導が中心の学校でした。

 当時はここに図書館はありませんでした。図書館ができたお陰で、この付近一帯の環境は大きく変わったように思います。カルフールが出店したことも、大きな要因となっています。 

 さて、韓国の柳呈氏による『源氏物語』のハングル訳があります。ソウルにある乙酉文化社による『世界文学全集』の中に収録されたもので、1975年の刊行です。

 この本を確認したかったのですが、全国の公共図書館や大学の図書館で、この本を所蔵しているのは大阪府立中央図書館だけなのです。他にも所蔵しているところはあるのでしょうが、公開されているデータベースで確認できるのは、国内ではこの1冊だけです。

 原本を確認するために、事前に問い合わせをして図書館に出かけました。
 対応してくださったNさんは、非常に懇切丁寧に教えてくださいました。また、いろいろと調べてくださいました。

 この本は、猪飼野朝鮮図書資料室から2002年に中央図書館に寄贈されたものです。これは、資料室の閉室に伴い、その創設者である塚本勲氏のご尽力によって移されたもののようです。
 この本が刊行されたのが1975年で、猪飼野朝鮮図書資料室に入ったのが1977年なので、刊行後すぐに収蔵された本だと言えましょう。

 ただし、惜しいことに、この本にはカバーがありません。おそらくカバーがあったと思われるので、そのことの確認をしたいのですが、如何せん、今は情報が不足しています。

 また、別の情報では、『新装版世界文学全集 全60巻』の内の、第4・5巻としても、この柳呈訳のハングル訳が出版されたとなっています。さらには、1982年に韓国出版社による『世界代表古典文学全集 全12巻』の第7・8巻としても出版されているようです。

 府立中央図書館の本は、『世界文学全集 99』とある全1冊本ですが、上記『新装版世界文学全集』は2巻でセットです。共に、頁数は同じです。

 この柳呈訳のハングル訳『源氏物語』については、まだまだ調べておくことがありそうです。
 本書に関する情報をご存知の方は、ご教示いただけると助かります。

 帰りに、かつての勤務校に脚を向けました。
 毎日通ったはずなのに、駅からの道に迷いました。幸い、iPhoneのナビで行き着きましたが、20年近い空白は、こんなにも忘れさせてしまうのかと、非常にショックでした。

 学校の名前が変わっていました。しかし、校舎はあのころのままでした。




090116tatetu



 さまざまな思い出が、短時間の内に去来しました。
 必死に子どもたちと格闘していた頃の思い出は、胸を熱くするものがあります。
 校門、玄関、自転車置き場、ロッカールーム、グラウンド、体育館、中庭、テニスコートなどなど。
 昨日のことのように、突然かけめぐりました。
 すっかり忘れていたことが、こうして一つ刺激で蘇るのです。
 記憶の不思議さを体験しました。
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2009年01月17日

京洛逍遙(54)散策のガイドマップ

 ハンディで見やすいガイドマップの『平安京図絵』(京都市生涯学習振興財団、初版・平成17年、再版・平成19年、300円)が改訂されました。


090117zue左が新版



 写真の右側が旧版で、左側が新版です。定価は据え置きです。

 これまでは、「史跡散策の巻」と「復元模型の巻」の2冊でしたが、新版では「源氏物語の巻」というパンフレット1枚が追加されています。
 この「源氏物語の巻」には、昨年千年紀を期に選定された40カ所の「ゆかりの地」が掲載されています。ただし、「24 斎宮邸跡」までの説明板設置場所は「史跡散策の巻」に記されていますが、「25 朱雀院跡」から「40 大原野神社」までは地図にはありませんので、お気をつけください。

 「源氏物語ゆかりの地」のすべてを確認するのは、写真中央の『紫式部の生きた京都』(京都市埋蔵文化財研究所、平成20年、ユニプラン、千円)が便利です。

 本ブログで、この説明板を経巡っての報告を連載しています。
 このガイドブックがあると、よりわかりやすくなるかと思います。
 まだ書店にはないようです。京都市内の地下鉄やバスの案内所などで販売されています。
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2009年01月16日

アニメ『源氏物語』が深夜TVでスタート

 今朝、それも早朝というよりも深夜(2009年1月16日金曜日0時45分)から、連続テレビアニメ『源氏物語千年紀 Genji』が、フジテレビ「ノイタミナ」で始まりました。
 「ノイタミナ」ということばは聞き慣れないものです。当番組のホームページによると、

アニメーションのスペル(Animation)を逆読みしたもので、「アニメの常識を覆したい」という制作スタッフの想いに由来する。


とありました。

 このアニメの詳細な情報は、上記ホームページをご覧ください。

 このアニメは、当初は大和和紀の『あさきゆめみし』のアニメ化だったとか。
 どのような事情があったのかわかりませんが、昨秋オリジナルなものに変更されたのだそうです。

 深夜なので、かえって見忘れることがないので安心です。
 第1話は「光る君」でした。
 30分の連続番組で、11回が予定されています。
 まずは、オープニングのテーマ曲である「日和姫」が、明るくて若々しさを感じました。
 作詞・作曲が椎名林檎で、歌はPUFFYでした。
 エンディングのテーマ曲の「恋」も、中孝介の歌でじっくりと聞けました。

 アニメの中で、藤壷が光源氏に絵巻物を見せるところで、鳥獣戯画が画面を横断するように繙かれたのには、アレッと思いました。こうしたアレッと思うところは、随所にありました。しかし、楽しく見られるアニメなので、そのことで評価を下げる必要はないでしょう。

 藤壷のために光源氏が花の枝を取ろうとして、池に落ちてしまうシーンがありました。
 これは、なかなかいい場面となっていました。原作にどのように書かれているかは、細かく詮索する必要はないのです。

 アニメとして、脚本は楽しいものになっていると思いました。おそらく、作り上げていく過程で、おもしろくなってさまざまな手を入れたらこうなった、というのが実情かと推測しています。

 ただし、肝心の絵が、私にはシックリときませんでした。
 若い人たちに向けてのものなのでしょう。いかにもアニメ、というタッチなのです。

 1987年に朝日新聞社が制作したアニメ映画は、ピアスをした光源氏でした。
 京本政樹風の光源氏で、私は好きでした。

 今日のアニメで欲を言えば、もうすこし画面を動かしたら、退屈さが軽減したのではないかと思います。藤壷とのことで苦悩する光源氏を表現する上で、思い悩む心の中をストップモーションの画面で表現したかったのでしょうか。しかし、最初から動きが少ないので、予算の関係かな、と思ってしまいます。さらには、アニメの技術も、イマイチのように感じました。
 高いレベルの技術を駆使し、明確なポリシーでこうしたのでしたらいいのですが…。私には、そのようには見受けられませんでした。
 作っていく内に、当初の『あさきゆめみし』とは乖離し、しだいに独自な世界を作り上げざるをえなくなった、という舞台裏を想像してしまいました。何分にも素人のコメントなので、的外れでしたらご寛恕のほどを。

 今回のアニメは、まだ1回目なので、今後を楽しみにしています。
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2009年01月15日

『源氏物語』の本文は2種類ある

 昨年の秋にハーバード大学でおこなった研究発表では、『源氏物語』の本文の分別試案として〈甲類〉と〈乙類〉というものを提案しました。


本文分別試案の研究発表


 また、その試案については、同じく昨秋、「源氏物語本文の伝流と受容に関する試論―「須磨」における〈甲類〉と〈乙類〉の本文異同―」(『源氏物語の新研究 −本文と表現を考える』平成20年11月、横井孝・久下裕利編、新典社)でも公表しました。これは、「海を渡った古写本『源氏物語』の本文 ―ハーバード大学蔵「須磨」の場合―」(伊井春樹編『日本文学研究ジャーナル 第2号』、平成20年3月)と題して発表したものの続編であり、本文分別に関して新たな分類名を付けた最初のものとなります。

 この〈甲類〉と〈乙類〉という分別試案については、その後、何人かの方から質問を受けました。この2分別については、今後とも巻々の検討を重ねる中で確認していくしかありません。その間は、右へ左へと揺れることでしょう。その評価の揺れる巻が、当面の研究対象の一つとなることは明らかです。

 『源氏物語』を読むことについては、今はすべての人が大島本だけを読んでいるのが実情です。しかし、今後の研究者は、それぞれに自分がよしとする本文を読むのではないでしょうか。
 例えば、これまで通りに大島本を、いや陽明本を、あるいはハーバード大学本を、ということも想定されます。ただし、ハーバード大学本は「須磨」と「蜻蛉」の2冊しかないので、『源氏物語』の全体は読めません。
 そのためにも、大島本に代わる共通の校訂本文としてのテキストが、いずれは必要になることでしょう。
 これについては、私は天理図書館にある池田本を、第2の流布本にしたらいいとの考えから、校訂本文の公開の準備を始めています。


3本対照校訂本文試案


 陽明本の校訂本文は、『源氏物語別本集成 続』全15巻(伊井春樹・伊藤鉄也・小林茂美編、平成17〜刊行中、おうふう)で公開しています。
 こうした本文の提供は、今後の大きな課題でもあります。
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2009年01月14日

日本語の入力の歴史

 今日、日本語入力用のソフトとして、ジャストシステムの「ATOK 2008 for Macintosh」を買ってきました。

 最近は、かな漢字変換システムとしては「EGBridge」を主に使っていました。これは、マッキントッシュ用の日本語入力システムです。しかし、この開発は昨年で終了し、サポートが打ち切られています。また、使い心地も、徐々に落ちてきました。

 そこで、仲間が推奨していた「ATOK」にしました。これは、20年ほど前に使っていた「JXWORD太郎」に始まり、今では「一太郎」というウインドウズの世界で評価の高いものです。一時、これをMacintoshで使っていましたが、なんとなく煩わしい変換が気になり、使わなくなっていました。 

 コンピュータで、まだ2バイト文字では日本語の平仮名と漢字が使えない頃には、JISコードを入力して漢字をパソコンに表示したり印刷したりしていました。それが、日本語フロントエンドプロセッサといわれるものが開発されてからは、さまざまなFEP(Front End Processor)とか、IM(Input Method)と言われるものを使ってきました。 
 これまでに、NECの日本語入力変換を初めとして、「VJE」「SJ3」「WX」「OAK」「DFJ」「ATOK」「Katana」「松茸」「MS-IME」「ことえり」「EGBridge」などなど、この20数年間に、さまざまな日本語入力システムを使ってきました。いずれも、その時代には使えたのですが、徐々に淘汰されてゆきました。

 最近では、「EGBridge」でほとんどの日本語を使った仕事をしていました。しかし、その開発元であるエルゴソフトの事業撤退により、システムの移行を余儀なくされていたのです。

 私の最初の著作物である『新・文学資料整理術パソコン奮戦記』(昭和61年、桜楓社)では、「一太郎」を推奨しています。つまり「ATOK」をよしとしていたのです。あの時はそうでした。しかし、その後の急激な変化により、ウインドウズの煩わしい世界から遠ざかりました。

 マッキントッシュのシェアは、10パーセントにも満たないものです。そのために、ソフトウェアの開発もウインドウズのように活発ではありません。しかし、少数精鋭ということばが示すように、いいソフトウェアが各用途に適したものとしてあるのです。

 日本語入力に関しては、常時お世話になるものなので、大事な選択肢です。
 マッキントッシュにふさわしい日本語入力システムがなくなった今、 昔懐かしい「ATOK」で過ごしてみようと思います。
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2009年01月13日

富士山の雄姿

 今日も、京都を始発で上京しました。
 そして、道中の車窓から、雲一つない富士山を見ました。
 こんなにスッキリと見える富士は、本当に久しぶりです。

090113fuji快晴の富士


 『伊勢物語』の第9段は、「東下り」として有名です。
 在原業平らしき昔男は、京都を出てから三河の八橋を経て、駿河の宇津の山をさらに東へ行き、富士の山を目にします。
 そして、次のように語っています。

富士の山を見れば、五月のつごもりに、雪いと白う降れり。

  時知らぬ山は富士の嶺いつとてか

    鹿子まだらに雪の降るらむ

その山は、ここにたとへば、比叡の山を二十ばかり重ねあげたらむほどして、なりは塩尻のやうになむありける。
  



 一昨日、比叡山の麓まで行ったばかりです。今日の晴れ渡った中に聳える富士山を見て、すぐに『伊勢物語』の第9段の文章が思い浮かびました。
 確かに、富士山は比叡山を20ほど重ねた山という感覚はわかります。

 そういえば、父が私の結婚式の時に作ってくれた川柳に、

錦秋の車窓いっぱい富士の山


というのがありました。東京で式をあげたので、大阪から上京する時に、季節は違いますが今日と同じように見えた富士山を詠んだものです。

 妻の母がこの句を大変気に入ってくださり、何度も思い出しては口ずさんでおられました。

 富士山は、どこか心を掴む形をしています。

 今日の富士山は、これまでで最高の姿を見せていました。
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2009年01月12日

成人式を欠席

 今日は成人式でした。
 我が家に、新成人が一人います。しかし、式には行かなかったとのことでした。
 理由は、昨年京都に来たばかりでここには友達がいないので、一人で行ってもおもしろくないからだそうです。
 奈良なら高校時代の同級生がいるので、あそこなら行ったのに、と言っていました。

 長女も、成人式には行っていません。ちょうど、英国留学中だったからです。

 長男だけは、地元平群であったので、成人式に出ています。

 子どもたちは、3人のうち2人は成人式を欠席したのです。

 かく言う私も、成人式には行っていません。というより、行けませんでした。
 ちょうど成人式の数日前に、勤めていた新聞配達店が火事になりました。成人式には、マラソンにエントリーしていました。しかし、焼け出された後で着るものがなくて、式もマラソンも断念しました。
 両親が、成人の記念に作ってくれた背広も、着ることもなく燃えてしまいました。
 式の当日には、役所から配給された毛布と、新聞社から支給された配達用のジャージのユニホームを身に付けて、近所の神社のフロアーで蹲っていたことを覚えています。

 いろいろな成人式があることでしょう。
 式典に出て、新たな誓いのもとに社会人を自覚することは大事です。
 気分を一新してのスタートは、気持ちのいいものです。

 ただし、その時のことを覚えていれば、それが何であれ、一番いい記念だと思います。
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2009年01月11日

源氏のゆかり(34)説明板30-雲母坂

 比叡山は、うっすらと雪をいただいています。


090111hiei比叡山


 かつて都から比叡山へ往き来した登り口に、雲母坂があります。そこに『源氏物語』のゆかりの地としての説明板が設置されたのは、千年紀として盛り上がった昨年3月でした。
 行ってみようと思いながら、郊外であることと山中ということで、延ばし延ばしにしていました。

 寒い中でしたが、自転車を漕いで身体を温めながら行ってみました。
 説明板の前から元来た道を見下ろすと、洛北の一角が見えます。


090111kirara1洛北を望む


 街中では、ちょうど第27回全国都道府県対抗女子駅伝がスタートする瞬間を待っている時です。この坂の下の白河通りは、折り返し地点である国立京都国際会館に続くコースになっています。この山道に来るとき、警備車両や関係者とボランティアの方々が、沿道の準備をしておられました。

 さて、坂を登って突き当たりにある説明板は、関西セミナーハウスの敷地沿いに建っています。左下が雲母坂へ、右手前が曼殊院へと続いています。


090111kirara2関西セミナーハウス前


090111kirara3説明板


 この説明板の中の付近見取図は、この辺りの位置関係がわかりやすいので、少しピンボケですが掲載しておきましょう。


090111kirara4見取図


 雲母坂の方へ行ってみました。


090111kirara5雲母橋


 音羽川に雲母橋が架かっており、そこから右上へと山道が登っています。
 この道は、比叡山の山法師が日吉神社の御輿を担いで都に強訴に押し掛けた、とか、南北朝の戦乱ではこの坂が戦場となり血に染まった、との説明が、雲母橋のたもとの標識に書かれていました。
 ただし、この雲母橋という名は、つい最近命名された橋のようです。平安時代からのものでないようです。
 途中にあった案内図で、この辺りの位置関係がよくわかります。

090111kirara6案内図


 この雲母坂は、平安時代から都人が比叡山へと登る、主要な道でした。
 この音羽川から京の市街を振り返ると、かすかに洛北が見えます。


090111kirara7京の市街


 道標によると、ここは勅使をはじめとして、最澄、法然、親鸞、日蓮、道元などもこの道を歩いて比叡に往き来した、とあります。

090111kirara8雲母坂の道標


 もう少し暖かくなってから、この雲母坂を比叡へと登ってみましょう。
 『源氏物語』の終半になると、浮舟や薫など、この坂を登る人が出てくるのですから、是非とも登ることにします。
 今日は、このあたりから見上げるだけで、引き返しました。


090111kirara9


 ちょうど、修学院離宮の真後ろにあたります。宮内庁の管轄である標識が、境界の柵越しに確認できました。

 山を下りたところに、今日の駅伝で優勝候補とされている京都チームが泊まっている宿がありました。
 予定通りに優勝したので、これも記念として掲載しておきます。


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2009年01月10日

映画『禅』に失望

 父から「只管打坐(しかんたざ)」ということばを教えてもらったのは、私がまだ小さいときだったように思います。
 とにかく、ただひたすら座っていれば悟りをひらくものだ、ということでした。
 道元という人の教えだということも、いつしか知りました。

 父が亡くなり、母が亡くなり、共に我が家の宗派である曹洞宗でお葬式をしました。
 妻の実家も曹洞宗だったのは、これは偶然です。
 宗教心はないのですが、曹洞宗には何となく親近感を覚えます。
 それは、小さいときから自然と伝わったものがあるからでしょうか。

 西国札所巡りをした最後には、必ず永平寺のご朱印をいただきます。
 父も母も、永平寺に分骨を収めています。
 父は暑いときに、母は雪の降る時に、家族みんなで永平寺に行きました。
 私の遺骨の一部も、この永平寺に収められることでしょう。
 永平寺での法要は、迫力のあるものでした。
 そして、お寺の中も、ピィーンと張りつめたものがありました。

 今日が封切りの『禅』を、小雨の中を観に行きました。
 三条京極下るの映画館です。
 ほぼ満席でした。ほとんどが、年配者です。
 映画を見ての感想は、ただ一言、肩透かしでした。
 もっと、緊張感と迫力のあるものを期待していたからです。
 この映画は、何となく、ピンボケです。

 盛り上がりに欠けていました。
 中村勘太郎は、優しすぎます。ピシッと締まるべきところを、にやけた表情に見えた場面がありました。興ざめでした。
 内田有紀は、私の好きな女優さんです。光源氏をしてもらいたいと思っています。しかし、今回の遊女役には、目がキリッとしすぎです。
 藤原竜也は、演技はうまいのですが、場違いな役どころです。華やかさと暗さが同居した役をみごとに演じただけに、浮いていました。
 相川翔は、こんなだらしない男の役にはもったいないと思いました。また、演技が上滑りしていました。残念です。

 コンピュータグラフィックも、予算不足だったのか、海外における数年前のレベルの出来でした。ちゃちな紙芝居もどきでした。
 また、セットも、これまた予算のせいか、気の毒なほどに貧弱でした。
 製作には苦労されたことでしょうが、映画の背景が雑でした。
 そして、中国でのロケが、残念ながら活かされていませんでした。

 批判は好きではないのですが、この出来では仕方がないと思います。
 まったく別の視点で評価しないと、この映画は救われないと思います。

 私が期待していたのは、論戦、女性、権力闘争などを、静と動で見せるものだったように思います。
 静以外は、すべて中途半端でした。

 道元の教えは、いわば単純なので伝えやすかったと思います。
 それゆえに、映像美で何を見せたかったのか、ということです。

 この映画は、もう一度観ると思います。
 一度失望したので、今度は良さがたくさん見えてくることでしょう。
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2009年01月09日

喪中と年賀状の混乱

 今年いただいた賀状で多かった一筆は、前の奈良に送ってしまいまして……、ということばでした。
 5年前に喪中で欠礼し、4年前にはいつも通りの賀状を出し、3年前と2年前が喪中だったのです。
 賀状のやりとりをしている方々も、年賀状を出すタイミングが難しかったのだと思います。

 おまけに、2年前に住まいが奈良から京都に移ったのですから、なおさらです。
 さらによくなかったのは、喪中の連絡とともに、住所変更を同時に記したことです。
 受け取られたた方も、住所の変更のタイミングがうまくいかなかったようです。
 住所管理を小まめにしていないと、年に一度の儀式が混乱します。

 私の方も、喪中の連絡が続いていたので、先方の住所の確認が疎かになっていました。
 たくさんの賀状が、戻ってきました。
 一度やりとりをしなくなった方に送ったために、またまた返礼をいただくことになった方もあります。

 賀状のやりとりは、日ごろ失礼をしている方との、ささやかながらも報告の往復便だと思います。難しいことは必要ないのです。お互いが生きていることの、存在証明でもあります。
 続けていくのは、すばらしいことです。ただし、継続のための努力も、現代の社会では求められます。

 今年こそは、住所録を正確なものに整理したいと思います。
 ただし、これが意外と時間がかかりそうなのです。そうは言っても、来年の混乱を考えると、今しないと、またまたみなさんに迷惑をかけるのです。
 小正月までには、何とかしたいと意を決しています。
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2009年01月08日

わが母の記(3)扁桃腺を切る

 私は、小さい時から身体が弱く、栄養失調の一歩手前だったようです。
 体力がなかったので、小学校の2年生までは、体育は見学でした。虚弱児童だったのです。
 運動会でも、あまり走らないように、ということで、徒競走には出してもらえませんでした。
 しかし、運動神経はよかったので、3年生以降は対抗リレーなどの選手に選ばれました。
 野球はピッチャーで4番というポジションをもらったりしました。
 水泳は、学校のそばの神戸川というところで泳ぐのですが、この時も、私はいつも見学でした。
 そのせいもあってか、泳いでもいいということになってからも、水に入るのが苦手でした。
 40歳になってから、恩師の助言を得てスポーツクラブで水泳をするようになったのですが、こうしたことは、今の私を知る人は信用しないことでしょう。

 病気も、よくしました。しょっちゅう風邪を引いていました。
 学校を休むと、給食のコッペパンを友達が届けてくれました。
 身体が丈夫になるようにと、家では私のためにヤギの乳を配達してもらっていました。
 少し鼻につく独特の匂いが、今でも忘れられません。

 風邪を引きやすいのは、ノドの奥にあるアデノイドが大きいためだ、ということからだったのか、小学校に入ってすぐの頃に、切除手術をしました。
 出雲市今市というところにあった、今で言う耳鼻咽喉科で、ノドの奥にある肉の塊を、細長いギロチンのようなものの先端にある穴の中に嵌め込み、チョキンと切られた時のことを、鮮明に覚えています。一瞬のできごとでした。
 その時、母親がずっとそばにいてくれたので、縋り付くようにして怖さに耐えていました。
 確か、目の前に、コロンと肉の塊が転がり出たように思います。
 母はいつもニコニコしていたので、一緒にいると不安な思いになりませんでした。
 切られた時も、母はたこ焼きを半分に切ったような肉片を見て、笑っていました。
 口から、たくさんの血が出たように思いますが、母の笑顔に紛れて、他人事のようにその血を見ていた自分が、今も不思議です。

 親の笑顔は、子供にとっては宝物だと、今でも思っています。
 もっとも、自分がそうだったかと思い返すと、子供たちの前ではあまりニコニコはしていなかったように思います。
 その分、妻はいつもニコニコしているので、何とかうまくバランスがとれているのかも知れません。

 笑顔はいいですね。
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2009年01月07日

心身(28)認知症が他人事ではなくなった

ドキュメンタリードラマで、認知症に関するものをしていました。
何気なく見ているうちに、他人事ではない内容なのです。
最後まで見てしまいました。おまけに、妻に電話をして、それを見るように言ったりもしたのです。
いつか、自分が妻の面倒をみるかもしれないし、いや、多分に自分がこうして面倒を見てもらうことになるように思えたからです。

紹介されて登場する人たちは、アルツハイマーになった自分に対して、内心では悔しい思いをしている、ということが共通しているようでした。思うようにならないことに対して、できるはずのことができないことが、本人にとっては本当に悔しいようです。

最近、私もどうしようもなく悔しい思いをすることが多くなりました。
「なんでー!」と、舌打ちをしたくなる場面です。
それは、こんな時です。

・書類の記入欄をまちがう
・新聞の頁がめくれない
・机の脚に躓きぶつける
・鍵穴にキーが入らない
・何度も聞き返された後
・突然方向音痴になる

今は、まだ自分のミスや思い違いや注意力が散漫だったことがわかるので、思うに任せないことがあっても、後で納得できます。しかし、これらもいずれは、なぜそうなのかわからなくなる日が来ることでしょう。
そうした生活の訪れを前提として、これからは、忘れたり、思い出せなかったり、悔しい思いに意気消沈することなく、今のことに集中して齢を重ねたいと思います。

思いがけないことに動揺せず、いろいろなことが出来たかつての自分と比べることなく、今の自分を大切にしていきたいとの思いを強く持つようになりました。今だからこそできることがあるはずです。そのことを探す楽しみができた、と思ったりもします。

60歳にもならない今、こんなことを思う自分を想像だにしませんでした。あまりにも他人事とは思えないドキュメンタリーを見たせいでしょう。
しかし、これも避けられない事実なので、それを受け止めた上で、これまで通りの回遊魚のような生き方を続けようと思います。立ち止まらない、それが私にとっての最善の防止策と言えるでしょう。
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2009年01月06日

江戸漫歩(9)富岡八幡と深川不動へ初詣

 半年ぶりの江戸漫歩です。
 東京での初詣をしました。学生時代以来だと思います。

 一番近場で、富岡八幡宮にしました。



090106tomioka1富岡八幡宮



 ここは、江戸の三大祭の一つである「深川八幡祭り」で有名です。地下鉄東西線の門前仲町駅を上がった永代通り沿いにあります。ケーブルテレビなどで、神輿に水をかける渡御や、辰巳芸者や鳶若頭衆の木遣りなどが連日流されていました。
 江戸時代の話なので1600年を遡ることはないのですが、歴史がないだけに深川をはじめとする地元の人々には熱心に守り伝えられているようです。

 参道に入ると、大鳥居横に伊能忠敬銅像がありました。


090106tomioka2伊能像



 伊能忠敬は、現在の門前仲町1丁目に住んでいたそうです。そして、測量に出かけるときには必ず富岡八幡に参拝していたのだそうです。 

 立派な本殿でした。たくさんの方々が、ご祈祷を受けておられました。



090106tomioka3八幡さま



 なお、この八幡さまの境内では、日曜日に大骨董市が開催されます。
 1度だけ足を運びましたが、週末には京都へ帰っているので、なかなか行けない骨董市です。もっとも、京都ではさらに大きな、そして至るところで骨董市があるので、なかなか江戸の品揃えを見る機会に恵まれません。いつかは、ということにして、楽しみにしておきます。

 この富岡八幡宮から清澄通りに向かって出て行くと、すぐ前に深川不動尊の賑わいが見えます。
 ちょうど、巫女さんがお掃除をしておられるところでした。


090106tomioka4深川不動へ



 深川不動さんの方が、参道が狭いせいもありますが、活気がありました。



090106tomioka5参道の賑わい


 境内は、護摩の煙が立ちこめています。




090106tomioka6護摩



 不動堂では、護摩木が焚かれ、大きな炎が堂内にメラメラと燃え上がっていました。
 その炎を囲むようにして、ここでもたくさんの方々が祈祷を受けておられました。
 迫力のある護摩供でした。

 なお、今日の写真は、iPhoneで撮影したものです。
 初めての撮影なので、これまでとは違った写真となっています。
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2009年01月05日

井上靖卒読(55)『詩集 北国』

 井上靖は、中学の時から詩作を続けて来ていました。
 これは、昭和33年に刊行された、井上靖の第1詩集です。
 その「あとがき」で、次のように言います。


私の持つてゐるノートは、「詩のノート」ではなくて、「ある小説家のノート」とでも言つた方がいいのかも知れない。


 井上は、自分の詩をもとにして何編かの小説を生み出しています。自分の詩想をとりあえずノートに記したのが、こうした詩集となっているのです。

 そして、井上の詩は、ごく普通の文章の形となっています。そのスタイルは、およそ詩らしくありません。しかし、読んでいると、その語られることばの連なりの中に、詩的な世界が浮かび上がるのです。読後に作者のイメージを感得できるのが、井上の詩の特徴です。

 この第1詩集の中では、私は「漆胡樽 −正倉院御物展を観て−」が好きです。
 それは、こう語り出されるものです。


星と月以外、何者をも持たぬ沙漠の夜、そこを大河のように移動してゆく民族の集団があった。
(下略)


 新年を迎えたばかりなので、その『詩集 北国』の最後に置かれた「元旦に」という詩を紹介しましょう。


門松を立てることも、雑煮をたべることも、賀状を出すことも、実は、本当を言えば、なにを意味しているかよくは判らない。しかし、これだけは判っている。人間一生が少々長すぎるので、神さまが、それを、三百六十五日ずつに区切ったのだ。そして、その区切り、区切りの階段で、人間がひと休みするということだ。
私は神さまが作ったその階段を、ずいぶんたくさん上がって来た。今年はその五十段目だ。昭和三十二年の明るい陽の光を浴びて、私はいまひと休みしている。はるか下の方の段で、私の四人の子供たちも、それぞれ新しい着物を着て、いまひと休みしている。



 たまたま、この文章を書き終えて休みがてら今日の新聞に眼をやったところ、朝日新聞(夕刊)の連載記事である「記者風伝 第3部」で、ちょうど「詩人たち その一 井上靖のこと」と題する記事が書かれていました。その中に、あろうことか、今わたしが引用した「元旦に」が枕の部分に紹介されていたのです。
 今日、新聞に井上靖が取り上げられたことも、これも何かの縁なのでしょうか。
 まったくの偶然とはいえ、ほんとうに不思議なことです。【3】



昭和33年3月30日
東京創元社
38編収録

新潮文庫︰井上靖全詩集
井上靖全集1︰詩篇
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2009年01月04日

井上靖卒読(54)『紅花』

 この物語の主人公は亜津子のようです。しかし、私はこの亜津子を仕事の面で助ける番頭役の斎田に注意して読み進めました。斎田は、物語を底で支える役割の男です。

 登場人物が、それぞれに自問自答する場面がいくつかあります。井上靖の作品に、よく使われる手法です。
 「うむ」と低い唸り声をあげる癖のある男として、斎田と佐久二の二人がいます。これも、井上の作品によくあるものです。

 物語の進行の中で、相手との連絡が固定電話のため、本人同士がなかなかうまく情報を交換できません。居場所が、うまくつかめないのです。
 こんな場面に出くわすと、現代の携帯電話が持つ便利さを痛感します。
 今の若い人が読むと、いかにも作り話めいて感じることでしょう。終戦前後を中心として執筆していた、井上の初期の作品を読むときには、時代背景の理解が求められるようです。

 作中で、一人の女と三人の男の恋愛心理を描くところで、喪服の例えはうまいと思いました。


亜津子は三木に会いたいと思った。いまの亜津子はもう未亡人ではなかった。由良夏代の訪問のお陰で、ふいに亜津子の肩から喪服がずり落ちてしまったのである。
(200頁)


 読み終えてみて、亜津子が物語の主人公のように思って読み進めていたことに気づきました。
 しかし、後半の彼女をめぐる展開では、斎田・三木・佐久二の三人の男たちの心の揺れ動きが、実に巧みに描かれているのです。彼女は、最後までマドンナ役なのでした。

 それにしても、最終章は中途半端な気がします。無理やり、話をまとめざるを得なくて書いた、という印象が強く残りました。
 直前までがせっかく盛り上がったところだったので、私には失速感が大きかったのです。
 なぜ作者は、このような最後を付け加えたのか、いつか考えてみたいと思います。
 今は、読者に対する親切心から、ということにしておきます。【3】





初出紙︰京都新聞、他
連載期間︰1964年9月19日〜1965年5月15日
連載回数︰236回


文春文庫︰紅花



〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/
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2009年01月03日

源氏千年(83)上賀茂神社の紫式部歌碑

 上賀茂神社の2つ目の鳥居を潜った神域に、円錐のような形をしたおみくじを結び付ける道具が並んでいました。正確には八角錐ですが。



090103kamigamo1鳥居



 これは、去年まではなかったものだと思います。
 細殿の前にある円錐形の2つの「立砂」と対照的で、なかなかいいアイデアです。
 結び付けられたおみくじの紙片が幣帛のように見え、また円錐全体が依り代にも見えます。これは、神社のご神体である背後の神山の姿を意識したものだと思われます。

 さらに奥の本殿の楼門からすぐ前の御手洗川のほとりに、片岡社(片山御子神社)があります。ここは、紫式部にまつわる縁結びの摂社として知られています。
 京都北ライオンズクラブの結成45周年を記念して、紫式部歌碑が奉納された、というニュースが昨年の10月にあったことを思い出しました。
 そこで、その歌碑を探したのですが、片岡社の周りにはどこをどう探しても見つかりません。

 思い違いをしていたのかと諦めて帰ろうとしたとき、奈良(楢)の小川のそばの舞殿の少し先に、3人のご婦人が立ち話をしておられました。これではわからないよね、という言葉を耳にしたので、私もそこへ歩みを寄せました。




090103kamigamo2奈良の小川のほとり


 確かに、紫式部歌碑です。境内の散策路から外れているので、これに気づく人はほとんどいません。



090103kamigamo3歌碑




 灯籠の柱にプリンターで急遽印刷したと思われる説明書きには、こうあります。
 ただし、歌碑の文字を正確に翻字していなかったので、刻まれたままの文字で示します。


ほとゝきす聲

万つ本とは

片岡の杜の

  しつくに

  立ちや

  ぬれま

     し


揮毫 後藤西香
石材 鞍馬石
奉納 京都北ライオンズクラブ



 最近では、こうした変体仮名の崩し字を読める人は少なくなっているので、日本文化のすばらしさをさらに正しく継承する意味からも、用字に忠実に翻字しておいたほうがいいと思います。

 この歌碑を見て振り向くと、1本の記念木柱が建っていました。よく見ると、「源氏物語千年紀 紫式部歌碑建立記念植樹」とあります。背面の日時は、平成二十年十月十八日となっていました。




090103kamigamo4記念標柱




 散策路からも見えません。
 奈良の小川の向こう岸からみると、こんな位置になります。
 左手前に舞殿があり、その奥の朱塗りの建物が楼門です。




090103kamigamo5奈良の小川から



 ただし、この対岸は少し行き難いところになります。
 この記念植樹の標柱も、場所がよくないように思いました。
 前の石碑との関係が記されていないので、ほとんどの人には関係がわからないままで通り過ぎてしまわれます。

 この小川は、小倉百人一首に入集された藤原家隆の歌に、
 「風そよぐならの小川の夕ぐれは みそぎぞ夏のしるしなりける」
とあることで有名です。
 少し下流に石碑と説明文があります。

 紫式部歌碑はいいところに設置されました。
 もっと知られるようになってほしいと願っています。
posted by genjiito at 17:09| Comment(0) | TrackBack(0) | ◆源氏物語

2009年01月02日

新年の墓参で高安へ

 毎年、三が日の内に墓参をします。
 我が家のお墓は、大阪府八尾市の高安山の麓にあります。
 あの、『伊勢物語』に出てくる高安の里です。
 小学校と中学校が高安にあったので、お墓があるこの山麓周辺は、格好の遊び場でした。
 忍者部隊月光や隠密剣士のまねをして、山の急斜面を駆け登っていたのです。

 高校は大阪市内の学校だったので、電車通学です。
 自宅からの最寄り駅は、近鉄の信貴山口駅です。


090102haka1元山上口駅


 この駅は、今もほとんど変わっていません。
 この駅からケーブルカーに乗ると、高安山の山上に着きます。そこから信貴山はすぐです。
 この駅からケーブルカーの線路沿いに山道を登り、高安山や生駒山や信貴山に行ったものです。
 家族と一緒に、何度もハイキングがてら、この山道を登りました。

 この駅からお墓までは、霊園の送迎バスで行きます。3分ほどです。
 途中から、小学校などの通学路としての山沿いの道があります。
 いつも、大阪平野から大阪湾を見下ろしながらランドセルを背負い、カバンを肩にかけて通っていました。

 墓地は、急斜面を切り開いたところにあります。
 両親が、四十数年前に、島根県の出雲からこの高安の地に、お墓を移しました。
 なかなか眺望のいいところにあるので、気に入っています。


090102haka2新春の墓地


 坂道の正面が大阪平野を通して臨む大阪湾です。
 右に六甲連山が、左には天気がいいと淡路島が見えます。

 風が強かったので、けっこう見渡せました。


090102haka3大阪湾方面の眺望


 四国が見えるときがあるということですが、私はまだ見たことがありません。
 このお墓のちょうど反対側の山陰に、大和平群の家がありました。
 在原業平が河内通いをした道は、まさにこの辺りなのです。

 地元主催の文学散歩で、この業平の河内通いの道を歩く、というイベントがあります。
 今年も春先にあるはずなので、機会が得られたら、歴史や文学好きな方々と歩いてみたいと思っています。
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2009年01月01日

源氏千年(82)下鴨神社の源氏絵屏風

 昨年の初詣は上賀茂神社だったので、今年は下鴨神社へ行きました。
 いずれも、ご近所の氏神さんです。


090101simogamo1下鴨神社


 御手洗川は、この神社の目玉です。

君がため御手洗川を若水に
  むすぶや千代の初めなるらむ(式子内親王)

 ここでは、「足つけ神事」「矢取の神事」「斎王代の禊の儀」などの儀式がおこなわれます。
 「みたらし団子」は、この水が湧き出る様子からの命名なのだそうです。

 この川に架かる橋を「輪橋(そりはし)」といい、辺りの梅を尾形光琳が屏風に描いたことから、「光琳の梅」とも言われています。

 輪橋の前では、平山郁夫の特別展開催を報せる看板が用意されているところでした。今日からだそうです。
 大好きな画家なので、拝見することにしました。


090101simogamo2御手洗川



 会場は「鴨社直会殿泉聲(かもしゃなおらいでんせんせい)」です。
 平成27年に下鴨の式年遷宮があり、その一環としてこの殿舎が再興されました。平安時代以来、遷宮ごとに直会殿を造営していたのです。
 また、ここの庭は「紫式部の庭」として復元されたものです。
 今は、庭にたくさんの紫珠(紫式部)が植栽されていました。



090101simogamo3紫式部の庭




 平山郁夫が描いた下鴨神社のスケッチを10枚ほど並べた後に、源氏物語屏風絵と洛中洛外図屏風がありました。
 『源氏物語』の方は、「源氏物語図屏風」と名付けられており、六曲一双のものです。
 説明文によると、右隻 右上から左下へ「梅枝」「篝火」「澪標」「明石」の4図、左隻は同じく「須磨」「葵 」「帚木」「末摘花」の4図でした。

 ジッと見ていて、右隻右上の「梅枝」とされている絵は、碁盤の上に紫の上が乗っている図様です。
 源氏絵で碁盤の上に姫君が乗っている図は、「葵」のはずです。すぐに iPhone で調べたところ、やはり「梅枝」にそのような場面は見当たりません。

 写真が撮れないので、後で確認するために、ラフですがスケッチをしました。



090101simogamo5屏風の構図




 会場で看視に当たってる方に聞いたところ、この屏風は、今回信者さんから寄進されたものだそうです。
 神社の図録などにもまだ写真や説明はなく、屏風の前に置かれている解説は今回のために書かかれものだ、とのことでした。

 詳細は後日として、この場面はその認定に問題があるように思いました。

 新年早々、おもしろい作品を見る機会に恵まれました。

 帰り道、大炊殿の葵の庭の前に寒桜が咲いていました。


090101simogamo4寒桜



 先日の北野天満宮の紅梅の早咲きに加えて、早々におめでたいものを見ました。

 今年も、いい年にしたいものです。
posted by genjiito at 23:56| Comment(2) | TrackBack(0) | ◆源氏物語