2008年12月31日

2008年の10大出来事

 今年も、いろいろなことがありました。
 そして、無事に年を越せることに感謝をしています。




1.特別展『源氏物語 千年のかがやき』が大盛況

2.源氏展の図録を来場者の24%もの方々が購入

3.多忙の中、寝ないと生き続けられないことを痛感

4.米国ハーバード大学で源氏本文に関する研究発表

5.伊国ヴェネチア大学で源氏絵巻に関する研究発表

6.蘭国ライデン大学でコメンテーターを務める

7.鞍馬寺蔵与謝野晶子訳源氏自筆原稿をネット公開

8.携帯情報端末である iPhone を活用する生活開始

9.自家用車を処分し自転車で京洛を散策する生活に

10.書き続ける本ブログが1日1500アクセスを突破





 年とともに物忘れが酷くなり、手足に微妙な痺れを感じ、目が不自由になることを自覚し、なかなか思うように身体が言うことをきかなくなりました。
 しかし、まだ当分は仕事ができそうです。
 少なくとも、63歳までは問題がないはずなので、もうしばらく走り続けたいと思います。

 今年は、何と言っても「源氏物語展」に尽きます。
 このことだけのために2008年があったと言っても、過言ではありません。

 さて、来年はどんな年になるのでしょうか。
 職場の環境が大きく変わる時なので、また新たな気持ちで、自分なりの生活のスタイルを再度作り上げようと思います。
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京洛逍遥(53)大晦日の賀茂川と錦市場

 大晦日の今日も、賀茂川には水鳥でいっぱいです。


081231kamo1_2水鳥たち


 鴨よりも、ユリカモメの方が上座にいます。

 そして、今日も、ユリカモメの方が先に飛び立ちました。
 行く先は、比叡山を越えて琵琶湖方面です。


081231kamo2ネグラヘ




081231kamo3編隊飛行



 賀茂川を散策する人々と同じ高さを低空飛行した後、上空に舞い上がります。

 鳥たちは、琵琶湖で年越しをするようです。
 そして、元旦には、またこの川に舞い戻ってくるのです。


 奈良にいたときから、毎年大晦日には京都四条の錦市場に買い出しに来ていました。
 今年も、子どもたちと行きました。



081231nisiki1錦市場



 人でごった返しているのは承知です。
 この人ごみを掻き分けながら、新年を迎える気分に浸ります。

 流れが途切れた時に、こんな表示を見かけました。



081231nisiki2日本語への誇り



 英語はうまく話せないので、できたら日本語で言ってほしい、という意味のことが書かれています。
 英語文化に媚び諂う人がいまだに多い昨今、空港とお買い物で定型句しかしゃべれない私は、つい拍手をおくりたくなりました。
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2008年12月30日

源氏千年(81)千本閻魔堂の紫式部像

 千本閻魔堂(引接寺)で紫式部のブロンズ像を作成しているとのことだったので、過般、心ばかりの寄付をしました。
 先日、その像が完成して安置された、とのニュースに接したので、自転車で見に行ってきました。

 しかし、どこにあるのかわかりません。

 受付で聞くと、精霊堂(開山堂)にあるとのことです。
 ただし、一般公開は来春からだそうです。

 四角い小さなガラス窓からしか見られないので、精霊堂は覗いたのですが、気付きませんでした。


081229sikibu1閻魔堂の紫式部


 巻物を手から垂らした、十二単の立ち姿の紫式部像です。高さは1メートルほどです。
 正面からも見たのですが、薄暗いこともあり、お姿は判然としません。


081229sikibu2素顔が楽しみ



 来春、一般に公開されるとのことなので、お姿はその時にじっくりと拝見できることを楽しみにしましょう。
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2008年12月29日

源氏千年(80)北野天満宮の光源氏

 北野天神の梅の花は、もう数輪が咲いています。
 本殿前の梅林に、紅梅がこんな感じで咲いているのです。
 年の内に春は来にけり、ならぬ、梅は咲きけり、という珍しさです。


081229kitano1ume梅林の紅梅


 さて、北野の天神さんの楼門に至る参道は、もう正月の初詣客を見越した出店や屋台が、急ピッチで組まれつつあります。


081229kitanoromon




 楼門の境内側に、千年紀にちなんでの西陣織の糸人形が、昨日より飾られました。
 左側は、桐壷帝と藤壷です。


081229kitanomikado帝と藤壷



 この糸人形は、明治8年に西陣笹屋街一帯で疫病退散を願って、地蔵盆のための供養として作られたのが起源です。
 昭和43年に途絶えてしまいました。それが、こうして復活したのです。
 西陣織の帯・着尺・絹糸などで造られる糸人形は、ハサミを使わず、針だけで止めた豪華なものです。

 楼門内側の右は、光源氏と頭中将が青海波を舞う姿です。



081229kitanogenji青海波



 『源氏物語』の第7巻「紅葉賀」の場面です。左の帝と藤壷は、この2人の舞を見ている、という想定のようです。
 すばらしい出来です。
 『源氏物語』に通じていない方々のためにも、もう少し説明を加えてあってもいいように思いました。

 なお、この糸人形の公開は、新年6日までです。

 帰り道の参道で、先般、心無い人によって壊された牛が、新たに奉納されていることに気付きました。
 天神さんの乗り物である牛が、無残にも壊されたことがニュースとなっていました。
 それが、こんな形で再生していたのです。


081229kitanousi神牛


 山本さんの奉納になるものでした。
 日時が「平成二十一年一月」となっていたので、早々と新年の福をいただいたような気持になりました。
 末長く、みなさんに撫でられて、大いに親しまれることでしょう。
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2008年12月28日

京洛逍遥(52)定家京極邸址前で喫茶

 御池通りを北に行った所、寺町通り二条上がるに、墨で知られる奈良・古梅園の京都支店があります


081228teika1右端に石碑が



 その古梅園の店の右端に、「藤原定家京極邸址」の石碑があります。
 大正5年に建立されたものです。



081228teika2石碑



 このあたりに、定家の家があったのです。40歳台の頃だったと言われています。

 定家の往時を偲ぶよすがはありませんが、このあたりは日本の古典文化の匂いがします。
 定家の碑の道を隔てた向かいには、和紙の「紙司」と、お茶の「一保堂」があります。



081228kamiocha


 紙司では、さまざまな和紙の感触を楽しみました。


081228kami紙司




 いろいろな紙があります。日ごろ、古写本などを読んだり扱っているので、触るだけでいい勉強になります。
 日本は、すごい文化を今に伝えています。この店などは、ほんの一例です。

 その左隣の一保堂は、お客さん用のお土産を買うために、よく来ます。


081228ippodo一保堂


 今日は、その中にある喫茶室でお茶を飲みました。
 煎茶をいただいたのですが、希望するとお店の方が淹れ方を教えてくださいます。

 たっぷりと煎茶の入った急須に、少し冷ましたお湯を注いで50秒。
 各テーブルの上には、ちゃんと時計がおいてあるのです。
 三煎までいただきました。
 最初は少し甘味があり、二煎目は少し渋く、三煎目はまろやかなお茶をいただきました。

 新春用に、少しいい抹茶と茶杓をいただきました。

 夜、自宅に娘が来たので、早速お茶を点ててもらいました。
 薄めと濃いめをもらい、ゆったりとした時間を持つことができました。
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2008年12月27日

源氏千年(79)千点の新聞記事

 今年は千年紀ということもあり、『源氏物語』に関する新聞記事が目に付きました。

 京都新聞に「数字で見る京 '08」という記事がありました。
 12月15日現在ではありますが、『源氏物語』に関する記事の本数が報告されています。

 この1年間に、京都新聞に『源氏物語』の記事が掲載されたのは984本だったそうです。
 1日に3本の『源氏物語』に関する情報が流れたのですから、これは大変なことです。

 また、源氏物語千年紀委員会が公認したイベントは、これまた15日現在で1206件だそうです。
 毎日4件はどこかで『源氏物語』の催し物がスタートしていたことになります。それぞれのイベントは、数日間から数ヶ月開催されるのが普通なので、京都のいたるところで『源氏物語』があふれかえっていたことになります。

 千年紀の事業は来年の3月末まで続くそうなので、これはさらに数値が増えるものです。

 以上は、京都新聞に関する情報です。

 これに対して、東京はどうだったのかと思うと、これは十分の一以下だと思います。
 具体的に数値を出したのではありません。
 しかし、東京で見ている新聞には、時たま『源氏物語』に関する情報が掲載されるだけでした。

 今年の東西における『源氏物語』に関する温度差は、極端に違っていたことは明らかだといえましょう。

 この1年間、京都と東京を往き来していて、身をもって実感したことです。

 京都新聞の『源氏物語』関係の記事と、ネットに公開された情報は、この1年間のそのほとんどを切り抜きました。
 なかなか整理する暇がありませんが、折を見て確認したいと思います。
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2008年12月26日

お風呂の改修完了

水漏れした東京の宿舎のお風呂が、20日がかりの改修工事を経てようやく完了しました。
年内に終わり、ホッとしています。

4階に仮の部屋を借り、そこのお風呂を使っていました。
また、洗濯機を4階にあげ、そこで洗濯をしていました。

工事中は、1部屋が資材置き場となっていました。
また、玄関からダイニングへの出入り口近辺は、大きなビニールを張り巡らして埃対策がなされていました。
床も、ビニールシートで覆われ、いかにも工事現場の中での生活でした。

防水対策のために、いろいろな素材が使われたようです。連日、薬品の匂いがしていました。
工事期間中のしばらくは、引っ越しをなさる家が多いようです。しかし、私はいろいろと勉強などの本や資料があるので、部屋の物を移動することはせず、そのままの生活をしていました。
日中は部屋にいないので、音や人の出入りには困りませんでした。ただし、帰ってきてからの部屋の中に充満した匂いには閉口しました。

これで、ひとまず安心です。
部屋中が細かな埃で覆われたようで、掃除も大変です。
まだ、接着剤などの化学薬品の匂いが、幾分残っています。
年末年始は京都にいるので、年明けには快適に過ごせることでしょう。
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2008年12月25日

銀座探訪(14)聖夜の銀座

 今年のクリスマスの夜は、一人で銀座へ出かけました。
 有楽町駅前のツリーのネオンがきれいです。


081225ginza1クリスマスツリー



 銀座四丁目周辺をブラブラして、街の賑わいを楽しみました。



081225ginza2銀座四丁目




 井上靖の小説に、銀座がよく出てきます。しかし、あの昭和30年代の雰囲気は、今はまったくありません。とにかく今の銀座は、若い女性で溢れかえっています。

 今年最後となるスポーツクラブに行き、汗を流して来ました。

 レンタルロッカーの扉に、使用期限が10月末で切れているので12月29日で中の物を別の所に保管し、その後廃棄する、という貼り紙がありました。初耳です。利用料金はクレジット払いだと思っていたので、すぐにカウンターに行きました。
 お知らせを送っていたはずですが、とのことでしたが、私のところには何も来ていません。送り先に間違いがないかを確認してもらおうとしたら、時間がかかるので帰りに調べた結果を伝える、とのことでした。会員管理は大丈夫なのでしょうか。
 今日行かなかったら、私の荷物はすべて移動されていたのです。

 今日の体力テストは、36歳だと出ました。いつもは18歳か20歳なので、そうとうダウンです。それでも「非常にすぐれている」です。
 今年は、8月から10月にかけて、源氏展のために、とにかく寝ている暇がありませんでした。今、こうして生活しているのが、あのころの状況では信じられないほどです。人間、生きていないと、何にもなりません。どんなことがあっても、とにかく生き続けることだ、ということを今になって痛感しているところです。

 今年の疲れが、この年末になって出てきたのでしょうか。
 来年は、もう少し余裕のある生活をしたいものです。

 ジムで汗を流し、帰りにカウンターに立ち寄ると、登録した住所が間違っていたので訂正した、とのことでした。一年半もの間、それがわからなかったのですから、会員管理が杜撰なのでしょう。一等地で営業してるクラブにしては、何ともお寒いことです。

 帰り道で、何となくスタウトを飲みたくなりました。黒ビールを気軽に飲める店は知りません。しかし、イギリス風のパブが東京駅と有楽町駅の間の高架下にあったことを思い出したので、ドアを開けてみました。



081225ginza3高架下のパブ




 中は、非常に気さくな感じです。若者で一杯です。隅の方に、おじさんが数人固まっています。肩身が狭そうです。
 そんなことは気にせずに、黒ビールとオリーブを注文しました。すべてが500円ということなので、フレンドリーな店だと言えましょう。前払いなのが面倒でした。

 こうしてブログを書きながら、ビールを2杯飲んでいます。
 なかなかいい店です。
 ここは、今後とも来ることになるように思います。
 ただし、頭上を走る新幹線の音は、少し気になりました。
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2008年12月24日

井上靖卒読(53)『盛装』

 海でボートから飛び込むという設定で始まります。
 娘の父母がその対応に奔走するのは、『星と祭』に似ています。
 ただし、この作品の方が深刻さは浅いようです。親のありようが、まだお話の域に留まっています。娘が10年前からの養女であることも、その原因となっているのかも知れません。

 心中の説明で、次の文は非常に興味があります。


それが、よく判らないんです。でも、相手の人とは無関係です。あの人も死にたいし、わたしも死にたい。死にたい者同士がぶつかって、では一緒に―」
(上83頁)


 人間を見つめた井上の卓見だと思います。こんなことはありうる、と思われるからです。

 一緒に心中した男とことばを交わす生き残った女性。
 死者との会話は、『星と祭』などで見られる、よく似たパターンです。

 自宅の2階での親子げんかの場面や、劇場での対立する2人の女性の激突とその後の銀座での対決などは、空気が張りつめた描写となっていてすばらしいものです。

 今から27年も前の女性心理に言及した次の井上の指摘は、男の場合も同じなのではないでしょうか。



「女って、意識しないでふいに口から出した言葉を指摘されて、それを咎められると、とても救われない気持ちになるものよ。そんな女の気持、判らないでしょうね。」
(下122頁)



 夫婦がお互いの心をさらけ出し、妻が夫を詰問する場面の緊張感は、非常によく描かれています。
 1人の男に失望した後、2人の男に挟まれても、冷静に自分を見つめられる女性の強さが、巧みに描かれています。

 最終章の「春の装い」は、井上らしくていいと思いました。ゆったりと語られています。温かい気持で読み終えられます。

 明るく、華やかに、幕が降ります。
 人間の清らかな心を描ききり、絵になっている作品です。【2】



初出紙︰読売新聞
連載期間︰1963年5月24日〜1964年5月15日
連載回数︰355回

文春文庫︰盛装



〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/
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2008年12月23日

源氏のゆかり(33)説明板27-羅城門跡

 東寺の南門から九条通りを西へ500メートルも行かないところに、羅城門跡があります。



081221rajyo1東寺から西へ




081221rajyo2児童公園




 ここは、かつての平安京のメインストリートである朱雀大路の南の玄関口でした。

 羅城門は何度か大風で倒壊したそうなので、どんな構造だったのか興味を覚えます。
 10世紀以降はなかったということです。『源氏物語』の時代には、この門はなかったということです。

 芥川龍之介の『羅生門』は、この門を背景にしているようです。
 奈良の平城京には、朱雀門が立派に復元されています。
 京都でも、ぜひこの羅城門を復元してほしいものです。

 通りから北に入ると、児童公園の中に石碑とともに説明板があります。




081221rajyo3公園の中




081221rajyo4説明板




 周りが民家なので、復元と言っても難しい問題があることはわかります。
 小さくてもいいので、模型でも置いてほしいものです。
 とにかく、日本人は『羅生門』でそのイメージをしっかりと持っているのですから。
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2008年12月22日

源氏のゆかり(32)説明板26-西鴻臚館跡

 外国から来た使節を接待したり宿泊させる、いわば今の迎賓館にあたる鴻臚館が、平安時代には朱雀大路を挟んで東西にありました。
 今、西鴻臚館跡の説明板は、次の写真の位置にあります。


081221kourokan1東鴻臚館跡



 東向きに目の前を、JR山陰本線の嵯峨野線が南北に走っています。
 この嵯峨野線の向こう側に、東鴻臚館があったのです。
 東鴻臚館は9世紀には廃止され、その東鴻臚館跡の石碑は、今は少し北へ行ったJR丹波口駅に近い「角屋」にあります。
 この「角屋」から今年の3月に、「末摘花」巻だけでしたが陽明文庫本と近似する本文を持つ、鎌倉時代の古写本が見つかりました。これには驚きました。もちろん、たまたま「角屋」にあった、というだけのことのようですが。

 さて、12世紀には西鴻臚館も機能を停止していました。これは、渤海国が滅亡したためです。



081221kourokan2説明板



 『源氏物語』では、「桐壷」巻で光源氏が素性を隠して高麗の人相見の元に行き、准太上天皇になるという将来の予言をしてもらっています。

 今この辺りは、『源氏物語』の語られた雰囲気は微塵も感じさせない地域となっています。
 時の移り変わりを実感しました。
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2008年12月21日

京洛逍遥(51)東寺の「しまい弘法」

 冬至の今日、東寺の「しまい弘法」に行きました。
 自転車で大宮通りを南下すると、30分ほどで着きました。

 とにかく、縁日を楽しみにして来た人、ひと、ヒトで、東寺の周辺から熱気に包まれていました。
 歩道は、人が溢れています。整理に当たっている警察も大変です。
 お目当ての「東寺餅」は、人の列に圧倒されて、残念ながら諦めました。

 毎月21日に開かれる「弘法市」も、今年は今日が最後です。
 境内には、所狭しと露店が出ています。


081221toji1五重塔


 古着や骨董品や食べ物などなど、何でも店に並んでいます。
 昔懐かしき物も多く、見ているだけで飽きません。



081221toji2書画骨董


 なにやら怪しいものも並んでいます。
 京の町中の骨董屋さんや古道具屋さんよりも、値段は高めです。
 値引き交渉が前提ですが、それにしてもスタートからして高すぎます。
 年の瀬なので、これはこれでご愛嬌なのでしょう。

 収穫はゼロ。見るだけで、十分に楽しめました。
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2008年12月20日

各国語訳『源氏物語』の最新情報

 新たにわかったことを含めて、『源氏物語』の翻訳本についての報告です。

(1)現在、ミャンマー語訳『源氏物語』が進行中です。

(2)セルビア語訳『源氏物語』のことも、大分わかってきました。


題名  Gendzi : roman
出版地 Beograd(ベオグラード)
出版社 Zlatousti
発行  2003



(3)アッサム語訳『源氏物語』については、以下のことがわかっています。


D. Sahitya Akademi、ASSAMESE、Genji Konvarar Sadhu Translation of Murasaki Shikibu's Japanese novel, Genji Monogatari, by Atulchandra Hazarika Pp. viii+306 (1983)


 なお、Atul Chandra Hazarika(1903〜1986)氏は、詩人であり翻訳家です。

(4)パンジャビ語訳『源氏物語』が、仲間のところに届きました。本当にあったのです。近日中にホットニュースを流せると思います。

(5)テルグ語訳『源氏物語』は、東京の国際交流基金の図書館にありました。

(6)ハングル訳の最新版は、瀬戸内寂聴の現代語訳(全10巻)を、そのまま10巻で刊行したものです。
  先日韓国の方の協力を得て入手しましたので、詳細はまた報告します。

(7)フランスで、『源氏物語』の現代語訳から翻訳を進めているとの情報があります。
 また、原文からの翻訳も、現在進行中であり、その詳細な報告を待っています。

(8)トルコ語訳『源氏物語』は、すでに原文からの翻訳は完成しており、刊行を待つのみです。
  おそらく、2009年末には手にすることができるようです。

(9)フィンランド語訳の「宇治十帖」の部分が、カイ・ニエミネン氏によってそろそろ着手されます。2010年に完成予定です。

(10)ヨス・フォス氏のオランダ語訳『源氏物語』が現在進行中で、2012年に完成の予定です。これは、「世界のベストブック100」に収録されるものです。

(11)田辺聖子さんの『源氏物語』が、中国語に翻訳されました。

(12)エスペラント訳『源氏物語』も、藤本達生氏によって進行中です。

(13)1934年に東京の開隆堂から刊行された、Waley訳第一巻が見つかりました。表紙は和書風です。

 その他、現在のところ未確認のために不明な書目は、以下のものです。

 ■ヘブライ語訳『源氏物語』 「Maase Genji (源氏物語)Hebrew[HEB]1971」

 ■モンゴル語訳『源氏物語』

 ■ポルトガル語訳『源氏物語』

 ■ハンガリー語訳『源氏物語』

 『源氏物語』の外国語訳について何かご存知の方は、どうか貴重な情報をお寄せください。
 その際、お名前を明記していいかを、併せて教えてください。

 今後とも、その他の外国語訳『源氏物語』を探していきます。

 情報提供について、よろしくお願いします。
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2008年12月19日

井上靖卒読(52)『揺れる耳飾り』

 結婚という具体的なテーマを最初に提示して、この物語が始まります。
 続いて、2人の女と2人の男がお互いの愛情を探りあう話に変わります。

 義理の姉妹の心の揺れ動きが、読んでいて心地よい上品さで語られていきます。
 素直な姉とわがままな妹に翻弄される男の様子が、生き生きとした描写の元に展開していきます。

 登場人物たちは、人間関係において、非常に無防備のように思われます。2人一緒に食事をしたり、お酒を飲んだり、果ては旅行に行ったりします。誤解を招くことは必定です。善人たちが織りなすドラマだからというのではなくて、そんな悠長な時代だったからではありません。作者の創作上の用意と心配りが、少し甘いのではないかと思いました。

 最後の場面で出てくるヒスイのイヤリングが、とても印象的です。本作品の題名がここから来ていることがわかります。
 そして、最後に、この作品のヒロインが靡沙子であったことに思い至りました。てっきり、姉の耿子だとばかり思って読み進んでいました。靡沙子は、話の流れを掻き乱す役割を負っています。しかし、非常に魅力的な女性としても描かれています。こういう女性を、小悪魔というのでしょうか。【3】




初出誌︰主婦と生活
連載期間︰1957年10月号〜1958年11月号
連載回数︰14回


文春文庫︰揺れる耳飾り




映画の題名︰慕情の人
制作︰東宝
監督︰丸山誠治
封切年月︰1961年2月
主演俳優︰原節子、三橋達也




〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/
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2008年12月18日

源氏のゆかり(31)説明板24-斎宮邸跡

 地下鉄東西線の西大路御池駅の真上に、西京高校・中学校があります。


081214saigu1


 なかなかオシャレなたたずまいの学校です。
 その校門の左に、斎宮邸跡の説明板が設置されています。


081214saigu2説明板



 ここは、平安時代中期の伊勢斎宮の邸宅があったところです。

 『源氏物語』で斎宮というと、六条御息所の娘の秋好中宮が思い出されます。
 秋好中宮は、後に光源氏の養女となり、冷泉帝の妃になってからは斎宮女御と呼ばれるようになりました。
 斎宮が伊勢へ下向するにあたり、潔斎をしたところが、後に紹介する嵯峨野にある野宮神社です。
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2008年12月17日

源氏のゆかり(30)説明板23-大学寮跡

 大学寮は、現在で言えば国立の大学にあたるものです。
 いわば、官吏養成機関だと思えばいいと思います。
 『源氏物語』では、光源氏の息子の夕霧が、この大学寮に通っています。それも、四位からではなくて、六位からのスタートを光源氏は強いたのでした。

 千本通から押小路通を東に入ったところに、京都市立中京中学校があります。



081214daigaku1大学寮跡


そのグランド脇の金網沿いに説明板があります。



081214daigaku2説明板


 ここは学校がある所なので、似ているといえますが、イメージが脹らみにくい環境にあります。

 かつての大学寮は、治承元(1177)年の大火で焼失したそうです。
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2008年12月16日

源氏のゆかり(29)説明板22-二条院候補地

 二条城の北東に冷泉院跡があります。
 その横を南北に走る堀川通から東に向かって延びる夷川通りを少し歩くと、二条院候補地(陽成院跡)が夷川児童公園の中にあります。
 この夷川通りには、家具屋さんが店を並べているので有名です。大阪で言えば、難波の西にある堀江・立花通りに当たります。
 我が家の座卓も、ここで買いました。もっとも、今は古道具屋で買った座卓を愛用していますが。

 公園から二条城(かつて御所があった所)を振り返ると、こんな景色として眼に映ります。


081214nijyoin1かつての御所を臨む

 児童公園では、子どもたちが遊んでいました。

 ここは、『源氏物語』では桐壷更衣の実家があったところと想定されています。
 光源氏も、このあたりで遊んだことでしょう。
 そして、光源氏は紫の上をここに住まわせたのです。


081214nijyoin2今は公園


 説明板は、こんな感じで建っています。


081214nijyoin3説明板


 この公園は、二条院の北側に当たります。
 その南半分は、今は建物がひしめいています。


081214nijyoin4二条院南半分


 公園を走り回る少女は、若紫だと思ってシャッターを切りました。

 それにしても、『源氏物語』の舞台であったことを、まったく感じさせない空間です。
 しかし、この地に足を留めることによって、物語における地理的な位置関係が意識されます。

 千年の時空を超えてのイメージを脹らませるためにも、一度佇んでみる価値のある場所です。
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2008年12月15日

京洛逍遥(50)賀茂川の水鳥たち

 冬の賀茂川では、夕刻が近づく頃となると、水鳥たちが慌ただしく飛び交います。

 鴨と鷺が群れていました。



081213kamo3


 これから比叡山を越えて、琵琶湖へ向かうのでしょう。




081213kamo2



 意外と仲がよさそうです。
 生態を知らないので、そう見えるだけなのかもしれませんが……。




081213kamo1


 日増しに、鳥たちの数が増えているように思えます。

 河原を散策していると、餌を与えている人に出会います。
 人間が与えていいのか、よくはわかりません。
 しかし、人に懐いて群れて集まってくる水鳥たちは、見ていても楽しそうです。



081214kamo1



 対岸への飛び石のあたりを見ると、水かさが減っているのがわかります。
 鳥たちにとっては、どんな環境に置かれているのでしょうか。




081214kamo2



 勝手にあれこれと考えながら、ブラブラと散策をしています。
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2008年12月14日

総研大の学術フォーラム -2008-

 総合研究大学院大学(略称は「総研大」)という大学は、あまり知られていません。
 博士後期課程だけの大学院大学なので、マスコミを通して一般に宣伝されることがないからです。新聞などで学生を募集することもありません。国文学専門の雑誌などには、秋口に入試案内などを掲載していますが、目に付くことは稀かも知れません。しかし、着実に成果を世に問うている大学院大学です。

 その概要は、以下のホームページを参照願います。

総合研究大学院大学

 そして、その中に国文学研究資料館が基盤機関として所属しています。
 ただし、「文化科学研究科日本文学研究専攻」という名前なので、なおさら馴染みが薄いのでしょう。
 この紹介は、以下のホームページをご覧ください。

総研大・国文学研究資料館

 この総研大では、毎年秋には、学生と教員が一緒になって、日ごろの成果を共に共有するためのセミナーを開催しています。
 今年で5回目になります。文学・文化・歴史・民俗などの分野で活躍しておられる先生方と学生との交流会なのです。

 今年は、「地域」がテーマでした。

 日ごろは接点の少ない分野の発表や話題は、いろいろと新たな知見を与えてくれます。
 学生の発表に対する先生方の質問も、非常に興味深いものがありました。
 お互いに考えあい、教えあうという場は、貴重な場だといえるでしょう。

 久しぶり刺激的な時間に浸ることができました。
 若者は、いろいろな視点からのアイデアを与えてくれます。
posted by genjiito at 23:43| Comment(0) | 身辺雑記

2008年12月13日

御堂筋の銀杏並木

 週の始めに大阪で研究会があったのに続いて、週末も大阪で学術フォーラムがあり、予定を調節して参加しました。
 相変わらず、東西を行き来しています。

 宿泊先のホテルでインターネットが使えなかったのには苦労しました。

 会場となった淀屋橋から見た御堂筋の銀杏並木は、相変わらず金色の絨緞です。


081213ityonamiki御堂筋の銀杏


 十数年前、大阪で高校の教員をしていたこの時期には、仕事帰りに御堂筋をよく散策したものです。
 久しぶりに、落ち葉を踏みしだきながら歩きました。
 散り落ちた枯れ葉を掃除するのは、これまた大変な仕事です。
 ごくろうさまです。


081213otiba落ち葉


 ギンナンを拾う姿は見かけませんでした。
 茶碗蒸しにギンナンはいい取り合わせです。
 まだ早いのでしょうか。
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2008年12月12日

銀座探訪(13+)銀座で映画「おくりびと」を観る

 
《承前》
 しばらく、銀座でクリスマスツリーやイルミネーションを見ているうちに、急に「おくりびと」という映画を観たくなりました。

 先月、アメリカへ行く時に機内の映画で観られると思っていました。しかし、今回はあまりいいものがなくてがっかりしたところだったのです。
 機会があれば観たいと思っていたものなので、目の前に映画館街があることもあり、すぐにチケットを買って観ました。

 「おくりびと」は、予想を裏切らない映画でした。

 始まりが、男に生まれたにもかかわらず、女の姿で旅立ちさせる場面です。
 最初から、話に惹きつけられました。
 最後まで、画面に釘付けです。
 バックに流れるチェロの響きが、これまたいいのです。
 こみ上げてくるものを適度に宥めてくれます。

一体自分は何を試されているんだろう。


と、納棺師になりきれない男が呟くのが、非常に印象的です。

 生きることと死ぬことの意味を、自然と考えさせられました。
 人間にとっての、根源的な問題を突いてくるテーマです。

 映画が終わってから、薄暗がりの中で、登場人物の名前がロールアップするのを観ながら、入館前に見たイルミネーションが目の前に大きく広がりました。

 これまた、幻想的な世界でした。
posted by genjiito at 23:23| Comment(0) | 銀座探訪

2008年12月11日

銀座探訪(13)クリスマスのイルミネーション

 クリスマスを前にした銀座は、イルミネーションに包まれた街となっています。
 銀座4丁目あたりはいつも通るので、今日は有楽町側を散策しました。

 駅前の交通会館・三省堂書店の前は、光の道になっています。


081210ginza1光の道



 西武デパートの横に、こんなツリーがありました。


081210ginza2ツリー
 
 
 
 クリスマスの時期には、イルミネーションがよく似合います。
 さらに銀座中が光に包まれるような仕掛けがなされることでしょう。
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2008年12月10日

背景が欠落する青春の記憶

 母校の大学で会議があり、休憩時に1人で外を散歩しました。

 校舎のすぐ前にある、よく行った神社へ足を向けました。この境内に来るのは三十数年ぶりです。
 学生時代の当時は、お昼ご飯を妻が毎日のように作ってくれていたので、この境内でよく2人でその弁当を食べたものです。
 石段に腰掛けて食べた記憶があります。

 帰ってから妻に見せて懐かしがらせようと思って、写真に撮ろうとしました。しかし、あたりを見渡しても、記憶にない光景なのです。
 デジカメの液晶画面に映る画像は、まったく記憶とは無関係のものとしか思われないのです。
 2人で座ったはずの場所らしきところも、どうしても見当たりません。
 神域が作りかえられたとも思えません。雰囲気は、こんな感じだったはずなのですから。

 とにかく、2人で何度も歩いたはずの参道に向かって、シャッターを切りました。

081210hikawa2氷川神社の参道


 側道も写しました。


081210hikawa1黄葉の氷川神社



 このアングルにも、思い当たるものがありません。

 二十歳そこそこの頃のことです。
 若い頃なので、鮮明に覚えているはずです。
 作ってくれたお弁当のおかずや、フレンチフライのサンドイッチの色や形は目に浮かぶのです。
 それなのに、その背景になるこの神社を取り巻く映像が欠落しているのです。

 これは、いったい何なのでしょうか。
 どうしたことなのでしょうか。

 校舎は、もう妻と一緒に通った頃のものはありません。すべて、建て替えられているからです。
 学生時代を思い出させるものは、ほんの少ししかありません。
 それでも、かつてあった校舎などは記憶の中にあり、それは鮮やかに、今でも思い出せます。
 研究室、教室、図書館、学生食堂、立ち食いソバ、事務室、床屋などなど。
 それなのに、あの神社の景色が消えているのです。

 妻に申し訳ない気持ちを感じながら、母校の新しい校舎に戻りました。
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2008年12月09日

中島岳志さんのガンディー語り

 今朝は、新大阪駅前のホテルで5時に起床しました。
 NHK教育テレビで、中島岳志さんがガンディーの話をするからです。

 「私のこだわり人物伝」の「マハトマ・ガンディー 現代への挑戦状」が、先週の火曜日夜10時25分から始まりました。
 しかし、その日は各方面への電話連絡等に夜中まで追われ、第1回目から見ることができませんでした。

 そして、今朝、再放送があるため、旅先のホテルで見ることとなりました。

 中島さんには、インドのお寺で2ヶ月間も同宿して、いろいろな調査に同行させてもらい、いろいろな所へ連れて行ってもらい、いろいろな話を聞き、数えきれない程の貴重な勉強をさせてもらいました。
 私とインドとの係わりは、中島さんがいたからこそのものです。
 3年前にハーバード大学へ行った時に、偶然、ライシャワー研究所に客員として中島さんがいました。
 またまた、ハーバードの街をを案内してもらいました。寿司屋とインド料理屋さんも。

 気安く話ができます。なんでも聞けます。とにかく、何でも知っているのです。そして、わかりやすく語るのです。

 あらかじめ、書店でテキストを買い、すでに4回分の放送の内容は了解済みです。
 そのこともあって、放送の内容がよくわかります。
 テキストと実際の放送の内容が微妙にズレているところなどは、けっこう楽しく見ることができました。

 今日は、テレビを見てすぐに、新大阪から直行で立川に出勤です。
 館内を走り回り、そして最後の会議が終わったのは、すでに20時過ぎでした。
 すぐに新宿でのT先生との打ち合わせに急行しました。
 時間がないので、コンコース内のスープショップで話し合いをしました。
 そして、大急ぎで宿舎に帰り、何とか第2回目の放送に間に合いました。

 いつもの、ゆったりとした、そして情熱の籠った語り口で、ガンディーのことを語っていました。
 話の内容が染み込んで来ます。
 後2回。ますます楽しみです。
 テレビの番組を楽しみにするのは、本当に久しぶりです。
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2008年12月08日

万博公園の太陽の塔

 会議に出席するために、大阪の民族学博物館へ行きました。
 万博公園に行くのは、久しぶりです。
 子供をエキスポランドに連れてきて以来なので、20年以上も前のことのように思います。

 モノレールで万博公園駅に降り立つと、あの1970年の万博の時が思い出されました。太陽の塔は、今も健在です。
 その下の高速から見上げたことは何度もありましたが、直接そばに行くのは、本当に数十年ぶりです。


081208banpaku0_5万博公園


 真下から見上げると、30年以上前に、とにかくひたすら並んで見たパビリオンが林立する万博を思い出させます。
 懐かしい姿です。

081208banpaku1昼の太陽の塔


 4時間以上の会議が終わり、帰る時に通りかかった太陽の塔は、こんな感じでした。


081208banpaku2夜の太陽の塔


 それにしても、存在感のある塔です。
 岡本太郎のすごさが、こうして見上げると実感できます。

 かつての万博会場は、1970年とはまったく異なる空間となっています。
 エキスポランドも、ジェットコースターの事故以来、閉園となっています。
 この寂しさの漂う一帯は、あの喧騒に包まれた博覧会の時とは、隔世の感があります。

 千里ニュータウンを控えたこの丘陵地帯は、父が土木作業員として土を運んだ所です。私が小学生時代に、父はこの千里で舗装道路を造っていたのです。出雲にいた私が母に連れられて夏休みなどに大阪へ来た時、父は雨漏りがする飯場に日雇いで働いていました。薄暗い部屋で、1人で囲碁や詰め将棋をしていました。優しく、大阪を連れ回ってくれました。
 そんな父が作った地域だと思うと、なおさら千里には愛着が湧きます。

 この万博の跡地は、何とか次の世代に伝えてもらいたいものです。
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2008年12月07日

京洛逍遥(49)明治天皇の産屋

 京都国立博物館の北西にある、平常展示館の建物が改築されることとなり、博物館所蔵の国宝22点などが無料で公開されていました。
 1965年に建てられた建物の老朽化にともなう立て替えで、2013年の完成だそうです。
 最終日の今日、寒い中を行って来ました。


081207kyohaku無料公開


 外国の博物館のように、入場はフリーパスです。
 気楽に足を運び、気楽に入って国宝が見られるとは、ありがたいことです。

 源頼朝・平重盛像(神護寺蔵)、鳥獣人物戯画乙巻、明恵上人像(高山寺蔵)、雪舟筆山水図(個人蔵)、岩崎本日本書紀、本阿弥切など、名だたる国宝を堪能しました。

 素晴らしいものが多いので、その他のものは重要文化財以外は通過です。贅沢な見方といえるでしょう。

 その足で、京都御苑に行きました。
 ちょうど今日一日限りで、京都御苑の北東にある明治天皇が誕生した産屋が公開されるのです。ここは、これまでに一般公開された記録がない所です。
 地図の上部に赤丸をしたところが、その「祐井(さちのい)」がある所です。


081207map御苑の地図


 公開場所には、たくさんの人が集まっていました。



081207gyoen1人だかり



 入口のそばには、急遽作成されたと思われる、簡単な説明板が立て掛けてありました。

 そこには、略系図の下に5項目の箇条書きがありました。


1、後の明治天皇となる祐宮(さちのみや)様が、嘉永5年(1852)9月26日(旧暦)、誕生されました。

2、母親の中山慶子(よしこ)はここに産屋を建て、祐宮を出産されました。その産屋だけが現在でも残っています。

3、祐宮は5歳まで、中山家の屋敷で育てられ、15歳の時に明治天皇として即位されました。

4、敷地の中の井戸は、「祐宮」の名前にちなんで、「祐井」と名付けられました。

5、明治天皇の皇后は、一條家出身の美子様(後の昭憲皇太后)です。



 私は、ドナルド・キーン先生の『明治天皇』という名著を読んでいたので、この産屋の意義を知っていました。ただし、ここがそうだとは、具体的にはイメージを結んでいませんでした。というよりも、京都は歴史的な場所が多すぎて、折々に訪れるしかないのです。
 めったに見られないものなので、列に加わり、説明に耳を傾けました。
 帰ってから知ったのですが、解説をしてくださったのは、NPO法人京都観光文化を考える会・都草の方々だったのです。これは、京都検定1級合格者のみなさんを中心とするもので、その京都活性化の活動の一つなのだそうです。すばらしいことです。
 ハンドマイクを片手に説明しておられた方は、なかなか物知りだったので、どんな方なのか、どんな組織のボランティア団体なのかと、少し興味を持って聞いていました。
 納得です。

 さて、入口には、「祐井(さちのい)」の標柱が建っています。



081207gyoen2入口



 この前を何度も自転車で通っていましたが、その詳しい意味を知らないままに、ただ通過していました。

 入るとすぐに、「明治天皇生誕の地」という標柱があります。




081207gyoen3標柱




 そして、その右に、明治13年の刻印がある石柱が2本、ゴロンと寝かされていました。それは、かつての本願寺から運ばれた門柱だったとか。

 さらに奥にには、天皇の幼名「祐宮」にちなんだ「祐井」と言われる井戸がありました。




081207gyoen4「祐井(さちのい)」



これは、干魃の夏、井戸を掘って水がわき出たのを喜んだ孝明天皇が命名したものだそうです。

 産屋は、ほぼ思った大きさでした。木造平屋建て20坪ほどだとか。



081207gyoen5産屋



 ここは、明治天皇の生母である権典侍中山慶子の実家、旧中山家の遺構です。そしてこの産屋は、天皇が生まれた嘉永5年のもので、母屋はないのです。

 今回公開された理由はわかりませんが、一つでも歴史的遺物がみられることはいいことです。
 キーン先生のご著書を、また拾い読みして再確認したいと思います。
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2008年12月06日

源氏千年(78)我が家でも版木発見

 今朝の新聞に、「源氏物語の注釈書 初の版木」という記事が掲載されていました。

 『源語梯』の版木2枚が、奈良大学で見つかったというものです。この本は、『源氏物語』に関してイロハ順に項目を分類した江戸時代の辞書です。

 江戸時代に刊行された『源氏物語』関連の書籍としては、この版木は初めて見つかったものだそうです。

 印刷された本は全国に10部残っているそうなので、この版木によって新しいことがわかるというものではありません。しかし、版本として印刷された出版物の版下となった版木は、江戸時代の本のイメージを形成する上では意義があります。本というものに対するイマジネーションを刺激する上で有益なものだからです。

 もっとも、こんなことがニュースになるのですから、『源氏物語』というものの日本文化に対する意義は、もはや不動のものになったことが実感できます。今年だけでしょうが、『源氏物語』のことなら何でもあり、というのはもうこの辺にしたらどうでしょうか。
 マスコミ関係者には、そろそろ来年のネタ集めを急がれることを熱望します。

 さて、突然ですが、私の手元にも版木があったことを思い出しました。

 そこで、自宅の押し入れをゴソゴソしているうちに、やっと見つかりました。


081206hangi1版木オモテ


 柱に記された書名によると、これは『略解 ○古訓古事記巻中』です。
 版木のオモテとウラの両面に文字が彫られています。

 第四十八丁とある面には、


さねさし相模の小野に …


とか、

にひばりつくばをすぎて …


という歌が確認できます。


また、その裏面の第四十九丁に当たる部分には、


かがなべてよにはここのよ …


とか、

ひさかたのあめのかくやま…


という歌が確認できます。


081206hangi2版木ウラ


 この版木は、私が大学生の頃に、三鷹の路上で風呂敷を広げて売っていたガラクタの中から見つけたものです。
 この版木と一緒に、表面だけ彫ったもので、裏面にはその所蔵元が墨書きで記されたものもありました。たしか、京都の蔵の住所が記されていたように思います。
 よくわからないままに、両面に彫り付けてある方がお買い得だと思い、これを買ったことを覚えています。
 今にして思えば、裏に所蔵元が書かれたものの方が価値があったのでは、と思い返しています。
 やはり、知らないということや、知識の乏しい物に対する判断の甘さです。
 こんな愚かなことを繰り返して生きているのです。あの時の版木は、今はどこにあるのでしょうか。もう、処分されたのかもしれませんね。

 30数年前に、私が学生時代のお小遣いで買えたのですから、大したものだとは思いません。しかし、これも、人によっては貴重なものなのかもしれません。

 もし、この版木について情報がありましたら、ご教示の程を、お願いします。
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2008年12月05日

突然のプチお引っ越し

 昨春は奈良から京都へ、そして昨夏は神奈川から東京へと、大きな引っ越しを2つもしました。
 そして今日、今の宿舎から洗濯機を1台だけ移動するという、小さな引っ越しをしました。

 東京の宿舎が、いろいろと面倒なことになっています。
 私の部屋のお風呂場から、下の階のお宅に水漏れがしていたのです。
 ちょうど米国ハーバードへ行っていた時に、今後の水漏れ対策のことで管理人さんから電話を受けました。その電話があったのが明け方の4時だったので、日本の夕方の5時との時差を実感したできごとでした。

 水漏れを調べてもらった結論は、私の部屋のお風呂場の改修ということでした。
 老朽化にともない、コンクリートの床面の割れ目や隙間などから、階下に漏れていたのです。
 工事の準備ということで、またまたいろいろと打ち合わせがありました。そして、結果として、私の部屋の2つ上の階にある空き部屋に荷物を移すことになりました。
 いわゆる引っ越しです。

 しかし、お風呂場の工事で困るのは、お風呂と洗濯だけなので、その部分だけの移動に留めました。つまり、お風呂用品と電気洗濯機を、階上の部屋に持って行くだけのことにしたのです。

 管理人さんにカギを借り、まずは空き部屋になっている所に洗濯機を搬入しました。
 誰も住んでいない部屋には、独特の匂いと雰囲気があります。
 淀んだ空気が部屋中に停滞しており、人待ち顔の空間がこちらを招き寄せているようです。
 外光も、鈍く部屋を照らしています。照明器具がないので、よけいに生活感のない雰囲気を醸し出しています。
 今回は、玄関の横にある設備を使うだけなので、中の部屋は関係ありません。短期間のはずなので、下手に荷物を置こうものなら撤収時が面倒です。

 洗濯機と蛇口をアタッチメントで接続しました。部品の予備を持っていたので、これまでのものを外す手間がいらなくて助かりました。
 そして、お風呂場のシャワーを確認しました。ところが、種火が点かないのです。
 入口のガスメーターボックスの中にあるレバーを開けたのですが、どうしてもダメです。一度だけですが、種火がつきました。しかし、以後はまったくダメです。
 管理人さんに事情を話すと、ガス屋さんに連絡してもらえました。すぐに来てくれましたが、ガス会社に手続きをしないままに使用したことに起因するものでした。風呂釜に異常がないことを確認しただけで帰って行かれました。
 どうやら、今回はこの部屋を用意してもらえただけで、開栓などの手続きはまだだったようです。

 電話で東京ガスに開栓の依頼をしました。ただし、立ち会いの日程が合いません。仕方がないので、結局は管理人さんにお願いすることになりました。
 次に、水道局に使用開始の電話をしました。続いて、関東電力に使用開始の連絡です。

 お風呂場の工事のために、一時的に別の部屋を借りるだけだと思っていました。しかし、実際には、いろいろと面倒な手続きが待ち受けていました。
 これから、工事の具体的な話が進みます。2週間くらいだと聞いていますが、別のところからは1ヶ月くらいかかる、という話も聞こえてきました。年末年始は、いろいろと慌ただしさが重ね塗りされそうです。

 おまけに、今月は我が家が宿舎の自治会の親当番ということで、住んでいる棟の約50軒の住居費や大掃除などの世話をする役になっています。つまり、50ヶ月に一度の役割が当たっているのです。
 職場での仕事と自分の勉強に加えて、宿舎の自治会活動などが一気に被さってきました。
 おまけに、一時的ではありますが、ささやかではあっても今日の引っ越しです。

 何かと大変な年末となりました。
posted by genjiito at 23:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑記

2008年12月04日

愛用のブックカバー(2)

 去年の9月に、「愛用のブックカバー」という話を書きました。


 その後も、折を見ては、気に入ったブックカバーを集めています。

 この1年間で手にしたものを4点ほど、紹介します。



081204bookcoverブックカバー


 左下の青色のものが、新書判用です。
 ビニール質で少し硬めなので、あまり使いません。
 新書判は、まだいいものに出会っていません。


 それ以外は、すべて文庫用です。

 今、一番気に入っているのが、右上のうさぎをデザインしたものです。
 これは、布の生地の手触りがよくて、ふっくらと本を包んでくれます。

 左上のものは、麻の生地に糊がよく利いていて、柔らかな感触がします。

 右下のものは、ふわりとした和紙の風合いがする、優しい感じがします。

 電車で本を読むことが多いので、本を閉じたり開いたりを繰り返します。
 そうした読書をしているので、ブックカバーの役割は大きいのです。

 最近は、革でないものを好むようになりました。
posted by genjiito at 23:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書雑記

2008年12月03日

インド人留学生の眼(2)「日本の常識の不思議」

 インドから来ているクマール君の報告・第2弾です。


「日本の常識の不思議」

 昨日、代々木公園に行きました。そこで、フリスビー(プラスチックの皿)でゲームをやっている2人の日本人を見ていました。このゲームは、プラスチックの皿を相手の方に飛ばし、相手はそれを掴もうとするものです。その皿が少し高く飛んでいくと、相手に「あっー、すみません」「あっ、ごめん」、と飛ばす人が言っていました。その「すみません」という言葉の気持ちは軽いものであることは知っています。しかし、スポーツの場で、なぜ謝る礼儀が必要なのか? と思いました。飛ばすのですから、高く飛んだり、低く飛んだりするのは当たり前です。それが、ゲームの魅力です。いちいち謝っている姿は、非常に不思議です。
 先日、筑波大学へ行く時、秋葉原から筑波エキスプレスに乗りました。ドアが右か左かどちらが開くかを、英語でも日本語でも、駅に着く前に何回も繰り返し車内放送がありました。そして、ドアが開くと、同時にその反対側の閉まっているドアの上の表示板には「反対側のドアが開きます」と点滅していました。目の不自由な人の場合には話が違うけれども、もし間違えて放送を聞かなかった場合でも、ドアが開くとそれだけでどっちに降りるべきか、すぐに判断できます。それでも、その車体の電光掲示板を作った人は、さらに親切な工夫をしたのです。何でそこまでこだわっているのか? と不思議に思いました。
 また、私が住んでいる近くにある学校の門までの道は、少し急斜面の坂道になっています。坂道の上り道からも下り道からも、学校に出入りするところにはっきりと見えるように、「坂道だからご注意」という看板がポツンと立っていました。雨が降っているか降っていないか、日が昇っているか沈んでいるかが五感で理解できるように、坂を上がったり、下ったりする子供も、坂だということはわかっています。このような意味のない看板は、誰に対して、どんな動機で書かれたのでしょうか。
 駅でよく見られる場面ですが、例えば京王井の頭線駅で、電車の到来を知らせる電光掲示板が壊れています。その電光掲示板に「故障中」と書かれています。もしその掲示板に何も表示されていないと、見るだけで故障中だとすぐ判断できます。紙でそれを披露する必要はあるのかと思っています。
 そのような場面で、日本人の、こうした当たり前のことに対する共通認識がどんなものか、考えるようになりました。
「常識」というものは、日本人にとって一体何でしょうか。
この一年間の留学中も、ずっと考えてきました。答えはまだ見つかりません。
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2008年12月02日

源氏千年(77)京都駅前の『源氏物語』の人形展

 京都駅北右側にあるメルパルクの1階に、「源氏物語情報館」があります。
 そこで、森小夜子さんの人形展が開催されていました。


081130ginfo1人形展



 手前は、「葵」巻の車争いの場面です。
 そして、向こうには、「若紫」の雀が逃げた場面です。
 この雀の場面には、伏せ籠の中の雀が再現されていて、非常に興味深い作品となっていました。
 右端奥には、ちゃんと閼伽棚も作ってあります。
 なかなか、芸の細かいところが伺われます。
 本文に忠実に再現しようという心意気が感じられて、幼い表情ながらも『源氏物語』の雰囲気を伝えている作品だと思いました。



081130ginfo2若紫



 この展示のフロアーには、こんな看板もありました。


081130ginfo3メニュー


 今や『源氏物語』は、こうしたメニューにまで、多大な影響を与えています。
posted by genjiito at 01:26| Comment(0) | TrackBack(0) | ◆源氏物語

2008年12月01日

京洛逍遥(48)大徳寺高桐院の紅葉

 大徳寺境内の西にある塔頭の一つに、高桐院という著名な名所があります。


081130koutouin1参道



 昨日は時間がなかったので足を延ばしませんでしたが、天気のよさにつられて、ぶらぶらと出かけました。
 ご近所にたくさんの神社仏閣があるので、自然の推移とともに季節の変化が楽しめます。

 高桐院は、細川幽斎の子である忠興が慶長6年(1601)に建立した塔頭です。忠興は、明智光秀の息女ガラシャを正室にしていたことで知られています。
 そのガラシャ夫人の墓石は、鎌倉時代の灯籠で、元は利休秘蔵のものだったとか。



081130koutouin2ガラシャ夫人の墓



 この高桐院の書院は、千利休の邸宅を移築したものだそうです。



081130koutouin3紅葉散り敷く庭


 奥の茶室からは、こんな燃えるような紅葉が眼に飛び込んできます。




081130koutouin4真っ盛り



 また、歌舞伎の出雲の阿国や名古屋山三郎、そして森鴎外の小説で有名な興津弥五右衛門の墓もあるそうですが、今日は確認できませんでした。

 昨日の本ブログで、大徳寺の大慈院に紫式部の碑があることを記しました。
 今日、その大慈院で鉄鉢料理を食べたので、この碑のことを尋ねました。すると、大慈院は非公開のため、本堂前の庭にある碑は、一般には公開されていない、とのことでした。
 また、何かの機会に、この碑を見たいものです。
posted by genjiito at 01:21| Comment(0) | TrackBack(0) | ◆京洛逍遥