2008年10月01日

井上靖卒読(44)『遠い海』

 始まる早々、女と女の対決です。
 愛人らしき女と妻とのやりとりは、迫力があります。テンポがいいですね。
 最初から、緊張感があります。いつもはのんびりとスタートする井上にしては、めずらしい展開です。

 続く、男2人による、1人の女をめぐる話は、夏目漱石の『こころ』を思わせる三角関係です。うまい構成で話が進んでいきます。

 こんなことばがあります。


「あの娘さんに会いたいんでなくて、あの娘さんのお母さんよ。−似ているでしょう、あの娘さん」

「あの娘さんを通して、ほかのひとのことを考えるんじゃありませんか。もっと嫌だわ」
(117-8頁)


 形代としての栄子は、母の代わりでもあります。『源氏物語』をはじめとする、古典文学のパターンを想起させました。

 つぎのことばも、伝統的な日本文学の視点を持っています。


「わたくし、もう主人を前のように愛せないと思います。愛せないのなら、向うの好きなように勝手にさせておけばいいじゃないかという考え方もできるんですが、それができません。女というものは変なものですわ。愛情はなくなっても嫉妬だけはありますの。嫉妬って、堪らなく汚なくて厭です。嫉妬するたびに、自分で自分の汚れるのが判ります。嫉妬するたびに顔に小皺が一本づつ増え、手に黒いしみが一つずつ増えて行きます。それがよく判ります。」
(83頁)


 『源氏物語』で言うならば、さしずめ六条御息所がこんなことをつぶやきそうです。

 つぎのことばは、この作品を凝縮したものではないでしょうか。

「人間というものは、みんな遠くに見える海のようなものを持っていますよ。眼をつぶると、どこか遠くに海の欠片のようなものが見える。そこだけ青く澄んでいます。幹君も、恐らくそうした遠い海を持っているんだと思いますね。その遠い海は、幹君の場合、あなたの亡くなったお母さんなのでしょう」(150頁)



 また、「月光に照らされた氷河」(85-6頁)も、効果的な場面を作り出しています。

 ただし、最後の栄子の結婚の決断は、なぜその相手で妥協することになったのか、十分には理解できないままに話が閉じられました。私には、終わりを急いだとしか思えませんが … 。

 この小説は、朝の連続ラジオ小説として発表されたものだそうです。そのための制約があったのでしょうか。
 せっかくの絶妙の男女の組み合わせが、うまく活かされないままの、未消化の作品のように思えます。
 後半、急速に失速したことが惜しまれます。【2】



初出︰NHK第一放送
備考︰NHKのラジオ小説として1962年に書き下ろされたもの
放送期間︰1963年1月4日〜
連載回数︰22回


文春文庫︰遠い海



参照書誌データ:井上靖作品館
  http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/
posted by genjiito at 23:39| Comment(0) | TrackBack(0) | □井上卒読