2008年06月27日

心身(16)病院で年金生活談義

 親戚の人のお見舞いに行きました。小さい頃からお世話になっていた人です。
 3週間前に、力の抜けた様子でベッドに横たわっている姿を見て、ショックというよりも、かわいがってもらったことに、お返しも何もできない自分がいるだけのことが、非常に申し訳なく感じました。

 突然倒れたため、その時はとにかく駆けつけました。ベッドに寝たきりで、会話などはできません。心もとない状態でした。これからどうなるのだろう、と不安になりました。
 それが、今日は私の名前もちゃんと覚えていて、小さいながらも、呼びかけてくれました。ベッドでも立て膝で座っていられるほどに、驚くばかりの回復でした。
 この前のことがあるので、さぞかし弱っているのでは、と思って行ったので大いに安堵しました。
 今日、初めてゼリー食べた、とのことでした。この調子ならば、リハビリに入れば回復はもっと加速することでしょう。70歳を超えているので、とにかく心配でした。記憶がおぼつかないようですが、これは時間が補ってくれることを期待したいと思います。

 今日行った時には、これまた定年後の年金生活をしている従兄弟がきていました。私の父が亡くなった時以来会っていなかったので、25年ぶりでした。そうこうするうちに、姉夫妻も来たために、年金組の勢揃いとなりました。みんなが私に対して、お前はいつ定年になる、との質問。あと十年もないです、と答えると、まだまだ若いな、と羨ましがられました。

 年金生活も、最初の一ヶ月はいいが、だんだんすることがなくなり、退屈だとのことでした。それでも、いろいろと趣味があるからいいものの、それもだんだん張り合いというものがなくなるようです。

 さて、これから年金生活に入ってからのことについて、いかに充実した人生の最終舞台を生き抜くか、改めて考えてしまいました。今さえ充実していればいい、ではなくて、60歳を過ぎてからの人生設計が大事になってきます。

 がむしゃらに突っ走るだけではなくて、60歳からの生き方をジックリと考える必要があります。
 自分なりに計画しているとはいうものの、現実に年金生活に入った3人のいわば先輩方のやりとりを聴きながら、そこが病室のベッドの横での会話であったせいか、印象的な言葉がスーと入ってきました。

 さて、これからは、こうした高齢者といわれる人たちの、社会での役割を配慮した社会にしなくてはなりません。そこに、近々私も加わるのです。もうすぐしたら、という思いが、確実に自覚できるようになりました。

 団塊の世代の人たちと、そこから少しズレたところに位置する私たちと、社会は複雑な動きの中に突入しました。
 今日の話からは、とにかく趣味と好奇心を大いに育てておくこと、ということがわかりました。
 今の自分には、それには対処できるようだとは思いますが、いざ定年を迎え、そして年金生活に入った時に、本当に平常心で生きて行けるのか、いささか心もとない思いがよぎります。

 世界中が体験したことのない社会が待ち受けています。
 そんな時代を生き抜くための意識トレーニングを始め出したんだ、という気持ちを強く持って、1人で病院を出て自宅に向かいました。

 電車の中は、若者を中心とする元気のいい人間が作る空間でした。先ほどの病室での感じとは異次元な空間です。しかし、どちらも事実なのです。
 これからは、こうした別次元の世界を目にし、身を置くことが多くなることでしょう。他者に依存しないで生きることが、何と理想的な生き方であるのかを、改めて実感しました。
 これも、まだ余裕があるから、そんな人ごとのように言えるのかもしれません。




posted by genjiito at 22:22| Comment(0) | TrackBack(0) | *健康雑記