2008年05月30日

源氏のゆかり(14)説明板2-凝華・飛香舎跡

 弘徽殿跡の地点から北の方を見ると,こんな感じの通りです。


Buydmczx_s土屋町通を望む



 このすぐ北の左に立つ狸の場所に、凝華舎と飛香舎の跡があります。
 今は、染め物工場がある所です。

Qg7sus0m_s玄関に



 凝華舎とは、梅壷と言ったほうがわかりやすいと思います。
 弘徽殿女御は、弘徽殿を朧月夜に譲った後は,この梅壷を局としました(「賢木」巻)。

 また、光源氏の養女で冷泉帝に入内した六条御息所の娘の秋好中宮は、ここに住んでいたために梅壷女御と呼ばれました(「絵合」巻)。

 飛香舎は、藤壷という名前で知られています。
 光源氏が想いを寄せた藤壷女御がいた所です(「桐壷」巻)。


5p0kslpp_s説明板



 この説明にもあるように、『源氏物語』が執筆された当時の藤壷女御は、道長の娘で紫式部がお仕えした彰子中宮です。
 『源氏物語』における藤壷の重要性がわかります。



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源氏のゆかり(13)説明板3-弘徽殿跡

 出水通りを東に見通す所からの、小路の様子です。
 手前右に、前回紹介した清涼殿跡の説明板があります。
 その真向かいである左端に見える石柱と説明板が、弘徽殿跡になります。
 ビンクの花と、鉢植えが置かれたお宅の前です。


Pfuxb86c_s左が東神明町



 説明板は、本当に民家の外壁に取り付けられています。


Pcm8yhus_s弘徽殿跡



 ここは、光源氏の政敵であった弘徽殿女御のいた所です(「桐壷」巻)。弘徽殿女御は朱雀院の母であり、朧月夜は妹です。
 光源氏と朧月夜が出会ったのは弘徽殿の西廂で、細殿と呼ばれる所でした。そして、この弘徽殿の北側にあった塗籠で、光源氏と朧月夜は一夜を共にしたのです(「花宴」巻)。その後も、アバンチュールはつづきます(「賢木」巻)。
 そしてこのことが、光源氏の須磨退去の原因となります。
 今、物語が書かれて千年後の、この平成の世に、その場所に立てるのです。それも、フラリと自転車に乗って来て……。
 日本文学の楽しみは、こうして実感を持って追認できることにもあります。

 
 現場に来てみると、実際の後宮の位置関係と距離感がわかります。現実の世界は,民家が密集していて、道も狭い小路になっています。しかし、千年前のイメージは、これだけでも湧いて来ます。
 とにかく、物語で光源氏などがいたのは、本当にここなのですから。
 この現実認識は、読書から得られるものを圧倒します。


Aen_qepb_s説明板




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