2008年05月20日

わが父の記(2)川で流された時

 私が3歳の時でした。
 本家の裏にあった、2階の屋根裏部屋で生活をしていた時のことです。
 我が家は、おじいちゃんが保証人になったために家を潰し、それ以来放浪の生活を強いられていました。
 父は職業軍人でしたが、満州で終戦を迎え、シベリアへ抑留されました。
 昭和23年6月に復員、引き上げて来て、それから12年ほどはさまざまな仕事をしていました。
 私が記憶する当時,父はポン菓子を作って村の周辺を回っていました。
 ポン菓子作りの道具は、今では見かけなくなりました。しかし数年前に、たまたま中国の長春で見かけたので、その時の写真を掲載します。


Zeyepavk_s中国で



 これは、私の父が使っていたものとまったく同じものです。運搬車と呼んでいた自転車につないだリヤカーも、バーナーの部分も,そしてバーンと言わせて弾けさせた後に米が飛び散っている様子も、そっくりそのままタイムスリップした光景です。

 父は、相当山の中へも、ポン菓子を作るために出かけていました。お米のはじけたものの残りは、母が夜中に水飴で固めて「おこし」にしていました。父は、またそれを持ち歩いて、道々売っていました。
 私は、父のポン菓子作りに付いて行きました。というよりも、子守りがてら、父は私を連れて行っていたのでしょう。私はわけもわからずに、お米を爆発させる道具のハンドルを回していました。勢いよく燃えるバーナーの炎で、顔や手が熱くなったことを覚えています。ハンドルの真ん中に付いている圧力計が振り切れる頃に、父はレバーを叩いて爆発させます。耳をつんざく、大きな音がしました。
 日が暮れて仕事が終わると、運搬車の荷台に乗せられて帰路につきます。そして必ず、父は次の歌を唄っていました。



庭のサンシューぅのぉ木ーぃに
  鳴ぁるぅ鈴 つけてぇー……




 今でも、そのメロディーを口ずさめます。

 その頃のことだと思います。
 かすかな記憶ではありますが、私は家の側の小川で魚を追いかけていた時に,何かの拍子に川に落ちたのです。
 3歳頃のことですが、今から思えば小さな川に流され,水の中で助けを求めて叫んでいた覚えがあります。水中からみた水面を覚えています。
 怪しい記憶ですが,イメージが浮かぶのです。潜在意識に刻み込まれているのでしょうか。その時、父が必死になつて私を川から救い上げてくれました。なぜか鮮明に、その時の様子も覚えています。

 次の写真は、ちょうどその頃のものです。
 運搬車と呼んでいた自転車は、父の仕事の道具でもありました。
 自転車の左下の小川が、私が流された川です。

Fhgb5wdm_s父と


 父には,いろいろな局面で助けてもらいました。
 何も恩返しをしないうちに、父は他界しました。
 せめてもの息子からの感謝の気持ちは、父の川柳句集を『ひとつぶのむぎ』として1冊の本にまとめあげたことでしょうか。
 この本については、「わが父の記(1)感謝の念を伝える」(http://blog.kansai.com/genjiito/223)で詳しく書いた通りです。
 父も,この本については,本当に喜んでいました。

 覚えていないはずの、川に流された記憶を,時々思い出すのです。これは何なのでしょうか。鮮明な記憶となっているだけに、体が覚えた記憶として深く定着しているのでしょう。



posted by genjiito at 01:35| Comment(0) | TrackBack(0) | *回想追憶

源氏のゆかり(10)説明板10-昭陽舎跡

 温明殿からさらに西の方に少し歩きます。


Y9lipihv_s昭陽舎の跡



 昭陽舎は東宮などが住んだところです。中庭に梨が植えてあったので、梨壷とも言います。
 後撰和歌集が編纂された所としても知られています。


Xkr9yifn_s正面から



 『源氏物語』では、冷泉院が東宮の頃に住んでいました。この昭陽舎の北に、光源氏のいた淑景舎(桐壺)があります。

 来た方向を振り返った様子です。すぐ右端の青い鉄柱の所に温明殿跡が、その先に建春門跡が、そして左方向に淑景舎があったのですが、頭の中で再現できますでしょうか。


Masozfih_s来た道を振り返る



 とにかく、今は民家の密集する地域なので、かつての姿は想像するしかありません。
posted by genjiito at 00:38| Comment(0) | TrackBack(0) | ◎源氏物語