2008年05月31日

源氏のゆかり(15)説明板7-内裏内郭回廊跡

 弘徽殿があった出水通から一本南に下った通りを散策します。
 千本通から下立売通へ入って、東向きに歩いていきます。
 二条城の左上の一画になります。
 下立売通は、真っ直ぐ堀川通に延びています。


0nagzfud_s千本通から下立売通りに入る



 オートバイが止まっているすぐ右の、金網のフェンスが窪んでいる所に,「平安宮内裏内郭回廊跡」という石柱が建っています。その後ろに,説明もあります。


手前の石碑



 この左のフェンス沿いに、説明板があります。
 金網に取り付けられているので、なんとなく間に合わせのように見えます。


Cu5ufcpu_s説明板



 この場所の真向かいには、露天風呂屋さんがあります。
 これを目印にすると、わかりやすいと思います。


Ikmanznn_s前の風呂屋



 それでは、これから内裏の南側を歩いてみましょう。

 それにしても、京の下を掘ることによる新しい知見は、平安時代をイメージする上では、非常に意義のあることが実感できます。
 一口に掘ると言っても、難しい問題があることでしょう。
 気長に、可能な所から調査することによって、かつての平安京の実態を教えてほしいものです。



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2008年05月30日

源氏のゆかり(14)説明板2-凝華・飛香舎跡

 弘徽殿跡の地点から北の方を見ると,こんな感じの通りです。


Buydmczx_s土屋町通を望む



 このすぐ北の左に立つ狸の場所に、凝華舎と飛香舎の跡があります。
 今は、染め物工場がある所です。

Qg7sus0m_s玄関に



 凝華舎とは、梅壷と言ったほうがわかりやすいと思います。
 弘徽殿女御は、弘徽殿を朧月夜に譲った後は,この梅壷を局としました(「賢木」巻)。

 また、光源氏の養女で冷泉帝に入内した六条御息所の娘の秋好中宮は、ここに住んでいたために梅壷女御と呼ばれました(「絵合」巻)。

 飛香舎は、藤壷という名前で知られています。
 光源氏が想いを寄せた藤壷女御がいた所です(「桐壷」巻)。


5p0kslpp_s説明板



 この説明にもあるように、『源氏物語』が執筆された当時の藤壷女御は、道長の娘で紫式部がお仕えした彰子中宮です。
 『源氏物語』における藤壷の重要性がわかります。



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源氏のゆかり(13)説明板3-弘徽殿跡

 出水通りを東に見通す所からの、小路の様子です。
 手前右に、前回紹介した清涼殿跡の説明板があります。
 その真向かいである左端に見える石柱と説明板が、弘徽殿跡になります。
 ビンクの花と、鉢植えが置かれたお宅の前です。


Pfuxb86c_s左が東神明町



 説明板は、本当に民家の外壁に取り付けられています。


Pcm8yhus_s弘徽殿跡



 ここは、光源氏の政敵であった弘徽殿女御のいた所です(「桐壷」巻)。弘徽殿女御は朱雀院の母であり、朧月夜は妹です。
 光源氏と朧月夜が出会ったのは弘徽殿の西廂で、細殿と呼ばれる所でした。そして、この弘徽殿の北側にあった塗籠で、光源氏と朧月夜は一夜を共にしたのです(「花宴」巻)。その後も、アバンチュールはつづきます(「賢木」巻)。
 そしてこのことが、光源氏の須磨退去の原因となります。
 今、物語が書かれて千年後の、この平成の世に、その場所に立てるのです。それも、フラリと自転車に乗って来て……。
 日本文学の楽しみは、こうして実感を持って追認できることにもあります。

 
 現場に来てみると、実際の後宮の位置関係と距離感がわかります。現実の世界は,民家が密集していて、道も狭い小路になっています。しかし、千年前のイメージは、これだけでも湧いて来ます。
 とにかく、物語で光源氏などがいたのは、本当にここなのですから。
 この現実認識は、読書から得られるものを圧倒します。


Aen_qepb_s説明板




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2008年05月29日

井上靖卒読(39)『戦国城砦群』

 読み進みながら、『戦国無頼』の登場人物や場面設定とクロスオーバーすることが多々ありました。いわゆる時代小説として、井上靖が物語る上での根源が近いからでしょう。

 登場人物で言うと、この2作品においては、次のように似た人物として出て来ます。

 『戦国城砦群』= 大手荒之介、藤堂兵太、酒部隼人、千里、弥々
 『戦国無頼』= 佐々疾風之介、鏡弥平次、立花十郎太、加乃、おりょう

 それはともかく、私はこの2作品は、共に好きな小説です。人間が生き生きと描かれていて,描写も印象的です。

 最初に、「死ぬなんてまっぴらだ」(文春文庫、12頁)と言う若武者のことばが逞しくて好感を持ちました。

 比叡と比良の山が見えるところ(124頁)は、井上のベースとなる風景です。

 そして、「生きてのし上がっていくためには、これも仕方ないではないか。」(125頁)というところも、井上の小説作法上の1つのスタンスです。

 この物語は、『源氏物語』の薫と匂宮によく似た設定が認められます。
 酒部隼人が薫、大手荒之介が匂宮です。そして、千里が浮舟でしょうか。
 もっとも、浮舟に比すべきはずの千里は、少し浮舟とは違いますが……。

 だんだん、背景に本能寺の変が見えて来ます。そして、隼人の最後が、きれいに描かれています。
 この物語は、血腥い話が、静かに幕を閉じます。
 夜空と流星の中で、虫の声を聞きながら2人の男女が新しい生を歩もうとします。
 井上らしい、明日への明るさを感じさせながらの綴じ目に、好感がもてます。

 この小説には、月が効果的に用いられています。

・月夜の小屋(36頁、38頁、40頁)
・月光の中の千里(42頁、45頁)
・旅立つ小宮山に冷たく白い月光(158頁)
・隼人から走り去る千里に月光(158頁)
・笹の葉に月光(160頁)
・大雨の後の月(182頁)
・月光の中で縛られた弥々(208-209頁)
・月明かりの中の弥々(217頁)
・月光の中を走る荒之介(221頁)
・月光の中の弥々(226頁)
 
 女性である千里に2例、弥々に3例、月が光を降り注ぐのです。
 井上の小説における、1つの特徴だと思っています。【4】



初出紙:日本経済新聞、他
連載期間:1953年9月24日〜1954年3月7日
連載回数:159回

文春文庫:戦国城砦群






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2008年05月28日

心身(14)人ごみの中での保身の術

 最近、通勤時に自分が何かから身を守ろうとしていることに、フト気づく瞬間があります。

 電車の中では、本を読むためにメガネを外しています。メガネをかけたままでは、文庫本などは読みにくいし、眼が疲れるからです。

 ところが、電車を下りるやいなや、周りの様子をよく見るために、メガネをわざわざかけます。
 人ごみの中では,何があるかわかりません。
 危険な状態になった時に、咄嗟の判断とタイミングに遅れないためにも、ものがよく見えていることが最大の防御です。
 何から身を守るかというと,予想できない行動をする、見知らぬ人からの危害を避けるためです。

 それだけ、ややこしいことが多発する社会に生きているのです。

 東京駅での乗り換えでは、その移動距離が長いせいもありますが、向こうから来る人の気配に、少しでも不自然な気配を感じると、その人とのすれ違いを避けるために、歩くコースを変えています。最近では、無意識にそうするようになってしまいました。

 エスカレータや歩く歩道などで、反対から来る人が、突然カバンや傘などを振り回さないかと……。
 エスカレータの下りやホームの端で、後ろから突き落されないかと……。

 実際にニュースで知ってしまったことが、たくさん情報として蓄えられました。予想を超えたことが、いつなんどき起きるとも限りません。
 これは、心配性なのではなくて、不測の事態への準備と迅速な対処ができるための心がけだ、と思うようになりました。

 何やら,武士の心得のようになってきました。

 考えたら切りがないのですが,少しでも身を守る安全策をとるに越したことはありません。これも、日常化すると、こうして書くほどに大変なものではありません。
 反射神経の養成です。
 そう思うと、気が楽になります。

 状況を見極めて、サッと逃げる準備をしておくのは、都会の雑踏を泳ぎながら生きる上での、生活の知恵だと思っています。
 見ず知らずの人たちの中を掻き分けて移動する時は,こうした心構えは大切な保身の術だと言えましょう。



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2008年05月27日

江戸漫歩(6)与謝野晶子の住居跡

 いつもいろいろと教えを受けている室伏信助先生が、お住まいになっている荻窪の地を案内してくださいました。
 それも、与謝野晶子の住居跡や近衛邸などなど、私が現在関心をもっているところばかりです。
 以前から案内してくださるとのお話でしたが、私の職場が立川に移転し、荻窪が通勤途中の駅になったこともあり、それではということで急遽実現しました。

 実は、私は学生時代に、この荻窪の桃井という所に1年ほど住んでいたことがあります。3畳一間の狭いアパートでした。荻窪は、思い出深い地でもあります。
 当時は、与謝野晶子にはまったく興味がなかったので、近くにいたのに知らなかったのです。

 荻窪駅まで出て来てくださった室伏先生は、夕方とはいえ急に暑くなった日差しの中を、いろいろな楽しい話をしてくださりながらの文学散歩となりました。

 荻窪駅から南に少し歩きながら、まずは角田文衛先生がお亡くなりになったことが話題となりました。室伏先生は、大島本の複製本をおまとめになる時に、角田先生と頻繁にあっておられたからです。私が昨春、角田先生のご自宅を訪問した時の話等をしたところ、いろいろなことを思い出しになって、エピソードを語ってくださいました。

 そうこうする内に、おしかわ公園に着きました。その角に、立派な案内板がありました。室伏先生もご存じないものだったので、最近出来たもののようです。


Uoqphwij_sおしかわ公園



Uie0esq0_s説明板



 そこからさらに、晶子の『新訳源氏物語』についてのお話をしながら歩き、南荻窪中央公園へ向かいました。
 ここは、与謝野晶子と鉄幹が住んでいた跡地です。


Ebvp1uks_s南荻窪中央公園



 公園の入り口にあったパネルには、こう書かれています。



歌はどうして作る
じっと観
じっと愛し
じっと抱きしめて作る
何を
「真実を」

「私はどうして作る」より
       与謝野晶子




 晶子と鉄幹は、昭和2年にこの荻窪の地に転居してきました。
 広い屋敷には、「采花荘」と呼ばれた日本家屋と、「遥青書屋」という洋館があったそうです。


Almq8r_y_s公園の中から



 そして、その2つの建物の間に、「冬柏亭」という書斎がありました。これは、晶子の50歳のお祝いに、お弟子さんたちが贈ったもので、昭和5年に完成しました。
 鉄幹が昭和10年に62歳で亡くなり、晶子も7年後の昭和17年に64歳で亡くなります。晶子が残した歌は、なんと5万首だったそうです。

 晶子没後の翌18年に、この「冬柏亭」は門下生の岩野喜久代氏の住まいだった大磯に移されました。それがさらに岩野氏によって、昭和51年に鞍馬山に移築されたのです。
 これは、同じく晶子の門下生だった鞍馬寺の信楽香雲初代管長との縁によるものだとのことでした。

 私は、一昨日の日曜日に、晶子の自筆原稿の撮影に関する仕事で,鞍馬寺に行っていました。お寺の方々のお世話になって帰って来たばかりだったので、今日この晶子の旧宅の地に立っていることが、不思議なことのように思われました。
 それも、尊敬する室伏先生に案内してもらってのことだったので、ありがたいことと感謝しながらの散策でした。

 晶子と鉄幹のことは、説明板にある通りです。


Zi2eq25n_s説明板



 帰り道に、晶子と鉄幹の似顔絵付きの旗が、道々の街灯に下げられているのに気づきました。大通りの街灯にも付けられています。


Qybfnycj_s大通りの街灯に



 街を盛り上げるために、与謝野夫妻は今も貢献していることになります。



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2008年05月26日

わが母の記(2)階段から落ちる

 私が3歳くらいのことでした。
 本家の離れの屋根裏部屋にいたのですが、我が家の生活空間はそこの2階だったので、階段というよりはハシゴで上り降りをしていました。

 あるとき、急にトイレに行きたくなりました。
 母がいないので、上からハシゴの下に向かって呼ぶと、母が下から顔をのぞかせて、ここだよ、と応えてくれました。洗濯か水仕事をしていたのでしょう。
 私は、大急ぎでズボンとパンツを下ろして、降りようとした時です。自分が下ろしたズボンとパンツに、足が入ったままであることに気づかないまま、足を踏み出していたのです。
 アッと言う間もなく、まっさかさまに落ちました。慌てふためいた母のさまを覚えています。着物に白い割烹着をしていたように思います。

 結局、前歯を1本折るだけですみました。母とバスに乗って、出雲市駅の近くにある歯医者に行きました。
 その数年後に、真ん中からいびつな歯が生えてきました。さらに数年後、小学生の低学年の時にその歯を抜き、できた空間を矯正によって中央に寄せる装置を嵌めていました。

 苦労して真ん中に寄せた歯も,いつしか虫歯となり,今では前歯の3本は差し歯になっています。

 以来,高所恐怖症です。特に,隙間のある階段は苦手です。
 あろうことか、立川の新しい職場の階段は,板切れを並べた状態の、下が丸見えのものなのです。また、ガラス張りの空間に階段があるので、否が応でも下が見えるのです。


Gdmero3v_s館内の階段



 私は3階にいるのですが、できるだけ中央の少し薄暗い非常階段を我慢して使うか,エレベータを利用しています。
 階段の踏み板の隙間から下が見えると,自ずと足が竦むのです。
 下に人の姿が見えると,母が下から顔を出した時の記憶が蘇るのか,足が退けることがあります。

 そのせいもあって、ガラス張りのエレベータもダメです。
 新館のエレベータが、そこまで斬新な設計ではなかったことに、救われる想いがしています。




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2008年05月25日

京洛逍遥(39)北野天神の縁日

 北野天満宮の縁日に行ってきました。
 菅原道真の誕生が6月25日で、また2月25日に亡くなったことから、毎月25日は天神さんの御縁日です。
 境内はもちろんのこと、その周辺にも露天がビッシリと立ち並びます。

 今日の25日はちょうど日曜日ということもあり、ラッシュアワーのような状況でした。


Ataa1pxq_s北野天神の縁日



 着物の古着が多いことに驚きです。一着500円から1000円。カラフルな柄の着物がたくさんあります。若い人たちが買って帰っていました。


Vvbd0f_b_s古着



 みんなが外出着として着出すと、街は日本的なファッションで華やぐことでしょう。
 現在、京都では着物姿で街に出ると、公共交通や公共施設などで割引が受けられます。そのせいもあってか、たくさんの若者が着物姿で歩いているのを見かけます。ほとんどが女性ですが、男性も健闘しています。
 私は気恥ずかしくて、お正月以外は着て出る勇気はありませんが、この風潮は歓迎すべきことだと思います。

 出店をのぞいて回る外国人の多さにも驚きました。日本語が達者な方がおられます。しかし、ほとんどが簡単な英語で値段の確認です。
 次の写真の左端の方は、外国人のお客さんに積極的に英語で対応しておられました。


Mgqhcdtz_s英語が飛び交う



 その向こうのテントの売子の若い女性も、自然な英語で説明をしておられました。この一角は、なかなか国際的な雰囲気が感じられました。

 朝の内は小雨がぱらついていましたが、午後はすっかり晴れ上がり、夏の到来かと思わせる暑さでした。
 天神さんの縁日も大盛況で、日頃はお目にかかれない骨董品や仏像などの小物を、冷やかしながら見て来ました。

 なんでこんな物が、と思うものが並んでいたりします。
 美術品の調査官などが、よく見回りに来るそうです。海外への流出品や盗品など、いろいろとあることでしょう。偽物作りの職人の秀作も、いくつか見かけたように思います。
 それというのも、私は博物館実習で、偽物作りを体験しているのです。偽物と言ってはいけません。イミテーションではなくて、レプリカです。いかに本物らしく見せるかが、腕の見せ所です。
 次回は、そんな目で見て回ると、また楽しくなることでしょう。



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読書雑記(9)〈 定年小説 〉特集を読む

 『小説現代』の6月号に「〈 定年小説 〉特集」が組まれていました。

U5seve81_s小説現代


 そろそろ自分自身の問題になる、という自覚が日々強くなることもあり、いつもは読まない文芸雑誌を、つい買って読んでしまいました。

 「定年」という一つの課題のもとに、6編の短編小説が収録されています。6人の作家のうち、私がこれまでに読んだことのあるのは、藤田宜永と橋本治の2人だけです。
 それぞれに結構たのしめました。

■秋元康「シリーズ潮時 定年」
 キーワードは「潮時」です。
 最後の、定年を迎えてのスピーチは、あまりに状況に頼り過ぎたものです。話す内容で勝負すべきだったと思います。

■藤田宜永「ブーベの恋人」
 いつもの藤田ワールドでした。ただし、定年というテーマと合わないように感じました。
 話がユラユラと揺れていて、不安定な話になっています。
 タイトルに合わせた仕掛けがなかったのが残念でした。
 平凡すぎたのです。

■高任和夫「シンパシーの復権」
 「シンパシー」がキーワードの話ですが、最後が流れてしまいました。話をきれいに収めようとし過ぎたせいではないでしょうか。

■佐江衆一「駅男」
 小説作法が透けて見えました。いい話が散らばっているので、もったいないことです。作中作の小説は不要だと思います。 

■橋本治「チューリップが咲くまで」
 話の構成がうまいと思います。人間の心理を解説して聴かせてくれます。その説明がわかりやすいのです。橋本治の文章をよんだことは何度もありますが、小説は初めてでした。「定年」というテーマを、うまく表現して作品としていました。

■藤原智美「お分かりにならない方」
 丁寧な描写で語り進められていきます。切れ切れ、飛び飛びの文が、リズミカルに展開していきます。
 仕事からの定年というよりも、人生の定年というか終着点に立っての物語です。
 「楽しいボケ老人を演じる」ひとりの男を通した、スリルに満ちた話です。後半の急展開が気に入りました。
 私は、この作者のことをまったく知りません。ほかにどんな作品を書いているのか、書店で本を探す楽しみが増えました。



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源氏のゆかり(12)説明板4-清涼殿跡

 承香殿跡から30メートルほど西に、二つの説明板が向かい合っています。
 まずは、清涼殿跡から。


0pjhzmd0_sさらに西へ



 写真左端の、電信柱と自動車の間に、その説明板がかすかに見えています。
 回り込んで見ると、こんな感じで見えます。



Se4cjj8h_s清涼殿跡



 民家の窓際に建っているので、家の中が少し暗くなったのでは、とお気の毒に思ってしまいます。

説明板には、こう書いてあります。


Ycwujdcw_s説明板



 清涼殿は、天皇の日常の生活と政治の場でした。
 光源氏の元服は、清涼殿の東庇で執り行われました。

 ここから真後ろに振り返ると、次の弘徽殿跡になります。



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2008年05月24日

源氏のゆかり(11)説明板5-承香殿跡

 昭陽舎(梨壷)から西へさらに50メートルの位置に、承香殿跡があります。
 写真の右端に、石碑が建っているところです。


3ubcdwak_sさらに西へ



 石碑と説明板を正面から見たところです。
 民家の格子戸の横に設置されています。


Ijcqahhw_s正面から見る





Ule_wgsx_s説明板



 承香殿は弘徽殿に次いで格式が高く、ここで古今集が編纂されています。
 承香殿を賜った人としては、徽子女王(村上天皇女御、斎宮女御)、藤原胤子(宇多天皇女御、藤原高藤女)、藤原元子(一条天皇女御、藤原顕光女)などが知られています。
 徽子女王は、六条御息所のモデルだと言われています。

 この承香殿跡から、来た道を振り返ると、こんな様子です。


Yp586nxa_s振り返ると



 狭い道路の左側前方に、梨壷や内侍所の跡がありました。

 内裏が意外と小さく感じられます。





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2008年05月23日

国文研の立川移転記念式典

 国文学研究資料館の立川移転記念式典が、本日盛大に執り行なわれました。


Oiutqbcf_s開会前



 祝賀会の合間には、國學院大學のみなさんによる雅楽が演奏されました。
 上は開式前の写真ですが、右側がそうです。

 文部科学大臣や冷泉貴美子さんをはじめとして、たくさんの祝辞をいただきました。
 私など裏方は、会場周辺を走り回っての雑務が多くて、会場内は見られませんでした。

 その後、展示室のオープニングセレモニーに移ります。
 先月の、京都文化博物館の源氏展でもそうだったように、今日もテープカットからはじまりました。


Eknxfgrd_sテープカット



 スタートとなる展示は、館蔵の貴重書による「移転記念特別展 よみがえる時−春日懐紙を中心に−」です。

 国文学研究資料館には、和歌、歌謡、物語、軍記など、古典の名作の数々約120点の貴重書が所蔵されています。その研究成果を盛り込み、日本人の「こころ」と「ことば」の世界を、親しみやすく紹介するものです。

 ■5月26日(月)〜6月20日(金)
 ■午前10時〜午後4時半(入場は4時まで)
 ■土日・6月9日(月) 休館
 ■入場料無料
 ■国文学研究資料館 新庁舎 1階展示室
  主催:国文学研究資料館 日本経済新聞社
  後援:立川市

 ■展示予定書目
  春日懐紙(懐紙25枚)
  大黒舞(絵巻)
  扇の草子(絵巻)
  十六夜日記(絵入写本)
  徒然草(古活字版)
  太平記(古活字版)
  宗安小歌集(写本)
  金春禅竹自筆伝書(写本)
  隅田川両岸一覧(版本)
  宇治製茶始末絵図帖(絵入写本)


 招待してお越しいただいた方々200名を、まずは館蔵名品展にご案内し、続いて書庫を見てもらいました。

 改めての祝賀会の会場内は、立錐の余地もないほどの盛会です。
 秋山先生も、祝辞のマイクを持たれました。


Lhhrg9xa_s秋山先生



 陽明文庫の名和先生も、いつものように元気なスピーチをなさっていました。


Larsoxri_s名和先生



 来週から、この名品展が一般公開されます。
 貴重な古典籍が展示されています。
 たくさんの方々に見てもらいたいと思っています。

 私の今日の大事な任務の一つは、来賓である秋山虔先生のお世話をすることでした。着かず離れずの距離を保って、無事にお見送りできました。
 先生からは、いろいろなお話を伺いました。いい勉強をさせていただきました。
 優しい言葉をかけてくださるので、いつも励まされます。


 展示室のこれからの予定は、私が担当する源氏展が10月4日から始まります。今後は、その準備に専念し、いい展覧会に仕上げていきたいと思います。
 今春、学芸員の資格をとったばかりなので、初めての実践となります。とにかく展示は、経験だけが力となるものだそうです。いろいろと不首尾は覚悟のことです。たくさんの勉強をさせてもらうつもりです。

 またまた、走り回るだけの日々が続きます。




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2008年05月22日

源氏千年(48)東京で和菓子展

 東京にある和菓子の「虎屋ギャラリー」で、「源氏物語と和菓子展」が開催されています。地下鉄の赤坂見附駅から青山通りを渋谷方面に少し歩くと、豊川稲荷の向かいにあります。


Ksfkdix3_sとらや



 ギャラリーへの入り口は、駐車場からとなっています。


Yzggxppm_s入り口



 入り口で、「源氏物語と和菓子展」という冊子を貰えます。
 これはぜひ手に入れたいものです。
 この展覧会も、源氏物語千年紀委員会がサポートしています。

 京都は『源氏物語』で盛り上がっています。東京も京都ほどではありませんが、こうした催しがあるのです。

 今回の和菓子展では、片野孝志氏の料紙の装飾は、会場を盛り上げていました。
 お菓子を置いた台の意匠は、とても凝っていてお菓子を引き立てていました。
 私が一番気に入ったのは、「明石」をテーマにしたお菓子でした。
 金と銀の青海波の文様のデザインの下絵の上に、お菓子が置かれていたのです。
 展示場の説明は、こうありました。

源氏は教養深く美しい明石の君と出会い、結ばれる。明石の君が琴の名手だと聞いた源氏は、波の音に合わせてその琴の音を聞きたいと、父親の明石入道に語る。


 別室でのこのお菓子の説明は、こうなっていました。



羊羹製 波 白餡入

都を退いた源氏は、
教養深く美しい明石の君と出会い、
結ばれます。(十二帖明石)
羊羹製『波』は、源氏が、
波の音にあわせて明石の君の琴の音を
聞きたいと語る場面を思わせます。




 ただし、お菓子のデザインと物語内容とのつながりを、もっと説明してほしいと思いました。
  幸い,作品が売られていたので,早速買いました。
 本当は1つだけでよかったのですが、気の弱い私は、1つだけとはどうしても言えず、2つも買ってしまいました。血糖値を気にしているので,1つだけでも多いのに……。
 1つだけを買うことに抵抗があるのは、やはり日本的な文化を背負っているからでしょうか。

 私が宿舎で愛用している角皿に、展示されていた雰囲気を再現してみました。
 皿も、そしてそれを置く台も違いますが、なんとなく雰囲気を出してみました。


Tmuadbvy_s明石1



 とらやの和菓子展を見ていて、神戸凮月堂が昭和52年に創業80周年記念として「源氏菓子」を写真本としてまとめた『源氏の由可里』を思い出しました。
 この「明石」を、家にあったまた別の小皿に盛りつけてみました。明石の雰囲気を出すために,漆塗りのフォークを添えてみました。


Tzr8syl0_s家で



 お菓子で、こんなに遊べるのです。新しい楽しみを発見しました。

 この「明石」は、凮月堂の作品で言うと,次の「帚木」と「真木柱」を合体させたようなものだと思いました。


Uqw2vmxs_s帚木



 こうした創作物は、類想が似通ってくるものです。
 無意識にでも,いろいろとイメージは似通ってくるのでしょうか。


Bnlnv2l4_s真木柱



 『源氏物語』のイメージをお菓子で表現するとは,まさに柔軟な日本文化の一分野と言えましょう。



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2008年05月21日

源氏絵巻のメガネ拭き

 朝日新聞の5月20日版に、「時めきたまふ眼鏡ふき」という記事がありました。
 石山寺が所蔵する源氏物語絵巻をプリントした眼鏡拭きを、昨年10月に東レと開発したところ、それが約5万枚も売れたというのです。

 素材は、超極細糸を使用したものです。
 絵のないものは私も活用していますが、源氏絵が描かれたものが人気とは……。
 これも源氏千年紀の効果でしょうか。

 これを手に入れようと思っていたところ、偶然にも新聞記事を見たその日に、ある方からいただきました。


Wrlg7iwl_s眼鏡拭き



 これは、石山寺の源氏絵巻ではなくて、徳川美術館が所蔵する土佐光則筆『源氏物語画帖』の「初音」の絵です。
 この写真は、私が持っている皿の上に広げて撮影したものです。現物は、写真の白い部分がないものです。

 同じことなら、絵のあるものの方が楽しいので、これを今後は使うことにします。

 いろいろな源氏グッズがあるので、今後ともこうした報告もしたいと思います。
 『源氏物語』の受容史を研究テーマにしていることですので。




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さざれ石のこと

 昨日、所用があって虎ノ門にある文部科学省と文化庁、そして日本郵政株式会社に行きました。
 そして、新庁舎である文部科学省の1階に、国家『君が代』で知られた「さざれ石」の展示物があるのを見かけました。


Atn3_0lx_sさざれ石の場所



 この『君が代』について、私なりの1つの持論を持っていますが、その詳細は後日にします。
 何分にも、今は職場の移転記念式典の直前であり、また、『源氏物語』の特別展の準備に奔走する中なので、じっくりと考える暇がないのです。
 最近は、とにかくすぐに忘れてしまうので、今日はメモとしての報告に留めます。

 近寄ると、こんな形をしていました。


0etf7iqj_sさざれ石



 その脇には、こんな説明板が建っていました。



2sycyark_s説明板




 この問題については、山田孝雄の『君が代の歴史』の確認から入るのがスタートだと認識しています。また、民間での「生石伝説」の意味を考える必要があると思います。
 私は、文献資料の確認から、この問題を考えて行きます。政治的な解釈とは異なるので、非常に文献実証的で論理的であると思っています。ただし、今はそれを考えてまとめる余裕がないので、とにかく、「さざれ石」を見かけました、ということの報告にします。



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2008年05月20日

わが父の記(2)川で流された時

 私が3歳の時でした。
 本家の裏にあった、2階の屋根裏部屋で生活をしていた時のことです。
 我が家は、おじいちゃんが保証人になったために家を潰し、それ以来放浪の生活を強いられていました。
 父は職業軍人でしたが、満州で終戦を迎え、シベリアへ抑留されました。
 昭和23年6月に復員、引き上げて来て、それから12年ほどはさまざまな仕事をしていました。
 私が記憶する当時,父はポン菓子を作って村の周辺を回っていました。
 ポン菓子作りの道具は、今では見かけなくなりました。しかし数年前に、たまたま中国の長春で見かけたので、その時の写真を掲載します。


Zeyepavk_s中国で



 これは、私の父が使っていたものとまったく同じものです。運搬車と呼んでいた自転車につないだリヤカーも、バーナーの部分も,そしてバーンと言わせて弾けさせた後に米が飛び散っている様子も、そっくりそのままタイムスリップした光景です。

 父は、相当山の中へも、ポン菓子を作るために出かけていました。お米のはじけたものの残りは、母が夜中に水飴で固めて「おこし」にしていました。父は、またそれを持ち歩いて、道々売っていました。
 私は、父のポン菓子作りに付いて行きました。というよりも、子守りがてら、父は私を連れて行っていたのでしょう。私はわけもわからずに、お米を爆発させる道具のハンドルを回していました。勢いよく燃えるバーナーの炎で、顔や手が熱くなったことを覚えています。ハンドルの真ん中に付いている圧力計が振り切れる頃に、父はレバーを叩いて爆発させます。耳をつんざく、大きな音がしました。
 日が暮れて仕事が終わると、運搬車の荷台に乗せられて帰路につきます。そして必ず、父は次の歌を唄っていました。



庭のサンシューぅのぉ木ーぃに
  鳴ぁるぅ鈴 つけてぇー……




 今でも、そのメロディーを口ずさめます。

 その頃のことだと思います。
 かすかな記憶ではありますが、私は家の側の小川で魚を追いかけていた時に,何かの拍子に川に落ちたのです。
 3歳頃のことですが、今から思えば小さな川に流され,水の中で助けを求めて叫んでいた覚えがあります。水中からみた水面を覚えています。
 怪しい記憶ですが,イメージが浮かぶのです。潜在意識に刻み込まれているのでしょうか。その時、父が必死になつて私を川から救い上げてくれました。なぜか鮮明に、その時の様子も覚えています。

 次の写真は、ちょうどその頃のものです。
 運搬車と呼んでいた自転車は、父の仕事の道具でもありました。
 自転車の左下の小川が、私が流された川です。

Fhgb5wdm_s父と


 父には,いろいろな局面で助けてもらいました。
 何も恩返しをしないうちに、父は他界しました。
 せめてもの息子からの感謝の気持ちは、父の川柳句集を『ひとつぶのむぎ』として1冊の本にまとめあげたことでしょうか。
 この本については、「わが父の記(1)感謝の念を伝える」(http://blog.kansai.com/genjiito/223)で詳しく書いた通りです。
 父も,この本については,本当に喜んでいました。

 覚えていないはずの、川に流された記憶を,時々思い出すのです。これは何なのでしょうか。鮮明な記憶となっているだけに、体が覚えた記憶として深く定着しているのでしょう。



posted by genjiito at 01:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 回想追憶

源氏のゆかり(10)説明板10-昭陽舎跡

 温明殿からさらに西の方に少し歩きます。


Y9lipihv_s昭陽舎の跡



 昭陽舎は東宮などが住んだところです。中庭に梨が植えてあったので、梨壷とも言います。
 後撰和歌集が編纂された所としても知られています。


Xkr9yifn_s正面から



 『源氏物語』では、冷泉院が東宮の頃に住んでいました。この昭陽舎の北に、光源氏のいた淑景舎(桐壺)があります。

 来た方向を振り返った様子です。すぐ右端の青い鉄柱の所に温明殿跡が、その先に建春門跡が、そして左方向に淑景舎があったのですが、頭の中で再現できますでしょうか。


Masozfih_s来た道を振り返る



 とにかく、今は民家の密集する地域なので、かつての姿は想像するしかありません。
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2008年05月19日

源氏のゆかり(9)説明板11-温明殿跡

 建春門跡から西にまっすぐ進むと、カギ型に左に折れた所の鉄格子に、温明殿跡の説明板が取り付けられています。


Zzkwzumw_s温明殿跡



 説明板が仮止めのような形なので、つい見過ごしてしまいがちです。
 この通りは、いくつもの説明板がなにげない形で取り付けられています。
 左右をよく見て歩きましょう。


F1ijttys_s11の説明板



 この温明殿の南側の内侍所(賢所)には、三種の神器の1つである神鏡が安置されていました。
 『源氏物語』の第7巻「紅葉賀」では、光源氏がこの温明殿の辺りを歩いていて、琵琶を弾く源典侍と出会います。

 この温明殿跡から、今来た建春門跡の方角を見ると、こんな風景になっています。

Cnupsis4_s建春門の方角を見る



 これでは、かえって内裏の様子を想像しにくくなるかもしれません。
 今では民家の密集する地域なので、これも仕方のないことです。当時の面影らしきものはまったくないので、建物の位置と殿舎同士の距離感がわかることが大事です。

 次は、ここから10メートルも行かない右側に移動しましょう。
 この一番上の写真で、見学者が自転車を止めている所です。



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井上靖卒読(38)「俘囚」「花粉」「四つの面」

 新潮文庫『姨捨』に収録された短編作品の最後です。

 ■「俘囚」
 1人の女性を通して、何が幸せかを問いかけます。
 「とりこ」というキーワードも、最後に提示されます。
 生きる上での問題を、投げかけてくる話です。
 羨望ということばも、キーワードになります。
 人間のおもしろさを感じさせてくれました。
 サリーが出てきました。井上のインドへの興味について、仏教ではない観点から、いつか考えてみたいと思っています。【3】


初出誌:文藝春秋
初出号数:1955年5月号

新潮文庫:姨捨
角川文庫:花のある岩場
井上靖小説全集11:姨捨・蘆
井上靖全集5:短篇5



 ■「花粉」
 外出する耿太郎に合掌するさくの態度をどう見るか。主人公は、主人の無事を祈ると見ます。それに対して、藍子は、自分の幸せに感謝していると見ます。うれしくて合掌している、という見方です。
 一事の解釈に、このような違いが語られるのはめずらしいと思います。
 末尾のビキニの灰の話は、この小説の中でどのような意味を持つのか、私には、よくわかりませんでした。
 また後に、考えてみたいと思っています。【2】


初出誌:文藝春秋
初出号数:1954年7月号

新潮文庫:姨捨
角川文庫:花のある岩場
井上靖小説全集11:姨捨・蘆
井上靖全集4:短篇4




 ■「四つの面」
 これは、短編小説集に入っていますが、小説とは言えないものだと思います。
 エッセイにすべきでしょう。
 四つの話は、非常におもしろいものです。トイレの話は、もっと聴いてみたいものです。
 男女のことも、嫉妬は少しピンぼけのように思われます。
 思いつきを文字にした、という程度のもののように思われました。【1】


初出誌:群像
初出号数:1957年10月号

新潮文庫:姨捨
井上靖小説全集27:西域物語・幼き日のこと
井上靖全集5:短篇5




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2008年05月18日

角田先生のお通夜

 角田文衞先生が、先週水曜日の14日午後11時59分に、急性呼吸不全のためにお亡くなりになりました。この時間帯は、私がいつもプログをアップする時刻です。
 ちょうど、この日のこの時間には、「読書雑記(8)澤野久雄『失踪』」(http://blog.kansai.com/genjiito/285)をアップした時にあたります。
 また、父が5月15日に亡くなっているので、その日付の変わる時間が印象的でした。

 今日の夕刻、西九条のブライトホールでしめやかに行なわれたお通夜に行ってきました。
 記帳をした時に、すぐ上に京都府知事の名前があったので、参列者の幅の広さが伺えました。
 お焼香をすませると、そのまま流れるように散会するような方式だったので、会場にあまり長時間いたのではありません。

 広い部屋の一番後ろの隅に、角田先生のために尽力してこられた藤本孝一先生が、うな垂れたままジッとしておられました。一言だけですが声をおかけしましたが、黙考なさっていたのでお邪魔しないようにして、参会者の席に着きました。
 私の少し前には、角川学芸出版のKさんの姿が見えました。

 角田先生のご自宅がある下鴨中川原町へ伺ったのは、ちょうど一年前の春の盛りでした。
 古代学協会のNさんの運転で、藤本先生に連れられて、桜がみごとだという半木の道を見せてもらいながら向かいました。
 あの時は、まだ私はこの北山の地に住むとは思いもしない時期でした。漠然と、賀茂川の近くを探していました。それが何と、角田先生のお宅まで歩いて十分もかからないという所にいるのですから、不思議なことです。
 先生のご自宅には、大島本を国文学研究資料館の展示にお借りしたいということで、お願いとご説明に伺ったのです。耳が遠くていらっしゃいましたが、元気にはっきりとお話をしてくださいました。

 その折のことは、以下のブログに書きましたので省筆します。

「源氏千年(29)朝日「人脈記」3」
http://blog.kansai.com/genjiito/256

 
 お通夜に行く前に、京都市考古資料館に立ち寄りました。
 ここでは、「特別展示 紫式部の生きた京都」という催しをしていました。
 京都を掘り起こすことに功績のあった角田先生に関する展示でもあるので、いつもの自転車で行きました。


Fbu3mck__s考古資料館



Pfetztbl_s正面



 この展示は、天徳4年(960)に内裏が焼亡してから、万寿4年(1027)に道長が死ぬまでの摂関期を中心にした、紫式部が生きた時代の考古遺物としての出土品が見られました。いわば、『源氏物語』が描かれた背景とも言える出土品の約300点が展示されているのです。

 角田先生にお別れを言いに行く前に、少し勉強をしたことになります。
 これも、人との別れのありようの一つだと思っています。



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源氏千年(47)音楽で『源氏物語』

 俳優の関(観世)弘子さんが、今月の11日にお亡くなりになりました。
 78歳だったそうです。

 阿部秋生先生がお作りになった『源氏物語』の校訂本文(小学館版)を、情感を込めてその全文を朗読されました。自主制作されたCD―ROMは、何と百枚にもなるものでした。
 制作費の一部を支援するという趣旨での送金をすると、出来次第に四五枚のCD―ROMが入った小箱が届きました。したがって、市販されてはいません。公共図書館などに行けばあると思います。
 大分まえのことになりますが、その完成を記念するパーティーが東京であった時に、私もお祝いに行きました。
 今も、必要に応じて、CD―ROMを聞くことがあります。
 日本文化にとって、これは貴重な財産です。

 CD―ROMで思い出しました。
 『源氏物語』の千年紀を記念する一環として、音楽CDが応援グッズとして出ています。


Kujdxele_s2枚のCD



 上が、リンの『源氏ノスタルジー』です。DVDも付いているので、映像でも楽しめます。
 3人の女性が琴・琵琶を奏で、そして歌います。
 収録曲は、「紫のゆかり、ふたたび」「GENJI」「千年の虹」「乱華」「名もなき花」「浅キ夢見シ」です。最初の2曲には歌はありません。
 好みはあるでしょうが、和の雰囲気は出ています。
 「千年の虹」は、耳になじみやすい感じがします。

 下は、服部浩子の『むらさき日記』です。
 演歌です。収録された2曲の内、もうひとつは「松竹梅」という祝い歌で、これは『源氏物語』とは関係ありません。
 これの好き嫌いは、人によっていろいろでしょう。

 私はiPodに入れているので、シャッフルされた曲の一つとして、何かの拍子にこれらを聞くことがあります。最初は何回か聴いていました。しかし、今は自分で選曲して聞くことはなくなりました。

 この2種類のCDは、マァ難しく言えば、『源氏物語』に関する受容資料の一つとして、という位置づけです。

 朝日新聞の京都版(4月29日)によると、『むらさき日記』は今年の1月に発売されて以来、邦楽シングルランキングで17位まで記録した人気曲だそうです。もっとも、源氏物語千年紀委員会が応援歌としているようなので、そのあたりに何か特別な背景があるのかもしれません。あくまでも推測ですが。
 このCDは、『万葉集』と『小倉百人一首』に続く第3弾とのことです。
 日本文学シリーズとして企画を進めていかれたら、それはおもしろいものにまとまることでしょう。

 それよりも、私はリンの方の今後の活動が楽しみです。いい雰囲気があるので、曲に恵まれるといいですね。
 今回のCDには、ケースの上に源氏物語千年紀委員会の認定シールが貼られていました。『むらさき日記』は、ジャケットに印刷されていました。
 ロゴ使用について、認定のタイミングがあったのでしょうか。




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2008年05月17日

夕陽ヶ丘駅の家隆の塚

 大阪の地下鉄谷町線・四天王寺前夕陽ヶ丘駅の近くに藤原家隆の塚があります。


Zokpyhkq_s塚を遠望



Gsa7u0dz_s塚の入り口



 家隆は鎌倉時代の歌人で、『百人一首』では次の歌が選ばれています。

  風そよぐならの小川の夕暮れは
    みそぎぞ夏のしるしなりける

 上賀茂神社の「ならの小川」を歌ったものです。本ブログでも、何度か紹介した歌です。

 家隆は藤原俊成に歌を学んだ、定家と同時代の歌人です。
 上町台地の南端にあるこのあたりに「夕陽庵」をむすび、浪速の江に沈む夕陽を見て、落日を拝むと西方浄土を見ることができるという「日想観」を感得したのだそうです。そうしたことがわかる歌が、次のものです。

  契りあれば難波の里にやどりきて
    浪の入日を拝みつるかな


 今は、まわりに家やビルが立て込んでいますが、ここは大阪湾に夕陽が落ちるのがよくわかる場所です。この一帯を「夕陽ケ丘」と言うのは、その美しさから命名されたものだそうです。

 私が通っていた高校は「夕陽ケ丘高校」と言います。この家隆塚のすぐ近くなので、家隆に関係するものがあることは知っていましたが、一度も行ったことがありませんでした。
 「夕陽ケ丘」については、以前、以下のブログで少し触れましたので、参考までに記しておきます。

【復元】井上靖卒読(8)『紅荘の悪魔たち』
http://blog.kansai.com/genjiito/112


It17r_r6_s説明板



 今日初めて家隆の塚に来て、なかなかいい環境の中にあることを知りました。
 こんもりとした木立の中にあるので、まわりの喧騒から切り離された空間となっています。
 自分だけの一時を持ちたい方は、一度足を運んでみてはどうでしょうか。


By36s4dt_s家隆塚



 塚の前には、漢文で家隆を讃える文章が刻まれています。
 漢字を読むのが苦手な私は、文字を追うことを早々と断念しました。


8erq0rah_s墓碑銘



 私は高校時代にテニス部に入っていて、クラブ活動で基礎練習として、この周りの愛染坂や清水坂を上り下りしたり、境内で腹筋や腕立て伏せなどをさせられました。あまりいい思い出のある一角ではなかったのですが、この家隆の塚の周辺を40年ぶりに訪れ、思いの外、心安らぐ思いをしました。
 次は、夕陽が沈む時にフラリと来ることにしましょう。



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2008年05月16日

井上靖卒読(37)「蘆」「川の話」「湖上の兎」

 井上靖の短編を取り上げています。
 いずれも、『姨捨』に収録されているものです。

■「蘆」
 記憶の断片の話です。
 ボートの転覆のことが出て来ます。『星と祭』に結び付くのかなどなど、余計なことを思いながら読み進みました。
 お互いの記憶が、カード合わせによって確認される、というパターンの理解は、面白いと思います。今なら、ジグソーパズルを例にしたくなりますが……。
 4、5歳の時に、母を亡くした経験が、後の展開に生きてきます。
 舟の中に横たえられていた時、横で男女が顔をくっつけていた記憶は、おもしろく描かれています。情事が明るい記憶として語られているのです。この経験が、井上文学の明るさにつながっているように思います。また、これは二十歳で自殺した「みつ」とも関係する記憶のようです。
 昭和25年頃に、湖北との出会いがあったことが語られています。これも、『星と祭』につながっていくように思います。【4】
 

初出誌:群像
初出号数:1956年4月号

新潮文庫:姨捨
角川文庫:狐猿
井上靖小説全集11:姨捨・蘆
井上靖全集5:短篇5




■「川の話」
 この作品は、非常にいい仕上がりです。
 問わず語りのように、問われるままに語るスタイルの文章となっています。物語です。
 川は、みんな海に出ようとする一途さをもっているので好きだ、と言う前向きな視点があります。
 天竜川の自然が破壊されていくのを見て、機械を虫に見立てているのは、よく感じを捉えています。人間は蟻なのです。客観的にものが見えるからでしょうか。自然に対する不逞な想像に、井上は怒りを感じるようになります。環境に対するものの見方を、静かに語る話です。
 具体的な報告のもとに、説得力を持って読者に訴えてきます。
 タイトルのような、のんびりとした話ではありません。作者の抗議が含まれています。
 最後に、説明役の技術者が、危篤の子のために上京するという話は、人間の存在にハッと気づかせます。いい収め方だと思います。【5】


初出誌:世界
初出号数:1955年7月号

新潮文庫:姨捨
角川文庫:狐猿
旺文社文庫:あすなろ物語 他一編
井上靖小説全集11:姨捨・蘆
井上靖全集5:短篇5




■「湖上の兎」
 淡々と語られる、りゑという女の話です。
 人物が目の前にいるかのように描き出されています。
 病床で死を待つ女ですが、その人間味がよく表現されています。
 みんな、憎めない人たちが出てきます。湖のむこうに、その女が立ち上るようにして、話が終わります。福島県の郡山の湖ですが、井上は湖をうまく背景に使っています。
 『戦国無頼』しかり、『星よまたたけ』、『星と祭』など、湖シリーズとも言えそうな作品です。【3】


初出誌:文藝春秋[1]
初出号数:1953年12月号

新潮文庫:姨捨
角川文庫:楼門
旺文社文庫:猿狐・小盤梯 他八編
井上靖小説全集10:伊那の白梅・大洗の月
井上靖全集4:短篇4



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2008年05月15日

源氏のゆかり(8)説明板12-建春門跡

 『源氏物語』の「ゆかりの地 説明板」をめぐる散策です。
 前回の「説明板9-淑景舎(桐壺)跡」から時計回りに、内裏の主だったところを歩きましょう。

 桐壺跡から50メートルほど東に行き、南北に走る裏門通りを南へ30メートルほど下ると、T字路に松林寺の山門があります。


Nlmixgsi_s松林寺



 そのお寺の山門の左横に、建春門跡の碑と説明板があります。
 ちょうど、緑の自動車がある所です。


Urvdx51r_s建春門跡



 この説明板には、「平安宮内裏東限と建春門跡」として、説明があります。
 縦型のものなので、目立ちません。つい通り過ぎてしまいそうです。



I6ezm8l8_s説明板



 すぐ北に桐壺跡があるのですから、内裏の東の端であることが実感できます。
 お手元に、事典などの巻末付録にある「内裏図」を置かれると、この位置関係がわかりやすいと思います。

 この建春門跡から西の方を向くと、狭い道がまっすぐに延びているのがわかります。


I7eolrmg_s西に走る道



 これから、この出水通りの一本南側のこの道を、西に向かって歩きます。
 この通りには、説明板が6カ所も設置されているのです。

 次回は、ここから突き当たりに見える、「山中」と書いてある家の前の、カギ型に曲がった左側にある、内侍所跡にご案内します。

 この内裏の散策には、自動車は邪魔です。
 ご覧の通り、狭い日常の生活道路なのです。車は入れないので、自転車の威力が発揮されます。
 ここを歩かれる方は、ぜひレンタサイクルをご利用になった方がいいと思います。



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2008年05月14日

読書雑記(8)澤野久雄『失踪』

 この『失踪』は、読まないままで本棚の中に眠っていた本です。
 奈良から京都へ引っ越しをして、とにかく詰め込んだ書棚の隙間から顔を覗かせていたので、取り出してみて読み始めたら、最後まで読んでしまったのです。

 京都を舞台にした、京女の話です。優しい京ことばと、会話と地の文とが融合した独特の文章に引かれて、気持ちよく読み進むことができました。

 奥書によると、昭和45年1月に朝日新聞社から刊行された初版本です。横長の本なので、その装丁からしておしゃれです。定価が560円で、裏表紙には天牛書店のラベルと400円の値札が付いています。
 今想うに、これは私が高校を卒業してすぐに東京で大手術をし、大阪の自宅に帰って療養していた半年の間に購入した本のようです。
 とにかく医者からはブラブラしろと言われ、フラフラと難波の古書店・天牛書店へ行って、あこがれの天牛新一郎さんのお店の本を眺めていた頃です。
 この『失踪』は、どうして購入したのか思い出せません。いつも何か理由をつけて、新一郎さんにことばをかけるきっかけを探していました。そして、何かのきっかけで、新一郎さんと話をした時に、この本を紹介されたのでしょう。
 当時は、京都に興味がありました。谷崎潤一郎の作品が好きだったからでしょうか。前回の読書雑記で水上勉の『京の川』を取り上げました。

http://blog.kansai.com/genjiito/173

 天牛新一郎さんのことは、そこに書きましたので、ここでは省略します。
 『京の川』も、この前後に買ったまま読まなかった本だったようです。
 ただし、私は昭和45年の秋に再度上京した時に、めぼしい物と本はほとんど大阪の家から持って行きました。そして、47年の正月に新聞配達店の火事で、私物の全てを失いました。したがって、『京の川』やこの『失踪』は、両親の元に残しておいた物だったために、こうして今残っている、ということです。
 私の数少ない十代の頃の遺品です。

 本との出会いには、いろいろとあるものです。

 さて、この小説は、着物の紋を書く上絵師の女性の話です。そして、それが京都の案内記にもなっています。京都の町が印象的に背景をなしています。語り口も、地の文に会話文が融合していて、まったりとした京都らしい時間の流れを感じさせます。それでいて、文章に歯切れがあり、京都の雰囲気の中で表現も遠回しで、美しく語り進められていきます。矛盾する手法が渾然としていて、無理がありません。

 ただし、読んでいて、1つ不満が湧きました。それは、女主人公の服装が詳しく語られていないのです。着物なのか洋服なのかがわかりません。そのことがわかるのは、ほんの少しです。主人公である志摩がどんな着物を着ていたのかを描写してほしいくらいに、この志摩は魅力的な女性です。日本文学は、こうした描写を大事にしてきたと思うので、つい知りたくなるのです。

 後半で、祇園祭の夜に、婚家に置いて来た息子が亡くなります。京都を背景にして情感に訴える、きれいなドラマです。
 ロートレックのマルセルの名画が盗難にあった話が、伏流として効果的に話をつないでいます。それが、思いがけない結末で、何となく宙に浮いてしまったように思います。
 私は、この小説の結末に大いに不満を抱いています。作者は、なぜこんな結末にしたのでしょうか。この終わり方は、残念でなりません。こんな結末にしなくても、十分にいい小説になっています。無理な終わり方となっていることが、非常に惜しまれます。作者の意図が、私にはまったくわかりません。

 これは、きれいな小説です。暖かみと丸みのある作品です。登場人物が丹念に描けています。それぞれの人柄も、うまく伝わって来ます。
 京都を舞台にした、ゆったりとした時間がながれている作品です。京都らしさを描写するのにピッタリの文体です。女主人公である志摩は、優しさと芯の強さを併せ持った京女として、生き生きと描かれています。それだからこそ、結末に無理を感じます。そんな終わり方をしなくても、という想いが強く残りました。



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2008年05月13日

平城京から平安京へ遷都して1年

 昨年のゴールデンウィーク以降は、奈良の生駒から京都の北山への引っ越しに明け暮れていました。平城京から平安京へ北上するという、我が家だけの遷都をしたのです。

 5月12日に入居の契約をし、それから怒濤の荷物運びが始まりました。それも、引っ越し業者を使わずに、家族総出の大移動です。
 慣れないレンタカーの2トントラックの運転を、私が結局5回もしました。その間とその後にも、小さな自動車で小物をピストン輸送しました。片道2時間の距離を、20往復以上しました。

 家族みんなで1つのことをするのは、次は私の葬式でしょうか……。
 とにかく、みんなで大騒ぎをして取り組んだ引っ越しは、さらに1ヶ月以上も続きました。想像を絶する荷物の多さ。実は、いまだに運び込んだ荷物は、未整理のものがあります。私の本等は、大多数が書棚に突っ込んだままの状態です。必要になったものだけを取り出す、というのが実情なのです。

 あれからちょうど1年が経ちました。
 今は毎週末に、京洛を自転車で散策する日々です。
 頭の中の平板な平安京が、日ごとに千年の時空を超えて鮮明な映像に姿を変えていきます。自分の中で、ぬり絵や模型作りを気ままに楽しんでいる、と言ったほうがピッタリします。

 思い切って敢行した家移りでした。
 大変でしたが、その苦労は、今では楽しいものとして思い出されます。
 ほんの1年前のことなのに、昨年の今が懐かしく思い出されるのです。

 昨年は、桜を見る余裕はありませんでした。
 今年は、賀茂の桜を愛でる暇がありました。

 京都の季節や行事の移り変わりを、少し体が覚えてき出しました。
 特に、自動車を処分して自転車で街中を回るようになってから、たくさんの物が目に飛び込んでくるようになりました。同じ道でも、通るたびに発見があります。
 自転車でひと通り回ったら、次はさらにゆっくりと自分の足で歩いてみたいと思います。

 また1つ、老後の楽しみができました。
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2008年05月12日

源氏千年(46)朝日「人脈記」13

 「千年の源氏物語」のシリーズも、今日で最終回です。
 第13回目のタイトルは、「たずねよう 日本語の花」(関東版)/「探り出す日本語の粋」(関西版)です。
 正直言って、このタイトルは共に、私にはあまりしっくりときません。どうしたんだろう、という想いで読み始めました。

 今日は、大野晋先生と丸谷才一氏の2人です。
 大野先生は、国語学者として知られています。そして、タミル語の研究に情熱を傾けておられます。
 今、私の手元に、タミル語訳の『源氏物語』があります。これを、大野先生はどう現代語に訳されるのでしょう。ヒンディー語等とともに、おそらくアーサー・ウェイリーの英訳をタミル語に翻訳したものと思われるので、訳そのものはそんなに難しくはないと思われます。
 現在、ヒンディー語訳『源氏物語』を日本語に訳し戻す作業を進めています。インドのネルー大学から来ている留学生K君を預かっているので、彼と日本の大学院生たちとともに、勉強会をやっているのです。彼もヒンディー語はわかっても、タミル語は皆目わからないと言います。このタミル語は、まだ私の周りに日本語訳できる人がいません。
 どなかた、紹介してくださいませんでしょうか。

 タミル語訳『源氏物語』から、日本の文学や文化をどう訳しているのかを探り、そこから大野先生の言われる日本語とタミル語の近さに迫ることも可能かもしれません。
 これからの人たちに期待しましょう。

 今回、大野先生にこのタミル語訳『源氏物語』を見てもらったら、おそらく話は止まらなかったのではないでしょうか。次のインタビューの機会がたのしみです。

 作家である丸谷氏は、昨年9月に、立川市で開催した国文学研究資料館のシンポジウムで『源氏物語』に関する講演をしてくださいました。非常に楽しい話を伺いました。

「源氏千年(1)講演会 in 立川」
http://blog.kansai.com/genjiito/67

 丸谷氏の『輝く日の宮』は私も読みましたが、あまり印象に残っていません。想像力を働かせるにしても何かと制約が多くて、大胆な展開とはならなかったことが惜しまれます。その構想の背景には、大野先生との対談があったようです。
 なかなか実証しにくいことを、小説という分野から切り込もうとされました。その意欲に敬意を表します。しかし、読み手が何をおもしろく思うかが、絞りきれなかったのではないでしょうか。さらなる挑戦を、続編という形でしていただきたいものです。

 4月21日に始まったこの「人脈記」は、今日までの22日間というもの、私は毎日、新聞が配達されるのを心待ちにして読みました。あっという間の13回の連載でした。

 これまでを少し振り返ってみましょう。
 このシリーズは人という接点がポイントです。
 そこで、年代と性別で整理してみました。
 いろいろな形で人名と年齢が記されているので、今は写真が掲載された方を対象にしました。
 男性は 22人、女性は 16人です。



   30代 40代 50代 60代 70代 80代 90代

男性  1   2   2   10   1   5   1

女性  0   6   3    0   3  4  0   


 ここで気づくことは、30〜40代に男性が少ないのに、60代は圧倒的に男性が多いことです。これは、現在の『源氏物語』の受容は、60代の男性が背負っている、という傾向を示しているのでしょう。それに対して、女性は40代の方々が中心となっているとも言えるでしょうか。

 最初の私の予想では、演劇や漫画や音楽がもっと取り上げられると思っていました。しかし、終わってみると、『源氏物語』にま正面から向かっている人々を対象としたストーリーになっていたように思われます。これは、筆者である白石明彦さんの1つの見識なのでしょう。紳士的なきれいなまとめ方、と言えます。
 写真を担当された八重樫信之さんも、人々の表情から、その人柄を引き出そうとしておられるのが感じられます。38人のさまざまな表情を、たっぷりと楽しませていただきました。
 取材にあたられた白石さんと八重樫さんの、お2人のお人柄が、文章と写真から伺えたようにも思えます。

 『源氏物語』という一作品だけで、これだけの情報が提供されたことは、まさに驚異というべきでしょう。それだけ、奥の深い作品だ、とも言えるのです。

 源氏千年という節目の年に、こんなにすばらしい企画をまとめあげられた白石さん、そしてそれをサポートされた八重樫さんに、改めて労いの気持ちと、お礼と感謝の言葉を贈りたいと思います。
 お疲れさまでした。そして、ありがとうございました。
 大いに楽しませていただきました。



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2008年05月11日

京洛逍遥(38)洛北のフォークコンサート

 夕方、買い物に行ったショッピングセンターで、たまたまミニコンサートをやっていました。
 昨日来、2日間の学会に参加して疲れていたので、気分転換にと思い、フロアの椅子に座って当時を懐かしみながら耳を傾けました。

1_ni3kfu_sフロアでのコンサート



 後ろのパネルには、こう書いてあります。


下園弘明&フレンズ
 70年代フォークソング コンサート
懐かしの1970年代、一世を風靡したフォークソング
 &ニューミュージックを忠実にカバーします。



 歌は、「なごり雪」に始まり、「卒業写真」「空と大地の中で」「秋桜」と続きました。そして、このグループがオリジナルで最近作ったというCD『夢を咲かそう』から「限りない夢」を、そして最後が「あのすばらしい愛をもう一度」で終わりました。

 「忠実にカバー」というだけあって、聞きやすい声で、当時の雰囲気の歌い方でした。下手に今風にアレンジしてなかったので、私には安心して聞いていられました。
 素直で伸びのあるいい歌声でした。
 ただし、用意されたスピーカーから雑音が漏れていたので、少しお気の毒に思いながら聴いていました。

 下園さんは、かつてフォークグループを組んでおられたとか。私と同い年です。
 最近、かつてのフォークソングが、また流行りだしたのだそうです。私も、高校生の時にはエレキギターやフォークギターを抱えて通学しました。テニスクラブのコンパなどでは、ギターを片手に弾き語りをしたものです。グループサウンズとフォークソングが、あの頃の音楽だったのです。
 音楽の時間には、自由に楽器を演奏していいというテストで、ラクンパルシータを弾いたことを思い出します。トワエモアのまねをして、デュエットを組んだりもしました。何でもできた時代でした。自分が昔を懐かしむ年代になっていることを、こんなことを思い出す時に実感します。

 フロアには50台のおじさんやおばさんが多かったように思います。みなさん、それぞれの30数年前が脳裏をかすめていたことでしょう。気軽に聞けるこうした催しは大歓迎です。
 今日は「母の日」でもあるので、この下園さんのCDを一枚買い、妻へのプレゼントにしました。


Azpavk4j_sCDのジャケット





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2008年05月10日

源氏のゆかり(7)説明板9-淑景舎(桐壺)跡

 二条城の北西の端から500メートルほど北に上ると、田村備前町があります。その一角に、淑景舎(桐壺)跡があり、源氏千年紀の記念の説明板が建っているとのことなので、早速でかけました。
 この日も自転車ででかけました。京都を散策するには、自転車が一番です。
 何よりも、ゆっくりと漕ぐ早さが、まわりの様子を見ながら進むのに最適です。

 この田村備前町とその左隣の東神明町には、源氏ゆかりの説明板が8基も建てられています。民家が建ち並ぶ地域ですが、点々と説明板があるので、歩くだけで当時の内裏にあった殿舎と殿舎との距離感がつかめます。
 そして、ここにあの人がいたのか、ここであの人が彼と……などなど、タイムスリップを楽しめるのです。

 最初の目的地である淑景舎(桐壺)跡は、上京区出水通浄福寺東入ルになります。
 光源氏の母、桐壺更衣が帝のもとへ通ったのが、ここからでした。光源氏が雨夜の品定めをしたところでもあります。
 南北に通る浄福寺通りから東西に走る出水通りに入り、まっすぐに東向きに自転車を走らせたのですが、どこまで行っても説明板が見つかりません。


Juxgd6aq_s桐壷跡がみつからない



 どんどん行って、智恵光院通を突っ切ってしまったのに、それでもないのです。
 しかたがないので、引き返してきたところ、何と先ほど通り過ぎた所の壁の裏側に、「ゆかりの地」の説明板が取り付けられていたのです。
 これでは、見つからないはずです。


Mbfepvld_s説明板発見



 ローソク屋さんが目印です。
 そばまで来ると、こういう形で見えます。


Db71i2lp_sローソク屋さんの前



 説明板の文面は、こうなっています。


F5afji4b_s説明板



 この中央にある内裏図の中の赤い点が、説明板のある場所を示しています。これを頼りに、この一角を回ると、効率よく回れそうです。

 次回から、この桐壺の跡を起点にして、時計周りでこの内裏の建物跡を確認していきましょう。



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2008年05月09日

源氏千年(45)朝日「人脈記」12

 第12回目のタイトルは、「モテ男 タイムスリップ」(関東版)/「現代作家 奇想天外の発想」(関西版)です。

 『源氏物語』をもとにしたエンターテインメントとしての現代文学作品として、清水義範氏の『読み違え源氏物語』の紹介から始まります。
 ただし、私は以下のブログで、この清水氏の作品を酷評しました。

読書雑記(6)清水義範『読み違え源氏物語』
http://blog.kansai.com/genjiito/159

 この作品が大きく取り上げられたことに、私としては不満です。小説は好みもあるので、その評価は千差万別ですが、作者の知名度からとりあげられたのかな、と思いました。

 私なら、次の二つを俎上にのせて、その話の展開の意外性に触れたことでしょう。

(1)井沢元彦『猿丸幻視行』(講談社、1980年)
    第26回江戸川乱歩賞受賞作
(2)長尾誠夫『源氏物語人殺し絵巻』(文芸春秋、1986年)
    第4回サントリーミステリー大賞読者賞受賞作品

 2人目の柴田よしきさんは、私はまったく知りませんでした。ここで紹介されてる『小袖日記』は、早急に読んでみるつもりです。

 3人目の森谷明子さんの『千年の黙』は、鮎川哲也賞を受けたものです。私も読みました。ただし、あまり印象に残っていません。なんとなく中途半端な印象が拭えませんでした。決して悪くはなかったのですが。
 その続編が、今年発表されるとのこと。次作は期待できると思います。

 本記事の筆者である白石さんの文章について、私は最後のとじめの言葉が好きです。簡潔明瞭にその回の内容を踏まえた寸言が、記事をキリリと絞めています。


『源氏』はいまも作家たちの想像力を刺激してやまない。


 『源氏物語』の二次的受容資料としての現代作品は、なかなかいいものが多いと思います。
 確かに『源氏物語』は、作家の想像力を刺激する作品なのでしょう。平安時代にできて以来、ずっとさまざまな形で受容されたのです。

 読み継がれる中で、受容を経ての再生産される『源氏物語』は、まさに生き続ける古典です。
 一人でも多くの方に、この千年紀を奇縁として、通読していただきたいと思います。

 なお、「人脈記」は、残す所あと1回となりました。
 来週の月曜日の最終回は、どのような内容なのか、今から待ち遠しい気持ちです。

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2008年05月08日

源氏千年(44)朝日「人脈記」11

 第11回目は、「反権力で読む王朝絵巻」(関東版)/「学生運動の熱気 研究に」(関西版)です。

 現在の『源氏物語』の研究について、私は停滞期にあると思っています。
 好き勝手に読んできた結果、今、自分たちが読んでいる『源氏物語』の本文が一体何なのか、という、足下を見つめ直そうとし出した時期になっていると認識しています。
 池田亀鑑に対する神話を崩せた、ということも要因の一つでしょう。
 『源氏物語別本集成』恐るべし、と思っているのは私だけでしょうか。
 この点については、明日ご一緒に鞍馬寺所蔵の与謝野晶子訳『源氏物語』の自筆原稿を調査する神野藤昭夫先生の力強い支援があるので、身贔屓だけではないように思っています。

 その意味では、今日のタイトルで、関西版の「学生運動の熱気 研究に」が、あの熱き時代と現状との落差が伺えて、絶妙の見出しだと思いました。関東版はきれいすぎます。スルメを齧りながらの評論家の姿勢でのネーミングとなっているのが惜しまれます。

 今日の「人脈記」の話は、東大安田講堂事件から始まります。藤井貞和先生です。「バリケード」という言葉が、今の若い方々にどう伝わるのでしょうか。
 その時、私は高校2年生でした。
 私が通う高校も、バリケード封鎖がありました。実は、私もその封鎖に加担していました。デモにも参加していました。
 高校の文芸誌に、デモに参加したときの思いを「隆司の場合」という短編の小説にして発表したのが、今でも鮮明に思い出されます。もっとも、私が書いた作品のタイトルは「ある日のデモ」でしたが、文芸部の先生の配慮からか、勝手に変えられていたのですが……。添付した資料も、学生運動に関するものだったせいか、途中でカットされていました。あの頃は、そんな時代でした。

 高校3年の時には、授業の前に黒板に、授業が何なのか、今やっている授業の内容はどのような意味があるのか、という文章を、黒板の全面に必死になって書きました。また私は、日本史と物理の先生に質問攻めにする役割を果たしていました。その物理の先生が、秋には転勤されたので、申し訳ないことをしたとの思いが今でもあります。高校生ではありましたが、社会の問題と連携した意識でいられた時代でした。

 「国家権力」ということばも、いまではそのパワーを失速させているように思えます。当時は、もっと自分という存在との対決姿勢が鮮明なことばでした。

 古典を読む、それも『源氏物語』を読む、ということは、軟弱な象徴だったように思います。私は、谷崎潤一郎の小説が好きだったことから『源氏物語』に興味を持ちました。大学に入ってからです。当時は、作家か新聞記者になりたかったのです。

 それはさておき。

 この導入部分を、若い方々がどのように読まれたのか、知りたいと思います。書かれている意味が、どの程度理解できたか、という意味からです。社会情勢が違いすぎるので、『源氏物語』の研究史的には、説明がもっといるのではないでしょうか。
 この確認作業は、『源氏物語』を読むことや、研究する意味を問いかけてきます。
 今回の記事を契機として、その当時から今への流れを追跡をしてほしいものです。

 藤井先生から長谷川政春先生へとバタンが渡ります。
 長谷川先生は大学の先輩でもあり、お書きになったものをよく読みました。折口信夫を背景にした『源氏物語』の研究に話が展開しなかったので、私にとっては少し物足りなさを感じました。
 話を物語研究会へ導くためであることはわかりますが、長谷川先生のつなぎ役が中途半端な印象を受けました。これも、限られた紙面からくる筆者の苦しさが伺えるところです。
 後の安藤徹先生も同じです。もっとも、ご本人は今、今週末の中古文学会の会場校として奔走なさってる頃でしょうが……。

 生前の三谷邦明先生の話し振りや書きっぷりには、ただただ圧倒されました。エネルギッシュな先生でした。
 ある席で、三谷先生から、『源氏物語別本集成』は使いにくくてだめだ、と、いつもの大きなお声で叱責されました。私は、自分が読む本文を探すための資料集だという点から説明したのですが、その時に、もうそのくらいにして、と横から話の流れを変えてくださったのが、三田村雅子先生でした。まわりの雰囲気を読み取って、思いやりのある対応をしてくださる方だと思いました。

 私自身は、物語研究会には距離を置いていました。自由に読む前に、大島本だけで『源氏物語』を読むことに疑問を持ち続けていたからです。一冊でも多くの写本を翻刻することに没頭していたのです。

 今日の「人脈記」には、少なからず違和感を持ちました。
 最後のまとめが、次のようになっています。


 『源氏』研究をリードする学者が輩出した物研の発表会は、4月で350回をかぞえた。会員約250人。学生運動の熱さが生んだ自由な気風をいまも受け継いでいる。


 今回ブログの冒頭に記したように、物研の始発時の精神は、今はどう受け継がれているのか、時代認識に隔世の感がある現代において、この研究会という組織はどのような存在意義を持ち得ているのか、会員ではない立場からは見えないだけに、気がかりです。

 物研の果たした役割は認めますが、今の役割は、という点がわからないので、このような失礼ともいえる感想を記してしまいました。
 私は、この40年で時代は変わったと思います。
 今は、論理を振り回すのではなくて、足下を、本文をじっくりと見定める時代だ、と思っています。
 少し乱暴な意見を記しています。このことで論争をする気はまったくないので、反論をお持ちの方々には申し訳ありませんが、放言としてご寛恕のほどを。

 今回の記事は、いい問題提起をしてもらえたと、高く評価をしています。

 ただし、論客であった三谷邦明先生の急死ということもあり、記事の文章に筆者である白石さんの感情が出ていたように思えます。これまでにはなかった書きぶりのように感じたのです。話題に感情移入があったために、雰囲気がこれまでとは異なっているのでしょうか……。

 この記事の筆者よりも、物研を遠くから見ていた者としての私の方が、客観的に書かれている内容を読み取った、と言えるのかもしれません。
 生意気なものいいですみません。妄言多謝。




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2008年05月07日

源氏千年(43)朝日「人脈記」10

 第10回のタイトルは、「これぞ傑作! 翻訳の至福」(関東版)/「世界に響く 人間描写」(関西版)です。

 『源氏物語』は世界中で読まれています。現在私が確認した所では、20種類の言語で翻訳されています。
 黄金週間で中断していた「人脈記」では、今回は海外での翻訳状況を踏まえた話となっています。

 フィアラ先生は、何かと連絡をくださいます。非常に細やかな心配りのできる方です。お願いした約束は、キッチリと果たしてくださいます。今日の記事にあるように、「なめらかな日本語」で話されます。
 今年、チェコ語訳が完成しました。近刊の『源氏物語【翻訳】事典』でも、先生直々の原稿をいただきました。

 2人目のエルキン先生は、今年の1月まで職場でご一緒でした。トルコ語への翻訳の苦労話を、たくさん伺いました。今日の新聞を見ると、トルコ語訳『源氏物語』は、今秋刊行とのことです。しばらく連絡がとれなかったので、心配していました。お元気のようで、安堵しました。

 サイデンステッカー訳の『源氏物語』を凌駕する英訳を果たされたタイラー先生も、『源氏物語【翻訳】事典』に寄稿してくださいました。いろいろなイベントでお世話になっています。飾らない語り口が、多くの方々の信頼を得ていると思います。もっともっと、翻訳の裏話を聞きたいものです。

 今回登場の3人の先生は、みなさん日本の文学を熟知しておられます。このような先生方が、海外にはたくさんいらっしゃいます。そして、その教え子である学生さんたちも、海外にもかかわらず『源氏物語』と真剣に取り組んでいるのです。
 日本人よりも熱心に『源氏物語』を読んでいる方が多いので、海外に行くたびに、日本の研究が遅々として進まないことに焦燥感を覚えます。

 日本の文学作品は、海外では非常に注目されています。書店に入るとわかります。近現代の文学の翻訳が多いのですが、古典も予想外に健闘しています。
 たくさんの日本の文学作品が、さまざまな言語に置き換えられて、たくさんの海外の方々に読み続けられています。

 まさに、『源氏物語』は世界文学の中の一大金字塔なのです。




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源氏千年(42)新聞誤報で「車争図」見られず

 上賀茂神社では、5月4日に「御禊の儀」がありました。
 これは、今月15日に行なわれる葵祭のヒロインである斎王代が、身を清める儀式です。御手洗川に手をつける所作が、写真で報じられていました。
 この「御禊の儀」は、上賀茂神社と下鴨神社とが隔年交代で行なっています。

 5月5日の朝日新聞(関西版、朝刊)は、このニュースを次のように記していました。



 源氏物語千年紀の今年は禊の儀の場所取りを描いた「車争い」の巨大なバネルも登場、儀式に彩りを添えた。
 パネルは高さ5メートル、幅17メートル。禊の儀で行列に参加する光源氏を見ようと、光源氏を愛する六条御息所と光源氏の妻葵の上が牛車を止める所を争う場面を描く「源氏物語車争図屏風」を引き伸ばした。
 今年新調された十二ひとえに身を包んだ斎王代の村田紫帆(25)さんには今回初めて地元の小学生が育てたフタバアオイが飾り付けられた。パネルは6日までと14〜17日に見られる。



 ここで言う「源氏物語車争図屏風」は、掲載されていた写真から、京都文化博物館の源氏展で展示中の「車争い図屏風」(土佐光茂作、六曲一双、江戸時代、京都市歴史資料館蔵)だと思われます。

 この巨大パネルを見たかったので、5日に行くつもりでした。しかし、当日はお昼頃から小雨となりました。朝日新聞には「6日までと14〜17日に見られる」とあったので、雨が上がる6日に行くことにしました。
 そして今日6日、朝日新聞の朝刊に、こんな訂正記事が掲載されました。


 5日付「源氏屏風さながら 葵祭」の記事で、「車争い」のパネルが見られるのが「6日までと14〜17日」とあるのは、「5日までと15日」の誤りでした。訂正します。


 巨大パネルを見に行こうとしていただけに、見られるのが昨日までと15日だけだとわかり、ガッカリでした。18日は京都で調査なので、前日の土曜日に見る機会も奪われた形です。

 またいつか公開されることを願って、今回は諦めます。

 昨日が雨でなければ、と思うと、この誤報の被害にあわれた方は多いのでは、と推測します。
 新聞の訂正欄では、人名や顔写真の間違いなどはよく見かけます。しかし、自分の行動予定を狂わすものに直面したのは初めてです。
 報道の正確さの重要性を再認識しました。




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2008年05月06日

源氏のゆかり(6)説明板31-雲林院

 雲林院というと、『大鏡』の菩提講の席での語りを思い出します。
「先つ頃、雲林院の菩提講に詣でてはべりしかば、……」と始まる『大鏡』の文章を、高校の古典の時間に教わった方が多いことでしょう。
 ここを舞台として、昔語りがなされていくのです。

 その雲林院は、かつては広大な寺院だったようですが、今は大徳寺の塔頭として江戸時代に建てられた小さなお寺を構えています。


Kbyph99f_s雲林院



 説明板によると、雲林院には「うんりんいん」と振りがながふられていました。
 私は、これまでは「うりんいん」と言っていました。どちらでもいいのでしょうが、ここで「うんりんいん」とあるのですから、今後はこのように呼ぶことにしましょう。


Pvnwvjiw_s説明板



 最初は「紫野院」と言われ、「雲林亭」の後に今の「雲林院」となりました。
 葵祭で、斎王が上賀茂神社の神館を出て斎院に帰るのを「祭のかへさ」(還立の儀)と言っています。『枕草子』に語られています。
 この「祭のかへさ」を見物する場所として、雲林院は格好の地点だったようです。

 この雲林院は、六歌仙の一人である僧正遍昭が大きな役割を担っています。
 境内にも、遍昭の和歌が歌碑としてありました。


8e8ew6ip_s遍昭の歌碑



 天つ風雲のかよ比
 千ふき登ち餘
 をと免の姿しは
 しとゝめ無
  (正確な字母は後日確認します)


 雲林院と『源氏物語』との関係について触れておきましょう。
 「仁明天皇・常康親王・遍照」という史実のありようが、『源氏物語』においては「桐壺帝・光源氏・律師」という設定として物語の背景にある、と小山利彦先生(「雲林院と紫野斎院」角田文衞・加納重文編『源氏物語の地理』思文閣出版、1999年)は指摘しておられます。
 小山先生とは、先月の京都文化博物館での『源氏物語展』の開会式でご一緒しました。大学の先輩でもあるので、いつもいろいろと教えていただいています。
 その日も、帰りに四条川端通りのおでん屋でお酒を飲みながら、いろいろな話を伺いました。
 この雲林院のことについて、聞くのを忘れていました。機会があったら、さらに詳しいことを聞くことにしましょう。

 『源氏物語』を読む時に、歴史とどう関わらせて読むかは、おもしろい問題です。
 当時の読者に近い立場で読む場合には、これは非常に大事なことだと思います。
 この雲林院も、『源氏物語』を読む上では、貴重な情報を与えてくれます。

 なお、雲林院跡の発掘成果が、この雲林院から2本ほど道を東へ行ったところにあるマンションの壁面に、説明板にして残されています。


Pcfww0aj_sマンションの壁面



Skch10ow_s壁面の説明板



 現在とかつてのたたずまいの違いが、この説明によって実感として得られることは貴重です。
 お勧めのスポットです。




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2008年05月05日

京洛逍遥(37)神泉苑の狂言

 二条城の南にある神泉苑は、いつでも行けるという気安さもあって、今回初めて行きました。
 北の入り口は、料亭の入り口をかねています。この料亭は、京阪特急の座席の枕の部分に宣伝があったので、名前は以前からよく知っていました。いつか、食べてみたいと思っています。


6mvhsi8j_s神泉苑



 神泉苑の庭は、自由に入れます。
 竜頭鷁首の船が、色鮮やかでいいですね。庭の花などの明るい雰囲気が気に入りました。


Vujsy8yb_s竜頭



 朱塗りの橋も、中之島へ連れて行ってくれる、いい趣向です。


74tuzypp_s朱橋



 ちようど横では、神泉苑大念仏狂言をやっていました。


Yscned16_s狂言案内



 自由に見られるということだったので、観覧席に座りました。
 ちょうど、一番目の大江山が終わるところでした。
 続いて、大黒狩です。
 写真撮影は禁止となっていましたが、鑑賞のじゃまだというのが理由なので、合間の休憩時間ならと、舞台の写真を撮りました。


Yubujook_s狂言舞台



 狂言は無言劇なので、なかなかストーリーがわかりませんでした。
 最後まで、私にはわからないままで終わりました。
 能・狂言は、馴染みがないせいか、どうもよくわかりません。

 帰りがけに、テントのところで、こんなポストカードを配っていました。


J4earvzl_s狂言衣装



 このカードの左下に、源氏千年紀委員会のマークが入っているのが気になりました。
 このイベントも、千年紀委員会との関係を強調しているのでしょうか。
 その関係が、私にはよくわかりませんでした。

 何かよくわからないイベントを見た気だけが残りましたが、狂言を一つではありますが終わりまで見たのは、ずいぶん久しぶりのように気がします。

 なかなかいい機会を持つことができました。
 今年の京都は、街を歩けば、必ず何かに出くわします。
 楽しい空間となっています。




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京洛逍遥(36)上賀茂の手作り市

 連休前のことでしたが、上賀茂神社の境内を借りての盛大な手作り市に行きました。


T613dnru_s手作り市



 上賀茂神社は、もうすぐ葵祭で賑わいます。
 そのためもあってか、馬の訓練が行なわれていました。

Q9hkwj1p_s賀茂競馬



 手作り市の会場は、『百人一首』で有名な家隆の「かぜそよぐ……」の「ならの小川」に沿った川辺で開かれます。


Yo9xhgp3_sならの小川



 風そよぐならの小川の夕暮れは
   みそぎぞ夏のしるしなりけり
            (家隆)

と歌われるように、上賀茂神社の境内を流れるさわやかな川です。
 温かくなったこともあり、子どもたちは禊の川など関係なく、水遊びです。
 手作りの品々が、たくさんのテーブルに並べられています。
 私は、和風の小物置きと、欅の箸と箸箱を買いました。

 初夏を感じさせる、のんびりとした時間が流れていきました。



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2008年05月04日

みやこめっせで春の古書市

 ぽかぽか陽気に誘われて、自転車を漕いで散歩にでかけたついでに、岡崎公園にある京都市勧業館(みやこめっせ)で開催されている「第26回 春の古書大即売会」に行ってきました。

 会場に入って、その本の列の多さに圧倒されました。
 まずは左側から縦に見て行き、Uターンして反対側の列をみます。そうしたことを繰り返して、10列以上もあった本の山脈を徘徊しました。

 受付で聞くと、今回は50万点が出品されているとのことでした。絵はがきも1点と数えるそうなので、本当におおよその数ですが……。
 ここに出展されていた本のほとんどを、およそ2時間をかけて見て回りました。こんなにたくさんの本を物色して歩いたのは、本当に久しぶりです。

 木版刷りの源氏絵がほしかったのですが、値段が微妙に折り合えません。
 瀬戸内源氏を朗読したCD―ROMも、何となく手が引っ込みました。
 ヒンディー語の本がたくさんありました。『源氏物語』の翻訳がないかと探したのですが、手がかりは表紙の絵だけなので、すぐに諦めました。

 京都で開催されているだけあって、京の地誌・歴史に関する本が目につきます。しかし、私は近所の京都府立総合資料館で、そのほとんどの本が見られるので、個人で所有する必要がありません。

 そもそも、本を買うということは、どういう意味があるのでしょうか。
 小説は、一人で楽しんで本棚にしまいます。最近ならば、ブックオフなどに売る人も多いことでしょう。2度読む本はめったにないので、死蔵されることがわかっている本を買うことに疑問をもちます。しかし、買ってしまうのは、習性以外には考えられません。

 もし、自分が住む地域に図書館があり、そこで新刊や勉強する資料が手にできるのであれば、個人が本を買う行為は、違った意味をもってきます。
 公共図書館の充実は望まれます。年とともに、自分で本を買うことは少なくなるはずです。それを図書館に引き受けてもらうのは、我々にとってはありがたいことです。個人で使える資金も、また本を保管するスペースも、共に限りがあるのですから。

 しかし、目を転じて、このことを出版社の側から見ると、本が売れないことに直結します。安くていい本を出すためには、売れなくてはいけません。出版社と図書館の関係は、微妙なありようを見せてくれます。売れなければ、いい著者を抱えることもできません。

 古書市では、図書館にない本がよく並んでいます。その意味では、古書市の意義は十分にあります。ただし、そうした本との出会いが、偶然に頼らざるをえないのは、何とも悩ましいことです。
 今回も、入り口近くに、コンピュータによる図書検索のコーナーがありました。しかし、品物がどんどん動く即売会の会場なので、入力されている本の量も限られていますし、すでに売れてしまっている可能性も高いのです。
 実際、私も2種類の本の問い合わせをしましたが、共に見つからないという結果が返ってきました。
 書店のおやじが、その本ならあの棚の上から2段目の真ん中にあるよ、などという牧歌的な時代は終わりました。大阪の天牛書店の新一郎さんのような方は、もう望むべくもないのです。

 今回は、5冊ほど買いました。以前から探し求めていた本です。真剣に探せば、もっと買う本があったのでしょうが、とにかく目ん玉を上下左右にとせわしなく動かしながら、体は右へ右へと移動させていくのです。目が疲れきった時点で、探す意欲は半減です。

 古書市も、何回かに分けて通えばいいのでしょうが、そんなに豊かな時間があるわけでもないので、これで今回はひとまず打ち切りです。

 たくさんの本の中から、自分と縁あっての出会いがみのった本を手にして、それなりに満足して帰路につきました。
 自転車の前の籠に入れた本が重いこともあり、ハンドルが取られそうになります。賀茂川の緩やかな勾配を太腿に感じながら、川風を浴びてペダルを漕ぎ続けました。

 この古書市は、5月1日から5日までで、主催は京都古書研究会でした。



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2008年05月03日

源氏のゆかり(5)説明板28-鞍馬寺(2011/04/03補訂)

 鞍馬寺については、本ブログ2007年9月23日の「京洛逍遥(16)鞍馬寺」で紹介しました。
 また、1週間ほど前の4月28日の「鞍馬寺にある晶子の源氏訳自筆原稿」でも、その様子を記しました。
 今回で、鞍馬寺のことは3回目となります。

 鞍馬寺から歩いて下る途中に、由岐神社があります。
 そこからさらに下ると、道端の石垣の陰にひっそりと説明板が建っています。
 これは、昨年にはなかったものです。先週は、ケーブルカーで降りたので、わかりませんでした。
 どこかにあるはずだと思っていましたが、こんな形でありました。


U7dmsdv7_s道端に



 この説明板は、鞍馬寺が『源氏物語』の「若紫」にでてくる「北山のなにがし寺」の候補地であることを記しています。説明の最後で、岩倉の大雲寺も、その候補の一つであることに言及しています。

Pgaicwkg_s説明板



 初めてここにきた人は、この説明板の場所がわからないと思います。
 もう少し案内の標識を置いてもいいと思いました。
 私も、偶然ここにあるのを見つけました。あるとは知っていても、こんなところに、というのが実感です。

 ここから来た道を振り返り、由岐神社の方を見ると、木の立て札が目に留まります。


由岐神社を臨む



 この札は、『源氏物語』の「若紫」にある歌に関するものだとわかります。


F2aq0lhc_s涙の滝



 吹きまよふ深山おろしに夢さめて
  涙もよほす滝の音かな
   (『源氏物語』若紫の巻)


 ただし、この歌がどんな意味をもち、「若紫」の中でもどのような場面に関係するのか、何も説明がありません。
 近くの説明板にも、このことには触れていません。
 この札の前に佇んでいると、水の音が心地よく響いてきます。
 先の説明板といい、この立て札といい、いかにも唐突に、鞍馬と『源氏物語』の接点を突きつけられた感じになります。

 『源氏物語』との関係を物語る、丁寧な説明が必要です。
 来週も鞍馬寺へ行く予定をしているので、お寺の方に、このことについてお話ししようと思っています。




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源氏千年(41)『源氏物語を読み解く100問』

 連休の書店に『源氏物語を読み解く100問』(伊井春樹、NHK出版 生活人新書254)というおもしろい本が並んでいます。


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 これは、『源氏物語』に関するクイズ100問を収録したものです。

 第1問は、「源氏物語はいつの時代に書かれましたか。」とあり、4つの時代区分から答えるようになっています。
 次のページに答えがあります。『紫式部日記』の寛弘5年(1008)11月1日のことが説明され、答えの根拠が示されます。

 実にさまざまな問題が出されています。
 そして、問題を解くうちに、やさしい解説を通して、自然と物語の内容が理解でき、『源氏物語』の周辺が見えてきます。まさに、源氏文化が学べる本となっています。本書の腰巻きにもあるように、

 豪華絢爛な平安ワールドへ
 千年紀だから、
 「源氏力」を
 つけよう!

ということです。
 「源氏力」とは、また新しいことばが生み出されました。

 第100問は「大和和紀の十三冊からなる源氏物語のタイトルは( )という。」です。
 これは4択問題です。

 これからもわかるように、全体を通しても、難しい質問はあまりありません。自分が知っていることを確認し、解説を読んで楽しむ本です。

 連休中のひと時に、連休疲れの息抜きに、ハンディーな一冊です。



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2008年05月02日

源氏千年(40)朝日「人脈記」9

 第9回のタイトルは、「写本に息づく古人の執念」(関東版)/「2千数百枚 執念の写本」(関西版)です。

 現在一般に読まれている流布本は、大島本と呼ばれる写本をもとにした活字の校訂本文です。これは、室町時代以降の膨大な手が入ったもので、江戸時代にまでわたって加えられた修正の跡をたどって作成されています。『新編日本古典文学全集』(小学館)などがそれです。しかし、この本文はどういうものなのか、今われわれは何を読んでいるのか、ということが問われだしました。

 この大島本に対する評価の再検討が叫ばれている機運を背景に、藤本孝一先生のご指導をいただきながら私と数人のグループで、現在この大島本を精密に調査しています。その実地調査の様子を、本日の記事では写真付きで紹介してもらえました。
 重要文化財である大島本の調査に使用している拡大装置とカメラは、ニコン製のものです。70倍に拡大して、問題箇所をデジタル撮影しています。
 貴重な資料を扱う時には、写本を傷めないようにするために、金属類やボタンなどは身につけません。藤本先生も私も軽装なのは、そのためです。背広のボタンやネクタイや時計などが、資料を傷めるからです。

 今回のように新聞という媒体を通して、少しでも多くの方々に実際に調査研究している現場を見ていただけたのは、本当にいい機会でした。地味な研究分野なので、若い研究者がなかなか育ちません。
 古写本という原典資料を扱う研究は、短時間には成果が見えません。しかし、着実に前に進んでいけます。これからの世代の方々が、こうした分野に一人でも多く参加してもらえることを願っています。

 次にバトンを渡された、私の恩師である伊井春樹先生は、いつも楽しい話で夢を与えてくださいます。初めてお目にかかった時に、今から30年も前のことになりますが、「本は探している者にお出でお出でをしてくれるもの」と話してくださったことを、今でも覚えています。
 自筆の『源氏物語』の話は、いかにもありそうなことです。古筆家による鑑定書は、おもしろいものです。人の鑑定をあてにせずに、自分の目だけで実物を見る目が肝要です。これは、修行を要する世界です。

 続いて登場の豊島秀範先生は、私の先輩であり、学生時代からお世話になってきました。今は、豊島先生の平瀬本の調査のお手伝いをしています。河内本と呼ばれている本なのですが、まだその実態が解明されていません。このグループの研究は、多いに期待できる成果を問うものとなることでしょう。

 この記事をお書きになっている白石さんは、難解な事柄を非常にわかりやすくまとめてくださっています。何かと難しい言葉で説明される専門的な内容を、じっくりとお聞きになりながら、それを理解なさるのは大変だったかと思います。
 緻密で複雑な古写本と物語本文の世界を、このようにやさしく紹介していただき、ありがたく思います。
 最後のことばは、「写本研究者たちの見果てぬ夢だ。」となっています。
 さまざまな問題があることを、十二分に理解なさった上でのこのことばです。
 このメッセージが、これから『源氏物語』を研究しようとする方々に伝わることを願っています。



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2008年05月01日

源氏千年(39)朝日「人脈記」8

 第8回は、「読み手の人生織り込んで」(関東版)/「映し込む読み手の人生」(関西版)です。

 最初は、伊吹和子さん。これまでにも、いろいろなエッセイを読ませていただきました。確か、谷崎潤一郎は『源氏物語』があまり好きではなかった、とどこかに書いておられたように記憶しています。
 川端康成の方が、「谷崎より深く『源氏』を読んでいたのではないか」と言われることに、私は興味を持ちました。逆のように思うからです。私は、川端は『源氏物語』とは遠い作家だと認識しています。谷崎の方が、『源氏物語』の世界に憧れていたのではないでしょうか。ただし、その現代語訳に取りかかってから、『源氏物語』の扱いにくさという点で、あまりのめり込めなくなったのではないでしょうか。山田孝雄の検閲を必要としたことも、思うに任せぬいらだちを引き起こしたようにも思われます。

 伊吹さんの「紫花の会」のつながりで、人間国宝の志村ふくみさんへとバトンが渡ります。
 志村さんについては、本ブログでも取り上げました。

 「源氏千年(24)月で読み解けるか」
 http://blog.kansai.com/genjiito/238

 志村さんと娘さんとのレクチャーに参加した時の報告です。

 志村さんのレクチャーでも「月」が話題として取り上げられていました。
 今回の記事でも、伊吹さんが「月」を話題としておられたことが書かれています。
 「月」というのは、日本の文学を語る時に、重要なテーマとなるようです。私も、井上靖の小説『星と祭』のテーマの延長上に「月」を考えているので、なおさらです。
 改めて、「日本文学と月」について、問題意識を持つことにします。

 3番バッターの堀文子さんは日本画家です。雌カマキリの話は印象深いものでした。

 今回登場の3人は、いずれも80歳の女性ということで、『源氏物語』と人生についての接点で結ばれていました。

 『源氏物語』の多面的な受容相が浮き彫りになり、この作品を読んでみようか、と思うようになられた方も多いのではないでしょうか。
 古文の原文に始まり、現代語訳や外国語訳、そして漫画にアニメに映画と、さまざまな形で『源氏物語』を受容できる環境が提供されています。

 『源氏物語』は本当に恵まれた作品だと、つくづくと思わされます。



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