2008年04月30日

源氏千年(38)朝日「人脈記」7

 「ニッポン人脈記 千年の源氏物語」の第7回は「絵師の技 デジタルで読む」(関東版)/「デジタルで見る絵師の心」(関西版)です。

 今日は、国宝源氏物語絵巻の話題に終始します。
 絵巻の科学的調査を推進された徳川義崇氏のことから始まります。IT業界におられただけに、デジタルの手法を導入した解明に果たされた役割は大きかったようです。

 その成果を負いながら進められた、対するアナログ派も大健闘しました。
 復元模写という手法です。
 林功氏からはじまり、その教え子や後輩による支援があって、絵巻の19図すべての復元模写が完成しました。
 私も、その成果は、テレビや図版・著書などで見ました。また、徳川美術館で、その一部も拝見しました。

 昨日、本ブログ「源氏千年(37)錦織の源氏絵巻に驚嘆」で、錦織による源氏絵のすばらしさを報告しました。それ以上に、この復元模写も、すばらしい成果です。
 錦絵は、山口氏の解釈による復元でした。対する画家による復元は、いかに正確に精巧に復元するか、という禁欲的な世界の中で行われたのです。
 手法は異なりますが、こうした2つ源氏絵に対する姿勢に敬服しています。

 『源氏物語』の背景でこのような世界があり、このような人々が動いていることを、今日の「人脈記」も教えてくれました。
 『源氏物語』には、さまざまな人が、さまざまな角度から関わっているのです。このことが今回の企画の中で、このような形の記事として紹介されるのは、日本の古典文学の理解を広げ、深めるためにも、重要な役割を果たしている、と言えるでしょう。

 このシリーズを担当なさっている白石さんの、ますますの健筆を願っています。




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2008年04月29日

源氏千年(37)錦織の源氏絵巻に驚嘆

 相国寺にある承天閣美術館へ行きました。
 先週から始まった、「山口伊太郎遺作展 源氏物語錦絵絵巻」を見るためです。


Qfgamgj1_s承天閣美術館



 織物で国宝の源氏絵巻を織ったもの、ということで、百聞は一見にしかずと、早速でかけたのです。
 見て驚きました。とにかく、言いようのないほどにすごいものを直に見て来た、というのが実感です。
 人間のすることはすごいものだと、大きなエネルギーをもらって来ました。

 山口伊太郎さんは、京都西陣を代表する織物作家でした。それが、昨年6月に105歳で亡くなられたのです。
 その山口さんが、37年かけて「源氏物語錦織絵巻」を完成させたのです。
 実は、最終巻の第4巻は、山口さんの没後も職人さんたちが織り続け、先月やっと織り上がったのでした。田村邦夫さんは、第1巻からずっと織り手を務めて来られたのだそうです。
 この第4巻は、幅33センチ、長さ約12メートルもの大作です。
 極限まで織物の可能性に挑んだ山口さんの意思が、こうして源氏千年紀の春に結実したのです。
 絵巻の詞書も忠実に織ってあるのですから、見ているだけで織物の不思議な世界に引き込まれます。

 今回は、第4巻が完成したことによる、全4巻の展覧でした。しかし、すでにこれまでにも、第3巻までは、何度か展示されていたようです。
 私は、今回はじめて拝見しました。ただただ目をみはって見つめるだけでした。
 緻密な織物に感激して帰って来ました。日本人が伝えて来た技術に脱帽です。その伝統を、このように形として残す職人さんと、それを包み込む芸術家の集団の快挙でしょう。
 国宝の源氏絵巻の複製と思っていた私は、とんでもない思い違いをしていました。

 今回の展示パネルに、こんな説明文がありました。
 「柏木(一)」で、朱雀院が女三宮を前にして苦悩する場面についてです。


伊太郎はある日、月参りに訪れた鷹ヵ峯源光庵のお坊さんに、いろいろとポーズをとってもらって、衣がどのように重なって、下のものがどんなふうに透けて、どこに影ができるか、克明に研究し、図中の院の衣を織り上げました。「鈴虫(一)」で侍女の衣が透けているように浮かして織っていますが、これも白い下着に対して、墨染めの上着は浮かせて二重構造で着せています。


 これだけでも、この錦絵が単なる模写ではないことがわかります。

 この錦絵は、実際に自分の目で見て、見る角度によって色が変化し、立体的に見えるところを堪能すべき作品だと確信しました。写真や図録もありますが、それは単なる平面的な、その場限りの映像にしかすぎません。

 自分の目で見ることの意味を、改めて痛感させられました。
 展覧会は、今年の7月6日まで、同志社大学の北隣にある、相国寺の美術館でやっています。





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2008年04月28日

源氏千年(36)朝日「人脈記」6

 「ニッポン人脈記 千年の源氏物語」の第6回は「王朝の香り あくなき探求」(関東版)/「王朝の香りに酔いしれて」(関西版)です。

 先般、私は松栄堂で催された聞香の会に参加したばかりでした。

「『源氏物語』のお香と、初めての聞香」
http://blog.kansai.com/genjiito/249

 興味を持ち出したばかりでもあり、まったく知らなかった世界が身近に感じられます。

 過日の「源氏千年(30)朝日「人脈記」4」でも触れたことですが、河添房江先生の『光源氏が愛した王朝ブランド品』(角川選書、2008.3)に薫物の章があり、藤原範兼が鳥羽上皇の命で編纂した『薫集類抄』のことも引かれていました。
 またまた、薫物に関する章の見出しだけですが紹介しておきます。

「八 平安のフレグランス その一 『うつほ物語』と『枕草子』」
 ・シャネルの五番
 ・日本の香文化の源流
 ・儀式に使われる薫物
 ・ギフトとしての薫物
 ・『うつほ物語』と『枕草子』の不思議
 ・『このついで』の美学
「九 平安のフレグランス その二 『源氏物語』の世界」
 ・梅枝巻の薫物合の世界
 ・蛍宮の八方美人ぶり
 ・薫物と四季の美意識
 ・鈴虫巻の持仏開眼供養の香り
 ・香りがまじりあう効果

 お香の世界が、ぐっと日常レベルに近づいてきました。

 鳥毛逸平氏はもちろん、建築家の安原盛彦氏についても、今回の記事で初めて知ることが多くありました。『源氏物語』が幅広い分野の研究対象になっていることがわかります。

 村上征勝先生の計量文献学の成果については、先生が統計数理研究所においでの頃からお話を伺っていた話です。それだけに、あの結果を先生ご自身が現在はどのように評価なさっているのか、もう少し突っ込んでもらえたら、と思いながら読みました。

 それにしても、掲載スペースと字数の制限の厳しさを思わざるを得ません。残念です。
 今回の取材にあたって、膨大な情報が白石さんの元に集まっていると思われます。そうした資料と情報を、ぜひとも再構成して、『源氏物語』の現在について一書にまとめていただくことを熱望します。
 源氏千年の年だからこその、『源氏物語』の受容史を総括する、意義深い成果となることでしょう。

 今日の記事が「こんな『源氏』の読み方もある。」と締めくくられており、多くの方々が「なるほど、『源氏物語』は奥が深いものだ」と思われたことでしょう。

 明日の夕刊はお休み、とのことです。
 夕刊を手にする楽しみが一日延びたのは、残念なようで嬉しいものです。


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鞍馬寺にある晶子の源氏訳自筆原稿

 洛北鞍馬の鞍馬寺に、与謝野晶子が『新新訳源氏物語』を著した時の自筆原稿があります。
 すべてではありませんが、「乙女」「玉鬘」「東屋」が大切に保管されています。

 なぜ鞍馬寺に晶子の自筆資料が、と思いますが、これは、鞍馬弘教を開宗した先代住職の信楽香雲氏が、与謝野門下の歌人であったことに起因します。
 お寺に隣接する霊宝殿(鞍馬山博物館)の2階には、与謝野鉄幹と晶子の遺品を展示した与謝野記念室があります。また、霊宝殿の前には、昭和5年に建てられた与謝野晶子の書斎「冬柏亭」(東京の荻窪にあったもの)が移築されています。
 これまた、与謝野の門下生であった岩野氏と信楽香雲氏の縁があってのことですが、詳細はまたいずれ記します。

 この晶子の自筆原稿を、今秋開催する国文学研究資料館の「源氏展」で展覧するために、事前の打ち合わせを先月来おこなっていました。そして、過日の打ち合わせの折に、原稿の文字が徐々に消えていっているのだが、という相談を受けました。
 ブルーブラックの万年筆で書かれているために、退色が進んでいるようです。
 早速その問題を持ち帰り、内部で相談したところ、とにかく光を当てることを最小限にする以外にはなく、デジタル撮影による資料収集をして、画像データベースとして公開することで、更なる被害を食い止める方向で了解がとれました。

 また、鞍馬寺からもデジタル保存による対処に理解と同意がいただけましたので、昨日、具体的な方針の説明と撮影等の打ち合わせをするために、鞍馬寺を訪問しました。

 ケーブルカーで上がってすぐに聳える多宝塔のまわりは、八重桜が満開でした。


Wq_0zvo0_s多宝塔と満開の八重桜



 京の町はもう桜は散っていますが、まだ鞍馬の山桜は咲いています。
 本殿金堂から寺務所を望むと、ここにも八重桜がみごとに満開でした。


Xuouss2o_s本殿金堂



 広報担当のS氏は非常に熱意と理解のある方で、今後の対処についてスムーズに打ち合わせることができました。
 展示資料としてお借りすることから始まり、さらにデジタル保存の実現へと、大切な資料が最良の方法で公開できるようになり、交渉担当者としてはホッとしています。
 この晶子の原稿については、神野藤昭夫先生のご教示と、先生の事前調査に負うところの大きいものでした。連係プレーが実を結んだ、ということになります。

 早速、さまざまな手配を施しますが、秋には与謝野晶子の『新新訳源氏物語』の自筆原稿がネットを通して確認してもらえるように、出来る限りのお手伝いをさせていただきます。

 この自筆原稿の紹介等は、国文学研究資料館の特別展である『源氏物語展』の展示図録(思文閣出版)で、神野藤昭夫先生にご執筆いただいていますので、詳細はしばらくお待ちください。




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2008年04月27日

源氏千年(35)朝日の「みだし」への疑問解消!

 今朝、というよりも深夜に
「源氏千年(33)朝日「人脈記」の表題が東西で違う 」
という記事を書きました。

 そして、素朴な疑問、関西と関東で表題が異なることを、執筆者である白石さんに直接お尋ねしました。

 すると、これまた早朝にもかかわらず、ご丁寧な返信をいただき、ご教示いただきました。
 私が聞いただけではもったいないので、正解を共有すべく、ここに報告します。




お尋ねの件ですが、
「東西の編集部で独自にタイトルをつける」が正解です。
正しくは「タイトル」ではなく、「みだし」といいます。
記事をレイアウトしたり、みだしをつけたりする専門の記者がいまして、
東京と大阪ではそれぞれ別の記者がみだしをつけます、
一面や社会面の記事はすべてそうです。




 ヘーッ、と感心してしまいました。
 新聞記事は、たくさんの方々の手と目を通して出来ているのですね。そうだからこそ、偏った内容にならないのでしょう。
 それにしても、関西と関東で、別の記者が「みだし」をつけるとは。
 かつて、私は朝日新聞の記者になりたかったので、この情報は「お宝」です。
 インスタントラーメンの味付けが、関西と関東で違うと聞いたことがあります。東西の文化は、こんなところにもうかがえるようです。
 
 昨日と今日は、連載も一休みです。また明日からはじまるので、どんなことが話題になるのか、心待ちにしています。私のまわりでも、多くの方が楽しみにして読み、話題にしています。
 ネットでも、チラホラと話題になっているようです。

 まだまだ連載が続く大変な時期にもかかわらず、素人の些細な質問に即座にお答えいただいた白石さん、本当にありがとうございました。



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源氏千年(34)低次元の朝日新聞の記事に溜め息

 朝日新聞に、「源氏物語の千年紀」をテーマにした連載があります。
 2008年4月26日の朝刊(関西版)の、「屏風が描く恋模様 今日から千年紀展」という記事の中に、気になる表現を見かけました。
 それは、京都文化博物館が開催する源氏展の取材に関するものです。


 25日にあった内覧会には、中国や韓国などの新聞社、テレビ局など計8社の特派員9人も取材に訪れた。特派員らは同展の担当者らに「日本は不倫に寛容な印象を受ける。源氏物語の影響なのですか」などと質問していた。
(高木友絵、村瀬成幸)



 ここで、特派員が日本の「不倫」と『源氏物語』との関係について質問した、とのことを敢えて取り上げた意味は何でしょうか。

 私は、これは担当記者の中国と韓国のへ偏見があるのでは、と読みました。どう見ても、中国と韓国の特派員のおバカさ加減を強調したものいいです。
 また、外国人に『源氏物語』が理解できるのか?、という先入観の表出でもあるかと思われます。

 この記事は、ジェンダーに関わる国際的な文化理解についての、いい教材です。

 もしも、これが本当に特派員の質問であったのであれば、中国と韓国の特派員が持つ文化レベルの低さを露呈したものとなります。
 『源氏物語』という作品が、いかに理解されていないか、文学の評価がいかに低いか、という事例でもあります。

 いずれにしても、低次元の新聞記事に、溜め息が出ました。




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源氏千年(33)朝日「人脈記」の表題が東西で違う

 京都文化博物館の内覧会に出席するために、今週の木曜日に東京から京都へ移動しました。そして、京都の自宅にあった朝日新聞の夕刊第1面を見て、連載中の「ニッポン 人脈記」を追いかける文章を、木曜日と金曜日にも本ブログに載せました。

 先ほど、何気なく京都でも購読している朝日新聞を見ていて、この連載のタイトルが微妙に違うことに気づきました。

 深夜にもかかわらず、すぐに東京にいる息子に連絡をして、私が京都へ来てからの木曜日と金曜日の新聞記事を確認してもらいました。
 その結果、以下のような違いがわかりました。

第1回 2008.4.21(月)
・関東「抑留を耐えた宇治十帖」
・関西「耐え抜いた運命の1冊」
第2回 2008.4.22(火)
・関東「よみがえれ平安の恋歌」
・関西「平安のロマン 私の言葉で」
第3回 2008.4.23(水)
・関東「紫の君 素顔を見せて」
・関西「紫式部の面影求めて」
第4回 2008.4.24(木)
・関東「小猫がたぐる運命の糸」
・関西「運命 招き寄せた小猫」
第5回 2008.4.25(金)
・関東「命がけの筆 愛の煉獄」
・関西「煉獄の世界に命をかけて」

 同じ朝日新聞でも、関西と関東とで記事が異なることは承知していました。東京で読んだ記事を奈良や京都で読み、その逆のこともしばしばあったからです。しかし、表題が異なることには、今まで気づきませんでした。
 ということは、この表題は、記事を執筆した方、今回の場合は白石さんが2つの見出しを考えられるのか、それとも東西の編集部で独自にタイトルをつけられるのか、いろいろなことが想定されます。

 些細なことではありますが、気になり出したら眠れない性分なので、実際のところを知りたくなりました。



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2008年04月26日

辻村寿三郎さんの古典人形

 この記事は、本年3月9日に京都・高島屋グランドホールで観た、辻村寿三郎さんの「新作人形展 〜平成アールデコ〜」についてのものです。
 実は、以下の文章を書いた後に、突然パソコンの電源が入らなくなりました。そして、原因がロジックボードらしいということだったので、修理に出していました。このことは、以下の2つのブログで報告した通りです。

「またパソコンが休眠」
http://blog.kansai.com/genjiito/201

「仮死状態のノートパソコン」
http://blog.kansai.com/genjiito/202

 先日修理を終えた、というか、ロジックボードが交換されたパソコンがもどってきたので、無事だったハードディスクから取り出した文章の一つが、この記事です。
 時期を失した内容ですが、大事な記録でもあるので掲載します。

***************
 辻村さんの人形展を初めて観ました。なかなか機会がなかったからです。
 展示会場に入ったところで、たまたま辻村さんご本人によるギャラリートークが、入口の『雨月物語』をテーマとする作品から始まったところでした。こんな企画があったとは知りませんでした。
 これはまたとないチャンスなので、辻村さんの説明を聞きながら、人形にまつわる苦労話や、お得意(?)の人生訓に耳を傾けました。今の世相へのご不満が、作品の説明を忘れてなされていましたので、これはこれで楽しく拝聴しました。
 とにかく偶然とはいえ、真横で作者のお話を聞きながら作品を見て回るのは、人形に込められた気持ちが伝わってくるので、得難い体験となりました。
 辻村さんの、『平家物語』の時代や『八犬伝』『雨月物語』の江戸時代など、中世から近世への造詣の深さをかいま見ました。

 私が楽しみにしていた『源氏物語』については、ご本人が説明してくださる機会に恵まれたので楽しみにしたのですが、あまり熱が入っていなかったように思います。
 第1巻の「桐壷」から第5巻の「若紫」までのトピックシーンが、四角い大きな枠のスペースに組まれていました。若紫を北山から盗んでくる場面について、粗っぽい若者のやることは今も昔も変わらない、という短い説明だけで終わりました。時間がなくなったということもあります。
 終わってから、辻村さんのお話に付いてきていた30人ほどの女性たちの中から、3人くらいが質問をしていました。桐壷の更衣が狂っている状況や、着物の色、そして真ん中に置かれた大きな女性の人形についてです。

 辻村さんは、『源氏物語』にはあまり思い入れがないようです。『雨月物語』の説明の時のような、熱っぽい説明はありませんでした。ただし、桐壷の更衣のかわいそうな境遇には心惹かれたらしくて、放心状態で裸のまま庭をさまよう更衣と、そんな更衣に女房が赤子の光源氏を差し出す場面の説明を、ほんの少しだけしてくださいました。
 「人を孤独にしてはいけない」
 「人は温もりを求めている」
 辻村さんは、ドラマの内側に見え隠れする、人間の情念のほとばしりに反応される方のようにお見受けしました。
 人形が付けている着物については、京都などの各所で催される古物市などで入手された布などを活用されているとのこと。古着を使って、自分好みの人形にしているのだとか。スダレなどの小道具も、処分されるものの再活用だそうです。
 真ん中に展示されていた大きな人形は、紫式部だとのことでした。男っぽい人になっていますが、真実を見ることのできる人は、こんなイメージになると仰っていました。

 『源氏物語』のコーナーの前に大日如来や空海の人形があり、熱っぽく人間の生き方とか人生について語られました。しかし私は、その右手前にあった、桐壷をテーマにした人形が気になりました。直前の解説では、桐壷帝の膝やお腹にハマグリを使っているので、その丸みを観てほしいとのことでした。平家の公達などの人間を表現する時には、人間の形をした人形になるが、『源氏物語』などの場合は、自分を拒否する貝を使うので、こうした形になる、と言われました。その意味がまだよく私にはわかりませんが、聞いたままをここに書き留めておきましょう。

 なお、『源氏物語』の人形の中でも桐壷の更衣については、作品の添え書きに「桐壷」とありました。例えば先ほどの大日如来の右側にあった人形には、「若宮の誕生を帝に報告する桐壷」と。
 紛らわしいので、これは「桐壷更衣」とハッキリさせたほうがいいように思いました。

 辻村さんが『源氏物語』に着手されたのは、2001年4月の日本橋三越で発表された「源氏絵巻縁起」からのようです。68歳の時です。これが今回も展示会場の中央にあったもののようです。
 辻村さんは、早くから『源氏物語』に取り組んでおられたように思っていましたが、勘違いしていました。

 帰ってからすぐに、手元の資料を出して見ました。
 『アサヒグラフ』(通巻4001号、1998年11月、朝日新聞社)の表紙を見て、自分の思い違いの原因がわかりました。表紙には「ホリ・ヒロシ 源氏物語」とあるのです。
 ホリさんの人形は、宇治市源氏物語ミュージアムで上映されていた映画『浮舟』でよく知られています。このホリ版『源氏物語』と、この辻村さんの『源氏物語』の人形は、今回たまたま人形の顔をジックリと観、そして着物の作られ方を知ったために、ようやくその違いがわかりました。2人の人形師の味の違いが、少しわかってきました。

 今回、辻村さんにお目にかかれたのもご縁なのでしょうから、図録として販売されていた作品集を買い、それにサインをしてもらいました。


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 作品集には、『源氏物語』は1頁だけで、桐壷更衣が狂っている部分が、ほんの小さく紹介されているだけでした。これが、辻村さんにとっての『源氏物語』の位置づけなのでしょう。
 今回は、源氏千年紀という流れの中での京都での展示でしたが、ご本人はそんなことには頓着することなく、マイペースで作品に向かっておられるのがわかりました。



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モバイルノート

 新幹線の中でのことです。
 隣の人がノートパソコンのキーボードを叩き出しました。
 ちょうど私が iPod touch を取り出して、ブログのためのメモを入力しようとしていたところだったのです。期せずしてモバイル世代の新旧が並んだことになりました。
 隣の人はせわしなく両手でキーボードを叩いておられます。こちらは掌に載せたPod touch に、人差し指一本で文字を入力しています。
 モバイル環境が、確実に移行しています。時代が移りつつあることを実感しています。
 大きなノートパソコンを人前で広げる光景は、今後はますます減ることでしょう。
 私が最初に使ったノートパソコンは、エプソンのものでした。ボストンバッグのようで、重たいものでした。
 今のノートパソコンは、MacBookエアを筆頭に、薄くて軽いものになりました。先日、発注しましたので、届き次第に使い心地を報告しましょう。

 とにかく、PDAタイプの iPod touch は、究極のテキスト入力マシンではないでしょうか。
 かつては、カシオの腕時計で、文字が入力できるものがありました。私は、2種類の時計型文字入力リストウオッチを手に巻いていました。現在の携帯電話も、文字入力マシンと呼べますが、入力方式が前時代なので、私はほとんど使いません。携帯でメールはしませんので。
 今は、 iPhoneの日本上陸を、ひたすら待ち望んでいます。
 この分野へのソニーの再チャレンジを熱望しています。



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源氏千年(32)源氏物語千年紀展スタート

 京都文化博物館で「源氏物語千年紀展 ~恋、千年の時空をこえて~」が始まるのを控えて、開会式と内覧会がありました。昨日のブログで、少しそのことを書きました。もう少し、展示会の内容を紹介したいと思います。

 開会式には、新聞発表では700人が招待されたとあります。確かに、別館のホールは人で埋まっていました。

Fzzjna7j_sテープカット



 テープカットの後、特別鑑賞会となり、オープン直前の展示会場へ向かいました。
 会場では、国宝や重文が約40点、すべてで157点ものすばらしい作品が展示されていました。今年の10月から、国文学研究資料館でも源氏展をするので、私は展示する側の者としての視点で見てまわりました。

 ハーバード大学美術館が所蔵する三条西実隆と土佐光信の手になる「源氏物語画帖」は、アメリカからの里帰りということになります。
 ちょうどこの展示コーナーの近くで、ハーバード大学美術館で司書をしておられる、アン・ローズ・キタガワさんにお会いしました。アンさんには、一昨年の2月にハーバード大学へ伺い、美術館が所蔵されている『源氏物語』の鎌倉時代の古写本を見せてもらったときにお世話になりました。今年の11月にも、ハーバード大学で国際集会を開くので、その時に私の発表内容があの『源氏物語』の古写本なので、それを展示してもらうことになっています。偶然にお目にかかり、懐かしさから展示会場であることを忘れて、つい大きな声でお話をしてしまいました。
 ハーバード大学所蔵の『源氏物語』については、先月に「海を渡った古写本『源氏物語』の本文 ―ハーバード大学蔵「須磨」の場合―」(伊井春樹編『日本文学研究ジャーナル 第2号』、平成二〇年三月)と題して発表しました。また、今秋に刊行される論集に、「源氏物語本文の伝流と受容に関する試論―「須磨」における〈河内本群〉と〈別本群〉の本文異同―」と題するものを寄稿しています。
 このハーバード大学の『源氏物語』は、いつかは日本に運んで、里帰り展をしたいと思っています。思い続けていると、いつかは実現するものだと信じています。どうぞ、お楽しみに。

 今回の展覧会の図録は、こんなに見事なものでした。280頁の、ズッシリと重い本です。

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 この図録の「第四章 源氏物語の楽しみ 享受の歴史」の「第四節 現代の源氏物語・世界の源氏物語」で、「源氏物語の外国語訳」と題する拙文を寄せています。


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 3頁ほどのスペースですが、『源氏物語』が海外でどのような状況にあるのか、最新情報をもとにして書きました。その一部は、会場のパネルにも引かれていますので、お目に留まれば幸いです。

 図録では、翻訳本をこんな状態で並べて紹介していました。これも、おもしろい手法だと思います。


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 この中では、クロアチア語訳の『源氏物語』は、ぜひごらんください。日本では、なかなか見られない本です。また、昨年刊行されたハングル訳の最新版があります。これは、私も初めて見るものです。
 こうした本の集積を見ると、『源氏物語』が本当に世界中で訳され、刊行され、読まれていることを実感できます。

 仲間に渡すために、さらに2冊の図録を求めました。その際、こんなトートバッグがあったので、これも買いました。なかなかセンスのいいバッグです。黒地と白地の2種類がありましたが、私はコントラストのはっきりした黒地のものをもらいました。

Uywrqscy_sトートバッグ表



Edrchbmh_sトートバッグ裏



 展覧会の帰りには、こうしたグッズを見るのも楽しいですね。
 今年は、『源氏物語』に関するグッズがあふれていますので、見て歩くだけで飽きません。



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2008年04月25日

源氏千年(31)朝日「人脈記」5

 第5回のタイトルは「煉獄の世界に命をかけて」です。
 今回は、瀬戸内寂聴さんの話に終始しています。
 平成の『源氏物語』を語る時には、瀬戸内源氏は無視できません。現在の源氏ブームは、この瀬戸内訳の『源氏物語』が大きな働きをしていると言えましょう。
 もっとも、私はまだこの現代語訳を読んでいないので、何も言えませんが … 。

 瀬戸内源氏の朗読が、いくつもなされているようです。
 幸田弘子さん、白石加代子さん、名取祐子さん。

 耳で聞くのが物語本来の姿でしょうから、たくさんの朗読が聞けるのはありがたいことです。
 私は、関弘子さんが阿部秋生先生の校訂本文を朗読されているものと、同じく関弘子さんが谷崎潤一郎の源氏訳を読んでおられるものを持っています。
 朗読を聞くたびに思うのですが、すぐに眠くなるのはどうしてでしょうか。『源氏物語』だからなのか、私が朗読のリズムに合わせられないのか、よくわかりません。

 今日の記事では、人形師のホリ・ヒロシさんの話も取り上げられています。ホリさんについては、ちょうど10年前の『アサヒグラフ』(1998.11.13号)で特集が組まれていて、先ほどそれを取り出して写真等を見ていました。宇治市源氏物語ミュージアムで上映されている篠田正浩監督作品の「浮舟」は、ホリさんの人形でした。人を惹き付ける人形ですね。
 人形師と言えば辻村寿三郎さんのことに触れなければなりませんが、それはまた近いうちにしましょう。
 今日の記事では、このホリさんと瀬戸内さんとの接点が最後に示されます。人と人のつながりはおもしろいものだと感心しました。

 今日は夕刻より、明日から一般公開となる京都文化博物館の「源氏物語千年紀展」の、開会式と特別鑑賞会がありました。
 縁あって私も招待を受けましたので、楽しみにして出席してきました。
 知事や館長の挨拶の後、瀬戸内さんの挨拶がありました。

瀬戸内


 自分の作品はダメだが、源氏物語の現代語訳は売れ続けている、と会場を沸かせながらのお話でした。

 会場を後にして、帰宅して新聞を見たら、さきほどお目にかかった瀬戸内さんをめぐる「人脈記」の内容で驚きました。偶然とはいえ、世の中は本当におもしろいものです。




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2008年04月24日

源氏千年(30)朝日「人脈記」4

 第4回のタイトルは「運命 招き寄せた小猫」です。

 猫を巡っての話でまとまっています。
 白石さんの幅広い取材活動のすばらしい成果です。
 よくもこれだけの情報を収集し、それをこのようにうまくまとめられるものだと、一読して感心しました。

 出久根達郎さんから始まるのが、意外で楽しめました。そして、昨夏お亡くなりになったサイデンステッカー先生へと移るのも絶妙です。
 さらには、田中貴子さんを挟んで、河添房江先生へと続きます。
 河添先生のところで紹介されている『光源氏が愛した王朝ブランド品』(角川選書、2008.3)は、誰でも読める好著です。『源氏物語』をネタにしたもので、こんなに楽しく読んだ本はありません。語りかける口調が柔らかで、内容も意外な視点で読む『源氏物語』となっていて、多くの方にお薦めしたい本です。
 今回の記事で紹介されている唐猫に関して言うと、最終章である「十四 舶来ペットの功罪」は、ぜひ立ち読みでもいいのでどうぞ(すみません、よくないですね、ご購入を)。
 小見出しだけでも紹介しましょう。

・『あさきゆめみし』の黒猫
・『枕草子』の「命婦のおとど」
・昌子内親王と選ばれた唐猫
・女三宮の身代わりとしての唐猫
・『狭衣物語』と『更級日記』のロマネスク
・『古今著聞集』の不気味な唐猫

 実は、ちょうど私がこの本を読んでいた時に、河添先生から電話をいただきました。読んでいた本を置いて受話器を取ると、何と今読んでいる本の著者だった、という滅多にない出来事でした。意外な、おもしろいことがあるものです。
 先生の用件は、教え子の一人を国文学研究資料館の特別共同利用研究員として受け入れてもらえないか、ということでした。国文学研究資料館は大学共同利用機関なので、全国の大学院生の研究指導のお手伝いをするのも仕事なのです。その時に電話を少し代わってもらい、本人と話をしました。また後日、『河海抄』を研究テーマとするM君に会い、いろいろと話を聞きました。テーマに取り組む姿勢が真摯で、きちんと研究指導を受けた、なかなかの好青年だったので申請を了解し、その後の審査を経て、無事に受理されました。
 M君の今年度の成果は、下記のホームページで公開されることになります。

http://www.nijl.ac.jp/~t.ito/kinoshita/index.html

 『源氏物語』の古注釈を調べることのある方は、しばらくお休みしていたデータベースが再開されますので、お楽しみに。そして、この『湖月抄』のデータベースを一日も早く完成させるためにも、全国の大学院で勉強している学生の方々の積極的な参加を待ち望んでいます。遠方の方でも、遠慮なく問い合わせてください。平成の『湖月抄』を作成するプロジェクトに、若い方々の協力を期待しています。

 駄弁ばかりで恐縮します。

 とにかく、今日の「人脈記」は、非常によくまとまっていたと思います。またまた、欲を言わせていただくと、河添先生の話をもう少し読みたいと思いました。字数の限られた連載なので、毎度のことながら無理を承知の勝手な注文ですが … 。



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源氏千年(29)朝日「人脈記」3

 「千年の源氏物語3」のタイトルは、「紫の君 素顔を見せて」です。

 なぜ今年が源氏千年紀なのか、ということの根拠が、『紫式部日記』の寛弘5年(1008)11月1日の記事であることの確認から始まります。

 もっとも、私は『源氏物語』の作者を紫式部という1人の女性に限定していません。紫式部は1つの長編物語の総監修者として関わった女性であり、その編集著作物を後に『源氏物語』と読んでいるのだと理解しています。多くの人たちの協力によって、今ある『源氏物語』はできている、という見方をしています。
 したがって、私は『源氏物語』のことを書く時には、固有名詞としての紫式部という名前は意識して使いません。「物語作者」と言ってきました。しかし、『源氏物語』に関する記事が寛弘5年という時間軸で確認できることに異論はありません。その意味では、源氏千年紀は意義のあることだと思います。

 さて、今日の朝日新聞の「人脈記」においては、角田文衛先生の発案から源氏物語千年紀委員会の立ち上げへと発展したことが跡づけられています。『源氏物語』の具体的なイメージ作りには、角田先生の功績は確かに多大だったと思います。
 昨年の4月に、角田先生のご自宅に伺いました。古代学協会が所蔵なさっている『源氏物語』の「大島本」を、2008年10月に開催する国文学研究資料館の「源氏展」に展示させていただきたいことの了承をいただくための訪問でした。
 玄関で迎えてくださった先生は、足がご不自由だったことと、少し耳が遠くなっておいででしたが、お話になることは非常に明瞭でした。私の説明も、よく理解してくださいました。先生のお話も、よくわかる内容でした。昨年は94歳でしたので、お歳からは想像できないほどのエネルギーをいただいたように思います。
 ご自宅の玄関を入ると、壁面の両側は洋書と外国語の研究誌でギッシリと埋め尽くされていました。入り口近くには、ロシア語で書かれた研究雑誌が並んでいました。私は、角田先生は日本の平安時代の研究者だと思っていたので、考古学をはじめとする世界の歴史学を専門になさっていることを知り、とにかく驚きました。応接室にあった先生のご著書も、私にとっては意外な分野のものばかりで、大きな勘違いをしていたことに気づかされました。

 今日の新聞記事にも、角田先生のご著書である『紫式部伝』の紹介がありますが、これは先生にとっては研究の一端に過ぎないのです。
 私は、学生時代に山岸徳平先生の教えを受け、陽明文庫本などの紹介をしていただきました。暗くなってからお帰りになる時、渋谷の駅までお供したこともあります。道々お話しいただいた山岸先生の碩学ぶりを目の当たりにして、驚嘆した記憶があります。角田先生にも、同じ思いを持ちました。人生の中で、このような泰斗に親しくお話を伺うことができたのは、本当に幸運に恵まれたことだと思います。

 そんな角田先生の発案による源氏千年紀が、こうして軌道に乗ってますます盛んになっていることは喜ぶべきことです。微力ながらも、応援する側の1人として、いろいろなことに関わっていきたいと思っています。

 今日の新聞記事に返りましょう。

 本日の内容は、後半にいくにしたがって、徐々に拡散していったように思えます。紫式部という1人の女性像をなぞる話題にもっていきたかったかと思われます。しかし、それが詰め切れないままに字数がオーバーしたのでは、という印象が残っています。

 すみません。勝手なものいいをしています。この記事の筆者である白石さんが想定しておられる読者が、私にはよく見えなかったということでしょうか。「人脈記」として、角田先生を受けて、竹西寛子さん、山本淳子さんとつないだ流れが、私には読み切れなかったのです。

 もっとも、最後に話を『紫式部日記』にもどし、日記作者の機知を賞賛して筆を閣く終わり方は、少し強引の気はありますが、うまいまとめ方だと感心しました。


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2008年04月23日

源氏千年(28)朝日「人脈記」2

 朝日新聞夕刊の連載記事である「千年の源氏物語2」のタイトルは「よみがえれ平安の恋歌」です。
 『源氏物語』と和歌とのつながりから、現代文学や新訳へと話は展開します。現代における『源氏物語』の受容を経て生まれる、現代人の感覚による作品の生成へと、話題が流れていきます。
 第2回の話題となり、掲載されている写真は、俵万智さん、田辺聖子さん、大塚ひかりさんです。
 昨日の2人の源氏学者とは打って変わって、著名な女性の源氏読みの登場です。
 昨日は、80代半ばの男性、今日は80と40代半ばの女性です。『源氏物語』を担う世代のバランスがうまく配された構成です。

 まずは、俵万智さん。
 冒頭で紹介されている『サラダ記念日』は、和歌とは無縁であっても、万智ちゃんの短歌を知らない人はいないくらいに、とにかく親しまれている歌人です。
 私も、高校や大学で、これを教材にしておもしろい授業を組み立てたものです。さらには、『サラダ記念日』をデータベース化しました。それをもとにして、「データベースを活用した国語教育」(『国語教師のパソコン』1989年、エデュカ)と題する拙文を発表したりもしました。

 それはさておき、万智ちゃんが魅せられたという田辺聖子の『新源氏物語』へとバトンが渡ります。そしてさらに、今秋より刊行が開始される、大塚ひかりの新訳へとつながります。田辺聖子さんが言われるように、「その時代の文章で訳せばいい。」とされる『源氏物語』は、本当に幸せな作品だと思います。
 ただし最後は、万智ちゃんに全訳への意向を尋ねます。それに対して「『源氏』って奥深いから」と言ってやんわりとかわされて終わるところが、この記事の執筆者である白石さんのまとめ方のうまさだと思います。

 1つ不満を記すならば、取り上げられた話題が少しインパクトに欠けるのでは、ということでしょうか。源氏礼賛に逆らう受容者が登場してもよかったのではないでしょうか。

 さて、明日は誰が登場するのでしょうか。
 毎日が楽しみになりました。



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2008年04月22日

銀座探訪(11)柳ではなくて桜満開

 銀座は柳だけでなくて、桜もきれいです。



080421sakura銀座の桜

 東京駅から歩いて銀座のスポーツクラブへ通う途中で、桜並木に出くわしました。銀座柳通りの一本東側の、銀座桜通りです。
 4月の下旬というのに、銀座に八重桜が咲き誇っているのです。仕事帰りの夜、一時のお花見となりました。

 お腹が空いていたこともあり、カルチェの裏にある煉瓦亭へ行きました。

Dtzuulcz_s煉瓦亭


 このお店はよく知られているので、「Yahoo!グルメ」の記事から引用します。


フライものは東京でも一、二を競う味

明治28年創業。ここのフライものは東京でも一、二を争うおいしさと絶賛されている。ポークカツレツは、2代目が考え出した人気料理。豚肉を日本式にたっぷりの油で揚げたコートレット、いわば、とんかつの元祖だ。柔らかい肉と香ばしい衣は油切れもよく、肉のうまみが存分に楽しめる。


 お目当てのハンバーグを食べたかったのですが、今日も売り切れでした。これで3回目の空振りです。しかたがないので、ポークカツレツを食べました。

Gzwwig6f_sカツレツ


 カロリー制限の生活をする私にとっては、このカツレツは禁断の食です。しかし、たまにはいいでしょう。一番心配な衣は薄く、肉は柔らかくて最高でした。

 店の雰囲気も、かつての大衆食堂のイメージが残っていて、歴史を感じます。今日は、地下で食べました。かつてのハイカラな様子が偲ばれる造りでした。

 お会計の時に、以前から気になっていたレアもののレジスターについて、旦那さんに尋ねました。東京オリンピックの時以来、ずっと現役で使っているとのことです。ちゃんと動くそうですが、こうした機械のメンテナンスは大変ではないでしょうか。
 このお店は、今年で113年目になるそうです。

 帰りに、骨董的価値をそのままに鎮座しているレジスターを、許可を得て写真に収めました。1階は3卓と調理場があるだけなので、旦那さんとは和やかに話ができました。


2lcw7o4c_sレジ



 このレジに表示されているのが、本日の私の夕食代です。
 いつもは千円を目安にしているのですが、今日は特別です。
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源氏千年(27)朝日新聞「人脈記」1

 朝日新聞の夕刊第一面に連載中の「ニッポン 人脈記」のシリーズが、今日から「千年の源氏物語」と題してスタートしました。15回の連載となるはずです。
 文章は白石明彦さん、写真は八重樫信之さんです。

 第1回目だけは、以下から読むことができます。

http://www.asahi.com/jinmyakuki/TKY200804210166.html


Qrnvs46v_s第一面



 昨冬より白石さんからお話は伺っていたので、いよいよ開始かと、ワクワクして読み始めました。

 白石さんは、非常に物腰の柔らかな方です。何度かお話をし、またメールの交換をしていますが、安心して話ができる点と、よく勉強をしておられることに好感が持てます。私とほぼ同年ということもあって、親近感も覚える方です。
 今回の記事を拝読し、優しいお人柄とお書きになる文章の歯切れのよさとの間に、少しだけですがギャップを感じました。もっとも、それは心地よいものです。文学が専門ではない、とおっしゃっていたので、それが対象から距離を置いて語れる秘訣なのでしょう。
 取材対象との適度な車間距離で始動したようです。

 今日の初回の記事は、


『源氏』とともに生きる人たちの物語をひもとく。


と結ばれています。
 テンポよく進んでいく気配なので、これからがますます楽しみになりました。

 第1回目のタイトルは「抑留を耐えた宇治十帖」です。

 秋山虔先生がトップバッターとなられることは予想していました。しかし、冒頭から6割方は藤村潔先生のシベリア抑留と軍隊での話だったので、これには意外の感を抱きました。
 お年の順なのかな、などと、余計なことも考えました。

 シリーズのスタートにあたり、いろいろと思案なさったことでしょう。察せられます。そして、この記事になったのです。白石さんは、読み物であることを重視されたようです。「人」が前面に出ています。
 そう思うと、シベリアから『源氏物語』へつなげるのは、おもしろい語り出しです。その生きざまにスポットを当て、研究者としての内実に深入りしないのは、一般の読者を想定した本シリーズとしては、着眼点がよかったと思いました。

 好き勝手なことを言わせてもらうと、秋山先生がやや固く描かれたように思えます。もちろん、限られた字数での記事なので、これは致し方のないこと、と了解しての無い物ねだりです。秋山先生の気配りが語られても、と、何かとお世話になっている立場からは、少し不満が残ります。もっとも、秋山先生はいろいろなところにお出になっているので、ここでも……、という配慮は適度になされていると思われます。

 『源氏物語』の千年紀については、ぜひとも今回の取材メモを活用して、研究者としての人間の生きざまと仕事の内容についてまとめてほしいものです。とにかく、厚い研究者を擁する研究分野ですので。

 明日から、どのように『源氏物語』というバトンを受け渡して連載をつなげていかれるのか、新聞が届けられるのが待ち遠しい気持ちでいます。
 


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2008年04月21日

井上靖卒読(36)「湖の中の川」「大洗の月」「孤猿」

 ■「湖の中の川」
 人を捜しに湖へ行ったことを、スケッチのように語っています。特に何があるわけではありません。みんな、善良な人ばかりであることが、井上らしいと思います。
 偽者というおもしろい人物設定で、淡々と物語っている小品となっています。捜している偽者に会うシーンを入れてほしかったと思います。風景の中に、人間の情が生まれるからです。
 それをしなかった井上、その一歩手前でやめた井上は、一枚の絵で終えようと思ったからではないでしょうか。【2】


初出誌:文芸
初出号数:1955年3月号

新潮文庫:姨捨
旺文社文庫:猿狐・小盤梯 他八編
井上靖小説全集11:姨捨・蘆
井上靖全集4:短篇4



 ■「大洗の月」
 滅びの予感や絶望感から月見にでかけるという、月見の動機がおもしろいと思いました。『星と祭』の問題解決の1つとなります。
 月見にでかけた地で、一幅の絵を見かけます。その名に惹かれて買いますが、作者との面談で、さらに人間の温かさを読者に伝えます。偽者かもしれない作者にも、温かい眼を注ぐのです。
 井上らしく、悪人は誰もいません。
 画家と酒を飲みながら、ようやく明るくなった月を見ます。小さな村での出来事が、1つの絵として言葉で上品に描かれています。【4】


初出誌:群像
初出号数:1953年11月号

新潮文庫:姨捨
旺文社文庫:猿狐・小盤梯 他八編
井上靖小説全集10:伊那の白梅・大洗の月
井上靖全集4:短篇4



 ■「孤猿」
 記憶から紡ぎ出される話です。
 寒月と野猿の絵にまつわる話の中の月の性格には、厳しさが込められています。
 「孤猿」ということばの有無も、おもしろいと思いました。月と猿はどう関係するのか、興味深い問題だと思います。井上はそこまでは言っていませんが……。【2】


初出誌:文藝春秋
初出号数:1956年10月号

新潮文庫:姨捨
角川文庫:孤猿
旺文社文庫:猿狐・小盤梯 他八編
井上靖小説全集19:ある落日
井上靖全集5:短篇5





※井上靖の作品に関する情報は、引き続き「文庫本限定! 井上靖作品館」(http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/)のサイトを参照させていただいています。
 詳細で膨大なデータベースを公開なさっていることに、敬意を表して引用しています。

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2008年04月20日

インドの源氏訳は何種類ある?

 『源氏物語』がインドでは何種類の言語に翻訳されているのか、まだ確定していません。
 現時点での情報を整理しておきます。

 デリー大学のウニタ・サッチダナンド先生の2004年までの調査によると、インドでは7種類の言語で『源氏物語』が翻訳されている、とのことでした。
 ウルドゥー語、オリヤー語、タミール語、テルグ語、パンジャビ語、ヒンディー語、マラヤラム語、の7種類です。
 もちろん、全訳ではありません。
 このことは、「インド日本文学会」主催の「インド国際日本文学研究集会」(2004年10月)の時に、会場となったサヒタヤ・アカデミー(ニューデリー)の所長の所にご挨拶に伺った折にも、直接お話の中で確認したことです。サヒタヤ・アカデミーが資金を提供して実施したプロジェクトの一環による成果である、との説明を受けました。
 その際、書庫に案内していただき、さまざまな書籍を拝見しました。しかし、この『源氏物語』のインド訳の本は、そこでは1冊も見ることができませんでした。翻訳事業の母体であるサヒタヤ・アカデミーの書庫でしたが、書籍がまだ十分には整理されておらず、所在が不明とのことでした。
 その後、ネルー大学のアニタ・カンナ先生から、ヒンディー語とタミール語の2種類の『源氏物語』の寄贈を受けました。ちょうど、国文学研究資料館の外来研究員としてお越しいただいたことでもあり、2冊の解題を書いてもらいました。ただし、タミール語はまったくわからない、とのことで、簡単なものでした。
 昨秋より、ネルー大学のクマール君が国費留学生として私のところに来ています。彼に確認してもらったのですが、結果は同じでした。

 ところが、もう一つ、テルグ語訳が赤坂にある国際交流基金の図書室にあったのです。 国際交流基金が新宿に移転するために、今はその本を確認できませんが、1962年に刊行された『Genji Gatha』と題するテルグ語訳の『源氏物語』が、日本に存在することは確かです。

 さらにまだ、アッサム語(ASSAMESE)訳の本もあるようです。
 1983年に刊行された『Genji Konvarar Sadhu』がそのようです。これは、インドにおける第8番目のものです。サヒタヤ・アカデミーの翻訳事業とは別のもののようです。

 ということで、インドでの『源氏物語』の翻訳は4種類の言語となりました。もっと精査をすれば、残る4種類もどこかで見つかるような気がします。

 この件について、何か情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ご連絡をいただければ幸いです。
 自分の目で確認できしだいに、また報告します。



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2008年04月19日

井上靖卒読(35)「姨捨」「胡桃林」「グウドル氏の手套」

■「姨捨」
 姨捨山の棄老伝説が背景にあるものなので、月の光をどのように扱うのか興味を持って読みました。しかし、期待しすぎたせいか、特段の描写はありませんでした。
 昭和30年の作品なので、まだ井上に月に対する明確な意識がなかったのかもしれません。
 作中に3例「月」がでてきます。


(1)背負った母を捨てる場所を求めながら歩く息子に、母が背中から語りかける言葉
 「月の光がちくちくと肌を刺すような気がする」
(新潮文庫、16頁)

(2)あそこに捨てて行ってくれと言う母を前にして
 「月光が刺すように痛く滲み込んで来る」
(17頁)


 いずれも、息子が空想する一幕です。
 もう1つは、

(3)「碑が月光に照らされているところを想像すると」(29頁)


というものです。いずれも、テーマとは深くは関わらないものとなっています。

 さて、この小説を読んで、自分の意志で社会から身を引く、今の境遇から脱出することについて、深く考えさせられました。
 母を背負いながら、捨てる場所を探して歩くという想像の場面は、母子の情が通った会話で構成しています。お互いを思いやる気持ちが溢れた、印象的な場面描写でした。【3】



初出誌:文藝春秋
初出号数:1955年1月号

新潮文庫:姨捨
集英社文庫:十字路の残照
旺文社文庫:猿狐・小盤梯 他八編
井上靖小説全集11:姨捨・蘆
井上靖全集4:短篇4




■「胡桃林」
 プライドの中を、1人で生きて行く女。老女となっても、しっかりと生きる女。
 周囲は冷ややかに見ていますが、女には筋があることが語られて行きます。
 我が子への期待が叶わぬと、次は孫へと移ります。しかし、その孫は自殺するのです。
 明るさのない話になっているのは、井上にしては珍しいと思います。
 やるせない気持ちで読み終えることとなりました。【3】


初出誌:新潮
初出号数:1954年5月号

新潮文庫:姨捨
角川文庫:満月
井上靖小説全集10:伊那の白梅・大洗の月
井上靖全集4:短篇4




■「グウドル氏の手套」
 記憶の中の人生を語るものです。
 曾祖父から手繰り寄せられた松本順とグウドル氏を、うまくつないでいます。印象的なシーンが巧みに織りなす物語となっています。
 祖母おかの婆さんが、記憶の断片の中から愛情を持って呼び出されたものです。
 ただし、読後の印象は薄いものでした。自伝的要素が強く、話が拡散しているために、まとめにくかったようです。【2】


初出誌:別冊文藝春秋
初出号数:1953年12月37号
収録状況

新潮文庫:姨捨
旺文社文庫:猿狐・小盤梯 他八編
井上靖小説全集10:伊那の白梅・大洗の月
井上靖全集4:短篇4



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2008年04月18日

『源氏物語』のお香と、初めての聞香

 日本でのお香の始まりは、仏教伝来まで遡るそうです。『日本書紀』の推古天皇3年(595)の記事が古いものでしょうか。
 『源氏物語』には、第32巻の「梅枝」に薫物のことが語られています。
 その他、『源氏物語』でお香に関することが語られている場面を、玉上琢彌編『源氏物語評釈』(角川書店)の「事項索引」から引いてみました。ただし、未整理のデータなので、入力ミスが多いことをご了解ください。


D83 香

○ 一般
源氏を迎える末摘花、着物は叔母からの貰い物だが、香は宮家のもの
蓬生3 四二七上
香は人の存在を知る手がかり
乙女4 三六七下
当時の人は香を大切にした
初音5 一七三下
玉葛の室内に匂っている香もこの場にふさわしく素晴らしいもの
蛍5 三一三上
源氏は香を得意とする
蛍5 三一三上
大弐献上の香、昔の舶来の香に怠る
梅枝6 三〇八下
空気の湿ってるとき薫物は強く臭う
梅枝6 三二三上
貴婦人方は香を合わすのに苦心する
梅枝6 三一〇上
香合わせに参加する夫人達の心理
御法9 五〇上
柏木の部屋に香がたかれていて病人特有の臭気がない
柏木8 九二上
匂宮は香るに熱心である
 早蕨11  三二〈二〉

○ 着物に香るをたきしめる
衣には自家製の香るをtきしめる
空蝉1 三三一上
柚にたきしめた香が涙にねれて強くなる
夕顔1 三五三(九)
源氏が柚を目元にちかずけると香が部屋一杯匂う
夕顔1 三五四下
匂ってくる香に藤壷、ふりむかなくても源氏とわかる
賢木2 五五一上
源氏が着物にたきしめた香の匂い
須磨3 四六(二)
匂いでの源氏の訪れを知る
須磨3 四七上
源氏は朝顔に会いに行く時香るをたきしめる
朝顔4 二七一下
大井を訪問、香るにも気を配る
薄雲4 一六九下
春の御方のたく香は梅の香るにも怠らない
初音5 一五七上
すでに焚きしめてある着物にさらに焚きしめさす
真木6 二二五上
大将、着物を着た後、更に自ら小さな香炉を手に柚の中をたきしめる
真木6 二二七上
大工の君、北の方のかわりに大将の着物に香をたく
真木6 二三四下
源氏の香るの匂い
わかな上7 一一一上・一一八下
柚口に香をたきしめる
わかな下7 三四五上
女房の裳にたきしめた香る
横笛8 一八三下
落葉宮の衣の香
夕顔1 三一三下
花もはずかしく思う程の匂い宮の香る
梅枝6 二七五上
宇治への手引をする薫、匂宮の匂いに気を使う
総角10 三八二下
匂宮、えもいえぬ匂いと共に現れる
総角10 四一六上
死んだ姫宮の髪に、いつもの香が
総角10 五一一上

○ 追い風
光源氏の追い風に女方は気を使う
若紫2 五四上
明石御方の入り口の戸を開けると、香のにおいが風に乗ってくる
初音5 一七三下
秋好中宮の芳香が風に乗って匂ってくる
野分5 四六五下
春風が梅の香るを運び婦人方夕霧などの一緒になる
わかな下7 三四五下

○ 体臭
薫の体臭の香りの高さ
匂宮9 二二五・二二六上・二二八上
薫は幼児の時、体臭を持ってない
匂い宮9 二二六上
薫の体臭が彼の行動を束縛するので品行方正にならざるをえない
匂宮9 二二七上・宿木11 二七二上
薫り高き木草も薫るがさらわればさらによい香りになるという
匂宮9 二二七下
姫君訪問の際の薫の芳香り
橋姫10 一〇一下
薫の[この世のほかのにほひにや]と思われるかおり
橋姫10 一〇三上
薫、いつもは体臭だけだが、今日は念入りに焚き染める
宿木11 一七三上
薫の匂いを田舎人はききわけられない
宿木11 二九八上
薫の香りはすばらしいと浮舟母
東屋11 三四七下
薫の香りを姫は言わず女房がさわぐ
東屋11 三七五下
湿気で強くなった香りに、弁は薫ときずく
東屋11 四四八上
薫の香り[やみはあやなし]
浮舟12 一〇一上
匂い宮、薫の体臭に似せた香りをつける
浮舟12 一〇六下

○ 扇の香り
扇に香りをたきしめたため色ずいている
夕顔1 三四六3
扇にたきしめた香り
夕顔1 三五五上

○ 手紙に香りをたきしめる
大夫監、玉喝へのラブレターによい香りをたきしめる
玉葛5 四二上
玉葛へのラブレター
胡蝶5 二五〇下・蛍5 三一六上
薫から浮雲への手紙にたきしめられた香
  浮夢12  五八〇上

○ 匂いのちがい
薫の天然の体臭と、人工の極致の匂い宮の香り
匂い宮9 二三九上
浮舟は薫と匂い宮の匂いの違いを知らない
東屋11 三八八下
薫と匂い宮の香りは自ずから匂いがちがうはず
浮舟12 五九上・手習12 五一九下

○ 移り香り
父宮、源氏の移り香りと知らず姫の香りをほめる
若紫2 一三五下
源氏の衣の香りがたとう紙に移る
澪標3 三二八下
男の形見の衣の移り香り
明石3 二四三下
琴に落ち葉宮の移り香
横笛8 一八五下
匂宮の移り香りが若君にしみる
紅梅9 二八〇上
姉宮に移る香りに琴を察する中の宮
総角10 三四二下
上■の移り香
橋姫10 一二二上
中の宮、匂宮の移り香を楽しむ 総角10 425上
薫の移り香が中の宮の衣についていたのを匂宮不審に思う 宿木11 189上
匂宮のにおいが浮舟にまだ匂う 東屋11 431下

○ そらだきもの
僧都の僧房にそらだきものが漂う 若紫2 52(8)
そらだきものがけむたく香る右大臣邸 花宴2 357(4)
玉葛の部屋に匂う 蛍5 295(7)
女三宮方の女房、富士の煙よりもひどく空薫物をたく 鈴虫8 230上
 いろいろの香 梅枝6 313上
えびの香 末摘2 198(3)・199上・初音5 174下
荷葉、花散里 梅枝6 331上
からのたき物 行幸6 101(2)・102上
薫衣香 絵合4 20(5)・鈴虫8 225上
黒方 賢木2 593下・梅枝6 327上
侍従 初音5 174上・梅枝6 329上
浅香 絵合4 50(9)・わかな上7 84(3)・わかな下7 312(2)
梅花・紫上 梅枝6 329上
百歩香 絵合4 20(6)・匂宮9 225(3)・橋姫10 81下
丁子香 鈴虫8 236上
沈香 絵合4 47(6)・わかな下7 312(2)
名香 賢木2 593(3)・下、鈴虫8 224(2)
牛頭旃檀の香 中の宮の女房、薫をいう 東屋11 375上
 香の製法 梅枝6 308上・310(5)・314下・326上

○ 香壷 
賜り物には普通一箱に四壷入れる 蓬生3 411上
合わせた香物は香壷に入れる 梅枝6 314 上
香壷の箱は厨子の置き物の一つ 梅枝6 314下



 折を見て、これらの内容を確認をしたいと思っていますが、なかなか叶いません。

 さて、京都の松栄堂で聞香の会があったので、初めての体験をしてきました。
 人気のあるイベントのようで、第二希望の日で予約が取れました。
 場所は、松栄堂の京都本店にある香席「弄清」でした。ここは、銀閣寺の弄清亭を写して作られたものです。
 2階にある香席は、10畳の部屋に赤い毛氈が敷いてあります。


Uigltarr_s香席



 奥に座る方は、少しは自信があるからでしょうか。開始を待つ間の落ち着いた様子でわかりました。
 その日の亭主は、書籍や雑誌などでよく見かける畑正高社長でした。

 事前に配られた紙には、こう書かれていました。




 香 道
  ―香で表現された世界を鑑賞する―

香道は一定の作法のもとに香木を炷き、たちのぼる香気の異同によって
古典的な詩歌や故事・情景を鑑賞する、文学性・精神性の高い芸道です。
茶道と華道と共に日本三芸道と呼ばれ、それぞれに深く影響しあっています。
香道では香りを「かぐ」といわず「聞く」と表現します。
現代の香道は、和歌や物語文学の世界を主題にした〈組香〉が主流です。
そこでは、いくつかの香木が炷かれ、香りを聞き分けあいますが
優劣を競うものでなく、あくまで、香りで表現された主題を鑑賞し、
その世界に遊ぶのが目的です。
他の香りや風をきらうなど独特のことわりのもと、
雅な雰囲気のうちにすすめられます。




 まずは、聞香について、畑社長の丁寧な説明がありました。
 これも、あらかじめ配られた紙には、こう書かれていました。




 志野流香席組香解説書

 ○宇治山香(内十組)

香五種
 我庵は として二包 有試
 都のたつみ として 右同断
 しかそすむ として 右同断
 世を宇治山と として 右同断
 人はいふなり として 右同断

出香は、五包を打ち交ぜ
内一包を取り出し、香りを聞きます

我庵は都のたつみしかそすむ
   世を宇治山と人はいふなり
       (古今集 喜撰法師)

と き 平成二十年四月十二日
ところ 香老舗 松栄堂 弄清席




 要は、喜撰法師の歌を利用した遊びです。
 この「宇治山香」は、季節感なく5種類が楽しめるものなので、よく行われるそうです。

 参加者一人一人の前に、硯と墨と筆が入った硯箱が回されました。
 そして、回って来た記紙をその箱の中に置きます。

 2人の方が入って来られました。
 1人は記録係の男性でした。もう1人の女性は、お香を出す役です。
 「ごあんざ」と言う張りつめた声で始まりました。
 この言葉を、皆が隣の人に順次伝えて行きます。茶道のように、前の人に挨拶はしません。
 5種類の香が、次々と回って来ます。
 湯飲茶碗のような形をした聞香炉の灰の中には、香炭団が埋められています。山形の灰の上に、雲母の板である銀葉が乗っています。その上に、小さく割られた香木が乗っています。その聞香炉を水平に持ち、手のひらで覆って香りを聞きます。

 松栄堂のパンフレットから、聞香の様子を引きます。


Mvkrrnil_sパンフから



 最後に、「出香」と言って出される香が、それまでに出された何番目のものと同じかを当てるのです。
 1つ目が来ると、次の方へは「我庵は」と言って2人の間に置きます。
 2つ目が来ると、次の方へは「都のたつみ」と言って間に置きます。
 そして、最後の5つ目が来ると、次の方へは「人はいふなり」と言って間に置きます。

 5つが回り出すと、「しゅっこう」と言って、問題となる香が回されます。これが、それまでの5つの内のどれと同じ香りかを当てるのです。

 シッカリと香りを嗅ぐと、手元の硯箱の墨を擦り、最初に配られた和紙に名前を書きます。この記紙は、4つに折られていて、上が少し折り曲げてあります。
 名前の書き方にも作法があり、男性は漢字で、女性はひらがなで書きます。ただし、濁点と「子」は省きます。
 つまり、「順子」さんの場合は「しゅん」、「太郎」さんの場合は「太郎」となります。
 答えの書き方にも作法があります。4つに折られた記紙を開き、右から三列目に答えを書くのです。

 この日の参加者は16名でした。
 みなさん、首を傾げながら思案しておられました。
 私は、最初か最後の香りが答えだと思いました。そして、最初の香りはみんなが忘れているのはずなので、初心者相手の香席ということから、最後である5番目の「人はいふなり」と筆で書きました。

 やがて正解が披露され、私の答えが正しかったことがわかりました。
 正解者は、16人中3人でした。初心者では私だけでした。
 記録は、上座の方が貰えるとのことでした。上には経験豊富な方がおいででした。その記録は、次のようなものでした。


Bwak8kal_s聞香記録



 もう1組のグループがありましたが、そこからは正解者は出ませんでした。

 その後、社長からいろいろな話が聞けました。
 私たちは午後の席でしたが、午前中の席の答えも、五番目の「人はいふなり」だったとか。社長は、2度も同じ答えになることに迷いが生じたが、あれこれと考えずに、とにかく最初に感じたもので答えた、とおっしゃっていました。
 これは、レベルの高い遊びです。日本ならではのものなので、何とかして多くの方に体験していただきたいと思いました。
 ヨーロッパで、香水を用いたこうした遊びがあるのでしょうか。
 気をつけてみたいと思います。

 とにかく、楽しい聞香の会でした。 




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2008年04月17日

「ねんきん特別便」の結末

 何度か足を運んだ年金センターで、ようやく相談にのってもらえました。とにかく、いつも一時間以上の待ちだったので、この次にしようと諦めて帰っていたのです。

 さて、窓口で最初は身構えていたのですが、どうも話が違うのです。
 私は、大阪府立の高校教員時代の記録が消えていることに憤慨していたのですが、どうやらそのことではないようなのです。

 まず、消えていた14年分の共済年金については、それが平成9年以前のものなので、社会保険庁に引き継がれていないとのこと。これは、すでに聞いていたことです。そしてそれは、近い将来に私が年金の手続きをする時に、しっかりと加算されるのだそうです。
 社会保険庁の職員の方のことばなので、ほとんど信用できません。しかし、今はそう言われるのですから、これ以上詰め寄ることもできません。また9年後に、私が停年になってから、大きな問題となることでしょう。そのためにも、こうしてブログという媒体で記録を残しているのです。

 さて、今回私の年金で問題となっているのは、高校を卒業してすぐに新聞配達をしており、その期間が途切れていたために、確認すべき1人となったようだ、ということが、少しずつわかりかけてきました。

 高校を卒業してすぐに、私は東京に出て朝日新聞の奨学生となり、新聞配達をしていました。もっとも、仕事をしてすぐに十二指腸が破れたのです。十二指腸潰瘍穿孔性腹膜炎、というのが病名でした。
 朝刊の配達を終え、食事をしてから自分の3畳の部屋に戻った時でした。すぐに突然腹痛が起こり、間もなく意識がなくなりました。幸い、お店の人の迅速な対応により、緊急大手術となり、胃腸を切除して一命を取り留めました。
 3月1日から始めた仕事でしたが、5月に病院を退院するとともに大阪の自宅に戻り、10月まで自宅療養をしていました。体力と傷が回復した10月に再度上京して配達の仕事を続けました。ところが不運は続くもので、1年半後のお正月に、住み込みで働いていたその新聞販売店が火事になったのです。大阪から持ち込んでいたすべてを無くして、焼け出されました。ちょうど、私の成人式の数日前でした。しばらくして、新聞配達の仕事を辞めることとなりました。

 そんな中で、朝日新聞社は年金の手続きをして、私の給料から払っていてくれたようです。その記録が、今回姿を現した年金記録の中にあったようです。私の名前と生年月日によって、関連資料として本当に偶然、発掘されることになったのです。
 あんなにいいかげんな社会保険庁なのに、勤めていた会社がしっかりしていたこともあり、学生時代の一時期の年金記録がどこかから出て来たのです。そして、それが私と結びつく可能性がある、ということで、今回の「年金特別便」として連絡があった、ということなのです。

 つまり、私も知らなかった年金記録が、偶然にも今回の騒動の中で転がり出て来た、ということなのです。

 これによって、私の年金記録に21ヶ月分が追加されることになりました。社会保険庁のでたらめな仕事のおかげで、こんな記録が出て来て、それが私のものとして認められたのです。嘘のような話です。
 まだ宙に浮いたままの方々も、一日も早く問題が解決することを祈ります。とにかく、相談センターに足を運ぶことに尽きるようです。そして、対応してくれた方が、物わかりのいい人であることを祈るだけです。

 私の場合は、これで無事に終わったかのように見えます。しかし、これは今、記録が結びついただけであって、実際に年金の支給を受ける時になると、またでたらめなことがたくさん見つかることでしょう。立ちふさがるであろう大きな問題の前に、ささやかな地ならしとしての突貫工事がなされた、という理解をしています。

 日本の福祉行政は、本当にお粗末であることを知りました。
 情けない思いの中で、先行きの不安を確信に近いものにするような今回の一連の出来事だった、と思うようになりました。



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2008年04月16日

心身(13)エスカレーターでの不覚

 今朝の通勤途中のことです。
 京葉線で東京駅の地下に着き、そこからエスカレーター5台、ムービングウォーク3台を使って、中央線のホームまで大移動します。
 テレビゲームの感覚で、次から次へと乗り継ぎながら移動していくのですが、最終の中央線への長距離エスカレーターの中程で、不覚にも転倒してしまいました。

 とにかく長いエスカレーターなので、ほとんどの人が階段を駆け上がるようにして登っていきます。いつものように、私も左に立っている人を追い越すようにして、右側を歩いて登っていた時のことです。何がどうなったのか、右足がステップに引っかかり、前のめりに転びました。
 とっさのことだったので、右手をエスカレーターのステップに突いた時に、激痛が走りました。周りの人が少し声を上げたようなので、何事もなかったかのように体勢を整えて、また登り始めました。

 ホームでしばらく様子をみていました。感覚の麻痺した右手をさすりながら、少しずつ動かしてみました。しばらくはジッと我慢の状態でした。
 その後の立川までの50分間は、痺れと痛みに耐えながら、自分の不覚を情けなく思いながら、シートに身を預けていました。

 右足が上がりきらなかったのが原因です。
 昨夜は、いつものように銀座で泳ぎ、今朝も体調は普通でした。
 歳のせいだと言ってしまえばそれまでです。それにしても、運動をつづけているだけに、残念無念の気持ちでいっぱいでした。敏捷性には自信があったからです。毎月の体力測定も、だいたい18歳のレベルを維持しています。
 それなのに……

 帰りにも同じエスカレーターに乗りましたが、今度は慎重に乗りました。下りなので、前のめりになりすぎないことに気をつけながら。それでも、自然と歩いてしまいます。ジッとしているのが、かえって怖いのです。歩くことで、少しでも早く平らなところに降りたいのです。

 転倒したのは、エスカレーターを歩くからだ、と言われそうです。これには、持論があります。
 エスカレーターには、2つの機能があります。
 1つは、移動を迅速にすること。
 2つ目は、移動を楽にすること。
 共に階段を動かすことにより、有効な効果を得ようとするものです。
 そして、基本的な使い方は、階段を登ることがその原点にあるはずです。つまり、エスカレーターは歩くことによる利用がその第一義にあると思います。エスカレーターなどが開発されだした頃には、弱者に対応する発想は二の次だったでしょう。体が不自由な方への配慮は、付加価値として生じたものだと思われます。

 これは、ムービングウォークも同じことでしょう。楽をするためではなくて、早く先に行くことが、その発想の原点にあるはずです。

 最近は、エスカレーターの上を歩かないように、という注意書きが目につきます。特に、関東地方が多いようです。
 あれはおかしいと思います。利用者が、二者択一をすればいいことです。特に、エスカレーターの故障の原因となるから歩くな、というのは変です。人身事故を発生させる可能性があるので、エスカレーター上を歩くのは注意してほしい、ということならわからなくもありませんが……。
 ついでに、エスカレーターの中央に乗り手すりをシッカリ持つように、という指示のアナウンスをしているのも、変だと思います。

 そんなことを、これまでは考えていました。
 しかし、今日、自分がエスカレーターの上で転倒してから、少し考えが変わりました。特に、長いエスカレーターだっただけに、もし転び方がおかしかったら、それこそ深い地底に転がり落ちるところだったのです。

 確かに、歩くことに注意を喚起するのは必要かもしれません。しかし、人は自分が痛い目にあわないと、人からの忠言は耳に届きません。
 これまで、あまり気にしていなかったのですが、京都の自宅近くの地下鉄の登りエスカレーターは、中程に水平部分があります。あれは、いろいろな意味があるように思えるようになりました。
 それは、高さ(深さ)に対する恐怖心を和らげる、そして、転落時の被害を最小限にする、歩く人に気分転換をさせる、などなど。

 深いところから地上にでる時など、見上げるほどに長いエスカレーターでは、ジッと立っていることに苦痛というよりも間抜けな気持ちになります。
 まったく車が来る気配もなく、誰も来そうにないところにある赤信号で、それもほんの短い横断歩道などで足止めさせられている時の、あの生真面目に信号を守っている時の気分に近いように思います。

 ジッとしていることに耐えられなくなって、ついみんなは歩き出すのです。考えてみると、おもしろいことです。
 今日の経験からの提案です。

(1)エスカレーターに立つのは、大阪式に右側に統一しましょう。
  この方が歩きやすいと思います。
  世界的に見ても、左側に立つ東京は少数派です。
(2)エスカレーターの幅を、もう少し広くしましょう。
  足下に置いた荷物が登る人の邪魔にならないように。
  電車の座席のように中途半端な幅です。
(3)中程に水平部分を設けましょう。
  心理的圧迫の軽減と事故防止のために。
(4)体が不自由だったり、体調が悪い人のための配慮。
  手すりとステップに、左右で工夫を凝らす。
  電車でシートに工夫があるように。
  シートの両端の席は、肩が入るだけの窪みがあるように。

 なお、下りのエスカレーターで、子供をベビーカーに乗せたまま、それも共に前向きで乗っているお母さん方によく出会います。お母さんの前で、ベビーカーの後輪だけをステップに乗せ、前輪は浮いたままの姿勢です。あれは、急ブレーキなどがかかると、子供がまず真っ逆さまに落ちていきます。
 ベビーカーに子供を乗せたままでの利用は、まずエレベーターをつかうべきですが、どうしてもという時には、下りでは後ろ向きで乗るように注意すべきでしょう。


 自分が転倒したことで、エスカレーターが違ったものに見えてきだしました。
 これで明日から、また楽しくなりました。




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2008年04月15日

源氏千年(26)源氏物語と和菓子展

 関西で和菓子のお店といえば、それこそいくつでも言えます。過日の『源氏物語』のお菓子をテーマにした記事も、京ならではのことです。

「源氏千年(20)京菓子饗宴」
http://blog.kansai.com/genjiito/234

 そして関東で和菓子といえば、まずは虎屋でしょう。
 私は、学生時代にお金がなかったことでもあり、舟和の「芋ようかん」を渋谷の東横のれん街でよく買いました。今でも、ときたま懐かしくて、渋谷駅や東京駅で買います。
 そこへいくと、虎屋は高級すぎて、私にとっては人様へのお土産として買うものとなっています。自分が食べたことは、恥ずかしながら一度もないように思います。

 その虎屋が、『源氏物語』に関する展覧会を開催します。

Bpm9bcsa_s案内状



 数年前にもありました。
 その時のパンフレットがあるのですが、職場の移転後の荷物の整理がまだなので、うまく探し出せませんでした。

 東京での「和菓子で描く『源氏物語』」は、どんな展覧会になるでしょうか。
 今年の秋には、国文学研究資料館の〈源氏物語展〉を開催するので、そのイメージ作りのためにも、今から虎屋の源氏展が楽しみです。



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2008年04月14日

京洛逍遥(35)鴨川茶店

 賀茂川の水が温むころとなり、鴨も散策道まで上がってくるようになりました。


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 拙宅の対岸の半木の道では、「第34回鴨川茶店」が催されました。


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 これは、賀茂川の美化活動をアピールし、環境保全を考えてもらおうということで毎年開かれているものだそうです。


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 「鴨川を美しくする会」の方は、会場の運営等で大忙しです。頭が下がります。


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 4月から「鴨川条例」が施行されたこともあり、満開のベニシダレザクラの道はキャンペーン会場へと変身していました。そんな中でも、「源氏物語千年紀委員会」のテントは、どうしても気になります。


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 いろいろなグッズが並んでいました。
 私は、キティちゃんのキーホルダーと、紫式部が描かれたタオルとバスタオルを買いました。


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 乙訓のタケノコで「薫筍(かおりたかうな)」というものもありました。


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 紫芋の焼酎もあります。


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 源氏絵もあります。



Ttjdqtiq_s源氏絵



 枝垂れ桜の下で、女の子が写生をしていました。


Gcrs4xfy_s写生



 そのそばでは、男の子がお茶のお手前を披露しています。


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 ホッコリするひと時でした。
 みなさん、いい時間を共有しておられました。


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2008年04月13日

京洛逍遥(34)植物園の「光源氏」

 京都府立植物園へ、ツバキ「光源氏」を見に行きました。
 江戸時代からの品種だそうです。


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 この植物園には、源氏物語にゆかりのある植物が、末摘花(ベニバナ)、藤袴、藤、桐、朝顔など86種類もあるそうです。
千年紀に合わせて作成された小冊子「府立植物園でみる 源氏物語の植物」をもらおうと思ったのですが、受付ではもらえませんでした。
 毎週土曜日のミニミニガイドと、月1回の園長さんときまぐれ散歩の参加者にプレゼントしているそうです。何とかしてもらう方法を考えます。

 なお、植物園のウエブサイトでは、園長によるツバキ「光源氏」のビデオ解説が見られます。

http://hightube.jp/botanical-garden/477


 ムラサキシキブはまだ早いそうですが、写真に収めておきました。


Ordmspcf_sムラサキシキブ



 園内の植物園会館では、「京都盆栽展」が開催されていました。その中で、馬場氏出品の「加茂川貴船石 銘 紫式部」という盆栽の石が目に留まりました。じっと見ていると、石が紫式部に見えて来る、なかなかいい石です。


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 ゲンペイシダレモモというものもありました。
 一本の枝に、白と桃色の花が咲いていました。紅白で源平だということでした。


Kggswqxr_sゲンペイシダレモモ



 園内には、結婚式を挙げたばかりの二人がいました。
 つい、シャツターを切ってしまいました。


Lzhwsknb_s新婚さん




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2008年04月12日

京洛逍遥(33)堀川の復活整備

 現在の堀川は、ほとんどが暗渠で、地表に水は流れていません。堀川通の地下を流れていると言えばいいでしょうか。
 平安時代には、貴族の庭園に水を引いていたようですが、今はその面影はまったくありません。西陣のそばを通っているので、かつては友禅染に堀川の水を利用したかと思われます。
 その消滅は、第二次世界大戦後の下水道の整備にあるようです。

 そんな堀川が、今また姿を変えようとしています。
 『ウィキペディア(Wikipedia)』から引きます。

堀川水辺環境整備構想
堀川の今出川通から二条城までの開渠部に水流を復活させ、親水公園として整備する計画が京都市によって進められている。計画では琵琶湖疏水分線から賀茂川をサイフォンでくぐり、紫明通、堀川通の地下に導水路を設けて水を引く。二条城から下流では二条城の外掘を経て西高瀬川に放水する。2002年度から事業が始まり、2010年度に完了する予定である。

 この堀川の現状は、こうなっています。
 途中経過の報告として、2008年4月現在の写真を掲載します。


Uuxkw0rl_s二条からの堀川




Dif0onov_s一条から




Stqtfiu4_s堀川の上流





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2008年04月11日

JR中央線ストップ

 JRの国分寺駅で変電所の火災があり、中央線が全線ストップとなりました。
 私も、このトラブルの被害にあいました。

 今日は、午前中は六本木の国際交流基金へ行く用事があったために、いつものようにJRを使った出勤ではなくて、地下鉄で溜池山王まで行きました。
 厳重な身分チェックを受けて20階へ上がったところ、行き先の図書室が何と閉室なのです。昨日来、ホームページで確認したはずなのに、これには気づきませんでした。
 今日は、インドで『源氏物語』の翻訳をした本を、直接調査する予定でした。

 せっかく来たので、一つ上の階の「日本研究・知的交流部」の方に今後の協力をお願いする意味もあって、面会を求めました。以前、その方の前任者がシリアへ出向なさり、後任の挨拶を受けていたので、それ以来のコンタクトです。
 お願いに快く応じてくださり、またインドの本の調査にも協力してもらえることになりました。人とのお付き合いは大切にしておくことを、今回も痛感し、感謝しています。

 国際交流基金が今月末に、赤坂から新宿に移転するのだということを聞きました。すでに発表になったばかりとのことで、基金が慌ただしい事情が了解されました。
 私の職場も、今月から立川でオープンしたばかりなので、引っ越しの苦労が思いやられます。そんな中を、突然のお願いにもかかわらず、わがままなことを快諾していただいたのです。ものごとには、いろろいな事情がありますので、今後のその結果はともかく、話を聞いてくださっただけで有り難く感謝しています。
 移転に伴い、本の搬出が大変な折に、本当に恐縮します。もう少し早く足を運んでいれば、と思いましたが、それでもこうして話を聞いてくださる仲間がいるだけで、救われる思いがします。

 地下鉄の六本木一丁目から四ツ谷に出て、JRに乗り換えようとしたところ、今朝からの火災のトラブルがまだ続いていたのです。
 今日は立川の職場で、総合研究大学院大学の新入生のオリエンテーションがあります。職場である国文学研究資料館は、博士後期課程だけの大学院大学を持っています。文学博士を育てることも、仕事の一つになっているのです。私に関わることもあったので、どうしても出席しなければなりません。
 事務の方に電話で確認すると、午後1時半からの予定を3時からに変更した、とのことです。ちょうど12時だったので、駅員に立川へ行く方法を聞いて、とにかく向うことにしました。

 JRの総武線で四ツ谷から新宿へ行き、新宿から京王線で高幡不動へ出ます。初めての経路です。そこからモノレールに乗り、高松駅まで行くことになりました。何やかやで2時間以上かかりました。
 何とかオリエンテーションに間に合い、学生との打ち合わせをして、雨の中を帰路につきました。
 ところが、6時ころでもまだ電車は混乱していました。
 JR中央線は4割の運転だというので、とにかく走っているならば時間はともかく、1本で行こうと思ったのが間違いのもとでした。各駅で長時間の発車待ちです。前に電車がつかえているからです。
 痺れを切らして、阿佐谷で総武線に乗り換えました。それでも大変なので、お茶の水でまた中央線に乗り換えたのですが、これが大失敗でした。
 とにかく何とか東京駅についたのですが、実に3時間の長旅でした。
 非日常の事態に下す判断は、年とともにガックリすることが多くなったように思います。今日も、その最悪のパターンでした。臨機応変に的確な判断で行動することは、現代社会では生きる知恵に値します。その運用能力を、これからの人は身に付ける必要が大いにあります。

 金、土、日と関西で仕事があるために、東京駅からすぐに新幹線に乗りました。そしてそれから3時間を、またまた車中で過ごすこととなりました。

 いやー、疲れました。無事に用件はこなせたので、これでよしとします。
 疲れだけは、時間が解決してくれるのですから。


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2008年04月10日

源氏のゆかり(4)説明板16-大極殿跡

 京都市が『源氏物語』のゆかりの地に説明板を設置した、というニュースが報じられました。3月末までに、40カ所を予定していたものですが、すべて無事に終わったのでしょうか。

 説明板の設置が予定されているところは、次のサイトにまとめられています。参考までに紹介します。

http://www.gyoutai.com/kyoto/genji/sign.html

 その確認の意味も込めて、折を見て回ってみたいと思います。

 二条城を自転車で通りかかった時、うろ覚えの新聞記事を思い出し、最初に設置された説明板の場所に立ち寄ってみることにしました。

 近くに地下鉄の駅があったので教えてもらおうと思い、昔の内裏があった所に建てられた第1号の説明板の場所を駅員さんに尋ねました。すると、そのようなニュースは知らないとのことでした。駅長さんも同じ答えです。
 二条城の側だった、という記憶が揺らいだために、あきらめて帰ろうとした時、御所はもっと東の賀茂川寄りにあって、ここは昔から二条城があった、とおっしゃるのです。
 いや、昔はこの二条城のあたりに御所があったのですよ、と言っても、ここは昔から二条城があった所で、御所はずっと東に昔からある、と駅員さんは譲られないのです。
 そのような不毛なやりとりは時間がもったいないので、適当に話を打ち切って地上に出ました。

 賀茂川沿いにある現在の御所は、鎌倉時代の末期、光厳天皇以来のものです。けっして、あれが平安時代の内裏ではないのです。
 この説明は、京都の人にもわかってもらいにくいようです。たまたま、知らない駅員さんに出会った、ということにしておきましょう。
 また、現在の二条城は、徳川家康が慶長六年(1601)に西日本の諸大名に作らせたものです。これを昔といえばそうですが、御所との関係では、新しい城ということになりますね。

 それはともかく、説明板の第1号である「大蔵省跡大宿直跡」(上京区中立売通裏門西入ル・正親小学校)の名前と場所を思い出せないままの帰り道、ふと見ると「大極殿跡」があるのに気づきました。
 ここは、何度も来ていたので、景色で思い出したのです。


Huk3oxtd_sバス停



 小さな公園の中に入ると、何と説明板があるではないですか。目指す第1号ではなかったのですが、これ幸いと写真に撮りました。


_c2tslsg_s説明板



 前掲リストによると、「大極殿跡 上京区千本通丸太町上ル 天皇の玉座がある平安宮の正殿。物語では朱雀帝が斎宮の額に別れの御櫛を挿す」とある場所なのです。


1h0ruprb_s説明文



 説明文の下に、国宝の源氏絵が添えてありました。しかし、その注に「京都市立芸術大学芸術資料館所蔵」とあるのです。


1pt86eyj_s源氏絵



 なぜ、現在の所蔵者である「徳川美術館」ではないのか、疑問に思いました。権利関係のことから、このような模写で掲示したのだろうか、などなど、余計なことを考えてしまいました。後日わかったら報告します。

 帰り際に、舗道の縁石に昔の建物跡の所在を示す指標が取り付けてあるのに気づきました。

Zn_ehbsh_s舗道の埋め込み



 知らないと見過ごしてしまいます。ひっそりと、埋め込まれていますので、注意しないとわかりません。私は、三つ見つけました。周りを歩くと、もっとあるのでしょうか。

 最初に紹介したサイトのリストを今あらためて見ると、「内裏内郭回廊跡 上京区下立売通千本東入ル 内裏を囲む内側の回廊」というのがあります。どうやら、この埋め込みに関する説明板が、この近くにあるようです。
 またの機会に探してみます。




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2008年04月09日

源氏千年(25)源氏物語を歩く

 4月より、「京都 宇治 大津 源氏物語を歩く」という冊子が、京都市内の観光案内所などで配布されています。


Gltbhg89_s冊子の表紙



 作製したのは源氏物語千年紀委員会です。文学散歩をする時に、これは大いに役立ちます。無料なので、京都駅に降り立ったら、すぐにもらったらいいと思います。
 10万部作成したとのことなので、しばらくは大丈夫でしょう。
 A4判で16ページです。

 『源氏物語』のゆかりの地を散策するのに、お勧めのコースが10種類紹介されています。

(1)愛した女性を追慕
   (京都駅〜清水寺)
(2)式部と「源氏」解け合う道
   (大徳寺〜二条駅)
(3)うたかたの人生、終焉の舞台
   (御室仁和寺〜嵐山)
(4)面影にたつ恋の通い道
   (大原)
(5)冷泉帝の大原野行幸をしのぶ
   (大原野)
(6)都を離れ安息の土地へ
   (醍醐〜宇治)
(7)別業の道、宇治十帖
   (宇治)
(8)人妻・空蝉とのせつない再会の途
   (逢坂の関〜三井寺)
(9)「源氏物語」の生誕の地へ
   (山科〜石山寺)
(10)葵祭の舞台を巡る
   (京都御所〜上賀茂神社)

 1コースは、だいたい2時間から3時間半で組まれていますので、京都の半日をこれで楽しんではいかがでしょうか。

 見所の簡単な説明と、わかりやすい地図があるので、これ1冊で一人歩きもできます。

 最後のコースは、拙宅のそばを通るものでした。

Pzccne0j_sコース10


昨日紹介した、半木の道も、このコースに入っています。

 京都の自然を満喫してください。



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2008年04月08日

京洛逍遥(32)賀茂川の桜

 拙宅に近い半木の桜並木のピンク色は、今が満開のシルシです。北山を臨む風景は、春夏秋冬それぞれに趣がありますが、やはり春の桜が一番華やかです。


Mxkjfqxa_s北山を臨む



 天気がよかったせいか、喫茶店のお姉さんがコーヒーを売りに来ています。近くに自動販売機などがなかなか見つからないので、これは機転の利いた売り込みです。たくさんの方が、対岸の枝垂れ桜を見ながら、コーヒーを口にしてホッとされたことでしょう。私は、缶ビールを飲んでいましたが……。


M3gj7vrh_sコーヒー売り



 対岸の半木の小道を散策しました。京都屈指の桜の名所だけに、本当に鮮やかです。

J3ilsxwh_s半木の道



 枝垂れ桜のトンネルは、ひと時の花道です。

Qcxz96hd_sトンネル



 花の下の子供は、にわか仕立てのモデルというよりも、みごとな背景をバックに佇むアイドルタレントの気分ではないでしょうか。


Ddxqrxsk_s花の下



 賀茂川と高野川の合流地点から、北山を臨みました。

Obodmoo9_s合流地点



 おだやかな賀茂川での1日です。



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2008年04月07日

源氏千年(24)月で読み解けるか

 細見美術館のイベントである「第26回アートキューブレクチャー」は、志村ふくみ氏(人間国宝・染織作家)と志村洋子氏(染織作家)が語り合う、という趣向の講義形式の催し物でした。タイトルは「月で読み解く『源氏物語』」です。

 会場である京都市勧業館(みやこめっせ)の入り口(西側広場)には、『源氏物語』の主人公の石像がありました。

5narwa7d_s石像


 この石像について、「みやこめっせ」のホームページでは、おおよそ次のように説明していました。
 京都府石材業協同組合石青会が京都市に寄贈したもので、第12巻「須磨」における、光源氏と紫の上とが和歌を交わして別れを惜しんだ場面を題材としている、と。

 石碑には頭に、



源氏物語が世に出て一千年
源氏ゆかりの地「京都」へ



と記してあり、その下に次の二首が刻まれています。


身はかくてさすらへぬとも君があたり去らぬ鏡の影は離れじ(源氏の君)


別れても影だにとまるものならば鏡を見てもなぐさめてまし(紫の上)



この石碑について、同ホームページの文章を引きます。


世界平和への願いと「あなた一人ではなくいつもあなたの事を考え見てくれている人が傍にいますよ」というメッセージが込められています。
見る角度や天候により、変化する表情も楽しんでいただけます。



 この説明による限りでは、世界平和と『源氏物語』における二人の惜別の情とがどう結びつくのか、私にはよくわかりません。

 少し詳しくなりますが、この和歌の前後の文章をあげます。


女君、涙ひと目浮けて見おこせたまへる、いと忍びがたし。
  身はかくてさすらへぬとも君があたり
    去らぬ鏡の影は離れじ
  (わたし自身はこうして遠くへ流浪していこうとも、
   心はあなたのそばを離れない鏡みたいに、
   あなたからかけ離れはしないでしょう)
と聞こえたまへば、
  別れても影だにとまるものならば
    鏡を見てもなぐさめてまし
  (お別れしましても、
   せめてあなたの影だけでも鏡にとどまるものなら、
   それをみて心を慰めることもできましょうけれど)
柱隠れにゐ隠れて、涙をまぎらはしたまへるさま、なほここら見るなかにたぐひなかりけり、とおぼし知らるる人の御ありさまなり。
(『新編日本古典文学全集』(小学館)一七三頁)


 
 紫の上は、須磨へ退去する光源氏との別れに堪え難く、涙を見せまいとしています。
 唱和の後、紫の上は柱の陰に隠れて座っているのですが、このような別れには不吉な涙を必死にこらえています。別れを惜しむ光源氏と、ひたすら耐えることになる紫の上が描かれています。
 また、『新編日本古典文学全集』の頭注には、「姿を映した人の魂は鏡に留まるという民俗信仰があったものか。」とあります。いろいろと、興味深い場面です。
 さらには、この部分には異文があります。
 〈河内本群〉では、この和歌の後を、「いふともなくまきらはして、はしらかくれにそひふして、うしろむきてなき給へる」という表現で伝えています。
 〈河内本群〉の本文は、紫の上が柱の陰で後ろ向きに泣くさまを語るのです。現在流布する〈別本群〉が、涙を見せまいとして悲しさを紛らわそうとする紫の上を描くのとは、また違った読み取りができる場面となっています。特に、歌の直後に見える〈河内本群〉の「いふともなくまきらはして」という一文は、〈別本群〉にはまったくない語句です。紫の上の様子を、その心情に立ち入って情景描写を意識した語りになっている点に、〈河内本群〉の性格が読み取れるでしょう。

 話が専門的になってきました。とにかく、それは措くことにしましょう。千年紀の記念のモニュメントなのですから。
 ただし、この和歌を石碑に刻んだ意図は、『源氏物語』の書かれた内容からは離れたものであることは確かです。二人のおかれている状況を無視した、物語の中の歌だけを切り出してきてものなのです。よりによって都を去る別れの場面を選ばなくても、というのは勝手な個人的な感想ですが……。
 日本語の高度な働きが理解できず、ほんの表面的な意味からの選択としか思えません。このような陰鬱な場面ではなくても、『源氏物語』にはもっと明るいものがたくさんあるので、次の機会にはことばの意味をよく考えて選定されることを望みます。

 また、みやこめっせの入り口には、お土産コーナーが外にまで出て来ていました。


Fzuwvure_s匂袋



Lhfejodv_sお香



これは、地下にある「京都伝統産業ふれあい館」の「ふれあいしょっぷ」の特別販売コーナーです。お香や匂袋が、一際めにつきました。

 さて、志村親子のレクチャーは、地下1階の大会議室でありました。百人以上が集まっていたと思います。事前の申し込みによるものです。

 今回、志村ふくみ氏がお話に来られたのは、細見美術館の春季特別展「源氏絵と雅の系譜 ―王朝の恋―」に、「花散里」「須磨」「明石」「朝顔」「蛍」「若菜」など、『源氏物語』から想を得た紬織りの作品を出品なさっていたことによるもののようでした。これは、以前に展覧会で拝見していたので、後半の作品の話では、思い出しながら聞きました。
 ただし、スライドによる説明だったので、せっかくご本人がお出でなので、作品を目の前にしてのお話だったら、もっとよくわかったのに、と思いました。

 ご一緒のお嬢さん洋子氏も染織作家で、「都機工房」を主宰されているとか。
 このお二人が、染め織りの制作においても重要な役割をもつという神秘の「月」をキーワードに、華麗な王朝文学の世界を語り合う、というものでした。

 2時間の内の最初の1時間は、源氏絵をスライドで映しながら、お二人が適宜コメントを付ける、という流れでした。源氏絵のことや、登場人物の女性のことなど、多方面にわたっていました。それだけに、散漫であり、作家の立場から『源氏物語』の作品そのものを語るのは、無理があったように思いました。

 お話の内容を少しだけ。
 ふくみ氏は、『源氏物語』は与謝野晶子訳で最初は読み、次に谷崎訳を読んだそうです。そして、月の光と紫色が補色の関係なので … とか、男は月なしには女のもとへ徘徊できない … とも。話がだんだん飛躍していきました。
 洋子氏は、今回初めて、それもこの3ヶ月で谷崎訳で読んだそうです。女性の描かれ方に、理不尽な思いで腹がたった、とおっしゃっていました。月の光が藍瓶に入ることによっていい色になるのは、科学的実証のできないことだそうです。
 お二人とも何となく、お題に合わせるのに苦労しておられるようでした。

 全体的に、「月」と『源氏物語』という取り合わせが、うまく噛み合っていなかったように思いました。お二人には、難しい注文だったようです。もっと自分の作品に即した話を中心にして、その作品と『源氏物語』との接点に触れる、という程度でよかったのではないでしょうか。『源氏物語』を正面に据えると、いろいろと無理が生じますから。

 これは、主催者側の問題です。司会進行役の方は、よく『源氏物語』と源氏絵について勉強なさっているようでした。事前に、進行の打ち合わせがあったようですが、講師のお二人にはきつい進行だったようにお見受けしました。
 次回は、もっと自由に染色と古典文学の接点について語っていただきたいものです。

 お二人がお帰りになる時の会場の参加者の様子を見て、お弟子さん筋の方々が集まっていらっしゃることに気付きました。私のように、一般参加の者はどれくらいいたのでしょうか。それも、タイトルの『源氏物語』に引かれて来た者は … 。
 お二人を見送りながら、これからもいい作品を作り続けられることと、たくさん語っていただくことを楽しみしよう、と思いました。特にふくみ氏は、エッセイストクラブ賞をお取りになっているので、そのご著書を読んでみることにします。



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源氏千年(23)ミニチュアの世界

 出町柳と百万遍の間に、思文閣美術館があります。
 2月から開催されていた展覧会に、最終日にやっと行くことができました。今年の京都は、さまざまなイベントが組まれているので、行くタイミングがむつかしいという、贅沢な悩みを抱えることとなりました。

 さて、今回は「愛でたきもの 雛とミニチュアのお道具展 ―ミニチュアで織りなす『源氏物語』の世界―」というテーマです。


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 小さくてかわいいお雛様や小道具などがありましたが、ここでは『源氏物語』に関するものだけをリストで紹介します。

 出品されていたのは、緻密で精彩な以下のものです。


・雛飾り(書棚などに『源氏物語』の場面が描かれている)
・初音蒔絵硯箱
・豆本
・源氏物語図雛屏風(石山寺蔵)
・源氏物語図蒔絵印籠(石山寺蔵)
・源氏物語図色紙貼付風炉先屏風(石山寺蔵)
・源氏物語図押絵貼屏風(石山寺蔵)
・源氏物語意匠小筥
・源氏物語入子式蒔絵香合
・白描源氏物語画帖(伝土佐光則筆)
・絵入源氏物語(山本春正編)
・紫式部源氏かるた(二代国貞)


 日本人の手先の器用さが実感できました。
 私は、豆本が特に気に入りました。
 こうして『源氏物語』を意匠化した小物を見ていると、文学が文化として受け入れられた実態が見えてきます。
 この源氏千年という区切り目に直面し、さまざまなイベントを通して『源氏物語』の受容の諸相を追体験できることは、本当に稀有なことです。
 今後とも、一つでも多くのイベントを自分の目で見て、その意味を確認したいと思っています。



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源氏千年(22)新作試作グッズ

  堀川商店街内の「匠と商人の会」(075−823−2110) に立ち寄り、最近の新作を見せてもらいました。

 いろいろなグッズが考えられています。おもしろいので、また以下に紹介します。

 まずは、源氏絵を配した着物です。


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 これは、3分間で着られるのが特徴だそうです。
 来週の火曜日に読売テレビで紹介されるとのことでした。
 この着物に描かれた絵を拡大します。


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 以下、順不同に掲載します。


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9wws1_gd_s絵皿



Xow4p1es_sすだれ




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2008年04月06日

源氏千年(21)女流講談を堪能

 連日、大丸京都店へ足を運んでいます。いろいろと楽しいイベントが組まれているからです。
 『源氏物語』が読まれて来た歴史に興味を持っている私は、今現在の受容についても情報を収集しています。

 今日は、現在大活躍中(という)女流講談師の神田紫氏が出番です。講談の世界はまったく知らない私には、神田氏がテレビやラジオでお馴染みと言われても、人ごとです。どんなものか、という好奇心だけで行ってみました。

 会場となっている大丸の1階案内所前の特設ステージは、こんな所でした。会場の担当者に写真撮影のことを聞くと、自由に撮って構わない、とのことでしたので、以下に掲載します。


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 こじんまりとした所で、いささか拍子抜けがしました。30人も座れません。そして、デパートの1階入り口近くなので、落ち着かない中途半端な場所でした。
 客の人目を引くための催しであることはわかりますが、今回はじめて講談を目の前で聞いた者としては、もっと落ち着いて聞きたかったと思います。神田氏は、非常に熱のこもった身振り手振りの語り口で、想像以上に聞き惚れました。ひとえに、場所が貧弱だったことが惜しまれます。主催者側の、このイベントに対する意識の軽さに、大いに不満を抱いて帰りました。

 さて、当の講談は、このような劣悪な環境にもかかわらず、まさにプロの芸で熱演でした。30分間がアッという間でした。
 演題は「源氏物語・六条御息所」です。


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 神田氏は神戸市が出身で、現在は日本講談協会会長をなさっているとのことでした。声がきれいで歯切れがいいので、非常に聞きやすかったのです。テンポもいいし、ストーリーもいい構成でした。強いて気になったところをあげれば、「近衛大将」を「このえのたいしょう」と語られたところだけです。「たいしょう」では、寿司屋の大将という感じになります。ここは正しくは、「だいしょう」です。最近は、学校でも「たいしょう」と教えているようです。私は、学生時代に厳しく「だいしょう」と叩き込まれました。

 それはさておき、神田氏の講談です。
 私は前から2列目の真ん中で聞いていました。
 葵祭の時の車争いの場面で、神田氏は突然立ち上がり、葵の上側と六条御息所側とのやりとりを、それこそ凄まじいばかりの迫力で演じ分けられました。


Adokbwx5_s車争い



 すぐ前にいたので、その気迫が直接伝わってきました。これは、並々ならぬ芸の力です。
 なによりも、台詞を何も見ずに30分間。よどみなく、感情の起伏を巧みに織り交ぜて、完璧に語っておられたのです。台本はどなたが書かれたのかわかりません。『源氏物語』をよく読んでのものであることが、ことばの端々でわかります。たくさんの人名も、的確におっしゃっていました。まさしく、話芸です。小沢昭一を思い浮かべました。

 最後は、六条御息所の語りでした。その時、これまた驚いたことに、般若の面を捧げながら、鬼となった六条御息所の台詞が迫真の口調で語られました。


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 『源氏物語』が講談でどうなるのか、興味を持って聞きました。それは、予想外の収穫でした。場面が六条御息所に関する、動きのある内容だったからでもあるのでしょう。しかし、この講談という語りのスタイルは、『源氏物語』を語るのに有効な道具となることを教えられました。それも、神田氏という女性の力が多大な効果をあげていると思われますが … 。

 機会があれば、また聞きたいと思っています。




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2008年04月05日

源氏千年(20)京菓子饗宴

 四条にある大丸京都店の「源氏物語千年紀特集」で、商品化されたさまざまな記念品が見られます。こんな時にしか作られない、見られないものがたくさんありそうなので、足を運んでみました。

 まずは、『源氏物語』にちなんだ和菓子から。
 これは、今回の企画限定の生菓子だということでした。まずは店頭で写真撮影の許可をとり、そしてこれらをすべて購入して帰りました。だいたい、1個300円から500円ほどです。
 ただし、私は糖尿病のカロリーコントロールしている身なので、私は自宅で写真撮影をするだけで、お菓子はすべて家族が食べました。
 趣味と実益を兼ねた取材です。

 最初は、京都鶴屋の「藤壷」です。


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 説明板には、「鮮やかな緑の蒸ようかんに、藤色のかるかんをのせて、かろやかに」とあります。あっさりとした味なのでしょう。藤壷の人柄などとは関係なく、色彩からのイメージで作られたもののようです。



 2つ目は、俵屋吉富の「源氏物語絵合」です。


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 右の細長い箱には、写真中央の丸い麩焼煎餅が9枚入っています。これには、源氏香図の「絵合」の焼き印が捺されています。
 中央の四角い箱には、男女の金太郎飴と鞠飴が入っています。顔は幾分歪んでいました。しかし、眺めているだけでも楽しい趣向です。
 左端の上の饅頭は「絵合」の香図の焼き印が捺されています。



 3つ目は、老松の「若紫」です。


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 短冊状のういろうの端が紫色で、上には金箔が載せられているのが雰囲気を醸し出しています。



 4つ目は、亀屋清永の「若紫」と「夢浮橋」です。


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 白あんを白と紫のういろうで包み、それを着物に見立てたドラ焼きで覆っています。なかなかのアイデアですが、ドラ焼きが上品さを削いでいるように思いました。



 5つ目は、湖月の「御紫」です。これは、宣伝になかったものです。

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 もう少し工夫があれば、と思いました。



 6つ目は、笹屋伊織の「藤壺」「桜の宴」「かほり」です。


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 左右の饅頭と干菓子は措いて、真ん中の「藤壷」は色合いが出色です。

 これらを持ち帰り、自宅で大皿に並べてみました。これは、一つずつ器にのせると映えるのですが、今はそのすべてを見るために、こんな盛り合わせにしました。


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 お菓子で文化を感じながら遊ぶのも、日本のすばらしさだと思います。ぜひ、こうした遊び心は忘れないで伝えていきたいものです。
 かつて、神戸風月堂が『源氏物語』をテーマとした和菓子を作成しました。それは、写真集となっています。また、虎屋も『源氏物語』をテーマとしたお菓子を作りました。
 いずれ、こうした資料を紹介しようと思います。
 たくさんのお店が、たくさんの職人さんが、こうした文化的遺産としての『源氏物語』というものを通して、創作の場で挑戦しつづけてもらいたいと思います。

 大丸側が作成した簡単なチラシには、湖月のお菓子は紹介されていませんでした。しかし、実際に会場を回ると、これも源氏物語の記念菓子でした。
 せっかく、このように各菓子職人が創意工夫で作ったものなので、もう少し情報を整理して流してもよかったのではないでしょうか。

 この6軒の内、お菓子の説明を書いたチラシを作っていたのは、俵屋吉富だけでした。それも、ファイリングされていたものを無理を言って頼んで、1枚だけ貰いました。こうしたものは、イベントを盛り上げ、その場限りのものとしないためにも必要だと思います。たとえば、それぞれのコンセプトやお菓子の素材・材料などを記したパンフレットは作るべきでしょう。
 2週間限定の催しとは言え、今後のためにも、資料は残したほうがいいと思います。

 また会場も、いつもの地階和菓子売り場ではなくて、別に特設したら、もっと競い合うイベントになったことでしょう。
 主催者側の『源氏物語』をめぐる文化の扱いについて、理解不足だったのが残念でした。
 源氏物語千年紀は、まだまだ続きます。秋にでも、企画を練り直して再度チャレンジしてほしいものです。

 以前、本ブログ「源氏千年(10)文化を食べる」(2008/2/22)で、高島屋の企画にこんなコメントを付けました。


 今回の企画全般に感じたことですが、有名とされるお店の底の浅さにがっかりです。
 こんなに日本の料亭は低レベルになってしまっていたのでしょうか。
 『源氏物語』という名前に乗っかっているだけです。どのように解釈した結果なのか、ということのヒントだけでも、見る者に示さないと、勝手な自己満足の世界に終わります。見た目のきれいさだけでは、正直言って、文化とは乖離していくだけです。
 安直にブームに乗って展示した、ということに留まるのでは、もったいないことです。見る者と共有するものがないのです。単に、私たちは、きれいに仕上げた料理を、見せてもらうだけです。そして、そこには作り手の『源氏物語』への理解の未熟さが露呈しています。
 私が、総じて作品のレベルが低くてがっかりしたのは、こうした点からのものです。



 今回の和菓子は、日本料理ほど酷くはなかっただけに、もう少し説明がほしいと思いました。企画に参加しただけというのではなくて、積極的にアピールする場にしてもらいたいものです。分厚い日本文化の下地はあるのですから。




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2008年04月04日

わが母の記(1)風呂敷が結べない

 父親に対しては、割と客観的に語れます。ある程度距離を置いて接して来たからでしょうか。
 それに対して母親は、郷愁と感傷が入り混ざった回想になってしまうのは、どうしてでしょうか。自分の成長と密接に関わった存在だからでしょうか。

 母に関してまず思い出すのは、小学校の入学前の面談の時のことです。
 島根県出雲市立古志小学校の教室であったことです。
 母につれられて、初めて行った小学校で、入学前の話と面談が先生とあったのです。確か、先生は二人おられたように思います。
 どのような流れからか、突然、机の上に風呂敷が出されました。そして、何か四角い物を包むことになったのです。何を意図したものか、幼い私は知る由もありません。
 包むのはよかったのですが、その風呂敷の端を結ぶのに、蝶々結びがどうしても出来ないのです。仕方がないので、固結びをして終えました。帰り道、悔しい思いをしていたことを覚えています。

 ところが、教室でも、そして帰りにも、母は何も言わずに、終始ニコニコしていました。
 風呂敷が結べないことくらい、そんなことはどうでもいいよ、という母の思いが何となく伝わって来たので、安心したように思います。
 そんなことを覚えているくらいですから、私は今でも実は気にしています。そして、今でも、蝶々結びは苦手です。紐の端のどっちをどう回すのか、いまだに迷います。そして、決まって縦結びになるのです。

 昔から、手先は器用でした。しかし、紐を結ぶのは苦手なのです。
 小さいときから、そのことを母は知りながら、ついに教えてくれることもなく他界しました。母にとって、息子が紐を結べないことぐらいは、どうでもよかったのでしょう。
 勉強しろとも、何をどうしたらいいかとも、まったく私に言いもせず、教えてもくれませんでした。高校を卒業するときに、東京へ行くと言っても、賛成も反対もせず、好きなようにしたらいいと言ってくれました。何をしても、ニコニコと見てくれていました。

 母は、何も考えていなかったのではないか、と今では思っています。今から思うと、これが私にとってはよかったと思います。
 その反面、父が非常に口うるさかったので、うまく釣り合った子育てだったのかも知れません。

 子どもたちは、今でもおばあちゃんを慕っています。何をしても怒られなかったし、いつもニコニコしていたからでしょう。
 黙って見ている、というのも、大きな意味をもっているように思えて来ました。


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藤田宜永通読(4)『恋愛事情』

 本書『恋愛事情』(文芸春秋、2006年3月)は、『オール讀物』に、2004年5月から2006年1月までに掲載された6編を収録したものです。
 なかなかよくできた、上質の短編で構成されています。

■「土鍋」
 入れ歯をめぐる場面がおもしろい小説です。
 最後の土鍋への展開が、それまでとはまったく繋がらないだけに、秀逸だと思いました。話のとじめがうまいと、感心しました。【5】

■「封を切る」
 なぜ順子は娘のことで狼狽したのか。
 若い男女の心の動きが、うまく描かれています。
 「抵抗が高いとボルトが上がる」というのは、うまい表現だと思いました。
 本当の想いを伝えられず、彼の仲人役を演じていた順子の描写が絶妙です。
 死が近いからこその告白です。場面設定と人物の位置づけが、よく練られています。昔好きだった女に背を向けて立ち去る男の、格好良さで幕となります。【5】

■「修羅の狭間」
 男と女の車間距離の大切さを語る話です。
 大人の男を描いた小品です。【3】

■「残像」
 三角関係の描写が中途半端です。
 心の動きが語られていません。表面的な人間しか描けていません。
 もったいない作品です。【2】

■「不在の女」
 スッキリした仕上がりです。背景に音楽が流れている気がします。
 人間関係の爽やかさが残りました。【4】

■「赤心」
 よく出来た話です。しかし、小説作法としての技巧が目につきます。
 節子をもっと描けば、話に膨らみが出たように思います。その意味では、少し角張った作品になっています。
 題名の「赤心」の意味を、辞書を引いて初めてしりました。「まごころ」の意味なのですね。作中に出て来る詩集のタイトルでもあります。このあたりの処理が、中途半端でした。【3】





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2008年04月03日

消された年金記録の報告(続)

 送られてきた「ねんきん特別便」に記されていた電話は、いつかけても通じません。
 しかたがないので、立川にある年金相談センターへ行きました。
 待ち時間が1時間以上とのことなので、結局は受付の男性と立ち話をして帰りました。

 平身低頭の対応でした。
 気の弱そうな方だったので、国民の感情を逆撫でしない、同情を誘うような職員を配置したのでは、と思わざるをえません。
 ただし、年金に関する知識は十分にある方でした。
 いつぞや奈良の拙宅においでになった、わけもわからずに外回りをさせられた、にわか仕立てで急ごしらえの社会保険庁の職員とは違っていました。きちんと説明できる職員がいるのですね。
 もっとも、市民への対応をしているうちに、耳学問で少しずつ知識が蓄積されたから、ということも考えられますが……。

 私の14年分の年金が消えていることについて、平成9年以前については共済年金との統合がうまくいっていなかったことを認めた上で、ある程度は丁寧な説明を聞くことができました。この説明がどの程度正確かは、後日わかることでしょう。

 なぜそのようなことになったのかは、理解できませんでした。一言で言えば、社会保険庁の仕事がでたらめだったのですが、なぜそんな不真面目な仕事が何十年もの間、平然と行われていたのかです。というより、書類を放置しておくだけで、なぜ仕事をしなくてもよかったのでしょうか。

 厚生年金や国民年金は社会保険庁の管轄だったそうです。しかし、私の場合のように共済年金加入者は、平成9年以降に社会保険庁のデータに一本化されたのですが、その時に記録が継続されなかったために、宙に浮いてしまったそうです。
 これも、どこまで本当の説明なのか、後日わかることでしょう。

 それでは、今、私は何を、と聞くと、とにかく窓口で相談を、ということだったので、昨日はそのまま帰りました。また、後日行くことにします。

 今度行ったら、残念だがもう受付期限を過ぎたので、おたくが支払った14年半分の年金は無効として処理された、と言われそうですね。
 できるだけ近い内に、冷酷に切り捨てられない内に行きます。
 とにかく、何をするかわからない組織が相手ですから。

 日本って、こんな国だったんだ、と改めて知りました。
 海外の方々は、日本という国の仕組みや組織を絶賛されますし、私もそれは誇りの一つでした。しかし、今回の我が身に降り掛かった件で、大いに失望しました。
 これからの若い人たちのためにも何かをしなくては、とは思うのですが、今は何ができるのかが見えて来ません。

 これも、平和大国日本の一面であることを、実感させられています。



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2008年04月02日

京洛逍遥(31)春のおとづれ

 春の兆しが感じられる京の一コマを写しました。


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 賀茂川には、鴨の親子連れがのんびりと泳いでいます。手前の岸にも、たくさんの小鴨がいます。川向こうは、半木の桜で有名です。今週末には満開になることでしょう。


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 半木の桜の向こうにある、植物園の杏は満開です。


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 京の町中で、御池に出かけました。日本最初の小学校である御池校の横は、休憩するのにいいカフェです。その日除け傘越しに、桜が咲き初めています。


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 市役所へ向かう道すがら、歯医者を見つけました。雰囲気がいいので、こんな歯医者のお世話になりたいものです。


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 市役所前では、理由はわかりませんが、よさこい祭りをしていました。たくさんのチームが、その技を競っています。これも、京の春の風物なのです。


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 源氏絵を描いている植村さんとその仲間の個展に足を留めました。
 「白いろ黒展」という名前がついています。
 これは、すでに本ブログで紹介しました。

http://blog.kansai.com/genjiito/204

 京都市役所の北にある「ギャラリー a」は、こじんまりした画廊です。ちょうど、パーティーをしていたので、気品を感じるオーナーの背景に、作品を何点か入れて写しました。
 抽象画とのことで、私には何が何やらわかりません。雰囲気を感じればいいのでしょうが、フーン、というのが唯一の印象です。
 オーナーの左横の小さな四角いものも作品かと思いきや、これはスイッチボックスでした。


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 会場に来ていた一人の方が、10枚の色紙を使ったパフォーマンスをして、床にそれを置き去りにしてサッと帰っていかれました。

 最後まで、何が何だかよくわからないままに、ギャラリーの階段を下りました。



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2008年04月01日

源氏千年(19)『家庭画報』5月号

 『家庭画報』(世界文化社)の5月号で、源氏物語千年紀記念の特集として、「源氏物語ふたたび」が組まれています。
 その中の、海外の翻訳本の紹介記事の中で、私のコメントが掲載されています。また、その頁の翻訳本の写真は、私のコレクションです。


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 翻訳本の表紙は、実に多彩なものがあります。
 いろいろな言語は、見てもわからないものが多いので、表紙を楽しんでください。

 なお、記事の中で国文学研究資料館の立川移転について告知してもらい、さらには、来月刊行予定の拙編著『源氏物語【翻訳】事典』(笠間書院)の宣伝もしてもらいました。

 非常にタイムリーな時に記事にしてもらうことができ、編集に協力してよかったと思っています。



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