私が編集した本なので、少し宣伝をさせていただきます。

これは、『源氏物語』の本文研究の現在を踏まえて、その問題点を10人で分担執筆したものを編集して出版したものです。
中身がわかるように、目次をあげましょう。
監修のことば(伊井春樹)
本文研究を再検討する意義(室伏信肋)
表記からみた鎌倉期における本文の書承・流通(大内英範)
鎌倉時代の古註と本文−『紫明抄』引用本文を中心に−(田坂憲二)
古註釈書に引用された本文(松原志伸)
河円本の本文について−尾州家本の本文様態と「伝為家筆本」−(大内英範)
陽明文庫本源氏物語の待遇表現−別本とはどういう本文か−(中村一夫)
中世における源氏物語の本文−了俊筆伊予切「夕顔」巻の本文系統−(新美哲彦)
近世の源氏物語本文−古活字版源氏物語を中心に−(上野英子)
〈河内本群〉を指向した下田歌子の校訂本文―『源氏物語講義(桐壷)』の検討を通して−(伊藤鉄也)
転移する不審−本文研究における系統論の再検討−(中川照将)
本文関係論文一覧(大野祐子)
あとがき(伊藤鉄也)
知人などで、『源氏物語』に興味を持っておられる方に、紹介してください。
相当専門的な内容なので、そのつもりでお読みください。
これが、現在の『源氏物語』の本文に関する研究の最先端です。
予定よりも大分遅くの出版となりましたが、それだけに中身は新しい情報が満載です。特に「本文関係論文一覧」は、平成19年10月までのものを集成しています。どうぞ、ご活用ください。
帯にあたる腰巻きには、次の文章を付けました。
停滞していた本文研究の再検討
〈いわゆる青表紙本〉は揺れているか
「本文関係論文一覧」を収載
さらに宣伝の意味を込めて、「あとがき」を転載します。
平成一九年七月より毎月一回、古代学協会がある京都文化博物館の一室で、『源氏物語 大島本』の詳細な調査研究を行なっている。六人が一日中、じっくりと大島本に向き合っている。藤本孝一先生のご理解とご協力のもとに実現したものである。
先月(平成二〇年一月)、柏木巻の巻末部分に重要な痕跡を確認した。
かねてより藤本先生は、柏木巻の巻末に削除痕があるという新事実と、そこには河内本の本文六八字分の文字が書かれていたのではないか、という推測を提示されていた(「大島本源氏物語の書誌的研究」、京都文化博物館紀要『朱雀 第四集』平成三年/『大島本 源氏物語 別巻』角川書店、平成九年)。削除の後に継がれた紙の境目、食い裂きといわれる部分に残る墨痕と朱句点から、本行に書かれていた本文が取り除かれたとされたのである。一般に手にしやすい『定家本源氏物語 冊子本の姿』(藤本孝一、至文堂、平成一七年)から、問題箇所についての見解を引こう。
「この墨が本文の文字か墨汚れかは速断できないが、本文の可能性が大である。そうなると、切除された幅から推測して三行半の文字があった。すなわち、本文半葉一〇行、一行一七字前後で書写されている大島本には、約六〇字前後の文字があったことになる。」(五二頁)
あくまでも慎重な問題提起であった。削除の時期は、「恐らく紙質からみて、江戸時代前期以降ではなかろうか。」とも言われた。これは、『源氏物語』の研究者にとっては衝撃的な報告であった。
そして今、その削除された箇所の本行部分に、確かに本文があったことが、先月の双眼実体顕微鏡による精査によって確認できたのである。今は失われた本行に朱点が打たれていたことが、前丁に転写された朱の残存によってわかった。巻末本文の削除という推測は、さらに一歩進められることとなる。また、削除された箇所に残存する墨痕と朱点も、新たに見つかった。このことは、藤本先生をはじめとして、一緒に調査をしている、岡嶌偉久子氏・中村一夫氏・大内英範氏にも確認してもらった。これにより、現存大島本の柏木巻の巻末部には、最低でも二行以上の本文が続いていたことは確実である。そして、その分量からして、尾州家河内本などが伝える本文に類するものと見て間違いはないと思われる。
これについての詳細な報告は機会を改めたい。今は新たな事実を、ここに報告するに留める。この事実を、我々はどう理解すべきかも、今後の問題である。
『源氏物語』の本文について、近年は大島本をどう位置づけるべきかについて問題点が出され、さまざまな面から注目されるようになってきた。そして、ようやく議論が始まり出したところである。
これまでの『源氏物語』の研究は、池田亀鑑氏の本文研究に大きく寄りかかっていた。基本的な文献と言うべき『源氏物語大成』(池田亀鑑編、中央公論社、昭和二八〜三一年)の底本となった大島本を信じて、それを中心とした本文が受容されて来た。しかし、池田氏が最善本とした大島本を筆頭とする〈いわゆる青表紙本〉なるものの理解が、阿部秋生氏の『源氏物語の本文』(岩波書店、昭和六一年)あたりから大きく揺れ出した。そして、その後の再検討により、様々な問題点が浮かび上がってきた。最近では、前述の藤本氏や、佐々木孝浩氏の「大島本源氏物語に関する書誌学的考察」(『斯道文庫論集 第四一輯』平成一九年)が、この問題に鋭い問題提起をしている。
作品を読む土台である本文が問題とされ出した背景には、池田氏の本文研究とその結論を無批判に継承し、その検証を怠ってきたことがある。大島本の本文は徹底的に調査研究されては来なかった。もっとも、『源氏物語』は全五四巻、約九〇万字もの分量を持つ、世界に誇る長編物語である。そう易々と、そのテキストの整理に着手できるものではない。しかし、このような状況であるからこそ、『源氏物語』の諸伝本の本格的で徹底的な調査と研究は、今こそやらなければならないと言えよう。
本巻編者の伊藤は、『源氏物語別本集成』(全一五巻、伊井春樹・伊藤鉄也・小林茂美編、おうふう、平成元〜一四年)と『源氏物語別本集成 続』(同、平成一七年より刊行中)を通して、物語本文の整理を行なって来た。『源氏物語別本集成』では一〇億字、『源氏物語別本集成 続』では三〇億字の翻字とその確認作業を進めている。『源氏物語』の足元を、文学のもっとも基本となる本文の問題に再検討を迫る意味でも、本文研究は『源氏物語』の地固めともいえる基盤研究をなすものである。
なお、平成一九年度の科学研究費補助金・基盤研究(A)として、「源氏物語の研究支援体制の組織化と本文関係資料の再検討及び新提言のための共同研究」(國學院大學・豊島秀範
課題番号:19202009)がある。これは、河内本と呼ばれる一群の本文を中心とした、諸伝本相互の関係を研究し、新たな提言に結びつけようとするものである。本巻執筆者の中では、田坂憲二・中村一夫・大内英範・中川照将、そして伊藤が、研究分担者として参加している。情報交換を通して、研究者相互の連携をより一層深めていきたいものである。
こうした潮流の中で、『源氏物語』の研究において今すぐに何かが変わる、ということはない。しかし、自分が読んでいる『源氏物語』の本文がどのような素性のものかということは、常に意識していたいものである。現代人のために校訂された本文を読みながら、それが平安時代に直結する本文として無批判に受容することは、厳に慎みたい。
流布本としての本文が大島本に拠ったものだけであるという現在の状況に、改めて再検討を加える必要がある。〈いわゆる青表紙本〉が揺らぎ、〈河内本群〉や〈別本群〉(拙著『源氏物語本文の研究』おうふう、平成一四年)に少しでも視線が注がれる気配が感じられるようになったことは、これまで本文資料を整理してきた者としては、ようやくお役にたてる時期が到来した、という気持ちである。
われわれは、大島本という唯一の基準本文を頼りに『源氏物語』を受容してきた。これからどこへ向かうのであろうか。大島本以外に、それに代わる新たな流布本はあるのか。私は次善の策として、天理大学付属図書館所蔵の池田本をも参看することを提案したい。これは、その一部が『源氏物語大成』の底本として採択されていたものである。そのためにも、池田本の校訂本文を提示する用意を進めている。
これからの『源氏物語』の受容は、これまでの流布本と併存する形で池田本を、そして〈河内本群〉を代表するものとして天理大学付属図書館所蔵の河内本を、〈別本群〉を代表するものとして陽明文庫本を提供すべく、これも校訂本文の準備を進めている。陽明文庫本については、『源氏物語別本集成 続』に校訂本文を掲示している。本巻刊行時には、第二一巻の少女までが利用できるようになっている。
そのような見通しのもとに、本巻で編まれた諸論稿を見ると、じつにさまざまな切り口から、『源氏物語』の本文に対するアプローチがなされている。そして、それぞれが刺激的である。
『源氏物語』の本文については、今後はさらに多彩で大きな動きが予想される研究分野である。それだけ、研究が停滞していたということでもある。一人でも多くの方々の理解を得て、よりよい流布本のありようと姿を探し求め続けていきたいと思っている。それには、若い方々の参加が必要不可欠である。本文研究は、資料の整理に追われる時間が多く、なかなか成果が出ないと言われてきた。しかし、近年はさまざまな形で正確な本文が提供されている。本巻に収録した「本文関係論文一覧」も、大いに活用されたい。
これまでの〈いわゆる青表紙本〉だけでは読み切れなかった『源氏物語』の世界を、異本をも含めて、新たな視点と感性で読み解いて行きたいものである。
『源氏物語』の本文研究は、今後ともさらに進展すると思います。
これからの若手の活躍を期待しています。