2008年01月15日

井上靖卒読(23)『夢見る沼』

 開巻早々、結納の取り消しから始まります。
 読者を惹きつけるのがうまいのです。
 井上は、話が進むうちにおもしろくなっていく作品と、このように、まず人の心を掴んで、グイグイ引っ張っていくものとがあります。
 後者の方が、読む方は安心して物語の世界に浸れます。時間を任せて、読み進められるからです。

 最初のところで、「ふられた」ということばが、下品なことばとして出てきます。いまはそのような意味合いはないので、ことばが持つ時代の色合いは、本当におもしろいものです。

 第6章から、「運命」とは何かが語られます(講談社文庫52頁)。
 重たい問題を、さりげなく投げかける感じです。井上らしく、わかりやすくさわやかに、運命が進行していくのです。
 この章は、井上らしいよさがあります。
 東京のタクシーはピチピチと、京都のタクシーは静かに走る、と、二都の違いを表現しています(158頁)。今も通じるかもしれません。
 また、ホテルでボーイが、電報をツレと勘違いして伊津子に託す話は、あまりにも不用意で、あり得ない話のように思えます。今の感覚で読むと、話がしらけます。しかし、当時の情報管理はこんなものだったのでしょうか。一流ホテルなのに、と疑問に思いました。

 この小説は、井上らしくなく、男一人、女二人の話です。
 もう一人、男が出ます。しかし、この鳥飼という男は、影が薄いのです。出過ぎず、出しゃばらず、大人の穏やかな時が流れています。

 良識過ぎて、大いに物足りなさを感じました。【3】




初出誌︰婦人倶楽部
連載期間︰1955年1月号〜12月号

講談社文庫︰夢見る沼



posted by genjiito at 23:33| Comment(0) | TrackBack(0) | □井上卒読