2007年12月31日

京洛逍遥(21)大晦日のヲケラ詣り

 念願だった八坂神社の「をけら詣り」に行くことができました。
 祇園は、すっかり正月を迎える雰囲気です。
 南座には、河竹黙阿弥の「三人吉三巴白波」の看板が揚がっていました。

 南座の反対側にある1銭洋食屋に入り、少しお腹を満たします。
 店内で、後から向かいに座った外人さんたち7人グループの内の一人が、割りばしを頭の方から引っ張っていて、なかなか割れません。一緒にいた私の娘が、反対側から引っ張るといいですよ、と英国帰りの流暢な英語で教えてあげると、その女性は思わずニッコリ。隣の息子らしき人が、少しずつ話しかけて来ました。娘が、祇園さんのオケラ参りの説明をすると、みんな途端にこちらを見ます。よいお年を、とお別れして、八坂さんへ向かいました。


Eincfeo__s八坂神社山門



 八坂さんの山門では、竹で編んだ火縄を売っていました。
 おばさんがニコニコしていたので、つい買いました。1本700円。
 写真を撮らせて、というと、照れながらにこやかに微笑んでくれました。恥ずかしいよ、と言いながら。


Wh1ysyue_s火縄を売るおばさん



 八坂さんの境内では、もらい火が始まる7時間近でもあり、神官も巫女さんも走り回っています。
 その横では、お兄さんが声を張り上げて火縄を売っていました。

C0yh6wxw_s境内



 まもなく神主さんたちが一列になり、清浄な火を収めた箱を携えて火屋の灯籠へ向かいます。


Su4kykhq_s清らかな火



 神主さんが点けた火は、こんなに勢いよく燃えています。
 このヲケラは、キク科の薬草だそうです。
 そこへ、参詣者がみんな手に持った縄を差し出し、その先端に火を点けます。みなさん穏やかな様子です。もっと争うようにして突き出すのかと思っていたので、拍子抜けです。慌てず焦らず、京流のペースなのでしょう。


Kl55fbec_sもらい火



 火をもらった人は、後から来る人たちに当たらないように、高く掲げて人の波を掻き分けて帰路につきます。


1vhkolt8_s火をもらう



 をけら詣りの帰り道の人たちは、縄を振り回しながら、火を消さないようにしています。


Rlo7bgvc_sヲケラ火をフリフリ帰る



 私も、人通りが少ない三条駅に向かって、火を振りながら帰りました。しかし遠いので、途中で家の近くまで行くバスが来たのを幸い、それに乗って帰ることにしました。
 火のついた縄を運転手に見せて、このままでいいですかと聞くと、消してから乗れとのこと。それもそのはずです。火のついたものを持って乗るのは、危険きわまりないのですから。
 自宅まで歩いて1時間なので、いつか歩いて火をフリフリ帰ろうと思います。


Hgipspis_s自宅に持ち帰ったヲケラ火



 家に持ち帰ったヲケラ火は、こんな状態でした。
 この縄が、来年1年の家内安全を見守ってくれることでしょう。



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2007年12月30日

京洛逍遥(20)今年は住民として錦市場へ

 今年も、あと残すところ一日となりました。

 お正月を控えて、家具を一つ買いました。
 宅急便で届くとすぐに開梱したところ、天板の真正面が押し潰されているのに気付きました。


_dd2e3qh_s家具のキズ



 段ボールのキズと、凹んだ板面の角が一致するので、配達中か輸送中に角をぶつけたものと思われます。

 私が運び入れるときに付けたものとされるのは心外なので、すぐに電話をして状況を説明しました。
 すると、先ほど届けてくれたお兄さんが、大至急回収に来てくれました。30分以上かかるとのことだったのですが、ものの10分もしない素早さでした。
 とにかく持ち帰って、再配達の手配をするとのこと。正月には間に合いませんが、新年早々にキヅの付いた家具でスタートするのも何なので、しばらく待つことにします。

 家具の件が早く決着したので、お節料理の材料を求めて、四条にある錦市場へ行きました。
 昨年は、大晦日に行きました。
 その日は、こんなブログを書いています。写真がないのは、今春クラッシュしたサーバーから発進していたものだからです。ご了承を。

http://www.npo-genjimonogatari.org/blog/genjiito/index.php?categ=1&year=2006&month=12&id=1167569340

 あの時には、我が家のみんなが1年後に京の住人になるとは思いも寄らず、京の賑わいを求めて買い物に行きました。
 そして、ちょうど1年経った今日は、京に住まう身として買い物をするのですから、人生いつどうなるのかわかりません。


Hprxeink_s錦市場



 今年も、ものすごい人でした。なかなか前に進みません。これが楽しいのですが。

 明日は家の中で残った所の大掃除です。
 今夜は、子どもたちも京都の家に集合です。
 今年もどうやら、家族みんなで無事に年越しとなりそうです。



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2007年12月28日

未読メールの多さに仰天

 マッキントッシュのシステムを「レパード」に一新し、すべてを手作業で一つ一つインストールし直しています。
 面倒な作業ですが、過去のトラブルを引き継がないためにも、仕方のないことです。コンピュータは、便利さは認めますが、本当に面倒な機械です。

 パソコンのメールを整理しました。
 京都の自宅で使用するメールソフトに関係するもので、2001年の4月以降にやり取りしたメールの大掃除です。

 職場やプロバイダ(契約している3つ会社のもの)のサーバーを経由して、私が送ったり、相手から届いたりしたメールを、新しい環境の中で整理したのです。私のメインマシンでは4万通以上の記録があるので、今回整理した2万通のメールは、あくまでも2001年の春以降のものです。そして、3ヶ所の仕事部屋からメールをやりとりしている関係で、サーバーからの取りこぼしや読み込み後の削除などにより、多くのメールが消えているようです。しかし、3ヶ所のどこかで読んでいるはずなので、大過なくコミュニケーションを保ってきたはずです。

 そんな大掃除の中で、過去のメールの読み込みや転送をしている過程で、たくさんの未読のメールが見つかったのです。他の2ヶ所の仕事場で読んでいるはずですが、どう見ても初めて読むメールがいくつもあるのです。

 特に大きな失敗や信用の失墜はなかったと思っているので、(多分に能天気なお気楽スタイルの思い込みですが)、メールの読み忘れは許してもらう以外に、どうしようもありません。

 今や社会や職場は、メールによるコミュニケーションが主流となっています。海外の方々への連絡は、メールに頼らざるをえません。高齢の方も、最近はほとんどの方が、メールを利用しておられます。特に海外の場合は。

 今回のメールの大掃除で、改めてメールへの過信を戒める機会を持ちました。読まれないままに日時を経過するメールが、意外に多かったからです。

 手紙は、日本の場合に不着ということはほとんど考えられません。
 FAXも、確実に相手先に届きます。
 ただし、これらは、住所や番号が正確で、相手がそれを実際に手にした時に、コミュニケーションが成立します。メールに似ています。
 返信などのアクションを経てはじめて、自分の意思が伝わったことが確認できます。メールに、相手が読んだかどうかがわかるチェッカーを付けて、それを一々確認している人は少ないのです。私も一時はしていましたが、面倒で今はしていません。メールの混雑緩和のためにも、推奨されていません。

 これに対して、電話は、相手が直接電話口で声を出して会話をするので、相手とコミュニケーションを交わしていることが実感として確認できます。
 ただし、電話は時と場所を考えて使うことになります。留守番電話も、聞いてもらったかどうかは、返事がないとわかりません。

 人と人とのコミュニケーションは、時代とともに変わってきました。
 これからは、重要な連絡を、相手が確実に見たり聞いたりしたことが確認できる、郵便でいう配達証明のようなシステムが必要となるでしょう。
 テレビ電話も、スカイプのお陰で、世界中の仲間とカメラとマイクを通してコミュニケーションがとれます。しかも無料で。
 ただし、これも時と場合が関係します。

 なかなか難しいものです。つまるところ、これらの内の複数の手段を、うまく使い分けるしかなさそうです。結局は、今のところは電話とメールでしょうか。

 そろそろ、新しいコミュニケーションの手段を提示してほしいと思っています。
 時と場所に関係なく、そして確実に相手とコミュニケーションを交わしていることが確認できる手段を。

 そんなことを実現してくれるのは、アップルしかないでしょう。
  iPod や、その進化系の iTouch などに期待しています。



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2007年12月26日

2007年10大ニュース

1)23年間住み慣れた奈良・平群から京都・北山へ転居

2)単身赴任先を横浜・金沢文庫から東京・深川へ転宅

3)スクーバ・ダイビングのライセンス取得

4)海外の『源氏物語』に関して朝日新聞・読売新聞に掲載される

5)イギリス・インド・中国を1ヶ月かけて一気に飛び回る

6)ブログのサーバーがクラッシュし迷走の果てに京都から発信

7)学芸員の資格取得のために國學院大學の科目等履修生となる

8)重要文化財である『源氏物語』大島本の精細な調査を開始

9)スポーツクラブを銀座に移籍し銀座で泳ぐ日々が始まる

10)探し求めていた『井上靖全集』(全29巻)が書架に並ぶ

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2007年12月25日

お店で味付けの変更をしてもらう

 息子と行くいつもの回転寿司屋が、どうしたことか休業でした。
 そこで、それでは餃子を食べよう、ということで意見が一致し、通り掛かりの中華料理屋へ入りました。
 初めて入った店では、まずメニューをパラパラとめくることから始まります。料理の種類と値段を、目で追いながらチェックします。
 お目当てのギョウザが3種類あったので、その違いを聞きました。ジューシーさとカリカリ感の違いと、大きさが異なるようです。ジューシーで大きめのものにしました。
 私はレバニラ炒めを、息子は鶏をカラッと揚げて甘辛の味付けをした上に香草とカリッとしたニンニクをまぶしたもの(「油淋鶏」とメニューに書いてあったもの)を注文しました。

 大分待たされてから、やっと餃子が5つ来ました。10ヶ頼んだと言うと、それは失礼と中の人に伝えてくれました。中国の人たちがほとんどの店だったので、うまく伝わらなかったのでしょう。

 まもなく、私が注文したレバニラ炒めが来ました。
 一口食べて、口の中がヒリヒリしました。私は、胃が無くて内蔵が敏感なので、この手の辛さは苦手です。料理人の息子に味見をしてもらうと、これは味が濃くて辛すぎる、というのです。とても食べられそうにないので、お店の人にその旨を言って、味を薄くしてくれるように頼みました。すぐに皿を下げて行きました。
 またしばらくたってから、作り直したレバニラ炒めが来ました。こんどは、味が少しまろやかになっていました。それだけではなくて、さっきは細切りにされたレバが炒められていたのに、今度は普通の大きさのレバが使われていました。まったく新しく作り直してくれたのです。
 てっきり、スープか何かを使って、味を薄くして炒め直すものとばかり思っていたので、これには驚きました。
 ラッキー、と思っていたら、息子曰く、さっきのものの味を薄めただけのものだったら、俺は文句を言おうと思っていた、とのこと。料理人として、お客の味に合わなかったら、新しく作り直すのが当たり前だ、とのことなのです。そんなものか、と思いながら、それもそうだと納得。

 レストランや食堂で、一度出された注文の品に、味が思っていたものと違うので作り直してくれ、とは、なかなか言えません。今日は、息子がいたこともあり、少し強気でお店の人に好みと違う旨の気持ちを伝え、それが相手の感情も害さずにすんだのですが、なかなか勇気のいることです。

 外食の時には、つい、食べさせてもらっている、という気持ちになってしまいます。お金を払うのはこちらなので、味付けが好みと違う時には、正直に言うべきなのです。しかし、これがなかなか言えません。

 今日は、いい体験をしました。


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2007年12月24日

京洛逍遥(19)北山杉の里

 川端康成の『古都』の舞台となった、北山杉の里を散策しました。
 スックと伸びる杉木立を見渡すと、背筋も自然と伸びるような気がします。


Bzrygnbt_s杉木立



 この北山杉は、室町時代あたりから茶室建築に用いられたとのこと。道々、磨かれた杉が立て掛けてある様子が、京の町中とは違った趣でいい感じです。今にも、『古都』にでてくる、丸太磨きの作業を終えた女性たちが出てきそうです。

 北山グリーンガーデンという所で休憩をしました。すると、入口に、川端康成の文学碑の案内がありました。



Ewroziir_s文学碑



 庭園の中に入ると、右に碑がありました。


B6snpk3__s文学碑



 説明は省略しましょう。

 左の奥には、「古都 再会」と題するモニュメントがあります。


Qkhm7mdt_s再会の苗子



 膝を突いて空を見上げるのが苗子、その苗子の懐に顔を埋めるのが八重子です。

 後ろに回って見ました。


Kwouvfau_s八重子



 2人を像として描き分けるのに、このモニュメントの作者がいかに苦心したかが、この構図から伺えます。
 八重子を見ようとして像の背面に回ると、おのずと、北山を見上げる苗子の視線と肩越しの緊張感が伝わってきます。

 このグリーガーデンには、北山杉資料館もあります。食後に、ここにも足を運びました。


Lt7jdw3z_s資料館



 中は、北山杉の歴史などを、パネルや人形などで見せてくれます。



5s4qkkn5_s丸太磨きの女性



 写真よりも、こうした人形が、その様子を思い描くのに役立っています。

 また、館内には、ノーベル賞を受賞した川端康成に関する資料も展示してあります。

 映画化された『古都』の写真がありました。岩下志麻と山口百恵の2作品は、いずれ見てから紹介したいと思います。

 京都の町家や茶室などで使われている床柱などに、今後は注意を払って、その味わいを感じてみたいと思います。


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2007年12月17日

新しいシステムに移行

 どうにか無事に、日頃使用しているマッキントッシュの OS を、Leopard(レパード)にしました。
 もっとも、3カ所ある仕事場の内の1つ(Mac mini)だけですが。

 システムディスクは、5台にインストールできるものなので、この調子を見ながら、順次入れ替えていこうと思います。

 ソフトなどは、すべて最初からインストールします。別のMacintoshからデータの移行が可能なのですが、これまでのトラブルを引き継がないためにも、面倒ですが一々入れ直すことにしました。
 コンピュータを信じてはいけないのです。

 内蔵ハードディスクは、これまでは最小の60ギガでした。大きさも小さな2.5インチサイズのものなので、購入したままのもので来ました。しかし、これでは十分な活用ができません。外付けの1テラのハードディスクと連携させていました。それでも、何かと困っていました。ボックスを分解して入れ替える作業が面倒だったこともありました。

 今回、200ギガのハードディスクを、量販店で購入しました。価格は、何と1万2千円でした。驚きです。しかも、メーカーは東芝です。東芝の小型ハードディスクの定評は高いのです。

 今から20年以上も前の話ですが、私が最初に購入したハードディスクはNECのもので、10メガ型が45万円しました。5メガにするか10メガにするか、寝ずに考えての決断が10メガだったことを思うと、1つ上の単位の200ギガが今は1万円とは、まさに浦島状態です。おまけに、私の机の横では、1テラのハードディスクが2台あり、それぞれに自動的にバックアップさせています。

 テラはギガの上の単位なので、人間のやることは予測不可能です。自分がそんな中にいること自体が、すでに混沌の館です。
 これでは、世界観の変革が必要です。このようなコンピュータの秒進分歩に、自分が対応しながらついてきたのですから、我ながら感心してしまいます。よくも気が狂わなかったことだと。

 おまけに、今日は内蔵のメモリも、1ギガのものを2枚買いました。これも2枚で1万3千円なので、量販店恐るべし、を実感しています。
 ここでまた、20年以上前に、128キロのメモリを5万8千円で買ったことを告白すると、これまた夢語りになってしまいますね。キロはメガの下の単位で、ギガの下の下の大きさを示すものなのですから。

 そんなこんなの、猛烈な時の流れを感じながら、何事もなかったかのようにこうしてコンピュータを操作して文章を綴っているのです。不思議なものです。


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2007年12月13日

源氏絵皿をご覧ください

 源氏絵をガラスに描いている植村佳菜子さんの新作を、写真で紹介します。

 できたての新作3点を、まずはご覧ください。


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 そして、源氏絵をあしらった小品もあります。
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 植村さんは、さまざまなチャレンジをしています。
 でき次第に、また報告します。


posted by genjiito at 20:29| Comment(0) | TrackBack(0) | ◆源氏物語

2007年12月12日

江戸漫歩(3)36年ぶりの東京タワー

 著作権に関するセミナーに参加してきました。

 韓国の出版社が、私の教え子の源氏絵で、現在私の手元にあるものを、勝手に無断で『源氏物語』の韓国語訳の本の表紙に使っています。それも、絵を刳り貫いて反転させるという、悪質な手口での盗用です。ついウッカリどころではなくて、確信的な犯行です。
 電話とメールで抗議はしましたが、おざなりな反省を示すだけで、誠意など微塵も感じられません。
 仕事で韓国へいく機会があり、直接話し合いの場を提案したのですが、その場に来てはくれませんでした。
 この韓国の出版社は、著作物に関する権利意識は、非常に希薄だと言わざるをえません。

 この事実は、これまでに私のプログや、2年前にウィーンで開催されたEAJS(ヨーロッパ日本研究協会)の学会での研究発表の中でも、問題提起をしました。

 相手が中国や韓国の場合は、国際的なモラルなど求めてはいけないのだそうです。しかし、国際社会でまっとうに相手をしてもらいたければ、それなりの誠意は見せてもいいのではないでしょうか。

 その問題を解決するよりよい糸口を探し求めていた時でもあり、楽しみにして知的財産権に関するセミナーに行きました。

 テーマは「文化資料の利用と著作権」と題し、講師は独立行政法人メディア教育開発センターの尾崎史郎氏(元文化庁著作権課マルチメディア著作権室長)でした。
 肩書きだけを見ると、何か近寄り難い文字が並んでいます。しかし、話しぶりは非常に丁寧で、わかりやすいものでした。

 終了後に、韓国から受けている非道な手口について、直接アドバイスをいただきました。ただし、その報告は、また別の機会にします。

 講演会場からの帰り道、目の前に見える東京タワーの方にブラブラと足を向けました。
 この会場には何度も来ているのですが、夕刻だったせいもあるのでしょう。自然と足が進んだのです。


Zxtrffiw_s芝・増上寺から



 東京タワーには、若き日の思い出があります。

 私は、高校を出てすぐに大阪から東京に出ました。しかし、すぐに病気をして内蔵の摘出手術を受け、また大阪に戻りました。大阪万国博覧会に沸く時でした。
 その半年後に再度上京。中断した新聞配達の仕事をする中で、会社の費用で運転免許を取らせてもらいました。

 仕事は、早朝の3時頃、刷り上がったばかりの新聞を、エルフというトラックで築地の印刷所に取りに行き、それを新聞販売店に落としていくのです。その後、自分の店にもどって、自分の配達区域の割当分を配ります。450部を担当していました。
 朝食後は、翌日以降に入れる折り込みのチラシを、印刷屋に車で取りに行き、それを店に置いてから、やおら大学に行きました。夕方には夕刊があるので、早めに授業を抜けます。王朝文学研究会というゼミ活動は、夕刊を配り終えてからまた大学に行ってやりました。

 そんな生活が安定した頃に、父と母を東京に呼びました。そして、仕事で使っていたスバルのサンバーという軽貨物自動車に2人を乗せ、東京タワーへ連れて行ったのです。
 地下の駐車場に車をバックで止めた時に、母が、運転がうまいね、と褒めてくれた時の嬉しさが忘れられません。

 高校を卒業した私は、貧しかった我が家の負担を考えて、朝日新聞の奨学生となりました。大学の受験料から授業料のみならず、生活費としての給料や奨学金までもらえるのです。親の世話にならずに、大学で勉強ができるのです。
 姉は、家庭の事情もあり、高校を終えると銀行に就職し、後に、通信教育で短大を終了したのです。
 そんなわけで、我ら兄弟は、高校卒業後は、親からは金銭的な世話にはならないように心がけてきました。
 もっとも、母親はしばしばお小遣いを送ってくれました。姉や伯母も、たまにお小遣いをくれたものです。

 父の川柳句集『ひとつぶのむぎ』に、次のような作品があるのは、こうした背景があったからです。

  寝る起きる食う働くを疑う日
  貧乏は金で事足る単純さ
  内職の明日の希望へ子の寝息
  内職の明日の希望は子の寝顔
  肉なしのすき焼だった頃もあり
  へそくりのお陰で恥をかかずに済み
  貧乏と信用はまた別なもの
  苦難期の我が家まもった妻の針
  子の受験までに越したい広い家
  東京の苦労へ送る夜業の灯
  貧乏が薬あの子のド根性
  スキ焼へ済まぬと苦学の子に詫びる
  根性という財産のあり子の苦学
  ひと事でない我が子もハンドル握ってる  


 話をもどします。
 自立した生活を始めたという自負があったからでしょうか。育ててくれた父と母を、自分が運転する車に乗せ、日本一高い東京タワーに案内したのです。私が両親にした、一番の親孝行だったと思っています。
 エレベータで上にあがったはずですが、どうだったか覚えていません。節約家の父と一緒だったので、入場料のいらない下の階を見て回っただけだったかもしれません。
 職業軍人として満州で苦労し、さらにはシベリアに抑留されて生死をさまよった父のために、皇居の回りを走ったことでしょう。覚えていませんが。

 私の結婚式は、東京タワーの下にあった全特会館というところでした。私の誕生日に結婚式をするということで、新宿の伊勢丹の中にあったブライダルセンターで紹介してもらいました。
 まだ大学院の修士課程の1年生でした。何かと生活に困っていた時でもあり、妻に助けられての研究生活でした。妻が仕事から帰る頃に、自転車で南浦和の駅まで迎えに行き、2人乗りをして帰ったものです。
 昼間は、大家さんがキュウリなどを持ってきてくれたので、一緒にお酒を飲んだりもしていました。牧歌的な時代です。
 結婚式場だった所は、特定郵便局の民営化に伴い、いろいろと問題になっていたように思います。今この会館がどうなっているのか、ネットで調べてみたのですが、わかりませんでした。

 そんな若き日の思い出の地である東京タワーに、今日、行ったのです。建物の中に入ったのは、まさに36年ぶりです。

 クリスマスの前でもあり、イルミネーションがきれいに飾られていました。見上げると、気持ちがスーッと大空に吸い取られそうになります。


5yo1bvbu_s見上げる



 たくさんの人が入場の列を作っています。


Fbwqx4wj_s入場待ち



 私は、かつてそうだったと思われるので、入場料を払ってエレベータに乗るのではなくて、歩いて4階まで見て回りました。興味のあるものは何一つありませんでした。
 しかし、これも記念にと思って、クリスタルの中に東京タワーを点で彫った置物を買いました。


2tos11b3_sクリスタル



 最近、思い出の地に行きたくなることが多くなりました。その反面、まだ行ったことのない所へ、無性に行きたくなります。
 これまで、私は生き急いできたように思います。
 18歳の時に十二指腸が破れ、緊急手術で一命をとりとめた時に、45歳までは、か、後45年は生きられることになったのだから、これからはのんびりと生きなさい、という担当医の励ましのことばが常に耳に響いています。

 そのこともあって、45歳で大学院博士後期課程に入学し、生きることの再スタートを切ることでもう一度やり直すことにしました。
 次は、63歳という定年が節目になります。
 その時期が近づいて来たせいでしょうか、過去を振り返ったり、これまでに出来なかったことにチャレンジしたりしている自分に、改めて気づくことがあります。

 この世に生まれ、父と母のいるところへ向かって、たくさんの思い出作りと、その旧懐の情を暖めることの心地よさを、無意識に希求しだしたのでしょうか。

 もうしばらく己の求めるままに、行きたいところへ行き、手にしたいものを傍に置き、好きな本を読みながら生きていこうと思います。

 変わらぬお付き合いをしてくださる方々と、京都を舞台にして、思い出作りの終章を書きつづることにします。



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2007年12月10日

コンピュータ離れ宣言

 マッキントッシュのOSがバージョンアップされました。
 いつも、先陣を切って新しいものに対応して来ました。そのために膨大な時間を費やしてきました。
 最初のモノにはトラブルがつきものです。その不完全なものに対処するために、必ず、たくさんの労力と時間が吸い上げられます。

 仕事の8割は、コンピュータのご機嫌取りをしている、と常々言っているだけの痛い目にあって来たからこそ、自信を持って8割が無駄と言えます。無駄と言うことばが不適切なら、活用のための準備作業ということになります。

 見方を変えれば、トラブルを無事に回避できた時の快感が忘れられなくて、コンピュータにどう対処するか、という方に意義を見つけていたところも、無きにしもあらずです。
 まさに、本末転倒です。道具の使いこなしに懸命になっていたのですから。
 それだけ、コンピュータが未熟な文房具

 今回のマックOSのバージョンアップには、柄にもなく慎重にまわりの様子を見ていました。そして、1ヶ月以上経ったので、もういいだろうと、新しいOSに移行するためのインストール作業を始めました。

 ところが、問屋はそうは卸してはくれません。またまた、とんでもないことに直面しました。

 先ほどまで、インストールをしようとしたパソコンは、今は完全に無反応となり、使い物になりません。ただの箱と化しています。
 仕方がないので、使わなくなっていたパソコンを取り出して、ようやく何とかネットにつなげることができたところです。

 簡単に説明します。
 これまでは、タイガー(Mac OS X 10.4)を快調に使っていました。今秋、新たにバージョンアップしたレパード(Mac OS X 10.5)と言うシステムが公開されたのです。
 新システムに移行するために、ジッと機会を狙っていました。
 そして、たくさんのネットの書き込みを見て、もういいだろうと判断し、ようやくタイガーからレパードへ移るためにインストール作業を始めたのです。ところが、途中でエラーが出て、インストールに失敗したとのメッセージがでました。そこで、指示通りに再起動をしたところ、何とパソコンがウンともスンとも言わなくなりました。

 仕方がないので、アップルに電話をして、アドバイスをもらうことにしました。すると、こちらの説明を聞いた後に担当者は、内蔵のハードディスクを初期化する以外に方法はない、とのことでした。
 つまり、これまでのプログラムやデータはすべて消えてなくなることになります。それでも、いろいろとクリアーすることがいくつかあるようです。写真の取り扱いなどで。
 私は、3ヶ所で仕事をしているので、後の2個所のデータを持ってくれば、ほぼ旧態に復することはできます。しかし、各種ソフトウェアの再インストールや、データの調整などなど、たくさんの時間が余分にかかることは事実です。

 どうやら、最初から初期化を前提にしてのインストールなら、このようなことは起らないそうです。これまでのシステムの上に新しいシステムを上書きしようとする場合に、このような致命的な死刑宣告を受けるようです。
 公式には発表されていませんが、どうやらこのような症状で苦渋を舐めた人が相当数いるような口ぶりでした。
 この被害は、今後とも増えることでしょう。

 とにかく、この仮死状態のパソコンをどうするのか。しばらくはこのまま眠っていてもらうことにします。

 私は、人にパソコンの違いを聞かれた時に、ウインドウズはビジネスマシンで、マッキントッシュはクリエイティブマシンだ、と答えています。

 それだけに、私が手にするパソコンは、という限定付きにしますが、トラブルは頻繁です。高い性能や機能を気に入っているだけに、その分トラブルに巻き込まれる可能性も高いし、そのような使い方をしているとも言えましょう。自分の思考の肩代わりをしている部分がある、とそう思う事で、自分を納得させています。
 かと言って、ウインドウズのビジネスユーザーに降りる気は、さらさらありません。

 システムの更新は、すんなりと出来たためしがありません。これまでにも、何度もアップルの電話サポートを受けています。
 パソコンとの付き合いの8割は、仕事のためのメンテナンスに費やされている、という持論を、今回も証明してしまいました。

 もう、5年ほど前からでしょうか、だんだんと、コンピュータ離れを意識してしつつありました。そんな時期だけに、これで私のコンピュータとの付き合いは、より一層距離をおくことになるかと思います。
 自分の文学関連の研究に、コンピュータとかパソコンとかデータベースということばは、確実に使わなくなっています。

 コンピュータのトラブルに巻き込まれることには馴れているので、今回の事態に動ずることはありません。このことで感情的になってはいないのですが、これまでのコンピュータから引きぎみだった姿勢が、ますますそうなるのは確実です。
 利用できるときには利用する、というユーザーになっていくように思います。

 スパムメールを毎日600通以上削除している日々の中で、いかにコンピュータを使わない生活に戻るかは、さらに真剣に離れ方を考える事態となりました。
 最近はメールを適当に読み流しています。適当に、エイヤッと膨大な量のメールを削除しています。
 メールを出しても返事がない、と不審がっていらっしゃる多くの方へ、ここでお詫びします。実は、適当な機会に、見もしないで削除しています。

 メールを送った方は、無視されたのではと思われるかもしれません。失礼なことであることは自覚しています。それでも、致命的なことには立ち至ってはいないので、結局はメールはそれだけの簡便な事務連絡レベルのものだと、得心しています。
 というよりも、私の仕事の上では、それが可能だ、ということです。
 社会の大勢となっているメールによるコミュニケーションを、自らの意思で無意味なものにしようとしているのです。こんな対処法も、場合によっては認められてもいいのではないでしょうか。

 利用できる範囲で、利用できることだけに活用する、というコンピュータの使い方です。

 今後とも、メールでの連絡を取っておられる方は、私がそのような考え方に変りつつあることを、どうかご理解ください。

 コンピュータに30年近く親しんできた結果が、コンピュータ離れのすすめ、ということに落ち着きました。
 皮肉なものです。
 と言うよりも、コンピュータに頼りすぎてきたことへの、自分としての反省からの帰着点です。

 歳をとったせいで、コンピュータがうまく使えなくて、ということを口実に、当分は不義理を重ねることになります。
 しかし、これも止むを得ないことと、私の中では納得しています。
 後は、私のこの方針と、社会がコンピュータやインターネットを過信している状態が続いていることと、どう折り合いをつけるか、という問題になります。
 難しいことは考えず、コンピュータやインターネットとの付き合いは、適当にかわしながら生きていくことにします。

 毎度のことながら、コンピュータに手痛い目にあわされた時には、落ち込むことが多かったように思います。しかし、今回は、一つの自分なりの対処法が確認できたのです。
 意義深いトラブルになった、と思う事にします。



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2007年12月08日

古都散策(27)法隆寺と龍田川の紅葉

 久しぶりに、古都奈良の紅葉を見て来ました。
 少し曇っていたせいか、紅葉もややくすんでいたように見えました。例年は、もっと赤味があったように思うのですが……。もっとも、京都のような鮮やかさはないのが、奈良の特徴ではないでしょうか。

 法隆寺へは、東端の夢殿の方から境内に入りました。


9azy4ypz_s法隆寺の参道



 この長い参道は、我が家の子どもたちの遊び場でした。
 この直線距離を、行ったり来たりと、走り回っていました。そして、修学旅行の生徒さんたちからお菓子をもらい、また元気に走っていました。
 法隆寺は、我が家の庭の一部だったのです。

 法隆寺に来ると、私はいつも西端にある西円堂に足を向けます。金堂や講堂や五重の塔は、お客様をお連れした時だけ見ます。

 その西円堂に行く曲がり角に、湯茶のある休憩所があります。その和室に、紅葉が舞い込んでいました。


Mplgffs1_s休憩所の和室


 この雰囲気は、まさに奈良です。

 この休憩所で、二人の男の子が拾い集めた紅葉を、お母さんに競うようにして見せ合っていました。
 ほほ笑ましい光景だったので、思わずシャッターを切りました。


Te3ooszd_s紅葉を見せ合う



 ここから五重の塔を見ると、紅葉のすき間からかすかに見えます。


_fopubxk_s五重塔



 お茶飲み場をでて右に曲がると、目の前の石段の上に西円堂があります。国宝です。しかし、ほとんど人が来ません。


3oggr7dt_s西円堂



 ところが、今日はたくさんの人がいました。
 ボランティアの案内によって、ここに来た人たちのようです。

 西円堂は峰薬師をお祀りしています。しかし、私はその右横の十一面観音が大好きです。
 仏様を独り占めできる空間です。贅沢な時間を過ごせます。

 帰り道に、池の傍らに建っていた句碑に、初めて気付きました。


Wtr1cn_h_s柿くへば



     法隆寺の茶店に憩ひて
   柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 子規


 この俳句は知っていたのですが、句碑がここにあることは知りませんでした。地元ということで、観光ガイドブックを見ていなかったからでしょう。

 平群の自宅に帰る途中、龍田川の紅葉を見ました。一番きれいなのは、もう少し下った、龍田大橋の下のほうがいいのですが……。


Inwwbw2c_s龍田の紅葉



 我が家の下を流れていた龍田川は、かつては生活排水が流されて泡が浮いていました。しかし、今はきれいになっています。ただし、紅葉を愛でる川にまではなっていないのが惜しまれます。

 今日は、平群の家ともお別れの日です。
 最後まで残しておいたものを持ち帰ります。
 玄関の門柱に24年間も埋め込まれていた表札も、丁寧に外しました。


Ss7zmwtp_s表札の跡





 石の窪みの中にセメントで着けてあったので、取り外すのに30分弱かかりました。
 これは、父がくれたものです。
 長い間、家族を見守ってくれた品の一つです。

 京都の秋を堪能した後に、こうして奈良に来てみると、その違いを実感できました。

 空気の重さが違うようです。奈良が少し重いような……。
 空気の色が違うようです。奈良が少し彩度を落とし気味?
 空気の香りが違うようです。奈良は木の葉の香りがします。

 大学を出てから、河内高安に住みながら平安時代を見てきました。
 そして、古都奈良に住んで平安時代というものを眺めて来ました。
 これからは、平安京の市中から、その歴史の舞台を肌身に感じていくことになります。

 日々、楽しみが増えています。

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2007年12月07日

崎陽軒のシュウマイ

 横浜・崎陽軒のシュウマイが、原材料名の記載順を偽っていたということで、販売休止となっていました。

 先週の金曜日は、東京駅の売店では撤去されたままでした。それが、今日の金曜日には、ズラリと並んでいました。
 京都に帰るときに、夕刻でもあるので、少しお腹を満たすために買って新幹線に乗ることがよくあります。
 そこで、今日も早速、一包み購入しました。
 15個入りで550円です。

 売り子さんに聞くと、先週の土曜日から販売を再開したのだそうです。

 写真を見れば、あれか、と懐かしく思い出される方も多いことでしょう。いまだにこのパッケージで健在なのです。


Izh9j4az_sシュウマイ



 裏をみると、原材料名の並び方が、ニュースで話題になっていた通りに、「豚肉、たまねぎ、澱粉、小麦粉、干帆立貝柱、……」と、修正されたシールになっていました。


Hobs3cef_s原材料名表示



これが以前は、「豚肉、干帆立貝柱、……」だったことが問題にされたのです。「干帆立貝柱」が、いかにもたくさん入っているような誤解をまねくので、正確ではなく、法律違反だということでした。

 正確ではないということでは、やはり正しいほうがいいのでしょう。しかし、食品偽装のとばっちりと言えなくもありません。

 いずれにしても、復活を祝いたいと思います。

 それにしても、シュウマイや豚まんは、そのニオイが気になりますね。電車の中などでは、開いて食べるのに気が引けます。その包みを持っているだけで、回りへの配慮をしてしまいます。

 おいしいものだけに、この匂い対策にも、企業努力をお願いしたいものです。
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2007年12月06日

私の好きな父の川柳

 12月3日の「京洛逍遥(18)八坂神社の西楼門」で、父の川柳を紹介しました。
 改めて読み直しましたので、その中で気に入っている句を紹介します。


Fyqfqkt6_s父の句集



 なお、この『句集 ひとつぶのむぎ』は、昭和58年(1983)4月に私家版として刊行したものです。限定出版だったので、関係者しか知らない本です。この本は、父の川柳を、癌で死ぬことがわかってから急遽3ヶ月間で句集としてまとめて刊行したものです。ただし、まだパソコンが普及していない時代におけるディスクトップ・パブリッシングだったこともあり、技術的にいろいろな問題に直面する中で、個人出版レベルで刊行に漕ぎ着けたものです。

 それはさておき、こんな句があります。

  横に這う蟹に教わる事なきや
  タテに這えと子供をしかる蟹の親
  貧しくも明日への光子の寝顔
  我が家にも壁画残して子の育ち
  またあの子が自己主張した爪はじき
  食えるまでにするのが大変男の子
  へそくりを又はき出して子の育ち
  スキヤキへ済まぬと苦学の子に詫びる
  子の帰省妻食わせたいものばかり
  孫帰り元の二人へ月の影
  内孫が期待通りの女の子
  トイレにも本棚作り文科系
  気の長い話で母を喜ばせ
  初恋は歩いただけのコンチキチン
  コンピュータに合点のゆかぬ大安日
  大安に火入れ式する原子の炉
  祝辞延々あくび同志は下を向き
  言い勝って空しい風が吹くコタツ
  民族衣装ひとりで着られぬ国もあり
  あの球は打つべきでしたネット裏
  勝つべきでないぞこここそ負け所
  悩み相談受ける側にも悩みあり
  親切の切り上げ時を知らぬ人
  帰り道かすかな悔を月になげ
  辞書にない知識父母から受けたもの
  出ばやしは遂になかった亡父の運
  老残を思うカラカラのセロテープ
  世話人に名を連ねてる出世組
  潰瘍を教えてソッと拭く涙
  五百羅漢の中の一人に父を見た

 この句集ができ、自分の手で発送をすべて終えた数日後、残された父の遺品の中に、こんな句がありました。

   5ヶ月の内孫に
  病窓にいとし笑顔見る今宵
  週毎の成長の度を支えとし
  ランドセル背負う姿を見るまでは
  幼くも私一人は平群人
  みな持って行くぞこの子の苦と病い

   外孫に
  強くあれ祖父の命は召さるとも
  見舞状お元気ですかおじいちゃん


 この句集を残しての旅立ちでした。
 そして、父は自分の病名を知っていたのです。
 我々家族は隠し通したつもりだったのですが……。
 最後まで快くだまされてくれた父に感謝しています。

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2007年12月04日

『源氏物語』とガラス工芸

 植村佳菜子さんが、『源氏物語』を題材にした絵を、ガラスの大皿に描いています。世界に類を見ない、特殊な技能の成果だそうです。

 『源氏物語』の1巻につき1枚のガラス絵作品を仕上げるので、54枚で完成です。まだ、10枚ほどしか出来ていませんが、これからピッチがあがることでしょう。

 先週末に、まずは宇治十帖から仕上げよう、ということで今後の打ち合わせをして来ました。
 来年の源氏物語千年紀の内に、完成したらいいですね。

 植村さんは20代の頃に、源氏絵108枚を描き終えています。私のホームページの1つである〈源氏物語電子資料館〉で、その前半部分を公開しています。

http://www.nijl.ac.jp/~t.ito/HTML/R1.4.1_kanako/R1.4.1_Kanako00.html

 この中の2点、「須磨」と「関屋」を、韓国語訳の『源氏物語』の表紙に勝手に使われました。
 絵を切り抜いたり、反転させたりと、ひどいことがなされています。
 韓国では、芸術に対するモラルが欠損している方が多いので、こうした悪質な盗用行為に対して、どのように対処すべきか、苦慮しています。

 それはさておき、今回、植村さんのガラス絵の製作現場である「ガラス工房やまむら」に行き、源氏絵を描く土台とも言うべき、重要な素材であるガラスの大皿作成作業の様子を見てきました。

 「ガラス工房やまむら」は、西宮市用海町の「酒蔵通り煉瓦館」の中にありました。


Jjtmq7q9_s入口




 工房の入口には、植村さんの作品が展示されていました。


Gmuobpdx_s展示ウインドー



 ガラス工芸家チーフである竹内まさしさんの仕事を、写真で紹介しましょう。
 今回私は、連写のできるカメラを持っていたので、200枚近く撮影しました。その内から数枚を選んで掲載します。

 まずは、金属のパイプの先にドロドロに溶けた液体状のガラスを取って、形を整えます。


Qgysv7tp_sスタート



 次に、大きなピンセットを使って、さらに加工をします。


Uys7slhb_s形を
整える



 この作業現場は、溶鉱炉の熱で満ちています。しかし、傍にいた私は、汗をかくほどではありませんでした。

 この小さな電球のような塊に、さらに液体状のガラスを絡めます。


Mpdnetpr_s煮えたぎるガラスを追加



 水で濡らした紙の上で、丸い電球の形ができます。
 最初から比べると、少しずつ大きくなり、色も鮮やかになってきました。


Xxwreysd_s徐々に大きくなる



 ここで、パイプに息を吹き込み、さらに大きな電球状にします。この姿勢が、何とも言えずカッコよかったのです。


Vmv5rrfd_s吹いて膨らませる



 次は、アシスタントの濱上さんとの共同作業となります。
 この呼吸が、作品の出来に大きな影響を与えるようなので、連携プレーに魅入ってしまいました。


Wrax4zsj_s共同作業



 そして、ガラスのポットの縁に、鮮やかな別のガラスを巻き付けます。


Hgpku1jt_s縁を付ける



 お二人は、なかなかの呼吸でした。

 縁の付いた、金魚鉢のようなものを、さらに整形します。金魚鉢の中に、火花が散っていました。相当の熱を帯びているのでしょう。


Icdxgaa6_s金魚鉢?



 この金魚鉢を溶鉱炉に入れ、熱するやいなや取り出して回転させると、なんとガラスの鉢が一枚のプレートに早変わりします。
 一瞬の出来事だったので、手品を見る思いでした。


Rugtsn87_s突然のマジック



 これが、植村さんが源氏絵を描くキャンバスの原型です。これをさらに焼いて、大皿に仕上げるのだそうです。

 感動的な場面を体感しました。
 ガラス作りの体験を勧められましたが、武内さんのお手並みのすばらしさに圧倒され、チャレンジをする意欲を完全に削がれてしまいました。次の機会には、ぜひ体験したいと思っています。

 まさに、1つ1つが手作りの世界です。
 植村さんがいい作品を描き続けられるように、そのキャンバスでもある大皿を製作される武内さんには、ますますの活躍を願うのみです。
 あと40数枚の大皿を、よろしくお願いします。

 こうして作られた大皿に描かれた源氏絵は、こんなふうにでき上がります。
 その作品の1つを紹介しましょう。
 後日、何枚かをまとめて取り上げますが、ひとまずはこんな形です、ということで……。

Drlb_ecj_s一例として



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2007年12月03日

京洛逍遥(18)八坂神社の西楼門

 八坂神社の西楼門(重要文化財)の保存修理が終わりました。氏子らによる通り初めの翌日、舞楽の奉納があるとのことなので、自転車で行ってみました。
 賀茂川を下ること20分で四条大橋に着きました。

 京都四条の南座には、まねきが上がっています。


D9in8gnc_sまねき



 八坂神社へ向かう道は、歩道も車道もいっぱいです。
 師走に入ったことを実感します。


V3qemtvu_s祇園



 祇園から見て正面に建つ西楼門は、切り妻造りの二階建てです。


Fiudcjpk_s西楼門



 瓦の葺き替えなどの大修理は、95年ぶりだそうです。
 朱や緑が鮮やかです。

 私は、神社のたたずまいは、色鮮やかでキリリとしている方が好きです。空気を切る雰囲気が、日本の神社にはふさわしいと思います。
 お寺も、同じようにあってほしいと思います。枯れた色の雰囲気よりも、やはり鮮やかであってほしいのです。
 ただし、インドのように、電飾による満艦飾のお寺には、やはり違和感を感じます。そこはホドホドに、というところでしょうか。
 現世利益を求める意味から、お寺はあまり色褪せていない方がいいですね。

 さて、立ち並ぶ露店の間を抜けて境内に入ると、奉祝の行事は、残念なことに終わったばかりでした。

 八坂神社というと、父の川柳が思い浮かびます。
 人生に迷った時の教訓から、父はこんな川柳を作ったのです(『句集 ひとつぶのむぎ』より)。

  人生の岐路占い流石他人なり
  道二つ手相見事に決めてくれ

 八坂神社の占い師のことを詠んだものです。
 国鉄(今のJR)でコンピュータの導入と運用・指導をしていた叔父も、この八坂神社で筮竹を扱う占い師を見て、二進法で動く今のノイマン型コンピュータの限界を知るとともに、その活用の道にヒントを得たとのことでした。
 共に、20年以上も前に亡くなりましたが、久しぶりの八坂さんに詣でて、話し好きだった2人のことを思い出しました。

 今も、境内には占い師が何人もいました。
 せっかくなので、裏手の円山公園を散策しました。

 坂本龍馬と中岡慎太郎も、紅葉を背景に御所の方角を見ています。


Gccqhcn1_s龍馬と慎太郎



 公園の奥には、川端康成の小説『古都』に出て来る、料亭の左阿弥があります。


Kwyos9vc_s左阿弥



 小説では、最終場面で、八重子を慕う竜介の父から、息子をお宅の店へ手伝いに入れさせてくれ、と頼まれます。八重子のそばに、少しでも長くいさせたいからと。
 そんな会話が交わされたのが、この左阿弥でした。

 円山公園の庭の紅葉は、色づき具合がちょうどいい時でした。


4xpczixr_s園内の紅葉



 私は、紅葉よりも、黄葉の柔らかな雰囲気が好きです。紅葉も、陽の光を透かして見る、明るい色合いが好きです。
 10年前だったでしょうか、家族といった清水寺の舞台下の、光輝く紅葉が、朱というよりも黄に近かったのが印象的でした。

 来週あたりの東山が楽しみです。


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2007年12月01日

読書雑記(5)川端康成『古都』

 ノーベル賞作家の小説を、久しぶりに読みました。
 多分に、京都をどう描いていたのかを確認するためです。

 『古都』は、思い出せないほど昔に読んだはずです。そして、山口百恵の映画もみました。
 もっとも、双子の姉妹が出て来ることと、北山が出て来ることしか思い出せないままに読みました。

 この文章は、読点が切れ切れのために、読み進む内にリズムを乱されました。意外と、川端は文章の表記がへただったのです。
 また、文中に、記号としての( )が出てきて、作者が補足説明をしています。これは、レポートのような解説口調に思えて、読んでいて邪魔でした。
 こうした点は、作者にとっては何か意図があるのでしょう。川端の研究は進んでいるでしょうから、何か解明されているのでしょう。
 門外漢の私は、そんなことは知らないので、とにかく内容はいいのに文字の表記がへただ、と思っています。

 物語の最後は、きれいな終わり方でした。京の早朝の雪の中を帰る苗子と、それを見送る八重子は、一幅の絵画です。
 ただし、話としては消化不良でした。二人の今後については、読者の側に投げ出されています。ここまでの展開を味わうことで十分な小説となっているので、それはいいと思います。そうだからこそ、もう少し二人のこれからの手がかりがほしくなりました。

 作品全体の雰囲気を作っている京言葉に、私としては違和感を覚えました。きれいな言葉遣いになっているのですが、その流れがぎこちないのです。流れるような美しさがありません。滑らかさがない、と言えばいいのでしょうか。
 この点は、水上勉の方が、数段上です。

 作者のあとがきを見ると、この小説は、眠り薬を使って書いたことと、京言葉を人に直してもらったと告白しています。
 作品の中で京言葉がしっくりとなじんでいないのは、こうしたことと関係するのかも知れません。検証する暇がないので、指摘に留まりますが。

 京都が美化されているのも、気になりました。小説だからいい、と言えばそれまでですが……。
 京都は、新しいものをどん欲に取り入れて今日に至っています。常に新しいものを受け入れて来ました。その点で、この小説の古都は、そうしたエネルギーを持った街としては描かれていません。京都という街の観光的な視点から懐古に留まってしまったのは、残念なことでした。

 あまり名作をけなすつもりはなかったのですが、思い出して記すうちに、こんなことになってしまいました。

 北山の杉の人工的なことを批判する苗子と、最後に竜介と問屋を変えようとする八重子を、もっと活き活きと描いてほしかったと思います。あまりにも日本的な美とされている世界に閉じこもったために、そうした展開がみられません。この小説は、明日を見る目をもっと注ぎ込んだら、きれいなだけでは終わらない作品になったことでしょう。

 この点が、ことばを使って書いた作品が、活き活きと読み継がれるか、一時の美の結晶として終わるかの、いわば分岐点だったように思います。

 私は、この『古都』は、後ろ向きの古典作品、として評価したいと思います。【3】
posted by genjiito at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書雑記