2025年03月17日

地域の集いの場となっているグリーンカフェと話し合いの場に参加

 毎月第3月曜日は、集会所でグリーンカフェが開催されます。

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 今日も多くの方が集まっておられました。

 テーブルの上には、間違い探しや四字熟語のパズル、そしてひらがなで埋まったシートから都道府県名を探し出す脳トレをしました。みなさん、思い思いに取り組んでおられます。
 ストレッチの後は、「ボケない音頭」というものを、お座敷小唄の替え歌で歌いました。この歌詞は、地域の方が作られたそうです。


1. 歌や踊りを習う人
 いつも気持ちの若い人
 人に感謝のできる人
 年をとってもボケません
2. いつも頭を使う人
 物を書く人ボケません
 すぐに仲良くなれる人
 仲間のいる人ボケません
3. 人のお世話の好きな人
 趣味を持つ人ボケません
 いつも笑って暮らす人
 いつになってもボケません


 こんな調子の歌詞が、7番まで続きます。

 続いて、折り紙を楽しみました。今日は少し複雑だったので、作業の手が止まる方が多くいらっしゃいました。

 グリーンカフェが終わってから、この一年間は開催されなかった地域住民の話し合いの場が持たれました。
 始まってから司会者の方から意見を求められても、どなたからも出なかったので、場繋ぎとして私から近くでゴミを集積する金網と鉄棒で組まれたケージが歩道側に出ていて、私は2回、妻も2回ぶつかり、鉄棒がお腹を直撃したことを報告しました。

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 危ないので何とかしてほしい、という問題提起とお願いです。ここを通るものにしかわからないことなので、問題共有のしにくいことです。しかし、対策はしてほしいので、宇治市からお2人が参加しておられたので、あえて提案しました。宇治市の方には、帰りに現場を見てもらい、危険な状況にあることを確認していただきました。

 先年の犬の鳴き声の問題は、今回の意見交換の場に2度ほど問題点を提起しました。地域の管理会社の不作為による責任を問題としました。しかも、今に至るまで私には一言も回答がないので、犬の鳴き声はなかったというスタンスは続いているようです。私がネットに報告した事象を否定される対処には、呆れ果てています。解決までに1年2カ月、その間の毎日毎日、犬の鳴き声を聞きながら生活をしました。迷惑を被ったのですから、だんまりを決め込まず、なにか一言あってもいいのではないでしょうか。
 今回のことは、一企業の運営上のことではなく、宇治市の行政にかかわることなので、さてこの先どうなるのか、注視して行きたいと思います。

 今日も、同じ方向に行く5人でお喋りをしながら帰りました。
 みなさん、ここでの集まりが日々の活力につながっていることを、集まりの中でも意見としておっしゃっていました。こうした集会が長く続くように願っています。




posted by genjiito at 20:34| Comment(0) | *福祉介護

2025年03月16日

江戸漫歩(176)東京での電車の乗り換えで2度も戸惑う

 昨日は、日比谷図書文化館の講座を終えてから、電車で町田市まで移動しました。
 スタートは、講座があった会場からほど近い、地下鉄千代田線の霞ケ関駅でした。まずは表参道駅で半蔵門線に乗り換え、長津田駅へ行く予定でした。ところが、スタートした霞ヶ関駅の地下通路で大回りをし、あまりにも長く歩かされたこともあり、これだと思って乗ったら日比谷線だったのです。すぐに間違ったことに気がついて、虎ノ門ヒルズから引き返し、もと来た霞ヶ関に戻ります。そして、霞が関の地下でさらに遠く離れた千代田線まで歩きました。大手町駅でよくやる、延々と歩かされるうちに力尽きて乗ってしまう、という乗り換え間違いです。

 千代田線の霞ヶ関駅で乗った電車は、長津田駅への直通ではなくて、渋谷行きでした。渋谷は学生時代に過ごした街であり、私は渋谷の代官山に住んでいたこともあります。勝手知ったる街という思いがあり、渋谷で東急田園都市線に乗り換えればいいと、乗った電車の終点である渋谷の改札を出ました。
 ところが、この東急田園都市線が曲者でした。勝手知ったる、のはずが駅が大改造されていたために、行き先表示に振り回されたのです。50年前の学生時代から、渋谷の駅前は大工事が展開していました。東京を離れてから、東急田園都市線は大きくその位置を移動したのです。その後も何度か渋谷に行っていたのに、50年前の記憶と感覚が身体に染み付いていたようで、今の位置感覚と大幅に狂ったのです。90分の講座を2つやり終えた後、疲れていたためとしておきましょう。

 長々と歩かされ、エスカレーターで地底深くに運ばれて、やっと目的の路線に辿り着きました。結果がわかると、納得です。それにしても、何とも情けないことです。
 その後も、急行に乗るべきなのにあわてて各停に乗り、途中駅で急行待ちをしたりと、お上りさん状態でした。
 JR横浜線に乗り継いだ時には、やっと頭が現実と一致しました。

 今日も、小田急で新宿に出てからJRに乗ろうとして、南口あたりを彷徨いました。西口や東口はよく使っていたのでわかっていても、南口はほとんど使うことがなかったので、右へ行くのか左か、迷いながらウロウロしました。
 行き先は中野です。中野は妻が学生時代に住んでいたところであり、大きくは変わっていないので迷うことはありません。これまでも何度も行った、大好きなブロードウェイを散策です。

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 マニアックな店が多い中に、コンピュータの小物屋さんが何軒かあるので毎回楽しみにしています。しかし、ほしいものはありません。ほとんど持っていることはもちろんのこと、新製品がみあたらなかったのです。情報文具も、もう頭打ちなのでしょうか。生成AIのための人工知能関連の便利グッズが並ぶ日を楽しみにしています。

 4階、3階、2階とお店を回りました。
懐かしいフィギアの中に、ゴジラの人形がありました。我が家にもあったものが、何と78,000円の値札がついていました。息子が、大阪駅前の広場で開催されたゴジラの鳴き声大会で優勝した時にもらったものと同じ物です。引っ越しを繰り返したために、いつしか処分したようです。
 その他、いろいろなオモチャや人形の値段を見て、妻はため息をついていました。すべて処分したものばかりだったからです。ブリキのオモチャなどは、目を疑う値段が付いています。鉄人28号やサザエさんなどもウチにあっただけに、これが、これもかと、目が泳ぐばかりのウインドウショッピングとなりました。
 文房具屋さんにも、マニアが集まる場所だけに、おもしろいものがありました。我が家にいたハリネズミのはっちゃんがデザインされた紙挟みを買いました。
 地階の食品と古着を扱う店は、頭も気持ちもリフレッシュします。メダカ屋さんでは、関東のメダカを観察しました。何度か訪れた、ヘモグロビン A1cを測ってもらったお店は、もうありませんでした。健康チェックをするために、小まめに通っていました。カバンや革製品を買ったお店は、今も健在でした。

 小雨の中、楽しい半日となりました。
 さて、大阪の日本橋の電気屋さん街は、今はどうなっているのでしょうか。
 いつか行ってみたいと思うようになりました。

 今回は加齢のためか、移動に判断ミスを重ねました。毎月通っている東京で彷徨ったことは、少なからず打撃です。スマホの経路案内が、ますます手放せなくなりました。




posted by genjiito at 21:48| Comment(0) | ・江戸漫歩

2025年03月15日

日比谷で「須磨」(22)と『百人一首』(11)を読む

 ミッドタウン日比谷の前のゴジラは、私の大好きなオブシェです。今日も、元気に気炎を吐いています。

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 東京宝塚劇場の前の花は、ビニールで作ったケバケバシイ造花だったのには幻滅しました。なぜこんなものを散策路に並べるのか、その意図を測りかねます。

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 日比谷図書文化館の入口には、いつものように講座の案内が掲示されていました。

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 まず、ハーバード本「須磨」の本文を変体仮名に注目して確認する講座からです。
 最初に、糸罫の試作品を回覧しました。実物を見てもらうことで、書写の実態を体感してもらうためです。
 この糸罫は、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の理事である石田弥寿子さんが作ってくださったものです。

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 今回の「須磨」の本文の確認は、40丁表〜42丁表まででした。

 今回問題としたのは、まずは新しく凡例に加えるものです。

※41丁表1行目「佐満し/(佐満して→)・【給】て/て&【給】、て&て」

250314_「須磨」41oL1佐満し給て.jpg

 「給」は「て」の上になぞり書きされています。そのため、その前の文節とのつながりで最初は「佐満して」と書いて、その後「て」を「給」に変えたため、その訂正前の語句も検索できるようにすることにしました。「→」という記号で文節を跨がることを付加情報として記す表記法を作り、こうした例に対処するようにしました。

 次の例は、ナゾリと傍記に関して、「もと那くき」という語句も検索できるようにしたものです。

※42丁表9行目「もと那可里あへり/くき&可里、可=可里、(もと那くき)」

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 現在は、大島本という室町時代に書かれた写本をもとにして、江戸時代に改訂補訂された本文を『源氏物語』の本文として読んでいます。しかし、ここでは平安から鎌倉時代の本文を扱っています。現在の大島本の語句で作成された古語辞典にない語句も、あるいはあったかもしれないし、鎌倉時代の語句の実相を知るのに参考になるかと思い、こうした例も検索が可能な本文データベースにしようと思っています。

 3例目は、最初の例と同じく、ナゾリが文節を跨がっている場合に、用例として検索できる形で語句を残すことの意義を認めて、記号としての「→」を使用するものです。

※43丁表8行目 「うちな可免/(うちな可免て→)・【給】て/て&【給】・」

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 そんな確認をしてから、本日の範囲の翻字を[変体仮名翻字版]で進めました。


■ハーバード大学蔵『源氏物語 須磨』40丁表〜42丁表

翻字データの中にある付加情報(/)の記号について
傍書(=)、 ミセケチ($)、 ナゾリ(&)、
補入記号有(+)、補入記号無(±)、 和歌の始発部( 「 )・末尾( 」 )、
底本陽明文庫本の語句が当該本にない場合(ナシ) 、 翻字不可・不明(△)
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於ほえぬ・さ毛・な里那む尓・い可ゝ/(い可可)・於ほえ・
【給】へき・ち可き・【程】乃・王可れ尓・【思】於とされん
こそ・祢多可るへ遣れ・伊ける/と&伊、(とける)・よ尓とは・むへ・
よ可らぬ・【人】能・いひをき介んと・いと・那川可し
き・佐ま尓て・満こと尓・【物】を・於も本しいりて・
の多ま者する尓・こと徒けて・本ろ/\と/(本ろ本ろと)・こ
本るれ八・佐里や・い川れ尓・於徒るならんと・
の多ま者す・いまゝて/(いままて)・みこ多ち多尓・なき
こそ・さう/\し介れ/(さうさうし介れ)・【東宮】を・【院】の・ゝ多
満者勢し/(の多満者勢し)・佐ま尓・於もへと・よ可らぬ・ことゝもの/(ことともの)、の〈丁末左〉、(40オ)
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いてくめるこそ・【心】くるしくなと・【世】を・【御心】
の・本可尓・ま川里こち那し・【給】・【人】/\の/(【人人】の)・ある尓・
王可き・【御心】の・徒よき・【所】・なきほと尓て・いと
をしく・於ほし堂る・【事】・於ほ可里・[23]春満尓八・
いとゝ/(いとと)・【心】川くしの・【秋風】尓・う見八・すこし・とほ介
れと・ゆきひらの【中納言】の・せき・ふきこゆると・
いひ介ん・うらな三・よる/\は/(よるよるは)・介尓・いと・ち可く・き
こゑて・【又】なく・あ八れなる・毛のは・可ゝる/(可可る)・【所】乃・
【秋】なり介り・【御】まへ尓・いとひとすく那尓て・
三那【人】・うちやす三王多ゝれる尓/ゝ〈ママ〉、(王多多れる尓)・ひとり・めを/を〈丁末左〉、(40ウ)
--------------------------------------
・佐満し/(佐満して→)・【給】て/て&【給】、て&て・まくら越・そ八たてゝ/(そ八たてて)・よ毛乃・あら
しを・きゝ/(きき)・【給】尓・な三八多ゝ古ゝもとに/(多多古古もとに)・多
ちくる・【心】ち・して・奈三多・越徒とも・於もえぬ尓・
満くら・うく八可り尓・な里尓介り・きむを・
寿こし・可きならし【給】へる可・王れ奈可ら・
いと・ナシ・すこく・きこゆれ八・ひきさし・【給】て・
「【恋】王ひ弖・なく・祢尓・ま可ふ・うら那三は・
於もふ・可多よ里・【風】や・ふくらん」と・う多ひ・
堂満へる尓・【人】/\/(【人人】)・をきて・め弖多く・於ほゆる
尓・えしの者れて・あいなう・於き井弖・者那を/を〈次頁〉、(41オ)
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しのひや可尓・可三王多す・け尓・い可尓・【思】らん・
王可・【身】・ひと川尓・よ里・於や・者ら可ら越も・王可れ・
【程】尓・川けつゝ/(川けつつ)・か多とき堂尓・多ちさり可多く・【思】
らん/ら〈判読〉・いゑちを・者那れ弖・かく・なけきあへる・
【事】を・於も本す尓・いとをしう・王可・ゝく/(可く)・【思】し
徒む・佐ま越毛・こゝろ本そ志と/(こころ本そ志と)・於もふらんと・
於ほ世は・ひるは・な尓くれと・多者ふれこと・
うちの多まひまきらはし・つれ/\なる/(つれつれなる)・
まゝ尓/(まま尓)・いろ/\の/(いろいろの)・可三を・徒き川ゝ/(徒き川川)・て奈らひ・し
堂満ひ・めつらしき・さまなる・からの・あや奈と尓/奈〈次頁〉、(41ウ)
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さ満/\の/(さ満さ満の)・ゑとも那と・すさひ可き・【給】へ
る・【屏風】の・於もてなと・いと・めて多く・み【所】・於ほ可
里・い川そや・ゝまてら尓て/(やまてら尓て)・【人】/\の/(【人人】の)・可多り・きこ
ゑし・う三・【山】の・あ里さまを・者る可尓・於毛本
新や里し越・【御】め・ち可くて八・介尓をよ者ぬ・いそ
の・多ゝすまひ/(多多すまひ)・なく・かきあら者し・堂まへれ八・
この・ころ乃・【上】す尓・すめる・【千】え多・川祢の里
なとを・め志弖・つく里ゑ・徒可う万つらせ者やと・【心】
もと那可里あへり/くき&可里、可=可里、(もと那くき)・めて多く・なつ可しき・【御】あ里
さ満尓・ナシ・ナシ・ナシ・よ/=よろ川イ・毛の於もひ・王須れつゝち可くなれつ可うま川るを/う〈次頁〉、を&を、(王須れつつ)、(42オ)
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 つい説明に熱中していたために、予定の時間を30分も超過しました。受講生のみなさんも、集中しておられたようで、ついオーバーしてしまったのです。先月は、大阪府立中之島図書館での源氏講座でも、30分オーバーしました。今後は、時間をもっと意識することにします。


 1時間の休憩を挟み、後半は『百人一首』の変体仮名を読む講座です。
 吉村試訳で確認し終えた現代語訳は、以下の通りです。訳し方のメモは省略しています。


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■吉村仁志『百人一首』八九〜一〇〇・試訳 (付・仮名文字に関するメモ:伊藤鉃也)
・吉海直人『百人一首で読み解く平安時代』(角川学芸出版、二〇一二年)の訳(以下、底本の訳)を参考にした。
・高校生を意識して、また耳で聞くだけでもわかりやすく、イメージしやすい訳を心がけた。

【八九】
[現代語訳]私の命よ、絶えるならば絶えてしまえ。生きながらえていると、我慢することができなくなって、恋心を他の人に知られてしまうから。

[仮名文字の注意点]「毛そ春る」の字形に注意。


【九○】
[現代語訳]あなたに見せたいものだ。血の涙のせいで、色が変わってしまった私の袖を。雄島の漁師の袖でさえ、どんなに濡れていても、色は変わらないだろうに。

[仮名文字の注意点]「勢」「満」「礼(禮)」「須」の字形に注意。


【九一】
[現代語訳]こおろぎが鳴いている。霜が置くほど寒い夜、私はむしろの上に、自分の衣だけを敷いて、一人寂しく寝るのだろうか。

[仮名文字の注意点]「ころも」「幾」「飛」「年」の字形に注意。


【九二】
[現代語訳]私の袖は、まるで引き潮の時にも見えない、沖にある石のようだ。人は知らないだろうが、涙に濡れて乾くひまもない。

[仮名文字の注意点]「王可」「幾」「こ楚」「満」の字形に注意。


【九三】
[現代語訳]世の中は常に変わらずにあってほしいものだ。渚を漕いでいく漁師が、小舟に繋いだ綱を引く。そんななんでもないような光景を見ると、面白くも、また悲しくも思われる。

[仮名文字の注意点]「可も」「ふ年」「可那」の字形に注意。


【九四】
[現代語訳]吉野山から秋風が吹いてくる。夜も更けた頃、かつての都には、寒い中で衣を打つ砧の音が聞こえてくるようだ。

[仮名文字の注意点]「古ろも」「川」の字形に注意。


【九五】
[現代語訳]恐れ多くも、このつらい世に生きる人々を、私の袖で覆いかけることだ。比叡山に住む私の、墨染めの袖で。

[仮名文字の注意点]「希」「支」「多川」の字形に注意。


【九六】
[現代語訳]花を散らす激しい風が吹く庭で、雪が降るように散りゆく花、だが本当に古びてゆくものは、我が身だったのだなあ。

[仮名文字の注意点]「布」「盤」「王」「遣」の字形に注意。


【九七】
[現代語訳]いくら待っても来ない人を待つ時は、あの松帆の浦の夕凪に焼く藻塩のように、身も心も焦がれながら待っている。

[仮名文字の注意点]「農」「な幾耳」「屋具」の字形に注意。


【九八】
[現代語訳]風がそよそよと楢の葉を揺らす、ならの小川の夕暮れは、もう秋のような涼しさだが、禊が行われていることが、まだ夏であることの証だなあ。

[仮名文字の注意点]「楚」「川」「遣る」の字形に注意。


【九九】
[現代語訳]人が愛しくも、また恨めしくも思われる。世の中をどうしようもないと思うがゆえに、物思いをしている私には。

[仮名文字の注意点]「毛」と「も」の区別と、「免」「幾」「おも」「盤」の字形に注意。


【一〇〇】
[現代語訳]宮中の古い軒端に、忍ぶ草が生えている。それを見て偲ぶにつけても、思いが溢れ出てしまう昔であることだなあ。

[仮名文字の注意点]「婦る幾」「無可し」の字形に注意。

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 100番歌の現代語訳で、「忍ぶ草」と「偲ぶにつけても」という「しのぶ」が漢字で書き分けている箇所があります。しかし、目が見えないなどで耳でこの歌の現代語訳を聞く時に、目に頼った「忍」と「偲」の違いは、音で聞くと区別がつきません。このことに対する配慮は、あらためて考えなければならない問題です。

 昨秋から、尾形光琳のカルタを変体仮名の目慣らしの一つとして提示しています。
 今日は、前回の続きである82番歌から100番歌までを見ました。

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■光琳かるた[変体仮名翻字版-2023] 八二〜一〇〇番歌
(『別冊太陽愛蔵版「百人一首」』、平凡社、一九七四年十一月九日発行 より)

八二 道因法師
おもひ【侘】 さても【命】盤 あるものを
う起耳多え怒は な三多【成】けり

八三 皇太后宮大夫俊成
【世】の【中】は 【道】こ楚な介連 おも日【入】  ([陽明]は「【世中】よ」)
【山】の於く尓も 志可楚【鳴】な類

八四 藤原清輔朝臣
な可らへは 【又】このころや 志の者連ん
うしとみしよ所 【今】盤【恋】し起

八五 俊恵法師
よもす可ら 【物】【思】ふころ八 【明】やら怒   ([陽明]は「やら弖」)
ねやの日万さへ 徒連な可里けり

八六 西行法師
なけゝとて 【月】や盤【物】を おも者する
かこち可本なる わ可【涙】可な

八七 寂蓮法師
【村雨】の つゆも万多日怒 【槙】乃者尓
きり【立】の本類 【秋】乃【夕】くれ

八八 皇嘉門院別当
【難波江】の 阿し能可里ね乃 【一】よゆへ
【身】を徒くしてや こひ王多るへき

八九 式子内親王
【玉】の【緒】よ 多えな盤【絶】ね な可らへは
志のふることの 余は里も楚す類

九〇 殷富門院大輔
みせ者やな をし万のあ満乃 そて多尓も
ぬ連尓楚ぬ礼し 【色】は可盤らし

九一 後京極摂政前太政大臣
き里/\寸 【鳴】や【霜】よの さむしろ尓
ころも可多し起 日と里可もね無

九二 二条院讃岐
わ可そ弖は 【塩干】尓みえ怒 【沖】の【石】能
【人】こ楚志らね かはく【間】もなし          ([陽明]は「しら年」)

九三 鎌倉右大臣
【世中】盤 徒年尓もか毛な ゝきさこく
あ万のを【舟】乃 徒な弖可なしも

九四 参議雅経
みよしのゝ 【山】の【秋】可せ さよ【更】て
ふる【郷】さ無く ころもう津なり

九五 前大僧正慈円
於ほ希なく うき【世】の【民】耳 お本ふ可な
わ可多徒そ万尓 すみ所めの【袖】

九六 入道前太政大臣
【花】さ所ふ あらしの【庭】乃 【雪】ならて
婦りゆくもの盤 わ可【身】な里けり

九七 権中納言定家
こぬ【人】を 万川本のうら能 【夕】なき尓
屋くや毛しほの 【身】もこ可連川ゝ

九八 従二位家隆
【風】そよく ならのを【川】乃 【夕】くれ八
みそ起所【夏】の 志るし【成】けり     ([陽明]は「【成】ける」)

九九 後鳥羽院
【人】もおし 日と毛うら免し あち支なく
よ越【思】ふゆへ耳 もの【思】婦【身】は

一〇〇 順徳院
もゝしきや 布る起【軒】者の 志能ふ尓も
な越あ万里阿類 【昔】な梨気り

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 無事に、予定していた100首の確認を終えました。
 来月は、また別のカルタの文字を加えて、あらたにスタートです。
 少しずつ、変体仮名のスキルが上がるようにしています。




posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ■講座学習

2025年03月14日

京洛逍遥(923)病院帰りは春を待つ鴨川を気ままに花巡り

 ポカポカと穏やかな陽気だったので、京大病院の帰りは鴨川を散策しました。
 出町柳周辺で、春を待つ様子の写真をアップします。

 荒神橋の上流の飛び石は、今日は渡りませんでした。ここを渡るのは、石の並び方が私の今の脚力では危うさが伴うので、少し心構えがいります。またにしました。

250314_荒神の飛び石.jpg


 鴨川デルタ地帯は、多くの方が三々五々、自由な時間を過ごしておられます。ここの飛び石も、今日は足腰に不安があるのでパスです。

250314_鴨川デルタの飛び石.jpg

 散策路のボケは、淡い色の桃色が白色に混じって咲いていて、穏やかな春の到来を待つ雰囲気を伝えています。

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 鴨川沿いの桜は、まだ固い蕾のままなので、春はまだ遠いことを実感させてくれます。

250314_桜の蕾.jpg


 出町柳駅のすぐそばの川端通沿いにある長徳寺の門前では、早咲きの「おかめ桜」が見頃です。

250314_長徳寺のおかめ桜.jpg


 カンヒザクラも満開でした。

250314_カンヒザクラ.jpg

 さらには、サザンカもみごとです。

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 鴨川沿いの桜の開花を待ちながら、気ままに花巡りをしてきました。




posted by genjiito at 21:12| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2025年03月13日

精密検査の結果は大丈夫でした

 年末年始にわたって異常が認められた血尿に関して、宇治徳洲会病院で精密検査を受けていました。その最終的な診断が今日くだされ、今は特段の異常は認められないとのことで、ここでひとまず検査は終了となりました。
 前立腺ガンや膀胱ガンなど、いろいろな可能性の中を、幸いにも、うまくすり抜けられたようです。
 とにかく、昨年は至るところの臓器が検査に引っかかり、いずれも初期の段階で大事に至らないことで凌いで来ました。早めの対処のおかげです。

 新年度は、これまで通りのスケジュールで仕事をします。そして、少しでも異変を感知したら、すぐに病院に駆け込むことにします。

 長生きをすることで、今抱え込んでいるいくつものプロジェクトの道筋をつけることが、当面の私の使命だと思っています。あと20年はほしいところです。効率は悪くとも、遅々として進まない案件が多いので、長く生きることで完成に近づけたいものです。
 バタバタするばかりの日々であっても、健康でさえいれば、何とかなると思っています。
 いろいろなプロジェクトを支えてくださっている方々の手助けを得て、コツコツと前に進んで行きます。引き続き、これまでと変わらないご支援を、よろしくお願いします。




posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | *健康雑記

2025年03月12日

宝塚から中山寺を経て西宮へ

 宝塚市山本にある「珈琲焙煎工房 Hug」へ、コーヒー豆の選別作業や障害福祉サービスの実際を見学するために行ってきました。この就労継続支援B型事業所は、ホームページによると、次のような活動内容が書かれています。

「高次脳機能障がいをはじめとする障がいのある人たちの就労の場として活動しています。それぞれの経験、得意、好きなことを活かし、仲間みんなで協力しあって、珈琲作りをしています。」(https://hugcoffeeroaster.com

 この前にここを訪問した時の報告は、5年半前の記事である「珈琲焙煎工房 Hug で豆の選別と焙煎を体験」(2019年10月03日、http://genjiito.sblo.jp/article/186642215.html)に書きました。かなり詳しく書いているので、Hugのことはその記事に譲ります。

 今日も、コーヒー豆の選別作業が進んでいました。割れたもの、虫が食ったもの、カビが生えたものなどを、懇切丁寧に取り除いておられました。

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250312_豆の取り除き.jpg

 ここの豆を轢いてコーヒーを入れると、雑味や濁りのない、すっきりとしたコーヒーになります。我が家では、この豆を愛飲しています。

 焙煎しておられるところも拝見しました。焙煎温度は230度。焙煎中の豆の色を小窓から見て、細かな温度調節や挽き具合を細かく記録しておられました。最下段の焙煎指数を見ると、工程が安定していることがわかります。

250312_焙煎記録.jpg

 最適な状態になったら、焙煎した豆を取り出して冷やします。
 ここでも、豆が割れたり生焼けの豆は取り除かれます。挽き終わった豆の重さを測り、規定の範囲内であるかを確認してから、袋詰めなどの作業に回されます。
 問題があって取り除かれた豆は、消臭剤になっていました。

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 丹念な作業を拝見して、おいしいコーヒー豆の背景にあるこだわりが伝わってきました。
 挽きたての豆で淹れてくださったコーヒーをいただきました。香りも味も申し分なく、ふくよかな時間を楽しませてもらいました。

 そこからほど近い中山寺に行きました。
 中山寺は中山観音駅からすぐ近くにあり、よく整備されたお寺です。

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 参道では、椿やリュウキュウアセビや梅に小鳥などが、参拝者の目を楽しませてくれます。

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 西国三十三所の札所巡りは、6巡目があと3ヶ寺で満願となります。
 納経所で、残りわずかとなった空白を埋めてもらいました。

250312_朱印.jpg

 お軸は、あと残すところ2ヶ寺となりました。

250312_お軸.jpg

 中山寺から電車で西宮に出て、課題にしていた西宮神社へ行きました。
 ここの表門から右に曲がる参道は、毎年正月9日に行なわれる開門神事の福男選びで、数千人がこの門から走り参りをすることで有名です。

250312_西宮神社の表門.jpg

 今日ここに来たのは、かつて書いたように、奉納された神馬の説明板に書かれた、変体仮名混じりの翻字の背景を調べるためです。

「日比谷で「須磨」(18)と『百人一首』(7)を読む」(2024年11月16日、http://genjiito.sblo.jp/article/191142287.html

 受付で来意を伝えると、権禰宜さんが石碑の前で説明版設置の経緯を語ってくださいました。

250312_碑文.jpg

250312_碑文の翻字.jpg

・この説明板は10年ほど前に新たに設置したものだそうです。
・碑文の文字を字母に忠実に表記した方は、当時は60歳くらいだったとか。
・今は退職して奈良に引退しておられるようです。
・書かれている文字を、正確に知ってほしいと思ってのことではなかったか。
などなど。

 さらにいろいろとお話を伺っていると、権禰宜さんは私の出身大学の10年後輩でした。さらに驚いたことに、宮司さんは私と同学年であることがわかりました。もっとも、宮司さんは史学科、私は文学科でしたが。またもや、奇遇を体験することになりました。
 お話を聞き終わってお別れしてから、ご丁寧にも神社のパンフレットと「令和七年 参拝証」を、権禰宜さんが持ってきてくださいました。また、対応してくださったお2人の巫女さんは、文字のことや歴史のことに詳しい方でした。初対面にもかかわらず、誠実な対応だったこともあり好感を持ちました。この神社の古文書の勉強会にも参加しておられるそうなので、その知識の背景を知り、頼もしく思いました。ますますのご活躍をお祈りします。
 わからないことを尋ね歩いていると、さまざまな体験をします。伝統や文化を手繰り寄せると、それと共に人との出会いも生まれます。楽しい、生きた勉強をしていることを実感することが多いのです。

 帰りは、阪神西宮駅から近鉄奈良行きの直通電車に乗り、大和西大寺駅で近鉄京都線に乗り換えました。神戸、大阪、奈良、京都と、いにしえの都を乗り継いで帰ったのです。こんなスケールの大きな小旅行は、とにかく初めてのことです。収穫の多い一日でした。
 同行の姉と妻が、最後まで付き合ってくれました。いつものことながら感謝します。
 今日の歩数は、13,140歩でした。




posted by genjiito at 23:11| Comment(0) | ・ブラリと

2025年03月11日

集会所でボッチャを楽しむ

 今日は、集会所でボッチャをしました。
 みなさん、もうゲームの要領がわかっているので、際どいプレーに拍手が起きます。

 ジャックボール(目標球)である白いボールに、赤か青のボールを投げたり転がしたりして、いかにジャックボールに近いところで止めるか、というのが勝敗を分けます。
 結果は、私が入っていたチームが大差で負けました。しかし、中身は接戦でした。
 みなさん慣れてこられたので、大逆転は少なくなりました。
 自分のグループの色のボールを、コツコツと白いボールの周りに集めるのが勝ちにつながります。

 単純なゲームだからこそ、みんなで楽しめます。
 慣れてくると、実力というよりも運が勝敗を左右します。
 だから、おもしろいのでしょう。

 あっという間に、時間が過ぎます。
 解散した頃から、雨がポツポツと降り出しました。
 小走りに、大急ぎで帰路につきました。




posted by genjiito at 23:46| Comment(0) | *福祉介護

2025年03月10日

一色でもインクがないと印刷しないプリンタに振り回される

 先週の土曜日は、中之島の講座がある日でした。その準備のために、水曜日と木曜日は資料として配布するプリントの作成に没頭し、金曜日には図書館の事務方に印刷してもらうために、PDF版にして添付ファイルとして送り届ける日でした。その作業の最中に、プリンタが印刷をしてくれなくなったのです。原因は、イエローのインクがなくなったことにあります。作業がストップしたのは、その一色のカートリッジのためなのです。
 こうしたことは、「マーフィーの法則」と言います。「起こる可能性のあることは、いつか実際に起こる。」と言われているものです。なぜ今?、なぜここで! というものがそれです。一番有名なフレーズは、「落としたトーストがバターを塗った面を下にして着地する確率は、カーペットの値段に比例する」というものです。

 さて、くだんのプリンタは、一色でもカラになると印刷が止まります。これは嫌がらせ以外の何ものでもありません。
 エプソンやキャノンの製品はどうか知りません。私は数十年前からアップルのマッキントッシュなので、初期の頃はエプソンやキャノンの製品とは相性が悪く、トラブルに苦労させられました。リコーやブラザーの製品が、当初よりマッキントッシュと相性がよかったので、今でもこのメーカーのプリンタを使っています。現在は、ブラザーが快調に仕事をしてくれています。

 買い置きのインクを探したところ、マゼンダもシアンもブラックも予備が3個以上あります。しかし、今回エラーを起こしているイエローが、あろうことか一つもないのです。まさに、マーフィーの法則。
 そういえば、以前このイエローを買い足そうとして量販店に行ったところ、すでに製造中止となっているプリンタなのでインクも出回っていないとのことでした。

250310_カセット.jpg


 プリンタの本体の価格は、驚くほど安くなっています。かつて、1988年には『源氏物語別本集成』(全十五巻、桜楓社、1989年〜)の版下を自宅で作成のために、キャノンのレーザープリンタを購入しました。トナーが高価でした。さらには2002年に、アップルの大型カラーレーザープリンタを使い出しました。そのプリンタは、2002年当時に80万円もしたものです。長くて丸い筒型のトナー4本を、ヨッコラショッと持ち上げてガッチャンガッチャンとセットしました。トナー1本が数万円した時代です。その小型冷蔵庫のような重たいものを、苦労して家族総出で階段を引き摺り上げたことを覚えています。下の写真は、奈良から京都へ引っ越しをするときに、ほとんどの情報文具を処分した時のものです。

250310_レーザープリンタ.jpg

 以来、プリンタの性能が格段に向上したことに合わせて、インクジェトのプリンタに切り替えました。本体はシンプルな構造だけに、消耗品であるインクで利益を上げる、という話を聞いたことがあります。

 それはともかく、困っているとメーカーの直販サイトがまだ販売していることがわかりました。
 6日(木)に発注して、8日(土)に届きました。ただし届いたと言っても、その日は中之島の講座がある日だったので、タッチの差で間に合いませんでした。それでも、昨日入手できたので、今は溜まりに溜まった文書や資料を印刷しています。

 私は、プリントアウトしたもので校正をします。今回、プリントできなかったので、中之島の資料はモニタの画面に映し出される文字列を見ながら校正をしました。目を酷使したので、モニタに映る文字を見る気力をなくし、作業効率は極端に落ちました。これからの時代は、モニタの文字を見て判断する時代に本格的に突入するようです。この光が映し出す文字を見詰めることを、私はできるだけしないようにしたいと思っています。
 これからの若者の遺伝子は、光の点が構成する文字に耐えられるように、変異して適合して行くのでしょう。しかし、もう私は光の点を見詰めることには耐えられないので、可能な限りパスしようと思います。

 とにかく、プリンタは手元で印刷物を見たり、配布するためには当分はなくならない情報文具として存在するはずです。そうであれば、メーカーのみなさまにお願いです。4本の内の1本のインクがカラになったからといって、プリンタがまったく使えなくなるような製品は販売しないでください。少なくとも、黒色だけでも印刷できるようにしてください。

 今も横では、プリンタが快調に写本をカラーで印刷しています。ワンセット200枚近くあるので、深夜までの残業となるはずです。A4の用紙は2段のカセットにセットできるので、一度に800枚の紙に印刷はできます。用紙が詰まらない限りは、2セットは楽にこなしてくれるはずです。老骨に鞭打って、という譬えは、プリンタさんに失礼かも知れません。がんばれ、がんばれ、と横目で様子をみながら、これからも仲間として共に仕事をしていく日々を送ります。




posted by genjiito at 20:39| Comment(0) | ◎情報社会

2025年03月09日

集会所での会食会のことを批判的に

 今日のお昼に、集会所で「春の会食会」というお食事会がありました。これは、1年に1回か2回あるものです。
 以下、つい批判的な書き方になったことの背景には、高齢者が楽しく安全に集い合う場が今後とも長く続くことを願ってのこととご理解いただき、失礼な物言いにはご寛恕のほどを切にお願いします。
 また、主宰者は参加者のことをもう少し情報として事前に得ておく必要があると思いました。あまりにも能天気な企画で、画一的な対応すぎます。歳を取れば取るほど、食べることひとつにしても、いろいろとあるのですから。学校での給食会の発想では、時代遅れの誹りを免れません。

 いつもの集まりのお食事会は、和やかに進みます。
 次の記事は、その様子がわかる一つです。
「年齢など気にせずに目標を設定する」(2022年09月24日、http://genjiito.sblo.jp/article/189829852.html

 今日の集まりは、いつもの高齢者を対象として開催されているものとは違います。
 私が今回の主宰者のことをよく知らないこともあってか、違和感と不愉快な思いが残りました。
 これまでにも、この主宰者のお食事会と称するものには、2度ほど参加しました。
 まずは、引っ越ししてきた当初。
 コロナ禍であったために、集会所の入口でお弁当をいただいて帰りました。
 次は、たまたま玄関で会った数人だけが集会所の中に入り、テーブルに受け取ったお弁当を広げていただきました。
 昨年は参加しませんでした。

 そして今日。

 何かお手伝いすることがあるかもしれない、とのことで、妻が15分前に集会所に行きました。しかし、どなたもいらっしゃらないし、日曜日で事務所は閉まっているというので、家に引き返してきました。私も行きかけていた時だったので、少し休んで5分前に出かけました。何人か来ておられました。ただし、会食会がはじまったのはそれから20分もしてからでした。ただ待っているのも手持ちぶさたなので、お茶だけでも知り合いの方と相談して配りました。

 目の前には、同じおかずが乗った弁当が全員分、ずらりと並んでいます。
 やがて、おすましが配られました。
 消化管をもたない私は、少量しかいただかないことと、油濃いものは避け、塩辛いものも避け、固いものなどを避けています。それが、すべて入っています。
 鮭の切り身、唐揚げ、竹輪の天麩羅、海老のフライ。
 糸コンニャクの煮しめ、焼き肉、煮しめた筑前煮。
 たくわんと野菜のお漬け物も、横に添えられていました。
 煮しめと焼き肉に手を付けたあたりから、指先が痺れ出しました。私は、急激に血糖値が上がると手に痺れが出るのです。
 危ないと思い、野菜だけをいただくことにしました。

 白寿のTさんとは一昨日、日曜日のお食事会でと言ってお別れしました。今日もお話をしようと思って来ました。弁当は少しだけいただけばいい、と思っていました。それが、まったく私が口に出来るものがなかったのです。

 中心となって今日のお食事会の運営に当たっておられる主宰者の方が、食べ残している私の横に来て、食べきれなかったら持ち帰ってください、とおっしゃいます。
 外で調達してきた弁当を持ち帰るのは、食品衛生上好ましくないと思っているので、残して行きます、とお答えしました。しかし、残されては困るという主旨のことをおっしゃいます。
 そして、2回目に来られた時には、私は1日6回食で一度にたくさん食べられないことを説明しました。そうしたやりとりを見かねたのか、妻は持って帰ります、と言い出しました。私は、これはもう食べないし、衛生的にも箸をつけたものは時間と共に雑菌が繁殖するので、持ち帰るのはやめよう、と制しました。
 それでも、持ち帰るようにと主宰者が3回目に来られた時には、食品ロスの問題もあるので、と強引に持ち帰るようにおっしゃいます。
 そんなやりとりが嫌になったので、妻のプラスチックのお弁当のパッケージに私の分を重ねて輪ゴムで止め、別のお手伝いの方に食べ終わったものとしと処置していただくようにお願いしました。

 お食事会に来て食べないのは、主催者に対しては失礼なことだと思います。しかし、一方的に一種類だけのメニューのお弁当を有無を言わさず配り、集まったみなさんが何かを一緒にするような案も用意されておらず、ただただ人を集めただけでは、何のための会なのか大いに疑問です。
 また、執拗に食べ残しを持ち帰るように言われると、その方の衛生観念を疑います。
 今週だけをとってみても、3件の食中毒の発生が報じられていました。1軒の料亭と2軒の弁当屋さんで出たのです。私は、今日の弁当の配布は食中毒の蔓延の危険性があるので、中止になるのでは、と思っていました。しかし、何の連絡もないので、申し込んだ通りに参加しました。

 お弁当の裏のシールを見ると、この近くの持ち帰りのお弁当屋さんではなくて、少し離れたところにあるお店の名前と住所が書かれていました。甘くて手が痺れ出したこともあり、糖質の記載などを探しました。何も書かれていなかったので、味付けや食品添加物のこともわかりません。

 会の後半で、主催者の方が司会役として、今日の催しに関する話をなさっていた時です。今日は男性が1人おられるので、何か一言を、と私に発言を求められたのです。男が1人だけいるからと言って、それがどうだというのですか? とは言いませんでした。少食なので食べきれなくて……とお茶を濁しました。

 主宰者の方は最後の挨拶で、今日は参加費として500円をいただいたけれども、お弁当は910円だったことを強調しておられました。500円の徴収が安いと思うか高いと思うか、次はどうしたらいいか何か意見を、と参会者に聞いておられました。そうしたことは最後の挨拶で手柄話として言うことなのか、これも恩着せがましく感じ、疑問に思ったことです。

 対象が高齢者であれば、一人一人に寄り添った対応が必要です。例えば、私であれば消化管がなく、血糖値を気にしています。そうしたことを一顧だにせず、とにかくみんなで同じお弁当をいただく場をつくればいい、という発想では、こうした集まりはますます続けられなくなるでしょう。
 「同じ釜の飯を食べる」ということの意義が持つ「帰属意識」を尊重し、苦楽を共にするという考えが主催者の中に原点にあるとしたら、ここはそうした場所ではないし、今はそんなに単純な社会ではありません。多様性を尊重する社会での食事と人間関係は、もっとあたたかい対応で包み込むものだと思います。いつもの火曜日と金曜日の集まりでは、そうした配慮がなされています。居心地がいいのです。それに反して、今日は、まったくありませんでした。

 主宰者の方は秋にも開催したい、とのことだったので、お仕着せの仕出し弁当ではなくて、ケーキやお菓子の茶話会の方がいいのでは、とお答えしました。

 恩着せがましい、旧態依然としたお食事会は、もう脱皮すべき時期だとの思いを強くしました。




posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | *美味礼賛

2025年03月08日

中之島での『百人一首』(第11回)と『源氏物語 蜻蛉』(第22回)の講座

 土佐堀川沿いのみおつくしプロムナードの花壇は、市役所の真横ということもあってか、いつも手入れがなされています。

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 今日の講座は、いつもの重要文化財の本館ではなくて、新しい別館です。本館の東側(裏手)には新館ができました。しかし、そこから別館へは行けないので、別館へお越しの際にはお気をつけください。

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 今日は、まず『百人一首』からです。陽明文庫旧蔵カルタの89番歌から100番歌までの、現代語訳と仮名文字の注意点を確認しました。

 98番歌の現代語訳で、「証だなあ。」の「証」を「あかし」と読むのは、高校生には難しいと思われます。今、新しく2種類のカルタを収録した『百人一首』の本を刊行する準備をすすめているところなので、適当な言葉に言い換えることにします。
 また、99番歌の「人が愛しく」も、高校生には読めないと思われます。平仮名で「いとおしく」とするか、別の言葉を考えることにします。


■吉村仁志『百人一首』八九〜一〇〇・試訳 (付・仮名文字に関するメモ:伊藤鉃也)
・吉海直人『百人一首で読み解く平安時代』(角川学芸出版、二〇一二年)の訳(以下、底本の訳)を参考にした。
・高校生を意識して、また耳で聞くだけでもわかりやすく、イメージしやすい訳を心がけた。

【八九】
[現代語訳]私の命よ、絶えるならば絶えてしまえ。生きながらえていると、我慢することができなくなって、恋心を他の人に知られてしまうから。
[仮名文字の注意点]「毛そ春る」の字形に注意。

【九○】
[現代語訳]あなたに見せたいものだ。血の涙のせいで、色が変わってしまった私の袖を。雄島の漁師の袖でさえ、どんなに濡れていても、色は変わらないだろうに。
[仮名文字の注意点]「勢」「満」「礼(禮)」「須」の字形に注意。

【九一】
[現代語訳]こおろぎが鳴いている。霜が置くほど寒い夜、私はむしろの上に、自分の衣だけを敷いて、一人寂しく寝るのだろうか。
[仮名文字の注意点]「ころも」「幾」「飛」「年」の字形に注意。

【九二】
[現代語訳]私の袖は、まるで引き潮の時にも見えない、沖にある石のようだ。人は知らないだろうが、涙に濡れて乾くひまもない。
[仮名文字の注意点]「王可」「幾」「こ楚」「満」の字形に注意。

【九三】
[現代語訳]世の中は常に変わらずにあってほしいものだ。渚を漕いでいく漁師が、小舟に繋いだ綱を引く。そんななんでもないような光景を見ると、面白くも、また悲しくも思われる。
[仮名文字の注意点]「可も」「ふ年」「可那」の字形に注意。

【九四】
[現代語訳]吉野山から秋風が吹いてくる。夜も更けた頃、かつての都には、寒い中で衣を打つ砧の音が聞こえてくるようだ。
[仮名文字の注意点]「古ろも」「川」の字形に注意。

【九五】
[現代語訳]恐れ多くも、このつらい世に生きる人々を、私の袖で覆いかけることだ。比叡山に住む私の、墨染めの袖で。
[仮名文字の注意点]「希」「支」「多川」の字形に注意。

【九六】
[現代語訳]花を散らす激しい風が吹く庭で、雪が降るように散りゆく花、だが本当に古びてゆくものは、我が身だったのだなあ。
[仮名文字の注意点]「布」「盤」「王」「遣」の字形に注意。

【九七】
[現代語訳]いくら待っても来ない人を待つ時は、あの松帆の浦の夕凪に焼く藻塩のように、身も心も焦がれながら待っている。
[仮名文字の注意点]「農」「な幾耳」「屋具」の字形に注意。

【九八】
[現代語訳]風がそよそよと楢の葉を揺らす、ならの小川の夕暮れは、もう秋のような涼しさだが、禊が行われていることが、まだ夏であることの証だなあ。
[仮名文字の注意点]「楚」「川」「遣る」の字形に注意。

【九九】
[現代語訳]人が愛しくも、また恨めしくも思われる。世の中をどうしようもないと思うがゆえに、物思いをしている私には。
[仮名文字の注意点]「毛」と「も」の区別と、「免」「幾」「おも」「盤」の字形に注意。

【一〇〇】
[現代語訳]宮中の古い軒端に、忍ぶ草が生えている。それを見て偲ぶにつけても、思いが溢れ出てしまう昔であることだなあ。
[仮名文字の注意点]「婦る幾」「無可し」の字形に注意。


 続いて、光琳カルタの55番歌から100番歌までの、読み札と取り札に書かれている変体仮名を確認しました。

 まず、64番歌に「愛しろ【木】」とある「愛」の文字に注目しました。この「愛」は「あ」と読む変体仮名です。これまでに多くの『源氏物語』の写本を読んできました。特に鎌倉時代のもので、この「愛」が仮名文字として使われている例に出会っていません。初めての出会いとなります。

250308_64番歌「愛」.jpg


 また、92番歌の二条院讃岐の歌の下の句で、「【人】こ楚志らね」とある「ね」は次のような字形で書かれています。

250308_光琳「しらね」.jpg


 一見「志らぬ」かと思います。しかし、ここは「こそ+已然形」の係り結びの文脈なので、「こそ〜ね」となるべきところなので、「ね」でいいと思われます。なお、陽明文庫旧蔵カルタでは「しら年」となっています。


■光琳かるた[変体仮名翻字版-2023] 五五〜一〇〇番歌
(『別冊太陽愛蔵版「百人一首」』、平凡社、一九七四年十一月九日発行 より)
五五 大納言公任
【瀧】の【音】盤 堂え弖ひさしく 【成】ぬ連と
【名】こ楚な可れ帝 なを支こ盈希礼

五六 和泉式部
あらさ羅無 【此】よの【外】乃 【思出】耳
い満【一】堂飛の 阿ふことも可な

五七 紫式部
免く里阿ひ弖 三しやそ連とも 【分】ぬ万に
【雲】かくれ尓し よはの【月】か希  (陽明本は「【哉】」)

五八 大弐三位
【有馬山】 いな農さゝ【原】 【風】ふけ盤
い弖そよ【人】を わすれやは春る

五九 赤染衛門
やすらはて ねな万しものを さよ【更】帝
閑た布く満弖乃 【月】をみし可那

六〇 小式部内侍
【大江山】 いくのゝ【道】乃 登をけ連八
満多ふみも三寸 【天】能者し【立】

六一 伊勢大輔
い尓しへの なら能【都】乃 【八重】さ九ら
けふこゝのへ耳 【匂】ひぬる【哉】

六二 清少納言
よ越こめ弖 【鳥】のそらね者 は可るとも
よ耳【逢坂】乃 せき盤ゆるさし

六三 左京大夫道雅
【今】は多ゝ おも飛堂え【南】 登者可りを
【人】徒弖ならて い婦よしも可な

六四 権中納言定頼
あさ本ら希 う【治】の【川霧】 多え/\耳
阿ら者連わ多る 【瀬】ゝの愛しろ【木】

六五 相模
うらみ【侘】 ほさ怒【袖】堂に【有】毛のを
こひ耳くちなむ 【名】こ楚おしけ連

六六 前大僧正行尊
もろともに 【哀】登【思】へ 屋満さく良
者なよりほか尓 志類【人】母なし

六七 周防内侍
【春】のよ能 【夢】者可りな留 【手枕】耳
かひな具堂ゝ無 【名】こ所於し遣れ

六八 三条院
こゝろ尓も あら弖【此】よ耳 な可らへは  ([陽明]は「う支よ耳」)
【恋】し可類遍き よ者乃【月】か那

六九 能因法師
あらし布具 【三】むろの【山】乃 もみち者ゝ
堂徒多の【川】濃 尓し支【成】け里

七〇 良暹法師
佐ひしさ尓 【宿】を【立】【出】て な可む連八
い徒具も【同】し 【秋】の【夕暮】

七一 大納言経信
【夕】さ礼盤 【門田】乃いな【葉】 【音】つ連て
あし乃まろ屋に 【秋】可勢そ【吹】

七二 祐子内親王家紀伊
をと尓き具 堂可しの者満乃 あた【波】八
かけしや【袖】の ぬ連もこ楚すれ

七三 権中納言匡房
堂可【砂】の 【尾上】のさくら 佐支にけり
とや満の可すみ 多ゝすも阿ら【南】

七四 源俊頼朝臣
う可里ける 【人】をはつせの 【山】おろしよ  ([陽明]は「おろし」)
は遣し可れとは いのらぬも能を

七五 藤原基俊
地支里【置】し させも可徒ゆを 【命】尓て
あ者れことしの 【秋】毛意ぬめ里

七六 法性寺入道前関白太政大臣
わ多のはら 【漕】【出】弖三れ盤 【久】可多の
くも井尓満可ふ 【奥】徒しらなみ

七七 崇徳院
【瀬】を者やみ い者尓せ可留ゝ 【滝川】の
わ連てもす衛耳 あ者むと曽【思】

七八 源兼昌
あ者【路】し満 可よふ【千鳥】の なく【声】に
いくよねさ免怒 【須】満の【関守】

七九 左京大夫顕輔
【秋】可せ耳 【棚引】くもの 【絶間】より
も連【出】類【月】の 可け能さや気散

八〇 待賢門院堀川      ([陽明]は「堀河」)
な可ゝらむ 【心】もしら春 くろかみの
見堂れ帝けさは ものをこ楚【思】へ

八一 後徳大寺左大臣
ほとゝ支数 【鳴】つる【方】を な可む連八
多ゝ【有】あけの 【月】楚のこ連累

八二 道因法師
おもひ【侘】 さても【命】盤 あるものを
う起耳多え怒は な三多【成】けり

八三 皇太后宮大夫俊成
【世】の【中】は 【道】こ楚な介連 おも日【入】  ([陽明]は「【世中】よ」)
【山】の於く尓も 志可楚【鳴】な類

八四 藤原清輔朝臣
な可らへは 【又】このころや 志の者連ん
うしとみしよ所 【今】盤【恋】し起

八五 俊恵法師
よもす可ら 【物】【思】ふころ八 【明】やら怒   ([陽明]は「やら弖」)
ねやの日万さへ 徒連な可里けり

八六 西行法師
なけゝとて 【月】や盤【物】を おも者する
かこち可本なる わ可【涙】可な

八七 寂蓮法師
【村雨】の つゆも万多日怒 【槙】乃者尓
きり【立】の本類 【秋】乃【夕】くれ

八八 皇嘉門院別当
【難波江】の 阿し能可里ね乃 【一】よゆへ
【身】を徒くしてや こひ王多るへき

八九 式子内親王
【玉】の【緒】よ 多えな盤【絶】ね な可らへは
志のふることの 余は里も楚す類

九〇 殷富門院大輔
みせ者やな をし万のあ満乃 そて多尓も
ぬ連尓楚ぬ礼し 【色】は可盤らし

九一 後京極摂政前太政大臣
き里/\寸 【鳴】や【霜】よの さむしろ尓
ころも可多し起 日と里可もね無

九二 二条院讃岐
わ可そ弖は 【塩干】尓みえ怒 【沖】の【石】能
【人】こ楚志らね かはく【間】もなし          ([陽明]は「しら年」)

九三 鎌倉右大臣
【世中】盤 徒年尓もか毛な ゝきさこく
あ万のを【舟】乃 徒な弖可なしも

九四 参議雅経
みよしのゝ 【山】の【秋】可せ さよ【更】て
ふる【郷】さ無く ころもう津なり

九五 前大僧正慈円
於ほ希なく うき【世】の【民】耳 お本ふ可な
わ可多徒そ万尓 すみ所めの【袖】

九六 入道前太政大臣
【花】さ所ふ あらしの【庭】乃 【雪】ならて
婦りゆくもの盤 わ可【身】な里けり

九七 権中納言定家
こぬ【人】を 万川本のうら能 【夕】なき尓
屋くや毛しほの 【身】もこ可連川ゝ

九八 従二位家隆
【風】そよく ならのを【川】乃 【夕】くれ八
みそ起所【夏】の 志るし【成】けり     ([陽明]は「【成】ける」)

九九 後鳥羽院
【人】もおし 日と毛うら免し あち支なく
よ越【思】ふゆへ耳 もの【思】婦【身】は

一〇〇 順徳院
もゝしきや 布る起【軒】者の 志能ふ尓も
な越あ万里阿類 【昔】な里気り


 光琳カルタは55番歌から確認したので、45首の確認をしたことになります。慌ただしいことでした。5分だけ超過して無事に終えることができました。昨年春からの『百人一首』の講座は、これで前期と後期が終了です。みなさま、お疲れさまでした。四月からは、テキストを変えて、2種類の『百人一首』のカルタの変体仮名を読みます。

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 30分の休憩を置いて、次は『源氏物語』の「蜻蛉」巻の仮名文字を読み進めました。

 今日の回覧本は、朴光華先生のハングル訳『韓国語訳注「浮舟」』を回しました。朴光華先生のお仕事が、『源氏物語』を韓国語で読む上では唯一の信頼できる成果です。一日も早い完成を心待ちにしています。

 ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「蜻蛉」は、51丁表から53丁裏2行目までを確認しました。
 紛らわしい文字としては、50丁裏10行目の後の方の「な」を指摘しました。

250308_「蜻蛉」50uなくなし.jpg


 これは、どう見ても「なくふし」で「ふ」です。しかし、「な」のさまざまな字形をみていると、「ふ」に近いものがあるので、「なくなし」としました。


■ハーバード大学蔵『源氏物語 須磨』51丁表〜53丁裏2行目
翻字データの中にある付加情報(/)の記号について
傍書(=)、 ミセケチ($)、 ナゾリ(&)、
補入記号有(+)、補入記号無(±)、 和歌の始発部( 「 )・末尾( 」 )、
底本陽明文庫本の語句が当該本にない場合(ナシ) 、 翻字不可・不明(△)
--------------------------------------
【給】へし・ものか多りこ万や可に・し・た万ひて・
よふけて・いてなと・し・【給】・於り/\も/(於り於りも)・【侍】れと・れい
の・めなれ多る・すち尓・【侍】らぬ尓や・【宮】をそ・いと・
なさけなう・於八し万すと・【思】て・【御】いらへを多に・
きこえ春・八へめれ・可多し介なき・ことを・
いひて・王らへ八・【宮】も・王ら者せ・【給】て・いと・三くる
志き・【御】ありさ万越・ゝもひしるこそ/(越もひしるこそ)・を可し介れ・
い可て可・かゝる/(かかる)・【御】くせ・やめ・多て万つらん・八つ可しや
と・この・【人】/\をも/(【人人】をも)・能【給】ふ・[26]いと・あやしき・【事】をこそ・
きゝ/(きき)・【侍】里し可・この・【大将】の・なくなし/後な〈判読〉・【給】てし/(51オ)
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【人】八・【宮】の・【御二条】のき多のか多の・【御】をとゝなり
介り/(【御】をととなり介り)・こと八らなるへし・ひ多ちのさきの可見
な尓かし可め者・者ゝとも/(者者とも)・を八とも・いひ・八へるなる
者・い可なる尓可・その・【女君】尓・【宮】こそ・いと・しのひ
て・於八しまし介れ・【大将殿】や・きゝ川介【給】多り介ん/(きき川介)・
尓八可尓/△&前尓・む可へ・【給】八んとて・万本りめ・そへなと・こと
ことしう・し・【給】介る・本とに・三やも・いと・しのひ
て・於者し万し奈可ら・江・いらせ・【給】八春・あやしき・さ
万尓・【御】う万な可ら/う$む、(【御】む万な可ら)・多ゝせ/(多多せ)・【給】てそ・かへらせ・【給】介る・
【女】も・【宮】を・於もひ・きこえさせける尓や/(51ウ)
--------------------------------------
尓者可尓・きへう世にける越・【身】・なけ多るなん
めりとてこそ・め能となとやうの・【人】と母八・なき
万とい・者んへり介れと・きこゆ・三やも・いと・あさ満
志と/△&さ・於ほして・多れ可・さる・こと八・いふそとよ・いと/\
於しう/(いと於しう)・【心】うき・こと可な・さ者可り・めつら可ならん・
ことは・於の川可ら・きこえ・阿りぬへき越・【大将】も・
さやう尓八・い者て・【世中】の・八可奈く・い三しき・【事】・
かの・うちの三や能/△り&うち・そうの・い能ち/り&ち、ち±の、(い能り、い能ちの)・三しかゝり介る/三し&三し、(三しかかり介る)・
ことをこそ/を&を・いと・可なしと・【思】日て・能【給】し可と・能
【給】ふ・いさや/さ=〈墨ヨゴレ〉・介春は・多し可ならぬ・ことをも・いひ【侍】る【物】をと/【侍】〈次頁〉、(52オ)
--------------------------------------
於毛ひ・【給】ふれと・かしこ尓・【侍】介
累・し毛王ら八の・このころ・【宰相】の・さとに・万
うてきて・多し可なる・さまにそ・いひ・【侍】り
ける・かう/う&う・あやしうて・う世・【給】へりける・こと・【人】
尓・き可せし・於とろ/\しう/(於とろ於とろしう)・於そきやうなりと
て・いみしう・かくし介る/くし&かくし、(くし介る)・こともや・さて・く八しう八/八〈行末左〉・
き可せ・多て万つらぬ尓や・あ里介んと・きこ
ゆれ八・さらに・かゝる/(かかる)・こと・ま多・万ねふなと・い者せ
よ・かゝる/(かかる)・すち尓・【御身】をも・ゝてそこなひ/(もてそこなひ)・【人】尓・
かろく・【心】川きなき・【物】尓・於も者れ・【給】へきな免里と/な〈次頁〉、(52ウ)
--------------------------------------
い三しう・於ほい多り・[27]その・ゝち/(のち)・【女宮】の・
【御】可多より・【二宮】尓・【御】せうそこ・ありけり・【御】て
なとの・い三しう・ゝ川くし介なる越/(う川くし介なる越・)三る尓も・いと・
うれしう・かくてそ・とく三るへ可り介ると・於ほ須・
あ万多・於かしき・ゑとも/とも&とも・於ほ【宮】も於ほく・たて
万川らせ・多万へり・【大将殿】ゝ/ゝ$、(【大将殿】の)・うちまさりて/さ±く、(うちまさくりて)・於可
しきとも・あ川めて・万いらせ・【給】・せり可八の【大将】・と
越き見の・【女一宮】・於もひ可遣多る・【秋】の・ゆふくれ
尓・於もひ王ひて・いてゝ/(いてて)・ゆき多る・か多・於可しく・
かき多るも・いと・よう・【思】ひよそ江らる可し/らる&らる、らる$らる、可し&可し・可八可り(53オ)
--------------------------------------
於ほしなひく/い&ひ、(於ほしないく)・【人】の・阿らまし可八と・於もふ【身】そ・
くちをしき・(250308_ここまで)

 なお、本日見た「蜻蛉」の最後の、53丁裏と54丁表の見開きの装飾料紙のデザインは、先日相愛大学で拝見した写本の「手習」の65丁裏と66丁表の見開きとそっくりです。

■ハーバード大本「蜻蛉」五三丁裏(拙編『ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「蜻蛉」』新典社、2014年)122頁

250307_Harvard52蜻蛉53裏.jpg


■相愛大本「手習」六五丁裏(国文学研究資料館より公開されている画像)

250307_相愛53手習65裏.jpg


 ここに提示した2枚の影印画像は、文字の類似はもちろんのこと、同じような手法で丁子油を振り掛けて型抜きされた料紙に書写されていることは明らかです。ハーバード大学本『源氏物語 蜻蛉』と、相愛大学本『源氏物語 手習』は、ツレの写本であると言っていいと思われます。
 このことは、後日また整理して報告します。




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2025年03月07日

高齢者の方々との楽しい日々の報告

 今日の集会所では、いつものようにラジオ体操で始まりました。
 続いて早口言葉。最近は早さを競う傾向にあったので、基本に立ち戻って、しっかりと口を開けて発音するようにしました。

 その後は、みんなでゲームです。2人が向かい合ってタオルを持ち、そこに載せたおじゃみ(お手玉)を前に飛ばして得点を競います。単純です。それでいて、おもしろくて盛り上がります。
 おじゃみがタオルに絡まって、前に飛ばないケースが多く見られました。これを避けるためには、タオルを真っ直ぐにピンと張り、おじゃみはタオルの長辺の端に置き、放り上げるように飛ばすと、得点のチャンスが増えます。そして、見ている人も楽しめます。

 手作りのパンと外郎のような餅の差し入れを口にし、麦茶と挽き点てのコーヒーを飲みながら、ワイワイガヤガヤとお話をします。何か一つのテーマで語り合うのではなく、銘々がちょっとした話題を提供し、すぐにまた違う話へと移って行きます。何ということはない、興味と関心の赴くままに、ポツリポツリと喋ったり相槌を打っていればいいのです。

 終わってから私は、紙コップの回収と、椅子とテーブルの片づけをしています。最近はみなさんが協力して片づけてからお帰りになるので、気楽にやっています。もちろん、みなさん喋りながらの後片づけなので、これも楽しい共同作業です。

 最近、参加者が増えたこともあり、同じ方向に帰る方が白寿のTさんを含めて5人にと増えました。近所のスーパーや病院の話が中心です。実用的な日々の情報は大変参考になり貴重です。




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posted by genjiito at 22:32| Comment(0) | *健康雑記

2025年03月06日

相愛大学で古写本『源氏物語』の原本調査

 今日は、鎌倉時代に書写された『源氏物語』の古写本を調査する日です。
 ニュートラムに乗ったのは、数十年ぶりです。気持ちのいい無人運転でした。

250306_ニュートラム.jpg

 写本を所蔵しておられる相愛大学は、ポートタウン東駅から歩いてすぐの、瀟洒なキャンパスです。

250306_正面.jpg

 図書館長の千葉真也先生が、お忙しい中をご丁寧に校門まで迎えに来てくださいました。恐縮します。ありがとうございます。

 本日拝見した古写本は、『枕草子』の研究者として知られていた、田中重太郎先生が収集なさったものです。言われている通りの、ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」「蜻蛉」と、『国立歴史民俗博物館蔵『源氏物語』「鈴虫」』と同じ装幀で、同じ紙質で、同じ時代に書き写された写本でした。
 つまり、今から800年前には同じ一組の『源氏物語』の内の5冊だったと思われます。ただし、相愛大学の5冊すべてが完全な形ではなくて、多くの落丁がある写本であることが惜しまれます。それでも、これまで詳細な調査がなされていなかった写本なので、あらためて鎌倉時代の写本の実態を調べることにしました。

 実は、10年前に相愛大学の『源氏物語』を調査をする予定でした。しかし、ハーバード本や歴博本の影印本を刊行することに時間を取られ、調査ができないままに今に至ってしまいました。
 当時から、私の科学研究費補助金のプロジェクト研究員だった淺川槙子氏(現・名古屋大学)に、関連資料を集めてもらっていました。丹念に集めてあった資料をあらためて送ってもらい、遅ればせながら少しずつ調査を始めることになりました。10年越しで調査研究の願いが叶い、楽しみにして今日は相愛大学へ行きました。

 私は大阪府立高校で教員をしていた1980年頃に、相愛大学の大学入試説明会に参加しました。その時に田中重太郎先生が壇上で、入試のお話をなさった時のことを記憶しています。遠くからではあっても、その研究業績を知っていたので、感激しながら伺いました。会場は本町にある高校だったかと思います。
 また、阿尾あすか先生には、私が国文学研究資料館に在職中の2008年に、源氏千年紀で『源氏物語展』を担当した際、機関研究員として調査や研究のみならず展示のお手伝いをしていただきました。
 その阿尾さんが、今は相愛大学の准教授になっておられました。阿尾先生にも若手としてこの調査に加わっていただき、成果の取りまとめにも関わってもらうことになりました。

 今日は、ハーバード大学本と歴博本の3冊のみごとな臨模本を作成された、書家の宮川保子さんのお声がけで写本の確認と調査をすることになったものです。私は、書き写された物語本文を「変体仮名翻字版」で翻字して、多くの方に鎌倉時代の信頼すべき本文の実情と書写されている文字の実態をお伝えすることを使命として望みます。
 京都と大阪の源氏講座で、変体仮名を読むスキルを磨いておられる辻義孝さんにも同席してもらい、鎌倉時代の手書きの列帖装の写本を熟覧しました。糸が切れた断簡なので、取り扱いには慎重を期しました。

 明日からは、この写本の[変体仮名翻字版]の作成にかかります。そして、疑問点や再確認を必要とする箇所などの再調査を、今月中に一度はしようと思っています。

 この写本の臨模本の作成と本文の調査研究とが、こうして今日から同時に進行することになります。今年中には成果を公表しましょう、と決意表明をして、初回の顔合わせを終えました。

 このプロジェクトの進捗状況は、折々に報告します。




posted by genjiito at 21:03| Comment(0) | ■変体仮名

2025年03月05日

読書雑記(355)「平安時代の文学作品と図書館」を特集した『現代の図書館』

 非常に興味深いテーマを特集として組んだ雑誌『現代の図書館』(vol.62 no.3、通巻251号、日本図書館協会現代の図書館編集委員会編、2024年11月)を通読しました。
 今回は「平安時代の文学作品と図書館」がテーマとなっています。

250225_現代の図書館.jpg


 まず、目次をあげます。

相愛大学図書館「春曙文庫」の蔵書とその最新研究/阿尾あすか
春曙庵主田中重太郎−その人となりと蔵書形成/山本和明
天理図書館と「源氏物語」古典籍資料−蒐集の経緯・名品の紹介/岡嶌偉久子
日本古典文学作品とAI・機械翻訳について/淺川槙子
デジタル言語資源−「日本語歴史コーパス」の活用/須永哲矢
投稿 高等学校におけるラーニング・コモンズの現状と課題
  −先行的に取り組みが進んでいる高等学校を対象とした調査から/須藤崇夫,野口武悟

 私の問題意識と直結するものは、岡嶌偉久子氏(天理大学付属天理図書館)と淺川槙子氏(名古屋大学)の記事です。共に一緒に研究してきた仲間であるからということ以上に、最新の状況が簡潔に整理されているので、私にとって認識を新たにするありがたい内容でした。
 また、阿尾あすか氏(相愛大学)は国文学研究資料館で『源氏物語 千年のかがやき 立川移転記念 特別展』(2008年)を開催した際にお手伝いしていただきました。山本和明氏(国文学研究資料館)はかつての同僚です。須永哲矢氏(國學院大學、本誌の編集委員長)は大学の後輩、という具合に、関係者が揃っていることも、個人的なこととはいえ意義深い雑誌となっています。

 なお、須藤崇夫氏と野口武氏の報告も自分史と照らし合わせて、高校教育の進展を実感することができました。それは、1984年に当時勤務していた高校に富士通のFM-77を25台導入し、新しい日本語教育に着手した経験があるからです。1988年には、2校目の高校に転勤し、そこでは富士通のFM-8を25台導入し、文学教育にコンピュータを導入する実験をしました。さらには、1995年には転勤した短期大学にMacintosh55台をLanでつなぎ、ネットワークを活用した教育にチャレンジしました。そんなことを思い出しながら、進化している高校の教育に思いを馳せました。

 明日は、相愛大学へ『源氏物語』の古写本に関する調査に行き、千葉真也図書館長にはいろいろとご教示をいただくことになっています。その意味からも、本誌の阿尾氏と山本氏の内容は、私にとってはいい予習ともなりました。
 いろいろなことが繋がって、こうした調査と研究ができる環境にあることを、ただただ感謝しているところです。




posted by genjiito at 23:59| Comment(0) | ■読書雑記

2025年03月04日

京都駅前で教室の予約後は地元で身体活動の話を聞く

 今日は、キャンパスプラザ京都(京都市大学のまち交流センター)で新年度の予約受け付けの日です。
 年度当初の4月・5月・6月は、大学の授業に出席する学生が多いので、この期間は大学の予約が優先となっています。そのため、この3カ月に限って一般の予約は、予め設定されている日に空いている部屋を取り合うことになります。それが今日なので、小雨がちらつく朝早くから、キャンパスプラザ京都へ出かけました。

 受け付け開始の45分前に行くと、22番目でした。昨年は200番台だったので、今年は楽勝です。
 昨年の様子は、「キャンパスプラザ京都の仮予約の争奪戦に3時間かかる」(2024年03月05日、http://genjiito.sblo.jp/article/190803278.html)に詳しく書いたので、手続きのことは省略します。

 いろいろとあった結果、以下の3日分が予定通り確保できました。
 いずれも各月第3土曜日で、第4講時の14時半から16時まで、5階にある演習室をお借りします。

2025年4月26日 (土) 第2演習室
2025年5月24日 (土) 第5演習室
2025年6月28日 (土) 第1演習室

 今年の争奪戦は、昨年の半分の1時間半でした。家からの往復でも3時間の行程だったので、来年もこのパターンでいきます。

 午後は、地域のみなさんと集会所で身体活動のお話を聞きました。
 今日の講師は、宇治徳洲会病院の理学療法士であるIさんでした。
 理学療法士というのは、厚生労働省のホームページの説明によれば、次のように言われています。

 身体に障害がある人等の身体運動機能の回復や維持・向上を図り自立した日常生活が送れるよう、医師の指示の下、運動の指導や物理療法を行う医療技術者である。

 私は、1年半前に脳梗塞になった時、京大病院でとにかくお世話になりました。早く日常生活に戻りたい思いから、質問攻めでいろいろな訓練方法を教わりました。おかげで、奇跡的と言われるほどの回復力を発揮でき、リハビリ施設に入ることもなく、主治医も驚かれる早さで退院できました。医療専門職の方が持っておられるスキルをうまくお借りすると、予想外の回復につながることを実感しました。

 今日は、『WHO 身体活動・座位行動 ガイドライン』に沿った話を伺いました。一言で言うならば、「身体活動を増やして座位行動を減らすことにより、すべての人が健康効果を得られる」、ということです。

 これまで、集会所にお越しになる講師の方は、福祉・介護・災害・障害・詐欺・盗難・健康・認知などなど、多彩な分野のお話をしてくださいました。正直なところ、同じような話だったので食傷気味でした。
 今日は、非常に新鮮な気持ちで聞くことができました。身体を動かす、という日常生活と健康管理に直結する話題だったことが関係しているように思われます。

 最後の質問の時間に、進行役の方から私への指名があったので、次の2つのことを伺いました。
 それは、ウォーキングとジョギングの違いと注意点、そして、階段の昇り降りで注意すべき点です。
 いい質問だということで話が始まり、1つ目に関しては、早足で歩くことの効能も交えて説明がありました。
 2つ目の階段については、自分の実践例として階段を下りる時に2段飛ばしをしていることを語ってくださいました。上りの2段飛ばしはやったことがあります。しかし、下りではやったことがありません。
 平衡感覚を司る三半規管は、もっと刺激を与えるべきだ、とのことです。その意味でも、階段を2段飛ばしで下りることは、内耳に重力をかけることで身体と身心の健康にいい結果をもたらす、という貴重なお話を伺いました。
 先日も、賀茂川の飛び石を渡りきったので、脚力が少しずつでもついてきたようです。もっとも、階段の2段飛ばしは危険を伴うものなので、慎重な対処が求められるのですが。

 仕事柄、パソコンに向かっての座りっ放しの時間が多い日々です。時間を見ては、リハビリウォーキングも兼ねて、毎日出かけるようにはしています。そのウォーキングという身体活動と、座位行動という相反する状況の兼ね合いを調整するのに、今日のお話は意義深いものでした。
 さて、京都駅の大階段を2段飛ばしで下りることへの挑戦は、様子をみながら取り入れてみたいと思っています。




posted by genjiito at 20:56| Comment(0) | *福祉介護

2025年03月03日

戸惑う表現や読み方が誤解を生む

 気になったり思いついたことがある時には、すぐにメモを取る癖があります。
 科学研究費補助金での研究は、すべてそうした膨大なメモから展開したものでした。
 小さなことからコツコツと、という言葉は的を射たものであることを実感しています。
 さて、言葉に関するメモをいくつか列記しておきます。
 いずれも、新聞や雑誌から折々に拾ったものです。
 ただし、署名記事が多いので、出典はここでは伏せておきます。

(1)「内覧会でみたしつらいは」
 →「見たしつらいは」にするといいでしょう。

(2)「労る」(いたわる)と「労う」(ねぎらう)
 →耳で聞いた時にはいいとして、目でこの文字を見た時には戸惑います。

(3)「電車に乗ったときなどに立って行ってもOK。」
 →「おこなう」時は、「行なった」と「な」を補うようにしています。

(4)「藤壺との間に2人の子どもができてしまうのです。」
 →光源氏と藤壺の2人の間にできた子ども、と、子どもが2人の意味も生まれます。

(5)「マスク生活でのどの老化が進む…」
 →「でのどの」で、「のど」の漢字が「咽」と「喉」なので書けないのです。

(6)「在宅していない時にも受け取れる。」
 →「して」と「いない」が意味を混乱させています。

 言語の専門家は、こうした事例を明快に説明なさるのでしょう。しかし、日常生活には、何かと難儀な言葉が散らばっています。

250303_はきもの.jpg

 漢字や漢語は便利です。しかし、多様すると同音異義語や知らない言葉で誤解が生まれます。かといって、大和言葉は学校教育では教えてもらいませんでした。
 こうしたことは、また取り上げます。



posted by genjiito at 20:54| Comment(0) | *身辺雑記

2025年03月02日

清張復読(77)「事故」「熱い空気」(『別冊黒い画集』より)

■「事故」
 トラックの物損事故が、殺人事件と絡み合いながら、意外な方向へと展開します。
 そして、別件で殺人事件が起きます。当然、この2つは無関係のはずなのに、作者は丹念に2つの話を続けます。どのような接点から解決の道が開くのか、興味深く読み進みました。まったく関係のなかった刑事が、知り合いの事故の話から真相を手繰り寄せるのでした。理屈では繋がっても、読んでいた読者としては何となくスッキリしません。いかにも作られた話である、という読後感が消えません。【2】

初出誌:『週刊文春』1963年1月〜4月


※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のようにあります。

「依頼者と関係を持った興信所長が秘密を守るために自分の部下を殺すという事件を倒叙法で描いた犯罪サスペンスの傑作。」(76頁)



■「熱い空気」
 家政婦の実態が詳しく披露されます。作品を理解するのに役立ちます。そして、家政婦の信子は配属先の家族に、日頃の鬱憤を晴らすための復讐をするのでした。その心理の動きと手口が、巧みに語られます。人間や家庭のありようの脆さを、上手く描き出していきます。
 信子は、他人の不幸の傍観者を徹底します。人格を無視された家政婦の悲哀と、家庭への羨ましさや嫉みが、その根底に横たわっているのです。そして、家庭の破壊までも。大学教授への蔑みも、背景にあります。
 しかし、物語は意外な方向に向かい、信子自身に災いが降りかかります。この結末に、何か不完全燃焼を感じました。丁寧に語り続けできたものが、子供から悪戯という復讐を受けることで、突如打ち切られたように思ったからです。
 私は、信子がチフスにかかる展開を想定していました。それが、違っていたのです。作者は、筆を擱くことを急いだかのようです。それまでの登場人物が置いてきぼりです。これでは、読んで来た読者も置き去りにされた気持ちになります。丹念に復讐劇が組み立てられていただけに、後味がすっきりしない作品でした。【3】

初出誌:『週刊文春』1963年4月〜7月


※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のようにあります。

「家政婦の眼を通して上流家庭の内幕をのぞき見るというホームドラマ風のサスペンスで、結末のひねりが効いている。」(12頁)




posted by genjiito at 20:39| Comment(0) | □清張復読

2025年03月01日

伏見温泉の力の湯で身体をほぐす

 やることが山積していたために、昨夜は寝るタイミングを逸してしまいました。
 身体が強張ってきたので、近場で温泉気分が味わえる伏見温泉の力の湯へ行きました。
 ここは体育会系の若者が多いので、活気があります。
 話の様子では、ラグビー部のようです。
 中学生の時は卓球部、高校ではテニス部だったので、身体から発散するパワーが違います。
 こちらの貧相な体格に対して彼らはガッシリとした体つきなので、ついついお湯の中での場所を譲ってしまいます。
 50年も先輩だ、ということは、何にもなりません。
 それにしても、若者の身体から発散するエネルギーは、自ずと私の方にも伝わってきます。
 いい気分転換になりました。




posted by genjiito at 23:45| Comment(0) | *健康雑記

2025年02月28日

京洛逍遥(922)みやこめっせの文具まつり

 今日の大文字山は曇っていました。

250228_大文字.jpg

 朝から6時間以上を、脳神経内科を中心として病院の中で過ごしました。

 診察の後は、府立図書館の横にあるみやこめっせ(京都市勧業館)で開催中の、45店ものお店が出店する大規模な文具展示即売会へ行きました。

250228文具マップ_.jpg


 こうしたイベントは、日ごろは見かけない小道具に出会えるので、文房具好きにはたまりません。圧巻でした。

 会場には、小さなブースが所狭しと並んでいます。ハンコが多かったのが意外でした。ブームなのでしょうか。
 多くの人が、小さな文具を手に取って見ておられます。その姿は感動的でした。

250228_文具会場.jpg


 私はペーパークリップを探しました。デザイナーが作ったというものが1種類だけありました。
 他にないのかと尋ねると、今回の主催者のところにあることがわかり、後日三条のお店に行くことにしました。コクヨのクリップルという、手で取り外しができる樹脂製の商品が製造中止になってから、いろいろと探していたからです。
 結局、何もいただきませんでした。それでも、楽しいひと時を過ごすことができました。




posted by genjiito at 20:37| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2025年02月27日

京洛逍遥(921)春を待つ京大病院の周辺

 今日の大文字はクッキリと見えました。少しずつ春色になっていくことでしょう。

250227_大文字.jpg


 過日の頭部MR検査の結果は、新しく血管が詰まっている兆候は見られないとのことでした。ただし、1年半前に詰まった血管はもう生き返ることがないので、今の右足の不調はそのまま抱えていくしかないようです。その周りの血管が右足の動きを補うようになることを期待して、歩くというリハビリは続けるようにとのことでした。
 夜中に右足が痙攣することについては、効果がある漢方薬を処方してもらいました。また薬が増えて、11種類になりました。食事1回分の分量に近くなるので、薬だけでお腹が一杯になります。これを飲むことでさまざまな身体の不具合が表に出ないようになり、それが長生きにつながるのであれば、それもよし、と開き直ることにします。

 病院の前の旅館の玄関には、多くの蕾に囲まれて、ピンクのサザンカが咲いていました。

250227_サザンカ.jpg

 賀茂川べりを出町柳に向かって北上し、荒神橋の上手にある飛び石を久しぶりに渡りました。ぎこちなかった渡り方も、少し普通に見えるように足が動くようになった気がします。左右の足を使って、石と石の間を飛ぶことができました。

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 賀茂川右岸の桜の蕾は、まだ固いものでした。

250227_蕾.jpg

 賀茂大橋の手前の広場で、若い子がモルックをしていました。

250227_モルック.jpg


 集会所では部屋の中でやったので、こうして戸外で楽しむ姿は、見ていてもなかなか気持ちのいいものです。1本だけピンが遠くにありました。それを倒すためには、相当の腕力が求められるので、このスポーツは今後さらに広がって行く予感がします。

 風もなく雲もないので、ポカポカ陽気の散策路をのんびりと歩きました。下鴨に住んでいた頃には日常だった賀茂川歩きを、久しぶりに体験することになりました。住人としてではなく、フラリと訪れて歩くのもいいものです。




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posted by genjiito at 22:24| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2025年02月26日

京洛逍遥(920)御幸町通を五条通から四条通まで歩く

 京阪電車の清水五条駅を出て、五条大橋から北山を望むと、右手奥の山は雪に覆われていました。

250226_北山の雪.jpg

 今日は、鴨川のすぐそばを北に延びる御幸町通を歩きました。

250226_御幸町通.jpg


 狭い通りです。そこかしこに京都らしい格子戸の家があります。弓屋さんや数珠屋さんもあります。狭い小路の奥には、食事ができる小さな、それでいて雰囲気のある店や民宿が点在しています。

 私の興味の対象である文字が書かれた看板は、この通りにはほとんどありません。
 平仮名が、4文字の内の真ん中の2文字だけが横並びに書かれたものを見かけました。このパターンはこの西の通りにも二つほどあったので、一応あげておきます。後日整理します。

250226_平仮名きよみず.jpg

 今日も、目的地である四条通のノムラテーラーの前に出たので、妻は早速ハギレや裏地を何種類かいただいていました。私も、以前ただいた『百人一首』のハギレを買い足しました。

 この四条通から南で、河原町通りより西は、あと寺町通だけです。




posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2025年02月25日

集会所でモルックを楽しみながら若者に頼もしさを感じる

 ラジオ体操と早口言葉とグループソングを一緒に歌った後は、もうお馴染みになったモルックをしました。
 目の前に立っている12本のスキットル(数字が書かれた木のピン)に向けて、モルック(木の棒)を投げて得点を競うゲームです。
 ルールなどの詳しいことは、「地域のみなさまと新しいゲームを楽しむ」(2023年05月30日、http://genjiito.sblo.jp/article/190375949.html)で紹介した通りです。

 何度かやったゲームなので、要領はみなさんおわかりです。
 今日は、次はどのピンを狙えばいいのか、というやりとりが多かったのがよかったと思います。
 そのためもあってか、際どく外れて0点、という方が何人もいらっしゃいました。
 モルックは、とにかく不規則な軌跡を描いて飛んでいくのです。
 しかしこれは、みなさんがこのスポーツを、遊びではなくて本格的に楽しめるまでにレベルがアップしてきたためだ、と思われます。
 2チームの対抗戦を行ない、1勝ずつの、しかも得点差の少ない拮抗した接戦となりました。

 今日は、R大学1回生の男子学生2人が、大学からの派遣ではなくて、自主的なボランティアとして参加していました。
 初めての活動だとのことながら、自分の役割を心得てのテキパキとした対応に、爽やかさと共に人柄に好感が持てました。
 いつだったか、上から目線でボランティアということを履き違えた学生が来たこともありました。
 チヤホヤされることに麻痺した女子学生には、正直言って迷惑でした。
 大学での教育以前の、意識の問題なのでしょうが。

 すでに今は、若者がその特権を振りかざして我が物顔で主人公でいられる時代ではありません。
 若者と高齢者とが共存を心がけ、お互いが相手の気持ちを分かり合う社会が求められます。
 そんな社会の一員として、今日の学生さんはいい体験になったでしょうし、私も若者に頼もしさを感じました。
 老若男女のコミュニケーションの場として、この集会所での高齢者の集いが大きな意義を持つことを、あらためて感得する機会となりました。




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2025年02月24日

読書雑記(354)麻田雅文『日ソ戦争』

 『日ソ戦争 帝国日本最後の戦い』(麻田雅文、中公新書、2024年4月)を読みました。

250224_日ソ戦争.jpg


 1945年8月8日にソ連の侵攻で始まった日ソ戦争のことは、伝え聞く話として知っていました。しかし、その背景にはまったく知らなかったことが多くあったのです。

 戦時中に満州にいた両親は、終戦と共に父はシベリアへ抑留され、母は彷徨いながら帰国へと、苦難の中を生き抜いてきました。両親から聞いた話の背景が、本書の資料を見ていると、ロシアの新史料を丹念に博索し慎重に読み解く著者の語り口を通して、ただただ驚くばかりのことを知ることができました。日本の軍部の無責任さとソ連の極悪非道さが、冷静沈着な目で綴られていたからです。

 以下、本文を引用しながら、両親がこうしたことをどう思うかを推測しながら、息子の立場でコメントを記します。

 著者は、本書の起点を次のように言います。

 こうして米英との戦闘は終わった。だがソ連は停戦に応じず、日本側は苦境に陥る。なぜ日ソ戦争は八月一五日に終結しなかったのか。次章からは時間をさかのぼり、各地域での戦闘を見ることで答えを探りたい。(48頁)

 ソ連が対日戦争の準備を進める中、日本は能天気にもソ連が仲介役として間に入ることによって停戦に持ち込めると期待していたのです。

 六月二八日、スターリンは沿海兵団・ザバイカル方面軍・極東方面軍の司令官たちへ、満洲への侵攻作戦の準備を命じた。作戦の目的は三方面軍が「協同して満洲中央部へ突入し、関東軍を壊滅させて・奉天・清津などを占領することとされ、準備は七月二五日までに終えるよう命じられた。(74頁)

 また、侵攻ルートも巧妙でした。

 イギリスの歴史家へドリー・ウィルモットによると、ソ連軍の最大の成功要因は侵攻ルートにある。満洲を攻める場合、ハイラルからチチハルを経て、ハルビンに至る中東鉄道沿いに攻めるか、黒龍江を渡って黒河に攻め込むのが定石だ。だが、ソ連軍はそれらのルートからも攻めたが、主力を内モンゴルのゴビ砂漠から北京方面へ、大興安嶺を越えてハルビン方面へも向かわせた。結果として、「関東軍は東部では力負けして西部では機動力に翻弄された」(『大いなる聖戦』下巻)。
 実際に、モンゴル方面からの機甲部隊の来襲が、関東軍には「鵯越」のような大きなインパクトをもたらした。(254頁)

 両親が住んでいたと思われる地域に、かつて調査の合間に立ち寄ってみました。次の長春の記事を参照願います。

「【復元】母子の絆の不可思議さ」(2010年04月29日、http://genjiito.sblo.jp/article/178934547.html

 また、モンゴルで日本人が強制労働させられた地にも行っています。

「亡父の代わりに日本人墓地跡へ」(2010年01月17日、http://genjiito.sblo.jp/article/178934433.html

 さて、両親は昭和20年の初夏からソ連側の侵攻計画が進んでいようとは夢にも思わず、この時期には満洲北部のハイラル・チチハル・ハルビンそして新京にいました。職業軍人だった父は、昭和20年6月1日に陸軍獣医務准尉に任ぜられ、第119師団(ハイラル)獣医部付士官になっていました。まさにソ連が侵攻を企む地域に、何も知らされずに任務についていたのです。
 なお、父の兵役や帰還後のことは、「今日は亡父の106回目の誕生日」(2022年12月10日、http://genjiito.sblo.jp/article/189982049.html)に書いていますので、詳しいことはその記事にゆずります。

 父は職業軍人であり、母はその妻です。満洲の地では、父がシベリアに抑留されるまでは、最後まで一緒にいたと聞いています。次の記事にある優先的な避難は、母親はどうだったのか、聞き忘れたことが悔やまれます。

 職業軍人の家族が即座に脱出できたのは民間人よりもいち早く情報が届いていたからではないか。(中略)
 もっとも、職業軍人の家族は誰でも早く避難できたわけではない。限られた列車のすき間に家族を押し込もうと、八月九日のチチハル駅では「将校同士、撲り合いまで演じるしまつ」。「避難出来たのは高級将校の家族だけ」だった『匪賊と共に』)(96頁)。

 父のシベリア抑留については、著者は次のように語ります。

 シベリア抑留という結果を知っていると、関東軍がソ連軍に保護を頼んだのは血迷った印象を受ける。ただ、関東軍の幕僚はまさか抑留されるとは思っていなかった。(123頁)

 また、母の話では、敗戦が決まってからそれまで親しかった中国の人が、急に人が変わったかのように粗暴になった、ということでした。このことについて、著者は次のように言います

 襲撃者はソ連兵だけでなく中国人も多かった。開拓団に奪われた土地を取り返そうとする者や、差別待遇を受けた恨みを晴らす者、それとは無関係に略奪する絶好の機会と見る者もいた。政治権力が崩壊し、満洲が持つフロンティアの暴力性が一気に表面化すると、関東軍という後ろ盾を失った開拓団は中国人の「格好の標的」となった(『満蒙開拓団』)。(130頁)

 また、性暴力や強奪についても書かれています。母は多くを語りませんでした。しかし、母の周辺でも多かったようです。筆舌に尽くしがたい惨状を母は間近に見てきたようなのに、黙して語りませんでした。

蛮行に潜むソ連特有の事情
 ソ連軍が蛮行をためらわなかったのは、ソ連の社会構造の反映だ。
 最新の研究では、戦時性暴力は過剰な性欲にかられた一部の軍人の行き過ぎた行為とは見なされない。問題は、加害者の属する社会構造にあるとされる。この「性暴力連続体」という分析概念によると、平時に社会で女性が劣位に置かれているジェンダー秩序が、戦時の女性に対する性暴力につながっている(「戦争と暴力」)。
 この概念を応用すると、ソ連軍将兵による性暴力が頻発したのは、表向きは隠されていた男尊女卑のソ連の社会構造が原因だ。彼らが日本人から貴金属や腕時計、万年筆に服まで強奪したのも、ソ連における嗜好品や日用品の不足が背景にある。
 そもそも、一九三〇年代の大粛清や、「矯正」の名の下に行われていた強制労働など、ソ連は自国の市民の人権すら尊重する国ではなかった。そうした国家が占領地の住民や捕虜を丁重に扱うことはない。(141頁)

 又、次の資料も引用されています。

 昭和天皇の弟で日本赤十字社総裁の高松宮宣仁親王にも、朝鮮北部に留まっている日本人の情報が入っていた。彼の日記には、とりわけ女性の悲惨な境遇が記されている。
「北鮮に侵入せる「ソ」兵は白昼街道にて通行中の婦女を犯す」「元山か清津にては慰安婦を提供を強いられ人数不足せるを籤引にて決めたり、日本婦人の全部は強姦せらる」(『高松宮日記』一九四五年一〇月二三日条)(162頁)

 こうしたことは、南樺太でもあったのです。そして、それを吉村昭が取り上げて小説にしていることを初めて知りました。

 沖縄や満洲と同じく、南樺太でも追い詰められた民間人が集団自決をした。恵須取の大平炭鉱病院の女性看護師たちはソ連軍の暴行を恐れ、八月一七日に二三名が集団自決を選び、六名が亡くなった。
 この事件について取材し、一九七二年に小説「手首の記憶」を発表したのが作家の吉村昭である。彼はその前年に、樺太引き揚げの船が撃沈された事件も小説「烏の浜」にまとめている。半世紀前に日ソ戦争に着目し、世に広めた業績は再評価されるべきだろう。(187頁)

 南樺太におけるソ連軍の話は、ここでは両親がいた満洲に絞っているので、ここでは省略します。日ソ戦争は、樺太残留邦人・朝鮮人・韓国人をも巻き込んで悲劇があったことを記すに留めておきます。

 ソ連の侵攻にもどります。日本側のポツダム宣言受諾に関して、ソ連側は知らぬ振りをして満洲に進軍して来ます。

 アメリカは攻勢を止めようとした。しかし、八月一四日に日本政府がポツダム宣言受諾を再度申し入れても、ソ連政府は無視した。
 八月一五日夜、モロトフ外務人民委員はハリマン駐ソ米国大使に声明文を渡し、前日の日本の受諾申し入れは「一般的な性質のもので」、天皇による停戦命令が出ていないことを理由に、進撃は続けると宣言した。
 この会談でハリマンは、日本側のポツダム宣言受諾の諸文書を確認するよう求めたが、そうした書類には目を通しておらずアントーノフ参謀総長からもらうつもりだと、モロトフは返事を濁した。(119頁)

 日本の指導者たちも、情ない情勢分析をしていたようです。

 そもそも、対米戦ですでに国力が尽きていることを知る日本の指導者たちは、軍部をはじめ誰もソ連との開戦を望んでいなかった。それどころか、ソ連に和平の仲介すら打診している。ソ連はこの申し出を開戦までの時間稼ぎに利用した。日本の指導者たちが重ねたこの国家戦略のミスが「対ソ静謐」につながり、最前線の部隊には足枷となる。
 もっとも、大本営や関東軍には対ソ開戦の期日をほぼ正確に見通した参謀たちもいた。しかし、本土決戦の準備が優先され、ソ連に和平仲介の希望も託すなか、軍上層部はソ連が参戦の準備をしているのに気づきながら、見て見ぬ振りをする。(256頁)

 その前後のソ連参戦と北方領土の問題については、少し長文ながら次の文を引くことで先を急ぎます。

 実は、日本の占領にソ連を参加させる案がアメリカでも検討されていた。八月一六日に完成した統合戦争計画委員会(JWPC)の文書は、日本を米英中で分割占領し、北海道と東北地方はソ連の占領下に置くことを提案していた(「米国における対日占領政策の形成過程(二・完)」)。
 しかし、トルーマンは八月一八日に、日本の占領の枠組みを決めた「日本の敗北後における本土占領軍の国家的構成」を承認する。日本の占領は米軍が主体となり、分割占領は避けられた。トルーマンは「ソ連は無情な取引者」だとポツダムで見抜き、「ポツダムにおける苦い経験から、私はソ連には日本の管理に参加させない決意を固めた」という(『トルーマン回顧録』第一)。
 ただし、千島列島は別だ。八月一七日付のスターリンへの返信で、トルーマンは、「全クリル諸島」をヴァシレフスキー極東ソ連軍総司令官へ明け渡す領域に含めるのに同意する。もっとも、千島列島とはどこの島までを指すのか具体的には示さなかった。これが北方領土の命運を左右することになる。(223頁)

 父に関係するシベリア抑留です。解明すべき問題点は多いようです。

 シベリア抑留にはまだ謎が多い。特に、スターリンがいつ抑留を決めたかについては論争が続いている。
 中国側の記録によると、一九四五年八月一三日の宋子文との会談で、スターリンは、日本人の捕虜を満洲の都市建設に当たらせるといっていた。「彼らはどう働けばよいか知っている」というスターリンに、宋子文も賛同した。
 八月一六日には、ベリヤ内務人民委員とブルガーニン国防人民委員代理、それにアントーノフ参謀総長は、捕虜をソ連領に運ばないと、ヴァシレフスキー極東ソ連軍総司令官に命じていた。しかし、スターリンは八月二三日に、五〇万人をソ連へ移送するようベリヤらに命じる(『シベリア抑留関係資料集成』)。(243頁)

 こうして、父はシベリヤに行かされたのです。3年9カ月の長い間、凍土で働かされました。どのような説明があってのことなのか、これも父に聞かずじまいでした。

 本書は、謎に満ちた日ソ戦争における多くの問題点を整理し、今後への問題提起をしています。私は、両親のことを思いながら読みました。戦争に翻弄された両親は、このような裏事情があることをまったく知らず、とにかく耐えて生きていました。もう少し、話を聞くべきだったことを痛感しています。




posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | ■読書雑記

2025年02月23日

京洛逍遥(919)麩屋町通を四条通まで歩いてノムラテーラーへ

 昨日、京都駅前のキャンパスプラザ京都(京都市大学のまち交流センター)で源氏講座をしている時に、大階段では駆け上がり大会がありました。京都新聞によると、288人が参加したとのことです。
 しかし、すでに何度か指摘したように、私はこの大階段が高齢者や身体に障害を抱える人たちのことを一顧だにせずに設計されていることに異議を申し立てています。健常者のことしか考えずに作られたものであり、体力が弱くなったり五体不満足の者を排斥する思想がそこかしこに散見するのです。施工当時は、弱者のことが見えなかったのでしょう。駅舎のコンペでの審査においても、この設計が偏ったもので不備があることに、目が届かなかったようです。

 すでに時代錯誤の設計思想の階段に成り下がっているのに、そこで健脚を競う大会が晴れがましく開かれることに個人的には賛同できません。KBS 京都も、主催する以上はハンディキャップを負った多くの方々のことも考え、そうした方も参加できるようなイベントにすべきです。そうすると、この大階段の問題点が見えてきます。この放送局が抱え持つ、これからの社会を構成する人々に対する意識の希薄さが露呈しています。また、京都新聞の記事には、執筆者としてIさんの署名があります。元気さを称揚する今回の記事に留まることなく、元気盛りの方を顕彰するだけではなく、これからの主人公となる方々の視点で記事を書く必要があるのではないでしょうか。

 もし、身体に違和感を持つ方も参加するイベントを考えるのであれば、真ん中だけにしかない手摺りの何箇所かに、すでにその繋ぎ目に亀裂が入り、接合部分が捲れ上がっていることに目を向けてください。先日、私はこの繋ぎ目がズレた部分で、摑まっていた手を滑らせながら降りていた時に掌を切りました。出血は少なかったものの、危ない一本きりの手摺りとなっています。大階段の両側にもし手摺りを付けることになれば、この繋ぎ目の処理は丁寧にしてほしいものです。
 すでに連絡は行っていると思われます。点検は目視と触診でできるので簡単です。早めの対処をお願いします。

 さて、今日は麩屋町通を歩きました。この道は京都駅から真っ直ぐに延びていないので、京阪五条駅からスタートです。麩屋町通は狭い道です。

250223_麩屋町通.jpg


 私の興味は、一軒の表札に留まりました。

250223_あ左多.jpg

 横書きで「あ左多"」、縦書きで「阿左多"」とあります。右上の表札には、一般的なごく普通の漢字二字で苗字が表記されています。変体仮名で書かれた二種類の文字を見ると、最初の文字の「あ」と「阿」で、異なるものが掲げられています。日本の文字表記が融通無碍であることを感じました。

 この麩屋町通を歩いて四条通に出ると、すぐ目の前には妻がよく行く生地屋さんのノムラテーラー四条本店があります。

250223_ノムラテーラー.jpg

 私のノートパソコンを入れる袋は、今月から長年使ってきた「ウルトラマン」から『百人一首』の絵柄に変わりました。

250223_パソコン袋.jpg

 『百人一首』の生地はこのお店でやっと手に入れたもので、パソコン入れは妻が作ってくれました。これであと数十年は持ち運べます。
 今日もカバンを作るのだと言って、大量に生地や裏地をいただいていました。
 妻の五畳の部屋は、生地で溢れています。ウイリアムモリスのデザインやリバティプリントの生地を集めています。25年前の銀婚旅行でイギリスのコッツウォルズ地方にレンタカーで行った時には、ロンドン市内のリバティ百貨店へ足を運びました。テューダー・リバイバル風の装飾が内外装に施された、格式高いバルコニーの店内を満喫しました。何枚か生地をいただいたようです。しかし、日本のリバティの方が格段に品質はいいと言っていました。

 我が家は、私の本と情報処理機器、そして妻の布地で溢れています。




posted by genjiito at 23:32| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2025年02月22日

キャンパスプラザ京都で尾州家河内本「桐壺」を読む(第27回)

 キャンパスプラザ京都(京都市大学のまち交流センター)の入口のロビーには、いつものように勉強会の案内がありました。

250222_掲示板.jpg

 今日の回覧本は、朴光華先生のハングル訳『源氏物語』です。このことはすでに今月の日比谷の報告で記したので省略します。

 尾州家河内本「桐壺」の本文を[変体仮名翻字版]で翻字する確認作業を継続しています。
 今日は、第13丁表から第15丁裏までを見ました。

 まず問題となった箇所からの報告です。
 13丁8行目で、「いと・可奈し/±〈朱点右(ママ)〉」と翻字して、「可」の右上に句点を示す〈朱点〉があるものの確定できないので「(ママ)」とした箇所についてです。
 参会者のSさんから、裏面の朱点が裏写りとして見える例ではないか、との意見をいただきました。その該当箇所の拡大写真(左)と、裏写りと思われる箇所(右)とその反転写真(中)を示します。

250222_反転合成矢印.jpg


 確かに、左側の写真と真裏にあたる右側の写真が重なることは、右側を反転した真ん中の写真を置くことで明らかになります。これで、ここの翻字は「いと・可奈し」と、付加情報のないものとなります。

 次に、15丁裏6行目の「【事】なり遣礼八/礼八〈削〉り遣」では、ナゾリの背景を明らかにしました。

250221_尾州「桐壺」15裏L6礼八&り遣.jpg

 ここで書写者は、まず「【事】な禮八」と書き、「禮八」がその直後の文字であり、写し間違いであることにすぐに気付き、「禮八」を削り取ってからその上に「り遣禮八」と書き直した例です。なお、[変体仮名翻字版]の翻字では「禮」は新漢字の「礼」で最終的には表記します。この訂正の過程がよくわかるので、例としてあげました。

 こうしたことを説明しながら、以下のようにここでの[変体仮名翻字版]を確定しました。

--------------------------------------
さま耳とこそ・於本しわ多り徒れ/±〈朱点〉・い布可ひ
なしやと/±〈朱点右〉・乃多ま者勢て・いと/±〈朱点〉・阿八連尓・於ほし
やる/±〈朱点〉・かくても/±〈朱点右〉・をのつ可ら/±〈朱点〉・王可【宮】那と/±〈朱点〉・於ひいて
【給】八ゝ/±〈朱点〉、(【給】八八)・さるへき/±〈朱点〉・徒いても/±〈朱点〉・あ里なん/±〈朱点〉・いのち/±〈朱点右〉・な可
くとこそ・於もひねん世めなと・乃多ま八須/±〈朱点〉・
か乃/±〈朱点右〉・をくり【物】/±〈朱点〉・【御覧】世さ春/±〈朱点〉・なき【人】の/±〈朱点右〉・す三可・
多つねいて多り気ん/±〈朱点〉・新累しの/±〈朱点〉・可ん佐しなら
まし可八と/な±〈朱点〉・於ほすも/±〈朱点〉・いと・可奈し
「堂徒ね遊く・ま本ろし毛可那・つ弖尓ても・
たまの・あり可を・そこと・しるへく」・ゑ尓/±〈朱点右〉・可け類・
やうきひの可多ちは・いみしき/±〈朱点〉・ゑしと/±〈朱点〉・いへとも/も〈丁末左〉、(13オ)
--------------------------------------
ふて/±〈朱点〉・可きり・あ里け連八・いと/±〈朱点〉・尓本ひ/±〈朱点〉・すく那し
堂い江きのふようもけ尓可よひ多里しか多
ちいろあひ可らめい多り遣んよそひ八う累
王しう遣ふら尓こそ八あり遣め/±〈朱点右〉、=大液芙蓉、け±〈朱点〉、か±〈朱点〉、前2い±〈朱点〉、前2可±〈朱点〉、前2よ±〈朱点〉、前2う±〈朱点〉、前2遣±〈朱点〉、前2あ±〈朱点〉・ナシ・ナシ・ナシ・ナシ・ナシ・ナシ・ナシ・なつ可しう
らう多けなりしありさま八を三那へしの
【風】尓なひき多流よりもなよひなてしこ能
つゆ尓ぬれ多流より毛らう多くなつ可し可り
志/±〈朱点右〉、を±〈朱点〉、前5な±〈朱点〉、前2ら±〈朱点〉、前6な±〈朱点〉・可多ち/±〈朱点〉・け八ひを・於本しいつる尓/±〈朱点〉・【花】とり乃/±〈朱点〉、〈朱合点〉・
色尓も・ね尓も/±〈朱点〉・よそふへき/±〈朱点〉・可たそ/±〈朱点〉・那き・あさゆ
ふ乃/±〈朱点右〉・ことくさに八・八ねを/±〈朱点〉、〈朱合点〉・ならへ・江多を/±〈朱点〉・可八さ
むと・ちきら勢/±〈朱点〉・【給】し尓・多れも/±〈朱点〉・可な八佐り遣る/±〈朱点〉遣〈次頁〉、(13ウ)
--------------------------------------
いのち能/±〈朱点〉・本とそ・つきせ春/±〈朱点〉・うらめしき/±〈朱点〉・
【風】乃/±〈朱点右〉・をと・むしの/±〈朱点〉・ね尓・つ遣ても・【物】の三/±〈朱点〉・可なしう・
於ほさるゝ尓/±〈朱点〉、(於ほさるる尓)・こきてん尓八/±〈朱点〉・よのな可/±〈朱点〉・【物】むつ可しう/±〈朱点〉・
お本されて/±〈朱点〉・うへの/±〈朱点〉・【御】つ本ね尓も・まう乃本り/±〈朱点〉・
多ま八寸・【月】乃/±〈朱点右〉・於もしろき尓よふくるまて/よ±〈朱点〉・あそ
ひをそ/±〈朱点〉・し・多まふなる・み可と/±〈朱点右〉・いと/±〈朱点〉・すさましう
【物】しと/±〈朱点〉・起こしめ寸/±〈朱点〉・ナシ・こ乃/±〈朱点右〉・ころ能・【御】遣しきを・
【見】/み〈削〉【見】、【見】=【見】〈削〉、±〈朱点〉・多てまつる・うへ【人】/±〈朱点〉・【女房】なと八/±〈朱点〉・可た八らい多
しと/±〈朱点〉・起ゝ介り/±〈朱点〉、(起起介り)・いと/±〈朱点右〉、=〈朱点左〉・をし多ち/±〈朱点〉、〈朱点左〉・可と/\しう/±〈朱点〉、(可と可としう)・【物】し/±〈朱点〉・
【給】・【御】可多耳て/±〈朱点〉・【事】尓も/±〈朱点〉・あら春/±〈朱点(削)〉・於本し遣川
なるへし/±〈朱点〉、な±〈朱点〉・ナシ・ナシ・【月】も/±〈朱点右〉・いりぬ/(14オ)
--------------------------------------
「く毛乃・うへも・なみ多尓・くるゝ/(くるる)・あきの・つき・
い可て/±〈朱点右〉〈削〉・すむらん・あさちふ乃・やと」・お本しやり
つゝ/±〈朱点右〉、(やりつつ)・ともし【火】を/±〈朱点〉、〈朱合点〉・可ゝけつくして/±〈朱点〉、(可可けつくして)・於き/±〈朱点〉・お八しま寸・
【右近】乃/±〈朱点右〉・つ可さ乃・との井【申】能・こゑ・きこゆる八/±〈朱点〉・
うし尓/±〈朱点〉・なりぬるなるへし・【人】めを/±〈朱点右〉・於本して/±〈朱点〉・よる
乃おとゝ尓/±〈朱点〉、(おとと尓)・いら勢/±〈朱点〉・【給】ても・まとろま勢/±〈朱点〉・【給】・【事】・
いと/±〈朱点〉・可多新/±〈朱点〉・あし多尓/±〈朱点右〉、〈朱合点〉・於きさせ/±〈朱点〉・【給】ても・あくる
も/±〈朱点〉・しらてと/±〈朱点〉・於も本しいつる尓も/±〈朱点〉、い±〈朱点〉・な本/±〈朱点〉・あさまつ
り【事】八/±〈朱点〉・をこ多り堂まひぬへ可めり/±〈朱点〉・【物】なとも/±〈朱点右〉、も〈左傍記〉・
起こしめさ春/±〈朱点〉・あさ可礼井能/±〈朱点右〉、=朝餉・遣しき八可里・
ふれさせ/±〈朱点〉・【給】て・【大床子】乃/±〈朱点〉・於ものなと八た/八±〈朱点〉・いと/±〈朱点〉、(14ウ)
--------------------------------------
八類遣う/±〈朱点〉・於本し多れ八/±〈朱点〉・はいせん尓/±〈朱点〉、=陪膳・さふら婦・可き
里八・ナシ・【心】くるしき【御】遣しきを/±〈朱点〉、【御】±〈朱点〉・【見】/±〈朱点〉・多てまつ里・
なやむ・すへ弖/±〈朱点右〉・ち可う/±〈朱点〉・さふら婦/±〈朱点〉・可き里八/±〈朱点〉・於と
こ/±〈朱点〉・をん那/±〈朱点〉・いと王りなき/±〈朱点〉、王±〈朱点〉・王さ可那と/±〈朱点〉・いひあ者勢
つゝ/±〈朱点〉、(あ者勢つつ)・な遣く/±〈朱点〉・さるへきちきりこそ八/±〈朱点右〉・於八しまし
遣め/±〈朱点〉・そこら能/±〈朱点〉・【人】乃・所し里・うら三をも/±〈朱点〉、見〈削〉三、三=三〈削〉・八ゝ
可ら勢/±〈朱点〉、(八八可ら勢)・多ま者春・こ乃/±〈朱点〉・【御事】尓・ふれ多流・【事】を八・
堂う里をも/±〈朱点〉、=道理・まけさ勢/±〈朱点〉、け=〈朱点2左〉・【給】し尓・いま/±〈朱点〉・八多かく/±〈朱点〉、か±〈朱点〉・
【世】乃/±〈朱点〉・ま川里ことをも/と〈朱点右(ママ)〉・於本し寿て多流/±〈朱点〉・やう尓・なり
ゆく八・いと/±〈朱点〉・堂い/\しき/±〈朱点〉、=退〻、(堂い堂いしき)・わさなりと/な±〈墨ヨゴレ〉・飛と乃/±〈朱点〉、=他・み可と
乃・多めしまて/△〈削〉ま・日きいて/±〈朱点〉・さゝめき/±〈朱点〉、(ささめき)・な遣起けり/±〈朱点〉、(15オ)
--------------------------------------
月日/±〈朱点右〉・へ弖・王可【宮】/±〈朱点〉・まい里/±〈朱点〉・【給】ぬ・いとゝ/±〈朱点右〉、(いとと)・こ乃よの/±〈朱点〉・
【物】なら須・ナシ・きよら尓/±〈朱点〉・於よすけ/±〈朱点〉・多まへ八・いとゆゝしう/±〈朱点〉、ゆ±〈朱点〉、(ゆゆしう)、う〈左傍記〉・
於本し多里/±〈朱点〉・あくる/±〈朱点右〉・としの・八類・【坊】/±〈朱点〉・さ多まり・
【給】尓も・いと/±〈朱点〉・日きこさま本しう/±〈朱点〉・於ほ世と/±〈朱点〉・【御】う
しろ三/±〈朱点〉・すへき/±〈朱点〉・【人】も・なく【又】/【又】±〈朱点〉・よの/±〈朱点〉・うけひくましき・
【事】なり遣礼八/礼八〈削〉り遣・【中】/\/±〈朱点〉、(【中中】)・あやうく/±〈朱点〉・於ほし八ゝかりて
いろ尓もい多さ勢多ま者春なりぬるを/±〈朱点〉、い±〈朱点〉、(八八かりて)・さ八可里/±〈朱点〉・
於本し多れと/±〈朱点〉・可きりこそ/±〈朱点〉・あり遣れと【世人】毛き
こ江/【世】±〈朱点〉・【女御】も/±〈朱点〉・於本ん【心】・於ち井/±〈朱点〉・多まひぬ・ナシ・ナシ・可乃/±〈朱点右〉・於八/八=〈朱点3左〉・
起多の可多・なくさむ/±〈朱点〉・よ・那く・於本しゝつみ弖/±〈朱点〉、(於本ししつみ弖)・
於八春らん/±〈朱点〉・ところへ多に/±〈朱点〉・ゆ可むと/±〈朱点〉・ね可ひ/±〈朱点〉・【給】遣類/遣〈次頁〉、(15ウ)
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 次回の勉強会は、来月の3月22日(土)の午後2時半から、同じ演習室で行ないます。




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posted by genjiito at 21:59| Comment(0) | ■講座学習

2025年02月21日

早口言葉での「特許許可局」について考える

 今日の集会所では、ラジオ体操の次に、いつものように何種類かの早口言葉の練習をしました。
 例えば、「東京特許許可局」や「京都特許許可局」という言葉を含む文を声を出して言う場合、少し速くすると参会者の声が揃わなくなり、バラバラになります。少し長い文章の中に躓きやすい言葉が点在しているために、言い間違って遅れてしまうと追い付くことが難しく、なかなかみなさんとの調子を合わせることができません。
 大人数で早口言葉を言うのは、うまく言うだけではなく、みんなで言うことができた、という達成感も大事です。
 その意味では、パタカラ体操は短いフレーズの積み重ねなので、早くすればそれなりの満足感が共有でき、楽しいお口の体操になります。
 もうしばらく「特許許可局」を言い合う様子を見て、このパターンではどれくらいの速さがいいのか、考えてみたいと思います。




posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | *福祉介護

2025年02月20日

京大病院で頭部 MR の検査を受ける

 今日の大文字はきれいに見えました。
 私が大好きな山です。

250220_大文字.jpg


 今日は、脳梗塞に関する検査です。
 今、何をしているのか、いろいろな検査をしていると自分自身で混乱します。
 右足の調子がよくないので、脳内の血管の状況を見るための検査が入りました。
 1年半前に詰まった血管の今の様子と、その周辺の血流を見るための検査のようです。
 丸いドームの中に頭が吸い込まれていきます。
 ウィンウィンという回転音の中に頭が固定されています。
 耳栓をしているので、音は余り気になりません。
 15分ほどだったでしょうか。
 ウツラウツラとしている内に、呆気なく終わりました。
 結果は来週わかります。




posted by genjiito at 19:39| Comment(0) | *健康雑記

2025年02月19日

中之島図書館での2025年度「新古典塾平安文学」のチラシ

 大阪府立中之島図書館で開催している「新古典塾 平安文学」と「古文書塾てらこや」の、2025年度前期(4月始まり)のチラシが出来上がりました。
 これは、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の活動の一環として、変体仮名が読める方が一人でも多くなることを願って、中之島図書館に協力する形で実施しているものです。

 私の方は、引き続き「ハーバード大学本「源氏物語 蜻蛉」巻の仮名文字をよむ」講座と、入門講座としての「変体仮名で書かれた『百人一首』をよむ」講座の2講座を担当します。
 ただし『百人一首』に関しては、新しく編集して本年5月に刊行予定のテキストに収録した、「陽明文庫旧蔵カルタ」と「国文学研究資料館蔵『鶴丸紋/哥かるた』」の2種類のカルタの仮名文字を読みます。
 今回は、4月12日(土)に『百人一首』の講座の体験会を行ないます。変体仮名を読む講座がどのような内容なのか、実際に参加して実感していただければと思っています。

 会場は、国の重要文化財に指定されている本館です。

250219_中之島伊藤チラシ.jpg


 また、切坂美子先生の古文書修復の講座は、和本の修復の理解を深める2講座があります。

250219_中之島切坂チラシ.jpg


 共に月に1回、土曜日に開講します。
 興味と関心をお持ちの方の受講をお待ちしています。




posted by genjiito at 21:44| Comment(0) | ◎NPO活動

2025年02月18日

集会所で楽しんだ「おじゃみの山の棒倒し」

 おじゃみを堆(うずたか)く積み上げ、先端にピンポン球を乗せた棒をおじゃみの真ん中に突き立て、それを倒すゲームをしました。
 簡単な設定で、とにかくおじゃみを取り合うだけという、いたってシンプルな遊びです。しかし、これがおもしろいのです。少しずつ棒が傾くと、次第にみなさんの注意が一点に集中します。真っ直ぐに立っていた棒が、何かの拍子に予想外な動きをするので、アッアッと声が出ます。
 進行役である宇治市社会福祉協議会コラボネット宇治のHさんがホワイトボードに書かれた文字は「おじゃみの山の棒倒し」でした。正式(?)な名前を初めて知りました。

 この「おじゃみ」という言葉について、全国で何と言っているのかを、自分なりに調べてみました。
 全国の社会福祉施設での呼び名を、ネットで検索しただけでも、いろいろとおもしろいことがわかります。
 大まかに言えば、関西は「おじゃみ」で関東は「お手玉」です。しかし、微妙に異なる傾向も見られます。

 例えば、「おじゃみ」は以下の地域で使われていました。
 神奈川県、静岡県富士市、福井県、大阪府枚方市、奈良県香芝市、兵庫県豊岡市、高知県土佐清水市、山口県岩国市、

 対して、「お手玉」は次の地域が見つかりました。
 静岡県、新潟市、名古屋市、大阪府大東市、徳島市、大分市、

 同じ静岡や大阪であっても、両方が確認できました。これはおそらく、現場である社会福祉施設の職員さんが関西と関東とで移動や転居があったために、自分が慣れ親しんだ呼び名で移り住んだ地域で日常的に言い、ホームページやブログなどでも自分の言い方で書いておられる可能性が考えられます。また、男性と女性では呼び方に差があるかも知れません。私は小さい時にこれで遊ばなかったので、大阪へ出た小学5年生以降に耳にした「おじゃみ」が思い当たります。
 そうであっても、関西は「おじゃみ」、関東では「お手玉」と、呼び名が違うことは確かなようです。

 方言や言語や文化の専門家からのコメントを伺いたいものです。
 よろしかったら、ご教示をお願いします。




posted by genjiito at 22:26| Comment(0) | *福祉介護

2025年02月17日

病院での診察後は集会所で雛人形を作る

 今朝は、薄曇りの大文字山が迎えてくれました。

250217_大文字.jpg


 糖尿病の血液検査では、ヘモグロビンA1cの値は2ヶ月前と同じ「6.7」でした。一般的には、「6.0」以上が高血糖とされています。しかし、私は消化管がないために消化吸収が早く、数値が高めに出ます。

250217_ヘモグロビン_A1c.jpg

 主治医からは、うまくコントルールできているのでこの調子で、と励まされました。これまでの1日6回食を、昨年末からは5回食にしているのも、その一因かもしれません。これは、妻の協力なくしてはできない健康管理です。
 その他の血液検査に関しては、高低さまざまにあるものの、とりたてての問題は認められないとのことです。一安心です。

 診察が終わったのが12時過ぎ。集会所での地域の方々とのグリーンカフェが13時からなので、少し遅れることを連絡して、大急ぎで帰りました。

 今日の集まりでは、折り紙で雛人形を作りました。同じように出来るはずでも、みなさんそれぞれにその方らしいお人形です。おもしろいものです。
 私の作品は、少し細身のお内裏さまとお姫さまになりました。

250217_雛人形.jpg

 白寿のTさんの作品は、お人柄を示すようにふっくらとしたお人形さまでした。

250217_Tさんのお雛さま.jpg


 白寿のTさんのお手伝いもしていた妻は、自分のものが完成しないままで持ち帰ることにしたようです。Tさんは早くできたこともあり、他の方のアドバイスをしたりと、余裕の手作り工作でした。

 手仕事の後は、肩や腕や足腰の運動をしました。




posted by genjiito at 21:46| Comment(0) | *福祉介護

2025年02月16日

キャンパスプラザ京都で尾州家河内本「桐壺」を読む会(No.8)のご案内

 本日の京都新聞市内版「まちかど」欄に、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉が主催する、尾州家河内本「桐壺」(重要文化財)の本文を変体仮名で読む講座の案内記事が掲載されました。今回は尾州家河内本の第8回となります。

250216_新聞掲載.jpg

 会場は、キャンパスプラザ京都(京都市大学のまち交流センター)の5階にある第5演習室です。
 変体仮名は初めてだという方のご参加も大歓迎です。
 現在、毎回約10名の参加者と一緒に、和やかに変体仮名を読み進めています。
 なお、この会では『源氏物語』の内容は扱いません。
 鎌倉時代の古写本(重要文化財)に書かれている文字が、とにかく読めるようになることを、第一の目的としています。
 前回の勉強会の様子は、以下のブログで報告しています。

「キャンパスプラザ京都で尾州家河内本「桐壺」を読む(第26回)」

 一人でも多くの方が、日本の文化資産である変体仮名が読めるようになることを願って開催するものです。
 資料はすべて、当日の会場で配布します。
 会場は、京都駅から JR の線路沿いに歩いて5分の所です。
 本ブログのコメント欄を通して、参加希望の旨をお知らせいただけると、資料を用意してお待ちしています。

 お知り合いの方へのご紹介も、よろしくお願いします。




posted by genjiito at 21:50| Comment(0) | ◎NPO活動

2025年02月15日

日比谷で「須磨」(21)と『百人一首』(10)を読む

 今日も、日比谷図書文化館の入口には講座の案内が掲示されていました。

250215_掲示板.jpg


 入ってすぐの特別展示室では、「実録 桜田門外の変」を開催しています。会期は、先週から3月24日(月)までです。
 すぐ近くの皇居での事変なので、興味深く見て回りました。
 1つの出来事に対して、情報が広く伝播し、言葉や絵画などで多くの記録が残されています。

250216_桜田門.jpg


 ところが、それぞれが微妙な温度差をもって語り伝えられているために、事実はどうだったのか、真相はどうだったのかが、なかなかわかりません。情報の伝達について考えさせられました。

 さて、ハーバード本「須磨」の本文を変体仮名に注目して確認する講座です。
 最初に、朴光華先生のハングル訳『源氏物語』を回覧し、韓国における『源氏物語』の翻訳状況をお話しました。朴先生のハングル訳は、これから先10年では終わらない、壮大な計画のものです。

 今回は「街中の変体仮名」は例示するものがなかったので、すぐに「須磨」の本文の確認をしました。
 ハーバード本『須磨』の今日の範囲では、字形の判断に迷うものが少なかったので、予定通り6頁分の確認ができました。いくつか説明を要したのは、ミセケチとナゾリと補入のことです。

 今回の範囲では、「佐(さ)」をなぞった例が3例もあり、この書写者は旁の「左」の字形にこだわっているように見受けられました。
 「あはれ」という単語については、共に「あ者れ」と表記するものが3例も確認できました。この用字については、今後とも注視していきたいと思っています。他の巻や他の写本などでは、さまざまな表記で書写されています。この用字についても、あらためて抽出していくと、おもしろい傾向がわかることでしょう。

 この他には、ナゾリや補入やミセケチについて、わかりやすい例がいくつか出てきたので、出てくるたびに詳しく説明しました。

 以下に、今日確認した翻字をあげます。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
■ハーバード大学蔵『源氏物語 須磨』37丁表〜39丁裏
翻字データの中にある付加情報(/)の記号について
傍書(=)、 ミセケチ($)、 ナゾリ(&)、
補入記号有(+)、補入記号無(±)、 和歌の始発部( 「 )・末尾( 」 )、
底本陽明文庫本の語句が当該本にない場合(ナシ) 、 翻字不可・不明(△)
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【思】いて・きこゑ・【給】・をり可ら乃・【御】ふ三毛・いとあ
者れ奈れ八・【御】つ可ひさへ・い川可しくて・【二三日】・
すゑ・多満ふて・可志こ乃・【物】可多里なと・せさせ・
【給】て・きこしめ寿・王可や可尓・遣しきめる/き±者、(遣しき者める)・
佐ふらひの・【人】奈り・けち可く・あ者れなる・【御】す万
井奈れ者・かやうの・【人】毛・をのつ可ら・毛のとを可
らて・ほ乃三・堂てま川る/て&堂、(ててま川る)・【御】あ里佐ま/佐&佐・可多ち
を・い三しく・め多堂しと・な三多・越としをり
け里・【御返】・可き・多満ふ・ことの者・於もひやるへ
し・かう・よ越・者なるへき・【身】と・【思】・【給】へまし可八/(37オ)
--------------------------------------
於那しく八・志多ひ・きこゑ佐せまし【物】
をとなん・徒れ/\と/(徒れ徒れと)・【心】本そき・満ゝ尓/(満満尓)・
「【伊勢】ひと乃・奈みの・うへ・こく・をふ祢尓毛・
うきめは・可らて・のら満し毛の越」ま多・
「あま可・徒む・那遣乃/遣+き、(那遣き乃)・【中】尓・し本多れ弖・
い徒まて・寿満乃うら尓・な可めん」・きこゑ
させん・こと能・い川と毛・【思】・【給】へられぬこそ・徒き
勢ぬ・【心】ち・し・者へれ奈んとそ・あ里ける・可や
う尓・い川こ尓毛・於ほ川可奈可ら須・きこゑ・【給】・[21]【花】
ちる佐とも/佐&佐・可那しと・於ほしける万ゝに/(万万に)・可きあ川め/あ〈次頁〉、(37ウ)
--------------------------------------
【給】へる・【御】ふ三とんの・【心】/\を/(【心心】を)・【見】・【給】尓八・を
可しさ毛・あはれ毛・めなれぬ・【心】ち・して・いつれ
毛・うち三・【給】川ゝ/(【給】川川)・奈くさ免・か川八・【物】於もひの・
もよ越し奈り・
「あれまさる・のき乃・しのふを・な可め
徒ゝ/(な可め徒徒)・志けく毛・つゆ乃・可ゝる/(可可る)・そて可奈」と・ある
を・介尓・い可尓・むくらよ里・本可乃・うしろ三
も・なき・佐ま尓て・於者すらんと・於ほし
や里て・な可あ免尓・【所】〻の/(【所所】の)・川い可き毛・く
徒れてなんと・きゝ/(きき)・【給】へ八・【京】の・介いし能・もと尓/尓〈次頁〉、(38オ)
--------------------------------------
於ほ世つ可者して・ち可きく尓/\乃/(く尓く尓乃)・【御
庄】乃/=三しやう・【物】なと・毛よをさ勢て・【修理】の【事】
なと/=す里・徒可うま徒る・ナシ・[22]かんのみは/の±き、(かんのきみは)・【人】
王ら八れ尓・い三しく・於ほしいら
るゝ越/(於ほしいらるる越)・於とゝ/(於とと)・いと・か那しく・し・【給】・【君】尓て・
勢ち尓・【宮】尓毛・【申】・【内】尓毛・【奏】し/=ソウ・【給】
介れ者・な尓可八・可き里・ある・【女御】・三や
す【所】尓毛・を者せ須・於ほやけさまの・【宮】つ
かへなと・於ほしな越里・【又】・かの・【人】の・尓く
可里し・ゆへこそ・い可めしき・と可免毛・いて古し可/古〈次頁〉、(38ウ)
--------------------------------------
・ゆるされ・【給】て・まいり・【給】へき尓・徒介
て毛・【猶】・【心】尓・し三尓し・か多の・ことの三そ・
あ者れ尓・於ほえ・【給】介る・【七月】尓/=ふ、(ふ【月】尓)・な里弖・
万いり・【給】・い三し可里し・【御思】の・奈こり奈
れ者・ひとの・そし里を毛・しろし免さす・
れいの・川と・うへ尓・さふら者勢・【給】弖・よろ
徒尓・うらみ・可川八・あ者れ尓・ちき里・可多
ら者せ・【給】・さ満・【御】可多ち毛・いと那ま免可しく・
きよらなれとも・於もひい川可/可〈ママ〉・ことの三・於ほ
かる・【御心】の・うちそ・いと・可多しけ奈き・於ほんあそひの/あ〈次頁〉、(39オ)
--------------------------------------
川いて尓・その・【人】の・なきこそ・いと・
さう/\し介れ/(さうさうし介れ)・い可尓・満し弖・志可・【思】・【人】・
於ほ可らん・【何事】尓毛・ひ可り・なき・【心】ちも・
寿る可那なと・の堂満者勢て・【院】の・於ほし・
の多ま者勢し・【御心】を・多可へ・きこゑ徒る
可那・川三・うらむ可しと弖・な三多くみ・多
まへる尓・え・ねむし・【給】まし・【世中】こそ・
ある尓・徒遣て毛なきに川遣ても・川年
なら須・あちきなき・毛のなり介れと・ナシ・【思】し
る・満ゝ尓ひさしう/(満満尓)・【世】尓・あるへき・ものと・さら尓/ら〈次頁〉、(39ウ)
--------------------------------------


 1時間の休憩中に、地下のラウンジで書家の宮川さんと、今後の写本の調査について打ち合わせをしました。ハーバード本のツレと思われる五冊の写本の存在が確認できたからです。
 宮川さんはハーバード本のときのように臨模本を作成し、私は「変体仮名翻字版」のデータを作る計画を始めることにしたのです。この件では、進展に伴って報告します。
 また新たなプロジェクトのスタートです。

 後半は、『百人一首』の変体仮名を読む講座です。
 吉村試訳で確認し終えた現代語訳などは、以下の通りです。

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■吉村仁志『百人一首』七六〜八八・試訳 (付・仮名文字に関するメモ:伊藤鉃也)
・吉海直人『百人一首で読み解く平安時代』(角川学芸出版、二〇一二年)の訳(以下、底本の訳)を参考にした。
・高校生を意識して、また耳で聞くだけでもわかりやすく、イメージしやすい訳を心がけた。

【七六】
〈原文〉【和田】の【原】 こ幾【出】弖三れ者 【久方】能【雲井】耳満可ふ おきつしら【波】
〈底本の訳〉大海原に漕ぎ出して見渡すと、はるか向こうに雲かと見間違うばかりに沖の白波が立っています。
〈試訳〉大海原に漕ぎ出して見渡すと、はるか向こうに見えるのは、雲と見間違えそうになるほど白い波。
・下の句の訳し方
→音で聞いた時に順番に情景がイメージできるように、「はるか向こうに見えるのは」と訳した。
※仮名文字
【原】【方】【井】【波】の漢字に注意。
「幾」「弖」「つ」の仮名に注意。

【七七】
〈原文〉【瀬】を者や三 【岩】耳世可るゝ 多き【川】の王礼弖も春ゑ尓 あ八んとそおもふ
〈底本の訳〉川の流れが速いので、岩にせき止められる急流が二つに分かれてもいずれはひとつになるように、今は引き離されて逢えなくても、後にまた逢おうと思っています。
〈試訳〉川の流れが速いので、岩にせき止められた急流は、二つに分かれてもいずれ一つに戻る。それと同じように、今はあなたと一度引き離されてしまっても、いずれまた逢おう、と思っている。
・序詞の訳し方
→川の情景と自分の思いを重ねているのを表現するにあたって、原文と同じ順序で訳すと煩雑になってしまうので、比喩の方を先に訳した後、一度文を切って改めて心情を訳した。
※仮名文字
【瀬】【岩】の漢字に注意。
「世」「王」「礼」「弖」「そ」の仮名に注意。

【七八】
〈原文〉あ八ち【島】 かよふ【千鳥】の 【鳴】こゑ耳【幾夜】祢さ免努 須万能せ幾毛里
〈底本の訳〉淡路島から須磨に渡ってくる千鳥のもの悲しい鳴き声に、幾晩目を覚ましたことでしょうか、須磨の関守は。
〈試訳〉淡路島から渡ってくる千鳥の、もの悲しい鳴き声に、幾晩目を覚ましたことだろうか、須磨の関守は。
・上の句の訳し方
→音で聞いた時にわかりやすくするため、底本にある「須磨に」を省略し、「千鳥の」の後に読点を置いた。
※仮名文字
【島】【鳥】【鳴】の漢字に注意。
「こ」「努」「幾」の仮名に注意。

【七九】
〈原文〉【秋風】耳 【棚引】【雲】の 多え万よ里毛礼いつ類【月】能 可け乃さや希佐
〈底本の訳〉秋風にたなびいている雲のとぎれから漏れる月光の、なんと澄みきっていることでしょう。
〈試訳〉秋風にたなびいている雲の、切れ間から漏れてくる、月の光の清らかさ。
・結句の訳し方
→この歌の中心である月光の清らかさを強調するために、あえて体言止めで訳した。
※仮名文字
【棚】【雲】の漢字に注意。
「え」「礼」「類」「希」「佐」の仮名に注意。

【八○】
〈原文〉【長】可らん 【心】もしら須 くろ【髮】能み多連弖【今朝】八 ものをこそ【思】へ
〈底本の訳〉末長く変わらないあなたのお心かもしれませんが、今朝の私の心はこの黒髪と同じように乱れてもの思いに沈んでいます。
〈試訳〉末長く変わらないというあなたの心も、どうなってしまうかはわからない。私はこの乱れた黒髪と同じように、今朝は乱れた心で物思いをしているけれど。
・上の句の訳し方
→二句目までは相手の心、三句目以降は自分の心情について詠んでいるので、途中で文を一度切った。
・下の句の訳し方
→二句目までの相手の心と対比する形で、自分の心情を逆説を用いて訳した。
※仮名文字
【心】【髪】【今朝】【思】の漢字に注意。
「須」「連」「弖」の仮名に注意。

【八一】
〈原文〉本とゝ支須 【鳴】つる【方】越 【眺】無れ者【唯】【有明】能 【月】楚のこ連類
〈底本の訳〉時鳥が鳴いた方を見ると、時鳥の姿は見えずただ有明の月が見えていることです。
〈試訳〉時鳥の鳴き声。聞こえた方を見てみると、既に時鳥の姿はない。ただ有明の月だけが残っている。
・上の句の訳し方
→下の句で詠まれる「残っている月」と対比して、残っていない時鳥を表現するため、鳴き声が聞こえる→そちらを見る→姿が見えないという短い時間の流れを表現するために、それぞれを一つずつ順番に訳した。
※仮名文字
【方】【眺】【唯】の漢字に注意。
「本」「支」「楚」「類」の仮名に注意。

【八二】
〈原文〉【思】日王ひ さてもいのち八 【有】ものをう幾耳【堪】ぬ八 な三多【成】希李
〈底本の訳〉つれない人のことを思い悩んで、この身は絶え果ててしまうかと思いましたが、それでも命だけはなんとかつないでいるのに、そのつらさにたえられないのは涙で、とめどなくこぼれ落ちています。
〈試訳〉つれない人のことをどれほど思い悩んでも、命はこの身に宿ったままなくならない。だが、涙はつらさに耐えられず、この身からどんどんこぼれ落ちていく。
・上の句の訳し方
→「命」と「涙」が対比されているため、つらさに耐えかねてどんどん身からこぼれ落ちる涙と、つらくとも自身を離れない命というイメージであると考え、「命はこの身に宿ったままなくならないけれど」と訳した。
※仮名文字
【思】【有】【堪】の漢字に注意。
「日」「幾」「多」「李」の仮名に注意。

【八三】
〈原文〉【世中】よ 【道】こそな遣連 おもひ【入】【山】能於く耳毛 【鹿】楚【鳴】な流
〈底本の訳〉世の中というのは逃れる道はないのですね。深く分け入った山の奥でも憂きことがあるらしく、鹿がもの悲しく鳴いているようです。
〈試訳〉世の中というのは、苦しみから逃れる道がないのだなあ。俗世を離れるために入った山の奥でも、鹿がもの悲しく鳴いているようだ。
・「思い入る」の訳し方
→悲しみという煩悩から解放されるために入った山奥で、鹿の鳴き声を聞いてここにも悲しみがあることを知り、逃れる道がないことを諦めている、という歌なので、「俗世を離れるために入った」と訳した。
※仮名文字
【道】【鹿】の漢字に注意。
「遣」「楚」「流」の仮名に注意。

【八四】
〈原文〉な可らへ八 ま多この【比】や 【忍】者れん宇しと【見】しよ楚 い万盤古ひしき
〈底本の訳〉この世に長らえたら、つらい今のことがなつかしく思い出されることでしょう。つらかった昔が今では恋しく思われることからして。
〈試訳〉この世に長く生きていたら、いつか今のつらい日々のことも懐かしく思い出されるようになるのだろうか。つらかった昔のことも、今では恋しく思われるのだから。
・上の句の訳し方
→二句目の「や」を疑問の意に取って訳出することで、今のつらさを強調した。
※仮名文字
【比】【忍】の漢字に注意。
「多」「宇」「盤」「古」の仮名に注意。

【八五】
〈原文〉よも春可ら 【物】【思】ふころ八 【明】やら弖【閨】能【隙】さへ つ連那可里遣利
〈底本の訳〉夜通しつれないあなたのために物思いしているこのごろは、早く白んでくれればよいと思いますが、なかなか夜は明けてくれず、つれない人ばかりか寝室の隙間さえもがつれなく思われることです。
〈試訳〉一晩中、つれないあなたのことを思って、この頃はなかなか眠れない。早く朝になってほしいのに、なかなか夜は明けてくれない。明るくならないので、寝室の戸の隙間さえもつれなく思えてくることだ。
※仮名文字
【物】【思】【閨】【隙】の漢字に注意。
「春」「弖」「那」「利」の仮名に注意。

【八六】
〈原文〉【歎】けとて 【月】や八ものを 【思】八須るかこち【顔】な流 王可な三多可那
〈底本の訳〉嘆けといって月が私に物思いをさせるのでしょうか、いやそうではありません。それなのにそれを月のせいにして、恨めしくもこぼれ落ちる私の涙ですよ。
〈試訳〉嘆けといって、月が私に物思いをさせるのだろうか、いやそうではない。そうではないのに、月のせいにして、私の涙は零れ落ちる。
・下の句の訳し方
→音で聞いた時のわかりやすさを考慮して、簡潔に訳した。
※仮名文字
【歎】【顔】の漢字に注意。
「王」「那」の仮名に注意。

【八七】
〈原文〉【村雨】の 【露】もま多ひぬ 【槙】の者尓【霧】多ち能本累 あ幾能ゆふ【暮】
〈底本の訳〉村雨がひとしきり降った後、その露もまだ乾かない槇の葉に、霧が白く立ちのぼっている秋の夕暮れであることよ。
〈試訳〉村雨が降った後、槙の葉に置く露。その露がまだ乾かないうちに、霧が白く立ちのぼってくる、秋の夕暮れ。
※仮名文字
【雨】【露】【暮】の漢字に注意。
「ま」「幾」の仮名に注意。

【八八】
〈原文〉【難波江】能 あしの可りね乃 【一夜】ゆへ【身】越つ具してや こひ【渡】るへき
〈底本の訳〉難波江の葦の刈り根の一節のように短い一夜の仮寝のために、身を捧げてあなたを恋い続けるのでしょうか。
〈試訳〉澪標で有名な難波江にある葦の、刈り取った根の一節のように、短い一夜の仮寝のために、この身を尽くしてあなたを恋い続けるのだろうか。
※仮名文字
【難波江】【身】【渡】の漢字に注意。
「可り」「具」の仮名に注意。
--------------------------------------

 『百人一首』を通してバラエティに富んだ変体仮名に親しむため、昨秋から尾形光琳のカルタも参考資料として提示しています。今日は、64番歌から81番歌までを見ました。

 なお、地名に関する凡例を新たに定めました。
 現今の漢字表記と同じ文字が書かれていたら、それは【 】で括って表記する、ということにしたのです。これまでは不統一だったので、これから溯って補正していきます。
 以下にあげる今日の成果では、この地名の処置をしています。
 例えば、次の例がそれです。
  ・う【治】
  ・あ者【路】し満
  ・【須】満 

 また「愛」が「あ」の変体仮名として出てきました。鎌倉時代の物語ではめったに出会えないものなので、ここに例示します。

六四 権中納言定頼 「愛しろ【木】」(あじろぎ)


250216_愛しろ木.jpg

 以下、光琳カルタの64〜81番歌の[変体仮名翻字版]をあげます。

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■光琳かるた[変体仮名翻字版-2023] 六四〜九〇番歌
(『別冊太陽愛蔵版「百人一首」』、平凡社、一九七四年十一月九日発行 より)

六四 権中納言定頼
あさ本ら希 う治の【川霧(雰)】 多え/\尓
阿ら者連わ多る 【瀬】ゝの愛しろ【木】

六五 相模
うらみ【侘】 ほさぬ【袖】堂に 【有】毛のを
こひ耳くちなむ 【名】こ楚おしけ連

六六 大僧正行尊
もろと毛に 【哀】登【思】へ 屋満さく良
者なよ里ほ可尓 志類【人】母なし

六七 周防内侍
【春】のよ能 【夢】者可りな留 【手枕】耳
かひな具堂ゝ無 【名】こ所於し介れ

六八 三条院
こゝろ尓も あら弖う此よ尓 な可らへは (陽明本は「う支よ」)
【恋】し可類遍き よ者乃【月】可那

六九 能因法師
あらし布具 【三】むろの【山】乃 もみち者ゝ
堂徒多の【川】濃 尓し支【成】け里

七〇 良暹法師
佐ひしさ尓 【宿】を【立出】て な可む連八
い徒具も【同】し 【秋】の【夕暮】

七一 大納言経信
【夕】さ礼盤 【門田】乃いな【葉】 【音】つ連て
あし乃まろ【屋】に 【秋】可勢そ【吹】

七二 祐子内親王家紀伊
をと尓き具 堂可しの者満乃 あ多【波】八
かけしや【袖】の ぬ連もこ楚すれ

七三 権中納言匡房
堂可【砂】の 【尾上】のさくら 佐支にけり
とや満の可すみ 多ゝすも阿ら【南】

七四 源俊頼朝臣
う可里ける 【人】を者つせの 【山】おろしよ (陽明本は「おろし」)
は遣し可れとは いのらぬも能を

七五 藤原基俊
地支里【置】し させも可徒ゆを 【命】尓て
あ者れことしの 【秋】毛意ぬめ里

七六 法性寺入道前関白太政大臣
わ多の者ら 【漕】【出】弖三れ盤 【久】可多の
くも井尓満可ふ 【奥】徒しらなみ

七七 崇徳院
【瀬】を者やみ い者尓せ可留ゝ 【瀧川】の
わ連てもす衛耳 あ者むと曽【思】
七八 源兼昌
あ者路し満 可よふ【千鳥】の なく【声】に
いくよねさ免ぬ 須満の【関守】

七九 左京大夫顕輔
【秋】可せ耳 【棚引】くもの 【絶間】より
も連【出】類【月】の 可け能さや気散

八〇 待賢門院堀河
な可ゝらむ 【心】もしら春 くろ可みの
見堂れ帝けさは ものをこ楚【思】へ

八一 後徳大寺左大臣
ほとゝ支数 【鳴】つる【方】を な可む連八
多ゝ【有】あけの 【月】楚のこ連累
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 今回は、息子が生成AIの仕事で繁忙を極める時期だとのことで、講座が終わるとそのまま京都に向かいました。
 私が講座を担当している間、いつものように妻は銀座探訪です。東京駅で待ち合わせると、何と今日一日で24,000歩も歩いたようです。楽しくて、つい、と言っていました。それにしても2日分も歩いたのですから、足が重たいとのことです。リバティプリントの布が大好きなので、端切れを見て歩いていたそうです。いつものように日暮里へ行くこともなく、銀座だけでたっぷりと時間を使ったのです。まさに、勝手知ったる銀座となっているようです。ご満悦でした。




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2025年02月14日

江戸漫歩(175)門前仲町界隈を散策

 東京へ行くにあたって関ヶ原での雪が心配だったので、予定を1日早めて出かけました。
 東京駅から京葉線に乗り換え、越中島駅まで行きました。

 かつて住んでいた東京医科歯科大学の官舎の現状を、昨夏以降どのように変わっているのか見に行きました。昨年行った時には、私が住んでいた棟が解体されつつあったからです。この棟は、恩師伊井春樹先生も住んでおられた所です。
 昨年の記事の「江戸漫歩(168)門前仲町を散策し隅田川で一休み」(2024年06月16日、http://genjiito.sblo.jp/article/190941354.html)の中程に、ちょうど私が住んでいた所が壊されている写真をアップしています。
 同じ場所が、敷地全体が、今日は完全に更地になっていました。住んでいた建物と共に、妻が丹精込めて花を育てていた7軒分の花壇も、ショベルカーが地均しをしています。なかなかいいタイミングで、壊され始めるところに続いて、すべてがなくなった場所を見ることができました。あのころの様子は、「江戸漫歩(153)越中島の花壇と公園」(2017年03月20日、http://genjiito.sblo.jp/article/179151998.html)という記事で確認できます。

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 隅田川に架かる相生橋を渡ったところにある有名な牛肉屋さんでお弁当を買い、川沿いの越中島公園のベンチで日向ぼっこをしながらいただきました。散策のために、よく来た場所です。風もなく日差しも強かったので、長閑なひと時でした。ここは、テレビの CM によく使われることで知られています。

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 一羽のユリカモメ(都鳥)が、我々のお昼ご飯をもの欲しそうに見ています。

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 高校の古文の時間には、『伊勢物語』の中の第9段「あずま下り」がよく取り上げられます。特に関東の学校では、平安文学とのつながりをもつこの話は、貴重な教材となっています。次の歌で、隅田川の都鳥を思い出す方も多いことでしょう。

  名にし負はば いざこと問はむ 都鳥
    わが思ふ人は ありやなしやと

 ここから古石場の文化センターと図書館へ行き、小津安二郎の展示コーナーを楽しみました。この一帯は、小津が生まれ、多くの映画の舞台となった地です。

 次に富岡八幡宮に向かいます。海外に出かける時には、必ずここの参道の入口に立つ伊能忠敬に挨拶をして出かけていました。また、骨董市には京都とは趣の異なるおもしろい物が出ていたので、物色していたものです。

 その隣の深川不動にも立ち寄りました。太鼓の響きと読経の後の能弁な説法は、いい勉強になります。

 門前仲町には9年いました。400年前の江戸を感じさせる街です。

 今日歩いたのは、14,300歩でした。リハビリというよりも、トレーニングに近い運動量になりました。
 永代橋の近くの、渋沢栄一の旧宅の近くに宿をとっています。




posted by genjiito at 23:17| Comment(0) | ・江戸漫歩

2025年02月13日

ガンの10年生存率と私の場合について

 国立がん研究センターが本日、「ガン10年生存率」を発表しました。これは、2012年にガンと診断された患者39万4108人を対象とした調査の報告です。時事ドットコムの記事(https://www.jiji.com/sp/article?k=2025021300004&g=soc)から、図表を引きます。

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 私は、2010年8月に京大病院で胃ガンの手術を受け、胃を全摘出しました。
 その発端は、前の月に東京の九段坂病院で人間ドックを受け、その時に胃ガンの疑いが指摘されたことからです。
 九段坂病院の糖尿病の主治医から電話で告知を受け、すぐに京大病院へ治療する病院を移し、翌8月に摘出手術を受けました。

 あれから14年半が経過しています。いま問題となっている10年間には、いろいろとあったものの、命を落とすこともなく過ぎました。とにかく、些細なことでも何かあれば病院で検査を受けていることが、この幸運につながっていると思います。

 今回の報告でも、胃ガンの患者数が一番多いそうです。そして、ガンのステージが早いほど、生き延びておられます。
 私は、結果的には初期の第1ステージでした。腹腔鏡手術では第一人者と言われるO先生は、術後に別室で妻に切除した胃を開いて見せて、「完璧です」と説明なさったそうです。それだけ、渾身の手術をしてくださったのです。毎日ベットの横に来て、今後の対処を懇切丁寧に話してくださいました。O先生は執刀医であり、主治医ではなかったので、いろいろな配慮から個人的にこれからの身の処し方を含めてアドバイスをしてくださったのです。その後、糖尿病で1カ月ほど入院した時も、わざわざ病室に来て、胃のない生活への注意などを話してくださいました。O先生は、今は千葉県におられます。いつか、こんなに元気に飛び回っていますよ、とご挨拶に行きたいと思っています。

 なお、私のガンとの付き合いと、2017年に発表された5年後と10年後の生存率を集計したものをまとめた話は、以下の記事に詳しく書いています。ただし、その記事の中で紹介した記事のリンク先は、すでに閉鎖されたアドレスなので、題名で再検索していただく必要があります。1件ずつの補正が追いついていません。関心をお持ちの方は、ザッとでもご笑覧ください。

「【補訂】我が身に照らしてステージ別ガン患者の生存率を見る」




posted by genjiito at 21:57| Comment(0) | *健康雑記

2025年02月12日

京洛逍遥(918)一休温泉で不自由な足腰をほぐす

 この前に一休温泉へ行ったのは2019年の4月だったので、宇治に転居してからは初めてとなります。6年近くも行っていなかったのです。下鴨から宇治に移ったことで近くなったはずなのに、かえって遠いと感じるようになったようです。
 2023年5月には、駅の反対側にある一休寺へは行っています。

 一休温泉に初めて行ったのは、2018年4月でした。「京洛逍遥(486)上方温泉「一休」京都本館でお花見」(http://genjiito.sblo.jp/article/182878766.html)に詳しく書いていますので、ご笑覧を。

 近鉄新田辺の駅前では、かわいい一休さんが出迎えてくれました。

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 1時間に1本のバスで温泉前まで行きます。
 温泉の入口の雰囲気も、以前とまったく同じです。

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 時間が止まっていたかのように、7年前と何も変わっていません。
 タイムスリップしたかのような、不思議な気持ちでゆったりと湯につかり、足腰の血行がよくなるように身体のリフレッシュに専念して来ました。露天風呂は2つありました。少し匂いが感じられるものの、サラッとしたお湯で、リハビリと気分転換には最適な温泉でした。




posted by genjiito at 22:21| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2025年02月11日

京洛逍遥(917)大階段から空中広場へ

 京都駅上の大階段を登ってきました。2往復するつもりでした。しかし、最初の登りで息が上がったので、上で休憩をして息を整えました。そばに小鳥が来て、愛想を振りまいています。

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 そのまま階段を下り、今日は終わりにしました。2往復はまたの機会にチャレンジします。

 東側の空中広場に行く途中に、だだっ広い休憩所があります。

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 駅の南側の市街を見ていると、真向かいの JRのホームを新幹線が行き来しています。気持ちのいい場所です。
 すぐ横には、コンセント付きのテーブルもあります。

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 パソコンやスマホの充電など、何かと助かる休憩所となっています。
 大階段の反対側にあたる東の空中広場に来ると、駅の様子が違った角度で楽しめます。

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 過日、ここの紹介はしたので、以下省略です。

 帰りに、京都駅の南北自由通路にある JR西口の改札口前のお土産物屋さんには、大きな看板が掲げてあります。ここに「亰」と大きく書いてあることは、あまり知られていません。

250211_亰.jpg


 大阪では、昭和40年代に、「近鉃百貨店」と掲げてあることにPTAから苦情が出て、「近鉄百貨店」に書き換えられたということがありました。この京都駅の場合、このまま「亰」で通してもらいたいものです。

 手元のコンピュータが新しくなり、今日はその第一便です。違和感なく、システムも移行できました。写真などの処理が速くて快適でした。




posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2025年02月10日

自宅のパソコンがインテル Macからシリコン Macに変わります

 今日から、毎日使うアップルのパソコンが、MacBook Pro(インテル、2017年製)からMac mini(M4 Pro、2025年製)に変わります。
 MacBook Pro は2017年のものだったとはいえ、最高に近いハイスペックのものでした。7年もの酷使に、よく耐えてくれました。
 生成AIを活用しないとこれからの流れに取り残されるので、 Apple Intelligence が自宅の机の上で使えるものとして、ノートタイプではなくボックスタイプに決めました。もちろん M1の Mac mini と M1の MacBook Pro は持っていました。しかし、いまいちだったので、使い勝手を試している程度でした。M4 Pro が出たことで、思いきって入れ替えることにしたのです。
 環境も変わり、新しい生活となりそうです。作業も格段にスピードアップすることでしょう。
 ということで、本日の記事がインテルMacでアップする最終版となります。
 明日からは、シリコンMac で書くことになります。
 このブログを書きながら、追い追い気付いたことをアップしたいと思います。




posted by genjiito at 23:59| Comment(0) | ◎情報社会

2025年02月09日

スーパーマーケットやコンビニが乱立する地域に住んで

 昨日、すぐ近くのドラッグストアよりもさらにやや近いところに、新しくドラッグストアが開店しました。いま住んでいる地域には、歩いて十数分の圏内に6軒ものドラッグストアやスーパーマーケットと、6軒のコンビニエンスストアが林立しています。その内、昨日開店したのは我が家に一番近かった、まさにそのお店の隣に並んで、新しく建物ができたのです。しかも、売り場面積も駐車場も広いものが出現したので、棲み分けが大変そうです。利用者はありがたいことですが。
 さらにその隣には、医療関係の施設の入所を募集しているので、ますます人が集まるエリアとなりそうです。

 クレジットカード・電子マネー・交通系 IC カードでは支払いができず、またポイントカードがない分、価格を安くしているとのことです。商品としては、医薬品、化粧品、雑貨、食品、酒、日配、パン、冷凍食品、などの取り扱いがあるドラッグストアです。
 最近は、名前はドラッグストアといいながらも、実質的には mini スーパーマーケットが多くなりました。ここも、まさにそれです。

 本日行ってみました。確かに豊富な品揃えです。ただし、お弁当がおいしくて安いことで有名なはずなのに、それがありませんでした。また、野菜や果物や肉魚などの生鮮食品がありません。近所のお店との棲み分けを、マーケットリサーチによって徹底されたようです。

 このお店が開店したことが何か関係しているのか、歩いて8分ほどのところを通る国道を渡ったところにあるスーパーマーケットが、来月末で閉店します。生鮮食品はそこのものを買うことが多かったので、もう一軒別のお店に行くことにします。

 人口は減少し高齢化する地域ながら、多くの人が生活する場所なので、日常生活の買い物ができる便利なお店が多いようです。少子高齢化と共に、ますますお店が淘汰されるのでしょうか。今後の推移が楽しみです。




posted by genjiito at 21:57| Comment(0) | *身辺雑記

2025年02月08日

中之島での『百人一首』(第10回)と『源氏物語 蜻蛉』(第21回)の講座

 淀屋橋北詰から中之島図書館の間の散策路を「みおつくしプロムナード」といいます。大阪市役所の南側に沿う、土佐堀川沿いの道です。いつもきれいに整備されています。今日も、冬から春へと移り行く草花が、植え込みに盛られていました。

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 現在、大阪府立中之島図書館では、中之島図書館120周年 新館完成記念特別展として、「貴重書のみどころ」を本館3階展示室で開催中です。期間は、本日、令和7年2月8日(土曜日)から2月22日(土曜日)までで、入場無料です。
 詳細は、「https://www.library.pref.osaka.jp/93787」をご覧ください。

 展示されていた資料の内、私は定家の『明月記』〔断簡〕に目が止まりました。展示担当の方が撮影しても構わないし、ブログに掲載しても大丈夫だとのことだったので、宣伝を兼ねて紹介します。

250208_中之島『明月記』断簡.jpg

 添えてあった説明文を引きます。

明月記(断簡) 1軸
  藤原定家 (1162-1241) 自筆   川田文庫 170
『明月記』は藤原定家の10代の頃から約60年にわたり書かれた日記で、その多くは京都の冷泉家に保管されている。この断簡(古筆切)は、年中行事の「射場始」(天皇が弓場殿で、公卿などの弓の競技を見る儀式。通例、10月5日に行われたが、11月・12月の場合もある)を記述した記事の一部。年月日が明らかでないが、記載の人名等から建久4年か5年(1193か1194)の10~12月頃のものと考えられる。
『新古今和歌集』などでのちに和歌の神様のような存在となった定家は、その個性的な筆跡も「定家様」と呼ばれ、愛された。
 本断簡は、歌人・川田順の旧蔵資料で当館に寄贈された「川田文庫」の中の一つ。

 この資料は、図書館のホームページの中の「おおさかeコレクション」(https://da.library.pref.osaka.jp/content/detail/01-0028003)で、鮮明な画像が見られます。

 この展示室の隣の部屋が、私が担当している講座の会場である多目的室2です。今日も、この部屋で、『百人一首』と『源氏物語』の講座がありました。

 まずは『百人一首』から。
 今日は、陽明文庫旧蔵カルタの、76番歌から88番歌までの確認をしました。以下の通りです。


■吉村仁志『百人一首』七六〜八八・試訳 (付・仮名文字に関するメモ:伊藤鉃也)
・吉海直人『百人一首で読み解く平安時代』(角川学芸出版、二〇一二年)の訳(以下、底本の訳)を参考にした。
・高校生を意識して、また耳で聞くだけでもわかりやすく、イメージしやすい訳を心がけた。

【七六】
〈原文〉【和田】の【原】 こ幾【出】弖三れ者 【久方】能【雲井】耳満可ふ おきつしら【波】
〈底本の訳〉大海原に漕ぎ出して見渡すと、はるか向こうに雲かと見間違うばかりに沖の白波が立っています。
〈試訳〉大海原に漕ぎ出して見渡すと、はるか向こうに見えるのは、雲と見間違えそうになるほど白い波。
・下の句の訳し方
→音で聞いた時に順番に情景がイメージできるように、「はるか向こうに見えるのは」と訳した。
※仮名文字
【原】【方】【井】【波】の漢字に注意。
「幾」「弖」「つ」の仮名に注意。

【七七】
〈原文〉【瀬】を者や三 【岩】耳世可るゝ 多き【川】の王礼弖も春ゑ尓 あ八んとそおもふ
〈底本の訳〉川の流れが速いので、岩にせき止められる急流が二つに分かれてもいずれはひとつになるように、今は引き離されて逢えなくても、後にまた逢おうと思っています。
〈試訳〉川の流れが速いので、岩にせき止められた急流は、二つに分かれてもいずれ一つに戻る。それと同じように、今はあなたと一度引き離されてしまっても、いずれまた逢おう、と思っている。
・序詞の訳し方
→川の情景と自分の思いを重ねているのを表現するにあたって、原文と同じ順序で訳すと煩雑になってしまうので、比喩の方を先に訳した後、一度文を切って改めて心情を訳した。
※仮名文字
【瀬】【岩】の漢字に注意。
「世」「王」「礼」「弖」「そ」の仮名に注意。

【七八】
〈原文〉あ八ち【島】 かよふ【千鳥】の 【鳴】こゑ耳【幾夜】祢さ免努 須万能せ幾毛里
〈底本の訳〉淡路島から須磨に渡ってくる千鳥のもの悲しい鳴き声に、幾晩目を覚ましたことでしょうか、須磨の関守は。
〈試訳〉淡路島から渡ってくる千鳥の、もの悲しい鳴き声に、幾晩目を覚ましたことだろうか、須磨の関守は。
・上の句の訳し方
→音で聞いた時にわかりやすくするため、底本にある「須磨に」を省略し、「千鳥の」の後に読点を置いた。
※仮名文字
【島】【鳥】【鳴】の漢字に注意。
「こ」「努」「幾」の仮名に注意。

【七九】
〈原文〉【秋風】耳 【棚引】【雲】の 多え万よ里毛礼いつ類【月】能 可け乃さや希佐
〈底本の訳〉秋風にたなびいている雲のとぎれから漏れる月光の、なんと澄みきっていることでしょう。
〈試訳〉秋風にたなびいている雲の、切れ間から漏れてくる、月の光の清らかさ。
・結句の訳し方
→この歌の中心である月光の清らかさを強調するために、あえて体言止めで訳した。
※仮名文字
【棚】【雲】の漢字に注意。
「え」「礼」「類」「希」「佐」の仮名に注意。

【八○】
〈原文〉【長】可らん 【心】もしら須 くろ【髮】能み多連弖【今朝】八 ものをこそ【思】へ
〈底本の訳〉末長く変わらないあなたのお心かもしれませんが、今朝の私の心はこの黒髪と同じように乱れてもの思いに沈んでいます。
〈試訳〉末長く変わらないというあなたの心も、どうなってしまうかはわからない。私はこの乱れた黒髪と同じように、今朝は乱れた心で物思いをしているけれど。
・上の句の訳し方
→二句目までは相手の心、三句目以降は自分の心情について詠んでいるので、途中で文を一度切った。
・下の句の訳し方
→二句目までの相手の心と対比する形で、自分の心情を逆説を用いて訳した。
※仮名文字
【心】【髪】【今朝】【思】の漢字に注意。
「須」「連」「弖」の仮名に注意。

【八一】
〈原文〉本とゝ支須 【鳴】つる【方】越 【眺】無れ者【唯】【有明】能 【月】楚のこ連類
〈底本の訳〉時鳥が鳴いた方を見ると、時鳥の姿は見えずただ有明の月が見えていることです。
〈試訳〉時鳥の鳴き声。聞こえた方を見てみると、既に時鳥の姿はない。ただ有明の月だけが残っている。
・上の句の訳し方
→下の句で詠まれる「残っている月」と対比して、残っていない時鳥を表現するため、鳴き声が聞こえる→そちらを見る→姿が見えないという短い時間の流れを表現するために、それぞれを一つずつ順番に訳した。
※仮名文字
【方】【眺】【唯】の漢字に注意。
「本」「支」「楚」「類」の仮名に注意。

【八二】
〈原文〉【思】日王ひ さてもいのち八 【有】ものをう幾耳【堪】ぬ八 な三多【成】希李
〈底本の訳〉つれない人のことを思い悩んで、この身は絶え果ててしまうかと思いましたが、それでも命だけはなんとかつないでいるのに、そのつらさにたえられないのは涙で、とめどなくこぼれ落ちています。
〈試訳〉つれない人のことをどれほど思い悩んでも、命はこの身に宿ったままなくならない。だが、涙はつらさに耐えられず、この身からどんどんこぼれ落ちていく。
・上の句の訳し方
→「命」と「涙」が対比されているため、つらさに耐えかねてどんどん身からこぼれ落ちる涙と、つらくとも自身を離れない命というイメージであると考え、「命はこの身に宿ったままなくならないけれど」と訳した。
※仮名文字
【思】【有】【堪】の漢字に注意。
「日」「幾」「多」「李」の仮名に注意。

【八三】
〈原文〉【世中】よ 【道】こそな遣連 おもひ【入】【山】能於く耳毛 【鹿】楚【鳴】な流
〈底本の訳〉世の中というのは逃れる道はないのですね。深く分け入った山の奥でも憂きことがあるらしく、鹿がもの悲しく鳴いているようです。
〈試訳〉世の中というのは、苦しみから逃れる道がないのだなあ。俗世を離れるために入った山の奥でも、鹿がもの悲しく鳴いているようだ。
・「思い入る」の訳し方
→悲しみという煩悩から解放されるために入った山奥で、鹿の鳴き声を聞いてここにも悲しみがあることを知り、逃れる道がないことを諦めている、という歌なので、「俗世を離れるために入った」と訳した。
※仮名文字
【道】【鹿】の漢字に注意。
「遣」「楚」「流」の仮名に注意。

【八四】
〈原文〉な可らへ八 ま多この【比】や 【忍】者れん宇しと【見】しよ楚 い万盤古ひしき
〈底本の訳〉この世に長らえたら、つらい今のことがなつかしく思い出されることでしょう。つらかった昔が今では恋しく思われることからして。
〈試訳〉この世に長く生きていたら、いつか今のつらい日々のことも懐かしく思い出されるようになるのだろうか。つらかった昔のことも、今では恋しく思われるのだから。
・上の句の訳し方
→二句目の「や」を疑問の意に取って訳出することで、今のつらさを強調した。
※仮名文字
【比】【忍】の漢字に注意。
「多」「宇」「盤」「古」の仮名に注意。

【八五】
〈原文〉よも春可ら 【物】【思】ふころ八 【明】やら弖【閨】能【隙】さへ つ連那可里遣利
〈底本の訳〉夜通しつれないあなたのために物思いしているこのごろは、早く白んでくれればよいと思いますが、なかなか夜は明けてくれず、つれない人ばかりか寝室の隙間さえもがつれなく思われることです。
〈試訳〉一晩中、つれないあなたのことを思って、この頃はなかなか眠れない。早く朝になってほしいのに、なかなか夜は明けてくれない。明るくならないので、寝室の戸の隙間さえもつれなく思えてくることだ。
※仮名文字
【物】【思】【閨】【隙】の漢字に注意。
「春」「弖」「那」「利」の仮名に注意。

【八六】
〈原文〉【歎】けとて 【月】や八ものを 【思】八須るかこち【顔】な流 王可な三多可那
〈底本の訳〉嘆けといって月が私に物思いをさせるのでしょうか、いやそうではありません。それなのにそれを月のせいにして、恨めしくもこぼれ落ちる私の涙ですよ。
〈試訳〉嘆けといって、月が私に物思いをさせるのだろうか、いやそうではない。そうではないのに、月のせいにして、私の涙は零れ落ちる。
・下の句の訳し方
→音で聞いた時のわかりやすさを考慮して、簡潔に訳した。
※仮名文字
【歎】【顔】の漢字に注意。
「王」「那」の仮名に注意。

【八七】
〈原文〉【村雨】の 【露】もま多ひぬ 【槙】の者尓【霧】多ち能本累 あ幾能ゆふ【暮】
〈底本の訳〉村雨がひとしきり降った後、その露もまだ乾かない槇の葉に、霧が白く立ちのぼっている秋の夕暮れであることよ。
〈試訳〉村雨が降った後、槙の葉に置く露。その露がまだ乾かないうちに、霧が白く立ちのぼってくる、秋の夕暮れ。
※仮名文字
【雨】【露】【暮】の漢字に注意。
「ま」「幾」の仮名に注意。

【八八】
〈原文〉【難波江】能 あしの可りね乃 【一夜】ゆへ【身】越つ具してや こひ【渡】るへき
〈底本の訳〉難波江の葦の刈り根の一節のように短い一夜の仮寝のために、身を捧げてあなたを恋い続けるのでしょうか。
〈試訳〉澪標で有名な難波江にある葦の、刈り取った根の一節のように、短い一夜の仮寝のために、この身を尽くしてあなたを恋い続けるのだろうか。
※仮名文字
【難波江】【身】【渡】の漢字に注意。
「可り」「具」の仮名に注意。


 続いて、絵姿も文字も趣がまったく違う光琳カルタの確認もしました。28番歌から54番歌までです。これも、以下に引きます。


■光琳かるた[変体仮名翻字版-2023] 二八〜六三番歌
(『別冊太陽愛蔵版「百人一首」』、平凡社、一九七四年十一月九日発行 より)
二八 源宗于朝臣
【山里】は 【冬】そ【寂】しさ 満さ里ける
【人】めも【草】毛 か連ぬと【思】へ者

二九 凡河内躬恒
【心】あ弖尓 おら者や【折】ん 【初】しもの
【置】まと者世類 志ら【菊】の【花】

三〇 壬生忠岑
【有明】の つ連なくみえし わ可連よ里
  あ可つき者可り う起もの盤なし

三一 坂上是則
【朝】本らけ 【有明】の【月】と 三る万弖に
よしのゝ【里】耳 ふ連類【白雪】

三二 春道列樹
【山川】尓 可せの可け多る 志可らみ盤
な可れもあへぬ 毛三ちな里けり

三三 紀友則
【久方】の 日可り能とけき はる乃【日】耳
志徒【心】なく 者那のちるらむ

三四 藤原興風
【誰】を可も 志る【人】にせん 【高砂】の
満川もむ可しの 【友】ならな具尓

三五 紀貫之
【人】盤いさ 【心】も志らす 布る【郷】盤
【花】楚む可しの 【香】尓ゝほ日ける

三六 清原深養父
【夏】のよ盤 万多【宵】な可ら あけぬるを
くものい徒こ尓 【月】や登るらん

三七 文屋朝康
志ら徒ゆ耳 可せの【吹】し具 【秋】能ゝは
つらぬ起とめ怒 【玉】楚ち里ける

三八 右近
わすら留ゝ 【身】を盤おも者寸 ち可日てし
【人】乃いのち濃 おしくも【有】可那

三九 参議等
あさちふの を能ゝし濃【原】 志のふ連と
阿万里てなと可 【人】の【恋】しき

四〇 平兼盛
志のふ礼と 【色】尓【出】にけり わ可こひ八
ものやお毛婦と 【人】乃登ふ万弖

四一 壬生忠見
【恋】すて婦 わ可【名】盤万多き 【立】尓けり
日とし連すこ楚 於毛ひ所めし閑

四二 清原元輔
ちき里支な 可多み尓そてを し本里徒ゝ
すゑの万川【山】 【波】こさしとは

四三 権中納言敦忠
あ日三弖の 【後】乃【心】尓 くらふ連は
む可し盤ものを 【思】者さ里けり

四四 中納言朝忠
【逢】【事】の 多えてしなく八 【中】/\に
【人】をも【身】乎毛 うらみさら満し

四五 謙徳公
あ者連とも 意婦へき【人】八 おも本えて
【身】のい多つらに な里ぬへ支可な

四六 曽祢好忠
ゆらの【戸】を わ多る【舟人】 可ち越多え
【行衛】も志らぬ 【恋】の【道】可な


四七 恵慶法師
【八重葎】 志希連るやとの さひし支尓
【人】こ楚みえね 【秋】盤き尓ける (陽明本は「遣礼」)

四八 源重之
【風】をい多み 【岩】うつ【波】の 【己】乃三
く多け弖ものを 【思】ふころ【哉】

四九 大中臣能宣朝臣
み可き【守】 【衛士】の堂く【火】能 よる盤もえて
日るは【消】徒ゝ 【物】をこ楚【思】へ

五〇 藤原義孝
きみ可【為】 おし可らさりし いのちさへ
な可くも可那と お毛日ける【哉】

五一 藤原実方朝臣
かくと多尓 衣や盤いふきの さしもくさ
佐しも志らしな 毛ゆる【思】日を

五二 藤原道信朝臣
【明】ぬ連盤 くるゝものと八 【知】な可ら
な越うら免しき 阿さほら希可な

五三 右大将道綱母
な希支川ゝ 【独】ぬるよの あく類【間】盤
 い可耳【久】しき ものと可はし留

五四 儀同三司母
【忘】連しの ゆく【末】まて八 か多け連と  (陽明本は「遣連者」)
気ふをか支里乃 い能ちとも可な



 30分の間をおいて、次はハーバード大学蔵『源氏物語 蜻蛉』の書写本文を、[変体仮名翻字版]にしたプリントを見ながら確認をしました。

 今日、詳細に文字を見比べて説明したのは、以下の3例です。

(1)9丁表9行目 「个」と「介」を見分ける
 これは、下に伸びる線が一旦右に折曲がる形の場合は「介」、下に伸びる線が真っ直ぐに次の文字に続く場合は「个」とする、という私見に基づく読み分けです。次の写真を見ていただければ、その微妙な線の流れがわかると思います。「个」めったに見かけないので、ここでの例は貴重です。

250207_蜻蛉49oL9个介.jpg


(2)50丁表2行目「より八と」の「よ」
 この巻では、「より」という文字の多くが、特に「よ」の字形が傾いています。その中でも、この例は極端に寝た姿となっているので、取り上げて確認しました。

250207_蜻蛉50oL2より.jpg

(3)50丁表10行目「女宮」の「女」をミセケチにして「ひめ」を傍記する
 「女」という文字の右にある縦長の傍線の意味することが、私にはわかりません。その「女」の右上にある短い傍線や少し長めの斜めの線を、私はミセケチ記号だと判断しました。ただし、「ひめ」という文字の字形や墨の色から見て、本行が書写された時から相当後の別人による校合の跡だと思われます。

250207_蜻蛉50oL10女宮.jpg


 なお、こうした3例は、今後の生成AIを活用して古写本を[変体仮名翻字版]で翻字できるようにするために、サーバーに送るデータとしてプールしておくものです。その準備をしているところです。

 生成AIは、中国の「ディープシーク」の参入でおもしろくなりました。オープンAI社の ChatGPT と違い、まったく違う手法で開発されたとされているからです。いろいろと問題はあるものの、この中国の生成AIが、日本版の生成AIの開発に勢いをつけようとしています。日本人が得意技とする手法で開発できる可能性が生まれたからです。
 ということは、人工知能が日本版として身近になる日が近いとすると、古写本の研究に役立つ研究手法や、基礎データを作り上げながら、新しい生成AIの活用の道を探りだす好機が到来したことになります。
 文学研究と称する読書感想文は、もう生成AIが書く時代になっています。資料さえ揃えれば、勝手にまとめてくれるのですから。人間は、それを推敲し、校正することで、論文らしきものに仕上げていくことになりました。
 となると、人間にしか出来ないこととしては、まずは基礎データの作成です。いま進めている「変体仮名翻字版」のデータの公開によって、このデータを活用した生成AIを共同研究者とする研究成果というものは、量産態勢に入ることでしょう。本格的に考えなければならない課題だといえましょう。そして、これは確認や検証ができるので、思いつきが説得力をもってきます。
 その意味からも、これからの文学研究は、原本を扱うことの重要性が再認識される時代になっていくはずです。私が、東京、京都、大阪の源氏講座で、『源氏物語』の鎌倉時代の古写本を[変体仮名翻字版]でデータベースを作成している仕事は、新たに生きる世界が見つかった、といえます。
 このことは、また詳細に実例を踏まえて書くつもりです。

 以下、本日のハーバード大学蔵『源氏物語 蜻蛉』の書写本文で、第48丁表〜50丁裏の箇所を[変体仮名翻字版]で確定したものを、まとめて公開します。


■ハーバード大学本「蜻蛉」[変体仮名翻字版-2023]第48丁表〜50丁裏

※翻字データの中にある付加情報(/)の記号について
傍書(=)、 ミセケチ($)、 ナゾリ(&)、
補入記号有(+)、補入記号無(±)、 和歌の始発部( 「 )・末尾( 」 )、
底本陽明文庫本の語句が当該本にない場合(ナシ) 、 翻字不可・不明(△)

--------------------------------------
そ免多る・うすものゝ/(うすものの)・ひとへ越・こ万や可なる・
な越し尓・き・多万へる・いと・この万しけなり・
【女】乃・【御身】なりの・めて多かりしにも・於とら春・
しろく・きよら尓て・な越・阿りしより八・於毛
やせ・【給】へる・いと・三る・かひ・阿りて・於ほえ・【給】へり
と・三る尓も・万川・こひしき・【事】・いと・あるも
しき/も$万、(ある万しき)・【事】と・し川むるそ・多ゝなりしよりは/(多多なりしよりは)・
くるしき・於もひを/於もひ$、ひ+ゑ、(ゑを)・いと・於ほく・も多せて・ま
いり・【給】へり介る・【女房】して・あな多に・万いらせ・【給】て・
王れも・王多らせ・【給】ぬ・【大将】も・ち可く・万いりより/(48オ)
--------------------------------------
【給】て・【御】者可う乃・多うとく・【侍】りし・【事】・い尓
しへの・【御】ことなとすこし・きこえ川ゝ/(きこえ川川)・能こ
里多る・ゑとも・三・多まふ・川い弖尓・かの・さと
に・ものし・たまふ・三古の・くもの・うへ・八なれ弖・
【思】ひくし・【給】へるこそ・いと越しう・三・多万うれ・
ひめ三やの・【御】可多より・【御】せうそこも・【侍】らぬを・
かく・しな・さ多万りたる尓/て&た、(さ多万りてる尓)・於も本しすてさせ・
【給】へる・やう尓・【思】日て・【心】ゆ可ぬ・介しきの三・【侍】るを・
かうやうの・【物】・とき/\/(ときとき)・【物】せさせ・【給】八んなん・なにか
し可・於ろして・毛て万からん・八多三る・かひも【侍】らしかしと/【侍】〈次頁〉、(48ウ)
--------------------------------------
きこえ・【給】へ八・あやしう・なとて
可・すて・きこえ・【給】八ん・うち尓て八ち可ゝりしに
川介て/(八ち可可りしに)・とき/\/(ときとき)・きこえ・【給】めりし越・ところ/\二/二〈行末右〉・
なり・【給】し・於り尓・と多へそめ【給】へる尓こそ・
いま・そゝ能可し/(そそ能可し)・きこえん・所れよりも・なと可八と/八と〈行末左〉・
きこえ【給】・かれより八・い可て可八・もとより・可す万
へさせ・【給】八さらん越・かう・したしうて・佐ふら
婦へき・ゆ可里尓・よせて・於ほし可す万へさせ・【給】
者んこそ・うれしく八・【侍】るへれ・万して・さも・
きこえなれ・【給】日尓んを・いま・すてさせ(49オ)
--------------------------------------
【給】八ん者・からき・こと尓・【侍】りと・介いし・【給】越・
須き者みたる・介しき・阿りと者・於ほしかけ
さり介り・[25]たちいてゝ/(たちいてて)・ひとよの・【心】さしの・【人】尓も・
あ者む・あ里し・王多【殿】も・なくさめ尓・三ん
かしと・於ほして・【御】万へを・あゆ三わ多りて・にし
さ万尓・於者須る越/せし&須る、(於者せし越)・三すの・うちの・【人】八・【心】ことに・
よう井・す・け尓・いと・さ万・よく・かきり・なき・もて
なし尓て・王た【殿】ゝ/(王た【殿】の)・可多は・うちの於ほ【殿】ゝ/(うちの於ほ【殿】の)・
き三多ちなと・ゐ弖・もの・いふ・介者い・すれ八・川万との・
万へ二・ゐ・【給】て・於ほ可多に八・万いりな可ら・この・【御】可多能けんさん尓/け〈次頁〉、(49ウ)
--------------------------------------
いる・ことの・【侍】らね八・いと於ほえなく・
於きなひ八て尓多る・【心地】・し・【侍】る越・いまより八と・
於もひ於こし【侍】りてなん・阿り川可春と・王可き・
【人】/\そ/(【人人】そ)・於も者んかしと・をいの・き三多ちの・【方】
を・三やり・【給】・いまより・なら者せ・【給】八んこそ・け尓・王
可く・ならせ・【給】なら免なと・者可なき・ことを・いふ・
【人】/\の/(【人人】の)・介者いも・あやしう・三やひ可尓・を可し
き・【御】可多の・阿りさまにそ・ある・その・ことゝ/(ことと)・な介
れと・よの【中】能・もの可多りなと・し川ゝ/(し川川)・し免
や可にれいより八・ゐ・【給】へり・【女宮】八/【女】〈【女】ノ右ニ傍線〉$ひめ、(ひめ【宮】)・あな多に・わ多らせ/ら〈次頁〉、(50オ)
--------------------------------------
【給】尓介り・【大宮】・【大将】の・そな多に・万いり
川累八と・ゝひ/(とひ)・【給】ふ・【御】とも尓・万いり川る・於ほさ
いしやうのき三/於ほさいしやう$【大納言】、き三$、(【大納言】の)・【小宰相君】尓/=こ、(こ【小宰相君】尓)・もの・ゝ【給】八んとにこそ/(の【給】八んとにこそ)・
八へ免りつれと・きこゆれ八・万め【人】の・さ春可尓・
【人】尓・【心】とゝめて/こゝら&【心】とゝ、(ここらめて)、(【心】ととめて)・もの可多りするこそ・【心】ち・をく
れ多らん・【人】八・くるし介れ・【心】の・本とん・三ゆらん
かし/らん&らん・こ【宰相】なと八・いと・【心】や春しと・の多万ひて・
【御】者らからなれと・この・き三越八・なを・八川
可しう・【人】も・よう井・なくて・みえさらなんと・於ほ
い多り・【人】より八・【心】よせ・【給】て・つ本ねなとに/つ&つ・多ちよ里/里〈次頁〉、(50ウ)
--------------------------------------




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2025年02月07日

清張復読(76)「不在宴会」「土偶」(「死の枝」より)

■「不在宴会」
 中央官庁の課長の浮気が予想外の展開を見せる物語です。宴会に出たことにして実は別の温泉地で愛人と逢います。しかし、その旅館で、愛人はすでに殺されていました。
 すぐに逃げた課長のその後の心理が、巧みに描かれています。そして、意外な結末へとつながります。うまい展開です。【3】


初出誌:『小説新潮』1967年11月


※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のようにあります。
「視察を利用して浮気をしようとしたエリート官僚が思わぬ事件に巻き込まれ、自ら墓穴を掘るという皮肉のきいたミステリー。」(154頁)



■「土偶」
 戦後、闇取引をして大儲けをしていた男の話です。その男が、東北の温泉地で男女2人を殺してから12年後、話が急展開します。些細なことから、土偶が発端となり、犯行が明らかになります。うまい構成です。ただし、この結末に至る展開は、清張の作品に慣れてくると、薄々わかってくるものです。さらなる意外性を求めたくなります。【3】


初出誌:『小説新潮』1967年12月


※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のようにあります。
「コレクションから旧悪が露見するという倒叙物の佳篇。」(124頁)





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2025年02月06日

読書雑記(353)樋口清之『関東人と関西人』

 『関東人と関西人 日本の中の日本人論』(樋口清之、ホーチキ出版、1976年5月)を読みました。著者は『梅干と日本刀』で一躍有名になり、「うめぼし博士」と呼ばれていました。

250206_樋口本.jpg



 両親の荷物を整理していた時に、偶然この本が出て来ました。裏見返しに、次のように父の署名があります。

250206_父の署名.jpg

 父がこの本を購入した1976年は、前年に私が大学院(博士前期課程)に入学し、その年の秋に結婚した翌年です。埼玉県で新婚生活を送っていた時期にあたります。

 私は学部生の頃から、学芸員の資格を取るために博物館学の授業で樋口清之先生の授業を受けていて、その内容が興味深いことを折々に父に話していました。博識だった父は、こうした博学の士の話題を好んで自分のネタにしていました。そのこともあり、樋口先生の本はほとんど読んでいたようです。私も読んでいたので、今回多くの本がダブって出てきました。違いは、私が樋口先生の全集も持っていたことでしょうか。

 この本は、関東と関西を比較した庶民の文化論です。読んでいて、視点が斬新なのでとにかく楽しくなります。そのどこを取っても、古くささを感じさせない今に通じる内容です。

 ここでは、落語に関する一節を引きます。私は、寝る前によく桂米朝や枝雀の落語を聞きます。上方落語と江戸落語で同じ話が別名で語られていることを、今回初めて知りました。


現在、高座にかけられている話のうちで、江戸落語にも上方から流れてきたものや、改変したものがかなりある。なかには、ほとんど同一のものも多くある。
 上方の「住吉駕籠」が江戸の「くも駕籠」になったように、上方の「貧乏花見」が「長屋の花見」に、「逢いもどり」が「子はかすがい」に、「いらち車」が「反対車」、「書割盗人」が「だくだく」、「くやみ丁稚」が「胡椒のくやみ」、「延陽伯」が「たらちね」、「骨つり」が「野ざらし」に焼き直されている。
 江戸の「そば清」はそばを大食いする話だが、上方では「蛇含草」となって餅をたらふく食べる話に変わる。江戸の「疝気の虫」は虫退治に使う食べものがそばであるのに対し、上方の「疝気の虫」はあんころもちになっている。上方のねばっこい餅好みに対して、江戸のすっきりしたそば好み、というように、きわだった対照を示す噺である。(157頁)


 樋口先生のご専門は考古学でした。全日本博物館学会会長や日本風俗史学会会長でもありました。奈良の畝傍中学の生徒だった頃から、学術誌に数多くの論文を発表しておられたことで広く全国に知られていました。先生は静岡県の登呂遺跡の発掘などの功績があったので、私は博物館実習では登呂遺跡に行きました。
 吉川英治や松本清張のブレーンでもあり、授業の中で自分のアドバイスを勘違いした松本清張のことに触れておられたことを覚えています。あれでは人は死なない、と。

 読み終わり、本書の内容のほとんどを覚えていませんでした。ということは、自分の中で話題が同化している、ということでしょうか。
 若い頃に読んだ本を気ままに読み直すのは、とにかく楽しいことに気付かされました。




posted by genjiito at 20:25| Comment(0) | ■読書雑記

2025年02月05日

温泉でリフレッシュした後のリハビリ報告

 一仕事のメドが立ったので、気分転換に近場の伏見にある温泉に行きました。ヌルヌル感が、いい温泉に入ったという気にさせてくれます。これでまた、次の難題に取り組めます。

 一昨年夏の脳梗塞で右半身をコントロールする機能を持つ血管が詰まったため、不自由な状態がいまだに続いています。しかし、毎日8,000歩以上歩き、毎週90分の講座を2つ担当し、とにかくしゃべっているので、手足と共に口の動きと言葉の問題もなさそうです。周りから見ても、あまり違和感がないことでしょう。もっとも、本人は違和感だけらで困っていますが。

 死んで機能不全となった血管の、その周りを取り巻く血管をなんとかして活性化させる、という対処を日々しています。これまであたりまえだった動きを、とにかく一部でも回復させようということです。働かなくなった手足の機能を、使えなくなった血管の周りを刺激して補い助け合うようにすることで、日常生活に支障をきたさないようにするものです。

 それに加えて月に1回、温浴効果を期待して、折々にこうして温泉に足を運んでいます。

 今のところは、こうしたリハビリがうまく効いているようです。

 さらに最近は万年筆を持ち出してきて、仮名文字をなぞり書きする練習を再開しました。丸いマルを書くのも覚束なかった情けない状態からは抜け出し、徐々に曲線や直線が書けるようになりました。

 元々が悪筆で、自分が書く下手な文字を見たくないところから、1978年に和文タイプライターを使い出しました。1文字ずつ活字のピンを拾い上げて文章を印字するものです。そして、まだ平仮名や漢字をコンピュータが扱えない頃(1980年)から、パシャンパッチャンと英文タイプライターのような動作をする、ひらがなタイプライターなども駆使して資料や手紙を書いたものです。

 コンピュータが文字(といっても半角カタカナ)を扱えるようになるやいなや、情報文具といわれる道具に飛びついて文章を書くようになりました。NEC の PC-8001が発売されてからのことです。1981年に PC-8801が発売されてからは、平仮名や漢字が何とかそれなりに使えるようになりました。ワープロ機能が使えるようになったからです。今では遠い昔の話です。
 それが、今は手書きで文字を書く練習をし、右手の機能回復のリハビリに取り組んでいるのですから、時代が逆回りをしています。おもしろいものです。

 歩き、しゃべり、文字を書いていると、日々リハビリの成果が確認できるので、楽しくいろいろなことに取り組んでいるところです。




posted by genjiito at 21:19| Comment(0) | *健康雑記

2025年02月04日

脳トレとラダーゲッターを楽しむ

 今日の集会所のエントランスホールには、節分に合わせた手作りの人形が飾られていました。

250204_鬼の人形.jpg


 まず、いつものように、ラジオ体操、早口言葉、貯筋のテーマソングに合わせた体操、をしました。
 その後は、昭和レトロの絵を見て名前を当てる脳トレパズルです。これは初めてです。
 次の@とAは、ほとんどの方がわからない、という状態でした。

250204_パズル.jpg

 私も、まったくわかりません。
 妻は、@は「かいまき」だと言います。おじいちゃんが着ていたとのことです。雪国の秋田出身なので、関西でもそう言うのかわからないが、とも。答えはその通りでした。寝具だとのことです。

 Aは、「ゆのしき」でした。これは、お一人だけ正解でした。我が家では使っていなかったので、わかりません。わかった方は90歳以上の方です。白寿のTさんはわからない、とのことでした。ここに集まっているもう一世代上の方への問いかけと言うべきもののようです。帰ってから調べると、今風のものがたくさんありました。知らないところで使われているようです。

 後半は、ラダーゲッターというゲームをしました。
 公益財団法人日本レクリエーション協会のホームページから、このゲームの道具の写真を引用します。

250204_ラダーゲッター.jpg

 目の前の3段のポールに、両端にゴルフボールが付いた紐を投げて巻き付けます。簡単なゲームです。しかし、偶然性が高いので、思うようには得点できません。そっと投げると、巻き付く確率が高いように感じました。それだけに、楽しく遊べました。

 いろいろなゲームがあるものです。今後とも、新しいゲームにチャレンジすることが楽しみになります。




posted by genjiito at 22:12| Comment(0) | *福祉介護

2025年02月03日

『源氏物語』のポーランド語訳に関する研究状況と展望

 これまでにも、園山千里さん(国際基督教大学)については、本ブログで何度か取り上げました。その最新の研究成果を盛り込んだ、「「世界文学」としての『源氏物語』の存在感 −グローバル化の進展の中で− 」(『文学・語学』242号、全国大学国語国文学会、2024年12月)を読みました。
 園山さんは、ポーランドの国立大学での教員生活を経て、今は日本の私立大学に籍を置いて精力的に研究中です。しかも、お亡くなりになる直前に私に世界各国の翻訳本の整理をするようにと、ご自身の貴重なデータのすべてを引き渡してくださった福田秀一先生がおられた大学です。奇縁を感じます。

 「はじめに」の最後に、次のように園山さんの問題意識と主旨が記されています。


 本論では、ポーランドでの『源氏物語』研究事情、『源氏物語』のポーランド語全訳をめぐる状況やこれからの展望、そこからみえてきた日本文学における「自然」について述べていく。世界で『源氏物語』がどのようにみられているのか、そのほんの一端を叙述したい(4)。(138〜139頁)


 この文末に付された注(4)において、私が公開しているデータベースが、次のように過分な評価と共に言及されています。

(4) 伊藤鉄也が中心となって作成する「海外へいあんふんかく情報」は、海外における平安文学の研究、各国の翻訳や翻訳史についての情報が満載で、海外での日本文学研究を共有できる理想的なプラットホームである。(148頁)


250203_G-HP.jpg


 [海外へいあんふんかく情報](http://genjiito.org)のサイトを「理想的なプラットホーム」であると、お褒めの言葉で紹介していただけたことは、私のみならず共同研究者のスタッフにとっても励みになる言葉です。

 このサイト「海外へいあんふんかく情報」は、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉のスタッフによって、日々更新されています。この、43種類の言語による『源氏物語』の翻訳情報を整理して公開しているサイトはこれが唯一のものであり、幅広く閲覧され活用されることを願って、弛まぬ情報公開に務めているところです。

 ポーランド語全訳プロジェクトが成し遂げられ、[海外へいあんふんかく情報]に追記して紹介できる日が一日も早く来ることを願っています。

 付記:情報を提供していただいた淺川槙子(名古屋大学)さんに感謝します。




posted by genjiito at 19:27| Comment(0) | ◎国際交流

2025年02月02日

京洛逍遥(916)相国寺の承天閣美術館と藤原定家の墓

 京洛では、今日2日は至るところで節分の豆まきをしています。どこへ行こうかと思いながら、結局は相国寺の承天閣美術館にしました。
 「禅寺の茶の湯」展のU期の最終日です。ようやく間に合いました。去年の秋から、近くを通りながらも今度また、と思ってやり過ごしている内に今日になってしまいました。
 相国寺の境内に入ると、禅寺であることを実感します。

250202_相国寺.jpg


 美術館の入り口には、大きなポスターが垂れ幕となって掲出されています。左横の乙女像と、やや違和感があります。これも、この美術館の味でしようか。

250202_玄関.jpg

 さまざまなお茶道具に圧倒されます。落ち着いた雰囲気で、説明も適度で、学芸員の方のセンスのよさを感じました。
 第二展示室の「92U 智忠親王和歌懐紙 一幅 紙本墨書 江戸時代 17世紀 慈照院蔵」で、気になる字がありました。

富士山

志ら【雪】乃
堂えま耳
そ連とみえし
よ里

   め可れ努
   ふし能【高根】
   な介利

とか書かれています。その最後の行の翻字は「なりけり」でした。しかし、私は字母を大切にして「な累介利」と翻字するので、「り」ではなくて「累(る)」としたいと思います。文法的に違和感があります。しかし、書かれたままの文字の翻字では、「累(る)」となるはずです。
 写真が撮れないので、いつか確認ができたらと思っています。


 見終わってから、敬意を表して定家の墓にもうでました。

250202_定家の墓.jpg


 なお、定家の墓については以下の記事で詳しく紹介していますので、参照願います。

「京洛逍遥(735)『都名所図会』(2)相国寺と藤原定家の墓」




posted by genjiito at 22:35| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2025年02月01日

京洛逍遥(915)須賀神社と聖護院の節分祭

 京大病院へお見舞いに行く用事があったので、すぐ近くにある須賀神社と聖護院の節分祭に立ち寄りました。
 例年は2月3日が節分です。しかし、今年は暦の関係で2月2日です。
 今日、2月1日は土曜日ということもあり、多くの寺社で節分の祭りがありました。

 須賀神社は初めてお参りします。すぐ向かいの聖護院の御旅所が現在の須賀神社の地にあったようです。

250201_須賀神社鳥居.jpg


 黄色の水干を着て烏帽子に覆面姿の懸想文売が、懸想文が付いた梅の枝を持って、参拝者に懸想文を売っていました。

250201_懸想文売.jpg


 枝に付けられている札には、次の文が書かれています。

「此の文を求めて鏡台や箪笥の引出しに人に知られないように入れておくと顔かたちがよくなり着物がふえて良縁があると言はれております」

 須賀神社の境内は長蛇の列。奉納舞と豆まきがあるためです。しばらく並んでいました。しかし、列がまったく動かないので諦めました。そして、向かいの聖護院へ移動しました。

 聖護院の追儺式と福豆まきは、明日2日です。しかし、鬼さんがいたのでお参りしました。最初にいた鬼さんは、愛想よく写真に納まってくださいました。

250201_黄色鬼.jpg


 境内の赤鬼さんはサービス精神旺盛で、背景がいいところに立ってくださいました。

250201_赤鬼.jpg


 境内で福豆をいただきました。

250201_福豆.jpg

 福豆の袋に記されていた文章を引きます。

  聖護院「福豆」
 節分には各ご家庭でも「鬼は外、福は内」と豆をまく風習がありますが、当院の節分会・追儺式では、鬼に向かい豆をまき、ご真言を唱えることで鬼が改心し、福男福女と同じように皆様に福豆を授ける良い心の鬼 「福鬼」となります。
 これは、宗祖役行者が前鬼後鬼を改心させた故事になぞらえます。
 普段の行いを反省し、良い行いをしようと心がける私たちの姿と同じではないでしょうか。
 当院の福豆は福鬼の色でもある赤、青、黄の三色の豆を添え皆様の厄除開運を本尊不動明王にご祈願しております。
どうぞ一年を健康にお過ごしください。
              本山修験宗 総本山 聖護院門跡

 京大病院へ行く途中で、町内会の方が餅つきをしておられ、ぜんざいもありました。しかし、ここも並んでおられたので写真だけで失礼しました。

250201_餅つき.jpg


 昨秋以来、親族が肺の移植手術に成功して入院しています。再来週には退院とのことなので、お見舞いに行きました。病室も、何度も私がお世話になった積貞棟の一般病棟に移られ、声も出るようになって元気でした。後は自宅での養生なので一安心です。
 手術を担当された先生はこの分野では先導的な功績のある方です。この3月で定年となり、後はアメリカに渡って現役を続けられます。諦めそうな気持ちを奮い立たせて最後に辿り着いた先生との出会いで、命を助けていただけたのです。幸運でした。

 今日はいつもと違う東大路通から入ったので、これまで写していなかった方向からの写真をあげます。
 左端が南病棟、その右隣が積貞棟、右端が外来棟です。

250201_京大病院.jpg 



posted by genjiito at 22:38| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2025年01月31日

集会所で集音器の説明を聞きながら説明文を見直す

 今日は、外部の業者の方が集会所に来ての、集音器に関する説明会がありました。
 白寿のTさんは、片耳だけ補聴器を使っておられます。向かって左側からお話をするようにしています。それでも、調子のいい日と、よくない日があるようです。反応がよくない時は、よく聞こえていないと思われます。それでも、話を聞きながら、よく喋っておられます。言葉のセンスや、表情を読み取る力があるからだと思われます。

 他にも、補聴器を付けておられる方がいらっしゃいました。それぞれ、自分に合った対処をしておられるようです。

 実際にデモ器を使わせていただきました。雑音が多く、あまり効果を感じませんでした。
 私には必要のない機器であり、説明にもあまり興味がなかったので、配布されたプリントの説明文を眺めていました。そして、暇だったことも手伝って、プリントの文章に手を入れてみました。高齢者への説明文にしては、あまりにも内容が伝わらない文章だったからです。
 以下の原文と補正した文章は、文字数は同じです。手を入れたことで、格段に高齢者にも意味が伝わりやすくなったはずです。


〔原文〕補聴器は個人に合わせて調整するから、自分に合った高性能なものが使える分、お値段や使うまでの手間や時間がかかってしまう。集音器は細かな調整がないけれど、その分安価で手軽に扱える。自分の必要に合わせて選ぶのがいいね!
〔補正〕補聴器は、使う人に合った調整ができます。自分用の機器になる反面、価格と使いこなすまでの手間や時間がかかります。ところが、集音器は細かな調整がないため、安価で手軽に扱えます。自分に合ったものが選べるのもいいですね!


 日本人が使う日本語の運用能力が低くなったと言われる今。それが特に高齢者を対象とした文章の場合は、一文を短くするなど、疲れずにわかりやすい表現にしたらいいと思います。ここで補正したのは、ほんの数箇所です。もっといい方法がありそうです。とにかく、相手に合わせた表現を心がけたいものです。




posted by genjiito at 21:29| Comment(0) | *福祉介護

2025年01月30日

丸一日を京大病院で過ごす

 いろいろと身体のチェックがあって、今日も一日中、病院での待ち時間には院内の椅子に座って本を読んでいました。

 今朝8時の大文字山は、薄曇りでした。

250130_大文字朝.jpg



 午後4時に帰る時は、くっきりとした姿を見せていました。

250130_大文字夕.jpg

 この山は、見飽きることがありません。
 まだ登ったことがないので、もう少し暖かくなったらアタックしてみます。

 検査の結果は後日わかるので、また報告します。
 一日でも長く貴重な日々を無事に過ごすためにも、小まめに虚弱な身体の点検を怠らないようにしています。
 明日も元気な一日が送れるように、今日はそのための身体検査をして、エネルギーを補給する日です。
 継ぎ足し継ぎ足しで体調を維持し、管理する日々。
 明日も大丈夫なようです。







posted by genjiito at 21:45| Comment(0) | *健康雑記

2025年01月29日

書店を散策した後フードコートと大階段で思ったこと

 京都駅南口の大垣書店で本を眺めながら1時間半。
 新聞やネットや書籍で紹介されていた購入予定の本のリストが、すでに10冊を超えています。どんな本か、手に取って確認しに行きました。ネットで本とのお見合い結婚はしないので、自分の目で中身を確認することにしています。
 あらかじめ購入候補に挙げていた本で、買おうと思ったものは今日はありませんでした。今度、河原町の丸善に行くことにします。先日、丸善で4冊買ったばかりなので、少し後で大丈夫でしょう。

 相変わらず、大量の本が新刊として刊行されています。ただし気になったのは、名著と言われている本の復刊が少なからずあったことです。読み捨ての新刊と、読み継がれている復刊が混在しているのが、今日の大垣書店の品揃えでした。

 90分間、書棚の間や平積みの本をずっとブラブラと見ていたので、調子が良くなかった右の足と腰がだるくなりました。毎週、90分の2つの講座を担当しています。それは座ってお話しをしているので、立ちっ放しは現職で授業をしていた頃のことです。やはり、加齢に伴う足腰の疲れのようです。

 休憩を兼ねて、隣の建物の4階にあるフードコートで軽くお腹を満たしました。
 このフードコートは、これからの日本で大切な役割を果たす所だと思っています。日本人がますます減少する時代に突入し出したことを受けて、安心感を求めて、人はこうした場所に集まると思われます。これまでは、アメリカから輸入した、というか押し付けられた、自由勝手で気儘なお一人さまの生き方が蔓延していました。しかし、これから日本人が激減すると、人は寂しさから賑わいの中に自分の存在を確認したくなるはずです。一人で自由を謳歌して、孤独の中で死んで行くのではなくて、群れの中に身を置くことに安らぎを感じるようになることでしょう。煩わしさはあっても、みんなの中での生き方に変わると思っています。
 フードコートでは、広いフロアの真ん中に数十のテーブルと数百の椅子があり、周囲には十数店のお店が並んでいます。それぞれが好きなものを前にして、ワイワイガガヤと喋りながら飲み食いをしているのです。満席の盛況です。

 海外からの旅行者が少ないことが、こうした場所における最近の傾向としてあります。そして、家族連れやカップルや仲間同士が、ほとんどの席を占めています。あきらかに、レストランや喫茶店とは違う、孤独を避けた人たちのコミュニティとなっています。これが、これから日本人が少なくなる過渡期の場所となっていく、と思われます。
 みなさん、楽しそうです。おしゃべりで賑やかです。中には、スマホやノートパソコンで仕事や勉強をしている、一人の世界に没入している人もいます。喧騒の中だからこそ、かえって集中できるのでしょう。新しい時代に向けた、貴重な空間の利用方法です。

 さて、中高年のためにも、こうしたコミュニティの空間は必要でしょうか。いや、こうした流れにはついていけないのでしょうか。しばらくは、中高年が新たな孤独との闘いにどう立ち向かうのか、注視すべき興味のある問題です。
 そんなことを思いながら、あたりを見回しながら、これからの時代の変化に妄想を逞しくしていました。

 その後は、あの非人道的な京都駅の大階段を登ってから帰りました。相変わらずぎこちない、スムースに動かない右足のリハビリのためです。真ん中にしかない手摺を持ちながら上がりました。何度も書いたように、両端にもあると、旅行者の邪魔にならずに登れます。

250129_大階段.jpg

 南北通路から大階段に通じる階段で、手摺が高く設計されたものがあります。あまり批判ばかりをしても、と思ってこれまで取り上げませんでした。しかし、この駅ビルの設計がいかに人に優しくないかを証明する一例として、事実を追記しておきます。

250129_高い手摺.jpg

 写真からもわかるように、前を行く女性の肩の高さに、手摺の持ち手があります。私も腕を普通に曲げたくらいでは、手摺に届きません。肩が持ち上がります。手抜きの素材で、しかも簡素に付けられた手摺です。
 海外から来られた大男のために設計されたもののようです。子供は、電車の吊り革を背伸びして持つ感じになります。揚げ足取りにならないうちに、今日はこの辺にしておきましょう。

 これからの時代は、利用者への配慮が大事です。しかも、高齢者は階段を使うはずがない、という時代遅れの発想で作られたこうした過去の遺物は、これからの少子化・高齢化・人口減少の社会では邪魔物と化していくことでしょう。見てくれだけのデザイン重視の階段から人に優しい階段へと、発想を変えて作り直すべきだと思っています。




posted by genjiito at 21:36| Comment(0) | *身辺雑記

2025年01月28日

集会所でボッチャを楽しんだ後は近くの温泉へ

 いつものように、ラジオ体操と早口言葉で始まりました。そしてこの集いのテーマソングを、手作りの小豆入りのウエイトを持ち、歌いながら身体を動かします。小さな動きであっても、口や手足を使うので、みんなでやるにはちょうどいいエクササイズです。

 給水タイムの後は、ボッチャをしました。パラリンピックで知られるようになった、老若男女が楽しめるスポーツです。勝ち方がわかってくると、結構いろいろなテクニックが求められ、頭をフルに使います。

 ただ闇雲にボールを投げていた初期とは違い、何度かやっているうちに、どのボールにめがけて投げれば良いかを教え合うので、次第に得点が伸びます。連帯感を持ちながら、チームプレーが求められます。もっとも、そんなことを思いながら投げるのは数人ですが。

 ボールを投げて当てるポイントはわかっても、コースや強さを自由自在にコントロールできないので、いろいろとおもしろいボールの配置になります。さて、どうしたらいいのか、という段階になって、みんなの視線が一個だけある白いボールに集まります。

 白いボールを中心にして、他のボールに当ててどかせたり、間に割り込んだり。まさに、邪魔と嫌がらせで得点を狙います。スポーツと娯楽の原点が、ここにあると思われます。
 道具は、3種類の色のボールだけです。とにかく楽しくできるので、こうした集まりには手頃なゲームです。

 このところ腰に違和感があるので、夕方から近場にある「伏見の力の湯」に行きました。
 昨年から、温泉のお湯が京都南部の城陽温泉に変わりました。泉質がこれまでより格段に上がったように思います。湯治に来た気分になります。
 新年から、入湯料が750円から800円になりました。しかし、身体にいい効果が感じられるので、これからも折々に来ようと思っています。




posted by genjiito at 21:28| Comment(0) | *福祉介護

2025年01月27日

読書雑記(352)矢部太郎『マンガ ぼけ日和』・『矢部太郎の光る君絵』

 矢部太郎さんの2冊の漫画を読みました。というよりも、見ました、と言った方がいいでしょうか。

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 まず、かんき出版のホームページ(https://kanki-pub.co.jp/pub/book/9784761276515/)から、『マンガ ぼけ日和』(かんき出版社、2023年2月)の書誌情報を引いて紹介に代えます。


『大家さんと僕』『ぼくのお父さん』など話題作を生み出してきた著者が、認知症患者とその家族の日常を描いた!
認知症の症状の進行具合を四季(春・夏・秋・冬)に分けて、それぞれの時期に認知症患者さんにどんな変化が起こり、介護者さんはどう対応したら良いのかがわかる構成。笑って、泣けて、不安がやわらぐ本です。

<作者からのメッセージ>

はじめて、全編描き下ろしでマンガの単行本を描きました。

認知症の専門医である長谷川嘉哉先生のご著書『ボケ日和』の装画を描いたご縁から原案とさせてもらいマンガ化しました。

長谷川先生の本はあたたかくユーモアを交えて、「老い」を、「老化」を、その一環である「認知症」を、そして誰にでも訪れる「死」をあたりまえのことだと教えてくれて、安心を与えてくれます。この本の装画を引き受けることを勧めてくれたのは僕の母でした。

母は長年、介護の仕事に従事していました。でも子供の頃から、僕は母の仕事について詳しく聞いたり、学んだりすることはありませんでした。どこか目を背けてしまっていたのだろうと思います。今、母は高齢になり介護される側、僕は介護する側の年齢になろうとしています。

この漫画を描くことで僕自身が、介護や認知症についてもっと考えたい、学びたい、知りたい。それがこの本を描いた一番の動機だったのかもしれません。

このマンガを読んだ皆さんの未来への不安が、あたたかな日差しのような安心に変われば。そんな一冊になっていたら幸いです。

− 矢部太郎



 見るほどに読むほどに、味わいが滲み出てきます。
 絵はもちろんのこと、添えられているセリフが、ページを繰るたびに読み手の心に染み入って来ます。
 ゆったりとした雰囲気に包まれて、絵と言葉が展開していきます。
 『マンガ ぼけ日和』の中でも、次のページが一番印象に残りました。

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 次に紹介する2冊目は、『矢部太郎の光る君絵』(東京ニュース通信社、2024年12月、)です。
 東京ニュース通信社のプレスリリース(https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000002942.000006568.html)から、本書の紹介文を抜粋しながら引きます。


 大河ドラマ「光る君へ」出演で話題! 乙丸・矢部太郎が描く“光る君絵”&ドラマの舞台裏を描いた完全新作漫画が1冊に!

初回〜最終回まで、全48回分の「光る君絵」を一挙掲載。矢部太郎=乙丸≠ネらではの視点で描かれた「光る君へ」の世界は、ぬくもりや哀しみ…様々な感情や情景が描き出され、矢部の本作への愛情がたっぷりと詰まった内容に。

本作で、初回から最終回まで主人公・まひろ(紫式部)に献身的にお供する従者・乙丸を好演し話題を呼んだ矢部太郎。最終回を終え、「光る君へ」ロスを感じる視聴者も多いなか、ドラマ放送時よりSNSで反響を呼んだ矢部太郎が描く“光る君絵”が、新たに描き下ろしを加え、さらに、「光る君へ」の舞台裏を描いた完全新作漫画とともに1冊に!

 <著者・矢部太郎コメント>
僕の『光る君へ』への大切な気持ちが一冊に閉じ込められた本です。
皆さまの心の中にある大切な『光る君へ』の世界に、この本も入れてもらえましたなら、とても嬉しいです。
この本を読んで、また全48回を観て、またこの本を読んで、また全48回を観て…いつまでも楽しんでいただけますように。


 乙丸役を演じた立場からの絵と言葉は、意外な視点でドラマの背景を覗き見させてくれます。
 各回の絵も秀逸だと思います。




posted by genjiito at 21:22| Comment(0) | ■読書雑記

2025年01月26日

清張復読(75)「ペルシアの測天儀」「不法建築」「入江の記憶」(「死の枝」より)

■「ペルシアの測天儀」
 お土産として買った一個のメダルが、偶然の積み重ねの中で犯人を炙り出します。些細なことが、事件を解決する決定的な証拠になるのです。
 すべてを書き尽くすのではなく、読者に推理を委ねながら展開する物語は、構想と語り口で見事な推理ものになりました。作者の、面目躍如というべき作品になっています。【4】

初出誌:『小説新潮』1967年8月

※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のようにあります。
「ペルシアの測天儀がひょんなことから犯人を割り出すというユーモア推理の快作。」(159頁)



■「不法建築」
 違反建築物の問題は、とにかく時間がかかることがわかります。あの手この手で逃げ回るからです。
 話は一転して、バラバラ殺人と拉致監禁未遂事件となります。その2つを結びつけるための思索が語られます。
 しかし、この物語には、無理があります。想像力が勝り、現実味がありません。作者の手元で寝かせていたネタが、無理矢理つなぎ合わせる実験をしたもの、と思われます。【1】

初出誌:『小説新潮』1967年9月



■「入江の記憶」
 語り手の記憶にある地名は、地図にはありません。しかし、そこはその男の出生地でした。6歳までいたところです。故郷のない男は、妻の妹が見たいというので、一緒に来たのです。
 清張の心の中にある、自分には故郷がないことが背景にあって述べられているように思えました。清張の出生については、いろいろと問題があるからです。
 この小話に語られている父と母は、清張の幼い頃の家庭環境を知る貴重な手掛かりになると思います。記憶が曖昧だとして語られることながら、そこには確たる理由があると思われるからです。
 また、物語が意味深な内容で展開するのも、個人的な潜在意識からの発話のような気がします。清張にしては珍しい、思わせぶりな内容であり、詩的な世界にまとめた作品となっています。【4】

初出誌:『小説新潮』1967年10月

※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のようにあります。
「幼児の記憶を現在に結びつける短編推理の秀作。」(18頁)




posted by genjiito at 19:51| Comment(0) | □清張復読

2025年01月25日

キャンパスプラザ京都で尾州家河内本「桐壺」を読む(第26回)

 キャンパスプラザ京都のホールには、いつものように本日の源氏講座の案内が表示されていました。

250125_NPO.jpg

 まず、『NHK2024年大河ドラマ 光る君へ ART BOOK』(東京ニュース通信社、2024年11月29日)の本を回覧し、ドラマの舞台裏にまつわる写真と記事が、平安文学の研究に有益であることをお話しました。ただし、『源氏物語』の物語本文について「物語の進行に合わせて該当の話が正確に書かれている。」という説明文には大いに疑問が残ることを、日比谷図書文化館での説明と同じように、問題点として指摘しました。

 本題となる尾州家河内本「桐壺」については、最初に凡例の確認をしました。尾州家河内本には、膨大な朱点があり、その読み取りに関して正式な翻字方針を確認しておくためです。

■翻字に関する佐藤さんからのメモの整理 (要・第1回と第5回の〈朱点〉の再点検)
〈朱点〉を使って、原文をいかに正確に読み取るかという工夫が、尾州家河内本などでは随所に見受けられる。
 ※本行の文字間に打たれた読点としての朱点は、補入記号のない補入として、[/±〈朱点〉)]を原則とする。
 ただし、朱点が削除されいてる場合は[±〈朱点削〉]又は[±〈朱点削?〉]とする。
 朱点が文字の左右に打たれている場合は[/■±〈朱点右〉]又は[/■±〈朱点左〉]とする。特に朱点が右上に打たれている場合は、文章の切れ目を示す句点の意味を持っている。
 濁点やミセケチなどで朱点が2個あれば、[■$〈朱2〉]とする。なお、ミセケチはおおむね左上に打たれる傾向がある。

 今日の[変体仮名翻字版]の確認をしていく中で、問題として時間をかけたことを3例あげます。

(A)「【御】可多身」か「【御】可多【身】」か
  11丁表8行目に、次のような例があります。

250124_尾州桐壺11oL8身.jpg


 この翻字をどうするか、ということで話し合いをしました。
 私は、最初は「【御】可多身」として、「身」を変体仮名としました。しかし、いろいろと話をしていく内に、「身」は漢字の「【身】」とした方がいいのではないかと思い、「【御】可多【身】」と翻字することにしました。
 辞書などを見ると、すべてが「形見」と表記するので、漢字の「身」の意味はないとしているようです。しかし、平安時代には「形身」の意味でも使われていたかも知れない、ということで、今は一応漢字の「身」として扱おう、ということになったのです。ここで漢字として扱っておいた方が、後で漢字として認定するよりもデータを管理する上では楽なのです。一括で【 】を外す方が、再確認して【 】を付ける作業よりも楽だからです。

(B)濁点を翻字する方法
 12丁表6行目に、次のような「まくらこと尓」という例があります。

250125_尾州桐壺12oL6ご.jpg


 これを[変体仮名翻字版]で翻字すると、次の表記となります。

まくらこと尓/±〈朱点〉、まくらこと=〈朱点左〉、こ〈朱点左2〉

 ここでは、凡例に定めた記号を用いて、本文と朱点の状況がわかるようになっています。

(1)「ま」の上に読点としての〈朱点〉がある。(/±〈朱点〉)
(2)続く「まくらこと」の左側に〈朱点〉がある。(=〈朱点左〉)
(3)「こ」の左側に〈朱点〉が2つある(こ〈朱点左2〉、ただし1つは(2)の〈朱点〉)。
(4)「尓」の下には読点の〈朱点〉がある。

 この「こ」に2つの〈朱点〉があるのは、ここは「枕言(まくらごと)」という言葉なので、これを「ご」と読ませたいからのようです。ただし、「まくらことに」の文字の左側に〈朱点〉がある理由は、他の用例と共に今後とも確認していくものとなります。

(C)書き間違った文字を削除してなぞり書きによって訂正している箇所
 12丁裏5行目では、まず「於ほしつゝ」と書写し、「つゝ」が間違いだったことに気付いたためにその2文字を削り、その上から「ゝ徒」とナゾリ書きしている例です。

250125_尾州桐壺12uL5つゝ.jpg

 この場合は、[変体仮名翻字版]では次のように表記します。

於ほしゝ徒むれと/±〈朱点〉、つゝ〈削〉ゝ徒=△△〈削〉、(於ほしつゝむれと、おほしし徒むれと)

 今日は、いろいろと書写上の問題点の整理で時間をとったので、11丁表から12丁裏までの4ページ分しか進めませんでした。
 以下に、本日確認した[変体仮名翻字版]での翻字を引きます。

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「すゝむし乃/(すすむし乃)・こゑ乃・可起里を・つくしても・
な可き・よ・阿可春・ふる・なみ多可な」・江毛/±〈朱点右〉・乃里
やら寸・
「いとゝしく/(いととしく)・むしの・ね・新遣き・あさちふ尓・
つ遊・をきそふる・くも乃うへ【人】」・可ことも/±〈朱点右〉・きこ
江つ遍くなんと・い者勢/±〈朱点〉・たまふ・於可しき/±〈朱点右〉・さま
那る・をくり【物】なと/±〈朱点〉・あるへき/±〈朱点〉・於り尓も・あらね八・
堂ゝ/±〈朱点〉、(堂堂)・か乃/±〈朱点〉・【御】可多【身】とて・ナシ・ナシ・可ゝ類/±〈朱点〉、(可可類)・ようもやと/±〈朱点〉・乃こ
しをき/±〈朱点〉・多まへり遣る【御】さうそくひとく多
里/【御】±〈朱点〉、ひ±〈朱点〉・【御】くしあ遣の/±〈朱点〉・てうとめく・【物】・そへ/±〈朱点〉・堂まふ・
王可き/±〈朱点右〉・【人】ゝ/(【人人】)・可なしき/±〈朱点〉・【事】八・さら尓も/±〈朱点〉・い者す・【内】わ多りを/±〈朱点〉、わ〈次頁〉、(11オ)
--------------------------------------
あさゆふ尓/±〈朱点〉・ならひて・いと/±〈朱点〉・さう/\しう/±〈朱点〉、(さうさうしう)・
うへ乃/±〈朱点〉・【御】ありさま那と・於もひいて/±〈朱点〉・起こゆれ八・
とく/±〈朱点〉・まいり/±〈朱点〉・堂ま八ん・【事】を・そゝの可し/±〈朱点〉、(そその可し)・きこ
ゆ礼と・かく/±〈朱点〉・いま/\しき/±〈朱点〉、(いまいましき)・【身】乃/±〈朱点〉・そひ・多てまつらん
も・ナシ・【人】ゝきゝ/±〈朱点〉、前ゝ$〈墨朱〉・う可るへし・【又】/±〈朱点〉・【見】/△〈削〉【見】、【見】=【見】〈削〉・多てまつらて・志八し
毛/±〈朱点〉・あらん八・いと/±〈朱点〉・う志ろめたく・於もひきこ江/±〈朱点〉・【給】
て・す可/\とも/±〈朱点〉、(す可す可とも)・江/±〈朱点〉・まいら勢多てまつり・多ま八ぬな
り遣里/な±〈朱点〉・【命婦】八/±〈朱点右〉・まいりて/±〈朱点〉・また/±〈朱点〉・於本と乃ゝこも
ら寸/ゝ$〈墨朱?〉・まち/±〈朱点〉・於八しましけるを・いと/±〈朱点〉・あ八れ尓・【見】/±〈朱点〉、△〈削〉【見】・多
て万川る・於万へ乃/±〈朱点右〉・徒本世んさい乃・ナシ・於もしろき・
さ可りなるを/±〈朱点〉・【御覧】する/±〈朱点〉・やう尓弖・新のひや可耳/±〈朱点〉、や〈次頁〉、(11ウ)
--------------------------------------
【心】尓くき/±〈朱点〉・可き里能・【女房】・【四】/±〈朱点〉・【五人】・さぶら八世/±〈朱点〉・
【給】て・【御物】可多り/±〈朱点〉・せ佐世/±〈朱点〉・【給】なり遣り・古乃ころ/±〈朱点右〉・
あ遣く礼/±〈朱点〉・【御覧】する/±〈朱点〉・【長恨歌】能/±〈朱点〉・ゑ・【亭子院】能/±〈朱点〉・
かゝ世/(かか世)・【給】て・【伊勢】/±〈朱点〉・【貫之】尓/±〈朱点〉・よま勢・【給】へる・やまと/±〈朱点〉・
ことの八をも・ゝ路古しの/±〈朱点〉、(も路古しの)・う多をも・堂ゝ/±〈朱点〉、(堂堂)・そ能/±〈朱点〉・
すちをそ・まくらこと尓/±〈朱点〉、まくらこと=〈朱点左〉、こ〈朱点左2〉・せさ勢/±〈朱点〉・多まふ・いと/±〈朱点右〉・こ
まや可尓/±〈朱点〉・ありさま/±〈朱点〉・と八勢/±〈朱点〉・堂まへ八・あ八れなり
徒る/±〈朱点〉・【事】とも・新のひや可尓/±〈朱点〉・そう春/±〈朱点〉・【御】可へり/±〈朱点右〉・
【御覧】す礼八/±〈朱点〉・いとも/±〈朱点〉・かしこき八/±〈朱点〉・をきところも・
八へら春・可ゝる/±〈朱点右〉、(可可る)・於ほ世【事】尓・つ希ても・かきくら
す/±〈朱点〉・み多り【心地】尓なん/±〈朱点〉、(12オ)
--------------------------------------
「あらき・【風】・ふ勢きし・可けの・可礼しより・
こ八き可・うへそ・志川【心】・なき」なと/な±〈朱点〉・やう耳・
み多り可八しきを/±〈朱点〉・【心】/±〈朱点〉・於さめさりける/±〈朱点〉・本とゝ/(本とと)・
【御覧】しゆる春/±〈朱点〉・いと/±〈朱点右〉・可うし毛/±〈朱点〉・【人】尓/±〈朱点〉・【見】江し
と・於ほしゝ徒むれと/±〈朱点〉、つゝ〈削〉ゝ徒=△△〈削〉、(於ほしつゝむれと、おほしし徒むれと)・さら尓/±〈朱点〉・江・しの飛あ江
さ勢・堂ま八寸・【御覧】し八しめし/±〈朱点右〉・とし【月】能/±〈朱点〉・
【事】さへ・可きあつめよろ川尓/±〈朱点〉、よ±〈朱点〉・お本しつゝ遣
ら礼弖/±〈朱点〉、弖=〈墨ヨゴレ〉、(お本しつつ遣ら礼弖)・【時】の/±〈朱点〉・まも・於ほつ可な可里しを・かく
ても/±〈朱点〉・【月日】八/±〈朱点〉・へ介りと/±〈朱点〉・あさましう/±〈朱点〉・於ほさる・
【故大納言】乃/±〈朱点右〉・ゆいこん・堂可へ春/±〈朱点〉・三や川可へ能/±〈朱点〉・
本い・ふ可く・【物】し多りし/±〈朱点〉・よろ古ひ尓八/±〈朱点〉・可ひ/±〈朱点〉・阿類/類〈次頁〉、(12ウ)
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posted by genjiito at 22:06| Comment(0) | ■講座学習

2025年01月24日

集会所で私の右足のリハビリへのアドバイスをいただく

 今日の集会所では、ラジオ体操の後は早口言葉をしました。今日から、練習する種類が一つ増えました。
 続いて、プリントで健康や冬とお正月に関するクイズをしました。
 「誤嚥予防」についての質問で、次の問いかけは勘違いしやすいと思いました。

「食事中の姿勢は、誤嚥とは無関係である」

 答えは「関係がある」ので「×」です。しかし、「無関係」という言葉の「無」が邪魔をして、「誤嚥と関係がある」という文だと思い、「○」と答える方が周りに何人もいらっしゃいました。
 高齢者を対象とした質問では、「無関係」のように打ち消しの文字が入った文章は誤解を招きやすいようです。二重否定の文章も避けた方がいいと聞いています。私も、こうした点には気を付けたいと思います。

 また、次の質問も不親切かな、と思いました。

「誤嚥を防ぐには、お茶や汁物でときどき口の中を湿らせるのがよい」

 私が2年前に脳梗塞で入院した時には、飲み物による誤嚥が起きやすいので、その対策として、とろみを付ける粉末を飲み物に混ぜて飲むような指導を受けました。「ときどき口を湿らせるのがよい」では、不十分な問いかけだと思われます。

 そうした頭の体操をしている時に、地域包括センターのTさんが、右足の動きがぎこちない私のリハビリのための情報を、ご丁寧にも持って来てくださいました。これは、過日の本ブログに書いた、脳神経内科の主治医との次のやりとりを踏まえての対処の一環となるものです。

(1)私の歩き方が普通の姿になるような、機能回復の運動はないか
(2)介護のリハビリ体操を受けたらどうだろか、という提案があった
(3)地元の地域包括センターの方と相談をしたらとのこと

 こうした経緯を民生委員のNさんにお話したところ、Tさんに連絡をしてくださったのです。以前から、何かと相談をしていたIさんも一緒に考えてくださったとのことです。ありがたいことです。

 今日は、宇治市が実施している介護予防教室の中に、「パワリハトレーニング教室」があることを紹介してくださいました。いただいたプリントには、次のように書いてあります。

 高齢者向けのトレーニング機器等を使いながら、普段は使えていない筋肉を働かせて動かしにくさを改善します。
 個人に合った体操等も行います。
 送迎要相談 週2回 全20回
 市内3会場で実施

 今年度分は、来月から募集が始まるようです。ただし、会場の場所と時間と日程が、今の私の日々の活動とは、なかなか調整しにくい状況です。もう少し考えてみます。

 Tさん、Nさん、Iさん、お気遣いいただき、ありがとうございます。




posted by genjiito at 20:52| Comment(0) | *福祉介護

2025年01月23日

キャンパスプラザ京都で河内本「桐壺」を読む会(No.7)

 今週はじめの京都新聞市内版「まちかど」欄に、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉が主催する、尾州家河内本『源氏物語「桐壺」』(重要文化財)の本文を、変体仮名で読む講座に関する案内記事を掲載していただきました。今週末25日(土)は第7回となります。少しずつ読み継いでいます。

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 会場は、キャンパスプラザ京都(京都市大学のまち交流センター)の5階にある第5演習室です。
 変体仮名は初めてだという方のご参加も大歓迎です。
 現在、毎回約10名の参加者と一緒に、意見交換をしながら変体仮名を読み進めています。
 なお、この会では『源氏物語』の内容は扱いません。
 鎌倉時代の古写本(重要文化財)に書かれている文字が、とにかく読めるようになることを、第一の目的としています。一人でも多くの方が、日本の文化資産である変体仮名が読めるようになることを願って開催するものです。
 興味と関心をお持ちの方は、まずは一度お越しいただき、体験を通して活動内容をご確認ください。
 資料はすべて、当日の会場で配布します。
 会場は、京都駅から歩いて5分の所にあります。
 本ブログのコメント欄を通して、参加希望の旨をお知らせいただけると、資料を用意してお待ちしています。
 お知り合いの方へのご紹介も、よろしくお願いします。




posted by genjiito at 20:12| Comment(0) | ◎NPO活動

2025年01月22日

昨年末に亡くなった親族の家へ弔問に行く

 年明け早々に、小さかった頃からよく知っている親戚の者が、交通事故で亡くなったことを聞きました。
 65歳になったばかりだったそうです。
 彼が小学生だった時には、勉強を見ていたこともありました。
 私の自動車が阪奈道路で止まった時には、彼が車関係の仕事をしていたので山の下から助けに来て修理をしてくれました。
 今回の訃報を知らせてくれた彼の弟は、妻が赴任した高校の生徒だったという奇縁もあります。
 コンピュータがまだ知られていない頃に、その弟がコンピュータ学校の1期生として勉強をする手助けをしたりもしました。
 私の母が骨折で入院した時は、彼の奥さまが当時その病院の看護婦をしておられ、ここよりも某病院へ転院するようにと、迅速に手配をしてもらいました。
 おばさまは、私が小さい頃から何かと面倒を見ていただきました。
 私の両親の葬儀の時には、いろいろと細かな配慮で手伝ってくださいました。
 しかし、今日は自転車で外出中とのこと。
 行きますよ、と伝えてあったのに、お目にかかれなくて残念です。
 今年で88歳になられるので、来客のことが飛んでしまったのかも知れません。
 遺影は、お世話になったおじさんと瓜二つの顔でした。
 いろいろと縁の深かった、家族ぐるみで親戚付き合いをしていた仲でした。
 しばらく連絡を怠っていたところへ、急に入った訃報です。
 今日は、姉との連名でお供えを持って行きました。
 片道2時間なので、電車を乗り継いでの小旅行です。
 お墓は、我が家の墓地と同じところにあります。
 墓石に戒名が刻まれるのは来月になるとのことなので、3月のお彼岸の頃に墓参に行ったら、その帰りに立ち寄ることにします。
 まずは、取り急ぎ弔問に行ったことの報告です。




posted by genjiito at 19:10| Comment(0) | *回想追憶

2025年01月21日

集会所でお金持ちゲームを楽しんだ後にこの集まりの意義を実感

 今日は、集会所でお金持ちゲームをしました。
 手元に配布されたお手製のお金を置き、各グループから1人ずつ出てジャンケンをし、勝ったら貰うという単純なものです。しかし、なかなかおもしろいので、ワイワイガヤガヤと進みます。
 私が属したチームは、他のチームとは圧倒的な差で勝ちました。ただし、最後に各チームの代表者が出てすべての手持ち資金を出して勝負となったところ、すぐに負けてしまいました。グループ戦で最下位だったチームが最終的には勝つという、昨年のプロ野球のどこかのチームのような話です。

 また今日は、先週金曜日に開催したお茶会に関して、何人もの方からおいしいお茶をありがとう、という感謝の言葉をいただきました。みなさんにお茶を楽しんでいただけたのは、民生委員のNさんたちの用意があってのことです。私は、お茶わんや茶筅などを持ち込んで、少し茶碗などの説明をしただけでした。それでも、お礼の言葉をいただくと、うれしいものです。年に一度の新年のお茶会を、これからも続けていきたいと思います。

 帰りは、いつものように白寿のTさんをご自宅までお送りしました。私が昨日病院でもらった処方箋を持参するドラッグストアが、一緒に帰るMさんのお宅の近くで同じ方向に帰られるということもあり、Tさんの家からさらに道路を隔てた薬局までご一緒しました。
 Mさんは、この集まりが楽しくて、日常生活のいい刺激になっている、とおっしゃいます。参加するだけで元気になる、という話を聴くと、ご一緒にゲームをしたりお話をしたりすることがいかに日々の活気につながるか、ということを実感します。続けることの大切さを痛感しました。

 そのドラッグストアの隣には、全国展開を進める、今勢いのある大きなドラッグストアが建設中です。2月8日にオープン、と掲示されていました。近所には、6軒ものドラッグストアやスーパーマーケットと、6軒のコンビニエンスストアが林立する地域なので、これからの人の流れが変わることでしょう。新しいドラッグストアは激安のスーパーマーケットでもあるので、住民にとっては楽しいお買い物ができる環境が加わることになります。来月の開業が楽しみです。




posted by genjiito at 21:35| Comment(0) | *福祉介護

2025年01月20日

右手右足の痙攣は精密検査となる

 先々週は、連日、夜中に右足と右手が痙攣していました。自分の意思では震えが止まらなかったので、心配になってその土曜日に京大病院に電話をしました。脳梗塞の再発率は50%以上だと聞いているからです。
 対応してくださった当直医の先生は、丁寧に対応してくださいました。そして今日の診察につなげてくださったのです。

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 いつものことながら、予約がはいっていても1時間は待たされます。丁寧な診察がなされるからこそ、時間がかかるのです。これは、患者としてはいいことなので、まったく気になりません。かえって本を読む時間が確保できるので、私にとっては問題のないところです。
 しかし、私の横で待たされていた患者さんは、なかなか自分の順番が回ってこないので不平不満をずっと洩らしておられました。もう帰る、とキレたりする場面もありました。付き添いの奥さまは、夫と思われるその患者さんの対応にうんざり、という顔をしておられました。日頃からわがままを言う旦那さんのようです。機嫌を取りながらの介護の大変さが、横にいる私にまで伝わってきました。

 今日、脳神経内科の主治医の先生は、私の説明から脳梗塞の再発ではなく、てんかんの疑いが考えられる、とのことでした。これまでにその指摘を受けたことがないこともあり、詳細に検査をすることになりました。頭部のMR検査と血液検査で、まずは原因を突き止めようということです。

 さらに、歩くのに不自然さが残っているので、普通の歩き姿になるような機能回復の運動はないでしょうか、ということを聞きました。すると、脳内の血管の一部がすでに死んでいるので、元に戻ることはない、との答えでした。手足の不自由さはどうしようもないけれども、リハビリ体操で少しは改善されるかも知れない、とのことで、介護のリハビリを受けたらどうだろうか、という提案を受けました。私は、介護認定は受けられないレベルの障害なので、あとは地域包括センターの方との相談だそうです。どのような方策があるのか、これから調べてみます。

 帰りに河原町の丸善で、読む予定にしていた書籍を4冊購入しました。ここに来ると必ず本が揃うので、無駄足を踏むことがなくて助かります。
 本屋さんで直接本を手にして、中身を確認してから買うことは常に心がけていることです。実際に物を見ないで買うネットショッピングは、とにかくしないようにしています。本にも顔があり、中身もページを繰らないと自分が必要なものであるのかどうかがわからないからです。もう1冊は、出版社の方で在庫がないものであることがわかり、これは他の書店に流れて売れ残っているものや、中古市場に流れているものを探すことにします。




posted by genjiito at 21:41| Comment(0) | *健康雑記

2025年01月19日

江戸漫歩(174)18歳の時の思い出の地「大森」を歩く

 今朝目覚めたのは、若き日に自転車で走り回っていた大森です。ビュッフェ形式の朝食をホテルでいただき、おいしいコーヒーをゆったりと飲んでから、かつての生活圏だった大森の散策に出かけました。

 まずは、目と鼻の先にある、18歳で高校出たての私が、希望に燃えて住み込みで仕事をしていた新聞配達店の確認です。しかし、当時の住所には建物はなく、別の使われ方をしていました。周りの様子も、当時を思い出すものはまったくありません。お店の前で写した写真はあったはずなので、またいつか、ということにします。
 私は、アルバイト扱いだと思って新聞配達をしていました。しかし、定年後の70歳になって年金をもらうようになってから、その頃働いていた日数が年金に加算されていることを知りました。正規雇用者として事務的な手続きをしていただいていた朝日新聞社に、あらためて感謝しています。

 次に、私が腹膜炎を起こして手術をし九死に一生を得た、すぐ近くにある病院を訪れました。その場所は一所であっても、建物はすっかり変わっていました。思い出すよすがすらありません。

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 新聞配達を始めて10日後に、私は十二指腸に突然穴があき、突然意識を失いました。新聞配達店のご主人がすぐに近くにあったこの総合病院に運び込んでくださったおかげで、4時間以上の手術を経て命拾いをしました。麻酔が切れて目覚めた時には、胃の3分の2と十二指腸が切除されていたのです。病名は、十二指腸潰瘍穿孔性腹膜炎。あのプロレスラーの力道山さんは、同じような状況で意識を失わずに我慢をしたために亡くなっています。私は、身体が正直に反応して失神したために、一命を取り留めました。

 入院中のことは、今でも懐かしい思い出として蘇ります。
 私の世話をしてくださった家政婦のAおばさん。退院後も、折々に差し入れをしてくださいました。
 付きっきりで回復のために尽力してくださった、若くて明るさ満開だった看護婦(今で言う看護師)のAさん。
 両親に代わって手術の身元保証人となり、スリッパをはじめとして身の回り品に配慮をしてくださった、従兄弟のお嫁さんのUさん。
 多くの方々に支えられた甲斐があって、半年後に社会復帰をしました。

 ちょうど、1970年の大阪万博があった頃の話です。夏の暑い盛りに、体調のいい時に2、3回、万博を見に行きました。
 千里の万博会場は、父が土建舗道会社にいた時に、人夫として汗水垂らして整地をした敷地です。父が亡くなった後に私家版として発行した追悼文集『舗道の雨』(拙編、1984年5月)には、父が肉体労働をして帰る道すがら、少しずつ書いていた文章を収録しています。満洲で捕虜となりシベリアの強制労働の日々から復員してきた父は、土木業を経て一転して山一證券に勤めます。しかし、その山一證券も、父の死後に倒産しました。いろいろとあった父は、それでも常に私を信じ支えてくれていました。

 万博が終わった頃に、私は再度東京に出て新聞配達を続けました。
 今日、かつて配達をしていた順路を辿ってみました。次の写真の道からが、私が担当していた山王二丁目になります。自転車の前と後ろに刷り上がったばかりの新聞を積み、450部を毎朝毎夕配ることが私の仕事でした。

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 何軒か配った家を思い出しました。当時は、政治家や財界人が多い区域でした。自転車に跨がったままで新聞受けに入れられる家が多かったので、割り当てられた450部は早く配り終えた記憶があります。もっとも、マンションやアパートは自転車から降りて、肩に掛けたタスキに新聞を抱え込んで階段を上り下りして小走りで配っていたので、これは結構疲れました。

 配達が終わる頃になると、親しくなった牛乳配達の人と、手持ちの新聞と牛乳を交換したことを思い出しました。牛乳を一気に飲み、疲れを吹き飛ばしてからお店に帰り、すぐに学校へ行ったものです。

 一浪の後に大学に入学して研究のおもしろさがわかりだした束の間、新年の成人式の数日前に新聞配達店からの出火で、命以外のすべてを失いました。
 焼け出された日から数日は、近くの鷲神社の会館に避難しました。お世話になった神社に、55年振りにご挨拶に立ち寄りました。

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 成人式の日はこの会館の板の間で、太田区から支給された被災者用の毛布にくるまって、次の新聞を配る準備をしていました。配布された配達用のジャージしか着るものがないので、自由に外出などできなかったのです。
 たまたま社務所に女性がおられたので、55年前にすぐそこで大火事があり、この神社でお世話になった話をしました。その方は、そこに新聞配達店があって火事があったことは聞いたような気がする、とのことでした。もう、大昔の話になっていることを知りました。
 お礼を兼ねてのお参りに来た標しに、熊手をいただきました。

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 新聞社からの支援があったものの、身ぐるみを無くしての配達や集金や広告の集配業務に加えての勉学に無理があり、まもなく新聞配達の仕事を辞めることにしました。

 その後、住まいを大学に近い渋谷の代官山に移し、大学で同級生だった女性の支援を受け、学生生活とアルバイトの両立を果たすことができるようになりました。その頃から衣食住の手助けをしてもらった女性とは、すぐに学生結婚をしました。私が大学院生だった時代は、当時で言う「ひも」の身分でした。その私たちが、今年は金婚式を迎えます。今に至るまで、なかなか楽しい月日を送っています。

 いろいろとあった55年前が、大森を歩くことで鮮やかに蘇りました。妻が知らない、出会う前の話を、興味深く聴いてくれました。私が大森を離れて代官山に移って間もなく、年度末の単位レポートのことが縁で知り合いました。おかげで、私は単位を一つ取得できました。

 今回、大きな収穫がありました。それは、あることは知っていても行ったことのなかった大森貝塚の史跡に行ったことです。線路際に大きな碑がありました。迂闊にも、教科書に載っているこんなに有名な史跡を、興味がなかったこともあり、一度も来ていなかったのです。

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 石碑の背面には、変体仮名混じりで顕彰文が刻まれていました。以下に[変体仮名翻字版]で翻字しておきます。

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【明治十年】モールス【先生】の
【發見】尓【係】里【門下生理學
博士佐々木忠次郎故松
浦佐用彦両氏】登【共】尓【發
掘研究】せし【顕著】奈る【遺
跡也】
【昭和五年四月建之】



 すでに10,000歩になろうとするところで、まだまだ大森を歩きたい気持ちを抑えて、京都へ帰る気持ちに切り替えました。思いがけず、収穫の多い、いい一日となりました。

 なお、すっかり忘れていたことを、先ほど思い出しました。今からちょうど10年前に、この大森から山王地域を懐かしくて歩いていたことをです。

「江戸漫歩(92)大森の山王を散策し酉の市へ」

 本日の記事で触れていないことも書いているので、おついでの折にでもご笑覧ください。




posted by genjiito at 21:43| Comment(0) | ・江戸漫歩

2025年01月18日

日比谷で「須磨」(20)と『百人一首』(9)を読む

 今日は、1時間ほど早めに日比谷図書文化館へ行き、図書館のサービス部門のマネージャーの方々と打ち合わせをしました。架蔵の『源氏物語』の翻訳本すべてを寄贈したい意向を伝えてあったので、今度はどのようにその話を進めるかという話し合いです。「古文書塾 てらこや」の責任者のお2人も同席してくださっての会合となりました。
 43種類の言語で翻訳されている『源氏物語』を、日比谷図書文化館側でどう整理し、管理し、閲覧に供するかという諸問題の解決の道を、今はまだ探っているところです。すでに[海外へいあんふんかく情報](http://genjiito.org)で世界中の翻訳本の情報は公開しているので、これは今後とも増え続ける翻訳本のライブラリーの展開を見据えての課題に挑むことでもあります。日本文化と文学の新たな研究領域を切り拓くものであり、スケールの大きなプロジェクトでもあるので、慎重に検討を重ねていくことで前向きに検討していくこととなりました。
 多言語による翻訳本を対象とした研究に興味と関心をお持ちの方は、一緒にプロジェクトを起ち上げませんか。本ブログのコメント欄を通して、問い合わせを含めての連絡をお待ちしています。

 本日の講座については、日比谷図書文化館の正面入口にいつものように案内が掲出されていました。

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 13時からは、ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」の[変体仮名翻字版-2023]のデータの確認をする講座となります。
 最初に、『NHK2024年大河ドラマ 光る君へ ART BOOK』(東京ニュース通信社、2024年11月29日)の本を回覧し、ドラマの舞台裏にまつわる写真と記事が、平安文学の研究に有益であることをお話しました。特に、越前和紙、硯の横の小刀、平安巻筆、文鎮や文具に関しては、丁寧に解説しました。
 なお、『源氏物語』の物語本文が執筆されている原稿に付けられた次の説明文には大いに疑問が残ることを問題点として指摘しました。

「源氏物語」は、物語の進行に合わせて該当の話が正確に書かれている。

 ここで言う、「該当の話が正確に書かれている。」と言うのは、どういう意味なのでしょうか。「正確」の意味するところが、私にはまったく理解できません。写本の話であれば、「正確に書き写されている。」と言えます。しかし、ここでは物語作者が書いた原稿の話だと思われるので、「正確に」とは何を「正確に」書いたと言いたいのでしょうか。そもそも『源氏物語』の作者が紫式部であるというのは正確ではなく、物語の編集者だと考えている私には、なおさら意味不明の説明文となっています。

 本題となる、ハーバード大学蔵『源氏物語 須磨』については、36丁表3行目から36丁裏までを丹念に[変体仮名翻字版]で表記を確認しました。
 中でも、36丁裏7行目の「【人柄】を/を&【柄】、【柄】$、(【人】を)」とした部分には、多くの時間を割きました。

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 「を」と「【柄】」がどのような経緯で書写され、修正されているかということです。私は「を」を「【柄】」でなぞったとしました。しかし、「【柄】」を「を」でなぞっているのではないか、という意見が出て、それも再検討すべきことなので、ひとまず保留としました。
 ハーバード大学美術館へ行き原本が確認できる機会が得られたら、その他の疑問箇所も含めてこうした点を慎重に点検して来たいと思います。
 本日確認を終えた本文は、以下のとおりとなります。

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・ナシ・ナシ・ひとよりは・こと尓奈ま免可し
う・いうなる・ひと尓・みえ堂り・奈本・
う川ゝと八/(う川川と八)・【思】・【給】へられぬ・【御】多ひ井を・(2024年12月07日はココマデ確認)・う
け多満八る毛・あ介ぬ・よの・【心】万とひとの三なん・
佐里とん・とし【月】八・へ・【給】者しと・【思】や里・きこゑ
さ寿る尓毛・徒三・ふ可き・【身】の三こそ・【又】き
こゑさせん・こと毛・八る可なるへ介れ・
「うき免・可る・い世乃/〈ママ〉・あま越・於もひやれ・
毛し本・多るてふ・寿満乃・うら尓て」・よろつ・
【思】・【給】へ・三多るゝ/(三多るる)・【世】乃・あ里佐まを・なをい可尓か奈と/か〈次頁〉、(36オ)
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ナシ・ナシ・ナシ・ナシ・於ほ可里・
「【伊勢】志まや・し本ひ乃・可多尓・あさりて
毛・いふ可ひ奈き八・わ可・【身】なり介り」・毛乃
を・あ者れと・於ほし介る・満ゝ尓/(満満尓)・うちをき/\/(うちをきうちをき)・
かい・多まへる・しろき・可ら乃・可三・【四五枚】
者可りを・まき川ゝ介て/(まき川川介て)・寿み徒き奈と・三
【所】・あ里・あ者れと・於もひ・きこゑ新・【人柄】を/を&【柄】、【柄】$、(【人】を)・ひ
とふし・うしと・【思】し・【心】あやま里尓・【又】・三や須
【所】毛・【思】日うむして・王可れ・【給】尓しと・於ほ世八・
いま八・いとをしく・か多し介那き・すち尓も/も〈丁末左〉、(36ウ)
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 1時間の休憩を挟み、3時半からは『百人一首』の時間です。
 今日は、陽明文庫旧蔵の『百人一首』は七二番歌から七五番歌までの4首に留め、昨秋より教材の一つとして取り上げた尾形光琳の『百人一首』の確認を急ぎました。光琳の『百人一首』については、今日は以下の二八番歌から六三番歌までの確認をしました。陽明文庫旧蔵カルタの確認と、光琳カルタの確認を、同時並行で進めたいために急いで追いつこうとしているのです。


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■光琳かるた[変体仮名翻字版-2023] 二八番歌〜六三番歌
(『別冊太陽愛蔵版「百人一首」』、平凡社、一九七四年十一月九日発行 より)

二八 源宗于朝臣
【山里】は 【冬】そ【寂】しさ 満さ里ける
【人】めも【草】毛 か連ぬと【思】へ者

二九 凡河内躬恒
【心】あ弖尓 おら者や【折】ん 【初】しもの
【置】まと者世類 志ら【菊】の【花】

三〇 壬生忠岑
【有明】の つ連なくみえし わ可連よ里
  あ可つき者可り う起もの盤なし

三一 坂上是則
【朝】本らけ 【有明】の【月】と 三る万弖に
よしのゝ【里】耳 ふ連類【白雪】

三二 春道列樹
【山川】尓 可せの可け多る 志可らみ盤
な可れもあへぬ 毛三ちな里けり

三三 紀友則
【久方】の 日可り能とけき はる乃【日】耳
志徒【心】なく 者那のちるらむ

三四 藤原興風
【誰】を可も 志る【人】にせん 【高砂】の
満川もむ可しの 【友】ならな具尓

三五 紀貫之
【人】盤いさ 【心】も志らす 布る【郷】盤
【花】楚む可しの 【香】尓ゝほ日ける

三六 清原深養父
【夏】のよ盤 万多【宵】な可ら あけぬるを
くものい徒こ尓 【月】や登るらん

三七 文屋朝康
志ら徒ゆ耳 可せの【吹】し具 【秋】能ゝは
つらぬ起とめ怒 【玉】楚ち里ける

三八 右近
わすら留ゝ 【身】を盤おも者寸 ち可日てし
【人】乃いのち濃 おしくも【有】可那

三九 参議等
あさちふの を能ゝし濃【原】 志のふ連と
阿万里てなと可 【人】の【恋】しき

四〇 平兼盛
志のふ礼と 【色】尓【出】にけり わ可こひ八
ものやお毛婦と 【人】乃登ふ万弖

四一 壬生忠見
【恋】すて婦 わ可【名】盤万多き 【立】尓けり
日とし連すこ楚 於毛ひ所めし閑

四二 清原元輔
ちき里支な 可多み尓そてを し本里徒ゝ
すゑの万川【山】 【波】こさしとは

四三 権中納言敦忠
あ日三弖の 【後】乃【心】尓 くらふ連は
む可し盤ものを 【思】者さ里けり

四四 中納言朝忠
【逢】【事】の 多えてしなく八 【中】/\に
【人】をも【身】乎毛 うらみさら満し

四五 謙徳公
あ者連とも 意婦へき【人】八 おも本えて
【身】のい多つらに な里ぬへ支可な

四六 曽祢好忠
ゆらの【戸】を わ多る【舟人】 可ち越多え
【行衛】も志らぬ 【恋】の【道】可な


四七 恵慶法師
【八重葎】 志希連るやとの さひし支尓
【人】こ楚みえね 【秋】盤き尓ける (陽明本は「遣礼」)

四八 源重之
【風】をい多み 【岩】うつ【波】の 【己】乃三
く多け弖ものを 【思】ふころ【哉】

四九 大中臣能宣朝臣
み可き【守】 【衛士】の堂く【火】能 よる盤もえて
日るは【消】徒ゝ 【物】をこ楚【思】へ

五〇 藤原義孝
きみ可【為】 おし可らさりし いのちさへ
な可くも可那と お毛日ける【哉】

五一 藤原実方朝臣
かくと多尓 衣や盤いふきの さしもくさ
佐しも志らしな 毛ゆる【思】日を

五二 藤原道信朝臣
【明】ぬ連盤 くるゝものと八 【知】な可ら
な越うら免しき 阿さほら希可な

五三 右大将道綱母
な希支川ゝ 【独】ぬるよの あく類【間】盤
 い可耳【久】しき ものと可はし留

五四 儀同三司母
【忘】連しの ゆく【末】まて八 か多け連と  (陽明本は「遣連者」)
気ふをか支里乃 い能ちとも可な

五五 大納言公任
【瀧】の【音】盤 堂え弖ひさしく 【成】ぬ連と
【名】こ楚な可れ帝 なを支こ盈希礼

五六 和泉式部
あらさ羅無 【此】よの【外】乃 【思出】耳
い満【一】堂飛の 阿ふことも可な

五七 紫式部
免く里阿ひ弖 三しやそ連とも 【分】ぬ万に
【雲】かくれ尓し よはの【月】か希  (陽明本は「【哉】」)

五八 大弐三位
【有馬山】 いな農さゝ【原】 【風】ふけ盤
い弖そよ【人】を わすれやは春る

五九 赤染衛門
やすらはて ねな万しものを さよ【更】帝
閑た布く満弖乃 【月】をみし可那

六〇 小式部内侍
【大江山】 いくのゝ【道】乃 登をけ連八
満多ふみも三寸 【天】能者し【立】

六一 伊勢大輔
い尓しへの なら能三【都】乃 【八重】さ九ら
けふこゝのへ耳 【匂】ひぬる【哉】

六二 清少納言
よ越こめ弖 【鳥】のそらね者 は可るとも
よ耳【逢坂】乃 せき盤ゆるさし

六三 左京大夫道雅
【今】は多ゝ おも飛堂え【南】 登者可りを
【人】徒弖ならて い婦よしも可な
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 一気に光琳カルタに書かれている文字を36首も[変体仮名翻字版]で確認したので、受講生のみなさまはパニックだったかもしれません。しかし、終了後にいろいろと質問が出たので、結構楽しかったのではないか、と思った次第です。

 来月からは、2種類の『百人一首』の進度が同期することになるので、また楽しい文字の読み比べができておもしろくなることでしょう。

 今日は息子が出張で都内にいないので、急遽かつて私が学生時代に住んでいた大森の駅前に宿をとりました。今日と明日は、大学入学共通テストがあるため、都内のホテルは受験生などに確保されていて、どこも空きがありません。しかし、私は強運を背負っていることもあってか、うまくキャンセルに巡り合え、しかも私が学生時代に住んでいた大森という、懐かしい所に宿を確保できました。しかも、住んでいた場所の至近の所です。ここで十二指腸潰瘍穿孔性腹膜炎となり大手術をして命拾いをし、毎朝新聞を配り、火事に遇って焼け出され、成人式の日は近くの神社の会館で支給された毛布にくるまっていました。明日は、そんな55年前の思い出の地を再訪しようと思っています。




posted by genjiito at 23:54| Comment(0) | ■講座学習

2025年01月17日

集会所で新年のお茶会(2025年)

 2回目となる、新年のお茶会を集会所で開催しました。
 2023年01月06日に、第1回をしています。その時は、自宅から茶碗15客、茶筅4本、茶杓2本、棗2個、菓子鉢1個、懐紙などを持ち込みました。(「集会所でささやかな新年のお茶会」http://genjiito.sblo.jp/article/190056137.html
 昨年は、その半年前に私が脳梗塞となり、右手が不自由だったので取り止めとなっています。

 今日は、いろいろな抹茶碗25客、源氏絵の煎茶碗5客。後は前回と同じ数を持ち込みました。
 最初に、源氏絵の煎茶碗、金継ぎの茶碗、宇治に縁のある宇治橋・柴舟・網代木・川霧があしらわれた菓子鉢の説明を簡単にしました。宇治橋・柴舟・網代木・川霧については、『万葉集』、『源氏物語』の浮舟巻、『蜻蛉日記』、『百人一首』に取り上げられています。しかし、今は場所が違うので詳しくは説明しませんでした。
 この菓子鉢については、お世話役の方から今年も見たいとのことだったので、あらためて来歴を調べました。なかなか由緒のあるもののようです。こうした道具はいずれ散逸するものなので、この場を借りて以下に記録を残しておきます。

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 この菓子鉢は、後に宇治で住むことはまったく考えていなかった左京区下鴨に住んでいた時に、お茶室で何度か使ったものです。近所の古道具屋さんでいただいたものです。添えられていた由緒書の全文を引きます。迂闊なことながら、この菓子器の来歴を知り驚いています。まさに、当地宇治で生まれた器だったのです。また、白山神社の近くに藤川白鳳記念館があることを知りました。春からの開館日に行き、さらに調べたいと思います。新しいことを知ることの喜びを、大いに感じることとなりました。


白山燒由來

我が白山焼は、其由來する所頗る古くして、歴史と密接の關係を有するを以て、土地の史實を略説するの要あり。
抑も我が白川の地は、平等院より數町の上流、白川濱より約五町、谿谷を上りたる所に在り、即ち宇治町の南部に位せる山間、武陵桃源の趣ある一部落なるが、史蹟に富めることは、世人の想像だも及ばざる所にして、一木一石も史蹟の種ならざるはなしと云ふも、敢て誇張に非らざるなり。
奈良朝時代には朝廷の勅願所として、徳川幕府時代には千石の御朱印地として、十六坊及び幾多の堂塔伽藍を有し、結構壯麗を極めたる金色院は、長祿年間祝融の災に罹りて、今は朱塗の大門一宇在存して僅かに其名残りを留むるのみなるも、現に白川區有にして保管せるものに、國寶阿閟如來、大威コ明王等七種の黄金佛を始めとして、紺紙金泥の法華經、曼陀羅、小野道風直筆の扁額等あり、以て其が盛時の一班を想見するに足る。
區の西南隅の山麓に奉祀せる白山神社は、建治三年鎌倉時代に金色院の照燈上人靈夢に感じ、加賀の白山權現を勸請したるものにして、拜殿の天井の構造等は他に類例を見ざる特別保護建造物たり。
下りて藤原時代には、御堂關白ョ通平等院の建立と共に別業を此地に營みたれば、王朝時代文化の華は既に山間の地にも爛漫たりしなり。
前記の史蹟と深くして不離の關係ある白山焼は、白山神社背後の山より出づる陶土を以て製出するものなれば、其質製陶に適し、古代より雅致ある陶器を出したることは、口碑に存する所なりとす。
 垂仁天皇の御代新羅の王子、天の日槍歸化して、宇治川を溯り近江に入りて、製陶に從ひしが、其途暫時宇治に止りて陶窯を試みたるものゝ如し、爾来金色院の創設、ョ通の別業を營むと共に、其筋の獎勵と庇護とによりて盛大となり、廣く貴紳の間に賞玩せらるゝ名器を出せしが、時代の推移と桑滄の變は、何時の頃よりか名だたる陶窯も絶して顧みるものなきに至りしは實に遺憾の極みなりけり。
予夙に陶窯を好み、忙中閑を愉みて、之が技を弄する事茲に年あり、漸く機熟して廢窯を興し、製作に從ひしが、其雅致、共風韻は一般の嗜好に適し、大に賞讃を博せり、用ふる所の陶土は舊來の如く、此地特有のものにして、之に最新の技術を加へ、益々研鑽を重ねて往時の盛に復せしむると共に、大方の期待に背かざらんことを期す。
幸にも當世斯道の名匠眞清水藏六氏は、予の拷ニにして、指導後援を與へらるゝあり、希くは大方の諸彥一層愛顧を賜はらんことを。

      白山燒中興 藤 川 白 鳳 敬白
              山 城 宇 治


 今日のお菓子を取り置く懐紙は、前回同様、お正月らしく王朝継ぎ紙の絵が入ったものです。食品用紙を使用した「源氏物語 第五帖 若紫」という懐紙です。特に説明しなかったので、ごく自然に古典文化の中に入ってお茶を楽しんでおられたようです。
 今日のお茶会の様子はこんな感じでした。まずは、お茶わんを各自が選ぶことからです。25客もあるので、大いに迷っておられました。みなさまのお手伝いのために何かと慌ただしかったので、手元の写真だけで雰囲気を感じてください。

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 ご自分でお茶を点てていただくことに関しては、茶筅の振り方で手首を使うことだけをお伝えしました。後は、各自が思い思いに点てていただきました。若い頃にお稽古に行ったという方が何人もいらっしゃいました。花嫁修業として、お華のお稽古と同じように体験なさっておられたようです。そうした方が、周りの方のお手伝いをしておられたので、なかなかいい雰囲気でした。

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 手際よく片づけられたので、持参したキャリーバッグ一つに30客のお茶わんと小道具が来る時と同じようにスッポリと入りました。手伝ってくださったみなさま、ありがとうございました。

 快い疲れを感じながら、白寿のTさんと同じ方向に帰られるMさん共々、楽しかったという話を聴きながら帰りました。
 今日は私と妻の荷物が多いからというので、Tさんは私の家の玄関口まで一緒に来てくださいました。近所のドラッグストアにお菓子を買いに行くから、という口実でのお心遣いに感謝しています。細やかな思いやりと、シャープな記憶力、そして自分でできることはする、という気力体力の充実ぶりには、ただただこうしたことを通して見習うべき多くのことを教えていただいています。




posted by genjiito at 22:10| Comment(0) | *福祉介護