2025年12月14日

京洛逍遥(957)天使突抜通を歩いた後は錦の富美家で夕食

一昨日の集会所で、天使突抜通(てんしつきぬけどおり)を知ってる? と聞かれた時に、名前は知っているけど通ったことがないんです、と答えました。その後、私のブログで検索したところ、名前は取り上げていても確かに行ってはいません。ブログには、五條天神宮(天使の宮)に関して、次のように書いています。

 その名前から、菅原道真を祀る天満宮かと思い、駒札の説明を読んで、まったく違うことを知りました。ここは、創建当初は「天使の宮」とか「天使社」と言い、社号の天神(テンシン)は天つ神を意味するものであり、道真の天神(テンジン)と違うのでした。「天使突抜(てんしつきぬけ)」という通り名の由来になった所のようです。街区表示板に「天使突抜二丁目」というのがあるそうです。しかし、たまたま行き合っただけの私には、そこまで思いが至らず見かけませんでした。次に通りかかったら、この表示板を探してみましょう。(「京洛逍遥(863)西洞院通を四条通まで歩き、義経や道真や小町と出会う」2024年04月04日、http://genjiito.sblo.jp/article/190843415.html

 それでは行って見ようと今朝方思い立ち、地下鉄五条駅から歩きました。
 通称の天使突抜通は、実際には東中筋通と言うようです。

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 雰囲気のある建物がありました。このあたりは民泊が多い地域で、ここは1棟貸しの宿のようです。写真の右端に写り込んでいる地名表示に注目です。

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 歩いていると、一際目を引く暖簾を見かけました。唐松 京都天使突抜店は、京町家を鉄道ショップに改装したお店です。外観とお店の中は落差がありそうなので、通りすぎることにしました。

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 近くにあった駐車場の表示が気に入りました。おしゃれです。

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 途中で見かけたお店の表示に、京ことばが書かれていました。

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 毎週火曜と金曜日に行く集会所での集まりには、かつて御所の近くに住んでいたと言われる方が、「〜おくれやす」とよくおっしゃいます。吉本新喜劇で座長をし、今も大活躍の役者さんのお母さんです。明日も会うので、こうした京ことばのことを聞いておきましょう。

 天使突抜を抜けて高辻通に出ると、道元禅師遺蹟之地がありました。

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 横の標識には、次のように書かれています。先月末に永平寺に行き、宇治の平等院の対岸には興聖寺があるので、説明文をじっくりと読みました。ここで54歳で亡くなったとあり、その若さに驚きます。

道元禅師示寂の地
 この地は曹洞宗の開祖道元禅師が生涯を閉じたところである。
 道元禅師は、正治二年(一二〇〇)に京都で生まれ、比叡山で出家の後、建仁寺の栄西の門に入って禅を学び、貞応二年(一二二三)に入宋した。帰国後、建仁寺に足をとどめたが、その後、深草に興聖寺(後に宇治に移る)を建て、教化活動を続けた。晩年にいたって、権勢を逃れ、越前(福井県)の地に永平寺を創建し、釈迦正伝の仏法である禅の厳格な宋風を樹立した。
 建長五年(一二五三)病の療養のために弟子懐弉を伴って上落し、この地(下京区高辻通西洞院西入)にあった俗弟子寛念の屋敷に滞在し 同年八月に五四歳の生涯を閉じた。
                      京都市


 四条通に出ると、西洞院四条の南に小野小町の別荘があり、ここに化粧水があったということは、上掲の「京洛逍遥(863)西洞院通を四条通まで歩き、義経や道真や小町と出会う」にも書いた通りです。

 四条通を少し東に歩くと、膏薬辻子(こうやくのずし)があります。ここは、大納言藤原公任の邸宅である四条宮のあった場所でもあります。

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 錦市場の中にある富美家で、鍋焼きうどんをいただきました。お出汁と言えば富美家と言われています。確かに美味しいお出汁です。

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 2010年に、私は京大病院で胃ガンの手術をしました。その退院を控えた9月のある日、外出許可をいただいて、見舞いに来てくれた長男と一緒に、お互いに自転車でこの富美家へうどんを食べに来ました。息子は四条通に近い仏光寺に住んでいて、私は下鴨貴船に住んでいたので、京大病院はお互いのちょうど中間地点だったのです。そして、料理人の息子が胃を無くした私の退院記念に選んでくれたのが、この富美家だったのです。具のないうどんでした。しかし、息子が推奨するだけあって、そのお出汁の美味しかったことが今も忘れられません。今日も、そのお出汁を妻と堪能して来ました。




posted by genjiito at 22:55| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2025年12月13日

中之島での『百人一首』(第19回)と『源氏物語 蜻蛉』(第30回)

 今日も、最初の90分は「変体仮名で書かれた『百人一首』を読む」〔入門講座〕です。
 配布したプリントは、次の2枚でした。

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 2枚目の「包装紙に描かれた『百人一首』」は、現行の五十音図の平仮名以外の文字、つまり変体仮名をサッと見分ける練習用として配布したものです。みなさん、区別は手早くできていました。これは易しかったようです。
 今日の2種類の『百人一首』の確認は、52番歌の藤原道信朝臣から58番歌の大弐三位までを終えました。
 判別しにくい文字として、「支(き)」「王(わ)」「弖(て)」「帝(て)」「希(け)」「遣(け)」「盤(は)」がありました。
 なお、テキストである『変体仮名でよむ 百人一首』(伊藤鉄也・吉村仁志 編、新典社、2025年5月)において、57番歌である紫式部の作者欄に「『源氏物語』を編纂」と記載していることに関して、私は紫式部を『源氏物語』の作者だと特定していないことの補足説明をしました。

 30分の休憩時間を挟んで、次は「ハーバード大学本『蜻蛉』巻の仮名文字を読む」になります。

 まず、次の2枚のプリントを配りました。

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 この講座では、いつも古写本の話ばかりしています。そこで今日は気分転換も含めて、江戸時代の版本に関する資料を持参しました。目で見ることが主体となっている現代の文化を、今日もいま一度見直しましょう、というアピールです。先月は、『探幽筆三十六歌仙』という人物画の作成に使われた模本(粉本)の実物を見て触っていただきました。
 前掲の写真は、架蔵の『略解 ○古訓古事記巻中』の版木です。版木の実物を触ることはなかなかないので、貴重な体験となったことでしょう。写真の上は現物そのものの板面。その下は、コンピュータグラフィックで左右を反転して、刷り上がった状態がわかるように加工したものです。写真をクリックしていただくと、精細な写真が表示されるので文字がよく見えると思います。
 版木の重さのみならず、文字が精細に彫られていることが、目で見るだけでなく、指で触って実感できたことは、こうした印刷物の理解が深まったはずです。

 2枚目の資料の『絵入源氏物語』の版本は、現在はNPO法人〈源氏物語電子資料館〉が所蔵しているものです。山本典子氏より寄贈されたものです。この山本春正編『絵入源氏物語』(漆山文庫旧蔵)の版本は、江戸時代・慶安三年(一六五〇年)の版であり、旧蔵者山本節氏は山本春正のご子孫です。山本典子氏によると、約五〇年以上茶箱に保管されていたものだということなので、編者である山本春正の手元にあった初版本である可能性が高いものです。宇治十帖を持参して並べ、実際に手に取って見ていただいたので、受講者のみなさまには版本の実態が体感できたかと思います。興味津々で、袋とじの本をご覧になっていました。

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 ハーバード大学蔵『源氏物語 蜻蛉』を[変体仮名翻字版]で確認することは、今日で巻末まで行く予定でした。しかし、版本の閲覧と実見で時間を取ったために、67丁表6行目までを確認して時間が来ました。あと1頁文が残りました。年明けには、最後まで終えることになります。

 今日問題となったのは、次の2例です。

 (1)65丁裏9行目 「きこ江さ勢/え【給】&江さ勢、江=え」

2251103_ハーバード「蜻蛉」65uL9え給.jpg

 「え【給】」の上から「江さ勢」とナゾリ、その「江」の右横に「え」を傍記しています。
 本行の中でのナゾリなので、書写者自身がナゾッていると思われます。

(2)67丁表5行目 「うち/△&う」

251212_ハーバード「蜻蛉」67oL5うち.jpg

 ナゾッている文字の「う」の下の文字が、私にはどうしても読めません。そこで不読文字として「△」を用いて、「うち/△&う」としました。今後の課題として残すことになりました。

 今日確認したハーバード大学蔵『源氏物語 蜻蛉』の「変体仮名翻字版」は、以下の通りです。


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■ハーバード大学蔵『源氏物語 蜻蛉』65丁裏9行目〜67丁表6行目

翻字データの中にある付加情報(/)の記号について
傍書(=)、 ミセケチ($)、 ナゾリ(&)、補入記号有(+)、補入記号無(±)、 和歌の始発部
( 「 )・末尾( 」 )、底本陽明文庫本の語句が当該本にない場合(ナシ) 、 翻字不可・不明(△)
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よろこひきこ江さ勢/え【給】&江さ勢、江=え、(きこえ【給】)・【給】めると・いふ・な三/\
の/(な三な三の)・【人】めきて・【心】ちなの・さ万やと・ものうけれ八/(65ウ)
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もとより・於ほしす川ましき・すちよりも・いま八・
万して・さるへき・ことに・川介ても・於ほし多つ
ねんなん・うれしかるへき・うと/\しく/(うとうとしく)・【人】川
てなとに・もてなさせ・【給】八ゝ/(【給】八八)・江こそと・能【給】尓・
け尓と・いひさ者きて/=【思】〈薄墨〉、(【思】さ者きて)・【君】を・ひきゆるかすへ
介れ八/す〈虫損〉・万川も・む可しのと能三/も&能、(む可しのとも三)・な可めらるゝも/ゝ±二、(な可めらるるも、な可めらるる二も)・
もとよりなと・能【給】ふ・すちは・万めや可尓・多のも
しくこそ八と・【人】川てとも・なく・いひなし・
【給】へる・こゑ・いと・王可や可尓・あいきやうつき・
やさしき・【所】・そひ多り・堂ゝ/(堂堂)・なへ弖の・かゝる/(かかる)・す三可の/三〈次頁〉、(66オ)
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【人】と・於も八ゝ/(於も八八)・いと・於可しかるへきを・
多ゝいま/(多多いま)・い可て可八・か者可りも・【人】尓・こゑ・きか
すへき・ものと・ならひ・【給】介ん・な万うしろ
め多し・か多ちも・いといま免可しからんと・み
ま本し幾・け者いの・したる越・この・【人】そ・
【又】・れいの・【御心】・三多るへき・川万なめると・
於かしうも・阿り可多のよやとも【思】い多ま
へり・[35]これこそは・可きり・なき・【人】の・かし
つき・於ほし多て・【給】える/介&え・ひめきみ・【又】・
か者可りそ・於ほく八・あるへき・あやしかりける/(66ウ)
--------------------------------------
【事】葉・さ累・ひし里乃・【御】あ多里尓・【山】能・
ふ登古ろより・いてき堂る・【人】〻の/(【人人】の)・可多本
なる葉・な可り介累こ楚・古の/古〈虫損〉・者可奈し
や・可ろしや奈登・於もひ奈須・【人】毛・可や
うの・うち身累/△&う・介し支八・い身しう楚・
を可し可里し可登・…………途中まで(67オ)
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 帰りは、大阪駅まで歩きました。途中で、曾根崎心中でよく知られている「お初天神」の境内を通ることになり、久しぶりに「露天神社」にお参りすることになりました。

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 ここに来るのは数十年ぶりになります。「恋人の聖地」となっていて、若者がたくさんいました。私が知っていた「お初天神」が明るく様変わりしていたので、とにかく驚きました。

 大阪駅前の阪神百貨店の地下には、いか焼きで有名なお店があります。小さい頃に何度か行って以来なので、懐かしさも手伝ってその場で妻と一緒に立ち食いをし、持ち帰りのお土産もいただいて帰りました。以前は、あまりにも長い行列のために諦めました。551の蓬莱といい勝負です。大阪の粉モン文化は健在です。

 大阪駅からJRで京都駅に出て、その駅前のキャンパスプラザ京都(京都市大学のまち交流センター)に立ち寄りました。3月分の予約をしたままで教室の利用料金の支払いが終わっていなかったので、済ませるためです。
 今日のスケジュールは、これで無事に終わりました。
 京都駅の構内は、相変わらずの雑踏となっています。中国語が飛び交う状況は一変し、多くの東南アジアの方々と擦れ違いました。日本人の観光客は、まだ京都を敬遠しておられるようです。しかし、年末年始は京洛各地で日本古来の文化を背景にした行事が多くなるので、日本の方々が増えることでしょう。




posted by genjiito at 23:50| Comment(0) | ■講座学習

2025年12月12日

読書雑記(362)中野信子『フェイク』

 『フェイク ウソ、ニセに惑わされる人たちへ』(中野信子、小学館新書、2022年6月)を読みました。

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 本書は、ウソやフェイクを上手く活用して、生きるためのスキルを磨くことが大切な時代だ、ということを優しく語っています。
 私がチェックした箇所を引きながら、勝手なコメントを付けておきます。

 「はじめに」で次のように言います。

 正義の顔をしたフェイク、善意を装って大げさに誇張された括弧付きの「真実」を目にするたびに痛感させられることは、私たちは、意外なほど「ウソに弱くできている」という事実です。
 なぜなら、ウソのほうを心地よく感じ、フェイクのほうを美しく見てしまうのが、私たちの脳の性質だからです。(14頁)

 このことに関しては、人間が物語の楽しさを求めていることにつながっているからではないか、と私は思っています。自分が物語を作る中で、ウソやフェイクが巧く利用されるのではないのでしょうか。

 「脳は騙されたがっている」という項目では、次のように言います。

 脳は、酸素の消費量が人間の臓器の中で最も多く、その占める割合は、身体全体で消費する酸素量のおよそ4分の1です。
 ですから、基本的にあまり働かないように、つまり思考しないようにして脳の活動を効率化し、酸素の消費を抑えようとします。
 最も効率のいいリソース節約術と言えば、人からの命令に従うことです。
 そのため脳は自分でゼロから決めていくよりも、命令されることを心地よく感じる傾向があります。自分で考えずに、誰かからの命令に従うことは、脳の省エネ策であり、人間の本能、生理的機能の表れでもあるのです。(49頁)

 社会には、指示待ち人間が多くいます。これは、脳の省エネで生きている人のことだと言えるでしょう。

 また、次の説明は誰でも体験し、見聞きしたことなので納得します。

 私たちは自分の先入観に沿う情報だけを集め、その集めた情報を自分の都合のよいように解釈して書き換えてしまうという現実があります。
 これが「確証バイアス」です。与えられる情報の中で、自分に都合のよいものだけを選択し、都合の悪い情報は無意識に排除してしまうのです。さらに、冷静に検証すればそれが詐欺であると気付くことでも、この「確証バイアス」により、自分に都合のよい情報だけを付加し、そして自らウソを補強する思考をしてしまうことによって、その枠組みから抜け出せなくなってしまうのです。(54頁)

 次の説明も、ウソをつく背景を知る手がかりになります。脳が長い文脈を省略することで、話が捻じれていくことを想定すると、ウソが生み出される現場が想像できます。

 もし、記憶の細胞間コミュニケーションが100%の確率で起きるのであれば、私たちは見たもの、聞いたことを全部忘れないはずです。しかし、脳はハードディスクのように確実に記録されるようにはできていません。
 細胞同士が情報を伝えるときに、すべてを伝えず、適当に伝えている。つまり「ウソ」をついている状態があるということがとても興味深く、不思議な現象として、むしろ美しく感じられるのです。(84頁)

 ウソでもいいから相手を褒めることは有効です。ただし、その際には次の注意点があるとのことです。少しだけ、味付けが必要だそうです。

 期待感は本人に伝えても効果があると考えられます。ただしそのとき注意したいのは、「頭がいいね」ではなく、「期待しているよ」「君ならできるよ」と伝えること。もしくは「よく頑張ってるね」と伝えること。
 「頭がいいね」と言われた子は、「頭がいい」という評価を失いたくないために、失敗を恐れて確実に成功できるタスクばかりを選択するようになる可能性があるからです。(103頁)
(中略)
 この研究結果では、「頭がいいね」と褒められた子供は萎縮してしまい、挑戦する意欲を失い、さらには失敗を隠そうとウソをつく傾向が高いことが示されています。
 そして研究チームは、褒め方には注意が必要であり、結果だけを褒めるのではなく、チャレンジする姿勢、工夫に対して評価することが、失敗を恐れない心を育て、その子の能力を伸ばすと結論づけています。(105頁)

 ウソの効用については、プラシーボ効果(偽薬効果)の例が示されています。日本では、戦時中に兵隊さんがお腹の病気になった時に軍医がハミガキ粉を飲ませるだけで直った、ということがあったようです。これは、馬の医者であった父の体験談でもありました。直ればいいのです。

 本来なら薬効のないはずの偽薬を飲んでも、患者自身が「この薬は本物であり、効果がある」と信じ込むことで、実際に病気が治ってしまうという現象です。
 これは1955年にハーバード大学の麻酔学者ビーチャーによって明らかにされ、広く知られるようになりました。
 例えばその薬が砂糖の塊といったまったくの偽薬であっても、「これを飲めば絶対に自分はよくなる」と信じて飲んでいれば、症状が改善されることが統計的に確かめられているのです。
 さらに、偽薬の服用をやめたとたん症状が悪化するといった、プラシーボとの逆の効果もあることが分かっています。これが「ノーシーボ効果」と言われるものです。
 ある研究では、「自分は心臓病にかかりやすい」と信じている女性の死亡率は、心臓病にかかりやすいと信じていない女性の4倍に上ったということです。
 脳にはそもそも思い込みがあるとはいえ、ウソによって生死さえも左右されてしまうというこの結果を見ると、騙されることの効用、上手によいウソをつく意義について検討されてもよいのではないかと思ってしまいます。(106〜107頁)

 そして著者は、次のように言います。

 人生を振り返り、あの時、うまいウソが言えていれば面倒なことにはならなかったのに、という場面はたくさんあると思います。
 この本を読まれた方には、ウソをすべて否定するのではなく、上手に使い、楽しく、賢く生きていただきたいものです。(110頁)

 本書で語られている中で、ウソに関して役立つ知恵を、1例だけあげます。
 「Youメッセージ」ではなく「Iメッセージ」で伝える、ということです。

 もしも、相手に「自分はあなたのウソで傷ついた」ということを理解してもらい、後悔してもらいたいのならば、言い方を工夫してみましょう。
 例えば浮気の圧倒的な証拠があったとしても、もし関係性を継続することを望むのであれば、相手を主語にして糾弾する「Youメッセージ」ではなく、「私はあなたに女として見てもらえなくなったと思うと悲しい」などと、自分を主語にする「Iメッセージ」で伝えるほうが、信頼関係を壊さずに自分の思いを伝え、ちゃんと相手に後悔させることができるでしょう。(178頁)

 優しい語り口で話題が展開するので、読みやすい本だと思います。
 本書から私は、次の三点についてヒントをいただきました。

 「人は何のためにウソをつくのか」
 「なぜ人は騙されるのか」
 「ウソとの付き合い方と生き方」




posted by genjiito at 23:02| Comment(0) | ■読書雑記

2025年12月11日

宇治徳洲会病院から大急ぎで京大病院へ

 朝の送迎バスで、宇治徳洲会病院へ行きました。前回は満員で乗れなかったために、早足で病院に駆けつけました。今日は無事に乗れたので一安心です。
 今日の午後は京大病院へ飛んで行くことをご存知の担当医のご配慮があり、比較的早い順番で診察がありました。

 昨日、帽子を2箇所で忘れたことなどを、談笑の中で報告しました。細かなことも含めて諸々を、丁寧に電子カルテに書き取ってくださっています。根明で何事もおもしろおかしく話す妻なので、先生も臨機応変に硬軟取り混ぜてのアドバイスや判断を示してくださいます。娘よりも若い先生とは、あるがままにお話ができるので、日々の不安が氷解します。

 小気味良い面談となっているここでの診察は、2週間ごとに不安を取り除く楽しい日となっています。さらには、昨日行った温泉で行方不明となった妻の帽子が、無事に受付に届けられていたとの連絡があり、この心配事も晴れて解消しました。みなさまに感謝です。

 1階の観察室に移動し、レカネマブ(レケンビ)の点滴を受けます。今日も段取りが悪く、時間がどんどん経過します。この病院では、妻のような治療をする方は他にはいらっしゃらないようで、手順も心もとない限りです。血液検査をして1時間も待たされていた方が、どうなっているのかと苦情を言っておられました。とにかく、看護師さんが少なすぎます。今日も、隣のベッドには、重病の方が点滴を受けておられました。ごった煮の部屋、という環境なので、気持ちの切替が求められます。
 妻の付き添いで来た私も、ベッドの横にいたくてもイスが他の方に占領されているので、外の待ち合いのソファで、持って来た書類の整理をしていました。

 終わるが早いか、病院の送迎バスで京阪中書島駅まで行き、そこから京大病院へ行きました。あらかじめ、京大病院には遅れるとの電話を入れておきました。余裕を持って組んだ予定も、時間が押し詰まってしまい、アタフタと対応に追われる始末です。こちらがもっと巧く立ち回る必要がありそうです。

 今日の大文字山は、短い秋を終えようとしています。

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 今日は、主治医の先生に宇治徳洲会病院での様子や、最近の体調などのことを報告しました。来年3月で1年になるので、MRIや対面での試験などで、アミロイド β がうまく消えているのかなどの検査が入りました。そして、来年の9月で一旦この治療を一区切りとし、その先の対応が必要かどうかを検討することになりました。
 先生の見立てでは、順調に来ているとの感触を得ておられるようでした。悪くはなっていないとのことなので、信頼して指示に従うことにします。

 私からは、もう一つの懸案であるタウに関する対処はどのように考えておられるのかを聞きました。それに関しては、今はまだ、まったく研究が実用化まで届いていないので、検討の中には入っていないようでした。
 また、最近のニュースで注目されている「ドナネマブ(ケサンラ)」の成果についても、失礼を省みずにお尋ねしました。今は、その薬での対処は考えていないことを、丁寧に説明してくださいました。
 とにかく、最先端の動向を見据えながら、適切な治療がなされています。気遣ってくださっている方々には、治療は順調です、という取り急ぎの中間報告とします。




posted by genjiito at 23:43| Comment(0) | *健康雑記

2025年12月10日

温泉施設の源氏の湯でお子様ランチをいただく

 近鉄新祝園駅から送迎バスに乗り、スッカマ源氏の湯に行ってきました。すぐ南が奈良県なので、京都の最南端の地にあります。けいはんな記念公園や国立国会図書館関西館の向かい側、と言ったほうがわかりやすいでしょうか。

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 この近くに奈良先端科学技術大学院大学があり、奈良県生駒郡に住んでいた頃には、そこの入学願書を入手して受験を考えていました。見学会にも行きました。しかし、結局は間際に別の大学院の博士後期課程に変更したため、受験はしませんでした。もしここで勉強していたら、私の学位記は「博士(文学)」ではなくて「博士(理学)」だったことになります。願書をどこに提出したかによって取得する名称がまったく違うことになったので、今から考えるとおもしろい道のりを歩いてきたことになります。紙切れ1枚とはいえ、肩書きは人生を楽しいものにしてくれることを、あらためて噛みしめています。

 源氏の湯グループのもう一つの施設である宇治天然温泉源氏の湯が近鉄大久保駅の近くにあり、これまでにも何度か紹介してきました。施設の中の雰囲気はよく似ていました。
 新祝園駅に降りたのは初めてです。ちなみに、「新祝園」は「しんほうその」と読みます。知らないと読めない駅名です。

 高濃度炭酸泉にゆったりと浸かり、露天風呂で30分ほどのんびりとしました。
 なお、スッカマとは炭窯サウナのことだそうです。サウナは苦手なので入りませんでした。

 お風呂上がりに、お食事処へ行きました。私が、あえてお子様ランチを頼むと、大人の方は……とのことでした。何にしようか迷っていると、注文を取りに来られた方と妻が話をしているうちに、その方のお母さんも胃がないとのことが話題になっていました。そして、一旦奥に戻られたその方が、お子様ランチを用意できますよ、と優しく語りかけてくださったのです。調理場で掛け合ってくださったようです。感謝です。これまでにも、チャレンジしたことがあります。 しかし、ことごとく失敗でした。60年ぶりに、お子様ランチをいただくことになりました。

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 左端の飲み物はカルピスです。これでも私には多くて、おにぎりの半分とポテトを2個、妻に渡しました。これは、私が外食で苦労しているほんの一例です。こんな事情があるので、いろいろな方と一緒にお食事ができなくて申し訳ないことです。

 余程の大病をした年寄りと思われたのか、途中で食べられるかどうかと声掛けをしてくださいました。その優しさに感激です。お母様の食事を思ってのことだったのでしょう。お気遣い、ありがとうございました。

 帰りに、その方に丁寧にお礼の挨拶をしました。臨機応変の対応に、接客における人の役割を再認識させられました。生成AIを搭載したロボットでは、こうした対応はできないと思われるからです。
 この話は、生成AIと人工知能の仕事をしている息子に、しっかりと伝えておくことにします。




posted by genjiito at 22:13| Comment(0) | *美味礼賛

2025年12月09日

集会所で通販のトラブルの話を聞いた後に家族葬の相談に行く

 今日の集会所では、宇治市消費生活センターの方がお越しになり、通信販売でのトラブルに関する話や、悪質商法の話がありました。正直言って、眠かったのです。バラエティに富んだ事例を話題にしていただけたら、興味をもって聴けたかと思います。すでに聞いたことのある話ばかりだったので、他の方も同じ思いだったのではないでしょうか。

 お話は、通信販売におけるトラブルがメインでした。しかし、私に関してはネットでの買い物はまったくせずに現物を見て触って買い、そして現金で何事も対処するようにしています。高齢者には、このタイプが多いと聞いています。ネットがらみの話は、対象となる聴き手の見定めが必要かと思いました。

 私は先月、歯の治療に関して宇治市消費生活センターに電話連絡をし、いろいろなアドバイスをいただきました。歯科医院の院長が、インフォームドコンセントという治療の「説明と同意」がないままに不可解な治療がなされたので、そのことに関して相談をしたのです。このセンターが、本来は扱う内容ではなかったようです。しかし、丁寧に解決のための方策を提示していただけました。どうしたらいいのかわからない時だったので、大いに助かりました。

 終わってから、集会所でのお仲間の方に我々がお葬式の相談をしていることを話すと、近くにある家族葬のホールのことを教えてくださいました。今とりたてて急ぐ話ではないものの、善は急げとばかりに電話をして、直接担当者に話を聞きに行きました。
 父の時の葬儀屋さんは、間違いや行き違いが多くて難儀をしました。母の時は、お花に包まれた家族葬をしたはずなのに、法外な請求に驚きました。
 そんな経験があるので、今から準備をしておこうということです。

 今日は、我々各々の家族葬のプランも決めました。妻とはプランに微妙な違いがあったので、おもしろいものだと思いました。骨壺はどれにするかなど、まだ実感がないことでもあり、楽しく話が進みました。戒名は早く付けておこう、という点では一致しました。
 急ぐことのない、この歳になったからこその将来設計です。楽しみながら、自分たちのために詰めておくつもりです。




posted by genjiito at 21:43| Comment(0) | *身辺雑記

2025年12月08日

京都駅で相愛大学本の臨模本について打ち合わせ

 鎌倉時代に書かれた『源氏物語』の臨模本を制作中の宮川保子さんと、京都駅中のホテルのラウンジでこれまでに試し書きとしての下書きと仮の清書本を置いて、文字列の慎重な検討と今後の打ち合わせをしました。
 臨模本を作るに当たり、基本的な共通理解を踏まえて、あとは宮川さんの判断で模本が作成されています。

 すでに、「須磨」(ハーバード大学蔵)、「蜻蛉」(ハーバード大学蔵)、「鈴虫」(国立歴史民俗博物館蔵)の3冊の臨模本は、すべて原本を共に実見して出来上がっています。
 次は、相愛大学の春曙文庫所蔵の断簡である「帚木」、「藤裏葉」、「橋姫」、「宿木」、「手習」の5冊に宮川さんは挑戦中です。

 あらかじめ託されていた5冊の試作本の内、すでに「橋姫」の前半は私の視点からの字母の特定などのコメントを記入したものはお渡ししていました。今日は、それを含めての5冊すべての紛らわしい文字に関して、その字母を判定した私からのコメントを直接確認しながらお伝えしました。

 今回の相愛大学本の文字は、非常に曖昧な表記が多くて、悩ましい問題を抱えています。
 今日、宮川さんが、これは『源氏物語』の草稿本の写しではないか、とおっしゃったことが私の心に突き刺さりました。ハッの思ったのです。本文を書き写す立場からの直感は、研究という視点とはまったく異なる感触があったようです。これまでのハーバード本や歴博本とは、明らかに書かれている文字の字形や印象が違います。
 例えば、「思」「程」「給」の漢字は、字形に揺れがあります。仮名についても、「あ」「那」「ら」「越」などにも、崩し方が自由奔放です。
 粗雑というと語弊がありそうなので、清書本を書き写した写本ではなさそうだ、と言っておきましょう。

 「手習」の巻から、1例だけあげます。
 これは「ひめきみ(姫君)」という単語を「ひめ支見」と書いたとしか思えない文字列です。「支(ki)」も「見(mi)」も、そのつもりで見ればそう書いてあります。しかし、この写本の書写者は、果たしてその文字が何というか音を表すものか、わかっていたのか疑問です。

251208_相愛「手習」8uL4ひめ支見.jpg

 親本の文字が乱れていたのか、書き写す時に注意力が散漫になっていたのか。こうした例の一々を取り上げながら、この相愛大学本の本文の素性を検討すべきだと思います。

 文字の字形以外にも、本文の違いも顕著です。
 現在の『源氏物語』の基準本文となっている室町時代の写本に江戸時代の手が入った校訂本文「大島本」とは、この鎌倉時代の本文は大きな異同を見せています。
 春曙文庫の収集所蔵者であった田中重太郎先生が、次のようにおっしゃっていたことが、実際に本文を確認していると実感として伝わってきます。


■源氏物語本文について(田中重太郎)
 ところで、源氏物語の本文でも定家の証本がいま定本視されているが、いわゆる別本系の本文と読みくらべると、いまの源氏物語の本文は、なんだかばかに整頓され、みがかれ過ぎた感じがする。架蔵の鎌倉初期書写の源氏物語断簡(昭和三十九年十月刊)を読みかえしていると、こんな本文の源氏物語がすくなくとも平安末期にはあって、読まれていたのだと思い、いま行われている源氏物語の本文と読みあわせると、そらおそろしい気がして来る。(下略)
(清少納言と「ほのかなり」と、『平安文学研究』第四十二輯、昭和四十四年六月号、『枕草子三十五年』再掲)


 書道家である宮川さんも、忠実に臨模を続ける過程で、本書の特殊性を身をもって体感なさったようです。これは、これまでの写本とは何か違う、と。
 相愛大学蔵本『源氏物語』として伝わる5冊の写本(断簡)は、平安時代から鎌倉時代にかけて、物語本文が形成される道程を照らす資料となるかもしれません。

 ひきつづき、本文の「変体仮名翻字版」の作成を続けます。今後のさらなる翻字作業と、本文の調査や検討が楽しみです。
 本書に興味と関心をお持ちの方は、私がNPO活動として展開している、キャンパスプラザ京都(京都駅前、「帚木」巻を読む)と、シェア型書店HONBAKO京都宇治(宇治駅前、「橋姫」巻を読む)でこれらの本を読んでいる勉強会にご参加ください。遅々として進まないものの、順調に前に向かって取り組んでいますので。




posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | ◎源氏物語

2025年12月07日

こんな日もあるということで

 昨夜は、めずらしく午前零時前に寝ました。
 昏々と眠り続けていたようで、目が覚めたのはお昼前でした。
 お腹がすいていたので食事をし、また寝ました。
 またお腹がすき、目が覚めたのは夕方の6時。
 本日2回目の食事をして、今キーボードの前に向かっています。
 1日6回食の生活なので、今日はまだ2食です。
 いつものように、午後10時半の食事が最後の食事になるので、今日は3回食の1日となりそうです。
 風邪気味のようです。
 寝るのはいつも午前2時過ぎなので、今日予定していた仕事をこれからしましょう。
 こんな日もある、ということで、体調を考えながら山積みになっている仕事に取りかかります。




posted by genjiito at 19:50| Comment(0) | *健康雑記

2025年12月06日

宇治で相愛本『源氏物語 橋姫』の変体仮名を読む会(7)

 シェア型書店HONBAKO京都宇治の入口のガラス戸越しに、通りからクリスマスツリーが見えています。

251206_本箱正面.jpg

 中も、クリスマスムードが感じられるようになりました。本箱も活発に本の入れ替わりがあります。活気が感じられるようになりました。

251206_本箱のツリー.jpg


 そんな中で、今日は「店名:モモ Handmade」が手提げバックのチャリティ販売をする日でした。クリスマスツリーのすぐ前に、手作りのバッグを並べています。妻と姉の手仕事の布小物です。この日のために、姉も遠路芦屋から駆けつけて、お手伝いをしてくれました。姉も箱主なので、立派なオーナーです。
 この催しは月に1回なので、次は新年2月7日(土)です。
 シェア型書店HONBAKO京都宇治は、地域の人々や全国各地の本好きの仲間のコミュニティの場となることを活動の柱としています。さまざまな取り組みで、この空間が人と人との出会いの場となることを願っています。

 さて、今日の勉強会は新しい参加者を得ました。それも、新婚さんお2人です。写本を読むのは初心者だとのことだったので、丁寧に進めていきました。変体仮名とは何か、古写本に関する知識、書写の道具、街中の変体仮名、などなど。
 書写された文字が訂正されている箇所については、次の例を見ました。

251203_相愛「橋姫」9uL3いり墨.jpg

 これは、「まいり/いり〈削、墨〉、=万いり」と翻字した箇所です。
 書写者はまず、「まいり」と親本の文字列を書き写しました。しかし、他の人か後の人が、「いり」の部分を墨で塗り潰し、なかったものとしました。続いて、その右横に「万いり」と正しいとする文字を書き添えています。
 ここで気になるのは、「ま」と「万」の文字表記が異なるにもかかわらずそうではない「いり」が墨で塗り潰されていることです。これは、どのような意味を持つのでしょうか。写本に残された、その意図がよくわからない例として取り上げました。写本に手を入れる、という行為が意味することには、よくわからないことが多いという例です。

 基礎的なことを確認しながら、ということもあって、1ぺージも進みませんでした。
 以下に、本日確認した「変体仮名翻字版」の翻字をあげます。

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(1)相愛大学本『源氏物語 橋姫』第九丁裏〜第九丁裏七行目 [変体仮名翻字]

翻字データの中にある付加情報(/)の記号について
傍書(=)、 ミセケチ($)、 ナゾリ(&)、
補入記号有(+)、補入記号無(±)、 和歌の始発部( 「 )・末尾( 」 )、
底本陽明文庫本の語句が当該本にない場合(ナシ) 、 翻字不可・不明(△)

--------------------------------------
の【給】ふ毛の越・支こゑ者遣ま
して・【御心】・者けまひ・堂てま川らんと・於ほい
て・のとや可なる・ゆふくれ尓・まいり/いり〈削、墨〉、=万いり・【給】へり・れい
乃・さま那る・【御】も乃可多里・木こゑ可王し/木〈ママ〉・
【給】ふ・川い弖尓・うち乃三この・【御事】・き古
ゑい弖ゝ/(き古ゑい弖弖)・みし・可【月】の/±あ・あ里さまなと・くは
しう・ナシ・
--------------------------------------

 新年正月は、この宇治での勉強会はお休みです。
 次は、新年2月7日(土)となります。
 みなさま、よいお歳をお迎えください。




posted by genjiito at 21:13| Comment(0) | ■講座学習

2025年12月05日

12月6日に HONBAKO京都宇治でハンドメイドのお店を出店

 12月6日(土)と2026年2月7日(土)の 12:00 〜 16:30の間に、「お店番」として妻が担当者となって「店名:モモ Handmade」が、布製のブックポーチ・ブックカバー・手提げバックのチャリティ販売をします。
 よろしかったら、シェア型書店HONBAKO京都宇治の入口近くのテーブルに作品を何点か並べていますので、お手に取ってご覧ください。

 同じ時間帯に、2階にあるシェアスペースで「宇治で古写本『源氏物語 橋姫』の変体仮名を読む会」の勉強会をしています。こちらへの参加も、どうぞよろしく。
 以下の画像をクリックすると精細画像になります。

 インスタグラムでの告知もなされています。


251204_インスタ0.jpg

251204_モモ-1.jpg

251204_モモ -2.jpg


251204_モモ-3.jpg

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251204_宇治でGを読む.jpg 




posted by genjiito at 23:41| Comment(0) | *身辺雑記

2025年12月04日

中之島図書館での歌舞伎と『源氏物語』の講演会

 大阪万博も終わり、一躍有名になったキャラクターのミャクミャク君は、今は大阪市役所本庁舎の正面玄関前で、向かいに建つ日本銀行大阪支店を眺めながら寝そべっています。多くの方が写真を撮っておられました。

251204_ミャクミャク.jpg


 本日の講演会の会場となっている大阪府立中之島図書館は、このミャクミャク君がいる反対側、市役所の東隣にあります。

 第8回となる平安文学リレー講座は、「歌舞伎と『源氏物語』 〜今話題の映画に思いを寄せて〜」と題して、薮下敦朗氏の歌舞伎語りでした。薮下氏は、早稲田大学や鳴門教育大学大学院で近世文学を専攻され、現在は日本演劇学会や日本音楽表現学会の会員です。

251204_会場.jpg


 歌舞伎の世界では『源氏物語』はあまり扱われなかったようです。その理由は、皇室のスキャンダラスな話となるため、敬して遠ざけられたことにあるようです。昭和26年に、11代目市川團十郎が『源氏物語』をやったことから、世の中が変わったそうです。

 映画「国宝」を観ての感想が至る所に鏤められ、みなさんの興味と関心を集めながらのお話でした。映画では、難曲の「鷺娘」や「道成寺」を踊りで見せる場面は、お見事の一言だそうです。2人の若い役者を絶賛しておられました。

 歌舞伎の歴史を概観し、俳優史から文化・文政以降の演劇界の動きを紹介し、映画「国宝」の時代背景に留まることなく、実際に薮下氏が生の舞台から得たものや、数多くの人間国宝の方々との交流史も交え、豊かな話題で歌舞伎の魅力を語ってくださいました。

 本日の話は、とにかく薮下氏自身の豊富な演劇体験に基づくものであり、書物からの知識ではない、生き生きとした内容が魅力の講演でした。終わってからも、多くの方が質問などをしておられました。

 帰りに本日の講演会場だった中之島図書館を振り返ると、満月がふくよかな顔を見せていました。

251204_満月.jpg

 淀屋橋のすぐ近くにあるカフェで、薮下氏ご夫妻と長時間にわたって話をしました。かつて高校の教員時代の同僚であり、祇園へ何度か連れていってもらったこともあり、思い出話が尽きません。気の置けない仲間との時間は、あっという間に過ぎていきました。




posted by genjiito at 23:40| Comment(0) | ■講座学習

2025年12月03日

本年度の変体仮名を読むNPO活動の報告

 本日、キャンパスプラザ京都(京都市大学のまち交流センター)で、来年2月と3月の予約をしてきました。使用する部屋が決まりましたので、今後の京都駅前会場の情報をまとめてお知らせします。

 2025年12月27日(土)第8講習室 14:30〜16:00
 2026年1月24日(土)第5講習室 14:30〜16:00
 2026年2月28日(土)第5演習室 14:30〜16:00
 2026年3月28日(土)第4演習室 14:30〜16:00

 今年度の刊行物は、次の『百人一首』の本でした。

『変体仮名でよむ 百人一首』(伊藤鉄也・吉村仁志 編、新典社、2025年5月)

 さて、毎週土曜日には、4会場(宇治・大阪・東京・京都)で変体仮名を読む会を開催しています。変体仮名が読める方が一人でも多くなることを願ってのNPO活動です。

 変体仮名を読む会の、これまでと、これからの日程を以下に整理します。
 日時の都合が合う時に、ご参加ください。
 資料の用意があるため、本ブログのコメント欄を使って事前に連絡をお願いします。

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【シェア型書店HONBAKO京都宇治】
 第1土曜日 HONBAKO京都宇治
   「宇治で古写本『源氏物語 橋姫』の変体仮名を読む会」
    14:00〜16:00
   2025-5/31、7/5、8/2、9/6、10/4、11/1、12/6
   2026-1/3(休会)、2/7、3/7
--------------------------------------
【大阪府立中之島図書館】
 第2土曜日 中之島図書館
   @「変体仮名で書かれた『百人一首』を読む」〔入門講座〕
    13:00〜14:30
   A「ハーバード大学本『蜻蛉』巻の仮名文字を読む」
    15:00〜16:30
   2025-4/12(体験)、5/10、6/14、7/12、8/9、9/13、10/11、11/8、12/13
   2026-1/10、2/14、3/14
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【東京都千代田区立日比谷図書文化館】
 第3土曜日 日比谷図書文化館
   @「ハーバード大学本『源氏物語 須磨』の変体仮名を読む」
    13:00〜14:30
   A「『百人一首』を2種類の変体仮名で読む」
    15:30〜17:00
    2025-4/19、5/17、6/7、6/21(体験)、7/19、8/16、9/20、10/18、11/29、12/20
    2026/1/17、2/21、3/21
--------------------------------------
【キャンパスプラザ京都(京都市大学のまち交流センター)】
 第4土曜日 キャンパスプラザ京都
   「相愛大学本『源氏物語 帚木』を変体仮名で読む」
    14:30〜16:00
   2025-4/26、5/24、6/28、7/26、8/23、9/27、10/25、11/22、12/27
   2026-1/24、2/28、3/28
--------------------------------------

 毎回、終了後にその日の活動の報告を「たつみのいほり より」(http://genjiito.sblo.jp/)に掲載しています。予習、復習に利用していただいています。欠席なさった時にもお役に立つかと思います。
 また、遠隔地の方で参加できない方など、国内外の多くの方がこのブログで勉強しておられます。
 今日も、ブログの1日のアクセス数が、すでに25,000アクセスを越えています。
 身が引き締まります。
 今後とも、変わらぬご支援のほどを、よろしくお願いします。




posted by genjiito at 23:47| Comment(0) | ◎NPO活動

2025年12月02日

[その2]宇治で古写本『源氏物語 橋姫』の変体仮名を読む会(第7回)のご案内

 本日の京都新聞の山城版「まちかど[宇治]」に、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉が主催する、「宇治で古写本『源氏物語 橋姫』の変体仮名を読む会」の案内記事を掲載していただきました。

251202_新聞NPO.jpg

 変体仮名は初めてだという方のご参加も大歓迎です。
 宇治の地で、宇治十帖の初巻である第45帖「橋姫」に書かれた、鎌倉時代の文字を読み進めています。
 扱う古写本は、相愛大学の春曙文庫が所蔵する『源氏物語 「橋姫」』(断簡)です。
 写本の画像は、国文学研究資料館の国書データベースで公開中のものを使います。

 開催日時は、毎月第1土曜日の午後2時〜4時
 会場は、シェア型書店HONBAKO京都宇治の2階にあるシェアスペース
 今後の日程は、次の通りです。

 2026/1/3(休会)、2/7、3/7

 一人でも多くの方が、日本の文化資産である変体仮名が読めるようになることを願って開催するものです。
 『源氏物語』の内容は扱わず、仮名文字を読むことを主眼としており、毎回読み切りです。
 参加費は2,000円。
 毎回の勉強会の様子は、この[たつみのいほりより](http://genjiito.sblo.jp/)に報告しています。先月の活動内容は、以下のサイトから確認できます。
「宇治で相愛本『源氏物語 橋姫』の変体仮名を読む会(6)」
 資料はすべて、当日の会場で配布します。
 会場は、JR宇治駅から歩いて3分(京都府宇治市宇治宇文字2-38)、宇治警察署の裏側。
 本ブログのコメント欄を通して、参加希望の旨をお知らせいただけると、資料を用意してお待ちしています。
 お知り合いの方へのご紹介も、よろしくお願いします。




posted by genjiito at 23:30| Comment(0) | ◎NPO活動

[その1]集会所でミニらいとモルックを楽しむ

 ラジオ体操は、今日も第2でした。しかし、少し慣れてきたこともあり、あまり戸惑わずに手足を動かすことが出来ました。

 次は、ミニらいとモルックという、これまでやって来たモルックのスモール版というべきゲームをしました。日本で開発されたゲームだそうです。すべてが小さいサイズの、日本の木材で出来たものを使います。
 ​ミニらいとモルック協会のホームページから画像を引きます。

251202_ミニライトモルック.jpg

 ミニチュア版なので簡単なのかと思いきや、意外と難しいのです。まず、投げる細長い棒のスキットルが、軽くて小さいためにマットレスの上を飛び跳ねて、あらぬ方向に行くのです。とにかく、不思議な動きをします。おもしろいようにピンを避けて飛び跳ねるため、1本も倒れないことが何回もありました。そのことを見越してか、3回連続で0点が続くと負け、というルールが適用されます。
 一投で12本のピンすべてを倒した方が、MVP となられました。
 投げたスキットルが飛び跳ねて予測できない動きをするために、正式なモルックよりもかえって難しく、その分だけおもしろいゲームだったと思います。これは、室内でウレタンなどのシートの上で楽しむからこそ、こうした不規則な動きに笑いを誘うゲームになっています。
 こうしたさまざまなゲームをしながら、みなさんでワイワイガヤガヤと親交を深めています。

 一般社団法人mini light Molkky協会のホームページを見ると、次の説明文が冒頭に記されています。

 体格・年齢・障害など関係なくみんなで対等にに楽しめるスポーツゲームはないかな?
 認知症予防・介護予防に毎日取り組める楽しいゲーム性のある運動はできないかな?
 そんなお悩みが解決できるスポーツゲームが日本で生まれました!
​ それが・・・ミニらいとモルックです

 なお、ミニらいとモルックはニヨ活(認知症 (ニ) 予防 (ヨ) 活動 (活) )推奨商品となっていることを知りました。ニヨ活とは、一般社団法人認知症予防コンソーシアムが運営している認知症予防活動のことだそうです。「認知症で人生をあきらめる人をゼロにしたい」という想いで、認知症の予防と共生の両輪の必要性を広げる活動をしておられるようです。
 いろいろな組織があり、いろいろなゲームが、いろいろな用途で考えられていることを知り、今後の活動支援に役立つ知識が増えていくことを実感しています。




posted by genjiito at 18:40| Comment(0) | *福祉介護

2025年12月01日

私の歯科医療に関する文章は脅迫文だそうです

 これまでにも何度か取り上げた、現在困っている歯科医療について、新たな動きがあったので報告します。

 私から書面で、A歯科医院の院長に治療の問題点についての「インフォームドコンセント」に基づく説明を求めたことに端を発して、何も回答がないままに1ヶ月が過ぎました。
 その書面というのは、以下の2つの記事に引用していますので、まずは問題点の始発点を明らかにしておきます。

(1)「歯医者さんで医療の名のもとに行われた暴行について考える(前編)」(2025年11月12日、 http://genjiito.sblo.jp/article/191542861.html

(2)「歯医者さんで医療の名のもとに行われている治療放置ろについて考える(後編)」(2025年11月19日、http://genjiito.sblo.jp/article/191548806.html

 歯の治療が本年10月23日から1ヶ月以上も放置されているので、何とか事態の打開を図りたいとの思いから、本日のA歯科医院における診察が始まった頃合いを見計らって、私から電話をしました。すると、院長と話をしている途中で、私の歯の治療は「もうしない」と宣告されました。何度も確認したのは、以下の言葉です。

 「私が渡した文書は脅迫文であり、患者との信頼関係がないことから、もう治療はしない。

 これが、お仲間や関係者や大学病院とも相談をして出した、院長の結論だそうです。この結論を出されるのに、10月23日から起算して1ヶ月以上もかかったことになります。その間、私のことは放ったらかしだったことに関しては、お尋ねしても返答はありませんでした。
 私は、やりかけの治療を他の歯医者さんでやってもらうわけにもいかず、じっと1ヶ月もの間、この院長からの回答を待っていたことになります。そして今日、私から電話をしなければ、さらにずっと無視され続けていたのです。私の治療をしないのであれば、もっと早く言ってもらえたら動きようもあったのに、と言うと、私に電話をしたので連絡を待っていた、とおっしゃいます。
 それは、「宇治徳洲会病院とHONBAKO京都宇治と宇治市総合福祉会館へ」(2025年11月27日、http://genjiito.sblo.jp/article/191555537.html)の最後に次のような補足説明を私が本ブログに書いたことをおっしゃっているようです。

1つだけ報告があります。それは、私の書面を院長が読まれているかどうか、ということに関して18日に歯医者さんに確認の電話をした後に、夕刻に院長から私の携帯に電話がありました。ただし、私が登録しているA歯科医院の電話番号ではなかったので、迷惑電話として留守電に入っていたことを、翌日の19日に、書面を受け付けに手渡ししてから後で気付きました。その伝言は、以下のものでした。私は常に事実を記すことにしているので、この件も追加情報としてここに報告します。

「もしもし、A歯科医院の院長のAですけれども、先ほどお電話いただいたようなので、折り返し電話をさせていただいたんですけれども、もしもし、今日は私●●の方に出勤なので、●●の方から電話させていただいています。失礼します。今日は私●●の方に出勤なので、●●の方から電話させていただいています。失礼します。」
 そして、この後に何も連絡も回答もないことが続いているのです。

 院長はすでに電話をしたので、私からの折り返しの電話を待っていた、とおっしゃいます。しかし、上記の文面に引用している留守番電話にあることばでは、私に折り返しの電話を求めているものではなく、今日はそちらに出勤して対応できないのでまた後で具体的な内容の電話をする、という、いわば無視はしていないという口実を作るための電話だった、と思われます。それは、その日の午前中に私がA歯科医院に電話をし、先生に書面を渡してもらえたか、ということと、先生はそれを読まれたか、という確認の電話をしていたので、仕方なしに先生は私にアリバイとなる電話をなさったのだろう、と思っています。
 その後、今日までの2週間というもの、院長からの電話はありません。

 上記の「私が渡した文書は脅迫文であり、患者との信頼関係がないことから、もう治療はしない。」という、治療拒否の口実も矛盾点が噴出します。しかし、そのようなことを言われる書面を渡した私の文章にも、配慮が足りない部分があったかもしれません。医者と患者では、あまりにも立ち位置が違うので、もっと別の対処や言葉遣いがあったとしたら、その点は申し訳ないと思います。

 こうしたことを言い出したら切りがないので、A院長の矛盾する点をほんの1例だけ提示します。
 下の歯に関して、本年2月に明らかに不具合が多いものを作り、それを作り直した3月にも私には不適合なものだったのに、3つ目は半年後でないと着手できない、と言われていたことです。これでいくと、9月には着手すべきなのに、何の動きもなく今に至っています。8月に下の歯の対処をお願いしたのに、下ではなくて上の歯の治療に取りかかられました。
 私の文書が脅迫文だとおっしゃるその文書は、10月29日と11月19日に渡したものです。明らかに2ヶ月も時間軸が前後することなので、9月に着手しなかったことの理由としては、苦しい弁解というか道理に合わない詭弁です。

 私の治療はしないと、院長が直接おっしゃるのですから、これでご縁も切れたことでもあり、不当な医療放棄という問題はこれ以上は言わないことにします。
 ただ1点だけ、最後の確認です。確認ばかりしていて申し訳ありません。
 私から念のための確認として、「脅迫とおっしゃいますが、私がなにか事実と異なることを書いていましたか?」と問うと、社会通念とか書面での回答とかいろいろな方と相談して、そして医者と患者の違い、という曖昧なことで濁しておられました。私が何か事実誤認をしているのか気になるものの、これ以上のやりとりは不毛だと思い、最後にまた「私が渡した文書は脅迫文であり、患者との信頼関係がないことから、もう治療はしない。」という院長の言葉の念押しの確認をして、「わかりました」と言って電話を切りました。

 さて、私は今年の4月以来、ずっと忍耐強く待たされていたことの縛りがなくなったので、そのすぐ後に、あらためて別の歯医者さんに連絡をして、心機一転あらたに診察を受けることにしました。
 ちなみに、先週の11月27日に弁護士さんとの無料法律相談の折にいただいたアドバイスにより、セカンドオピニオンを受けるためにある別の歯科へ行きました。その際、別の歯科で問題となっていることの説明に、A院長のことを記したブログに書いた文章を印刷して持参しました。もちろん、具体的な固有名詞はすべて記号化したものです。しかし、そのセカンドオピニオンを受けるために行った歯科の院長はそれを開封もせず、さらには私の口の中を見ることもなく、診察台に横になってセカンドオピニオンを受ける態勢で待つ私に、冒頭から「あなたのことは引き受けられない」、とはっきりとおっしゃいました。誠実な先生と伺っていたのに、煩わしさを背負い込みたくないとの判断からか、診察を断わられました。それでは、セカンドオピニオンが受けられる歯医者さんはありますか、と尋ねると、自分で探してもらうしかない、とのことでした。
 初対面にもかかわらず、あまりにも突き放した言い方だったので、なぜあのような冷たい対応をなさったのか不可解です。あらかじめ書かされた問診票には、妻がここで診察を受けていることを書きました。既往歴や服用している薬や生活習慣などの問いにも答えました。あの問診票は、セカンドオピニオンを受けるのに必要なものだったのでしょうか。そして、時間をかけて書いた問診票は、その後どうなったのでしょうか。個人的なことを書いているので返してほしい、と言うこともできずに惨めな思いで帰って来ました。
 とにかく門前払いだったので、何も聞いてもらえなかったことが、今も残念な思いでいます。

 さて、今日の初診となるTH歯科には書面は持参せず、自分の口で説明しようと決めて行きました。内心、また診療を拒否されるのでは、と危惧しながらも、まずは直面している困り事の相談を聞いてほしい、と先生に言いました。すると、とにかく口の中を見ないことには、ということで診察台に横たわりました。そして、口の中を見ながら首を捻っておられたので、別の歯科でどのような経緯があってここに来たのかを、具体的にお話をしました。先生は聞き上手だったことに加えて、今後の対処についての詳しい説明もわかりやすかったので、問われることに対してお任せします、ということで進みました。
 前の歯科で放置されていることの専門家としての見立てや、その先生はこれからどうしようとしておられたのかなど、専門的な観点からの説明は患者の立場の私でもわかりやすいものでした。多分に、前の歯科医院の院長を擁護するような内容や説明だったのは、同業者としての思いやりからだったと思われます。わかりやすい話だったので、納得しました。

 私は、人との出会いには恵まれていて、多くの方々に助けられて今に至っています。頑固で癖が強い、といつも妻に言われています。しかし、身の回りの方々には、心優しくお付き合いしていただいています。人間関係では、幸運な道のりを歩んで来ていると思っています。

 ただし、1点だけ、歯医者さんとの出会いはあまりよくありません。歯医者さんに関しては、東京でのとんでもない歯医者さんに振り回された経験があり、妻も私と同じように苦労をして来ました。しかし今回は、いい出会いの歯医者さんに診てもらえそうなので、モヤモヤしていた時でもあり、少し気持ちが落ち着いています。
 このTH歯科を紹介してくださったNさん、いつもお気遣いをいただきありがとうございます。




posted by genjiito at 23:39| Comment(0) | *身辺雑記

2025年11月30日

江戸漫歩(181)結婚式を挙げた六本木から東京タワーへと歩く

 地下鉄南北線の六本木一丁目駅を出ると、すぐ角に全特六本木ビルがあります。ここに、我々が50年前に結婚式を挙げた全特会館(全国特定郵便局長会館)がありました。道を隔てた向かいには、サウジアラビア王国大使館があります。

251130_全特会館.jpg

 この高層ビル群の間から、東京タワーが見えます。

251130_隙間から東京タワー.jpg

 この地に関しては、11年前の12月に来た時のブログに報告を記したので、よろしければご笑覧ください。

「江戸漫歩(93)六本木・東京タワー・芝公園へ紅葉狩り」

 そこから東京タワーに向かって歩くと、途中の麻布台ヒルズが賑やかです。何だろうと思って入ると、子供連れの若者たちが小さなブースに並んでいます。海外でのクリスマスマーケットを模したイベントのようです。

251130_麻布台マーケット.jpg

 この雰囲気にはそぐわない我らも、若者ぶって窓越しに食べ物と飲み物を受け取りました。
 選んだのは、イギリスのお店のフィッシュ&チップス。今から25年前の銀婚旅行では、妻と2人でイギリスを、レンタカーで走り回りました。そのことを思い出しての選択です。
 25年前の夏。ロンドン大学の前のホテル・ラッセルに泊まり、イギリスの旅が始まりました。ホテル・ラッセルは、アーサー・ウェイリーが『源氏物語』を英訳した時の滞在ホテルです。ここは、それまでにも私がよく泊まったホテルです。その横にあったレンタカー屋さんで借りた車が、何とベンツ。そのベンツで、オックスフォードやストーンヘンジからコッツウォールズ一帯を泊まり歩いたのです。宿の予約などはないままに車を走らせ、夕方になって着いたあたりでB&Bを探す、という気儘な旅でした。日本語しかできない私でも、定型文句で旅はできました。

 ヨークで留学中の娘の部屋に泊めてもらい、勝手知ったるケンブリッジを散策するなど、当時のことは妻共々、今でも脳裏に刻み込まれています。その頃の話をしながら、今日は金婚記念にと思い出のフィッシュ&チップスを一緒につまみました。ケンブリッジでのフィッシュ&チップスは、もっと安い値段でポテトが5倍はありました。

251130_フィッシュ&チップス.jpg


 東京タワーに登った記憶はありません。京都タワーもそうです。これは、見上げることに価値がある、と思っています。

 JR竹芝 水素シャトルバスが無料の送迎バスとして東京駅まで走っていたので、これ幸いと記念試乗をしました。

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 左端にいる妻が持っている、青いプチプチに包まれた大きな荷物は、昨日の日比谷図書文化館で受講生のみなさまに見ていただいた『探幽筆三十六歌仙』を頑丈に梱包したものです。美術搬送にすると費用が高額になるので、こうして手に下げて東海道五十三次を往復しました。

 パリから日本に戻ってきた狩野派の手になる歌仙絵の下絵として描かれた36人の歌人たちも、江戸見物に連れ回されるとは思いもしなかったことでしょう。私の手元にある『探幽筆三十六歌仙』は、京狩野ではなくて江戸狩野の作業現場で実際に使われていた粉本(下絵)だと思われます。まさに里帰りということになります。
 昨日は、日本橋馬喰町に宿を取っていました。木挽町にあった狩野画塾は、どちらも東京都中央区にあるとはいえ、地理的には少し離れています。絵画史に疎い素人の話として聞き流してください。
 なお、かつて銀座周辺にあった狩野画塾は、明治時代になってから狩野芳崖や橋本雅邦を最後に姿を消します。その頃に、その作業現場で使われていた『探幽筆三十六歌仙』は、フランスに渡ったと思っています。これまた、根拠のない私の想像に過ぎませんが……

 さて、東京タワー前から東京駅までの水素シャトルバスは、気持ちがいいほどにノンストップでした。乗り心地も快適だったので、貴重な体験となりました。

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 東京駅の丸の内側に着いたので、あたりの秋の気配を写し留めました。
 正面奥が皇居です。その左側に、日比谷公園や千代田区立日比谷図書文化館があります。日比谷図書文化館での毎月1回の源氏講座は、今年で13年目に入っています。気長に、『源氏物語』の古写本に書き写された変体仮名を読み解いています。東京通いも、まだしばらく続きそうです。

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posted by genjiito at 20:57| Comment(0) | ・江戸漫歩

2025年11月29日

日比谷で「須磨」(30)と『百人一首』(7)を読む

 東京に着くと、いつものようにまずは有楽町に出ます。お昼ご飯は、駅前のビックカメラの中にあるスシローで腹ごしらえをします。その日に合わせて食べる量を調節できるので、消化管を持たない私は重宝しています。最近は、デザートが充実してきました。

 ビルを出ると、東京国際フォーラムの広場で「大江戸骨董市」をやっていました。400もの店舗が出店しているそうです。東京駅の近くまで延びていました。大半が海外からの観光客のようです。ざっと見たところ、弘法市や天神市よりも相当高目の値札が付いていました。

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 日比谷公園に入ると、「魚ジャパンフェス 2025 in 日比谷公園」をやっていました。全国各地の新鮮な魚介を使った料理が集結する、日本最大級の魚食イベントでした。

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 最近私は、お寿司よりも海鮮ものに興味が移っているので、大いに期待して見て廻りました。しかし、その値段が我が家の予算の2倍から3倍だったので、このイベントは無縁のものだと諦め、早々に日比谷図書文化館に入りました。

 入口では、いつもの掲示があります。

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 まずは、「ハーバード大学本『源氏物語 須磨』の変体仮名を読む」からです。
 今日は、先日も中之島図書館の講座で見てもらった『探幽筆三十六歌仙』を12枚ほど持参したので、テーブルに拡げ、その概略をお話しました。これは、国宝『源氏物語絵巻』の「鈴虫(1)」(五島美術館蔵)の画面を赤外線写真で調査したところ、彩色の下から文字が出て来たことに関連して、絵に書かれた指示書きというもののお話につなげるものです。
 実際に『探幽筆三十六歌仙』(架蔵粉本、一部数枚)を手に取っていただき、実感実証の体験をしていただきました。私がコンピュータグラフィックを駆使して描いた歌仙絵も見てもらいました。また、30年前に仲間と刊行した『パソコン国語国文学』(啓文社、平成7・1995年1月)を紹介し、その中に収録した「画像としての小野小町」(第4章、伊藤鉄也、添付フロッピーディスクに画像収録)についても話しました。

 次は、前回先送りにした「天」と「弖」について、その識別のポイントを説明しました。併せて、「介」と「个」の識別方法についても説明しました。

 ハーバード大学蔵『源氏物語 須磨』の「変体仮名翻字版」の翻字確認については、55丁表5行目から56丁裏まで、用意した資料のすべてを終えました。以下に、この部分の翻字をあげます。

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堂ゝあま尓毛/(堂堂)・なり奈ん・う三の・そこ尓
毛・いり奈んとそ・【思】ひける・ちゝ【君】/(ちち【君】)・【所】世く・
【思】ひ可し徒きて・とし尓・ふ多ゝひ/(ふ多多ひ)・す三よ
し尓・まうてさせ介り・【神】乃・【御】志る
志を・とく【見】者やとそ・於もひける・【251129_ココカラ】→[31]す満尓八・
としなと・可へりて・【日】・な可く・徒れ/\なる
尓/(徒れ徒れなる尓)・うゑし・王可き乃・さくらの・本の可尓・さ
きそめ・そらの・うらゝ可なる尓/(うらら可なる尓)・よろ川
乃・こと・於ほしいてゝ/(於ほしいてて)・うち奈き・堂満ふ・於里・
於ほ可り・【二月】・【廿】よ【日】尓・なりて・い尓し/(55オ)
--------------------------------------
とし・【京】を・王可れし・【程】・【心】くるし介奈
里し・【人】/\乃/(【人人】乃)・【御】あ里さ満なと・いと・【恋】
しく・【南殿】乃・さくら八・さ可り尓・なり
ぬらん・ひとゝ勢乃/(ひとと勢乃)・【花】の・えむ尓・【院】能・
【御】介しき・【内】の・うへ乃・いと・きよらに・奈
満免きて・【我】可・川くれる・【句】を・春ん
しなとし・【給】ひし【御】あ里佐ま奈と・【思】い
てきこゑ・【給】・
「い徒と・那く・【大宮人】の・【恋】しき尓・
佐くら・可さしゝ/(可さしし)・介ふ毛・きに介り」・[32]いと/(55ウ)
--------------------------------------
徒れ/\なる尓・可の於ほとのゝ/(於ほとのの)・【三位中将】八
【今】八・【宰相】尓・なりて・【人】可ら乃・いと・よ介れ
八・【時】よの・於ほえ・いと・於毛くて・【物】志・【給】へと・よ
乃【中】・あ者れ尓・あちき奈く・毛のゝ/(毛のの)・を
里ことに・こひしく・於ほえ・【給】へ八・こと乃・き
こゑ・あ里て・徒三に・あ多るとも・い可ゝは/(い可可は)・
勢んと・於ほし奈して・尓は可尓・まうて・
【給】へ里・うち三るより・め川らしく・うれ
しきに毛・ひと川・奈三多なら須そ・こ本
れる・すまい・【給】へる・さ満・い者ん可多奈く/く〈次頁〉、(56オ)
--------------------------------------
可ら免い多り・【所】乃・さ満・あ多り・ゑ尓・可き
堂らん・やうなる尓・堂け・あ免る・可き・
志王多して・いしの・はし・【松】の・者しら・
をろそ可なる毛乃可ら・めつら可尓・を可し・
【山】可川めきて・ゆるしいろの・き可ちなる・
あを尓ひ乃・可里きぬ・さしぬき・うち
や徒れ弖・こと佐ら尓・ゐ【中】ひ・毛て奈
し・【給】へるし毛・い三しうみる尓・ゑ万れ・
きよらなり・とり川可ひ・【給】へる・てうとも・
堂ゝ/(堂堂)・可里そ免尓・うちして・於満し【所】なと毛/な〈次頁〉、(56ウ)
--------------------------------------

 1時間の休憩時間を置いて、次は「『百人一首』を2種類の変体仮名で読む」という2つ目の講座になります。

 この時間は、『変体仮名でよむ 百人一首』(伊藤鉄也・吉村仁志 編、新典社、2025年5月)をテキストにして進んでいるものなので、今日はカルタの人物画がどのような性格のもので、どのようにして描かれたものであるのかということを、『探幽筆三十六歌仙』の実見を通して体験してもらいました。『探幽筆三十六歌仙』は画家の工房から出た資料なので、なかなか見られるものではありません。実際に見てもらい、その紙面などの実状をお話しました。
 直前の講座にも出席しておられた方も数人いらっしゃるので、その時よりも詳しい説明をプリントに沿ってしました。
 お話の内容は、「八人会蔵『探幽筆 三拾六哥仙』について」(『大阪明浄女子短期大学紀要 第8号』1994.3.10)(https://genjiito.sakura.ne.jp/t_ito/HTML/R2.3_ronkou/R2.3.1_MJ08kasen.html)に書いたことの要点をプリントにまとめて提示したので、相当詳しく歌仙絵の説明をしたことになります。興味を持ってくださった方が多かったようなので、またいつか、さらに具体的な歌仙絵の話をしようと思っています。

 テキストである『変体仮名でよむ 百人一首』に関しては、37文屋朝康から43権中納言敦忠までの歌仙絵と和歌の説明をしました。

 つい説明に時間をとったこともあり、配布したプリントにあった、自販機に『百人一首』の絵柄が描かれたものの紹介は、まったくできませんでした。これは次回にします。

 終わってからは、今日の宿がある日本橋馬喰町に移動しました。
 連日、慌ただしい日々が続いています。インフルエンザが流行し出した時期でもあり、しっかりとマスクをして街中を歩いています。




posted by genjiito at 23:59| Comment(0) | ■講座学習

2025年11月28日

オジャミを飛ばすゲームとベランダの花たちのこと

 今日のラジオ体操も第2でした。みなさんと一緒で、私もまだ慣れません。次の動作に移る時に一瞬動きが止まり、周りの方の手足の動きを確認します。それでも最後まで身体がついて行くので、学校で教えられた動きが刷り込まれているのでしょう。
 インドの人たちは「廻れ右」がどうしても出来ませんでした。日本の学校で育った人は、だれもが出来ることです。小さい時からの教えは、貴重な体験となることを実感しています。

 さて、おもしろかったゲームのことです。
 くじ引きで2人1組の相手を決めます。そして、タオルを両方で持って引っ張り、その上にオジャミを載せ、1、2、3で前に飛ばすゲームをしました。目の前には、得点を書いた紙を貼った箱があり、そこに入った点を競います。
 私は相手の方と相談をして、真上に投げ上げて放物線を描くやり方にチャレンジしました。惜しいところに落ちるだけで、1つも入りません。2巡目には、真っ直ぐ横に飛ばしました。それでも、1つも入りません。簡単なゲームほど、意外と思いに任せることが難しく、悪戦苦闘を強いられます。そこが楽しく、おもしろいのです。

 久しぶりに、ベランダで妻が大切に育てている花たちの様子を写しました。
 今はこんな感じです、という報告です。

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 この花のほとんどは、毎日お仏壇にお供えする仏花でもあります。一昨日、永平寺からいただいてきた仏壇用の小さなお茶碗に、湯気の立つお茶を入れているので、お花とお茶がセットで並んでいます。年末を控え、賑やかなお仏壇です。


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posted by genjiito at 21:06| Comment(0) | *福祉介護

2025年11月27日

宇治徳洲会病院とHONBAKO京都宇治と宇治市総合福祉会館へ

 慌ただしく宇治市の3箇所を飛び廻る1日でした。
 まず、宇治徳洲会病院へ行くために送迎バスを待っていたら、やってきたマイクロバスの運転手さんが、申し訳ないけれど今日は満員で乗れない、とのことでした。仕方がないので、歩いて病院へ行くことにしました。25分のウォーキングです。

 いつもの先生がお休みだったため、代診の先生の診察を2階で受けました。前回同様、早く診てもらえました。付き添いの私も、診察室で先生の質問に答えました。妻が背中に貼っているリバスチグミンテープのことは、まったくご存知ではないようでした。痒み止めの塗り薬がなくなるところです、と説明すると、それはこちらにはない薬なので京大病院でもらってほしい、とのことでした。この種類の点滴治療を、この病院ではほとんどしないためなのかな、と思いました。

 次は、1階の観察室でレカネマブ(レケンビ)の点滴を受けます。今日は前回と違って患者さんが少なかったので、ベッドはガラガラでした。私は、点滴が始まってから大部屋に入り、ベッドの横で読書と書類の確認をしていました。時々、前回と違って今日は静かでいいね、と妻とのんびり会話をする1時間でした。前回は、生きる死ぬの渦中に置かれたり、呻く方の横だったので、点滴を受けていても心が静まらない状況下だったのです。

 点滴が終わるとコンビニで食料を買い、カフェで飲み物をいただいて簡単なお昼ご飯です。この、お昼ご飯を食べるタイミングが難しいのです。
 帰ろうとした時、病院の南側に定食屋さんが半年前にオープンしていたことを知りました。まったく気付きませんでした。これから1年間は月に2回はこの病院に通うので、ここでの昼食も予定に入れましょう。

 病院から宇治市街に出て、JR宇治駅の前のシェア型書店HONBAKO京都宇治に立ち寄りました。ここは、私が毎月第1土曜日に、『源氏物語』の変体仮名を読む勉強会をしているところです。本が充実し、来店者も多かったので嬉しくなりました。新たに1冊、『めざせ110歳! 支え合い繋がりあって元気もりもり』(細井恵美子、文芸社、2020年6月)という本をいただきました。集会所で会う100歳のTさんのことをもっと知るために、読んでおこうと思った本です。読み終わったら、読書雑記に取り上げましょう。
 妻が、ここのスペースをお借りして、布製のブックカバー、バッグ、ブックポーチの手作り品を並べ、販売もすることになりました。収益は、さまざまなボランティア活動に生かされます。開催日は12月6日(土)、2月7日(土)の2日間です。どんなものが並びますか、お楽しみに。興味のある方は、お立ち寄りください。

 そこから歩いてすぐの、宇治市総合福祉会館へ行きました。過日、宇治市消費者相談センターに、近くの歯医者さんに私の歯の治療が放置されたままになっていることについて相談をしたところ、ここで開催される無料の法律相談を受けたら、ということで予約を入れていただいたので来ました。
 20分間という枠ながら、担当の弁護士さんから有益な情報をいただきました。今後の対応の参考になります。ありがとうございました。
 なお、くだんの歯医者さんには、10月29日に治療に関する私の質問の前半を記した書面を手渡しし、11月19日に後半を記した2通目の書面を渡しました。その日の本ブログで、その書面は公開した通りです。
 それから今日でほぼ1ヶ月が経ちます。歯医者さんからはいかなる回答も連絡もなく、無視を決め込んでおられます。無視をして逃げられるはずはないので、この音信不通の状態が1ヶ月も続いていることが理解できません。4箇所の治療は、中断や放置したままです。この歯科医院の院長の対応に、私は理解に苦しんでいます。
 ただし、1つだけ報告があります。それは、私の書面を院長が読まれているかどうか、ということに関して18日に歯医者さんに確認の電話をした後に、夕刻に院長から私の携帯に電話がありました。ただし、私が登録しているA歯科医院の電話番号ではなかったので、迷惑電話として留守電に入っていたことを、翌日の19日に、書面を受け付けに手渡ししてから後で気付きました。その伝言は、以下のものでした。私は常に事実を記すことにしているので、この件も追加情報としてここに報告します。
「もしもし、A歯科医院の院長のAですけれども、先ほどお電話いただいたようなので、折り返し電話をさせていただいたんですけれども、もしもし、今日は私●●の方に出勤なので、●●の方から電話させていただいています。失礼します。今日は私●●の方に出勤なので、●●の方から電話させていただいています。失礼します。」
 そして、この後に何も連絡も回答もないことが続いているのです。

 会館を出ると、小雨が降り出したところでした。小走りに道を隔てたバス停へと急ぎ、立命館宇治中学・高校前経由で近鉄大久保駅に行きました。ここには、先日来たワークマンやくら寿司や源氏の湯などがあります。しかし、すでに暗くなっていたので、駅前で揚げたてのコロッケをいただいて帰りました。小腹が空いた時に、こうしたコロッケやフライドポテトは、1日6回食の私にとっては最適なエネルギー補給となるのです。




posted by genjiito at 22:26| Comment(0) | *身辺雑記

2025年11月26日

雷雨に打たれながら一晩で温泉に5回入る

 芦原温泉は「弱アルカリ性」のさっぱりとしたお湯でした。リラックス効果が期待できます。
 折々にさまざまな泉質の温泉につかるのは、日本を旅する楽しみです。
 それにしても、雷鳴を頭上に聞きながら露天風呂に入ったのは初めてです。

 昨日は宿につくやいなや、取る物もとりあえず温泉に入りました。そして、食後に一風呂、寝る前にまた一風呂。この時は、ちょうど真夜中の午前零時直前だったので、風炉じまいの準備をなさっている時でした。
 今朝は、起き抜けに入り、さらに食後に入りました。
 一晩に5回も入ったことになります。いろいろな疾患を抱える身なので、いつも温泉地ではこんな調子で修業の一環として入っています。

 この前、この芦原温泉に来たのは15年も前のことになります。
 西国三十三所の満願の寺である華厳寺にお参りした翌日、2010年11月07日でした。今回は、6巡目で後2つを残すお軸と、始めたばかりの7巡目のお軸があります。しかし、その西国札所巡りの2本のお軸は持って来ていません。手元にある集印軸に、総本山である別格寺院の印を捺す場所がないのです。このことは、前回の永平寺に来た時の記事に、次のように書いた通りです。

 今回の西国三十三所の巡拝では、お軸に御詠歌を書いてもらっていました。しかし、どうしたことかスペースがいっぱいになっていて、永平寺の印を書いてもらう場所がありません。受付でそのことを相談しました。
 お二人のお坊さんが対応してくださいました。お軸を広げて見てもらいました。
 結局、もう一つ番外の印を書く空欄がない軸なので、今回は大本山永平寺の印はなしで、このままにしておくことになりました。表装が終わったら、箱書きに永平寺での結願のことを記すつもりです。(「西国三十三所(37)大本山永平寺で結願に」2010年11月07日、http://genjiito.sblo.jp/article/178934944.html

 その時のお軸は、こんな表装で仕上がり、今も仏事の時には仏壇の横に掛けています。

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 昨夜の芦原温泉では、雷と豪雨に見舞われました。今朝も、送迎バスで新幹線の芦原温泉駅に行くまでは降っていました。しかし、駅に着く頃には晴れていたので、気持ちよく京都に向かいました。

 京都では、永平寺で買った、秋田で今週末に行われる法事のお供えを、駅前の郵便局本局から送りました。永平寺の名前が入ったお菓子と和蝋燭の2つのお供えを、レターパックプラスに入れました。宅急便にしようと思っていたら、姉が600円のレターパックプラスを勧めてくれたのです。郵便はまじめに配達されないと思い込んでいるので、配送の選択肢に入っていなかったのです。秋田での法事は、月末の30日です。今日から5日もあるので、いくらなんでも間に合うことでしょう。




posted by genjiito at 23:07| Comment(0) | ・ブラリと

2025年11月25日

永平寺から芦原温泉へ慰霊の旅

 京都駅から特急サンダーバード号で敦賀駅へ。乗り換えて、新幹線で福井駅まで1駅。意外と近くて拍子抜けです。
 福井駅からは、永平寺ライナーというバスで30分ほど。ただし満席だったため、姉・妻・私は補助イスの最後の3席にラッキーにもかろうじて座れました。

 永平寺には何度も来ています。

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 境内では、苔と紅葉が森閑とした雰囲気を感じさせてくれました。
 寺内の廊下から見た紅葉は、絵になっています。

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 その廊下は、修業の厳しさを感じさせます。

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 今回は、今月初旬に亡くなった秋田の義兄と、その息子の13回忌が今週末にあるので、その供養に来たのです。我が家と妻の実家と義兄の実家は、共に曹洞宗で大本山は永平寺です。非常に珍しい偶然が重なっているのです。

 なお、1983年5月に68歳で亡くなった父と、2004年10月に84歳で亡くなった母は、共にこの永平寺に分骨しています。祠堂殿で、位牌を確認するために、当時住んでいた奈良県のエリアに行きました。ここには新しい位牌だけが並べられており、古いものは別のところに移されているようでした。

 宇治にある禅寺の興聖寺も道元ゆかりの寺なので、永平寺とよく似た伽藍配置です。しかし、やはりこの永平寺はスケールが違います。総本山にふさわしい風格もあります。

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 永平寺を下山する頃には、雨がきつくなっていました。
 お昼ご飯はバス停の横にある食堂で、地元の名物だというソースカツ丼のミニをいただきました。ゴマ豆腐も追加。
 永平寺のバス停から新幹線の芦原温泉駅までは1時間です。芦原温泉駅には、宿の送迎バスが来ていました。この頃にはすっかり雨も上がり、先ほどまでの大雨が何だったのか不思議な気持ちにさせられました。

 こうして慰霊の旅は、無事に目的を果たすことができました。
 明日は、何も予定を組んでいません。目覚めてから考えます。




posted by genjiito at 23:26| Comment(0) | *回想追憶

2025年11月24日

清張復読(83)「微笑の儀式」(『黒の様式』より)

 法医学の教授だった鳥沢博士は、退職後に奈良の旅を楽しんでいました。そこで、アーケイックス・マイル(古拙の笑い)に興味を持ちます。法隆寺の釈迦三尊、薬師如来、夢殿観音、安居院の飛鳥大仏などを。そして、同じことをテーマとする彫刻家に出会いました。
 微笑みと仰月形の唇が話題となって話は進展します。そして、奈良で出会った男が彫った展覧会での彫刻が、死者の顔から取ったデスマスクによるものではないか、という疑いへとつながります。
 さらに読者を振り回す巧みな曲折を経て、彫刻の顔とそっくりの女性の殺人事件の背後に、笑気ガスの存在が浮上します。
 この笑気ガスは、50年前に私が東京の西日暮里の駅前の歯医者さんで治療を受けていた頃に、笑気アマルガム法という苦痛を伴わない手法が流行っていたので、実感として理解できました。
 ただし、現在日本では、アマルガムは2016年4月に保険適用の対象から外され、以来ほとんど使用されていないそうです。「笑気アマルガム」に関して生成AI氏からの情報では、「歯科治療における「笑気吸入鎮静法」と、過去に使用されていた歯科材料である「アマルガム」という、2つの異なる要素を組み合わせたものと考えられます。」とあり、「意識が完全になくなることはなく、ふわふわとした心地よい気分になります。副作用が少なく安全性が高い」とか、「アマルガム除去処置の際に、患者の不安や緊張を和らげる目的で笑気吸入鎮静法が併用されることがあります。」ともあります。
 現在、私は地元の歯医者さんから酷い扱いを受けている最中なので、こうした手法が歯科治療で用いられていたことに興味が及びました。
 本作における、読者を終始惹きつけて離さない清張の語りは、読み終わってからしばらく放心状態にします。後の、『火の路』(『火の回路』)などの飛鳥を舞台とする古代史ミステリーにつながる作品です。【5】


初出誌:『週刊朝日』1967年4月〜6月

※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)では、本作について次のように言っています。
「古寺巡礼の法医学者が学術雑誌の報告と飛鳥仏を結ぶ「微笑」をキイワードに奇妙な殺人事件の謎を解く本格推理の秀作」(146頁)




posted by genjiito at 19:46| Comment(0) | □清張復読

2025年11月23日

ワークマンの衣類と公園の紅葉のこと

 先日、法隆寺からの帰りに、電車の乗り換えの途中で、ワークマンプラス宇治大久保店に立ち寄りました。そして、冬物で蓄熱効果の高い衣料を、妻と私の分を9点も買いました。
 これまでは、ユニクロの製品を愛用していました。それが、先月あたりから今話題のワークマンやワークマン女子の製品にくら替えしているのです。蓄熱機能の向上と、一般医療機器扱いのメディヒールと命名された衣料が数多く発表されていたからです。

 部屋着と夜用は、ほぼワークマンに移行しています。靴下も靴もワークマンを履くようになりました。ウインドブレーカーも追加で買いました。後は帽子だけがワークマンではありません。一応、これまで被っていたブランド物がいくつかあり、買い替える必要がないためです。

 ということで、外出着以外は様変わりです。ただし、京都駅南側のイオンの中のワークマンでは、ほしいものはほとんど売り切れです。大人気なのです。宇治大久保店も欠品が多いものの、それでも郊外ということで品数が多く、いくつかは手に入ったのです。

 暖まる衣類と疲労回復をサポートする衣料は、部屋の暖房の観点からも大幅な節電になります。エアコンとガスストーブと電気ストーブは、出番が激減です。そして何よりも、価格が格段に安い、ということも生活の助けになります。

 ところが、先日買った蓄熱裏起毛で「+7℃」という触れ込みの衣類が、開封するとすぐに2箇所に小さな穴が空いていることに気付きました。私がタグを外す時に間違って切ったのではなく、畳み込まれていた裾の方に穴が見つかったのです。歯車に挟まれた時に出来るような穴です。
 すぐにお店に電話をして状況を伝えると、商品と領収書を持って行けば返品に応じてもらえることになりました。何かと多忙ですぐに行けないことを了承してもらい、3日後になる今日、電車で行きました。

 最初は、開封している状態では返品に応じられない、とおっしゃいました。しかし、折り畳まれた服の中に穴があるので、開封して拡げて初めて穴が空いていることがわかる、ということを説明し、納得していただいた上で返金手続となりました。そして、同じ物をいただいて来ました。

 去年の秋に、ユニクロでとんでもない対応をされたことを思い出しました。
 あの時は、領収書と共に大きさが普通ではなかった商品を持参しました。しかし、商品に販売用のタグが付いていないので交換はできない、と突っぱねられました

 その対応の酷さは、あの日の以下のブログに報告した通りです。
「ユニクロの返品交換の方針は一般的なのでしょうか?」(2024年09月07日、http://genjiito.sblo.jp/article/191051790.html
 そこでも書いたように、「領収書とユニクロのアプリの購入履歴の記録があっても、それではレジでバーコードでの処理ができないので商品の交換はできない、と冷たく断られたのです。」ということでした。「レジでバーコードでの処理」が最優先であり、サイズがとてつもなく大きなMであり、購入者が困る事態であっても、「タグ」のないものは交換してもらえない、という論理なのです。領収書には何の効力もなかったのです。納得できないままに、「タグありき」が会社の方針なので領収書ではダメだといわれたら、後は引き下がるしかありません。

 「バーコードのタグの有無がすべて」というユニクロでの苦い経験があるので、今回はタグも持っていきました。しかし、領収書だけで返金・交換してもらえました。やはりこれが社会の常識だと、あらためて確信しました。

 返品・交換してもらってから、また数点の衣類を買いました。とにかく安いので、いろいろと試してから、よければあらためて買う、という対処ができるのです。

 帰りに、駅から直線で700メートルにも延びる公園の中を散策し、色付いた紅葉を堪能しました。
 公園に入るとすぐに、背の高い紅葉を見上げます。

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 500メートルほど歩くと、まさに深山路であざやかな紅葉に出会った気持ちになりました。

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 公園を抜けて公道に出ると、西の空は夕焼けになろうとしているところでした。

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 自然の中で、二季と言われながらも季節を感じながらの日々を送っています。




posted by genjiito at 22:53| Comment(0) | *身辺雑記

2025年11月22日

キャンパスプラザ京都で相愛大学本『源氏物語 帚木(断簡)』を読む(第3回)

 入口のロビーには、いつものように勉強会の掲示が出ていました。

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 本日の最初は、京都新聞に掲載されていた2つの情報の確認からです。

(1)今日から24日までの3日間、三十三間堂が夜間特別拝観として、お堂の東側の障子をすべて外して、庭園から堂内の1001体の千手観音菩薩像が一望できるライトアップがなされます。庭園から夜間に堂内を拝観できるのは、今回が初めてだそうです。まさに極楽浄土を体現できるのです(京都新聞、2025年11月22日)。

(2)伊藤園の自動販売機が、『百人一首』のイラストをパネルにまとったバージョンを公開しました(京都新聞、2025年11月20日)。これは、京都の観光客の分散の一環での取り組みだそうです。記事によると、京都駅には2台を設置した、とあります。キャンパスプラザ京都へ行く途中で案内所の方に聞くと、いろいろと調べてもらった結果、新幹線の改札の中に2台とも置かれていることがわかりました。一般の人は、入場券がないと見ることも利用もできない場所なのです。観光客の分散には貢献しない場所なので、何か事情があるのでしょうか。なお、新聞記事は署名入りでした。この記者は、改札内の現場に足を運ばれたのでしょうか。もし新幹線の改札内に入って自販機を確認しておられたら、設置場所が改札内であることを書き添えられたはずです。この記事の文面では、京都駅周辺を探し回る人がたくさん出て来ることが予想されるからです。想像するに、記者は情報だけでこの記事を書かれたようです。間違っていたらすみません。

 帰りに、東本願寺の境内の休憩所に設置されていた自動販売機の写真を撮りました。これは、マンガ『ちはやふる』の絵を配したものです。

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 次に、街中の変体仮名として、「鎌倉大仏裏の与謝野晶子の歌碑」「熱海の坪内逍遥の歌碑」「法隆寺前の店先の〈安来奈伊【中】〉」の3例を取り上げました。いずれも本ブログに書いた情報なので、ここでは省略します。

 本日のメインである相愛大学本「帚木(断簡)」の「変体仮名翻字版」の翻字について、今回は第5丁裏から第7丁裏までの確認をしました。
 写し間違いと思われる例がたくさん確認できました。これは、未整理の写本を手元に置き、内容の確認もなく大急ぎで書写したためだと思われます。

・堂さう/\し/〈ママ、諸本くちをし〉(5ウ L3)
・あへ可/可±め、〈ママ、諸本あへかめる〉(6オ L2)
・やさか尓/〈ママ、諸本けさやかに〉(6オ L3)
・あとや本能なり/〈ママ、諸本あけほのなり〉(6オ L4)
・ゝこの志那ゝ奈可/〈ママ、諸本なかのしなかな〉(6ウ L3)
・者む多し可らす/〈ママ、諸本よろしう〉(7オ L10)
・れい尓てなむ/〈ママ、諸本たといにて〉(7ウ L3)

 その最たるものが、次の6丁裏の4行目から7行目の箇所です。異文混入や独自異文が、文節番号[4751]から[4752]の間で確認できるのです。

251121_相愛「帚木」6uL4〜7朱入.jpg

「【人】の・いひし・ことの者ゝ/(ことの者者)・け尓と・おほ志あ者
せられて・にしおもての/以下あ介川るマデ4665〜4668混入・かうし・いそき・あ介川
る・け者ゐも/以下ゆ可しかり介りマデ独自異文・さる可多尓・ゆ可しかり介り・
この・ころ八・との尓の三・於者す・なを・可能【人】」
↑↓
「人の言ひしことは、げにと思しあはせられけり。
このほどは大殿にのみおはします。」(『新編日本古典文学全集(1)』105頁)


 このような本文が伝わっていることの意味について、私見としては、物語の本文が確定しない時の草稿の状態の写本の片鱗が、こうした形で伝わっていると思っています。この相愛大学の「帚木」は、『男源氏の物語』と『女源氏の物語』の本文が合流していく段階の、流動していた段階の姿がかいま見える状態の残存だと見ています。まだ思いつきの私見ですが。
 かつて、田中重太郎先生は、次のように言われました。

 ところで、源氏物語の本文でも定家の証本がいま定本視されているが、いわゆる別本系の本文と読みくらべると、いまの源氏物語の本文は、なんだかばかに整頓され、みがかれ過ぎた感じがする。架蔵の鎌倉初期書写の源氏物語断簡(昭和三十九年十月刊)を読みかえしていると、こんな本文の源氏物語がすくなくとも平安末期にはあって、読まれていたのだと思い、いま行われている源氏物語の本文と読みあわせると、そらおそろしい気がして来る。(清少納言と「ほのかなり」と『平安文学研究』第四十二輯、昭和四十四年六月号、『枕草子三十五年』再掲))

 なお、5丁裏から6丁表にかけて、2丁(4頁)分の落丁があります。
 現行5丁裏の最終文字は、『源氏物語別本集成』で設定した文節番号でいうと[4493]です。そして、落丁後の現行6丁表の最初の文字は、『源氏物語別本集成』で設定した文節番号でいうと[4677]です。つまり、この落丁部分は、文節数でいうと、184文節分が脱落していることになります。この文節数は、底本にしている陽明文庫本の本文を単位とするものです。つまり、5丁裏には42文節が書写されており、6丁表には57文節が書写されているので、陽明文庫本で換算しておおよそ2丁(4頁)分の本文が欠脱していることになるのです。

 相愛大学本「帚木」は、いろいろな問題を内包する本文を伝える写本です。今後とも、慎重に翻字を続けていくつもりです。
 本日確認した「変体仮名翻字版」の翻字は、次の通りです。


■相愛大学本「帚木(断簡)」(今回:第5丁裏〜第7丁裏まで)
[変体仮名翻字版] (翻字:辻 義孝/補訂:伊藤鉄也)
   ・翻字データの中にある付加情報(/)の記号について
     傍書(=)、 ミセケチ($)、 ナゾリ(&)、
     補入記号有(+)、補入記号無(±)、 和歌の始発部( 「 )・末尾( 」 )、
     底本陽明文庫本の語句が当該本にない場合(ナシ) 、 翻字不可・不明(△)

--------------------------------------[4452]
なく・さま・いと・あ者れけ奈り・あ奈可
ち尓【心】くるしう八あらねと・ナシ・みさら
ましか者・堂さう/\しからましと/堂さう/\し〈ママ、諸本くちをし〉(堂さうさうしからましと)・於ほ寿・
なくさ免可多う・ナシ・於もへれ者/△&者・なと・可う・うとま
しき・【物】尓八・於ほすへき・於もむき・さ満なる
於こそ・ちきり・ありと八・於もひ奈い・【給】ら免・
むけ尓・よ越・志らぬ・けしきに・於ほされ
堂る・介しきなん・いと・川らきこと・うら
みられて・いと・かう・うき・三能・本との・さ
堂まらぬ・ありしな可らにて・ナシ・かゝる/(かかる)・【御】/以下落丁、(5ウ)
--------------------------------------[4493]
二丁脱落
 4677-4493=184文節
  (5ウ)1丁42文節×4丁=168文節
  (6オ)1丁57文節×4丁=228文節
--------------------------------------[4677]
ほとに/〈ママ、諸本ほのかに〉・みへ・【給】へ累・ナシ・ナシ・み尓・しむ者可り尓・於
もふ川る・すき【心】ともゝ/(すき【心】ともも)・あへ可/可±め、(あへ可め)、〈ママ、諸本あへかめる〉・【月】八・あり
あ介尓て・ナシ・ナシ・かけ・をさまれる【物】可らか本やさか
尓/(やさか尓〈ママ、諸本けさやかに〉)・【見】えて・奈可/\/(奈可奈可)・お可しき・あとや本能なり/〈ママ、諸本あけほのなり〉・奈
に【心】毛那く・そらの・けしきも・堂ゝ/(堂堂)・みる・ひと
可らとの三・ナシ・ゑん尓も・ナシ・【見】ゆるなりけり・【人】志れぬ・
【御心】尓八・いと・むねい多く・ナシ・ナシ・ナシ・かへりみ可ち尓て・いて・
【給】て・との尓・可へり・お八して毛・とみ尓・万とろま
れ・【給】者す・【又】・あひみるへき・可多・なきを・あ
者れ尓・この・【人】の・於もふらんこと八まして・ナシ・ナシ・い可ならんと/と〈丁末左〉、(6オ)
--------------------------------------
【心】く累しう・於ほしやる・ナシ・すくれ多る・ことは・
な介れと・免やすくも/△&免・・みえ川る可那・ゝ
この/こ〈ママ、諸本か〉(那この)・志那ゝ奈可/〈ママ、諸本しなかな〉、(志那那奈可)・くま那う・みあ川むる・
【人】の・いひし・ことの者ゝ/(ことの者者)・け尓と・おほ志あ者
せられて・にしおもての/以下あ介川るマデ4665〜4668混入・かうし・いそき・あ介川
る・け者ゐも/以下ゆ可しかり介りマデ独自異文・さる可多尓・ゆ可しかり介り・
この・ころ八・との尓の三・於者す・なを・可能【人】
の・うち多へて・ナシ・ナシ・於もふらん・こと・【御心】尓・かゝりて/(かかりて)・
くるしきを・おほしわひて・きの可み越・め
し多り・可能・ありし・とう【中納言】・こゝに/(ここに)、(6ウ)
--------------------------------------
ゑさせよ・らうたけ尓・みへしお・み尓・ち可う・
川可ふ・ひと二・せん・うへ尓もわれ・多てまつらん
と・乃【給】へ八・いと・可しこき・於ほせ【事】尓・者へり・
か能あねなる・【人】尓・いひ者へらんと・【申】尓も・
むね川ふれ【給】へと・ナシ・川れ那くて・そ乃・
あねき三八・あそこの・おとゝや/(あととや)・毛堂れ多
る・さ毛・者へらす・この・【二三】ねんこそ・かくて・毛の
し・者へれ・をやの・於きて尓・あらすと・ナシ・古ゝろ
ゆ可ぬ/(古古ろゆ可ぬ)・やう尓なん・きゝ/(きき)・堂まふすと・きこ
ゆれ八・あ者れの・ことや・者む多し可らす/〈ママ、諸本よろしう〉・きこゆる/こ〈次頁〉、(7オ)
--------------------------------------
【人】そかし・まことに・よしやと・の多ま者す
れ八・ことも・なく・者へるへし・いと・もて者那れ・う
と/\しう/(うとうとしう)・者へれ八・【世】・れい尓てなむ/〈ママ、諸本たといにて〉・む川ひ・
者へらぬと・きこゆ・佐てかのこきみは/△&佐・
【五六】・者可りありて・ナシ・ナシ・ゐて・まいれり・こまや
か尓・お可しきこと八・奈介れと・な万めき・
ナシ・あてなる【人】と・みえ多り・めしいれて・いと・な
川可しう・可多らひ・【給】へ八・わら八【心】ち尓・ナシ・
いとうれしと・於もふ・あねき三能・ナシ・【御】ことの・
いとく八しう・とひ・【給】へ八わら八【心】ち尓・さるへき布し/\八いくゑ/へ〈次頁〉、(布し布し八いくゑ)、(7ウ)
--------------------------------------




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2025年11月21日

動物園にいる動物の名前でビンゴゲーム

 今日の集会所では、いつものようにラジオ体操から始まりました。ただし、第2体操だったので、みなさん手足がバラバラで、戸惑いながらの体操でした。
 キッチリとしなくてもいいものの、いつか正式な動き方を覚えておく必要がありそうです。

 その後は、名前を書き出してのビンゴゲームです。今日のお題は、「動物園にいる動物の名前」を書き出すことでした。5×5マスで、計25個の名前を思いつくままに列記していきます。魚などの水族館にいるものはダメだとのことでした。

 ややこしいものとしては、ミミズ・メダカ・リュウが囁かれていました。いずれもダメでした。

 私は、20個は何とか絞り出したものの、あと5つが思い出せません。みなさんの答えを聞いていると、ああそうか、と思うものが次々と出て来ます。頭の中をフル回転して思い出そうとしても、なかなか出てこないのです。脳トレとして、簡単そうで難しい部類に属する問いかけであることを、あらためて知りました。

 帰りに、100歳のTさんが、今日はドラッグストアで買い物をするとおっしゃいます。一人で買い物に行くことを、殊の外楽しみにしておられます。気を使って付いて行くことは、しないようにしています。我が家の前を通って行くとのことで、いつもよりも一本手前の角を曲がりました。ご一緒の2人も付いて来られました。
 日に日に、帰り道のパターンが変化しだしました。これも脳トレです。
 Tさんは、牛乳よりもヨーグルトが大好きだとのこと。今日もヨーグルトを買うことを楽しみにしておられました。お仲間2人と共に喋りながら、Tさんは手押し車を押しながら率先して歩いて行かれます。見送りながら後ろから見ていると、背筋が伸びているのはTさんの方です。年の差は30歳。こうして、元気の秘訣を日々学んでいます。




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2025年11月20日

古都散策(75)京都駅から思いつくままに法隆寺へ

 来週、我が家と妻の実家の総本山である永平寺へ、日々の報告を兼ねてお参りに行きます。芦屋にいる姉も一緒に行ってくれるということなので、いろいろな手配を頼みました。切符も姉が先に取ったので、それに合わせて我々も京都駅のみどりの窓口で、相談を持ちかけながら手配を済ませました。無事に姉が取ったすぐ横の席が確保できました。

 帰ろうとした時に突然、かつて子どもたちを連れてよく行った、斑鳩の法隆寺へ行こうということになりました。我々が住んでいた平群町から、斑鳩町は隣町だったのです。自転車で行ったこともありました。

 JR法隆寺駅から法隆寺までは、歩いて20分です。お寺の南に延びる松並木が、法隆寺に来たことを実感させます。

251120_法隆寺松並木.jpg

 今日は、全国からの小学校の修学旅行がラッシュで、いくつかの食堂は満員です。30校はあったでしょうか。そんな中で、こんなお店を見かけました。

251120_安来奈伊中.jpg

 まず、「夫婦で やってます!! 急がせる方 ご遠慮 下さい!!」という貼り紙に目が留まりました。
 そして、変体仮名で書かれた「安来奈伊中」(あきないちゅう)の表示。この文字列は初めて見るものです。「来」は「來」ではないようです。

 南大門から入って五重の塔を見上げると、まずは小学生の団体の黄色い帽子が見えます。こうしたグループが、境内にひしめき合っています。

251120_小学生の団体.jpg


 妻が大好きな平山郁夫の石碑越しに、あまりにも有名な五重の塔を望みます。

251120_五重の塔.jpg


 かつては、子どもを連れて来ると自由に境内を走り回らせました。私は、このあたりで本を読み、子どもたちは、修学旅行の生徒さんたちがくれるお菓子をもらって大喜びでした。楽しかった子育て時代の話です。

 法隆寺の西院伽藍の西には、私が大好きな西円堂が石段の上にあります。国宝です。

251120_西円堂.jpg

 ただし、ほとんどの人はここまで足を延ばしません。西円堂は峰薬師をお祀りしています。私はその右横で東向きに立つ千手観音が大好きです。

 ここに来ると、今から18年前に写した、紅葉をお母さんに見せ合う二人の男の子の写真を思い浮かべます。探し出したのでアップします。

251120_男の子と紅葉.jpg


 夢殿と中宮寺を訪れてから、その北に立つ法輪寺と発起寺の塔を見るつもりでした。しかし、のんびりと歩いていたこともあり、少し身体が疲れたので帰ることにしました。意外と近かったので、また来ることにします。
 今日の歩数は18,806歩でした。疲れたはずです。ゆっくりと休みます。




posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ・古都散策

2025年11月19日

歯医者さんで医療の名のもとに行われている治療放置について考える(後編)

 今月11月12日に、「歯医者さんで医療の名のもとに行われた暴行について考える(前編)」(http://genjiito.sblo.jp/article/191542861.html)という記事を、本ブログで報告として書きました。そこでは、冒頭に「医療の名のもとに行われた暴行と治療の放置について、2回にわたって報告します。」と記しました。それを受けて、本日は2回目としての「後編」をまとめて報告します。

 先月10月29日に、私が通っている歯医者さんに手渡しした書面のことは、その後2週間経った11月12日の本ブログの「前編」の記事で報告した通りです。そして、その日には2つ目の書面を、同じように歯医者さんに持参しました。
 それから1週間が経ち、今日は11月19日です。1つ目の書面からは3週間になります。私の治療に関する疑問と質問に対して、いまだに、何の連絡も回答もありません。そのため、以下に1週間前に手渡しした2つ目の書面を引いて、この件に関するご教示をいただこうと思っています。

 なお、2つ目の書面を手渡ししても何の反応もないので、昨日から関連するさまざまな組織に、この事案に関しての相談をしました。参考までに、私が教えを請うた組織とその内容をメモとして列記します。各機関の方は、懇切丁寧に説明や解決に向けての手順を教えてくださいました。ありがとうございました。

(1)宇治市消費者相談センター
   (弁護士による無料相談会の予約完了)
(2)宇治市社会福祉協議会
   (簡易裁判所への調停申立の説明)
(3)妻が通う歯科医院
   (相談と診療を引き受けるかは明日連絡あり)
(4)医療ホット安心相談
   (歯科医師会を紹介)
(5)京都府歯科医師会
   (A歯科医院に対して私からの書面を見たかどうか確認の助言)
(6)A歯科医院
   (書面を受け渡しされた方は院長が見て対処を思案中と)
   (院長の返答なしには私が予約を入れられない状況は理解)
(7)京都弁護士会
   (連絡は無料相談会の後にと保留)

 淀みなく、私の疑問点はバトンリレーをするかのようにつながりました。
 こうしたことを踏まえて、以下に掲示する2つ目の院長に対する問い合わせをご覧になると、問題点がどのように対処されていく問題なのかが見通せるかと思います。
 ただし、個人が特定される語句などは、今回も適宜アルファベットなどに置き換えています。


--------------------------------------

「約束の半年が経っても治療に着手してもらえないこと」

 過日、私の歯の治療に関して、疑問点を記した書面をお渡ししてから2週間が経ちました。何も回答がないので、用意していた2つ目となる口内の下部に装着する装具に関する疑問点を記してお届けします。

 まずは、現在、店晒しにされている問題を列記し、整理してから始めます。

(1)10月23日に入れていただいた7本分の差し歯のその後の調整が1度もなされていない
(2)3本の部分入れ歯の掛け金が10月23日に無断で切断された理由が不明
(3)6ヶ月待つようにと言われた下の装具は8ヶ月経った今も放置されている
(4)8月18日にあると思っていた下の犬歯の治療はもう終わっているのか
(5)10月30日に予約していたことを履行するためにも質問の回答を待っている
(6)依然として「インフォームド・コンセント」がまったくなされていない

 以上の6点が、放置されたままに日時が経過しています。もう少し問題点を明確にします。

(1)の新しく入った差し歯については、その後の経過を先生はご覧にならなくてもいいのでしょうか。入れっ放しで見もしない、というのは治療ではないと思われます。
(2)の無残にもループ状の掛け金を切り取られた部分入れ歯は、貼っておけばいいという指示がアシスタントの方にあっただけで、私には何の説明もありません。私の独断でアース製薬の「ポリグリップパウダー」や、シオノギの「タッチコレクト」を買ってきてその場凌ぎをしています。しかし、所詮掛け金で固定されていたものを貼り付けるだけになったので、数時間後にはポロリと外れて噛んでしまいます。ガリッと噛むので、結構痛い思いをしています。これは、どうすればいいのでしょうか。
(3)下の装具のことは、以下に詳細に記します。
(4)若い先生がなさっていた下の犬歯の治療について、私は8月に引き続き治療があると思っていました。勘違いなのでしょうか。
(5)以上のことを少しでも前に進めるためにも、私の質問に対する先生の回答をいただかないと、何をされるかわからない状況では、不安で診察を受けに行くことができません。
(6)医療の基本である「インフォームド・コンセント」(説明と同意)をお待ちしています。

 さて、2通目の問い合わせの本題です。上記の、「(3)6ヶ月待つようにと言われた下の装具は8ヶ月経った今も放置されている」ことについて、お伺いします。

 貴院で一昨年、別の若い先生に作成していただいた装具のピンが、本年正月に折れました。その月末に診てもらい、作り直すことになりました。担当は新しい若い先生でした。
 2月に出来上がりました。しかし、歯科医療のことは何も知らない私にもわかるほどの、明らかな失敗作でした。一生懸命削って調整なさる若い先生に、失礼ながら、削って直せるものではないので作り直してはどうでしょうか、という提案をしました。患者である私が言うほどですから、いかに酷いものだったかが想像できると思います。

 さらに、前回のものは私にピッタリのものだったのに、どうしてこんなにお粗末なものだったのかを尋ねると、技工所が変わったとのことでした。それでは別の技工所にしたら、と言うと、それができないとのことでした。その意味が、私にはよくわからないままです。医院の経営上のことが内在しているのだろうと思い、それ以上は聞きませんでした。

 不出来なものをいくら削っても埒があかないことに思い至られた若い先生は、私が何度も言うこともあってか、ようやく作り直しを決断なさいました。

 2つ目の仮歯を作る時に、技工所の方も来られ、診察台の横で見ておられました。その方とは帰りがけに待合室で出会ったので、少し立ち話をしました。なぜあんなに合わないものを納品されたのか、ということを。その若い方は、いろいろと難しいことが多くて、と素直に戸惑いを漏らしておられました。素人さんらしかったので、実際に作る方ではないのかな、と思いながらも、なぜこの方が治療の現場に立ち会われたのか不審に思いました。

 3月に入り、2つ目が出来上がりました。しかし、これも装着感が悪く、また若い先生は調整のために削る作業が始まりました。噛み合わせはいいとのことです。しかし、ポコポコ外れやすく、締めつけ感も強いので、何とかならないかと苦痛を訴えました。とにかく、これで様子を見ましょうということになり、不承不承帰ることになりました。

 やはりこの装具は私には合わないので、次の調整日にまた削り始められた若い先生に、また作り直しては、と私から提案しました。患者側からこんなことを言うのはどうかと思いながら、合わないものは合わないと言うべきだとの思いが強くなっていたからです。診察台に横たわりながらこんなことを言うのは、なかなか勇気がいることでした。

 すると、先生からは、もう一度作り直すことは出来ないことになっている、という返答がありました。私は、この合わないもので諦めろということですか、と聞くと、半年間は作り直しが出来ないことになっている、と言われるだけでした。
 噛み合わせは問題ないので、このままこれを使ってみてほしい、と仰います。何か事情があるのだろうな、と思いながら、不本意ながら、とにかく使ってみようとその場は引き下がりました。
 そして、今こうして使っているのが、こうした経緯があって作られた、私にとっては非常に使い心地の悪いものです。半年間、我慢しようと腹を括って使っていたものです。

 このやりとりは、カルテにはどのように記述されているのか知りたいものです。患者は、カルテを見たり、書かれていることの説明を聞くことはできないのでしょうか。また、院長には、こうした経緯がどのように伝わっていたのでしょうか。

 使い心地の頗る悪い2つ目の装具について、どんな不都合があるのかを整理します。

(1)ポロポロと外れることは、8月18日の私から特に依頼した院長の診察の折に、ピンを締めて調整することで解消しました。しかし、代わりに、内向きに引き付けられる力が強まったことで、2時間も装着していると口が怠くなります。下の歯茎全体が熱を帯びてきます。そのために、外してストレスを和らげてから、再度装着せざるを得ません。これまでもそうでした。それが、8月18日を境にして、さらに酷くなりました。
(2)1日6回食の私は、食べる前に装着し、食べ終わってから外すことを繰り返しています。そうしないと、口が怠くなるのです。顎が熱を帯びてくるのです。食事の回数が多いので、けっこう手間であり面倒です。
(3)毎週1回、1講座90分の社会人講座を受け持っています。千代田区立日比谷図書文化館では2講座あり、その間に60分の休憩時間があるので、装置を外してしばらく口を休めないと、2講座目では口がもつれます。ただし、受講生の質問などに対応するために、トイレなどに駆け込んで装具を外して少しだけ口を休めることが多いのが常態化しています。もう一つの大阪府立中之島図書館での2講座では、休憩時間は30分です。これも、大急ぎで別室で口を休めています。京都駅前のキャンパスプラザ京都(京都市大学のまち交流センター)での講座と、宇治駅前のシェア型書店HONBAKO京都宇治での講座は、共に1講座だけなので、口休めの時間を確保することはありません。ただし、装着感が悪く不快なので、いつも疲労が溜まっています。
(4)下の装具の左側には、食べたものが溜まります。食後に装具を外す時に、この食べかすをきれいに取り除きます。
(5)下の右奥の歯茎が痛いので、外す時にはマッサージをしています。
(6)下右の犬歯は、噛みしめた瞬間にピッと反応し、違和感がある時があります。ここは、虫歯を治すということでした。これは、もう治療済みなのでしょうか。それとも、途中なのでしょうか。8月18日には、その治療があると思って行ったことも1つとしてあったので、それがないままに今に至っているのでお尋ねする次第です。

 異物を装着しているので、快適であるはずはありません。噛み合わせに問題はないと仰います。しかし、昨年までは、こうした不快な感触はありませんでした。今は、この完成度の低いものを付けていることに起因することだ、と思わずにはいられません。
 相当、自分の感情を抑えて、上記の状況を記していることを推察願います。

 なお、そんなに不自由な思いをしているのであれば、なぜ歯医者を変えなかったのか、と問われることでしょう。しかし、後述するように、私はO大学の卒業生であることを標榜しておられる院長の評価を下げたくない、という個人的な思いがあったので、通い続けました。

 さらに、治療の経過について書き続けます。

 半年後であれば作り直すことが可能だ、という期日が近づいた8月中旬に、これまでの若い先生ではなくて、院長から直接、作り直すことになる新たな装具について説明を受けようと思い、予約を入れました。それが、8月18日です。ところが、行ってみるとカウンセリングルームではなくて、診察台に上がっての話となったです。これまで、いろいろな歯科医院で、別室で説明を受けたり相談をして来たので、これは意外でした。
 そして、作り直しのことは、予想だにしなかった、まったく違う流れで推移しました。パカパカ外れる対処は締め直すことで対処されました。そして、お約束だった3回目の造り直しのことは話題にもされず、前回記した通り、驚くべき展開となったのです。

 なお、私がA歯科に誠意のなさを痛感したのは、2つ目の装具も合わないものだったのもかかわらず、その現状も確認することなく、若い先生に任せきりで、半年間は同じ箇所の装具は作れないことになっている、と伝えられた時です。しかも、その方針は、院長ではなくて若い先生から伝えられました。これは、医療の放棄だと思いました。
 その後、アシスタントの方に、半年間は3つ目の物は作ってもらえないのですか、と聞くと、口籠もりながら、小さな声でそうですと答えておられました。このアシスタントの方は、半年間もの間、患者に不便な思いをさせることに判然としない思いを持っておられることを、そうした何気ない応答の中に感じました。

 半年間は何もしないという方針を知り、普通は別の歯医者さんに行くと思います。しかし、私は行きませんでした。それには理由があります。
 受付のカウンターの上に、O大学歯学部同窓のプレートが誇らしげに置かれていたからです。その金色のプレートには、「O大学歯学部 同窓会々員」と刻まれています。

251111_O大歯学部.jpg

 私は、O大学の先生と共同研究をした数年間、池田にあるキャンパスに足繁く通いました。また、大学院の博士後期課程で勉強し、博士(文学)の学位は恩師からいただきました。その後、2年間は招へい教授として箕面キャンパス(旧 大阪外国語大学)に研究室を与えられ、科研費の研究に取り組みました。
 O大学は、私にとっては非常に大切にしている研究機関です。そこを卒業して歯医者になられた先生の評価を、私が転院することで落としたくない、という思いが強くあるのです。
 今、私は毎週2回、ボランティアとして地域の集会所で介護と福祉のお手伝いで参加しています。当然、このA医院に通っておられる方が数人いらっしゃいます。私がここに引っ越しをして来てこのA歯医医院に来たのは、親しく接している100歳のTさんが薦めてくださったからです。あの、小さな部分装具の留め金を切断された日も、同じボランティアで参加しておられるKさんと、受付の前で出会いました。
 私がこの歯科に見切りをつけて転院すると、この歯科が良くないことがみなさんに自ずと伝わります。それは、ひいてはO大学の評価を下げることになります。
 そんな理由で、私はジッと我慢して通院を続けました。しかし、このまま治療の放置が続くようであれば、もう決断すべき時なのかもしれません。
 今は、この私の口の中の現状をどうなさるおつもりなのか、1日も早く知りたいと思っています。

 蛇足ながら、貴歯科医院に関して追記します。
 私の妻も、この歯科で治療を受けていました。過去形なのは、酷い目にあったために駅前の歯医者さんに転院したからです。その理由は、予約時間に少し遅れた時、受付の方に手厳しい叱責を受けたからだそうです。しかも、何人もの患者さんが待つ受付前での出来事だったので、恥ずかしくていたたまれない思いをし、その日を限りに行かなくなり、すぐに駅前の歯医者さんに転院したのです。突然やって来た妻に、その駅前の歯医者さんは理由を教えてもらえないか、と問われ、妻はありのままに酷い対応をされたことを伝えたそうです。その、手厳しい叱責を受けた日と受付の方のことは、妻のカルテの最終診察日を見ればわかります。そんなことがあったにも関わらず、私はO大学の評価を下げないためにも、この歯科医院に通い続けました。今も、貴歯科医院のことではなくて、大学の評価が下がること、O大学の先生は問題がある、と風評が拡がることを避けたい思いが強いことを、ここに明記しておきます。
 なお、要らぬお節介ながら、受け付けは患者と直接接する窓口なので、その対応には気配りが必要です。その点から言えば、私も3回に1回は、受け付けの方の対応にムカッとします。日本語の再教育と、接客マナーの向上は、他人事ながら再検討されるべきかと愚考します。
 また、10月23日に7本の差し歯の料金をお支払いしました。あらかじめ、クレジットカードは使えないことと、料金は35,000円以内だとの説明を受けました。銀行に行き、その金額を下ろして行きました。しかし、窓口では前回と金額が変わり、17,250円だとのことでした。計算間違いだった、とのことです。歯医者さんの前にあったATMがなくなっているので、少し離れた銀行に行って下ろして来ました。普通は、すみませんでした、の一言があってしかるべきかと思います。しかし、そうした言葉は何もなく、淡々とお金の受け渡しをしました。金銭に関して無頓着なのだな、と思いました。

 前回の書面を手渡ししてから2週間が経ちました。この間に何も回答や連絡がないので、本日の私のブログに前回の書面をそのまま公開します。今、私は何をどうすべきなのかを、広くアドバイスをもらうためです。
 この書面に対しても、速やかに回答を記していただきたいと思います。そして、放置されている冒頭に掲載した6項目に関して、説明をよろしくお願いします。
 私が、こうした不自由な日々を強いられていることから、一日も早く開放していただきたいと願っています。
                                 以上
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2025年11月18日

[その3]集会所で卓球バレーを楽しんた後は賑やかに帰る

 今日は、ラジオ体操の後は、卓球バレーをしました。今回が5回目です。

 過去の記事では、「集会所で卓球バレーを楽しむ」(2025年01月14日、http://genjiito.sblo.jp/article/191212337.html)に、そのゲームのルールなどの詳しいことを書いています。

 来たピンポン玉を、細長い板で打ち返します。単純です。しかし、それがかえって楽しめるのです。
 100歳のTさんは、誰よりも強く球を打ち返しておられました。本気モードでした。周りもびっくりです。

 帰りに聞くと、熱中したので汗をかいた、とのこと。歳を忘れての、この集中力には脱帽です。
 今日は、一緒に帰るお2人も、Tさんのご自宅の前まで来られました。いつもは途中で分かれていました。これからはこの前を通って帰ろうかな、とおっしゃっていました。見送りが増えるのは、賑やかに帰れるのでいいことです。もっとも、今日も我々がお喋りに夢中で歩くのが遅いので、Tさんは前の方から手招きをしておられました。楽しい帰り道です。




posted by genjiito at 22:26| Comment(0) | *福祉介護

[その2]相愛大学本『源氏物語 「帚木」「橋姫」』(断簡)の記事リスト

 相愛大学(春曙文庫)本『源氏物語』(断簡)に関して、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉が進めている[変体仮名翻字版]の翻字活動はどの巻をどこまで終えているのか、という問い合わせがありました。
 まだ始まったばかりのこの機会に、これまで[たつみのいほりより](http://genjiito.sblo.jp/)に報告してきた記事の一覧を整理してみました。
 これから読んでみよう、勉強会に参加してみよう、とお考えのみなさまへの情報提供とします。
 ご活用ください。
 なお、今週末の11月22日(土)には、キャンパスプラザ京都で第3回を開催します。資料は会場で配布しますので、興味と関心をお持ちの方はお気軽にお越しください。


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■「帚木」と「橋姫」の案内

「キャンパスプラザ京都で相愛大学蔵源氏物語「帚木(断簡)」を読む会(No.3)のご案内」

「宇治で古写本『源氏物語 橋姫』の変体仮名を読む会を開始」

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■相愛本「橋姫」を読む
 (於:シェア型書店HONBAKO京都宇治)

「宇治で春曙本『源氏物語 橋姫』の変体仮名を読む会(1)」

「宇治で春曙本『源氏物語 橋姫』の変体仮名を読む会(2)」

「宇治で相愛本『源氏物語 橋姫』の変体仮名を読む会(3)」

「宇治で相愛本『源氏物語 橋姫』の変体仮名を読む会(4)」

「宇治で相愛本『源氏物語 橋姫』の変体仮名を読む会(5)」

「宇治で相愛本『源氏物語 橋姫』の変体仮名を読む会(6)」

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■相愛本「帚木」を読む
 (於:キャンパスプラザ京都(京都市大学のまち交流センター))

「キャンパスプラザ京都で相愛大学本『源氏物語 帚木(断簡)』を読む(第1回)」

「キャンパスプラザ京都で相愛大学本『源氏物語 帚木(断簡)』を読む(第2回)」

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posted by genjiito at 20:49| Comment(0) | ◎NPO活動

[その1]キャンパスプラザ京都で相愛大学蔵源氏物語「帚木(断簡)」を読む会(No.3)のご案内

 本日の京都新聞「まちかど」欄(京都市)に、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉が主催する、相愛大学蔵源氏物語「帚木(断簡)」(春曙文庫)の本文を変体仮名で読む会の案内記事が掲載されました。
 本年9月から、「帚木(断簡)」を「変体仮名翻字版」で翻字をする勉強会がスタートしています。

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 会場は、キャンパスプラザ京都(京都市大学のまち交流センター)の6階にある第8講習室です。
 相愛大学蔵源氏物語「帚木(断簡)」は、ハーバード大学本「須磨」「蜻蛉」や歴博本「鈴虫」と同じ環境で書写された、鎌倉時代の古写本の断簡だと思われます。
 変体仮名は初めてだという方のご参加も大歓迎です。
 現在、毎回約10名の参加者と一緒に、和やかに変体仮名を読み進めています。
 なお、この会では『源氏物語』の内容は扱いません。
 鎌倉時代の古写本に書かれている文字が、とにかく読めるようになることを第一の目的としています。
 前回の勉強会の様子は、以下のブログで報告しています。

「キャンパスプラザ京都で相愛大学本『源氏物語 帚木(断簡)』を読む(第2回)」

 一人でも多くの方が、日本の文化資産である変体仮名が読めるようになることを願って開催するものです。
 資料はすべて、当日の会場で配布します。
 会場は、京都駅から JR の線路沿いに西へ歩いて5分の所です。
 本ブログのコメント欄を通して、参加希望の旨をお知らせいただけると、資料を用意してお待ちしています。




posted by genjiito at 17:06| Comment(0) | ◎NPO活動

2025年11月17日

秋真っ盛りの公園と集会所でのグリーンカフェ

 駅前から東北に延びる中央公園は、秋から冬へと移り変わる姿を見せています。

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 毎月第3月曜日の今日は、集会所でグリーンカフェが開店する日です。

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 近隣の方々が自由に集い、好きな飲み物とお菓子を口にしながら、お話をしたり、脳トレや体操をします。
 今日も、初めてお越しになった方が数人いらっしゃいました。大歓迎です。
 私の役割は、終わってからの会場の片付けと、飲み物やお菓子の小道具などを収納した大きめのプラケースと、外に出してあった看板を手押し車に乗せ、集会所の近くにある倉庫に運ぶことです。

 いつものように100歳のTさんと一緒に帰る途中で、道を掃除しておられた見知らぬ方が近くの木からカリンの実を叩き落として、手渡してくださいました。一昨日、護王神社でたくさんいただいたとも言えず、ありがたく2個をいただきました。1つはご一緒だったKさんに、もう1つは我が家でいただきました。カリン酒の作り方も教えてくださいました。Tさんは、カリンを料理などに使ったことがないとのことです。妻と作り方が違っていたので、これでもう一度試してみる、と言っています。さて、これもどんなお酒になるのか楽しみです。




posted by genjiito at 21:21| Comment(0) | *福祉介護

2025年11月16日

京洛逍遥(956)美術館「えき」KYOTOで牧野邦夫展を観て

 「生誕100年 昭和を生きた画家 牧野邦夫 −その魂の召喚−」という絵画展を、美術館「えき」KYOTOで観てきました。
 昭和61年に61歳で亡くなった、自画像に拘った画家です。レンブラントに憧れ続けたことが、作品の端々から伺えます。
 展示されていた100点以上の作品から、画家の強い意志が伝わってきました。観るものを圧倒する厳しい視線が伝わってきます。なかなか出来ない体験をしました。

 中でも、「《未完成の塔》」だけは写真撮影が可能でした。
 横に添えてある説明文の一部を引きます。

撮影OK
109
未完成の塔
未完成
油彩、カンヴァス
個人蔵(練馬区立美術館寄託)

(前略)
1975年は、昭和50年で牧野50歳。10年ごとに一層ずつ描き進めていく構想を立てていた。
(中略)
一層は完成しているが、二層に取り掛かった制作途上、61歳で没した。三層から上は茫洋とした下塗りがなされているが、キャンバスの上、塔の先端となるはずだった部分には、絵の具が盛り上げられている。90歳を超える長命を保っていたなら、どのような画面になっていただろうか。
(後略)

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 説明文の中に、「10年ごとに一層ずつ描き進めていく構想」であったとし、「一層は完成しているが、二層に取り掛かった制作途上、61歳で没した。」とあります。
 この絵を観ていて、『源氏物語』などの文章による作品でも、書き出されてから次第に仕上がっていくという工程を想定した場合に、この絵と共通することがあるのではないか、と思いました。
 例えば、『源氏物語』という一揃いの物語は、紫式部に代表される編集者が、代々伝わって来ていた物語類を編集したものだ、と考えるとどうでしょう。手元に集まっている物語には未完の小品もあり、それらがさらに良いものにと書き換えられる前に、54帖に組み込まれたと考えるとどうでしょうか。帚木三帖、玉鬘十帖、雲隠、宇治十帖の前のつなぎ三帖、夢浮橋の後、などには、補訂や改訂の手が加えらる前の物語の姿が未完の本文に伝えられている、と見たらどうでしょうか。
 そんなことを、この牧野邦夫の長期構想の中の制作途上となった「《未完成の塔》」を観ながら思いました。多くの方からは、一笑に付される妄想だと言われることでしょう。しかし、証明が難しいことであっても、意外といいところを突いた見方ではないか、と思っています。相変わらずの独断と偏見の持論で恐縮です。

 今日は、あまり知られていない画家の絵を通して、さまざまなことを感じ、思う機会に恵まれました。

 この美術館へは、大階段を登って来ました。

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 帰りは、また大階段へ出て屋上にある大空広場へ上がり、少し休憩してから歩いて下りました。昨日行った護王神社の足腰のご利益がないのか、少し疲れを感じました。

 今春より京都駅前については、有識者会議による「まちづくり構想」の議論が進んでいます(京都新聞「京都駅前の再開発」2025/11/16「社説」)。駅前だけでなく、この駅舎についても、高齢者や身体に障害がある方を視野に入れた、人に優しい視点での作り直しをお願いしたいものです。今が、あまりにも時代遅れの、弱者への視点を欠いた設計になっているので。
 過日、本ブログに掲載した、「[その 3/3]京都駅舎の設計に関する新聞記事への違和感」(2025年10月12日、http://genjiito.sblo.jp/article/191514994.html)をご笑覧いただけると、小さいことながらも問題点の一部が見えてくるかと思います。




posted by genjiito at 21:24| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2025年11月15日

京洛逍遥(955)『源氏物語』に出て来る花や木に関する講演会で

 今日は、弘文院セミナー「紫式部が見た花や木〜源氏物語からさぐるパートB」という講演会のために、護王神社へ行きました。場所は、京都御所の西側で烏丸通りに面した、今出川と丸太町のちょうど間にあります。ここは、足腰の守護神として知られています。毎日1万歩を目標にして歩いている私たちにとっては、まさに守護神といえます。

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 受付で、護王神社の境内の神木であるカリンの木になった果実をいただきました。右側の木が、区民の誇りの木として名木百選に選定された、樹齢100年以上の「ぜんそく封じの御神木」です。今年は、カリンが大量に獲れたそうです。

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 大きさがわかるように、卵と一緒に並べて写しました。立派なカリンです。

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 そして今、妻がカリンの実を剥いて切り、カリン酒を作る準備をしているところです。さて、どんなお酒ができますか。私はノドが弱いので、カリン酒は特効薬になりそうです。大いに楽しみにしています。

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 さて、本日の講師は、府立植物園名誉園長の松谷茂さん。植物園の近くに住んでいた頃に、名物館長だった松谷さんの案内を聞きながら園内を歩いたことがあります。
 お話は、具体例としての花や木をスライドで示しながら、わかりやすく語ってくださいました。紫式部の植物に関する感性の豊かさと、その鋭さを強調しておられました。
 今日は、以下の8種類の植物を取り上げてのお話です。花が大好きな妻は、ジッと聴き入っていました。知っていること、知らないことを聞き逃すまいと、真剣な表情です。私は、知らないことだらけで、見るもの聞くものすべてがとにかく楽しい話でした。

1. 蓬(ヨモギ)・葎(ムグラ)
2. 柳(ヤナギ)
3. 椎(シィ)
4. 山橘(ヤマタチバナ)=藪柑子(ヤブコウジ)
5. 桔梗(キキョウ)
6. 松(マツ)
7. 吾木香(ワレモコウ)
8. 菊(キク)

 これは、まだまだ今後に続くようです。
 お話を聞きながらメモをしたことを書き出しておきます。

・『源氏物語』に出てくる植物は110種類。『古今集』の85種類、『万葉集』の160種類に比べると、いかに多いかがわかります。
・『源氏物語』には、ヨモギ(15例)、ムグラ(13例)。『古今集』はナシ。『万葉集』は1例と2例。
・ムグラにはヤエムグラ(5月〜6月)とカナムグラ(8月〜10月)があり、紫式部が見たのはカナムグラに違いない。
・『源氏物語』に出て来るヤナギは枝垂れ「柳」であり、枝垂れない「楊」ではない。
・女三宮だけが花ではなくて「柳」に例えられている。これは、正妻なので唐風文化のシンボルである枝垂れ柳に見立てることにより権威づけをした。
・桔梗は53帖「手習」に1例だけある。紫色の花なので、もっと多くの場面に登場してもおかしくない。女君の誰かに例えてほしかった。
・松は『源氏物語』に最も多く登場する植物で60回。ただし講師の調査では85回。アカマツなのかクロマツなのか、大いに疑問がある。「須磨」「明石」「澪標」「若菜上・下」ではクロマツ、「松風」「薄雲」ではアカマツ。

 お話を伺いながら、『源氏物語』の作者を紫式部という個人に特定しない方が、もっと自由に植物のありようが語れたのでないか、と失礼ながら思いました。また、小学館から出ている『新編日本古典文学全集』をもとにして本文を読んでいらっしゃることについて。室町時代の写本に江戸時代の手が入った大島本の校訂本で考えておられます。今日のお話としては、楽しくおもしろく聞きました。さらには、鎌倉時代の本文で、大島本とは微妙に異なる本文で植物を見ていかれたら、また楽しい、平安時代に寄り添ったお話が展開することでしょう。今、大島本以外の本文で『源氏物語』を読むことは難しい状況にあります。数十年後に、鎌倉時代の本文で『源氏物語』を読む環境に移行したら、また植物をめぐる新しい物語の読み方が展開することでしょう。

 毎日のリハビリウォーキングで自然の中を歩き回っているので、これを機会に妻から草花や樹木について聞きながら歩くことにします。
 ちなみに、今日の帰りには丸太町から四条まで歩いたので、歩数は10,782歩でした。ただし、烏丸通りをひたすら南に向かって歩いたので、道々に植物はありません。住宅街に入り、小路の所々に植栽があるので、街歩きの時に教えてもらうことになります。また新しい楽しみを見つけました。




posted by genjiito at 21:46| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2025年11月14日

集会所で食生活の話を聞いてから開所したばかりの老人ホームの下見へ

 近くの公園の木々が紅葉しだしました。今年は見られないかと思っていたので、ホッとしています。

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 集会所で、管理栄養士の方から食生活に関するお話を聞きました。
 いただいたパンフレットにあった「浮腫み」と「褥瘡」は、読めない方がほとんどだったと思われます。高齢者なので読めると思って印刷されたのでしょうか。今の時代に、みなさんに配る資料にはふさわしくない表記だと思います。どういう方が、どういう意図でこの漢字の表記を選ばれたのか、その真意を聞いてみたいものです。わかりやすい表記を心がけたいものです。

 お話は、具体的な例が示され、わかりやすいものでした。タンパク質が筋肉を作る、ということがよくわかりました。時間が余ったようなので、もう少し詳しく話されてもよかったと思います。

 質問用紙に答えて渡すと、後日分析結果を送ってもらえるとのこと。どんな結果が来るのか、楽しみにして待つことにします。

 挽きたてのコーヒーとお菓子をいただきながら、いろいろな話をしました。100歳のTさんは、毎日の3食を息子さんとその奥さんに作ってもらっているとのことです。しかし、少し味が濃くて、もう少し薄味がいいのに、とおっしゃっていました。それでもこんなにお元気なので、いろいろと心配りがなされているのでしょう。

 帰りに、10人が揃って、近くでオープンしたばかりの住宅型有料老人ホームへ見学に行くことになりました。ゾロゾロと並んで、物見遊山の気分でついて行きました。

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 新しいだけに、きれいな建物です。すべて1人部屋で、もう満室とのことでした。
 夫婦が一部屋ずつ入っておられるケースがあったのは、2人部屋がなかったからのようです。これもいいか、と思いました。

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 今回見学に行ったのは、介護認定を受けていない方々の集まりなので、今は入所する資格はありません。しかし、いつかお世話になる日が来るかもしれない、ということで案内してくださいました。

 いろいろな老人ホームや介護施設を見聞きすることで、こちらも将来に向けての情報が蓄積でき、いい勉強になります。高齢化社会に入り、さまざまな生き方の実例を知ることで、社会と人のありようを見る目が育って行くと思います。




posted by genjiito at 23:16| Comment(0) | *福祉介護

2025年11月13日

点滴治療の付き添いで感じた病院内の環境について

 宇治徳洲会病院へ、近くのコンビニに止まる送迎バスで行きました。1時間に1本とはいえ、ありがたいサービスです。

 10月からスタートした、京大病院を引き継いでの月2回のレカネマブ(レケンビ)の点滴治療であり、私は引き続き付き添いとして同道します。診察から点滴までの流れは摑めました。しかし、院内での移動に関する指示はモタモタしています。

 患者に状況判断を委ねる局面が多いのは、看護師さんと事務職員が人手不足のために、連携が円滑ではないせいかと思われます。患者の流れをコントロールするために、生成AIを活用したシステムを導入すべきでしょう。ただし、初期投資と職員の教育が必要なので、しばらくはこれまで通り、電光掲示板とマイクの呼び出しを基本とするしかないのでしょう。

 それにしても、患者さんがなかなか診察室に来ない時は、看護師さんが患者さんの受付番号を呼び、さらには氏名を連呼しておられます。今日の自分の受け付け番号は、小さな紙に書かれており、毎回違うので、実は私も覚えるようにしていても、なかなかその番号に反応できません。そして、看護師さんは院内を探しに行かれます。
 今日も、妻の名前を連呼して探しに来られたので、やっと次に行く場所がわかりました。次はどこへ、という指示を確実に、的確に伝えるシステムを構築することが急務のようです。

 今日は、前回の2週間前よりもスムーズに受診できました。また、点滴治療も30分ほど待つだけで呼ばれました。どうやら、診察時間を1時間早めてもらい、予約票に担当医の指示として「来院次第に呼び込み/レケンビ」と、備考欄に書かれていたからではないか、と思っています。

 処置室で点滴を受けます。一緒に大部屋に入ると、付き添いは5分後に、とのこと。点滴の注射針を刺す場面は見てはいけないようです。

 しばらくして入ると、一面のカーテンも閉めずに見通しのいい状態で、8台あるベッドはすべて埋まっていました。ベッドは普通の3分の1の狭さで、非常に硬いシートです。妻も、とにかく背中が痛いので、次からは毛布でも持って来ようか、と言っています。
 ベッドの間も狭く、人一人がやっと通れるスペースです。付き添いとして横にいるためには、イスを1脚借りることになります。しかし、イスを置くと私の足はベッドの下に潜り込ませなければなりません。
 看護師さんも、狭くてすみませんと言いながら、慌ただしく飛び廻っておられます。

 今日は、妻のベッドの右横にキャスター付きの作業台が置かれていたので、狭いスペースに入って座ることができません。仕方がないので、外の待合エリアの長イスに座って待機しました。これでは、何のための付き添いなのかわかりません。付き添いは邪魔、ということなのでしょう。
 点滴中に何か異変があった時に、誰か横に付き添っていると素早い対応ができると思います。特に妻は、最先端の実験的な治療です。この治療の前の昨年には、この病院で処方されたドネペジルを服用した時に、想像を絶する副作用に見舞われました。そうしたことがあったのにもかかわらず、この点滴治療はこの病院では数少ない試験的な取り組みであるはずなのに、突発的な事態の対処は手薄です。
 ここの流儀に従います。しかし、私は妻の様子を注視しながら、外であっても見守っているつもりです。何かあったら、飛び廻っておられる看護師さんに異変を伝えるために。

 奥にある部屋には10台近いベッドが、空きのままで並んでいます。しかし、そちらを使うと、看護師さんの目が届かないので使わずに、この一室にとにかく押し込めたという感じです。
 それこそ、付き添いがいる場合には、横のスペースに並ぶ10台のベッドも使えばいいのに、と思いました。いろいろと事情があるのでしょう。不可思議な思いを抱きました。

 さらには、今日の部屋の雰囲気は異様でした。
 入ってすぐ左、妻の斜め向かいには、高齢の方が苦しがっておられます。そして、危ないので病院に来てほしい、という電話を家族の方数人がそれぞれにしておられました。尋常ではありません。
 妻の右隣の方は、苦しくて呻き声をずっと上げ続けておられます。
 反対側のベッドでは、4人の方が何やら談笑しておられます。

 そんな中で、妻はジッとレカネマブ(レケンビ)の1時間かかる点滴を受けていました。この落ち着きのない殺気立った雰囲気の中では、直る治療も効き目があるのか不安になります。

 比べてはいけないとしても、これまでは、妻は心静かに点滴を受け、その横で私は話をしたり、本を読んだりして1時間を過ごしていました。しかし、ここでは前回も含めて、あまりにも違いすぎる環境に身を置いてのことなので、とにかく戸惑います。この治療を勧めた私も、この状態での点滴治療がこれから1年も続くのであれば、妻共々、脳神経の別の場所が病んでしまいそうです。私も、京大病院の脳神経内科で脳梗塞の後遺症の治療が続いているのですから。

 京大病院の妻の主治医の先生と、この宇治徳洲会病院で請け負ってくださった京大病院からお越しの先生には、心穏やかな雰囲気で受けられる環境を配慮してもらえるように、次回の診察の折にお願いしたいと思っています。

 なお、私が外の待ち合いエリアで待っていた時の事です。
 看護師さんが患者さんにレントゲン室へ行くようにと指示を出された時に、患者さんはそれはもう終わっていると言って、次の別の指示を待っておられました。また、別の方は、採血室へと言われた時、さっき採血はしたのに、と仰っていました。あまりの忙しさに、看護師さんも出す指示が混乱しているようです。
 どちらも、看護師さんの不足からくる問題のように思えます。

 いずれは誰しも、お医者さんや看護師さんのお世話になります。こうした混乱を抱えたままで、今の高齢化社会を迎えているのが現実だと思われます。これでいいはずがありません。個人で対処できることではありません。そうであるからこそ、こうして実状を記すことで、広く実態の一端を知ってもらうことにしました。必死に努力しておられる関係者のみなさま、ポジティブに捉えての発言であることをご理解下さい。




posted by genjiito at 22:30| Comment(0) | *健康雑記

2025年11月12日

歯医者さんで医療の名のもとに行われた暴行について考える(前編)

 歯医者さんの治療について困惑しています。
 医療の名のもとに行われた暴行と治療の放置について、2回にわたって報告します。
 言われるがままに診察台に横になっていた間の出来事が、予想外の事態となっているのです。
 歯医者さんには、どこまでの権限があるのでしょうか。

 先月の10月29日に、私が通っている歯医者さんに、以下の書面を手渡ししました。
 書面を手渡ししてから、今日で2週間が経ちます。この間に何も連絡がないので、その書面を以下にそのまま引用します。ただし、個人が特定される語句などは適宜アルファベットなどに置き換えています。

 本日、2回目の質問書を手渡ししてきました。主旨は、以下の6項目に関して説明をしてほしい、というものです。

(1)10月23日に入れていただいた7本分の差し歯のその後の調整が1度もなされていない
(2)3本の部分装具の掛け金が10月23日に無断で切断された理由が不明
(3)6ヶ月待つようにと言われた下の装具は8ヶ月経った今も放置されている
(4)8月18日にあると思っていた下の犬歯の治療はもう終わっているのか
(5)10月30日に予約していたことを履行するためにも質問の回答を待っている
(6)依然として「インフォームド・コンセント」がまったくなされていない

 その中で、前回の書面を今日のブログに引用することはしっかりと書いておきました。

以下、2週間前に手渡しした1回目の質問書です。

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「A歯科医院で確認もなく切断破壊された装具のこと」

 過日、10月23日にA歯科で不愉快な思いをしたことを、私が毎日公開しているブログに、具体的な内容は暈しながらアップしました。
 まずは、それを引きます。

 今日は、歯医者さんで憤慨することがありました。4月から不具合を訴えているのに、7ヶ月経っても治療に入ってもらえません。優先順位が低い治療の方は、今日終わりました。ただし、何も問題のなかったものがきちんと使えなくなり、不便な思いをすることになりました。これは予想できたことなので、また後日くわしく報告します。
 この歯科は、京都では3つ目の歯医者さんです。なかなか良い歯医者さんに出会えません。東京にいた時には、信頼できる2つの歯医者さんのお世話になっていました。もっとも、私が住んでいたのが東京医科歯科大学の官舎だったので、その周辺には優秀な歯科医院があったのです。ある時、京都での診療方針と説明に疑問を持ち、セカンドオピニオンとして東京の歯医者さんにアドバイスをもらいました。そして、京都の歯医者さんを変えたことがあります。コンビニよりも数が多いと言われる歯医者さん。身近な存在のはずなのに、いまだに信頼できる出会いがなくて困惑しています。
(『たつみのいほり より』2025年10月23日「平穏な日の中での不愉快なこと3題」http://genjiito.sblo.jp/article/191524553.html

 ここに書いた、「何も問題のなかったものがきちんと使えなくなり、不便な思いをすることになりました。」ということを手始めに、A先生のご意見を伺いたいと思います。
 「7ヶ月経っても」放置されている下の装具については、本件で私が納得できてから、あらためてご意見を伺います。

 まず、以下に記す経緯に、あるだろうと思って待っていた「インフォームド・コンセント」といわれる、いわゆる「説明と同意」はまったくなかったことを確認しておきます。そのため、突然の蛮行というべき暴挙が行われ、今は信じられない思いでいます。

 さて、今夏8月中旬に、治療をうけていたA歯科に連絡をして、院長と現在の処置についてお話しをしたい旨の連絡をしました。電話ではなく、私が直接受け付けに行ったと記憶しています。
 新年から7月31日までの治療は、若い方が担当でした。面談を望んだのは、今春2月12日に作ってもらった装具がどうしようもないもので、次に4月8日に作ってもらった2つ目も当初から私の口に合わず、さらに作り直しをお願いしたことに関して何も動きがないので、今後の治療を含めて詳しい説明と確認をしたかったからです。
 4月の早い段階で、3つ目は何故かすぐには作ることができないとのことで、半年後の対応になるとの回答でした。仕方がないので、とにかく不快極まりないものを口に入れて、半年をじっと待つことにしました。

 なお、この装置が合わないことから来る具体的な不具合の例証は、私の講座を受講なさっている方々が書いてくださっている、アンケートのコメント欄を見るとわかります。今年の4月以降に書かれたアンケートのコメント欄から引きます。この装置を使用して、私が人前で喋ることでいかに苦労しているかを推察してください。今年の4月以降が特に顕著なので、いくつかをあげます。
 さらには、仮歯の上の隙間から空気が漏れ漏れで、特にサ行が発音できない状況でした。左上の部分装具も装着できない状況が2ヶ月もあり、ここからの空気の漏れも関係していると思われます。喋ることを仕事とする身には、つらい日々だったことを理解いただきたいと思います。

「声がこもってしまい聞きづらかったのが残念でした。もったいないことです。」
「語尾が不明瞭の部分が多いので、区切り目をより明確にして欲しいと思います。」
「先生のお声が聞きとりづらく、机の配置、工夫があると嬉しいです。」
「とても聞きとりにくく半分くらいしか理解できませんでした。(内容ではなく何をおっしゃっているのか?が)」
(以上の引用文は、この講座の主催者である小学館集英社プロダクションがまとめた資料によっています。会場は、大阪府立中之島図書館と千代田区立日比谷図書文化館で、各90分の2講座ずつです。)

 前歯の下の右の犬歯に虫歯があり、その治療の継続で8月18日に行く際に、治療の件でこれまでの若い先生ではなくて、院長にお話が伺いたいと言う申し出でをしたところ、別室ではなくて診察台での対応でした。これまでは、ほとんどの歯科での話は対面でやっていたので、非常に話しづらい状況下でのやりとりとなり、先生の一方的な対応の原因ともなったと思っています。
 そうした状況であっても、聞いていた再々作成のための半年がもうすぐやってくるので、下の装具の作り直しをしてほしいことを伝えました。その時に上の差し歯4本が少しぐらつくことを伝えると、下の犬歯と装具の治療ではなくて、すぐに上の差し歯の治療に入りました。そして、上の右で支えている歯が支え切れない状態なのでその1本を抜いて治療を進めるとのことでした。

 その時、4本の差し歯が7本の差し歯になるという話は伺いました。さらには、上の左側の3本の部分装具が新たに作る差し歯の邪魔になるとのことで、しばらくは使わないことになりました。その理由として、3本の部分装具を入れると抜歯をした傷口が窮屈になり、直りが遅くなるからだ、とのことでした。今のところ何も問題のない3本の部分装具が邪魔になると仰る意味がよくわからないままに、とにかく上の前の仮歯の作成が進みました。真ん中の差し歯の仮歯を作るための型取りをする時に、何故左上の3本の部分装具を装着しないままでやるのかが不思議でした。後で調整が大変だろう、ということが素人目にも容易に想像できたからです。

 翌日の19日には、抜歯の様子を診てもらいました。18日にいただいた3種類の薬は、忘れずに飲みました。特に問題はなく、8月26日に2つ目の仮歯の作成に入りました。抜歯の傷口が癒えたであろう9月25日と10月9日に、正規の差し歯のための最終確認をし、10月23日に7本の差し歯が無事に入りました。

 10月23日には、8月18日に院長にお見せした左上の3本の部分装具のことは、この期間にまったく話題に上りませんでした。前の差し歯が入ったら、当然その横に並ぶ部分装具が必要になるはずなので、私の方から気を利かせて持参しました。なぜ、忘れずに持参するように、という指示がなかったのか、今でも不思議な思いです。
 後で自分が作り直す、というストーリーが先生の中では出来上がっていたからだろう、と私は邪推しています。こうしたことは、まったく説明がない状態で推移していたので、今は推測の域を出ません。
 8月18日以降、19日・26日・9月25日・10月9日と、この部分装具をどうするのかがまったく不明のままだったのです。23日に持参したのは、「そんなものがあったのですか?」と言われかねなかったからです。診察台に座るや否や、アシスタントの方に手渡しました。

 この日に正式な7本分の差し歯が入りました。ところが、この時に驚くべき暴挙がなされたのです。まったく問題なく使っていた部分装具のループになっていた掛け金を、無断で乱暴にも隙間の確保のために切断されたのです。先生自身が作った差し歯の邪魔になるため、それまで入っていた何も問題のないものを、暴力的に破壊されたのです。それも、助手の方に指示をして。先生は終始別の方の治療をしながら、口頭で私の歯を見もせずに指示を出しておられました。これまで入っていた部分装具を断ち切ることなど、私に直接には、一言もありません。助手の方への指示が、診察台に横たわっている私の耳元に聴こえてきただけです。とにかく、何も問題のない部分装具を破断することへの確認は、まったくなかったことを明言しておきます。さらに驚くべきことに、助手の方が少し躊躇なさる様子をよそに、あろうことか部分装具は作り直すということを先生が呟かれたことも、私の耳に入りました。
 自分が作った差し歯の邪魔になるという理由で、それまで何も問題のなかった部分装具のループ状の掛け金を壊して対処しようということなのです。しかも、それは新しいものを作るための、暫定処置との意識があったのです。

 当然、部分装具は固定されるループが切り離されたので、嵌めてもパカパカとすぐに外れます。助手の方に出された指示は、何か接着するものを塗ってくっつけて使うように、ということだけでした。これまた、ご自身は、他の患者さんの治療をしながらの指示です。私には、これをどう使うのかは、まったく説明もなく無責任にも放置です。ここで、先ほど漏れ聞こえた、それは作り直せばいいから、ということとつながりました。
 私の持ち物の部品を切断し、その後のケアとしての説明もなく、離れたところから助手に貼り付けておけばいい、と仰っていたことに関して確認しておきます。姿を変えた部分装具を貼り付けるための薬剤を処方することもなく、後は勝手にすればいいということです。これは、患者の了解のない暴行であり、医療とは程遠いものです。医療行為ではないとなると、これは合意のない、確信犯の器物損壊ということになります。

 私の物を勝手に切り刻み、その装置に対するその後の対処はしない、という無責任極まりないことがなされたのです。
 もちろん、3種類のポリグリップを買って来て、ペーストを塗ったり、パウダーを振り掛けたり、小さなテープで部分装具を歯茎に貼り付けても、食事をしている内や喋っている内に外れます。とくに私は6回食であることをかねてより伝えてあるので、終始パカパカすることは想像できるはずです。実際に、1日に2回から3回、ポリグリップを塗り直したり貼ったりします。そのタイミングが難しいのです。何度も、小さな装具をガリッと噛みました。先生も、当然壊れることを見越しての指示だったのでしょう。

 この部分装具については、先週23日の診察の最初に、私があらかじめ手渡したものを助手の方が先生に見せられても、チラッと見るだけで触ることもなく別の方の治療に行かれたので、私はどうしたらいいのか途方に暮れるだけでした。そして、助手の方が部分装具のループの部分を断ち切っておられる音が聞こえました。やめてほしい、と言いたくても、診察台に横たわる私には止めるすべはありません。歯科で診察台に乗った時点で、患者は俎板の鯉の状態に置かれます。これを接着剤でつけて使うように、という助手の方の指示は機械的です。とにかく、先生ご自身に関係のないものには関わらない、という主義が徹底しており、私の存在はほったらかしです。

 この部分装具は、この歯科で作ったものではありません。そのこともあってか、この日も、先生は一切見ようとも、もちろん触ろうともなさいませんでした。とにかく私の理解を越えたことが生起している現場では、目を凝らし、耳を欹てて現在進行中の事実を忘れないように覚えておくことに努めました。そして今、ここに言葉で可能な限り再現しています。

 この部分装具について、補足しておきます。
 3歳ぐらいの時に、階段から落ちて前歯を欠損しました。以来、前歯は差し歯です。その後、前歯は虫歯などで4本の差し歯になりました。さらには、上の左奥の2本を抜歯したことに関連して、差し歯と並ぶように部分装具が入りました。
 部分装具を作るに当たっては、当時私が住んでいた江東区の東京医科歯科大学の官舎にいた同僚の紹介で、黒船橋の近くにある名医といわれた先生に作ってもらいました。そのすぐに後にその先生が若くしてお亡くなりになったので、その後に遺品とでもいうべき部分装具にヒビが入った時には、その先生のお父さんが作り直してくださいました。これは基本的な設計が私の発声に適合していたこともあってか、先日の23日まで、私の口の中で何の違和感もなく快適に使えていました。構音訓練にも対応していました。それが、無残にも意図的に破壊されたのです。

 こうしたことは、A先生におかれては我関知せず、ということでしょう。しかし、快適に機能する物には、それなりの背景があります。関わった人間がいます。また、医療であれば「インフォームド・コンセント」を遵守し、治療の方針を説明する義務があるはずです。それもなく、まったくせずに、快適に使っている私のものを自分が作ったものの邪魔になるので破壊する、というのは愚行であり暴力行為以外の何ものでもありません。なぜ部分装具が邪魔になったのかは、その前の段階の問題だと思います。すでに機能している問題のない物をまずは最優先にして維持し、後で追加する物はもともとある物を破壊しない設計をすべきだったのではないでしょうか。今回の流れを見ていて、素人ながらそう思っています。

 私の思い違いがあれば、それを踏まえて、以上のことに関して、A先生のご説明を伺いたいと思います。
 なお、今後とも行き違いや水掛け論にならないためにも、書面での説明をよろしくお願いします。
 その後に、2件目となる下の装具に関する確認を、書面でお渡しする用意をしているところです。
                           以上
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posted by genjiito at 23:43| Comment(0) | *身辺雑記

2025年11月11日

集会所で懐メロを歌うミニコンサート

 今日の集会所では、懐メロをみんなで歌うミニコンサートがありました。
 お出でくださったのは、「街のおじさんおばさんバンド かざぐるま」の三人です。お歳は75歳前後だとのことなので、私とほぼ同じ世代です。後期高齢者が集うこの場にはピッタリの、秋をテーマとしたやさしい選曲でした。
 ボーカルとギターを担当された女性、エレクトーン担当の男性とベース担当の男性の三人です。
 いただいた歌詞の順番に、参加者みんなで楽しく歌いました。

・オープニング「赤とんぼ」
・秋の歌メドレー@(紅葉・里の秋・夕焼小焼・旅愁・星の世界)
・秋の歌メドレーA(小さい秋見つけた・野菊・虫の声・村祭)
・秋桜
・昴
・空よ
・風
・誰もいない海
・見上げてごらん夜の星を
・川の流れのように
・いのちの歌

 久しぶりに、たくさんの歌を唄いました。ボーイソプラノだった私も今はガラガラ声で、お恥ずかしい限りです。
 57年前、私が17歳だった頃に、ギターを弾いてフォークソングを歌っていた時の写真を再掲します(3度目かもしれません)。今は、声は出ないし指も思うようには動かないので、この写真のような芸当はとてもできません。この写真は、二十歳の時に住み込みの新聞配達店が火事になり、持ち物のすべてを無くした私にとって、数枚しかない貴重な写真です。若き日にはこんな時もあった、ということでご笑覧を……

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 コンサートが終わると、Uさんと妻が泣いていることが判明。Uさんは私よりも11歳年上、妻は私の1歳年下です。一回りも違う2人が、今日の歌で感涙するツボが同じだったようです。
 100歳のTさんも感激しておられ、よかった、ありがとう、を繰り返しておられました。

 帰りにTさんといろいろなお話をしていると、三十数年前にお亡くなりになったTさんの旦那様は音楽好きだったそうです。音楽関係の学校に進学を考えておられたのに、反対されてその道を諦めたとのこと。結婚してからは、ピアノの演奏だけでなく、三味線のお稽古にも通っておられたそうです。Tさんは小学校の先生だったので、オルガンはお手のもの。お2人で合奏や弾き語りをなさったのかは、聞き忘れました。またの機会に聞いておきます。

 音楽が持つ魅力を再認識するいい日となりました。




posted by genjiito at 19:43| Comment(0) | *福祉介護

2025年11月10日

京洛逍遥(954)下鴨神社に金婚記念の報告をする

 秋空のもと、数年前まで氏神様だった下鴨神社に、金婚を迎えたことを報告しに行って来ました。この下鴨地域には15年間も住んでいたので、勝手知ったるエリアです。

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 糺ノ森を歩くと、太古の霊気を身に浴びることから、気持ちが引き締まります。

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 着物姿の方が多く、七五三のお宮参りの親子連れにもたくさん出会いました。海外の方は、白の着物がお気に入りのようで、何組も見かけました。

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 結婚50周年を記念して、檜皮葺き屋根の葺き替えに使う檜皮(ひわだ)の奉納をしました。我が家は、今も下鴨神社の崇敬会の会員です。しかし、檜皮の奉納は今回が初めてです。

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 「葩」(はなびら)というお菓子を見かけたので、お茶菓子用としていただきました。

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 下鴨神社から下鴨本通に出てすぐのローソンの向かいに、インド&ネパール料理屋のお店がありました。以前は、和食屋さんか関東炊き屋さん(?)だったかと思います。初めて見かけるお店です。

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 これまでになかったお店なので、インド料理に惹かれて入りました。店主さんに聞くと、開店して1年だそうです。ご主人はネパール出身の方でした。インドの方の日本語は聞きやすいので、どこで勉強をしたのかを尋ねると、独学だとのこと。流暢な日本語でした。
 インドに私は10年以上通ったと言うと、どこかと聞かれたのでデリーを中心とした各地だと答えました。しかし、これ以上話を続けると食べることを忘れて喋るので、今日は自粛しました。
 料理は私に合った味付けで、美味しいマサラ料理です。私の好物のパニールやモモもあったので、お正月に初詣に来るので、その時には単品でいただきます。ラッシーも適度な甘さで気に入りました。辛さは6段階あり、私は「1、甘口」、妻は「4、辛口」です。
 下鴨神社にお出でになったら、立ち寄ってみてください。我が家の外食の基準である1,200円以内でいただけます。




posted by genjiito at 22:48| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2025年11月09日

記念日に少しだけ贅沢な食事をする

 私は、誕生日に結婚式を挙げました。東京タワーの真下にある全特会館に、両家の関係者がそれぞれ10人ずつ集まる、ささやかな式です。もちろんお色直しもなく、ウェディングケーキもありません。その時、私はまだ学生でした。そして、今年は結婚50周年。金婚式なのです。

 昨日は、大阪府立中之島図書館で『源氏物語』と『百人一首』の変体仮名を読む講座がありました。昨日のブログに書いた通りです。
 終わってからの帰りに、大阪市役所前のみおつくしプロムナードの電飾は、我々の記念日を祝ってくれていると思って、妻と一緒に晴れがましい気持ちで淀屋橋駅まで歩きました。ほんの5分ほどですが……


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 記念日らしい食事をして帰ろうということで、帰りの経路にある京阪樟葉駅で海鮮丼の美味しいところはないかと、生成AI氏にお薦めのお店を訊きました。数店の候補から、これはと思う店にそのままネットで予約を入れました。【予約受付完了】というメールには「17時43分」とあります。幸い、個室が取れたので、淀屋橋駅から直行しました。

 樟葉駅で、お店の場所がわからなくて15分ほど彷徨いました。予約は18時半に入れてあったので、まだ20分は余裕があります。しかし、駅前のはずなのに見当たらないので、電話で場所を聞くことにしました。
 電話はロボットが対応するシステムで、とにかくピンボケな対応です。お店の場所を聞きたいのに、予約なのか、何人なのかと、こちらが聞きたいことと違うことを、「はい」か「いいえ」で答えさせられます。いつまでも無為なやりとりは面倒なので、ひたすらお店の場所を教えてほしいと繰り返しても、トンチンカンな質問を続けて来ます。よほど酷いロボット会社と契約しているのでしょう。

 しばらく無言でいると、お店の担当者に代わります、と言うや否や、プツンと電話が切れました。わけがわかりません。別の方法でお店の電話番号を調べて、場所を聞きました。その対応たるや不愉快極まりないもので、駅のすぐそばなのにわからないのか、と呆れた顔が電話越しに浮かぶほどの態度でした。日本での対応の仕方をまだよく知らない海外からの方ではなくて、日本人のようでした。

 お店に着いたのは、予約した時間の10分前です。対応に出られた女性は、すぐにカウンター近くの席に案内されたので、個室を予約している者です、と伝えると、今度は少し奥の4人席に案内しようとされます。また、個室をお願いしていると言うと、個室はすべて埋まっていて、このカウンターの前の4人席でもいいですか、とのことです。この奥の格子戸の部屋のはずですが、と言うと、そこは先ほどお客さんを案内したので使えない、とのことです。それでは、私の個室の予約は何だったのかと聞いても、このホールしかないの一点張りです。

 記念日なので、すこし気分を変えようと思っていたので、予約したはずの個室が使えないのであれば帰ります、といってお店を出ました。ここは、関西のみならず、関東圏にも出店している和食の分野では知られています。京都市内にあるお店の内、3店舗には行ったことがあります。お客様を案内したりして利用していたお店なので、この対応にはがっかりしました。

 未完成のコンピュータ任せの電話対応と、お店の予約システムの不出来なことに加えて、店員の接客の教育が未熟なのでしょう。お店におられた他の店員の方の冷たさも、伝わってきました。これを機会に、この系列店にはもう行きません。

 樟葉駅に隣接するショッピングモールで和食のお店を探し、とにかく個室に近い雰囲気のお店で海鮮料理をいただくことができました。
 なお、食事中に【ご予約をお受けできませんでした】というメールが届きました。私が予約した部屋に勝手に別のお客を入れておいて、【ご予約をお受けできませんでした】はないでしょう。私の予約が先のはずですから。それよりも何よりも、対応が冷たすぎました。また、予約システムとお店の予約管理も、うまく連動していないようです。

 こうしたことはよくあるので、我らは打たれ強くなっています。
 とにかく、昨日も気分を一新して、妻と結婚50周年の記念日を祝いました。特に雲丹は、久しぶりにたっぷりといただきました。東京の門前仲町にある魚三でいただく雲丹には及ばないものの、少しだけ贅沢な食事を楽しみました。




posted by genjiito at 22:39| Comment(0) | *美味礼賛

2025年11月08日

中之島での『百人一首』(第18回)と『源氏物語 蜻蛉』(第29回)の講座

 淀屋橋のすぐ下を流れる土佐堀川で、狭い水路を大きな観光船が器用にUターンしていました。右端が淀屋橋です。

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 中之島図書館での「新古典塾 平安文学」は、まず「変体仮名で書かれた『百人一首』を読む」〔入門講座〕です。
 今日は、変体仮名を読む前に、『百人一首』の読み札に書かれている歌仙絵が、どのようにして描かれているのかがわかる資料を見てもらいました。
 展示したのは、架蔵の『探幽筆 三拾六哥仙』です。これは、平成5年に私がパリで見つけ、テニス仲間の八人会の協力を得て入手し、現在は私が預かっている物です。その37枚の絵をすべて拡げました。こうして36歌仙のワンセットの絵が一堂に会する展示は、今回が初めてのことです。壮観でした。これは、絵画化するための指示が書き込まれた〈粉本・模本〉なので、いわば下絵です。これで、狩野派は絵の大量生産をしていたのです。絵の工房で使われたものが、明治時代に海外に流出し、それが日本に戻ってきたのです。日本の絵画がどのようにして描かれていたのかがわかる、貴重な文化的資料です。

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 真ん中に長く拡げたのは、私が全体像を把握するためにコピーをして復元したものです。14メートルあります。また、コンピュータを活用して彩色復元をしたものも見ていただきました。小野小町と在原業平の復元画は、この講座の案内チラシにも使っています。

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 本日配布した資料には、次の拙文を掲載しています。これを適宜読んで、説明をしました。


■『探幽筆三十六歌仙』(架蔵粉本)の実見

(1)「架蔵『探幽筆 三拾六哥仙』の復元」(伊藤鉄也)
 (前略)
 『探幽筆 三拾六哥仙』は、平成5年春に伊藤がパリで見つけ、八人会(大森俊憲・公子、新谷栄一・香代子、井上大治・文、伊藤清子)の理解を得て、幸運にも輸入することができたものです。
 〈『36歌仙紛本画帖』〉と仮に呼ぶ本書は 、平安時代の著名な歌人36人の人物画が、B4版の大きさの和紙に書かれています。それがA3版大の厚紙に貼ってあるので、一枚ずつ手に取って見ることができます。鑑賞できると言いたいところです。しかし、丹念に彩色を施された顔以外は、すべて墨書きとなっています。また、着衣には色付けの参考とするための、細かな色取りの指示が書き込まれています。これは、〈紛本〉とか〈模本〉といわれるものです。
 (後略)


(2)「八人会蔵『探幽筆 三拾六哥仙』について」(『大阪明浄女子短期大学紀要 第8号』1994.3.10)
   はじめに
(前略)
 ソルボンヌ大学のあるカルチェ・ラタンからノートルダム寺院周辺を、一人気侭に散策した。そして、たまたま通りかかった古書店で見かけたのが、ここに紹介する『探幽筆 三拾六哥仙』である。
 (中略)
 これは〈紛本〉とか〈模本〉といわれるものであり、一般には次のように説明されている。
  紛本画巻・紛本画帖
 「紛本」とは下書きの絵のことであるが、修行や後の研究、参考の為に模写したものも、白描の下書き風のものが殆どであるので、これも「紛本」という。江戸時代は勿論、明治期までは、画家の修行の殆どは模写を中心とした所謂紛本主義であったので、今でも時として夥しい「紛本」を見ることがあるわけである。(『日本古典書誌学総説』一二三頁、藤井隆、和泉書院)

    一、八人会本の形態

 洋装仕立ての〈八人会本〉の製本は、実に立派である。
 本の大きさは、縦三九〇mm・横五〇〇mm。背皮には金の箔押しで、"PORTRAITS DES TRENTE-SIX GRANDS POETES JAPONAIS"とある。見返しはマーブル紙。『探幽筆 三拾六哥仙 軒』と記す紙を台紙に貼り付けたものを扉としている。

 扉以外は、背綴じのところから一頁ずつ鋭利な刃物で切り取られていた。展示するための処置であろう。計三十七枚の歌仙画集なのである。
 「探幽」とは、狩野探幽(一六〇二〜一六七四)のことである。狩野派は、江戸幕府の御用絵師として栄えた。特に、探幽以降の江戸狩野派は、臨写を基本とする紛本主義をとったことで知られる一大派閥である。〈八人会本〉の原本の筆者を探幽とする根拠は、今のことろはこの第一紙に「探幽筆」とある記載のみである。探幽は、鎌倉時代の『佐竹本三十六歌仙絵巻』が欠く、凡河内躬恒と紀貫之(位署と和歌)を補写するほどの実力者であった。多くの歌仙絵や縮図を残している。しかし、今はこれ以上に〈八人会本〉の筆者を確定する資料を持ち合わせていないので、「探幽」を伝称筆者名として了解するに留めておく。
 (中略)
 一枚の絵図の大きさは、おおよそ縦二六五mm・横三八〇mmほどで、B4版より一まわり大きいサイズである。この三十六枚の歌仙絵を敷き並べると、ちょうど三畳の部屋を埋める広さとなる。一枚ずつを横に繋いだ絵巻物のスタイルを想定すると、約十四mもの長さになる。この歌仙絵が、縦三四五mm(切断後)・横四八三mmの淡いブルーの厚紙の中央に、一枚ずつ貼ってある。
 (中略)
 人物画は楮紙に書かれている。用紙は少し光沢のある薄い丈夫な紙で、筆の勢いがある時には擦れが出ている。
 人物の顔には、丹念に彩色を施してある。頭髪や眉や髭の一本一本に至るまで、丁寧に書かれている。顔のシワはもとより、瞳まで明瞭に入れてある。人麿には、一本一本の歯まで数えることができる。これに対して、首から下の体の線と衣服は、実にそっけない。原本を見ながら慎重に臨模したらしく、墨跡の滑らかさやスピード感は認められない。衣の模様は、その一部を描いているだけで、後は歌仙絵作成者が自由に仕上げることができるようになっている。図中には、色取りの指定がある。人麿には、「白」「うすきあさき」「うすきゑんしのく」などとある。色名・着色に関する指示は、詳細なものと、比較的簡略なものがある。斎宮女御における夥しい色取りの指示は圧感である。

 保存状態の良くないものが何点かある。一番破損被害の大きいものは平兼盛である。
 この平兼盛の図は、横幅が一番短い。歌仙絵が貼り付けてある台紙も、用紙の周囲がもっとも破損が激しいものとなっている。

    二、配列と巻頭部

 洋装本に仕立て直された"PORTRAITS DES TRENTE-SIX GRANDS POETES JAPONAIS"が、『探幽筆 三拾六哥仙』と呼ばれていた時の原形を考えよう。巻子本か折本か冊子本か、ということである。
 これは、虫損箇所の位置を丹念に調べればよい。もとの形式がわかれば、虫損・切り口・紙シワ・墨汚れなどから、各絵の配列順序が復元できるはずである。
 (中略)
 破損の激しい平兼盛の絵図が、実は本書の巻頭だったことになる(図4)。平兼盛像の右側四分の一が欠損しているのは、表紙が付く以前に、頻繁に本書を取り出すことがあったためであろう。平兼盛の本紙の横幅は、中央の最長部が二七四mm・下部二一〇mmである。〈八人会本〉の各本紙の平均横幅は三八三mmなので、約一一〇mm〜一七〇mm分が欠けていることになる。これはまさに、一般的な巻子本の外周に相当する長さである。
 (中略)
 平兼盛の右端の切断面が不自然なのは、表の軸巻を付ける部分が千切れたためであろう。現存の表紙と見較べると、その幅も切り口もほぼ接合部分が符合する。
 画面下部にある畳を示す線の下に、この平兼盛一枚だけは、波の模様が描かれている。平兼盛以降の歌仙絵でサッと線引きされただけの簡略化された畳とその下部は、この巻頭で指示された通りに描けばよいのである。
 (中略)
 〈八人会本〉の原画と、その紛本としての本書の性格を考えるにあたっては、右の歌仙額の可能性が多分にあるように思われる。なお、記(ママ)友則の左下には、本紙と裏打ち紙との間に、平兼盛の波文の左下端部の断片が貼り込まれている。この小紙片は、平兼盛の左下の欠落を完全に補完するものである(注3)。なぜこんな場所にあるのか、その理由は不明である。

注3 拙稿「伝『探幽筆 三拾六哥仙』の画像データベース化と原本復元」(『人文科学とコンピュータ 研究報告 No.18』平成5、情報処理学会)では、コンピュータを活用して、平兼盛の欠落部分の補完と、猿丸大夫→清原元輔→伊勢→山辺赤人→記友則という配列順の確認をした。また、表紙と平兼盛の接合に関しても、コンピュータ・グラフィックを活用した鏡像処理による左右反転画像を用いて、それらが整合することも検証した。(追記:なお、小野小町と有原業平の彩色復元図は、本〈源氏物語電子資料館〉の第3室-画像・映像・音声コーナーの画廊〈歌仙絵〉に掲載している。)

    三、表紙と表題

 (前略)
 実際に現物をコピーして、〈八人会本〉の巻子本形式の複製版を作ってみた。太さは直径四十五mmほどになった。表紙の横幅は二三〇mmなので、ほぼ一巻半の長さとなる。したがって、この『探幽筆 三拾六哥仙 軒』と書かれた紙は、〈八人会本〉の歌仙絵三十六枚の表紙であったものと見てよかろう。これは、第一番平兼盛の冒頭部の修理にともなって、全三十六枚の裏打ち補強を行なった際に取り付けられたものと推測したことは、前述の通りである。表紙左端の切断面も、平兼盛の裏打ち紙の右端の切断面と一致する。
 (前略)
 もし、探幽筆とされる歌仙絵と関連する冊子本の表紙だったものを、軸巻の表紙に転用したとすると、元の冊子本は、各歌仙の和歌などを記したものだったかもしれない。歌仙絵を描いた後に、その右か上部に和歌を書く職人のための資料だったものではないか。そんな可能性があることも、指摘しておく。

    四、制作過程と伝来形態の変遷

 (前略)
 まず、原画を模写するにあたっては、水を含ませた筆で一枚の楮紙に歌仙の姿をなぞったようである。それは、衣を描いた線の周囲にうっすらと残る輪郭線が確認できるからである。薄くなぞった後に、衣を書いたのである。現在のところ、一応私は、板絵として掲げられていた〈扁額歌仙絵〉を想定している。丁寧に書かれた彩色した顔の筆は、体を描いたものとは明らかに違っている。顔を描いた後に、体を書き、そして色名などの書き込みをしたと思われる。
 (中略)
 また、伊勢の左上端にあたる継目の下に残された墨の汚れは、次の赤人の右上端の汚れの続きが、紙継ぎ後の切断によって残存したものである(注3)。山辺赤人の歌仙名が人物画の六十mm右上にあり、歌仙名の右三十五mmに墨の汚れがある。とすると、この墨の汚れは紙の継ぎ合わせ以前においての、歌仙名を書いた時に付いたものと考えることも可能である。
(中略)
 いずれにしろ、私は次の理由から、最初は五mほどの巻紙三本の形式ではなかったかと想像している。それを、歌仙絵作画の際に、手本・紛本として作業場に置いて利用していたのではないかと。
 そう考える理由は、凡河内躬恒の左端が上から覆うようにして紙片が貼られており、その下部には厚紙が付着していること。その凡河内躬恒と次の藤原仲文の切断面を接合させると、裏打ちに大きなズレが生ずる。また、中務は左端四十五mmを裏から補強しており、その左側は縦に墨の汚れが広がっている。そして、その左端上下が極端に縮まっている。これは、左端に水がかかったためであろうか。さらに源宗于朝臣では、左端に紙継ぎの切断紙片がないのである。これらの状態から、平兼盛から凡河内躬恒までの十二人と、藤原仲文から中務までの十三人、そして紀貫之から源宗于朝臣までの十一人の、都合三巻仕立として利用・保管されていた時期が長かったことを想定してみたい。そうでないと、中務の紙面の左側が極端に黒ずんで汚れていることなどの説明がつかないのである。
 (中略)
 また、本紙の裏には、多くの墨の汚れが残っている。作業場で使用中に、巻かれていた紙の裏側に筆が当たることが、多々あったのであろうか。
 (後略)

    五、歌仙絵の切断

 さて、〈八人会本〉の原形であった〈紛本画巻〉の切断についてである。この一枚ずつの切断面は実に杜撰きわまりない。刃が二度三度と入った跡が顕著に残っている。切り口も、右へ左へとカーブしている。すべてに〈定木〉は用いなかったようである。ここからは海外で行なわれたであろうことは、ほぼ間違いない。切り直しの跡や、紙継ぎのところが捲れたままで切断したりもしている。
 (中略)
 これら一連の作業は、製本をした国(フランス?)でのできごとだと思われる。台紙に歌仙絵を貼り付けるのに、強力なボンドを使用しているところに、本と紙に対する文化的な相違を痛感する。
 このようにして完成した"PORTRAITS DES TRENTE-SIX GRANDS POETES JAPONAIS"と題する『探幽筆 三拾六哥仙』は、その後どのような手を経たかはわからない。とにかくパリの古書店に落ち着き、そして八人会が所蔵するものとなったのである。

    おわりに

 『探幽筆 三拾六哥仙』は、〈三十六歌仙絵巻〉または〈三十六歌仙扁額〉を制作するにあたって用いた、絵の手本としての〈紛本画巻〉だと思われる。狩野探幽は多くの模本を残している。しかし、これはその探幽の手になる模本の一つではなく、〈探幽筆三拾六哥仙絵〉を模写したものと考えられる。もちろん、絵巻からとは限らず、歌仙額からの可能性も高いと思っている。
 〈八人会本〉は保存・備忘・研究のための模本ではなく、実際に利用・活用された紛本である形跡が多々認められた。ただし、この〈八人会本〉をもとにして描かれた一式の歌仙絵は、現在のところは確認できていない。探幽筆とされている背景ともども、さらに検討を続けていきたい。
 本三十六歌仙の構図を子細に見ると、いろいろのことがわかる。
体と顔の向きを、藤原公任が『三十六人撰』であげた順番に並べると、二人ずつが向かい合う形となる。歌仙の配列については、他本の歌仙絵と比較するとおもしろい。各人物における「体の向き」「被り物」「持ち物」および「顔の向き」「視線」「手」「足」「耳」「髭の有無」「座り方」についても、〈佐竹本〉をはじめとする諸本との比較研究は、残された課題である。〈八人会本〉と同じ図様の三十六枚一式の絵画群が、一般に公開されているものの中には見あたらない。その点からも、本書の資料的価値は認められよう。
 探幽自筆の各種歌仙絵と〈八人会本〉との比較は、これも稿を改めたい。探幽自筆『百人一首手鑑』中の小野小町と在原業平は、〈八人会本〉における図様と類似するところがある。〈八人会本〉の小野小町と在原業平との二点を、コンピュータグラフィックを活用して着色を試みた。今は、彩色復元したカラー図版を示して(注4)、推測を重ねることに終始した私見を終えることとしたい。

注4 〈八人会本〉の着色復元の詳細については、情報処理学会 第20回・人文科学とコンピュータ研究会(平成5年11月26日・於岡山大学)で「伝『探幽筆 三拾六哥仙』の画像データベース化と原本復元」と題して研究発表した。注3にあげた拙稿は、その時のものである。また、歌仙絵の画像データベースについては、拙稿「小野小町データベース〈図像編〉私案」(『人文学と情報処理3』平成6、勉誠社)を参照願いたい。
(平成五年十月二十七日脱稿・十二月十九日補訂)


 今日の『百人一首』の確認は、45番歌の謙徳公から51番歌の藤原実方朝臣までを、変体仮名に注目して進めました。


 休憩を挟んで、次は「ハーバード大学本『蜻蛉』巻の仮名文字を読む」です。
 まず、先ほどの『百人一首』の時に見てもらった『探幽筆 三拾六哥仙』を、まだ片付けずに置いておいたので、なかなか見る機会のない物なので簡単に説明をしました。ケンブリッジ大学の故ジョン・コーツ先生が、これと同じ表紙と装丁の『源氏物語』の絵巻詞書をお持ちであったことにも触れました。

 次に、44番目となるインドネシア語訳『源氏物語』を回覧しました。

251031_インドネシア語G表紙.jpg

書名:GENJI MONOGATARI
出版元:Boston and New York. Houghton Mifflin Company.
    The Riverside Press Cambridge, 1925年版。
著作権・出版情報:Copyright コピーライトマーク CV. Shinyuu Japanindo
翻訳者:Sutrisno / 編集者:Gafna Raizha Wahyudi
※本書は2024年に出版された。(ただし、2022年と2023年にも出版)
※インドネシア語訳は、アーサー・ウェイリーの英訳(The Tale of Genji, 1925)全6巻の内の、第1巻のみをインドネシア語に訳したものです。他の言語でよくあることです。例えば、インドのサヒタヤアカデミーから出版されたインド語8種類による翻訳は、すべてがウェイリーの英訳の第1巻だけをそれぞれの言語に訳したものです。


 これによって『源氏物語』の翻訳は、次の44種類の言語でなされていることになります。
 古い情報で論文や報告書やコラムなどが書かれているので、これが最新であることを再度確認してください。

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【『源氏物語』が翻訳されている44種類の言語一覧】(2025年10月31日現在)

アッサム語(インド)・アラビア語・イタリア語・【インドネシア語】・ウクライナ語・ウズベク語・ウルドゥー語(インド)・英語・エスペラント・オランダ語・オディアー語(インド)・カタルーニャ語・クロアチア語・ジョージア語・スウェーデン語・スペイン語・スロベニア語・セルビア語・タミル語(インド)・チェコ語・中国語(簡体字)・中国語(繁体字)・テルグ語(インド)・ドイツ語・トルコ語・日本語(現代)・日本点字・ハンガリー語・ハングル・パンジャービー語(インド)・ビルマ語・ヒンディー語(インド)・フィンランド語・フランス語・ベトナム語・ヘブライ語・ペルシャ語・ポーランド語・ポルトガル語・マラヤーラム語(インド)・モンゴル語・リトアニア語・ルーマニア語・ロシア語
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 今日のメインであるハーバード本『源氏物語 蜻蛉』は、残り時間で駆け足で本文の確認をしました。確認し終えた「変体仮名翻字版」を公開します。


■ハーバード大学蔵『源氏物語 蜻蛉』64丁裏〜65丁裏8行目まで
翻字データの中にある付加情報(/)の記号について
傍書(=)、 ミセケチ($)、 ナゾリ(&)、補入記号有(+)、補入記号無(±)、 和歌の始発部
( 「 )・末尾( 」 )、底本陽明文庫本の語句が当該本にない場合(ナシ) 、 翻字不可・不明(△)
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阿らねと/ぬ&ね・ひき者て・【給】者ぬ越・な可/\なりと【心】
いれ多る/い±ら〈薄墨〉、(な可な可なりと、【心】いられ多る)・【人】八・きえ可へり・【思】・わ可・八ゝ/(八八)・三や八・於と
り/と〈判読〉・【給】へき・【人】可八・きさい者らと/よ&さ〈薄墨〉、き$い〈薄墨〉、(きよき者らと)・きこゆる者かり
の・へ多てこそ・あれ・み可との/と〈判読〉・於ほしかしつき
多る・さ万・こと/\ならさりける越/(ことこと)・なを・こ
の・【御】あ多りは・ことなり介るこそ・阿やし介れ・
阿可しのうら八・【心】尓くかりける・【所】可なゝと/(【所】可ななと)・【思】
川ゝくる/(【思】川川くる)・ことと母尓・【我】・寿く世八・いと・やむ
ことなしかれ/れ$し〈薄墨〉、(やむことなしかし)・まして・ならへて・もち・多てま
川ら八やと【思】そ・いと可多きや・[34]【宮】のき三は/(64ウ)
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この・尓しの多い尓そ・【御】可多・し多りける・王可
き・【人】/\乃/(【人人】乃)・け者い・あま多・して・【月】・めてあへり・いて・
あ者れ・これも・【又】・於なし・【人】そかしと・【思】いて・きこえて・
【御子】の・む可し・【心】よ世・【給】しものをと・いひなして・そな
多へ・於八しぬ・わら八の・於可しき・との井す可多に
て・【二】・【三人】・いてゝ/(いてて)・ありきなと・したり・三つけて・
いる・さ万ともゝ/(さ万ともも)・かゝや可し/(かかや可し)・これそ・よのつねと・
於もふ・三なみ於もての・す三の・万尓・よりて・うちこ
者つくり・【給】へ八・すこし・おとなひ多る・【人】・いてき
多り・ひとしれぬ/〈墨合点〉・【心】よせなと・きこ江させ・【侍】れ八・【中】/\/(【中中】)、(65オ)
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三な【人】・きこえさせ・ふるし川【覧】・うい/\しき/+【事】を、(【事】を、ういういしき)・
さ万尓て・まねふ・やう尓・なり・【侍】り・万めや可尓
なん・ことより・本可を・もとめられ・八へると・の【給】へ八・
き三にも・いひ川多へす・さかしら多ちて・いと・
於も本し可けさ里し・【御】ありさ万尓・川け
ても・こ三やの・於もひ・きこえさせ・【給】へりし・
【事】なと・於もひ【給】へいてられてなん・かくの三・
於り/\/(於り於り)・きこ江させ【給】なる【御】しりうことも

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 帰りには辺りは薄暗くなっていました。図書館と淀屋橋駅までのみおつくしプロムナードは、光のイルミネーションで飾られていました。

251108_イルミネーション.jpg 




posted by genjiito at 23:30| Comment(0) | ■講座学習

2025年11月07日

100歳のTさんが今日は我が家まで見送ってくださいました

 今日の集会所では、まずラジオ体操からです。
 昨日は、10時間がかりで秋田から京都に帰ってきた関係で、今日は身体が重く感じます。
 早口言葉もしました。
 新聞紙を丸めた棒状のスティックを持ち、身体を叩いたり腕を回したりと、楽しく柔軟体操をしました。
 また、筋肉の曲げ伸ばしや足腰の運動で、身体を温めました。
 毎月第1金曜日は、焼き立てのパンの差し入れがあります。
 今日は、紅茶の葉を刻んだものを練り込んだパンの中に、柔らかなリンゴが入っています。
 挽きたてのコーヒーと一緒にいただきながら、世間話などに興じました。

 帰りに100歳のTさんが、今日は近くのドラッグストアへ買い物に行くということで、我が家の前まで見送ると言って、率先して歩いていかれます。
 恐縮しているうちにドンドン先に行かれるので、とにかくいつもと違うコースで一緒に帰りました。
 ドラッグストアは近いとはいっても、そこへ行くためには信号のない狭い道を横切ります。
 気をつけて、と言うと、車が見えない時にしか渡らないので、それまではジッとしているから心配はいらない、と仰います。
 慎重な方なので、その辺りは心得ておられるようです。
 とにかく、背筋をピンと伸ばして手押し車を押して行かれます。
 来週の火曜日まで、しばしのお別れですね、と言うと、大きな声で笑いながら我が家の角を曲がって行かれました。




posted by genjiito at 19:44| Comment(0) | *福祉介護

2025年11月06日

秋田から新潟・東京経由で京都へ

 お世話になったみなさんに見送られ、千葉に帰る義兄と一緒に羽後岩谷駅まで車で送ってもらいました。朝が早いこともあり、義兄と妻が卒業した高校の生徒たちが、通学のためにホームに集っていました。

 羽後本荘までの一駅は立っていても、それから先は終点の酒田までゆったりと座れました。

 酒田から新潟までは、特急いなほです。鶴岡あたりから、雪を頂いた鳥海山がクッキリと見えます。

251106_鳥海山.jpg

 また、進行方向には、月山も見えました。

251106_月山.jpg

 海岸線のきれいな日本海側をひた走りに一路新潟まで。
 新潟からは、上越新幹線で東京まで出て、そこで義兄とわかれてからは、東海道新幹線で京都に向かいます。

 義兄とは、今回のお葬式が和やかでよかった話と、親戚の方々との関係や逸話を聞きました。

 東京からは、いつもの京都へ帰るパターンです。
 我が家には、陽が落ちてから着きました。10時間の長旅でした。しかし、義兄とお話ができたことで、充実した帰路となりました。

 なお、秋田ではクマとの遭遇はありませんでした。外に出ると、やはり緊張して辺りを見回します。報道されている以上に、現地では目撃や出会ったという情報が飛び交っています。相当数のクマが、人間の生活圏に出没していることを実感しました。




posted by genjiito at 20:29| Comment(0) | ・ブラリと

2025年11月05日

心温まる秋田での義兄のお葬式

 秋田の実家がある地域は、近年の葬式ではお通夜をしないそうです。特にコロナ禍以降に広まったとのことでした。

 そのため、今日は早朝から近在の方や親戚のみなさんが、弔問にお越しになりました。その時、お香典の上に10円玉を置いていかれます。あの世での三途の川を渡る時の足しになるように、という話でした。上方落語で桂米朝や桂枝雀が演じた、「地獄八景亡者の戯れ」の渡船場のくだりを思い出しました。

 出棺で収めた遺品は、義兄が高校野球部の監督だったので、ユニホームやグローブなどが入れられました。
 蓋に釘を打たず、みんなで担いで霊柩車に乗せます。

 火葬場で、喪主と2人の子供が点火のボタンを押します。実感をもってお見送りをするという、儀式の可視化だと思いました。
 1時間半ほど控室で待った後に、骨拾いとなります。

 午後は葬儀会場のホールに場所を移し、曹洞宗のお寺さんをお迎えしてお葬式が始まります。御師さんは親戚の住職さんです。今日わかった戒名は、「恒明院鍬雲善教居士」でした。

 孫と甥の2人が、おじいちゃんをお見送りする弔辞を述べます。自分との関わりを具体的にわかりやすく話し、しっかりと大役を果たしました。

 参会者をお見送りしてから、35日の法要が始まりました。

 火葬場(左)と葬儀会場(右)には、共にクマ対策として自動ドアは手動になっていました。

251105_クマの貼り紙.jpg

 みなさん、クマを見かけた話が尽きません。現実に、多くのクマが山から降りてきているようです。対策などを、いろいろいと教えてもらいました。

 今日も夜遅くまで、思い出話で時の経つのも忘れて語り合いました。




posted by genjiito at 20:54| Comment(0) | *身辺雑記

2025年11月04日

新潟経由で京都から9時間弱で秋田へ

 義兄が亡くなり、明日の葬儀のために妻の実家がある秋田に来ています。
 京都→東京→新潟→羽後本荘と乗り継いで8時間50分の長旅でした。
 東京からは、「とき」→「いなほ」と乗り継ぎました。

 東京駅で左側の「とき」に乗る時、右隣のホームには「はやぶさ」が止まっていていました。その先頭車両には「こまち」が連結されているので、記録として写しました。

251104_小町と朱鷺.jpg

 これまでは、京都→東京→秋田→羽後岩谷だったので、東京からは、「こまち」だけで行っていました。今回の「とき」に乗っての新潟回りは初めてのコースです。

 群馬県を北上して長いトンネルを抜けると、越後湯沢駅です。紅葉が進んでいます。

251104_紅葉.jpg


 しかし、越後湯沢駅を出るとまた長いトンネルが続き、そこをやっと抜けると、雪を被った山巓が開けます。

251104_雪.jpg

 秋から冬の移ろいを楽しみました。

 羽後本荘駅には、甥が迎えに来てくれました。妻の実家は、次の羽後岩谷駅が最寄駅です。しかし、この一駅6分の電車に乗るのに、羽後本荘駅で1時間3分も待つのです。そこで、甥が車で迎えに来てくれたのです。
 なお、羽後岩谷駅の次が、松本清張の『砂の器』に出て来る羽後亀田駅です。先月、私の故郷である出雲の亀嵩駅に行ったのは、『砂の器』で読者の視線を秋田と島根の同一言語圏に分散させるトリックの現地体験をするためでした。私が結婚する時に、秋田に挨拶をしに来た出雲地方出身の父が、羽後地方出身の妻の父と話が合ったのは、同じズーズー弁という方言周圏論(柳田國男の蝸牛考)の証明をしてくれたことになりました。京都から互いに反対にあっても、同じ文化圏なのです。

 秋田市内はもとより、長野県や千葉県や東京から親類縁者が、今ここに集まっています。義兄の思い出話で、まだまだこれから盛り上がりそうです。秋田といえばクマ。山を控えた集落なので、クマ対策の話も真剣に聞いています。近隣では、通報がされていないクマの出没情報が飛び交っているそうです。緊張しながら秋田で2日を過ごします。




posted by genjiito at 21:35| Comment(0) | *身辺雑記

2025年11月03日

清張復読(82)「歯止め」「犯罪広告」(『黒の様式』より)

■「歯止め」
 言うことを聞かず、ますます粗暴になる息子をめぐる話が展開します。さらには、病的性欲が問題となります。
 同時に、姉が自殺した原因を妹は知りたく思っています。いろいろと調べているうちに、姉の自殺の真相に辿り着きました。
 話が込み入っていて混乱し、私はうまく内容を整理ができないままに読み進めました。興味深い素材を扱った作品なので、時間さえあればもっと完成度の高い、胸を打つ話に仕上がったことでしょう。巧みな構成で人が死んだことが語られます。しかし、もっとわかりやすく整理して語ってほしかったと思います。
 また、息子の異常な性欲を処理するために、母親は身をもって歯止め役を務めます。その病的性欲についても、もっと語ってほしいと思いました。いわゆる、自慰と勉学の問題です。清張らくしない、奥歯に物の挟まった歯切れの悪い語り口です。【2】


初出誌:『週刊朝日』1967年1月〜2月

※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)では、本作について次のように言っています。

「母子相姦が生んだ悲劇を高校生の母親の立場から描いた問題作。」



■「犯罪広告」
 養父だった男が母を虐待し殺した、ということを綴った文書を、村に配って告発した男の話です。
 母親が埋められていると思われる、養父の家の床下を掘ります。しかし、何も出ません。
 やがて、その告発した男も行方不明になり、母子がその男に殺された可能性が出て来ました。
 犯人はほぼ特定できている形で、物語は進んでいきます。しかし、その確証が得られないのです。
 事件は、ウミホタルが解決の糸口となり、その手口が犯人の自供書によって明らかになります。
 読者には、いつ、どこで、どのようにして殺害されたのかが、最後までわからない構成となっています。ウミホタルが印象的な情景を読者に印象づける、清張の本領発揮と言うべき作品です。【5】


初出誌:『週刊朝日』1967年3月〜4月

※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)では、本作について次のように言っています。

「犯罪告発が巻き起こす騒動を描いた風土色豊かな社会派推理。」(142頁)




posted by genjiito at 20:14| Comment(0) | □清張復読

2025年11月02日

義兄の訃報を聞きすぐに東寺へ

 早朝、妻の電話が鳴り、取り損なったすぐ後に、今度は私の電話が鳴りました。画面を見ると、秋田の義姉からです。義兄が亡くなったと…… 5日が葬儀とのことなので、明後日には秋田へ行く段取りをしました。

 義兄は「鉄也くん鉄也くん」と言って、「也」をはね上げた秋田弁で呼んでもらっていました。いろいろなところへも連れて行ってくださいました。

 結婚後に秋田へ行った時には、船舶免許と小型船を持っておられたので、沖合まで釣りに出かけました。ソイという淡白な魚がたくさん釣れ、帰ってから調理をしていただきました。ただし、ソイの口にミミズが残っていたので私は気持ちが悪くて食べられませんでした。後々まで、笑い話のネタとなっていました。

 勤務校だった金足農業高校は、野球で春3回、夏8回の甲子園出場を果たしたことで有名です。義兄はそこの野球部の監督でした。転勤後に甲子園に出場することになった時は、一緒にテレビ観戦をしました。鳥海山や芭蕉の史跡にも連れて行ってもらいました。芭蕉が『奥の細道』で絶賛した象潟の蚶満寺は、わざわざ私一人を連れて行ってくださったところです。

 今年の春に秋田へ行った時には、酸素吸入をしながらの義兄と一緒にお風呂に入り、背中を流しました。夜には、『百人一首』をするのが秋田の実家の慣わしで、読手として和歌を秋田弁で詠み上げてくださいました。

 この楽しいことをしたのが今春でよかった、と思い返しています。

 供養にと、お昼に東寺へお参りに行き、ご冥福をお祈りしてきました。ちょうどガラクタ市だったので、ブラブラと骨董品を見てまわりました。

251102_ガラクタ市.jpg

 妻は、いつものようにカバンを作るための帯地を買い込んでいます。
 私はお茶道具を物色し、野点の茶筅の持ち手が長いものを見つけたので買いました。

251102_茶筅.jpg

 おじさんに聞いたところでは、海外の方がコップの中に抹茶を入れ、この縦長の茶筅で掻き混ぜて飲んでおられるとか。日本ではこの使い方での需要はなさそうです。しかし、こうした小道具を通して、お茶が国際文化交流に一役買っている一面を見た思いがしました。

 東寺からブラブラと京都駅南のイオンへ行き、いつもの高木鮮魚店で海鮮丼をいただきました。
 その後、4階のフードコートで大好きなケンタッキーのフライドポテトとコーヒーを飲もうとしていた時、アイスクリームを買いに行ったはずの妻がなかなか帰って来ないことが気になりました。
 30分待っても来ないので、私のスマホから、妻のアップルウォッチを呼び出しました。しかし、いくら呼んでも出ません。居場所は1階外の真下です。4階のアイスクリーム売り場にもいないので、階下に降り、建物の外へ出て探しても見つかりません。またイオンの各階で、妻のアップルウォッチの在り処を示す場所を見回り、4階のフードコートにもどり、多くの人が集っている所を、またグルグルと探しました。

 しばらくして、いつも座っている我々の定席から少し離れたところに、ションボリと俯き加減に座っているのを見つけました。妻いわく、どこにいたのかがわからなくなり、諦めてここでジッとしていた、とのことでした。根っからの方向音痴なので、離れる時にはいつも気をつけているのですが……。これからは、今の居場所をよく確認してから買い物に行ったりしよう、ということを再確認しました。
 今日はゆうに1時間。とにかくお互いが捜し合い、疲れ果てていたところでした。諦めて、お互いが自宅に帰ろうとする直前だったのです。
 よかった、よかったということで、イオンから京都駅のショッピングロードのみやこみちへ行き、秋田へのお供えを買いました。2つのコンビニはすでに宅急便の集荷が終わっているとのことだったので、西本願寺に近い宅急便の配送センターへ持っていきました。ここは、土日は午後7時まで、平日は午後9時まで取り扱っています。明後日には届くとのことだったので、一安心かつ疲れ切って帰路につきました。




posted by genjiito at 21:42| Comment(0) | *身辺雑記

2025年11月01日

宇治で相愛本『源氏物語 橋姫』の変体仮名を読む会(6)

 雨は上がったものの、寒い1日でした。
 HONBAKO京都宇治の本棚は、みなさんが小まめに本の入れ替えをなさっているので、華やかさが増しました。

 相愛大学本『源氏物語 橋姫』(断簡)の勉強会は、順調に確認を進めています。

 まず、一昨日の京都新聞に掲載された記事の紹介から。
 大田垣蓮月が茶道具に仮名文字で自作の和歌を彫った茶器が、屋敷があった京大病院の敷地内で発掘されているニュースです。仮名文字が茶道具の表面を飾っていることに、今後とも注目していくための情報提供です。

 さて今日は、8丁表から9丁表までを、変体仮名に注視しながら古写本を見ていきました。
 問題となったのは、ナゾリとミセケチが混在する箇所を、データベース化するためにはどのように記述するか、ということでした。
 9丁表7行目の「个り」という語句の扱いです。

251031_春曙「橋姫」9oL7个り.jpg

 ここは、「【給】へ〈改行〉里」と書いた後、「へ」の上から「个り」となぞったものの、何か不満だったようで、なぞった「个り」と次行行頭の「里」の3文字をミセケチにした上で、「个り」の右横に「个り」と傍記している例です。
 ここを、次のようにして、データベース化したいと思います。

 乃【給】り里/へ&り、り$り、里$

 また、一般的には「介」とする文字を「个」と表記していることも、特記すべきことだと思います。この「个」はめったに見られない文字だからです。

 なお、その前の行の「【御】とふらひ・【】能」の変体仮名「野(の)」についても、少し説明をしておきます。

251101_相愛「橋姫」9oL6野山.jpg

 ここで、変体仮名の「野」を助詞として用いているのは、書写者が「【野山】」という語句が意識下にあって書いたものだと思われます。もちろん、関戸本や元永本古今集にわずかに変体仮名の「野」の例があるとはいえ、鎌倉時代の物語の古写本にはあまりにも唐突に出て来るからです。
 参考までに、『かな字解』(関口研二、芸術新聞社、2014年12月)に次の説明があるので、こうした考えの補足として引用しておきます。

「野」は真仮名の時代には用例が多いが、かな古筆の中では僅少で、限定的である。関戸古今は草、元永本は行書。(116頁)

 なお、8丁裏と9丁表の間には、『源氏物語別本集成』の文節番号をもとにして換算すると、約1,000文節もの文章が脱落しています。これは、一括りの丁が5紙で綴じられていて、半丁(1頁)毎に約40文節が書写されているので、20頁分が欠脱していることになります。つまり、ちょうど一括り分がなくなっているのです。
 相愛大学本『源氏物語』が丁の脱落による断簡の姿で残っている現在、その元の写本の姿を想定する時に、この目安は今後の参考になるはずです。

 以下、本日の「変体仮名翻字版」で確認した本文をあげます。


■春曙文庫本『源氏物語 橋姫』第八丁表〜第九丁表[変体仮名翻字]

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可多より・可く【人】・を者須登・徒け・き
こゆる・【人】や・あらん・春多れ・越ろして・
み奈・いりぬ・をとろき可越尓八・あら寸・
の登や可尓・毛て奈して・や越ら・可く
礼ぬる・介者ひ登母乃・きぬの・越登
毛・世須・いと・奈よや可尓/可〈判読〉・古ゝろく累し
うて/(古古ろく累しうて)・い三しう・あて尓・三やひや可奈
累越・あ者れと・【思】・【給】ふ・やをら・堂ち
いてゝ/(堂ちいてて)・【京】尓・【御】く累ま・いて・まいるへく・【人】/\尓/(【人人】尓)・
しら世・つ可八して・あ里川累・さふらひ尓/(8オ)
--------------------------------------
越里あしう・まいり・【侍】尓介れ登・な可/\/(な可な可)・
宇れしう・【思】・【事】・春古し・なくさ免て
なん・可く・【候】・よし・きこゑよ・い堂く・
ぬれに堂る・可とも・きこ衛さ世ん可し
登・の多まへ葉・まいり弖・きこ遊・
可く・三ゑや・しぬらんと・於ほし
毛・よらて・うち登介堂り川累・【事】
とも越・きゝや/(ききや)・し・【給】ぬら無と・ナシ・い身志
う・八川可し・あやしう・可う者しう・
尓本ふ・可勢能・ふき川累越・【思】可けぬ/以下落丁、(8ウ)
〔←452108〕--------------------------------------[→453104]
毛てなひ・【給】八ん毛・【中】/\/(【中中】)・う多て・あらむ・
れいの・王可【人】尓・ゝぬ(尓ぬ)・古ゝろ者へなんめる
を/(古古ろ者へなんめるを)・な可ら無・能ち毛奈と・ひと【事】・うち
本の免可してし可葉・さやう尓弖・【心】そ・
と免堂らんなと・の多まひ遣る・【御】三つ
可らも・佐ま/\乃・【御】とふらひ野・【山】能・
い者や尓・あま里し・【事】なと・乃【給】个り
里/へ&个り、个り$个り、里$・まうてんと・【思】弖於毛ひ弖/【思】弖$・【三宮】乃・
可やう尓・をくまり多らん・あ堂り能・三
まさり・世んこそ・越可し可り遣れ登・あらまし【事】尓/ら〈次頁〉、(9オ)
--------------------------------------


 終わってから、1階のラウンジでアロマセラピストの方が香りとマッサージの実演をなさっていました。妻も、プロの方にアロマセラピーをやってもらったことがないとのことで、しばし癒やしの時間に身を置いていました。なかなか得難い体験ができたようです。
 このシェア型書店HONBAKO京都宇治では、今日はアロマセラピーを、先月は占いをするなど、地域や来店者などとの交流を促進するコミュニティサロンとして機能することも、大いに意識して運営されています。もし宇治にお越しの際には、JR宇治駅前のこの書店に立ち寄って見てください。オープンして半年が過ぎました。ブラリといらっしゃる方が増えてきているようです。
 毎月第1土曜日の14時から16時までは、私が2階で『源氏物語』の古写本に書かれた変体仮名を読んでいますので、こちらにもご参加ください。突然の参加も大歓迎です。

 帰りに宇治橋通りで、揚げたての抹茶コロッケを店内でいただきました。狭い店内の長イスに座って、アツアツのコロッケをフーフー言いながら口に入れます。至福の時でした。




posted by genjiito at 21:50| Comment(0) | ■講座学習

2025年10月31日

[その2]『源氏物語』の44番目の翻訳となるインドネシア語訳を入手

 今日の集会所で、インドネシアの大学院で勉強をなさり、インドネシアに長く住んでおられた大石さんから、お願いしていたインドネシア語訳『源氏物語』が届いたとのことで受け取りました。

251031_インドネシア語G表紙.jpg

 その奥付と目次を、生成AI氏に読み取ってもらいました。ただし、少し手を入れています。

251031_インドネシア語G奥付目次.jpg

書名:GENJI MONOGATARI
紫式部による『The Tale of Genji』を、アーサー・ウェイリーが日本語から英語に翻訳したものからの訳。
出版元:Boston and New York. Houghton Mifflin Company.
 The Riverside Press Cambridge, 1925年版。
著作権・出版情報:Copyright コピーライトマーク CV. Shinyuu Japanindo
 本書の版は2024年に出版された。
出版ディレクター:Gafna Raizha Wahyudi
翻訳者:Sutrisno
編集者:Gafna Raizha Wahyudi
カバーデザイン:Bayu Kurniawan
レイアウトデザイン:Fardan
著作権は著作権法によって保護されています。
本書の一部または全部を、発行者の書面による許可なく複製・転載することを禁じます。
(All right is reserved)
ページ数:188ページ
サイズ:14 × 20 cm
ISBN:978-623-97795-8-0
出版・翻訳:CV. Shinyuu Japanindo(ジャワ島中部州、インドネシア)
 Email:shinyuu.japanindo@gmail.com



目次(DAFTAR ISI)
項目ページ
序文(PENGANTAR)1
第1章 左の部屋(KAMAR KIRI)12
第2章 箒に似た木(POHON YANG MENYERUPAI SAPU)39
第3章 美しいこおろぎ(JANGKRIK YANG CANTIK)95
第4章 夜の栄華(KEMULIAAN MALAM)105
第5章 薄紫(VIOLET MUDA)147
著者について(TENTANG PENULIS)184


 なお、この2024年版インドネシア語訳は、アーサー・ウェイリーの英訳(The Tale of Genji, 1925)全6巻の内の、第1巻のみをインドネシア語に訳したものです。他の言語でよくあることです。例えば、インドのサヒタヤアカデミーから出版されたインド語8種類による翻訳は、すべてがウェイリーの英訳の第1巻だけをそれぞれの言語に訳したものです。

 この生成AI氏の回答に対して、私は以下の質問を重ねました。

「現在の『源氏物語』の巻順でいうと、4番目は「夕顔」です。しかし、ここでは「夜の栄華」として現行の『源氏物語』でいうと7番目の『紅葉賀』になっています。このズレは、どこから生まれたものでしょうか。」

 これに対して生成AI氏から、次のように詳細な回答が届きました。

「ウェイリーは
第3帖『空蟬』を独立させず、『夕顔』に統合
『紅葉賀』を早い段階に移動(第4章扱い)
という編集を行っています。
(中略)
したがって、インドネシア語版が「夜の栄華(=紅葉賀)」を第4章に置いているのは、
ウェイリー版の章順を忠実に踏襲したためであり、
『源氏物語』の原典順との差は翻訳段階での文学的再編集によるものです。
(中略)
ウェイリーは、英語読者にわかりやすくするために章の順序や構成を改変しており、いくつかの巻を統合・省略・改題しています。
(中略)
インドネシア語版は、この**ウェイリー初巻(Vol.1)**に基づく「抜粋翻訳」であり、
そのため「空蟬」が欠落し、「紅葉賀」が第4章として登場する構成になっています。
この改変が「現行の巻順とのずれ」を生じさせた直接の要因です。」


 なお、帚木三帖といわれる「帚木・空蟬・夕顔」についても、「古写本系統における差異」として詳しい説明を受け取っています。そこには、池田亀鑑・与謝野晶子・与謝野鉄幹・藤岡作太郎・桜井好朗・阿部秋生などの考えに言及しています。しかし、これに関して私は異論を持っているので、ここでは取り上げません。

 このインドネシア語訳の『源氏物語』が手元に届いたことにより、現在私が確認している『源氏物語』の翻訳言語の種類は、2023年9月25日に本ブログで公表した言語数の43から1つ増えて、44種類の言語で翻訳されているということになります。くれぐれも、44ヶ国ではなくて、44種類の言語ですので、引用なさる際にはお気をつけください。
 また、本ブログの2023年9月以前の記事を見て、現在とは違う少ない言語数を記載なさっている方を、しばしば見かけます。『源氏物語』の翻訳言語数は変動しています。本ブログの検索窓から「種類の言語一覧」で検索をして、現時点での最新の翻訳言語数を論文や報告書などに掲載していただくことを望みます。翻訳書の原本を確認したい方は、本ブログのコメント欄を活用してお問い合わせください。可能な限り、お手伝いしています。ただし、マスコミ関係者からの問い合わせや取材は、失礼な対応が多いのでお断わりします。

 このインドネシア語訳『源氏物語』の詳細な検討は、若い方々にお願いしましょう。

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【『源氏物語』が翻訳されている44種類の言語一覧】(2025年10月31日現在)

アッサム語(インド)・アラビア語・イタリア語・【インドネシア語】・ウクライナ語・ウズベク語・ウルドゥー語(インド)・英語・エスペラント・オランダ語・オディアー語(インド)・カタルーニャ語・クロアチア語・ジョージア語・スウェーデン語・スペイン語・スロベニア語・セルビア語・タミル語(インド)・チェコ語・中国語(簡体字)・中国語(繁体字)・テルグ語(インド)・ドイツ語・トルコ語・日本語(現代)・日本点字・ハンガリー語・ハングル・パンジャービー語(インド)・ビルマ語・ヒンディー語(インド)・フィンランド語・フランス語・ベトナム語・ヘブライ語・ペルシャ語・ポーランド語・ポルトガル語・マラヤーラム語(インド)・モンゴル語・リトアニア語・ルーマニア語・ロシア語
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posted by genjiito at 23:00| Comment(0) | ◎国際交流

[その1]集会所でカエル飛ばしゲームを楽しむ

 午前中は、傘を差すべきかどうか判断に迷うほどの、微妙にぐづつき気味の天気でした。
 天候に合わせて、今日は「ダイビング・フロッグ・ゲーム」というものをしました。
 初めてのゲームです。どんなものかは、メルカリの出品画像から紹介します。

251031_カエル飛びゲーム.jpg


 カエルのお尻を指で弾き、飛び上がらせて前の皿に入れます。
 真上に跳んだり、少し皿の手前だったり、皿の向こうに飛んだりと、悪戦苦闘です。
 それでも、6回やると1、2回は入る方が多いようでした。

 こうした簡単なゲームが、意外と盛り上がってみんなで楽しめます。
 カエルの動きがおもしろいので、見ているだけでため息が出たり拍手をします。

 帰りは雨が止んでいました。しかし、家に着く直前から降り出しました。
 しだいに強く降るようになったので、今日は散策には出掛けられません。
 アップルウォッチが歩数計にもなっています。
 今月の平均歩数は、9,300歩です。しかし、家の中ではカウントされてもわずかなので、月末で雨降りの今日は、2,000歩止まりの1日となりそうです。




posted by genjiito at 18:59| Comment(0) | *福祉介護

2025年10月30日

宇治徳洲会病院での医療体制のこと

 妻のレカネマブ(レケンビ)の点滴治療の付き添いで、宇治徳洲会病院へ行きました。
 11時に予約が入っていたにもかかわらず、診察の順番が回って来たのは12時40分頃でした。
 京大病院の主治医からの紹介で担当となられた京大病院におられた先生の診察は、楽しくお話をしながら手際良く終わりました。
 ただし、待ち時間が長いので、来月以降は診察時間を1時間早めてもらいました。
 お昼ご飯をいただく時間が確保出来ないからです。
 この脳神経内科には、想像を絶する多くの方が診察にお見えです。
 誰しも避けては通れないことでもあり、丁寧に診ておられるせいか、一人ずつの診察時間も長いようです。

 次はこの治療のメインである、下の階にある大部屋の観察室での点滴治療です。
 しかし、下でも待つこと50分。
 9台のベッドはすべて空いているのに、なかなかお呼びがかかりません。
 まだでしょうか? と看護師さんに尋ねると、不機嫌な声で用意ができたら入ってもらいます、とのこと。
 2週間置きの予約が入っており、診察が終わるとここに来ることがわかっていても、用意ができていないと仰る理由がわかりません。
 しかも、今日は1時間半も遅れて下に降りてきたのに、準備がなされていないのです。

 無事に点滴が始まっても、看護師さんや患者さんの話し声が飛び交っています。
 連絡の電話もひっきりなしなので、とにかく賑やかな病室です。
 至る所のドアが開けっぱなしで、1階の人通りも目に入り、雑踏の中での点滴でした。
 比べてはいけないとは思いつつも、京大病院のように心静かに点滴、とは縁遠い環境です。
 当の妻は、病室の賑わいが楽しい、と言っていました。
 京大病院では、安静の状態でウトウトしながら点滴を受けていました。
 この喧騒の中にいると、1時間が退屈しなくていいそうです。

 隣のベッドで別の点滴を受けておられた方が、寒いので布団を掛けたいとおっしゃっていました。
 看護師さんは、隣のベッドの上にある布団を好きなように使って、とおっしゃっています。
 しかし、片手に点滴のチューブと針が刺さっているので、隣のベットの布団は取れません。
 しかも、ベッドとベッドの間には距離があるので、手が届くわけはありません。
 応対しておられた看護師さんが席を外された隙に、私が布団を掛けてあげに行きました。
 点滴を終わられたその方は、すぐにお礼を言いに私と妻のところにいらっしゃいました。
 そして、別室での診察が終わってお帰りになる時にも、ご丁寧に挨拶にお出でになりました。
 よほど寒気で困っておられたのでしょう。
 あまりに丁重なお礼の言葉に、こちらが恐縮しました。
 別の付き添いの方は、急用で電話をしたいと申し出られても、その間に私たちは患者さんを見ている余裕はない、と冷ややかな対応でした。
 この方にも、代わりに私が見ていますよ、と言いたい思いを看護師さんの手前グッと我慢しました。
 いやはや、看護師さん不足が露呈している、慌ただしい病院の実態を見ることになりました。

 看護師さんたちは走り回っておられます。
 人手が足りないために、それを口実にして更なる激務から身を守る術を、体得なさったのでしょう。
 同僚は元より、患者さんへの言葉遣いもタメ口なのは、地元の患者さんとのお付き合いからくるのでしょうか。
 患者さんも好き勝手を言っておられるようなので、来やすい病院となっていると思われます。
 地域医療を支えている視点からは、ありがたい病院なのです。
 ただし、患者と医療従事者があまりにも馴れ馴れしいと、人によっては敬して遠ざけたくなるかも知れません。
 私は、そちらの方です。

 病院を出たのは、2週間前の前回と同様に16時を過ぎていました。
 11時に来て16時までの5時間が、これから毎月2回、そして1年も続くとなるとなかなか大変な通院であり付き添いです。
 次回には、診察が終わってから点滴が始まるまでの時間を短縮してもらうようにお願いしてみます。
 人手不足に慣れすぎて、あまりにも段取りが悪いと思うからです。




posted by genjiito at 19:50| Comment(0) | *健康雑記

2025年10月29日

宇治で古写本『源氏物語 橋姫』の変体仮名を読む会(第6回)のご案内

 本日の京都新聞の山城版「まちかど[宇治]」に、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉が主催する、「宇治で古写本『源氏物語 橋姫』の変体仮名を読む会」の案内記事を掲載していただきました。

251029_新聞宇治G.jpg

 変体仮名は初めてだという方のご参加も大歓迎です。
 宇治の地で、宇治十帖の初巻である第45帖「橋姫」に書かれた、鎌倉時代の文字を読み進めています。
 扱う古写本は、相愛大学の春曙文庫が所蔵する『源氏物語 「橋姫」』(断簡)です。
 写本の画像は、国文学研究資料館の国書データベースで公開中のものを使います。

 開催日時は、毎月第1土曜日の午後2時〜4時
 会場は、シェア型書店HONBAKO京都宇治の2階にあるシェアスペース
 今後の日程は、次の通り

 2025 11/1、12/6
 2026/1/3(休会)、2/7、3/7

 一人でも多くの方が、日本の文化資産である変体仮名が読めるようになることを願って開催するものです。
 『源氏物語』の内容は扱わず、仮名文字を読むことを主眼としており、毎回読み切りです。
 参加費は2,000円。
 毎回の勉強会の様子は、この[たつみのいほりより](http://genjiito.sblo.jp/)に報告しています。先月の活動内容は、以下のサイトから確認できます。
「宇治で相愛本『源氏物語 橋姫』の変体仮名を読む会(5)」
 資料はすべて、当日の会場で配布します。
 会場は、JR宇治駅から歩いて3分(京都府宇治市宇治宇文字2-38)、宇治警察署の裏側。
 本ブログのコメント欄を通して、参加希望の旨をお知らせいただけると、資料を用意してお待ちしています。
 お知り合いの方へのご紹介も、よろしくお願いします。




posted by genjiito at 18:54| Comment(0) | ◎NPO活動

2025年10月28日

風船送りゲームとオジャミ送りゲームを楽しむ

 今日は、うちわを使った2つのゲーム、風船送りゲームと、オジャミ送りゲームをしました。
 風船送りは、最初はうちわ2枚を持って風船を挟み、隣の人に順送りにするものでした。
 しかし簡単すぎたので、うちわを1枚だけ持つことにし、フワフワした状態の風船を隣の人に送ることに。
 すると、俄然おもしろくなるのです。
 おじゃみ送りは、最初は1つを、次に2つを、最後はスリルを求めて3つを送ることになりました。
 これも、次第にレベルが上がることにより、おもしろさが実感できるようになりました。
 こうして、このサークルではより楽しくおもしろいゲームにしてスキルもアップさせよう、という意識が醸成されています。
 いろいろとやってみる、という心意気が感じられる集まりであり、それを楽しむ雰囲気があります。
 高齢者が単に暇つぶしで寄り集まっている、という場所ではありません。
 とにかく、ポジティブな発想で運用されている集まりなので、心身共に元気になります。
 今日も100歳のTさんはイキイキと参加なさっていました。
 しかも、ああしてみよう、こうしてみようと、積極的な参加なのです。
 帰りの道々も、少しハイテンションでサッサと前を歩いて行かれます。
 年下の我々が、後から付いて行くという姿に、思わず知らずみんなの顔がほころびます。




posted by genjiito at 22:39| Comment(0) | *福祉介護

2025年10月27日

京洛逍遥(953)病院からの帰りに出町柳で店名の変更に驚かされる

 京大病院の東に佇む大文字山は、まだ秋らしさを感じさせません。このまま、冬の姿に移り行くのでしょうか。

251027_大文字.jpg


 最近、目が疲れやすくなり、目薬を使うことが増えました。また、目がかすみ、見えづらくなったので、先日の糖尿病の診察時に相談したところ、眼科の診察を入れてくださいました。糖尿病の合併症である網膜症には失明のリスクがあるため、迅速な対処をしてくださっています。

 事前の視力検査では、両目ともに1.0が何とか見えているようだ、とのことでした。まずは一安心です。目のピント調整や眼圧や眼底の写真を撮った後、診察となります。

 待っている時に、見えなくなって来たという高齢の女性が、手術が避けられないと知り、その不安を付き添いの息子さんに涙ながらに訴えておられました。息子さんは、根気強く丁寧にお母さんに説明をしておられます。目の手術となると、誰しも不安になります。私も、白内障で両目の手術をこの病院でした時には、大丈夫だとは思うものの、もしものことを考えると心穏やかではありませんでした。

 今日の眼科の診察では、糖尿病に関しては特段の異常はありませんでした。仕事柄パソコンのモニタを見つめることが多いのであればドライアイに注意を、とのことで目薬を処方されました。年と共にいろいろな衰えが出るので、目を疲れさせないような生活を心がけるようにすることもアドバイスとして受けました。ただし、かねてよりの緑内障の兆候は依然としてあるので、毎年検査をするようにと言われました。

 また、今週の予定として組まれていた私の脳神経内科の診察が、先月から始まった妻の定期的な治療の日とバッティングしたことにより、私の診察の方を変更してもらうことにしました。私の担当の先生の都合が付かず、なんと2ヶ月後の12月中旬の予約となりました。そうすると、いただいている脳梗塞関連の薬が手元に残らないので、残りの分を受け取るための面談が設定されました。対応は、いつもと違う先生です。しかし、カルテが集中管理されているので、これまでの経過を確認した上で、問題なく50日分の薬が処方されました。

 問診の中で、昨日は特に右足が上がりにくかったために歩きずらかったことを伝え、対処方法を尋ねました。今日は特に変わっていないのであれば、そのまま様子を見たら良い、と。もしそれでもおかしかったら、遠慮なくいつでも脳神経内科に来てほしいと言われました。脳の血管が、また詰まったかもしれないからです。実際に、運動機能などに影響のない脳の外側の血管は、すでに一本は詰まっているようです。症状がでない箇所なので、定期的に脳のMRIの検査は受けています。

 日々の体調管理を通して、いろいろな症状を抱えながら生きていることを実感しました。何かあったら飛び込める場所があり、複数人の主治医に診てもらえることに感謝です。

 帰りに、荒神橋の北側の飛び石を渡りました。

251027_荒神橋の飛び石.jpg

 下半身の機能の確認と訓練を兼ねての、我流のチャレンジです。機能に問題がある右足で着地をするのは自信がないので、右足で蹴って左足で着地という方法で渡りました。亀さんの石は形が不安定なので避けました。

 出町柳の桝形商店街を散策し、2軒の骨董屋さんを覗き、出町柳駅のロッテリアで大好きなフライドポテトとカフェオレを妻と喋りながらいただきました。そんな中で、テーブルと壁を見て驚きました。これまでロッテリアだった店がゼッテリアという名前になっていたのです。今年の5月27日からとのこと。お店の内装などはまったく変わらないので、しばらく気付かなかったのです。帰りにお店を出て振り返ると、確かに「ゼッテリア京阪出町柳駅店」となっています。世の中が動いていることを実感しました。




posted by genjiito at 21:23| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2025年10月26日

古都散策(74)春日野でのお茶の講演会と野点用の茶碗

 久しぶりの奈良公園です。観光客を縫うようにして、人に慣れた鹿が至るところにいます。かつて奈良に20数年住んでいて子育てをしていた頃には、鹿せんべいは100円でした。今は200円。30年も前のことですが。

251026_鹿煎餅.jpg

 昨日から正倉院展が始まったので、立ち寄りました。しかし予約で満員のため、今日の当日券はありません。今回はお香の蘭奢待が出ているとのことだったので、行って見ようと思ったのです。またいつか、ということにしましょう。

 ブラブラと東大寺に行きました。南大門の前では、2匹の鹿が頭をぶつけ合って興奮状態です。戯れているのか喧嘩なのかは、生態をよく知らないのでわかりません。そうとう長い間、取っ組み合いをしていました。

251026_鹿の喧嘩.jpg
251026_鹿の喧嘩.jpg

 東大寺の大仏殿には、子どもたちやお客さんを連れて何十回と来ているので、参拝はしません。外から格子越しに撮りました。ちょうど一週間前には、鎌倉で長谷大仏を間近に見ています。つい、大仏さまを比べてしまいました。

251026_大仏殿.jpg


 今日ここに来たのは、奈良公園の中にある「奈良春日野国際フォーラム甍」で、第57回茶道文化講演会が開催されるからです。

251026_講演会.jpg

 私は淡交会奈良支部の会員です。お茶の先生が、茶道裏千家淡交会奈良支部の理事をなさっていることもあり、お誘いを受けました。これまでも参加していたので、今回は妻と一緒に行きました。

 まず一室で呈茶がありました。その後は能楽ホールに移り、今夏8月に102歳でお亡くなりになった千玄室大宗匠の、最後の講演会のビデオを見ました。元特攻隊員だった時の話は、聞いた話であっても心に滲みます。
 続いて、茶道史家の神津朝夫氏による「奈良と茶」と題する講演です。
 日本中世仏教史研究の進展により、いろいろと新しいことがわかったそうです。喫茶は禅宗に限らず仏教寺院で広まっていたことが明らかになって来たとのことです。
 また、奈良は京都や堺よりも早く茶の湯が盛んだったと。
 さらには、茶の湯の祖とされる珠光は出家しているので、姓の村田は付けないのが正しいそうです。
 室町時代の『おようのあま 絵巻』(サントリー美術館蔵)の上巻に、茶の湯の成立期の様子が描かれていることが、絵の説明と共になされました。
 お茶をめぐる話に、知らなかったことが数多く語られたので、楽しく聴くことができました。奈良とお茶の縁が深いこともよくわかりましたり

 私のお茶の先生である森田宗輝先生は、この会の司会と進行役を務めておられました。帰りがけに、丁寧にお礼を伝えました。脳梗塞で手や足腰に違和感があるので、お稽古はずっとお休み中です。しかし、こうした機会を得て、勉強は続けています。

 近鉄奈良駅前を散策しました。もちいどの商店街で、シンプルな「いっぷく碗」と野点の茶筅を見つけました。

251026_茶碗.jpg

 今日の講演が奈良とお茶の話だったので、家にない茶碗が欲しくなったからです。食後に、時々お茶を点てています。この小さな茶碗であれば、サッとお茶を飲むことができそうです。かわいい茶筅も気に入りました。普通の茶筅を左上に置いたので、その小ささがわかるかと思います。

 奈良公園の周辺を歩いて、奈良は京都以上に海外からの観光客が占める比率が高いことを実感しました。ざっと9割は海外の方だと思われます。奈良は寂しい町だったので、こうして活気が出ることは良いことです。京都はもう満杯なので、分散化によって世界への日本文化の理解を深めて行くことには賛成です。折しも、新首相の高市早苗氏は奈良県の出身です。奈良に住んでいた頃に、駅前などでポスターを見かけました。地方の活性化にも腕を奮ってもらいたいものです。




posted by genjiito at 21:40| Comment(0) | ・古都散策

2025年10月25日

キャンパスプラザ京都で相愛大学本『源氏物語 帚木(断簡)』を読む(第2回)

 キャンパスプラザ京都(京都市大学のまち交流センター)の正面ロビーの掲示板には、いつものように案内が表示されています。前回から読む写本が変わり、相愛大学本『源氏物語』(断簡)となっています。

251025_京都でG.jpg

 今日は、相愛大学本『源氏物語 「帚木」』(断簡)の本文があまりにも現在流布している大島本と違うので、脳トレのような意見交換の場となりました。そして、多くの収穫が得られました。

 例えば、次の例はどのような経緯で生まれた本文なのか、いろいろと考えました。

※「相愛本」2丁裏の最終行から3丁表の3行目まで。

251025_相愛「帚木」2u末.jpg

のうち・いれ・【給】尓・あやしく所毛ちより多れと免川る/て&所、多&毛、ちより多れと/$、八&と、(あやしくて多ちより多れ八、毛と免川る)、ち/〈次頁〉、(2ウ)
--------------------------------------
ちより多れと免川る・【中将】めく・【物】・
きたるき多る・やゝと/(ややと)・能ひ尓/ひ〈ママ、諸本【給】〉・あやし
くて・堂ちよりたれ八・ナシ・に本ゐ・きて・


 ここは、2丁末の「あやしく所毛/て&所、多&毛」と3丁表の2行目の「あやしくて・堂ちよりたれ八」の目移りにより、その間の文が脱落していることに気付いた書写者が、3丁表の冒頭の「ちより多れ八」まで書き写した所でナゾリ書きやミセケチで本文を正した、と見ました。
 詳しく説明しましょう。
 当初、2丁末行は「あやしくて多」で終わり、使用していた糸罫を左に移動して3丁表を「ちより多れ八」と書きました。しかし、ここで3丁2行目の「あやしくて堂ちよりたれ八」に目移りして1行分を書き飛ばしていることに気付いたのです。そこで、2丁末行末尾の「て多」を「所毛」となぞり、3丁行頭の「ちより多れ八」をミセケチにし、そこで「八」を「と」となぞり書きすることで、「あやしく所毛と免川る」となるように補正したのです。
 ここで、「多・堂・た」の字母に異同が見られることは、親本に書かれていた字母が頭の中で音の入れ替えが起き、こうした不統一の表記になったと思われます。なお、これは別の問題でもあるので今は置きます。
 また、3丁表2行目の「能ひ尓」の「ひ」は、諸本では「給」となっているところです。この「ひ」については、別途考える必要があります。

※さらには、「相愛本」が「いとこより八可りいて【給】こと尓そ・あらん」(3丁裏7行目・源氏物語別本集成文節番号4344)とするところについては、現在流布する校訂本文の「大島本」(『新編日本古典文学全集』小学館)では「いとほしけれとれいのいつこよりとうてたまふことのはにか・あらむ」(100頁)となっています。

※また、「相愛本」が「な可/\・い者れし堂るいと・うたてあり介る」(4丁裏1行目・源氏物語別本集成文節番号4389)とするところについては、「大島本」では「なかなか・おしなへたるつらにおもひなしたまへるなむ・うたてありける」(101頁)となっています。

 この相愛大学本『源氏物語 帚木』(断簡)の本文は、一体何を言おうとしているのか、今後の検討に俟ちたいと思います。

 相愛大学本『源氏物語 帚木』(断簡)には、現在読まれている「大島本」と多くの本文の異同が確認できます。それらはすべて今後の課題として、今は正確な「変体仮名翻字版」をまずは作成して提供することに専念したいと思います。以下に、本日の成果を掲載します。


■相愛大学本「帚木(断簡)」(今回:第2丁裏〜第5丁表まで)
[変体仮名翻字版] (翻字:辻 義孝/補訂:伊藤鉄也)
  ・翻字データの中にある付加情報(/)の記号について
    傍書(=)、 ミセケチ($)、 ナゾリ(&)、
    補入記号有(+)、補入記号無(±)、 和歌の始発部( 「 )・末尾( 」 )、
    底本陽明文庫本の語句が当該本にない場合(ナシ) 、 翻字不可・不明(△)
[4274]--------------------------------------
者へ免れと・いふもいふも・いきの・した
なり・き江まとへ累・けしき・いと・古
こ新/〈ママ、諸本こゝろくるしく〉・らうたけ奈れ八・於可しう於
ほさる・ナシ・ナシ・堂可うへうも・あらぬ・【心】の/の〈墨ヨゴレ〉・
し累へ・なる越・於も者す尓も・於ほ
免い・【給】める可那・すき可ましう八・
ナシ・ナシ・みえ・多てまつらし・於もふ・ことこゝに
て/(ことここにて)・すこし・きこゆへきとて・いと・さゝ
やか奈れ八/(ささやか奈れ八)・かきい多きて・さう新
のうち・いれ・【給】尓・あやしく所毛ちより多れと免川る/て&所、多&毛、ちより多れと/$、八&と、(あやしくて多ちより多れ八、毛と免川る)、ち/〈次頁〉、(2ウ)
--------------------------------------
【中将】めく・【物】・
きたるき多る・やゝと/(ややと)・能ひ尓/ひ〈ママ、諸本【給】〉・あやし
くて・堂ちよりたれ八・ナシ・に本ゐ・きて・
か本尓も・かゝ類/(かか類)・古ゝち/(古古ち)・すれ八・於もひ
よりぬ・あさましや・こ者・い可なる・こと
そと・於もひ・さわ可るれと・きこゆ
へき・可多毛・なし・な三/\の/(な三な三の)・【人】奈ら八
こそ・あら免羅か尓も/免$(あら羅か尓も)・ひきかなく
羅免・堂れ多尓/堂〈ママ、諸本そ〉・【人】の・あまた・志らん八/の&志、(のらん八)・
いと越し可るへき・ナシ・ナシ・【見】さわきて・したひきたれと/ひ〈次頁〉、(3オ)
--------------------------------------
と可・なくて・おくなる・越
まし尓・ふし・【給】ぬ・さうし・ひきた
てゝ/(ひきたてて)・ナシ・【御】む可へに・おものとれよと・の【給】へ八・
【女】き三・【心】あ八せて可ゝるとしもやと/も〈判読〉(可可るとしもやと)・
ひとの・於もふらんと・ナシ・ナシ・わりなく於もふ尓/尓〈行末右〉・
な可れぬ者可り尓・あせ尓・なりて・いと・
なやまし介尓さへみゆ・いとこより
とりいて【給】こと尓そ/いとこより〈ママ〉、こと&いと・ナシ・ナシ・ナシ・ナシ・ナシ・あらん・としころ
もすこし川へうあな可ちなる
ま尓て【物】を/尓&後な・ナシ・ナシ・の多まひ川くすへか免れと/か〈次頁〉、(3ウ)
--------------------------------------
なを・いと・わ可/\新き古
こちし者へる八/(わ可わ可新き)・う川ゝとも/(う川川とも)・於もふ【給】
へられ数こそ/【給】&【給】・かすならぬ・みな可ら
かう・おほしくたしけ類/れ&類、(おほしくたしけれ)・【御心】の/八&【御】・ほと
八・い可ゝわ/(い可可わ)・あ佐ましうと・於もふ・【給】遍し
羅さらん/(【給】遍し羅さらん)、し〈行末左〉・八と/八〈ママ、諸本い〉・可うような累・き者ゝ/(き者者)・
き八とこそ・者へなれとて・於したち・
【給】へ累・なさけなさお・ナシ・うしと・於もへ
るも・け尓・いと越しう・者つ可しけな
れ八・ナシ・その・き八/\毛/(き八き八毛)・【又】・於もひ志らぬ・う井こと奈れ八/う〈次頁〉、(4オ)
--------------------------------------
な可/\/(な可な可)・い者れし堂る
いと/者〈判読〉・ナシ・ナシ・ナシ・うたてあり介る・おの川から・き・た
まう・やうも・あらむ・あな可ち尓・
すきかましき【心】と八・さらに・ならぬ
を・さるへき尓や・志ふ/〈ママ、諸本け尓〉・可く・あ者め
られ・多てま川るもいとわ里なう・
ことわりなる尓・ナシ・三川からも・あやし
きまて那んと・ま免多ちて毛・す
へくよろ川尓・の【給】へと・いと者つ可し
け尓・たくひなき・【御】介者いの・いよ/\/(いよいよ)/よ〈判読〉(4ウ)
--------------------------------------
うちとけ・きこ江んも・ナシ・者つ可し介れ八・
すくよ可尓・【心】川きなしと八・みへ・堂て
ま川るとも・さる・可多に・いふ可ひなくて
も・すくしてむと【心】川よう・於もひな
して・川れなく・もて那す・ひと本【上】の/本【上】〈ママ、諸本から〉・
堂をや可なる尓・川よい・【心】を・志ひ
て・く者へ多れ八・奈よたけの・【心】ち・して・
さす可尓・越くへくも・あらす・ふしこと
に・【心】やましうて・あやにくけなる・
【心】さまを・いふ可ひなしと・於もひて/(5オ)
--------------------------------------[4451]




posted by genjiito at 22:19| Comment(0) | ■講座学習

2025年10月24日

集会所で仮名と漢字の脳活をする

 今日の集会所では、ラジオ体操と早口言葉の後、1文字の言葉、2文字の言葉、3文字の言葉を言い合い、次に5文字の言葉、7文字の言葉と、次々にホワイトボードに列挙していきました。
 さすがに、7文字の言葉となると、なかなか出ません。最初に、今話題の人名として「たかいちさなえ」が、次に「ビーフシチュー」が出ました。出ないと思っていても、人名・地名などになるといろいろと芋づる式に出たので、おもしろくなってきました。

 最近私が集めている用語集から、漢字1文字を仮名7文字で書く例として何があるか、をあげます。

「蛞/蝌/蚪」(おたまじゃくし)
「鯢/螈」(さんしょううお)

 言葉集めは楽しいものです。

 なお、今日の早口言葉のプリントで、「喝舌トレーニング」というものがありました。これは最近使う資料で、北原白秋の「あめんぼの歌」の歌詞を印刷したものです。
 この中の漢字表記は、みなさんで見るプリントとしては難しいものなので、これを使い続けるのはどうかと思っています。
 その中にある難しい漢字の例を列記します。

「水馬」(あめんぼ、「水馬赤いなあいうえお」)
「小蝦」(こえび、「浮藻に小蝦も泳いでる」)
「啄木鳥」(きつつき、「豚木鳥こつこつ枯れ欅)」)
「大角豆」(ささげ、「大角豆に酢をかけさしすせそ)」)
「喇叭」(らっぱ、「立ちましょ喇叭でたちつてと」)
「蛞蝓」(なめくじ、「蛞蝓のろのろなにぬねの」)
「蝸牛」(まいまい、「蝸牛ネジ巻まみむめも」)

 高齢者の集まりなので、こうした難読漢字であっても、みなさんはそれなりに読めると思われます。しかし、これが全国どこでもそうかというと、大いに疑問です。
 こうした漢字と仮名文字の例を見ていると、文字で表記して口に出して言う時代が、しだいに移り変わっていくことを感じます。
 それにしても、この集会所に集まっておられる高齢者のみなさんの言葉に関する感覚は、想像以上にレベルの高いことを実感しました。




posted by genjiito at 23:07| Comment(0) | *福祉介護

2025年10月23日

平穏な日の中での不愉快なこと3題

 今日は、歯医者さんで憤慨することがありました。4月から不具合を訴えているのに、7ヶ月経っても治療に入ってもらえません。優先順位が低い治療の方は、今日終わりました。ただし、何も問題のなかったものがきちんと使えなくなり、不便な思いをすることになりました。これは予想できたことなので、また後日くわしく報告します。
 この歯科は、京都では3つ目の歯医者さんです。なかなか良い歯医者さんに出会えません。東京にいた時には、信頼できる2つの歯医者さんのお世話になっていました。もっとも、私が住んでいたのが東京医科歯科大学の官舎だったので、その周辺には優秀な歯科医院があったのです。ある時、京都での診療方針と説明に疑問を持ち、セカンドオピニオンとして東京の歯医者さんにアドバイスをもらいました。そして、京都の歯医者さんを変えたことがあります。コンビニよりも数が多いと言われる歯医者さん。身近な存在のはずなのに、いまだに信頼できる出会いがなくて困惑しています。

 ゆうちょダイレクトで送金をしようとしたら、本人認証で私は利用資格がないことがわかりました。この10月からルールが変わったそうです。私がマイナンバーカードを拒否していることと、運転経歴証明書しかないこと、そして在留カードを持っていないことを理由に、本人確認ができないので利用者の条件を満たしていないとのことです。
 これについては、最初はチャットでデタラメな対応をされ、次は電話で直接確認したことなので、もう手の打ちようがありません。私の存在を否定する金融機関としてのゆうちょには、もう口座を持っている意味がないので解約するしかありません。
 以前、ライフカードで私を証明するものがないとのことで、冷たいあしらいと不法行為を受けたことを思い出しました。あの時ライフカードは、私が提出した自動引き落としに関する書類を、契約しないことになった後にもかかわらず勝手に使い、銀行に口座開設の問い合わせをかけるという不法行為をしていました。
 ゆうちょもライフカードも、私の存在を認めてくれません。しかし、私は今も京都の宇治で日々元気に人間として生きています。ゆうちょさん、ライフカードさん、私の存在を勝手に否定しないでください。

 昨日、病院からもらった処方箋の一部にミスがあったことがわかりました。受け取りに行った薬局に、その対処の相談に行きました。対応された方はいつもと違う初めての方で、オーナーらしき方でした。そして、まったく不遜な態度での不愉快な対応で、担当者に伝えるとのことでした。その結果は今日連絡があるはずだったのに、いまだ何も連絡がありません。いつもの優しい薬剤師の方に、この件が伝わっているのでしょうか。
 薬の手配に関する病院とのやりとりは、以前もこの薬局でやってくださいました。個人よりも薬を手渡した薬局からの方が、正式なルートのようでした。明日は連絡があるのでしょうか。まだ薬の分量に余裕があるので、今週末までは間に合います。さて、どうなりますか。

 現役を引退し、高齢者の仲間に入った今でも、こうした嫌がらせのようなハードルを越えながら生きています。ストレスが溜まらないような生き方を身に付けたせいか、自分へのダメージは少ないと思っています。こうして文章で公開していることも、ストレス発散の一つになっていると思われます。
 こんな駄文をお読みいただいた方には、ただただ恐縮するばかりです。
 これも、私のタイムカプセルの1ページだと、ご寛恕のほどを切に願います。




posted by genjiito at 21:36| Comment(0) | *身辺雑記

2025年10月22日

[その3]本日の記事が6789本目でした

 どうでもいいことながら、本日の1本目の次の見出しの記事は、このサイトにブログとして掲載を始めて[6789本目]でした。

「[その1]キャンパスプラザ京都で相愛大学蔵源氏物語「帚木(断簡)」を読む会(No.2)のご案内」

 このサイトから発信した最初の記事は、「京洛からのことあげ」(2007年06月24日、http://genjiito.sblo.jp/article/178851945.html)でした。

 奈良から京都に転居し、心機一転、賀茂川畔からのことあげでした。
 実際には、サーバーのクラッシュやプロバイダーの休業など、4つのサイトを経ての情報発信だったので、さらに多くの記事を公開してきたことになります。
 しかし、今の環境で確認できるのは、この「さくらのブログ」から発信しているものです。

 この[6789本目]の記事は、数字が並んだだけ、ということにすぎません。
 しかし、記念すべきこととして、あえて記録として残しておきます。




posted by genjiito at 23:44| Comment(0) | ◎情報社会

[その2]京洛逍遥(953)雨上がり中での少し肌寒い時代祭

 宇治は朝から雨でした。しかし、今日の時代祭が中止ではないことをネットで確認してお昼に出かけました。

 京阪三条は小雨でした。少し東へ平安神宮に向かって歩き、昨秋、宮川保子さんが『源氏物語』の展覧会をなさった東山白川のタッセルホテル前で、行列の先頭が来るのを待ちました。

 先導役の京都府警察平安騎馬隊が来たのは、午後2時頃でした。

251022_平安騎馬隊.jpg


 それまでは霧雨が少し肌を湿らせる天候だったのが、この平安騎馬隊が来ると完全に上がりました。

 先頭で「平安神宮 時代祭 百三十年」の横断幕を持った女性たちも、この時とばかりに着物を覆っていた半透明のビニールの雨カッパを取り外し、艶やかな姿での歩みが始まりました。

251022_雨具.jpg

 時代祭は、今年で118回目です。過去に中止は13回あり、最近では新型コロナウイルス禍で2年連続の中止となっていました。
 私がこの前に時代祭を見たのは、コロナ禍の前、2019年10月26日に結城紬のお店「玄想庵」で視覚障害者と一緒に『点字百人一首』を楽しんだ時です。それ以来なのです。あの日の時代祭の行進は、本ブログの「見える人と見えない人が『百人一首』を一緒に楽しんだ記念すべき日」(http://genjiito.sblo.jp/article/186731131.html)の冒頭に写真をあげています。

 行列は、近代から古代へと時代を溯って進むので、まずは近代史のお勉強から始まります。
 西郷隆盛と坂本龍馬はどうしても写したかった人物です。ちょうど背景に「みや古」という変体仮名の「古」を含む看板が写り込んでいたのは偶然です。

251022_西郷と龍馬.jpg

 江戸と安土桃山と鎌倉時代は早送りして、三条通から河原町通を北へ急ぎ、京都市役所前で平安時代の列に辿り着きました。
 清少納言の後ろにいる紫式部のお茶目な姿を捉えることができました。

251022_紫女清女.jpg

 その後方には、小野小町がいます。平安時代初期、9世紀の衣装だそうで、中国や朝鮮の味付けがなされているとか。十二単との違いは、また別の機会にしましょう。

251022_小町.jpg


 行列を見るだけなので、通り掛かりの方で興味と関心と知識がなければ、単なる仮装行列に過ぎずおもしろくも何ともないことでしょう。海外の方々への説明が、刷り物以外ではほとんどなされていないので、もっと興味を惹く工夫がほしいところです。葵祭や祇園祭と比べると、盛り上がりに欠ける行列で終わっています。ここは、学生たちをアルバイトとして雇ってダラダラと歩かせることに留まらず、事前に一緒に時代祭のありかたを考える時間を持ち、さまざまなアイデアを披露する場にしたらいいと思いました。

 市役所前の有料観覧席の方々には、主催者側からマイクによる日本語の解説がありました。行列の何箇所かでは、少しは説明がなされていました。しかし、これまでこれでやって来た、ではなくて、スマホなりプラカードなりを駆使したサービスの再検討が必要です。観光行事として、関係者の間では当然考えられたことでしょう。しかし、その成果は今日の流れでは感じられませんでした。

 日本の歴史や文化を、より具体的に知ってもらえるチャンスです。日本はいずれ中国のものになるのだから、と豪語する多くの中国からの留学生や観光客にも、日本の歴史や文化に注意を向けてもらい、その魅力の一端に理解を促すイベントとなれば、その意義も深まることでしょう。

 一人でも多くの方に興味を持ってもらうイベントとするためには、明治以降という京都では歴史が浅い行事だけに、これからの若者が担い育てる役をもっと果たせるはずだ、と思うようになりました。
 京都には大学が多いので、環境には恵まれているのです。いろいろと、取り組みはなされていることでしょう。それを、大人がさらに後押しをして、活気のあるイベントにする、という方策の提起を可視化することから始めたらどうでしょう。




posted by genjiito at 22:35| Comment(0) | ◎京洛逍遥

[その1]キャンパスプラザ京都で相愛大学蔵源氏物語「帚木(断簡)」を読む会(No.2)のご案内

 昨日の京都新聞「まちかど」欄(京都市)に、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉が主催する、相愛大学蔵源氏物語「帚木(断簡)」(春曙文庫)の本文を変体仮名で読む会の案内記事が掲載されました。前回から「帚木(断簡)」がスタートしています。

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 会場は、キャンパスプラザ京都(京都市大学のまち交流センター)の5階にある第5演習室です。
 相愛大学蔵源氏物語「帚木(断簡)」は、ハーバード大学本「須磨」「蜻蛉」や歴博本「鈴虫」と同じ環境で書写された、鎌倉時代の古写本の断簡です。
 変体仮名は初めてだという方のご参加も大歓迎です。
 現在、毎回約10名の参加者と一緒に、和やかに変体仮名を読み進めています。
 なお、この会では『源氏物語』の内容は扱いません。
 鎌倉時代の古写本に書かれている文字が、とにかく読めるようになることを第一の目的としています。
 前回の勉強会の様子は、以下のブログで報告しています。

「キャンパスプラザ京都で相愛大学本『源氏物語 帚木(断簡)』を読む(第1回)」

 一人でも多くの方が、日本の文化資産である変体仮名が読めるようになることを願って開催するものです。
 資料はすべて、当日の会場で配布します。
 会場は、京都駅から JR の線路沿いに西へ歩いて5分の所です。
 本ブログのコメント欄を通して、参加希望の旨をお知らせいただけると、資料を用意してお待ちしています。





posted by genjiito at 22:33| Comment(0) | ◎NPO活動