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2026年05月22日
読書雑記(363)森見登美彦『シャーロック・ホームズの凱旋』
第一章
私が数年前まで住んでいた下鴨から寺町通が舞台なので、大いに楽しめました。知っている所が次々と物語の舞台となるのですから。
「京都警視庁」に「スコットランド・ヤード」と仮名が振られているのが粋な配慮です。
次の文章は、京都とロンドンが綯い交ぜになった描写であることがわかります。作者の工夫が随所に見られます。「時計塔」には、「ビッグベン」という振り仮名が添えてあります。京都にはあまり見られない霧が、ロンドンのイメージを持ち込もうとしています。「南座」のところで「そびえている」と平仮名で表記されているのは、何か意図があってのことでしょうか。その前で、「時計塔が聳えている。」とあることとの違いに、何か意味があるのか考えました。どうやらなさそうです。
「私たちは四条大橋の西詰へ出た。壮麗な国会議事堂が鴨川に沿って南へ延び、時計塔が聳えている。鴨川の霧はいよいよ深くなって、四条大橋はあたかも雲の中に浮かんでいるように見える。橋向こうに広がる祇園の町も霧の海に沈み、赤い提灯の明かりだけが朧に浮かんでいる。鴨川の対岸には大劇場「南座」がそびえているが、こちらはとっくに明かりを落とし、その大きな屋根が中世の古城のように黒々としている。ビッグ・ベンの鐘が鳴り始めた。ちょうど午前零時になるところだった。荘厳な鐘の音が夜の街へと広がっていく。」(45頁)
なお、モリアーティ教授が屋上から飛び落ちる場面の緊張感は秀逸です。
第二章
シャーロック・ホームズとアイリーン・アドラーの探偵同士の闘いは、アイリーンの方に軍杯が上がりました。おまけに、ワトソンの妻が、アイリーンの相棒となります。
ドタバタ劇は、多彩な要素を見せ出しました。
第三章
心霊現象に科学者はどう向き合うか、という課題が語られます。まじめすぎて、あまりおもしろくありません。
マスグレーブ家に代々伝わる『竹取物語』の写本の末尾に、異文が書かれていたくだりには興味を持ちました。
そして、謎解きがさらに興味深い方向に展開することになります。ただし、私には〈東の東の間〉の謎がスッキリとわかりません。この後、さらに明らかになるのでしょうか。そうであっても、この展開はもっとわかりやすくしたらいい、と思いました。
12年の時を経て、マスグレーヴ嬢が生きて現れたことは、ここまででは説明不足です。これ以降に詳しく語られるのでしょう。なかなか長く引っ張っています。
第四章
ホームズの引退宣言に関する話が展開します。あまりおもしろくありません。
また、心霊主義者の話も調味を削がれました。
話が取り止めもなく語られるので、散漫な印象を受けました。
着地点はないようです。読み進める推進力に欠ける物語の構成であり文章です。
第五章
突然、文章が生き返りました。力強く語られます。ただし、それまでの断片的な内容とは上手くつながりません。取ってつけたように、物語が前へ前へと進んでいきます。そして、作者は投げやりなことも言います。
「この半年間、私は発表するあてもなく、『シャーロック・ホームズの凱旋』を書いてきた。このような荒唐無稽な小説をホームズ譚の愛読者たちが受け容れるはずもないから、出版社もわざわざ世に出そうとは思わないだろう。そのうえ、この小説は完全に行き詰まっていた。
ヴィクトリア朝京都のジョン・H・ワトソンは、シャーロック・ホームズを救うべく、マスグレーヴ家の〈東の東の間〉へと乗りこんでいく。はたして〈東の東の間〉の正体は何なのか、その「向こう側」にはどんな世界が広がっているのか、さっぱり思い浮かばない。私は途方に暮れていた。今となっては、どうしてこんな小説を夢中になって書いてきたのかも分からなくなっている。」(355頁)
また、作者が自分の作品の批評もします。
「『シャーロック・ホームズの凱旋』はじつに奇妙な探偵小説だ。これまで君が『ストランド・マガジン』に発表してきた事件記録とはまったくちがう。物語の舞台はヴィクトリア朝京都という異世界だが、僕や君、ハドソン夫人やメアリ、アイリーン・アドラー、挙げ句はモリアーティ教授さえ登場する。なんのために君はこんな小説を書いたのか、僕は強く興味を惹かれた。読んでいるうちに分かってきたのは、これが探偵小説という形式を偽装した、べつの何かだということだった。君には探偵小説を書くつもりなんてなかったんだ。君の狙いはむしろ正反対のところにある。」(386頁)
読者としては、今読んでいる物語に対して懐疑的になります。
さらには、シャーロック・ホームズとモリアーティ教授が綯い交ぜになり、読者を撹乱しようとします。この展開は、この物語をかえってわかりにくくしたように思われます。
エピローグ
物語をまとめる後日談です。それまでの取り止めもない作り話を、ここで整理しようとします。しかし、言い訳めいていて、心ここにあらず、というものです。
最後の大文字山へのピクニックは、読者に対するサービスでしょう。
そして思いました。このエピローグが本書の冒頭に置かれていたら、と。そうすると、読者は右往左往することなく、この物語をもっと楽しめたのではないかと。【2】
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