2019年08月19日

読書雑記(266)高田郁『あきない世傳 金と銀 七 碧流篇』

 『あきない世傳 金と銀 七 碧流篇』(高田郁、時代小説文庫、角川春樹事務所、2019年8月18日刊行)を読みました。初春と初秋の年2冊の刊行が守られています。

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 開巻早々、大坂と江戸での帯の巻き方の違いが語られています。

 湯屋で知ったことのひとつに、帯の巻き方が大坂と江戸では異なる、というのがあった。
 大坂では、帯の巻き始めを左に置いて、左から右へ向かって身体に巻きつける。だが、江戸では帯の端を右に置き、右から左へと向かって巻いていくのだ。
 何故、巻き方が大坂と江戸で逆になるのか、江戸には士分が多く暮らすことと関係があるのか、と考えてみたりもするのだが、今以て理由は定かではなかった。
「私たちは大坂の巻き方で慣れてしまっているけれど、もしかすると、利き手が右なら江戸の結び方の方が、力が入れ易いかも知れないわね」(12頁)


なかなかおもしろい指摘です。ただし、本巻ではこれに対する解答は見当たりませんでした。

「買うての幸い、売っての幸せ」をモットーに、大坂から江戸に進出して商いを展開しようとする幸は、相変わらず明るい明日を見据えて創意工夫を考え続けます。
 舞台は江戸時代だとはいえ、和装のファッションを取り上げ、女性の気持ちを汲み取りながらこの物語は展開します。これは、『みをつくし料理帖』シリーズで料理人の澪に続いて、新しい女性が活躍する場を生み出したと言えるでしょう。
 幸は、「ありきたりではない、視点を変え、発想を変えての新たな知恵を」探し求めます。
 葉月十五夜が、幸たち五十鈴屋にとってさまざまな思い出の日となっていることが強調されています。物語の中で、満月を幸運に向かうものとして取り上げているのです。月光の描写にこだわる私にとって、これは特筆すべきことです。「来年もきっと、笑ってお月見をしましょう。」(163頁)という幸の言葉は、この物語を引っ張っていく力が委ねられていくように思えます。作者が意識しているかどうかはわかりませんが。
 また、江戸と大坂の文化の違いは、もっと知りたいと思わせます。ただし、それはいかにも調べたという雰囲気が伝わるとマイナスです。その頃合いが、作者にとっても難しいところでしょう。
 第九章からの終盤は、伊勢型紙の型彫師、型付師をはじめとして、江戸紫の小紋が出来上がる感動的な物語として大いに楽しめました。しかも、歌舞伎役者を押したてての閉じ目は、それまでが地味な商売中心の話だっただけに、艶やかで華やかな香りが添えられています。構成と展開の妙味を感じ取れました。惜しむらくは、中盤までの話がもっと躍動的であったら、さらに完成度の高いものになったことでしょう。【4】

 以下に、これまでの『あきない世傳 金と銀』に関する本ブログでの記事を、参考までに一覧にしておきます。

「読書雑記(254)高田郁『あきない世傳 金と銀 六 本流篇』」(2019年02月26日)

「読書雑記(224)高田郁『あきない世傳 金と銀 五 転流篇』」(2018年03月22日)

「読書雑記(205)高田郁『あきない世傳 金と銀(四) 貫流篇』」(2017年08月23日)

「読書雑記(196)高田郁『あきない世伝 金と銀 三 奔流篇』」(2017年03月13日)

「読書雑記(179)高田郁『あきない世傳 金と銀 二 早瀬篇』」(2016年09月03日)

「読書雑記(159)高田郁『あきない正傳 金と銀 源流篇』」(2016年03月11日)

 
 
 
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2019年08月18日

36度の中を大和平群でお茶のお稽古

 大和は盆地なので、暑さは京洛に負けていません。今日の日中は、共に36度でした。
 線路ぎわには、キバナコスモスが暑さを和らげています。

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 龍田川の上流になるここは、水が温まっているせいか、水の流れがどんよりと留まっています。

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 今日のお稽古は、前の方が使われた釣瓶水指を引き継いで始めることになりました。
 すでに釣瓶の水指と柄杓と蓋置は飾ってあったので、まず建付けには棗と茶碗を置いての挨拶から始まります。建水も、柄杓をのせずに持ち出すので、いつもと感じが違います。
 柄杓を取って、蓋置を釜の左隅に置くのも、すべて目の前の釣瓶の上にあるので、これはこれで動きがはっきりしていて気持ちがいいものです。
 釣瓶の蓋を開け閉めする時以外は、ほとんどがいつもの通りです。
 今日も、たくさんのことを教えていただきました。串刺しの団子や水気の多いお菓子のいただき方、棗の蓋の裏の花押のことなどなど。細かなことながら、お話ししたり聞かれた時に役立つ話題が、少しずつ増えていきます。

 帰りに乗り換える生駒駅で、記憶力を試す掲示を見かけました。

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 日毎に物忘れが酷くなっていくことを自覚する身なので、こんなゲームは道中での刺激になっていいと思います。よし、と思って、「らいおん、しか、ぞう、うさぎ」に続けて「黄・赤・緑・青」と、何度も繰り返し口ずさみました。ここまでは大丈夫です。
 もっとも、次の乗換駅である大和西大寺駅では、駅ナカのお店をブラブラし、時間になったので京都行きの急行にサッサと乗り込んだために、生駒駅で覚えた動物のことを試さないままでした。動物の名前や色や順番のことを確認する楽しみは、生駒駅を出た時点ですでにすっかり忘れていたのです。
 この問い掛けの掲示は、必要とする人のためにはならないようです。掲示の目的がどこにあったのかは別にして、私のように健忘症に突入したもののためなら、もう一捻りが必要かと思われます。身勝手なことだと思いつつも……一応の感想です。
 
 
 
posted by genjiito at 20:44| Comment(0) | *身辺雑記

2019年08月17日

京洛逍遥(571)京都十二薬師霊場(3-11)「西光寺」

 京都十二薬師霊場の第11番札所「西光寺」は、寅薬師として知られています。新京極通の中でも一番賑わうど真ん中にあります。ただし、お寺の入り口がわかりにくいので、知っている人しか訪れないと思われます。

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 これまで、何度もこの前は通りかかっているのに、ここが寅薬師だったとは、今日まで知りませんでした。

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 門を潜って中に入ると、すぐ左にアルミサッシ越しに落ち着いた本堂が見えます。来訪のボタンを押し、住職さんに勧められるままに靴を脱いで本堂に上がりました。住職さんは、ご丁寧にも寅薬師さんの前にロウソクを灯し、ごゆっくりお参り下さいとおっしゃいます。薬師の左右には観音菩薩と十二神将像がおられます。商店街に埋もれていた入口の様子と本堂の中の仏様が居並ぶ様子のギャップに、突然タイムスリップしたかのようで驚かされました。

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 「京都十二薬師霊場会」のホームページから略説を引きます。

寅薬師(とらやくし)
 帝の勅命を受け弘法大師が一刀三礼謹刻され、寅の日、寅の刻に成就されたため寅薬師と称される。
 宮中に奉安され歴代天皇の信仰を受けたが、弘安年間に後宇多天皇よりこの尊像を下賜された傳慶法印が民衆の幸福を祈る場として御倉堂を建立したのが当寺の創建とされる。
 以来、広く民衆の開運厄除、無病息災、及び寅年の守護仏として親しまれている。

<宗旨> 浄土宗西山深草派 <開山・開基> 寶照院傳慶法印 弘安5年(1282年)

御詠歌
あさぼらけ 寅の頭に ゆめさめて
  るりのひかりを みるぞうれしき



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2019年08月16日

京洛逍遥(570)満月を戴く大文字の送り火-2019

 颱風は、京洛をかすめるようにして北東に過ぎ去っていきました。
 ご先祖さまをお見送りする送り火は、一日違いで事無きを得ました。
 今夜は午後8時ちょうどに、まず京都大学がある吉田山の裏の如意ヶ岳に「大」の文字が点火されました。

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 文字が形を成した頃でした。その左上の雲間からまん丸い月が顔をのぞかせました。最初は何かわかりません。しだいに月であることがわかると、河原に集まった多くの人からどよめきが起き出しました。こんな大文字の送り火は初めて見ます。

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 満月と大文字に見とれている内に、火はしだいに輝きをなくして細い点線となっていきました。

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 帰ろうとした頃、出雲路橋越しの東に、松ヶ崎の「妙・法」が低い角度で見えました。

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 また、出雲路橋の上からは、上賀茂の船形が見えました。午後8時半です。
 橋の下を流れる賀茂川の水は、昨日の大雨で力強さを増しています。

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 さて、明日からは、生きている者たちだけの日々が始まります。本年度の後半に向けて、いい仕事の成果が残せるように、プロジェクトのスタッフと共に懸案の課題に取り組んでいきましょう。
 
 
 
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2019年08月15日

読書雑記(265)うおやま『ヤンキー君と白杖ガール 2』

 『ヤンキー君と白杖ガール 2』(うおやま、小学館、2019.6)を読みました。

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 第1巻を読んだ後、「紹介すべき言葉に窮しています。何と言っていいのか、困っています。」と書きました。そして、この第2巻、…………まだ、ウーンです。
 点字ブロックについて、その大切さが強調されています。しかし、私の知り合いで目が見えない方の多くは、あんなに膨大な枚数を敷き詰めなくてもいい、とおっしゃいます。交差点や曲がり角などのポイントだけでも大丈夫だと。いろいろな意見があるかと思います。点字ブロックの是非に関しては、この漫画の中には言及がありません。また、音によるサポートについても、描かれていません。
 トイレの中で水を流すボタンの話は、これまでに思っても見なかった問題点の指摘でした。立場が変わると、確かに大きな問題なのです。レバー、ボタン、タッチパネル、センサーなどと、水洗トイレの仕掛けが実に多彩になりました。これは、トイレのハードウェアとしての装備をうまく整理して統一しないと、目が見えない方たちは一人でトイレに行けないことになります。行き先ごとに水を流す方法が違うのは、混乱の元です。これは、海外からの観光客の方々にも関係します。
 同性愛の問題が、少数派と多数派の関係で説明されています。今後、この問題がどのように扱われていくのか、注目していきたいと思います。
 第2巻を読み終わり、まだ主人公の乱暴な言葉遣いに馴染めません。作品中の日本語は、私の感覚で言うと、相当乱れています。若者たちはこんな感じだ、と言われると反論したくなります。日常生活での行動や態度も、投げやりで粗忽に見えます。これも、私が旧世代だからということで片付けてほしくないものです。漫画の読み方、というよりも、社会の中での行動と言葉によるコミュニケーションを、どのように描写するか、という問題なのでしょう。
 弱視の少女の恋愛話がこれからどう展開していくのか、大いに気になるので、引き続き読んでいこうと思います。
 まだ、作者の意図するところが見えません。とりあえずは、次巻を待つことにします。【2】
 
 
 
posted by genjiito at 20:00| Comment(0) | ■読書雑記

2019年08月14日

不良品を気持ちよく交換してもらいました

 メダカを飼育している水槽には、LEDライトを取り付けています。水槽の中が明るいと、メダカや藻がユラユラ揺れる動きがきれいに見えるのです。水槽は、居間の中でも一番いい場所に置いています。そのLEDライトに不具合が起きました。一列に並んでいる4分の3もの明かりの点が、消えたまま点灯しなくなったのです。

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 交換か修理の相談をするのは、購入したお店がいいのか、製造販売の会社がいいのか思案しました。お店では、話を聞いた後で発売元に取り次ぐだけのように思われます。そこで、思い切って製品に付いていた説明書に書かれた会社に電話をしました。「水作」という会社です。
 状況を話すと、すぐに了解してもらえました。LEDのライトが消えるという相談が多いらしく、今は別の商品に切り替えておられるようです。そして、すぐに新しい商品を送るので、手元のものは処分してほしい、とのことです。しかも、交換費用は不要で無料だということです。感じのいい対応でした。
 翌日、早速届きました。水中に漬けず、ケースの上に置くタイプのものでした。形も大きくて、明るいので、インテリアとしても良くできています。

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 修理や交換というと、嫌な思いをすることが多いものです。しかし、今回は迅速で好感のもてる対応に満足しています。
 
 
 
posted by genjiito at 17:00| Comment(0) | *身辺雑記

2019年08月13日

ビルマ語の研究者と念願の面談をして

 大阪大学 外国語学部 ビルマ語専攻の大塚先生と、長時間にわたり親しくお話をしました。昨晩シンガポールから戻って来られ、明日から9月15日までミャンマーで調査というハードスケジュールの隙間に、こうして貴重な時間を割いて下さいました。ありがたいことです。この面談は、ヤンゴンでお世話になったココライズジャパンの長田さんが間に入ってくださったことで実現したものです。
 場所は、私の研究室がある総合研究棟に接する研究講義棟B棟でした。初対面ということで、まずは次の3点の希望するところを伝えました。

(1)ビルマ語に翻訳された日本文学と日本文化に関する約130点の書籍のリストが、現在手元にあります。ただし、その書誌が未整理なので、このお手伝いをしてもらえるアルバイトの学生さんを紹介してもらえないか。

(2)ビルマ語に翻訳された平安文学関係の作品を、わかりやすい日本語に訳し戻してもらえる方を紹介してほしいこと。具体的には、『百人一首』と『三十六歌仙』のビルマ語訳を手始めに。

(3)NPO法人〈源氏物語電子資料館〉のホームページから公開している、ダイジェスト版『十帖源氏』の「須磨」巻と「明石」巻をビルマ語に翻訳できる方を紹介してほしいこと。


 それぞれに、適任者を探してくださることになりました。
 また、井上先生と南田先生を紹介していただけるとも。長年、日本とビルマの文化交流に関わってこられた先達のアドバイスをいただけることで、この科研の情報の質が格段にあがることでしょう。
 さらには、去年と今年の2回にわたって私が行った、ヤンゴン外国語大学には教え子が今年度から行っているとのことなので、次回行った時には最新の情報交換ができます。新しいネットワークが、これまでの人脈をさらに補強できます。ありがたいことです。
 最後に、ビルマ語とミャンマー語の使い分けについて、お尋ねしました。私が今使っているビルマ語という表現でいい、というのが結論です。政治的な視点からはいろいろとあるにしても、ニッポンとニホンが通用するように、どちらでも問題はないそうです。文化論の範疇で扱うことでもあり、今後ともビルマ語で通すことにします。
 今春から、旧・大阪外国語大学の箕面キャンパスに研究室を持つようになりました。それによって、願ってもない研究環境に身を置いていることを実感する日々となっています。これまでに本科研「海外における平安文学及び多言語翻訳に関する研究」(課題番号︰17H00912)に理解を示してくださった多くの方々に感謝するとともに、この環境を生かして、さらに稔り多い成果に結びつくように、調査と研究を展開していきたいと思います。
 
 
 
posted by genjiito at 21:09| Comment(0) | ■科研研究

2019年08月12日

炎暑の中を河内高安の信貴霊園へ墓参

 大型の颱風が来る前にと、お墓参りに行きました。炎天下、涼しいスポットを探し、渡り歩きながらの京都から河内への移動です。
 久しぶりに、出町柳駅から京阪電車で京橋駅まで乗りました。相変わらず、乗り心地の良さに満足です。何よりも、本が普通に読めるのです。これで特急料金も要らないのです。文句なしに、日本で一番快適な特急電車です。
 近鉄信貴山口駅からは、霊園の送迎バスを利用します。待合室はギューギューの満員で、3台目のバスにやっと乗れました。
 霊園の入口では、ミストシャワーが身体を包んでくれます。山風と一緒に、涼しさの演出となっていました。

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 墓地から大阪平野を見下ろしました。

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 左手には今年3月まで行っていた、大阪の泉州地域を見晴るかすことがができます。

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 視線を右に転ずると、今年4月から通い出した大阪の北摂地域が望めます。

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 新旧2つの地域を一望のもとに眺めやり、今春の身辺が慌ただしかったことを、をあらためて実感しました。
 お墓に眠る両親も、ホーッ!ホーッ!と、私が語る下界でのドタバタ騒ぎの報告を聞いてくれたことでしょう。もっとも、両親の生き様は、私などとは比べものにならないほどに壮絶だったようです。
 終戦後の父は、満州からシベリアに抑留されて過酷な収容所生活を余儀なくされたのです。昭和13年に現役兵として満州に渡り、昭和23年に復員。母は、目を覆うばかりの人間の本性を否応なしに見せられて、命からがら満州から引き揚げて来ました。その戦争体験は、壮絶なものだったと思われます。両親は、互いに何も語らずに、すべてを胸にしまって旅立ちました。それに比べると、私の話などは聞き流す程度の、よもやま話の一つにしかならないことでしょう。それでも、いつも話を真剣に聞いてくれた両親のこと。私が語る、とんでもない人たちがいたかと思うと、苦境を救ってくれるかつての仲間がいた話は、思いやりで生き抜いた両親にはその意味合いが真っ直ぐに伝わったことでしょう。
 帰りには、いつものように鶴橋駅の高架下にある回転寿司屋さんに行きました。海幸サラダは、このお店の絶品です。安くて美味しいお店はたくさん知っています。その中でも、いつも満足して帰れる店は、この店を含めて数店です。
 信貴霊園は、島根県出雲市にあった我が家のお墓を、両親が終の住み処とした河内高安の里に移した所です。お盆という機会を得て、折々に両親を追慕し追善する場所として、この霊園に通い続けることでしょう。
 
 
 
posted by genjiito at 18:59| Comment(0) | *回想追憶

2019年08月11日

今年のお盆は早めの読経となる

 毎年、8月15日にお寺さんが我が家にお出でになり、お経をあげてくださっています。しかし、昨年からお寺さんが変わりました。「新しい住職さんをお迎えしてのお盆」(2018年08月17日)
 檀家が養林庵から無學寺に引き継がれたこともあってか、お盆はとにかく忙しいとのことです。今日だけでも19軒を回るのだとか。そんなこんなで、今年は早めにお出でになりました。
 仏壇は、お盆になるといつもに増して賑やかになります。

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 お膳は、これもいつものように、息子が丁寧に作ってくれます。

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 例年なら、お寺さんがお帰りになってから、大阪の高安にある信貴霊園へお墓参りに行きます。しかし、今日も38度なので遠出には熱中症の危険が伴います。そこで、明日以降の少し涼しい日に行くことにしました。西日本には颱風10号が向かってきているので、上陸直前の明日くらいしかなさそうです。
 今日は、下鴨神社で盆踊りがあります。しかし、これも熱帯夜なので出かけるのを控えました。
 暑さから身を守るために、いろいろと行動に制約ができました。しかたのないことです。とにかく身体を労って、今日一日を元気に過ごすことが最優先です。無理はしないことです。
 
 
 
posted by genjiito at 19:43| Comment(0) | *身辺雑記

2019年08月10日

京洛逍遥(569)38度の京都で身体がフラリと揺れる

 孫を連れて、岡崎の平安神宮に近い「みやこめっせ」に行きました。「電車王国 2019」というイベントがあるのです。

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 電車大好きの孫は大はしゃぎ。こちらは、連日の38度に身体が対応しきれなくなったのか、頭が少しフラリと揺れます。館内に広い休憩コーナーがあったので、そこで身体を休めることで、事無きを得ました。
 この夏は、いつもより水分補給を心掛けています。かかりつけのお医者さんがお勧めの、味の素の「アクアソリタ」という経口補水液を常備しています。出歩く時はもちろん、枕元にも。

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 そして、何事にも適度な休憩も心掛けています。無理をしないことです。ナマケモノに徹するのが、この夏を乗り切る秘策のようです。
 
 
 
posted by genjiito at 20:57| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2019年08月09日

京洛逍遥(568)孫と賀茂川を散策

 お盆を迎えて孫が来たので、賀茂川を散策しました。
 川風が心地よい夕暮れのひと時です。

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posted by genjiito at 20:26| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2019年08月08日

京洛逍遥(567)東山連峰の夏景色とスイミングのこと

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 来週の五山の送り火の主役となる如意ヶ岳の大文字が、写真左側の山肌に三角形の火床を見せています。雲が山際から、石鹸の泡のように湧き上がっていました。
 東山連峰は、夏本番を迎えています。
 日差しは強いものの、川風が気持ち良いので、出町柳まで散策です。
 サイクリング車を、鴨が下から見上げていました。

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 暑さを吹き飛ばすため、夕方からはスポーツクラブでひと泳ぎして来ました。しかし、プールは温水と化しています。身体が重く感じます。なかなか進まないのは、お湯の中で手足をバタバタと動かしているせいでしょうか。どっと疲れて、ミストサウナとジャグジーに身体を任せた後、お風呂に入りました。恐る恐る冷水風呂に入ると、身体がキュッと締まります。そして、次第に身体の芯から温もります。しばらくジッとしていました。水面が揺れると、ヒンヤリとした感触が首から肩にかけて襲って来ます。冷え冷えの身体に熱いシャワーを浴びると、とたんに引き締まった気分が一気にほぐれます。心臓に負担がかからない程度に、身体を刺激して気分転換をはかりました。
 今日は利用者が少なくて、のんびりしています。来ているのは年配者ばかりです。もともとが若者の少なくなった老朽化目覚ましいスポーツクラブなので、なおさら高齢者専用の施設のようです。ここに来れば、熱中症にならないと思います。もっとも、今日のように水温が高いと、別の意味で変調をきたしそうですが。
 37度を超える夏の一日を、適度の運動と身体へ刺激を与えて楽しんでいます。
 
 
 
posted by genjiito at 23:00| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2019年08月07日

箕面キャンパスでの新しい研究室のレイアウト

 本年4月から、研究環境が大きく変わりました。大阪府下箕面の地に研究活動の拠点を移し、気分一新でスタートしたことは、すでに報告した通りです。ただし、提供していただいた研究室は、90平米もある広い部屋でした。プレゼンテーションルームと呼ばれていた大広間です。

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 普通の研究室の3部屋分あるので、この部屋をどう使うか思案しながらの5ヶ月でした。荷物を運び込んだ当初の様子は、
「微笑んでいるように見えた太陽の塔」(2019年04月03日)

「楽しい偶然が重なって稔りある一日になる」(2019年04月09日)、
そして
「京洛逍遥(541)新研究室の整理をした帰りに嵯峨野温泉へ」(2019年04月24日)
に書きました。


 什器が何もなかったので、引越しの時に運び込んだダンボール箱を組んで、簡易書架を作って対処しました。
 しかし、いつまでもこのままではいけないので、什器を購入していただくことにしました。机、イス、作業用のテーブルなどです。

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 そのうち、ダンボールで組み上げた本箱が、次第に変形しだしたのを機に、カラーボックスを手配しました。貴重な翻訳本や書類などを管理するためです。昨日、そのカラーボックスが25個届きました。組み立ててあるものだと思っていたところ、それは私の方で組み上げるものだったのです。発注の仕組みがまた理解できていないこともあり、いろいろと思い違いがあります。
 とにかく、カラーボックスはこちらで組み立てるしかありません。普通の3段ボックスが15個と、A4版が縦に入る少し背の高い3段ボックスが10個あります。
 特任研究員の大山さんが、ご自宅から電動ドライバーを持ってきてくださいました。これは大助かりで、この工具は今回の組み立て作業で大活躍しました。
 組み立てのほとんどは、アルバイトで来ている吉村君が大奮闘してくれました。おかげで、25個のカラーボックスを、2日がかりで合計400本のネジを捻じ込んで完成させることができました。私も何個かを組み立てました。

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 このカラーボックスを段ボール箱と置き換えた部屋全体は、こんな雰囲気になりました。
 翻訳本は、これも吉村君の手際の良い整理のおかげで、翻訳言語別に見事に並べて終わりました。次の写真の正面奥に4段に積み上げてある段ボール箱は、来週撤去するものです。

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 壁際には、梱包されてきた段ボールが積み上がっています。この風景も、今回の貴重な記録です。

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 あとは、これから時間をかけて、A4版の書類や資料を整理します。もちろん、研究書や資料集などは、まだ床に積み上げたままの状態です。根気が求められています。とにかく、これでやっと何とか整った環境で研究が進められます。
 翻訳本や関連資料をご覧になる方のために、閲覧用の丸テーブルも用意できました。資料確認やさまざまな情報の活用にと、これまでに収集整理したものが役立つことでしょう。本年3月に発行した『平安文学翻訳本集成〈2018〉』に掲載した翻訳本などの確認も、この新しい研究資料室でできるようになりました。

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 遅ればせながら、半歩前進です。ただし、アルバイトの方々に作業をしてもらうエリアは、これから整備していきます。今月から来月にかけて、あと3名のアルバイトの方(ロシア・インド・ミャンマー)に手助けしていただく予定です。

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 現在、ミャンマー、モスクワ、ウクライナ、オーストラリアへの、調査研究の旅を計画しています。平安文学に関連した新しい情報をお持ちの方からの、調査の協力や連絡をお待ちしています。
 
 
 
posted by genjiito at 23:36| Comment(0) | ■科研研究

2019年08月06日

京洛逍遥(566)賀茂川で見かけた鷺と夕焼け

 38度前後の暑い日々が続いています。それでも、朝夕は賀茂の川風が涼しいので、気持ちよく散歩ができます。
 鷺は、上空よりも川面が気持ち良いのか、低空飛行で北山へ向かって行きました。

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 帰ろうとする頃、薄い眉のような月に夕陽を浴びた飛行機が、「今日も暑いね」と挨拶をして飛び去るところでした。

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 このところ、急に大雨が降ります。颱風があと2つもやってきます。
 これから夏本番。
 来週の京都五山の送り火まで、どんな熱暑が襲いかかって来るのか、気象情報が気になっています。
 これまでに経験したことがないと言われる異常気象に悩まされることがないように、ただただ送り火に日々の平安を祈るだけです。
 
 
 
posted by genjiito at 19:33| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2019年08月05日

読書雑記(264)岸博実『視覚障害教育の源流をたどる』

 『視覚障害教育の源流をたどる 京都盲啞院モノがたり』(岸博実、明石書店、2019年7月31日)を読みました。

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 「版元ドットコム」から、本書の紹介文を引きます。

2018年、明治時代初期に開校した国内初の公立特別支援学校「京都盲啞(もうあ)院」の関係資料約3000点が、国の重要文化財に指定された。資料には、近代日本の障害者教育で先駆的な役割を果たした教材や文書の数々が含まれる。これら貴重な資料の調査研究に長年取り組んできた著者が、その解説を通じて特別支援教育の源流や社会参加の原点を探る。


 この資料群が重要文化財になったことは、次のように記される通り意義深いものです。

 その内訳は、文書・記録類一一五三点、教材・教具類一九三点、典籍・教科書類一二五三点、凸字・点字資料二二一点、生徒作品八四点、書跡・器物類六四点、写真・映画フィルム三二点である。
 近現代の教育分野としては、東京大学、東京書籍株式会社附設教科書図書館に次ぐ三件目、大学以外の公立学校としては初めての重要文化財指定である。これは、盲学校史だけでなく、近代日本の教育史を巡っても画期的なできごとと思える。(5〜6頁)


 「京都盲啞院」の資料を見ていく前に、盲教育の初発段階からの事跡が確認されています。少し長くなることを厭わず、大事な部分なので以下に引いておきます。

 「世界で最初の盲教育機関」はどこであったか。これについては、一七八四年にヴァランタン・アユイがパリに開いた訓盲院が嚆矢だとするのが通説である。しかし、実際には、一六九三年に盲人・杉山和一検校が江戸で始めた「杉山流鍼治導引稽古所」(後の鍼治講習所)を無視すべきではなかろう。つまり、杉山和一の始めた施設が、世界でも、日本でも、最初の盲教育機関として誕生したのだ。「日本で最初の盲啞院」というくくり方も、正確には「盲教育とろう教育を併設した学校としては日本で最初のもの」という意味になる。あるいは、京都盲啞院の盲教育機能は「近代日本で最初の盲学校」と位置づけられ、同院のろう教育は「日本で最初のろう学校」にあたると言えよう。
 では、「近代日本で最初の盲学校」として京都盲啞院が挙げられるのはなぜか。
 明治維新の後、封建制の打破を図る政府は、一八七一(明治四)年に、中世以来の伝統を持つ盲人の職能団体である当道座を廃止した。これにより鍼治講習所も消失した。つまり、盲教育機関が廃絶したのである。同年、官僚であり、後に楽善会の中軸メンバーとなる山尾庸三が「盲啞学校ヲ創設セラレンコトヲ乞フノ書」として、盲学校ならびにろう学校の設立を建白したが、ただちには実を結ばなかった。山尾は長州ファイブの一人としてイギリスに渡り、造船所でろう者に出会ったことなどをきっかけに盲・ろう教育の必要を痛感したという。かたや当道座の人々による模索もあったが結実はしなかった。一八七五年、宣教師フォールズ、医師ボルシャルト、中村正直、岸田吟香ら、キリスト教関係者による楽善会が訓盲院の創立を目指し始めた。一方、一八七六年には、盲人・熊谷実弥が東京麹町に私学として盲人学校を開いたものの一年ほどの短命に終わったとされる。
 こうした推移がある中、京都において、一八七三−七五(明治六−八)年に古河太四郎(一八四五−一九〇七)が「上京第十九組小学校(後の待賢小学校)瘖啞教場」で啞生の教育に着手し、遅くとも一八七七年には盲生への指導も開始した。その成果を京都市全域に及ぼすべく構想を描き始めた。
 同じ頃、遠山憲美が京都府宛に「盲啞訓黌設立」を建議し、愼村知事も同意した。こうして、古河・遠山らと幅広い町衆および京都府が協力し合って産声を上げたのが「京都盲啞院」であった。一八七八(明治一一)年五月二四日である。その翌年には大阪府が大阪摸範(模範)盲啞学校を設置し、一八八〇年に楽善会訓盲院が授業を開始する。時間軸に沿ったこの経緯をもって、京都盲啞院の盲部門を「近代日本で最初の盲学校」とみなすのは妥当である。(16〜18頁)


 また、なぜ最初に京都で盲学校が誕生したのか、ということについては、次のようにその理由が語られます。5つの項目だけをあげます。

@京都は、盲人にとっていわばメッカであった。
A京都は、宗教都市でもあった。
B京都は、高度な商・工業や文化的資源に富む都市であった。
C明治期になって、京都には「首都でなくなる」ことへの危機意識があった。
D京都盲啞院を設立することになる古河太四郎は、寺子屋・白景堂を営む家に生まれた。(18〜21頁)


 以上のことを最初に確認しておいて、本書の全体を通覧しておきます。「版元ドットコム」より、本書の目次を引きます。

はじめに――重要文化財に指定された〈京都盲啞院関係資料〉

第1章 盲教育のはじまり――京都盲啞院と古河太四郎・鳥居嘉三郎の時代
 「日本最初盲啞院」とは?
 近代日本で最初の盲学校
 なぜ、京都で?
 古河太四郎の発起と教育観・障害観
 古河太四郎の学校づくりと教材開発
 第二代院長・鳥居嘉三郎の時代

第2章 京都盲啞院資料をよみとく
 1 文字を知る――点字以前
  盲生背書之図/木刻凹凸文字/知足院の七十二例法/紙製凸字/盲目児童凸文字習書/蠟盤文字/自書自感器/表裏同画記得文字/墨斗筆管
 2 読み書き
  凸字イソップ/凸字『療治之大概集』/盲生鉛筆自書の奥義/盲生の鉛筆習字/訓盲雑誌
 3 数を計る
  盲人用算木/盲人用算盤/手算法/さいころ算盤/マルチン氏計算器/テーラー式計算器
 4 世界に触れる――地理
  立体地球儀/凸形京町図/針跡地図ほか
 5 力と技を身につける――体育・音楽・職業訓練
  盲生遊戯図・体操図/オルガン/職業教育/按摩機
 6 点字の導入
  盲啞院への点字の導入/ステレオタイプメーカー/ルイ・ブライユ石膏像
 7 学校づくり
  盲生教場椅卓整列図/ろう教育史料/瞽盲社会史と検校杖/受恵函

第3章 盲啞院・盲学校が育んだ文化
 これからの視覚障害教育に活かせる文化として
 障害者の生きる社会を問う文化として

 参考文献/関連拙稿
 京都盲啞院関係資料重要文化財指定番号一覧
 あとがき
 初出一覧


 前置きが長くなりました。
 これまでに岸先生からは、多くのことを直接に、また公開されている文章を通して教えていただきました。何でも疑問に思ったことを聞く私に、先生は丁寧に説明してくださいます。幅広い知識と探究心をもって、これまで私にはよくわからなかった領域に、ポツリポツリと光を灯してくださっています。教えていただいても、すぐに忘れてしまう私は、極力ブログに書き残すことで確認できるようにしてきました。今からちょうど一年前には、「障害者と戦争」をテーマとする展示会場で、お話しを伺いながら展示物を見る機会がありました。「立命館大学の戦争展で視覚障害者の資料を見る」(2018年07月31日)に書いた通りです。
 そんな折、岸先生は京都府立盲学校に保存されていた貴重な資料が国の重要文化財に指定されたことを受けて、その全容を紹介する本書を公刊なさいました。その資料を直接整理なさったことが背景にあるだけに、新しい知見はもとより、教えていただきながら忘れていたことの意味に気づく、ありがたい一書となっています。
 写真や図版が多いので、初めて視覚障害に関する話に接した方にも、わかりやすい手引き書です。また、少し大きめの文字で、ゆったりと組まれた本文は、非常に読みやすいと思います。優しい目で、そして聴く者に負担がないように気遣いをしながら、しかも論理的に道筋をつけて行かれる語りの手法は、まさに名調子です。
 日本で点字戦争がなかったこと(32頁)、京都盲啞院をたどると龍馬に及ぶこと(49頁)などなど、広い視野からの話が満載です。
 仮名文字に興味を持っている私は、『裏表同画記得文字』の項目で紹介されている『古川氏盲啞教育法』に記されている仮名文字の図に注視しました。紹介されている写真(69頁)から、現在の平仮名の字母とは異なる、変体仮名に当たる文字及び「命」や「盲」の文字などを赤で囲ってみました。

190805_kanazu.jpg

 私はまだ平仮名文字の歴史的な変遷について調査をしているところなので、この図の説明ができません。ご存知の方からのご教示を、楽しみにしてお待ちしています。
 木刻文字や凸字などの項目は、私の研究テーマである「古写本『源氏物語』の触読研究」(http://genjiito.sakura.ne.jp/touchread/)に直結するものなので、丹念に読みました。石川倉次が点字を選定するまでの触読の実態については、特に興味があります。
 例えば、『訓盲雑誌』の説明の中で、「点字の出現によって、まもなくこの雑誌の存在意義は薄れていったと考えられる。読者数はどこまで伸びたのだろう。比田虎雄、大庭伊太郎もまた深い霧のかなたの人である。」(95頁)とあります。多くの関係者のその後についても、もっと知りたくなりました。
 最終章では、現代におけるさまざまな問題点について、私見を述べておられます。納得できることが多いだけに、もっと紙幅を割いて語っていただきたいところです。しかし、本書の性格上、そうもいかないのでしょう。またの機会に、ということです。
 そうした中で、これからの視覚障害教育について言及している箇所で、私がチェックをしたところを抜き出しておきます。

いわゆる統合教育を受けている子の中に、ほんとうはもっと早く拡大教材や点字に出会うチャンスがあるべきなのに、その機会に恵まれていないケースがあるのではないかという疑問。二つめには、現に通常学校で統合教育を受けている児童などに対して、文字学習の面で盲学校の持つノウハウが貢献しうるはずだという期待である。(180頁)
 
 
 点字のなかった頃の教材は、限られた盲学校にしか現存しない。四国や近畿の盲学校数校からリクエストをいただき、凸字教具のレプリカや写真を携えて、出前した。徳島県立盲学校を皮切りに、和歌山、滋賀で中学部生や高等部生に「凸字や点字」についての特設授業を行ったのだ。いずれも、新鮮に受け止められたようで、真剣に耳を傾けていただいた。なかでも、徳島の生徒たちは二〇〇八(平成二〇)年、自分たちで「点字の歴史」を調べ、パネルなどに仕立てて百貨店でその成果を発表する展覧会にまでこぎつけた。その会場に駆けつけてみた。「点字への誇り」が新鮮に花開き、多くの市民が点字に接するユニークな機会になっていた。(184頁)
 
 
 点字には、目の見えない人々の、「読みたい・書きたい」願いがこめられている。自由な記録、伝達、表現、読書に不可欠であった。凸字から点字への道を切り開いたことによって、学びの質が飛躍した。大正時代には、全国の盲人たちが連携して選挙における点字投票の公認を目指す運動を成功させた。男性だけという時代的な制約はあったが、世界で初めての点字投票を実現させたのも当事者たちだった。点字が、視覚障害者の社会参加を裏付け、人問としての尊厳を確保させた。(197頁)
 
 
「京都盲啞院関係資料」は、わが国の視覚障害教育にとって"生きたアーカイブス"でなければならない。過去を懐かしみ、その輝きを称えるだけでは、それを活かせない。今日的な素材や技術に基づく教材・教具の中にそれが生きていること、先達の知恵や創意の中には我々が及ぼない高みもあったことなどを知り、指導法や教育条件をいっそう改善するうえでの参考としたい。(198頁)


 よくわからないことや不明な点は、はっきりと疑問のままに提示し、語られています。どこまでわかっているのかが明確なので、今後の調査や研究の上でも大いに助かるところでしょう。
 本書は、これからの盲教育を考える上で、その基盤を整備したものだと言えます。これを出発点にして、共通の情報源として、今後の問題点を考えていくことになると思われます。
 著者は、盲教育史研究会の事務局長をなさっています。これを契機に、ますます共通認識を踏まえた議論と研究が進展することが期待されます。今後の活躍と展開が楽しみです。
 
 
 
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2019年08月04日

2002年春にインドで書いた未公開日記(その17/第11・最終週)

 2002年にインドのデリー大学に客員教授として赴任していた時の、大学での様子や、インドでの日常生活をあるがままに記した日録の公開です。
 ここでは、インドの滞在最終週となる「第11週 03/17〜03/20」の出来事を扱います。すでにクラッシュしたままのホームページでも、「第8週」以降は未公開のままだった部分です。メモを元にして、適宜インドでのことを思い出しながら、再現しています。
 今回は、3月18日のメモを復元しました。
 なお、3月16日に実施した『百人一首』のカルタ取り大会については、別にあらためて詳しく掲載します。

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■2002.3.18■



 朝食の時、今晩は外でおいしいものを食べよう、ということになった。B2さんという、食事を専門に作ってくださる人がいる。しかし、日本の感覚で食事を判断するほどに、ここは今自分がインドにいる、ということを忘れさせてくれる環境である。明日はインドを離れる、という日本を意識し出したからでもある。
 10時過ぎに、N2君と3人で、まずはコンノートプレイスへ出発。彼の本を航空便で送る。梱包をいつもの店に頼んで、パリカバザールへビデオCD−ROMを買いに行く。私は、「クチュクチュホーターハエ」等を買う。I1先生も一枚買われた。
 ジャンパト通りを散策して、政府の物産館へ行く。
 また歩いてコンノートプレイスへ戻り、パッキングを受け取って郵便局へ。5個で一万八千円くらいかかったようである。
 その近くの「ホテル アルカ」でインド料理を食べる。ここは、N2君がはじめてインドに来たときの思い出のホテルである。また、ここにはバジパイ首相も来るとか。極上のインド料理であった。先生もN2君も、たらふく食べた、という体である。私は、半分も食べられなかったけれども、非常においしい料理であった。3人で700ルピーほど。
 オートリクシャーで、ニザムディーンへ行く。ここは、イスラムのお寺である。ここも、一人ではとても行けそうにないところであった。
 一旦お寺に帰る。日差しが強くなったせいもあり、また、満腹で動いたせいもあり、とにかく体が疲れていた。1時間ほど休憩して、先生と2人でグレーター・カイラーシュNブロックへ行くことにする。その前に、明日のタイ航空の予約確認(リコンファーム)を忘れていたことに気づき、G4さんに電話をお願いする。そして、I1先生もまだのようなので、後で確認することにした。
 5時過ぎに、N2君と一緒に私の名前をヒンディーで刻んだゴム印を受け取りに行く。みんな満腹のようなので、日本食でお腹を休めた方がいいのではということになる。Nの「みやこ」で巻きずしがいいのでは、ということになった。
 Nブロックへ出発。調子よくでかけたが、オートリクシャーの運転手さんにNを確認し、車中でノーズのNであることを話したにもかかわらず、Mでおろそうとする。Nだと言い張り、突然不機嫌になった運転ブリを無視し、Nに着けてもらう。20ルピーを渡すと、遠回りしたからとかなんとか言うが、とにかく20ルピーをわたして無視した。

190804_india.jpg

 すぐに骨董屋さんに行き、バブルシートをくれといったが、もうないとのこと。しばらく粘ったが、あきらめる。みやこへ行くと、6時半からだというので、この前のアメリカンタイプの喫茶店でドリンクを飲んで待つことにする。インドについて、先生に見ていただいたところの説明をした。
 7時前にみやこへ行く。巻きずしとごま和えと水を頼む。寿司は、ノンベジとベジの2種類にする。国文学研究資料館の話などを1時間ほどする。
 帰りのオートリクシャーは、ちょうど来たのを捕まえたので、楽に帰ることが出来た。
 先生を見送るまで、自分の荷物の整理をする。ゴム印の説明もした。荷物は、スーツケースが意外と重くなった。対策を考えよう。
 国際交流基金のS2さんがちょうど8時に来られた。少し話をして、先生を見送る。それからみんなでジュース屋さんへ行く。ジュース屋さんの前にいつもいる牛の謎が、今日やって解けた。これまで、なぜほしそうな顔でいつもいるのか不思議だったが、閉店間際にお店のひとが、果物の絞りかすを牛に与えていたのだ。それを楽しみにして、毎日牛さんはここと契約しているかのようにやってきては、食べ物をもらっていたのである。最後の夜になって、いい場面を見ることが出来た。
 荷造りに手間取る。なかなかスッキリと収まらない。N8先生からいただいたウイスキーをのみながら、記録のまとめをする。

 
 
 
posted by genjiito at 20:26| Comment(0) | ◎国際交流

2019年08月03日

日比谷で源氏の橋本本を読む(14)[削除後の空白箇所は謎]

 日比谷公園では、女性のアイドルグループが歌い、その仮設ステージの前で多くの中年の男性が手を叩いて踊るパフォーマンスが繰り広げられていました。この会場となった一角では、「撮影禁止」の張り紙が至る所に貼られています。「撮影禁止」と書かれた張り紙を写真に撮るわけにもいかず、珍しい光景をただ眺めていました。
 韓国で、香港で、中国でと、日本を取り巻く国々が政治的に騒然となっている時、ここ日比谷では「食と音楽のイベント」が太平楽に催されています。なんとなく擽ったい気持ちになりました。

 今日の橋本本『源氏物語』を読む講座は、中国で7世紀の仏教の写本が見つかったという新聞記事から始めました。『源氏物語』の古写本を探し求める努力も、諦めてはいけません。終戦後、中国で姿を消した従一位麗子本や、インドに渡ったと思っている伝阿仏尼筆本などは、戦禍や災害で焼失したのではなくて、今もどこかで眠っていると思っています。それが夢だとしても、その夢はいつまでも追い求めていきたいものです。いつの日にか、その姿をまた見せてくれることを楽しみにして。

 橋本本は、44丁ウラの冒頭から、変体仮名の字母に注意して確認していきました。
 始まってすぐの2行目に、2文字分の空白があります。

190803_nabiku.jpg

 その空白の右横に、「徒む」と書き添えられています。この削られた箇所には、その下に「ひく」と書かれていたことが原本の調査でわかっています。上掲の写真からも、その下の文字がかすかに見えています。参考までに他本の本文を見ると、すべてが「なつむ」となっています。つまり、橋本本の「なひく」は、「ひく」を削ることで「なつむ」にしたいようです。ただし、削った後をなぞるのではなく、横に書き添えているのが、これまでの訂正方法と違って謎です。
 次の行にも、1文字分の空白の右横に、「人」という漢字が1文字書き添えてあります。ここは、下にあった削られた文字はまったく読めません。削った意図も不明です。
 さらには、7行目にも、空白が2文字分あり、その右横に「てら」と書かれています。

190803_tera.jpg

 削られた文字は「さと」です。他の写本の本文を参照すると、「山さと」と書き写された橋本本の本文を、「山てら」に変えたいようです。「山さと」は河内本グラープが伝える本文で、「山てら」は大島本グループの本文です。河内本グループから大島本グループへという、本文の変更がなされているのです。
 この本文の異同と、橋本本の本文を削ったことの背景は、もっと証拠を積み上げてこの意味するところを明らかにしたいものです。
 こうした空白は、一体なんなのでしょうか。実は、この橋本本には、最初から何箇所もこうした例がありました。この例のすべてを、以下に列記しておきます。諸本の本文異同も同時にあげます。この文字を削った後に、その右横に字句が書かれている背景には、橋本本とは異なる本文を伝える、現行物語の基準本文となっている大島本グループの存在が大きく関係しているようです。
 これらは、すべてが今後の課題です。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
※今日の検討事項
  削除されて残った空白箇所

「若紫」異文校合 十七本(尾カラー重複)
橋本本・・・・050000
 大島本(1)[ 大 ]
 尾州河内本(1)カラー版[ 尾 ]
 中山本(1)[ 中 ]
 麦生本(1)[ 麦 ]
 阿里莫(1)[ 阿 ]
 陽明本[ 陽 ]
 池田本[ 池 ]
 御物本[ 御 ]
 国冬本[ 国 ]
 肖柏本[ 肖 ]
 日大三条西本[ 日 ]
 穂久邇本[ 穂 ]
 保坂本[ 保 ]
 伏見本[ 伏 ]
 高松宮本[ 高 ]
 天理河内本鉛筆なし[ 天 ]
 尾州河内本(1)[ 尾 ]
--------------------------------------

・とくこそ/く〈削〉□=く(1ウ1行目)050042
 とくこそ[大尾中麦阿陽池御肖日穂保高天尾]
 とてこそ[国]
 とてこそ/て$く[伏]

・まう□□たれ盤/さ勢〈削〉□□、う+し(1ウ2行目)050056
 申たれは[大池御国肖日穂保伏]
 まうさせたれは[尾天尾]
 申させたれは[中麦阿陽]
 まうさせたれは/さ〈改頁〉[高]

・志□〈改行〉路し免しな可ら/ろ〈判読・削〉□(14ウ2行目)
   (諸本に大きな異同なし)

・【十】よ【日】□□より/よ△〈削〉□□(14ウ8行目)・051098
 十よ日の[大池御国日伏]
 十よ日より[尾高天尾]
 十日より[中]
 十日よひの[麦阿]
 十日の[陽]
 十よ日の/日よひ〈削〉よ日[肖]
 十余日の[穂]
 十よ日の/の〈改頁〉[保]

・【御】せ□そく/い〈削〉□(28オ2行目)052161
 ナシ[大麦阿池御国肖日穂保伏]
 御せうそく[尾陽高天尾]
 御せうそこ[中]

・な□□/ひく〈削〉□□、前□=徒む(44ウ2行目)053633
なつむ[大尾中麦阿陽池御国肖日穂保伏高天尾]

・□をやと/【事】〈削〉□、=【人】・【事】さら尓(44ウ3行目)053638
 人にやと[大麦阿池御国肖日穂保伏]
 人をやと[尾中陽高天尾]

・【山】□□尓/さと〈削〉□□、前□=てら(44ウ7行目)053656
 山寺に[大麦阿穂]
 山さとに[尾陽高尾]
 山寺らへ[中]
 山てらに[池御肖日保伏]
 やまてらに[国]
 山里に[天]
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

※次回以降に検討する用例
・いと□/け〈削〉□・なさ気那く(46ウ4行目)053827
 いと[大尾中麦阿陽池御国肖日穂保伏高天尾]

・うしろめ□多う/て〈削〉□(50オ4行目)054150
 うしろめたなう[大池国日伏]
 うしろめたう[尾中麦阿肖穂保高天尾]
 うしろめたなふ[陽]
 うしろめたなう/な$[御]

・を那しく八・□〈改行〉よろしき/△〈削〉□〈付箋跡〉(50ウ10行目)054218
 おなしくは[大尾麦阿陽池国肖日保伏高天尾]
 をなしうは[中]

・【年】ころよ里も□/△〈削〉□(52ウ8行目)054382
 としころよりも[大尾中陽池御国日穂保伏高尾]
 とし比よりも[麦]
 年ころよりも[阿肖]
 年比よりも[天]

・堂てまつり□/て〈削〉□(53オ8行目)054427
 たてまつり[大尾中陽池御国日穂保高天尾]
 奉り[麦阿]
 ナシ[肖伏]

・【心】□〈改行〉く類しくなんと/く〈削〉□(53ウ7行目)054465
 心くるしうなと[大麦阿池御国肖日穂保]
 こゝろくるしうなんと[尾尾]
 心くるしくなんと[中]
 心くるしふなと[陽]
 心くるしうと[伏]
 心くるしうなんと[高天]

・徒可八春□□/△△〈削〉□□(56ウ7行目)054724
 たてまつれ給ふ[大]
 つかはす[尾中麦阿陽高天尾]
 たてまつれ給[池国肖日伏]
 たてまつれたまふ[御]
 たてまつり給[穂]
 たてまつれ給/〈改頁〉[保]
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


 こうした例については、今後とも用例を積み重ねて、誰が、いつ、何の理由で、どのようにして削り、何を参考にして書き添えたのかを明らかにしていく必要があります。今は、今後の検討課題として、問題箇所を明示しておきました。

 なお、今回も、私の翻字の間違いを見つけてくださいました。
 「し可た【気】にて」(44丁裏7行目)の「た」は「多」の誤りでした。
 ここで、翻字の字母が正確に表記できていなかったことを、お詫びして訂正します。

 このブログの記事を書き終えた頃に、新幹線は京都駅に着きました。ドアが開いたので降りようとした時のことです。ものすごい勢いで乗り込んで来られる6、7人のグループが、降りようとする私などを押し退けてでも乗り込もうとされます。私の後から降りようとする方も、この勢いには怯んでおられました。電車は夜ということもありガラガラです。私たちは、満員だったのでデッキに立っていたのではありません。降りるためにデッキにいたのです。
 ここで、中国語を捲し立てて突進して来られる方々と競う気持ちは、毛頭ありません。新幹線の乗り降り口は、人一人が出入りできる幅しかありません。自ずと、この中国からのグループが乗り込まれるのを、これから降りようとしていた私たち数人は、降り口から数歩下がって、旅行客であるみなさまが乗り終わられるのを待つことになります。
 降りる人々を押し倒すようにしてでも乗り込むことは、日本の文化にはありません。降りる人が優先、という暗黙の了解があるのです。他国に来て、自国の論理を押し通すのは、気持ちのいい文化交流にはつながらないと思います。異文化間の人的な交流について、その難しさをこんな所で痛感することとなりました。お互い、気持ち良い交流を心がけたいものです。我先にという自国の文化を背負っての実践的な行動は、少なくとも日本では謹んでいただきたいものです。自国でなさるのはご自由です。しかし、ここは日本なのです。嫌でも日本の流儀に合わそうとするところに、異文化体験を通しての異文化理解が生まれると思います。そんな旅人ならば、温かく迎えて、楽しい旅となることを願って、可能な限りの手助けをしたくなります。相手を理解しようとするところから、お互いの文化の違いがわかり、そこから新しい交流につなげていけると思います。
 今日は、お隣の国の方々の身勝手な行動に、残念な思いをさせられました。
 
 
 
posted by genjiito at 23:45| Comment(0) | ■講座学習

2019年08月02日

京洛逍遥(565)何もしない日(8月)

 今日は何もしない、何も考えない1日。

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 日中は昨日も今日も38度超え。
 賀茂川散策は、夕風が川面を渡る頃となります。
 今日は鷺の姿が見えず、鴨だけが居残って遊んでいました。

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posted by genjiito at 20:03| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2019年08月01日

突然のトラブルにどう対処するか

 スポーツクラブで一泳ぎし、サウナとジャグジーで身体を温めてから浴室に行った時のことです。
 最初はシャワーから勢いよく出ていたお湯が、しばらくすると冷たい水になりました。あたりを見回すと、洗い場もすべてが水になったようです。10人ほどいた方々は、口々に冷たい寒いと言いながら湯船に移って行かれます。私は、水で我慢をして、すぐに出ました。
 先ほどお湯が出ないことを確認しに来られたジムの方は、どこかへ連絡に行かれたのでしょうか。それにしても、誰もここに見に来るわけでもなく、その対処にも来られません。説明もありません。
 お風呂の外で、一人の利用者に問い詰められていたジムの方は、支店長たちが原因を調べているので、申し訳ありません、と言っておられます。その間にも、運動を終えた方々が一人また一人とお風呂場へ入って行かれます。そして、中からは「冷たー」という大声が響いてきます。
 こんな時、原因の究明と、利用者への事態の説明とでは、どちらが優先されるべきでしょうか。私は、利用者に今起こっている状況の説明をして、お湯がでないことをわかってもらうことが先だと思います。
 このスポーツクラブの危機管理マニュアルには、どう書いてあるのでしょうか。今日の対応を見る限りでは、利用者への説明は二の次にして、一刻も早く原因の究明をして、少しでも早くお湯が使えるようにすることを最優先にすることになっているように思われます。
 ボーッと突っ立ったままで、まったく役立たずのアルバイトの人に、お風呂場の入口に立って、次々と来る利用者にお湯が使えないことを伝えたらどうですか、とアドバイスをしました。施設の関係者全員が原因究明に飛び回ることはそれとして、実際に迷惑を被っていて、不満を口々に言う利用者の対応を丁寧にすることが大事だと思ったからです。アルバイトさんは、いや、別の場所にあるシャワールームは、お湯が出るようです、とおっしゃいます。それなら、そのことを、今お風呂に入っている方々に伝えたらどうでしょうか、と言いました。私が言っている意味が理解できないのか、別の処へ行かれました。
 私が帰るまで、お風呂の利用者への対処は何もありませんでした。スポーツクラブの方は誰もお風呂場の中には入って行かれません。しばらくお湯が出ないことを伝える張り紙でもしたら、という私の提案も無視されたままです。
 水を浴びるしかないお風呂の中に利用者を置き去りにして、施設の責任者と従業員は原因の調査にひたすから没頭するのは、トラブルが発生した時の対応の順序が逆だと思います。まずは、寒い思いをしている利用者に、現状を理解していただくことが先決だと思います。私が帰る頃でも、お風呂場からはお湯だとおもって蛇口を捻ったところ、出てくるのが冷水だったので悲鳴をあげる、ということが続いていました。
 これは、危機管理にかかわる社員教育がなっていない現われではないか、と思っています。
 
 
 
posted by genjiito at 19:54| Comment(0) | *身辺雑記

2019年07月31日

読書雑記(263)うおやま『ヤンキー君と白杖ガール』

 『ヤンキー君と白杖ガール 1』(うおやま、小学館、2019.1)を読みました。

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 紹介すべき言葉に窮しています。何と言っていいのか、困っています。
 数年来、目の見えない方々とのお付き合いの中で、いろいろな話を聞いています。みなさんの明るさに戸惑うばかりです。そんな中で、これはまた種類の違う、弱視の少女の恋心を明るく笑い飛ばす物語です。ヤンキーとの掛け合いが秀逸です。それだけに、どのようなリアクションを取ればいいのかわかりません。素直に読後感が書けないのは、自分の中に何かこだわりや引っかかりがあるからでしょうか。今はよくわかりません。

 この漫画を読んでみようと思われた方は、まずは、巻末の「おまけ」3ページを読んでから巻頭に戻って読む、ということをお勧めします。物語の内容が、多分にアクの強いものなので、その方が自然に話に入っていけると思うからです。
 第2巻を読んでから、またあらためてこの物語について考えてみます。
 
 
 
posted by genjiito at 20:22| Comment(0) | ■読書雑記

2019年07月30日

ロシア語の資料と情報を整理できる方と面談をして

 科研で、ロシア語を担当していただけるアルバイト希望の方と、箕面キャンパスの研究室でお話をしました。図書館に掲示していたポースターが目に留まったことから、仕事をしてみたいとの連絡があったのです。
 お目にかかったのは、大阪大学外国語学部でロシア語を勉強しておられる方です。先月6月までの1年間、サンクトペテルブルグに交換留学生として行っていたとのこと。モスクワでの留学経験もあるそうです。心強い助っ人がまた一人、この科研に加わります。ウクライナ語の勉強もしていたとのことなので、ちゃっかり最近刊行されたウクライナ語訳『源氏物語』のこともお願いしました。
 手掛けたいことは無限にあります。それはともかく、まずは一歩ずつ進みます。
 集めた情報や成果は、その都度、ホームページ「海外へいあんぶんがく情報」に公開します。この科研は、コラボレーションによる共同研究で進めています。専門家や関係者からの、折々のご教示をいただけると、ささやかな報告も大きな稔りに成長していくことでしょう。
 引き続き、インド諸語とルーマニア語による平安文学情報の収集と整理をしてくださる方を、探し求めています。新しい出会いを楽しみにしていますので、このブログのコメント欄を活用して連絡をください。折り返し、面談についての返信を差し上げます。
 大阪大学で科研の事務を担当なさっているみなさまへ。
 次から次へと、矢継ぎ早に急なお願いばかりで申し訳ありません。
 もろもろ、ご高配のほどを、よろしくお願いいたします。
 
 
 
posted by genjiito at 19:52| Comment(0) | ■科研研究

2019年07月29日

読書雑記(262)船戸与一『蝦夷地別件(下)』

 船戸与一の『蝦夷地別件(下)』(小学館文庫、1998年7月、669頁)を読み終えました。これは、全3冊の内の最終巻です。

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 前巻同様に、「BOOK」データベースからその紹介文を引いて、物語の流れを押さえておきます。

国後で始まった和人との戦い。しかし、叛乱に立ち上がったのはわずかな地点にとどまり、蝦夷地全土には広がらなかった。そこへ新井田孫三郎率いる松前藩の鎮撫軍が圧倒的な装備で鎮圧に迫る。もはや勝ち目はなくなった。このままでは、厚岸をはじめ鎮撫軍に与する同砲(ママ)とも戦うことになってしまう…。国後の人々は、松前藩から示された降伏の条件のほか、戦いを終わらせるために、さらに大きな犠牲を払わなければならなかった。命を賭したアイヌの思いは報われたのか。そして、江戸幕府の描いた「日本」という国の形とは。圧倒的な筆力の超大作、ここに完結。


 ペテルブルグの独房を抜け出せた、救国ポーランド貴族団のマホウスキのことから始まります。マホウスキが鉄砲を蝦夷に運べるか、ということが物語の展開に大きく影響するのです。
 話はすぐに、蝦夷の地に養生所を作って医療活動をする臨済宗の僧洗元に移ります。蝦夷の反乱に対して鎮撫に向かった松前藩の一行に、洗元は取り込まれていくのでした。
 御家人葛西政信は、老中松平定信のスパイだということが明らかにされます。松前藩から蝦夷地を取り上げるために、蝦夷の反乱を煽ったというのです。海外が狙う蝦夷地を、松前藩に任せてはおけないということです。
 日本という国家の立て直しのためにも、蝦夷地はロシアなどに渡してはいけない、と葛西は言います。船戸の国家に対する考え方を代弁しています。
 血腥い物語が綴られて行きます。迫力があるだけでなく、登場人物の心情が丁寧に描かれています。これまでの船戸のハードボイルドとは違う、人間の忿怒と激情が読者に届けとばかりの口吻で、活劇が展開します。
 鎮撫軍副監軍の松前平角がアイヌを40人惨殺した時、臨済宗の洗元は両目を切られ失明します。その時、天台宗の清澄は大般若経を逆さまに読んだそうです。舞台裏も克明に語られています。
 後半で、ラクスマンや大黒屋光太夫が出てきました。井上靖、吉村昭などの小説を読んだ記憶がオーバーラップします。
 失明した洗元が、音を頼りとする生活を余儀なくされていることが、事細かに描写されています。破戒僧が、しっかりと一人の人間として描かれているのです。
 惣長人のツキノエは、3年半前の悲惨な結末を招いた反乱を振り返ってこう言います。

「アイヌの暮しがこういうふうに変わっていくとは想わなかった。わしはじぶんが裏切者と陰口を叩かれてることを言ってるんじゃない。あの和人が教えてくれたように、アイヌが等級の低い和人として扱われることになるのだとは正直なところ考えていなかった、江戸に住んでる和人の肚のなかはまるで見抜けてなかった……」
「だとしても」
「何だ?」
「まちがってませんよ、絶対に! 何がどうなろうと、アイヌは生き延びなきゃならなかったんだ。それで充分じゃないですか!」
 ツキノエは三年半まえの戦いについてはこれでもう触れる気はなくなった。考えてみれば、喋れば喋るほどそれは愚痴になるのだ。コタントシの言いかたのほうがよっぽどすっきりしている。ああ……じぶんはいったいどこまで老いてしまったのだろう?(508頁)


 アイヌの時代はすでに大きく変化していることを身にしみて感じての、アイヌの総責任者としての感慨が吐露された場面です。

 最終段での壮絶な場面は、蒼い月影の下で展開します。人間が持つ渾身の迫力で語られます。
 最後に、静澄が洗元宛に書いた書簡の中で語られる水戸学のことは、もっとわかりやすく説いてほしいと思いました。

 なお、末尾に表記上の注記があります。著者の姿勢が窺えるものとなっています。

本書初版本(単行本)のアイヌ語表記に多くの誤りがあることが判明し、再版本以降、本文に訂正を施しました。アイヌ語復権への動きが著しい現代にあって、できうる限り正確なアイヌ語を伝える必要性を痛感し、本文訂正に当っては千葉大学助教授・中川裕氏の全面的な協力を得、北海道ウタリ協会札幌支部・阿部ユポ氏からは貴重なご意見を頂きました。
アイヌ語を片仮名で表記することには大きな困難が伴いますが、現在一般的なアイヌ語表記法に倣うことを旨としました。また文学作品という性格上、逐語訳的手法よりも文脈上最も適切なアイヌ語を選択する形をとった箇所も存在します。もとより完壁を期することが難しい作業でもあり、今後も読者の方々のご教示を仰ぎたいと思います。(663頁)


 原稿用紙2800枚の分量に盛りきれなかった内容と問題提起は、ずっしりと私の身体に覆いかぶさってきます。多分に手に負えないテーマながら、心の片隅にしっかりと居座っています。これまで、あまり意識して来なかった問題だけに、船戸氏から大事なメッセージを受け取った思いで、この長大な物語を読み終えました。【4】

初出誌:平成7年5月に新潮社より刊行。

 これまでの上・中巻については、次の記事を参照願います。

「読書雑記(258)船戸与一『蝦夷地別件(上)』」(2019年06月20日)

「読書雑記(261)船戸与一『蝦夷地別件(中)』」(2019年07月05日)
 
 
 
posted by genjiito at 20:01| Comment(0) | ■読書雑記

2019年07月28日

西国三十三所(2019-3)/今回もひどかった六角堂(18番)

 西国三十三所めぐりの三つ目は、街のど真ん中の烏丸六角にある六角堂です。

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 私はこのお寺との相性が悪く、これまでに何度も来て、何度も不愉快な思いをしています。「京洛逍遥(461)洛陽三十三所(1)六角堂頂法寺」(2017年09月04日)の写真にもあるように、記帳をしてくださる方が金属製の腕時計をしておられるのが気になります。今日も、時計の金属ベルトが朱印軸の生地を擦っていました。特に今回の軸は、満願の後にあらためての表装はしなくてもいいものです。大事に扱ってもらいたいと思います。

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 さらには、今回も寺名の印「六角堂」がズレています。以前、枠が大幅に左に寄ったひどい朱印をいただきました。「西国三十三所(7)頂法寺(六角堂)」(2010年10月07日)に、その箇所の写真を掲載しています。今見ると、この時にも腕時計をしておられます。また、今日の「西国十六番」という印は、このスペースには不似合いな大きさのものが押されています。上の写真にあるように、他の札所と同じように縦長のものがあるはずです。こんなに横幅のある不格好なものは押していただきたくない、と思います。間違いではないもの、丁寧に扱ってもらいたいものです。
 あまり気分のいいことではないので、ここに書くのに気が引けることがまだあります。それは、今日も納経所で3人並んでおられた中で、左端の方は気持ちよく大きく船を漕いでおられました。後ろには海外からお越しの方が並んで待っておられました。咳払いをしたらやおら目を覚まし、何事もなかったかのように朱印帖を受け取って書き出されました。醜態です。ただ印を押し、筆で決まりきった文字を書くだけなので、退屈なお仕事なのでしょう。しかし、そこはお寺のお役目と割り切って、まじめに取り組んでいただきたいものです。
 六角堂は池坊という華道では輝いておられるとしても、この朱印事業においては手抜きが過ぎます。
 
 
 
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ・ブラリと

2019年07月27日

鳥取県日南町で池田亀鑑賞授賞式の打ち合わせ

 今秋予定している、第8回池田亀鑑賞の授賞式に関する打ち合わせで、岡山県との県境にある鳥取県日野郡日南町に行って来ました。
 折しも、颱風が今朝は三重県に上陸し、その後東に進んでいる時です。岡山行きの新幹線は、1分遅れで京都を出発しました。岡山で特急やくもに乗り換えたところ、倉敷を出たあたりで踏切が異常信号を検知したとのことで、点検のために停車。過日の福岡行きに続いて、実害はないものの少し躓きながらの、いつもの小旅行です。

 岡山県から鳥取県に入った最初の駅である上石見駅は、井上靖の『通夜の客』(映画は『わが愛』)で主人公が降り立つ駅です。実際に、井上靖はこの駅で降りて家族の疎開先である曽根の家に通いました。

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 池田亀鑑が生まれた町を流れる日野川は、『花を折る』に何度も出てきます。

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 生山駅には、池田亀鑑文学碑を守る会の事務局長をなさっている久代さんが出迎えに来てくださっていました。早速、今年の授賞式について打ち合わせです。

 授賞式は、当初の予定通り、11月3日(日)の午後1時半から。会場は、日南町役場の交流ホールで、となりました。

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 第一部、受賞者の記念講演。
 第二部、池田亀鑑に関する講演
 第三部、池田亀鑑体験、古写本を読む

 ここは、第5回の授賞式・記念講演会場としてお借りしたところです。その時の受賞者は畠山大二郎氏でした。
 「第5回池田亀鑑賞授賞式と講演会」(2016年10月01日)

 今回も、多くの方のご参加を楽しみにしています。
 
 
 
posted by genjiito at 21:40| Comment(0) | □池田亀鑑

2019年07月26日

京洛逍遥(564)梅雨明けの賀茂川

 初夏以降、中洲がどんどん大きくなり、草も繁り出しました。水が流れる幅が、極端に狭くなっています。北大路橋の南側は、対岸に渡って行けそうです。

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 橋の北側は、この連日の大雨で少しは土砂が流されたようで、水面が多く見られるようになりました。

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 2羽の鷺が北山に向かって仲良く飛んで行きます。

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 それを見送るアオサギ、クロウ、カモたち。

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 早朝の半木の道は、吹き抜ける風も爽やかです。これから気温が35度まで上がり、蝉時雨の小道となります。

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 植物園に向かう並木道も、早朝の散策に限ります。右側が府立大学のグラウンドです。これから球音が響きます。

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posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2019年07月25日

目頭を押さえる日々

 最近、目頭を押さえることが多くなりました。目が霞むため、ジッと凝らして物を見る癖がつきました。目への負担が倍増しているからでしょう。
 1日の後半になると、目の奥が落ち込むように重くなります。横になっていても、頭は冴えているので、身体を休めていることにはなりません。この疲労感から脱するため、何かに熱中することになります。つまり、溜まりに溜まっている仕事をすることになるのです。
 目薬を使うことが増えました。目の疲れを和らげるためです。効いているのかいないのか、よくわかりません。気休めのようなものだと思っています。普段なら買わない、高額の目薬を買ったりします。これも、気休めにしか過ぎないと思っています。
 白内障の手術は考えています。しかし、まだもう少し後で、と先送りしています。
 
 
 
posted by genjiito at 17:45| Comment(0) | *健康雑記

2019年07月24日

中国語に翻訳された池田亀鑑の著作

 中国・広東省恵州市にある恵州学院の庄婕淳さんが、箕面キャンパスの研究室に来てくれました。そして、中国語訳の本を一冊ずつ手にして解説をしてもらいました。得難い研究支援を受けることとなりました。献身的な研究協力に感謝です。
 そんな中、池田亀鑑の本が中国語に翻訳されたということで、詳しい話を聞くことができました。
 今回わかったのは、先月6月に池田亀鑑の『平安時代の生活と文学』が中国語に翻訳されて刊行されたということです。池田亀鑑の著作物が中国語に翻訳されたのは初めてです。

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 今回の中国語訳に使われた底本は、〔ちくま学芸文庫〕(2012年1月)かと思われます。

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 しかし、私のような昭和世代は、〔角川文庫〕(昭和39年4月)で馴染んで来ました。

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 この本がどんなものなのかを、庄さんは私にもわかるように文章にしてくれました。それを、以下に紹介します。

《平安朝的生活与文学》『平安時代の生活と文学』
訳者:玖羽  四川人民出版社  2019年6月 後浪出版公司企画

 1943年に出版した『宮廷と古典文学』を修正して1952年に出版した『平安時代の生活と文学』を中国語に訳した本である。訳者の序は、「一、池田亀鑑の人生と主な業績」「二、本書について」「三、注釈と引用について」からなっている。まず、池田亀鑑が『源氏物語』の本文を整理する大きな功績を褒めたたえ、注には「大島本」を目にするまでの経緯をも説明している。次は、この本は一般向けの古典文学普及書であると説明し、本の焦点が平安時代の女性であるのは、当時の女性が平安文学の担い手であり、読者によりよく作者の世界を理解してもらうためである、と言う。最後に、この本における注釈は訳者によるものであり、引用の原文と和歌はすべて訳者が訳出したと説明している。訳者は原文に忠実に中国語の文言で訳し、直訳を原則として、適宜注釈をつける。また、作者の観点に誤りのあるところは、原文を保留し、注釈で説明をつける。原文の「旧仮名遣い」を保留し、この本が言及している「現代」「今日」はすべて20世紀50年代を指すと説明している。


 今、なぜ中国で池田亀鑑の本が? ということは今後の調査に待ちましょう。
 庄さんからは、翻訳者が書いた序文全文の日本語訳と、内容の精査に基づく翻訳文の調査検討の結果を、原稿としてまとめていただけることになりました。
 現在、『もっと知りたい 池田亀鑑と「源氏物語」 第4集』(新典社刊)の刊行が、私の責任で中断しています。さまざまな問題が解決し出したこともあり、編集を再開したところです。庄さんの原稿は、最新情報としてこの『もっと知りたい 池田亀鑑と「源氏物語」 第4集』に掲載します。楽しみに、お待ちください。
 
 
 
posted by genjiito at 19:58| Comment(0) | □池田亀鑑

2019年07月23日

京洛逍遥(563)祇園祭-2019-南観音山のチマキをいただく

 去年は、前祭の函谷鉾でチマキをいただきました。「京洛逍遥(502)祇園祭 -2018- 四条通散策」(2018年07月13日)
 今年は、後祭の南観音山のチマキです。

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 南観音山は、私が一番好きな山です。「京洛逍遥(330)お茶のお稽古をした後に祇園祭へ」(2014年07月21日)で、少し詳しく書いています。

 今日は、四条烏丸の交差点に上がったちょうどその時に、突然の豪雨となりました。しばらく降ってからすぐに止んだので、新町通を北に向かって南観音山に行きました。
 今年は、数が少ないと言われていたチマキも、念願の山のものが手に入りました。
 玄関に架けて、また1年間の無病息災を祈ります。
 
 
 
posted by genjiito at 21:05| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2019年07月22日

平安文学の翻訳本に関するアルバイト募集のポスター(その3)

 すでに2度ほど、科研で多言語翻訳に関するアルバイトを募集していることを、本ブログに掲載しました。

(1)「平安文学の翻訳本に関するアルバイト募集中」(2019年04月17日)
 (ここでは、「インド諸語、ビルマ(ミャンマー)語、ルーマニア語を最優先で」と。)

(2)「続・平安文学の翻訳本を整理するアルバイトを募集中」(2019年06月12日)
 (ここでは、ロシア語を追加。)

 その後、特に問い合わせも希望者もないままに、今に至っています。条件としての言語があまりにも限定されているので、該当する方にこの募集案内が届いていないかと思われます。

 そこで、大阪大学外国学図書館(箕面キャンパス)の入口に、今月初旬から、次のポスターを掲示していただいています。今春よりアルバイトで来ている吉村君が、このかわいいポスターを作ってくれました。

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 ここにも記したように、次の言語に親しんでおられる方を求めています。翻訳については、在宅で取り組んでいただくことも可能です。

インド諸語、ビルマ(ミャンマー)語、ルーマニア語・ロシア語


 この内、ビルマ(ミャンマー)語については、来月中旬の面談しだいで適任者を紹介してもらえることが期待できる状況にあります。
 いずれにしても、「インド諸語、ビルマ(ミャンマー)語、ルーマニア語・ロシア語」の運用および翻訳ができる方について、お知り合いを含めて情報を拡散していただけると幸いです。
 
 
 
posted by genjiito at 19:27| Comment(0) | ■科研研究

2019年07月21日

大和でお茶のお稽古の後は音の花温泉へ

 このところ雨が多かったので、龍田川の上流の水は濁っています。

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 今日は、あらかじめ運びの薄茶のお稽古をお願いしていました。相変わらず、わがままな生徒です。
 「洗い茶巾」や「葉蓋」のお点前が、何とかそれらしく見えるようになりました。夏向けのメニューは、これに「入れ子点て」を加えて、今夏のおもてなしのお茶とします。

 源氏車が描かれた茶碗を使ったお点前がありました。その時、先生が「源氏車」とはなんですか? と生徒さんに聞かれました。そして、あろうことか、私に説明を振られたのです。私は、茶道での意味合いがよくわからなかったので、さてどうしようと戸惑いました。江戸時代の演劇で『源氏供養』という演目の中に、舞台に水車を仕掛けた水芸で、夏らしい演出をするものがあったことを思い出しました。そこで、夏らしい水車の趣向を表す茶碗の絵柄ではないか、とお答えしました。後で思えばピンボケな対応でした。そんなマニアックな問い掛けではなかったのです。しかし、ちょうど、茶碗や茶杓の名前は季節を感じるものにするといい、ということを話題にした雑談をしていた時だったので、平安時代を例にしては説明できなかったのです。
 後で、
〘名〙 (源氏絵に多く見られるところからいう)
@ 中古から中世にかけて、牛が引いた貴人の乗用車。御所車。牛車(ぎっしゃ)。〔日葡辞書(1603‐04)〕
A 紋所の名。御所車の車輪を図案化したもの。衣装や調度などの意匠にも用いられ、輻(や)の数によって、八本骨源氏車、一二本骨源氏車などがある。(『日本国語大辞典』)
とあるのを見て、こっちの方で聞かれたようだ、ということに気付きました。せっかくの出番に的確なことをお答えできず、大変失礼しました。

 今日は、だいたいスムーズにお点前ができたと思います。水指しの水を柄杓で汲む時に、上面ではなくて真ん中あたりの深さの水を汲むといい、ということの意味がよくわかりました。昔の水の事情を考えると、たしかに真ん中の水は安定しています。
 濃茶での茶器の拝見なども、新しい刺激があります。何と答えるかは、遊びの要素があります。お稽古は、その訓練なのですね。
 ただし、お点前の途中で、床に飾られていたお花と花器のことを聞かれ、事前に教えてくださっていたのに、花の名や物の名に疎い私は思考停止となりました。この自然との関わりについての勉強は、日々の生活の中ですることですね。ますますおもしろくなります。
 お茶の世界には、さまざまな文化が詰まっています。その一つ一つが見え出した時に、その背景に日本特有の文化が配されていることに気付かされます。贅沢な遊びです。

 お稽古が終わっての帰りに、隣の駅である東山駅の近くにある「音の花温泉」に行きました。

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 露天風呂が、広い岩風呂となっています。内風呂も広くて、とにかく開放的です。のんびりと日頃の疲れを癒して帰りました。
 
 
 
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | *身辺雑記