2019年12月06日

運転免許証を返納しました

 運転免許証の返納をしてきました。
 電話で免許証の返納手続きができる場所を確認したところ、我が家に一番近いのは出町柳のすぐ北にある下鴨警察署であることがわかりました。京都駅前だと、その日の内に「運転経歴証明書」が発行できるとのことです。しかし、京都に住み着いてからは車を持たない生活になっていることと、運転する機会もなく、「運転経歴証明書」も急ぐものではないので、1ヶ月後の受け取りを了承して下鴨署へ自転車で行きました。
 申請手続は簡単でした。ただし、私は住所が東京都江東区のままの免許証だったので、変更手続きが必要でした。さらに驚いたことには、本籍地が奈良県生駒郡になっていました。10年以上前に変更したはずなのに、やっていなかったようです。それでも、保険証と印鑑があれば大丈夫でした。費用は、\1,120円です。写真は、警察署の別室で撮影してもらえました。
 今日付けで、運転免許は取り消されました。
 帰りに、京都市からということで、500円のギフトカードをいただきました。内心、開封するまではいくらなのか楽しみでした。正直、がっかりしました。何となく中途半端な金額だと思います。これが2,000円のバスカードなら、もっと返納者が増えることでしょう。
 なお、自主返納した者に対する支援があるそうです。それは、後日「運転経歴証明書」を受け取ってからにします。どんな支援があるのか楽しみにしましょう。

 運転免許は、18歳の時に、東京都大田区蒲田の自動車教習所で取りました。仕事で使うために取得したものなので、教習所への費用は会社持ちでした。
 毎朝3時に、新聞の印刷所へいすゞのトラック「エルフ」で行き、荷台に印刷されたばかりの新聞の梱包を積み、大田区の各新聞販売店に下ろして回る仕事です。最後に自分の販売店に帰り、それから350部の新聞を1時間半かけて自転車で配る日々でした。夕刊は、学生なので授業を受けることが優先ということで、印刷所へ行く仕事はありませんでした。ただし、休日等には新聞に入れる広告やチラシを受け取るために、都内の広告代理店などを車で回りました。今から思えば、東京を走り回った楽しかった日々でした。
 あれから50年たった今日、免許証は失効となりました。子供たちを車で全国各地を連れて回り、奈良から京都への引っ越しは、すべて私がレンタカーを運転してやりました。
 思い出深い自動車の運転については、いくらでも話が湧いて出ます。それらは、またいずれ。
 とにかく、今は感慨無量です。
 
 
 
posted by genjiito at 20:17| Comment(0) | *身辺雑記

2019年12月05日

読書雑記(274)伊井春樹『宝塚歌劇から東宝へ ―小林一三のアミューズメントセンター構想』

 『宝塚歌劇から東宝へ ―小林一三のアミューズメントセンター構想』(伊井春樹、ぺりかん社、2019年11月30日)を読みました。一読三嘆、あらためて本を読む楽しさを満喫しました。

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 小林一三と宝塚の歴史が、今回あらたに、丹念に掘り起こされた事実に基づいて語られていきます。本作は、以下の2作を踏まえて、さらに宝塚が生まれる背景を浮き彫りにしたものです。

「読書雑記(136)伊井春樹著『小林一三の知的冒険』」(2015年07月15日)

「読書雑記(202)伊井春樹著『小林一三は宝塚少女歌劇にどのような夢を託したのか』」(2017年07月12日)

 著者は、阪急文化財団の理事として、逸翁美術館・池田文庫・小林一三記念館の館長という要職の中で、小林一三(逸翁)と宝塚に関する情報を収集し、身の回りにある膨大な資料をコツコツと解読することにより、次のような構想を形にすることになったのです。

宝塚少女歌劇の発足からの歩み、創設者小林一三の演劇への思い、それらが日本の演劇史や文化史にどのように位置づけられるのか、といったことにはあまり言及されないのが実情である。(「あとがき」226頁)

宝塚少女歌劇のその後の展開を、文化史の中に位置づけるにしても、どのような見取り図のもとに書くのがよいのか、たんなる歴史叙述ではあまり意味がない。そこで思いついたのが、その先にある演劇映画の東宝の存在だった。(「あとがき」227頁)


 事実と事実の間を溢れんばかりの想像力で自然な流れの話としてつなげていく、「伊井節」のおもしろさ満載です。豊富な情報が背景にあってこその為せるわざだと言えるでしょう。
 温泉の余興にすぎないと評されていた宝塚少女歌劇が、あれよあれよと言う間に世間に認められていく話は、非常におもしろくて気持ちのいい物語です。
 大正時代の松竹と宝塚のありようは、さまざまな資料を駆使して詳細に語られます。しかも、視線は演劇の国民への普及、国民劇創出を目指す小林一三にあるので、わかりやすくまとまっています。松竹と宝塚の方針の違いが明らかにされていきます。
 その中で、特に分かりやすいのは、女優の命名由来でしょう。

宝塚少女歌劇団の生徒の名は「百人一首」に由来したのに対し、松竹の芸名は「万葉集」を用い、梅組・桜組の組織(後に松・竹)にするなど、明らかに宝塚少女歌劇の後を追い、人気を奪うまでの勢いになる。(75頁)


 また、松竹が宝塚の地に、一大歌劇場の建設に着手していたことの事実を資料から掘り起こしている点は、非常に興味のあるところです。そして、著者の調査が徹底していたことの証ともなっています。
 その後、宝塚で菊五郎の歌舞伎が上演されます。新しい演劇の幕開けとなります。それを本書は活写しています。
 他方、社会的な変動を背景に、一三は東京に健全な娯楽地を探し求めていました。それが、仕事の関係から止むを得ず手にすることになったのが日比谷という地になるのです。おもしろいものです。これが、アミューズメントセンターの構想へと展開します。まずは、日比谷東京宝塚劇場です。壮大な計画が少しずつ実現していく様が、目の前に現前するように描かれています。
 現在私は、その日比谷の地にある日比谷図書文化館で『源氏物語』の講座を担当しているために、毎月1回はこの劇場の前を通っています。帰りには課外講座と称して、受講生の方々と有楽町周辺で自由に語らっています。その地の歴史がわかり、あらためて日比谷から有楽町の、上野とは異なる文化が根付いていることが理解できました。そして、まさにその地で私は好きなことをさせていただける幸を、本書を読み進めながら噛み締めていました。
 その後、東宝と松竹は俳優の引き抜き合戦を展開します。その中で、興味深い箕助をめぐるくだりは、『源氏物語』にも関わることなので、長くなるのを厭わずに引用します。

 大阪歌舞伎座で、五代目菊五郎追善公演に出演中の坂東三津五郎から、息子(養子)の蓑助が東宝の舞台に立ちたいと願い出ていると、五月十五日に松竹に情報が入ってきた。かねて蓑助は新しい歌舞伎劇の提唱をし、移籍の噂がありはしたが、父親からの正式な連絡を聞き、松竹本社は強い衝撃を受ける。ほかにも二三人の俳優が、松竹を脱退するとの話もあり、すぐさま流出を食い止める方策にかかる。東宝は松竹の俳優を引き抜こうとしていると、熾烈な対抗意識をあらわにもする。
 蓑助から東宝劇団入りの意向を聞いた三津五郎は、松竹から芸名を取り上げられるだけではなく、二度と舞台には立てなくなると強く反対する。それでも蓑助の決意は固く、松竹を離れてしまう。六代目坂東蓑助(旧八十助)は三十歳の新進気鋭、新宿第一劇場の青年歌舞伎に出演中で、将来の歌舞伎界のホープともされていた。
 かつて昭和八年十一月に新宿歌舞伎座で『源氏物語』の上演を企画し、研究者の藤村作博士、池田亀鑑諸氏の監修、番匠谷英一脚色、舞台意匠は松岡英丘、安田靫彦といった豪華メンバーを揃え、稽古も怠りなく準備を進めていた。脚本は申請して検閲中だったが、直前の四日前になって警視庁保安部からの上演禁止命令が下される。入場券は完売し、衣装から舞台装置もすべて整えていただけに、蓑助は奔走し、脚本の書き直し、当局との折衝を試みたものの、舞台化は許されなかった。虚構の作品であっても、宮中の恋愛事件の舞台化は、不敬罪に当るとの判断である。『源氏物語』が舞台や映画になるのは、第二次世界大戦後までなされなかっただけに、成功していれば斬新な蓑助の企画力と行動力として、文化史にもその名は刻まれていたであろう。
 松竹に属していては、自分の芸を磨くことができないため、新しい環境で芝居に精進したいというのが蓑助の言い分である。松竹は蓑助の遺留に努め、ほかにも数名の移動する気配に警戒を強める。一方の東宝側は、六月からの有楽座出演は蓑助の意思によって決定しており、とくに引き抜きをしたわけではないと反論する。「松竹を脱退し、蓑助が東宝入り」と新聞で大きく報じられ、真相は不明ながら、松竹と東宝の対立は表立って先鋭化していき、それがまたニュース面を飾ることになる。(180〜182頁)


 このことは、『もっと知りたい 池田亀鑑と『源氏物語』 第2集』(伊藤編、新典社、2013年)に掲載した「源氏物語劇上演の打ち合わせ?(昭和8年秋頃?)」の写真(380頁)に関連するものであり、警視庁の弾圧に関係します。本ブログでも、以下の記事で言及しています。

「『源氏物語』の演劇化弾圧に関する新聞報道」(2012年04月24日)

 しかし、今は引用だけに留め、後日さらに調査した報告を記したいと思います。
 なお、個人的な興味と関心によるものながら、「盲目の兄とその妹」を箕助が演じています(182〜183頁)。これはどのような内容なのか、これもまた後で調べてみます。

 有楽座の新築をめぐって、当時の演劇のありようと、その芸を見せる場としての劇場という小屋の存在が浮き彫りにされていきます。新しい国民劇を興そうとする小林の考えを、こうしたことの掘り起こしから克明に描き出しています。
 私が一番心待ちにしていた宝塚と『源氏物語』のことは、この次の著書になるようです。待ち遠しい思いで、その公開を楽しみにしています。

 「あとがき」には、次のようにあります。

 私が、「ゴジラ」の映画を見たのは十三歳の中学二年生の時である。地方都市なので、封切ではなく数か月遅れての上映だったのであろう。迫力のある強烈な印象だっただけに、帰宅する道すがら、夕暮時だったが、近くの山のあたりからゴジラが出現するのではないかと、不安な恐ろしさを覚えた。それが東宝映画と認識したのは、ずっと後になってのことである。中学・高校時代の昭和三十年代は映画の全盛時代、学校からの帰りにはよく寄ったものだ。(227頁)


 著者の手元には、膨大な情報と資料があるようです。しかし、それらの中でも、次のようなものは今は省略した、とのことです。

劇場や映画の話題に向かうと、資料は膨大になり、研究者だけではなく、監督、演出家、俳優の立場からの著作も多い。小林一三との関係からだけでも、川口松太郎、秋田実、菊田一夫、大河内伝次郎・古川緑波等数えるときりがなく、資料も残されるが、問題が拡散するためすべて省略に従う。(228頁)


 この「あとがき」を読みながら、さて私と東宝の接点は、と思いをめぐらすと、ゴジラはもちろんのこと、それよりも大学1年生だった頃に足を運んだ日劇ミュージックホールのことが思い出されました。たまたま、処分しようとしていた段ボールの中に、パンフレット『日劇ミュージックホール 1〜2月講演 開場20周年記念公演』(昭和46年12月発行)があったことに気付きました。処分しなくてよかったと思い、取り出してみると、次のコラムが目に留まりました。些細なことながら、捨てるともう出会えないものなので、参考までに引いておきます。

「二十年なんてまだ子供だ」丸尾長顕(演出家)



「日本で面白いショウを見ようと思えば、日劇ミュージック・ホールへ行け」
 と、カバルチードに書かれてからも十年は経った。こんなちっぽけな劇場で、こんな小規模のスタッフで、ともかくショウの世界に覇をとなえてきたことは、まことに幸運だ。
 草創時代の苦しかったことなど、当然だと思うし、楽しい思い出だ。
 「丸尾君、派手に赤字を出してくれるナァ」
 と、寺本副社長に皮肉を云われても、返す言葉がなかった時
 「一年間は黙って見てやるものだ」
 と、小林一三先生の助け舟で、涙が出たことを思い出す。やっぱり小林先生は偉かった。それで一所懸命になった。スタッフも力を協わせてくれた。8カ月で、第一の黄金期を迎え赤字を解消したのだから、先生の恩義に酬い得たと、これは嬉し涙が出たものだ。
 伊吹まり、ヒロセ元美、メリー松原の3スターが揃って加盟してくれたことが、興隆のキッカケをつくった。私はこの三人に恩義を感じている。それはやがて奈良あけみ、春川ますみ、ジプシー・ローズ、小浜奈々子等々多くのスターが加わってくれる動機となったのだから−。
 トニー谷、泉和助、エリツク君などの登場も大きな力だった。それと共に日本喜劇人協会をつくった盟友、榎本健一、古川緑波、金語楼の諸君が出演してくれたり、蔭になり日なたになって助力してくれたことも箔をつけてくれる結果になった。
 もう一つ忘れてはならないことは、作家諸先生の援助だった。谷崎潤一郎、村松梢風両先生をはじめ、三島由紀夫先生も脚本を書いて下さった。三島先生から
 「なんだ、これぽっちのお礼か」
 と、叱られたことも今となれば忘れ難い一コマである。舟橋聖一、吉行淳之介、遠藤周作、近藤啓太郎、戸川幸夫、梶山季之その他諸先生、画壇からは東郷青児、伊東深水、南政善諸先生等々、漫画界から小島功、杉浦幸雄、久里洋二、加藤芳郎の諸先生が、いろいろと後援して下さったことも、隆昌の大きな背景となった。
 このように20周年を盛大に迎えられるのも、決してわれらスタッフだけの力ではなく、多くの有力な方々のご援助があり、ご指導があったからだ。そして、何よりもこの20年間愛し続けて下さった観客の皆様の愛情の力によるものだと、感謝の他はありません。
 だが、私は20年だなんて大騒ぎをするにあたらない、これから何世紀も生き続けるショウにならねばダメだと思う。20才なんて鼻ッ垂れ小僧だ。それがためには才能をもった後継者が続々現われてくれないと困る、幸い岡聡、平田稲雄、大村重高の3人が立派に成長してくれた。この3人は、草創期の苦労をよく知つているし、苦労している。その次の第二の新人群もそろそろ頭角を現わして来たようで安心だが、時代は激動している、ショウも激変する。時代をよく洞察して新しい時代の先駆をせねばならぬ、20周年で新人にフンドシを締め直して欲しいと願っている。
 宋詩に「只伯春深」とある、ただわが代の春に酔ってだけはいられないのだ、と思う。


 この、小林一三と宝塚の話は、まだまだ展開していきそうです。
 さらなる刊行を、楽しみにして待つことにしましょう。
 
 
 
posted by genjiito at 19:38| Comment(0) | ■読書雑記

2019年12月04日

【復元】運に見放された一日

 何をしても「あーあー!」ということはよくあります。
 疲れている時には、なおさら心身共に堪えます。
 そんな時の気持ちを綴ったブログの記事が、クラッシュしたデータの残骸の中から見つかりました。単身赴任で奈良から東京に出かけていた頃のことです。
 
(※以下の記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
2006年7月21日公開分
 
副題「しかし、ものは考えようです。」
 
 今日は一日中、会議と打ち合せに忙殺され、また書類作りに終始しました。最近は毎日のように、自分の時間を切り売りするだけの日々です。自分が本当にやりたいことがまったくできない日常です。

 そんな中で、今日は、というか今日も、さんざんな一日でした。

 いつものように午後9時頃に仕事を終え、どっと疲れて帰路につきました。
 まず、戸越公園駅に着くやいなや、改札を通ろうとしたちょうどその時に、電車がサッサと発車してしまいました。それでは逆回りのコースで帰ろうと思い、反対側のホームに移ったその時に、向かい側のホームに後続の電車が入って来たのです。先ほど、すでに電車が行ってしまったので、次はこちらに来る電車が早いと思ったのです。しかし、フェイントをかけられました。
 しばらく待った後に、ようやく来た電車に乗って、終点の大井町駅で乗り換えました。

 この時間帯になると、お腹も空きます。お昼を食べてから9時間近く、何も口にしていないのですから。駅の周りを見回したところ、息子と同じ名前の店がありました。とにかくお腹に何かを、と思っていたので、思い切って入りました。
 メニューに800円と書いてあったものを注文しました。しかし、帰りにレジでは 1,115円だというのです。アレッ、と思い、どうしようかと思ったのですが、料金のことを確認するのも気が引けたので、訝しみながらも言われた通りの料金を払いました。こんな時には、みなさんはどうされるのでしょうか。もし私がこんなに疲れ切っていなければ、メニューの料金と違うことを言って確認したはずです。でも、そんな気力は、すでに失せていたのです。特別料金をとるほどの店ではないように思うのですが。

 何となくスッキリしないままに、駅のホームに立ちました。
 ところが、ようやく来た電車は行きたい金沢文庫駅まで行かない、途中の駅までのものだったのです。その電車をやり過ごして、しばらくしてからようやく行きたい駅に止まる電車に乗りました。
 電車に乗ってから耳に届いた車内放送によると、私が行きたい駅へは、次の急行が早いとのことでした。それならと、降りようとしたちょうどその時に、無情にもドアが閉まりました。次の駅で降りて引き返しました。しかし、これまた入ってきた電車には、あと少しで間に合いませんでした。またまた、しばらくホームで待ち、ようやく来た特急に乗りました。前列に並んでいたにもかかわらず、突進する女性に気圧されたこともあり、座れないままに、大混雑の中を立ちっぱなしで50分間を耐えました。
 金沢文庫駅についたら、何とフィットネスクラブの受付終了まで、あと2分しかないのです。走っても6分はかかります。もう、今日は間に合いません。行かないことにしました。

 ブラブラ帰り、シャワーでも浴びるかと気持ちを切り替えて駅の階段を下りたところ、外は雨。昨日までの大雨が、今日はすっかり上がっていたのに。
 こんな人生なんだと諦めて、雨に濡れながら、トボトボと宿舎にたどり着きました。

 今日は、ついていなかったのです。

 しかし、何事も前向きに対処するように心がけている私です。ここで発想を変えて、気分転換をしました。
 つまり、帰宅途中に、車に跳ねられなかったのは幸運だったと。今日のニュースでは、交通事故の件数が数十年ぶりに減少したそうです。これまでは、1時間に1人が交通事故で死んでいたのです。見方を変えれば、1時間に1人ずつ、人間が人間に車で殺されていたのです。人1人が殺されると、マスコミは人の命の尊さを訴えます。しかし、毎日大量に殺されている交通事故死に関しては、もう完全にマヒしています。「交通戦争」などという名前をつけてマスコミが騒いでいたのは、すでに過去のことになってしまいました。日常的に生起するできごとは、ニュースバリューを失うのですから、このような死に方にマスコミは、形ばかりの対応です。国も、車で殺し殺されることには、真剣に手を打つ気はないようです。車による便利さを享受する人の数が、とにかく圧倒的に多いのですから、こんなことはあえて問題としないのです。

 業者が改造したガス湯沸かし器による一酸化炭素中毒死もそうです。車の欠陥により死んでいく人も、たくさんいるはずです。欠陥製品を手にすることが多い私が、自信を持って言えることがあります。製品は均一には作られていない、ということです。私は自動車も、欠陥車を何度か買わされました。突然正常な運転ができなくなって、心ならずも人を殺したり、自ら死んでいった方々は、本当にお気の毒なことだと思っています。私も、走行中に車の不調に気付き、すぐに修理をしてもらって事無きを得たことは、これまでに何回も経験しています。雨の中での高速走行中に、突然エンジンが停止したこともあります。また、高速道路上で駆動後輪のブレーキが利かなくなったこともあります。こんな話は、七八年前に、私のホームページで書いた記憶があります。またいつかまとめましょう。

 それはさておき、
 今日私が、駅のホームで突き落とされなかったのもラッキーでした。
 電車が転覆しなかったのは、不幸中の幸いでした。
 帰宅途中に、暴漢に包丁で刺し殺されなかったのは、本当によかったと思います。
 帰り道で、頭上に看板が落ちてきたりして、巻き添えを食わなくて助かりました。
 今日、関東に大地震が来なくてよかったと。
 などなど。

 考えようによっては、今日はいい日だったのです。
 今、こうして無事に、キーボードで文字を入力できているのですから。

 ものは考えようです。
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
 
 
 
posted by genjiito at 19:58| Comment(0) | *回想追憶

2019年12月03日

箕面キャンパス周辺のモミジの色模様

 京都北山に負けず劣らず、大阪箕面も冷え込みが厳しくなりました。
 研究室がある総合研究棟6階からは、箕面キャンパス周辺の紅葉や黄葉がきれいです。
 大阪モノレール彩都線の彩都西駅の方角を見下ろすと、こんな景色が広がっています。

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 転じて、万博記念公園の方を見ます。
 大阪モノレールの架橋が、左の彩都西駅からまっすぐ右方向に延びています。

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 万博公園から北はあまり知られていません。
 参考までに地図を添えます。地図をクリックすると精細な表示になります。拡大もできます。

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posted by genjiito at 19:23| Comment(0) | *身辺雑記

2019年12月02日

京大病院での検診結果は問題なし

 検診に行く途中のバスは、これまでにないほどの不愉快な思いをさせられました。いやいやながらの運転であることがプンプンと臭う車内アナウンスでした。停留所で停まるたびに、「あーがどうした!!」と暗く落ち込んだ声が天井のスピーカーから聞こえます。何を言っているのだろうと、よく聞くと、どうやら「ありがとうございました。」とも聞こえます。それに加えて、急ブレーキ急発進、カーブの曲がり方はF1レーサー気取り。お年寄りが座られる前に急発進だった時には、大きくよろけて倒れそうになられるところを、どうにか手助けしました。私も、滅多にない車酔いをしました。今日は心電図をとるので、このことが影響しないように、アップルウォッチの心拍数を計測するアプリを使って、何度も深呼吸しました。こんなに酷い運転手さんは、最近では久しぶりです。
 Oさん、もう一度研修のし直しが必要だと思いますよ。自分で申告して受けることはないでしょうから、ずっと不機嫌な運転をなさるのでしょうね。乗客は迷惑していますよ。一日も早く、自分の運転態度が良くないことに気付きましょう。

 採血を待つ間に心電図です。これは、来春の白内障の手術のための準備です。
 採血は、手術のためのものも含めて6本分。加わった2本は、いつもより長い試験管(?)でした。
 今日は主治医の先生が多忙のため、午後にずれ込むとのことだったので、別の先生に診ていただきました。
 今回のヘモグロビン A1cは「7.1」。これまでと変化なしで、高め安定です。血液検査による他の内臓疾患についても、これまでとまったく変化はありません。以前に何回か血尿があったので、問題はないものの念のためにということで、今日2回目の尿検査が入りました。結果は次回の診察の時となりました。

 主治医の先生への伝言として、おかげさまで体重が50キロ直前まで来ていることをお知らせしました。血糖値のことは今はしばらくおき、とにかく体重を少しでも増やすことに専念してきました。1日6回食で、出来る限りカロリーを摂ることを心がけています。その成果が、少しとはいえ体重の増加に現われて来ています。消化管のないこの身体にとって、この増加は涙ぐましい努力の結果なので嬉しいことです。ただし、晩ご飯の時には必ず腹痛に見舞われます。この対処策として今日の先生は、しっかりと食べる食事をもっと早くしたら、というアドバイスをくださいました。とにかく、なんでもやってみる主義なので、早速今晩から取り組んでいます。

 また、今日から京大病院専用のクレジットカードが使えるようになりました。いつもの長蛇の列に並ぶことなく、優先的に会計をしてもらえます。これだけでも、15分は待ち時間が短縮できます。

 帰りの市バスの運転手さんは、マイクでの優しい案内と穏やかな運転だったので、非常に快適でした。市バスに乗ることが、いつ何が飛び出すかわからない、ロシアンルーレットの世界を体験する場となっています。一昔前の因習にこだわっておられる運転手さんの、一日も早い意識改革を期待しています。
 
 
 
posted by genjiito at 18:53| Comment(0) | *健康雑記

2019年12月01日

3ヶ月ぶりに風炉から炉で「入れ子点前」のお稽古

 賀茂川沿いの紅葉は、今年は鮮やかさを楽しむまでには至りませんでした。昨年の颱風と今年の大雨のために、倒れた多くの桜が植え替えられた影響もあったのでしょうか。

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 お茶のお稽古の時は、賀茂川と龍田川の定点観測を心がけています。
 大和では赤みを増した樹々が目立っていました。

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 前回も気になっていた解体現場は、すっかり何もない姿となっています。記憶の中にある建物がなくなった実感は、まだありませんが。

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 今日のお稽古は、入れ子点前をお願いしました。この前は、8月25日に風炉でやっています。3ヶ月前なので、だいたい覚えていると思っていたのに、実際にやりだすとうろ覚えであることを実感します。いつものことですが。
 今日も、帛紗が裏返っていました。前回、丁寧に畳み方を教えてもらったのに、不思議なことです。もう一度特訓です。
 終わってから茶巾を絞る時も、やったはずのことが思い出せません。これは、水屋でしっかりとやっていないことの証明でもあります。これまた毎度のことながら、記憶に頼らずに身体が覚えていることをやってみる、というくらいの気構えがいいのかもしれません。
 すべて終わってから、棗と茶碗を一気に丸卓の天板の上に持ち上げます。すでに置いてある柄杓の左右に、この棗と茶碗を置く時が一番気持ちの良い瞬間です。これをしたいがために、この入れ子点てをしたくなるのです。
 そこで気が抜けたのか、その後はまたアレッあれっの流れとなります。
 そんなこんなで、とにかくなんとか終わりました。まさに、難行苦行です。しかし、やった、という達成感もあります。
 帰りは、隣の駅に近い「音の花温泉」でゆったりと温まりました。たくさんの人が来ていて、ロビーも露天風呂も大賑わいでした。急に寒くなったせいでしょうか。この平群では、今朝は薄氷が張ったそうです。今日から師走。これから本格的な冬となりそうです。
 
 
 
posted by genjiito at 23:18| Comment(0) | *美味礼賛

2019年11月30日

紫風庵で三十六歌仙と源氏物語の変体仮名を読む(第7回)

 大徳寺に近い「紫風庵」で、「源氏物語と三十六歌仙を変体仮名で読む会」の第7回となる学習会を開催しました。主催は、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉です。

 明日から師走。通りを吹き抜ける風を、肌寒く感じるようになりました。「紫風庵」の背後に建つ建勲神社では、大河ドラマの関係か多くの人が集まっています。紅葉もみごとです。

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 「紫風庵」は、いつものように優しく迎え入れてもらえます。

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 今日は、10人集まった中で初めての方が4名もお出でだったので、自己紹介から始めました。
 お一人は生まれつき目が見えない方です。五十音図のひらがなは何とか書けるそうです。歴史と古典に興味があり、昨年から現代語訳の古典を読んでいるとのことです。初めて仮名文字の触読に挑戦ということになります。私との出合いは、今月2日に東京で開催された「バリアフリーかるた全国大会2019」でした。いろいろなお話をするうちに、お住まいが京都で「紫風庵」に近いということもあり、変体仮名が読めるように一緒に勉強しましょう、ということになりました。優しい旦那様がいつも一緒なので、道中も安心です。今日も、先日お送りした立体コピーの資料を丹念に指でなぞっておられました。時間がかかっても、着実に読める文字が増えていくことでしょう。横では、過日一緒に東京の大会に行った吉村君に、付ききりで進行に合わせて的確な説明というか同時通訳をしてもらいました。そのみごとなアシスタントぶりに、参会者のなみさまは感心しておられました。確かに、変体仮名の学習に合わせて、目が見えない方に同時進行で説明できる人は、この日本には彼しかいないと言えるでしょう。
 もう一人は、過日発見された定家自筆本「若紫」に関する藤本孝一先生の講演会に行った後、インターネットで私の変体仮名を読む学習会のことを知り、急遽今日参加してくださった方です。古文書は勉強しておられるようなので、仮名文字に慣れるのも早いことでしょう。
 さらに、しばらくお休みだった方で、一昨年の夏、ご一緒にハーバード大学へ『源氏物語』の写本や源氏画帖を調査に行った仲間も加わりました。お忙しい方なので、機会を見てこの「紫風庵」にも足を運んでいただけたらと思っています。

 各自の紹介の後は、配布したA4版のプリント5枚を見ながら、今日の内容の確認からです。
 今回も、襖に貼られた三十六歌仙の絵と和歌を、プリントの写真で確認する予習から始まります。今回は、「清原元輔」「坂上是則」「藤原元真」の三名です。

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 南面左から一領目の襖の上段に貼られているのが「清原元輔」です。

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■清原元輔 音なしの河とぞつひにながれける 言はでもの思ふ人の涙は (拾遺和歌集 七五〇)

  右     清原元輔
      【音】那しの
い者帝
         【河】と楚
【物】お          徒ゐ
   もふ          丹
【人】の      な可連
   【涙】盤     いつる


 この和歌については、一般的には第3句が「ながれける」となっています。しかし、この「紫風庵」の歌は「ながれいづる」です。これと同じ和歌が書かれているのは、中院通茂筆「三十六歌仙画帖」や鹿島神社「参拾六歌仙和歌」があることがわかりました。この件は、今後さらに詳しく調べていきます。ご教示いただけると幸いです。

 中段には「坂上是則」が貼られています。

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■坂上是則 み吉野の山の白雪つもるらし ふるさと寒くなりまさるなり (古今和歌集 三二五)

 左   坂上是則
三よし【野】ゝ【山】能
  志ら【雪】徒も流羅し
  【故郷】さむく
     な〈判読〉里万佐流
            △〈剥落〉り


 下段には「藤原元真」が貼られています。

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■藤原元真 夏草はしげりにけりな玉鉾の 道行く人もむすぶばかりに (新古今和歌集 一八八)

     藤原元真
【夏草】は志希り耳
 気里な堂まほこの
 【道】遊く【人】も
   む春婦者閑梨に


 これまでに、和歌の作者名の上に「左・右」が記されていました。しかし、この「元真」と前回の「斎宮女御」にはそれがありません。このことは、すべてを確認し終えてから考えたいと思います。

 以上の確認を、座卓を囲んだ学習形式でやってから、部屋を奥の座敷に移動して、実際の作品を見ました。

 上記の翻字で疑問にしておいた文字に注目して見ました。

(1)清原元輔の「いつる」は確かにそう書いてあります。
 ここは、紙が少し損傷を受けたようで、「い」の周辺の装飾が剥がれています。
 また、「なかれ」の「な」は、次の例と関連する字形です。
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(2)坂上是則の2つの「な」は悩ましい字形や状態を見せています。
 そこで、上記の元輔の「な」の字形を参考にして、一行目は形が崩れた「な〈判読〉」としました。
 行末は、元輔と同じように同じ場所の紙が少し損傷を受けおり、「△り」の周辺の装飾が剥がれています。そのため、本来は「なり」と書かれていたと思われるものの、今は「△〈剥落〉り」としました。
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(3)今回の「元輔」と「是則」の左下の紙に痛みがあることから、貼られている料紙のすべてを丹念に調べる必要が出てきました。これはまた後日報告します。

 時間の合間を見て、古代と近世の文字だけでなく、近代の文字も確認しています。
 前回は福沢諭吉の『学問のすすめ』でした。その前は、谷崎潤一郎の『春琴抄』と『鍵』。
 今日は、樋口一葉の『たけくらべ』を見ました。
 いずれも、巻頭部分です。こうした近代の印刷物に印字された変体仮名からも、いろいろな勉強ができます。文字を読むだけだと言いながら、多彩な内容を扱う勉強会になっています。

 続いて、ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」を読みました。
 今日は、15丁裏1行目からその丁の最終行まで、ちょうど半丁分を確認しました。
 なぞりの部分や、墨ヨゴレの箇所について、説明が長くなったためにあまり進みませんでした。
 また、会員の石田さんが作ってくださった糸罫も、みなさんで再確認しました。このような糸罫を使って写本が書写されていた、という説明をすると、書かれた文字を見つめる注意力が違ってきます。特に、今回の最終行に見られる墨ヨゴレは、糸罫を次の丁に移動させる動作と筆の持ち替えということも生ずる場面です。

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 そうしたことが、この墨ヨゴレとどう関係しているのか、まだ私には明確な説明ができません。墨ヨゴレの下には1文字分の空白があるので、なおさらその理由がわかりません。

 次回は、16丁表1行目から確認を始めます。

 今日の私の説明で、目が見えない方にはわからないことを言っていました。「堂」を「ta」と読むことに関して、いつものように「お堂の堂です」と言っていたのです。ことについて、目が見えない方には「堂」という漢字がわからないので、説明方法を変えた方がいいとのアドバイスを終わってからいただきました。確かにそうでした。「遣」を「ke」と読むことについても、「派遣や遣唐使の遣です。」と、口癖のように言っていました。このことについては、あらためて文字を説明する方法を再検討します。東京の講座では、中途失明の方に対する説明だったので、それでも通じていました。しかし、これからは生まれながらにして見えなかった方への対応なので、漢字での説明には工夫が必要です。しかも、変体仮名の字母を確認しているので、その元になった漢字のことは避けて通れません。いい課題をいただきました。

 次回は、12月はみなさま何かと多忙なので休会とし、新年25日(土)の午後2時から第8回を開催します。
 また、このブログなどでお知らせをします。
 
 
 
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2019年11月29日

京洛逍遥(583)京都市バスの運転手さん(2019年-その2)

 バスの運転手さんの応対が、非常によくなってきていることを感じます。
 以前までは、乱暴な運転はもとより、ぶっきらぼうな態度や、車内アナウンスも投げやりだったり、と不愉快な思いをすることがよくありました。
 それが、最近はめっきり減りました。

Fさん/丁寧な語り掛けで、インフルエンザの流行を例にして乗客の健康を気遣うアナウンスは秀逸でした。この方は、2年前には、盛りだくさんの案内で喋り過ぎだと思った方です。乗客のことを、いろいろと思ってのことだったようです。

Uさん/終始親切な対応で、車内から車外にも「◯系統です。」とアナウンスしておられます。乗ってしまうと、車内には何番のバスでどこ行きなのかの確認のしようがないので、これは乗る時に助かります。この配慮をしている方は、他にも何人かいらっしゃいます。

Sさん/優しく乗客に語りかける口調のアナウンスで好感が持てました。

H1さん/親切丁寧なアナウンスで、「後ろから自転車が来ていますから気をつけて降りてください。」という一言は、降りた瞬間に自転車とぶつかることがあるので助かります。

Tさん/降りる時に「いってらっしゃいませ」と声をかけておられます。優しい方のようです。ただし、降車ボタンが押されるとイチイチ「お知らせありがとうございます。」とか「信号停車いたします。」は丁寧すぎるので、イライラする人もあることでしょう。

H2さん/簡潔で爽やかなアナウンスです。ただし、ブレーキを強く踏みすぎるために、何度もガックンガックンと止まるのはいただけませんでした。


 こうした流れの中で、依然としてかつての悪しき慣例を守っているとしか思えない方も、まだ少しはいらっしゃいます。

Aさん/若いのに、何を言っているのかまったく理解不能です。若い運転手さんたちは爽やかになったのに、無愛想で適当な対応で通す因習を継承している数少ない若者です。

M1さん/お店のおじさん風の馴れ馴れしい喋り方なので、これではうるさすぎます。

M2さん/中年のいかにもやる気のないアナウンスの口調です。運転も下手でした。

Tさん/若い方です。乗客が運転席の横に来て「四条河原町にいきますか?」と聞いた時です。「いかない いかない」とけんもほろろ。乗客の方は「どうもありがとうございます。」と、丁寧におじぎをして降りて行かれました。悪しき伝統の継承者、とでも言うべき運転手さんのようです。

 
 
 
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2019年11月28日

読書雑記(273)うおやま『ヤンキー君と白杖ガール 3』

 『ヤンキー君と白杖ガール 3』(うおやま、小学館、2019.11.22)を読みました。

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 第1巻を読んだ後、「紹介すべき言葉に窮しています。何と言っていいのか、困っています。」と書き、続く第2巻でも、「…………まだ、ウーンです。(中略)まだ、作者の意図するところが見えません。とりあえずは、次巻を待つことにします。」という感想を持ちました。
 そして待望の第3巻。

 話がスッキリして、言葉遣いや表現に違和感を感じなくなりました。乱暴な言葉遣いにも、私が慣れたのか、作者が読者の反応を取り込んで丸くなったのか? 変化を感じました。
 この変化については、「見える人」と「見えない人」の対立あるいは共存というテーマが、何とか明確になったからではないか、と思っています。主人公の赤座ユキコの盲学校の友達である紫村空をめぐる、ランニングに話題が絞られているので、スムースに読めました。また、ランニングコースへの「置きチャリ」問題から、ユキコの恋人である黒川森生の存在が「見える人」の代表として取り上げられます。これまで、いささか迷走していたように思われる物語に、わかりやすさが生まれたと思います。後半に出てくる青野陽太の役割は、これからの物語が盲学校の仲間たちをめぐって、ますますおもしろくなっていくことを予感させます。

 とにかく、話が滑らかになりスムーズに展開していくのは、一読者として歓迎すべきことです。これまでのギクシャクした展開が、それなりにおもしろくなったのです。ただし、いい話が流されているような感じがするのは、なぜでしょうか。気になったのは、キャラクターたちがお上品になったように感じられました。この変化は、どうしたんでしょうか? 【3】
 

[これまでの本作品への雑感 1〜2]

「読書雑記(263)うおやま『ヤンキー君と白杖ガール』」(2019年07月31日)

「読書雑記(265)うおやま『ヤンキー君と白杖ガール 2』」(2019年08月15日)
 
 
 
 
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2019年11月27日

「源氏物語と三十六歌仙を変体仮名で読む会」(第7回)のお知らせ

 本日27日(水)の京都新聞「まちかど」欄に、次の紹介記事を掲載していただきました。

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 会場は、平安京の北の基点となった船岡山のすぐ南にある、登録有形文化財に指定されている「紫風庵」です。その「紫風庵」で、ハーバード本「須磨」巻を読むと共に、「紫風庵」所蔵で江戸時代に描かれた三十六歌仙の絵と和歌を読んでいます。平仮名は変体仮名を再確認しながら、書かれた文字を忠実に読んでいきます。
 江戸時代に描かれた三十六歌仙については、その絵が貼られた襖がある部屋で、しかも間近に見ながら、一文字ずつを解読していきます。

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 「紫風庵」に所蔵されている「三十六歌仙」の詳しいことは、「京洛逍遥(538)登録有形文化財「紫風庵」の三十六歌仙絵」(2019年04月13日)(http://genjiito.sblo.jp/article/185856865.html)をご覧ください。

 今回は、南側左第1領の襖絵を読みます。

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 1年かけて、この三十六歌仙に取り組む予定です。ぜひこの機会に、生きた古典と接する得難い体験の場としてください。初心者を意識して、丁寧に変体仮名を読むコツなどを説明します。
 特に今回から、目が見えない方も参加なさいます。立体コピーで作製した絵と文字の資料を、本日お送りしました。三十六歌仙の絵と和歌のA4立体コピーを7枚、『源氏物語』の「須磨」巻のA4立体コピー2枚です。また、変体仮名の文字を少しずつ覚えていただくために作製した、『変体仮名触読字典』と『触読例文集』の2冊の私家版も一緒にお届けしました。これは、バインダーに綴じた資料集です。2年前に試作品として数部だけ作ったものです。自習には役立つと思います。「『変体仮名触読字典』と『触読例文集』が完成しました」(2017年03月31日)
 初めての挑戦だとのことなので、いつもとは違う、目が見えなくても変体仮名の姿が頭に浮かぶような説明をしたいと思っています。日頃は、点字で文字のコミュニケーションをとっておられる方です。それが突然かな文字を、しかも変体仮名が混じっているのですから、最初は戸惑うことばかりだと思われます。しかし、少しずつ慣れると800年前に書かれた文字が読めるようになり、平安時代以来の仮名が伝える文字の力が、指先を通して伝わってくるようになるはずです。ぜひとも、日本の古い文字を通して、日本文化の奥深さを体験していただきたいと思っています。
 こうした集まりに参加を希望される方は、このブログのコメント欄をご利用ください。折り返し、説明の返信を差し上げます。
 なお、この学習会は、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉が主催する企画です。小規模ながら、地道に気長に活動を続けています。
 『源氏物語』ともども、「三十六歌仙」という古典文学作品を生で鑑賞し、そこに書かれた文字を忠実に翻字していくことに興味をお持ちの方の参加をお待ちしています。
 会場である「紫風庵」への道順などは、上記ブログに詳しく掲載していますので、参考になさってください。
 
 
 
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2019年11月26日

清張全集復読(37)『火の路 下』の麻薬と贋作と学界批判

 上巻については、「清張全集復読(36)『火の路 上』」(2019年10月15日)に記しました。

 下巻は、ゾロアスター教の聖地であるイランを旅する高須通子の現地調査で始まります。

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見知らぬ土地を歩くのは、私も大好きです。楽しく読み進めました。もちろん、ゾロアスター教に関する知識も蓄えることができました。
 沈黙の塔で、高須は大和平野から望む二上山の景色を思い浮かべます。さらには、飛鳥の地をも。
 たくさんの言語が例としてあがります。ペルシア語、アベスター語、サンスクリット語、などなど。そして、その背景には、異教という宗教儀礼と秘儀としての陶酔薬物の麻薬が横たわります。
 同時進行で、京都の骨董収集家の贋作問題や、人間関係の複雑な事情などが、歴史と文化と研究が綯い交ぜになって読者を引っ張っていきます。壮大な規模の物語です。
 イランを旅する通子は、イスファハンまでをみすぼらしい身なりの運転手のタクシーで移動します。その運転手の横には、病気の子供が乗っていました。この親子の設定に、私は清張が我が父と自分の姿を思い浮かべているように思えました。『砂の器』に出てくる親子が、二重写しのようになって見えたのです。これは、あくまでも私の勝手な想像ですが。
 益田岩船の南北の中心軸が、耳成山=藤原京に向いていることの意味を推理する過程は、読者を考古学へと導きます。これだけ石造遺物をめぐって、飛鳥、イラン、考古学、盗掘、学界の詳細な話に付き合うと、にわか推理マニアになった気分にさせられます。
 樋口清之先生の『古物偽造考』を引いて、偽物の古墳出土品を作る手法などが紹介されています。樋口先生の授業を受け、研究室に行ったことがあります。博物館の学芸員の資格取得の講座を受講した時に、楽しい話をたくさん伺いました。松本清張のと付き合いについても。この作品の背景には、樋口先生からのアドバイスもあることでしょう。
 後半で、イランから帰った高須が『史脈』に掲載されたとする研究論文が掲載されます。なかなかおもしろい内容です。最終部分で語られる、飛鳥の益田岩船と播磨石の宝殿が、本来は一対の、ペルシアの拝火神殿となるはずのものだったのではないか、という推論はおもしろいと思います。その未完成品が、組み合わされないままに今あるのだというのです。これに対して、清張は高須の論文「飛鳥文化のイラン的要素−とくに斉明期を中心とする古代史考察と石造遺物について」に関する学界の反応について、批判もなく無視されるだろうと言います(下294頁)。これまでも語られたように、清張特有の在野の視点からの感情を交えた評価が記されます。しかし、この高須論文はあまりにも推論に推論を重ねたものなので、研究者が書いたにしては学問的な証明がなされておらず、論文とは言えないと思います。これは、学者を描ききれなかった、清張の限界だったのかもしれません。自分でも、作中で海津信六のことばを借りて、次のように言います。

このような論考には、その実証範囲におのずから限界があるのはやむを得ないことと思います。しかし、これは将来古学的遺物や文献などが発見されぬかぎりは望み得ぬことで、要はその推論に説得性があるかないかによることと思います。
 日本古代史は、百花繚乱のおもむきがありますが、一部の何ら論証なき恣意な臆説、ナンセ
ンスな強弁は別として、大方の学者は「実証」に拠らずば十分にモノ言えぬ状態のようです。
「怯懦な」古代史学者は、ひたすら学界論敵の攻撃をおそれて自己防衛を先としています。だが、
その「実証」たるや青い鳥の如く求めて永遠に求め得ざる類のものであります。小生の感想では、このような「実証」とは実に愚直な「実証」のたぐいと考えざるを得ません。
 証拠品(考古学的遺物や文書等)の羅列によって不動の実証を得たとするいわゆる帰納学者の愚鈍では、資料乏しき古代学は遅々として進みません。そこに鋭敏にして犀利な演繹的方法の導入が必要です。もし、その方法に大きな誤りがなければ、漫然たる列品的証拠品(資料)は磁気に吸い寄せられるが如くにその演繹的理論の秩序下に入るのであります。これは数は少ないが、天才的な先学によってすでに立証されています。……(下386頁)
(中略)
所詮、仮説を立て得ないものは発想の貧困をものがたるだけです。仮説のあとから実証を求めればよいのです。ヘロドトスの『歴史』もはじめは大ほら吹きとして嘲罵の対象になりました。(下394頁)


 物語としては、途切れ途切れに寸景を挟んで接続されているので、堅苦しい論文が普通に読めます。これは、清張の工夫といえるでしょう。
 最後は、清張らしい叙情的な表現で語られます。風景の中に物語が閉じ込められていきます。
 読後に、やはり推測が多すぎると思いました。論文が主体となった後編からは、物語が雑になりました。これ以上は長くできなかったために、こうして足早に手紙などを小道具にして、推測で話をまとめることにしたのでしょう。
 それでも、スケールの大きな物語を堪能しました。【5】

【追記】
 本日、11月26日(火)京都新聞(朝刊)の一面に、次の見出しが躍っています。
  松本清張に京の「先生」
  手紙100通やりとり
  在野の古代史家・薮田嘉一郎
  「火の路」執筆で教え請う

 清張は、朝日新聞に「火の路(回路)」を連載しながら、いわゆる「通信講座」を在野の薮田に頼んでいたようです。
 おもしろい資料が期せずして現れたものです。酒船石、益田岩船、ゾロアスター教、などなど、清張の推理の根幹部分と、この作品ができあがる経緯が、これによって明らかになっていくことでしょう。
 
 
 
 
posted by genjiito at 19:34| Comment(0) | □清張復読

2019年11月25日

京洛逍遥(582)下鴨神社の紅葉-2019

 下鴨神社を散策していると、紅葉に自分の頬も明るんでくる気がします。
 下鴨本通りの北口から入りました。

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 境内の光琳の梅は春を待っています。

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 糺ノ森の馬場は緑のトンネルです。

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 昨年の颱風で、多くの木が倒れました。
「京洛逍遥(512)下鴨神社の倒木と鴨川合流地点の清濁」(2018年09月08日)
 それでも大切に手入れがなされたこともあり、今は太古の息遣いを蘇らせています。

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 河合神社の前の手水舎は、水道水が竹筒から流れ出るものとは違い、独特の雰囲気を醸し出しています。地下数千年の地層から湧き出て来たかのような水です。

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 葵橋から北山を望むと、賀茂川の両岸はさまざまな色を見せて、上流の上賀茂神社へと続いていました。

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posted by genjiito at 18:49| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2019年11月24日

翻訳文を日本語に訳し戻すにあたっての方針

 一昨日、平安文学に関する翻訳文を日本語に訳し戻すことを書きました。

「平安文学の翻訳から見たポケット翻訳機への期待」(2019年11月22日)

 今から33年前に、文学研究にコンピュータを導入する意義と具体例を、『新・文学資料整理術パソコン奮戦記』という本にまとめました。その時、コンピュータに文学などわかるはずがない、という批判をいただきました。電気で動く単なる機械に、過剰なまでの期待をもってのご意見でした。
 私が提示したのは、情報文具とい道具をどう文学研究に活用するか、という問題提起でした。それを、コンピュータが人間の思考活動に対峙するものとして、あるいは置き換わるものとして捉えられたのです。この反応は数年続きました。今なら、そんなことを言う人はもういないと思います。

 一昨日、平安文学の翻訳文を日本語に訳し戻すことを書きました。いらっしゃらないとは思うものの、機械翻訳など使い物にならない! 何を愚かなことを! とおっしゃる方がおられるのではと危惧します。そこで、訳し戻しは文学的な表現で日本語に戻すものではないことを、あらためてここで確認しておきます。無用な批判を避けるためです。

 現在、訳し戻しをお願いする時に、次の方針を提示しています。

■訳し戻しの依頼内容■



〈概要〉
 世界各国37種類の言語で翻訳された『源氏物語』に関する翻訳書を整理し、その中から特定の巻を日本語に訳し戻して比較検討の基礎資料とするのが、今回の翻訳依頼の主旨です。
 この各国語翻訳を日本語に一元化したものを通して、日本文化が変容して伝えられていく諸相と実態を確認し、研究者等との共同研究で考察していきます。各国にどのような表現で『源氏物語』が、ひいては日本文化が伝えられているのか、ということを調査研究しようとするものです。
 日本文学を通して日本文化が海外にどう伝わっているか、ということが本研究で最終的に取り組む課題となります。
 そのため、文学的な名訳は求めません。
 現地にお住まいの方に伝わる感覚で、現地の方々が理解できるレベルでの、ごく普通の逐語訳にしてください。日本語を母語とする人に向けての日本語訳ではないことを、充分に理解して取り組んでいただきたいと思います。

〈注意事項〉
(A)日本語へ訳し戻すにあたっての各国語訳の本文資料は、PDFでお渡しします。それを日本語に訳し戻していただき、プレーンテキストで返信してください。

(B)受け取ってから1ヶ月ほどで完成したものを返送してください。完成した日本語訳を公開するときには、訳者のお名前を公表させていただくことをご了承ください。

(C)人選は、各言語につき2名(原則としてネイティブの方1名と日本語を母語とする方1名)を、本科研の研究代表者である伊藤鉄也が適任と思う方にお願いします。

(D)お渡しした資料のうち、「刊記」「まえがき」「序章」「あとがき」等を参照し、当該翻訳文が(1)何時(2)どこの国で刊行(3)誰が(4)どのようなテキストを基にして(5)どのような方針で訳したのか、を整理した文章を、A4版1枚くらいを目安にした分量で、訳し戻し文とは別のファイルで提出してください。

(E)「脚注・後注」も、翻訳者が読者に日本文化をどう伝えようとしているのか、という貴重な資料となります。これも日本語に訳し戻して、訳し戻し文とは別ファイルとして提出してください。

(F)訳し戻しをしていただくにあたり、問題と思われた、もしくは手間取った、または苦労した箇所に関するメモも、訳し戻し文とは別ファイルとして提出してください。日本文化がどのように伝えられているのか、ということを検討する上で、大切な資料になるためです。

(G)文学作品の翻訳書を日本語に訳し戻した著作物や、多言語翻訳を担当した方には、その翻訳に関わる権利を、本科研の共同研究の成果として公開するものであることを理解していただき、作成者個人の権利以外は本科研の基盤研究機関である大阪大学に委譲することを原則とします。これは、日本学術振興会に研究計画を申請した際に申告したことです。


 ここに明示している通り、名訳を期待しているのではなくて、文化の変容を検討するために、可能な限り原語に忠実に日本語へ移し替えてもらうことに力点があります。訳し戻されたものが、日本語として多少おかしくても構わないのです。日本の文化が相手の国にどのような言葉として伝えられようとしたのかを知る資料になればいいのです。
 その意味では、ポケット翻訳機は格好の情報文具となりそうです。
 このテーマが、おもしろい展開となることを期待しています。
 
 
 
posted by genjiito at 21:00| Comment(0) | ■科研研究

2019年11月23日

神野藤先生の与謝野晶子語りを聞きに堺へ行く

 久しぶりに京阪電車に乗り、堺に行きました。家の前のバス停で、「205」番に乗るはずが「206」番のバスに乗ってしまいました。東山に向かうバスなので高野橋東詰で降り、タクシーで出町柳駅まで行き、走って電車に飛び乗りました。危ない危ない。目の調子が良くないせいか、バスの「205」と「206」が見分けられなくなりました。特にLEDの表示になってからは、数字が滲んで見えにくいのです。この前も、同じ経験をしました。

 出町柳駅前は、八瀬大原鞍馬方面へ紅葉を見に行く方たちで長蛇の列。通勤ラッシュ状態です。タクシーの運転手さんが、出町柳から八瀬の瑠璃光院へ行くのに2時間以上かかった、とおっしゃっていました。道路も大渋滞のようです。

 さて、今日は神野藤昭夫先生の講演会が、さかい利晶の杜であるのです。

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 ホームページから、該当する部分を引きます。

 本年は、与謝野晶子の最後の大作『新新訳源氏物語』完成からちょうど80年になります。
 晶子は、少女時代から「源氏物語」に親しみ、54帖の各帖を1首ずつ歌にして、1時間で30首も詠むことができたと回想しています。紫式部を恩師として尊敬し、「源氏物語」を「日本精神の大きな本源」として高く評価していた晶子は、生涯に3度も「源氏物語」の現代語訳を手掛けました。
 最初の訳は明治末期のヨーロッパ旅行前後に『新訳源氏物語』全4巻として刊行され、2度目は執筆途中の原稿を関東大震災で焼失してしまい、3度目の訳が昭和13年(1938)から翌年にかけて『新新訳源氏物語』全6巻として刊行されました。その3年後に晶子がこの世を去ったため、『新新訳源氏物語』は晶子にとって最後の大作となりました。
 本展では、晶子が少女時代から最晩年にかけてその情熱を注いだ「源氏物語」の魅力を、『新新訳源氏物語』の自筆草稿や、各巻を歌に詠みこんだ「源氏物語礼讃」から解き明かします。晶子がいかに「源氏物語」を愛し、未来永劫に読み継がれるために心血を注いでいたかを知っていただく機会になれば幸いです。

会期
令和元年11月2日(土)〜12月15日(日)
 ※11月19日(火)は休館

時間
午前9時〜午後6時(入館は午後5時30分まで)

場所
さかい利晶の杜 企画展示室

料金
一般300円(240円) 高校生200円(160円) 中学生以下100円(80円)
 ※「与謝野晶子記念館」「千利休茶の湯館」の観覧券で企画展示室にもご入場いただけます。

主催
堺市

協力
与謝野晶子倶楽部

記念講演会
「『新新訳源氏物語』はどのようにして生まれたか╶╴その魅力の源泉をかんがえる」
日時:11月23日(祝・土)午後2時〜3時30分(90分)
講師:神野藤昭夫氏(跡見学園女子大学名誉教授)
会場:さかい利晶の杜 講座室
定員:40名(先着順)
料金:300円(展示観覧含む)


 あらかじめ連絡をしていたので、世話役の足立匡敏さんが手配をしてくださっていました。足立さんは、与謝野晶子の自筆原稿を国文学研究資料館で画像データベースにする時、写真撮影などでお世話になりました。
 会場は満員です。堺の晶子人気は日本一でしょう。

 講演会の前に、展示室で神野藤先生とバッタリ出会いました。学芸員の森下さんの説明を一緒に聞き、晶子の『源氏物語』への情熱をあらためて感じました。
 今回あらたにわかったことがあります。晶子の『新新訳源氏物語』の自筆原稿で、与謝野光氏所蔵の以下のものが、このさかい利晶の杜に寄託資料として収蔵されていることでした。

夕顔 15枚
薄雲 31枚
少女 22枚


 これらは、すでに撮影して国文学研究資料館から公開している画像データベースに含まれていません。また、堺市博物館所蔵の「松風」数枚も、画像データベースに入っていません。
 晶子の原稿は万年筆で書かれており、光が当たると色が落ちていきます。そのため、2008年に鞍馬寺所蔵の自筆原稿から、精細な画像で公開して原稿を守る対処をした経緯があります。

「与謝野晶子の自筆原稿『新新訳源氏物語』と『蜻蛉日記』の撮影」(2010年10月26日)

 この未公開の原稿も、1日も早く撮影して、国文学研究資料館の画像データベースに追加していただきたいと思います。

 本日の神野藤先生のご講演は、最初に「落とし穴」が後半にあると宣言して始まりました。
 いつものわかりやすくておもしろい名調子に加えて、謎解きの要素がふんだんのスリリングなお話でした。今回の講演の準備を終えてから気付いた「落とし穴」が、最後に用意されているということです。これは、ライブでお聞きしたからこそ伝わる、調査研究の醍醐味が伝わるものでした。
 いつもなら、ご講演の内容を順を追って整理するところを、今回に限り、お話の展開は控えます。会場のみなさまと共に楽しんだ、あの筋書きが見通せない新鮮な語り口を、自分の中で反芻して楽しむことにします。
 一つだけ、忘れないように記します。晶子と河内本についての問題意識と、「柏木」の巻末部の文章の不可解さについては、今日私にとって一番インパクトがあった話題でした。晶子の『新新訳源氏物語』の訳文の違いとどう関係するのか、楽しい宿題をいただきました。

 終わってから、娘と孫たちに会っていただきました。フランスの話や孫のことなどが話題となり、もっと時間があればと思いながらも、先生を独占するわけにもいかず、またの機会を約束し、みんなで記念写真を森下さんに撮っていただいてお別れしました。
 先生は、いつも私が休みなく飛び回っているので、自制を促すメールをよくくださいます。ありがたい大先輩です。
 また元気を先生からいただいた後は、娘と孫たちを連れて、近くでケーキと飲み物で和やかな時間を過ごしました。
 帰りの堺駅前で、今日の記念にと、与謝野晶子の像の写真を撮りました。

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 晶子さんは、西口にひっそりと佇んでいます。東口の賑やかな所に引っ越しさせることはできないのでしょうか。ほとんど人通りがない側なので、気の毒です。堺市の方、ご一考をお願いします。
 
 
 
posted by genjiito at 20:36| Comment(0) | ■講座学習

2019年11月22日

平安文学の翻訳から見たポケット翻訳機への期待

 ポケット翻訳機に関する情報が賑やかに流れています。
 ソースネクストの「ポケトーク」シリーズが国内シェアの約95%という状況が続いていたようです。私も、今年の3月にルーマニアでその実力のほどを体験しました。ブカレストにあるカンテミール大学を訪問した時、同行の保坂さんが持参しておられた「ポケトーク」が、現地の先生の早口ことばを日本語に器用に翻訳してくれたのです。その音声認識力と日本語に翻訳されたことばには驚きました。
 その「ポケトーク」も、来月12月6日発売の「ポケトークS」(24,800円〜税別)では74言語に対応し、カメラで文字を撮影すると55言語で音声とテキストに、19言語ではテキストに翻訳してくれるそうです。
 現在私は、科学研究費補助金の基盤研究(A)で「海外における平安文学及び多言語翻訳に関する研究」(課題番号︰17H00912)というテーマに取り組んでいます。この「多言語翻訳」における「本文対照システム」を考えている身としては、この翻訳機としての情報文具を研究に活用して、研究の進捗に資するテキスト作成に使わない手はありません。
 1981年から、私は情報文具としてのパーソナル・コンピュータの文学研究への導入の可能性と、『源氏物語』の本文データベースの構築を追求してきました。当時はまだ、全角のひらがなも漢字も使えませんでした。その成果が、拙著『新・文学資料整理術パソコン奮戦記』(桜楓社、1986年)です。個人的なホームページ〈源氏物語電子資料館〉を立ち上げたのは1995年でした。それが今では、驚異的な進化をとげてAI時代と言われるようになりました。翻訳という文化にも、翻訳機が急展開して日常生活に溶け込んでくることでしょう。
 そんな意識から、今日現在のポケット翻訳機の情報を集めてみました。
 これらは、使ってみないことには、それがどの程度の成果を見せてくれるのかわかりません。特に、私は平安文学作品の翻訳文を扱うので、ビジネスのための用途ではないし、求める翻訳の質も違います。しかし、とにかくこれから普及するであろう、まさに待ち望んでいたドラえもんのひみつ道具である「翻訳こんにゃく」の出現なのです。これから、ドラえもんが翻訳こんにゃくをどのような場面で使い、その翻訳の役割は何だったのか、その結果はどのような展開を生んだのか? などなど、あらたな視点で漫画の読み直しをしようと思うようになりました。

 現在のところ、「ポケトーク」以外には、以下の機器を確認しています。

(1)104言語対応のAI音声翻訳機「ランゴーゴー」
(2)155言語に対応する携帯型通訳端末「ワールドスピーク HYP10」
(3)29カ国語リアルタイム翻訳対応「Google アシスタント」
(4)137言語対応の音声通訳者「CTVMAN」(https://www.aliexpress.com/i/4000282485652.html?spm=2114.12057483.0.0.7e946383ro8cl8
(5)22言語対応予定の小型AI翻訳機「チータートーク」

 この流れの中で、私の科研でも研究手法の見直しが必要になりました。各種言語に翻訳された文章を読み上げて翻訳機で日本語にすれば、それが訳し戻しにおける下訳となる可能性があります。もしその翻訳文が使い物になる質の日本語文であれば、あとは確認さえすれば時間と経費の節減となります。言語別の翻訳謝金の検討を進めていました。しかし、これが可能となれば、翻訳に対する謝金の根拠の見直しを迫られます。人間にしかできないことであっても、その下ごしらえに少しは役立つはずです。もちろん、日本の古典文学作品の翻訳を通して、異なる文化圏へどのようにその内容が変質して伝えられていくのか、という文化の変容という研究テーマをどの程度手助けしてくれるのかは、まったく未知の問題です。それにしても、おもしろい時代となりました。
 これまで進めていた、平安文学作品の翻訳文を日本語に訳し戻す手法は、これから再検討します。同じように、『十帖源氏』の他言語翻訳も再検討となります。
 また、多言語表記を撮影して翻訳文を読み上げる機能は、目が見えない方たちにも新たな世界が広がります。カメラのレンズが、文字を読み取り文章を理解する上で、目の代わりをしてくれるかもしれないのです。文字による文化の伝承に関して、新しいコミュニケーションの提案ができそうです。手で書き写された写本や、印刷された出版物などを仲立ちとして、目が見えない人たちと共に、古典文学の話ができるようになることでしょう。
 多言語理解の壁は低くなり、お互いの文化をどのように異文化社会に伝えるか、ということを、平安文学を例にして実験的な研究に切り替えるタイミングがもう来たのです。新しい研究手法の模索を、早速始めることにします。
 若者たちの新鮮な発想を促し、刺激を受けながら、一緒に試行錯誤を愉しみたいと思います。
 
 
 
posted by genjiito at 20:05| Comment(0) | ◎情報社会

2019年11月21日

お年寄りと社会生活のルール

 今日もバス停で、並んでいる人々を無視して、サッサと前屈みの姿勢で乗り込むお年寄りの女性がおられました。先頭にいらっしゃった若い女性が、「並んだらどうですか!」と大声できつく注意しておられます。そんなことはどこ吹く風と、我先にと乗ってしまわれたのです。私は前から3番目にいました。みなさん、呆れ顔で、しょうがないな、という表情です。
 最近、こうした光景に何度か出会いました。電車ではなくて、バスでのことが多いのです。無料のバスカードをお持ちだからでしょうか。京都市では、70歳以上に公布されています。私も、あと2年でもらえます。内心、楽しみにしています。
 さて、高齢者が、こうして社会の迷惑者になっている実態を見せつけられると、どこかで現代社会のマナーを、あらためて覚えていただく機会を作る必要があるように思います。そうしないと、若者たちは、ますます高齢者を社会の鼻つまみ者として扱うことでしょう。気の毒だから譲っておくか、という気持ちを、当たり前のものとしてはいけません。敬老などとは、縁遠い感情です。
 これから高齢化社会になる、と言われて久しい今、こうした実情に対する対策を打たないと、気持ちのいい社会はできません。
 医療面でも、高齢者はお荷物と若者には思われているようです。そうであればこそ、バスに乗るマナーもどこかの段階で、運転免許センターで実施されているような講習会が必要だと思います。70歳になった時に受講する、というのはいかがでしょうか。
 
 
 
posted by genjiito at 22:02| Comment(0) | *身辺雑記

2019年11月20日

孫娘2人を相手にお茶の特訓

 孫たちに変体仮名の特訓をした後は、これまた日本文化体験としてのお茶会です。
 楽しく点てて遊びました。

 まずは、柄杓のあつかいから。
 見るもの聞くもの、すべて興味津々です。

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 お姉ちゃんのお茶のいただき方が自然体なので、安心して見ていられます。

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 このお茶碗は、今年の夏に世界遺産になった「百舌鳥・古市古墳群」の中でも仁徳天皇陵をイメージして焼かれた、姿も形もめずらしい逸品です。

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 私も点ててみるというので、シャカシャカやっています。
 それなりにお茶人らしく見えます。

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 妹には白湯です。
 この姿も一人前なので、これからが楽しみです。

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 とても遊びとは思えない、一風変わったおもてなしの特訓となりました。
 
 
 
posted by genjiito at 20:33| Comment(0) | *美味礼賛

2019年11月19日

孫娘2人に変体仮名の特訓を開始

 先日、京都国立博物館へ「佐竹本三十六歌仙」を見に行った折に、複製の『鶴下絵三十六歌仙和歌巻』をいただいてきました。
 俵屋宗達が金銀泥で下絵を描き、その上に本阿弥光悦が三十六歌仙の和歌を書いた、重要文化財となっている江戸時代の巻物です。
 かねてより、いつかいつかと機会を窺っていたので、ちょうどその日に我が家へ来たことを幸いに、さりげなく2人の前に拡げてみました。

 まずは9ヶ月の子から。
 この真剣なまなざしと、その手の突き方からして、次の反応を期待させます。

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 やがて、巻物の意匠や装幀を確認しだしました。
 書誌的な関心が芽生えたようです。

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 しかし、あっという間にグシャグシャにしてくれました。
 興味を示していると思ったので、油断していました。

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 2歳半のお姉ちゃん登場。
 妹に文字を教えだしました。

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 いやいや、指は墨の文字ではなくて、金泥と銀泥で描かれた鶴を追っています。
 何のことはない、鶴の数を数えているだけでした。

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 それでも、この歳にして、貴重な日本の古典文化に初めて触れたのです。
 さて、次は何にしようかと、今から策を練っています。
 
 
 
posted by genjiito at 19:00| Comment(0) | ■変体仮名

2019年11月18日

国際集会で使用する言語に関していただいたご意見

 先週15日(金)に「早稲田大学で開催された翻訳に関するシンポジウムに参加」と題する記事をアップしました。
 すぐに、その記事に関するご意見が届きました。国際集会を運営する上で、今後のための問題提起になるかと思い、ご本人から転載の了解もいただきましたので、私の持論と共に以下に紹介します。

 上記のブログは、早稲田大学で開催された研究集会の後、いろいろな方と懇談してから宿泊先に行ってすぐに、持ち歩いているノートパソコンで一気に書いてアップしたものです。タイムスタンプは「22時33分」となっています。会場でおおよそのメモはスマートフォンに入力していたので、写真を加工する時間を含めても1時間もかかっていません。

 消化管を持たない私は1日6回以上食事を摂ります。軽い夜食をいただいた後、公開したブログの内容をノートパソコンのモニタに表示し、その日の会場の雰囲気や、私自身が英語を理解できないままに書いたことを、視点を変えて読み直したりしていました。和歌を翻訳することはもとより、この日のように英語だけで研究集会やディスカッションをする意味について、あらためて考えていたのです。

 私はこれまでに、日本文学に関する国際集会を何度も企画し、海外で運営してきました。
 インドで8回、イギリスとカナダで1回ずつと、科研がらみの海外での国際集会は10回以上は開催しています。オーストリア(ウィーン)では、日本の研究仲間5人でチームを組み、一部屋を使っての研究発表会をしました。いずれも、発表と質疑応答はすべて日本語に限定してきました。現地の方からの質問が日本語以外でなされた時には、参加者が自発的に通訳をしてくださったこともあります。また、私が主催する講演会でも、使用言語はすべて日本語で通しています。どうしても日本語だけでは伝わらない時には、スペインのマドリッド自治大学で敢行したように、「英文を表示しながら日本語で語り終えて」(2013年10月29日)という手法を使ったりしています。その記事の中で、日本語による発表や討議にこだわる理由を、次のように記しています。これが、私の基本的な姿勢です。

 日本語による国際集会という視点を大切に守らないで、世界の共通言語だという誤った認識のもとに、英語による話だけで発言を構成しては、英語が苦手な方の多い日本文学研究者、というよりも日本古典文学の研究者が参加できません。そのような日本文学に関する専門家の意見やアドバイスを受けない国際研究集会は、討議のレベルが上がりませんし、その後の研究も発展しません。

 海外における研究が実りあるものとするためにも、自分たちが話しやすい英語等のことばで自己満足しない方がいいと思っています。
 日本文学の国際集会では日本語で話すことで、日本で研究している専門家の意見を有効に消化吸収する場面となります。英語がわかる者だけの集会では、そこに参加できない大多数のすばらしい研究者の意見をどのように反映させるべきか、あらためて考えたいものです。

 日本文学関連の国際集会は日本語で、という私の持論は、こうした理由からです。今も大切にしている信念です。


 さて、一人で部屋で蒸留酒を飲みながらいろいろと気ままに考えていた時でした。ちょうど夜中の1時半ころに、「ご無沙汰しています。ヨークの中村です。」というメールが届きました。イギリスでお世話になった中村久司先生からでした。先生は、毎日書く私のブログを毎日イギリスで読んでくださっています。そして、ご教示をいただくことも一再ではありません。
 中村先生については、本ブログでは以下の記事で紹介しています。その一部を紹介します。


「読書雑記(214)中村久司『サフラジェット』」(2017年11月19日)

「読書雑記(177)中村久司歌集『流刑のソナタ 異端調』」(2016年08月22日)

「読書雑記(103)平和学博士のロンドン案内は辛口の英国論」(2014年07月12日)

「苺ショートケーキの謎が判明しました」(2013年09月13日)

「読書雑記(53)中村久司『イギリスで「平和学博士号」を取った日本人』」(2012年11月15日)

「英訳短歌の冊子あり?」(2009年10月04日)

「ケンブリッジでの国際研究集会」(2009年09月23日)

「国際研究集会・横断する日本文学」(2009年08月05日)

「英語の短歌を読む」(2008年11月13日)

「英国からの朗報」(2008年11月05日)


 前置きが長くなりました。
 中村先生からいただいたご意見は、非常に厳しい見解でした。

今日のブログを拝読し、私は部外者ですが想いをめぐらせていました。

和歌にせよ短歌にせよ、それらの翻訳について語れる人物が、日本で行う集会でなぜ日本語で話さないのでしょうか。日本語で語れない人間が、勅撰和歌集を外国語に訳せるとは考えられません。

また、日本で行う日本文学に関する集会の発表言語を英語で行わせる日本人の考えが理解できません。外国かぶれ、劣等感の反映でしょうか。

純粋に感性が創出する和歌・短歌の言語空間を、知性で語ろうとするとき、ポエムが消滅するのです。正岡子規は新古今を理解できなかったのです。

近年、アメリカ人が、「新古今和歌集」を英訳してオランダから出版しました。以前、オックスフォード大学のハリス先生をお呼びして古典短歌を一日一夜語り合った中で、「古今和歌集は絶対に翻訳できない」との合意に至りました! 今、オランダから出た翻訳本を読みたい気持ちと読んだら幻滅し怒りを覚えるだろうとの気持ちでいます。幸い、値段が高いので買う気になれなくて幸いなのですが!


 私も自分が書いたブログを読み返してはモヤモヤしていた時でもあり、すぐに先生のメールに書かれている文章を、私のブログに引用させていただけないかを、非礼も省みずにお尋ねしました。すると、次の快諾の返信が来ました。

ブログにお使いいただければ、私といたしましてもうれしい限りです。

なお、和歌・短歌の翻訳が会議のテーマになったこと自体は、極めて大きな意味があると考えます。

短詩の中でも俳句は世界に広まっています。反面、短歌はなかなか理解されません。研究者によっては短歌は世界の文学の一つのジャンルになることはないだろうと言います。

短歌の真価が理解されないのは、日本人と外国人が行ってきた短歌の翻訳が好ましくなかったことが主因ですが、それ以前に短歌には翻訳できない要素が多く含まれています。
また、正岡子規を過大評価する風潮によって、日本でも海外でも、21代集までの古典短歌が軽視されがちです。
さらに、翻訳されれば海外でも高く評価されるであろう、姉小路基綱あたりの短歌が日本でさえ十分研究されていません。小川先生のご研究はありますが、どちらかというと歴史研究に重点を置いておられるように思います。

私が試みた短歌の英訳の中で、アメリカやイギリスの詩人や文学関係者が喜んでくれた短歌には以下のようなものがあります。

思ひつつぬればや人の見えつらむ夢としりせばさめざらましを  小野小町

月のゆく山に心を送り入れて闇なる跡の身をいかにせん   西行法師

窓近き竹の葉すさぶ風の音にいとど短きうたた寝の夢    式子内親王

しかし、自分では英訳できたと確信を持てても、詠歌の真価を伝える上で、短い解説を付けないと満足できない短歌が多いです。

英訳の限界を知っていたかどうかは定かではないのですが、短歌を英語圏に紹介して成功した日本人は、フジタ・ジュンという名前の広島県出身の明治男(1888年ー1963年)です。
彼は、アメリカへ移住し短歌を英語で書いています。しかし、詩心は日本の短歌です。日本で彼の生い立ちをかなり調査したのですが、詳細は分かりません。この男が、現在アメリカで短歌に関心を持っている人々の間では、あたかも「短歌文学の英語圏の開祖」的に扱われています。

こんな経緯もあって、私も自分で「短歌ごっこ」程度の歌作をするときは、英語で書くか日本語で書くか、どちらかにしています。

取り急ぎ失礼します。


 中村先生のご許可をいただき、こうして多くの方に先生のお考えをお伝えすることにしました。
 この件でのご意見は、本ブログのコメント欄を通してお寄せいただけると幸いです。
 
 
 
posted by genjiito at 20:24| Comment(0) | ◎国際交流

2019年11月17日

山下智子さんの女房語りの会で少しご挨拶をする

 山下智子さんが語り続けておられる「源氏物語連続語り会」が、我が家に近い「北大路 アーズローカス ホール」で開催されました。これまでにも毎回お知らせをいただきながら、私も週末は何かと出かけていることが多く、うまく都合がつきませんでした。すばらしいお仕事なので、せめて広報のお手伝いをと思い、チラシを毎回送っていただき、東京や大阪や京都のイベントで配布しています。

 昨日、東京から帰りの新幹線の中から、山下さんにメールで、急遽参加できるようになった旨の連絡をしました。すると、参加者の皆様に私の仕事を紹介してくださる、とのことです。語りの会の最後に、少しお話もできるようです。おことばに甘えて、「紫風庵」で毎月おこなっている「源氏物語と三十六歌仙の写本を変体仮名で読む会」のチラシを配布していただき、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の活動のことなどをお話することにしました。

 今日の会場は、我が家から歩いて5分という至近の地です。

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 会場は、小さいながらも立派なホールです。80人を収容できるとのことでした。

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 内容については、「京ことば源氏物語」のホームページをご覧ください。このホームページの中の「京都公演」の項目が、本日の詳細な内容です。今回は「常夏」「篝火」の巻です。

 山下さんの京ことばでの語りを聞きながら、『源氏物語』は語りであることをそのたびごとに再認識させられます。目で本を読むようにして楽しむ、黙読の世界ではありません。
 特に今日は、育ちのよくない近江の君が双六を打つ場面などは、これこそ語りの面目躍如というしかありません。目で読む『源氏物語』では、このおもしろさは感得できません。しかも、女優山下智子さんの独擅場ともいえるシーンとなっていました。

 終わってから、山下さんが私のことを簡単に紹介してくださり、マイクが手渡されました。
 語りの余韻に浸っておられるみなさまの気分を損なわないように気を使いながら、この日の女房語りが、まさに『源氏物語』の本来あるべき語りの姿であることからお話をはじめました。そして、現在「紫風庵」では三十六歌仙と源氏物語の写本を変体仮名で読んでいることを、配布していただいた広報用のチラシをもとにして紹介しました。

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 また、目が見えない人とも変体仮名を読んだり、『百人一首』のかるた取りをしていることにも言い及び、現代は目に頼りすぎた生活をしていることにまで話を延ばしました。
 短い時間ながらも、貴重な時間を提供してくださった山下さんには、あらためてお礼申し上げます。お互い京都と東京を舞台にして、多くの方に日本の文化を肌身に感じていただける活動を、これまでと変わらずにずっと続けていきましょう。ますますのご活躍を、チラシ配りで応援していきます。

 なお、友人の手描き友禅作家である尾崎尚子さんの、源氏物語をテーマにした作品が、会場に展示されていました。非常に興味があるものだったので、後日取材に行くことにしました。また、詳しく報告できると思います。
 
 
 
posted by genjiito at 19:55| Comment(0) | ◎源氏物語

2019年11月16日

佐竹本三十六歌仙再見

 東京からの帰りに京都国立博物館に立ち寄りました。「佐竹本三十六歌仙」をもう一度観るためです。
 会場の前の広場では、トラの着ぐるみの「トラりん」が大人気でした。この博物館の公式キャラクターであり、PR大使なのです。本名は「虎形 琳丿丞 (こがた りんのじょう)」、略して「トラりん」。尾形光琳の幼名「市之丞」から名付けられたのだそうです

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 「佐竹本三十六歌仙」の図様については、前回でほぼ頭に入っていたので、今日はポイントをいくつかに絞って観ました。展示ガラスに貼り付けられている説明文が気になるのです。前回の記事では、変体仮名の翻字のことを書きました。今日は、さらに細かなことを取り上げます。
 歌仙絵には明らかに「ん」と書いてあるのに翻字のほとんどが「む」となっています。「む」や「無」は「む」となっているので、それに合わせるのであれば「ん」は「む」とはせずに「ん(无)」がいいと思います。
 また、「行」と書いてあるのに翻字が「ゆく」だったり、「くら婦」が「比ぶ」になっています。漢字の当て方によっては、せっかくの流麗な仮名で書かれた和歌が台無しです。
 このことは、資料を展示する時の技術的な問題なので、学芸員の方の判断によるものかと思われます。こうした見せ方について、非常に気になりました。せっかくの名品を並べるのです。2度とない機会を提供する学芸員にとって、腕の見せ所です。何かと雑事に追われることの多い仕事だとしても、この点が検討しての結果なのか、見切り発車だったのか、あるいは意識になかったのか、知りたいところです。
 時間をかけて準備された展覧会は、今後のためにも、その展示方法は伝承すべきだと思います。見せ方と見られ方に神経を配った手法が、次の機会に活かされるように、伝えられていくことを願っています。

 この次は、西国三十三所の展示が予定されているとのことです。これも、ぜひとも観に行きたいと思っています。

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posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ■変体仮名

2019年11月15日

早稲田大学で開催された翻訳に関するシンポジウムに参加

 今月に入ってからは、毎週東京に出かけています。2年半前まで、東京で仕事をしていた時がそうだったので、あの頃の慌ただしかった生活のペースを思い出しています。
 北大路橋から北山を望むと、賀茂川縁の紅葉も少しずつ色が濃くなってきています。

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 神保町の出版社で打ち合わせをした後、地下鉄で早稲田大学に移動しました。今日は、「翻訳の力」と題する後援会とワークショップ、そしてディスカッションが、戸山キャンパスで開催されるのです。

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 主催者である陳野英則先生には、あらかじめ参加のご許可をいただき、他の参加者の方にも本日の集会に伺う旨のメールを送っていました。
 私の科研に関して言えば、研究協力をお願いしているマイケル・ワトソン先生、緑川真知子先生、フィットレル・アーロン先生などなど、多くの方が参加なさいます。常田槙子さんには、『海外平安文学研究ジャーナル』の創刊号でフランス語訳『源氏物語』に関する原稿を寄せていただきました。
 早稲田大学戸山キャンパスの中の一番高いタワーの3階が会場でした。

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 会場に入るとすぐに、今回のまとめ役である陳野先生が見つけてくださいました。参加が少し遅れると伝えてありました。しかし、時間内に行ったので、無理をして来たのではないかと気遣ってくださいました。いえいえ、神保町での会談が順調に終わったので、うまく開会に間に合ったのです。
 受付には常田槙子さんがおられました。緑川真知子さんは総合司会です。皆さまとは久しぶりにお目にかかり、その活気に力をいただくこととなりました。
 始まるやいなや、司会の緑川先生はすべて英語。開会の言葉を述べられた安藤文人先生も英語です。今日は、英語漬けの日となりそうです。
 最初は、イギリス・シェフィールド大学のトーマス・マッコーリ先生が「翻訳の力」と題して講演なさいました。すべて英語での発表です。私は、ほとんど理解できません。しかし、海外ではよく直面することでもあり、スライドを映写しながらの説明だったので、わからないなりに、何となく仰っていることが伝わってきたのは、優しく語りかけてくださったからでしょうか。日本語とローマ字交じりの画面を、しかも、引かれている和歌を見ていたからでもあります。
 用例の1つ1つはわかるものの、さてそれで結論は、となると英語力が求められ、そのあたりから私の理解は及びませんでした。マッコリー先生は、近々『六百番歌合』の英訳を刊行なさるそうです。

 2人目は、大東文化大学のジャニーン・バイチマン先生でした。与謝野晶子の『佐保姫』を取り上げ、短歌を翻訳する楽しさを論じられました。これも、すべて英語でした。散らし書きの色紙を読み解いておられたので、それをどのように英語に訳されているのか、興味を持ちました。
 前半の最後には、明治学院大学のマイケル・ワトソン先生が、お二人の講演をあらかじめ理解なさっていて、ビデオメッセージの形で参加なさいました。ただ今、病気療養中とのことで、病院で収録されたビデオが流れました。これも英語。しかし、これには日本語付きの資料が配布されていたので、私にもついていけました。

 後半は、和歌を翻訳した例として、『金葉和歌集』と『新古今和歌集』の訳を比較しての討論でした。また、正岡子規と塚本邦雄の短歌の訳も比較して、討論がなされました。これも、すべて英語でなされました。
 一つの歌を2人で訳したものが提示されたので、それぞれの翻訳における視点の違いが浮き彫りになります。これは、現在私が科研で取り組んでいる手法に多大なヒントがもらえるものでした。
 学生たちが翻訳に対する意見を闘わせる場面に興味を覚えました。英語による討論なので、私にはわからないものの、おもしろそうな展開だったと思います。私の科研では、あくまでも日本語で通すことになっているので、この雰囲気を持ち帰りたいと思いました。
 こうした形式のワークショップとディスカッションは、主催者が参加者をどう巻き込んでいくのかが勝負です。わからないながらも、意見の交流がなされ、議論が盛り上がっていたので、大成功だったようです。
 和歌と短歌の違いは何なのか、という問題にもぶつかりました。今日の討論の中でどのように展開したのか不明なままながら、自分への問いとしていただいて帰ります。
 さて、興味深い問題が提示されたことはわかりました。しかし、この場は英語だけで語られ、質疑応答もすべて英語でした。ここに、日本語しかわからない和歌の研究者が来て、このディスカッションに同時通訳が付いていてここで展開している内容が理解できたら、どのような議論がなされたのか、ということに意識が向かいました。おそらく、現在の研究状況を踏まえた、より具体的な議論が闘わされたことでしょう。その意味で、語り、論じて、応戦する姿が、大きく違って来たことでしょう。今後の国際的な研究集会における使用する言語について、大きな課題をいただいたように思います。

 最後に、閉会の辞は陳野先生でした。英語がわからないことを前提にして、ローマ字の存在と音読の心地よさについて、音の響きを取り上げての挨拶でした。詩歌を例にしての音の大切さを、しかも日本語で語られたので、私としてはほっとしました。
 わからないなりにも、国際的な視野での研究集会のありようについて、多くの示唆をいただきました。満ち足りた思いで皆さまにご挨拶をしました。
 
 
 
posted by genjiito at 22:33| Comment(0) | ◎国際交流

2019年11月14日

【復元】便利さに潜む「失うもの」が気掛かりです

 最近、デジタル機器の発展により、さまざまな分野で時代が変わっていることを実感しています。その中でも、通信環境が特に気になっています。
 私にとっては、1995年がパソコンと通信が連携した新しいスタートの年でした。そして今、2020年が、また新たな変革の年となるように思っています。
 そうした中で右往左往する個人史の一端を、こうして記録として残しています。
 読めなくなっていた記事を復元できたので、13年以上も前の話ながら、あらためてアップしておきます。
 
(※以下の記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
2006年2月8日公開分
 
 
副題「欠陥商品報告 第3弾 欠陥モデムのこと」

 今日のハードディスクの欠陥トラブルの前に、昨日もパソコン関連機器にまつわるトラブルの対処をしましたので、その報告を簡単に記します。

 私は、3種類のパソコンによるネットワーク環境を有効に利用しています。職場以外では、奈良の自宅は近鉄ケーブルネットワークを、横浜の宿舎ではヤフーBBを使っているのです。その内の、ヤフーBBが、このところ不調だったのです。そして、それも、パソコンのスリープに関係するものでした。

 パソコンがスリープ状態になり、それを解除してパソコンを使い出すと、その途端にネットワークにつながらなくなるのです。いろいろな対処を試みました。その結果、パソコンを再起動するのが、一番確実な再接続の方法でした。しかし、これではあまりにも不便です。ヤフーBBの問い合わせ窓口に連絡をし、状況を説明したところ、話の分かる人が担当だったせいか、すぐにモデムを交換するとのことでした。迅速な対応をしてもらえたので、ルーター機能付きの新しいモデムは、スリープのいかんにかかわらず、快適にネットにつなげてくれます。当たり前のように利用していたものがそうでなくなると、その不便さがかえってそれまでの恵まれた環境の恩恵に感謝するようになります。おもしろいものです。

 これまで使用していたレンタルモデムを返却する明確な指示がなかったので、こちらから改めて連絡をして、これまで使用していたモデムはどうするのかを聞いたところ、宅配便で返却してくれとのことでした。不便な思いをした私が返却の送料を支払うのはおかしいのでは、とねばると、上司に相談された結果、着払いでいいとのことだったので、昨日返送しました。

 そして気づいたのですが、社名が変わったのですね。ソフトバンクBBとなっていました。知りませんでした。ヤフーBBスタジアムは神戸にあり、ソフトバンクは福岡に球場がありますよね。どうなっているのかは知りませんが、IT産業も再編が急激で、大変なのですね。

 1982年に発売されたばかりのPC-9801を使い始めた頃は、電話回線を使って、相手のパソコンと直結でファイルを送受信していました。
 まもなく、明治乳業の配送ネットワークを利用したマスターネットに加入し、300ボーという今では想像を絶する遅い通信をしていました。海外へ行った時には、音響カプラというものを受話器に吸い付かせて、ピーヒョロロという音を聞き分けながら、日本へメールを送る通信をしていました。
 それが、1995年からは、インターネットが利用できるようになりました。その少し前に京都大学へ行き、ネットスケープの前身であるモザイクによるブラウジングを見せてもらい、新しい息吹を感動して見守ったものです。それが、今では至極あたりまえのようにして、高速のネットワーキングを堪能できる時代となったのです。そして、メールも過去のものとなる状況です。

 ますます便利になる通信環境に、個人のコミュニケーションの多彩な深化に、目を瞠る思いです。コンピュータにおける草分けと言われている私も、新たな時代の変化に、どうにかついて行っている状態です。際限のないデジタル化の進歩に、必死でしがみつくことになりそうな気配です。いやはや、大変な時代ですが、便利になるとともに失うものが何かをしっかりと見極めながら、慎重に新しい道具と手段を選択して行きたいと思っています。
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
 
 
 
posted by genjiito at 19:30| Comment(0) | ◎情報社会

2019年11月13日

東欧で来年9月に国際日本文学研究交流集会を検討中

 現在取り組んでいる科研の成果の公開と、研究交流を目的とした国際日本文学研究交流集会を、来年9月に実施したいと思います。
 2020年9月16日〜19日に、第31回EAJRS(日本資料専門家欧州協会)の会議が、ロシアのサンクトペテルブルグで開催されます。可能であればそこで、翻訳本に関する研究報告をする予定です。
 その後、ハンガリーに移動して、9月20日〜23日の間にカーロリ大学と地方の公共機関等の施設で、国際日本文学研究交流集会を2箇所で開きます。その集会は、平安文学の中でも、〈物語〉と〈和歌〉を中心とした共同討議ができる集まりにしたいと思います。
 ハンガリーの集会に、近隣に在住の方々や、興味と関心をお持ちの方の参加を呼びかけるつもりです。スロベニア、クロアチア、セルビア、ルーマニア、ウクライナなどの国々の方を思い浮かべています。
 まだ、プランをメモとして書き出し、身近な方々と話を始めたところです。基本的には、日本語による発表と討議を行います。一般の方々にも理解していただけるように、通訳と現地語の資料は付けたいところです。この初発の段階から、共同研究としての意見交換をする中で、内容をより具体的に煮詰めていきたいと思います。
 こうした計画について、ご意見やアイデアをお寄せいただけると幸いです。
 
 
 
posted by genjiito at 19:46| Comment(0) | ■科研研究

2019年11月12日

体調不良の時にたて続けに割り込まれて

 このところ、身体が気怠くて横になりがちです。横になると、パソコンが使えません。iPad も iPhone も、横向きでは画面はひっくり返るし、腕も疲れます。勢い、仕事が捗らず、メールの返信も滞ります。電子機器に依存していると共に、目にも頼り切っている生活であることを実感しています。白内障については、来年3月に手術をすることになっているので、この見えにくさはいずれ解消することでしょう。
 そんな中、通勤時に、河原町駅の自動改札で無理やり割り込まれたため、 PiTaPa のタッチをし損ないました。始発駅なので発車まで余裕があるので、どうということはありません。人を押しやってでも駆け抜けて行った方を見送りながら、そんなに急いでどこへ行く、というフレーズを思い出しました。
 座席に座ろうとしたら、横から来た方にお尻で押し出されてしまいました。オットットと倒れそうになるのを、やっと我慢して体勢を整えました。次の駅で座れました。
 頭が少しボーッとしているので、今日は早めに研究室を出ました。帰る途中で高島屋に立ち寄って買い物をして、レジに品物を持って行く時、横からサッと小走りで入り込まれました。これは強引でした。
 いずれも、私と同じ年くらいの、体格のいい女性でした。
 私が見るからにひ弱なので、軽くあしらわれたのでしょうか?
 動作に、どことなく隙があるのでしょうか?
 思いの外、モタモタしていたのでしょうか?
 河原町のバス停では、長い列ができていました。
 バスが着くや否や、通行人の振りをして相当年配の方が列を駆き分けてサッサと乗り込んで行かれました。高齢者であるから当然というこの態度には、みなさん眉をひそめておられました。
 とにかく、いろいろな方がおられます。年末にかけて、何かと気ぜわしいので礼を失した態度を見かけることも多くなります。たまたま今日は重なったのでしょう。気にせずに、マイペースでいくことにします。
 自宅に帰ってから、近所の掛かり付けの医院に行きました。すると、熱があるとのこと。迂闊にも、家で体温を計って来るのを忘れていました。身体の怠さはそのせいだと思われます。風邪と鼻水に効く2種類の薬をいただきました。今日は、この記事を書いた後はすぐに寝ます。
 インフルエンザも流行しているようです。年末に向かって、焦らず騒がす、体調を整えて臨みます。周りのみなさま、今は少し身体が弱っています。ご理解の程をよろしくお願いします。
 
 
 
posted by genjiito at 19:31| Comment(0) | *健康雑記

2019年11月11日

孫からのプレゼント

 先週、68歳になりました。
 自分でイメージできない現実にとまどっています。
 そんな中、孫娘2人がお祝いのメッセージをくれました。
 バタバタするだけの日々に追われ、掲載が遅くなりました。
 この子たちに変体仮名を教えるタイミングを、心ひそかにねらっています。

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posted by genjiito at 20:19| Comment(0) | *身辺雑記

2019年11月10日

色付き出した平群でお茶のお稽古

 賀茂川は次第に秋の色になってきています。北大路橋から北山を望むと、左岸(写真右)の半木の道が色付いています。今週末には見頃になりそうです。

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 お茶のお稽古のために、大和平群に行きました。龍田川も、少しづつ木々の葉の色が変わりつつあります。

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 先月、坂道の途中にあった建物が取り壊しになろうとしていたので、写真に収めておきました。

「颱風一過の賀茂川と龍田川がいつもの景色に戻るとき」(2019年10月13日)

 それが、今日は跡形もなくなっていて驚きました。根こそぎ解体までとは、思っていなかったからです。さて、今後ここはどうなるのでしょうか。

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 今日のお稽古は、炉に変わったので初心に返って濃茶のお稽古をしました。ところが、お茶入れのお仕覆の紐を結ぶところから、先生の手を煩わせました。
 私は、紐を結ぶことが苦手です。小学校へ入学する前に、先生と親子で面談をすることがありました。いろいろと質問に答えた後、風呂敷が目の前に広げられ、蝶々結びをさせられました。しかし、まったく結べなかったために、固結びをして終わったことを今でも鮮明に覚えています。母親には、私が何か問題を抱えていないかと、心配させたようです。
 いまだに、紐はダメです。靴の紐も、縦結びになるのです。
 そんな私に、先生は根気強くお茶入れのお仕覆の紐の結び方を丁寧に教えてくださいます。普通に結べばいい、と言われると、余計に普通というのがわからなくなります。何とかわかったものの、この次が心配です。
 帛紗が、また裏返っていました。手品のように、いつも途中でおかしくなります。これも、丁寧に教えていただきました。他のお弟子さんには、こんなことで時間を取って申し訳ないことです。しかし、とにかくうまくいかないので、また先生の手を煩わせます。これまでにも、何度もこんなことがあったので、家で練習をするしかありません。

 何でもないことが何でもなくなった時には、どうしていいのか本当に困ります。生きていく上で、大問題ではないものの、これは加齢のせいにはできない、自分が持っている習性に関わることのようです。これを機会に、心して矯正を心がけたいと、強く思うようになりました。
 お点前を続けていくうちに、これまでにやったはずの手順がほとんど初体験のようにしか思えません。これは、一体何なのでしょうか。
 とにかく終わりました。その後、「流し点」という、親しい方との場合を想定してのお稽古がありました。お客様に正面を向いて点てるのです。水指の位置からして違います。これも、私は去年一度教わっているそうです。しかし、当の本人はまったく覚えていません。不思議なことです。一緒にお稽古をしている方からは、私がこれは家で仲間にお茶を点てるのにいい、と言っていたと聞くと、なおさら自分の記憶の危うさを感じます。

 お茶のお稽古をしていると、こんな不思議体験が付きまといます。お稽古をなさっているみなさんは、こんなことはないのでしょうか。
 こんなことがあるから、ますますやめられません。変な言い方ながら、まさに自分を見つめる時間です。

 帰りに、「大和平群かんぽの湯」へ足を向け、温泉で身体を温めることにしました。今春、露天風呂が新装なってからは、これまで以上に心地よくリフレッシュできる場となりました。平群行きが楽しみの一つになっています。
 
 
 
posted by genjiito at 21:21| Comment(0) | *身辺雑記

2019年11月09日

日比谷で源氏の橋本本を読む(16)[進出の定家本「若紫」の確認]

 朝早い、8時頃の富士山を見たのは久しぶりです。

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 新橋駅前のロータリーは、ちょうど古書市が立つところでした。見たい気持ちを抑えて、日比谷公園へと急ぎます。

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 日比谷公会堂の背後にそっと姿をのぞかせている日比谷図書文化館を眺めました。

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 日比谷図書文化館での源氏講座は、今月から午前と午後の2回の開講となります。午前は「異文を楽しむ講座」、午後は「翻字者育成講座」です。入り口の表示が、そのことを示しています。

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 本来なら、先月の体験講座から2つに分かれるはずでした。しかし、颱風の襲来により、中止となったのです。そのため、今日は体験講座に参加を予定されていた方と、本来の本講座を受講なさる方が一緒にお越しになる、という変則的な開催となりました。
 まったく異なる意識の方が一部屋にお集まりなので、戸惑いました。しかし、そこは何かと場数を踏んできた身なので、どうにか責を塞ぐことはできたと思います。要するに、いつも通りに好き勝手に喋り、受講者の意見を聞いたりするやり方なのです。

 プリントは、A4版で26枚を用意しました。どのような方々がお集まりなのかわからないので、幅広い対処ができるように、少し多めに資料を作りました。
 午前と午後の内容に微妙な温度差をつけて配布資料を扱いました。以下にここでの報告が煩わしくならないように、やったことを列記する形で書いていきます。
 今回のポイントは、先月見つかった、定家本「若紫」の巻頭本文に書き写されている文字の分析でしょうか。
 定家本「若紫」の巻頭のみならず、橋本本と大島本の巻頭の翻字を「変体仮名翻字版」で表記すると、次のようになります。「若紫」の巻頭部分の画像は省略します。

●橋本本「若紫」冒頭

わら八や三尓・王つらひ・堂まひて・よろ
徒尓・ま新な井・可ちなと・満いら勢・
堂まへと・し累志も・なくて・あま多堂
ひ・おこ里/△△△〈削〉おこ里・【給】気れは/△△△〈削〉【給】気れ・あ累・【人】の/の$・万う
春/$・やう/$・き堂【山】なる/る$む、傍む〈削〉・な尓可しと/し+てら・いふ・登
ころ尓なん/なん$・いと/$・可し古き・をこなひ【人】・
者へる・こその・な徒も・よのな可尓/のな可$・を古
里て・【人】/\・満しなひ・王つらひし越・
や可て・とゝむ累・堂くひ・おほく・【侍】りき・
新ゝ古ら可し・【侍】りぬるは・あや尓くに・」(1オ)


▲定家本「若紫」冒頭

わら八や三に・わ徒らひ・堂まひて・よろつ尓・
ましなひ・可ちなと・万いらせ・多まへと・志るし・
なくて・あま多ゝひ・おこり・堂まひ介れ盤・ある・
【人】・き堂やま尓なむ・な尓可してらと・いふ・【所】
尓・かしこき・をこなひゝと・【侍】る・こその・【夏】
も・【世】尓・おこりて・【人】/\・ましな日・わつらひしを・
や可て・とゝむる・堂くひ・あま多・【侍】りき・しゝこら
可し徒る・【時】者・うたて・』【侍】るを・とくこそ・【心見】さ」(1オ)


■大島本「若紫」冒頭

わら八や三尓/=瘧病・王らひ/王+徒〈朱〉・【給】て・よろ徒尓・まし
なひ/=【厭】日・可ちなと/=加ハ隆加也持ハ護持也・万いらせ・【給】へと・志るし・なく
て・あ万多ゝひ・おこ里・【給】介れ盤・阿る・【人】・
き多【山】丹な無/多=向南山万・な尓可し【寺】登/尓=鞍馬寺・いふ・【所】尓・
可しこき・をこなひ【人】・【侍】る・こその・【夏】裳・
【世】丹・おこ里て・【人】/\・満しなひ・王つらひ
し越・屋可て・とゝむ累/?△〈削〉ゝ・多くひ・あま多・【侍】
里き・志ゝこらうし徒累/う$か〈朱〉・【時】盤・う多て・』【侍】
を・とくこそ・【心見】させ・多満八めなと・きこ婦
連は/こ婦$こゆ〈墨朱〉・めしに徒可八し多る尓・おい可ゝま里て/可=屈・」(1オ)


 また、この講座で使っている橋本本、定家本と大島本に使われている文字の種類を分別すると、次の通りとなります。

●橋本本

[A] 漢字: 4種:8個
 人=3 侍=2 給=2 山=1

[B] 平仮名: 35種:112個
 な=12 し=7 ひ=7 ら=6 の=5 こ=5 と=5 て=5 る=4 く=4 ま=4 や=4 む=3 き=3 お=3 あ=3 い=3 り=2 を=2 ん=2 う=2 は=2 れ=2 も=2 へ=2 ろ=2 よ=2 つ=2 に=1 ぬ=1 ほ=1 そ=1 ふ=1 ち=1 わ=1

[C] 変体仮名: 16種:27個
 可=5 尓=4 古=3 堂=2 累=2 新=1 越=1 王=1 満=1 里=1 徒=1 者=1 登=1 春=1 万=1 気=1

[D] 片仮名: 0種:0個

[E] 注記: 1種:3個   削=3

[F] 記号: 5種:17個   $=7 △=6 ゝ=2 /\=1 +=1


▲定家本

[A] 漢字: 6種:8個
 侍=2 人=2 時=1 世=1 所=1 夏=1

[B] 平仮名: 34種:100個
 し=8 ま=8 ひ=8 な=7 こ=6 て=6 ら=6 る=5 と=5 き=3 り=3 あ=3 や=3 わ=3 お=2 を=2 む=2 く=2 い=2 つ=2 た=1 う=1 も=1 の=1 そ=1 か=1 ふ=1 れ=1 へ=1 せ=1 ち=1 ろ=1 よ=1 に=1

[C] 変体仮名: 7種:13個
 尓=4 可=3 堂=2 者=1 徒=1 多=1 日=1

[D] 片仮名: 0種:0個

[E] 注記: 0種:0個

[F] 記号: 2種:5個   ゝ=4 /\=1


■大島本

[A] 漢字: 10種:15個
 人=3 給=3 侍=2 時=1 世=1 夏=1 所=1 寺=1 山=1 厭=1

[B] 平仮名: 30種:73個
 な=7 し=7 ひ=7 こ=6 ら=5 て=4 う=3 き=3 る=3 と=3 お=2 あ=2 く=2 い=2 ま=2 か=1 む=1 つ=1 の=1 そ=1 を=1 ふ=1 れ=1 へ=1 せ=1 ち=1 ろ=1 よ=1 や=1 わ=1

[C] 変体仮名: 23種:52個
 尓=9 可=7 多=6 里=3 徒=3 累=2 盤=2 志=2 万=2 堂=2 八=2 屋=1 越=1 王=1 満=1 裳=1 登=1 無=1 阿=1 介=1 者=1 日=1 夏=1

[D] 片仮名: 0種:0個

[E] 注記: 2種:3個   朱=2 削=1

[F] 記号: 6種:18個   ゝ=8 ==5 /\=2 $=1 △=1 +=1


 この結果をどう見ても、定家本と大島本の文字種の傾向は違います。大島本は、定家の手を経た写本の流れだと言われて来ました。しかし、そう言っていいのでしょうか。書写されている文字の字母が違うのは確かです。この2つの写本は、何か違う本のように思えます。これは、定家本が写真版で公開されたら、すぐに確認したいと思っていることです。

 午前の部では、「若紫」の巻頭部文の校訂本文と現代語訳を提示して、異文が見られる問題箇所を見ていきました。以下の語句を検討対象にしました。

「わづらひて」「ある人、北山になむ、なにがし寺といふ所に」「世におこりて」「あまた」「時はうたて」


 この異文を確認するために、17種類の写本の本文を校合し、その校異をプリントにしたものを配りました。ここでは省略します。
 また、本文を解釈する上で参考になるように、古語辞典から「なむ」「ししこらかす」「あやにく」「うたて」の語句の説明文も配布しました。

 一般の方々を対象とする講座なので、専門的な検討ではありません。もちろん、私にも手に負えない問題が散在するものです。とにかく、今は大島本だけしか読めない環境にあっても、こうして異文の世界があって、その解釈もしてみる価値がある、ということが伝わればいいという立場での説明をしました。
 『源氏物語』のこと以外では、以下の小ネタもたくさん配布しました。

・新出定家本「若紫」の翻字に言及したブログ「鷺水庵より」の記事
・来月開催する中国での国際集会の宣伝
・新学習指導要領で明らかになった、高校国語の文学軽視の問題を取り上げた新聞記事
・「絆」「障害」の漢字表記に関する私見
・賀茂川が土木遺産となり、治水と景観の両立への挑戦が続いている新聞記事
・NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の石田さんが作られた糸罫の復元を回覧
・目が見えない方のために作成した『変体仮名触読字典』と『変体仮名触読例文集』も回覧

 さらには、雑多な話題の提供などなどです。
 いつもの通り、受講者から、私が提示した翻字資料のミスを教えていただきました。全部で6ヶ所ありました。計測した数値も、それに合わせて変更となります。上に掲げた資料は、訂正をした後のものです。
 毎度のことながら、大変失礼をしました。それにしても、受講者が厳しい目で資料を追っておられることに敬服し、気持ちが引き締まります。より正確な資料にすることは、次の世代に質の高い情報を引き継ぐことに直結します。資料の間違いを指摘していただくことは、ありがたいことです。

 質問にお答えすることが多かったので、いつものように終了時間が超過しました。申し訳ありません。

 終了後は、いつものように有志方々と有楽町で軽くワインをいただきました。1日で2つの講座を一気にやった割には、楽しかったせいもあるのか、思ったほどには疲れません。受講生の皆様の熱意に圧されての、心地よい快感を伴う8時間でした。
 
 
 
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ■講座学習

2019年11月08日

近江神宮で競技かるた世界大会の情報収集

 『百人一首』の競技かるたは世界中に広まっていることを実感する日でした。
 近江神宮は紅葉にはまだ早いながら、境内は肌寒く感じました。

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 かるたの聖地といわれる大津に、海外から多くの選手が集まって来ています。
 明後日11月10日(日)に、「第2回 おおつ光ルくん杯 競技かるた世界大会」が、近江神宮の中にある勧学館などで行なわれます。

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 昨年の優勝国はフランス、2位は日本、3位はタイでした。
 今年は、次のチームが世界各国から参加しています。時事ドットコムニュースから引用します。

 
■参加地域・選手紹介 (10チーム)

チーム名:PICA / 中国


メンバー:李政奕(リー・ヂォンイー)(F)、柳仲達(リィゥ・ヂョンダー)(M)
宋舒揚(ソン・シュヤン)(F)
<チーム紹介>
北京鵲橋かるた会(PICA)として2005年の設立以来、メンバーの自宅で練習会をするなど日々練習に励んでいます。「競技かるたを通し、本当の和歌を知り、日本文学に秘められた精神世界を味わいました。」という李さんは、競技かるたを通して、日本文化へも興味を示しています。

チーム名:かるたフランス


メンバー:アマンディン・シャンバロン‐マヤール(F)カミーユ・パラ(F)、カンタン・マヤール(M)
<チーム紹介>
日本文化への関心が高いフランスでは、アニメ人気も高く、かるた競技者の多くが「ちはやふる」の影響を受けて始めたと言われています。ヨーロッパのかるた会では歴史のあるフランスかるた会。週末ごとに練習に励み、自主練習も怠らない、そんな日頃の成果が昨年の優勝に繋がりました。今年も連覇を目指して全力で大会に臨みます。

チーム名:OKAKURA(小倉かるたクラブの略) /インドネシア


メンバー:アリ・ハイダル(M)、アムリル・マルフ(M)、ムハマド・イルシャド・プルマナ(M)、
     ムハマド・エギ・ワルダナ(M)、ハーンス・アドベント・マーラリー・タンバー(M)
<チーム紹介>
チームの活動は2018年から約1年間と短いですが、15名を超える仲間と、常に上達できるようにと練習に励んでいます。大会出場にあたって、「私達の力がどのくらいのレベルなのか?世界がどれほど強いのか?はまだわかりません。この世界大会は自分自身への挑戦であり世界を知る素晴らしい機会と、興奮しています。ナンバーワンを目指して頑張ります!」と意気込みも充分です。

チーム名:韓国かるた会


メンバー:キム・ミンギョン(F)、ソン・ヘリン(F)、ヨン・ジェユン(M)
<チーム紹介>
2011年に大学のかるた同好会から始まった韓国かるた会。学生、社会人を含む15名で練習会、試合を重ね頑張っています。中学時代に日本文化について調べたことがきっかけで競技かるたを始めたキムさん、百人一首に興味を持ち、大学の日文科に進学したというソンさんが中心となり、韓国内にかるたと日本文化の魅力を知らせたいと、活動しています。

チーム名:クルンテープかるた会 /タイ


メンバー:ダーンターウォンジャローン・ミミー(F)、セーシャン・アッタウット(M)
     チュンウィチット・サマーポン(M)
<チーム紹介>
昨年、予選リーグでフランスに勝利するも、上位4チームによる決勝トーナメントで日本に破れ、フランス、日本に次いで惜しくも3位。タイ国内では定期的に開催される大会に多くの人が参加。かるたを始めた頃には日本語が話せず、ひらがなも読めなかったというミミ―さんも今では強豪タイを代表する選手にまで成長。タイのかるたファンへ今年は笑顔で優勝の報告ができるでしょうか?

チーム名:かるタイワン /チャイニーズタイペイ


メンバー:周欣妏(ヂョウ・シン・ウェン)(F)、郭家瑋(グゥォ・ジャウェイ)(F)
     陳羿文(チェン・イーウェン)(F)、莊芷ホ(ヂュゥアン・ヂーユン)(F)
     陳致豪(チェン・ジーハオ)(M)
<チーム紹介>
2つの大学のサークルのメンバーを中心に構成された新しいチーム。メンバー全員がかるた歴1年半〜2年程度ですが、「勝っても負けても楽しい」や「札が取れると嬉しい」と心からかるたを楽しんでいます。「初出場チームの一つとして、日頃の練習の成果が充分に出せるよう精一杯頑張ります!」の言葉からも、初々しさと清々しさが感じられるチームです。

チーム名:ヨーロッパチーム(仮称)


メンバー:ソニア・アンゾルゲ(F)、シュテファニー・コツエヌ(F)、祝元藝(ヂュ・ユェンイー)(M)
<チーム紹介>
今大会出場のために、イギリスとドイツから参加表明された3名で結成された特別チーム。日頃は違った場所で練習に励む3名が、かるたを通してひとつになり、力を合わせて大会に挑みます。

チーム名:海外在住日本人特別チーム(仮称)


メンバー:荒俣 赤日(F)、熊谷 玲美(F)、水山 理紗子(F)
*海外でかるたを学ぶ(始めた)日本人選手による特別チーム。

チーム名:南山女子(愛知県かるた協会)/日本


*9月1日に開催した「第2回おおつ光ルくんジュニアカップ競技かるた団体戦」3人団体戦A 優勝チーム

チーム名:カミツキガメ(京都小倉かるた会)/日本


*9月1日に開催した「第2回おおつ光ルくんジュニアカップ競技かるた団体戦」3人団体戦A 準優勝チーム


 今日は、この世界大会を控えた強化合宿に来ました。
 次の写真の着物袴姿がストーンさんです。


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 そして、海外の窓口となっておられるストーン睦美さんと面談し、海外での『百人一首』のお話をうかがいました。フィットレル・アーロンさんと吉村仁志君が同席してくれました。
 タイと中国でカルタ競技を育てた、とのことです。それ以外にも、イギリスやモンゴルでも活動しておられます。もちろん、お住まいのアメリカでも。

 以下、2時間近くお話を伺ったので、とてつもない情報をいただいたことになります。その整理にしばらくかかるので、以下は箇条書きのメモで当座の報告とします。


・フィットレル先生の紹介で、ハンガリーからお越しのカーロイ・オルショヤさんと話す。
・ヨーロッパは行き来がしやすいので、かるたの練習や試合がしやすいことから強いようだ。
・1つの国で『百人一首』を広めようとしたら、現地に住んでないといけない。
・現地のコミュニティーといい関係を作らないと、かるた会はダメになる。
・インドは一人しかいないので、チームが組めない。
・バンコクや日本から読手を読んだりできるので、ミャンマー大会を計画することとなる。
・ミャンマー人選手を3人出すことを考えたらいい。
・日本語ができなくてもかるたは取れる。
・英訳『百人一首』を筑波大学の方がマクミランさんの訳を使って英語カルタを手掛けている。
・各国語訳の『百人一首』が広がりつつある。
・ただし、日本かるた協会としては、日本語を丸ごと残した競技を残していきたい。
・福井なぎさ会が手がけた競技かるたオンライン(無料)のアブリが良く出来ている。
・ストーンさんはその英語の説明文をチェック。
・ブラジルやインドネシアも『百人一首』が盛んになってきた。
・「ちはやふる」を観て始めたはずなのに、とにかく強い。
・現地でカルタを始めたら、その後へ引き継ぎが大事。
・バンコクは四季がないので、日本のことがわかりにくい。
・かつてはけんもほろろに断ったはずのロンドンには、今はかるたクラブがある。
・日本語教師の方にお願いして、会を盛り上げたい。
・タイでは100人以上がかるた会に集まる。
・海外の大会で初段を取った人が3人いる。日本人が現地の人を育てる。
・海外で『百人一首』は知られているが、それが競技になっていることは知らない。
・今年の4月に、ワシントンで、英語訳のカルタで競技をした。
・その際、江戸明治大正昭和のカルタをならべて展示したら好評だった。
・スゥェーデンから、留学したい、という問い合わせがある。
・競技を紹介するのは、チラシ取りより競技の決まり字を教えたほうが興味を持つ。
・大石天狗堂から「変体仮名版」のかるたが出ている。


 ストーンさんのお話から、いろんな刺激をいただきました。
 一部とはいえ、想像を遥かに超える国々で、競技カルタが広まっている実状がわかりました。

 こうしたお話を、膨大な量の写真をパソコンで拝見しながら、海外での活動の様子を聞きました。競技の合間にもかかわらず、長時間のご教示をありがとうございました。
 
 
 
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ◎国際交流

2019年11月07日

京博で開催中の「佐竹本三十六歌仙展」へ行く

 時間がとれなかったため、なかなか行けなかった「佐竹本三十六歌仙」の展覧会に行ってきました。京都国立博物館で開催されている特別展「流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」は、大人気のようです。

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 この佐竹本は、佐竹家に収まる前には下鴨神社にあったものなので、氏子としては親近感を抱いていました。これまでは、いくつかの絵を五月雨式に見ただけだったので、やっと、一堂に会した絵の数々が見られました。

 佐竹本に辿り着くまでに、いろいろな絵や書で気持ちを高めていく展示の構成となっています。

 重文である寸松庵色紙「ちはやふる」(伝紀貫之筆)は、最近とみに見えにくくなった目で小さな文字を追いました。とにかく現在の姿をよく見ておいて、後で図録でよく確認するのです。図録に掲載されている写真は、鮮明に文字が読めます。それにしてもよくできた、見ていて飽きない図録(336頁)です。

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 国宝本阿弥切『古今和歌集』巻第十二残巻 伝小野道風筆の説明文では、巻頭歌を「思ひつゝ〜」としています。しかし、目の前の原本を字母に忠実に翻字すると、次のようになります。漢字で表記されている「人」は【人】としています。

  多いしら寿 をのゝこ万遅
お裳日つゝぬ連者や【人】のみえつらん
遊免としりせ者さめさら万し越


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 いつものことながら、「お裳日つゝ」と書かれているものを「思ひつゝ」と翻字することには、非常に違和感を覚えます。観覧者は、まず絵を観て、そして書を読もうとする人が多いようです。とすると、現代語訳を添えることも大事だとは思うものの、やはり翻字をどこかに添えてほしいと思いました。自分の目で1文字1文字を追おうとする方が大多数だからです。その次に、余裕のある方は、その意味は何だろうと思われることでしょう。書かれている和歌の意味を知りたいと思う前に、次の作品に移動しておられます。
 その際、やはり字母を明示してもらいたいものです。実際には変体仮名交じりで「お裳日つゝ」と書かれているのに、説明文では「思ひつゝ」と表記していては、それはうその翻字になります。また、文字を読みたいと思う人を裏切り、だますことになります。日本語の本当の姿を知ろうとする海外の方々にも失礼だと思います。
 実は、海外の方々は、実際に書かれている文字が、それを翻字した文字列と違うことを知った時に、なぜ不正確な情報を与えるのだろうと疑問に思っておられます。やはり、字母を明示した正確な翻字をすることで、変体仮名を日本の文化として大事に守り伝えて行きたいものです。
 しつこいくらいに繰り返します。実際に書かれている文字を、翻字では別の現代の文字に置き換えて提示をするごまかしの行為は、もうやめませんか。明示33年に言語統制された結果としての五十音図にあわせた表記に、いつもでもこだわる必要はないと思います。教育現場が混乱するから、変体仮名は教えないというのは、もうやめませんか。変体仮名はユニコードに収録され、世界が認めている日本の文字です。日本人がそれを認めないのは、恥ずべきことだと思います。

 絵巻の所蔵者が持っていた茶碗や茶入れや茶杓が、その横に展示されていたのは、その絵を所持して伝えられて来た文化的な意味と背景に思いを馳せることとなり、なかなかいい展示方法になっていると思いました。茶会と説明がリンクしていたのは、まさに日本の美術品を所有しようとした人たちの文化的な背景が見えてきます。重層的な日本の文化を、こうした折に実感することになります。

 描かれた絵は、全体的に薄く見えたのは、私の目の調子が良くないからでしょうか。色の鮮やかさはともかく、迫りくるものを感じなかったのも事実です。いや、ガラス越しに、1メートル以上離れて眺めるという見方だったからでしょうか。こうした絵や書は、個人的な鑑賞を想定してできており、巻物は肩幅に拡げて1点ずつ見るものなのです。やはり、50センチ位内の近さで見たいものです。その意味から言えば、今回の図録はその疑似体験をさせてくれるほどの、精度の高い印刷をこの価格(三千円)で作製されたことに感謝しています。

 田中訥言の模本は、『探幽筆 三拾六哥仙』の模本を持っている者としては興味深い資料でした。書き込まれた指示や模様の断片などは、絵巻を伝えようとする人の熱意が伝わってくるものとなっています。

 帰ろうと思って1階に降りると、仏像などが並ぶ展示会場に入りました。しかし、そのまま帰らずにしばらく歩いていくと、また三十六歌仙関連の絵や書がありました。こちらも、貴重な作品がならんでおり、贅沢な作品を堪能することができました。
 帰り際、ロダンの「考える人」越しに、夕景の中に京都タワーが見えました。

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 もう一度行くつもりでいます。会期の前半に行けなかったことが残念です。
 
 
 
posted by genjiito at 23:33| Comment(0) | ■変体仮名