2020年04月09日

京洛逍遥(611)高野川の桜越しに望む比叡山と不自然な自由空間

 大阪府知事は、近隣の県や市からの流入は遠慮してほしいと宣言しておられます。京都市長も、近くの府県へ出向くことは控えてほしいとの要望を出しておられます。京都市に住まいを置く私は、本来ならば大阪府箕面市にある研究室に行かなければなりません。しかし、今の状況では出かけることもままなりません。そのために研究室は、5月6日までは閉室にしました。科研の研究協力者である研究員やアルバイトの学生さんたちは、大阪府・兵庫県・奈良県から来ていただいています。また大学側は、学部学生・大学院生の登校禁止という通達を出しています。個人の健康と感染の拡大を考えると、研究室の閉室という選択肢しかありません。今は、これまで調査研究してきた情報などの整理を、在宅で行なってもらっています。
 こうした新型コロナウイルスに関する情報に敏感に反応しながらも、私は毎日1時間の散策を心がけています。外出の自粛という事態の中でも、日々の買い物に出かけるついでに、運動不足解消のためにも、西へ東へ南へ北へと出歩いています。桜を求めて歩いて行ける場所も、しだいに少なくなりました。これからは、散りゆく桜の様子をお届けすることになりそうです。
 今日は、東に向かって高野川沿いに行き、比叡山を見上げてきました。

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 左端には、送り火の時に「法」が灯る小山があります。
 出町の方角にあたる川下を望みました。左側の建物が、最近改装なった大型ショッピングセンターです。

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 休憩と買い物をかねて、その洛北阪急スクエアに入りました。フリースペースでは、イベントができないこともあり、自由に寛げるように机と椅子が並んでいます。この時期らしく、左右のゆとりが異様なほどにたっぷりと、これでもかとばかりに間隔を空けて配置されています。このような配置にされた意図を、聴いてみたくなります。これも、前後左右2メートルの距離なのでしょうか。こんな時代があったという、貴重な映像資料となります。

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posted by genjiito at 20:08| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2020年04月08日

京洛逍遥(610)下鴨神社で病魔の退散を願う

 昨日は、賀茂の神様の子供である賀茂別雷大神を祀る上賀茂神社へ行きました。
 今日は、賀茂建角身命と賀茂玉依比売命を祀る親神様の下鴨神社へ行きました。
 下鴨本通りから西参道に入ると、すぐに手水舎があります。昨日の上賀茂神社では、柄杓が置かれていませんでした。しかし、この下鴨神社では、いつものように柄杓があります。それぞれの考え方で、こうした対処の違いがあるようです。

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 西の鳥居から入ると、境内には巫女さんが一人だけ、窓ガラスの拭き掃除をなさっていました。参拝者はほとんどなくて、私を含めて三人ほどでした。こんな下鴨神社は初めてです。

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 南口の鳥居から楼門を見ても、一人だけしか見当たりません。

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 振り返って表参道を見ました。千年の杜である糺ノ森には、身が引き締まります。

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 このすぐ左手前に、また手水舎があり、ここにも柄杓はありました。

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 そのすぐ側を、ならの小川が流れています。昨日の上賀茂神社のならの小川がここに至っていることになるのでしょう。

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 橋の袂には、説明版があります。

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 平安期の流路は、瀬見の小川と言われる川となって、賀茂川と高野川の合流地点へと流れていきます。

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 千年の太古を今に残す糺ノ森で、陽光と涼風の空間に身を置くことになりました。新型コロナウイルスという病魔が、1日も早く退散することを願うばかりです。
 お弁当を持って、賀茂川縁で食事をすることにしました。

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 蓋を開けたと同時に、私の左頬が叩かれ、後ろから低空飛行をしてきた鳶にお寿司を持ち去られてしまいました。あっという間の出来事です。これまでに出町柳で2回あったので、これで3回目です。後ろに壁がある所か、樹の下で食べるようにしています。半木の道には、何箇所もそうした安全な場所があります。しかし、この出雲路橋の周辺は、広いところに石のテーブルやイスがあるだけなので、要注意です。地元民なのに迂闊でした。しかたがないので、自宅に帰ってあらためて食事をすることにしました。返す返すも悔しいことです。
 帰りに振り返ると、私がお寿司を鳶に取られた場所の近くで、親子連れがレジャーシートを敷いて食事を始めておられます。

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 こんな時、「上空を気をつけてくださいね」と声を掛けていいものか迷います。楽しそうに食事をしておられたので、余計なことはしないでおこうと思い直し、我が家に向かいました。ごめんなさい。幸運を祈るばかりです。
 
 
 
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2020年04月07日

京洛逍遥(609)上賀茂神社の桜は散り初め -2020-

 いつもの散策の脚を少し延ばして、まっすぐ北山に向かって歩きました。
 上賀茂神社への車道側は、桜のトンネルになっています。

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 ポカポカ陽気の中を歩き、河原に出ました。
 鷺が鴨と遊んでいるところでは、海外からの方がその様子を興味深そうに見ておられました。
 とんと、外国からの観光客を見かけなくなったので、久しぶりの珍しい光景になりました。

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 河原では、今日の日差しの強さに耐えられないのか、鷺も鴨も散策路まで上がってきて日向ぼっこをしています。

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 上賀茂神社では、参詣客はほとんど見当たりません。

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 立て看板の1行目に書いてある「サンズイ」に「力」と「木」を組み合わせた文字は「染」のことで、「感染」という熟語の間違いでしょう。

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 4行目の「飯食」は、「おんじき」とか「いじき」と読むようです。しかし、一般向けの立て看板なので、「飲食」のつもりで書かれたものだと思われます。大急ぎで書かれたのでしょうか。
 境内の手水場には、いつもは竹に渡し掛けてある柄杓が見当たりません。ウイルスの感染を防ぐために、神社の配慮として仕舞われたのでしょう。

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 楼門の前の桜は、散り始めたところです。

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 風そよぐならの小川は、もう初夏の雰囲気です。

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 帰り道は、賀茂川の右岸を歩きました。
 比叡山がくっきりと山頂をのぞかせています。

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 さらに南に目をやると、如意ヶ岳の「大」の字が見えます。

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 今夜、新型コロナウイルスの感染が拡大することに備えて、安倍首相は改正特別措置法に基づいての「緊急事態宣言」を発令しました。これから、未知の社会変動が生起します。冷静に、慎重に判断して行動したいと思います。

 我が家のお地蔵さんは、二葉葵(賀茂葵)に囲まれています。今年から、毛糸の帽子を被っています。マスクは、まだしていません。日々安らかであることを祈るのみです。

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posted by genjiito at 21:13| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2020年04月06日

京洛逍遥(608)京大病院での検診後は京大キャンパスへ

 糖尿病・内分泌・栄養内科で、定期検診を受けてきました。
 ターミナル駅のようなこれまでの院内の賑わいは影を潜め、ロビーも待合室も人はまばらです。こんな状態の病院は初めてです。ちょうど1ヶ月前には、眼科に1週間ほど入院していました。あの頃は、まだ院内は混んでいました。それが、サーッと潮が引いたように、静かなのです。
 診察1時間前の採血も、人が少ないので順番がすぐに回ってきました。いつもは25分は待ちます。それが、5分ほどでした。
 マスクを着けないで採血室に来た方には、看護師さんが病院で用意しているマスクを渡しておられました。「特別ですよ!!」とおっしゃっていました。確かに、マスクがいまだに一般に入手できない異常な状況下では、病院としても無料で配るのは迷うところでしょう。患者側の意識が問われる問題だとしても、マスクを持参していないのは高齢者や車イスの方々が多いようなので、この対処も大変なことだということがわかります。我が家のマスクもあと一箱なので、他人事ではありません。マスクは、いったいどこに消えたのでしょうか。

 先月中旬に申し込んだ診断書が出来上がっていました。本来なら、診察がすべて終わってから、精算を済ませると手渡されます。しかし、私は京大病院のエクスプレスカードを持っているので、清算が終わっていなくても渡してもらえました。このカードのお陰で、窓口を何度も行ったり来たりしなくてもいいのです。これは便利なカードです。このクレジットカードは、私が無収入の年金生活に入った昨年に作ったものなので、特に高齢の患者さんにはお薦めです。歳と共に、病院などの窓口では、元気な皆さんよりも3倍以上は対応に時間がかかるようになります。その点からも、診察終了後の精算にかかる手間が格段に省けるので、窓口でみなさんの時間を奪い、まわりの方々に迷惑を強いることはなくなります。院内をウロウロする人が減ったのは、この関係もあるかもしれません。

 朝食を抜いて来たので、採血が終わると食事ができます。1階のレストランも、いつもと違ってがら空きです。席についておられるのは、おおよそ席数の1割でしょうか。そのため、注文をするとすぐに持ってきてもらえました。「彩り和朝食」を完食しました。急かされることもなく、ゆったりと1時間をかけていただきました。

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 診察の結果は、ほぼこれまで通りでの対応となりました。
 ヘモグロビン A1cの値は、昨年から以下のように推移しています。
18年11月−19年2月−19年5月−19年8月−19年12月−20年3月−20年4月
   7.6    7.3   7.1    7.3    7.1   7.5    7.3

 いつもよりも測定した間隔が縮まったとはいえ、ほぼ高目で安定しています。消化管がないのですから、血糖値が高めになるのは致し方のないことです。また、これからもこんな調子で生きていきます。まだ、内臓などの耐用年数はもちそうなので、身体全体の寿命はいましばらくは保てそうです。
 それよりも、血尿がでているとのことです。泌尿器科に行くかどうかは、次の精密検査の結果をみてから、という判断になりました。

 主治医の先生には、新型コロナウイルスの話題になると必ず糖尿病のことが言われることをお尋ねしました。わかりやすく説明してくださいました。リスクの高い身体であることを、再確認しました。

 退院後の事務的な対応について、いろいろな書類を持って窓口を回り、その説明を聞いているだけで疲れてしまいました。気分転換の意味もあり、帰りは少し歩いて京大の構内に行きました。
 その手前から吉田神社へ行こうと思いました。

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 しかし、少し行ったら桜がないことがわかり、キャンパス内の時計台を散策しました。

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 あらためてこのキャンパスに入るのは、本当に久しぶりです。
 1995年春に、京大のとある研究室で、モザイクというソフトを通してインターネットというものを体験しました。それに刺激されて、その年の秋に、〈源氏物語電子資料館〉というホームページを立ち上げました。文科系では初めての本格的なホームページだったと言われています。以来、文学と情報処理の草分け的な存在だと言われるようになりました。長尾真先生が総長に就任されるまで、電子図書館研究会に呼ばれたことから、毎月ここに通っていたのは遠い昔のことになりました。例会を開いていた付属図書館には、『源氏物語別本集成』の版下作成プログラムを開発してくださった浅茅原竹毘古さんが、司書としていらっしゃいました。平成25年7月に浅茅原さんが亡くなられた後は、今もそのブログ「MuBlog」(http://asajihara.air-nifty.com/mu/)でお目にかかれます。しかし、「よう てつ」という声は、そこからは聞こえません。この記事の中でも、我が家でお茶会をした時のことが書かれている「小説木幡記:「出町ろろろ」のNDK、あるいは幻の「マツモト模型」店」(http://asajihara.air-nifty.com/mu/2013/04/post-47e9.html)は、今読んでもあの元気だった浅茅原さんが目の前に現れそうでジンときます。とにかく、「NDK:日本文学データベース研究会」(http://asajihara.air-nifty.com/mu/ndk/index.html)というカテゴリーの中の13件の記事は、多くの方に読んでいただきたいものです。草創期の熱気を感じ取ってください。そして、ここに出てくる浅茅原さん以外のメンバーである3名で、当時取り組んでいた『源氏物語別本集成』をご破算にしてその文化資源を引き継ぐ、《源氏物語本文集成》という新たな一大プロジェクトを立ち上げたのです。また、数十年かかります。このプロジェクトに、新たな若者が集ってくることを、今から楽しみにしています。
 
 
 
posted by genjiito at 20:46| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2020年04月05日

京洛逍遥(607)葵橋あたりの鷺たち

 桜を愛でながら、ブラブラと葵橋まで散策です。

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 鴨の一家は餌探しに懸命です。

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 最近はあまり見かけなくなった鷺が、今日は至る所にいました。いつもの、じっと物思いに耽って佇むポーズではなくて、川面に嘴を突っ込み食べ物を探している姿でした。

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 出町柳に近いこともあり、ソメイヨシノは8分咲きというところです。

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 鷺が飛び立つ姿を写すことができました。

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 優雅なポーズです。
 着水すると、すぐに食べ物を探しだしました。

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 今日は昨日とはうって変わって、手がかじかむほどに肌寒い一日でした。出歩くことを自粛する機運が強まったせいもあってか、花見をする人はまばらでした。

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posted by genjiito at 20:17| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2020年04月04日

京洛逍遥(606)半木の道の枝垂れ桜はやっと5分咲き

 半木の道はポカポカ陽気で風もなく、多くの花見の人々が集まっていました。
 学生や親子連れなどが、週末ということで待ちかねて出てこられたようです。

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 不要不急のお出かけは自粛を、という呼びかけは、今日のお花見客には効果がなさそうです。
 いや、これでいいのかもしれません。
 戸外での絶好のお花見日和なのですから。
 いま強引に規制したら、不満が別の形で噴き出しそうです。

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 鴨たちも、のどかに春の到来を喜んでいるようです。

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posted by genjiito at 20:20| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2020年04月03日

京洛逍遥(605)半木の道の枝垂れ桜はまだ4分咲き

 夕焼け空を見ながら、半木の道を散策しました。

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 上空には鷹でしょうか、大きな弧を描いて飛んでいます。

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 平安神宮からもたらされたという、一番南に咲く桜の後ろには、売茶翁の碑があります。

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 いつものように比叡山を背景にする花は、ほぼ咲き揃いました。

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 北山を望むと、枝垂れ桜が咲き出したところです。

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 飛び石から南を見ると、右岸と左岸で桜の種類が違うことがわかります。

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 半木の道の満開は、少し遅れて、来週にずれ込みそうです。
 
 
 
posted by genjiito at 20:23| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2020年04月02日

京洛逍遥(604)「しもがも 葵の小径」の桜 -2020-

外を出歩くのは控えてほしいとのことなので、このところは近くの桜を見て回っています。
 白河疎水通りに、「しもがも 葵の小径」という散策路があります。

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 石柱の側面にはこんな歌が刻まれています。
さくら咲き ほたるび探し もみじ燃ゆ
  こゆき舞い散る 逍遥の道

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 この疎水通りでは、桜と青紅葉の色の対照が楽しめます。

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 今日は、下鴨中通りから疎水通りに入り、洛北高校前までを歩きました。
 雨上がりでもあり、木々の花と葉が爽やかでした。
 
 
 
posted by genjiito at 16:36| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2020年04月01日

何もしない日(2020年4月)

 今日は何もしない、何も考えない1日。

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 これまで回遊魚と言われて来ました。
 マグロは泳ぎ続けないといけません。
 しかし、寄る年波を自覚する日々に、そういつまでも身体は持ちません。
 そこで、昨年からは何もしない日を、毎月1日は作っています。
 
 
 
posted by genjiito at 19:13| Comment(0) | *健康雑記

2020年03月31日

令和元年度(2019)の本ブログを振り返って

 新元号となった令和元年度が終わり、明日の令和2年度からはもう平成との混在した併記はなくなります。
 目尻の縫合手術や白内障の手術はしたものの、それ以外では大病もなく令和元年度(2019)が終わることに安堵しています。今は、新型コロナウイルスの脅威に気を配る日々です。
 このブログも、無事に毎日書き続けて12年目に突入しています。等身大の自分を、ブログという形で作り上げています。作家が自伝を、画家が自画像を描くように、私はこの日々の雑録で、自分が生きていた存在証明を文章の形でウェブ上に限られた時間とはいえ残しておくつもりです。
 昨年4月から、大阪大学国際教育交流センターの招へい教授に転属し、無給ながら科研という研究テーマに取り組む日々を過ごしています。新しい恵まれた環境で、研究生活を再スタートしたのです。
 海外調査は、中国(広州)へ行き、多くの成果がありました。新型コロナウイルスの影響で、ベトナムとミャンマーへの研究調査は延期となりました。
 古写本を読む勉強会は、日比谷図書文化館「古文書塾 てらこや」が2講座となり、〈紫風庵〉で「源氏物語と三十六歌仙の写本を変体仮名で読む会」も始まりました。
 目の見えない方々の支援活動では、広報・研修活動も含めて積極的に関わりました。今年度は、パラリンピックの一環として「点字付百人一首」の大会が8月に予定されていました。しかし、残念ながらこれも延期となりました。マスコミは「オリンピック」のことばかりで、今や「パラリンピック」という言葉は影をひそめています。しかし、この目が見えない方々との『百人一首』を通しての交流活動は、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の活動の一環としても続けていきたいと思っています。
 ブログは今日現在、4,744本の記事を掲載して来ました。暇人だと言われながらも、コツコツと続けています。「京洛逍遥」の項目は、すでに600件以上書きました。「源氏物語」と「国際交流」と共に、膨大な情報群として読まれています。これらも、変わることなく書き続けていくことになります。
 京洛に住まいを移す前は、大和の地で「たたみこも平群の里から」と題するブログを2004年12月13日から公開していました。それがサーバーのクラッシュですべての記事が消失してから後は、2007年06月24日より「賀茂街道から」として再出発し、「賀茂街道から2」や「鷺水亭より」という名称変更を経て、今のブログ「鷺水庵より」につながっています。この「鷺水庵より」になった頃から、毎日のアクセス数が2,000件以上となり、幅広い分野の方々に読まれていることを実感し、それを励みの一つとして書き綴っています。
 このブログについては、文章が冗長であるという注文がある一方で、写真を褒めてくださることが多くなりました。ただし、写真は目が見えない方々には、今のところは確認するすべがありません。これは、写真を読み上げてくれるツールが開発されることを待つしかありません。近い内に実現することでしょう。
 サーバー移転の変遷は、「なぜかブログの発進地が変わりました」(2008年07月15日)と、「ブログを従来の「鷺水亭」から、この「鷺水庵」へ完全に移行しました」(2017年03月14日)という記事で、その経緯をまとめています。この十数年の紆余曲折も、大事な記録だと思っています。今のインターネットがそろそろ変革の時代に入るようです。問題点や限界が明らかになったからです。技術革新は着実に進展しているので、次の情報発信の手法がどのようになるのかは、今から楽しみにしています。
 さて、新年度となる明日4月1日からも、これまでと変わらぬご支援や情報提供を、よろしくお願いいたします。
 
 
 
posted by genjiito at 08:54| Comment(0) | *回想追憶

2020年03月30日

京洛逍遥(603)川沿いの桜を遠望しながら見えない敵と闘い出す

 相変わらず、新型コロナウイルスの猛威を避けるかのようにして、川沿いを散策しています。
 賀茂川右岸から桜の様子を見てきました。
 右に見える如意ヶ岳の大文字山から、その左の比叡山にかけては、8分咲きのソメイヨシノが川沿いの散策路に並んでいます。

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 その大文字山から南、下流の下鴨神社の方角にかけては、中洲がしだいに大きく拡がっています。

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 転じて北山の方は、右岸(写真左側)のソメイヨシノは咲いているものの、左岸(写真右側)の半木の道の枝垂れ桜はまだまだです。これから1週間の色模様の変化が楽しみです。

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 そんな折、近くの大学の学生13人が、海外旅行から帰ってきた学生に新型コロナウイルスをうつされたようです。その学生が、いつも利用する駅の上にある大型ショッピングセンターでアルバイトをしていたとのことで、我が家の近くでも大騒ぎとなっています。ウイルスとの闘いが、身近な問題として襲いかかってきました。
 高齢で糖尿病という2つの危険因子を持つ私は、欠かさず手洗いをして、毎日体温を測っています。見えない敵との戦いが始まりました。
 
 
 
posted by genjiito at 20:40| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2020年03月29日

京洛逍遥(602)朝夕の半木の道で

 朝夕の賀茂川沿いの桜を定点観測してきました。
 南の出雲路橋を臨む散策路の様子を、朝方と夕方とで並べてみます。

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 比叡山を背景に、すでに咲きそろった木々も、朝夕で雰囲気が違います。

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 今日は少し肌寒かったので、1日の内での違いはあまり見られませんでした。
 以下、夕方の様子をアップします。
 八重の枝垂れ桜で咲いているのは数本で、ほとんどがまだ蕾です。
 この半木の道には紅枝垂れが多いので、来週には見事な桜並木となりそうです。

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 ソメイヨシノは、8分咲きでしょうか。

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 右岸に渡り、対岸の半木の道から北山を望みました。
 北山大橋までの半木の道の賑わいは、今年は自粛という風潮もあり、どうなるのでしょうか。

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 北大路橋の西詰めに咲く山桜は、すでに葉桜となっていました。

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 自粛の指示が徹底したせいか、人出が少ない中での散策となりました。
 
 
 
posted by genjiito at 20:14| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2020年03月28日

不要不急の外出は自粛の日々の中で

 このところ、新型コロナウイルスの感染や被害に巻き込まれたり、拡散に関わらないようにと、必要最小限の外出を心がけています。
 そんな日々の中で、「この世に生存していたことの証明も兼ねて、日々の雑録を記しています。」ということを標榜しているブログなので、ここ数日の写真を整理してアップしておきます。

 年度末の残務整理もあり、今週は箕面キャンパスに行きました。そして、一昨日は研究棟のすぐ前の広場で、卒業式の華やぎの中に身を置くことになりました。
 大学全体の卒業式は中止となり、豊中・吹田・箕面の各キャンパスで、各学部ごとに学位授与が行なわれたようです。卒業式は、成人式とともに、女性のためだけの晴れの日となっています。男性は、ほとんど注目されることもなく、出番もないので目立ちません。この文化は、何とかしたいと思いながら、今は何もできない立場となり、心がざわめきます。女性だけの式典を続けることは、日本文化の退化を促進すると考えています。いつか、どこかで、だれかが狼煙を上げてくれることを待ち望んでいます。

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 日々の散策は、賀茂川と高野川の合流地点である出町柳から北の地域に限定しています。
 今日は、高野川に架かる橋から比叡山を望む景色を、買い物がてら見てきました。
 ここは、川幅も狭く、少し水が濁っていました。桜はまだです。鷺と鴨は、賀茂川に負けず劣らず元気です。

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 出雲路橋の柱に「竣功」という文字を見かけました。一般的には「竣工」であっても、橋や神社仏閣などでは、この「竣功」が使われると聴いていました。実際に見かけたので、確認の意味でアップしておきます。

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 お店のトイレに、「男性も座ってご使用ください」という表示を見かけました。男の小については、異論や苦情が多いことは知っています。これは、文化の問題であり、ぜひとも性差別の問題として幅広く議論してもらいたいものです。気の弱い男性は、この問題には口を挟まないようにしているように思えます。私は、この強制に違和感を持っています。女性の意見がまかり通っています。しかし、性差と文化を考える中で、不愉快でない議論と結論を得たいものです。そのためには、業界がもっと考えを整理すべきだと思っています。便器メーカーは無責任だと思っています。

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 時間が空いた時に、日々増え続けるコーヒー豆の使用後の粉を、ティーバックの入れ物に詰めました。一月で30個くらいできます。消臭剤として、冷蔵庫や靴箱や戸棚の中に置いています。生ゴミの袋の中に、あらかじめこの粉を振りかけておくと、匂いが気になりません。

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 我が家で居候中のハリネズミのハッチャンは、ほとんど寝ています。しかし、よく食べ、よく遊んでいます。リンゴが大好きです。

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 今年度も、残すところあと3日となりました。今、やり残している膨大な仕事を抱え、めまいがする日々です。やってもやっても、まったく捗りません。お待ちいただいている方々には、本当に申し訳ないことです。それでも、何とか帳尻を合わせますので、いましばらく猶予をください。
 
 
 
posted by genjiito at 20:34| Comment(0) | *身辺雑記

2020年03月27日

吉行淳之介濫読(24)宮城まり子『淳之介さんのこと』を追悼の気持ちで

 一昨日の「吉行淳之介濫読(23)宮城まり子『淳之介さんのこと』」で取り上げた、『淳之介さんのこと』(宮城まり子、文春文庫、396頁、2003年4月10日)を読み終えました。

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 先週、3月21日に93歳でお亡くなりになった宮城まり子さんが、いかに吉行淳之介氏を愛し、寄り添って生きてこられたのかが、思う存分に書かれていました。
 「あとがき」にあたる「こころのこり」から、本書の成り立ちがわかる一文を引きます。

 淳之介さん、おわったのよ。ウンウンうなって書いてたけど、一応おわったの。
 あなたのこと、何やかや、いっぱいある想い出を書いてみて、といわれて、書いていることで、あなたがそばにいて下さるみたいな気がして、涙をぽろぽろ流しながら、六年もかかって書いたの。まだまだ書くこといっぱいあるわ。淳はやさしいのね、私を一人ぽっちにあなたはしなかった。ずいぶん甘えて過ごしたわ。ありがとう淳。あなたと暮らした、生きていた日々、大切に大切にしますね。六年のおわりをむかえて、いまでも玄関のドアがあいて、オーイと呼ぶ声がする。
「はい、これでおわりにして下さいませんか?」
 と最後の原稿を渡した時、手も足もがくりとはずれちゃったみたい。でも、あなたは、まだ私のそばについていて下さる。
 そばにいてね、淳之介さん。(394頁)


 一昨日の本ブログ「吉行淳之介濫読(23)宮城まり子『淳之介さんのこと』」で、吉行氏の遺体の下に原稿用紙を敷き、右手に万年筆を握らせた話は、以下のような形でも語られています。

 淳之介さんが亡くなったあと、胸の上で組ませてくださった方のわからないよう、冷たすぎるその手をほどき、いつもペンを握るように指をうごかし、痛くないよう万年筆をしっかり持たせてあげた。きっと胸の上に手を組むスタイルを壊した私に非難はあるでしょう。でも、あの長い指に、ペンを持つのが一番あなたには美しかった。原稿用紙を忘れずに入れてもらった柩に、あなたは万年筆を持って逝きましたね。死んでからも書かせるのかい、と叱られるかもしれないけれど、闘病記を書くのにあなたの右手は必要でしょ。そしてそれが一番、私、好きなんだもの。
 最後の二十日間は、私を一時も傍らから離さなかった淳之介さん。真夜中、私はとうとう左手であなたの手首をにぎり、右手のひじでからだをささえ、あなたのしゃべることをベッドの下で懐中電灯でぼんやり照らし出し、書き取りはじめた。その前は手首だけにぎっていて呼ばれるまで、うとうとし、間隔が短くなってきたら、私はそうして起きていた。まりちゃんと呼ばれたら、すぐ、ハイって返事しなければ、淋しいものね。(「ガンの告知」、360頁)


 吉行淳之介の代表作である『砂の上の植物群』は、当初は「一つの稲妻」であったということ(72頁)など、吉行の作品が好きな私にはいろいろと興味深いことが語られています。
 また、「遺言書」の話もあります(「遺言」、215頁)。三島由紀夫の自決の話の後、三島が吉行の『暗室』は谷崎潤一郎の『卍』に「遠く呼応するものであろう。」という選評が引かれています。(「飛行機雲」、228頁)
 しかし、これらは今は省略し、以下では、二人の愛情の機微が語られているところを抜き出しておきます。

 まり子さんが「ねむの木学園」を作ったことに関することから。

私は、「私が必要? 私が好きならちゃんとして」はやめた。こんなに愛しているんだもの、彼を理解し、そして自分の仕事をきちんと持っている人、私は、女優、そして肢体に不自由を持った子に教育をと願う一人の人。彼を愛し、それをもっとも幸せと思う一人の女でいようと、努力しはじめた。法にないことが、なかなか通らないお役所からの帰り道、書いても書いても書ききれない書類、なんとなく笑われていると感じる事ばかり、(後略)(「外国へ行くこと」、173頁)


「あのね、前から心の中にあったことで、ずっと考えて来たんだけど、病気でね、手とか足とかが不自由で知的障害があって、お家でお父さんとかお母さんとかがね、めんどうみられない子がいるの。そして、その子たち就学猶予って法律で、小学校も中学校も行かなくてもいいんですって。つまり義務教育を受ける権利がなくなるの。私、そういうの知ると考えちゃって。私、仕事で、こどもちゃんたちのいるところへ行くことが多いでしょ、それに、私自身が舞台でこどもの役が多いでしょ。だから知る機会がありすぎたんだと思うの。私、淳といっしょに暮らせて幸せすぎる気がしてるし、申し訳ないことと思ってます。私にやれることさせてほしい。お医者さんにちゃんとかかれること、教育は正しく受けられること、こどもとして愛されることのお手伝いしたい。出すぎることかも知れないけど。おかしいかもしれないけど」
 淳之介さんは言った。
「この話は十年も前から言ってたね」
「あなたと知り合った頃からね」
「昨日、今日、言い出したのならやめなさいって言うけど、ずっと前から思いつづけていたみたいだから、いいでしょう。その代わり約束」
「はい」
「一、途中でやめると言わないこと。二、愚痴はこぼさないこと。三、お金がナイと言わないこと。これ守りなさいよ。君を信じて来る人に、途中でヤメタって言うのは大変無礼だからね」
「うん」
 涙があふれて何も見えなくなった。私のわがままを聞いてくれた。
 改めて厚生省に書類を出しはじめた。一つだけ相談にのって下さいと淳之介さんに頼んだことは、その名前だった。ねむの木ホーム、ねむの木の丘、きょうだい学園、ねむの木学園、いくつか、役所と相談したのを見せたら「考えるよ」。そして、朝、目がさめた時、私の部屋のドアの下の透き間に原稿用紙に大きくねむの木学園=A横に小さく、迷わずこれに決めなさいと書いてくれていた。(「三つの約束」、204~205頁)


 一九六八年四月六日、静岡県の浜岡の砂丘に、寝室二つ、保母室一つ、食堂兼教室兼雨天体操場一つ、台所、お風呂と三畳の当直室、二つのお手洗い、お客様とお会いする場所兼廊下、たったそれだけ。十二人のこどもたちのための、住むところとそれでも教室のあるねむの木学園が開園した。
 私は帝国劇場の『風と共に去りぬ』が終わり、四月十日まで休暇。淳之介さんは一月に、ヘンリー・ミラーの翻訳『愛と笑いの夜』を河出書房新社より刊行。そして、二月から四月まで『堀部安兵衛』を「週刊朝日」に連載していた。
 海のそばの砂丘の松林を切り開いた土地に、ぽつんと建ったあまりにも小さい、けれど、日本で初めての障害を持つ子の家〉と〈教育〉を受けられる場所。〈社会福祉法人〉。国で認められた制度の中で、こどもたちの権利の追求がはじまった。(「松林の中の学園」、207頁)


そして翌日の開園式。改めてこどもたちに逢い、手足の不自由な子の転びようのはげしさ、泣く声の大きさ、知的障害のための鼻水の多さ、よだれの多さ、ききわけのなさに、びっくりした。
今ならやめられる。園長さんもいる。≠ソらりとかすめたけれど、こどもたちを新聞社のカメラの放列にさらすことの少ないよう、近くの学校から、小学校六年生を二クラスお招きして、その中にとけこませた。障害を持っている子も持たない子も一緒。
 知事さんは、私のつくった、こどもたちも読めるようちじさん≠ニ書いた小さなリボンを胸にピンでとめ、ささやかに植えたラッパ水仙のある砂の遊び場で、あいさつして下さった。
「こどもたちの明るい未来を期待します」
 私は、主催者の席でも、来賓席でもない、こどもたちの中で、三十九キロに減ったからだが飛びそうなかたちで、胸と顔をまっすぐ風に向けて、やり通すんだと、立っていた。こどもたちの代弁者だと両足を砂地にふんばっていた。風にさからって立っている私のワンピースの胸の中に、淳之介さんの写真の入ったロケットが入っている。(「松林の中の学園」、210~211頁)


 白内障の話もあります。

 その頃、お客様が来られた時、淳之介さんが、必ず座る、ソファの場所、窓から、外のあかりが入る横にいると「眼球」が診察するようによく見え、黒目のところに白が、少しずつ、少しずつ、多くなっていくのが痛々しく悲しく、白内障にとって最高の治療が出来ますようにと、ただ胸が痛いだけだった。
 昼間、急にお客様のいられる席の真ん中に座る私が、淳之介さんの「目」を見ているとは、彼も気がついてはいなかったようだ。
 いつの間にか自分でたくさんの資料を集め、武蔵野日本赤十字病院の眼科の若い清水公也先生に、進んだ国では、もうやっていた白内障の手術(人工水晶体移植)を受けて成功した。(「飛び跳ねる悪魔」、201頁)


 淳の病気との戦いは、いっぱいだ。その上、腸チフスの高熱で歯をいじめすぎている。目は、喘息の治療薬の副作用の白内障で、いたいたしい。その目で、原稿用紙にむかって原稿を書いているのを、うしろからみると、大きな結核の肺切除のあとが見えるようで、着ている着物まで重そうで、パジャマのままだ。セーターさえ、重いのではないかと、着せるのをやめてしまう。(「うれしい日の影」、242頁)


 まり子さんの女性としての物の見方の一端がうかがわれる文章もあります。

 一緒に住みはじめて、九年たっていた。前の家の玄関にはマジックで郵便受けに「吉行・宮城」と彼が書いた。時々、雨やほこりで字が消えるので、書き直したり、書き足したりしていた。恋して、愛して、やっと一緒に暮らす、とってもうれしいことなのに、なぜか私は表札を出すことがはずかしかった。
 一緒に向き合って、食事をするみたいで、羞恥心が、肩の出ているイブニングドレスを昼間着ているようにひりっとした。建畠さんに家の設計をたのむ時、お互いに仕事を持っているから、生活の時間が違うからと、できるだけ部屋を別に離して下さいと頼んだ。その家に表札を真新しく出すなんて、あつかましいはずかしさだ。彼もきっとそうだ。そう感じたら、「かけてください」とはなかなか言えなくて、半年ほども、自分の部屋に並べておいた。高見順先生の玄関も高見だった。近くの五島昇さんのお屋敷も五島。住んでいるものが二人で二つ出すなんて、あたり前のことがあたり前に感じなくて、はずかしかった。表に名前がないと配達物が困るといわれてそれをきっかけに、ようやくかけてもらった。
うれしくて、はずかしかった表札=B
 亡くなったら、表札は、はずすものなのかナ、そのままにするものかナ、と思いながら、私はそのままにする。そのままにしている私は、感じない女になったのかナ、あつかましくなっちゃったのかナ、向き合って食事をするその口元を、みられる人がいないからかナ、彼のワイシャツや靴下をそろえるそんな女らしい仕事の、今は私の姿勢がないからかナ、ここは吉行と宮城が暮らした家。夫婦別姓なんだゾ。(「表札」、179~181頁)


 私達は、結婚して籍に入っているわけではない。彼が私を好きになり、私が彼を好きになったとき、もう彼には戸籍の上に妻がのっかっていた。ただ、愛して、一緒に住んだ。
 感じることや好きなものが似ている。そんなことがうれしかった。いい作品が出来ると、私が役に立っているのかナと、うれしかった。一つの喜びの共有がなによりうれしかった。うれしかったが、私のからだの中の半分は、淳之介さんの残した小さなお嬢さんのことが気になった。私の抱き上げられるくらいの大きさかナ、それとも私の肩ぐらいかナ、淳とそっくりかナ、今、私がうれしい時、彼女はなにをしているかナ、いつも彼と話をしている間中、影のように淳の横に、彼女のことが見えていた。うれしいと笑った半分、彼女の代わりのような気がしていた。このカットの時でさえ、すまないと思った。
 その本は出帆社というところから出る、かわいい形の本であった。(「うれしい日の影」、246頁)


 終盤では、医療とは何かを訴える内容になっています。
 最愛の吉行淳之介氏を偲びながら、心にはその医療の至らなかったことが、最後に溢れ出たのです。

 医療とは医だけじゃ駄目、療がなくちゃーね。淳之介さんに、ごらんと言われて彼のベッドのすみっこに寝てみた。ほんとに、目の上に点滴の棒がぶら下がっているのがこわかった。他の患者さんも同じだから、がまんしましょうね、でも点滴もろとも、彼の上に、棒がおっこちたこともありましたものね。
 こういうことを病院のベッドの下で、廊下をながめながら考え、深夜、一度、廻って来てくれる看護婦さんのお手伝いに、じっと、そばにいた。ナースコールは外の部屋にもきこえるからわるいよと鳴らさない彼の代わりに、ただただ心配でいっぱいの女が、わめきたい心をノートにしるしていたのだ。患者が精神的に安定していれば、付き添いは安心で幸せ。
 おなかのドカーンの注射の夜、淳之介さんは私の顔を見て言った。
「まりちゃん、ぼくの手をしっかりにぎっていてはなすなよ」
 私は不安になって、ちょっと行って来ますとナースに報告に行こうとした。淳之介さんは今度は私の手をぎゅっとにぎって、
「駄目、行っちゃ駄目。手をはなすな」
 この言葉をドクター、あなたはなんときいて下さいますか。ああ幻覚がひどくなったナだけですか?
 最終的にもう治療法がないと言われた時、私は淳之介さんの心を和らげることのできる病院に移ろうと転院を決意した。虎の門病院と交渉し、それまでのデータをすべてもらい、聖路加国際病院に移った。病室の窓から、あれ勝鬨橋、あそこ銀座、ほらむこうがレインボーブリッジと教えたら、しばらくベッドに座って見ていた淳之介さん。行こうか? と言った淳之介さん。
 七月二十一日に移った聖路加国際病院で、十八日の虎の門病院での採血の結果を初めて知った時、私は驚いた。もういつ淳之介さんに急変があってもおかしくない数字だったのだ。それから三日もたっている。全身から血が引いて行くのを感じた。
 そして六日目、淳之介さんは「まりちゃん」というやさしい言葉を残して息を引き取った。美しい顔をしていた。
 日本のすべての病院があのピッツバーグの病院のようになることは不可能なのでしょうか? 一日も早く、医と療が一つになりますよう。(「治療と医療」、382~384頁)


 宮城まり子さんは、今は吉行淳之介氏の仕事場を探して、あの世を歩いておられる頃でしょうか。また、仲むつまじい生活が始まることでしょう。お幸せに。
 
 
 
posted by genjiito at 19:43| Comment(0) | □吉行濫読

2020年03月26日

京洛逍遥(601)出町と半木の道の桜

 新型コロナウイルスの影響のため、散策も近場になっています。
 今日は、半木の道から出町柳を歩きました。
 葵橋から北山を望むと、まだ桜が開花し切っていないことがわかります。

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 出町あたりの桜は、半木の道から歩いて20分ほど南ということもあり、開花している樹がいくつもあります。

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 鷺も鴨ものどかに春の陽を浴びています。

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 賀茂大橋の袂でお弁当をいただきました。
 旅行の途中の方が、同じようにお弁当を食べながら、集まってくる雀や鳩や烏に、おかずを箸でつまんで投げ与えておられます。ますます、鳥たちが集まってきます。こうした、無責任な餌付けは、鳥たちの習性を変え、人を見たら食べ物をもらえると思って寄ってくるので、いろいろとトラブルの元です。また、上空から様子を窺っている鳶や鷹の餌食となる観光客も多いのが実状です。私も、何度かこの河原で、鳶にアイスクリームや食事を獲られました。かといって、楽しんでおられる観光客の方に、餌やりはやめましょうと言うわけにもいきません。立て看板など、見ておられないのですから。

 半木の道の桜は、開花しているのはほんの数本です。

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 明日からは雨なので、他の花が咲き揃うのは来週になりそうです。
 
 
 
posted by genjiito at 21:53| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2020年03月25日

吉行淳之介濫読(23)宮城まり子『淳之介さんのこと』

 宮城まり子さんが、先週、3月21日にお亡くなりになりました。93歳。
 その宮城さんを追悼する多くの報道から、簡潔な記事を一つだけ引きます。

2020年3月21日に亡くなった宮城まり子さんは、公私ともに「一途の人」だった。
社会福祉の事業家としては、「ねむの木学園」づくりに邁進し、恋の相手としてはただ一人、作家の吉行淳之介さんに惚れ尽くした。(J-CASTニュース)


 たまたま読み出していた本が『淳之介さんのこと』(宮城まり子、文春文庫、396頁、2003年4月10日)だったので、追悼の気持ちで読み続けています。今、読むのを中断して、ここにその一部をとりあげます。読み終わってから、あらためて整理します。

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 この本には、1957年の吉行淳之介氏との出会いから始まり、85編のエッセーが収録されています。そして、そのほとんどが、惚れ抜いた吉行さんとの愛情たっぷりの思い出話です。
 第1話からして、こんな調子です。
 シャンソンの評論家である蘆原英了先生のところへ勉強に行っていた時のこと。

「お付き合いに気をつけなさいよ。とくに、三悪人というのがいますからね」
「先生、三悪人って?」
「遠藤周作、安岡章太郎、吉行淳之介。こういう人たちに誘われても、ぜったい駄目」
 私は黙ってしまった。
 気配を感じて、先生が私の顔をそっとごらんになった。
「先生、ごめんなさい。もう、付き合ってる」
「だ、だれと」
「吉行淳之介」
「ああ、それが一番、悪い。ああ、こまったねえ」
 こんなことがあったのを吉行さんにすぐ言ったら、笑いながら、
「同じ喘息同士だ、よろしく言ってちょうだい」(「ファニーフェイス」16~17頁)


 なんとも軽妙洒脱で、宮城さんならではの機知に富む文章が詰まった本です。
 吉行氏が亡くなった時のことが、次のように語られています。

 彼が、再び帰らないところへ旅立った日、届けてもらった新しい原稿用紙千枚をからだの下に敷いた。そして人様の目をぬすんで、どなたかが胸の上に組みあわせてくださった指をほどき、エンピツではなく、好きだったモンブランの万年筆をいつもにぎっていた指の形通り、持たせた。もう、冷たくて固くなっていたけれど彼はしっかりペンをにぎった。彼の長い指は、ペンを持つときが一番美しかったのだ。淳之介さんには、まだ書きたいものがありましたもの。もっと生きたかったのですもの。しっかりモンブランをにぎれた手の方が、よかったのか、手を組みあわせた方がよかったのか私はわからない。淳之介さん、長編なら原稿用紙足りませんね。私、持って行きますから、ゆっくり書いていてください。(「オレンジ色の原稿用紙」47頁)


 今、宮城さんは吉行氏に届ける原稿用紙を持って、旅立たれたに違いありません。
 お二人の相思相愛の甘い生活が、今度こそ人目をはばからず、気兼ねなしに寄り添いながら始まるようです。
 ご冥福をお祈りします。
 そして、読みさしの『淳之介さんのこと』を、ゆっくりと読み始めることにします。
 あなたの文章の行間に、吉行氏とのおのろけが満ちています。
 人を好きになるというのはこういうものなのかと、たっぷり味わいながら読み進んでいます。
 私が高校生時代に出会ってからずっと読み続けた吉行氏に、こんな読者もいるということと、作品をすべて読み直そうとしている者がいることを、どうぞよろしくお伝えください。返信のお気遣いはいりませんので。


初出誌:『別冊文藝春秋』’95年213号~’00年233号(220号、226号、229号はのぞく)
に18回にわたって連載されたものに大幅加筆、再構成。
単行本:平成13年4月 文藝春秋刊
 
 
 
posted by genjiito at 20:28| Comment(0) | □吉行濫読

2020年03月24日

《お知らせ》今週末の〈紫風庵〉での勉強会は中止です

 今週末の28日(土)に、〈紫風庵〉で「三十六歌仙」と『源氏物語』の勉強会を開催する予定でした。しかし、いまだに収束の気配が見通せない新型コロナウイルスの現状を考え、先月に続き、残念ながら今月も中止とさせていただきます。
 京都でも感染者が出ていること、参加者の年齢層が高いこと、親しく机を共にする勉強会であること等々、今しばらくは自粛して様子を見る方がいいだろう、と思っての判断です。
 〈紫風庵〉さんの周りも春らしくなって来ているのに、こうした自粛は残念です。
 ご理解のほどを、よろしくお願いします。

 次回は、4月25日(土)午後2時からです。
 また、みなさまと一緒に楽しく変体仮名を読みましょう。

 これまでの活動の様子は、このブログの他にも、〈紫風庵〉さんのホームページでご覧いただけます。

「源氏物語と三十六歌仙の写本を変体仮名で読む会」

 ぜひ、勉強会の様子を写真を通してご覧いただき、興味と関心が涌きましたら、お気軽にお越しください。
 
 
 
posted by genjiito at 19:19| Comment(0) | ◎NPO活動

2020年03月23日

京洛逍遥(600)四分咲きの桜と新聞記事の意義

 半木の道の桜は、昨日よりも花の数を増しています。一番早く咲き出した樹では、今日はもう四分咲きでしょうか。この樹は、ちょうど比叡山を背景にしているので、撮影のポイントにしています。私が好きな山桜は、見上げるような高いところに咲いているので、背景が空の青にしかならないので味気ないのです。撮影に向いた山桜は、また探しておきます。

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 今日の京都新聞(2020年03月23日月曜日)に、いつも楽しみにして読んでいる小林一彦さんの文章が掲載されていました。毎回、「古典に親しむ 新古今和歌集の森を歩く」というテーマで、紙面の3分の2を使っての連載です。今回は47回目で「薄曇り」です。

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 四十七  薄曇り
いま桜咲きぬと見えて薄ぐもり
  春にかすめる世のけしきかな
(式子内親王・春上・八三)

訳 いま桜が開花した、と見えて、空には薄く雲がかかり、いかにも春の季節にかすんでいるような、世のなかのようすだなあ。


 優しい語り口で、毎回わかりやすく『新古今和歌集』の歌を解説してくださいます。お人柄が伝わってくる温かさが感じられるので、幅広い読者を獲得している記事になっていることでしょう。私もファンの一人です。もちろん、国文学研究資料館の委員としてお越しになった時や、大島本の調査を京都文化博物館の地下でやっていた時、指導してくださっていた藤本孝一先生のご紹介で挨拶に来られたことがありました。ただし、分野が微妙に異なることもあり、親しくお話をしたことはありません。

 さて、本日は次のように始まります。

 最近、京都から「薄曇り」の空が消えた。気象庁は、多発する自然災害に備えて人手をさくため、目視から機械観測に替えたという。機械には微妙な「薄曇り」が感じ取れないそうだ。防災情報は大事だが、さびしい気もする。


 まさに、和語の微妙な言い回しを可能とする表現として、「薄曇り」ということばがあるのです。今話題のAIが、これからますます世にはびこります。しかし、流れはそうであっても、機械に頼り切らない物の見方で、日本の文化を次世代に伝えたいものです。今は、そのことが新聞の紙面で問題になっていくのではありません。

 この文章で小林さんは、和歌の機能や役割や心情を、式子内親王と維明親王とのやりとりを通して、その背景にまで言い及びながら丁寧に語られます。そしてその最後は、次のように結んでおられます。

 「いま桜咲きぬ」とは、待ち望んでいた桜の開花宣言である。それを「薄ぐもり」の、けだるい歌によみなした式子の技量は、さすがである。さらに、膨大な桜歌群を、やや重い雰囲気の彼女の歌ではじめた撰者たちの見識も、特筆される。新古今ならではの、美意識の反映であろう。
 人の動きがなくなった春に、「薄ぐもり」のこの歌は、身にしみる。桜は咲いても、もう一つ、心が晴れない。


 時宜を得た、名解説だと思います。
 こうした紙面を通して、新聞の役割を再評価したいと思います。電子版のニュースで事足りるのではなく、事実を伝える役割はもちろんのこと、折々にこうした人の心に感じ入る文章が読めるメディアとして、紙に印刷された新聞が果たす役割は大きいように思います。文字の配置や配列はもちろんのこと、写真も効果的です。
 私は、かつては新聞少年でした。毎朝毎夕、450部の新聞を1軒1軒に配っていました。楽しみにして待っていてくださる方がいらっしゃいました。集金に行った時には、いろいろな話をしてくださる方もいらっしゃいました。電子版は、手軽に大量の情報が手に入ります。しかし、人の手を介して運ばれてくる紙媒体の情報掲載紙の存在は、記憶に残る情報を運ぶメディアとして守り続けたいものです。
 その意味から、この記事の最初に新聞紙面のイメージを揚げてみました。新聞の紙面構成を知らない若者が多いそうです。駅売りではなく、家に運ばれて来る新聞の再評価の一つとして、小林氏の文章は良い例としてあげられると思います。いずれは、このコーナーの記事は書籍にまとめて公刊されることでしょう。そうではなくて、今ここに書かれたばかりの文章で物を見たり考えたりすることも、生きた学習や体験につながることでしょう。
 
 
 
posted by genjiito at 20:55| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2020年03月22日

京洛逍遥(599)去年よりも5日早い開花宣言

 本日3月22日(日)、去年よりも5日早く、京都地方に桜の開花宣言が出ました。今年の冬は、いつもの年より京都市の気温は2度も高いそうです。明治13年(1880)から観測の記録が残っていて、今年が記録上のもっとも高いものになったようです。
 暖かいことはいいことです。しかし、それも程度があり、暑いところまでいくと大変なことになります。この3月の平均気温も平年より高いようなので、気候変動に関わってまたいろいろな問題が出てきそうです。
 賀茂川散歩で、花が咲き始めた木々を見かけるようになりました。

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 山桜がちょうどいい具合に咲いています。私は、ソメイヨシノよりも山桜が好きなので、うれしくなります

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 この半木の道も、来週には満開となることでしょう。

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 鷺や鴨などが元気に遊んでいます。


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 3連休も終わり、明日からこの河原は、少しは人出も減ることでしょう。
 
 
 
posted by genjiito at 20:53| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2020年03月21日

西国三十三所(2020-4)/清水寺(16番)

 快晴で風も温いので、いつもは大混雑している清水寺へあえて出かけてみました。海外からの観光客がほとんどいなくなったということなので、人通りは絶えているはずです。ゆったりと清水寺で西国三十三所の朱印をいただくなら、こんな日をおいてありません。
 バス一本で清水道まで行きます。バス停がおしゃれでした。

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 目の前を、2階建ての遊覧バスが通りました。こんなバスを間近に見たのは初めてです。白内障の手術の後は、とにかくものがくっきりと見えます。

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 清水道(松原通)から登ると、途中で八坂の塔が見えました。普段なら、人が列をなして通る小道のはずです。

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 少し広い道でも、観光客はまばらでした。

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 途中で、みごとな早咲きの枝垂れ桜が咲いていました。

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 ところが、三年坂との合流地点から上は、ラッシュアワー並の突然の人の波となります。これには驚きました。

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 お昼ご飯は、わらび餅専門店の「普門庵」で、1種類だけのランチをいただきました。お客さんが少なかったせいもあり、もともとがゆっくりと食事をする私は、のんびりと時間をかけていただきました。

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 外に出ると、さらに人出が増えています。海外からの観光客は見当たらないので、3連休を利用して国内からの旅行者でしょうか。今日は、外国語はまったく聞きませんでした。それにしても、清水寺の人気は、すさまじいものがあります。

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 清水寺は、洛陽三十三所の集印で来て以来、久しぶりです。

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 本堂が改修され、京都市街の景色も絶景です。

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 ちょうど数年前からの集印ブームと重なり、納経所は集印帖を持った若者たちで長蛇の列です。この列は、写真奥の西向地蔵堂で折り返しているのです。窓口は5箇所あります。30 分以上並んで、やっと順番が回ってきました。

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 いつものように、ドライヤーで乾かします。ほとんどの方は折本仕立ての朱印帖なので、紙を挟むだけです。ドライヤーは不要です。軸を持っていたのは私だけだったので、西国三十三所巡りの方はこの一団にはいらっしゃらなかったようです。

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 境内には、「阿弖流為」の顕彰碑があります。変体仮名の「弖」(te)の説明でこの例をよく出します。

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 顕彰碑に刻まれた説明文を、iPhone にダウンロードしている「一太郎パッド」で撮影して、資料としていつでも使えるようにテキストにしました。ほぼ正確に読み取って変換してくれます。「一太郎パッド」は重宝するいいアプリです。

 音羽瀧の近くにあった看板の文字が、いかにも変体仮名の一覧表を見ながら書いたと思われる書き振りだったので、これも参考資料として写しておきました。

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 清水寺の桜の開花は、来週でしょうか。この桜は、母を連れてきた時にすばらしい色で咲き誇っていたことを、今でも鮮やかに覚えています。あれは父が亡くなった後、西国三十三所札所巡りをしていた時でした。今日はちょうどお彼岸に入ったところなので、仏前に報告しましょう。

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 帰り道のバス停で、乗り場が北へ50メートルほど臨時に移動していました。観光客が多いための処置です。しかし、実施した頃には観光客がいなくなっていた、という現実が待っていたのは、誰のせいでもありません。ついでに、バス停の表示で、「清水道」は左方向先にあるので、この標識は道路側に向けるか、向側のバス停に置くものです。余計なことですが。

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 これで、朱印をいただいたのは4箇所となりました。

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 まだ始まったばかりです。
 これまでの3箇所は、次のものです。

「西国三十三所(1)/6巡目は洛中の革堂(19番)から」(2019年07月07日)

「西国三十三所(2019-2)/六波羅蜜寺(17番)」(2019年07月08日)

「西国三十三所(2019-3)/今回もひどかった六角堂(18番)」(2019年07月28日)


 
 
 
posted by genjiito at 20:12| Comment(0) | ・ブラリと

2020年03月20日

読書雑記(281)高田郁『あきない世傳 金と銀 八 瀑布篇』

 『あきない世傳 金と銀 八 瀑布篇』(高田郁、時代小説文庫、角川春樹事務所、2020年2月18日刊行)を読みました。

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 本書は、ハルキ文庫の書き下ろし作品で、初春と初秋の年2冊を刊行することが律義に守られています。今回は2月が何かと多忙だったために、文庫本の入手と読了に手間取り、1月遅れの読書雑記となりました。
 これまでの本シリーズに関する記事を、まず整理しておきます。

「読書雑記(159)高田郁『あきない正傳 金と銀 源流篇』」(2016年03月11日)

「読書雑記(179)高田郁『あきない世傳 金と銀 二 早瀬篇』」(2016年09月03日)

「読書雑記(196)高田郁『あきない世伝 金と銀 三 奔流篇』」(2017年03月13日)

「読書雑記(205)高田郁『あきない世傳 金と銀 四 貫流篇』」(2017年08月23日)

「読書雑記(224)高田郁『あきない世傳 金と銀 五 転流篇』」(2018年03月22日)

「読書雑記(254)高田郁『あきない世傳 金と銀 六 本流篇』」(2019年02月26日)

「読書雑記(266)高田郁『あきない世傳 金と銀 七 碧流篇』」(2019年08月19日)


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「第一章 追い風」
 半年ごとの、待ちに待った刊行です。
 これまでの話を思い出しながら、江戸浅草に店を出した五鈴屋江戸店の繁盛ぶりを確認できる一話です。7代目である幸の姿も、店の者も変わりません。
 大坂の医者修徳が書いた、掛け軸の10文字が読めないことが話題になります。今後、この言葉がさらに話題となり、折々の心に刺さる言葉になることでしょう。【3】

「第二章 修徳からの伝言」
 前章の掛け軸の文意がわかりました。儒学者の説明では、油断をするなとのこと。修徳からの戒めの言葉だったのです。郷里の摂津に学び舎を作りたいとのことです。話が、また新たな展開を予想させます。【4】

「第三章 凪」
 ハシカの大流行で、江戸市中では多くの人が亡くなりました。呉服屋への客足も途絶えます。蕎麦や里芋がハシカの治療に障るとのことで避けられます。街全体がひっそりとします。
 紫草が熱や痛みを取ることから、江戸紫の反物の切り売りが子供の鉢巻に良いということで、新たな需要が生まれます。意外な展開となります。
 なお、本作を執筆中には、作者は今大問題となっている新型コロナウイルス流行のことは予想だにしなかったことでしょう。校正の段階では、あるいは気付いたのかもしれませんが。刊行と共に、話題がそのまま読者の興味と結びつくことになりました。【3】

「第四章 恵比須講」
 麻疹騒動も一段落し、幸の店にも賑わいが戻り出します。そこへ、歌舞伎役者の菊次郎から、恵比須講の手土産とする江戸紫の小紋染めの注文が来ます。
 日本橋の両替商「音羽屋」との出会いがあります。話がまたさらに広がります。【2】

「第五章 百花繚乱」
 年末から年始への町の様子が生き生きとしています。幸の妹の結に、玉の輿の話が舞い込みます。しかし、それは二十歳も上の両替商である音羽屋の後添いでした。幸の妹への助言と判断は手際の良いものでした。【2】

「第六章 賢輔」
 五鈴屋の8代目を誰にするのかということと、7代目の幸の妹である結の結婚の話が見通せるようになりました。お店の業績も含めて、すべて安泰です。これからの物語が確実に動き出しました。【3】

「第七章 不意打ち」
 突然に降って湧いた上納金の話に、物語が緊張します。それまでが、順風満帆の流れだっただけに、今後の展開が楽しみになります。ここからが、高田ワールドです。読者としては、まってました、というところです。【4】

「第八章 思わぬ助言」
 幸の2番目の夫で失踪中だった惣次が、井筒屋3代目店主の保晴として現れます。物語は意外な人物の登場で、急展開の予感が漂います。惣次の助言は、上納金は止めておけ、というものでした。それなら、どうしたらいいのか、難題が投げ出されます。そんな中で、8代目のことに新たな道が用意されます。賢輔と結の結婚については、本人の意思が尊重されます。【4】

「第九章 肝胆を砕く」
 上納金の件も何とか片付きました。大坂からは周助が、白子からは梅松が来ます。次の話の準備が整いました。【2】

「第十章 響き合う心」
 型付師の力蔵と、型彫師の梅松が会います。上京したばかりの梅松は、力蔵の家で世話になることになりました。最強のコンビが一つ屋根の下で仕事を組むのです。そこに、図案を担当する賢輔が加わります。明るい、力強い作業の環境ができました。さらには、8代目までも決まったのです。【3】

「第十一章 百丈竿頭」
 賢輔は、干支の漢字を模様にする発想で斬新な文様を思いつきます。それを、白子から上京してきた梅松が彫るのです。これで、新しい小紋染めの世界が拡がります。そんな中で、また音羽屋が結との結婚を申し入れます。しかし、結は心に決めた人がいると、きっぱりと断わります。師走の話が本書の幕引きへと導く、章の数合わせのような短編です。【3】

「第十二章 怒濤」
 結の告白と賢輔の気持ちが、宙に浮いたまま話は続きます。8代目の話はうまく認められるようです。干支の型紙も年内にできました。ところが、意外な事態で本巻は閉じます。短い話なので、帳尻合わせのような章かと思っていたので、これには驚きました。最後に、読者の気持ちをぐっと摑み、次巻へと連れて行こうします。その巧みさには脱帽です。高田郁はエンターティンメントの世界を身に付け、着実に成長し進化しています。今後の活躍が、ますます楽しみな作家です。【5】
 
 
 
posted by genjiito at 19:02| Comment(0) | ■読書雑記

2020年03月19日

京洛逍遥(598)出町柳より鴨川下流の桜が開花

 今出川通の賀茂川と高野川の合流地点には、賀茂大橋が架かっています。いわゆる、鴨川デルタと言われる一角で、そこには、亀の飛び石があります。石の間が広いので、子供は渡るのが大変です。

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 三角州の鴨川公園や鯖街道の起点である出町の桝形商店街を、鷺が興味津々で見つめています。

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 ポカポカ陽気に誘われて、ここは若者たちの憩いの場ともなっています。糺ノ森から北山や鞍馬山の方を眺めると、ここが京洛の一つのポイントであることがわかります。

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 我が家の周りの桜はまだ蕾です。しかし、南下したこのあたりでは、早咲きの桜が開花していました。芽吹いた柳に咲き初めの桜、という取り合わせもいいものです。

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 今週末には、桜の開花がもう少し北上することでしょう。
 新型コロナウイルスのために、引き籠もりの日々となっています。
 半木の道の開花を待ち望んで、散歩がますます楽しみになります。
 
 
 
posted by genjiito at 19:39| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2020年03月18日

バスの座席から押し出された不可解な体験

 いつものように、仕事帰りに四条河原町からバスに乗った夕刻のことです。

 長い列の中程で、バスを待っていました。すぐ後ろにいた白髪のオジサンが、やたら体を寄せてこられます。年格好は、私と大きな違いはなさそうです。体格は、私よりも倍はあります。年寄りの方によくある態度なので、前に行きたいのかと思い、少し身体を引いて、前にどうぞというサインを送りました。しかし、それならお先に、と前へ行くのでもないのです。このご時世、こんなところで身体をくっつけるのも嫌なので、少し前に動くと、また詰めてこられます。新型コロナウイルスのことが、頭をよぎります。しかし、気持ちが悪くても、どうしようもありません。

 バスが来たので、順番に乗り込むことになりました。その後ろの方は私を抜かして、隙間から割り込んで乗ろうとされるのかと思いきや、そうする気配は見せながらも、そうなさるわけでもありません。その後ろからの不穏な気配を感じながら、私が一歩早くステップに足をかけることになりました。そして、乗り込むと、入口からすぐ横の席が空いていました。その席に座ろうとして、私が前屈みになって腰を下ろしかけた時のことです。その真後ろから乗ってこられた方は、私の肩を押すようにして、自分のお尻を巧みに使って割り込もうとされるのです。肩からかばんをはずし、座る態勢に入っていた私は、座席の前に押し出されました。転ぶのをやっとこらえ、何事かと思って振り向くと、ご自分は何食わぬ顔をして座るや否や、iPadを取り出して画面を見つめておられます。

 そんなに混んでいるバスではありません。後ろはスカスカに空いていたので、私はそちらに移動して座りました。
 前方に、その方の姿が見えます。手術後はメガネのフレームもなく、その方の様子もよく見えます。ところがなんと、乗ってから2つ目の停留所で降りて行かれました。

 一体、何をどうしたかったのか、その方の心の中がわかりません。心理学的には、こうした行動はどのように説明するのでしょうか。とにかく、興味深い体験をしました。
 
 
 
posted by genjiito at 20:01| Comment(0) | *身辺雑記

2020年03月17日

ミャンマー行き延期と翻訳本7冊のこと

 阪急京都河原町駅からの電車はガラガラです。バスもそうです。街は、人通りが絶えたようです。京都の街からは活気がなくなり、寂しい気分になります。かといって、多くの観光客で溢れ返るこれまでの京都にも辟易していました。両極端なので、複雑な思いでいます。
 観光というものをどのようにして街作りに取り込むかは、これまでにも議論されていました。しかし、ひたすら人さえ集まればいいという発想が主流で、住民や市民との接点は真剣に考えて来ないままでした。観光客が途絶えて窒息状態となり、とにかく観光客に来てもらってお金を落としてもらえばいい、という勢力に圧されていた問題が、今こうして表面化したのです。これまでの観光業者最優先とは異なる、住民のことも少しは考えた、あらたなビジョンが必要であり、すでにその動きはあります。拝金思想に凝り固まった観点を脱却した、これからの時代にあった受け入れ態勢の検討が始まっているのです。
 今回の新型コロナウイルスのことに端を発して、魅力ある健全な観光都市京都に向けて歩もうとする機運が生まれています。まだまだ混乱期の中とはいえ、課題に向けての推進力の一つとなっていることは確かです。

 そんな中、今週の21日と22日に、ミャンマーのヤンゴンで、作家で『源氏物語』の全訳を終えたばかりの角田光代さんの2日間のイベントが組まれていました。そのお手伝いで、私も参加することになっていました。しかし、新型コロナウイルスの問題から、先週金曜日に来年度に実施となり、今回のイベントは延期となりました。ディスカッションや対談が用意されており、いろいろと趣向を凝らした内容を練り上げていたところでした。準備は万端という状況だっただけに、非常に残念です。
 渡航などに科研費を充てる予定で進めていたので、その対処の手続きなどで今日は振り回されていました。事務の方々とうまく遣り取りできなかったこともあり、気疲れする1日となりました。

 研究室には、以前から発注していた翻訳本が7冊届いていました。『源氏物語』5冊と『枕草子』2冊です。
 翻訳本は、発注しても1割くらいしか入手できません。何年も発注し続けています。これも、根気で取り組むしかありません。こうした本の整理も、少しずつ進んでいます。

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posted by genjiito at 20:04| Comment(0) | ◎国際交流

2020年03月16日

「東京オリ・パラ」から「パラ」が消えた最近のメディア報道を糺す

 京大病院の眼科を退院した後、今日が初めての診察でした。
 視力測定や眼圧の検査の後、主治医の先生の診察です。
 まったく問題はなく、順調に回復しているとのことでした。
 一安心です。

 眼がよく見えるようになったこともあり、新聞や雑誌を読むのが苦痛でなくなりました。
 そんな中で、今月に入ってからメディアで「東京オリンピック・パラリンピック」と表現されていたものが、「パラリンピック」の文字が外れて「東京オリンピック」となっていることに気付かされました。私だけの偏見なのかと思い、周辺にいろいろと聞いてみました。すると、テレビのニュースをはじめとして、ニュース解説やバラエティ番組でも、「東京オリンピック・パラリンピック」の延期や中止に関することが話題になった今月からは、確かに「パラリンピック」という言葉が外れて「東京オリンピック」と言われているそうです。私の感触は、今日(令和2年3月16日)現在のところでは間違っていないようです。

 今年の8月下旬、8月22・23日(予定)に「文京区シビックセンター」においてバリアフリーカルタの全国大会が開催されます。眼の見えない方々が楽しんでおられる「バリアフリーかるた」である「点字付百人一首」が、「東京オリンピック・パラリンピック」に関連したイベントとして広く活動が紹介されるのです。これに関連した記事は、「[追補版]『かるた展望』に掲載された『四人一首』の記事」(2020年01月23日)を参照してください。この記事の後半には、別の『淡交タイムス』という冊子の中で、「オリンピック・パラリンピック」と「オリンピック」という表現が混在している記事が掲載されていることを取り上げています。目くじらを立てることもない些細なことだとはいえ、事実としてこれも参考までに紹介しておきます。

 こうしたバリアフリー活動の広報役を買って出ている私としては、現在、メディアが掌を返したように「パラリンピック」を付けない「東京オリンピック」という表現に流れている時流に、化けの皮が剥がれたのではないか、と思うようになりました。もちろん、意識的ではなくて、無意識に外れてしまっているのでしょう。これまでは、いかにも障害者への配慮をしているかのように装っていた記者や司会者やコメンテーターは、付け足しとして「パラリンピック」という言葉を添えていただけだったようです。今、新型コロナウイルス騒ぎに関連した「東京オリンピック・パラリンピック」の報道で、障害者への意識が本当は薄かったことを露呈してしまったのです。メディアのみなさんは、体面を保つために、無理をなさっていたのでしょうか。

 とにかく、「オリンピック」が延期か中止になるのでは、という記事や番組が多い中で、「パラリンピック」はこれからどうなるのかを報じているメディアは、果たしてあるのでしょうか。
 もしあるのであれば、ご教示いただけると、その報道を追って紹介したいと思います。きっと、心あるメディアは日本国内にあるはずです。そう信じています。今は、具体的にどこということが、私の情報網に入っていないだけにちがいありません。そうでなければ、口だけのメディアが心もなかったことになり、これからますますメディアが信じられなくなります。

 みなさんの身の回りで、新型コロナウイルスの報道の陰で「パラリンピック」という文字列が欠けている実態を、どうぞ実感してみてください。この人が、この番組も、という意外な体験をすることも大事かと思います。今は、関西を中心に聞いてみたところなので、関東やその他の地域はどうなのでしょうか。
 この「パラリンピック」という言葉が、「新型コロナウイルス」のニュースバリューに幻惑されて削られた報道がなされている実態が、この1週間の情報では確実に確認できます。どなたか、本格的に、この事実の推移の確認から、手始めに調査をなさいませんか。
 
 
 
posted by genjiito at 16:18| Comment(0) | ■視覚障害

2020年03月15日

新プロジェクト《源氏物語本文集成》が始動しました

 『源氏物語別本集成(全15巻)』(平成元〜14年、おうふう)と『源氏物語別本集成 続(第7巻まで)』(平成17〜22年、おうふう)が、完結しないままに10年の長きにわたって留め置かれていました。
 刊行が中断してからは、翻字に関して、変体仮名を正確に表記する「変体仮名翻字版」(当初は「変体仮名混合版」)に移行し、データをコツコツと蓄積して来ました。このことについては、「『源氏物語』を「変体仮名混合版」にする方針で一大決心」(2015年01月15日)に、その方針転換の詳細を記しました。そして、「昨日の「変体仮名混合版」の具体例と確認」(2015年01月16日)でさらに詳しく語り、「「変体仮名混合版」を後押しする手厳しくもありがたい批判(第15回)」(2015年01月17日)で問題点の一部を整理しました。この翻字方針の根本的な変更にともない、その凡例も見直して、次の2本の記事にまとめました。「『源氏物語』の翻字本文に関する凡例の改訂(その1)」(2015年01月18日)と「『源氏物語』の翻字本文に関する凡例の改訂(その2)」(2015年01月19日)がそれです。これ以降も、折々に翻字方針とその表記に手直しをして、本ブログで提示し、ご教示をいただいています。
 そうした流れを受けて、本日、『源氏物語別本集成』の実作業を担当した旧知の仲間3人が京都駅ビルに集い、『源氏物語別本集成』を引き継ぐ新たなプロジェクトとなる《源氏物語本文集成》をスタートさせました。新型コロナウイルスが問題となっている中、実に5時間もの話し合いをしました。もちろん、まだ詰め切れていません。しかし、こうした動きがあることを、すでに興味をお持ちの方々にお知らせすべきだと思い、ここに報告します。
 確認したことは、以下の通りです。もちろん、これはおおよその方針のメモであり、検討と作業を進める中で、変更も多々あろうかと思います。

(1)新プロジェクトの成果は、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉のホームページを通して公開する。
(2)一種類の写本を、全巻通してデータ化したものを公開する。
(3)手掛ける写本の優先順位は、まず池田本、続いて大島本、陽明本、尾州家本の順番とする。
(4)作成する翻字データは、「変体仮名翻字版」と「現行仮名版」の2種類とする。
(5)公開時の表示データは、上記(4)のデータをプログラム処理して利用に供する。
(6)公開するデータは、「文節の切れ目なし」「付加情報は非表示」で、平仮名と漢字の文字列とする。
(7)物語内容の相対的な本文の位置は、詳細な小見出しと参考文献の頁数で識別する。
(8)校訂本文も提供する。その際、大島本と校合した本文異同の注記は付けない。
(9)公開時には、さまざまな検索と表示が可能となるツールを実装し、利用者への便宜をはかる。


 このプロジェクトは、次世代に引き渡す『源氏物語』の本文データベースの構築と作成を目標とし、その成果をNPO法人〈源氏物語電子資料館〉が公開するものです。この事業に興味と関心のある方は、このブログのコメント欄を活用して連絡をください。具体的な作業内容が決まり次第、ご説明の連絡をいたします。
 なお、『源氏物語別本集成』がそうであったように、作業に参加してくださった方々のお名前は明記します。ただし、本プロジェクトは非営利活動であり、謝金謝礼などの対応はできないものであることを、あらかじめご了承願います。
 この件については、本ブログで随時報告しながら進めて行きます。
 
 
 
posted by genjiito at 21:46| Comment(0) | ◎NPO活動

2020年03月14日

歪みがなくなると物が大きく見えるのか

 白内障の手術をしてから、物が明るく、くっきりと見えるようになりました。世の中は、こんなに明るかったのかと。うれしくなります。
 また、部屋の中でメガネを取っ換え引っ換え着け外しする面倒くささから、完全に開放されました。おのずと、メガネを探すことはなくなりました。

 本屋さんで本を探している時、特に平積みの本などは、文庫本なのにやたらと大きく見えます。感覚的には、新書本よりも少し大きいようなので、単行本の大きさだと言えばいいでしょうか。あらためてその本を手にすると、いつもの文庫本の大きさだったりするのです。この本も新書で出たのか、と思って手にすると、実はそれが文庫本だとわかった時のショックは、どのように伝えたらいいのでしょうか。見える本の姿と、手にした大きさがあまりにも違うので困っています。

 以下、素人判断ながら、今の感触で書きます。
 高校に入学した16 歳の時から、私はメガネをかけています。30台からは、遠近両用メガネや中近両用メガネをかけて来ました。
 メガネのレンズと眼球のレンズを通して見たものの形を、経験値によって自動的に画像を微調整し、合理的な形にして脳に伝えていたのではないか、と思われます。これまでは、少し縮んだ形で脳に伝えられた本の四隅のコーナーを、自分の脳が適切に補正することで、形のバランスの不自然さを解消していたのではないでしょうか。とにかく、これまで見ていた本の四隅が、歪まないで鋭角に、しかも直線のまま、縮まないで大きく、きっちりとした長方形の画像として眼に飛び込んでくるのです。この変化は、眼が常に自動的に大きさを補正していたのに、その必要がなくなったため、としか思えません。
 以上、あくまでも個人的な感想と推測からのことです。
 それにしても、ありがたいことで、非常に得をした感じがしています。

 今回の手術では、単焦点レンズで50センチという近距離にピントが合うものを着けていただきました。そのため、遠くはぼやけています。このまま視力が安定したら、遠くがよく見えるメガネを調製してもらい、外ではそのメガネをかけるようになります。3ヶ月後くらいが、そのタイミングだそうです。多焦点レンズは、今の技術ではまだ遠近のピント合わせは中途半端だとのことでした。そのため、仕事優先の、モニタと手元の資料がくっきりと見える単焦点のレンズを選択しました。

 私の生活は、部屋の中での仕事が中心となっています。ゆっくりと、今の環境で眼を慣らしていくつもりです。外歩きが多くなる春から夏へと、持ち歩くメガネで風景や標識を見る生活が加わることになります。また、楽しみが増えそうです。
 
 
 
posted by genjiito at 19:29| Comment(0) | *健康雑記

2020年03月13日

京洛逍遥(597)半木の道の蕾たち

 白内障の手術をしてからは、賀茂川散歩でも見える色や形が違ってきていることを実感しています。鮮やかでくっきりと見えるので、歩きながらキョロキョロするのが楽しくなりました。

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 今日は、植物園の西側にある賀茂川沿いを南北に連なる半木の道の桜が、蕾を震わせている姿を楽しんで来ました。

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 蕾たちの様子を、たくさん写真に収めたので、その一部を取り出してみました。何の変哲もないものかもしれません。しかし、小さな蕾がおおきくなろうとする姿には、我が家の子供たちが大きくなる時に、身体の骨が音を立てて伸びていた時のことを思い出させます。痛い痛いと言って泣いていた時もあります。
 この蕾たちは、これからどんな音をたて開花していくのでしょうか。
 「ギコギコ」「ボキボキ」「ユサユサ」「プッチンプッチン」「?」
 泣き声も聞こえるのでしょうか。

 昨日と同様に、背景には比叡山が聳えています。
 それぞれの写真をクリックすると、さらに精細な写真が見られます。

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posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2020年03月12日

京洛逍遥(596)賀茂川沿いと植物園の桜

 すっかり陽気は春です。桜の開花の様子を見に、賀茂川へ出かけました。
 新型コロナウイルスのため、会社では自宅で仕事を奨め、学校などは休校になっているため、大人も子供も散策に出ている人が多く見かけられます。
 幼稚園の一団も、数組見かけました。

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 河原では、同好の士の撮影会でしょうか。

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 半木の道では、比叡山をバックにして、かわいい蕾を写しました。

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 府立植物園では「早春の草花展」をやっていたので、散策の途中で入ってみました。

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 入口では、感染予防のために、チケットの受け渡しはありません。各自が半券を千切って箱に入れるようになっていました。

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 春になると、チューリップで埋まる花壇です。

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 園内では、さまざまな桜が花を咲かせていました。

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 桃もみごとに咲いています。

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 柳も、これからますます新緑の色を深めていきます。

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 大広場では、子供たちが大はしゃぎをしていました。

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 菜の花も、鮮やかな黄色の垣根を作っています。

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 ここは、もう一足先に春です。
 
 
 
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2020年03月11日

読書雑記(280)松本薫『日南X』

 『日南X』(松本薫、日南町観光協会、2019年9月、全497頁)を読みました。

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 池田亀鑑賞のことでお世話になっている、鳥取県日野郡日南町が舞台のミステリーです。特に、生山駅周辺が中心です。もっとも、この駅の周りは特徴がないので、イメージを作り上げることは容易ではありません。日南町役場を、もっとクローズアップすれば、日南町のイメージ作りは可能だったのではないでしょうか。
 まず、巻頭に置かれた「日南町全図」に見入ってしまいました。あらためて、この地の地理的な状況を知ることができました。
 清張の父が矢戸の生まれであることが語られます。しかし、ここでもそうであるように、前半は事実が先走りしていて、読者は後追いで話を追いかけさせられます。語り方の問題だとしても、読者と一緒に説明がなされていく方が、読む者としては楽に読み進められます。
 オオクニヌシが亡くなったとされる神社で、見つけられた死体がすぐに消えます。その死体のそばに紙切れが落ちていました。ここは、次のように語られています。新聞記者である牟田口直哉は、娘の春日が拾ったこの紙切れを「捨てておけ」と言います。どうも変なやりとりです。

拾った紙きれのことを思いだした春日は、ハンガーに吊るしてある制服から取りだし、くしゃくしゃに丸められたそれをテーブルの上で広げた。
[荒ぶる神と闘うため、大国主命は甦る](注・枠囲い)
 ワープロで書かれたらしい文字で、そう記されていた。
「倒れていた人のそばにあったん。腕は縮こまってる感じで、そのちょっと先に落ちてた。赤猪岩神社はオオクニヌシが生き返ったところらしいけど、どういう意味なんやろ」
「うーん、ようわからんな。倒れてたのは、高齢の男の人だったんだよな?」
「うん、歳はようわからんけど、おじいさんっぽい人やった」
「けど、その人はおらんようになった……」
「うん……」
「まあ、ほかしとき」
「うん……」
 娘の話は直哉も気になるが、かといって今のところはどうしようもない。(59〜60頁)


 この紙切れは、どう見ても大切な証拠となる遺留品です。そうであるのにこのような対応を新聞記者がすることに、不審な思いを抱きました。登場人物の非現実的な言動に、作者の真意がどこにあるのか違和感を感じました。もし、娘が本当にこれを捨てていたら、この物語はどうなるのでしょうか? オオクニヌシとの接点がなくなります。自爆行為です。もちろん、オオクニヌシの取り上げ方も中途半端です。読者のどなたも、共感は得られないことでしょう。
 後に、父はこの紙切れに書かれたメモのことを思い出します。

「奇妙な話やなあ。そういえば、春日が拾った紙にも『大国主命は甦る』と書いてあったよな」
「うん。この事件が『古事記』のストーリーを真似てるとしたら、犯人はきっとオオクニヌシやわ」
 直哉は「おいおい」と苦笑いしたが、春日にしてみれば大真面目だし、それは昼間に青戸純平がいったことでもあった。例の紙きれを見た純平は、
「これ、オオクニヌシがよみがえって悪い神をやっつけるっていう意味だろ。だとしたら、大石見神社でも何か起こるかもしれない」
と不吉な予言をしたのである。それが当たってしまったことになる。(75頁)


 しかし、まだその意味には言及されません。わざと関係ないかのような書き振りです。作者の大きな失態だと思います。その後は、この紙切れが謎解きの一つのアイテムとなるのですから。
 さらには最終章で、「あの紙きれにこだわってここまで追いつめた。大したもんだ」(456頁)とあります。「紙きれにこだわった」というのは、あくまでも途中からであって、最初は不自然なほどに、まったく無関心だったのです。「まあ、ほかしとき」と言ったのですから。このあたりも、一貫しない語り口だと言えます。
 また、巻頭の地図に、赤猪岩神社が見当たりません。そして、大きな地図の方にありました。米子の近くです。大石見神社は記されており、次のように語られています。

地図で見ると、赤猪岩神社と大石見神社のあいだは、直線距離でも三十キロメートル近く離れている。死なないまでも重傷を負った人間が、自分で移動することは考えられないから、だれかが運んだのだろうが、ただしその場合でも、背中の刺し傷はどうなったのかという疑問は残る。(74頁)


 殺害された死体が放置された赤猪岩神社がどこにあるのか。これは、話を具体的にイメージするのに必要な情報です。それが、あまりにも遠いところにあるので、話の脈絡が寸断されます。大石見神社は、井上靖と縁の深い上石見駅の近くにあることは、巻頭の地図からわかります。そこから花見山に向かって道を入ると、池田亀鑑が生まれた家や通った小学校がある神戸上があります。それなのに、大石見神社と直線距離で三十キロメートルの赤猪岩神社の場所が、なかなかわからなかったのです。
 読み進んでいっても、人間関係がどうもすんなりと頭に入りません。説明が途切れ途切れとなり、言い差しのままで進むので、誰と誰がどうしたということがよくわからない内に、話だけは進んで行きます。もったいないことです。
 話は、日南町が町村合併した昭和20年代からのこと、リゾート開発とゴルフ場問題、そしてオオクニヌシにまつわる謎が、それぞれ並行して展開します。松本清張やシベリア抑留のことも話題となり、ネタは豊富です。しかし、それが小出しなので、読者は話に集中できず、途切れがちなので読み続けるのに疲れます。読者を惹きつけておく小説作法が必要だと思いました。
 中盤から青戸要一が逮捕されるくだりは、おもしろく展開し、読まされます。青戸要一を最初から出して、その軸を回しながら物語を編むことも可能だったように思います。その方が、緊張感のある物語となったことでしょう。
 また、佐埜喜久雄という人物も、もっと丁寧に登場させたらよかったと思います。青戸と佐埜の登場が遅いため、前半がゆるゆるの話になったのです。
 殺された男から偽名で春日の元に届いた手紙は、父に渡してほしいというものでした。そのことが、しばらく放置されます。父が大阪に出張中だとしても、事件に関する大事な手紙だという認識がある春日が何も手を打たないのは、あまりにも不自然です。こうしたあたりへの目配りが、本作には散見します。読む方が「忘れてませんか」とハラハラします。物語の構成に関わることなので、細部への詰めが行き届いていないようです。
 さらには、『冬景色』の歌詞を書いた紙の扱いがぞんざいです。犯人の関係を暗示する重要なカギとなるものです。それが、電話ボックスに落ちていたりするのです。また、その歌詞の中の「こずば」を「木庭」に当てるのは、あまりにも無理があります。
 後半になって、さまざまにうごめいていた人々が、急に地縁や血縁で収斂していきます。いかにも作り話に仕立てた舞台裏がさらされ、冷ややかに読み続けることになります。また、木庭修造、佐埜喜久雄、牟田口直哉、その母親の関係は、最後になって明らかにされます。後出しジャンケンです。

 この物語を読みながら、ポケットベルを使って連絡を取る姿には、イライラさせられました。今の若い読者は、ポケットベルすら知りません。謎を解くのに、通信手段が旧態依然のため、タイムラグで物語が遅滞するのはもとより、迅速な情報交換ができていません。
 この作品の時代設定は、平成4年、1992年です。携帯電話の歴史から見ると、1990年代半ばより第2世代移動通信システムサービスが始まり、通信方式がアナログからデジタルへと移行しています。本書の刊行は2019年9月で、あとがきは7月となっています。20世紀から21世紀にかけては、通信が急速に変化した時期です。私がインターネットに『源氏物語』のホームページを公開したのは、1995年9月でした。今でも文科系でのホームページの草分けといわれているのは、本ブログで何度も書いた通りです。そんな、通信環境が劇的に展開した時代を背景にするリスクは、幅広い層に読んでもらうためにも何とか回避すべきでした。
 そうしたことを思うと、スマホでなくてガラケーでいいので、移動式電話を駆使しての調査、捜査情報のやり取りをする展開にすべきでした。
 たとえば、新聞記者である父が大阪に出張している時に、娘のもとに殺された男から真相を記した封書が届きます。そのことを父に伝えようにも、ポケットベルでは返信を受けることの煩わしさから、先延ばしにします。その部分を引きます。

根雨駅前の電話ボックスから支局にかけると、ナベケンが出て、父は昨日から大阪へ出張中だと教えてくれた。
「今日には帰るっていってたんだけど、予定が延びて明日になるそうだよ」
「そうなんですか」
 封筒は鞄に入れて持ち歩いており、今日にも一度家に帰って渡すつもりだったのに、あてがはずれた。
「何か急ぎの用事があった?」
「うん、ちょっと」
「ポケベル鳴らしてみたらどうかな」
 そうですね、といって春日は電話を切ったが、父のポケットベルを呼びだすつもりはなかった。休日でも来ている先生はいるから取り次いではもらえるだろうけど、学校に電話がかかってくるのは嫌だったし、用件だけ伝えることに意味はない。
 それにしても、父さんはなんでこんなときに大阪なんか行ったんや!(277頁)


 電話は取り次ぎによって利用されていた時代です。この時点で、この物語はすでに窒息状態となり、今の感覚では理解に苦しむ、こじつけのような理屈が必要になってしまったのです。それを避けるためには、携帯電話がまだ普及する前の古い時代の話だ、ということをもっと強調しておくべきでした。とにかく、若い読者はこうした後手にまわる連絡方法には、ついていけないことでしょう。理解が及ばないことなのです。その加筆補訂の労を惜しんだために、若者にはこの時代遅れの社会的な背景の設定が、理解と共感を得られないものとして最初から立ちはだかってしまった、と言えます。
 エピローグでインターネットのことに触れています。しかし、時すでに遅しでした。
 後半からは、情に訴え掛ける手法で、感動的に語られます。そうであれば、序盤を大幅に縮小し、ミステリー仕立てではなく人間関係と郷土をテーマとする物語にしてはどうだろう、と思っています。作者には失礼ながら、松本清張、井上靖、シベリア抑留、が中途半端に扱われているので、それらは割愛したらいかがでしょうか。松本清張と日南町、井上靖と日南町については、あまりにもそっけない扱いです。紹介にもなっていません。かといってこの2人を取り上げると、情報が膨らみすぎます。それでなくとも、今の500頁もの物語は、町民が読むには負担です。町民に読んでもらうことを配慮するなら、半分の分量の250頁位が限度でしょう。
 シベリア抑留についても、私の父が戦後シベリアへ連れていかれ、強制労働に従事させられたことは、本ブログで何度も書きました。本作では、シベリアでの思想教育について触れています。しかし、現在その実態は、どこまで明らかにされているのでしょうか。父も、その教育に加担していたようです。しかし、最後まで父は、具体的には証してはくれませんでした。この問題も、本作のようにさっとなぞる程度では、命をかけてシベリアの地で生きた関係者に対して、失礼だと思います。軽く見過ぎだと思いました。少なくとも、私の父がこの本を読んだら激怒することでしょう。シベリアで生きた人間の本質を見ずに、適当なことを書くなと言うはずです。犯人たちがシベリアから帰還したことと関係するので、余計に私はもっと調べて書いてほしかったとの思いが残りました。ネタにしてミステリーで扱うには、あまりにも重いテーマが背景にありすぎるのです。
 そうしたことを整理して、物語前半の割愛と、松本清張、井上靖、シベリア抑留の話、そしてオオクニヌシのことなども再考して削ぎ落としたら、もっと日南町の良さが滲み出る、過疎化が急速に進む町で展開する、人間の物語が生まれることでしょう。
 日南町で池田亀鑑文学碑を守る会の事務局長をなさっている久代安敏さんとは、2009年12月に感動的な出会いがありました。「日南町議の久代氏と思わず握手」(2009年12月15日)それから、その後は10年の長きにわたり、毎年お付き合いが続いています。
 そんな縁のある日南町と日南町のみなさまに愛着を持つ者の一人として、本作品はスリム化を図った改訂を施すことにより、さらに日南町のイメージが浮かび上がる物語に再生されるでしょう。作品の改稿や改変はよくあります。いい作品に生まれ変わることを楽しみにしています。
 
 
 
posted by genjiito at 21:07| Comment(0) | ■読書雑記