2018年08月19日

帰国の日のことと機中で観た映画

 リマを離れる前に回転寿司をいただいた後は、もう一度セントロ(旧市街)を歩きました。

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 まず、アルマス広場に聳えるカテドラルに入ります。征服者フランシスコ・ピサロの遺骨(ミイラ)を納めているとされる棺を見ました。
 また、カテドラルの地下には、死者を葬る洞窟があります。イタリアのローマで見た時には、これをカタコンベと言っていたと思います。パリやウィーンでも見ました。骸骨や遺骨などが自由に見られるようになっているのです。しかし、あまりにもリアル過ぎるので早々に切り上げて、この街のメインストリートであるウニオン通りに行きました。

 先日と同じように、視覚障害者がギターの弾き語りをしておられました。直接いろいろとお尋ねしたいことはあります。しかし、状況がまだ理解できていない上に時間がないこともあり、今回はパスしました。またの機会にします。

 リマの空港で、お土産にお茶を買おうとした時です。私が手にしたコカ茶は、日本では麻薬のチェックにひっかかるとのことです。店員さんは、日本なら規制が厳しいので、それはやめた方がいいと、笑いながら(?)おっしゃいます。空港で手荷物を受け取った時に、麻薬犬などに吠えられたら大変です。私が手にしたお茶の横にあった、よく似たパッケージのものなら大丈夫だとか。

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 よくわからないままに、言われるがままに、店員さんが無難だとおっしゃるものにしました。もしそのことが本当ならば、しっかりと注意事項を表示をしておいてほしいものです。

 ペルーのリマを発ち、アメリカの乗り換え地であるヒューストンまで、深夜に飛んで7時間。眠くもないので、映画を2本観ました。この選択理由は、上映説明がすべて英語だったので、私がわかる範囲で読み取って試しに観た、というのが正直なところです。動機が不純だったにもかかわらず、満足する内容でした。

(1)「パウロ キリストの使徒」(2018年に全米で公開)
  ルカとパウロとキリストの関係を知らないままに観たので、いろいろとわかりました。

(2)「祈りの幕が下りる時」(2018年、東宝)
  豪華な出演者で楽しみました。松本清張好きの私には推理に不満を感じます。


 今回の航空会社はユナイテッド航空です。終始、アテンダントの方々の態度が不愉快でした。
 通路側にいた私の席に、3回も四角い金属製の運搬車をぶつけられました。よく膝頭が粉々にならなかったものです。食事の配膳にはナイフもフォークもなかったので、身振り手振りでないことを伝えました。食事の時に私が注文した飲み物は、よそ見をしたまま別の人に渡した後、その人が違うと言うとやっと私が手を挙げていることがわかるという始末。真横でサーブしていてこの醜態です。注意力が散漫です。隣の人が落とした枕は、サッカーよろしく蹴り上げてキャッチ。後ろの配膳エリアでは、アテンダントのみなさんが寄り集まって高笑い。その金切り声がうるさいこと。

 ユナイテッド航空には滅多に乗らないので、いつも大体こんなものなのでしょうか。日本の航空会社ではあり得ないことだと思います。自由を標榜される国の方々は、とにかく気ままに楽しく勝手に自分流で仕事をする、ということなのでしょう。こうしたことは書くとキリがないので、これくらいにしておきます。

 ヒューストンでウツラウツラしながら、成田行きの乗り換えで3時間ほど待っていたら、ゲートからの放送で私の名前を呼んでおられるのです。慌ててカウンターに行くと、あなたが最後だと笑っておられます。乗り遅れるところでした。この一週間の疲れが押し寄せて来ているようです。

 今度のユナイテッド航空のアテンダントの方は、ごく普通の対応でした。これから約14時間の空中輸送の身となります。

 機内での映画は、次の2本を観ました。

(3)「嘘八百」(2018年、ギャガ)
  大阪・堺市を舞台に古物商と陶芸家が「幻の利休の茶器」をめぐる喜劇。大いに楽しみました。

(4)「八年越しの花嫁 奇跡の実話」(2017年、松竹)
  病気がらみの物語には自分を照射して観る癖があるので非常に苦手です。


 預けた手荷物は成田で受け取りました。そして、出発の時に借りたWi-Fiルーターを返却し、伊丹行きのANAに乗り換えました。
 アテンダントの方々の態度が、それまでの方々とは明らかに異なります。気にならないというか、ごく自然に対応しておられると思えるのです。日本を贔屓目に見てではなくて、安心感の質が違います。社員教育のせいでしょうか。受け止め方の違いなのでしょうか。
 何はともあれ、多くの成果を携えて、ごく普通に帰ってきました。
 さて、これから集まった資料や情報の整理です。
 
 
 

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2018年08月18日

リマの回転寿司の地元指向に好感を持つ

 お盆の関係で、本ブログでの記事が前後します。
 3日前のペルー・リマでの話、「パチャカマック遺跡を探訪」(2018年08月15日)の続きから書きます。

 12日(日)は、早いもので帰国の日です。稔りの多かった旅だったので、最後はやはり回転寿司です。
 世界の回転寿司マップを作ることをテーマにして、すでに25年になります。今年2月に行ったインドも、3月のミャンマーでも、回転寿司はありませんでした。しかし、このリマにはありそうです。根拠はありませんが。

 ネットを調べてみると、あっても今はなかったり、リマ市内からは遠すぎたりと、なかなか適当なものがみあたりません。それでも、不思議なことにいつも出会えます。今回もそうでした。

 昨夜は、ホテルの方の話を参考にして、繁華街に行きました。ただし、回ってはいなかったので諦めました。その寿司屋の入口におられた案内嬢は、きれいな日本語で「日本にならあるけど、ここにはありませんね。」とのこと。日系4世でしょうか。きちんと日本で日本語を勉強した、しっかりとした日本語でした。

 さて、帰国は今日の深夜0時半発の、リマからヒューストン行きの飛行機に乗ります。そこで、まずはチェックアウトをし、キャリーバッグなどの荷物はフロントに預けてから、あらかじめ見つけておいた郊外の回転寿司「なごや」へ向かいました。

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 ペルーと日本の料理の融合を目指す、その心意気に好印象を持つ店でした。お店の方は、寿司職人さんはこざっぱりとした板前姿、ホールは黒のスーツで決めておられます。女性店員も、フォーマルなスーツ姿でした。客層がわかります。お客さんは、リマっ子が一番多いそうです。

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 ポン酢を頼むと、すぐに出て来ました。東京では、ポン酢がなかったり、なかなか出てこない店が多かったことに比べても、対応がいいと思いました。スペインでは、ポン酢が市民権を得ているのです。東京もそうなってほしいと思いました。
 そういえば、スペイン料理には、すっぱいお漬物のようなおかずがいくつもあったように思います。

 クスコに「トルーチャ」のお寿司があり、アマゾンでは「ピラニア」のお寿司もあるとか。世界各国のお国柄を反映したお寿司があります。それらが回っているという情報が入ったら、あらためて出かけましょう。
 とにかく、食べ物が動くところに日本特有の文化があるのです。料理を待っていたら運んでもらえる、というのではありません。目の前を流れるものを、瞬時に取るか取らないかを判断します。そして、食べたいものをサッと取ります。なければ注文します。そして、自分がいただいた量や料金は、皿の数を見ると一目瞭然です。
 消化管を持たない私などは、その日の体調に合わせて、寿司の質も量も調整できるので最適な食事パターンが組めます。改良点は、サラダなどの野菜ものを流してもらわないと、血糖値が乱高下して困ります。

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 このお店のレーンに流れているお寿司は、巻物が中心となっています。もっとも、それが非常に凝っているので、ペルーの方々にお寿司の楽しさを伝えたいという、信念を持ったこだわりが伝わってきます。日本で見かけないものが多いので、創作巻き寿司と言えばいいのでしょうか。

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 ペルーの食材やソースが巧みに配され、地元の人を強く意識したお寿司でありながら、日本を感じさせる新しいスペイン料理です。日本人はもとより、日本からの観光客はほとんど意識していないようです。もっとも、そんな観光客が来る地域ではありませんが。

 お願いを聞いていただけるのであれば、何が乗っているお寿司なのか、何を巻いているのか、ポップなプレートをつけてほしいと思いました。
 そのため、日本人からは日本のお寿司をモノサシにした、これはお寿司とは違うという見当違いの酷評を受けなくてすみます。日本を離れて、現地の実情に合わせた寿司が提供されるのが一番です。その方向性を、この回転寿司屋は目指しているように思えます。日本人の御機嫌取りをしていないところが気に入りました。

 にぎりもお刺身も今回は見合わせて、創作の巻物と味噌汁を楽しみました。チーズをうまくアレンジしているようです。このお店のポリシーを考えると、大阪寿司や箱寿司を取り入れたらいいと思いました。

 今日は、14,000歩は歩きました。とにかく、リマという街を通してペルーの文化が知りたくて、いたるところを歩き回りました。この幅広い見聞が、翻訳された文章を確認するときに役立つのです。
 
 
 

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2018年08月17日

新しい住職さんをお迎えしてのお盆

 この記事は、日にちが遡った一昨日のお盆のことです。

 これまで、養林庵の庵主さんにお盆にお越しいただき、読経をお願いしていました。90歳を超えておられるのにお元気です。いつも楽しい話をしてくださいます。

「今年のお盆でもお元気な養林庵の庵主さん」(2017年08月15日)

 その庵主さんが、昨秋11月にお亡くなりになったそうです。そこで、養林庵の近くのお寺の副住職さんが、養林庵に後任として着任なさいました。

 今年からは、新しい住職さんがお見えになりました。

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 お若い方なので、読経にも活気があります。
 引き継ぎの最中とのことで、我が家のことをいろいろと聞いて行かれました。
 実は、お寺の檀家管理にコンピュータが活用されたのは、日本のコンピュータの歴史の中では初期のことでした。私が半角カタカナで『源氏物語』のデータベースに挑戦していた頃、すでに全国のお坊さんたちが試作版を公開しておられたのですから。お経のデータベースも早かったことを思うと、仏教とコンピュータは、意外と相性がいいのかもしれません。

 明日に控えた京都五山の送り火のために、如意ヶ岳ではその準備が着々と進んでいるようです。

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 午後は、いつものように大阪府八尾市高安にある信貴霊園へお墓参りに行きました。
 大阪湾を望んでも、淡路島は見えませんでした。

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 帰りには、これもいつもの定番となった、鶴橋の回転寿司屋「海幸」で精進落としです。
 毎年、同じことを決まりごとのように行なっています。
 これも、日々平安だからこその年中行事です。
 もろもろに感謝しながら、明日の送り火を見届けて夏を越していきます。
 
 
 

posted by genjiito at 06:00| Comment(0) | 身辺雑記

2018年08月16日

京洛逍遥(507)雨上がりの後で京都五山の送り火-2018

 一昨日、無事にペルーから帰国しました。
 成田から伊丹に向かう機中で、眼下に富士山が見えた時には、地球の反対側から移動してきたことを実感しました。

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 現地での調査では予想外に収穫があり、書くことが多くて報告が帰国時に追いついていません。思い出しながら、後日追い追い書き残していきます。

 そんな中、今日は京都五山の送り火でした。
 如意ケ嶽に点る大文字は、いつ見ても見飽きません。
 今日も、午後8時前に出雲路橋の南で点火を待ちました。
 桜と同じで、「咲き初め」と「満開」と「散り際」のどれがいいのかは、人それぞれのようです。どれか一つに決めることはないものの、私は咲き出した時が好きです。
 同じように、五山の送り火も、点火直後からしだいに炎が燃え盛る様子が気に入っています。火床の点がつながり、そのまわりが明るくなり、「大」の文字がその字の形を整えて力強い線になっていくのがいいのです。

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 大文字が消えかかった頃には、左手の松ヶ崎の「妙」「法」がきれいに見えます。もっとも、これは街中の小さな山の中腹に点灯されるので、上半分しか見えません。

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 さらに左手には、西賀茂の船形もくっきりと夜空に浮かび上がっています。

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 今年も無事に送り火が終わりました。
 御先祖さまに感謝しつつ、また夏の暑さに立ち向かっていきましょう。
 
 
 
posted by genjiito at 23:52| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2018年08月15日

パチャカマック遺跡を探訪

 高速道路にバスの専用停留所がありました。地下鉄の駅の機能を果たしていると思えばいいのでしょうか。

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 バスに乗り、パンアメリカンハイウェーを一気に30キロほど南に下ります。これは世界一長い高速道路で、南端が南極。北へ向かった行き着く先は北極だとか。

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 南極の氷の中には、平安時代に書写された『源氏物語』が流れ着き、今も氷の中に閉ざされて目覚めを待っている、と私は勝手に思っています。国文学研究資料館にいた時には、国立極地研究所と庁舎が同じだったので、南極観測船「しらせ」に乗せてもらって行きたいと願っていました。ついに果たせないままに退職となった今、その南極に行けそうな所に、期せずして今いるのです。もうすぐのところに南極があります。夢はまだまだ持ち続けていきます。

 バスは、スラム化した地域のそばも走っていきます。

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 パチャカマックは、インカにいたる1500年もの長きにわたって、巡礼地として栄えた街です。今回行った遺跡には、20近くものピラミッドがあったという説もあるようです。それらは、スペイン人による征服後は砂漠の中の廃虚となりました。
 まずは、パチャカマック遺跡博物館から見ました。

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 私が一番興味をもったのは「結縄(けつじょう)」です。紐を結んで、その結び目に意味を持たせるものです。これを見て、点字でも明治初年には、このような方法で文字を伝えたことが思い合わされたからです。

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 今もペルーで活躍中の、現職の新進気鋭の考古学者と、幸運にも一緒に来ているのです。いつでも、何でも気軽に聞けます。贅沢な時間と空間を独り占めにしているのです。
 もう7年も前のことです。在カイロの若手考古学者であったYさんは、カイロ大学の先にあるギザのピラミッドへ、1日を潰して私を案内してくださいました。さすがに、現地を掘っている方だけあって、説明が生き生きしていました。どんな質問にも答えていただけました。

「【復元】人との出会いの背景にあるもの」(2011年02月03日)

 そのYさんが、何と私と同じ大学の後輩だったのです。私も学芸員の資格をとるための実習では、登呂の遺跡へ行きました。子育てをしていた頃は、地元の奈良で貴重な発掘があると、土日の現地説明会に子供を連れて行ったものです。そのせいか、娘は遺跡の瓦の勉強をするようになりました。掘ると何かが出てきて、歴史の一面が物によって明らかになります。おもしろい学問です。
 その時の体験が、今また蘇っています。

 パチャカマック神殿の遺跡を探訪するために、ただひたすら歩きました。6キロは歩いたようです。

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 掘り出された骨が放置されていたりします。

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 歩きながら、エジプトのギザやイタリアのポンペイを歩いたことを思い出しました。ただし、決定的な違いは、ここが文字を持っていなかった、ということです。アンデス考古学の研究者である同行者は、わからないことだらけであることを道々語ってくださいました。文字がなかったことで、研究者としてはかえって自由に考えられるのだそうです。書かれた文字を見つめている私にとって、意外な視点からの問題提起をしていただきました。異分野の方との話からは、多くの刺激がもらえます。

 帰りは、バス停までモトタクシーに乗って移動しました。これは、インドではオートリキシャと言います。タイ、ラオス、ポルトガルなどでは「サムロー(トゥクトゥク)」と呼ばれているものです。

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 魚を売るおじさんや、包丁を研ぐおじさんがいました。

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 帰りのバスは満員で、市内まで立つことになりました。ところが、後ろの方で立っていたら、一人の若者が席を譲ってくれたのです。異国で年寄り扱いを受け、ありがたいと思う反面、どうお礼を言っていいのやら戸惑いました。

 今日は遺跡を歩いたこともあって、万歩計は22,236歩になっていました。
 
 
 
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2018年08月14日

地方料理である鼠の唐揚げをいただく

 今回宿泊中のミラフローレスのホテルでは、毎朝決まった朝食をいただいています。

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 野菜が極端に少ない食事が多いので、果物で補います。糖尿病のことは頭の片隅に追いやりました。旅先での血糖値管理は難しいものです。一週間ほどの海外生活なので、体調管理が最優先です。

 アンカッシュ地方の山の料理で、日本では食べられないものがあるとのことです。
 何にでもチャレンジをして来た私は、これにも反応しました。

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 まずは、羊の足と頭の料理。

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 少し生々しい臭いがしましす。しかし、美味しいスープと食感を楽しみました。日本でいえば、羊のモツ煮とでも言えばいいでしょうか。

 次は田舎料理として知られている豆(タルウィ)の酢漬け。寿司好きの私には、食べやすい味でした。

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 さらに、カブリートは、ヤギの煮込みです。私の小学生時代には、牛乳は贅沢な飲み物だったので、ジュースを入れるガラス瓶に入れて毎朝配達されるヤギの乳を飲んでいました。少し草臭いヤギには慣れていたせいか、特に匂いもなく美味しくいただきました。

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 さて、いよいよ難題の鼠の唐揚げとなりました。
 クイという鼠で、天竺ネズミとも言うそうです。これは、今ではモルモットとして知られている鼠の一種だとか。

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 足の先が五本あるのが鶏との違いだ、と言われても、その姿形は目の前の唐揚げとは重なりません。5,000年前頃からペルーで食べていたそうで、主にお祝いの時に食べてきたようです。

 夜は、バランコという街を散策しました。ペルーならではの音楽を聞きに行ったのです。
 この日はお祭りがありました。街全体が整然としており、夜なのに上品な活気と熱気があります。

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 小路に、モトタクシーを見かけました。インドのオートリキシャです。これは、なんとしても今回の旅の中で乗ってみたいものです。

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 リオの音楽を楽しむために入ったのは、「ドンポルフィリオ(Don Porfirio)」という、いわばライブハウスでした。著名なお店ということもあってか、若者から中高年まで、幅広い方々が集まっています。

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 このお店の隣には、ペルーで盛んな民族舞踊のレッスンスクールがありました。ここでは、子供たちが大人顔負けに、楽しそうに踊りに打ち込んでいます。先生も真剣にアドバイスをしています。部屋の一画には、お母さんたちが自分の子どもの練習を見つめておられました。

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 さて、ライブ会場の中では、年配の方が円熟味を感じさせるダンスを見せてくださいました。

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 男女のダンサーは、ハンケチを振りながらの熱演です。会場は湧きます。

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 朝3時までやっているということです。明日の予定があることもあり、日付が変わった頃に会場を出ました。
 
 
 

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2018年08月13日

エレナコハツ図書館で確認したスペイン語訳平安文学

 日秘文化会館の中にあるエレナコハツ図書館には、膨大な図書が収蔵されています。その中から、特にスペイン語に翻訳されている日本の平安文学に関する書籍で、開架分の書影だけを掲出しておきます。翻訳本が書架の他分野にも散在していたため、これがすべてではありません。現時点で私が目視できた範囲で、ということをお許しください。

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 以下は、単なる情報の羅列です。しかし、翻訳から見る日本文化の変容の実態を研究する上で、今後に活かせる情報となることでしょう。悉皆調査とはほど遠いものではあるものの、情報が乏しい今を知るためにも、このような断片的な実態報告も有益かと思います。
 書名などが不明なものも多いので、ご教示をいただきながら補正していきたいと思います。

エレナコハツ図書館所蔵〈スペイン語訳平安文学リスト〉


※【英訳】サイデンステッカー訳と末松謙澄訳
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【スペイン語訳】

『源氏物語』
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『古今和歌集』
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『伊勢物語』
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『土左日記』
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『蜻蛉日記』
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『枕草子』
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『更級日記 他』
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『虫愛づる姫君 他』(?)
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(和歌)
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2018年08月12日

日秘文化会館でペルー版『源氏物語』の出版にまつわる話を聞く

 日本大使館の近くにある日秘文化会館において、ペルー日系人協会出版基金から刊行されたスペイン語訳『源氏物語』について、その出版にあたって尽力なさったお2人から、親しくお話を伺うことができました。

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 会館を入ってすぐ右のガラスケースの中には、昨秋刊行された『源氏物語』全3巻のうち、2巻と3巻を帯付きで展示してありました。また、その右には、同じくピント氏と下野さんがなさったスペイン語訳『蜻蛉日記』も展示してあります。

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 ペルー日系人協会の元会長で現在は出版局長をなさっているホルヘ・ヤマシロ・ヤマシロ氏と、コーディネーターのターニア・ネイラ・ウェジョー氏が、出版に到る経緯や刊行後のことなどを詳しく語ってくださいました。とにかく、日系の方々に『源氏物語』を読んでもらうことが目的の第一であり、ビジネスではないとのことを強調なさっていました。
 全2冊が3冊になったのは、単に後編の量が多くなったために分冊にしたのだそうです。
 また、ピント先生と下野さんの共訳である『枕草子』『土左日記』『蜻蛉日記』『伊勢物語』については、『蜻蛉日記』以外は絶版だそうです。来年と再来年に再版の予定となっているとのことでした。
 唯一在庫があった『蜻蛉日記』は、日本から私がペルーに来たことの意味が通じたこともあり、有り難く頂戴することになりました。

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 さらには、贈り物として作製されたスペイン語訳『源氏物語』の特装ハードカバー本も、有り難いことにいただくことができました。貴重な刊行物の恵与にあずかり、感謝いたします。
 私からのお土産として持参した献本の(『日本古典文学翻訳事典1〈英語改訂編〉』(伊藤鉄也編、国文学研究資料館、2014、319頁)、『日本古典文学翻訳事典2〈平安外語編〉』(伊藤鉄也編、国文学研究資料館、2016、259頁)、『海外平安文学研究ジャーナル 合冊本1・2』2017)と共に、記念の写真を撮っておきました。

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 中身の濃い面談が終わってから、別室で記念撮影となりました。

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▲左端より、ホルヘ氏、ターニア氏、伊藤、宮野氏▲

 その後は、8階にあるエレナコハツ図書館で、日本文学や日本文化に関するスペイン語訳の翻訳書を、図書館所蔵分で開架されているもののすべてを確認し、20冊ほどをピックアップしました。これらについては、明日の記事で紹介します。

 なお、このように充実した日秘文化会館での面談が可能となったのは、今回同行の同僚である考古学者の宮野元太郎氏と、そのペルーでの調査でお仲間であるダニエル氏のご尽力の賜です。宮野氏には、今回の調査旅行の全般にわたって、計画から実施に到る過程での手配と交渉に始まり、通訳及び翻訳においても大変お世話になっています。あらためてここにお礼を記しておきます。
 
 
 

posted by genjiito at 11:01| Comment(0) | ◆国際交流

2018年08月11日

リマの旧市街セントロで視覚障害者の歌を聞く

 今回滞在しているのは、太平洋に面したミラフローレスという若者たちに人気の街中です。
 車で少し移動して、世界遺産にも登録されている歴史的建物群が多い旧市街地(セントロ)に行きました。きれいな街並みです。インドのニューデリーとオールドデリーのイメージで行ったこともあってか、拍子抜けするほどきれいに整備されていたので意外でした。ゴミが落ちていないのは、こまめにゴミを拾う方々がいらっしゃるからでした。

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 セグウェイに乗ったお巡りさんもいます。

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 この街を歩きたかったのは、視覚障害者と点字ブロックのことを確認したかったからです。
 点字ブロックは、1箇所だけ見かけました。ミラフローレスと同じように、ここでも本格的な対策はなされていないようです。段差のある箇所の工夫は、ミラフローレスと同じです。

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 アルマス広場から一番賑やかな通りに出ると、視覚障害者の方が点在して、4組もカラオケのパフォーマンスをしておられました。こうした光景は、日本で見かけたことがありません。同じような道具を使っておられることを見ると、同じ仲間なのでしょうか。これから、これがどのような方々によって、どのような考えによるものなのか、また通行人の反応などについて情報を集めてみたいと思っています。

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 ミラフローレスに戻ると、夕靄の中に光の十字架がくっきりと見えました。

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 今日の万歩計は、12,600歩を数えていました。午後から活動を始めたことを考えると、よく歩いたことになります。
 
 
 
posted by genjiito at 01:40| Comment(0) | 視聴覚障害

2018年08月10日

ピント・下野版スペイン語訳『源氏物語』全3巻が揃う

 相変わらずリマの空はどんよりとしています。時たま、ひんやりとした小雨が肌に振りかかります。
 散策路の上空を、パラグライダーがゆったりと飛んでいました。

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 このパラグライダーでの空中遊覧を、私は兵庫県の神鍋でしました。高所恐怖症なのに、広く見渡せる鳥の目になると、怖さはなくなるので不思議です。

 海では、サーファーが小鴨のように散らばっています。いつか波乗りもやりたいと思いながら、いまだに果たせていません。もっとも、冬のこのリマでサーフィンをしようとは思いませんが……
 しばらく潜っていないスキューバダイビングは、このあたりではできないようです。

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 今日は、本屋さんめぐりです。いつものことながら、今回も幸運に恵まれました。探し求めているものが、本の方からおいでおいでをしてくれたのです。

 前便に記した『枕草子』に加えて、ピント先生と下野さんが2013年に刊行された『源氏物語』の第1巻(718頁、2013.8)が、たまたま飛び込んだ書店にありました。

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「ペルーからスペイン語訳『源氏物語』が届きました」(2013年10月16日)

 すでに私は第1巻は持っているので、このお店ではいただきませんでした。第2、第3巻は、まだこの書店には入荷していないようです。
 そんな中、街中の大きな書店で、第2巻(写真左、529頁、2017.10)と第3巻(写真中、575頁、2017.10)を見つけました。

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 2冊を小豆色の帯(写真上)で巻き、付録として第1巻の各巻の梗概を記した小冊子(写真右、35頁、2017.10)が付いています。
 当初は全2巻(前編/01桐壺から27篝火まで・後編/28野分から54夢浮橋まで)として刊行予定でした。

「スペイン語訳『源氏物語』の表紙と説明」(2013年07月31日)

 それが、最終的には上記の通り3巻となったのです。このスペイン語訳『源氏物語』は、日本語から全巻を翻訳したスペイン語版としては最初のものとして、無事に完結したことになります。

 これまでの翻訳の歴史を確認しておきます。

● Gutierrez 訳/アーサーウェイリー訳が底本
● Roca-Ferrer 訳/底本は不明
● Jordi Fibla 訳/タイラー訳が底本
●下野&ピント 訳(ペルー版)/与謝野晶子と『新編日本古典文学全集』(小学館)
●アリエル訳(「桐壺」のみ)/底本は陣野氏作成


 その後、国立考古学人類学歴史学博物館の近くにある、ペルー開拓時代の雰囲気が満ちあふれたお店で食事をしました。

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 店内には、初期の電話とレジスターが置いてあります。かつてのアメリカのテレビドラマなどでお馴染みの道具を、こうして間近に見て感慨を深くしました。

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今日あるいた歩数は16,000歩でした。
旅に出ると、いつもよりよく歩きます。 
 
 
 
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2018年08月09日

2冊のスペイン語訳『枕草子』と出会う

 朝食後に街中へ散策に出かけました。
 ペルーの首都リマは、辺り一面が海霧でもやっています。この時期は晴れ間が少ないそうです。カンカン照りの都市だと思っていたので、どんよりした天気なので肩透かしです。寒い冬になっているので、なおさら印象が異なります。また、崖が急なので、崩れるのではないかと心配にもなります。

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 次の海岸からまっすぐ中央奥を見ると、その先には日本があることになります。とても見えませんが。

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 まずは、ミラフローレンスにあるラルコ・マールへ。おしゃれな高級品が並ぶショッピングモールです。その中に大きな本屋さんがあり、日本文学関係の本を数多く見つけました。

 谷崎潤一郎と夏目漱石の左横に、『枕草子』のスペイン語訳が2冊あります。

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 それは、『風流六哥仙』の絵が表紙になっている2004年版を2014年に再版した本と、『源氏物語』の雪まろばしの絵を飾る2009年版です。


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 私の手元には、2002年版の『枕草子』ならあります。しかし、今回見つけた本は、先年スペインのマドリードの大きな書店にもなかったものです。こうした本との出会いには、個人的ながらもドキドキと感激することが多いのです。

 別の棚には、村上春樹や三島由紀夫などが勢ぞろいです。

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 街中の大通りでは、点字ブロックを見かけました。ただし、他にはなかったので、今日歩いた範囲ではここだけだったようです。

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 一風変わったおしゃれな陸橋も気になりました。

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 この新市街は、遊び心が楽しめるところです。

 
 
 
posted by genjiito at 16:43| Comment(0) | ◆国際交流

2018年08月08日

飛行機を乗り継いで冬のペルーに来ました

 日本から見て地球の裏側に来ました。
 気温は20度に届きません。
 寒いくらいです。
 冬支度で来ています。

 成田からアメリカのヒューストンまで12時間。
 そこで乗り継いで、目的地である南米ペルーのリマまで6時間。
 京都の自宅を出てからリマのホテルまでは約30時間。
 行くだけで、なかなかの大仕事です。
 道中は暇でした。特にヒューストンからリマまでの飛行機は、座席に取り付けてあるモニタがすべて使えなくなっていました。なぜだかわかりません。

 機中での映画は、オードリーヘップバーンの「ファニーフェイス」(1957年)と、長澤まさみの「嘘を愛する女」(2018年)の2本を見ました。共に、ラストシーンがこれからの幸せを感じさせてくれました。旅先では、こんな映画が疲れません。

 ヒューストンの空港内で、寿司コーナーを見かけました。廻っていなかったので、シャッターボタンを押すとさっと通過。

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 ホテルには日付が変わってから着きました。リマの深夜1時前は、東京では午後2時過ぎとなっています。この時計で合っているのかどうか、10時間を超える時差は考えるだけで疲れます。

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 まずは、無事に着きました。
 たっぷりと睡眠は取って来ました。
 また明日から、人や本との出会いを求めて、ひたすら歩きまわります。
 
 
 

posted by genjiito at 03:18| Comment(0) | ◆国際交流

2018年08月07日

スペイン語訳『源氏物語』に関する情報の整理

 本ブログで、スペイン語訳『源氏物語』及び平安文学については、以下の14本の記事で取り上げています。
 明日以降、ペルーで新しい情報が追加できると思います。
 現時点で私が掌握している情報を、あらためて整理し列記しておきます
 

「雨野さんのスペイン語訳『今昔物語集』の公開」(2017年07月13日)

「オンライン版『海外平安文学研究ジャーナル Vol.3 & Vol.6』の分割公開」(2017年05月04日)

「スペイン・マドリッドから届いた紅葉の写真」(2015年11月26日)

「伊藤科研の第3回研究会でスペイン語訳『源氏物語』の共同討議」(2014年06月06日)

「清水憲男先生のペルー版スペイン語訳『源氏物語』の連載記事」(2014年01月31日)

「PDF版『スペイン語圏における日本文学』の公開」(2014年01月12日)

「美術展でスペインと日本のつながりを知る」(2013年10月30日)

「アウトノマ大学の授業で源氏の話を(2)」(2013年10月25日)

「ペルー版スペイン語訳『源氏物語』のパンフレット2種」(2013年10月20日)

「ペルーからスペイン語訳『源氏物語』が届きました」(2013年10月16日)

「日本スペイン交流400周年のプログラム」(2013年10月13日)

「スペイン語訳『源氏物語』の表紙と説明」(2013年07月31日)

「スペイン語新訳『源氏物語』の話を聴きに早稲田大学へ」(2013年07月23日)

「今夏ペルーでスペイン語訳『源氏物語』刊行予定」(2013年06月24日)
 
 
 
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2018年08月06日

藤田宜永通読(30)『女系の教科書』

 『女系の教科書』(藤田宜永、2017年5月、講談社)を読みました。

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 〈女系もの〉のシリーズ化ということでは第2作です。第1作の『女系の総督』については、「藤田宜永通読(19)『女系の総督』は次作を期待させるか?」(2014年07月02日)に書いています。それを受けての本作は、もう第3作は不要という結論を私は出しました。ただし、この作者については、私なりによさを知っているつもりなので、これから一体どうするのだろうかという興味で、第3作が出れば読んでみたいと思います。出なければ出ないのが自然でしょうが。

 出版社を定年退職した森川崇徳は、カルチャーセンターで文芸講座の講師をしています。
 私と同い年なので、その背景がわかりやすいのです。そして、昨年までいた門前仲町が主人公の住まいとなれば、もう読まざるを得ません。
 何でもない日々の中で起きるさざ波のような出来事を、「物語」というよりも軽い「読み物」にしています。さらりとした風味です。
 後半で、小百合の三角関係に過去の男が闖入しての恋愛話が興味を惹きます。しかし、それも主人公である崇徳の女性との話が背景で回っているだけで、特に盛り上がることはありません。
 とりとめもない恋愛感情をちりばめた物語です。何気ない家族の話から、人間の生き様を描こうとしています。日常の小さな連鎖から、人生の何たるかを語ろうとしているのです。新しい物語の境地を探し求める、作者の迷いの姿勢が垣間見えます。
 認知症がかかった母親の延命処置についてのくだりは、現在高校の看護コースの生徒に教えている関係で、その成り行きを興味深く読みました。残念ながら問題は先送りで、話題にしただけ、というものに終わります。せっかく母の日記を探し出したのですから、ここはもっと突っ込んだらよかったのに、と思いました。軽くあしらう筆致を守るために、あえてそうしなかったのかもしれません。
 それにしても、長く読んできている藤田宜永の作品は、今や読み流すだけのものとなりました。年々軽い文章になっているので、内容に惹かれて読み入ることはなくなりました。老人の無駄話に付き合っている感覚です。早々と作家を退職した人の、日々の雑録を読まされている気分です。
 これまでの読者としての付き合いがあるので読むのであって、お金を払ってまで読む作家からは外れて来ています。最近の藤田作品は、これからどうするのだろう、という興味で読み続けています。まさに、藤田宜永はウォッチングの対象となりました。【2】


初出誌:「IN★POCKET」2015年7月号〜2016年1月号
 
 
 
posted by genjiito at 20:45| Comment(0) | 藤田宜永通読

2018年08月05日

京洛逍遥(506)下鴨神社で準備が進む光と音の祭典

 賀茂川と高野川の合流地点である出町柳から、今年もお盆に送り火の舞台となる如意ケ嶽を望みました。大文字を映し出すための草刈りなど、一大イベントの整備はまだのようです。

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 明後日からの海外出張を控え、道中の安全を祈って下鴨神社にお参りをしました。
 糺ノ森では、不思議な白いたまごが並んでいます。

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 太古からの木立のそこここに、つるんとしたたまごが顔を見せています。

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 これは、今月18日からの「光の祭」というイベントのためのものです。光と音とデジタルテクノロジーで、人がいることによって変化するアート空間を作ろうというのです。

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 鳥居の前にもゴロリ。

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 楼門に向かっては、たまごが列をなしています。

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 楼門がいつものようにどっしりとではなく、ふわふわとしています。

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 境内は、さらに楽しそうな空間となっています。

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 お盆からこの下鴨地域一帯は、摩訶不思議な世界に身を置くことができるので、今から楽しみです。
 
 
 

posted by genjiito at 20:58| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2018年08月04日

銀座探訪(37)銀座散策の後は日比谷で古写本を読む講座

 銀座で爽やかに目覚めました。午前中は、久しぶりの銀座散策です。昨春までは銀座にほど近い越中島に9年間も住んでいたので、このあたりは自転車で走り回っていました。徒歩でも30分以内だったので、よく銀座は散策したものです。

 3丁目のアップルストアの裏にあり、昨年までは仕事帰りに立ち寄っていたコナミスポーツクラブは、今はまったく別の会社の運営になっていました。
 夜の銀座で汗を流していたことは、今でも楽しい思い出です。

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 そのすぐそばに、「宝童稲荷」というお稲荷さんを見つけました。この辺りは何度も通ったはずなのに、気づきませんでした。あるはずのものが、見えていなかったのです。おもしろいものです。

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 いつものように、帝国ホテルで用事を済ませます。昼過ぎには日比谷図書文化館に移動し、地下で食事をしながら、私の仕事を陰で支えてもらっている淺川さんと、山積する課題の打ち合わせをしました。
 いまだに公開できていない科研のホームページのこと、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の運営のこと、『源氏物語【翻訳】事典』の刊行のこと、目が見えない方々への支援活動のこと等々、語り合えばいくらでも話題が湧き上がります。

 今日の日比谷図書文化館での講座は、配布した資料が盛りだくさんだったこともあり、大半をお話しや問題提起に費やしました。
 その中でも、昨日の国立歴史民俗博物館蔵で調査した折に書道家の宮川さんからいただいた、鎌倉期古写本であるハーバード本『源氏物語』を復元するための貴重な料紙と、試作版の模写本の回覧は、受講生のみなさまには新鮮な感触を伝えることになったと思います。まさに、実感実証の体験講座となっています。この写真は、昨日の本ブログに掲載しています。

 また、『源氏物語』の復元朗読も聞いていただき、「ハ行音」の変転と共に、「ハ行転呼音」の説明も詳しくしました。全盲の尾崎さんが来ているので、点字での表記なども確認しました。ほとんどの日本人が、日常的に使いながらも説明できなくなっている「私は学校へ〜」の「は」や「へ」などは、点字では発音通りに書くので「ハ行音」の問題は表面化しないのです。
 明治30年頃に完成した合理的に整理された点字と、同じ頃に旧仮名遣いや変体仮名が言語統制された矛盾を内包したままで今に至っている現代語のありようの確認は、言葉遣いと文字表記の上で、大事なことだと思っています。

 次に、「くずし字」は楷書を崩したものではないこと、大昔は1日18時間だったことなど。さらには性的少数者のためのトイレの表示などの話題を提示しました。
 多彩な話題で自由に語り、意見を伺い、興味を広げていたために、肝心の古写本『源氏物語』を読むのは2時間の内の10分ほどという、なんとも変則的な講座となってしまいました。

 次回は、33丁裏の6行目の「あてに・なま免可しき」からです。

 講座終了後は、今月26日からの私のハーバード大学蔵『源氏物語』の調査に同行なさる方々と、最終的な打ち合わせをしました。これは、私の調査研究の現場に、熱心に古写本を読む勉強をなさっている受講者の方の随伴を認めてくださったことにより、有り難いことが実現したものです。関係者の皆様のご理解とご協力に感謝いたします。
 
 
 
posted by genjiito at 21:50| Comment(0) | 銀座探訪

2018年08月03日

【追補版】国立歴史民俗博物館で重文の源氏写本の調査

 早朝より、成田空港にほど近い佐倉にある、国立歴史民俗博物館に行きました。
 国の重要文化財に指定されている、『源氏物語』「鈴虫」巻の原本を熟覧するためです。これは、ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』の「須磨」巻及び「蜻蛉」巻と兄弟の本なのです。かつては、日本で一緒に一そろいの『源氏物語』として、仲良く組まれていた写本たちです。それが、「須磨」と「蜻蛉」の2冊は海を渡り、「鈴虫」だけが日本に残ったのです。

 この「鈴虫」については今から3年前に、『国立歴史民俗博物館蔵『源氏物語』「鈴虫」』(伊藤鉄也・阿部江美子・淺川槙子 編著、新典社、2015年10月)としてカラー版で刊行しました。その後、再確認すべき箇所がいくつか見つかり、また今月末にアメリカのボストンにあるハーバード大学へこのツレの本の調査に行くこともあり、この時点で原本調査をすることにしました。

 今回は、この鎌倉期の古写本の復元に挑戦しておられる、書家の宮川保子さんも一緒に来ていただきました。宮川さんは復元本を作成中です。と言っても、紙漉きの調達から装飾の工程もすべて御自分でなさっています。そして、多くの手間をかけて作り上げた紙に、鎌倉時代の『源氏物語』の本文を臨書なさるのです。その制作過程のものを今回は持ち込み、原本と照合しながらの緻密な調査をしました。
 次の写真の上は、雁皮を叩いて光沢を出した上で、それに丁子を振りかけて型押しをした料紙です。下が、墨流しを施した料紙にハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」の巻頭部分を臨模したものです。書写が終わると、料紙の四囲は裁断などをして17センチ四方の枡形本に仕上げることになります。

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 拝見するのが、700年以上も前に書写された重要文化財の写本なので、緊張しながら熟覧しました。学芸員の資格を持っていることが、こんな時には大いに役立ちます。
 今回、熟覧調査のお世話をしてくださった小倉慈司先生は、昨年まではご一緒に教授会に出席していた仲間でもあります。ご高配に感謝いたします。

 今回、原本の調査をしながら、宮川さんに教えていただいたことを忘れないように書き出しておきます。

歴博本「鈴虫」の実見メモ

(○付き項目を追補)
・料紙は雁皮を用いている
・紙は打って薄く丈夫にしている
〇打ち紙は、紙を滑らかにし、つやが出る
・用紙の装飾には丁子ではなくてベンガラを入れているためか赤く見える
・料紙への吹き付けは、網を使ってブラッシング
・装飾の料紙を作るのに1枚1時間はかかる
〇墨は上質の青墨(松煙墨)
〇墨に水を加えると青い色がかった【松煙墨 】になる
〇現代の青墨は顔料の青を加えている物も多い
〇鈴虫は松煙墨で書かれ、墨流しも松煙墨
・雲平の巻筆のような筆を使っているようだ
・書写スピードは遅い
(宮川保子さんからのご教示により追補/2018年8月4日正午)


 今月末にハーバード大学から帰ってきてから、現存する『源氏物語』の中では最古だと思っている、この鎌倉期の『源氏物語』3冊の実態を、あらためて報告する予定です。

 明日は、日比谷図書文化館で『源氏物語』の講座があります。
 そのため、今夜は近くの銀座に止宿しています。
 近くの築地本願寺では、71回になる「納涼盆踊り大会」が賑やかに開催中ということもあり、大江戸助六太鼓の威勢のいい音が響き渡っています。

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posted by genjiito at 22:19| Comment(0) | ◆源氏物語

2018年08月02日

キャリアアップ講座(その7)『源氏物語』のくずし字を読む(フリーディスカッション)

 少し暑さは弱まったと言っても、今日の大阪は36度。社会人講座として写本の勉強会で使っている大阪観光大学のセミナールームは、エアコンも何とか頑張って涼しくしてくれていました。

 今日は、参会者がいつもの半分です。学生たちも、試験期間中のために欠席。今日使う予定だった資料を見ながらフリートーキングとなり、写本は1文字も読めませんでした。

 まずは、平安時代の発音で『源氏物語』を読むとどうなるか、ということから。
 金田一春彦先生の監修、関弘子さんが朗読なさったものを、iPhone のスピーカーを通して聴いていただきました。
 併せて、「ハ行音」に関する説明文もお渡ししました。一般的には「ハ行転呼音」と言われているものです。ただし、専門的にならないように気をつけて説明しました。特に、「ハ行」の音が「ファ」「フィ」という音で耳に届いたことは、驚きだったようです。かつては今の「ハ行」とは違った音だったことを実感していただいたので、みなさまの記憶に留まる印象的な朗読になったかと思います。

 その後は、観光と国際的な文化交流などに話題を振りました。
 私は、日本のことを語れることが、国際交流の基本だと思っています。決して、英語を流暢に操ることではない、というのが持論です。そして、観光に来られた方々には、案内する自分が生活している範囲内で日常生活を見てもらい体験していただくことが、民間人が参加できる生きた国際交流につながることだ、ということも強調しました。

 泉州の水茄子やタオルなどなど、地元のものでのおもてなしがいい例でしょう。すでに、この地元の熊取町で取り組んでおられるとのことです。いかに効率よく実現するかを、若者たちと一緒になって取り組み、気長に継続することが大事ではないでしょうか。大学の学生たちを含めて、若者たちのエネルギーをいかに利活用するかが、この盛り上がりに大きく影響することだと思っています。
 この点では、参加者のみなさまの賛同がいただけたかと思っています。

 この学習会に参加なさっている方からも、大阪観光大学の先生のお世話になって、観光に関わる仕事を立ち上げた話をしてくださいました。これは、大学の広報担当の方にまではまだ伝わっていない事例のようなので、近日中に伝えようと思います。
 社会人の方々と接していると、いろいろと勉強になるお話が伺えます。多彩な情報が入ってきます。得難いコミュニケーションの場となっています。

 学校は、若者たちだけを相手にするのではなくて、こうした経験豊富な方々との交流の中から、お互いが見識を高め合う素晴らしい場となることを再認識すべきだと思っています。特に大学は、幅広い受け皿となって行くべきです。そんな思いを抱きながら、みなさまとフリートーキングをしました。

 次回は、約2ヶ月後の9月27日(木)です。秋風に爽やかさが感じられる頃になっているといいのですが。そして、颱風がやってこないことを、今から祈っています。
 
 
 
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | 古典文学

2018年08月01日

バスに乗り遅れ、歩いて駅まで

 何かと忙しくて、提出する書類が山のように溜まっています。勤務先のパソコンはネットワークが極端に遅いので、待ち時間が長くて仕事になりません。レインボーカラーのボールが、画面の中で頻繁に回り続けています。さすがに、5分以上も回っている時には、席を立って別の仕事をします。

 研究室では、フル装備の iMac を使っています。しかしネットワークがいつも不調なので、反応がモタモタしています。クラウドに置いているデータを開こうにも、じっと我慢を強いられます。日々、忍耐力を試されています。

 学校関係のプリント類は家に置いていないので、とにかく3時間以上をかけてでも行くしかありません。研究室では、手持ちの iPhone に iMac をテザリングでつなげると、何とか仕事にはなります。もっとも、長時間つなげっぱなしだと、かえってパソコンの動作が遅くなるので、インターネットを騙し騙し使います。困ったことです。

 今日は、いつもより1時間以上も早く家を出ました。

 だいたい1、2分は遅れて来るはずのバスが、今日に限って時間どおりに来ました。そのため、バス停がすぐそばに見えているのに、無情にも乗りたいバスは目の前を通り過ぎて行きます。3本の路線が通っていてどれでも選べて便利な所なのに、時刻表を見ると、いずれも後20分は来ません。
 いつもより早い行動は、こんなにも不運な空白時間を抱え込んでいたのです。

 朝とはいえ日差しがきつくなるだけなので、じっと次のバスを待つよりは駅まで歩こうと決めました。
 下鴨神社の境内を突っ切り、少し冷んやりした糺ノ森の参道を歩き、高野川を渡って出町柳駅に出ました。急ぎ足で20分ほど。朝の散策がてらの通勤も、気持ちがいいものです。

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 研究室には、3時間15分かかって着きました。今回の往路は、いつもより15分だけ余分にかかったことになります。帰路は3時間半なので、これは許容範囲です。
 元気な時の通勤方法として、新しいパターンを覚えました。「糺ノ森コース」と名付けましょう。
 
 
 
posted by genjiito at 23:09| Comment(0) | 身辺雑記

2018年07月31日

立命館大学の戦争展で視覚障害者の資料を見る

 今日から始まった「第38回 平和のための京都の戦争展」(於:立命館大学国際平和ミュージアム、中野記念ホール)に行ってきました。8月5日(日)までの短期間なので、興味と関心をお持ちの方はお急ぎください。入場は無料です。

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 中に入ると、関連書籍の販売コーナーがあります。街中の書店には並んでいない本が多数あった中から、視覚障害者の本、アンデス文化の解説書、ミャンマーのガイドブックなど数冊をいただきました。
 こうしたイベント会場に入手困難な本が並ぶのは、情報収集においてもありがたいことです。

 本を買い終わった頃、そこで、日本盲教育史研究会の事務局長をなさっている岸博実先生と出会いました。先月、岡山であった日本盲教育史研究会には、ちょうど同じ日に池田亀鑑賞の授賞式がすぐ隣の日南町であったために参加できませんでした。そのお詫びを申し上げた時でした。今回のメインテーマである「障害者と戦争」のコーナーが入口正面のパネルの裏なので、と言いながらそのコーナーに連れて行ってくださいました。そして、いろいろな説明を伺うことができました。

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 このコーナーは、すべて岸先生がお持ちの品々で構成されています。人の顔さえ写っていなければ大丈夫だとのことなので、ありがたく貴重な資料をカメラに収めさせていただきました。見られる機会に撮影しておかないと、この次いつ出合えるかわからないのです。特に興味をもったものを、いくつか紹介します。

 まずは、パネルをみながら全体の構成を確認します。
 大きく「障害者と戦争 −戦争は戦力にならざる者の排除−」と書いてあります。
 障害者は戦力にならないとして差別された反面、さまざまな形で駆り出されていたことがわかる展示です。

 ゼロ戦の翼下に「日本盲人号」とあります。

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 次の左下の写真は、「防空監視哨員」として動員された近江谷勤さんです。障害者が敵機の音を聞き分ける練習をした後、その聴覚で敵の戦闘機の来襲を察知するという仕事に当たったのです(練習用の飛行機の音を吹き込んだレコード盤は後出)。もっとも、実際にはあまり成果はあがらなかったようですが。
 岸先生の話では、この近江谷さんを探すのに使用した資料(写真左上の赤丸部分)に「おおみや」とあったので、「大宮」さんとばかり思い込んでいたとのことでした。実際には「近江谷」なので、点字で書くと「おうみ」となるはずなのです。点字は実際の発音に近い表記をします。仮名遣いの問題は、こんな形で時々問題点を見せます。こうしたこともあって、岸先生は近江谷さんと出会うまでに、10年もかかったのだそうです。
 右下のマッサージをしている写真には、「按摩さんたちが奉仕に乗出す」とあります。

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 次の左下には、戦傷によって失明した人に渡された「失明軍人杖」の記事があります。

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 こうしたパネルの前のガラスケースには、パネルに関連した品物が展示されています。
 次の写真の左下には、「徴兵検査手引書」として以下の説明文が記されています。

検査を担当する医師用につくられた手引き書
この中に”失明詐称者””難聴詐称者”看破法
がかなりの頁をさいて書かれている。
 徴兵のがれを図る国民がいたことを示している。
      資料:岸 博実氏


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 同じケースの右側にはレコード盤があり、次の説明文があります。すでに説明したものです。

敵機爆音集 レコードと副読本
アメリカ軍の飛行機の音を聞きわけることを目的に
ニッチク(レコード会社)が制作したレコード。副読本には
「ボーイングB−17」「カーチスP−40」などの説明もある。
      資料:岸 博実氏


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 次の杖は「失明軍人杖」です。すでに上で説明したものです。
 ここの説明文は次の通りです。
 
「失明軍人杖」
 戦争で失明した軍人に、陸軍大臣 海軍大臣
から支給された「軍人杖」陸軍は星と鷲、海軍は
桜と錨がデザインされている。
      資料:岸 博実氏


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 こうした展示品について、岸先生からはその収集にあたっての驚くべき裏話を伺いました。これについては、また先生ご自身がお書きになることでしょうから、ここでは差し控えておきます。実は、今日も見つけたとのことでした。探せばまだ見つかる、ということのようです。そして、どうしても真っ直ぐな、装飾としての把っ手のない杖が、なかなか見つからないとのことです。ご存知の方がいらっしゃいましたら、お知らせください。

 この他には、「沖縄戦発掘資料」などなど、興味深い展示コーナーがホールいっぱいに展開しています。
 書けば際限がないので、じっと我慢をします。
 ぜひとも、実際にご覧になることをお勧めします。

 なお、会場でいただいたパンフレットに掲載されていないもので、「故 中野信夫さんスケッチ画 & 戦後の平和友好活動紹介」というコーナーがありました。
 これは、ミャンマーにおけるインパール作戦に参戦して、奇跡的に帰還した中野信夫軍医の手になる絵だそうです。これもお見逃しなく。

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 DVDの上映や体験談や講演などが、連日盛りだくさんです。しかし、私は来週のペルー行きを控え、会議や前期試験などなど、8月5日までに再度行く余裕はありません。残念ながら、また来年の楽しみとします。
 
 
 
posted by genjiito at 21:12| Comment(0) | 視聴覚障害

2018年07月30日

「コーニツキー版欧州所在日本古書総合目録」がリニューアル(その3)

 大量の調査カードを、コーニツキー先生が「ファイルメーカー」に入力なさっていた作業を引き継いですぐに、インターネットで公開するデータベースの設計に入りました。そして、無事に公開に漕ぎつけたのは、2001年11月でした。大内英範氏の協力を得て、検索システムも実装しての稼働です。予想外にハイペースです。

 ただし、まだこのデータベースは、国文学研究資料館で正式に認められたものではありませんでした。安永尚志先生のご理解が得られ、そして原正一郎先生のご支援とご協力が得られたことにより、データベースの公開実験ということで運用が始まったものなのです。具体的には、情報発信に使用するパソコンを国文学研究資料館のネットワークシステムの外の回線につなげての、あくまでも研究としての実験でした。ファイアーウォールの外なので、セキュリティに守られていないエリアからの公開だったのです。どのようなアタックがあり、いつダウンするかもわからないという、非常に危うい環境下でのものでした。それでも、安永先生と原先生が親身になってデータベースのことを配慮していただいたお陰で、何もトラブルもなく運用しつづけることができました。ありがたいことでした。
 実際の公開に当たっては、野本忠司先生も直接マシンを操作してくださったおかげで、スムースな運用ができました。みなさんの叡知が集結したデータベースだったのです。

 そうこうする内に、次第に海外からの反応もあり、このデータベースの有用性が館内にも示せるようになりました。公開件数も増えてきた段階で、ちょうど国文学研究資料館内のシステムの入れ替えの話が耳に入りました。基幹サーバーで運用するデータベースシステムの大幅な再検討が始まったのです。しかし、まだしばらくは「コーニツキー版欧州所在日本古書総合目録」は館内で認められないままに、館外に置かれた、ファイアーウォールの外の回線から情報発信をするしかありませんでした。
 晴れてセキュリティに守られた館内のサーバー上からの公開となったのは、まだ数年後のこととなります。

 今、手元に詳細な資料がないので、手控えで回想記をつづります。正確なことは、後日しかるべき時に補訂するつもりです。
 今、手元の資料でこの時期の活動を確認できるものは、次のメモが一番詳しいものです。これは、館内の電子情報事業部に提出した予算配分に関する私見を記した書類の下書きです。日付は、2004年2月です。

欧州所在日本古書総合目録データベース(担当者・伊藤鉄也)

今回の配分額に関する意見

【現状】
・本事業は、ケンブリッジ大学Peter Kornicki教授の調査・収集になる、欧州諸国に散在する和古書の書誌カード(手書き)のデータベース化である。
・Kornicki教授の手許に存在する約2万枚のカードのコピーを入力し、同教授に返送。
・同教授により再び送付されて来た、赤字校正が入ったカード(コピー)を校正入力する。
・入力の済んだものについて、ある程度量がまとまった時点でデータベースに追加、公開する。
・現在は、約3800件を公開している。23カ国以上から、年間約2500件のアクセスがある。
・データはXML形式で構造化されている。
・検索エンジンは、現在はYggdrasillを使用。PerlAPIによって取り出されたXMLデータをXSLTによりHTML化している。しかし、表示について利用者環境に左右されないよう、Sablotronによりサーバーサイドで処理をしている。
・必要なプログラム、スクリプト等は開発済みである。しかし、データのXML形式化およびXSLTの微調整等の作業が日常的に発生している。
・また、データベースに関連して、「所蔵機関」等のデータ収集作業(URLや蔵書目録ほか)なども行なっている。
・2年目に現行データベースシステムを見直し、新しいシステムを開発したい。
・今後とも国文学研究資料館における海外向けの情報発信として重要な意義がある。

【配分予算の42万円でもできること】
・昨年を基準にすると、校正作業も含めて、2ヶ月分のデータ作成用アルバイト謝金となる。(年間作成予定2000件のうち、300件を公開することになる。)

【配分予算が42万円ではできないこと】
・6年で完成するデータベースが、30年もかかることになる。
・調査旅費を活用して、海外の研究者との打ち合わせと参考文献・参考資料などの付加情報を充実させてきた。予算が足りないとそれが不可能となり、緊密な連携によるデータベース育成ができなくなる。
・作業用パソコンは伊藤の研究用マシンを転用している。この小額予算では、本事業のためのパソコンが購入できない。
・調査カードのコピーと校正資料を、国際メール便で頻繁にやりとりしている。それができなくなる。
・補佐員が必要。ケンブリッジ大学との頻繁な資料のやりとりや、データベースのメンテナンス、および所蔵機関に関するデータ収集・整理などの膨大な作業が安定してできなくなる。
・現在は独自システムで稼働しているため、2年目にシステム開発をして館内システムでのデータベースサービスを予定している。このままでは、それができなくなる。

 以上が、要求額である●●●万円に近い配分を要望する理由である。

 なお、Kornicki教授からは、本データベース作成に関する権利のすべてを委譲されている。


 何とも、台所事情の苦しい中で、懸命にデータベース構築のための運用に邁進して行こうとしていたことが伺われる内容となっています。
 42万円の予算でスタートしたものの、年末に追加要求をした形跡があります。しかし、それは認められませんでした。

 2005年1月には、こんなメモもあります。

・ケンブリッジから来た新規カード      1,276件
・ケンブリッジからの校正済みカード     2,177件
・ケンブリッジから来た新規データ      150件
・ケンブリッジに送付したカード       743件
・現在入力中のカード            879件
・HPアップ用(担当者に手渡し済み)    2,794件
・ケンブリッジから送付されたて来た回数   約7回
・ケンブリッジへ資料を送付した回数      2回


 以上は、「コーニツキー版欧州所在日本古書総合目録」がデータベースとして出来上がっていく過程の概要等を、2005年までの分として整理したものです。

(以下、続く)
 
 
 
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2018年07月29日

京洛逍遥(505)京都駅で見かけた羅城門と性別不問のトイレと回転寿司

 駅前の京都タワーがある東端、タクシー乗り場の近くに、羅城門の模型を見つけました。

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 確認したところ、2016年11月にはここに設置されていたようです。それまでは、メルパルク京都の地階に保管されていたとのこと。メルパルク京都は、昨春までの毎年2月下旬に、総合研究大学院大学文化科学研究科教授会が開催されていた会場だったため、何度も来ています。その地下に、平安京にあった羅城門の10分の1の模型が設置されていたとは、迂闊にも知りませんでした。それが、2016年の冬に地上の駅前北東広場に移設されたのです。
 この模型は、1994年の平安建都1200年記念事業として「甦る平安京」展に出品された復元模型だそうです。宮大工をはじめ、京都の職人さんたちが自慢の技術を結集し、半年がかりで製作したものだとあります。
 羅城門については、「源氏のゆかり(33)説明板27-羅城門跡」(2008年12月23日)に取り上げています。その記事の中で、「京都でも、ぜひこの羅城門を復元してほしいものです。」と書きました。それが、上記の経緯のもとに復元が進み、展示となっていたのです。原寸ではなくて10分の1であっても、イメージを膨らませるのにはこれで充分です。後は、現在は「調整中」となっている表示パネルを、文字列や写真が流れるだけのものにはしてほしくありません。プレゼンテーションの腕の見せ所です。

 その前のJR京都駅に直結するホテルグランヴィア京都には、昨年6月に注目すべきトイレの表示が登場しました(京都新聞、2017年6月10日)。ずっと気になっていたことなので、この際と思い確認してきました。
 通路側からトイレに入ろうとすると、男女のアイコンのデザインが頭上に見えます。一般的なものとは多少違うものの、特に違和感のない表示です。

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 さらに奥に入ると、右側に、こんな性別不問のパネルが取り付けられていました。

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 これは、欧米で定着している性的少数者を対象とした「LGBTツーリズム」の観点から設置されたものだそうです。このホテルは、2006年にLGBTを支える国際団体に加盟し、2014年には妙心寺と連携して同性同士の仏前結婚式を企画、すでに5組が利用したということです。
 また、このホテルでは、同性愛者やトランスジェンダーの接客に携わる社員は、レインボーカラーのバッジを付けておられるようです。そのバッチを付けた方に、この日は出会えませんでした。

 トイレ情報に関連する話題を、もう一つ。
 今日の京都新聞によると、市営地下鉄京都駅のトイレに、二条城の国宝二の丸御殿大広間に見立てた個室がお目見えしたそうです。トイレの壁に、大広間の写真が貼られていて、徳川慶喜が大政奉還を発表した、まさにその場にいるような演出がなされているのだとか。

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(京都新聞電子版より)

 京都駅のホームの南側にあるそうなので、いつか入ってみます。来月8月16日までなので、興味のある方はお急ぎください。

 さらに、もう一つ追加。
 京都駅前の地下街ポルタにフードコートがあります。その東エリアに「回転寿司 金沢まいもん寿司」が出来たことは知りながら、なかなか行く機会がありませんでした。やっと、行くことができました。世界の回転寿司マップを作成中なので、ここも追加しておきます。

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2018年07月28日

[町家 de 源氏](第11回)(石田版新糸罫と中国版糸罫)

 昨日まで、京都では35度以上の猛暑日が14日も続いていました。
 賀茂川畔の植物は、その暑さにやられて焼けて黄色に変色しています。
 一日も早い雨が待たれます。

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 今夜から、台風が意外なコースで関西に向かって来ます。そんな中を、天候が激変しないお昼に、いつも通り「be京都」で『源氏物語』を読み進めました。
 今日は34度。連日の38度に身体が慣れたこともあってか、御所周辺では少し涼しさを感じさせる風が通っています。

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 今月も中国から庄婕淳さんが参加です。アメリカのシカゴで勉強している知り合いの学生さんと一緒に来てくれました。楽しいメンバー7人で、さまざまな話題に盛り上がりました。
 前回、庄さんにお願いした、中国版の糸罫らしいものを入手して来てもらいました。これは、プラスチック製ながらも、日本の糸罫とまったく同じ機能を持った書写の道具になるものです。
 長方形で中が刳り貫かれた枠が、特大級のものから小型のものまで、全部で5種類がワンセットとなっています。周囲のギザギザにポリエステルの紐をかけて直線を張り、その隙間の間に文字などを描くのです。扱い易く、多用途に使える優れものです。

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 また今日は、石田さんの新作の糸罫も持参してくださいました。
 前作が右、今回の改良版が左です。糸も魚釣りのテグスに変わりました。

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 裏面を見ると、大きな違いがわかります。糸が紙面に接するかどうかと、その糸の木枠への留め方に注目してください。

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 これについてのご意見を、書家の方などからいただけると幸いです。

 『ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」』の写本は、8丁表の6行目から、字母を確認しながら読みました。
 「あ者れ尓」の「者」「尓」や、「堂ち」の「堂」、「徒まと」の「徒」について、庄さんから中国語での発音などを教えてもらいながら、いろいろな角度で意見交換をしました。
 その中で、「経済」や「政治」などは日本で明治時代頃に作られた単語であり、それが今は中国語に取り込まれているという話になりました。これは意外でした。日中の文化をもっと知りたいと思います。

 次の第12回は9月22日(土)14時から16時までです。
 また、第13回は10月21日(日)14時から16時となっています。
 ご自由に参加していただけますので、この記事のコメント欄を利用して連絡をいただけると、詳しい説明を差し上げます。
 
 
 
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2018年07月27日

読書雑記(235)望月麻衣『京都寺町三条のホームズ 8 』

 『京都寺町三条のホームズ8 〜見習い鑑定士の奮闘〜』(望月麻衣、双葉文庫、2017年9月)を読みました。

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 真城葵は、念願の京都府立大学文学部歴史学科に入学し、学芸員の資格を取りたいと思って勉強をします。
 一方、恋人で京都大学大学院を修了した家頭清貴は、成長のための修行に出ます。新しい環境で、2人はスタートします。

■第一章『一生に一度は』
 葵にゾッコンのホームズの姿は、あまりスマートではありません。なぜこのように下品なホームズの様子を、わざわざ描くのでしょうか。作者には、恋愛状態にある男について、勘違いをしているのではないかと思われます。
 ホームズが葵たちに、「お二人はどうぞゆっくりされてくださいね。」(91頁)と言う場面があります。私は使わない表現なので、今の若い方は使うのかな? と思いました。
 石清水八幡宮での推理は腰砕けです。せっかくの舞台と題材が精彩を欠き、もったいないと思いました。【1】

■第二章『小さなホームズ』
 ホームズは、二つ目の修行先として社長秘書をします。その社長の回想がくどくて馴染めませんでした。また、展開される恋愛観もおざなりで、若さを感じません。読者は若者たちだと思っていました。しかし、欲張って、中高年の読者にも届くようなメッセージを伝えようとしたと思われます。読み手の拡大を意識したためか、型通りの男と女のあるべき姿で話をまとめています。
 また、この章でも泣き虫のホームズを描きます。ホームズのイメージに、理知ではなくて感傷に包まれた姿がまといつきます。なよなよとした、いわば光源氏のようなホームズを、読者は求めているのでしょうか。その中性的な要素は、最後まで封印しておいてほしかったところです。登場人物を男性、女性、中性の3つに区分けした時、このままでは男性がいない物語になってしまいます。その中性の存在を、作者はまだ摑み切れていないと思っています。読者に若者を取り込もうとした時に、この性別に対する意識は大事な要素となるはずです。そうした意味からも、私はこの作者と物語に興味をもっています。【1】

■第三章『聖母の涙』
 修行中のホームズは、メトロポリタン美術館のキュレーターの秘書をします。
 ホームズの家にある青磁に関しては、美術館ではなくて別のことを考えているとあり、それはまだ口に出せる段階ではないと言います(190頁)。これがどうなるのかが、今後の物語で明らかにされることでしょう。
 葵の家が、バス停「下鴨神社前」を降り、小さな教会と「聖母幼稚園」の近くにあることが語られています。これまではここまで具体的に語られていなかったことなので、この地域住民としてはどこなのだろうという興味が湧いてきます。中庭に真っ白いマリア像があったり、バザーが開催されるとのことなので、我が家の近くに思い当たる所があります。実際にはどうなのか、いつか確認してみましょう。
 その教会のマリア像が血の涙を流すというのです。その謎解きが展開します。ただし、おもしろくありません。【1】

■掌編『宮下香織の困惑』
 香織の新しい恋愛話が、次巻以降に展開するのでしょうか。前振りのような話です。

※第8冊目になっても、まだ話が安定しません。10巻までは引っ張っていこうとしている意図が、この第8巻で垣間見えます。
 さて、作者がここから立て直す奇策に期待しましょう。
 
 
 
posted by genjiito at 20:11| Comment(0) | 読書雑記

2018年07月26日

アレッ!と思う時〈その5〉少し認知症?

(1)エレベータやバスで、降りるボタンを押し忘れていたため、そのまま通過して降り損なった時。エレベータならそのまま乗っていて折り返します。しかし、バスでは、ため息混じりに歩いて引き返すことになり、その足取りの重たいこと。

(2)小銭入れから硬貨を取り出し、チャックを閉めようとしていたら、掌に握り込んでいた硬貨をバラバラと落とした時。拾おうとして屈んだら、さらに財布から小銭が落ちて情けないことになります。

(3)冷蔵庫を勢いよく開けたものの、ハテ何を取り出すのだったのかが思い出せなくて、しばらく庫内を物色する時。これが、けっこう冷蔵庫の整理になります。もっとも、後で妻に、いつもの所になくて困るとしかられますが。

(4)2階の勉強部屋から大急ぎで1階に降りたまではよかったものの、さて何をしに降りて来たのかがわからなくて必死に思い出そうとする時。そんな時は、そのままもう一度2階に戻ることにしています。ただし、ついに思い出せないことが多いのはなぜでしょうか。

(5)仕事で高校に行くはずが、間違って大学へ行く経路の電車に乗っている自分に気付いた時。今日が何曜日で、何をする予定だったのかを思い出そうと、頭の中はフル回転となります。



posted by genjiito at 21:53| Comment(0) | 身辺雑記

2018年07月25日

第11回[町家 de 源氏物語の写本を読む]開催のご案内

 今週末の7月28日(土)午後2時から4時まで、「be京都」(http://www.be-kyoto.jp/)で11回目となる[町家 de 源氏物語の写本を読む]を開催します。
 テキストは、『ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」』(伊藤編、新典社、2013年)です。

 本日25日(水)の京都新聞(朝刊)「まちかど」欄に、呼びかけの記事が掲載されましたので、あらためてこのブログでも紹介します。

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 今回は、「8丁表6行目行頭」の「の【夜】能」から読みます。
 前回は、地震があったために内容については進みませんでした。「地震の後に第10回[町家 de 源氏物語の写本を読む]」(2018年06月19日)をご覧ください。
 とにかく、のんびりと進めていますので、お気軽にご参加ください。

 700年前に書写された『源氏物語』を、変体仮名に注目して読み進めることに興味と関心をお持ちの方は、このブログのコメント欄より、参加希望の連絡をお願いします。折り返し、詳細な案内をお送りします。
 参加費は、初回だけは体験ということで千円です。2回目以降は二千円です。
 NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の会員は割り引き特典があります。

 なお、今後の勉強会の日程は、以下のようになります。

●8月の勉強会はお休みで、当初はイベントを予定していました。
 しかし、私が海外出張が2つも入ったために、秋に延期します。

第12回 9月22日(土)14時から16時 「be京都」
第13回 10月21日(日)14時から16時 「be京都」

 
 
 
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ◆NPO活動

2018年07月24日

清張全集復読(19)「秀頼走路」「明治金沢事件」「喪失」

■「秀頼走路」
 大坂城の落城とともに、秀頼は脱出したという説がありました。話は、その秀頼が逃亡すると思われる様子を活写します。いかにもありそうな、貴種流離譚となっています。【2】
 
初出誌:『別冊 小説新潮』(昭和56年1月)

※『松本清張全集 36』(文藝春秋社、1973.2.20)の巻末に収載されている著者自身による「あとがき」には、出典として俗書の「塵塚物語」をあげています(542頁)。また、「この筋は大仏次郎氏も二度長編に書いておられる。」とあります。
 
 
■「明治金沢事件」
 文章に気迫を感じます。気持ちの籠もった、力強い響きが伝わって来ました。
 主君の仇討ちは、赤穂浪士の忠臣蔵に通じます。最後の言葉が清張の視点を示しています。
 「人間は演技の模本がなければ、思い切ったことが出来ぬものである。」(『松本清張全集 36』32頁)【3】
 
初出誌:『サンデー毎日臨時増刊』(昭和56年1月)
原 題:「明治忠臣蔵譚」

※『松本清張全集 36』(文藝春秋社、1973.2.20)の巻末に収載されている著者自身による「あとがき」には、この改題について「原題のほうがよかったかもしれぬ。『新聞集成明治編年史』からとったように思う。」(542頁)ともあります。
 
  
■「喪失」
 妻子持ちの二郎に尽くすあさ子。そのあさ子の生活を支援する須田の出現。須田に嫉妬する二郎。お決まりの入り組んだ人間関係。やがて二郎はあさ子を折檻します。クライマックスでは、人間の微妙な心のバランスがつぶさに描かれ、女の心情が見事に捉えられています。【5】
 
初出誌:『新潮』(昭和56年3月)
 
 
 
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2018年07月23日

歯の治療は出張前のために様子見となる

 今日で気温が38度超えも10日目となりました。
 インドで40度、モンゴルでマイナス34度の世界に身を置いたことがあります。
 その体験もあってか、このグニャグニャした針金のような、一見ひ弱な身体の私であっても、過酷な状況には適応できる改造人間になっていると、自分勝手に信じています。何があっても、生き抜けるのだと。

 しかし、それにしても、連日の高温で疲れも溜まりに溜まってきました。
 とにかく、これまでに経験したことのない、異常気象の中にいることが、日々に実感として納得できるようになりました。異常と思っていたことが、日常の出来事になってきているのです。

 そんな折も折、海外へ行くことになると、どうしたことか、いつも身体のどこかが不協和音を奏でます。今回は歯です。

 私は小さい時に、家の2階のハシゴから落ちて前歯を折りました。

「わが母の記(2)階段から落ちる」(2008年05月26日)

 それからというもの、歯とは悪しき因縁の闘いが続いています。

「意を決して受けた「セカンドオピニオン」の衝撃」(2016年03月18日)

「わが父の記(6)弁当箱で父の歯が折れたこと」(2015年01月14日)

「歯医者さんに歯を噛みしめないでと言われて」(2013年03月09日)

 先月あたりから、治療していた前歯がグラグラし出したので、最近行くようになった駅前の歯医者へ行きました。
 電話をすると、今日は予約がいっぱいで、週末なら空いているとのことです。2週間後には海外へ行くので、今日は何時まででも待つことを条件に予約をしました。

 どうせ長時間待つことになるのならと開き直り、その前に駅の上にあるスポーツクラブで一泳ぎしました。
 このクラブは施設が古くなったこともあり、高齢者がほとんどです。若い人たちは、もっときれいで効率的に運動ができる所に行っているようです。
 かつては、妻も私と一緒にこのクラブに通っていました。しかし、今はもっとおしゃれなクラブに行っています。私も、そろそろ別のところに変わろうかと思っています。施設の老朽化が気になり出しました。
 今日のプールの水温は異常に高く、水も白濁していて、浮遊物も気になりました。頻繁に水質検査をしておられるので、科学的には問題はないにしても、感覚的には違和感を感じます。

 そうこうする内に、歯医者でいつになるかわからない順番を待つ時間になりました。ところが意外に早く、一時間も待たない内に名前を呼ばれました。

 結果は、今あわてて治療を始めると、歯に無理な負担をかけて付け替えることになる上に、出張でペルー・リマに行くまでに間に合わない可能性もあるそうです。そこで、このまま海外に行くことにし、帰国してからゆっくりと治療をすることになりました。そのためにも、出かける前日にもういちど状態を診てもらうことになりました。

 月末からはアメリカ・ハーバードへ行くので、その間の中旬か、さらには帰国後の9月から治療を始めることになるかもしれません。

 短時間に最適な治療方法と、そのタイミングを見計らった治療の時期を判断してもらいました。
 とにかく、歯を食いしばらない生活を実践する以外に、今の対処策はありません。
 いろいろと請け負っている仕事があります。これを理由とすることに引け目を感じながらも、とにかくお許しをと思って穏やかに暮らすことに専念します。
 いつものことながら、お詫びするしかありません。ご理解を……
 
 
 
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2018年07月22日

「コーニツキー版欧州所在日本古書総合目録」がリニューアル(その2)

 今回リニューアルした「コーニツキー版 欧州所在日本古書総合目録データベース」の冒頭に、そのプロジェクトの経緯が記されています。
 その後半には、次のように書いてあります。

入力は、2001年までは、コーニツキーが担当しました。その後のデータ入力は国文学研究資料館が引き継ぎ、伊藤鉄也が担当しました。2001年11月にweb公開を行い、検索システム等は大内英範が構築し、順次データの追加・更新を行なっている。


 この経緯について、思い出せる限り書き残しておきます。

 ケンブリッジ大学のピーター・コーニツキー先生が調査収集された資料に関して、国文学研究資料館がその整理に協力しだしたのは、私が着任してちょうど1年が経った2000年春頃だと思います。一昨日の本ブログ「「コーニツキー版欧州所在日本古書総合目録」がリニューアル(その1)」(2018年07月20日)に記したように、ロバート・キャンベル先生と北村啓子先生が、その窓口となっておられました。コーニツキー先生からは、カードに記されたデータがサンプルとして送られて来ていたようです。

 私が最初にそのデータを拝見したのは、コーニツキー先生ご自身が「わ」の部を入力された、『和合長久の伝受』に始まるデータのリストでした。「ファイルメーカー」からCSV形式に書き出したものです。ただし、それらのデータをどのようにしてデータベース化するのか、というところで中断していたのです。そうした中で、当時の松野館長の命によって、私がコーニツキー先生の調査カードをデータベース化することになりました。その背景には、国文学研究資料館の公式ホームページの立ち上げと運用を担当するホームページ委員会の委員長を、着任早々の私が担当していたことがありました。この時点では、これは国文学研究資料館の業務ではなく、あくまでもコーニツキー先生のお手伝いをする、というものでした。

 コーニツキー先生からのサンプルデータを通覧しながら、データベース化に関する私案を組み立てました。
 私が最初にコーニツキー先生に連絡を差し上げたのは、2001年1月30日でした。

はじめまして。
私は、国文学研究資料館・研究情報部・助教授の伊藤鉄也と申します。
私は、源氏物語の研究をしています。
さて、私は単身で、2月15日から25日までイギリスへ調査に行きます。
現在、私は国文学研究資料館のホームページを担当している関係で、先生がお作りになっている『古典籍目録 Union Catalogue of Early Japanese Books in Europe』の公開について、ご相談したいと思います。
(下略)


 この第一報を発信してから昨年3月まで、実に16年にわたるピーター・コーニツキー先生とのお付き合いが始まったのです。そして、それからというもの、毎年のように私がケンブリッジへ、コーニツキー先生が東京へと、さまざまな仕事を抱えて往き来し、データのやりとりやデータベース化に伴う問題点の検討などを続けてきました。

 このプロジェクトの始発となる、2001年2月に話を戻します。
 電子情報事業部長の安永尚志先生のご理解とご協力を得て、英国各地で調査をする一つの中に、コーニツキー先生との具体的なデータベース構築の打ち合わせを組み込むことが実現したのです。
 その時の旅行記の一部が、「トイレ表示 なぜ男は青、女は赤?」(2007年10月23日)に書いてありましたので、当該箇所を引きます。

 今から6年前に、初めてイギリスへ行きました。ケンブリッジ大学のピーター・コーニツキー先生のもとへ、データベース作成の打ち合わせで訪問したのです。これは、今も続いています。次のアドレスで公開していますので、興味のある方はご覧ください。
http://base1.nijl.ac.jp/~oushu/

 さて、、地図を片手に、キャスター付きのバッグを引きずって、ヒースロー空港から地下鉄と列車を乗り継いでケンブリッジに直行しました。ロンドンもケンブリッジも単色の街だというのが、第1印象でした。

 その日は、ピーター先生のご自宅にお世話になることとなり、先生とご一緒に夕食の買い物に出かけました。先生お手製のカレーを作ってくださるとのこと。初対面なのに買い物に一緒に連れて行ってくださり、カレーの材料やワインなどを物色するという、楽しい一時でした。
 買い物をしながら、いろいろな話をした中に、服装のことがありました。
 その日の先生は、赤いパンツを穿いておられたのです。ワインを選びながら、先生は私に、伊藤さんは赤い服は着ないの?、と訊かれたのです。
 私は、ネクタイでさえ赤は滅多にしないんですよ、と答えたら、赤い色は元気が出ますよ、という趣旨のことをおっしゃいました。赤が流行だとも。

 その夜、奥様を交えて先生の通訳を介して、インドの話で盛り上がりました。奥さんは、インドの文学・文化・美術の専門家で、ケンブリッジ大学の先生です。
 その奥様も、真っ赤なセーターでした。対する私は、焦げ茶のタートルネックのセーターに黒いズボンという、いかにも日本風の地味な格好でした。
 浮世絵やインド美術の実物や写真を見ながら、カラフルな話題になりました。色彩に関する感覚の違いに、日本文化を考えるきっかけをもらいました。

 以来、赤いモノを身につけるように心がけることが多いのですが、私にとっては、それでもささやかな冒険ではあります。


 先生のご自宅に泊めていただいた翌朝、裏庭での写真が残っています。今、先生はロンドンにお住まいなので、何度か拝見したこの庭も私にとっては懐かしいものです。

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 そしてそのすぐ後、6月に再訪した時には、コーニツキー先生のお手元にあった調査カードの大半を、先生と2人で大学内の複写機を使ってコピーする作業に汗を流しました。

(以下、つづく)
 
 
 
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2018年07月21日

映画『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』

 今日もカンカン照りで、京都は8日間連続の38度超えです。明日も下がらないようなので、新記録はまだまだ更新されそうです。
 そんな中を、気温が1度だけ低い(?)大阪に出かけました。久しぶりに映画を観るためです。

 梅田スカイビルタワー イーストにある「シネ・リーブル梅田」は、阪急梅田駅から意外と遠いところにありました。これまで、大阪駅北側の一帯は、しかも西地区はまったく縁がありませんでした。まだ建設中で、これからさらに大きく変わるようです。

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 今日から大阪・梅田で公開の『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』(監督・湯浅弘章)は、言葉がなかなか出てこない女子高生が主人公です。いい映画でした。暑い中を出かけて来て観て良かった、と大いに満足しています。
 近畿圏での公開は、以下の通りです。

シネ・リーブル梅田 →7/21(土)〜
 
京都シネマ →8/18(土)〜
 
シネ・リーブル神戸 →7/28(土)〜


 この映画については、公式ホームページに任せしましょう。

「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」

 一番印象に残ったのは、主人公が鼻水を垂らしながら熱演していた場面。2回ありました。このシーンは必見です。

 映画を観ながら、昔の自分の姿が思い起こされました。中学から高校にかけて、私は赤面症(あがり症)でした。授業中に指名されると、みんなの視線が自分に向けられていると思うが早いか、顔が真っ赤になるのです。
 先生の質問の意味も、答えもわかります。しかし、どうしても言葉が出なくなるのです。そして、「わかりません」と言って、そそくさと椅子に座って逃げていました。

 中学の頃には生徒会の代表をしたり、高校では学生運動の会場で演説をしたりと、大勢の前では話せました。それが、教室ではまったくダメだったのです。

 18歳で高校を卒業してすぐ、東京で新聞配達をしていて配り終えた直後に、突然に十二指腸が破れて意識を失いました。神経を擦り減らす日々の中で、自分の胃液が自分の内臓を溶かしていたのです。
 主治医から「無責任に生きなさい」という助言をいただきました。以来、喋りすぎだと言われるほどに、よく喋って生きて来ました。負い目というか、引け目というか、コンプレックスの一種には、若い時によく悩まされたものです。そんな自分がかつていたことを、今は誰も信じてくれそうにありませんが。

 映画の中でギターを弾いて歌うシーンを観て、自分もかつてはそうだったと思い、自宅に帰ってすぐに未整理の段ボール箱からこんな写真を探し出しました。17歳の春のワンショットです。テニスとギターと写真に明け暮れた日々の思い出です。この写真も、二十歳の時に住み込みの新聞配達店が火事になり、持ち物のすべてを無くした私にとって、数枚しかない貴重な写真です。

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 監督の湯浅氏には失礼ながら、予想外にいい映画だったので、原作の漫画『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』(押見修造、太田出版、2013年1月、2017年12月 第12刷)を買いました。

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 帰りの電車の中で一気に読みました。鼻水の場面はありませんでした。漫画の軽さが、映画ではしっかりと物語に仕上がっていました。

 この映画は、風景がきれいです。光を巧みに取り込んだ映像は、若者たちの爽やかさを引き立てています。背景が過去に引き込むのではなく、明日へと向かう若者を後押しする明るさがあります。主人公が抱え込むコンプレックスから産み出される暗さや深刻さを、風景が、背景がうまく相対化して前へと照らし出しています。

 この映画はお薦めです。

 チラシを紹介します。

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posted by genjiito at 18:38| Comment(0) | 回想追憶