2019年10月22日

読書雑記(272lk)船戸与一『蝶舞う館』

 『蝶舞う館』(船戸与一、講談社、2005年10月)を読みました。

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 2004年のベトナム、新月の月影の中で白骨の墓標が立ち並ぶ光景から始まります。
 すぐにサイゴンに場面は転換。街中の喧騒の中で物語は進みます。
 ベトナム戦争の時の話が詳しく語られます。ベトナムには多くの民族がいることや、それぞれの民族が闘っている様が活写されていくのです。私にとって知らないことばかりが展開するので、読み進みながら混乱してきました。それらを、船戸は丁寧に描き分けていきます。さまざまな言語が使われていることが、それぞれの局面で使い分けられ、丹念に語られています。言葉というものが、人々を精神的にも結びつけていることがわかりました。
 血腥い現場に蝶が舞い、蝶の刺青も印象的です。月光も、惨劇の場面を盛り上げます。船戸が描く世界は、静と動が混在する中で躍動しているのです。
 著者は綿密にベトナム史を調べ、現地を歩き回り、その膨大な情報をフィクションに盛り込んで仕上げたことがわかります。政治、経済、宗教、民族、芸術に至る幅広い話題が、背景で物語を支えているのです。
 私には、結局モンタニャール闘争委員会の実態について理解できないまま終盤を迎えました。ドイモイ政策についても同じです。現代ベトナム史の知識が欠けているからなのでしょう。最後に、梶本英輔が語るモンタニャール闘争委員会の全容は、もっと早く知りたかったことです。ベトナム政府の不当な弾圧に抗議して蜂起した組織であることを。物語の最後になり、その背景がやっとわかりました。
 日本人の戦場カメラマンであっても、報道者と行動者の違いというものが明確になっていきます。報道というものを通して、戦争と人間のありようが語られています。船戸流の語り口でずっしりと読者に覆い被さる、暗黒の民族史を扱った作品となっています。闇を見つめる眼が異彩を放っている、と言えるでしょう。
 最後の蒼い月影が印象的です。【4】

初出誌︰『小説現代』(2004年8月号、10月号、12月号、2005年1〜4月号、6月号、7月号)に掲載。
 
 
 
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2019年10月21日

エバーノートビジネスの研修会に参加して

 新大阪駅前で開催された、エバーノートに関する研修会に参加して来ました。
 現在、個人ではプレミアム版を、科研の研究プロジェクト用としてはビジネス版を活用しています。
 この情報活用ツールとしてのアプリ「エバーノート」は、フリー版は2009年から、プレミアム版は2011年から、ビジネス版は2018年から使って来ています。使いこなしているはずなのに、ビジネス版の使い方がさっぱりわかりません。現在、ビジネス版は10 人で使うようにしています。しかし、活用の仕方がうまくいっていないように思われます。そこで、何か有効な活用方法があるはずだと思い、今回の研修会に参加することにしました。会場は、新大阪駅すぐ前の「CIVI研修センター新大阪東」です。

 京都駅から新大阪駅に向かっている電車が、あろうことか高槻駅で運転見合わせとなりました。颱風で電車が止まることは、このところの大雨・大風で慣れたとはいえ、車内でジッと待つのは忍耐力が入ります。これからの社会は、自然災害や人的なトラブルで、何かと停滞することが多くなりそうです。これまでのようにスムーズにはいかない、ということを前提にした社会にしていかないと、ストレスが溜まるだけで心地よく日々を過ごせなくなります。それでも今日は、復旧が早かったこともあり、会場には少し遅れて着いただけでした。

 こうしたセミナーに参加することは久しぶりです。

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 今日の一つ目の講座は、「すぐできる! Evernote Business を活用した働き方改革」(エバーノート(株)ビジネスマネージャー 増田良平)でした。
 お話の内容はよくわかりました。それだけに、新たに得られた知見は少なかったように思います。内容のレベル分けが必要ではないか、と思いました。「デジタルトランスフォーメーション」の意味がわからないままに話が進んでいったので、困りました。
 また、知らない機能の紹介は総花的でインパクトがありませんでした。聞き手のレベルを把握されていなかったせいか、すでに利用している者としては聞きたいことが話されなかったのは残念でした。

 2つ目の講座は、(株) DATAKIT クラウドインテグレーション事業部の原田力頼氏のお話でした。
 情報共有が強みのアプリであり、非構造化データの扱いに長けているこことが強調されました。
 「忍びない系」と名付けられた情報をエバーノートに入れることから始めたら良い、というのは、実際に使っている者としてはわかります。しかし、それが難しいのです。捨てることができない私には、これは難題です。
 エバーノートのカメラで写真を撮ることは、もっとやろうと思うようになりました。
 今日の話を聞いていて、現在取り組んでいる多言語に翻訳された本のタイトルや奥付の整理は、それらを写真で保存することでエバーノートの検索の活用に結びつくことがわかりました。今度やってみます。
 それが進めば、検索エンジンが優秀なので、画像の中の文字列も対象になるという、キーワード検索機能が活きます。書名や人名も、写真で保存しておけば多言語でも探せるのです。複雑な検索条件を作っておくこともできるようです。これは知りませんでした。
 とにかく、高速なコラボレーションが可能となるので、業務時間を短縮でき、場所と時間に縛られない職場になる、とのことです。しかし、それは管理者側の発想であり、仕事をする側から見れば、果たしてこれはいいことかどうか、少し疑問に思いました。働き方改革とは逆の働きをすることになるからです。
 一人が一年間で探し物に費やす時間は、年間150時間だとのことです。その実態から言うと、このアプリは活用次第では意義がある、ということになります。
 最後に質問時間があったので、2点伺いました。
■質問1︰ビジネス版を解約したら、それまでのデータはどうなるか?
 1つだけでもアカウントを残しておけば、データは使い続けられるとのこと。
■質問2︰ノートやスペースの共有機能が非常に使いにくいことについて。ヘルプなどで調べるとよいそうです。(株)DATAKITでもサポートするそうです。しかし、使いやすいことが売りのソフトのはずです。エバーノート社に伝えましょう、という回答ではなかったので、この講座があくまでも使い方教えます、という視点で組まれたものであることがわかりました。
 なお、かねてよりややこしかった、ノートとスペースの違いが少しだけわかりました。
 多分に癖のあるソフトウェアなので、その使いこなしにはまだまだ修行が必要だとの思いを強くしました。
 
 
 
posted by genjiito at 19:32| Comment(0) | ◎情報社会

2019年10月20日

元気が出るニュース(1)

 演歌歌手だった香田晋(本名・鷲崎孝二)さんの今のようすが、今日20日の京都新聞に掲載されました。僧侶になっておられたのですね。
 何という曲を歌っておられたのかは思い出せません。しかし、頭を丸めて作務衣姿の写真を見て、すぐにわかりました。最後まで曲を聞いてしまう歌手でした。
 2012年に突然の引退後は、書道家としての道を邁進中。来年7月には、イギリスの美術展に出展するとのことです。着実に歩んでおられます。
 自宅があるのは横浜市。そこから毎月数回、福井県美浜町にある徳賞寺に通っておられるそうです。
 1989年にデビューしてからは、人気が出るとともにバラエティ番組への出演が増えます。勢い、本業の歌が思うようには歌えなくなったのだそうです。それが動機で転機となり、引退後は飲食店の経営から書家の道へと移っていきます。
 恩師であった船村徹さんの引き合わせで、仏門に入って得度。徳賞寺の住職である粟谷さんが禅画家だということで、「表現を通じて仏教の教えを知るきっかけになれば」と支援しておられるそうです。いい出会いに恵まれたことが、この転機の先行きを明るく照らしているように思われます。
 この転身の決断をした香田さんの、次の言葉が私の心を捉えました。バラエティ番組に出る日々の中での思いだったそうです。「笑顔を振りまくことに疲れ、心のどこかに限界を感じた」と。
 この新聞記事の最後は、こう記されています。

鷲崎さんは「やろうと思えば何でも挑戦できる。生きる勇気を伝えたい」と笑みを浮かべながら力強く話した。


 結びとしてはありきたりすぎるので、これは記事をまとめた記者の思いからのまとめの言葉のように思いました。この閉じ目の文章は不要だと思います。香田さんが実際にそう言われたのかどうかは別として、香田さんの思いと気持ちは、この記事全体から十分に伝わってきました。
 「そうか!」との共感と一緒に、元気がもらえる生きざまを伝える話として、ここに記録として残しておきます。
 
 
 
posted by genjiito at 18:23| Comment(0) | *身辺雑記

2019年10月19日

紫風庵で三十六歌仙と源氏物語の変体仮名を読む(第6回)

 大徳寺に近い「紫風庵」で、「源氏物語と三十六歌仙の写本を変体仮名で読む会」の第6回となる勉強会を開催しました。主催は、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉です。
 午後2時、ちょうど始めようとした時に、大雨となりました。紫風庵の背後に建つ建勲神社では、織田信長が上洛した日に因み、10月19日の今日は船岡大祭が行われていました。大鼓の音の合間に、物が爆発する音が何度もします。信長にゆかりがあるとのことで、火縄銃が演武されている音だそうです。来年の大河ドラマは明智光秀が主人公です。すでにこの建勲神社への参拝客は日々増えているそうです。
 そんな中で、まずは配布したA4版のプリント10枚を見ながら、今日の勉強内容の確認からです。
(1)10月26日(土)の百人一首のイベントのお誘い
(2)定家本「若紫」に関する新聞記事から。補入された2文字の説明文が、写本のことをよく知らない人が書いていることを証明する。
(3)福沢諭吉の『学問のすゝめ』の冒頭などに残されている変体仮名。
(4)山下智子さんの京ことばで読む『源氏物語』の宣伝(11月17日分)
(5)襖絵の詞書と和歌の確認
(6)ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」の今日読む箇所の確認

 今日見る、襖に貼られた三十六歌仙の絵と和歌については、座卓を囲んだ学習形式で、書かれている文字をプリントを使って確認しました。今回は、「壬生忠峯」「斎宮女御」「大中臣頼基」「藤原敏行」の四名です。

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 目ならしのプリント学習を経て、部屋を奥の座敷に移動して、実際の作品を見ます。

 左から四領目の襖《左上》は「壬生忠峯」です。

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■忠峯(有明のつれなく見えし別れより暁ばかり憂きものはなし)
                   (古今和歌集 六二五)
  右   壬生忠峯
あ可つき    王可れ
   【斗】    よ里
     【有明】農
 うき
  【物】  つれな具
   ハ
   なし   三盈
         し


 このチラシ書きについては、ど真ん中に初句「【有明】農」がくっきりと書かれていることがわかります。

 2首目は斎宮女御です。
 ◎左から四領目の襖《右上》
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■斎宮女御(琴の音にみねの松風かよふらしいづれのをよりしらべそめけむ)(拾遺和歌集 四五一)
    斎宮女御
こと能【音】耳三ねの
  【松】可せ可よふらし
  い都連の乎よ里
   志らへ所め介む


 3首目は大中臣頼基。
 ◎左から四領目の襖《右中》

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■頼基(ひとふしに千世をこめたる杖なればつくともつきじ君がよはひは)
                       (拾遺和歌集 二七六)
  右  大中臣頼基
【一】婦し尓【千世】越
   こめ多る【杖】な連
            者
  津くともつきし
  【君】可よ者飛盤


 4首目は敏行朝臣です。
 ◎左から四領目の襖《右下》 にあります。

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■敏行(秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる)
                      (古今和歌集 一六九)
  右   藤原敏行朝臣
【秋】きぬ登めにハ   おとろ
   さや可尓みえね    可連
         とも
               努
    【風】のをとに
                る
          そ


 参会者の中に、すでに京都国立博物館へ佐竹本三十六歌仙を見に行かれた方がいらっしゃいました。歌仙絵が切断された時には、斎宮女御が一番高い値段であったことや、平日は入館者が少なかったことなど、いろいろな話に花が咲きました。

 続いて、ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」を読みました。
 「堂」が普通に読めるようになると、もう大丈夫ですと言っていると、15丁表には5例も出てきました。
 今日は、15丁表10行目の行末まで確認し終えました。来月は、15丁裏1行目から読みます。

 次回は、11月30日(土)午後2時からです。

 帰りに建勲神社前で、「京都刀剣御朱印めぐり」の大型バスが停まっていました。刀剣女子かと思いきや、結構年齢層の高い方々が乗り降りしておられました。
 
 
 
posted by genjiito at 21:03| Comment(0) | ◎NPO活動

2019年10月18日

ルーマニア語が母語のロマン・パシュカ先生と出町柳で面談

 不思議なご縁で、京都大学のパシュカ・ロマン先生を知ることとなりました。
 簡単な人物紹介は、京都大学のホームページ(http://www.cape.bun.kyoto-u.ac.jp/member/#a_member_pasca)で見ることができます。
 今日は、出町柳でお目にかかり、いろいろと有意義な話を伺う機会が得られました。
 お話の中心は、持参したイオン・スクンピエル氏著「日本ルーマニア関係133年」の巻末資料「ルーマニアで出版されている日本関連書籍」のリストと、在ルーマニア日本大使館のフロレンティナ・トマさん作成の「ルーマニア語に翻訳されている日本文学作品」を見ながらの翻訳書の確認でした。
 今年の3月にルーマニアへ調査旅行で行ったことは、「カンテミール大学訪問後は書店へ」(2019年03月09日)に書いた通りです。その記事にある、カンテミール大学で会った先生方は、みなさんロマン先生のお仲間だったのです。また、翌日の「ブカレスト大学で『百人一首』に関する基調講演」(2019年03月10日)に書いたことも、ロマン先生がブカレスト大学のご出身ということもあり、私がその時に名刺交換した先生方もこれまたお仲間なのです。世界は狭いものだと、いつものことながら実感しました。
 ロマン先生は、『枕草子』のルーマニア語訳に関わっておられました。これについては、古文から訳された1977年版と、それを改訂した2004年版がそうです。1977年版は、時代の趨勢もあり、検閲でカットされたものだったようです。それを、ロマン先生は元版の訳者であるチョンカ先生と相談して補われたのが2004年版だ、とのことでした。これとは別に、2015年版は、英訳からルーマニア語訳にしたものです。オックスフォード大学の先生が関わっておられるようです。これらも、今後の調査で明らかにしていくつもりです。なお、チョンカ先生は現在はドイツにお住まいのようです。機会を得て、その背景などを直接伺いたいものです。
 『源氏物語』に関しては、2017年に刊行されたホンドル先生のルーマニア語訳『源氏物語』以外に、「【速報】1969年版ルーマニア語訳『源氏物語』との出会い」(2019年03月08日)があったことは、すでに報告しました。それに加えて、今日はさらにもう一冊の『源氏物語』に関する情報がいただけました。それは、1985年にEPLUから刊行されたルーマニア語訳『源氏物語』です。これは、フランス語からの重訳のようです。ただし、「葵」巻までのようなので、1969年版のアーサー・ウェイリーの英訳からルーマニア語に訳した『源氏物語』とどのような関係にあるのか、今後さらに調査を進めて行きます。
 今日のロマン先生のお話から、ルーマニアの共産主義時代における出版物に関する影響を考える必要性を痛感しました。私には荷の重いこととはいえ、多分野の方々とのコラボレーションを通して、問題点を浮き彫りにしていきたいと思っています。ご意見などをお寄せいただけると幸いです。
 ホンドル先生のルーマニア語訳『源氏物語』「若紫」巻のコピーをお渡しし、日本語への訳し戻しをお願いしました。
 こうして、ルーマニア語に翻訳された平安文学の調査研究も、少しずつ前進しています。成果が見える形で報告できることを、今から楽しみにしています。
 
 
 
posted by genjiito at 22:39| Comment(0) | ■科研研究

2019年10月17日

「源氏物語と三十六歌仙の写本を変体仮名で読む会」(第6回)のお知らせ

 昨日16日(水)の京都新聞「まちかど」欄に、次の紹介記事を掲載していただきました。

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 会場はいつもの通り、平安京の北の基点となった船岡山のすぐ南にある、登録有形文化財に指定されている「紫風庵」です。その「紫風庵」で、ハーバード本「須磨」巻を読むと共に、「紫風庵」所蔵で江戸時代に描かれた三十六歌仙の絵と和歌を読んでいます。平仮名は変体仮名を再確認しながら、書かれている文字を忠実に読んでいきます。
 江戸時代に描かれた三十六歌仙の絵が貼られた襖がある部屋で、しかも間近に見ながら、一文字ずつを解読していきます。「紫風庵」に所蔵されている「三十六歌仙」の詳しいことは、「京洛逍遥(538)登録有形文化財「紫風庵」の三十六歌仙絵」(2019年04月13日)(http://genjiito.sblo.jp/article/185856865.html)でご確認ください。

 今回は、向かって右端にある次の襖絵(左から四領目)の四人、上から「壬生忠峯」「斎宮女御」「大中臣頼基」「藤原敏行」を見ていきます。

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 前回の勉強会の内容は、「「源氏物語と三十六歌仙の写本を変体仮名で読む会」(第5回)」(2019年09月28日)に詳しく報告しています。

 1年かけて、この三十六歌仙に取り組む予定です。ぜひこの機会に、生きた古典と接する得難い体験の場としてください。初心者を意識して、丁寧に変体仮名を読むコツなどを説明します。
 参加を希望される方は、このブログのコメント欄をご利用ください。折り返し、説明の返信を差し上げます。
 なお、この学習会は、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉が主催する企画です。小規模ながら、地道に気長に活動を続けています。
 『源氏物語』ともども、「三十六歌仙」という古典文学作品を生で鑑賞し、そこに書かれた文字を忠実に翻字していくことに興味をお持ちの方の参加をお待ちしています。
 
 
 
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ◎NPO活動

2019年10月16日

愛知文教大学で翻訳本に関する出張授業

 今日は、愛知文教大学で「海外で読まれている平安文学 −翻訳本の表紙を楽しむ−」と題して、出張授業をして来ました。科研の成果を公開することで、若い学生たちに最新の情報を提供し、一緒に考えるきっかけを作り出そう、とするのが目的です。
 配布する資料の冒頭には、次の説明を掲げました。
 これから、このプログラムをメニューの一つとして、全国各地を回って行く予定です。

開催目的:日本古典文学が海外で受け入れられている現状と世界の書籍文化を知る機会の提供

開催基盤:科研(A)「海外における平安文学及び多言語翻訳に関する研究」
     (課題番号︰17H00912、研究代表者・伊藤鉄也・大阪大学)

後援協力:特定非営利活動法人〈源氏物語電子資料館〉

講義補助:吉村仁志(科研運用補助員、同志社大学・3年生)

配布冊子:『平安文学翻訳本集成〈2018〉』(伊藤鉄也 他3名編、2019年3月)
     【ダウンロード先】https://genjiito.org/aboutkaken/allresearchreports/

閲覧資料:『平安文学翻訳本集成〈2018〉』に掲載した翻訳本から20点を適宜選択

情報公開:「海外へいあんぶんがく情報」(http://genjiito.org

講義概要:
 日本の古典文学の中でも、平安文学は多くの国々で翻訳され、広く読まれている。例えば『源氏物語』は36種類の言語で翻訳されている(2019年10月16日現在)。
 今回は、その翻訳本の表紙と中身および収集の来歴を紹介し、そこから見えてくる今後の新しい研究テーマを紹介する。平安文学を翻訳した本の表紙デザインの多彩さを楽しんでいただけるように、20冊を精選して持参した。世界各国の翻訳本を自分の手で触り、目で見て、表紙絵・装訂・用紙・文字の諸相を体感してほしい。そして、日本の古典文学の中でも平安文学が、さまざまな外国語に翻訳されている状況やその意味を考えていただけると幸いである。


 キャリーバッグに詰め込んで持参した翻訳本20冊は、以下のものてす。

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※『平安文学翻訳本集成〈2018〉』での、持参した20冊の図版番号と翻訳言語
  (G=源氏、H=平安 未収=冊子に未収録)
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〈前掲写真の左側〉(英語・日本語・ビルマ語・タミル語・タイ語・チベット語)

【G10、英語】 【H4、英語】 【H14、『蜻蛉日記』、英語】 【H『百人一首』、英語、未収】

【G日本語訳、未収】【G73、ビルマ語】【G38、タミル語】【G『あさきゆめみし』、タイ語、未収】

【G画帖、英語、未収】 【H11、英語】 【H11、チベット語】
--------------------------------------
〈前掲写真の右側〉(中国語)

【H6】 【H39】 【G『あさきゆめみし』(中国語)、未収】

【G解説、日本語、未収】 【G解説。英語、未収】 【G解説書、中国語、未収】

【G45、繁体字】 【G55、簡体字】 【G42】


 名古屋駅でJR中央線に乗り換え、高蔵寺駅からスクールバスで大学へ行きました。気持ちのいい樹々の中に、爽やかな学校がありました。写真左端の建物の2階が、本日の会場でした。

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 まずは、学長室で少しお話をしました。広報のためにブログ用の写真を、とのことだったので、それでは私も訪問した証明写真を、ということで学長と写真を撮り合いしました。大学の広報紙に、この時の写真が掲載されるようです。

 会場は階段教室が用意されていました。

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 学生には、今春発行した『平安文学翻訳本集成〈2018〉』と、お話する内容を分かりやすくまとめたA4カラー版7枚の資料を配布しました。持参した翻訳本20冊は、教室の前の方に並べました。

 約60分間、レジメを基にして写真やホームページを映写しながら、一般の学生であることを意識して説明を進めます。
 まずは、こんな部屋で世界中の翻訳本と情報を整理していますよ、と箕面キャンパスの研究室の様子を映し出しました。

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 今日の受講生は学部1年生で、科目名は「日本の伝統と文化」です。日頃から科研の資料と情報の整理で箕面キャンパスに来ている科研運用補助員の吉村仁君も同行し、会場で手助けをしてもらいました。
 スクリーンに写真や資料を映写しながら、海外での平安文学の研究状況や翻訳本の実態を語りました。おおよそ、次のような進行です。

 最初に強調したのは、『源氏物語』が36種類の言語で翻訳されていることです。

【『源氏物語』が翻訳されている36種類の言語一覧】(2019年10月16日 現在)

アッサム語(インド)・アラビア語・イタリア語・ウクライナ語・ウルドゥー語(インド)・英語・エスペラント・オランダ語・オディアー語(インド)・クロアチア語・スウェーデン語・スペイン語・スロベニア語・セルビア語・タミル語(インド)・チェコ語・中国語(簡体字)・中国語(繁体字)・テルグ語(インド)・ドイツ語・トルコ語・(現代)日本語・ハンガリー語・ハングル・パンジャービー語(インド)・ビルマ語・ヒンディー語(インド)・フィンランド語・フランス語・ベトナム語・ポルトガル語・マラヤーラム語(インド)・モンゴル語・リトアニア語・ルーマニア語・ロシア語・(※日本点字訳を予定)


 また、近年は英訳『源氏物語』の訳し戻しがなされています。
 ・『ウェイリー版 源氏物語 全4巻』
  (佐復秀樹訳、平凡社ライブラリー、2008年〜9年)
 ・『源氏物語 A・ウェイリー版 全4巻』
  (毬矢 まりえ, 森山 恵、左右社、2017年〜19年)
 具体的には、次のような訳の違いが見られます。
 「Her lodging was in the wing called Kiritsubo.」の“wing”
  →佐復訳「対」、毬矢訳「本殿から離れたウィング」

 同じように私の科研でも、各国の翻訳を訳し戻していることを報告しました。可能であれば、ネイティブスピーカーと日本人の翻訳者の2人で訳すようにしています。

■平安文学作品の翻訳本を日本語に[訳し戻し]すること(※公開準備中)

 各国語に翻訳された文章を日本語に一元化し、それを通して、日本文化が変容して伝えられていく諸相と実態を確認し、研究者等と共同研究の形で考察していく。各国にどのような表現で平安文学が、ひいては日本文化が伝えられているのか、ということを調査研究しようとするものである。日本文学を通して日本文化が海外にどう伝わっているかの究明が、この研究において最終的に取り組む課題となる。


 また、『十帖源氏』を多言語翻訳する取り組みも紹介しました。

『十帖源氏』の翻訳と研究

 日本側で作成した平易な現代語訳を活用して各国で翻訳を進める
  検索表示画面 http://genjiito.org/10jyougenji/10jyougenji_japan/
  (カーン訳) https://genjiito.org/heian_data/glossary_db_kri_02/
  ※各国の翻訳の訳し戻しを基礎資料として、国際集会で共同討議を行なう
 翻訳しやすい現代日本語訳を東京と京都で作成中
 NPO法人〈源氏物語電子資料館〉のホームページから公開中
  http://genjiemuseum.web.fc2.com/10jyo-kiroku.html


 インドにおける8言語による翻訳の例も、日本の文化を多言語に翻訳することの困難さの事例としてあげました。
 併せて、表紙のデザインにも注目してほしいとも。
 例えば、金閣寺や遊女や浴衣等が描かれた表紙絵からは、日本をイメージするアイテムの性格が、国々によって異なることがわかります。アジア諸国は、欧米とは異なるデザインになっているように思われます。これらは、これからの若者に考えてもらいたいこととして提示しました。

 最後の20分は、実際に持参した翻訳本を手に取って見てもらいました。
 質問の中には、なぜこんなにたくさんの平安文学作品が翻訳されているか、ということがありました。よくわからないと前置きをした上で、読んだ内容が京都へ行くと追体験できることも、人気の一つではないか、と答えました。地名や通りや建物が数多く今も残っているので、千年前の日本の話であっても、イメージを作り上げやすいのだと思われます。再確認や再構築することが容易なのです。虚構と現実とが錯綜する楽しみを実感できることが、海外の多くの方々に読んでもらえる背景にあるのではないでしょうか。
 翻訳することの意味も考えましょう、と問いかけました。翻訳本を通して、日本の文化が他国に言葉の移し替えによって伝わります。その伝わり方を調べることは、自ずと異文化交流につながるのです。国際交流の原点に立つことになります。言葉にこだわることの意味を、学生たちには何とか伝えることができたのではないかと思います。
 久しぶりの授業で緊張しました。しかし、心地よい疲れを味わうこともできました。
 今後とも、この取り組みを続けたいと思います。声をかけてくだされば、こちらから翻訳本を持って伺います。まさに、出前授業です。科研の成果を公開するものなので、金銭的な負担はおかけしません。次は、来年2月に行くところがほぼ決まっています。その前後にも可能ですので、お問い合わせいただければ検討させていただきます。
 
 
 
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2019年10月15日

清張全集復読(36)『火の路 上』

 『火の路 上』(松本清張、文春文庫、1978年7月)を読みました。

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 この作品を読むのは3度目です。新聞に連載されていた時、次に単行本で、そして今回は文庫本で読みました。

 開巻早々、飛鳥の酒船石の写真が出てきます。これは、読者にとっては現在残されている遺物のイメージを膨らませることになる、ありがたい配慮です。そして、酒船石の所で一人の女性が登場。謎解きの始まりです。さらに、奈良市内での殺傷事件へと話題が発展します。古美術家と歴史学者が展開する、古代史ミステリーです。
 中でも、学者批判、論文盗用、実証主義、民俗学に対する批判は、清張の内部にあった本音の一端だと思われます。少し長くなるのも厭わず、引いておきます。

 それは先生が弟子の論文を平気で盗用するという話であった。弟子は、学界での自分の将来を先生に托しているので、文句も言えずに泣寝入りになる、それが学界の「慣習」だと言っていた。
「海津信六の論文を、さすがにそのまま盗用する学者はいない。しかし、海津論文は示唆が多いから、下敷きにするにはもってこいだよ」
「しかし、そんなことをしてたら、タネが分かるんじゃないですか?」
「海津信六の古い論文を知っている者には、ははあ、この先生の学説はこれからタネを取っているのだな、と推定がつく。が、それが表立って非難されないのは、お互いが同じようなことをやっている点にもある」
「その場合、自説の基礎となった海津さんの論文を出典名として挙げないのですか?」
「とんでもないよ、君」
と、佐田はパイプを口から放した。
「……そんな公明な心がけの学者はほとんどいない。自信のない人たちばかりだからね。それに海津信六の論文名を挙げたら、それだけで自己のマイナスになる」
「どうして海津信六さんの論文を出典として挙げると、その学者のマイナスになるんですか。そんな天才的な学者の説だったら、かえってプラスじゃないのですか?」
 福原は素人ぽい疑問を質した。
「そういう正論が通らないのが学界だ。派閥がある。ご承知の通りにね。で、どんな権威ある学者の説でも、反対派の学者に引用されることは、まず、ないといっていいね。引用した学者が自派から総スカンを喰うからね。まして海津信六は若いときに脱落した学者だ。そういうのを出典として明記したら、ひどい目に遇う」
 佐田はパイプを弄んで口からはなしたり当てたりしていた。
「そういう脱落した学者の説を下敷きにして論文を書くというのは、どういうことですか?」
「大きな矛盾だ。その矛盾がまかり通るところが学界の特殊性だね。要するに、海津信六の考えをとらざるを得ないくらいに現在の学者、学部や研究所の教授、助教授、講師連の頭は貧弱なんだよ」(135〜136頁)

(中略)

「実証的というのは学問的には尊重されるのでしょう?」
「まさに、その通り。実証性のない学問は学問ではない。しかし、このごろは実証というのが資料の羅列に終わるということといっしょくたにされているね。これは才能のない学者がわざとその混同に持ちこんでいる傾向がある。たとえば、奈良で君に話したように、板垣助教授などは資料として他の学説を紹介するだけで、自説はあまり出さない。先生はそれが実証的で科学的だと思ってるんだね。ぼくに言わせたら、それはエセ実証主義で、本人の無能露呈以外の何ものでもない。……だいたい、板垣君の上にいる教授の久保能之君にしてからそうなんだ。あの男、堅実型といわれているが、この堅実も無能という語に置きかえてもいいね。無能だから、発想が他に伸びない。いきおい、安全な自己の守備範囲だけを固めることになる。これを世間では、久保の堅実主義だとか慎重主義だとか言っている。それを助教授の板垣君が見習ってるのさ。まあ、久保教授についてはそう言われても仕方がない。久保君は、もともと史学の出身ではなく、法学畑
から横すべりして来て、教授になったようなものだからね」(137頁)

(中略)

 佐田のロ調は、静かな昂奮が伴うにつれて、論文調を帯びた。
「久保君はそういう男さ。そういつやりかただ。だから古代の罪科でも祝詞にあるような天津罪・国津罪になると、もう、お手上げだ。民俗学の連中の言っていることをそのまま援用している。だいたい、民俗学を古代歴史学の補助学問とか隣接学問と思いこんでいるのが奴さんの無知でね。民俗学なんてものは学問にはほど遠いものさ。民俗学に歴史性の欠落が言われているのを、いまさらとぼくは言いたいね。久保君は、神がかり的な折口信夫あたりの直観説を引用すれば、信者の民俗学者どもがみんな恐れ入ってしまうから、自説の強化になると思っている憐れむべき男だ。彼の古代法制というのも、日本のことばかり見ているから、分からないのさ。皆目、無知なことのみ言うようになる。古代の朝鮮、北アジア、東アジアの民族習慣に眼をむけないから、トンチンカンなことばかり書いたり言ったりするようになる。まあ、そう彼に注文するほうが、どだい無理な話だがね。それで大学教授だから、大学教授も質が落ちたものさ」(138〜139頁)


 ここに出てくる海津信六は、学界から弾き出された男です。「海津信六は官学の大学出ではない。私立の大学にも行っていない。地方の高等師範学校出身さ」(141頁)と語られます。岡山県の津山出身だとも。旧制中学の歴史の教師でした。私には、このことから池田亀鑑の経歴を思い出させます。なお、松本清張は、國學院大學の樋口清之先生と親交がありました。博物館の学芸員の資格をとるために受講した樋口先生の講義で、松本清張の話がよく出ました。ここに書かれていることは、学生時代から目にし、耳にし、実体験もしたことばかりです。この発言の背景には、清張の恵まれなかった己の才能と生い立ちを支える、確たる信念があるのです。
 その海津は、T大学史学科の助手をしていました。しかし、天才とも言われていた海津は、女性とのことで転落し、学問を捨てたのです。高須通子が追いかける飛鳥の石造遺物の謎に、この海津の過去にまつわる謎がないまぜになり、物語はさらに興味深いものへと展開していきます。
 問題点が次第に姿を現し、大きなうねりとなって読者に迫ってくるのは、清張の小説の特徴です。
 やがて、海津が学者だった頃の実像が見え、高須の研究意欲が刺激されます。海津から得た示唆が、飛鳥の遺物とゾロアスター教に結びつくと、中央アジアの文化論が展開されます。このあたりは、在野の歴史家清張の面目躍如たるものが遺憾なく発揮されています。学問上の専門知識が、ふんだんに語られます。もはや、歴史小説と研究史と研究論文が渾然一体となった世界として読者に提示されます。清張ならではの、レベルの高い専門家の知識の領域に読者は誘われます。
 次第に中東のイランが注目され、実際に高須は出向くことになります。ここで、海津が示す調査研究の手法に関する私見は、今に通ずるものだと言えるでしょう。

 もちろんイランにはこれまで日本からも多数の学者が行っており、詳細に現地を調査したり観察してまわっていますから、いわゆる「残滓」は無いようにも思われます。けれども、学者はその目的とするところによって調査方法も違うし、主目的からはずれたものには眼が届かないと思います。見れども見えず、ということにもなりましょう。また、いくら視察してもその学者の思念にないものは無視されてしまいます。さらに敢えて言えば、学者に慧眼がなかったら、これまたモノが見えないのと同様です。また、たとえそのモノが眼に入ったとしても、間違った解釈をされると実態からはずれることになります。(352頁)


 通子がイランに行くことになってから、身辺の人間関係が立ち現れて来ます。一人で研究者として生きていても、現実には人とのつながりの中で生きているのです。その中でも、過去の辛かったことが蘇りました。悔いしか残らなかった恋愛話が、長野の実家で夜空を見上げながら思い起こされます。
 これまで、この作品を3度読んでいます。1回目は、この作品が連載された日々の新聞で。そして、2回目は、この作品が単行本として刊行されたすぐに。さらには、大阪の高校で、秋の遠足に飛鳥へ連れて行くことにした時、現地を下見しながらこの作品を拾い読みしたのです。そして、この作品に触れながら、遠足の案内の資料を作りました。授業でも取り上げました。
 今、3度目を読み進め、ちょうど半ばに至りました。そして、この上巻の後半のゾロアスター教の話の後にある、高須通子の個人的な恋愛話が語られていたことを、初めて知った思いでいます。古代史のことばかりが記憶に残り、こうした、一人の女性が生きていく上でのさまざまな人とのしがらみも、丹念に描かれていたことを読み飛ばしていたようです。長編の作品になると、こうしたこともあるのだと思わされています。清張は、人間の内面を描き出す力を持った作家であったことに、あらためて思い至りました。読みが浅かったことを、この前半を終わる時点で痛感させられました。
 
 
書誌:昭和48年(1973)6月16日〜翌49年10月13日まで、朝日新聞に「火の回路」として連載。
昭和50年11月に単行本として『火の路 上』(文藝春秋)が、翌月に『火の路 下』が刊行。
文庫本としては、昭和53年7月に文春文庫から上下2巻が、昭和54年7月に光文社カッパノベルスとして上下2巻が、さらに昭和58年3月に文藝春秋社から『松本清張全集 第50巻(全66巻)』に収録。
 
 
 
posted by genjiito at 22:57| Comment(0) | □清張復読

2019年10月14日

NPO秋の催し「一味違う〈百人一首〉を見る聴く楽しむ」のご案内

 先月中旬の本ブログ、「京洛逍遥(576)玄想庵へNPO開催イベントの下見に行く」(2019年09月12日)の後半で紹介したように、来週末の10月26日(土)の午後、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の秋のイベントとして、「一味違う『百人一首』を見る聴く楽しむ」を以下の要領で開催します。今年は、時代祭(原則自由観覧)と連動させて行ないます。

内容:「同志社大学競技かるた同好会」の協力を得て、本会らしいイベントを考えました。視覚障害者の会である「大阪点字付きかるたを楽しむ会」(大阪)と「点字付百人一首〜百星の会」(東京)のメンバーも参加して、『百人一首』のさまざまな魅力を幅広く体感していただく催しです。見える見えないは問題ではなく、『百人一首』はさまざまな楽しみ方がなされているのです。さらに今回は、本邦初となる「変体仮名カルタの立体文字版」(試作版)も触っていただきます。
 戸外で1000年にわたる時代風俗行列を気ままに観た後は、築130年の京町家の一室で『百人一首』を観戦し、一緒に楽しんでください。
 参加希望の方で、特に「玄想庵」での『百人一首』の会にお越しの方は、準備の都合がありますので、来週の10月24日(木)正午までに、本ブログ後掲のコメント欄を利用して連絡をお願いします。

【プログラム】


「一味違う〈百人一首〉を見る聴く楽しむ」


開催日時:2019年10月26日(土)午後
場所:(1)烏丸丸太町周辺、(2)東洞院仏光寺「玄想庵」

内容:(1)「時代祭」の行列を観る
     観覧場所:地下鉄丸太町駅の地上付近(原則、自由行動)
     時間:12時半から13時半まで
     (原則、自由行動。14時までに直接「玄想庵」へ)
   ■ブラブラ組の待ち合わせ場所
   「noku cafe by MAEDA'S COFFEE」の入口付近に正午
    (各自あらかじめ食事を済ませて参集願います)
    地下鉄烏丸線「烏丸丸太町」駅より徒歩1分
    https://www.maedacoffee.com/shopinfo/noku/
    〒604-0861 京都市中京区大倉町205-1 烏丸丸太町下る
    電話:075-256-1223

   (2)京町家で『百人一首』
     場所:「玄想庵」(京都市下京区東洞院通仏光寺上ル301)
       地下鉄烏丸線「四条」駅南側(京都駅寄り)5番出口から徒歩1分
       京都東洞院仏光寺郵便局すぐ北、「廣田紬株式会社」の看板が目印
       TEL 075-351-2458
     時間:14時から16時まで
     参加費:本NPO正会員 1,000円
          サポート会員 1,500円
          一般参加   2,000円
      (いずれも障害保険加入費を含む)
      (障害者手帳保持者は1,000円、その介助者は無料)

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posted by genjiito at 20:32| Comment(0) | ◎NPO活動

2019年10月13日

颱風一過の賀茂川と龍田川がいつもの景色に戻るとき

 超大型の颱風が、東海から関東、そして東北へと駆け抜けて行きました。まだ被害の全体像が見えません。想像を絶することが起きているようです。日本の治山治水政策は、あらためて見直すべきだとの意見が噴出しています。日本には、もともと自然を征服しようという発想はなかったので、日本の伝統と文化に基づいた議論をしていきたいもです。その意味では、日本の学校が、あまりにも欧米の論理をよしとした教育を先導してきたことへの反省が、今求められていると思っています。明日を支える子供に、日本の伝統と文化を踏まえた教育や育児をしていく必要性を痛感するようになりました。ここは日本なのですから、そこに欧米流を持ち込むのではなく、日本流の子育てを模索していきたいものです。孫たちを、そんな目で見ていきたいと思っています。

 洛北の賀茂川と大和の龍田川は、水量が多くなり少し濁っています。しかし、そうは言うものの、いつもの太古以来の穏やかな姿を見せています。いつもの風景に、安心させられます。

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 お茶の先生のお宅に行く坂の途中で、たこ焼き屋さんや床屋さんが入っていた建物が解体されていました。夏には、この軒先にミスとシャワーがあったので、坂道を上る手前で元気がもらえた、息継ぎポイントとなる建物でした。残念です。

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 今日のお茶のお稽古では、「中置きの濃茶」をしました。
 正面に風炉があり、水指はいつもと違って風炉の左前。
 右手の空間がやや殺風景です。お客人には、お点前をする景色がすっきりしていて、これはこれでいいのかもしれません。炭火が近くに感じられるので、冬がやってくることを感じるのにもいいのでしょう。

 お仕覆は、左に置かれた水指の手前に置きます。いかにも窮屈です。しかし、あえてそうすることに意味がありそうです。とにかく、理由付けは今は要りません。

 何かと、勝手が微妙に違うのです。何をわざわざと思うものの、これにも一理あってのことなのでしょう。理屈は抜きで、とにかく、お点前の所作をしっかりと身につけることに集中です。
 わけもなく覚えさせられる、というところに、こうしたお稽古事が嫌われる原因があります。しかし、私は理不尽に思われるところにおもしろさを感じているので、これもまた一歩前に歩むためだと割り切って、せっせと手や頭を働かせています。それにしても、自然に身体が流れるように動くのには、まだまだ時間がかかりそうです。

 思い出せない、間違えた、忘れた、という負の連鎖の中で、滑らかな動きを目標に据えて、靄をかき払うようにして前に進んで行きます。数ヶ月前にこれと同じことをしたんだろうか? と自分の記憶を疑います。覚えていないだけで、やったのでしょう。

 今日は、茶筅でお茶を練って茶碗を差し出した時に、抹茶の粉が茶碗の縁にベットリと固まって付いていることに気付きました。茶筅にも固まりが……
 先生は、そうして上手くなるのです、と慰めてくださいました。そう言われると、失敗したと思われることが、前向きに見えてくるので不思議です。

 今日は夜に大阪駅前で大事な打ち合わせがあるので、みなさまよりも一足先に帰りました。駅に着いた時、あの汚れた茶碗と茶筅を、後で丁寧に洗おうと水屋の別の所に置いたままで帰ったことを思い出しました。すぐに先生にお詫びのメールを出しました。大丈夫ですよ、と優しい返信がありました。ホテルでの待ち合わせ時間に遅れないようにと、時間が気になっていたことからの失態です。お稽古にいらっしゃっていたみなさま、本当に申し訳ありません。

 久しぶりに、難波駅の人混みの中を歩きました。予想していたとはいえ、海外からの方々が多いこと。活気を通り越して、街や地下のショッピングセンターが盛り上がっています。このあたりは、出身高校が近いこともあり、かつての賑わいを知っています。やや他人行儀な活力が、無駄に放出さているように思えます。京都とは違う、買い物で目がギラギラしている印象を受けました。日本の街として、取り戻していきたいものです。
 
 
 
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ・ブラリと

2019年10月12日

読書雑記(271)『絵巻切断 −佐竹本三十六歌仙の流転−』

 佐竹本三十六歌仙絵が切断されて100年。37枚の歌仙絵の内、過去最多の31枚が京都国立博物館で一堂に会することになりました。明日から始まる特別展、「流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」(京都新聞など主催)がそれです。
 1986年に、東京の美術館で20枚の絵を集めて展覧会が開催されました。それが、今回は37枚が集まるのです。賑やかなことです。
 当初は、本日12日から開幕の予定でした。しかし、大型颱風19号が来たために、1日ずらした明日13日(日)から、11月24日(日)までの開催となりました。
 この展覧会に行く前に、『絵巻切断 −佐竹本三十六歌仙の流転−』(NHK取材班、美術公論社、1984年7月)を読みました。

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 この本は、刊行されてすぐに読んでいます。知らないことばかりが書かれていて、興奮しながら読んだ覚えがあります。関連する本は、何冊も読みました。その中から、今またこれを取り出して読んだのは、取材陣に熱気があり、読む方も知られざる夢のような話に熱中したからです。

 天下の優品とされる歌仙絵が切断されたのは、大正8年12月20日。以来、絵はその持ち主を変え、散り散りになりました。本書は、その佐竹本の絵巻が転々とした様を追いかけた取材記事です。昭和58年11月3日に、NHKテレビが「絵巻切断 −秘宝三十六歌仙の流転−』という特別番組を放映したそうです。本書は、その取材班の手になるものです。

 あれから35年。この本は輝きを失なっていました。今読み返すと、文章に品がありません。取材する側が勉強不足であり、質問が陳腐です。

「この仲文の絵はどなたのもとにあったんですか?」
「これですか?そら知らんのです。私は、戦後、善田さん(古美術商)から買うたんですけど。」
「仲文というのはどういう方だったんですか?」
「それも私、よう知りませんけども。まあ、中に書いてますけどまず見てもらいましょうか。」
「じゃあ、まず見せていただきましょうか。」(170頁)
(中略)
「この前はどなたがお持ちだったんですか?」
「いや、それは、道具屋さんは、誰が持ってたいうこと言うと、値幅取ったんわかりますからね、ハハハ。それは大体言わないのが常識でございますね。」
 この年の夏、大文字の送り火は奥さんと二人で静かに見るつもりだと北村さんは話していた。その時には仲文の軸を茶席に飾るのだろうか……。
 仲文の歌を読み聞かせてくれた時のどこか寂しそうな北村さんの表情は今でも印象に残っている。(177頁)


 全編を通して、貨幣価値に重きを置いた視点が前面に出ているため、取材当時は新鮮で耳目を驚かせたことが、今はそのことがかえって内容や品質を低めています。ニュース性の高いネタを扱う本の宿命です。役割を終えた本だと言えるでしょう。
 大伴家持を持っていた松下幸之助の章などは、インタビューで何を聞き、それをどうまとめるかが一貫していない典型です。それ以降も、お金持ちは何に興味があり、どんな生活をしているかに焦点が合わされた話題が展開していきます。そんなこんなで、あくまでもお金がいくら動いたかが中心にまとめられています。そのために、歌仙絵を持っている方は絵には愛着がないかのように読めます。所有欲を満たしていることに悦楽を感じておられる姿が浮かび上がります。歌仙絵をお持ちの方に失礼ではないか、という表現が散見します。下衆の勘ぐりが満ちた内容だ、と言った方がいいかもしれません。今となっては、好意的には読めませんでした。
 そうは言っても、お金にまつわる話は今に置き換えながら、それなりに楽しめました。歌仙絵そのものの価値はさておき、その絵をめぐる流転のさまはよく伝わって来ます。

 さて、明日から展覧会が始まります。その背後で走り回られた方々の話が聞けることを、楽しみにしています。本書の続き、令和版の絵巻の流転を期待しているのです。すでに、連続講演会がありました。いずれも参加できなかったので、今回の舞台裏が公開されることを心待ちにしています。
 
 
 
posted by genjiito at 23:25| Comment(0) | ■読書雑記

2019年10月11日

再録(28)自動車のマフラーが外れる〈2002.5.5〉

 この一連の「再録」は、〈大和まほろば発 へぐり通信〉の【ハイテク問はず語り】というコーナーから発信していた情報群の一部です。
 このサイトのデータが見られない状態が続いているので、オリジナルのデータから抜き出して再現しています。

 私は、さまざまな製品でトラブルに遭っています。以下で取り上げる車のトラブルは、今から17年前の出来事です。
 今回、ノーベル化学賞でまた日本人が受賞し、その吉野彰さんが開発されたリチウムイオン電池が脚光を浴びています。吉野さんは、地球温暖化とエネルギー問題を解決する一環として、電気自動車を視野に夢を大きく育てようとなさっています。
 そのような明るい未来が語られている中ではあるものの、形ある物は壊れるし、日常的に不具合も起きることは避けて通れません。その時に、どのようにして対処するか、という問題に突然直面することになるのです。私はこんな体験をしました、という記録をここに再生させて残しておきます。
 
----------------- 以下、再録掲載 ---------------------
 

自動車のマフラーが外れる〈2002.5.5〉


 これまで乗っていた自家用車が古くなった。11年目である。10年は乗ろうと言って買った。今年の7月に車検を控えているので、この機会に買い換えようと決心した。しかし、このトヨタのクラウンのマフラーが、走行中に突然外れたのである。

 北は青森から西は広島まで、家族6人を乗せて全国を走りまわった。前席がタクシー仕様のべンチシートなので、前に3人が座れる。子どもが幼い頃は、前にチャイルドシートをダブルで並べ、よく通行人にのぞき込まれたものである。

 その子どもたちも大きくなり、今では夫婦二人で乗ることが多くなった。おまけに、単身赴任ということもあり、週末にしかエンジンをかけない。私がインドへ行っていた3ヶ月間は、姉が時々拙宅に来ては、エンジンをかけてくれていた。燃費は当初より「6」以下なので、「20」近い実績を示す最近の車に比べると、非常に効率が悪く不経済である。車庫にもガーデニング用品が溢れ、大きな車を持て余すようになってきた。買い換え時である。

 目当ての新車はほぼ決まっていた。選択肢は、卜ヨタの「ビッツ」とホンダの「フィッ卜」の2つ。小型車である。まず、トヨタへ息子と下見に行った。説明を聞いている内に、来月の5月初旬に、「ビッツ」が少しグレードアップして「イスト」という名前で販売されることを知った。資料が少なかったが、これはいい情報である。ただし、ホンダ車に乗ったことのない私は、またトヨタになるということに引っかかった。

 夕方、「ビッツ」と「フィッ卜」の2つを、妻と試乗しに行くことにした。どちらの車でも、助手席に座った販売員の方は、私が両足で運転するのに感心しておられた。私が、右足はアクセル、左足はブレーキを踏むので、それが珍しいとのこと。お二人とも、初めて見るそうである。そんなものかと思った。みなさん、右足だけで車を操作なさっているのであろうか。危なくないのだろうか。一本の足で二つのペダルを操作するよりも、左右の足で一つずつのペダルをコントロールする方が自然だと思うのだが。一本足で運転するのは、恐らくマニュアル車でクラッチを左足で操作していた時代の名残なのだろう。カーマニアの知人は、クラッチをつなぐ快感が何とも言えないこともあり、マニュアル車に拘っている。しかし、オートマ車を今でもまだ一本足で運転する人がいることを知り、私の方が驚いた。ブレーキを踏むタイミングが遅くならないのだろうか。日本は、インドのように車間距離十センチという走り方はしないので、緩慢なブレーキ操作でも事故に直結することは少ないのだろう。私には、怖くてできないことであるが。

 さて、トヨタの次にホンダ車を試乗した後、妻が後ろの荷台のスペースのことが気になるというので、再度トヨタへ立ち寄ることにした。そして、トヨタのお店の直ぐ前にある信号に近づいた時に、後ろの方で「コトン」という乾いた音が聞こえた。トランクの中の荷物が倒れたのかと思った。信号が変わったので発進するためにアクセルを踏むと、今度は暴走族の改造車のような「ヴオーン」という音が聞こえた。もう一度ふかすと、やはり自分の車から発する音である。何やらいやな予感がしたので、すぐに信号の直前にあるお店の駐車場に車を入れた。このお店は、トヨタのすぐ裏にあたり、ここに車を入れてもトヨタへ行けるのである。私はすぐに車を降りて、後ろから車体の下をのぞき込んだ。すると、排気ガスを放出するマフラーがゆがんでいた。熱かったが触ってみると、ブラブラしているのである。すぐにトヨタのお店へ行き、「イスト」の荷物スペースのことを聞いてから、車を見て欲しいと頼んだ。整備員の人がお店の裏へ周り、車をトヨタのカーピットまで運転してきてくれた。そして、油圧機でリフティングして車体の下部を調べてくれた。整備員の人がマフラーを少し押したところ、それがガタンと外れて落ちたのである。腐食したパイプ(修理完了後の写真、赤丸箇所)が完全に崩れ落ち、かろうじて接合部分の下端に引っかかって、脱落を免れていたのである。

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 このマフラーは後部一カ所で吊ってあるだけなので、もう少し走っていたら、このマフラーが落下して先端が路面に食い込み、次に車を後ろから押し上げる形になる所であった。そして、外れたマフラーが道路上に転がり、信号停止から発進しだした後続車に跳ね飛ばされる、という事態。夕刻で渋滞状態だったので、アクセルを踏み込んでスタートした反対車線の車をも巻き込むことになる。考えただけでもゾッとする光景が想像される。

 マフラーを取り替えると、相当な金額になるとのこと。これから新車を買おうとしている時である。とにかく1ヶ月ほどもてばいいので、応急処置として溶接という対処で凌ぐことにした。5千円くらいだそうだ。不幸中の幸いということにしよう。そして、これも何かの縁なのだから、ということで、トヨタの「イスト」を買うことにした。実車は3週間後に展示車として見られるそうである。参考までにと、販売員用に作成された内部用ビデオテープを貸してもらえた。家で家族と見ながら、これにしようということで意見が一致した。

 なお、数日後、このソニーのビデオ機器も不調になり、分解してみたらカセットローディング部分のギヤが破損していることがわかった。かつて、β形式のビデオで同じような症状になったことがある。その時は、本体を日本橋のソニーのお店に持って行き、店頭で部品をもらって自分で修理したことがある。しかし、今はそんなことはメーカーもさせてくれないだろう。預かって、見積もりを出し、技術料がどうのこうとのなるのだろう。さて、これもどうしようか。

 新しい車体の色は、息子たちの意見を採り入れた。しかし、これは後日、妻の要望に変更となった。私は、ソニーのカーナビに拘ったが、何かと取り付けに問題があるようなので、トヨタの純正で妥協した。車がネットワーク社会の小道具として活かされていないことに不満を感じた。車は、移動手段だけではなく、情報収集の道具となるべきである。

 それにしても、一本のフックで吊られていたマフラーのことである。何ともお粗末なような気がする。このようなトラブルはめったにないことなのだろうか。これまでに、私は車に関していろいろなトラブルに巻き込まれてきた。

◆マツダの「ファミリア」
・高速道路上で突然エンジンが止まり、新型車に買い換える
・その新車が、高速走行中にドアのロックが勝手に外れる(リコール対象)
 ※注、拙著『新・文学資料整理術パソコン奮戦記』(桜楓社、1986年)の143頁に詳述

◆ニッサンの「セドリック」
ブレーキオイルが急速に消耗する
ダイナモが過充電で白煙をあげる
高速走行中に後部車輪のブレーキが壊れる
走行中にエンジンが焼き付きエンジンを取り替える


 私は、激しい運転をするタイプではない。車の点検整備も、比較的こまめにしている方だと思う。とにかく、コンピュータともども、私は手にする機械の当たりが悪いのである。いい仲間との出会いには恵まれていると思う。しかし、機械との出会いはまったくダメである。欠陥商品が私の手元にはよく転がり込んでくる。新製品にすぐに手を出すという性癖が原因だと言えばそうかもしれない。それにしても、あまりにも欠陥品を手にすることが多すぎる。いずれにしても、機械はよく壊れる。自動車事故と聞いても、そのうちの相当数は車の突然の故障に起因するものだと考えている。よく人間の操作ミスとされるものも、引き金はハードウェアの問題が多いにちがいない。私は、幸運にも、車が壊れるという問題に早く反応して対処できたので、大きな事故に至らずに済んでいると思う。その車で死ぬのも、すべて運である。事故になれば、車は大破していることが多いので、メーカーにとっては人間の操作ミスにしやすいのである。事故を起こした方も死んだ方も、機械の故障に起因することを証明するのは不可能に近い。自動車メーカーは、人殺しを巧妙に隠蔽しているに過ぎない、と私は思っている。

 近日中に入手する新車は、どのような欠陥を私に見せてくれるのであろうか。機械の不具合との対面が、非常に楽しみである。

----------------- 以上、再録掲載 ---------------------
 
 
 
posted by genjiito at 19:59| Comment(0) | *回想追憶

2019年10月10日

体力測定が良好な中で新しい取り組みを実践中

 過日の健康診断の結果が届きました。糖尿病以外は、特に問題はありません。強いて言えば、痩せ過ぎだと……
 こればかりは体質なので、どうしようもありません。
 検査項目が少ない形ばかりの検診なので、結果は予想通りです。京大病院で2ヶ月ごとに血液検査を受けています。それとほぼ同じ結果だったことが、最大の収穫です。

 夏以降、体重が49キロ台で安定してきました。それまでが、長い間にわたり46〜48キロを行ったり来たりしていたので、これは久しぶりの安心材料です。1999年に単身赴任として上京した時には、63キロありました。それが、半年後に糖尿病と診断され、胃ガンの手術をするなど、さまざまな病気を経験して、今に至っています。それでも、目標の50キロはもう少しです。こまめに、少しずつ、ゆっくりと食べているのがいいのでしょう。もっとも、まわりにいる人は大変でしょうが。

 今日は、スポーツクラブで自転車を漕ぐ体力テストをしてきました。液晶モニタがよく見えなかったので、結果の詳しい数値は覚えていません。「すばらしい」という表示が見えたので、大きく体力が落ち込んでいることはなさそうです。こうした機器を使ったテストは、使いこなすコツを知っているせいか、いつも過分な評価をいただきます。50代の頃は、ずっと18歳台の体力だという評価が表示されていました。こんな体力測定がどれだけ正確かは別にして、悪い気はしません。今回もそれだと思っています。

 今、体調で気になっているのは、右耳後ろの頭痛、右首筋の凝り、目の奥が重たい、水のような鼻水、足のつま先が冷たい、そして全身の倦怠感です。加齢のせいです、と言われて終わりそうな症状です。しかし、気になっているのは確かです。寒くなるにつれて、これらがどう変化していくのか、移り変わりを監視していきます。

 とにかく、一日も長く生きて、やりたいことを1つでも多く成し遂げたいという思いに突き動かされる日々です。体調を日々チェックしているのも、そのためです。少しの変化も見逃すことなく、早め早めの対処で、健康的な毎日を送りたいと思っています。
 いや、睡眠不足が私の一番の不摂生だと言われそうです。それでも、このところ抜本的な改革に取り組んでいます。23時までに床に就くということです。さて、これが今後はどうなることか、お楽しみに、としておきます。
 
 
 
posted by genjiito at 23:00| Comment(0) | *健康雑記

2019年10月09日

亡霊のよう顕れた〈青表紙本系統〉という専門用語

 今朝の京都新聞の1面に、「定家本を基にした青表紙本系統は、室町時代の「大島本」(重要文化財)を代表格に〜」と記されていました。〈青表紙本系統〉という用語が、はっきりと印刷されていたのです。ウェブのニュースでも、「定家本の流れをくむ室町時代の青表紙本系統の「大島本」(古代学協会所蔵)〜」(2019年10月8日 17:10)とあります。この〈青表紙本系統〉という用語の使い方は、問題が多いとされて来ました。2008年の源氏千年紀のあたりで、『源氏物語』の本文研究の実態をよく知らないマスコミ関係者が、不用意に池田亀鑑が言う〈青表紙本系統〉ということばをまき散らしていました。10年経った今、その再来ともいえることが起きています。

 この用語は、池田亀鑑が〈青表紙本系統〉〈河内本系統〉〈別本系統〉として、『源氏物語』の本文を3つの系統に分けたことに端を発しています。しかし、この〈系統〉とする分類は、すでに使われなくなった用語です。私も、『源氏物語』の本文論では系統論は成り立たず、〈群〉とか〈類〉で仕分けをすべきであることを提唱しています。そんな折に、〈青表紙本系統〉ということばが、新聞やネットに炙り出されてきたのです。『源氏物語』の本文に興味と関心を持って、その整理に当たっている者の一人として、また批判的に使われなくなったことばが蘇ったことに失望しています。

 本文の研究をする人が少ないことをいいことに、過去の用語となっていた池田亀鑑の、しかも80年以上も前に提唱した本文の系統論を復活させようとしておられるかのようです。悪意があってのことだとは思われません。便利な、重宝することばなのでしょう。知らない、ということに発する物言いなのです。そうであるからこそ、この場をかりて、気をつけましょうと言って、これからの若手研究者が知らずに使うことのないようにしたいものです。

 それにしても、『源氏物語』の本文研究は、とにかく遅れています。今また、こうした死語となったものが生き返っているのですから。研究者に、本文に興味と関心がない方が多いということも、こうした亡霊の再生を許す下地ともなっているのです。『源氏物語』の本文研究の研究基盤は、まだまだ基礎研究を必要としています。

 参考までに、私が本ブログでこのことに言い及んでいる記事を、いくつか思いつくままに抜き出しておきます。


■(1)「源氏千年(50)朝日新聞の文化欄に」(2008年06月24日)より
 新聞記事の中で「別本系統」という言葉が気になりました。雑多な古写本群を指すものなので、「系統」という分類にはならないからです。しかし、このようなことは、今の流れの中では瑣末なことです。
 それよりも、池田亀鑑の提唱した、〈青表紙本〉〈河内本〉〈別本〉という分類名が不適当な状況において、新しい名称を提案すべきです。
 私は、〈河内本群〉と〈別本群〉という2分別私案を提示しています。ただし、もっといい名称を思案中です。
 先日、室伏信助先生とお話しをしていたら、先生は〈河内本群〉と〈その他群〉にしたら、というアドバイスをもらいました。
 さらによく考えてみます。


■(2)「大沢本『源氏物語』の切り抜き帖・追補」(2008年07月21日)より
私は『源氏物語』の本文の研究をしている関係上、どうしても「青表紙本」「河内本」「別本」ということばがどのような文脈で使われているのか、ということに神経が行ってしまいます。

 そのような視点から見ると、この3分類が池田亀鑑によるものであることを明示して解説しているのは、朝日新聞だけでした。それ以外は、現在の学会がこの3分類に疑問を投げかけている現状をまったく意識しないで書かれているように読めます。『源氏物語』を研究している専門家でも、この本文の分別の問題はむつかしいのです。にわか勉強の記者の方々に酷な要求かも知れません。また、研究者の中にも、この問題を軽視しておられる方もおられます。不用意な「青表紙本」「河内本」「別本」という用語が飛び交う記事や、研究論文にしばしば出くわすのも事実です。

 とにかく、この「青表紙本」「河内本」「別本」という専門用語の使われ方を確認しておく上でも、以下の新聞記事は通読する価値があります。

 そして、改めて、この本文を分別する問題で、その分類基準と用語をしっかりと提示する努力を、自分の問題として強く意識しています。
 『源氏物語』の本文について、「青表紙本」「河内本」「別本」という、私の中ではすでに過去の用語がこのような使われ方をしている実態を確認し、改めて研究者としての責務を痛感しているところです。


■(3)「豊島科研の最終研究会に参加して」(2010年11月16日)より
 さて、この会に参加して、私は一つだけ悔いが残っています。
 それは、この4年間を通して、最後まで、〈青表紙本〉〈河内本〉〈別本〉という、もう80年も前に池田亀鑑が提唱した、『源氏物語』の本文を3分類する考え方を土台にした発表がなされたことです。

 『源氏物語』の本文は、写本の形態的な分類によれば、池田亀鑑の3分類もいいかもしれません。わかりやすいのです。ただし、それは昭和11年までに整理された分類での仕分けであることに注意が必要です。しかも、その後に確認された写本を含めて、写本に写し取られた『源氏物語』の本文を子細に読んで仕分けると、2つにしかわけられないのです。
 そのことを、近年くりかえし論文の形で公表してきました。私は、〈甲類〉〈乙類〉の2つに分けています。これまでの〈河内本群〉とでもいうものが、おおよそ〈甲類〉にあたります。

 このことを、この豊島科研でも強調してきたつもりです。また、豊島科研のスタート時点でも、本文の分類は、これまでのものをリセットして、白紙の状態で臨む、となっていました。しかし、終始、池田亀鑑の3系統論なるものがまかり通り、最後の先週の研究発表でも、それが基準となっての研究発表が目立ちました。

 私としては、ウーンと唸らざるをえませんでした。
 本文の形態的な分類と、本文の内容を読み取っての文学的な分別の違いについて、この4年間で私にはまったくこの研究会に足跡を残せませんでした。力及ばず、再起を期すしかありません。

 いまだに、池田亀鑑の3系統の分類は亡霊のように強かに生き残っています。
 さて、どのようにして撲滅すればいいのでしょうか。
 私が提唱する、『源氏物語』の本文は内容から見たら2つにしか分かれない、という私見は、まだまだ支持を得るには時間がかかりそうです。間違っていない証拠に、何年にもなるのに、いまだに1つの反論さえ出されていません。
 私見が無視されているのではないようです。みなさんがおっしゃることには、『源氏物語』の本文資料が手元にない、という一語につきるようです。『源氏物語大成』はすでに資料集としては使えないことは、すでに多くの方が気づかれるようになりました。そのためにも、『源氏物語別本集成』全一五巻(伊井春樹・伊藤鉄也・小林茂美編、平成元〜一四年、おうふう)と『源氏物語別本集成 続』全七巻(伊井春樹・伊藤鉄也・小林茂美編、平成一七〜二二、おうふう)があります。しかし、これは使いにくいし、使い方がわからないとも。

 こうなると、さらに根気強く「『源氏物語』の写本は書かれた内容から見ると2つにしか分別できない」ということを、しつこく言い続けるしかありません。

 『源氏物語』の本文に関する〈2分別私案〉は、今後とも粘り強く主張していきたいと思います。
 そんなことを教えてもらった、この4年間の研究会でした。
 まだ、私にはやるべき仕事があるようです。


■(4)「京都で「蜻蛉」(第22回)/傍記混入の確証」(2015年09月12日)より
 これまでに私は、『源氏物語』の本文は〈甲類〉と〈乙類〉の2分別できる、ということと、異文が発生する原因に傍記混入という現象があることを、機会を得ては仮説として提示してきました。
 これについては、従来の池田亀鑑が提唱した〈青表紙本〉〈河内本〉〈別本〉という3系統論は、すでに完全に破綻しています。しかし、一般には今でもこの系統論が便利に重宝がられて使われているのが現状です。一日も早く、この3系統論をリセットして、あらたな本文分別に着手すべき時代となっています。


 〈青表紙本系統〉ということばが黄泉の国から蘇った今、若手の研究者のみなさんには、遅々として進まない『源氏物語』の本文研究の実際に目を向けてもらえたらいいと思っています。
 
 
 
posted by genjiito at 20:26| Comment(0) | ◎源氏物語

2019年10月08日

新出定家本「若紫」の翻字は「変体仮名翻字版」による正確な資料作成を

 本日夕刻に、藤原定家が書写したと思われる『源氏物語』の第5巻「若紫」が見つかった、というニュースが流れました。
 これまで「若紫」は、大島本という〈いわゆる青表紙本〉で読んでいました。
 その大島本の冒頭部分をあげます(『大島本源氏物語 DVD‐ROM版』古代学協会編、角川書店、2007年11月)。

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 それが、今回公開された定家本「若紫」の冒頭は、次のように書き出されています(京都新聞電子版)。写真を見る限りでは、ここで赤丸をした「に」は、何か文字をなぞっているように見えます。これは、いつか原本を実見できた時に確認します。

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 参考までに、私が日比谷図書文化館の講座で使用している、鎌倉時代中期に書き写された橋本本「若紫」の冒頭は、次のようになっています(『国文学研究資料館蔵 橋本本『源氏物語』「若紫」』伊藤鉄也・淺川槙子編、新典社、2016年10月)

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 定家本には「ハ、三」の2種類の変体仮名が、大島本と橋本本には「ハ、三、尓」の3種類の変体仮名が、使われています。変体仮名というのは、明治33年に文部省によって文字統制がなされた際に、教育上の観点から外された、現行の字体と異なる平仮名のことです。たとえば、「安」と「阿」の内で「阿」は平仮名から除外され、変体仮名のグループに入れられたのです。
 平仮名には、その仮名の元となる漢字(字母)があります。その字母を考慮した、より原典に正確な、原典を再記述できる「変体仮名翻字版」で、この3例を翻字してみます。

■大島本「わらハや三
■定家本「わらハや三
■橋本本「わらハや三


 ここだけを見比べると、今回見つかった定家本は他の2本である大島本や橋本本とは字母が異なるものがあります。大島本と橋本本が「尓」とする箇所を、定家本では「に(仁)」となっているのです。つまり、書写にあたって用いた親本が違うようです。

 仮名文字の使われ方の違いを考えるために、「現行翻字方式」と「変体仮名翻字版」で見比べてみましょう。定家本で分かりやすい字句が近接する箇所から例をあげます(京都新聞電子版)。

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 上の写真の場合、「現行翻字方式」では次のように表記されます。すべて、現行の五十音図の中にある文字に置き換えています。

■定家本を現行の翻字方法で示す■
たまひて よろつに
らせたまへとしるし
りたまひけれはある


 ここを「変体仮名翻字版」で表記すると、次のようになります。

■定家本を「変体仮名翻字版」で示す■
まひて よろつ
らせまへとるし
まひある


 写本に記されている仮名文字を、「現行翻字方式」で翻字したのでは、正確に翻字したことにはなりません。書かれている仮名文字が、統制された都合のいい表記に置き換えているからです。「現行翻字方式」は、私が言うところの〈嘘の翻字〉です。この不正確な翻字データを、次の世代に引き渡すわけにはいきません。変体仮名の「堂、尓、多、志、介、盤」に注意してください。明らかに、書写されている文字が違うのです。

 私は、約5年前から、古写本の翻字には変体仮名交じりの表記で文字起こしをする決心をしました。このことは、「『源氏物語』を「変体仮名混合版」にする方針で一大決心」(2015年01月15日)に、その意義を書いています。あの時には、「変体仮名混合版」という名称を使っていました。しかし、今はそれを「変体仮名翻字版」と称しています。

 定家本と橋本本を、前例にならって「変体仮名翻字版」で翻字すると、次のようになります。漢字で表記された文字は【 】で囲っています。

■大島本を「変体仮名翻字版」で示す■
【給】て よろ徒尓
【給】へとるしなく
【給】盤阿る【人】

■橋本本を「変体仮名翻字版」で示す■
まひ よろ
まへとし累志
【給】れはあ【人】


 字母を丹念に確認しながら仮名文字を読んでいくと、それぞれの写本が抱える背景や特徴が見えてきそうです。今回見つかった定家本と、これまで基準本文として一般に唯一流布していた大島本を、字母レベルで比較すると、それぞれの写本の違いが見えてくることでしょう。また、これまでに確認されていた定家本「花散里」「柏木」「行幸」「早蕨」の4帖との文字遣いから、それぞれの関係もわかることでしょう。そのためにも、今は「変体仮名翻字版」の翻字データを作成することが急務です。

 今回、定家本「若紫」が出現したことにより、書写されている本文がいろいろと検討されていくことでしょう。その際、当然のことながら、検討のために引用される翻字本文は、私が言うところの〈嘘の翻字〉で語句が検討されることになります。
 少数の方でもいいので、明治33年に統制された現行五十音に仮名文字を置き換えた文字列で本文を検討するのではなく、本当に書かれている文字に基づく本文の検討をする、勇気ある若手研究者が出てくることを期待します。そして、「変体仮名翻字版」のデータが必要であれば、私が手元で管理している50万字以上のデータから、適宜抄出して考察の参考に供することで、研究の進展にお手伝いできないか、と考えています。この翻字データは、日比谷図書文化館の受講生の方々のご理解とご協力により、日々着実に増えています。
 この翻字データの提供方法については、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉を仲立ちにして実施します。いま少し時間がかかるものの、近い内に情報提供のアナウンスができるだろうと思っています。
 
 
 
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ■変体仮名

2019年10月07日

【復元】胃カメラを鼻から入れる

 これまでに、情報発信の母体としていたプロバイダのサーバーがクラッシュしたり廃業するなどによって、公開していたブログの記事が消滅したものが数多くあります。その内、探し出せた文章などを整理し、再建してこのように復元して残しています。
 今回は、10年以上も前の次の2つの記事で「胃カメラを鼻から入れる」と題して紹介し、リンクを張りながらも、共にそれぞれのサーバーがクラッシュや廃止となったために、以来ずっと読めなくなっていたものです。

「心身(7)鼻からの胃カメラは良好です」(2007年08月22日)

「心身(17)帝国ホテルで人間ドック(1)」(2008年07月02日)


(※以下の記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
2006年5月23日公開分
 
主題「胃カメラを鼻から入れる」

副題「口よりずっと楽でした」
 
 
 人間ドックに行ってきました。いつものことながら、病院へいくのは1日仕事です。

 私は胃などの内蔵のいくつかを切除しています。
 ちょうど18歳の時に、高校を卒業してすぐに大阪から上京しました。大田区の大森で住み込みの新聞配達をしながら予備校に通い出して2週間ほど経った頃、突然十二指腸が破れたのです。すぐに意識を失いましたが、多くの方々のお陰で一命を取り留めました。その時に、胃の3分の2と十二指腸などを切除しました。
 私の臓器は、今も手術をした病院に保管してあるとか。ピンク色できれいな胃だそうです。両親は見たようですが、まだ自分の目では確認していません。以来、毎年の行事として、人間ドックに入って胃の精密検査をしています。

 この胃カメラについては、吉村昭氏の小説『光る壁画』が思い起こされます。世界で最初に胃カメラを開発した日本の技術者たちの話です。オリンパスだったと思います。その後、「プロジェクトX」でも取り上げられたようですが、あれはあまりにも演出が度を越している酷い番組だとのことなので見ていません。
 私は、初めて胃カメラを飲むことになった時、この吉村氏の本を読んで自分を納得させた覚えがあります。吉村氏は、私が好きな作家の一人です。丁寧に、しっかりと語られる文章がいいですね。自分の胃の中にカメラが入ることは、とにかく恐怖でした。それを、吉村氏の冷静な文章が和らげてくれました。胃カメラを理解することで、それを使った検査というものと親しくなろうとしたのです。この小説の初版は昭和56年ですが、私は昭和59年刊行の新潮文庫で読みました。20年も前のことです。

 私はこれまでに20回ほど胃カメラを「飲んだ」と思います。体調が思わしくないときには、1年に3回も飲んだこともあります。
 オリンパス社のホームページ「内視鏡の歴史」より画像をお借りします。

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 初めて胃カメラを飲んだのは、大阪の天王寺にある大阪市立大学付属病院でした。『光る壁画』にも、実験の犬の胃を、カメラが突き破ったことが書かれていました。とにかく、怖いという印象しかありません。しかし、自分の体の異常を早く見つけ、体調不良の原因を突き止めたいという思いも強くありました。数年後、また胃カメラに対する不安に駆られたときがあり、『光る壁画』を検査の前の晩に読んだ記憶があります。

 あのタバコの太さのカメラ付きの長い管は、本当に不気味です。それが、ブルーのポリバケツに入れてある姿は、複雑な気持ちになります。そばでは、前の人が使ったゴムホースのような胃カメラを、ゴム手袋をした看護婦さんらしき方が流し台でゴシゴシと洗っておられるのです。なぜそうして洗うかは理解できます。しかし、それが次に誰かの口の中に入るのかと思うと、何となく違和感があります。青いポリバケツがいけないのです。青いゴム手袋が不気味なのです。タライらしきものや、洗面器など、洗面所や台所やお風呂場のそばに横たわっている錯覚に陥ります。

 胃カメラは、私にとっては苦痛なものです。口から入るときに、舌の付け根を通るときに、かならずオエッとなります。吐きそうになります。眼からは、ツツツーッと涙が流れ落ちます。ノドを通るときには、気分が悪くなります。胃カメラの太さは10ミリほどです。ものすごい技術の結晶を駆使して、私の体のために検査をしているのです。しかし、胃カメラを飲んでいる間中、心の中で葛藤を繰り返します。自分のためなんだから、と。それでも、苦痛です。
 空気を入れて胃を膨らませるときが、これまた苦手です。ゲップをすると、横で介添えをしてくださっている看護婦さんたちが、耳元で「伊藤さんガマンしましょうね。何度も空気をいれることになり、余計大変になりますからね。」と、やさしく激励してくださいます。涙が右目から左目へ、そして枕元へと伝わっていくのを感じながら、「ガンバロウ」と自分を元気づけることとなります。
 そして、かならず、胃壁の一部をむしり取られます。細胞組織を検査するためです。長い導線を伝って差し入れられたピンセットが、私の内臓の一部をプチッと摘み取る瞬間がわかります。二三ヶ所切り取られます。一瞬、息が止まります。

 「ハイ、終わりましたよ」と、カメラを操作していた先生とそばにいた看護婦さんが労いのことばをかけてくださるのは、本当にホッと気の緩む瞬間です。しかし、それからカメラが引き抜かれる時の、何とも言えないくすぐったさとヌルヌル感が嫌いです。人を安心させておいて、それでいて気持ち悪くさせるのですから。カメラの先端が口から出た瞬間に、大粒の涙がボタリと落ちて終了です。

 私にとってそんな恐怖の儀式が、今日は不思議なことに、不快でもなんでもなかったのです。それは、鼻から胃カメラを入れる「経鼻内視鏡」というものだったからです。

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 今回の人間ドックでのスケジュールの説明で、胃カメラは口からか鼻からかを選択できるというのです。昨秋より、鼻から挿入する方法が可能となり、好評だとのことでした。それは、胃カメラの直径が、従来の口から入れていた10ミリの太さのものが、技術の進歩で6ミリ以内まで細くなったから実施できることになったのだそうです。これまでの苦痛が身にしみていたので、鼻からに即決です。

 鼻からの場合は、準備などに時間がかかります。私は、鼻中隔湾曲症の手術をしており、今回の説明書にも、その場合はできない可能性も書かれていました。しかし、それは問題なくクリアーできました。
 私は、いろいろな手術をしているので、何かと面倒な身体です。ヘソが曲がっているのではなくて、鼻が曲がっていたために、何かと日常生活に不都合がありました。説明すると不気味なのですが、簡単に言うと、顔の皮膚を頭蓋骨から剥がして・・・・・・・・・・
 止めておきましょう。上本町駅と鶴橋駅の間にある、大阪赤十字病院でした。とにかく、大変な手術でした。そこに入院している間に、『四本対照 和泉式部日記 校異と語彙索引』(和泉書院、1991年)の校正を終えて刊行しました。

 今回、初めて鼻から胃カメラを入れ、まったく不快な思いをせずに検査を終えることができました。あっけないほどに、スムーズにいきました。ただし、胃壁をピンセットでつまみ取られるときと、カメラを引き抜かれるときの違和感は、これはどうしようもないものだと言うしかありません。

 とにかく、この方法ならば、内視鏡検査に対する嫌悪感はありません。技術の進歩に感謝しています。
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
 
 
 
posted by genjiito at 20:44| Comment(0) | *健康雑記

2019年10月06日

映画雑記『ブラインド 朗読する女』(2017年、アメリカ)

 D・ムーアとA・ボールドウィンが演じる、大人のラブストーリーです。
 舞台はニューヨーク。
 犯罪者となった夫に関連して、その協力者である妻への釈放の条件が、100時間の社会奉仕活動でした。
 そして彼女が行ったところが、視覚障害者センターだったのです。
 そこでの仕事は、本を読むことです。
 相手は、盲人の元作家で大学の先生でした。
 刑務所にいる夫の様子と、留守の間にボランティアで本を読む妻。
 次第に本を読む相手の魅力に傾きます。
 最後のシーンがきれいです。音楽も。
 目が見えるとか見えないとかは関係なく、人間としての愛情が一番大切であることが伝わってくる映画です。【5】

監督:マイケル・メラー
 
 
 
posted by genjiito at 23:24| Comment(0) | ■読書雑記

2019年10月05日

映画雑記『見えない目撃者』(2019.9.20 公開)

 目が見えない人が中心となる作品だ、という知識だけで観ました。あらかじめこの作品について調べることなく、とにかく観たのです。観ておかなくては、という思いからです。
 いずれ、WOWOWなどで再度観られるでしょうから、またその時に詳しく自分なりの意見を書きます。今は初発の感想、ということに留めます。

 この映画を観終わった今、書かれた台本とそれを映像にした方に対して、大いに不満があります(監督:森淳一/脚本:藤井清美・森淳一)。
 目が見えない方々への温もりのある視線を感じませんでした。また、警察組織への冷たい蔑視が露骨に伝わってきました。これは、なぜでしょうか。私は映画はそんなに観ないので、映画の見方は知りません。今回の作品は、サスペンスの中でもスリラー物です。この分野はこんな風潮だと言われたら、そうですか、と言うしかありません。そうであっても、私は不愉快な思いで映画館を出たことは確かです。この分野がお好きな方からは、間違って観に来たんだからしょうがないよ、と一笑に付されるだけでしょう。しかし、という思いが残ります。

 観る前と後とで、こんなに気持ちが変わるものかと、我ながら驚いています。もし、製作者側がそうした違和感を抱くような反応を意図していたものであるならば、少なくとも目が見えない方々への冷めた視線は盛り込んでほしくありませんでした。私が知っている目が見えない方々は、音声ガイド付きのこの映画を観たら、何とおっしゃるでしょうか。途中で観るのを、いや聴くのを辞めて、楽しい『百人一首』のカルタ取りをなさることでしょう。この目が見えない登場人物が繰り広げる内容には、感情移入ができないだろうと思います。

 まだ私は、この映画製作の背景を知りません。ここに記しているのは、作品としての映画を観た直後の感想です。製作者側には、それなりの製作にあたっての動機があるはずです。そのことに思いを致しながら、まだ書いていきます。

 年齢指定(R15指定)がなされていた理由が、観ている途中でわかりました。残虐なシーンが多いのです。猟奇的な殺人であることを強調したいようです。六根清浄の儀式で、こうした行為を正当化しようとしています。六根とは、五感[視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚]に加えて、第六感としての[意識]を合わせたもののことを言うようです。この映画では、それを清浄にすることと殺人の正当性が結びついています。製作者側も、それを足場にして物語を展開させています。しかし、六根清浄とは何なのか、という説明はしっかりとすべきでしょう。

 この映画は、バリアフリー上映がなされていて、視覚障害者用の音声ガイドと聴覚障害者用の日本語字幕が用意されているそうです。事前に知っていたら、スマホに専用アプリをインストールして行くのでした。これらのシーンを、音声ガイドはどのような日本語で語るのでしょうか。映画『光』(2017年公開、河瀬直美監督)では、視覚障害者のために映画の音声ガイドをする仕事を取り上げていました。今回の映画は、目が見えない方々にとっては、自分たちの存在が置き去りにされていると感じられないかと危ぶまれます。

 私はここまで酷たらしい場面を見せつけなくてもいいのに、と思いました。スリラーを見慣れないので、そういうものだと言われたらそれまでです。
 目の見えない方が、音や匂いに対する鋭敏な感覚を持っておられることを知っています。この作品でも、そのことに注目して展開しています。そうであっても、私はこの映画をお勧めする人を選びます。人間の残虐さをしつこく描いているからです。正直、私には、見たくもないシーンが多すぎました。リアルに描き出していると言ってしまえないものを感じました。

 また、犯人の動機には、十数年前の体験があります。しかし、それが今回の連続殺人につながることについては、あまり詳しく語られません。掘り下げが浅いと思われます。

 この映画を、警察の方がご覧になったら、どのように思われるでしょうか。令状なしに家捜ししたり、拳銃の扱いも無頓着です。警察の情報も漏れ漏れです。最後の場面で、事件の解決に協力した若者が、自分も警察官になろうと思う、と明るい未来を語ります。こんな太平楽な終わり方でいいのでしょうか。

 思うようにならない身体を抱える人や、精神的にも身体的にも未成熟な少女たちの存在を玩ぶ、なんとも不気味な視線が随所に見られました。社会的に弱い立場にある人々への、製作者側の正視しないまなざしに深い疑念を抱きました。

 最後に、製作に関わった多くの方々の名前がロールアップしていきました。しかし、この人たちはどのような思いで自分の役割を果たされたのだろうかと、じっと名前を追いました。こんな不信感で映画の最後を目で追ったのは初めてです。楽しくない、後味の悪い映画でした。
 
 
 
posted by genjiito at 22:59| Comment(0) | ■読書雑記

2019年10月04日

吉行淳之介濫読(22)『浅い夢』

 『浅い夢』(吉行淳之介、角川文庫、昭和53年6月)を読みました。

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 なお、手元には昭和49年5月に番町書房(主婦と生活社内)から刊行された軽装版もあります。参考までに、書影をあげておきます。内容は記号(?、……、等)が違うくらいのようです。

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 小説家である牧村英太は、友人である画家の息子である矢田鉄也を居候として迎え入れます。そんな時に、「新版いろは歌留多」を作る仕事が舞い込みます。
 いろは歌留多には、京都、大坂、江戸とそれぞれに違いがあることや、仮名や音に関して話題にするものの、それはあまり展開しません。あくまでも、「ん」で始まる歌留多を作ることがテーマです。
 「を」の章で、歴史的仮名遣いのことが話題となります(98頁)。吉行には、いろいろと勉強した跡がうかがえます。文献を用いた作品はあまり書かない作者にとって、机の周りには資料があったように思われます。
 「ね」の章では、「いまの若い連中は、いろはの歌を知りませんね」と言い、22歳を境にしてそれ以下は言えない、と語っています(209頁)。この作品が毎日新聞に連載された昭和44〜45年は、作者22歳。それからちょうど50年経った現代では、どれくらいの若者がいろは歌を最後まで言えるのでしょうか。気になります。
 さて、「ね」の章で、一番の課題であった「ん」について、やっと案ができました。「んの一声国が傾く」というもので、説明の絵は、アラビアの王様とすごく色っぽい美人の絵になったようです。といっても、読者としてはそれでどうした、と言うしかありませんが。
 この作品が軽妙に展開していることは、次のように作者が顔を出して読者に語りかけることからも明らかです。

 鉄也が言ったとおりの時刻に、葉切は姿を現わした。ここが山口七重問題の「やま場」である。(と書かないと、いろは歌留多はもう出来上がったことだし、「や・ま」の章という説明が付かない。作者の苦しいところでもある。ただ、いろは歌留多の「や」の部は「闇夜に鉄砲」でり、「ま」の部は、「播かぬ種は生えぬ」「待てば甘露の日和あり」「負けるが勝ち」である。これを読者は覚えておいて、これからの話の展開を見ていただくと、都合がよい)(296頁)


 謎の女として登場する七重は、妖精のような女として男たちに対します。後半は、この女が話をさらっていきます。
 最後に、「え」と「ゑ」についてかなの表記の問題が、おもしろい方向に及んでいきます。

 私(筆者)は、試みに友人二人に問うてみた。
「君、恵比須さまというのは、旧カナでどう書くかね」
 二人とも答えて曰く。
「わ行のゑだな。つまり、ゑびす、だ」
 じつは私自身そうおもいこんでいた。私は自分の書く文章を新カナに替えてから、二十年になる。その前は、かなり正確に旧カナを書くことができていた筈である。「恵比須」は昔から「えびす」と書くことが、辞書を引いて分かった。
 それにしてもこの錯覚はどこから起こったのだろう。俗に「エビス顔」といい、この笑い顔は、取澄ましたものではない。眉も眼尻も下げて、顔を皺だらけにして笑っている。そういう表情からの連想で、「ゑ」という文字のほうが似合っている、とおもったようだ。
「えびす」
 と、書くと、気取ったマダムが、
「おほほほ」
 と、揃えた指先を口の前に当てて、笑っているような気分になる。
 因みに、
「笑む」という言葉の旧カナは、「ゑむ」であって、そこらにも錯覚の根はあったのかもしれない。
 いずれにせよ、この物語の「ゑ」の章は、筆者の錯覚の話で責めをはたすことにする。
 なお、「いろは歌留多」の「ゑ」の項は、-
『縁は異なもの味なもの』
 であるが、「縁」という文字も旧カナで「えん」であることを、付け加えておこう。(353頁)


 のらりくらりとさまよった話が、最後には本題に戻るわけです。
 男を迷わせるために育てられた七重は、果たして本来の目的を達成するのか。読者に多くの問題が投げかけられます。そして、その落とし所は「ん」だったのです。
 さて、いろは加留多で「ん」はどうなったのか。興味深い終わり方をします。いろはを駆使した、吉行淳之介らしい機知に富んだ話です。女性の魅力は、夢を追い求める男性が生み出すものだということも、吉行流に語られています。後年、夢の歌人小野小町を描くことにつながるのは、こうした下地があったからなのでしょう。【4】
 
初出誌:昭和44年(1969)5月〜45年3月、『毎日新聞』(連載282回)
 
 
 
posted by genjiito at 23:43| Comment(0) | □吉行濫読

2019年10月03日

珈琲焙煎工房 Hug で豆の選別と焙煎を体験

 阪急宝塚線の山本駅北口からすぐ西にある、「珈琲焙煎工房 Hug」へ行ってきました。我が家だけでなく、阪大箕面キャンパスの研究室で飲むコーヒーも、この「Hug」からいただくコーヒー豆で淹れています。

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 高次脳機能障害者サポートネット/就労継続支援事業B型の「珈琲焙煎工房 Hug」では、障害のある人たちが珈琲豆の選別・焙煎・包装・販売などに携わることを通して、就労の場となるように支援活動をしておられます。今年で5年目となる、地道な活動が続けられています。

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 その「Hug」で、焙煎の体験などをして来ました。

 焙煎されるところまでの行程を図解したものをあげます。写真をクリックすると、精彩な画像となります。

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 まず、丁寧にコーヒー豆の選別(ハンドピック)がなされます。一次選別と二次選別があり、豆を焙煎する前に2度も豆のコンディションのチェックがなされるのです。豆に、カビ・割れ・未成熟・虫食いなどがあると、焙煎の結果に影響します。日本に船で運ばれてくる間に、豆が悪くなるとのことでした。味と香りを変える原因になる豆は、全体の2割くらいあり、そうした豆は最初の段階で丹念に調べて取り除くのです。この工程が、おいしいコーヒーを飲む上で、一番の勝負どころのようです。

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 焙煎を実際に体験しました。
 生豆を焙煎機の上から入れて、つまみを引き上げて中に落とします。1回に1,000グラムの豆を焙煎すると、800グラム強ができるそうです。

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 火力を調整しながら、豆の様子を見ます。色がしだいに黒ずんでくるのがわかります。

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 2度爆ぜる音を聞くと、火を止めます。そして焙煎を終えた豆を、手前のボールに移し、攪拌して冷まします。

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 15秒間掻き回して冷ますと、香りのいい豆になります。
 25秒間掻き回して冷ますと、コクのある豆となります。
 私はいつも、香りのいい豆をいただいています。だいたい4分ほど冷ますことになります。この冷ます時間の違いによって、「コクのブレンド」と「香りのブレンド」の2種類のオリジナル珈琲ができるのです。
 焙煎が終わった豆は、また丁寧に目で確認されます。雑味がない豆にするためには、この最後の点検が欠かせないのです。1,000グラム焼いても、数粒しか悪い豆はないとのことでした。

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 今回の焙煎に関する記録シートがあります。ブログに掲載してもいいとのことなので、貴重なデータを一緒にご覧ください。焙煎機に取り付けられている「庫内温度」と「豆温度」を常に監視しながら、15分で「焙煎指数」が「 1,20 」となるプロの仕事を拝見したことになります。

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 この豆を大きなコーヒーミルで粉にしたものは、丁寧にドリップパックなどに詰められます。

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 私は、焙煎した豆のままをいただきました。

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 昨秋、私の誕生日に作ってくださったオーダードリップパックを、再度作ってくださいました。

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 こうしたオーダー商品を、冠婚葬祭はもとより、学会のお土産の一つにしておられたサンプルを見ました。いろいろなイベントで活用できそうで、楽しくなります。

 コーヒー豆が丁寧に扱われている所を見たので、明日からまた、このコーヒーを楽しく美味しくいただけます。

 スタッフのみなさま、お仕事中に長時間のお話をありがとうございました。作業中のみなさま、そして作業の手を休めながらも詳しく説明をしてくださった方にも、お礼を申し上げます。おじゃましました。香り高い、コクの深いコーヒーを、これからも提供し続けてください。

 「珈琲焙煎工房 Hug」の日頃の活動の様子は、「珈琲焙煎工房Hugブログ」で見られます。楽しい報告が満載です。
 
 
 
posted by genjiito at 20:52| Comment(2) | *美味礼賛

2019年10月02日

雑になったアップルのユーザーサポート

 今、マッキントッシュのパソコンで使っているアプリの一つである「リマインダー」が、iPhone の「リマインダー」と同期してくれません。iPhone に入力してある93本のメモが、マックのパソコンには転送されないのです。相互に、シームレスにデータが使えないのです。移動しながら文章を書く私にとって、これは困った事態です。9月にOSをアップデートしてからの不具合です。

 アップルのユーザーグループに質問したところ、10月初旬の追加アップデートまで待つしかないとのことでした。これまでにも、アップルはユーザーをほったらかしにして、データが同期できないままでシステムやアプリのサポートをいいかげんにしてきたことがあったのかもしれません。しかし、今回は、日常的に使うメモや文章が同期ができないので、連携した作業ができないことから、よけいにアップルの無責任さが目立ちます。待つしかないので待ちます。しかし、こんな粗雑な対応は、これまでの信頼を揺らがせます。

 また、OSのアップデートにより、これまで快適に使っていた ScanSnap Evernote Edition が使えなくなりました。いろいろな接続テストを、今年の4月からずっとやってきました。私の所属機関が変わり、新しいキャンパスに研究室が移転したために、その関係で設定が狂っていると想っていたのです。しかし、あまりにも不便なので、メーカーに問い合わせました。すると、手持ちのScanSnap Evernote EditionはMac OS 10.13までの対応であり、10.14以降のOSには対応していないそうなのです。エバーノートと連携したスキャナとしては使えなくなっている、とのことです。ただし、同じ部屋では、他のScanSnap iX500は正常に動作していると伝えると、ツールを使用してEver note Editionを通常版 iX500に切り変えると、通常のScanSnapとして使えるようになるのだそうです。
 それならということで、早速この切り替えの操作をすると、すぐにまた使えるようになりました。この会社にはユーザー登録をしていて、メールによる最新情報はいただいていました。しかし、その中にこの情報があったのかどうか、今は覚えていません。
 とにかく、使えるようになったので、これは一件落着です。

 今抱えているアップルの不具合のいくつかの中で、もう一つだけ書いておきます。
 毎日つかう「メモ」というアプリの同期が、時々ずれています。
 例えば、今日のこのブログの記事は、仕事帰りの電車とバスの中で、iPhoneの「メモ」アプリに文字を入力して書きました。そして、自宅に帰ってからパソコンの「メモ」アプリを開き、同期して転送されている文章を整形して仕上げました。しかし困ったことに、数分前までiPhoneの「メモ」で書いていた文章が、パソコンの「メモ」には30分くらい前に同期した文章しか表示されないのです。古い文章など、今は不要であり、先ほどバスを降りるときまで書いていた最新の文章を、パソコンで整形したいのです。
 違うことをして時間潰しをしているうちに、最終的なiPhoneの文章が同期してパソコンに無事に転送されたことを確認し、その文章に手をいれてこの記事ができあがりました。この時間差は、遠い昔にパソコン通信と言ってやっていた、ピーヒョロヒョロという音を聞きながら文字や写真を送り合う、コンピュータ草創期の頃を思い出させます。こんな演出は、アップルさんが今はしてくれなくてもいいのに、と思っています。
 これは、急かされるようにして公開したOSが未完成だったからなのか、アプリの仕上げが間に合わなかったのか、いろいろと事情があるのでしょう。これも、待ちますので、早めの対応を望んでいます。
 
 
 
posted by genjiito at 23:31| Comment(0) | ◎情報社会

2019年10月01日

京洛逍遥(578)訪日外国人のために阪急などの駅名が変えられたこと

 今日から、関西の私鉄3社、阪急・京阪・阪神の駅名のいくつかが変わりました。阪急の場合、「梅田駅」が「大阪梅田駅」に、「河原町駅」が「京都河原町駅」に変えられてしまったのです。この物言いは、迷惑の受け身です。
 私が乗り降りする「河原町駅」では、駅名看板は88枚もあるそうです。初日ということで、新旧入り混じっているのは致し方のないことです。これに加えて、連絡や乗り継ぎの案内板もあるでしょうから、この取り換え作業は大変なことです。
 ちょうど、消費税の変更で運賃も変わり、多くの表示の付け替え作業に奔走されていたことと思われます。駅名の変更は実害がないので、しばらくは共存の状況が続きそうです。
 今しかないと思い、記念に写真を撮りました。

 さて、今回の駅名変更に関して、私個人は、名前が持つ伝統と文化を衰退させ、平板化する一例になったと思っています。特に、観光客からわかりづらいと言われたことを理由に固有名詞を変えることは、自分たちが大事にしてきた文化を否定する行為です。
 京都新聞には、「訪日外国人の増加で、京都の中心繁華街に位置するターミナル駅であることを分かりやすく伝えるため。同駅の変更は、1963年の開設以来初めて。」と書かれています。この変更で、地名が喚起する歴史と文化のイメージは、外から来る人に合わせることで薄められました。こんな論理が通用するとは驚きです。
 私は、大阪に住んでいた小さい頃には「梅田」へ遊びに行きました。今は、「河原町」で乗り降りをしています。そこで育ち、そこで生活する人たちの感覚が大事です。わざわざ、「京都」や「大阪」という地名を頭に付ける必要はないのです。ややこしいからということで、「東京日本橋」・「大阪日本橋」とか「東京京橋」・「大阪京橋」という名前に変える時代が来るのでしょうか。「業平橋駅」を「とうきょうスカイツリー駅」にしたのは、完全に日本の古典文化が持つ豊かさをかなぐり捨てた愚行でした。「江戸漫歩(56)佃テラスから見るスカイツリーと業平橋駅」(2012年05月23日)の記事を参照願います。
 今回は、在原業平を抹殺したことまでではないにしても、これ以上は、人に阿るだけの愚かなことはしないでほしい、と願っています。できることなら、近い将来、若者たちの手で、冠付きとなった「大阪」や「京都」が取り払われることを望んでいます。

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posted by genjiito at 19:41| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2019年09月30日

突然の発熱と悪寒に襲われて掛かり付けのお医者さんへ

 昨夜は、とにかく関節が軋み、身体が気怠かったので、食事も早々に寝ることにしました。ブログを書いてすぐ横になったので、22時半過ぎだったでしょうか。こんな時間に寝るのは、めったにないことです。念のために体温を測ると、36.5度でした。

 夜中、午前2時頃に、身体が熱くて目が覚めました。体温は37.5度。すぐに、逆流性食堂炎の対処として愛飲している、水分補給のゼリー、味の素の「アクアソリタ」を流し込みました。このゼリーは重宝しています。「京洛逍遥(469)38度の京都で身体がフラリと揺れる」(2019年08月10日)

 過日、突然高熱が出た時に、掛かり付けの那須医院からもらった解熱剤を思い出しました。「何もしない日が何もできない日になる(9月)」(2019年09月02日)
 解熱鎮痛剤の「ロキソニン」は胃を荒らすので私にはきついとのことで、処方された少し緩めの「コカール」と、胃炎・胃潰瘍治療剤の「レバミピド」を飲みました。
 それでも身体の火照りは治まりません。しばらくして、これも栄養補給として時々飲む、森永の「これひとつで6大栄養素 inゼリーミックス」と言うものを口にしました。

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 うつらうつらしながら、桂枝雀の落語2題を、イヤホンで聴きながら寝ました。
 朝6時には体温は36.5度に下がっていました。しかし、ニュースでインフルエンザが流行っているとのことで、その症状が私とそっくりだということなので、歩いて3分の那須さんのところへ念のために行くことにしました。
 ちょうど出ようとした時、身体が震えだし、首筋から全身にかけて寒気が襲って来ました。夏掛け布団とフリースの羽織るものを着て、ジッとしばらく様子を見ました。
 寒気が収まってから那須さんのところへ行き、事情を話しました。体温を測ると、また37.5度に上がっていました。

 那須さんのカルテは、私用のノートに手書きです。私がしゃべったことが事細かにメモされているので、私の体調は詳細に再現できるのです。これが京大病院だと、私の話を聞きながら主治医の先生がパソコンに入力されます。先生は、私がしゃべったことを記録として文章にして整理なさるので、その段階で、削ぎ落とされる情報があります。パソコンで文章を作成するときには、那須さんのように聞きながら書き取る手書きのメモはないので、後で再確認するときには、その時に直接関係なかった事柄は、よほどのことでない限り記録には残りません。
 那須さんは、これまでのメモを含めたカルテを見ながら、私の唾液でインフルエンザの検査をしてくださいました。結果は、A型でもB型でもないので、インフルエンザの心配はないそうです。今日は身体を休めることに専念するように、とのことで、薬は出ませんでした。
 そんなこんなで、やることは山積しているのに、今日は背中が痛くなるほど、孤独に横たわっていました。

 明日から10月。
 今日する予定だったことは明日にします。ご迷惑をおかけする方には申し訳ないことです。しかし、1日でも長く生きて活動を続けることを最優先とさせてください。
 今夜、熱がぶり返さないことを祈りながら……

 昨日いただいたお茶名のお祝いとして、今日予定していた妻とのお茶名記念のささやかなお茶会は、後日に延期することとなりました。
 前出の9月2日の原因不明の発熱も、ちょうど橿原神宮前でのお茶会に行った翌日のことでした。たまたまのことだと思われます。しかし、二度あることは三度あるとか。次は気をつけます。というよりも、毎日の身体を気遣った生活を心掛けます。
 
 
 
posted by genjiito at 20:56| Comment(0) | *健康雑記

2019年09月29日

9年目にいただいたお茶名は「宗鉃」

 季節の変わり目だからなのか、身体の気怠さが続いています。なんとなく熱っぽくて、首・肩・手・指・腰・足と、至る所の関節に違和感があります。
 そんな中、大和平群へお茶のお稽古に行って来ました。

 今年は、平群の里では彼岸花が長く咲いています。

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 今日、お茶名をいただきました。先生から、お弟子さんたちの前で許状を読み上げながら、心を込めて渡してくださいました。「宗鉃」という名前です。「鉃」という正式な私の名前に使う漢字が、許状に書かれています。

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 身が引き締まります。十徳を着ることが許されたそうです。もっとも、持っていませんが。袴はいらなくなりました。お茶名をいただくためにお稽古をして来たわけではありません。不思議と、おもしろいのです。

 苦節9年、と言うと大げさでしょうか。今から9年前の祇園祭の日に癌の告知を受け、その直後、娘に手を引かれて行ったのがお稽古の最初です。盆略点前が最初でした。
 学生時代、姉にくっついて行って、大阪の今里で、夏場だけのお稽古を経験していました。さらに小学校に上がる前の小さい時には、当時住んでいた出雲の本家の叔父さんがお茶人だったので、お茶室で姉と茶碗で遊んでいました。父は、よく松江で開催された、いろいろなお茶会に連れて行ってくれました。母も、小さい頃から飲み慣れていたせいか、湯飲み茶碗などでサッとお茶を点ててくれました。

「お茶のお稽古を始める」(2010年07月25日)

 お茶のお稽古で奈良に通うと言っても、最初の頃は年に数回という、関西と関東を往復する日々の中で、予定が合えばお稽古に行く、という状態でした。まじめに行くようになったのは、やはり定年退職で京都に帰って来た2年前からです。月2回を守るようにしています。

 今日は、運びの薄茶のお稽古です。基本のおさらいです。できていると、褒めていただきました。とにかく、これからも気長に続けていこうと思っています。
 
 
 
posted by genjiito at 20:13| Comment(0) | *身辺雑記

2019年09月28日

「源氏物語と三十六歌仙の写本を変体仮名で読む会」(第5回)

 大徳寺に近い船岡山の南側に建つ「紫風庵」で、5回目となる変体仮名を読む会を開催しました。
 門を入って階段を登ると、薄桃色の酔芙蓉が迎えてくれます。

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 今日配布した資料は、A4版で18枚です。お話したいことがたくさんあり過ぎて、回を追うごとに枚数が増えています。本日の参加者は9名でした。
 まず、配布したプリントの確認からです。

・前回第4回で一緒に学んだことの確認
  「「源氏物語と三十六歌仙の写本を変体仮名で読む会」(第4回)」(2019年08月24日)
・今日見る三十六歌仙は、高光・公忠・僧正遍昭の3名であること

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・各歌人の和歌を、変体仮名に注意して読む
・「三十六歌仙一覧」を元にして、これまでに見た歌仙の確認
・ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」巻は、14丁表1行目の「おもやせ・堂満へる」から読むことの確認
・谷崎潤一郎の小説で使われている変体仮名
・道路標識の平仮名表記(新聞記事)
・平安京の「羅城」と「九条大路」の発掘で範囲が確定(新聞記事)
・10月26日(土)開催の「NPO主催のイベント」の案内

 まずは、勉強会をする座敷で、3名の歌人の和歌をプリントに印刷した図版で読みました。
 谷崎潤一郎の小説の冒頭文を提示したのは、前回の課題であった、谷崎は「こと」と書く時に「 ˥ 」とする例を見ていただくためです。『鍵』(初版、棟方志功の装丁)の冒頭は、次のように書き出されています。

一月一日。……僕ハ今年カラ、今日マデ日記ニ記スコトヲ躊躇シテヰタヤウナ柄ヲモ敢テ書キ留メル ˥ ニシタ。


 そして以降、この僕の日記の部分には「 ˥ 」が用いられています。妻の日記には使われません。
 日頃はあまり見かけない文字「 ˥ 」が並んでいることに加えて、回覧した初版本(昭和31年)の棟方志功の装丁や挿画のみごとさに魅入られながら、みなさま納得しておられました。
 ついでに、谷崎潤一郎の代表作である『春琴抄』の、初版(昭和8年)と全集(昭和33年)と通行本(昭和f57年)の冒頭部分の仮名表記を見てもらいました。例えば、次のように書いてあることを見ると、仮名の表記が移り変わって来ていることがわかります。

【初版】春琴、うの名は
【全集】春琴、うの名は
【通行】春琴、うの名は


 『春琴抄』の初版本では、最初の頁の6行分だけでも、次の変体仮名が出てきます。
 「本」「連」「里」「春」「古」「能」「阿」「志」
 現在流布する本は、現代仮名で印刷されています。そうでないと、変体仮名をほとんど知らない現代人には、初めて刊行された昭和初年の小説『春琴抄』が、変体仮名につっかかって読めないということがわかります。参会者のみなさまには、あらためて平仮名といっても変体仮名が使われていた状況と、現代の平仮名のありように気付いていただけたようです。

 30分ほど見聞を広めてもらってから、「紫風庵」所蔵の襖絵「三十六歌仙」がある部屋に移動しました。

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 今日は、京都工芸繊維大学の先生で中世を中心とした美術史が専門の井戸美里さんがお出でになっているので、最初に絵の専門家にこの歌仙絵についてコメントをしていただきました。江戸中期の小振りな絵で、絹布に丹念に鮮やかな彩色が施されているものであることに驚嘆の声を上げておられました。粉本を元にして、一つのグループが手がけた作品ではないか、とのことです。今回初めて見たものでもあり、少し調べてまたコメントをしてくださることになりました。

 今日の3名の歌仙の和歌は、次のように翻字しました。

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◎左から三領目の襖《右上》
■高光(かくばかりへがたくみゆる世中にうらやましくもすめる月かな)
                      (拾遺和歌集 四三五)
   右 藤原高光
 閑く者可里へ可多
         く
 三ゆ累よのな可
      耳
 うらやましくも
   す免る【月哉】


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◎左から三領目の襖《右中》
■源公忠(行きやらで山路くらしつほととぎす今ひと声のきかまほしさに)(拾遺和歌集 一〇六)
右 源公忠朝臣
【行】やら帝【山路】
   具らしつ【郭公】
  今一こゑの
    き可まほしさ
          尓


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◎左から三領目の襖《右下》
■僧正遍昭(たらちねはかかれとてしもむばたまの我が黒髪をなでずやありけむ)
                 (後撰和歌集 一二四〇)
 右 僧正遍昭
 堂らちね八可ゝれ
   とてしもう者【玉】
           能    
 【我】可くろ【髪】越
      なて須やあ里け
           舞


 これで、確認した歌仙は次の赤字の歌人となりました。

■三十六歌仙一覧(赤字は確認済)
(第2回)柿本人麿 紀貫之 凡河内躬恒 (第1回)伊勢 大伴家持 山辺赤人 在原業平 (僧正遍昭) 素性法師緑 (第4回)紀友則 猿丸大夫 小野小町 (第3回)藤原兼輔 藤原朝忠 藤原敦忠 (第5回)藤原高光 源公忠 ※僧正遍昭 壬生忠岑 斎宮女御 大中臣頼基 藤原敏行 源重之 源宗于 源信明 藤原清正 源順 藤原興風 清原元輔 坂上是則 藤原元真 小大君 藤原仲文 大中臣能宣 壬生忠見 平兼盛 中務


 歌人の並び方から見ると、今日の僧正遍昭だけが別のグループ(在原業平 素性法師)に属する人です。このことは、回を追って問題点を明らかにしていくつもりです。

 ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」の写本の確認は、14丁表1行目から14丁裏3行目までできました。
 紛らわしい字形としては、「を・せ」「れ・那」「尓・支」がありました。
 今日も、時間いっぱいまで、目と脳をフルに活用しての勉強会となりました。
 次回は、10月19日(土)の午後2時からです。
 
 
 
posted by genjiito at 22:42| Comment(0) | ◎NPO活動

2019年09月27日

藤田宜永通読(34)『銀座 千と一の物語』

 『銀座 千と一の物語』(藤田宜永、文春文庫、2017年1月)を読みました。

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 古き良き時代を思い出しながら、銀座の今昔を背景にしてショートストーリーがつづられていきます。個包装の小さなビスケット33個を、1つづつ口に入れた感じがしました。薄味で、少し粉っぽさが残る食感です。

 2年半前までは、私も銀座は日常的にブラブラしていたので、いくつかのお店や路地などが懐かしい映像として立ち現われて来ました。ただし、私はそれぞれのお店の方との交流はなかったし、取材をしたこともないので、ここに語られている人と人とのコミュニケーションを大いに楽しみました。小話も、適度に整理されていて、読み進むのが楽しい一冊でした。もっとも、語り手が情に流されて話が閉じられるので、ワンパターンの感触が残ります。
 間に添えてある白黒写真は、現代を語る話なのでカラーが良かったと思います。
 並んでいる短編は、いずれも口当たりのいい、オシャレで粋な、昔を回想する話です。うまくまとめてあるだけに、作り話としての嘘臭さが読んだ後に邪魔をします。銀座を舞台にすると、お酒が絡むことも多くなり、なかなか自然な物語は紡ぎ出せないようです。
 第17話「大嘘つきの秘話」に、私が好きな吉行淳之介が通っていたという『まり花』というバーの話が出てきます。リクルート本社の裏の道の雑居ビルの地下です。壁にはボタンの花が描かれた絵が飾られています。写真も掲載されています。いわゆる文壇バーです。今も営業をしているようなので、機会を得て確かめたいと思います。
 登場人物が『源氏物語』の勉強をしていたことが書かれています。

「 両親の影響だろう、私も本が好きで、結局は大学では日本文学を学び、今は母校で教鞭を執っている。専門は源氏物語である。」(218頁)

「あまり人には話してないんですけど、私、ここに入る前、学校に残って源氏物語の研究をしていました」(224頁)

「編集長もね、源氏物語の研究をしてたことがあったそうだよ」(225頁)


 しかし、『源氏物語』の勉強をしていたということは、内容とはまったく関わりません。味付けを変えたかったのでしょうか。『源氏物語』が添え物のパセリのように使われています。これも、『源氏物語』の受容の一例としておきましょう。
 巻末に、取材撮影協力者の名前が列記されています。いくつか行ったところがあります。掲載された『銀座百点』も、お店でもらっては時々読んでいました。巻末の取材地図を見ながら、私もまた、ブラブラと歩いてみたくなりました。【3】
 
初出誌︰『銀座百点』2011年4月号〜2013年12月号
・2014年3月に文芸春秋社から単行本として刊行。
 
 
 
posted by genjiito at 19:28| Comment(0) | □藤田通読

2019年09月26日

定期健診の後で高齢化に対応する新社会を想う

 共済の健康診断は無料だということなので、それならと鞍馬口にある健康センターに行ってきました。
 そのすぐ横には、気持ちがゆったりする公園がありました。中を流れる水路は、我が家のそばの白川疏水が西に流れ、賀茂川の下を潜って、川向こうの紫明通りから堀川に流れ込むものです。

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 今回の検診は、一番簡素なコースでした。検尿に始まり、次の項目を受けます。血液検査、身長、体重、血圧、腹囲、問診、診察です。
 問診は、私のこれまでの手術歴の確認と糖尿病でインスリンの注射をしていないか、ということに加えて、タバコに関する質問だけでした。このタバコに関しては、予想外に根掘り葉掘り聞かれました。待合室にも、タバコの害についてのパンフレットが多かったので、タバコ撲滅週間だったのでしょうか。私にタバコは無縁のことなので、これに時間を割かずに、もっと日常生活に絞って聞いてほしいと思いました。5分ほどの問診の内の8割以上が、今の私の身体に直結しないタバコに関する質問だったからです。

 診察は、最近特に気になっていることはないか、という一点でした。2、3分の気抜けがするほどの早業でした。

 常日頃から健康には気遣っているので、気になることは血糖値だけです。いつもは、京大病院と自前の測定器の結果で判断しているので、違った機関の違った機器で測定することが、今回の検診を受けた一番の理由です。
 30分もかからずに終わりました。帰りに、自動販売機のコインを1枚手渡されました。好きなドリンクを1本どうぞ、とのことです。販売機のパネルに並ぶ商品は、すべてがコカコーラのものでした。日頃から、コカコーラと雪印メグミルクとロッテの商品には手を出さないようにしています。しかし、今は無料だということなので、誰かにあげればいいと思って、1本いただきました。

 朝から絶食でした。お腹が空いたので、最近オープンした近所のお店に入りました。私は一度に食べられる量が限られているので、おかずだけをいただくことにしました。しかし、いくら待っても、手を上げても注文を取りに来てもらえません。やっと呼び止めると、タッチパネルでしか注文が受けられないとのことです。そして、小さな文字と写真がずらりと並んでいるものから選んでタッチしてください、と言われました。今、目の調子がよくないこともあり、こうした小さなモニターに表示される小さな文字を読み取るのが大変です。そこで、手元の印刷されたメニューから食べたい料理の名前を言いました。すると、お店の方が面倒くさそうに私の代わりに注文品をタッチパネルに入力してくださいました。その操作を見ていると、いくつもの画面を切り替えては、選択しながら進んで行かれました。これをお客さまに強いるのはどうでしょうか。スマホに慣れた人はともかく、目がいい人には問題がないとして、こうした機器の操作などに馴染んでいない人にとっては、注文する段階で神経がどっと疲れることでしょう。

 経営者側にとっては、効率化のためだということはわかります。しかし、これからますます高齢化の時代となります。おまけに、こうしたシステムは次々と便利だと言われるものに変わっていくのです。操作方法も日夜変わっていくことでしょう。かつて、コンピュータが普及する時に、秒進分歩の変わりようを見せつけられました。今また、世代間において文化を受容するスピードに誤差が広がりつつあります。新たな異文化受容の問題点が見え出しました。今日の注文の仕方も、この流れの中の1つのように思われます。私としては自分に合った少しスローなやり方を、お店側はハイスピードという効率化をお客に求めるのです。お互いが疲れない、住みやすい社会を築いていきたいものです。

 そんな中で、レジで支払おうとしておられたお客さんが、店内でタバコを吸っておられた年配の女性に対して、この店は禁煙だと注意しておられました。他のお客さんも、どうもタバコ臭いと思っていた、と口々に言っておられました。レジに近い席なのに、お店の方は何も注意しておられなかったのです。そうこうするうちに、注文の品はいつ来るのかと怒っている方もおられます。食べ出してから、お水をもらえないかとおっしゃっています。次にお手拭きも、と。私には、席に着くとすぐに、水とお手拭きが出て来ました。

 オープンして間がないお店なので、店員さんの教育とサービスが追いつかないのでしょう。
 それにしても、タバコを見過ごしておられた何人もの店員さんは、よほど忙しかったのでしょう。ご本人がタバコを吸われるのか、あるいは、かつて勤めていたお店は吸えたので気付かなかったのでしょうか。いずれにしても、周りのお客さまに不愉快な思いを強いていたのですから、何か一言お詫びのことばがあっても良かったように思いました。

 ギスギスした社会や、トゲトゲした関係は困ります。加齢と高齢化に伴う生き方のパターンや、多彩な方々が共存していく時代を迎えています。今日の何気ないお店の風景から、さまざまな問題点を抱えながら進んでいくこれからの社会の一面を見た思いがしました。
 
 
 
posted by genjiito at 23:46| Comment(0) | *健康雑記

2019年09月25日

セルビア語が母語のフィリップさんと淀屋橋で面談

 今日は、多くの方からの嬉しい連絡や情報があり、取り組んでいる科研「海外における平安文学及び多言語翻訳に関する研究」(課題番号︰17H00912)の今後の展開がますます楽しみになりました。

 まず、インドでお世話になった村上明香さんが、無事に博士の学位を取って帰国したとのことです。アラハバード大学に留学し、ウルドゥー語の勉強をしてい彼女のおかげで、ウルドゥー語訳『源氏物語』を見つけることができたことは、「ウルドゥー語訳『源氏物語』の完本発見」(2016年02月19日)に書いた通りです。来月、東京で会うことになりました。楽しい夢のある話が、たくさん聞けそうです。

 ルーマニア語に関して、研究協力者の淺川槙子さんの仲介で、京都大学のロマン・パシュカ先生と連絡がつきました。科研のテーマに理解を示してくださっているので、これからいろいろと連絡をとります。私のことは、カンテミール大学の研究仲間から聞いていたとのことです。次の記事に、そのカンテミール大学へ行った時のことを書いています。「カンテミール大学訪問後は書店へ」(2019年03月09日)
 また、心強い研究協力者が加わります。

 昨夏、米国ハーバード大学でお世話になった京都工芸繊維大学の井戸美里さんが、今週末28日(土)に開催する「紫風庵」での「源氏物語と三十六歌仙の写本を変体仮名で読む会」(第5回)に参加するとのことです。美術・絵画を専門とする方なので、この会がますます盛り上がることでしょう。井戸さんとのことは、「写本の調査の後はお茶室を見学し英訳源氏を確認する」(2018年08月30日)に書いています。

 そして先ほどまで、大阪中之島の淀屋橋で、セルビア生まれのフィリップ・ステファノヴィッチさんと楽しい話をしてきました。夜の土佐堀川の川面に光が映り瞬くのを見下ろしながら、セルビアの話を聞きました。

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 セルビア語が母語のフィリップさんは、ベオグラード大学で日本語を勉強し、大阪大学に留学もしていたという、爽やかな青年です。フィリップさんの日本語は、非常に流暢でした。会うまでは、なぜか髭面のおじさん顔を想定していたのです。ごめんなさい。科研の主旨を理解していただき、セルビア語訳『源氏物語』の研究に協力してもらえることになりました。

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 また、セルビア語訳『源氏物語』の翻訳は2003年に出ているので、翻訳者は健在だろうということで、その方を探してもらえることにもなりました。翻訳者と連絡が取れ次第に、現地で直接お目にかかってお話を伺って来ることになりそうです。
 お渡しした『平安文学翻訳本集成〈2018〉』のセルビア語訳に関する記述で、翻訳者の名前のスペルが間違っていることがわかりました。正しくは、「Sreten Ilic(スレーテン・イリック or イリッチ)」です。「I」と「L」は紛らわしい字形をしているので、間違ってしまいました。書誌事項と翻訳史年表共に訂正が必要です。また、書名に「ロマン」(小説)という語は不要だと思われます。これについては、翻訳本の書名をどうするのかという問題として、各国語の表記を再検討して決めたいと思います。
 
 
 
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ■科研研究

2019年09月24日

「源氏物語と三十六歌仙の写本を変体仮名で読む会」(第5回)のお知らせ

 一昨日の9月22日(日)京都新聞「まちかど」欄に、いつものように次の紹介記事を掲載していただきました。

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 会場は、平安京の北の基点となった船岡山のすぐ南にある、登録有形文化財に指定されている「紫風庵」です。その「紫風庵」で、ハーバード本「須磨」巻を読むと共に、「紫風庵」所蔵で江戸時代に描かれた三十六歌仙の絵と和歌を読んでいます。平仮名は変体仮名を再確認しながら、書かれた文字を忠実に読んでいきます。
 江戸時代に描かれた三十六歌仙については、その絵が貼られた襖がある部屋で、しかも間近に見ながら、一文字ずつを解読していきます。「紫風庵」に所蔵されている「三十六歌仙」の詳しいことは、「京洛逍遥(538)登録有形文化財「紫風庵」の三十六歌仙絵」(2019年04月13日)(http://genjiito.sblo.jp/article/185856865.html)をご覧ください。

 前回の活動内容は、「「源氏物語と三十六歌仙の写本を変体仮名で読む会」(第4回)」(2019年08月24日)に詳しく報告しています。

 今回は、次の襖絵を読みます。

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 1年かけて、この三十六歌仙に取り組む予定です。ぜひこの機会に、生きた古典と接する得難い体験の場としてください。初心者を意識して、丁寧に変体仮名を読むコツなどを説明します。
 参加を希望される方は、このブログのコメント欄をご利用ください。折り返し、説明の返信を差し上げます。
 なお、この学習会は、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉が主催する企画です。小規模ながら、地道に気長に活動を続けています。
 『源氏物語』ともども、「三十六歌仙」という古典文学作品を生で鑑賞し、そこに書かれた文字を忠実に翻字していくことに興味をお持ちの方の参加をお待ちしています。
 会場である「紫風庵」への道順などは、上記ブログ(2019年04月13日)に詳しく掲載していますので、参考になさってください。
 
 
 
posted by genjiito at 20:00| Comment(0) | ◎NPO活動

2019年09月23日

京洛逍遥(577)彼岸花を見ながら賀茂川右岸を散策

 出町柳まで散策しました。賀茂川右岸(西側)を歩いていると、川辺に彼岸花、中洲に鷺、上空には鳶という、彼岸の中日らしい景色に身を置くことができました。
 今年は中洲が大きくなり、川の中に小川が流れているように見えます。

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 鷺や鴨は、川に段差があるところが好きです。ここで、小魚を待っているのでしょう。

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 対岸の左岸(東側)に咲く彼岸花を撮ろうとしたら、のんびりと魚を待っていた鷺が突然飛び立ちました。

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 そして、お盆の送り火の「大」がうっすらとのぞいている、如意ヶ岳が見える木の上に止まりました。どこにいるのかわかりづらいので、写真に赤の矢印を付けておきます。

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 葵橋の手前にも、彼岸花が咲いていました。

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 彼岸花は、田圃の畦道や土手の斜面などでよく見かけます。賀茂川の岸に咲く彼岸花は、初めて見たように思います。年に2度、期間限定の花なので、たまたま出会わなかっただけなのかも知れません。
 これから秋を経て冬へと、この川の景色も季節ごとに変わっていきます。散策の楽しみでもあります。
 
 
 
posted by genjiito at 20:48| Comment(0) | ◎京洛逍遥