2019年06月15日

谷崎全集読過(33)「鶯姫」「或る男の半日」

 『谷崎潤一郎全集』の第8巻(昭和34年6月、中央公論社)は戯曲集です。
 巻頭には、次のモノクロ写真が置かれています。
 これは、『源氏物語』の受容資料として貴重なものです。

※「浮かれ源氏」(「鴬姫」のパロディー)
 (昭和二十七年三月帝劇ミュージカルス)
  榎本健一の大伴先生
  筑紫まりの女学生
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■「鶯姫」(戯曲)
 1幕5場の内、第1場と第5場は現代、第2場から第4場までは王朝時代となっています。
 京都の女学校で、国語の教師である大伴先生に学生がテニスをしようと呼びかける場面から始まります。そこで、「つきづきしい」という言葉が出てきます。この『枕の草紙』に出てくる言葉を、3年生ではない2年生の生徒はまだ教わっていないと言います。平安朝を意識した話題を振っている箇所です。
 そうこうする内に、大伴先生はうつらうつらと眠りかけてしまいます。そして、平安朝の羅生門の鬼、渡辺綱に腕を斬られたという鬼に、平安時代に連れて行ってもらうのでした。タイムトラベルです。
 鶯姫が出てきます。しかし、仕掛けが十分には練られていなかったせいか、盛り上がりに欠けます。ここで話を打ち切っては、中途半端すぎます。次の物語を楽しみにしましょう。【2】

※初出誌:『中央公論』大正6年2月号

 今回読んだ『谷崎潤一郎全集』の解説で、伊藤整は次のように言っています。
「鶯姫」(大正六年二月「中央公論」)は一種の幻想劇としての面白さを持つたものである。この作品は、現代の女学校、平安朝の貴族の酒宴の場、屋上の鬼と少女などの姿を舞台にのせることによつて効果を生むものであり、オペレッタのやうな作劇術をそこに見るべきものと考へられる。(259頁)

 
 
 
■「或る男の半日」(戯曲)
 小説家の間室が、原稿を取りに来た雑誌記者に、できてもいない原稿をさも完成間近のように言い訳をします。この冒頭の場面は、物書きには身につまされる年中行事でもあるので、谷崎潤一郎もその手を使うのか、とニヤリとします。人間の心理を読んだ場面として、秀逸です。
 この小説家は見栄っ張りで、借金に苦しめられながらも贅沢をします。自制が効かない性分なのです。まさに、谷崎の生き様をよく反映している人物です。そこをよく理解した妻は、能天気な夫に対して、冷静に接していくのです。この取り合わせが、おもしろく組み立ててあります。
 郊外だという渋谷や代々木が、遠くて寂しいところだとあります。この作品が書かれた大正6年が遠く感じられました。
 最後に意外なオチを置いて、軽妙な劇は終わります。ユーモアを交えた、知的生活を送ろうとする遊民を描き出したものです。【3】

※初出誌:『新小説』大正6年2・5月号

 今回読んだ『谷崎潤一郎全集』の解説で、伊藤整は次のように言っています。
一種の性格劇であり、同時にユーモラスな効果を狙つて現代智識階級人の生活批評を行つたものである。(259頁)

 
 
 
posted by genjiito at 19:48| Comment(0) | □谷崎読過

2019年06月14日

私の人差し指はへバーデン結節?

 最近、ヘバーデン結節という言葉をよく聞くようになりました。
 私も、指に違和感を感じ、何度もお医者さんに診てもらいました。
 仲間から、ヘバーデン結節ではないかとのアドバイスをもらい、いろいろと対処策を考えました。特に効果的なことはせず、今はマウスをクリックする指を、右手の人差し指から中指に変えて、応急の対処をしています。この、マウスのクリックだけが問題なので、これで3年ほど様子を見ているところです。
 同じ症状に困っておられる方へのアドバイスはないものの、病院が大好きな私がお医者さんと交わした内容であれば、以下のブログに書き残しています。何かの参考になればいいのですが。

 最初に指が痺れることに気付いたのは、今から8年ほど前の夏でした。それは、左手首の痺れで、問題の右手の指が痛くなる前兆のような出来事でした。行ったのは九段坂病院です。

「左手首が痺れるので病院へ」(2011年08月01日)

 その時に撮影したMRlのフィルムを、京大病院のいつもの検査の時に持参したことは、次の記事の通りです。ここで言われた「隠れ脳梗塞」は、その後も東京のいくつかの病院で指摘されました。今、特にその気配はないので、そのままにしています。

「「隠れ脳梗塞」だとの診断を受けて」(2011年08月04日)

 その頃、コンピュータで日本語を入力する上で、トラブルがありました。これが、今から思えば、右手の酷使に直結しているように思われます。

「マック版日本語入力「ATOK2011」で不具合発生」(2011年08月09日)

 次の記事から、左手の痛みについて書き出しています。

「病院内で丸一日を過ごす」(2011年08月11日)

 その後の診断では、加齢で片付けられていることがわかります。

「何事も加齢ですよと60歳」(2011年08月22日)

 この指の痛みについて、ついに病名が付きました。「バネ指」だそうです。次の記事にもあるように、「原因は何ですか?と聞くと、60年も使って来たからでしょう、と、気が抜けるほどのシンプルな回答です。」というオチがつきました。

「病院で悠久の時を刻む」(2011年10月11日)

 それから5年。足を骨折した話の中に、指の痛みのことがブログの中に出てきます。そこで、指の専門医を紹介してもらっています。しかし、忙しさにかまけて、その病院には行かずじまいでした。

「左足首捻挫は骨折だとわかりギプス生活に」(2016年07月30日)

 この骨折のギプスが外れたついでに、お医者さんに右手人差し指の痺れについて相談しています。「変形性関節症」だとか。以前は、「バネ指」と言われました。この年の春から、マウスをクリックする指を、人差し指から中指に変えていることがわかります。

「やっと足のギプスが外れました」(2016年08月31日)

 その後、また同じお医者さんに右手人差し指のことで相談をしています。しかし、またもや加齢とのことで打つ手はなく、塗り薬をいただいて終わっています。

「整形外科で更年期障害と言われても……」(2016年09月28日)

 この右手の人差し指は、今も、痛まないまでも違和感がつきまとっています。大きく変形しているわけでもないので、ずっと放置しています。
 最近、ヘバーデン結節が話題になっていることが契機となり、この指の症状に対する適切な対応策が示されることを待ち望むようになりました。これが好機となり、加齢で片付けられていたことに一つの指針が出るだけで、諦めながらも困っている私などは気分的にも楽になります。
 
 
 
posted by genjiito at 20:10| Comment(0) | *健康雑記

2019年06月13日

映画『ツナグ』を観て父と母のことを想う

 『ツナグ』は、2012年10月に公開された映画で、辻村深月の小説を映画化したものです。
 亡くなった人に一度だけ会える、という設定で物語が展開する映画です。死者と生者の再会を仲立ちして〈ツナグ〉のが、樹木希林と松坂桃李の役柄です。

 観ながら、私なら誰に逢いたいのだろう、と考えていました。いろいろと思いをめぐらすと、多くの亡くなった方々の顔が浮かびます。やはりと言うべきか、行き着くところは父と母でした。
 その内でもどちらか、と自問を続けるのは、私が一番嫌いな二者択一の世界です。どちらにも逢いたいところです。

 それでも、今どちらかに逢わせてもらえるのであれば、まずは父でしょうか。その次に母。
 母は、いつもニコニコしていて、私が何をしても何も言わず、見つめ続けていてくれました。
 父は、私が高校を卒業するまでは、厳しい対応で接してもらいました。しかし、高校卒業後に一人で大阪から東京に出て仕事をするようになってから、川崎の予備校を経て渋谷の大学に入ってからは、優しかった父しか知りません。貧しかった家計から我が身を切り離した私を、1人の独立した人間として認めての対応だったのだろう、と思っています。煮え切らず、融通も利かず、ふらふらする私ではあっても、丁寧に接してくれました。そんな中で、母はこっそりと、いろいろと物を送ってくれました。時々お小遣いも。背後で支援してくれていました。
 そういえば、父からお小遣いをもらったことは、ただの一度もありません。徹底していました。


 父は、さまざまな局面で、何も反対せずに後押しをしてくれました。
 私が突然フランスへ行きたいと言った時、ブラジルへ行きたいと言った時、大学院へ行きたいと言った時、すべて父が知らない世界にもかかわらず、話を聞き、思うがままに行動したらいいと言ってくれました。フランスへも、ブラジルへも行きませんでした。大学院には行きました。
 大病をした後、研究者になることをあきらめて大阪で高校の教員をすることにした時も、何も言いませんでした。家探しに始まり、ままごとのような日々に、見ていられないことも多かったかと思います。それでも、結果的には、いつでも後押しをしてくれていたように思います。長女が生まれることを機に、奈良に住むことにしました。その時の家探しにも、一緒に付いて来てくれました。自分は住まないままに亡くなったことが惜しまれます。

 生きていく間には、いろいろと岐路での選択をします。その折々に、人の世話をするのが大好きだった父は、私にも言いたいことがいっぱいあったはずです。危なっかしく揺れ動く私の判断を横目に、それでも何も言わなかったということは、よほど胸にはさまざまな思いが去来していたことでしょう。それを、ぐっと秘めていたようです。

 今の私は、父が思い描いていた生き方とは違うにしても、父の想定外ではないように思います。その点では、今逢っても、失望はさせなかったと思っています。もし聞けるものならば、いくつもの岐路において、父が私に勧めたかった道はどれだったのか、知りたいものです。詰め将棋や詰め碁が好きだった父と、それにはまったく興味も関心もない私です。お互いの出した結論のズレと一致するところを、夜を徹して語り明かせたら、と思います。

 今も、どうしようもなく困った時には、仏間の父と母の遺影に向かい、どうしたらいい? と聞きます。しかし相変わらず、何も言ってはくれません。そうであっても、私が出した結論に、両親が後押しをしてくれていることを実感することがしばしばあります。不思議な力を感じています。

 映画『ツナグ』にあるような、後悔という思いで亡くなった両親に逢うことは、私の物語にはありません。当時の、お互いの判断を確認しあうために、父と語りたいと願っています。これでは、映画のような物語にはなりませんね……
 
 
 
posted by genjiito at 20:37| Comment(0) | *回想追憶

2019年06月12日

続・平安文学の翻訳本を整理するアルバイトを募集中

 本年度が始まってすぐの4月17日に、「平安文学の翻訳本に関するアルバイト募集中」という記事を公開しました。
 このことで、再度の募集のお知らせです。

 科研「海外における平安文学及び多言語翻訳に関する研究」(課題番号︰17H00912)では、平安文学に関する翻訳本の整理を進めています。多彩な言語にわたるものなので、手助けをしてくださる方を募っています。
 次の言語が母語で日本語を普通に運用できる方と、日本語が母語の方で次の言語を日本語に翻訳できる方を探し求めています。翻訳は、文学的な表現を求めているのではなく、逐語訳ができるレベルで大丈夫です。翻訳本に関する資料作成のお手伝いをお願いしたいのです。

インド諸語・ビルマ(ミャンマー)語・ルーマニア語・ロシア語


 現段階では、以下の条件を考えています。

 ※時給:950円(交通費の支給なし)
 ※日時:火 or 水曜日/11時〜16時の5時間以内
 ※場所:大阪大学箕面キャンパス 総合研究棟 6階
     (大阪府箕面市粟生間谷東8丁目1)

 やってみようと思われる方は、このブログのコメント欄を活用してお知らせください。直接お目にかかって、実際の翻訳資料をもとにしてご説明いたします。
 なお、成果は科研のホームページ[海外へいあんぶんがく情報](http://genjiito.org)に公開し、お名前は研究協力者の中のアルバイトの項目に明記します。これは、情報の質を確保する意味で責任の一端を共に担っていただく意味から、この科研では常に心がけていることです。
 
 
 
posted by genjiito at 20:44| Comment(0) | ■科研研究

2019年06月11日

(書影追補)過日お亡くなりになった田辺聖子さんに関するメモ

 今月6日に、田辺聖子さんがお亡くなりになりました。大阪樟蔭女子大学に出入りしていた頃があったので、『源氏物語』との関係でお話をお聴きしたいと思いつつ、実現しないままでした。
 『源氏物語』の翻訳に関連して、田辺さんの情報は集めていました。その一部を、忘れない内にここに残しておきます。

 本日6月11日(火)の京都新聞に、宮本輝氏、山折哲雄氏、中西進氏、藤山直美氏と共に、伊井春樹先生のコメントも掲載されていました。「関西の風土に根差す」との小見出しで、『源氏物語』に関しては以下のように語り出しておられます。

国文学者の伊井春樹さんの話

 源氏物語の現代語訳は、原文に忠実に古典の雰囲気を再現した谷崎潤一郎訳と、解釈を入れ意訳した与謝野晶子訳の系譜がある。田辺聖子さんは後者の流れを受け継いでいて、現代人により受け入れられるように、面白く解釈している。(下略)


 伊井春樹先生は昨年まで逸翁美術館の館長をなさっていました。その関係から、宝塚歌劇のことにも触れておきます。田辺聖子の『新源氏物語』が舞台化されていたからです。ただし、この分野は専門家が多いので、ここにはほんの一端だけをあげます。

タカラヅカ101年 26年ぶり、花組公演「新源氏物語」 光源氏の愛と苦悩

 宝塚歌劇団花組が、「新源氏物語」(柴田侑宏脚本、大野拓史演出)を宝塚大劇場で上演している。紫式部の傑作を現代語訳した「新源氏物語」(田辺聖子作)をベースに劇化した作品で、同名作品を宝塚歌劇団で上演するのは26年ぶり3回目。きらびやかな平安の世の宮廷を舞台に、花組トップスター明日海りおが光源氏を演じ、当代きっての美男子の愛と苦悩を表現している。11月9日まで。【文・釣田祐喜、小寺裕子、写真・山田哲也】
(中略)
 新源氏物語は1981年、月組が初めて公演した。実力・人気も全盛期を迎えていた当時のトップスター、榛名由梨が光源氏を、上原まりが藤壺の女御を演じた。次いで89年の月組による再演では、剣幸が光源氏、こだま愛が藤壺の女御を演じた。3度目の今回は、8月の台湾公演で「ベルサイユのばら」とレビュー「宝塚幻想曲」の2本立てを成功に導いた明日海と、花乃のコンビ。端正な顔立ちの明日海からは、女性をひきつける甘い雰囲気がにじみ出ているようだ。花乃は、道ならぬ恋に落ちる罪悪感にさいなまれながら、光源氏を受け入れる藤壺の女御を、限られた登場シーンの中で懸命に演じている。(2016年1月6日 毎日新聞)


 なお、私が生まれた頃のことながら、1952年には春日野八千代が「源氏物語」(白井鉄造構成・演出)の光源氏を演じていました。

 田辺聖子の著作は、目で文字を読むことが困難な方々のために、点字や音声で楽しめるように、「サピエ」(視覚障害者情報提供ネットワークシステム整備事業)からデータが提供されています。利用者は、次の作品がダウンロードできます。これ以外にも、いろいろと公開されていると思います。私が今摑んでいる情報の一部として、以下に引用します。
(複数の製作館がある場合は最も古いものを掲載しています)

サピエ図書館(点字図書や録音図書)

(1)【点字】

新源氏物語 上(新潮文庫)/田辺 聖子著/1984年

新源氏物語 中(新潮文庫)/田辺 聖子著/1984年

新源氏物語 下(新潮文庫)/田辺 聖子著/1984年

絵草紙源氏物語(角川文庫)/田辺 聖子文 岡田 嘉夫絵/1984年

私本・源氏物語/田辺 聖子著/1985年

源氏・拾花春秋 源氏物語をいける(文春文庫)/田辺 聖子, 桑原 仙渓著/2002年

小説一途 ふたりの「源氏物語」(the寂聴)/田辺 聖子, 瀬戸内 寂聴著/2010年

(2)【音声デイジー】

『源氏物語』の男たち ミスタ−・ゲンジの生活と意見/田辺 聖子著/音声デイジー/7時間12分/1990年

霧ふかき宇治の恋 上巻 新源氏物語(新潮文庫)/田辺 聖子著/音声デイジー/12時間31分/1993年

霧ふかき宇治の恋 下巻 新源氏物語(新潮文庫)/田辺 聖子著/音声デイジー/13時間17分/1993年


 さらには、2008年に笠間書院より刊行する予定で編集を進めていた『源氏物語【翻訳】事典』では、田辺聖子訳『源氏物語』の翻訳本として、次の情報を整理していました。しかし、その後、相次いで『源氏物語』の翻訳本が刊行されたこともあり、収録する翻訳本の切れ目の判断が出来ないままに今に至っています。出版社および情報を提供していただいたみなさまには、申し訳ないことです。先日も、36番目となるウクライナ語訳『源氏物語』の情報が届いたこともあり、もうしばらくこの『源氏物語【翻訳】事典』は先延ばしになることを、ご了承いただければと思っています。

中国語訳『源氏物語』の情報(2009.02.02版)

『新源氏物語』

紫式部原著・田辺聖子現代語訳/彭飛 等訳[1958−]
上海(シャンハイ)[中国]:上海訳文出版社
 和泉書院(大阪)と東方書店(東京)からも販売
上巻-430p.下巻-866p.
21cm./簡体字

 『源氏物語』翻訳委員会(代表者:彭飛)による中国語訳。初版。底本は、田辺聖子の現代語訳『新源氏物語』(新潮社)である。表紙は、二冊とも福岡市美術館蔵『源氏物語屏風絵・若紫』である。装丁は、ペーパーバックとハードカバーがある。
 序文はなし。上巻は、「空蝉」〜「少女」まで。巻首の挿絵は徳川美術館蔵『国宝源氏物語絵巻』の「蓬生」、大阪府立大学学術情報センター蔵『絵入源氏物語』、『十帖源氏』、『源氏絵鏡』、『源氏鬢鏡』など。下巻は、「玉鬘」〜「常夏」、「野分」〜「幻」までを収録。巻首に陽明文庫蔵『源氏物語』(藤原定家)影印「宿木」掲載。
 あとがきは翻訳者による。主な内容は、
1.「世界最古の長篇小説『源氏物語』、誕生して千年を迎える」、
2.「日本の著名な作家、田辺聖子と『新源氏物語』」、
3.「翻訳委員会初の大作」。
 彭飛はさらに詳しく「翻訳委員会」の各担当者の名前と担当原書の頁数を明記している。林少華(原著上巻1〜100頁)、曹亜輝(上巻101〜200頁)、王華(上巻201〜325頁)、張龍妹と呉志虹(上巻326頁〜中巻243頁)、楊蕾(中巻244〜313頁及び下巻86〜95頁)、花文勰(中巻314〜387頁)、徐麗明(中巻388〜458頁)、任川海(中巻459〜下巻41頁及び下巻96〜115頁)、彭飛(下巻42〜85頁)、杜鳳剛(下巻116〜352頁)、玉琢(下巻353〜448頁)である。和歌及び巻名の部分はすべて杜鳳剛訳。
 「訳者紹介」があり、以下の通り列挙。王華(中国海洋大学外国語学院日本語系準教授)。王琢(暨南大学外国語学院日本語系教授)。任川海(上海外国語大学日本文化経済学院準教授)。杜鳳剛(大連理工大学教授)。楊蕾(日本京都外国語大学博士後期課程研修生)。花文勰(日本京都外国語大学博士前期課程研究生)。呉志虹(集美大学外国語学院講師)。張龍妹(北京外国語大学日本学研究中心教授)。林少華(中国海洋大学外国語学院日本語系教授)。徐麗明(日本京都外国語大学博士前期課程研究生)。曹亜輝(天津工業大学外国語学院準教授)。彭飛(日本京都外国語大学教授)。
 「顧問紹介」として増田繁夫(日本大阪市立大学名誉教授)の名前を挙げる。
 上海訳文出版社は、1978年成立。外国文学、文化などの総合的な翻訳出版社である。


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posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ◎国際交流

2019年06月10日

「福岡でかるたを楽しむ会」のご案内

 来月、7月15日(月・海の日で祝日)に、福岡で『百人一首』のかるたを体験する会があります。
 「大阪点字付きかるたを楽しむ会」の代表者・兵藤美奈子さんから、以下の連絡が来ましたので転載してご案内とします。


「福岡でかるたを楽しむ会」開催のご案内



 今、目が見えない人も見えにくい人も見える人も、一緒に百人一首かるたを楽しもうという機運が全国的に高まってきています。
 来年、ロービジョン対応点字付きかるたを使用した大会の開催も予定されており、小学生から年齢層の高い方まで、幅広い視覚障害者が感心を寄せています。
 今回は天智天皇の歌「秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ」のゆかりの地、福岡で開催。
 百人一首の歌を全く覚えていない方、点字が読めない方も大丈夫です。
 色々な遊び方を楽しみましょう。

主催:大阪点字付きかるたを楽しむ会
日時:2019年7月15日(月・祝)
   13時〜16時30分
会場:クローバープラザ8階第3和室A・B
(〒816-0804 福岡県春日市原町3丁目1
 電話092-584-1212、JR春日駅徒歩1分)
内容:坊主めくり、百人一首クイズ、初心者向け四人一首、個人戦体験など、楽しい企画盛りだくさん!
※定員30名程度、参加費無料。
申込:7月10日(水)までに、代表 兵藤 美奈子(ひょうどう みなこ)へ
  (メール:putti-castle205@key.ocn.ne.jp)
  *関心を持たれた方は、お気軽にお問い合わせください。

 
 
 
posted by genjiito at 23:19| Comment(0) | ■視覚障害

2019年06月09日

春日野での茶道文化講演会で高麗茶碗の話を聞く

 近鉄奈良駅前は、修学旅行生と中国からの観光客でごった返しです。耳に届く言葉の99パーセントは中国語です。修学旅行生の日本語を聴くと、ここが中国の観光地ではなかったことに気付かされます。鹿が至る所にいる町並みと、観光客の大群には、違和感を覚えました。京都での観光客の雑踏とはまったく違う、大らかさの中の混雑です。

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 今年も、東大寺の近くにある奈良春日野国際フォーラム甍で、第53回 茶道文化講演会がありました。演題は「高麗茶碗の話」、講師は野村美術館の谷晃館長です。

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 配布された資料の冒頭には、次のように記されています。

「見て、知って、楽しむ 高麗茶碗」

    2019.06.09 於 淡交会奈良県支部

          谷 晃

高麗茶碗とは何か

主として16世紀初頭から18世初頭にかけて、朝鮮半島南部において生産された施紬陶磁碗で、日本の茶の湯に受け入れられたもの。但伝世品は対馬藩の経営する倭館内の窯で生産されたものが多い。
 青磁系・粉青系・白磁系・その他の系統がある
 初期・中期・後期で性格が異なる
 産地の特定がされつつあるもののまだ十分ではない


 韓国での調査に関する体験談から始まりました。発掘調査と文献調査をもとにして話は展開します。
 高麗茶碗の5割から8割は、日本で使われることを意識して作られたものだそうです。
 アレっと思ったのは、「先祖を大切にする儀式である祭事が、日本では忘れられてしまったが、韓国では今でも残っている」という表現でした。儒教を語る流れの中だったとはいえ、そう言ってしまうと、日本の伝統行事がないこととなり、話の切り口が変わってしまいます。その後は、茶会記の話に移ったのでよかったものの、茶碗の文化に疎い素人ながら、少し心配をしました。

 最後の30分で、茶碗の写真が映写されました。この時には、多くの方の頭が上がりました。

 今日知った言葉に「倭館窯(対馬藩の韓国出張所)」があります。ここでは、韓国の民生品を中心としたコピーや注文製品が作られていたそうです。1回の窯入れで千個くらい焼けたので、1万点以上が幕府にプレゼントされたり、藩内では贈答に使われたようです。
 お話をうかがいながら、もっと画像を見せていただけないかな、と思いました。

 講演会が終わるとすぐに、近鉄奈良駅から大阪へと移動です。その途中で、興福寺南円堂が見えました。

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 新しい生活が始まったこともあり、6回目の西国三十三所観音霊場巡りを始めようと思っています。今度は、なんにも追い立てられることのない、ゆったりとした旅にするつもりです。そのため、目の前の西国三十三所第九番札所の南円堂には今は立ち寄らず、大阪へと向かいます。伊井春樹先生にお目にかかる予定があったからです。

 今日は蒸し暑い中を、京都・奈良・大阪と、三都を巡る日となりました。
 
 
 
posted by genjiito at 21:09| Comment(0) | ■講座学習

2019年06月08日

日比谷で源氏の橋本本を読む(12)[盛りだくさんの内容]

 日比谷図書文化館での『源氏物語』の講座は、順調に回を重ねています。
 今日は、国会通り沿いに咲いている花の艶やかさに、つい立ち止まってしまいました。
 後方の赤レンガ色の建物が、日比谷公会堂です。

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 後ろの方にすっくと立っている赤やピンクや白い花は「タチアオイ」、手前の黄色は「ビヨウヤナギ」。どちらも、我が家でも花を咲かせていたものです。京都に移ってからは植えていません。記憶の片隅にこの花の姿があったせいか、懐かしい想いで見ました。奈良の山の中で咲いていた花が、今、国会議事堂のそばで花開いているのです。こんなに見事に咲いているのに、あまり見向きもされない花たち。しばし、見とれてしまいました。

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 今日は、ここまで進みます、と宣言して始めました。いつも、写本を読む前にお話に熱中してしまうので、あまり進まないうちに終わります。これではいけないと、進む目標を決めてのスタートです。これまでの5年間で初めてのことです。

 まずは、山下智子さんの女房語りの案内のチラシを配りました。東京と京都の2箇所のものです。一昨日も山下さんからは、ご一緒に変体仮名と源氏語りのセッションをする計画を楽しみにしている、という連絡をもらっています。しかし、私がいつも出歩いているので、なかなか日程が合いません。今年こそは、と思っています。

 この講座は、特定非営利活動法人〈源氏物語電子資料館〉の活動の一環として開催しています。そのため、会員の多くはこの講座に参加なさっている方々です。NPOの総会の話と、今年度から視覚障害者への奨学金制度を設けたことを報告しました。そのことは、過日のブログ「NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の第7回総会の報告」(http://genjiito.sblo.jp/article/186085614.html)に書いたように、次の奨学支援をすることになったことです。

目が不自由な学生等を対象とした「日比谷図書文化館古文書塾てらこや受講生向け奨学金制度」を設立します。これは、障害者手帳と日比谷図書文化館での翻字者育成講座領収書の提出を受けて、受講料の約6割の1万円を本法人が支給することで、勉学の支援をする制度です。本年度から実施します。内規を適用しながらの運用となります。


 該当者でもある2人の若者は、今日も元気に参加しています。みなさまもその熱意を感得しながら、共に変体仮名を読んでおられるので、この制度の意義は理解が得られたと思います。
 視覚障害者との活動を展開なさっている方からも、ブログに触れて次の励ましをいただきました。

日比谷図書館の講座を受講する際の、奨学金制度が出来たことも、すごいことだと思いながら拝読致しました。
口先だけで呼び掛けるのではなく、勉強出来る環境の方を整えて行くというのは、真の支援だと思います。


 とにかく、目が見えないながらも触読で変体仮名を読もうとする若者を、大切に育てていきたいと思います。また、講座に参加なさっている方々も、いろいろと助けてくださいます。いつものように、終わってからの課外講座での話の中で、高校生に付いて来ておられるサポートの方は、講座中はそばでなくて室外の控え室で待っていただいた方が、本人の自覚も高まり、受講生との一体感の中で自立した勉強ができるのではないか、という意見が出ました。なるほど、と思いました。来月は、その提案をしてみようと思います。普通の高校生だって読まない変体仮名です。さまざまな取り組みの中で、多くのことを学んで育ってほしいものです。

 ウクライナ語訳『源氏物語』のことや、大阪大学外国学図書館のこと、さらには「紫風庵」での三十六歌仙のことなど、さまざまな近況報告などをしました。それでも、今日は早々と写本を読むことになりました。

 42丁表の1行目「ましたると」からです。「悲」という変体仮名が、前回同様に出て来ました。「出」とか「書」に間違えやすい字形をしています。
 「可し〈改行〉古新とて」という箇所では、「古」と「新」つなげたところには、書写者の遊び心があるのではないか、という提案をしました。これは、平安時代の作者に遡ってもいいと思います。一案です。
 「个」は今後は筆の流れが一旦右に折れているものは「介」にしたいと提案しました。また、「て」はそのままとして、短く入ってくの字に膨れているものは、「弖」にしたいことも伝えました。
 そんなことを話しているうちに、また脱線してしまいました。そんなこんなで、結局は予定していた興味深い異文のある直前まで辿り着くのがやっとでした。一番肝心の話題になるはずだったことが、できなかったことは、意を決して望んだだけに残念でした。
 ということで、43丁表2行目「みちにも」まで進みました。次は、本文が橋本本グループと大島本グループとで真っ二つに分かれる箇所からとなります。
 終わってから、これからは保坂本の翻字をスタートさせるため、あらかじめ希望をお聞きしていた方々に翻字資料を渡しました。また、今日から参加なさった方とお話をしていたところ、前回からお話を伺っていた変体仮名をパソコンで自由に表示する、かつてはフロントエンドプロセッサと言っていたものを開発し始めた方から、進捗状況を伺いました。一太郎2019に搭載されているとはいえ、この新方式は自由度が高いので楽しみです。ただし、どの変体仮名を組み合わせて1つの単語を構成するのかなどなど、まだ検討する課題は山積しています。それでも、身近なところで、こうして変体仮名を扱うコンピュータのツールが作られているのは、楽しみの多いことです。
 帰りは、新橋に近いレストランで課外講座と称する会合を持ちました。視覚障害に関する話題では、当事者を交えて稔り多い展開がありました。また、この日比谷図書文化館での講座に関しても、前回同様に橋本本の本文を解釈してその意味をみんなで考える勉強会の設立を、具体的に打ち合わせました。これについては、近いうちに結論を出すつもりです。
 充実した1日だったので、新幹線に飛び乗るが早いか熟睡です。気がついたら名古屋でした。
 
 
 
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | ■講座学習

2019年06月07日

大阪大学外国学図書館の貴重な資料群

 私の新しい研究室のすぐ隣には、外国語学部の研究室が入ったB棟があります。
 その3階から上には、これまで探し求めて来た海外の翻訳本情報や、貴重なアドバイスがいただける研究室が並んでいます。

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 『源氏物語』は、今日現在で36種類の言語で翻訳されています。先日報告したように、最近確認できたのが、36番目となるウクライナ語訳『源氏物語』です。平安文学となると、さらに言語の種類は増えそうです。とにかく、日本の文学は、それも古典文学は世界中の言語に翻訳されているのです。
 上の写真の多彩な言語を担当されている研究室を見ても、今はまだ確認できていない『源氏物語』を翻訳した言語は、デンマーク語・ペルシア語・スワヒリ語・タイ語・インドネシア語・フィリピン語があるのです。これらも、直接研究室を訪問して先生にお目にかかり、またその国から来ている留学生たちに話を聞けば、まだまだ見つかりそうです。その研究室訪問の計画は、現在準備を進めているところです。

 そのB棟の前、私の研究室の真下には、大阪大学外国学図書館があります。
 今回、図書館の利用手続を終え、書庫に入ることができました。まさに、私にとっては垂涎の資料の宝庫でした。

 日本文学作品が並ぶ書棚には、日本語の本の間に翻訳本が寄り添うように置かれていました。私は日本語と英語しか認識できないので、これらはどのような本であるのかを、研究協力者の手を借りて後日あらためて調査します。表紙を見た限りでも、まったく知らない本が多くありました。

 オンライン蔵書検索(OPAC)で、所蔵資料はわかります。いや、わかるはずです。しかし、これまでの経験では、自分で直接書籍や資料を手にしてみないと、確かなことは言えません。コンピュータの記録やシステムは、あくまでも文字化された情報の集積です。文字列にされた時点で、削ぎ落とされた情報を、本そのものは持っています。まずは表紙の絵が、OPACではわかりません。

 言語がわからなくても、私はまずは勘に頼って本を仕分けています。その後に、専門の方に教えていただくのです。まずは勘から、というのが、一番の近道のように思っています。科学的な研究手法ではありません。しかし、これまでにこの手法で、絶対にないといわれて来た本を何冊も見つけ出して来ました。これも、立派な研究手法だと思います。

 それよりも何よりも、この図書館の書庫で驚喜したのは、コレクションの多さでした。
 例えば、「ユーゴ関係コレクション」「リトアニア語寄贈図書」「台湾研究講座関連図書」に始まり、退職なさった先生方の寄贈図書群である「スペイン語関係」「ブラジル・ポルトガルコレクション」「ヤンゴン大学寄贈図書」「ビルマ語関係」「中央アジアコレクション」「インド関係」「インド・パキスタン関係」「インドネシア語関係」「南十字星文庫」「北欧関係」「中国語・中国文学」「サハラ以南 アフリカ言語文化コレクション」などなど。ここには、先生のお名前を冠した文庫は取り上げていません。
 さらには、膨大な量の海外の新聞・雑誌・書評などの印刷物。

 この書庫の整理だけでも、翻訳本の有無はともかく、世界に紹介されている日本文学の全体像を明らかにする手がかりが得られます。それだけでも、ますます夢が広がります。

 この大阪大学外国学図書館が所蔵する平安文学の翻訳本の情報と、私が持っている本のリストを統合したものが出来たら、東京外国語大学の図書館の資料と突き合わせてみたいと思います。
 それによって、「海外へいあんぶんがく情報」(http://genjiito.org)から公開している翻訳史年表も、さらに詳細なものとなることでしょう。

 こうした作業のお手伝いをしてくださる方を探し求めています。謝金がどのように使えるのか、まだ研究基盤機関が変わったばかりなので、その実状がわかりません。とにかく、ご自分の勉強を兼ねての原本調査の協力、ということで、連絡をいただけると幸いです。
 
 
 
posted by genjiito at 21:26| Comment(0) | ■科研研究

2019年06月06日

読書雑記(257)芥川賞2作を読んで

 平成30年下半期の芥川賞受賞作を2本一気に読みました。
 文章に、普通は漢字で書く語句が、頻繁に平仮名で書いてあることに、違和感を覚えました。今は、平仮名多用の時代になっているのでしょうか。
 また、女性の役割が添え物のように感じられました。テーマが女性の存在を特に求めなかったからでしょうか。この2作を、女性はどのように読まれるのでしょうか。
 2作共に、恋愛をテーマにするものではありません。コンピュータのエンジニアと、ボクシングの選手が主人公です。神経が張り詰める世界に生きる男が息を抜く様子が、合間合間に語られていたので、興味深く楽しみました。

■上田岳弘『ニムロッド』
 「駄目な飛行機コレクション」が、物語の展開の中でいくつも出てきます。これはどんな意味を持たせて語られるものなのか、終始疑問に思いながら読み進めました。しかし、現代が直面している課題を抉り出していることはわかります。【3】

■町屋良平「1R1分43秒」
 戦いと時間を前にして、人間が自分の身体の限界と向き合う話です。戦いを控えた1人の男の内面が、具体的に語られています。後半は、2人の男の交流が。こうした戦いは経験していなくても、その心持ちは理解できます。そこに、作者と読者の接点があります。【4】

 共に、私が日頃経験しない世界が舞台です。ビットコインとボクシング。そして、共にわかりやすい文章でした。比喩をこねくり回した、凝った文章は好きではありません。その意味からも、この2作は、また読んでも疲れない作者だと思いました。
 
 
 
posted by genjiito at 23:08| Comment(0) | ■読書雑記

2019年06月05日

孫娘が描いた不可解な変体仮名

 2歳2ヶ月の孫娘が、文字なのか絵なのか判断に迷う、摩訶不思議なものを描きました。
 もちろん、上下左右、どこから見ればいいのかもわかりません。

 右利きの子なので、縦書きであれば、この向きでしょうか。

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 いや、これでは最初が横書きなので変です。
 180度向きを変えてみました。

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 いやいや、文字だとしたら、縦に書くのは早すぎるのではと思い、横書きとして見ました。

190604_line-yoko1.jpg

 しかし、これでは、左端が縦に書いたように見えるので、これも180度向きを変えてみます。

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 あるいは、紙を斜めにしたり、回したりと、勝手気ままに書いたのかもしれません。
 この時、この子の頭の中にはどんな図像があり、それを何を思って線で形にしていったのでしょうか。

 日ごろから私は変体仮名を読んでいるので、これも変体仮名として読めないか、などと思いをめぐらせました。
 しかし、孫娘は平仮名を見たことはあっても、それがどのような意味を持つものなのかは知らないはずです。
 ましてや、変体仮名などは、まだ見たこともないはずです。

 楽しく想像を逞しくしていると、人が図形から意味のある記号へと認識していく過程が、おもしろく連想されます。
 象形文字ならまだしも、これが1字1音の仮名文字だとしたら、さらに複雑な認識がなされていることになります。
 そんなことがあるのかないのか。
 こんな研究は、すでにあることでしょう。

 とにかく、記録として残しておきます。
 
 
 
posted by genjiito at 21:32| Comment(0) | ■変体仮名

2019年06月04日

36番目の言語となるウクライナ語訳『源氏物語』

 科研の研究協力者である淺川さんから、ウクライナ語訳『源氏物語』に関する情報が届きました。
 これは、『源氏物語』の翻訳では36番目の言語となるものです。

 〈源氏千年紀〉の2008年に、「世界中で読まれている『源氏物語』」(2008年02月15日)という記事を書きました。その中で、未確認の本として、ウクライナ語訳『源氏物語』のことに言及しています。それから11年間の経緯は、これから調べます。
 それにしても、11年前までは、『源氏物語』の翻訳は18種類の言語であった、ということに我ながら驚いています。今回のウクライナ語訳『源氏物語』は、その倍の36種類目の言語による翻訳本なのですから。

 まず、出版社のサイトに公開されている表紙の写真をあげます。
190520_Ukraine-cover.png

 この本は、国際交流基金ライブラリー(913.36 D99)に所蔵されています。そのことを淺川さんが確認できたため、ここに36番目の言語で翻訳された本として、その情報の一端を紹介します。電子書籍もあります。

・タイトル:Повість про Ґендзі
・アルファベット表記:Povist' pro Gendzi
・シリーズ名:Бібліотека світової літератури
・翻訳者/機関: Ivan Dzi︠u︡ba(Ivan Dziub/イワン・ジューブ)
 Institut literatury im. T.G. Shevchenko
 (前身をタラス・シェフチェンコ科学研究所とする、ウクライナ国立科学アカデミー文学研究所 )
・巻号:1
・翻訳範囲:桐壺〜朝顔
・出版社:Фоліо(Forio)
(URL)https://folio.com.ua/books/Povist-pro-g%27endzi--Kniga-1
・出版年:2018年
・表紙:菊川英山『青樓美人遊 海老屋内あひつる』
・メモ:表紙の裏の絵は、楊州周信の『千代田大奥花見絵』、扉の絵は鈴木春信『女三宮と猫』。見返しに月岡芳年の『古今姫鑑 紫式部』。
 国際交流基金の支援で出版。
(URL)https://www.jpf.go.jp/e/project/culture/publication/supportlist_publish/support_p_30.html
■翻訳者に関する情報:「コトバンク」より
 1931年生まれ。物理学者;翻訳家;日本文学研究家; 肩書: ウクライナ科学アカデミー理論物理学研究所上級研究員
(URL)https://kotobank.jp/word/イワン%20ジューブ-1682263


 これにより、これまでに翻訳された『源氏物語』は、次の36種類の言語となります。


【『源氏物語』が翻訳されている36種類の言語一覧】


(2019年06月04日 現在)

アッサム語(インド)・アラビア語・イタリア語・ウクライナ語・ウルドゥー語(インド)・英語・エスペラント・オランダ語・オディアー語(インド)・クロアチア語・スウェーデン語・スペイン語・スロベニア語・セルビア語・タミル語(インド)・チェコ語・中国語(簡体字)・中国語(繁体字)・テルグ語(インド)・ドイツ語・トルコ語・(現代)日本語・ハンガリー語・ハングル・パンジャービー語(インド)・ビルマ語・ヒンディー語(インド)・フィンランド語・フランス語・ベトナム語・ポルトガル語・マラヤーラム語(インド)・モンゴル語・リトアニア語・ルーマニア語・ロシア語


 本年1月にルーマニア語訳『源氏物語』の存在を知り、3月に翻訳者であるホンドル先生の元へ飛んでいきました。

「日比谷で橋本本「若紫」を読む(その8、ルーマニア語訳『源氏物語』の第一報)」(2019年01月26日)

「ルーマニア語訳『源氏物語』に関しての翻訳者とのやりとり」(2019年01月28日)

「ホンドル先生のご自宅で伺った興味の尽きないお話」(2019年03月08日)

 ウクライナ語訳『源氏物語』については、情報を集める中で、可能であれば翻訳者から直接お話を伺えないかと思っています。この本と翻訳者に関して情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、連絡をお待ちしています。
 
 
 
posted by genjiito at 23:25| Comment(0) | ◎国際交流

2019年06月03日

何もしない日(6月)

 今日は何もしない、何も考えない1日。

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 のはずですが……
 溜まりに溜まっているメールの返信を少しずつ送りました。
 どうしても今日中に対処しないといけない案件のメールも。
 これはどうしようもないことなので割り切ってのことです。
 
 
 
posted by genjiito at 18:45| Comment(0) | *健康雑記

2019年06月02日

NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の第7回総会の報告

 8年前に産声を挙げた、この特定非営利活動法人〈源氏物語電子資料館〉は、さまざまな活動を通して貴重な経験を積み重ねて今に至っています。ただし、会員の皆様には、年会費を支払ったことに見合うだけの、十分な成果や手応えのある見返りを、まだお渡しできていません。
 しかし、こうして牛歩であっても、90年をかけて『源氏物語』の本文の整備をすることを目標にして、着実に前を見据えて進んでいることは確かです。駅伝のバトンよろしく、若い世代に文化資源を引き継ぎながら、気長な活動と堅実な成果を継承しています。今しばらくの支援をいただく中で、稔り多い非営利活動を展開していきます。

 今日現在、会員数はちょうど30名です。そのうち、『源氏物語』を研究の中心に据える研究者は1割ほどです。『源氏物語』の写本に書写された文字を、忠実な本文データベースとして構築することの重要性は、研究者にも十分には説明できていないことは、本会の今後の課題でもあります。
 そうであっても、こうした地道に活動を続ける意義をご理解いただき、変わらぬお力添えをいただけていることは幸いです。

 本日の総会は、朝9時半からの開始です。今朝の富士山は少し霞んでいました。

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 総会の開催場所は、東京駅の近くにある、京橋プラザ区民館です。

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 これまでに何度もお世話になった京橋区民館ではなくて、その少し先にある区の施設です。9:30から12:00までを予定し、時間ちょうどに無事終わりました。

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 集まったのは、正会員9名と8名の委任状による出席者です。議長、書記、議事録署名人を選出・確認してから始まりました。
 総会資料に記載された通り、議事は順番に進みました。
 事業報告などの中で、適宜以下の資料が参照されました。

・(別紙1)変体仮名翻字版進捗表
・(別紙2)平成30年度活動計算書
・(別紙3)平成30年度財産目録
・(別紙4)平成30年度貸借対照表
・(別紙5)令和元年度活動予算書


 詳細は、本法人のホームページに後日掲載する総会及び活動実績報告をご覧ください。

 本年度、令和元年度の事業計画案のうち、特記すべきことは次の5点です。

(1)文化庁の京都移転を視野に入れて、京都市内に本法人の事務所を開設したいことを明言しました。

(2)そのためにも、関西の理事の補強と正会員の増加につとめたいと思います。

(3)翻訳本を持って全国を巡回し、展示等を通して実際に触って海外における平安文学の受容を実感していただこう、という計画を実行します。これは、伊藤科研で計画されていることの実現に向けて、後方支援するものです。研究と支援活動を、目に見える形で展開していきます。

(4)伊藤科研で発行している電子版『海外平安文学研究ジャーナル』(ISSN番号 2188ー8035)を、科研が終了する2年後に円滑に引き継げるよう、今から準備を始めます。

(5)目が不自由な学生等を対象とした「日比谷図書文化館古文書塾てらこや受講生向け奨学金制度」を設立します。これは、障害者手帳と日比谷図書文化館での翻字者育成講座領収書の提出を受けて、受講料の約6割の1万円を本法人が支給することで、勉学の支援をする制度です。本年度から実施します。内規を適用しながらの運用となります。


 特定非営利活動法人〈源氏物語電子資料館〉は、多くの夢を抱えて歩むNPO法人です。
 今後ともご支援のほどを、よろしくお願いします。
 
 
 
posted by genjiito at 20:40| Comment(0) | ◎NPO活動

2019年06月01日

公共施設の更衣ロッカーで不思議とすぐ隣に利用者がいること

 不思議に思うことがあります。

 公共のスポーツ施設や温泉施設などで、更衣ロッカーを使うことがあります。
 入口で利用の手続きをすると、自分が使うロッカー番号を書いたキーをもらえます。
 自分に宛てがわれた番号のロッカーに行くと、だいたい、私の番号の横で誰かが着替えようとしています。
 それは、帰りがけの人であったり、今来たばかりの人だったりします。
 または、私が着替え始めると、隣に新しい別の方が来られます。

 だだっ広い更衣室の、しかもよりによってピンポイントの隣同士で、寄り添って着替えることになるのです。
 上から見ると、顔見知りでもなんでもない、赤の他人が寄り添う姿は、奇妙なシーンでしょう。

 これからの方は、私よりも少し前にお出でになった方のようです。
 とすると、受け付けの方は、並んだロッカー番号のキーを渡したことに気が付かないのでしょうか。
 利用者としては、わざわざ隣同士で着替えるよりも、少し離れている方が気が楽です。
 別のスペースはガラガラなのですから。
 また、お互いが開けたスチールロッカーの幅が狭いので、扉が邪魔になります。
 おのずと、狭い思いをして衣類やウェアなどを出し入れしなくてはなりません。
 すみません、すみません、と言いながら。

 帰りの方とぶつかるのは、これは偶然かも知れません。
 しかし、あまりにも横の方がお帰りになるタイミングでロッカーを使うことになるので、これも不自然です。
 これも受け付けでキーを渡す方は、いつ来た方が隣同士になるかは、把握しておいてほしくなります。
 この遭遇現象を避けることは、無理からぬことかも知れません。
 しかし、これは容易に予測できることです。
 だいたい、30分から1時間の利用だからです。
 また、ロッカールームは広いスペースの場合が多いので、ゆとりを持ったロッカーの配当は難しくないはずです。
 とにかく、広いロッカールームの時などは、本当にこの偶然と思えることが不思議でしかたがありません。

 あるはい、管理上なのか、セキュリティ上なのか、利用者が隣同士でロッカーを使った方が、営業者側は都合がいいのでしょうか。
 利用者が避けてほしいと思うことと、経営者の意図は、えてしてずれるものなので、これはその例なのでしょうか。
 とにかく、広い世界でなぜに見知らぬ他人が寄り添って、更衣ロッカーを使わされるのか。
 しばしば体験することなので、不思議に思っています。

 この現象は、何とかの法則とかいう命名が、すでになされているのかもしれません。
 ご教示いただけると、気持ちが落ち着きます。
 
 
 
posted by genjiito at 20:59| Comment(0) | *身辺雑記

2019年05月31日

清張全集複読(34)「剥製」「危険な斜面」「願望」

■「剥製」
 鳥を呼び寄せる名人といわれる男が取り上げられます。雑誌記者とカメラマンが取材に行きます。しかし、失望して帰ります。
 後半は、すでに勢いをなくした美術評論家のことへと移ります。文筆家や研究者を見る冷めた目の語り手は、まさに清張そのものです。ただし、作品としては2つの話がうまく連携できずじまいだったように思えます。【2】
 
初出誌:『中央公論 文芸特集号』(昭和34年1月)
 
※『松本清張全集 37』(文藝春秋社、1973.7.20)の巻末に収載されている著者自身による「あとがき」には次のようにあります。
年末の忙しいさなかで、後半を締切ぎりぎりに印刷所で書いた。前半をホテルで書いたのだが、ほかの仕事に追われて、ふらふらしながらあとをつづけたのをおぼえている。たしか、看護婦を呼んで注射を打ってもらったと思っている。その有様を見て嶋中鵬二氏がたいへんだな、と眩いた。(553頁下段)


※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のようにあります。
執筆量の限界を試してみようと積極的に仕事を引き受けた結果、この年後半から書痙になる。以後約9年間は福岡隆を専属速記者とし、口述筆記した原稿に加筆するという方法をとった。(中略)10月時点では前年からの継続分も含めて連載だけで11本という驚異的な執筆量を記録した。(281頁)

 
 
 
■「危険な斜面」
 秋葉文作は歌舞伎座のロビーで、その昔関係を持っていた野関利江と、10年ぶりの再会をしました。利江は、今は秋葉の会社の会長の愛人なのです。巧みな人物設定で、物語展開が楽しみになります。
 恋愛関係において、相手を器具と見るか恋人と思うかの違いから、破綻が生まれます。しかも、清張が得意な時刻表を活用したトリック。そして、最期の場面。うまい構成です。【4】
 
初出誌:『オール讀物』(昭和34年2月)
 
※『松本清張全集 37』(文藝春秋社、1973.7.20)の巻末に収載されている著者自身による「あとがき」には次のようにあります。
企業の機構の中にいる人間の出世欲が転落の斜面に足をかけているというのがテーマ。いまではこういう筋のものが多くて珍しくなくなったが、女の心理の変化まで読みとれなかった自信過剰男が書きたかった。(553頁下段)

 
 
 
■「願望」
 下積みから身を成した者が、一気に願望を満たす話が、江戸の本に書かれているそうです。その中から2つの話を引き、人間の心の内にある願望を語ります。物語というよりも、コラムに近い性格の掌編です。【1】
 
初出誌:『週刊朝日別冊 時代小説傑作特集』(昭和34年2月)
 
※『松本清張全集 37』(文藝春秋社、1973.7.20)の巻末に収載されている著者自身による「あとがき」には次のようにあります。
「願望」は、作品じたいのなかに「解説」が書きこまれている。「塵塚物語」と「慶長見聞集」からとった。はじめから小品むけである。(553頁下段)

 
 
 
posted by genjiito at 20:44| Comment(0) | □清張復読

2019年05月30日

科研の実績報告書ができました

 昨年度の科学研究費補助金による基盤研究(A)の取り組みは、「海外における平安文学及び多言語翻訳に関する研究」(課題番号︰17H00912)をテーマとするものでした。
 その成果・実績の報告書が学振(日本学術振興会)から公開されるまでに、しばらく時間がかかります。そこで、その研究実績の報告書の一部をここに引用します。
 交付された直接経費は〈7,900,000円〉、間接経費は〈2,370,000円〉、未使用額は〈68,793円〉でした。
 多くの方々に助けられて、多くの成果をあげることができました。
 あらためて、関係するみなさまにお礼を申し上げます。
 まだ後2年あります。
 これまでと変わらぬご支援を、引き続きよろしくお願いします。

【研究実績の概要】


 本年度も、海外の研究情報と翻訳本を収集する活動と共に、現地の大学及び国際交流基金とのコラボレーションとしての国際研究交流を実施した。出向いた国は、ペルー・アメリカ・ミャンマー・ルーマニアの4カ国であった。いずれも先生方や現地の研究者との有益な面談に加え、多彩な研究情報や資料と、情報として伝わっていなかった多くの翻訳本を入手することができた。特に今年度は、ルーマニア語訳『源氏物語』の情報と共に翻訳者との対談も実現したことは大きな成果となった。これらは、年度末に発行した報告書である『平安文学翻訳本集成〈2018〉』に収録している。
 また、翻訳書籍に関する展示も、昨年度に引き続き開催した。研究代表者が収集した各国語に翻訳された古典文学作品について、解題を付して展示を行ったものである。多くの学生、教職員の目に留まるようにした。
 各国語訳『源氏物語』の訳し戻しは、世界35言語に翻訳された『源氏物語』を、その言語を母語とする者(母語話者)と母語としない者(非母語話者)により、日本語への訳し戻しを行っている。今年度は、主にビルマ語訳『源氏物語』(ケィン キン インジィン著)の訳し戻し作業を行い、日本文化の変容を考察する基礎資料を作成した。このことは、研究会に翻訳者ご本人をお呼びし、ディスカッションをする中で翻訳について考えた。
 懸案のホームページ「海外へいあんぶんがく情報」(http://genjiito.org)は、年度末に無事に完成し公開することができた。これは、前回の科研で作成した「海外源氏情報」をさらに発展させた内容のホームページである。今後は、このホームページを情報公開の窓口として、これまでの研究成果を広く共有しながら本科研のテーマを追求し、深めていきたい。(752字)


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【現在までの進捗状況】


(1)当初の計画以上に進展している。

 当初設定した、研究期間の4年間で調査研究によって解明する目標は、次の3点であった。
 1. 世界各国で翻訳されている平安文学の総合的調査を実施し、各国の受容史と研究史を整理
 2. 江戸時代の簡約版『十帖源氏』を多国語翻訳し、日本文化の変容と理解について共同研究
 3. ホームページや電子ジャーナル等のメディアを活用して、研究者が情報交換をする場所を提供
 この内、1は予想以上に情報が集まり、受容資料としての翻訳本も確実に収集点数を増やしている。また、
 3のホームページ[海外へいあんぶんがく情報](http://genjiito.org/)も年度末に稼働しだしたことにより、コラボレーションが具体的に実現しつつある。
 そうした中で、2の『十帖源氏』の多国語翻訳は、これまでの基盤整備を踏まえて実施するものであり、3年目の2019年度の課題となっている。この2年間で得られた情報と人脈を有効に活用して、多国語翻訳を進展させていきたい。また、このテーマの遂行にあたり、これまで構築した人脈を活かして幅広い多彩な翻訳を実現したい。(460字)


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【今後の研究の推進方策】


 本研究課題の今後の推進方策は、3年目に具体的に展開する『十帖源氏』の多国語翻訳の実施が中心となるはずである。『源氏物語』の第12巻「須磨」と第13巻「明石」を、翻訳の対象として予定している。そして、その成果はホームページのみならず、電子版『海外平安文学研究ジャーナル』に掲載して公開することとなる。
 電子版『海外平安文学研究ジャーナル』は、これまでに第6号まで発行している。次は、これまで2年間の成果を盛った第7号(今秋発行予定)と、本年度末に発行する第8号である。そこには、これまでに収集した情報と翻訳本、そして『十帖源氏』の多国語翻訳の掲載である。また、『海外平安文学研究ジャーナル〈ミャンマー編〉』の編集も最終段階となっている。
 こうした方向性を定めた研究を遂行していくことで、「1.翻訳から見た日本文化の変容」「2.『十帖源氏』の翻訳と研究」「3.共同研究基盤の整備」が関連しながら成果として公表できるものとなるはずである。
 また、「国際日本文学研究交流集会」の開催も、今後取り組むものである。これは、これまで研究環境が十全ではなかったために、実施が遅れていたものである。開催に向けての準備は整ってきたので、国内と海外で開催する段取りを進めているところである。(533字)

 
 
 
posted by genjiito at 20:39| Comment(0) | ■科研研究

2019年05月29日

科研の現状報告と茨木神社と茨木童子のこと

 今回の科学研究費補助金による研究の3年目は、今年から研究基盤機関が変わったことにより、一旦リセットされた状況にあります。事務的な手続きも停滞気味なので、気を揉んでいるところです。
 この4月からの2ヶ月間は、その再起動に多大のエネルギーと時間と手間を要しています。それも、ようやく昨日あたりから、本当に少しずつではあるものの、何とか動き出したことを実感し出しました。勝手がわからないこともあり、とにかくノロノロ運転ですが……

 プロジェクト研究員として活躍していただいていたOさんも、熊取という遠いところから箕面キャンパスまで、まさに遠路遥々この科研の研究支援に来てくださっています。少しずつ新しい機関での書類の形や動かし方がわかり、作業が進み出しました。
 先週から来てもらっているアルバイターのY君には、翻訳本の整理を精力的にしてもらっています。いい人材が見つかりました。まだ学部3回生です。しかし、信頼して任せられるということは、得難い人材を獲得したことになります。この科研は、若手研究者を育成する、ということも目的と活動の中に明記しているので、幸先の良いスタートとなったと言えるでしょう。
 情報収集や作業データの整理に使うパソコンについて、私はこれまでの30年近くにわたり、終始Macintoshで対処してきました。今回も同じです。すでにOさんはMacintoshを使いこなしておられます。Y君は今日が初めてだというMacintoshのセッティングも、無事に終わりました。
 新しい箕面の研究室は、まだ本格的な科研の運用までは整っていません。運び込んだ資料などが実際に活用できるように整理できるのは、もうしばらく時間がかかりそうです。いい研究成果を出すためにも、この時期の資料整理が大事です。本の山を崩して、すぐに資料が探せるように並べることが最優先課題です。

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 今年度からは、『万葉集』や『百人一首』など、『源氏物語』前後の和歌集も扱います。その準備を、Y君にお願いしています。

 この科研では、多くの方々とのコラボレーションによって、情報収集・整理・考察を展開していきます。そのためにも、この日本古典文学作品の翻訳の分野では、基礎的な研究基盤の整備は欠かせません。ほとんどなされていない分野なので、地ならしに時間がかかっています。もうしばらくはアイドリング運転状態であることを、お伝えしておきます。いま少しのお時間を……

 仕事帰りに、阪急茨木市駅に近い茨木神社に、科研の調査研究が順調に進展するようにと、神様にお願いしてきました。信仰心のない私です。しかし、これまで、いろいろな困難と直面してきたこともあり、神頼みも必要だと思ったのです。
 神社の近くの橋の欄干には、茨木童子の石像がありました。

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 茨木童子とは、今を遡る平安時代に、大江山を本拠地にして京都を荒らし回ったとされる「鬼」のことです。一般的には、茨城童子と書いています。酒呑童子の家来だった茨木童子は、堀川にかかる一条戻橋に出て来ます。それを、渡辺綱が腕を切って難を逃れたという伝承は、よく知られています。渡辺綱が茨木童子の腕を切り落としたのは、実は羅生門でのことだった、という話もあります。いや、茨木童子は「男の鬼」ではなくて、「女の鬼」だったとも言われています。
 その茨木童子の石像を見ながら、茨木市駅に向かって歩くと、すぐに茨木神社の標柱と出くわします。

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 本殿に向かうと、整然とした境内が見えます。

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 帰りは、かつてあった茨木城の搦手門を潜って東に真っ直ぐ歩きました。庶民的な、昭和の雰囲気を感じる商店街を抜けると、阪急茨木市駅に至ります。

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 気持ちの良い散策となりました。
 
 
 
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2019年05月28日

読書雑記(256)高梨耕一郎『京都半木の道 桜雲の殺意』を再読して

 『京都半木の道 桜雲の殺意』(高梨耕一郎、2006年4月15日、講談社文庫)を再読しました。

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 この本については、「読書雑記(4)高梨耕一郎『京都半木の道 桜雲の殺意』」(2007年10月02日)で取り上げました。あまりいい評価はしていません。そのことが、半木の道を散策するたびに思い出されるので、もう一度読んでみたのです。
 植物園の西側にある、北大路橋と北山大橋の中間地点にある飛び石のことは、128頁に出ています。気になっていた割には、さらりと触れているだけなので拍子抜けです。
 予想外に、物語の内容には肉付けがされていることが実感できました。前回は、推理を追うことに一生懸命になって読んだからでしょう。そうであっても、登場人物が多すぎて、しかも人間関係が希薄です。おもしろい物語なのに、人物が立ち上がってこないのです。作者の立ち位置が曖昧で、物語を引っ張る人が存在感を示さないからだと思います。キャラクターの整理が必要だと思いました。
 さらには、舞台である京都らしさが伝わってきません。もっと風物に関わるエピソードを盛り込むなどして、工夫すべきだと思いました。せっかくの上質なネタが、これではもったいないのです。お寿司屋さんで、いいネタを仕入れながら、シャリがパサパサだったりベタベタだったら、変なものを口にしたという印象しか残りません。
 前回はほとんど気にしていなかった目の見えない花純さんの存在が、今回はその後に問題意識を持つようになったこともあり、非常に気になりました。中学2年生の時に失明した花純さんは、18歳の時にひき逃げされて亡くなったのです。そのことは、226頁以降で語られます。最終局面での推理に関係するのでここでは触れません。この花純さんの扱われ方に、私は非常に違和感を覚えました。これは、機会があればあらためて批判的に書きたいと思っています。
 それはさておき、この作品は、書き換えるともっとおもしろいものに化けそうです。私なら、飛び石をもっと活用します。半木の道に接する植物園も巻き込みましょう。その隣にある府立大学も出番です。この作品が発表された当時は総合資料館があったし、今は京都府立京都学・歴彩館に姿を変えて資料の宝庫となっています。推理モノにふさわしい舞台も資料も人物も、ふんだんに揃っている場所なのです。
 さらには、北大路通りを西に進むと、日本最初の盲学校やライトハウスがあります。千本閻魔堂の紹介をしながら、紫式部のことには言及がありません。物語をおもしろくするネタは満載の素地が眠っている作品です。
 作者の再挑戦を期待しています。【2】

※本作は、文庫本での書き下ろしです。
 
 
 
posted by genjiito at 20:21| Comment(0) | ■読書雑記

2019年05月27日

アレッ!と思う時〈その7〉加齢と老化の兆し

(1)10枚綴りになっているバスの回数券を財布から取り出し、1枚を千切ろうとしていた時に、うっかり落としてしまいました。バス停でのことだったので、風に飛ばされたバス券を大慌てで前屈みになって鋪道へ拾いに行きました。小さな紙片を掴んでいる時の力加減が、加齢と共に微妙な調整が出来ず、弱くなっているようです。財布を持ちながらバス券を切るのは、いろいろなところに神経が行くので油断大敵です。
 
(2)冷蔵庫からパック入りの牛乳を戸袋から取り出そうとしていた時です。牛乳を左手に持ったまま、右手でドアを閉めようとした時に、うっかり牛乳を落としてしまいました。左右の手で同時に別のことをする時には、簡単なことであっても要注意です。
 
(3)イチゴを何個か右手に掴み、左手でヘタを取っていた時のこと。右手で掴んでいたイチゴを1つ落としました。イチゴを握る力の入れ具合が、別の動作で緩んだようです。イチゴを潰さないようにという気遣いも、その力加減に影響しているのでしょう。
 
(4)ワイシャツなどの胸ポケットに、一時的に外したメガネを入れていることがよくあります。ところが、屈んだ瞬間にポトリと、ポケットからメガネが前に落ちるのです。前屈みになる時、膝を曲げずに腰だけを折って前に屈んでいるのでしょう。身体が硬くなった証拠です。柔軟な足腰の曲げ伸ばしを意識すべきだと、自分に言い聞かせているのですが……
 
(5)革靴を脱ぐ時、靴紐が少しきついとなかなか足から抜き取れず、ふらつくことがあります。身体のバランスを、急速に取りにくくなったのかもしれません。靴紐を緩め、膝を曲げ、腰を落として靴を脱ぐように心掛けるようになりました。
 
 
 
posted by genjiito at 20:53| Comment(0) | *身辺雑記

2019年05月26日

古福庵 町田店で見つけた源氏香の図入り木皿

 東京と神奈川の県境にある、時代家具を扱う古福庵に行きました。

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 広い店内には、さまざまな調度や家具が並んでいます。いずれも、手入れが行き届いたものです。

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 その中で、朱塗りの丸い菓子皿に、源氏香の図「初音」を描いた木皿を見つけました。気に入ったので、6枚いただきました。
 大型の家具がズラリと並ぶ中で、こんな小さなものが目に留まるのですから、おもしろいものです。

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 その近くには、蓋に「丸叶」、内箱の右横に「満る可なう」と書かれた小箱がありました。腹の部分は変体仮名です。これも、いただきました。

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 これらの道具とも、縁あっての出会いだと思います。大事に使っていくつもりです。

 今日はトランプ大統領が来日中のため、都内を避けての帰洛です。暑い一日。富士山は少し霞んでいました。

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posted by genjiito at 23:54| Comment(0) | ・ブラリと

2019年05月25日

紫風庵で三十六歌仙と源氏物語の変体仮名を読む

 大徳寺に近い船岡山の南にある「紫風庵」で、装いも新たに「源氏物語と三十六歌仙の写本を変体仮名で読む会」と題して第1回学習会を開催しました。主催は、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉です。

 この「紫風庵」と三十六歌仙については、「京洛逍遥(538)登録有形文化財「紫風庵」の三十六歌仙絵」(2019年04月13日)に詳しく書いています。『源氏物語』については、これまで通りハーバード本「須磨」巻を読み進めます。

 今日は最初ということもあり、「紫風庵」を運営なさっている宮本さまに、建物の説明をしていただきました。昭和8年に、当時の所有者がお嬢さまのために建てた家だとのことです。随所に丸みを帯びた造作がなされており、優しさが溢れる和洋折衷の建物です。

 その一階の応接間の三面の襖に、三十六歌仙の絵と和歌を書いた色紙が貼り廻らされています。

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 先ずは、歌仙絵に囲まれたこの部屋の使い方について、私の方から提案しました。すべて、襖絵および書を守るためのものです。

(1)カバンなどの荷物はこの部屋には持ち込まず、南の廊下側に出す。
(2)襖の絵と書を見るときは、持参か備え付けのマスクを着ける。
(3)記録のための筆記具は、鉛筆(シャープペンは可)のみとする。
(4)歌仙絵の部屋での飲食は厳禁とし、隣の居間では可能とする。
(5)一木の座卓での筆記などは、表面が傷付かないような配慮をする。
(6)写真は、記録程度なら自由。ただし、Web 公開は広報目的以外は原則不可。
(7)撮影にはフラッシュを使わず、接写には十分な距離を保ちズームで。
(8)襖に貼られた歌仙絵および和歌色紙には、絶対に触らない。
(9)歌仙絵の部屋では、手に何も持たず、小走りにならないようゆっくりと歩く。
(10)懐中電灯による、色彩や輪郭線の確認のための照射は、許可を得てから。


 以上の確認をしてから、早速、襖に貼られた和歌を確認しました。今日は、左端の襖を見ます。

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 歌仙絵に添えられた和歌は、「変体仮名翻字版」で表記すると次のようになります。散らし書きで和歌が書かれているので、気をつけて仮名文字を追いかけてください。

◎《左上》
   右 伊勢
  見わの山
     い可尓 待三む
       年婦とも
  阿羅し     多つね類人
    登         も
    おもへ者

■三輪の山 いかに待ち見む 年ふとも 尋ぬる人も あらじと思へば
                   (古今和歌集 巻15 恋歌5)


◎《左中》
   左 中納言家持
  春能野尓あさる
   きゝ須の妻恋
         尓
  人 をの可有
   耳    可を
  志れ    
    筒

■春の野に あさる雉の 妻恋ひに 己がありかを 人に知れつつ
                   (万葉集 巻8 1446)


◎《中下》
   右 山部赤人
  和歌能うら尓塩
   三ちくれ八か多お
   多つ鳴    な三
     わ多 あしへ
       流   を
         佐し
           帝

■和歌の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 芦辺をさして 鶴鳴き渡る
                    (万葉集 巻6 919)


 柿本人丸と凡河内躬恒は、その右側の襖と組になる形で貼られているので、次回に詳しくみることにします。

 歌仙絵については、私にはよくわかりません。ただし、持参した架蔵『探幽筆 三拾六哥仙』のコピー版を見てもらい、この絵が狩野派の絵と構図がよく似ていることを確認しました。このことは、上記の「京洛逍遥(538)登録有形文化財「紫風庵」の三十六歌仙絵」(2019年04月13日)で、具体例をあげて提示したとおりです。

 今日は最初ということもあり、庵内の案内や三十六歌仙の襖絵の確認で、2時間の内のほとんどの時間を費やしました。

 最後の20分は、歌仙絵の部屋から居間に移り、テーブルを囲んでハーバード本「須磨」巻の11丁裏の1行目から本文を字母に注目しながら確認しました。ここで、用意していたお茶とお菓子をいただきました。
 三十六歌仙の和歌に書かれた仮名文字は江戸時代以降のものであり、ハーバード本は鎌倉時代中期に書写されたものです。その文字が持つ雰囲気の違いは明らかです。こんなことを話している内に予定の時間となったので、11丁裏7行目の「心くるし支・こと能・」までで終わりとしました。

 次回は、6月29日(土)の午後2時から、この「紫風庵」で行ないます。
 今日は6人での勉強会でした。
 興味と関心をお持ちの方の参加をお待ちしています。
 この勉強会が午後4時に終わると、私は大急ぎで東京に行く新幹線に乗るために、早めに退出しました。
 玄関からは、8月に大文字の送り火が焚かれる如意ヶ岳の「大」の字が見えます。

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 参会者のみなさま、毎度のことながら慌ただしいことで大変失礼しました。
 
 
 
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | ◎NPO活動

2019年05月24日

清張全集複読(33)「装飾評伝」「巻頭句の女」「紙の牙」

■「装飾評伝」
 異端の画家と言われた名和薛治をめぐる話です。その名和から芦野信弘へと展開します。そこには、清張がかねてより抱いていた疑問がありました。芦野が伝記作者になった、と言うところから話は急展開です。さらには、名和はなぜ晩年になって崩れた生活に陥ったのかについて、鋭い観察眼が縦横に光ります。芦野の娘の登場が、この話の転回点だと言えるでしょう。
 天才画家と不幸な友人の人間関係を、清張はあらん限りの想像と連想を綯い交ぜにして語ります。人間観察が実を結んだ秀逸な物語が誕生したのです。【5】
 
初出誌:『文藝春秋』(昭和33年6月)
 
※『松本清張全集 37』(文藝春秋社、1973.7.20)の巻末に収載されている著者自身による「あとがき」には次のようにあります。
 発表当時、モデルは岸田劉生ではないかと言われたが、劉生がモデルでないにしても、それらしい性格は取り入れてある。もっとも、劉生らしきもののみならずいろいろな人を入れ混ぜてあるから、モデルうんぬんにはいささか当惑する。(552頁上段)

※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のようにあります。
岸田劉生をモデルにした一種の評伝小説で、このテーマはのちに『岸田劉生晩景』(『藝術新潮」65.2〜4)に結実する。(106頁左)

 
 
 
■「巻頭句の女」
 癌を胃潰瘍だと言って知らされなかった女が、話の中心に置かれます。病院や医者や愛人などが出入りする話の中で、殺人事件があったことがあぶり出されます。ただし、いかにも作り話だという内容です。清張も、ネタに困って無理やりこじつけて書いた作品だと思いました。【1】
 
初出誌:『小説新潮』(昭和33年7月)
 
※『松本清張全集 37』(文藝春秋社、1973.7.20)の巻末に収載されている著者自身による「あとがき」には次のようにあります。
自作が俳句雑誌の巻頭を占めるかどうかは、投稿者仲間の重大な関心事となっている。『ホトトギス』の虚子選で巻頭をもらうと、地方名士になったという話があるくらいだ。(553頁上段)

 
 
 
■「紙の牙」
 温泉地で、自分の存在を知られたくない男の心理が巧みに描かれて始まります。
 それを見かけた市政新聞の記者に脅されます。市役所に勤める男は、職をなくすことを怖れ、言いなりになるのでした。安泰を願う人間の弱みが語られます。
 終始、憎たらしいまでの悪党がリアルにる描かれています。作者は、こうした人々を見てきたからこそ書けるのでしょう。【4】
 
初出誌:『日本』(昭和33年10月)
 
※『松本清張全集 37』(文藝春秋社、1973.7.20)の巻末に収載されている著者自身による「あとがき」には次のようにあります。
「紙の牙」は、じつはモデルがあって、地方のある自治体政界での出来事なのだが、このような事情は今でも中央、地方を問わず行なわれているに違いない。能吏がつまずくのはほとんどがスキャンダルである。(553頁上段)


 
 
 
posted by genjiito at 23:07| Comment(0) | □清張復読

2019年05月23日

反正天皇陵古墳とさかい利晶の杜

 今年7月には、世界文化遺産の仲間入りが濃厚になった百舌鳥・古市古墳群の内、堺市にある反正天皇百舌鳥耳原北陵古墳(田出井山古墳)に立ち寄りました。百舌鳥古墳群の北端にあります。仁徳天皇陵古墳がそうであるように、近寄っても森が目の前に広がっているだけで、あの鍵穴のような形は確認できません。

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 ピラミッドや石塔などは形が我々に見えるので、実感を伴う遺産として確認できます。その点では、日本の古墳の中でも前方後円墳は、その形がイメージし難いので、これがあの、という感触を得て終わります。IT技術を駆使して、実感を持って世界遺産が体感できるような仕掛けや工夫が待ち望まれます。もちろん、それが天皇陵にふさわしいかどうかは、また別の問題があるとして……

 その後、さかい利晶の杜にいきました。ここは、学生たちを連れて授業の一環として何度も来たところです。

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 入口にあったチラシで、与謝野晶子の『新新訳 源氏物語』が完成して今年が80年目であることを知りました。与謝野晶子が現代語訳をした『源氏物語』と『蜻蛉日記』の自筆原稿を、国文学研究資料館から精細画像で公開する仕事に関わったこともあり、気になっていました。
 今週末の25日(土)から6月2日(日)まで、いろいろとイベントが予定されています。次のホームページで確認してください。私は、この期間はすでに予定がぎっしりと埋まっているので、残念ながら参加できません。
「晶子フォーラム2019開催のお知らせ」
 ただし、25日に関しては、定員に達したために受け付けは終了したそうです。
 私は、この日の内容に興味をもっていました。与謝野晶子と谷崎潤一郎の現代語訳の違いについての話がなされるからです。

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 また、これに関連して、「晶子シリーズ講座 6か月でわかる「源氏物語」の世界 たつみ都志が語る! 与謝野晶子訳「源氏物語」講座」という企画もあるようです。初回は、6月3日(月)で、毎月上旬の月曜日に開講となっています。テキストは晶子の源氏訳です。ホームページにこの案内がないので、もっと詳しい情報を探しているところです。
 
 
 

posted by genjiito at 23:00| Comment(0) | ・ブラリと

2019年05月22日

「源氏物語と三十六歌仙の写本を変体仮名で読む会」からのお知らせ

 本日22日(水)の京都新聞「まちかど」欄で、次の紹介記事を掲載していただきました。

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 これは、これまで「be京都」で開催してきた「ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」巻を読む会」を継承したものです。
 新たな会場は、平安京の北の基点となった船岡山のすぐ南にある、登録有形文化財に指定されている「紫風庵」に移ります。その「紫風庵」で、引き続きハーバード本「須磨」巻を読むと共に、「紫風庵」所蔵で江戸時代に描かれた三十六歌仙の絵と和歌を読みます。これまで通り、平仮名は変体仮名を再確認しながら、書かれた文字を忠実に読んでいきます。
 江戸時代に描かれた三十六歌仙については、その絵が貼られた襖がある部屋で、しかも間近に見ながら、一文字ずつを解読していきます。「紫風庵」に所蔵されている「三十六歌仙」の詳しいことは、「京洛逍遥(538)登録有形文化財「紫風庵」の三十六歌仙絵」(2019年04月13日)をご覧ください。
 今回は、左端にある次の襖絵を読みます。

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 1年かけて、この三十六歌仙に取り組む予定です。ぜひこの機会に、生きた古典と接する得難い体験の場としてください。初心者を意識して、丁寧に変体仮名を読むコツなどを説明します。
 参加を希望される方は、このブログのコメント欄をご利用ください。折り返し、説明の返信を差し上げます。
 なお、この学習会は、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉が主催する企画であることは、これまでと同じです。小規模ながら、地道に気長に活動を続けています。
 『源氏物語』ともども、「三十六歌仙」という古典文学作品を生で鑑賞し、そこに書かれた文字を忠実に翻字していくことに興味をお持ちの方の参加をお待ちしています。
 会場である「紫風庵」への道順などは、上記ブログに詳しく掲載していますので、参考になさってください。
 
 
 
posted by genjiito at 23:53| Comment(0) | ◎NPO活動

2019年05月21日

吉行淳之介濫読(20)『コール ガール』

 この『コール ガール』(吉行淳之介、角川文庫、昭和50年5月)は、前回は昭和54年正月に読み終えています。しかし、内容はまったく覚えていませんでした。そのせいもあってか、楽しく読めました。

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 書き出しは、作者(語り手)が「コール ガール」という作品を週刊誌に連載することとなり、都内に部屋を借りて執筆を始めるところからです。対談の名手と言われる吉行らしい、乗りのいい語り口です。
 アメリカのコール ガールを引き合いに出し、精神分析医のハロルド・グリーンウォルド氏の『コール ガール』(中田耕治訳、荒地出版社)を引用しながら、日本のコール ガールとも違う娼婦と比較しながら論じたりします。実に楽しそうに語っていきます。
 この作品が連載物であることは、「この作品の第1回で、書いておいたように、〜」(101頁)とあることからわかります。掲載雑誌の読者を多分に意識した、読者に語りかける口調で物語は展開します。
 文中に、一年前に刊行した『浮気のすすめ』(昭和35年3月〜11月、『週刊サンケイ』連載、35回、同12月に新潮社から刊行)からの引用文が、次のことばの後に12行分ほどあります。
 彼女の演出及び演技力の一端を、『浮気のすすめ』から引用してみよう。(78頁)

 また、その『浮気のすすめ』の内容に対して抗議があった話が7行分あり、その抗議は筋違いだとしてここに反論を書いています(131頁)。なかなかおもしろい構成です。
 空は鉛色で、湿気が多くて、皮膚はジメジメしている、という描写は、本作でも健在です。吉行の作品でよく出てくる、特徴的な表現です。ゼンソクの持病を抱えることから、この表現は至る所でなされます。
 隣室のコールガールの部屋に行き、隣の自分の部屋からおつまみを取り出してくる話の「23 乾酪盗人」(190頁)は秀逸です。
 後半で展開する「全日本タイトルマッチ、コールガール選手権試合」は、面白半分のネタながら、作者は楽しんで書いています。遊び心の本領発揮です。女性をモノ扱いにしていると、今なら批判される内容です。しかし、作者は本気です。もしお急ぎの方は、「30 決戦の日近し」(角川文庫、251頁)から「37 奇想天外」(325頁)までの節を読むだけでも、十分に本作を堪能できます。
 最後に、また精神分析医ハロルド・グリーンウォルド氏の『コール ガール』(中田耕治訳)を引用しながら、日本のコール ガールとも違う娼婦と比較しながら、真面目な私見を展開します。生真面目な吉行の本領発揮です。
 そして、最後の作者のまとめは、これまた吉行らしい生真面目なものです。
 興味の赴くままに、肩肘張らずに随想のような語り口に、すっかり引き込まれました。物語る作者が、時たま小説家吉行淳之介として登場します。いろいろな仕掛けがなされています。
 なお、この作品を生み出した前作『すれすれ』(昭和34年4月〜12月、『週刊現代』連載、38回、昭和34年10月に講談社から刊行)のことが、作中に出ています。
 もともと田井重吉は私の作品『すれすれ』の中の重要な登場人物である。その作品のなかの彼がこの世を去る場面を引用して、あらためて田井重吉の冥福を祈ることにしようとおもう。(396頁)

 こうした形で引かれる登場人物に関しては、吉行の作品を通して注目しています。そのことは、またいつか書きます。
 また、関西在住の田中堅太郎氏からの手紙によるものとして、関西の状況については次のように言います。
関西では、この方法によるものの最も盛んなのが、神戸です。この土地は、昔からの港町で取締まりがゆるく、現在は戦前以上です。あきらかに売春防止法に抵触するもの以外は、追求されません。結構なことです、ありがたいことです。したがって、コールガールの質も非常に高く、そして広く、大阪、京都はその足下にも及びません。
 大阪は……、ほとんどが赤線上りです。中継所もうどん屋とか三畳土間だとか、そのくせ値段は時問で二千円です。不潔さは天下一品也。
 京都は……、日本の観光都市として、健全娯楽をうたっていますから、売春防止法にちょっとでも触れるものは徹底的に取締まられます。したがって、コールガールは、絶対に表面に出ていません。旅館で呼んでくれるところも稀にありますが、いわゆるヤトナばかりで、素人は皆無。ポン引の手を経るものは、ドングリ橘一帯のジキパンで、プロもプロも大プロで、コールガールの部に入らず(184頁)

 本作品を読んだメモに、「41節は『赤と紫』のモデルか。同じパターンの話である。」とあります。またいつか、このことを検証してみたいと思っています。【4】

※?の表現
 「差出人の住所は書いてあらず、」(49頁)
 「田舎ナマリの岩乗な女中だけだがな」(237頁)

書誌情報:『週刊サンケイ』連載、昭和36年2月〜37年1月、45回、昭和37年3月に角川書店から刊行)

※参考情報:「『コール ガール』の頃」(吉村平吉・風俗評論家、『面白半分 とにかく、吉行淳之介。 愛蔵版』、昭和55年1月、面白半分編集部、面白半分社)に、次のような裏話が語られています。本作品を理解する上で大いに参考になる話なので、長文ながら以下に引用します。
 自分自身が、売春婦のいる世界の生活にずぶずぶに漬っていた時期だったから、娼婦を主人公にしたり娼婦が登場したりする小説類を読み漁っては、生意気にもわたしなりの批評をくだしていたのだった。
 かねがね、自分のぐうたらと不行跡を棚に上げて、新聞や雑誌の売春社会または売春婦に関する文章のいい加減さに腹を立て、軽蔑していたのだ。
 吉行さんの作中の娼婦は、いずれもそんなわたしの心をときめかすほどの実在感と親近感をたたえていた。むろん小説としての見事さに感銘させられもしたが、それ以上に、作中人物へのわたしの側からの熱っぽい感情移入があったわけである。
 わたしの気持が通じてか、銀座の勉強会のあと、吉行さん単独でのご指名があって、以後、ちょくちょくお逢いするようになった。
 お逢いすると、お互いに妙な具合の真顔で、Y談がかった女の話や売春業界の話を交わすのが常だった。ポン引き稼業はお喋りと相場がきまっていたし、吉行さんのほうはあの名うての聴き上手だったから、当然にいつも話が弾んだ。
 そのうち、吉行さんの小説やエッセイのなかに、わたしらしき人物とかわたし風のポン引きとかが登場するようになった。読んでいて、面映ゆい気がしないでもなかったが、満更でない気持のほうが強かった。よく映画俳優なんかが、○○監督の作晶なら、ぜひとも出演させていただきたい、といった発言をしているが、ちょうどそういった心境だった。
 吉行さんの年譜によると、昭和三十五年の週刊誌の連載エッセイ『浮気のすすめ』、初めての新聞小説だという『街の底で』、そして翌三十六年の週刊サンケイ連載小説『コールガール』−の頃が、わたしの影みたいなものが吉行さんの作品のなかに見え隠れしたピークだった。したがって、しょっちゅうお逢いしていたし、しょっちゅうご馳走になっていた。
 とくに『コールガール』の連載中は、毎週のように、取材の手伝いをさせていただく格好になった。この小読は、作者が当時まだわが国でほ実態が明らかでなかった"コールガール"と呼ぼれる売春婦の存在を求めて探訪して歩く……という、いかにも週刊誌の連載らしいドキュメントタッチのもので、吉行さんは実際に、情報にもとづいて東奔西走したのだ。
 その頃はもう、わたしはポン引き稼業の足を洗っていたのだが、それでも古巣の売春業界には大勢の仲間が残っていたから、もっぱらそれらの連中を活用した。
 元仲間のボン引きのルートをたどって、コールガールと称する女たちに近づいたり、モグリ売春業者のなかの気のきいたので、アチラ風の仕組みにしたものなどに接触したりしたのだ。
「−よく考えてみると、平さんに、直接女を世話してもらったことは、一度もないんだよな」
 吉行さんがわたしに向って、新発見のようにこういったことがあるが、まったくそのとおりだった。
 おそらく、吉行さんは、ポン引きを介して女を買うなどという趣味は、まったくなかったのだろう。わたしをはじめとするポン引きという職業(?)、さらにモグリの売春業界の仕組み、そこにいる女たち、そういったものに探究心をかき立てられたに過ぎなかったのだろう、と、わたしは思う。
 それにしても、『コールガール』の頃の吉行さんは、探究的な好奇心旺盛で、探訪的行動にも結構マメであった。
(中略)
 一般の読者は気づいていないかもしれないが、吉行さんの小説には、いわゆる悪役的な人物は描かれていない。むろん正義の味方なんぞはお呼びじゃないだろうが、根っからの悪党も登場していない。ポン引きも、売春業者も、詐欺漢も、まして娼婦、女性。
 野間文芸賞のパーティでは、主賓である吉行さんがどういうわけか会場の隅のほうに佇んでいて、真っ先にわたしの傍にきてくださった。浅草のはずれからきた元ポン引きのために。(160〜161頁)

 
 
 
posted by genjiito at 22:46| Comment(0) | □吉行濫読

2019年05月20日

京大病院での糖尿病の検査結果は良好で血糖値は順調に下降中

 久しぶりに京大病院の糖尿病・内分泌・栄養内科で検査と診察を受けて来ました。
 この病院に来ると、なぜか気持ちが落ち着きます。身体に何かと問題を抱え込んでいると、この病院にいる限りは何があっても明日の保証が得られる、と信じきっているからでしょう。

 今日のヘモグロビン A1cの値は「7.1」でした。劇的に良くなっています。

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 最近は、体重が少しずつ増えていたので、喜んでいました。ただし、反面、血糖値が高くなっているだろうという不安がありました。それが、この結果を見ると、杞憂だったことがわかります。予想外の好結果です。
 主治医の先生からは、何か生活に大きな変化がありましたか? と聞かれました。食生活では今年に入ってから分食を徹底しだしたことと、先月から職場が替わったことを説明しました。

 最近は、1回に食べられる分量が極端に少なくなっていました。しかも、すぐにお腹が痛くなるのです。そこで、お腹が痛くなる直前に食べるのをやめる、という食生活でした。その結果、分食を徹底させて、1日6回食以上にしたのです。頻繁に間食もしています。そのために、一度の食事の量が少なくなっていたので、栄養面で一日のカロリーの不足を心配していました。また、何度も食事をするので、血糖値が上がりっぱなしでいいのだろうか、などなど。こうしたことを、心配していました。

 主治医の先生の話では、この分食の徹底が良かったのではないか、とのことです。一度の食事の分量が少なかったために、血糖値が急上昇することがなかったようです。しかも、私は少ない分量を時間をかけてゆっくりと食べます。夜は8時過ぎからの晩ご飯は、2時間近くかけています。ヘモグロビン A1cの数値が総体的に基準値よりも高いのは、私が消化管を持っていないために高く出ているのです。
 また、この4月から職場が変わり、その環境が大きく変わり、ストレスが格段に少なくなりました。このことも、血糖値に大きく影響しているようです。過酷な労働環境は心身に良くない、という典型的な例です。
 上のグラフが、その月々の身体の変化を如実に数値として示しています。今となってみると、この2年間の時の流れの中で、グラフの点が打たれている年月の各々に、思い当たることがたくさんあります。何があった日々なのか、鮮明に思い出せるのです。特に去年の春から冬までは、私にとっては忘れられない、信じられない出来事の連続でした。

 先生からは、順調にヘモグロビン A1cが下降しているので、そのままの生活でいいでしょう、という励ましの言葉をいただきました。気をつけるのは、筋力が衰えないように、運動を心がけることだそうです。これは、スポーツジムへ行く回数を増やすことと、歩くことを意識することで対処できそうです。
 目標だった体重50キロは、昨秋あたりから諦めていました。47キロから48キロをウロウロしていたからです。しかし、今春からは、48キロ以上の日が多くなり、最近は49キロ台になりました。先週は、50キロを超えた日がありました。
 体重を増やすことは悲願です。この調子でいけば、50キロ台の日々を迎えられるかもしれません。もう一度、体重の目標を50キロに再設定します。そして、分食をこのまま続け、楽しい日々を送ることを心掛けていきます。これで、次回の8月末の検査結果がどうなるのか、今から待ち遠しい気持ちです。その時に、体組成の検査も入れてくださいました。とにかく、血糖値の問題が、今直面している病気の中では、最優先課題です。
 
 
 
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2019年05月19日

京洛逍遥(555)洛陽三十三所(20)泉涌寺

 洛陽三十三所20番札所「泉涌寺」に着きました。

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 境内に入ると、建物群と雰囲気に格式の高さを感じます。

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 ここの境内には、清少納言の歌碑があります。このことは、「京洛逍遥(287)文学散歩で東福寺と泉涌寺へ」(2013年08月27日)に少し触れています。

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 歌碑の文字は、風化のためにまったく読めません。かすかに、『百人一首』に採られている「夜をこめて〜」という和歌が刻まれていることがわかる程度です。パンフレットなどには、この清少納言の歌碑のことには触れていないので、みなさん通り過ぎて行かれます。

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 私なりに字母に気をつけながら「変体仮名翻字版」の翻字方法で読んでみました。これは、ネットに掲載されている歌碑の写真を虱潰しに調べ、さまざまな写真を参考にしながら、何とか翻字したものです。
 古代学協会のホームページ(https://www.kodaigaku.org/kensho/kensho.html)によると、この歌碑は、昭和49年(1974年)11月16日に、平安博物館館長だった角田文衞先生の提案で建立された歌碑であることがわかります。揮毫は芸術院会員日比野五鳳氏。45年間でこんなに石面が風化し、文字が読めなくなることに驚いています。時間があれば、建立当初の拓本や写真などで、正確な字母を確認したいと思っています。ここには、取り急ぎ一案として提示しておきます。「斗」「所」「年・者(?)」「支」は、相当時間がかかりました。ご教示いただけると助かります。

  清少納言
  夜をこめて
斗りの所ら年
      者
者可る登母よ二
逢坂のせ支は
 ゆるさし


 楊貴妃観音堂にも立ち寄りました。楊貴妃観音菩薩は個人的なイメージと違うので、いつも気恥ずかしさと躊躇いがあります。

 その泉涌寺で書いていただいたご朱印は、次のものです。

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 以下、ホームページ「洛陽三十三所観音巡礼」から泉涌寺の略説と地図を引きます。

御詠歌
 ももたびも あゆみをはこぶ せんにゅうじ
   などやほとけも まんぞくにます

泉涌寺境内にある楊貴妃観音堂は、天正三年(一五七五)織田信長建立の寄棟造りである。

楊貴妃は、唐の玄宗皇帝の妃でその美貌と美徳が玄宗の政務を怠らせる由縁となり、安禄山はその失政を楊貴妃に課して至徳一年(七五六)妃を討ったのである。

その楊貴妃を偲ばせる仏体は寄木造りで、宝冠は宝相華唐草の透かし彫りで御冠を偲ばせるものがある。手には極楽の花の宝相華を持し、生けるが如くに坐しておられる。世にこの観音菩薩像を楊貴妃観音と呼ばれるようになった。

我が国には、寛喜二年(一二三〇)當山開山月輪大師の弟子湛海宗師により請来された。以来、応仁の乱などの戦火に於いても難を逃れ、百年目毎に開扉されてきた秘仏であったが、昭和三〇年御厨子の扉を開き皆様に参拝して頂いている。

現在は美しいお姿の観音様にあやかろうと、女性の篤い信仰を集めている。平成九年に重要文化財に指定された。


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 今回の写真も、先週5月5日に撮影したものです。
 
 
 
posted by genjiito at 20:09| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2019年05月18日

京洛逍遥(554)洛陽三十三所(18)善能寺

 洛陽三十三所19番札所「今熊野観音寺」(西国三十三所15番)の入口右側には、狭い小道があります。

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 この道からさらに奥にある20番「泉涌寺」に向かって草木に覆われた山道を進むと、18番「善能寺」の前に出ます。

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 新緑の中に爽やかなたたずまいの本堂(祥空殿)があります。

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 ただし、朱印をいただく納経所は、この善能寺の境内にはありません。少し先の泉涌寺の本坊でいただいてください、ということです。

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 巡礼の札所の一つに選ばれながらも、無住のお寺となっているようです。全国の巡礼寺院がそうであるように、グループ内に留まって維持管理していくことの難しさを感じます。今は、ご朱印を集めて回る女性に支持され、全国的に人気の朱印帖ブームも、すぐに失速することも考えられます。若い女性に飽きられたら、このブームは終わるのです。高齢者に支えられるだけでは、お寺はグループ内でのポジションの維持も大変でしょう。長い展望で見ると、何か別の巡拝を支える仕掛けが求められることになるでしょう。私は、神仏への畏敬の念と人々への感謝の気持ちを包み込む巡礼が、これからの霊場巡りの基盤になるのではないか、と思っています。その中でのスタンプラリーは、私は大好きです。長く続けるためには、目的意識が大事だと思うからです。

 その泉涌寺で書いていただいた善能寺のご朱印は、次のものです。

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 以下、ホームページ「洛陽三十三所観音巡礼」から善能寺の略説と地図を引きます。

御詠歌
 かんおんに まいりてあくを ひるがゑす
   いまにこころも ぜんのうぢかな

善能寺は、もと八条油小路にあって二階観音堂と言いましたが、弘仁十四年(八二三)弘法大師が稲荷大明神を祀る寺として善能寺と号されました。

弘法大師の伝記に依りますと、弘仁十四年四月東寺の南門に稲を荷った老翁が訪れ「私は八条二階観音堂に住む柴守長者で、無者の者に福を与える者である。あなたの仏法を守護します。」と申されました。

大師は喜んで、赤飯を供養し法華経を講じてもてなしました。そして長者を「稲荷大明神」と尊称し、お住まいの二階観音堂を善能寺と名付け、御本尊を聖観音、又稲荷社を祀って懇ろに供養されました。当寺の稲荷社は、その尊い由緒で知られるように、日本で最初に祀られた稲荷大明神で数多の人々の信仰を集めていたことが窺い知ることが出来ます。

天文二〇年(一五五一)後奈良天皇の綸旨によって、泉涌寺の護持院として当山塔頭今熊野観音寺の西北に移されました。

明治維新を経て荒廃し、明治二〇年(一八八七)再興の時に現在地に移りました。

現在のお堂[祥空殿]は、昭和四十六年北海道横津岳で遭難した「ばんだい号」の遺族谷本氏が、すべての航空殉難者の慰霊と事故の絶無を祈願され、建立寄進されました。


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 今回の写真も、先週5月5日に撮影したものです。
 
 
 
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2019年05月17日

びわ湖百八霊場(3)湖西4「西徳寺」と瀬田唐橋と瀬田温泉へ

 久しぶりに「びわ湖百八霊場」を巡ることにしました。この霊場巡りは、平成22年10月17日に思い立ち、正法寺(岩間寺)からスタートしました。「びわ湖百八霊場」の成り立ちの説明も含めて、「びわ湖百八霊場(1)湖西2-岩間寺」(2010年10月18日)に、その時のことを詳しく書いています。
 翌11月までの2ヶ月間に8ヶ寺を巡ってから、パッタリと行かなくなりました。思い返すと、平成22年から23年は怒涛の日々でした。胃ガンで消化管を全部摘出した後、5巡目の西国三十三所巡りを始め、賀茂川左岸から右岸に引っ越し、妻が早期退職をして上京し、病後の私の食生活などを管理してくれるなど、めまぐるしい生活の中にいました。「びわ湖百八霊場」は、とてつもなく慌ただしい日々の中に埋もれてしまったのです。

 これまでに「びわ湖百八霊場」については、次の2つの記事を最後に、まったく書いていませんでした。
「びわ湖百八霊場(2)湖東27-正明寺の秘仏千手観音」(2010年11月23日)
 本ブログを検索してみると、その7年後に書いた「京洛逍遥(466)洛陽三十三所(9)青龍寺」(2017年09月20日)の中で、次の文章を書いていました。

 私は、スタンプラリーが好きなのです。この2週間前から、西国三十三所巡礼を石山寺を皮切りに回っています。
「西国三十三所(1)5周目は石山寺から」(2010年07月19日)
 石山寺に向かったのは、ガンの告知を受けた3日目でした。そしてすぐに、洛陽三十三所の札所巡りもスタートしていたのです。とにかく、若いときから観音様が好きでした。特に、18歳の時に読んだ井上靖の小説『星と祭』から、実に多くの影響を受けました。
 「びわ湖百八霊場」も歩き始めたままで、ずっと止まっています。これも、そろそろ再開することにします。またまた、楽しい忙しさを纏った日々を送ることになりそうです。


 ここで、「びわ湖百八霊場」も「そろそろ再開」と思っていたようです。しかし、何かと多忙な日々に追われ、「びわ湖百八霊場」どころの話ではない、心身共に疲れ切る日々だったので、行かず書かずのままでした。「びわ湖百八霊場」の3カ所目から8カ所目までのメモと写真は残っているので、いつかまとめることにしようと思っていた折、また霊場巡りに出かける気分になり、出かけることにしたのです。

 JR石山駅から近江鉄道バスで、湖西4番の西徳寺に向かいました。ただし、今回の旅は思わぬ出来事の連続でした。こんなハプニングだらけのこともあるのです。
 まず、ガイドブックに書かれていたとおりに乗ったバスは、行きたかったバス停の1つ手前が終点だったのです。1つのバス停分なら歩けばいいと思っていたところ、バス停1つ分も戻る上に、交通量の多い道の端を歩くことになりました。最近は歩道に突っ込んで来る自動車が多いので、行き交う車に注意しながら集落に入りました。そして目指すお寺に着いたと思ったところ、そこは「西接寺」というお寺でした。iPhoneを取り出して位置を確認すると、その向こう隣の回り込んだ所にあるのが「紫雲山 西徳寺」だったのです。それにしても、きれいな山号です。本堂周辺は工事中でした。

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 朱印をいただこうと思って玄関のチャイムを何度か押しても、どなたもお出になりません。
 そのドアフォンの下に、すでに書き上げた朱印がビニール袋に入っていて、お金をいれる小さな賽銭箱のようなものが設置されています。おそらく、不在にしておられる時の対処なのだろうと思い、その朱印をいただき、納経料を箱に入れました。特に説明がなかったので不安ながら、右上に防犯カメラがあり、私の行動は録画されているようなので理解していただけると思い、そのようにしました。

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 いただいた朱印は、次のように書かれていました。参拝した日付がないので、自分で書くことにします。

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 境内に歌碑がありました。よく見ると、このお寺の御詠歌が万葉仮名で刻まれていました。次の翻字には、万葉仮名の下に現在の五十音の平仮名で表記してみました。この万葉仮名の漢字の選定にはどのような根拠がありそうなのか、ご専門の方からのご教示をお待ちしています。

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詠歌

 安奈多宇土 加祢乃比〻幾尒
(あなたうと かねのひゝきに)
        仁之也摩乃
       (にしやまの)
  美祢與利以都留 牟良佐伎乃久毛
 (みねよりいつる むらさきのくも)
           義  道

※「尒」の「小」は「㣺」(したごころ)

 ブラブラと瀬田の唐橋に向かうと、途中の住宅地の川で亀が泳いでいるのに出くわしました。琵琶湖からやって来たのか、飼い主から逃れて来たのか。オーィと声をかけても、泳ぐのに必死の様子でした。この亀は、平泳ぎをしていたように思います。

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 瀬田川に出ると、瀬田の唐橋が一望のもとに見渡せました。釣り人や釣り船が見えます。

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 この唐橋は「せたからはし」と言うようです。「の」がないのです。

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 この瀬田唐橋の色は唐茶色だそうです。いろいろな論争があるようなので、詳しくはネットでどうぞ。

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 唐橋の西の袂にギャラリーがありました。水彩画やハンドメイドの作品などを、お二人で展示しておられました。お話をしているうちに、大徳寺の近くの方だとわかりました。親しくお話をしながら拝見しました。大きなハマグリに草花の絵を描いたり、モンゴルへの旅を絵にしてあったりと、楽しい作品でした。中に防人の歌を書いたものがあり、その中の文字で「弖」が「弓」となっていました。それとなく弓の下に傍線がいることを伝えました。この字は、今の平仮名にない変体仮名なので、勘違いしやすい文字ですね。

 京阪の唐橋前駅からバスで石山寺のまだ南に下った南郷まで行きました。そして、南郷洗堰の先にある南郷温泉二葉屋で、日帰りの温泉に入ることにしました。ところが、フロントで入浴をお願いすると、今日は貸し切りとなっているので入れない、とのことです。ホームページにはそのことが書いてなかったと言っても、すみませんの言葉しか返ってきません。
 仕方がないので、その向かいにある南郷温泉つぼた屋に行きました。すると、準備に1時間ほどほしいとのことでした。南郷の温泉は諦めて、元来た道をバスに乗ってJR石山駅まで戻りました。このまま帰るのも心残りなので、一駅先の瀬田駅からイオンモール草津に行き、その中にある草津湯元「水春」で温泉気分を味わって来ました。

 ハプニングに見舞われながらも、最後はゆったりと天然温泉で気持ちをほぐすことができました。出かけると、いろいろなことがあるものです。それがまた楽しさでもあります。
 
 
 
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | ・ブラリと