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2023年09月30日
本年後半は『源氏物語』本文データベースの構築を再始動させます
2023年09月29日
京洛逍遥(848)病院と市役所の帰りに見かけた欄干二つ
2023年09月28日
本日はお休みです(9月- 4 / 8 )
2023年09月27日
美術館「えき」KTOTOで芭蕉布の展示を見る
2023年09月26日
集会所でのヨガ教室に参加して
2023年09月25日
『源氏物語』は43種類の言語で翻訳されている
2023年09月24日
田郁集(32)田郁『契り橋 あきない世傳金と銀 特別巻上』
2023年09月23日
キャンパスプラザ京都で池田本「桐壺」を読む(第10回)
2023年09月22日
身体と脳が活性化される集まり
2023年09月21日
京洛逍遥(847)京大病院から市役所と寺町三条通りへ
2023年09月20日
京洛逍遥(846)平等院表参道をリハビリ散策
2023年09月19日
本日はお休みです(9月- 3 / 8 )




2023年09月18日
地域のコラボカフェでカンナクズを使った花籠を作る
2023年09月17日
意外に少なかった東京でのマスク姿
2023年09月16日
江戸漫歩_神宮外苑から新中野へ
2023年09月15日
日比谷でハーバード本『須磨』と陽明本「桐壺」を読む(体験講座2)
2023年09月14日
9月23日(土/祝)開催[池田本「桐壺」を変体仮名で読む会 No.10]のご案内
2023年09月13日
大阪中之島で池田本「澪標」を読む(その5)
2023年09月12日
集会所で高齢のみなさんと秋まつり
2023年09月11日
膵臓癌の疑いは消え脳梗塞は再発に注意を
2023年09月10日
想い出の「ラ・クンパルシータ」
2023年09月09日
中之島での新古典塾の報告-第5回
2023年09月08日
集会所で防災出前講座を受ける
2023年09月07日
本日はお休みです(9月- 2 / 8 )
第2水曜日 大阪府立中之島図書館
「重文・池田本『澪標』巻の仮名文字を読む」
次回は、9/13、10/11、11/8、12/13、1/10、2/14、3/13第2土曜日 大阪府立中之島図書館
@「変体仮名のいろは」
A「ハーバード大学本『蜻蛉』巻の仮名文字を読む」
次回は、9/9、10/14、11/11、12/9、1/13、2/10、3/9第3金曜日 東京都千代田区立日比谷図書文化館
@「ハーバード大学蔵『源氏物語 須磨』を読む」
A「重要文化財・陽明文庫蔵『源氏物語 桐壺』を読む」
次回は、9/15、10/13、11/17、12/1第4土曜日 キャンパスプラザ京都(京都市大学のまち交流センター)
「池田本『源氏物語「桐壺」』を変体仮名で読む」
次回は、9/23、10/28、11/25、12/23、1/27、2/24、3/23
2023年09月06日
ひたすら歩く日々の中で秋の風を感じる
2023年09月05日
6,000本目の記事になります
2023年09月04日
京大病院で4種類の検査を受ける
2023年09月03日
本日はお休みです(9月- 1 / 8 )
2023年09月02日
エンディングノート書き方セミナーに参加
2023年09月01日
久しぶりの集いの後、源氏講座の京都会場の予約
2023年08月31日
近隣騒音としての犬の鳴き声の記録−その2
2023年08月30日
本日はお休みです(8月- 2 / 8 )
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2023年08月29日
地域の高齢者の集いは警報が出たためにお休み
2023年08月28日
突然の高熱に戸惑う
2023年08月27日
大阪・中之島と東京・日比谷の源氏講座の募集開始
2023年08月26日
参加できなかった第2回平安文学リレー講座「夏の装束」
2023年08月25日
京都駅を散策し本屋さんで遊ぶ
2023年08月24日
自宅でのリハビリの初日
2023年08月23日
本日京大病院を退院しました
2023年08月22日
構音障害と本居宣長の意外な接点
2023年08月21日
エアロバイク・階段・不眠からの開放



2023年08月20日
穏やかな入院生活
2023年08月19日
キーボードの文字入力でタッチミスが増える
今日は、病棟も病人も開店休業です。
一人で、口、手、足のリハビリを、根気強くしています。
昨日から、ノートパソコンを使い出しました。そして、誤入力の多いことにショックを受けています。思い通りのキーが打てていないのです。
私は、ローマ字入力ではなくて、仮名入力でブラインドタッチをしています。仮名文字は4段にわたって配置されています。ローマ字よりも範囲が広い分、キーストロークは少なくてすむので、早くて的確です。
私は、1980(昭和55)年に電動式ひらがなタイプライタを購入して、京大カード(B6カード)に文字を入力し出しました。翌年、PC-8001を購入してからというもの、パソコンでの文字入力は仮名変換で来ています。まだ平仮名や漢字が使えなかった頃の仲間は、仮名変換をする人が多いのです。
そんな経緯があっての今、キーのミスタッチが多いことが気になります。
iPhoneやiPadを使っていた昨日までは、文字入力はフリックというガラス面に指を滑らせて文字を選ぶ方式でした。その時使うのは、右手の人差し指一本だけです。それが、パソコンのキーボードでは、一つ一つ独立したキートップを叩いて文字を出します。しかも、両手の指をすべて使います。
キーのタッチミスは、今回の脳梗塞に付随する障害から来るものなのか、はたまた、単なる運動不足で指がついてこないのか?
まだ2日目なので、もうしばらく様子を見ます。
2023年08月18日
早口言葉「ダゾザド、ドダゾザ」は超難題
2023年08月17日
検査とリハビリは続く
ホルター心電図をとりました。小さな心電図を胸に貼り付けて、一日を過ごします。日常生活の心電図を長時間 (24時間) 連続記録して、予測困難な一過性に現れる心臓の異常をキャッチする、という検査です。
これは、心臓と脳梗塞の深い関係を究明するための検査です。
アップルウォッチにある心電図では、心房細動の兆候を見てくれます。簡易版です。しかしこれは、詳細な情報が取れ、専門家が解析するので願ってもない検査です。
また、朝食抜きでMRIの検査もしました。寝たまま丸いドームの中に入って行きます。検査の後半は、腕からガドリニウム造影剤が注入されました。これで、脳梗塞を発出している部位の詰まり具合が、視覚的にわかります。写真を見せてもらいました。ここに救急車で搬入されてきた時の画像と比べると、血管が今どうなっているかがよくわかりました。結論から言えば、被害は広がらず、今回詰まった場所だけが治療の対象となるようです。先ずは、一安心です。
言語療法について。
(1)昨日は「口の体操」
(2)今日は、ペットボトルにストローで息を吹き込みます。息が漏れないようにすることで、息が鼻に抜けないようにします。声質に関係し、声のかすれを改善します。無理なく、30〜40秒ほど吹けました。これを5回。
(3)ストローに「う」と声を出しながら吹き込みます。これも、声質に関係する訓練です。声帯を締めて、大きくてはっきりとした声が出しやすくなります。
明日以降は、滑舌をよくするリハビリになります。
作業療法について。
何月何日ですか?という問いにはサッと答えました。しかし、何曜日ですか?は間違えました。実社会と切り離された環境に身を置くと、こんなことが起こります。
パジャマを着るのは問題なし。
理学療法について。
歩いたり、バランスをとったりするのは、初歩のプログラムとしては合格。
高さの違う階段の登り降りの練習もしました。これは、下りが難しいです。
2023年08月16日
間近で見る大文字
今日は、京大病院のすぐ前の大文字山で、五山の送り火の「大」の字が焚かれました。
幸い、大文字山は病棟の真横なので、エレベーターホールの特等席で見ることができました。
特に、準備中の火を写すことができたのは収穫です。
2023年08月15日
リハビリがおもしろい
朝食後に担当医から、病室内では付添いなしで自由に動いて結構です、と一人歩きの許可が出ました。何をするにも、ナースコールを押して看護師さんの手を煩わせていたので、病院生活の自由度が増しました。
理学療法のリハビリでは、地下のフロアに車椅子を押してもらって行きました。フィットネスクラブを思わせる、広いリハビリ室です。東京時代に通った、銀座4丁目にあったコナミスポーツクラブよりも広いフロアです。平行棒の間を歩いたり、一周50メートルのフロアの周りを4周歩きました。足の運びがしっかりしてきた、とのことです。
引き続き、スペースの一画にある別室で、言語療法を受けます。口の体操が10種類描かれたプリントを見ながら、唇や舌や顎や頬を動かします。私には、顎を左右に動かすことと、舌先で頬の内側から押すのが難題でした。早くやればできます。しかし、言われた方向にゆっくりやると、意外と左右が混乱するものです。左に押すには右の筋肉を使うので、右半身がマヒしている私にはこんなことが起きるのだとか。
食事の前にやるようにすると、し忘れがなくていいそうです。
「パタカ ペテケ ポトコ」も5回ずつ言いました。これは、地域のみなさんと一緒に「ぱたから体操」として歌いながらやっているものの一種です。
さらには、先生がおっしゃる言葉を鉛筆で書きました。「犬も歩けば棒に当たる」では、「歩」の字の終画の「ノ」が斜めではなくて真っ直ぐに横に伸びた字となり、すぐには読めない字形の文字となったりしました。
これらは、すべてが身体の右側がマヒしていることに起因する出来事のようです。おもしろいと思いながら、この調子で取り組めばこれは治せる、と確信しました。
なお、iPhoneとiPadに文字を入力していると言うと、パソコンのキーボードも格好のリハビリの道具になる、とのことです。指をガラス面に滑らせるだけでなく、キーを叩くことはさらにリハビリの効果が高くなるそうです。家から、ノートパソコンを持ってきてもらうことにします。
担当医の先生は、症状が悪くならないために薬を使う段階は終わり、後はリハビリへの取り組み方次第で機能が元に戻るかどうかが決まる、とのことでした。
こうしたリハビリをおもしろい、と思っているのですから、きっと成果は生まれることでしょう。もっとも、こうしたリハビリは半年は続けることになるようです。気長に取り組むことにしましょう。
2023年08月14日
発音について
朝食後、病室を引越ししました。ベッドの上で横になっての移動です。荷物が少ないため、楽な部屋移りでした。
今日はリハビリの中でも、言語療法の先生と突っ込んだ話ができました。私からのリクエストは、私にとって喋りにくい音や文字列を教えてもらうと、その音や言葉を使わないことで聞き取りやすい話し方にならないか?ということです。他の先生方とも相談して、調べてみます、とのことでした。
たまたま『日本語の発音はどう変わってきたか』(釘貫亨、中公新書、2023年2月)という音声史の本を病室で読んでいたので、その話も少ししました。我が身を使った楽しい実験が、この先生とできそうです。
今日の進展は以下のことです。
1-とろみのない、お茶などのサラサラした液体を飲んでもいい。
2-室内では立って歩いてもいい。
3-シャンプーをしてもらう。
4-点滴の本数と機器が減る。
5-付き添いの介助を受けながら、一人でトイレや歯磨きができた。
2023年08月13日
我が身とロボットの動きの関係
今日、初めてベッドの枠から出て床に足をつけ、少しだけ歩きました。自分の足で歩くことが、とにかく新鮮でした。ただし、右足が踏ん張れないので、左足に体重をかけます。転ばないかと気を使いながら足を交互に前に出し、ロボットのように進みました。
歩行ロボットの開発が大変であることを実感します。また、思うに任せない右手の動きも、ロボットが物を摑んだり移動させる動作を思うと、これまた開発者の苦労が偲ばれます。
二足歩行の人間の身体の機能がいかに秀逸であるかを、あらためて思い知らされています。
2023年08月12日
背中を起こしてベッドに座る
2023年08月11日
血液サラサラとの闘い
箸の先がうまく合わなくて、やはり、とショックは隠せません。それでも、とにかく完食。
お昼も、スプーンを使わずに箸で様子見。今度は、おかずが自由自在に摘めます。ホッと一息。
夕食も、思いのままに箸が進みました。
素人判断ながら、これは重い障害ではなさそうです。
ベッドの横では、血液をサラサラにする輸液が入った3つの袋から、ポタリポタリと規則的に点滴が進行しています。
まだ、ベッドのサークルから外には、一歩も出られません。
細くなった血管に、血液が流れてくれるのをジッと待っています。
2023年08月10日
リハビリ開始
・言語療法
・作業療法
・理学療法
今日は、車イスに移動すること、まででした。
根気強く取り組むことにします。
脳幹の近くに小さいながら脳梗塞が認められ、それが酷くならないように、血流を良くする処置が行われています。
手足はもとより、話す言葉がぎこちないのが、私にとっては一番の痛手です。
この3日間は、脳に負担をかけないように、横になって静養します。ベッドの背もたれは、45度以内という制限があります。
食事もこの姿勢ではなかなか大変です。
誤嚥を防ぐために、とろみを付けるソフティアという粉末を混ぜて、食べたり飲んだりしています。
2023年08月09日
京大病院に緊急入院しました
病名は脳梗塞。
昨日の記事の最後に書いたことが、その前触れでした。
とりいそぎ。
2023年08月08日
読経とゲームと温泉の一日

お膳は、息子の労作です。朝が早いので、昨夜から泊まりに来て準備をしてくれました。
午後は集会所で、いつものみなさんとゲームをしました。今日は、何度かやったことのあるモルックというゲームです。少しずつ慣れてきたゲームなので、ポイントをあげるコツもわかってきました。誰でも参加できるので、こうした集まりには最適です。
夕方には、近くにある天然温泉 力の湯へ行きました。昨日あたりから、立っていると身体が右に揺れます。右足から屈もうとすると腰から崩れます。階段を下りる時、右足がフニャッとなります。今日は、少し重たいものを持って一歩前に出ようとした時、腰砕けで身体が沈みました。スマホに文字を入力していると、フリックで文字を出すのに手間取ります。入力ミスも増えました。今、キーボードで文字を入力していても、何かいつもと違う感触なのです。指が、うまくキーを打てないのです。右肩が凝っています。
そんなこんなの日を送るようになったので、原因であろう溜まりに溜まった疲れをまずはとるため、温泉に浸かろうと思ったのです。
明日は中之島図書館で源氏の講座があります。こうした身体の違和感がどのような形で出るのか、じっくりと我が身を観察しようと思っています。
2023年08月07日
清張復読(59)「老十九年の推歩」
伊能忠敬の話です。よく調べて語られている中で、「文部省史蹟調査報告書」の意図的な嘘を指摘しています。官に厳しい清張が確認できる一例となります。
参観者は、その旧宅が記念館になっているために、そうしてそこに測量家たる忠敬の著名な測量図や日記や著書や測量器具が保存陳列されているために、つい錯覚を起す。
史蹟報告書は前文の、忠敬がこの新居に居住したのは一年余りであるが、につづいて「出府後と雖其帰郷の時は必ず此家に滞在起居せられたのであった、従って其名声を揚げ偉功多かりし測地の研究の一部も、又時に愛に於て致されたのである」と書いている。これはさかしらな筆であって、なんの実証もないのに、この旧宅からなんとかして酒造家の臭いを消し、測量家忠敬の「偉業」をこの家に二重焼きにしたい、戦前の文部省調査官の浅知恵というほかいいようがない。忠敬は毎年測量の旅にあけくれて、佐原に帰郷して滞在する暇も、ましてやそこで「測地の研究」をするなどの余裕があるわけもなかった。それは佐原の家を継いだ長男景敬夫婦や長女妙薫(その夫は忠敬の意と合わず、夫婦して出奔したので忠敬は両人とも勘当した。のち夫と死別した長女が詫びを入れて剃髪したので忠敬はこれを許して家に入れた)に江戸や旅先から与えた書状の中でこまごまとした家事の指図をしていることでもわかる。権威あるとされている大谷亮吉編著『伊能忠敬』には月日単位に年表が付してあるが、忠敬佐原帰郷のことは一行も出ていない。(509頁)
さらに、忠敬の旧宅があったという深川黒江町のことが、詳しく語られています。このあたりの門前仲町に、私は9年ほど住んでいました。懐かしいことと、後日私なりに確認するためのメモとして、長文を厭わずその箇所を引きます。
やはり深川図書館ではわたくしの掘出し物はなかった。係の人は親切で、江戸切絵図など出して黒江町の所在を見せてくれた。こういう結果を予想していたので、あまり期待外れの気持にもならず、現在の門前仲町一丁目十八番地に「史蹟 忠敬住居」の記念碑が立っていて、そこは地下鉄駅の近くだというのを教えられて、清澄公園内の一画内にある図書館を出た。タクシーに乗るまでもない距離だと思ったのが間違いで、春か秋の季節ならともかく、三十四度はあろうという炎天の下を歩いた。軒の出の少ないビルばかりつづく通りでは短い蔭も拾えなかった。忠敬の「僑居」位置を自ら記した略図(伊能家所蔵)は寛政七年ごろのものだろうが、『大谷・伊能』がそれを昭和三、四年ごろの東京市街図に引き直したのを見ると大変化であり、毫も旧態を留めていない。が、それにはすでに点線で東京市営電車(市電)開通による電車通りの計画が示されている。
わたくしの手もとには昭和五年の「東京市街地図」がある。「復興完成記念・復興局監修・東京日日新聞附録」である。これを見ると、『大谷・伊能』が寛政の深川図に点線(東京市電計画)記入したとおりが現実になっている。
図によると西の永代橋を東に渡った電車通りは洲崎方面行で、西から黒江町、富岡門前町、門前仲町、入船町などの順になる。西南の月島から隅田川を相生橋で渡った電車道は、陸軍糧秣本廠を北上し、富岡門前仲町で交叉し、亀住町を過ぎ、清澄公園東横を通過し、駒形橋東側に至る。つまり富岡門前仲町で東西線と南北線とが十字路になるのだが、その東西線の一つ西の黒江町の電停から斜め北に電車道がついて、南北線の亀住町の電停で合している。そのためにここの電車線が三角形をなしているのである。
これは『大谷・伊能』が寛政順路略図(忠敬筆)に拠り点線で記入した東京市電計画と大差ないので、昭和五年の東京市街地図を見ても、槍桑の変という感じはしない。「黒江町」は三角形電車通りの左一辺にその名が記入されてあり、同時に三角形の全体にわたって「門前仲町」が朱色の活字で付されている。朱色は町名改正であるから、この地図は黒江町の名が最後に残された貴重なものであろう。そこには電車通りに接して黒江町四十七番地がたしかに記入されている。その東側は掘割(木場と隅田川とを結ぶ)となっている。
いま、わたくしがこの地点に立ってみると、廃された市電通りがそのまま広い車道になっているだけで、昭和五年ごろからして地形上のさしたる変化はなかった。
現在そこは車道の三角形の北端に首都高速道路の彎曲した部分が上に重なっている。三角形左辺の道路(昭和五年地図でいえば黒江町電停から斜め北へ走り亀住町電停に合する電車道)の南側、東より二本目の小路に入るあたりが往時の黒江町四十七番地、いまの門前仲町一丁目十八番地である。付近は、中小企業の問屋といった店が多い。内職公共職業補導所とか信用金庫とかが目につく。小さな雑居ビルとか家内工業的な製造所とがある。
石の記念碑は、狭い間口の、珠算塾の看板が出ている家の前にあった。うっかりすると見逃すくらいで、近所で場所を訊いても、知る人は少なかった。
花崗岩の碑は高さ約一・五メートル、幅十五センチ四角、道路面に向かって《伊能忠敬住居跡》と楷書体で彫られてある。
碑文は向かって左側面から裏面、右側面へと続いておさまる。
《伊能忠敬は千葉県に生れ江戸にでて高橋東岡に測量術を学び 寛政七年幕府の命をうけて全国を測量し沿海路程図を完成した その測量の原点は忠敬の居宅であった 忠敬ははじめこの付近にすみ のち中央区八丁堀にうつり正確な地図を完成した 忠敬は文政元年四月十三日七十四歳をもって死去し 台東区源空寺に葬られている
昭和四十三年十月一日 江東区第二十一号》
千葉県に生れ江戸にでて、という不均衡な書きぶり、高橋至時または作左衛門とせずに一般にはあまり知られていない東岡の号を書くなど、この碑文の筆者は現代むきを心がけるつもりで時代混乱に陥っている。
困るのは、忠敬が八丁堀に移り住んでから「正確な地図を完成した」とある点で、これでは地元の黒江町の家に忠敬が十九年間も居住し、ここを根城に全国測量の旅をして回ったことにはふれず、あたかも八丁堀で忠敬が正確な地図を完成したように書いている。これでは文章の力点を八丁堀に移したというべきだ。
忠敬の全国実測により大図二百十四枚、中図八枚、小図三枚が老中にさし出されたのは忠敬没後のことで、提出者は故高橋至時の子景保と忠敬の孫忠誨だった。忠誨は年齢わずか十六歳、提出名義は名目であり、大、中、小図の製作指揮監督は景保であった。これらは忠敬存命中から製作準備にかかっていたが、忠敬の老衰と高弟らの故障で遅れに遅れ、忠敬没後三年の文政四年に天文方と内弟子の協力で完成した。製作場所は天文方勤務の暦局だった。
八丁堀亀島町の家の四年間の忠敬は、黒江町の家十九年間ですでに燃え尽きた残骸であった。
嘉永年間の切絵図で見ると、深川の黒江町は永代寺(富岡八幡宮境内)門前仲町通りの道をはさんで北と南の両側に続いている。町としてはきわめて短く、それに八幡橋を東に渡った掘割を隔てたところにも飛び地のようにまた黒江町がある。(511〜512頁)
中盤から、忠敬の生きざまを史料でナゾル語り口となり、私は集中して読めませんでした。その姿を丹念に追う作家としての清張は、膨大な情報に振り回されているように思われます。
最後の、近代現代の考古学的調査におけるチームワークの乱れから生まれる問題の指摘は、清張が以降の歴史調査を語る時に生かされていると思いました。【3】
初出誌:『文藝春秋』(昭和59年10〜11月、昭和60年1月)
2023年08月06日
清張復読(58)「断崖」「思託と元開」「信号」
北海道の岬にある町営の宿泊センターには、2人の管理人がいました。その一人である62歳の男が、ある夜、死場所を求めて彷徨った22歳の女の世話をします。その女と男を描く描写が、清張らしい丹念な筆致です。文学的な表現を意識した、活き活きとした息吹を伝えます。
短編なので、すぐに読み終わります。読後感に手応えがあり、記憶に残る作品です。おしむらくは、最後の場面があまりにも思わせぶりなので、もう少し語ってほしいところでした。【4】
初出誌:『新潮45+』(昭和57年2月)
■「思託と元開」
鑑真の話です。中国の杭州を旅しながら綴ります。元開とは、淡海三船のことです。
『唐大和上東征伝』や『鑑真大和上伝之研究』などの資料や研究成果を示しながら、鑑真の6回にも及ぶ日本渡航の経緯を語ります。その文中で、「しかし、これはおかしい。不自然である。」として、話を止めます。人の言をそのままには信じない、清張の人柄が滲み出ています。そもそも、鑑真の密航と言われていることに疑義を差し挟み、漂流にも問題があると。すべてを疑って再検討するのです。
清張は、鑑真が盲目となった前後の事績を検証した結果として、あまり評価をしていません。「二、三流の僧侶」だと言うのです。
およそ中国仏教史上で名僧といわれる人には、論文(経)の著作があり、あるいは仏典の訳業があり、でなかったらその人の教学的な「語録」といったものが弟子たちによって編纂されるものである。
ところが鑑真には、その両者ともにまったく無い。
鑑真は六十三歳で盲いた。老人性白内障だろうという。眼が見えなくなったから著作ができなかったというかもしれない。が、「東征伝」のいうように早くから淮南に名が高かったのだったら、盲目になる以前からの著作が存在していなければならない。それが一つもないのである。
また盲目後でも、弟子たちに口述筆記させることもできる。また弟子たちも師の学問的語録をまとめることができる。孔子もキリストも自ら著述はしなかった。が、弟子たちによる師の語録が「論語」になり、「新約聖書」となった。これらにはどこまで師の言が入り、どこまで弟子たちの考えが入っているかはわからないにしても。
話をそこまで大きくしなくてもよいが、たとえば空海の「遺告」などは弟子たちの編纂である。鑑真に著作なく、訳書なく、また宗教的な「語録」がないことは、彼がもともと「二、三流の僧侶」にすぎなかったからであろう。(461頁上段)
鑑真の「密航」や「五度にわたる渡航計画の失敗」も怪しいと。
清張の鑑真に対する結論は、それまで一般に言われていたことを疑ってもみなかった私にとって、衝撃です。あらためて、この疑いの眼で鑑真を見たいと思います。そして、何事にも疑うという清張の姿勢には、襟を正さざるを得なくなりました。【5】
初出誌:『文藝春秋』(昭和58年9〜10月)
※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のように書かれています。
〈短編小説館〉の1篇だが、小説的な要素は少ない。(78頁)
■「信号」
広島を舞台とする、地方文芸雑誌をめぐる人間ドラマが語られます。いわゆる名士がその存在を誇示し、日の当たらない作家が翻弄される話です。二人のうだつの上がらない作家志望の男は、それぞれに惨めな姿を晒します。常に明日を夢見ながら果たせない人間を、丹念に描いています。【3】
初出誌:『文藝春秋』(昭和59年2、4、6月)
※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のように書かれています。
流行作家の陰で立ち枯れた二人の売れない作家の悲劇を描いた力作。(95頁)
2023年08月05日
本日はお休みです(8月- 1 / 8 )
沖縄の先で急旋回してから北上するようです。
熱中症に加えて、増え続けるコロナにも気をつける日々。
暑い最中のマスクは、外歩きの時には外しています。
しかし、集会所や電車の中では着けています。
悩ましい夏となっています。
2023年08月04日
宇治市のイベントに参加して会議をおもしろくするスキルを学ぶ
今日の懇談会で興味深かったのは、昭和十年代の戦時中のことでした。京都市内の防空壕のことや、終戦後の京都御所の様子は、いつかもっと聞いておこうと思います。御所の周辺に住んでおられた方が数人おられるので、戦中戦後の体験談は貴重な話です。
午後は、本年度の第1回となる「宇治市地域の支え合い仕組みづくり会議」に出席しました。
主催者は、宇治市福祉サービス公社と宇治市社会福祉協議会です。会場は、宇治市役所の隣にある宇治市総合福祉会館。宇治市の各地域の生活支援組織や自治会やボランティア活動センターから、約50人ほどの方が集まり熱心に意見交換やワークショップが行なわれました。
座長の挨拶の後は、「令和5年度の生活支援体制整備事業について」と題する報告と、今後の活動に関する説明がありました。
続いて、本日のメインイベントです。「おもしろ会議の作法とワークショップ」というテーマを掲げて、特定非営利活動法人「テダス」の高橋博樹氏が2時間弱の熱演を繰り広げてくださったのです。おもしろい会議をするためのポイントを、楽しくてわかりやすい語り口で話されました。内容は、リーダー研修とでもいうべきものです。しかし、その雰囲気作りがうまい語り口と話題が展開するので、得るものの多い講話でした。
お話の後は、5人ずつが座っている10個のテーブル毎に、A3やA4の大きな紙とサインペンを使ってのワークショップとなりました。自己紹介の仕方や、問題点の炙り出し方などなど、実際に各自が作業をし、テーブル毎に意見交換をすることで、おもしろい話し合いの場となるように仕向けるいい練習となりました。内容が濃密だったので時間が足りなくなり、やや中途半端に終わりました。しかし、貴重なスキルを得る機会となりました。
こうした地道な活動がなされていることを知り、見えていなかったところが少しわかってきました。折を見て、こうした場所に足を運び、多彩なボランティア活動の事例と実践を教えてもらいたいと思います。
2023年08月03日
『源氏物語』に描かれている夏の装束の解説と着装実演のご案内
大阪府立中之島図書館で、8月26日(土)に[第2回 平安文学リレー講座 夏の装束と『源氏物語』]が開催されます。
講師は、畠山大二郎氏(愛知文教大学准教授、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉副代表理事)です。

[第2回 平安文学リレー講座 夏の装束と『源氏物語』]
『源氏物語』には、さまざまな装束が描かれています。夏の装束も多く描かれており、物語の展開にも関係しています。前半では、夏の装束が描かれる場面とともに、装束が描かれる効果を読み解いていきたいと思います。そして、後半では、光源氏の装束としてよく描かれる夏の直衣(のうし/なおし)と、夏の女性装束である単衣(ひとえ)•桂(うちき)とを、着装の形で披露したいと思います。装束で動くとどうなるのかなど、実際に目で見ることで、物語の世界を体感してみてください。
日時 2023年8月26日(土)13:30〜15:00
場所 大阪府立中之島図書館3階多目的スペース2
定員 60名(要予約•先着順)
受講料 1,000円 (税込)
講師 畠山大二郎(はたけやま だいじろう)
宮城県生まれ。愛知文教大学准教授、國學院大學兼任講師、フェリス女学院大学•名古屋造形大学非常勤講師、特定非営利活動法人〈源氏物語電子資料館〉副代表理事。
著書、『平安朝の文学と装束』(新典社、2016年、池田亀鑑賞受賞)『新しく古文を読む−語と表象からのアプローチ』(共著、右文書院、2019年)。
主催 大阪府立中之島図書館 指定管理者ShoPro •長谷工•TRC共同事業体
協力 NPO法人〈源氏物語電子資料館〉
〈申込み方法〉
お電話• Mail にて承ります。
TEL 06-6203-0474(図書館代表)
MAIL eventyoyaku@nakanoshima-library.jp
「夏の装束と『源氏物語』希望の旨、參加人数、全員の氏名、代表者の電話番号」をお知らせください。
なお、キャンパスプラザ京都に集まって開催しているNPO法人〈源氏物語電子資料館〉が主催する「池田本『源氏物語』を変体仮名で読む」は、本イベントに振り替えて休会となります。
多数のご参加をお待ちしています。
畠山氏の活躍ぶりは、以下の本ブログでの記事をご覧ください。
「読書雑記(279)高橋良久・畠山大二郎『新しく古文を読む』」(2020年01月15日)
「第5回池田亀鑑賞授賞式と講演会」(2016年10月01日)
「畠山大二郎著『平安文学の服飾表現研究』に博士(文学)の学位が授与されました」(2015年03月27日)
2023年08月02日
京洛逍遥(845)祇園四条を散策

そして、あまり写真に撮らない下流も記録しておきました。水が少なくなっていることがよくわかります。

八坂神社へ向かって四条通を歩いていると、着物屋さんの暖簾に目が留まりました。「㐂茂乃屋」とあります。この変体仮名を、どれだけの方が読めるのか、興味があるので写真に写しておきました。天保15年(1844)に東京の銀座で創業とあります。東京の暖簾をいつか探してみます。

花見小路から四条通を渡って少し北へ歩くと、こんな看板がありました。変体仮名の「古(こ)」が使われています。

ただし、よくある「楚者」ではなく「そば」と平仮名で表記されており、「處」が下に付いています。また、左側の階数表示の1階の横書きでは右から左へと文字が進行しています。文字にこだわりがありそうです。関西弁の「へんこ」は、偏屈者とか頑固者とは少し違い、変わり者くらいの意味でいいと思います。
その隣のaaは、今年の2月からお休みのようです。「当面の間休業」とか「再開日が決まり次第、お知らせします。」あるので、改装工事ではなさそうです。

私はaaが好きです。味付けが合っていること以上に、小盛りのメニューがあるからです。消化管を持たない私の食事は、1日6回。毎回ほんの少しだけしか食べられないので、外食には制限が多いのです。回転寿司も、好きなネタを数皿いただくことができるので重宝しています。ほとんど自宅で食事をするのは、こうした事情があるのです。
そこで、今日の3時の食事は、近くにある四条のaaにしました。水餃子と酢豚の小盛りにしました。桃山御陵前のaaに何度も行っています。そことは、少しだけ味が違いました。三条にもaaがあるので、いつか行って味を確認してみましょう。
食後は、すぐ横にある家電量販店のエディオンで屋内用のカメラを買いました。現在、外出中にはインターホンのカメラで来客などの確認ができます。宅配便などは、どこにいても対応できるので便利です。そこで、この機能を活用して、外出中にも家の中が画像と音声で確認できないかと思っていました。うまくインターホンと同じメーカーの物があったので、さっそく取り付けることにしました。健康管理と老化対策として、毎日のように出かけています。そんな生活には、こうして家の外と中が常時状況が見られるのは重宝します。
帰りは、まだまだ熱気が街中に籠もっていました。手持ちのお茶を飲み、日陰を縫うようにして帰りました。