2026年06月09日

集会所で『百人一首』のカルタ取りと坊主めくりを楽しむ

 これまで集会所では、『百人一首』といえば「坊主めくり」と決まっていました。しかし、今日は歌を読み上げて下の句の札を取る、という本来の遊びから始まりました。この場の高齢者の構成を見て、どうなるのか楽しみにして参加しました。

 読手は、この集まりをサブで支えてくださっている方です。
 下の句が読まれてしばらく経ってから、ハイと遠慮がちな声と共にカルタを押さえる手が伸びて来ることが続きました。100枚すべてをテーブルに広げているので、読まれた後でカルタを探すのに時間がかかるのは仕方がありません。それでも、いろいろなことに興味と関心をお持ちの方が多いせいか、それなりにワイワイガヤガヤと楽しく順調に進みました。

 100枚の札の内、姫君と坊主と公家の人数は次のようになっています。
  姫君:21枚
  坊主:30〜35枚
  公家:44〜49枚
 坊主の枚数が決まっていないので、「坊主めくり」にもいろいろなルールがあるようです。
 今日は、蝉丸は坊主ではないとして進みました。ただし、これを坊主とするのが主流のようです。

 蝉丸は、史料的にはその実在が確認できない唯一の人物です。また、「僧」と断定することもできません。しかし、僧的・遁世者とされてきた特殊な存在であり、カルタの文化では坊主に分類されることが多いようです。つまり、「僧形・隠者として伝えられる歌人」だといえます。琵琶法師とか盲目の楽人の系譜に入ります。

 つまり、蝉丸は「僧形・遁世的隠者・盲目の楽人」ということで、「坊主めくり」では、外れ役として坊主に入っているようです。ということを踏まえると、「坊主めくり」をする最初に、蝉丸をどちらにするかを決めておく必要があると言えます。
 これは厳密に言えば、ということであって、遊びなのでどうでもいいことではありますが……
 楽しく遊べたらいいので、難しいことは今は措いておきましょう。




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2026年06月08日

桑小卓で薄茶のお稽古の2回目

 今日も薄茶のお稽古を桑小卓(くわこじょく)と呼ばれる棚を使ってやりました。
 あらかじめ、棗を天板の中央に置き、水差しを中棚に置きます。
 柄杓は、左の柱に斜めに立て掛けます。柄杓の合(ごう)を後ろ向きにして立てるので、置きにくくて見た目にも非常に不安定です。しかし、やってみると何とかなるものです。表千家では、合をこちら向きにするそうです。いろいろと違いがあり、おもしろいものです。

 先週までは、身体が少しバランスを取りにくい状況だったこともあり、これまで通り手前座に茶道具を持ち出すことは極力控えていました。あまり動かない、お年寄りのお点前です。
 しかし、歩いている時によろけたりしないかとか、手にした道具を落としたりしないかということは気にせずに、見られていることを意識した守りの気持ちを忘れて、ごく普通のやり方でやることにしました。お点前に慣れてきたこともあります。また、足腰にも不安が少なくなったこともあります。

 そこで、まずはお茶碗を持ち出すところからです。次に、平建水を持ち出します。その中には、蟹の形をした蓋置を入れました。この時に、柄杓の柄を指で挟んで、ぐらついたり落ちたりしないようにして、ソット歩きました。

 棗を天板から水差しの前に下ろし、その左横に茶碗を置き合わせ、左横の平建水から蟹の蓋置を取り出して風炉釜の左手前に置きます。この時に、蟹の向きがわからず、何でもないことで混乱しました。その蟹さんに柄杓を置きます。

 平建水を膝まで進め、居ずまいを正すとスタートです。
 お点前が終わると、柄杓を左の柱に斜めに立て掛けます。前回は天板の上に置いたのでそうしようとしたところ、斜めに立て掛けた方がいいでしょう、ということでそうしました。ただし、合を向こうに向けるので、少し苦戦しました。
 蟹の蓋置を仕組んだ平建水は、地板から少し出るようにして置きました。初めて使うかわいらしい蓋置なので、気分が浮き立ちます。

 最後は「総荘り(総飾り)」(そうかざり)なので、茶碗と棗を一気に天板に載せます。この達成感が好きなので、これに拘っています。

 妻は、今日も先生からの個人教授です。昨日、家で2時間近く袱紗さばきの練習をしました。そして、疲れてぐったりとしていたことを先生に伝えると、無理をしないことです、と窘められました。とにかく、お稽古を続けて身体で覚えることだ、といつもおっしゃっています。
 袱紗さばきも、そのコツを教わっていました。盆略手前で、お茶を点てるところまで、一連の流れを丁寧に教えていただいたので、家でおさらいをしてみましょう。
 楽しいと言って嬉々として取り組んでいるので、これも褒め上手な先生のおかげです。

 西大寺に来る時はお天気だったのに、帰る頃には、昨日同様に雨が降っていました。近在の古墳巡りはできません。奈良ファミリーの地下で軽食をいただいてから、小雨の中を西大寺駅まで走りました。しだいに雨が強くなり、家の近くの駅からはタクシーを使いました。慌ただしい帰宅となりました。




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2026年06月07日

京洛逍遥(979)雨の中での東寺ガラクタ市

 朝から小雨が降りしきる中、東寺のガラクタ市に行きました。早朝の市は初めてです。何かお茶道具がないかと、ブラリ歩きです。

 南大門から金堂を望むと、正面にはテントが林立しています。しかし、境内を見渡すと、いつもより出店数は半分ほどでしょうか。品物もテントの下やビニールで覆っておられるので、陳列品が少ない上によく見えません。

260607_東寺テント.jpg


 活気がないせいか、何となく寂しそうです。海外からの旅行者が、片言で値段を確認しておられる姿を見かけました。関西人なら粘って値切りの交渉をするところを、海外の方々は言い値で買い求めておられます。8割方は海外の方のようだったので、業者は強気で説明をしておられました。

 お店も、陶器や道具類が多く、着物などはほんの数店です。カバンを作る帯地を楽しみにしていた妻は、残念そうでした。私も、雨ざらしになっている茶碗や蕎麦猪口やガラス製品を見るのがつらかったので、ぐるっと回るだけで丁寧には品物の一々は見ませんでした。

 いつもはテントの列に視界を遮られている金堂越しの五重塔も、今日は平日の姿を見せています。

260607_東寺金堂.jpg


 講堂に立ち寄った後、御影堂におられる弘法大師さんにご挨拶をしに行きました。目の前におられた経営者らしきネクタイ姿の方は、長時間にわたり何種類かのお経を唱えておられました。その真剣さがヒシヒシと伝わって来たので、こちらも身が引き締まります。会社の立て直しに必死なのだろう、と勝手に想像を逞しくしていました。




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2026年06月06日

宇治で相愛本『橋姫』の変体仮名を読む会(12)と凡例追補のこと

 シェア型書店HONBAKO京都宇治で『源氏物語』の変体仮名を読む会も、今日で12回目となりました。断簡ということもあり、あと2回で「橋姫」は終わりです。次は、「手習」(断簡)を読む予定です。

 今日はまず、[街中の変体仮名]の確認からです。

260606_なか田&祢保希.jpg


 掲示されていた店名が、「奈可田」「な可田」「なか田」と3つの仮名文字が異なります。また、「田」は漢字なのか変体仮名なのか、お店に確認が必要です。
 「祢保希」と「うな希・希々花」の「希」は、変体仮名であれば「け」と読みます。さまざまな使われ方をしていることがわかる例として紹介しました。

 続いて、「橋姫」の[変体仮名翻字版]の確認です。
 仮名文字の確認をする中で、字母をどこまで書かれている字体に忠実に再現表記するか、ということで時間をかけて検討を重ねました。
 「キャンパスプラザ京都で相愛大学本『源氏物語 藤裏葉(断簡)』を読む(第4回)」(2026年05月23日)"http://genjiito.sblo.jp/article/191707795.html"の報告で取り上げたように、「字母(漢字)に近い字体が複数ある時には、付加情報〈*〉を付す場合がある。」としたことです。あの時は、「多/多〈*〉」や「奈れ/奈〈*〉」の例にあげて、判断に迷う時には付加情報として「■/■〈*〉」を追記することを提案しました。

 今日はさらに厳密さと許容を視野に入れて、次の文字に関しても「■/■〈*〉」を付記することになりました。[変体仮名翻字版]の表記基準をより正確にして、再現性の高い翻字になるようにしたものです。

 こうした対処の前提として、すでに国際基準のユニコード(UTF8)に変体仮名が採択されているのに、それが現在作成中の本文データベースに活かされていない、という反省があります。文部科学省は、教育現場が混乱するという理由で、変体仮名は学校教育の中では認めていません。しかし、1900年(明治33年)に1字1音に制限された文字政策が、このままずっと日本だけが死守され続けるとは思われません。世界的な視野に立つと、ユニコードが日本の仮名文字表記の世界に取り込まれる時代が、いづれ来ても不思議ではありません。そうした時代が来た時のことを想定して、現在コンピュータで作成している『源氏物語』の本文データベースにおいて、禁欲的に五十音図に固執することなく、近い将来を見越したデータベースを作ることにしました。

 その意味からも、ユニコードに採択されている変体仮名の字体は、今のうちから、いつでもユニコードを取り込んだより正確な翻字に移行できるようなテキストデータを、極力意識して作成しておくことにしたのです。
 具体例として、「所」「そ」「多」「尓」を例として提示します。

260606_変体仮名分別そたに.jpg


 より崩れた字形を尊重し、それよりも字母である漢字に近いものに対しては、「■/■〈*〉」の形式で草体化する前の字形を付加情報を付けておくのです。そうしておけば、ユニコードを取り入れた本文データベースに転換する際に、比較的容易に文字データの移行が行なえます。今しばらくの、移行期間における暫定的な措置ということです。

 この新しい方針で、今日確認した[変体仮名翻字版]の翻字データをあげます。
 赤字にしている箇所が、その対処がなされている部分です。

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(2)相愛本『源氏物語 橋姫』(断簡)第一四丁裏八行目〜第一六丁表4行目
 [変体仮名翻字]翻字データの中にある付加情報(/)の記号について
  傍書(=)、 ミセケチ($)、 ナゾリ(&)、
  補入記号有(+)、補入記号無(±)、 和歌の始発部( 「 )・末尾( 」 )、
  底本陽明文庫本の語句が当該本にない場合(ナシ) 、 翻字不可・不明(△)
  [追補]字母表記保留(/■〈*〉)
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堂まえと・【思】よらさりし・【一人】こと越・支
き・【給】介ん堂尓・ある毛能を・い登・可
堂葉奈ら無・ナシ・ひきいり川ゝ/(ひきいり川川)・三那きい・
【給】八春・堂ひ/\/(堂ひ堂ひ)・そゝの可し/(そその可し)・きこゑ・
堂まえと・ゝ可く/(と可く)・きこゑ春さひ弖・ナシ・
や三【給】ぬ礼葉・ナシ・い登・くち越しう・於ほ
ゆ・その・川い弖尓も・い/$、(いと)・あやしう/と$あ・よ川
可ぬ・於毛ひやり尓弖/尓〈*〉・春こ春・あ里さま
とも尓・於もひの・本可なる・【事】なと・八川
可しう・於ほい堂り・ひと尓多尓・い可て可/可〈判読〉、(14ウ)
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しら礼し登・者くゝ身すく世と/(者くく身すく世と)・介ふ・あ
春とん・しらぬ・【身】能・のこり・なさ尓・さ
す可尓/尓〈*〉・ゆく春へ・と越幾・【人】八・於ちあふ
礼弖・佐春らへん/△&佐・【事】・これの三こそ・遣
/尓〈*〉・よ越・八那れん・き王能・本多しなり
介れ登・うち可多らひ・堂まえ葉・【心】
く累しう・身・多てま川里・【給】・王さ
登の・【御】うしろ三堂ち・八か/\し
幾/(八か八かし幾)・すち尓葉・【侍】ら春とん・うと/\し
可ら須/(うとうとし可ら須)・於ほしきこゑさ世んとなん/(15オ)
--------------------------------------
【思】・【給】ふる・し八し毛・な可らへ・【侍】らん・いのち
能・【程】は・ひと【事】毛・可く・うちいて・きこゑ
さ世てん・さま越・堂可く・【侍】まし
くなん奈むと/と申〈判読〉&奈む・申・【給】へ八・い登・う礼志
幾・【事】と・於ほし・乃多まふ・佐弖・
あ可【月】可多尓・【宮】能・【御】をこなひ・し・【給】□/□〈空白〉・
本と尓・可乃・をい【人】・めしい弖ゝ/(めしい弖弖)・あい・【給】へ
里・ひめ【君】乃・【御】うしろ三尓弖/尓〈*〉・さふら
者世・【給】ふ・【弁】の【宮】とそ/そ〈*〉・いひける・とし八・
六十尓・春こし・たらぬ・本と奈れ登・三やひ可尓/ひ〈次頁〉、(15ウ)
--------------------------------------
遊へある・け者ひ・して・毛の奈と/な〈ママ〉・
きこゆ/こえ〈判読〉&こゆ、(きこえ)・【古権大納言宮】/【古】〈ママ〉・よと・ゝも尓(とも尓)・毛能ふ/ふ〈ママ、諸本を〉・【思】
つゝ/(【思】つつ)・やまひつき・八可奈く/△&可・なり・【給】尓し・あ里さ
ま越・きこゑい弖ゝ/(きこゑい弖弖)・なく・【事】・可きり奈し[260606_ココマデ]・(下略)
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 帰りに宇治橋へ行くと、昨日来の大雨とダムの放流の影響もあってか、中の島に架かる橘橋と朝霧橋が通行禁止となっていました。

260606_宇治川の急流.jpg

 この宇治川の急流を見ると、浮舟が入水して亡くなったという話が、いかにも事実であるかのように体感できます。実際に近年、流されて死にかけた方が何人もおられるそうです。
 今日の宇治川の勢いを宇治橋の上から見て、そうしたことが納得できました。




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2026年06月05日

オジャミ飛ばしの後は京大病院で今後の相談

 午前中は、集会所でオジャミを飛ばして得点を競いました。これまでは、タオルや団扇で飛ばしていました。今日は、主宰者のNさんが寝ずに考えたという、箸でオジャミを摘んで飛ばす新しい試みです。
 まずは左手で、次に右手で挑戦です。なかなか、思うようには飛ばせません。

260605_オジャミ.jpg

 シンプルなゲームほど、盛り上がります。今日も、あっという間に時間が経ちました。

 午後は、京大病院で妻の主治医と今後の治療について相談しました。
 アミロイドβ を取り除くためのレカネマブ(レケンビ)の点滴注射は、1年半と期限が決められた治療です。昨年の3月から始まったので、この夏が終わった9月までです。
 この治療は問題なく進み、ほぼ現状維持で推移しているようです。月に1度会う息子が何も変わらないと言うくらいなので、認知機能の減退はお陰さまであまりないと言えそうです。主治医の先生も、1年以上にわたり様子を見てきて、特に副作用もなく、日常の行動も対話も前向きで積極的なので、良好に治療が受けられているとの好評をいただきました。

 今秋、9月以降をどうするかに関して。
 自宅で自分自身で注射をする治療が、来年には日本でも承認されるようです。そこで、それまでは今の点滴で数ヶ月ほどつなぎ、新薬が承認されたらその治療に切り替える、という提案を今日の時点では了承しました。この9月で終了とせず、継続して認知症対策に取り組む、ということです。さまざまな新薬が開発されており、どの時点でどのような治療を取り入れるかは、今後の展開しだいです。

 とりあえずは、主治医の説明を聞き、大きな変化がなかったことに安堵しています。
 8月末に実施されるMRIの検査と、対面でのテストの結果を踏まえて、9月の初旬に今後の治療方針が決まります。いずれにしても、この1年半の取り組みの延長線上での対応をお願いしました。

 9月までの点滴は、宇治徳洲会病院に依託されたプログラムで進みます。また、それまでの飲み薬と貼り薬は、京大病院の主治医に3ヶ月分を処方して出してもらいました。
 今日は、主治医の2つ隣の診察室で、宇治徳洲会病院でお世話になっている担当医の先生が京大病院での診察をなさっていました。挨拶に行こうとしたところ、主治医の先生が今後のことも含めて私から説明しておきます、とのことだったので安心して帰りました。

 賀茂川を出町柳駅まで散策しました。
 いつものように、対岸まで飛び石を渡りました。踏み切る足を左右変えながら、慎重に渡ります。やはり右足が少し不安定なので、意識して強くつま先で蹴りました。また、右足で着地する時には、少し腰をかがめてショックを和らげるようにしました。

 賀茂大橋のところから大文字を望めます。ちょうど鷺が芝生にいたので、一緒に入ってもらいました。

260605_鷺と大文字.jpg


 穏やかな夕方の賀茂の川風を浴びながら、慣れ親しんだ鯖街道の終点付近を散歩です。
 出町柳の骨董屋さんの「京や」で、桑古卓を探しました。いつもの方が、2日前に入手しそこなったとのこと。またいつか、ということで、ブラブラと桝形商店街を散策しました。




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2026年06月04日

清張復読(91)「六畳の生涯 」(『黒の図説』より)

■「六畳の生涯」
 舞台は、東京の郊外にある小さな医院です。79歳の元院長であった元軍医の老人と、34歳の家政婦が物語を展開します。
 この老人は、家政婦を気に入ったために、来ない時にはその住まいにまで追いかけます。親切を、好意と履き違えているかのような奇態に見えます。それを、作者は丹念に描写するのです。
 この家政婦と病院の看護婦、そして院長である息子の嫁、この女性3人の存在が、6畳の一間を生活の舞台とする老人の周りで複雑な様相を見せます。中盤までは、老人の家政婦への恋愛感情が中心になって展開します。老人の日常が、丁寧に描かれています。人間模様をテーマにした物語かと思って読み進めていました。
 ところが後半になり、家政婦が無理心中したことから急展開。自殺なのか、誰かが殺したのか。そして、最後は、看護婦か嫁のどちらかが殺したと思わせるところで終わります。
 清張らしくない、歯切れの悪い幕切れです。どうした、と言いたくなるほどです。忙しさのあまり、最後の詰めに盛り上がりを設定する暇がなかった、ということにしておきましょう。【2】

 なお、清張の旧満洲での体験の一部がわかるくだりがあります。私の父も極寒の地であるシベリアで抑留生活をしたので、こうした記述は父を理解するのに手助けとなります。記録の一つとして抜き出しておきます。

「 この行季はシベリア出兵のとき、ハルビンやハバロフスクに携えて行ったものだ。当時は見習軍医で、いろいろとまごつきもしたが、今から考えるとなつかしい。この行李もそのとき新品として交付されたもので、どんなに古くなろうと捨てかねている。青春の遺品である。これを眺めると雪の広野が浮かび、さわれば、ペーチカにぬくもった革の肌ざわりが蘇ってくる。中身の医療器具はその後何度も詰めかえはしたが、容器は大事に保存し、こうして未だに役に立てている。」(280頁、『松本清張全集10』、文藝春秋社、1973.5.20


初出誌︰『週刊朝日』1970年4月〜7月




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2026年06月03日

宇治で古写本『源氏物語 橋姫』の変体仮名を読む会(第12回)のご案内とブックカバーのPR

 昨日の京都新聞山城版「まちかど[宇治]」に、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉が主催する、「宇治で古写本『源氏物語 橋姫』の変体仮名を読む会」の案内記事を掲載していただきました。

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 会場は、JR宇治駅から歩いて3分(京都府宇治市宇治宇文字2-38)、宇治警察署の裏にあるシェア型書店HONBAKO京都宇治で、2階のシェアスペースをお借りして開催しています。
 宇治の地で、宇治十帖の初巻である第45帖「橋姫」に書かれた、鎌倉時代の文字を読み進めています。変体仮名は初めてだという方のご参加も大歓迎です。いつでもどうぞ。

 扱う古写本は、相愛大学の春曙文庫が所蔵する『源氏物語 「橋姫」』(断簡)。
 写本の画像は、国文学研究資料館の国書データベースで公開中のもの(
)を使い、資料はすべて当日の会場で配布します。

 質問や疑問点に答えながら、気長にのんびりと取り組んでいます

 開催日時は、毎月第1土曜日の午後2時〜4時。
 一人でも多くの方が、日本の文化資産である変体仮名が読めるようになることを願って開催するものです。
 『源氏物語』の内容は扱わず、仮名文字を読むことを主眼としており、毎回読み切りです。
 参加費は2,000円。

 毎回の勉強会の様子は、この[たつみのいほりより](http://genjiito.sblo.jp/)で報告しています。前回5月の活動内容は、以下の記事で確認できます。

「宇治で相愛本『源氏物語 橋姫』の変体仮名を読む会(11)」
(2026年05月02日)

 本ブログのコメント欄を通して、参加希望の旨をお知らせいただけると、資料を用意してお待ちしています。上記、京都新聞に掲載されているメールアドレスでも大丈夫です。

 なお、この勉強会を紹介するチラシができました。
 お知り合いの方へのご紹介を、よろしくお願いします。

260428_宇治G1チラシ.png


260428_宇治G2チラシ.png




 また、本年4月に引き続き今回も 12:00 〜 16:30 の間に、「お店番」として妻が担当者となって「Handmade モモ」がブックカバーを出品します。

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 今回も、すべてリバティプリントを使った布製のブックカバーのチャリティ販売です。



260603_ブックカバー.jpg


 よろしかったら、シェア型書店HONBAKO京都宇治の入口近くのテーブルに作品を何点か並べていますので、お手に取ってご覧ください。




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2026年06月02日

集会所でお手製のサイコロを作って遊ぶ

 今日は、牛乳パックを使ってサイコロを作り、楽しく遊びました。
 まず、牛乳パックを開いて横にハサミを入れ、3枚の細長い帯を作ります。

260602_箱表.jpg


 裏返して白い部分が表になるようにして、3つを横長に組みます。
 3つのパーツを差し込んで組み合わせると、白いサイコロが出来上がりました。

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 その白い面に、上下を足すと7になるように丸い点を書きます。

260602_双六元.jpg

 出来上がったサイコロの四角いパーツを引き出して崩していきます。

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 3つのパーツをクルクル回して、点が書かれていない面を揃えます。

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 すると、アレコレしているうちに、元の白いサイコロにもどりました。

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 これをまたアレコレして、元のサイコロの姿に戻すことを繰り返します。

260602_双六元.jpg

 単純なことながら、実際にやってみると大混乱で、脳トレ状態です。
 どうしても出来ない方、元に戻せない方が、何人もいらっしゃいました。

 最後に3枚のパーツを細い帯に戻して、その裏に書いてある点を確認しました。
 こんな状態で、1から6までの点が書かれていたのです。

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 参考までに、妻のサイコロを開いてみたら、こんな並びで丸い点が書かれていました。

260602_妻の箱裏.jpg


 いろいろなパターンがあるようです。

 みんなと一緒でも、一人でも楽しめる、シンプルな遊びでした。




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2026年06月01日

古都散策(83)お茶で桑小卓のお稽古の後は成務天皇陵と日葉酢媛命陵へ

 今日のお茶のお稽古は、丸卓(まるじょく)ではなくて桑小卓(くわこじょく)を使ったお手前を教えてもらいました。次の写真は「茶の湯に出逢ったあとの日々」の中の「令和3年 芒種一 〜桑子卓とオランダ水指〜」(https://kissaco.hatenadiary.jp/entry/2021/06/06/083204)からお借りしています。

260601_桑子卓.jpg

 下の狭い段には、薄手の平建水に陶の蓋置をセットします。その上の段には、真ん中に細水指を、その左側には柄杓を斜めの状態で立てて左手奥の柱に凭せ掛けます。一見、柄杓が不安定な状態なので倒れないか心配でした。しかし、何事もなくお手前は進みました。
 天板には棗が置かれています。

 これまで通り道庫を想定していました。しかし、手前座が壁際だったので、敷板は使わず、茶筅と茶巾と茶杓を仕組んだ茶碗は、畳の上に直接置きました。

 お手前は、薄茶の要領で進みました。
 最後は私の好みで、身体を少し右に移動させて、水指の正面に向き、天板に縦に置いた柄杓の左右に、一気に茶碗と棗を置き合わせました。総荘りというものです。

 帛紗をどこに置くかで、水指の上か天板の上ということだったので、私は天板の上にしようと思いました。しかし、周りにおられた生徒さんたちが、それでは天板の上が賑やかすぎるのでは、とのことだったので、先生ご推奨の水指の上にしました。

 こんな調子で、わがまま勝手なお手前を教えてもらっています。
 私が取り組んでいるのは、お客さんと自由にお話ができる雰囲気の中でのお手前を身につける、というものです。そのために、茶道具の持ち運びや片付けが極力少ない、省エネのお手前を稽古しています。そこに、脳梗塞で右半身がぎこちなくなったので、それも目立たないように、という難題を先生には聞いてもらっているのです。いろいろなお点前があることを、いつも学んでいます。

 今日は一連の動きの中で、不自由な足が滑るようにと、右足の膝に当てていた小さなタオルが、一度も出番がありませんでした。先生が、うまく私の身体をコントロールして、最小限の手足の動きでお手前ができるようにしてくださったようです。
 右足を動かしたのは、最後に総荘りにする時に、私のわがままで身体を右に少し移動させた時だけでした。見てくださっていた生徒さんからも、私にピッタリのお点前で、きれいだったと好評でした。
 これで気をよくしたので、これからしばらくは、このパターンでやることにします。しかも、この桑子卓は5月に使われることが多いものの、一年中使ってもよいそうです。安心しました。

 下鴨では、お茶室に炉が切ってあったので、いろいろなパターンでお茶を楽しんでいました。しかし、宇治に移ってからはマンションタイプなので、風呂しか置けません。そんな中で、道具を活用することで、お茶を楽しめることになります。我が家には丸卓しかないので、早速、桑小卓を探すことにします。

 帰りには、先週は通過した佐紀石塚山古墳(成務天皇陵)に行きました。ここでいいのかと思うほどの、民家の横の狭い道を抜けて行きました。ちょうど称徳・孝謙天皇陵の真北に当たります。

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 その東隣には、一本の細い道を挟んで、佐紀陵山古墳(日葉酢媛命陵)があります。垂仁天皇の皇后であった日葉酢媛命の陵は、狹木之寺間陵とも呼ばれていました。

260601_日葉酢媛命陵.jpg

 この一帯は、民家がひしめく中に、古墳が密集しています。お茶のお稽古帰りに、折々に経巡ることにしています。これも、リハビリウォーキングの一環であり、楽しみながら回るつもりです。

※付記:この記事では、最初は「桑古卓」と表記していました。しかし、一般的には「桑小卓」と書くとのことです。「桑古卓」とか「桑子卓」はあまり使わないそうです。お稽古場の箱書きには、「桑小卓」と「桑古卓」の両方が書かれていました。ということで、今後は「桑小卓」に統一したいと思います。





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2026年05月31日

宇治市が発行した冊子の情報があまりにも不正確であること

 郵便ポストに、「令和8(2026)年度 宇治市のかいごほけんだより」(No.49 保存版、A4判4頁、発行 宇治市介護保険課)が入っていました。その中にあった、次の記事が目に留まりました。

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 この冊子は、先週(5月18日)開催されたグリーンカフェにお越しの宇治市からの参加者がお持ちになったもので、私もその時に一冊いただきました。その『生きがい探しのすすめ』(令和8年3月、宇治市健康長寿部長寿生きがい課)の中を見て、アレッと思いました。非常に違和感を覚えたのです。
 私がボランティアとして参加している集会所での活動が、あまりにも実態と懸け離れた内容で紹介されていたからです。そして、なぜこんなに実態と異なる紹介文になったのかを、一人でその原因を考えました。

 結論は、この記事の作成者は現場での活動を実際に確認することもなく、しかも日本語運用能力の乏しい方が書かれた文章ではないか、ということです。この改定前の文章をなぞっただけである、ということもあるのでしょう。改定前の文章は未見です。なお、生成AIが作成した文章の存在を考えてもいいかもしれません。

 どれだけ実態と違う説明文かを、以下にまとめておきます。机から動くことなく、現場にも足を運ばず、実態の確認もしないと、こんな記事になるという好例となっています。

 冊子の14頁にある、地域の取組内容の項目は、15頁の詳細とされる文章の要約です。その詳細の文章(15頁)の問題箇所を摘記しましょう。

 まず、地域の活動団体の名前である「北槇ODEN(おでん)」を表示して、「公共交通機関まで遠く、買い物にも不便な地域。」と説明されていることから。

 ここで、遠いとされる公共交通機関までは、普通に歩いて12分です。大急ぎで歩けば9分。遠いと言われればそうかもしれません。しかし、これは一般には遠いという表現には馴染まない距離だと思います。

 また、買い物にも不便な地域だとあります。
 我が家から500m以内には、次のように多くの買い物の施設があります。これで、買い物に不便な地域だと言えるのでしょうか。今日はどこで買い溜めをしようかと毎回迷う程なので、ここは買い物には非常に便利な地域だと思っています。

 ・大型と中型のスーパーマーケット 5店舗
 ・コンビニエンスストア 7店舗
 ・コンビニ様態の大型ドラッグストア 6店舗
 ・大型と中型の100円ショップ 3店舗
 ・大型リサイクルショップ 2店舗

 これだけの買い物施設が、500m圏内にあるのです。
 さらに冊子の紹介文には、次の文言が記されており、これは現状とはまったく異なることです。

「買い物支援」「地域のつながりづくり」について、月1回の話し合いを行ったところ、「移動スーパー」の誘致が成功し、買い物だけではなく、地域コミュニティの場にもなっています。

 ここで言われている移動スーパーは、私がこの地域に引っ越しをして来た4年前には、すでに利用者がほとんどおられなくて、業者の方からも今後の打診が来ていました。
 実際に、2023年10月16日のグリーンカフェ終了後の「北槇ODEN」のミーティングでも、この移動スーパーの今後の去就について話し合っています。
 冊子が言う「誘致が成功し」というのは過去の話であり、「地域コミュニティの場」にもなっていません。

 さらには、この「北槇ODEN」という話し合いの場は、私の記録では2024年02月19日以降は開催されていません。それを今この時点で取り上げるのは、どのような意味を持つのでしょうか。
 もちろん、私は月曜日には病院などの用事が入るので、お休みしたために記録にないのかもしれません。しかし、この02月19日というのは、私にとっては強烈な不信感を地域を管理する会社から受けた日なので、忘れられないのです。詳しくは、次の記事に書いていますので、参考までに。

 「集会所でのグリーンカフェに続く話し合いの場で驚愕の背信行為を受ける」
(2024年02月19日)

 また、次の記事の冒頭には、この活動が行政の管轄から自立し、地域の住民が自主的に運営するイベントとして新たに始動したことを報告しています。

「4月のグリーンカフェから地域住民による自主開催です」
(2024年04月15日)


 ということは、2ヶ月前に宇治市が発行した『生きがい探しのすすめ』の、私が住む地域に関する記述は、2年以上も前の情報を基にしたものである、と言えます。

 揚げ足取りにならないように気を配りながら、もう少し記します。
 冊子の紹介文の最終行には、「誰でも来れる場として」と「ら抜き言葉」が見られます。国の国語審議会は、現状の使用実態を踏まえて、「ら抜き言葉」を容認しています。しかし、この冊子は、宇治市が税金を使って発行する公的機関の発行物です。そこまで砕けた俗な表現にする意図がわかりません。ごく普通に、文法的に正しいとされる「来られる」でいいでしょう。また、この冊子は校正に回ったはずなので、その校正段階でも擦り抜けたか、これでもよし、となったようです。日本語の規範が危ぶまれる中で、宇治市までが言葉の変容に手を貸すことはないと思います。

 さらには、この冊子の15頁にもう1件紹介されている団体名「やまびこ」の文章にも注目したいと思います。ここには、次の文言が書かれているので列記します。

 「「買い物支援」を中心に、月1回、話し合いをしてきました。」
 「この地域は、公共交通機関に不便な地域で、買い物に不安を感じている」
 「話し合いの中から、「移動スーパー」の誘致が成功し、買い物だけではなく、地域のつながりについて話し合う地域コミュニティの場にもなっています。」

 これは、「北槇ODEN」とほぼ同文です。どちらかが基となり、コピー&ペーストして加筆したものです。あるいは、生成AIによる文章のコピペなのかもしれません。
 いずれにしても、信用できない内容の記事であることには変わりはありません。

 多くの行政では、効率化を旗印にして、生成AIを活用した活動を展開しています。宇治市の場合はどうかは、まだ確認していないのでわかりません。しかし、こうした生成AIが得意な、過去しか見ないでまことしやかな文章を作成する実態には、今後とも気をつけなければなりません。




posted by genjiito at 23:14| Comment(0) | ◎情報社会

2026年05月30日

日比谷で『源氏物語』と『百人一首』の変体仮名をよむ講座の募集案内(2026-7)

 東京都千代田区立日比谷図書文化館で開催している「古文書塾 てらこや」の、2026年7月開講の募集案内が出来ました。
 次の画像をクリックすると精細表示になり、文字が読みやすくなります。

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 場所が東京ということもあり、「古文書塾 てらこや」では、江戸時代から明治時代を対象にした20講座が並んでいます。それに加えて、私の2講座だけは平安時代を扱っています。

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 私が担当している2つの講座は、次の要領で実施します。


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 『源氏物語』は、令和8年4月から相愛大学本『源氏物語 宿木』(断簡)をよんでいます。

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 次の『百人一首』は、これまでの続きとしてよみ進めます。

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 会場は日比谷公園の中の野外音楽堂の隣にあり、皇居・国会議事堂・帝国ホテルに囲まれた、交通機関に恵まれた至便の地です。
 一人でも多くの方が、日本の文化資産である変体仮名が読めるようになることを願って、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の協力を得て開催しているものです。
 月に一度の「あずま下り」はいかがでしょうか。
 私は、お昼ご飯を銀座でいただいてから、ブラブラと歩いて日比谷公園に行っています。
 お知り合いの方へのご紹介も、よろしくお願いします。




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posted by genjiito at 21:29| Comment(0) | ◎NPO活動

2026年05月29日

鉛筆で図形を書いた時の左手と右手の線の跡が重なりません

 今日の集会所では、3種類の頭の体操をしました。その中で、今の私の身体の状態がわかると思われる、鉛筆で線を書いた時の例をあげます。

 細長い長方形の紙に、利き手である右手に鉛筆を持ち ◯ △ □ を横に並べて書きます。
 そして、その鉛筆を左手に持ち替えて、右手で書いた ◯ △ □ をなぞりました。
 重ね書きをし終わった結果は、次の写真です。
 上下2枚の内、上が私、下が妻です。

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 私の図形で、まず右手で書いた ◯ △ □ は比較的真っ直ぐな線で書けています。
 しかし、それをなぞった左手の線は、右手で書いた線に重ねて書いたつもりだったのに、大きく外側にズレたりブレたりしています。
 特に右側の □ では、右端の線が完全に歪んでいます。

 左右の手で線を引くことは、脳梗塞で京大病院に入院していた時のリハビリで何度かやりました。あの時よりも、今日の方が良くないと思われます。しかも、麻痺が起こった右半身の右手ではなくて、今日は左手が右手で書いた線に重ねることができていません。

 病院の時は、先生に見られながらでした。今日は、自由な雰囲気の中でのことでした。緊張感の違いでしょうか。左手で字を書くことがないので、慣れないこともあってか、左手が不自由な線の動きを見せています。つまり、右手のマヒは何とか治まり、不慣れな左手での線がぎこちない結果となった、と言えるのでしょうか。

 妻の線の重なり具合と比べると、その違いは一目瞭然です。
 私の線のズレをどう説明できるのか、今度の診察の時に先生に聞いてみようと思います。




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posted by genjiito at 22:03| Comment(0) | *健康雑記

2026年05月28日

病院では読書をして半日を過ごすなど最近の体調維持のこと

 今朝も9時半に送迎バスで病院へ行き、妻の治療の付き添いの後は15時半に送迎バスで帰って来ました。ちょうど6時間のショートトリップです。

 最近はあまり待つことのなかった診察が、今日は患者さんが多かったこともあってか、これまでで最長の2時間も待ちました。
 その後の観察室での点滴治療は、これも2時間待ってから1時間半のベッドの上での拘束を妻は受けました。その間、私はひたすら読書です。時間のやりくりを、いろいろと工夫しています。
 半年前からの予約が入っているにもかかわらず、この待ち時間の長さは尋常ではないと思っていました。しかし、看護師さんの奔走ぶりをみていると、この人手不足の現実は受け入れざるを得ないことを悟りました。

 どうやら、これがこの病院での基準となり、今後ともこの待ち時間の長短の中で治療が続くようです。京大病院から依頼を受けての宇治徳洲会病院での点滴治療は、今秋9月までです。その後は、京大病院の主治医との相談となります。ただし、これまでの主治医が副院長として院外に出られ、週1回の外来の診察で対処してくださることになりました。秋に妻の治療方針がどうなるのか、今は未定です。

 認知症の分野における実証実験も進み、新しい治療法がいくつか発表されています。次はどのような方法で対処するのか、今から楽しみです。

 物忘れは、誰しも避けては通れないことです。私も、最近はその兆候を自覚するようになりました。妻はごく初期の段階で最新医療による治療に入ったために、困惑することになる直前で踏み留まっています。秋口からは、私も何か対策を取ることにします。

 早めの対応が、我が身を守ることを身をもって何度も体験しています。胃ガン、膵臓ガン、大腸ガン、前立腺ガンは、消化管と糖尿病と脳梗塞の治療の過程で見つかり、これらは京大病院ですぐに対処してもらえました。そして、その後も経過観察の対象になっています。
 病院側の見放さないという気長な対応には、いつも感謝をしています。早め早めの対処をしていただき、私も最新の注意を心がけていることもあり、どうにかこうして生き長らえています。

 気をつけていることは、毎日8,000歩以上を歩き、大好きな鎌倉期の写本を読み、コンピュータ関連の最新情報をキャッチし、ブログを書き続けることです。
 気になっていることは、睡眠と食事が不規則で、逆流性食道炎が週に半分はあることです。これは、各科の主治医に相談しています。しかし、結論としてはこの基礎疾患を多く持つ私の身体では特効薬がなく、なるがままに任せるしかないようです。最近心がけているのは、6回食に拘らず、最終食事時間の23時を辞め、21時以降は食事をしない、ということです。
 まだこれによる大きな変化はないものの、続けることで身体が楽になればラッキーと思うことにしています。




posted by genjiito at 21:43| Comment(0) | *健康雑記

2026年05月27日

相愛大学で鎌倉期『源氏物語』の古写本の調査(3回目)

 先週に引き続き、相愛大学での古写本の調査に行きました。
 今回は、ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」「蜻蛉」と、国立歴史民俗博物館蔵『源氏物語』「鈴虫」の原本と寸分違わない臨模本を完成なさった宮川さんも東京から合流です。相愛大学本『源氏物語』は断簡ながら価値の高い本なので、この臨模本を作成し、鎌倉時代の『源氏物語』を体感できる写本を残そうという一大プロジェクトの一環となるものです。

 今日は、一冊の写本を宮川・辻・伊藤の3人が一緒に見ていくことにしました。
 一人で見ていくのとは違って、新しい発見がたくさんありました。興味と関心が違う者が、6つの目で見つめるのですから、メモを取りきれないほどの新しい事実に気づかされ、そして意外なことが見つかります。

 まずは「帚木」からです。
 現在一般に読まれている大島本の『源氏物語』とは異なる文章で語られているので、つい物語の内容に気持ちが動きます。しかし、今は書かれている本文を正確に書き起こしていくのが本務です。それだけに、ああでもない、こうでもないと、さまざまな可能性を考えながら翻字を進めました。
 宮川さんは、書き写されているままの字形で模写するために、しっかりと字母を確認しながら、手元の草稿本に様態を記録しておられます。

 次は、「橋姫」です。ここでも、多くの発見がありました。
 続いて「藤裏葉」、そして「宿木」、最後に「手習」と、時間を惜しむようにして次々と写本の疑問箇所を確認しました。
 もちろん、その間に食堂で昼食はいただきました。
 森の中に建つきれいなキャンパスなので、環境は格別です。

 今回は、3人でああでもない、こうでもないと、知恵を出しながら書かれている文字の確認をしました。そのため、一人で見ていてはわからないことが、次々と解明できました。「三人寄れば文殊の知恵」と言います。しかし、今回の場合は「岡目八目」の方が相応しいと言えます。
 宮川さんを挟んで、両側から覗き込むようにして見る辻さんと私が、自由に意見を言うというスタイルです。宮川さんは、書写をする立場で疑問のある箇所の指摘をなさいます。それに対して、両側の2人がまったく違う立場から意見を言うのですから、おもしろい遣り取りになりました。

 すべての確認ができたわけではありません。しかし、目の前にある写本の書写者が書き写した姿勢や書き癖は、ほぼわかりました。「う」「お」「そ」「と」「ひ」「ま」「よ」は独特の字形をしているので気をつける必要があります。そして、ハーバード大学本『源氏物語』などと比べると、同じグループを形成する写本だと思われます。ただし、この相愛大学本の断簡には、脱字や衍字を含めて、ケアレスミスの仮名文字が多いので、要注意の写本であることもわかりました。ハーバード本などよりも一段若い写本を写したものかも知れません。とすると、まったく姿が確認されていない平安時代の写本の面影を伝えている、と考えてもいいのかもしれません。今、書き写されている物語の内容については措いています。書き写されている文字だけに拘っての感想です。

 微妙な字形の文字は、顕微鏡で写真を撮りました。
 新しく得られた知見は、来春刊行予定の書籍に収載します。
 調査結果の報告は、しばらくお待ちください。

 今回も、図書館の日野さんにはお世話になりました。ありがとうございました。
 8月下旬に再訪して、調査を補完する予定です。
 たびたびのことで恐縮します。
 ご高配の程を、よろしくお願いします。




posted by genjiito at 22:44| Comment(0) | ■変体仮名

2026年05月26日

集会所でテーブルカーリングを楽しむ

 今日は、テーブルカーリングを集会所で楽しみました。
 簡単なゲームです。会議用のテーブル2台の上に縦長のフェルトを広げ、木の枠で囲います。その上を、掌に入る大きさのプラスチック製の丸いコマ(ストーン)を滑らせて、少し前にある円の中に置きます。あの、カーリングが簡単に楽しめるのです。

 全員が参加してコマを投げるので、各自の役割は平等です。一投ごとに状況が変化します。自分のチームを守ったはずが、相手のチームを有利にすることがしばしば起きます。よかれと思って投げたはずが、相手に得点を与える結果になったりします。

 一喜一憂のハラハラドキドキのゲーム展開となりました。状況が二転三転するので、どちらが勝つのか最後までわかりません。

 この集まりは、みなさんが楽しみ方をよくご存知です。大騒ぎをしながら、みんなでゲームをしました。

 終わってから、図書館に借りていた本を返却に行きました。たまたま休館日だったので、返却用のポストに投函しました。
 その横には、駅前から続く中央公園があり、初夏を感じました。
 新緑の散策路には、小川のせせらぎが似合います。自然の中を歩きながら、夏がもうやって来ていることを実感しました。

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posted by genjiito at 21:09| Comment(0) | *福祉介護

2026年05月25日

古都散策(82)お茶のお稽古の後は神功皇后陵を散策

 朝晩は涼しくて過ごしやすい日々になりました。しかし、日中は暑くて帽子が手放せません。

 今日は、大和西大寺でお茶のお稽古です。
 お稽古場である和室の床には、「竹葉々起清風」というお軸が掛かっていました。この言葉については、かつて本ブログに書いたことがあるので、参考までに記しておきます。

「色紙の禅語「竹葉々起清風」」(2012年03月13日)

 私のお稽古は前回の丸卓とは違い、四角い板に4本の柱が立つ3段構えの更好棚を使っての薄茶手前でした。しかも、道庫を使っての省エネのお点前なので、動くことが少なくて右半身に違和感のある私にはピッタリのお稽古です。

 今日は、お作法は柔軟に取り組むことができる、ということを学びました。それは、お点前が終わり袱紗で茶杓を浄める時に、右手の動きが良くなくて茶杓をしっかりと握れなかったのです。落としそうになった私を見て、先生は茶杓は棗の上に置いたままで袱紗さばきをし、その後で茶杓を取って浄めたら良い、という指示を出してくださいました。臨機応変に、ということで、どうしても茶杓を握りしめた状態で袱紗さばきをすることはない、という融通の利く考えを教えてくださったのです。

 何百年も粛々と伝えられてきた茶道なので、そうした緩やかな部分があればこそ、今でも伝承されているのでしょう。堅苦しく、難しく考えない、ということでした。先生がよくおっしゃる、楽しく、身体で覚える、ということの実践を学びました。

 妻は、盆略手前のお稽古を続けています。やっと、帛紗の扱い方が少しは手慣れて来たようです。
 お茶を点てる段になると、急に手の動きがぎこちなくなります。しかし、それも指示を受けながらも、なんとか前に進んでいます。
 いつも、楽しい楽しいと言っています。それも、多少のミスは気にせずに先生は最後まで通してできるようにしてくださっています。お点前の間にも、楽しさが感じられるように指導してくださっているようです。ありがたいことです。
 いつも、気長に続けようと言ってここに通っているので、どうやらこの調子なら長続きしそうです。

 帰りには、少し歩いて神功皇后陵まで行きました。前回の称徳天皇陵の北にある古墳です。
 実は、称徳天皇陵に隣接する成務天皇陵に行くつもりでした。しかし、前回行った称徳天皇陵の前を行き過ぎたために、曲がり角を素通りしてしまったのです。それに気付いた時には目の前に神功皇后陵が見えていたので、そのまま行き先を成務天皇陵ではなくて神功皇后陵に変えて真っ直ぐ歩いて行きました。

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 神功皇后の名前はあまりにも有名なので、その御陵がある場所にお茶のお稽古帰りに来た、ということもあり、なかなか実感が湧きません。

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 遥拝所までの参道は、よく整備されていました。

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 気持ちのいい風を受けながら、その手前の山陵八幡神社にもお参りしました。
 ここには、次の3柱がお祀りされています。
(1)神功皇后は第14代仲哀天皇のお后で武芸の神
(2)第15代応神天皇は八幡さまで厄除け開運の神
(3)玉依媛命は神武天皇の母で育児の神
 私と妻が学んだ大学は、上代文学である『古事記』『万葉集』が大きな柱の学校でした。しかし、平安文学の勉強を中心にしてきた者には、おおよそは理解出来ていても、あまりにも古いことなのでイメージがついていきません。

 帰りは、西大寺駅から京都駅に向かって次の駅である、近鉄の平城駅から電車に乗りました。

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 名前は重い歴史を背負っているのに、駅舎はそのこととは無関係であるかのようにシンプルでした。そのギャップに戸惑いながら、西大寺駅から来る電車を待ちました。




posted by genjiito at 21:11| Comment(0) | ・古都散策

2026年05月24日

奈良での茶道文化講演会で石山寺と『源氏物語』の話を聞く

 今日は、JR奈良駅前にある奈良100年会館の中ホールで開催された、茶道文化講演会に行って来ました。第58回目となるこの講演会は、茶道裏千家淡交会奈良支部が主催するものです。私のお茶の先生が、この淡交会奈良支部の副幹事長をなさっていることもあり、毎回出席しています。今回は、『源氏物語』と縁の深い石山寺の座主のお話ということもあり、妻共々楽しみにして行きました。

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 400名以上を収容できる会場は、ぎっしりと満員です。圧巻でした。
 まず、ビデオで「水屋のしごと」が30分間上映されました。
 本日の講演の講師は、石山寺の鷲尾龍華座主で、演題は「女流文学ゆかりの石山寺より」でした。4年前の就任当初から、石山寺では初めての女性の座主ということと、大河ドラマで『源氏物語』が取り上げられたこともあり、さまざまな話題を提供してくださっている座主です。
 初めて知ったこととして、石山寺と東大寺の縁の深さがあります。大仏建立にあたり、金の入手に石山寺が深く関係していたのです。奈良の地で石山寺のお話を、あらためて新鮮な思いで聞くことになりました。

 お話が『源氏物語』をはじめとする平安文学のことに移ると、石山寺参籠のことが『石山寺縁起絵巻』(重要文化財)をスクリーンに映写しながら説明されました。『蜻蛉日記』の藤原道綱母、清少納言の『枕草子』、菅原孝標女の『更級日記』などを引きながら、分かり易く解説してくださいました。
 京都から石山寺までは、早朝に徒歩で出掛け、逢坂の関を越えて打出の浜から船に乗り、瀬田川を下って夕方には石山寺に着いたそうです。

 4年前から石山寺の座主をなさっている体験を踏まえ、日常のことも含めて笑いを誘いながら、楽しく語ってくださいました。

 なお、奈良東大門の門前にあった石山寺の塔頭の一つの密蔵院は、参拝者にお茶の接待をする「茶丈」でした。それが昭和44年(1969)に、石山寺の現在の場所に移築されたそうです。それに関連する話として、非常に興味深いことが語られました。
 それは、島崎藤村が明治26年(1893)に教え子との恋愛に悩んで関西を旅した際に石山寺を訪れ、その時に「ハムレット」1冊を奉納したのだそうです。その後、約2か月も密蔵院に寄宿し、この時のことは「茶丈記』(『文学界』第7号)、童話『眼鏡』、『力餅』などに描かれていて、境内には「石山寺にハムレットを納むるの辞」の一節が、文学碑として設けられています。それなのに、その奉納されたという「ハムレット」が、いまだに見つかっていないそうなのです。いつかどこかから出て来るのを楽しみにしている、とのことでした。これには行方不明の写本を探す趣味を持つ私も、大いに興味を持ちました。

 石山寺には、『源氏物語』の関連ではもちろんのこと、西国三十三所の観音霊場の巡拝でも何度も来ています。さらには、私の編著である『国文学解釈と鑑賞別冊 源氏物語の鑑賞と基礎知識 No.28 蜻蛉』(至文堂、2003年)には「石山寺散策−源氏のゆかりの地を訪ねて−」と題する拙文を掲載しています。そこには、宇治から石山までの行程図を掲載しました。参考までに引用します。

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 これからもご縁のある石山寺です。今日は、座主の講演を楽しんできました。




posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ■古典文学

2026年05月23日

キャンパスプラザ京都で相愛大学本『源氏物語 藤裏葉(断簡)』を読む(第4回)

 キャンパスプラザ京都(京都市大学のまち交流センター)の正面ホールには、いつものように本日の勉強会の案内が掲示されていました。

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 今日は、過日の相愛大学で調査したことの報告からしました。
 3日前の本ブログに書いたように、持参した顕微鏡でわかったことなどをお話しました。
 相愛大学のこの写本は、700年から800年前に書き写されたと思われるものなので、こうして精密機器を活用することで疑問点などを解明しています。感触としては、ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」「蜻蛉」や、国立歴史民俗博物館蔵『源氏物語』「鈴虫」と並ぶか、その少し前に位置する写本ではないか、との思いを抱くようになりました。いずれも、何度か実見しての感想なので、そんなに大きく外れてはいないと思います。その一端の報告を、まだまだ私見ながらも今日少ししました。

 次に、プリントに取り上げた、普通選挙(昭和4年)のポスター(京都新聞、2026.05.12)に書かれていた、「奈」や「尓」の文字の意味を考えました。
 「そん奈ら〜奈いか」とか「【明日】尓」と書かれていることです。この資料は、まだ女性に投票権がない時代のものです。しかし、25歳以上の男子で納税資格の縛りがない条件での選挙だったので、一般市民向けのチラシでありポスターということになります。その中に、今では使われない仮名文字があるので、こうした文字は昭和4年時点で日常生活の中で使われていたということになります。国政選挙ではなく地方議会選挙の時のものなので、貴重な資料です。京都府立京都学・歴彩館で公開されているので、後でゆっくりと拝見することにします。

 お店の看板(伏見区桃山御陵前)に、「うな希」と書いて「うなぎ」、「希々花」と書いて「ののか」と読ませ、「う越弥」の横に「う我弥」と書く看板があることもお話しました。
 これは、先週の日比谷図書文化館でも紹介した例です。街中には、日本語の正しい使い方とは異なる仮名文字が、こうして民間レベルの勝手な解釈や判断や誤認で表記されている事例を見かけます。その一端の報告です。あらためて、仮名文字とは何かを考えさせてくれます。

 「教科書に見る平安朝・小学校−国語」も取り上げました。教科書の監修に関わった池田亀鑑の影響力が大きかったことを、具体例を元にしてお話しました。詳しくは本ブログの「教科書に見る平安朝・小学校−国語(6)教育出版(その3)」(2010年11月22日、http://genjiito.sblo.jp/article/178934956.html)をご覧下さい。

 今日の相愛大学本「藤裏葉(断簡)」の3回目は、第4丁裏から第7丁表の5行目の「めや可なる」までを確認しました。

 まず、凡例に付加情報としての〈*〉を追加して、字母である漢字の再確認がしやすいようにする対処を決めたことの、具体的な説明をしました。参会者のみなさまには。了解していただきました。その新しい方針の元で、今日の[変体仮名翻字版]の確認を進めました。「■/奈〈*〉」となっている箇所がそれです。以下では、赤字で示しています。


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■相愛大学本「藤裏葉(断簡)」(今回:第4丁裏〜第7丁表まで)
  [変体仮名翻字版] (翻字:辻 義孝/確認:伊藤鉄也)
   ・翻字データの中にある付加情報(/)の記号について
     傍書(=)、 ミセケチ($)、 ナゾリ(&)、
     補入記号有(+)、補入記号無(±)、 和歌の始発部( 「 )・末尾( 」 )、
     底本陽明文庫本の語句が当該本にない場合(ナシ) 、 翻字不可・不明(△)
    ※「宇(う)」が特徴的な字形となっている。
    ※「【見】」に「三」を使う傾向がある。(ハーバード本「蜻蛉」と同様)

※字母(漢字)に近い字体が複数ある時には、付加情報〈*〉を付す場合がある。

  [例] 多/多〈*〉


260514_2種類の多.png


※判断に迷う字は次のようにする
  [例] 奈れ/奈〈*〉 (判断に迷う文字(「な」か「奈」)の字母・字体を再確認できるようにする。)

 相愛本「帚木」10丁裏8行目
260514_「帚木」10uL8な奈.jpg


※判断に迷う字で判読を併記する場合
  [例] なりたり/た〈*、判読〉 (「た」を判読として、字母・字体を再確認できるようにする。)

 相愛本「橋姫」14丁表5行目
260514_相愛「橋姫」14uL5なりたり.jpg



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佐毛・於ほし者ゝ可里ぬへ
き/(於ほし者者可里ぬへき)・【事】奈れ八・王多り・【給】ぬ・【御】つ可日の・ろ
く・奈へ弖ならて/奈〈*〉・堂てま川里・【給】へり・
【中将】・を可しき・さ満尓・毛てなし・堂満
ふ・つ祢尓・ひき可く新川ゝ/(ひき可く新川川)・可くろへあり
きし/り〈行末左〉・【御使】・介ふ八・を毛ゝちなと/(を毛毛ちなと)・【人】/\
志弖/(【人人】志弖)・布るまふ免り・うこ乃そうなる・
【人】の・む川まし宇・於ほし・つ可ひ・【給】奈り
遣り・【六条】乃をとゝ毛/(【六条】乃をとと毛)・可くと・きこし
めして・遣ふ・【宰相】・つ祢より毛・いと・い堂う・ひか里/か〈次頁〉、(4ウ)
--------------------------------------
そひ弖・まいり・堂満へれ八・うち
ま本里・堂まひて・遣さは・い可尓・布三なと・
毛能新川や・さ可しき・日と毛・をんなの・
すちは・三堂るゝ/(三堂るる)・多免し・ある越・日と王
ろく・可ゝつらひ/(可可つらひ)・こゝろいられ/(こころいられ)・世弖・春くさ
れ堂る奈ん/奈〈*〉・すこし・日と尓・ぬ遣堂る・三【心】
となむ・於ほえ遣累・をとゝ乃/(をとと乃)・三越き弖乃・
あま里・すく三て・なこり奈く/奈〈*〉・ゝ川をれ/(く川をれ)・多
万ひぬる越・よ【人】毛・い日い川る・【事】・あらむや・
さ里と弖毛・【我】・可堂・ゝ遣う/(堂遣う)・【思】可本尓・心於こり/於〈次頁〉、(5オ)
--------------------------------------
新弖・すき/\しき/(すきすきしき)・こゝろ者へ奈と/(こころ者へ奈と)・
毛らし・【給】奈・さこそ・をいら可尓・於ほきなる・
【心】を幾てと・三ゆ礼と・し堂乃・こゝろ者へ/(こころ者へ)・
をゝし可らす/(ををし可らす)・く勢・【有】弖・日と・三え尓く
き・【所】・川き・堂る・【人】奈り那と・れいの・をしへ・
きこえ・【給】・【事】・うちあひ・めやすき・【御】ゆ可りと・
於ほさる・【御事】毛・みえす・ゝこ新可/(すこ新可)・この
か三とそ・【見】え・堂まふ・本可/\尓弖は/(本可本可尓弖は)・奈
し/±を(を奈し)・可越・う川し多ると・三る越・を満へ尓て
八・さま/\/(さまさま)・あ奈/奈〈*〉・めて多と・みえ・【給】へり・をとゝは/(をととは)、は〈次頁〉、(5ウ)
--------------------------------------
うすき・【御】奈越し・新ろき・【御】その・可ら
免き堂累可・毛む・介さや可尓・川や/\と/(川や川やと)・す
き堂るを・堂弖まつ里て・なを・つき世す・
あ弖尓・なま免可新宇・於八します・【宰
将】のき三八・すこし・【色】・ふ可き・奈をし尓・ちや
新そめの・古可累ゝ満弖/(古可累累満弖)・新める・こゝ/(ここ)・あや能・奈
川可しき越・き・堂まへる・こと佐ら免き弖・
えむ尓・三ゆ・くわむ宇ふ川/宇$、く=卯月八日事也、傍卯〈判読〉、(くわむふ川)・井て・堂て満
川里弖・【御】堂宇し・をそく・まいり遣れは・
ひ・く礼弖・【御】可多/\より/(【御】可多可多より)・わら八へ・川くろ日い多し/(6オ)
--------------------------------------
ふ勢奈と・於ほや遣さま尓八・可者らす・さ満/\
尓/(さ満さ満尓)・新・堂まへ里・をまへ乃・さ本宇越・う川
新弖・き三多ちなと毛・万い里川とひ弖・
奈可/\/(奈可奈可)・う累八しき・【御前】より毛・ナシ・こゝろつ可ひ/(こころつ可ひ)・世
ら礼弖・をくし可ち奈り/△&ち・【宰相】八・し川【心】奈
く・いよ/\/(いよいよ)・遣さうし・日き川くろ日て・いて・
【給】を・王さとなら祢と・奈さ遣堂ち・堂まふ・
王可き・ひと/\八/(ひとひと八)・うらめしと・於もふ毛・【有】介り・と
古ろ乃・川毛り・と里そへ弖・【思】・やうな累・【御】
奈可らひ奈免れ八・三川・毛らむや八・あるしのをとゝ毛/(あるしのをとと毛)、の〈次頁〉、(6ウ)
--------------------------------------
いとゝしき/(いととしき)・ち可まさ里越・う
川くしき・毛乃尓・於ほして・い三し宇・も弖
可新つき・ゝ古え/(き古え)・【給】・ま遣ぬる・可堂能・くちをし
さは・な越・ゝ本勢と/(越本勢と)・川三毛・乃こる満し宇・ま
めや可なる・[2026/05/23 ココマデ] 御こゝろさまなと能/(【御】こころさまなと能)・としころ・事
こゝろ/(【事】こころ)・なくて・祢んしすくし・堂まへるなと
を・【有】可多く・於ほしゆるす/於〈*〉・【女御】の・【御】【有】さ満な
とよ里毛・者那や可尓・免弖堂く・あらま
本し遣れ八・き堂能可多・さ布ら婦・【人】/\
奈とは/(【人人】奈とは)・こゝろよ可らす/(こころよ可らす)・於もひ・いふ毛・あれと・奈尓能/奈〈*〉、尓〈次頁〉、(7オ)
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 今日も、中身の濃い内容だったと思います。丁寧にお話したので、その意図は伝わったと思っています。

 次回は、来月27日(土)第5講習室で開催します。また楽しく変体仮名を勉強していきましょう。

 帰りに、いつものように京都ヨドバシカメラに行きました。4月から「海鮮回転寿司がんこ 京都ヨドバシ店」が、6階のレストラン街に開店していたことを知りました。早速、行ってみました。
 我が家は、一人一食1,200円以内を原則としています。ここは、価格が少し高めに設定されていたので、小腹を満たす程度にしたはずなのに、2人で3,000円を超えていました。いつものように、最後にはデザートをいただくのに、今日は予算がオーバーしたので別のお店へ行きました。
 回転寿司を標榜するお店にしては、値段が高いグループに入ると思います。もっと安くておいしいお店がいくつもあります。もう京都では、インバウンド客を想定しての営業はしていないお店が多いので、このご時世に高価格となっているのには何か理由があるのでしょう。
 私がよく行く、回転寿司ではないもののイオン京都の中にある高木鮮魚店の方が、価格も味も新鮮さも比べものにならないほど上です。
 ただし、1つだけ興味を惹いたものがありました。壁に懸かっていた絵が、『源氏物語』の絵だったのです。記録として撮影しただけなので、細かな分析は今はできません。また何かの折にでも、正面から撮影したいと思っています。

260523_がんこ寿司のG絵.jpg

 なお、生成AI氏にこの写真を見てもらいました。しかし、どうも私の感触とは大きく隔たる解説だったので、今ここでの紹介は止めておきましょう。さらにきれいな写真が撮れた時に、あらためて生成AI氏に聞くことにします。





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posted by genjiito at 21:59| Comment(0) | ■講座学習

2026年05月22日

読書雑記(363)森見登美彦『シャーロック・ホームズの凱旋』

 『シャーロック・ホームズの凱旋』(森見登美彦、中央公論新社、2024年1月)を読みました。
 森見登美彦の作品は、私には理解できないことが多いので苦手です。今回もそうでした。

260515_『シャーロック・ホームズの凱旋』.jpg


 第一章

 私が数年前まで住んでいた下鴨から寺町通が舞台なので、大いに楽しめました。知っている所が次々と物語の舞台となるのですから。

 「京都警視庁」に「スコットランド・ヤード」と仮名が振られているのが粋な配慮です。

 次の文章は、京都とロンドンが綯い交ぜになった描写であることがわかります。作者の工夫が随所に見られます。「時計塔」には、「ビッグベン」という振り仮名が添えてあります。京都にはあまり見られない霧が、ロンドンのイメージを持ち込もうとしています。「南座」のところで「そびえている」と平仮名で表記されているのは、何か意図があってのことでしょうか。その前で、「時計塔が聳えている。」とあることとの違いに、何か意味があるのか考えました。どうやらなさそうです。


私たちは四条大橋の西詰へ出た。壮麗な国会議事堂が鴨川に沿って南へ延び、時計塔が聳えている。鴨川の霧はいよいよ深くなって、四条大橋はあたかも雲の中に浮かんでいるように見える。橋向こうに広がる祇園の町も霧の海に沈み、赤い提灯の明かりだけが朧に浮かんでいる。鴨川の対岸には大劇場「南座」がそびえているが、こちらはとっくに明かりを落とし、その大きな屋根が中世の古城のように黒々としている。ビッグ・ベンの鐘が鳴り始めた。ちょうど午前零時になるところだった。荘厳な鐘の音が夜の街へと広がっていく。」(45頁)


 なお、モリアーティ教授が屋上から飛び落ちる場面の緊張感は秀逸です。


第二章

 シャーロック・ホームズとアイリーン・アドラーの探偵同士の闘いは、アイリーンの方に軍杯が上がりました。おまけに、ワトソンの妻が、アイリーンの相棒となります。

 ドタバタ劇は、多彩な要素を見せ出しました。


第三章

 心霊現象に科学者はどう向き合うか、という課題が語られます。まじめすぎて、あまりおもしろくありません。

 マスグレーブ家に代々伝わる『竹取物語』の写本の末尾に、異文が書かれていたくだりには興味を持ちました。

 そして、謎解きがさらに興味深い方向に展開することになります。ただし、私には〈東の東の間〉の謎がスッキリとわかりません。この後、さらに明らかになるのでしょうか。そうであっても、この展開はもっとわかりやすくしたらいい、と思いました。

 12年の時を経て、マスグレーヴ嬢が生きて現れたことは、ここまででは説明不足です。これ以降に詳しく語られるのでしょう。なかなか長く引っ張っています。


第四章

 ホームズの引退宣言に関する話が展開します。あまりおもしろくありません。

 また、心霊主義者の話も調味を削がれました。

 話が取り止めもなく語られるので、散漫な印象を受けました。

 着地点はないようです。読み進める推進力に欠ける物語の構成であり文章です。


第五章

 突然、文章が生き返りました。力強く語られます。ただし、それまでの断片的な内容とは上手くつながりません。取ってつけたように、物語が前へ前へと進んでいきます。そして、作者は投げやりなことも言います。


「この半年間、私は発表するあてもなく、『シャーロック・ホームズの凱旋』を書いてきた。このような荒唐無稽な小説をホームズ譚の愛読者たちが受け容れるはずもないから、出版社もわざわざ世に出そうとは思わないだろう。そのうえ、この小説は完全に行き詰まっていた。

 ヴィクトリア朝京都のジョン・H・ワトソンは、シャーロック・ホームズを救うべく、マスグレーヴ家の〈東の東の間〉へと乗りこんでいく。はたして〈東の東の間〉の正体は何なのか、その「向こう側」にはどんな世界が広がっているのか、さっぱり思い浮かばない。私は途方に暮れていた。今となっては、どうしてこんな小説を夢中になって書いてきたのかも分からなくなっている。」(355頁)


 また、作者が自分の作品の批評もします。


「『シャーロック・ホームズの凱旋』はじつに奇妙な探偵小説だ。これまで君が『ストランド・マガジン』に発表してきた事件記録とはまったくちがう。物語の舞台はヴィクトリア朝京都という異世界だが、僕や君、ハドソン夫人やメアリ、アイリーン・アドラー、挙げ句はモリアーティ教授さえ登場する。なんのために君はこんな小説を書いたのか、僕は強く興味を惹かれた。読んでいるうちに分かってきたのは、これが探偵小説という形式を偽装した、べつの何かだということだった。君には探偵小説を書くつもりなんてなかったんだ。君の狙いはむしろ正反対のところにある。」(386頁)


 読者としては、今読んでいる物語に対して懐疑的になります。

 さらには、シャーロック・ホームズとモリアーティ教授が綯い交ぜになり、読者を撹乱しようとします。この展開は、この物語をかえってわかりにくくしたように思われます。


エピローグ

 物語をまとめる後日談です。それまでの取り止めもない作り話を、ここで整理しようとします。しかし、言い訳めいていて、心ここにあらず、というものです。

 最後の大文字山へのピクニックは、読者に対するサービスでしょう。

 そして思いました。このエピローグが本書の冒頭に置かれていたら、と。そうすると、読者は右往左往することなく、この物語をもっと楽しめたのではないかと。【2】





posted by genjiito at 23:37| Comment(0) | ■読書雑記

2026年05月21日

清張復読(90)「書道教授」(『黒の図説』より)

■「書道教授」

 主人公は妻以外に、古書店の女、バーの女、書道の先生などとの付き合いがあり、それぞれの関係の中で思い悩む男が描かれます。浮気話や揉め事が続くうちに、急転直下それまでの話が収斂します。
 その決め手は、次のくだりでした。

「川上さん、実ははっきり申しますとね、文子さんの行方がわかったのですよ」
 刑事は扁平な顔を向けて云った。
 川上の心臓がどきんと大波のように鳴った。で、思わず云った。
「文子は、生きていましたか?」
「いや、生きていたのではありません。殺されていました」(324頁)

 「生きていましたか?」が大きな失言だったのです。自白したもの同然だったからです。

 なお、主人公が書道のお稽古に行った時に、最初のお手本は「蘭亭序」でした。そして、書道の先生は悪筆について次のように語ります。

「昔から書道のうえで、忌まれている病勢を申しましょう」
 久子は、そう云って朱筆を揮い、点書の悪い見本を書いて示した。
「......こんなふうに、打った点がごつごつと角立ったのを牛頭といいまして、避けなければいけません。......これは角に力を入れすぎて急に力を抜くと出てくる形で、稜角といい、醜いものにされています。......これは筆の入れかたと止めかたが悪い例で、竹節と申しております。......これは、おわかりのように、はじめと終わりに、あまり力を入れすぎて、途中がすっかりお留守になったために形が悪くなったもので、上下が関節のように大きく、その間が細い鶴の足に似ているところから鶴膝という名がついております。......これは磔法のハネ方が悪くて、箒のようになってしまいますから撒箒といって忌まれています......」
「永字八法」についてだけでも、字の「病勢」を勝村久子は講義し、その見本を書いて示した。(265頁)

 清張は書について『球形の荒野』で、北宋の書家米芾(べいふつ)の書を取り上げています。娘が唐招提寺の記帳の中に、米芾の書を習っていた父の筆跡があることに気づき、壮大な物語が始まるという設定です。本作でも書道の文字に拘っているのは、清張が博多で見習いだった頃に、米芾の書が手本の中にあったからだと思われます。

 恥ずかしながら悪筆を自認する私も、学生時代に書道のお稽古に荻窪におられた先生の所へ行っていました。
 書く字が下手だった私に、先生は字を掠れさせる渇筆で、しかもたどたどしく書いたらいいということで、この「蘭亭序」を一生懸命に練習し、「永和九年……」で始まるこの作品を四苦八苦しながら書き上げました。ところが、それが何と毎日書道展に入選し、上野の森の美術館に展示されたことがありました。何かの間違い、ということはあるものです。聯落ち一枚半(53cm×204cm)という、大きな紙に324文字を書いたので、ご苦労さんの意味での努力賞だったのでしょう。いや、多分に先生のお力によるものにちがいありません。その下手なりに書いた縦に長いほんの一部分を、しかも上の方の一部を、若かりし頃の記念品としてアップします。

260402_蘭亭序.jpg


 この「蘭亭序」を書いたのは1974年のことです。先生のお宅で暑い日に、何時間もかかって書いたことを、今でも覚えています。墨を磨る時に、コーンスターチやショウガを入れたことは、かつてブログに書いたことがあります。しかし、そのサーバーがクラッシュしたために、今では読めないものとなっています。またいつか、メモなどをもとにして復元したいと思っています。

 そんなことがあったので、この書道の話題に親近感を持ちました。
 物語では、この書道教授の家が連れ込み宿の営業もしていたことへと展開します。そして、古書店の女の死。さらには、バーの女が殺されます。書道教授の家が、その殺人事件の舞台でした。

 読者には、すでに犯人はほぼわかっています。その事件の背景と殺人の経緯を推理することが、清張の作品を読む時の楽しみです。その意味でも、この話は次第にテンポが早くなり、読者を釘付けにする巧みな構成となっています。
 さらには、妻以外の3人の女性の描き分けも楽しめました。【5】


初出誌︰「週刊朝日」1969年12月〜1970年3月

底本︰『松本清張全集10』(文藝春秋社、1973.5.20)

※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)では、本作について次のように言っています。
「倒叙形式でありながら結末の意外性で読ませる本格推理の秀作。」(92頁)




posted by genjiito at 18:51| Comment(0) | □清張復読

2026年05月20日

相愛大学で鎌倉期『源氏物語』の原本調査

 現在、相愛大学の春曙文庫所蔵の『源氏物語』を、京都と宇治と東京の社会人講座で読んでいます。正確に言うと、本文を[変体仮名翻字版]に翻字して確認をしています。

 すべて断簡ながら、「帚木」「藤裏葉」「橋姫」「宿木」「浮舟」の5帖が、相愛大学に伝わっています。鎌倉時代の貴重で興味深い本文が、断簡ながら字母レベルで確認できるデータベース作成の一環として、手元の本文データ群に取り込むことにしたのです。

 より精度の高い本文データベースとなるように、原本も直接確認しています。
 今日は、相愛大学の図書館で、昨年3月の事前調査を踏まえた、2回目の調査としての熟覧を実施しました。

260520_図書館.jpg

 NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の理事でもあるTさんと、手分けしながら本文を丹念に確認しました。そして、まずは半分を終え、後は来週です。

 図書館長とは、今回の調査の目的やこれまでのシリーズの5冊目として刊行すること、さらには臨模本も作成することをお話ししました。快くご理解いただき、ご高配いただけることになりました。一安心です。

 今回私が見た中では、「橋姫」で6ヶ所を補正することができました。やはり、原本を見ないとわからないことがたくさんあります。

 1例をあげます。

 「橋姫」の9丁表7行目に、次のナゾリとミセケチと傍記があります。国文学研究資料館から公開されている当該箇所の画像を引きます。

260520_相愛「橋姫」9oL7个り全体.jpg

 ここには、「へ」と「个り」が重ね書きされています。ここでは、どちらの文字が上に書かれているかがわかると、どの字にどの字がナゾられているかがわかります。墨の重なり具合を見るのです。

 今日は顕微鏡を持参していたので、図書館の許可をいただいてこの箇所を撮影しました。
 すると、ご覧のように、縦と横の線が交差する箇所で、縦の線が上に、横の線が下に書かれていることがわかります。つまり、「へ」の上から「个り」が書かれていたことになるのです。

260520_相愛「橋姫」9oL7个り.jpg


 そして、上に書かれた「个り」をミセケチにして、その横に「个り」が書き添えてあります。

 精巧な機器を活用すると、墨の乗り具合や、削られた文字の下に書かれていた文字などがわかります。本文を調査する際には、有効な補助具となります。

 帰りは、住之江公園駅経由でなんばに出ました。あまりの懐かしさに、つい降りてしまいました。何年ぶりでしょうか。
 かつては、なんばや日本橋に自転車を置き、そこから高校へ通勤していました。1981年(昭和56年)頃のことです。このコンピュータの黎明期に私は、電気屋さんの店頭で、小中学生たちにプログラミングを教えてもらっていたのです。basicという言語が出る直前で、マシン語と言われていました。
 まだ、パソコンで漢字や平仮名が使えなかった時代です。半角カタカナと英数字を駆使して、『源氏物語』の本文データベースを作っていた時代です。秒進分歩と言われたあの頃は、情報をいかにして得るのかに腐心していたのです。そして、さまざまな可能性を夢見ていました。

 そんな懐かしい思い出があるなんばには、どうしても行きたかったお店があります。千日前にある551の蓬莱です。母は、なんば花月に行った帰りには、必ず551のアイスキャンディを買って来ました。子供たちも、母が帰ると玄関に飛んで行き、何はさておきアイスキャンディを手にして大喜びでした。

260520_551蓬莱.jpg

 京都の高島屋や伊勢丹にも551はあります。しかし、アイスキャンディは季節限定なのです。今年は猛暑が早く来そうなので、5月末には店頭に並ぶかもしれません。いや、もう並んでいるかもしれません。

 それが待ちきれずに、なんばを通ったことを幸いに、20本をいただいて来ました。いつもの豚まんやシュウマイはパスです。
 なんばからは、近鉄で大和西大寺駅経由で帰りました。




posted by genjiito at 21:17| Comment(0) | ■変体仮名

2026年05月19日

キャンパスプラザ京都で相愛大学本『源氏物語 藤裏葉(断簡)』を読む会(N0.4)のご案内

 昨日の京都新聞「まちかど」欄(京都市)に、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉が主催する、相愛大学蔵源氏物語「藤裏葉(断簡)」(春曙文庫)の本文を変体仮名で読む会の案内記事が掲載されました。

260519_相愛新聞告知.jpg

 会場は、キャンパスプラザ京都(京都市大学のまち交流センター)の6階にある第5講習室です。毎回部屋が違うのでお気をつけください。
 時間は、午後2時半から4時まで。
 資料は会場で配布するため、準備の都合上、本ブログのコメント欄を通して参加希望の旨をお知らせください。参加費は2,000円です。
 前回の勉強会の様子は、以下のブログで報告しています。

「キャンパスプラザ京都で相愛大学本『源氏物語 藤裏葉(断簡)』を読む(第3回)」
(2026年04月25日)

 一人でも多くの方が、日本の文化資産である変体仮名が読めるようになることを願って開催するものです。
 資料はすべて、当日の会場で配布します。
 会場は、京都駅から JR の高架沿いに西へ歩いて5分の所にあります。
 変体仮名は初めてだという方のご参加も大歓迎です。





posted by genjiito at 23:40| Comment(0) | ◎NPO活動

2026年05月18日

歩行分析AI測定に関する結果の報告(その2)

 今日の集会所では、毎月第3月曜日に開催のグリーンカフェがありました。
 そして、先月のAIによる歩行分析の2回目を受けました。
 先月のことは、以下の記事にまとめています。

「歩行分析AI測定に関する結果の報告」(2026年04月10日)

 今日の私の結果は、20点満点中の17点でした。前回は18点だったので、少し下がりました。
 AIからのコメントは、以下の通りです。

【今回の注目ポイント】
 ふらつきがない良い歩行です!
 美しい姿勢が保てています!

【総合コメント】
 今回の点数は17点と少し注意が必要な歩行状態です。
 屋外を歩く際には転倒に注意しましょう。
 体調に合わせて、環境調整や見守りが必要かなど検討しながら無理のない範囲で訓練を継続していきましょう。

 今回は歩く時に、前回が歩くスピードが5.8秒で、遅いとのAIからの指摘があったので、もう少し早く歩くようにしました。しかし、結果は5.6秒で、前回よりも少し早くなったとはいえ、ほとんど同じです。ということは、もっと早歩きをした方がいいということのようです。

260518_歩行スタイル.jpg


 歩行スタイルは、前回とまったく同じでした。

 今回の結果を見ていると、左右差(接地時間の差)で気付いたことがあります。それは、前回より成績をよくしようとの思いから早歩きを心がけ、しかも少し違和感のある右足を強く蹴るようにしたことが、右足の接地時間が微妙に短くなった原因のようです。脳梗塞以降、右足の血流が良くないために足が上がり難いのです。そのために右足を強く蹴って、早く歩こうとしました。
 前回が左50.8% 右49.2%だったのに対して、今回は左51.3% 右48.7%でした。
 これをさらに改善するためには、次は右足を蹴ることは今日のままで、違和感のない左足をもっと強く蹴ればいい、ということのようです。

 なお、妻は19点で、完璧に近い歩き方をしたようです。

260518_清子歩行.jpg


【今回の注目ポイント】
 ぶれない軸が素晴らしい!
 安心して見ていられます!

【総合コメント】
 今回の点数は19点とバランスの取れた歩行をしています!
 転倒に注意しながら無理のない範囲で活動量を増やしていきましょう。

 妻は、前回は17点だったので、飛躍的にいい歩き方をしていることになります。

 歩くことに関するこうした測定は、日々1万歩を目標にして歩いている我々にとっては、いい刺激になります。
 こうした結果を手にして、集まっておられる方々との話題の一つにもなりました。

 今日のグリーンカフェは参加者が33名とのことだったので、これまでで一番多かったのではないでしょうか。
 コーヒーや紅茶などの飲み物とお菓子を口にしながら、みなさん方が自由に語りあっておられます。
 日常の中にこうした時間と場所があることは、日々にメリハリがつき、心身の活性化につながります。

 地域住民の側に立った思いやりからスタートしたこの集まりは、行政の中からは決して生まれないものです。この集まりを起ち上げられた民生委員のNさんの、すばらしい功績です。今日は、市からの役職者も参加しておられました。Nさんが、机に座っていては見えないので、現場に足を運んできて実状を見るべきだ、との思いを伝えることで実現したようです。
 この活動が、地域にますます拡がっていくことを楽しみにしています。




posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | *健康雑記

2026年05月17日

江戸漫歩(187)越中島の旧宅探訪と東京天理ギャラリーで原典を実見

 今朝の青山は快晴です。今日も暑い1日となりそうです。
 明治神宮外苑前の銀杏並木は、スックリと天に向かって伸びています。

260517_イチョウ並木.jpg

 昨日、新宿で待ち合わせて押印してもらった書類を名古屋に送るために、すぐ近くの赤坂郵便局に持って行きました。
 目の前には、赤坂御用地の圧倒的な緑の森が広がっています。
 この中の仙洞御所には、2022年4月より上皇・上皇后両陛下が住んでおられます。2021年9月までは、天皇ご一家(天皇、皇后両陛下、愛子さま)が住んでおられ、旧赤坂御所(東宮御所)と言っていたところです。
 この赤坂御用地には、仙洞御所の他に秋篠宮邸があり、秋篠宮ご一家がお住まいです。
 ここから目と鼻の先にある息子のところで、昨夜は泊まりました。静かな一帯です。

 昨夜降りた地下鉄青山一丁目駅から、大江戸線でかつて私が住んでいた門前仲町駅までは、乗り換えなしの9駅で行けます。昨秋から訪れていなかったので、我々が住んでいたところにどんな建物ができているのか、見に行くことにしました。今日は、門前仲町駅の1つ手前の月島駅で降りて、隅田川まで歩きました。
 月島駅は、妻が利用していた駅です。私が癌の手術をしてから復職した時に、妻はそれまで勤めていた大阪の高校を定年直前で辞めて、東京の私が住む官舎に来ました。そして、新しく東京の高校への通勤に、この月島駅を使っていたのです。私は、隅田川を挟んだ1つ先の、門前仲町駅を使って立川まで通っていました。
 ここは、我々の思い出の地なのです。

 まずは、朝食ができる店を探していたら、よく行っていたスーパーマルエツの隣にコメダ珈琲店ができていました。ここは、かつては選書のセンスが良くて有名だった書店があったところです。京都一乗寺にある恵文社の小型版のお店でした。少しずつ街が新しくなっています。

260517_コメダ.jpg

 モーニングのセットを頼んだところ、サラダに付いて来たドレッシングの1つであるオリジナルのボトルには、底に5ミリほどしか入っていません。
 妻は、わざわざお店の人に言って取り替えてもらうのは気の毒だと言い、容器を振って下に集めようとしました。しかし、やはり量が足りません。お店の方に言って、新しいものを持って来てもらいました。恐縮しておられました。

260517_ドレッシング.jpg

 ほとんど空のドレッシングを、確認を怠って持って来られたのでした。あまり外食をしないこともあり、よくあることか、滅多にないことなのか、初めての体験をしました。

 月島側から隅田川越しに、かつて住んでいた東京医科歯科大学の官舎を臨みました。

260517_工事中の元官舎.jpg


 工事は順調で、建物の外郭はできたようです。
 右に重要文化財の帆船の明治丸と豊洲方面を、左にスカイツリーを望む角度で、かつての住まいのあった場所の写真を撮りました。

260517_パノラマ.jpg

 官舎があった場所の工事の進捗状況は、昨春より昨秋にかけて、なんどか紹介しました。
 そして今の工事の状況は、こんな感じです。歩道橋から写した写真をアップします。
 私が入っていた部屋は、矢印を付けたあたりでした。

260517_官舎工事状況.jpg


 この部屋が、ちょうど壊されていた時の写真を偶然撮影していました。
 以下の記事の後半で、この状況を次のように書いています。

 この建物の初期に住んでおられた恩師伊井春樹先生の2階東端の部屋と、後期に私が住んだ同じ2階の3軒隣の部屋との、ちょうどその間を、パワーショベルが2階までを崩し出したところでした。何というタイミングでしょう。その前の花壇には、妻が精根込めて植え育てた草花が、まだ元気に残っています。

「江戸漫歩(168)門前仲町を散策し隅田川で一休み」(2024年06月16日)"http://genjiito.sblo.jp/article/190941354.html"

 この一角の名前は「プラウドシティ門前仲町」になったようです。分譲戸数620戸、非分譲47戸、賃貸(シニア住宅)113戸、となっていました。

 向かいの海洋大学で、昨日と今日は大学祭を開催していました。ここに住んでいた頃には、ちょうど部屋の真ん前が正門だったので、大きなイベントの時には行ったものです。
 今回も、教員でもあるさかな君がマスコットキャラクターでした。

 地下鉄門前仲町駅から東西線で大手町駅まで出ました。大手町から延々と構内を歩き、東京天理ギャラリーへ行きました。『古今和歌集』と『伊勢物語』の展覧会が今日からはじまっている、という情報が入って来たので、急遽行くことにしたのです。

260517_天理ギャラリー.jpg

 貴重な写本類のオンパレードで、充実した内容です。
 今回は、カタカナで書かれた写本から、多くのことを学ぶことができました。
 重要美術品である古今和歌集の片仮名本(鎌倉初期写)、定家自筆の古今名所(鎌倉初期写)、伊勢物語の古本(伝慈鎮筆、鎌倉中期写)などには、時間をかけて拝見しました。
 妻は私の変体仮名講座に参加している内に、くずし字を読む腕をあげたようで、定家自筆の古今名所などは、開いてある丁の文字はほとんどを読めていました。このことで、相当自信をつけたようです。原典を見ることは、古写本の文字を読む力をつけるのに最適の機会となります。いいものを拝見し、啓発されることの多い観覧となりました。




posted by genjiito at 20:43| Comment(0) | ・江戸漫歩

2026年05月16日

日比谷で「宿木」(2)と『百人一首』(13)を読む

 今回も、東京駅に着くとすぐに1駅戻り、有楽町駅で降りました。そして、マロニエゲート銀座の上にある回転寿司のくら寿司へ、お昼ご飯のために直行しました。とにかく、清潔感溢れるお店なので、ゆったりと食事ができました。

 日比谷図書文化館の入口には、いつものように案内が掲示されています。

260516_掲示板.jpg

 講座の最初は、「相愛大学本『源氏物語 宿木』の変体仮名を読む」の2回目です。
 内容は、次の3項目を用意しました。

(1)普通選挙(昭和4年)のポスター(京都新聞、2026.05.12)
(2)お店の看板(伏見区桃山御陵前)「うな希」と「う我弥」
(3)相愛大学本「宿木(断簡)」(今回:第1丁表〜第2丁表まで)

 「宿木」の翻字を始める前に、[変体仮名翻字版]の凡例で新たに作った方針の説明をしました。

※字母である漢字に近い文字の翻字には付加情報〈*〉を付す。

※判断に迷う字は以下のようにする。
 奈/奈〈*〉 (〈*〉を付けて判断に迷う文字(「な」or「奈」)の字母を再確認できるようにする。)

260514_2種類の多.png

 例 相愛「帚木」10丁裏8行目

260514_「帚木」10uL8な奈.jpg

 ※判読を併記する場合
  なりたり/た〈*、判読〉(相愛「橋姫」14丁表5行目)

260514_相愛「橋姫」14uL5なりたり.jpg


 今回、凡例を追補することで、一連の[変体仮名翻字版]の凡例の点検が終わったことにします。近日中に、これまでの凡例を総整理して公開したいと思います。

 今日の翻字の確認は、次の通りです。

--------------------------------------[GBS_497682]
三ち越・ふ三わ遣ける・あとも・みえぬを・三
い堂して・と三尓も・え・いて・【給】八す・いと・け志
幾・ある・み【山木】尓・やとり多る・川多乃・
いろそ・満堂・の古り多る・こ多尓なと・ひ
きとら勢・【給】て・【宮】へと・おほして・も多せ・
【給】・(2026/04/18ココマデ)
「やとりきと・おもひいて須八・【木】乃もとの・
 堂ひねも・い可に・さひし可ら満し」
と・ひとり・【給】越・きゝて/(ききて)・あまき三・
「あれ八つる・くちき乃・もと越・やとりきと/と〈丁末左〉、(1オ)
--------------------------------------
 おもひをき遣累・本との・可なしさ」/さ〈行末左〉・
あく満弖・ふる免き堂れと・ゆへなく
八/く〈行末左〉・あらぬをそ・いさゝ可/(いささ可)・なくさ免尓八・おほし
遣る・【宮】尓・も三ち・堂てまつれ八・おと古
三や・お八しましける・本となり遣里・三な三
乃【宮】よりと弖・な尓【心】も・那く・もて満い
里多る越・【女君】・れいの・むつ可しき・【事】
もそと・くるしう・おほ世と・とり可く
すへき・こと可八・【宮】・を可しき・川多可なと/と〈行末左〉・
堂ゝなら須/(堂堂なら須)・の【給】て・免しよせて・ナシ/±三・【給】/し&【給】・【御】【文】尓八/【文】〈次頁〉、(1ウ)
--------------------------------------
【日】ころ・な尓【事】可・お八しますらん・
【山】さとに・ものし・【侍】て・いとゝ/(いとと)・三ねの・あさき
里に/き〈行末左〉・満とひ・【侍】つる本と乃・【御】【物】可多りとも・
身つ可らなん・可し古の・しむてん・堂う
尓・なすへき・こと・あさり尓・いひつ遣・【侍】尓き/き〈行末左〉・
【御】ゆるし・【侍】て古そ八・本可に・うつす古とも/も〈行末左〉・
も乃し【給】・【侍】ら免・【弁】乃のあまに・さるへき・
おほ世【事】八・つ可八せなんとそ・あ累[260516_ココマデ]・よくも・
川れなく・【事】・【給】へる・ふ三可な・満ろ・あり
とそ・きゝ川【覧】と/(きき川【覧】と)・の【給】も・す古し八・け尓/(2オ)
--------------------------------------


 休憩時間には、新しく翻字を担当してくださっている方からの質問に答えました。
 早急に、新しい凡例を確定しなければなりません。

 次は、「『百人一首』を2種類の変体仮名で読む」です。
 本日は、次の項目を取り上げました。

(1)百人一首ツアー(京都新聞 2026.05.07)
(2)62番歌 清少納言の歌碑(泉涌寺)
  「京洛逍遥(555)洛陽三十三所(20)泉涌寺」
   (2019年05月19日、http://genjiito.sblo.jp/article/186017468.html
(3)小倉山荘の『百人一首』(その1)
(4)慈円が書写したとされる『源氏物語』の写本
 ◎東京国立博物館蔵「保坂本源氏物語」/「薄雲」「初音」「椎本」「早蕨」「蜻蛉」「手習」
 ◎ハーバード大学美術館蔵「須磨」「蜻蛉」
 ◎天理図書館蔵「藤袴」
(5)『変体仮名でよむ 百人一首』  89番歌 式子内親王 から 95番歌 前大僧正慈円 まで

 今日も、盛りだくさんの内容でした。
 2種類の『百人一首』に書かれた文字に拘って進めたので、脇道に逸れることも多く、さまざまな話題を提供することになりました。

 帰りには、新宿駅で書家の宮川さんと待ち合わせをして、相愛大学の『源氏物語』に関する書類を受け渡ししました。
 その後は息子の所へ行き、四方山話に花を咲かせました。




posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ■講座学習

2026年05月15日

Tさんの101歳の誕生日を祝う

今日の集会所では、大きなトランプを使って神経衰弱をしました。
 テーブル一面に拡げてトランプを捲っていくので、広い視野で確認することになり覚えるのが大変です。確かあそこにあった、と思っても、範囲が広いので特定が難しいのです
 それでも、ヒントを出しながら楽しく遊びました。

260515_トランプ.jpg

 終わってからお菓子とコーヒーを飲んでいる時に、主宰者のNさんから、明日がTさんの101歳の誕生日なので、みんなでお祝いを、ということで、ハッピーバースディの歌をみんなで唄いました。そして、この集まりからということで、信楽で探して来られた湯呑み茶碗がプレゼントされました。

260515_101歳の茶碗.jpg

 誕生日を迎えての想いを聞かれたTさんは、「みなさんと一緒の、今が一番幸せです。」という挨拶をなさいました。長い人生で今が一番だとおっしゃるのは、ご一緒している我々にとっても元気をいただく言葉です。家にいると笑うことがないのに、ここに来ると大きな声で話をし、笑顔や笑い声に囲まれるので楽しい時間だ、とのことでした。

 来年は、白髪のNさんが白寿を迎えられます。
 とにかく元気な方々の集まりなので、参加しているだけで寿命が延びます。
 私など、まだまだ若いと言われているので、身体の不調などを言える雰囲気ではありません。
 これからも、多くの高齢者から元気をもらって過ごそうと、気持ちを新たにしました。

 終わってからは、明日から東京行きなので今日の内にすべきことが山積していて大忙しでした。銀行、郵便局、図書館、緑の窓口、床屋さん、ワークマン女子、などへ行き、最後は温泉に入るために伏見の力の湯に行きました。




posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | *福祉介護

2026年05月14日

今日も病院の対応に不快感を抱く

 昨日は、妻が私の京大病院通いに付き添ってくれました。そして今日は、私が妻の宇治徳洲会病院での治療に付き添いました。

 送迎バスで病院に着くやいなや、入口で総合受付をします。次に2階で血圧と体重と体温と血中酸素濃度を測ってから、診療科の受付を済ませ、診察室の前に移動です。行くが早いか、電光石火のごとくに担当医から妻の名前が呼ばれ、早速診察が始まりました。今日は快調に進んでいます。

 担当医による診察は、今日のレカネマブ(レケンビ)の点滴治療に対する体調や最近の様子に変わったことがないかの確認です。至って元気であることを伝えると、下の観察室で点滴を受けるようにという指示が出ました。
 短時間の確認で済むことなので、最近はいつも担当医の判断で診察の隙間に入れてもらえます。待ち時間が少ないように配慮してくださっています。担当医は京大病院とのつながりがあり、京大病院から依頼されたアミロイドβをなくす点滴治療なので、いい流れができています。ありがたいことです。

 観察室に行くと、いつもと大違いですぐに名前を呼ばれたので、妻は点滴のためのベッドに横たわることになりました。これまでで最短時間でベッドに辿り着きました。しかし、好事魔多しの言葉が実感されるほど、なかなか点滴が始まりません。
 看護師さんからは、「用意しているから待っててね。」と言われて1時間10分。やっと点滴がベッドサイドに運ばれてきました。

 京大病院へ薬を受け取りに行っておられたのか、とか、院内で薬の置き場が分からなかったのか、とにかく妻はベッドの上でひたすら待たされました。こんなことは初めてです。
 用意に1時間かかるのであれば、用意ができてからベッドに案内してもらいたいものです。狭くて硬いベッドに横たわって1時間以上も待つよりは、待合のソファーで待つ方が精神衛生上もずっといいのですから。

 点滴が用意されるのを待っている間に、向かいのベッドの患者さんが激痛を我慢する、聞きたくない呻き声が聞こえ出しました。そうかと思うと浣腸が始まり、しばらくすると強烈な悪臭が観察室に充満しました。ベッドに拘束されて待たされている妻は逃げようがないとしても、付き添いの私は、この悪臭に満ちた部屋に監禁されている必要はありません。這々の体で、観察室の外にある待合のソファーに移動しました。

 ほとぼりが覚めた頃に、点滴が始まったかどうかが気になったので、妻のベッドに行きました。点滴の用意はまだで、妻はボーッと天井を見ていました。部屋の中に満ちていた悪臭はかすかに残るだけでした。ただし、空になった向かいのベッドの上には、汚物を包んだ紙おむつのようなバレーボール大のものが放置されていました。いくら忙しいとはいえ、こうしたものは早急に片付けてもらいたいものです。妻は顔を背け、現場を見ないようにして、目をパチパチさせていました。
 劣悪な環境に、無為に放ったらかしにされていたのです。これは人権問題ではないか、と言いたい状況です。しかし、言いたい看護師さんの姿は、あたりには皆目見当たりません。とにかく、看護師さんがおられないのです。

 妻が、外来の方々が行き来しておられるのが見えるので、横のドアを閉めてほしいと言います。しかし、看護師さんはこのドアを使って出入りしておられ、両手が塞がった状態での出入りが楽なので、このドアは開けっぱなしです。この観察室が1階の入口近くにあるので、道端に寝かされているような状況に置かれています。ここはあくまでも病状を診る観察室であり、妻のように1時間以上をかけて高度医療を受ける部屋ではありません。言ってはいけないとは思いつつも、京大病院での半年間は、隔離された安静の状態で点滴を受けられる部屋でした。残りの1年間を、外部の病院で治療を続けるという約束があったために、この病院にしました。その判断を、今は悔いています。
 とにかく、この病院は看護師さんが少なすぎるので、窮状を伝えることもできません。

 身動きの取れないベッドの上で1時間10分も待たされた妻は、やっと点滴が受けられるようになりました。この高額治療の予約は、京大病院から引き継がれた半年前に組まれたスケジュールによるものです。今日も、病院から指示された日時に来ています。救急の治療ではありません。これから1時間の点滴と30分の安静が、このベッドの上で始まります。
 看護師さんが注射針を刺される時に、付添人は外で待つようにと言われるので、私はまた待合のソファーに移動しました。

 観察室の外では、私よりも相当年上の白髪のお爺さんが、まだかまだかと看護師さんに詰め寄っておられます。看護師さんは、薬が届くまで待ってください、とおっしゃっています。この方は、我々よりも前から、まだかまだかとおっしゃっていました。一時間半は待たせれています。結局は我々の点滴が終わってから観察室に入られたので、2時間半以上は待たされたことになります。お一人でお出ででした。このお歳で、さらには体調を崩してまでも待ち続けられたことに、これでいいのか、との思いを強く持ちました。
 待っている間に体調も悪くなったようで、何とかしてくれと苦境を訴えておられました。看護師さんは、薬が届いたらお知らせするので、横になれるところを用意しましょうか、とおっしゃっても、お爺さんはフラフラと別の待合エリアに行かれました。そうとう頭に来ておられるようです。

 この方も我々同様に、なかなか薬が用意してもらえないので、延々と待たされていたのです。もう帰る、とも、せっかく来たのでもう少し待とうか、と投げやりに看護師さんと問答をしておられました。

 実は、他にも2組の方が治療の用意ができるのを待っておられました。薬が届いていない、などのトラブルがあったのでしょうか。それとも、薬の保管庫に問題があったのでしょうか。いずれも、患者さんは不満たらたらでした。
 待合室は、いつも以上に殺気立っていました。

 日本の医療現場の一端を見た思いです。ますます高齢化社会が拡大します。病院[を]どうするか、というよりも、病院[は]どうするのかを検討するためにも、まずは治療の実態の把握から始めなければならないと思います。
 今日ここに記したことは、患者の家族である私がたまたま見知ったことのメモです。病院が主体となって、診療の実状について、本格的な調査をすべきだと思います。




posted by genjiito at 21:01| Comment(0) | *健康雑記

2026年05月13日

京洛逍遥(978)京大病院の前のお漬物屋さん

 如意ヶ岳の大文字は初夏の雰囲気になっています。

260513_大文字.jpg

 今日は、京大病院の消化器内科の予約を変更したことにより、当日の受付となりました。今週月曜日の予約を変更すると、次は8月になるとのことでした。とにかく、予約を入れるのが大変です。そのため、朝早くから出かけて当日の順番待ちをすることになります。診察は午後になる、と告げられていました。診察が回ってきたのは、午後2時頃でした。
 時間がたっぷりあったので、妻共々、読書エリアの「ほっこり」で読書三昧です。

 お昼は、すぐそばの賀茂川畔へ出かけ、ベンチで軽食にしました。コンビニで買ったものを、鷺や鴨を見ながらいただくのです。

260513_鷺.jpg

 トンビが上空から食べ物を狙っているので、防御しながらの食事タイムです。しかし、暑さが尋常ではなく、しつこく蚊もやってきます。これは大変とばかりに早々に引き上げ、病院内で自由に食事ができる小奇麗な休憩室に移動しました。

 やっと巡ってきた診察は、初めての先生でした。ただし、これまでの記録がカルテに詳細に記されているので、何も問題なく問診は進みます。
 そして、先月末に受けた膵臓のMRIの検査結果を聞くことになりました。膵臓に水が溜まったために膨れている問題です。
 膵臓に大きな嚢胞があり、これまでに何度も腹部超音波検査などを受けています。今回は、その膵臓嚢胞が肥大してガン化する心配があるため、MRIで確認をしてくださったのです。昨年10月の検査からは特に変化はないそうです。また半年後に腹部超音波検査をすることになりました。一先ず安堵です。私は、まだまだ長生きできそうです。

 帰りに、いつも気になっていたお漬物屋さんに思い切って入りました。少し敷き居が高いお店だったので、何年も入らなかったのです。「聖護院本舗」という看板が懸かっていて、 iPS 細胞研究所の真南の場所にあります。

260513_漬け物屋.jpg

 赤かぶらを見ていたら、ご主人が説明をしてくださいました。お漬け物のお刺し身だそうです。
 水茄子は泉州産をつけ込んだものだとのことで、美味しそうだったのでいただきました。すぐ後に来られた男性は、残り2つの水茄子をまずはサッと手にし、次に奈良漬としば漬を買っていかれました。買うものは決まっているようです。常連さんだとのことでした。なお、水茄子は4月から10月まで並べているそうです。

 しば漬は茄子が本来のものであり、今は胡瓜が主になっているとのことだったので、食べ比べのためにも両方をいただきました。このしば漬は、安徳天皇が亡くなった後に建礼門院が大原の地にお越しになった時、地元の方からいただいた漬物が今に伝わっている、という逸話も伺いました。また、「しば漬」と表記し、「しば漬け」と「け」は送らないのが本来の表示だそうです。京都だな、と思ってご主人とお話をしました。
 お店の奥には、漬け物樽がたくさん並んでいます。いつかまた、この奥を案内していただきましょう。

 帰ってから、すぐに水茄子をいただきました。食べ方を書いた紙をいただいていたので、その通りに洗ってヘタを取り、包丁で少し切れ目を入れた後は手で割きました。包丁を使って切ると美味しくなくなる、と書いてあったからです。
 香りといい歯触りといい、なかなかです。上品な味が舌に残る水茄子でした。ごちそうさまでした。




posted by genjiito at 23:26| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2026年05月12日

重度の障害者のためのボッチャを健常者が楽しむ工夫はないものか

 今日は集会所でボッチャを楽しみました。

 ボッチャは、重度の脳性麻痺もしくは重度の四肢機能障害者のために考案されたスポーツです。
 そのため、高齢者とはいえ健常者が集まった時に行なうゲームとしては、さらなる工夫が必要だと思うようになりました。
 ボッチャは、パラリンピックだけで実施される競技であり、健常者向けのオリンピック種目にはない「パラリンピック特有種目」です。私が抱いた今日の違和感は、ここに原因がありそうです。

 以下では、何か解決策としてのアイデアを提案するまでには至っていません。とにかく、今日私が感じたことをそのまま書くことで、対処策が見つかればいいと思っています。

 ボッチャでは、まず白いボール1個を床に優しく投げて置きます。これをジャックボールと言います。その近くに、赤と青のボールを交互に投げて寄せる、という簡単なルールのゲームです。一番近いところにあるボールの色のチームが勝ちとなります。

 みなさん、ここでこれまでに何度もやったゲームなので、ボールを投げる要領はもうわかっています。相手のボールを押し除ける方法も、基準となる白いボールを動かして自分の色のボールに近づけるテクニックも使えます。後は正確にコースを考えて投げる、というコントロールが勝負です。そして、今日も大いに盛り上がりました。

 楽しみ方がわかったということは、このゲームに対するレベルが上がってきたということです。すると、意外性がなくなり、おもしろさが半減しがちになります。
 しかし、そこは各自が思うようにはボールが投げられない、ということで、「アーァ、残念️」ということになります。おもしろいゲームです。しかし、そのおもしろさに何か足りないと、私は今日思うようになったのです。

 パラリンピックの正式種目にもなっているので、参加する人たちのレベルに合わせて、さまざまな楽しみ方があることでしょう。さらに奥の深いゲームにするためには、健常者向けの仕掛けや、新たなルールが必要だと思われます。
 ここで健常者向けと言ったのは、今日の火曜日の集会所での集まりは、宇治市社会福祉協議会が主体となり、高齢者向けの介護予防事業として「B型リハビリ教室」という名称で実施されているものだからです。参加の条件としては、市内在住で65歳以上で自力で会場まで来られ、さらには介護保険の要支援・要介護認定を受けていない方が対象者となっているのです。つまり、障害のある方はこの集まりには来られない、というのが開催の原則となっています。そのために、ここでこのゲームをするためには、障害のない方のためのやり方が必要だ、ということになるのです。

 さまざまな状況に対処できて、楽しむことをよく知っているメンバーが集うこの集会所でのゲームです。今のままでは、しだいに刺激が乏しくなってきます。しばらくは、この調子で楽しめるでしょう。しかし、そろそろ、さらに健常者向けのやり方やルールに移行していく時期ではないでしょうか。その意味では、ボッチャをより多くの方が楽しめるように、という贅沢な段階かもしれません。

 パラリンピックでは補助具などを使うことがあります。しかし、健常者の場合は、ボールしか使いません。他のゲームのように、ネットもポールもラケットもない、実にシンプルなゲームです。
 それだけに、健常者がさらに楽しくゲームをするためには、もう少し工夫が必要だと思うようになりました。




posted by genjiito at 22:01| Comment(0) | *福祉介護

2026年05月11日

古都散策(81)西大寺でお茶のお稽古の後は称徳天皇高野陵へ

 自宅近くの駅へ向かって歩いていた時、集会所でのボランティア仲間である方とすれ違いました。お花が大好きな方なので、妻と話題が合う方です。
 日常生活の中で戸外で知り合いと出会い、しかも立ち話ができるということは、非常に恵まれた環境だと思っています。そして、このことは日々が楽しくなることです。

 いつものように西大寺駅前の奈良ファミリーで軽い食事をしてから、その上にあるお稽古の会場である近鉄文化サロン奈良に行きました。

 30分前には入るので、まずはお稽古の準備のお手伝いからです。ただし、みなさんは手慣れたものでサッサさっさとなさるので、邪魔にならないようにしています。

 今月は、炉から風呂に変わります。かつて教わっていた、丸卓を使ったお手前をしました。
 勝手がわからなくなっていたので、一々先生から指示を仰ぐという情ないことです。しかし、いろいろと思い出しました。総荘り(そうかざり)で終わるので、棗と茶碗を同時に天板(長板)に持ち上げます。これが気持ちよくて、大好きな終わり方です。
 とにかく気長に繰り返すことで、私らしいお手前ができるようになりたいものです。

 妻は、テーブルの上で行なう盆略手前でした。緊張する、と言いながら、相変わらずぎこちない手つきです。しかし、少しずつ慣れてきているのがわかります。帛紗捌きも何とかできています。おもしろいおもしろいと言って、嬉々として取り組んでいます。新しい楽しみを見つけたようです。

 帰りに、奈良ファミリーのすぐ北にある、称徳天皇陵へ行きました。聖武天皇のお子さんで第46代孝謙天皇となり、さらに重祚して第48代称徳天皇となった方です。弓削道鏡と関係がある女性天皇、ということで知る人は多いことでしょう。
 近くは新興住宅地で、この天皇陵は畑に囲まれた前方後円墳です。

260511_称徳天皇陵.jpg

260511_称徳天皇高野陵.jpg


 このすぐ北には成務天皇陵があります。そこへは、この次に行くことにします。
 とにかく周辺には天皇陵や古墳が多いので、古代史の散策を楽しむにはいい所です。




posted by genjiito at 21:13| Comment(0) | ・古都散策

2026年05月10日

京洛逍遥(977)大手筋を散策中にドコモに騙されかかったこと

 先日、「京洛逍遥(975)龍馬とお龍像と寺田屋の表札」(2026年05月05日)"http://genjiito.sblo.jp/article/191695466.html"という記事をアップしました。その時の宇治川派流の新緑がみごとだったので、今日もブラリと散策しベンチで軽食を食べながら木漏れ日の中に身を置きました。桜並木よりも、この新緑の頃が元気になります。

260510_木漏れ日.jpg

 時折、酒蔵沿いの派流を観光客を載せた十石船が通り過ぎます。

260510_十石船.jpg

 先日も紹介した「龍馬とお龍、愛の旅路」像の前で、小舟と徳利を透かし彫りにした船泊まりの木造に気付きました。手前の板には細工がしてあり、左向こうの新しいものの板には細工がありません。新しい物には手間を惜しまれたようです。

260510_船泊まり.jpg

 その川向こうに行くために京橋を渡ると、橋の袂に「伏見口の戦い激戦地跡」と刻んだ石柱が建っています。幕末の鳥羽伏見の戦いを思い出しました。もっとも、慶喜が慶応3年に大政奉還を上表した、という心もとない記憶が蘇っただけですが。

260510_伏見の激戦地跡.jpg

 そのまま真っ直ぐに北に向かうと、珍しい看板に出会いました。太秦の映画村かと見紛う、時代劇の下支えをする場所です。

260510_時代劇.jpg


 しばらく歩くと、西岸寺(油掛地蔵)に芭蕉塚がありました。

260510_芭蕉句碑.jpg

 【我衣】に婦し美能
     【桃】農志徒くせ与

 大手筋の商店街に入るところで、読み方に悩むウナギ屋さんがありました。

260510_ウナギ屋.jpg


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 「うな希" 希々花」を「うなぎ ののは」と読むようで、ご丁寧に読み仮名が振られています。
 お店の前でこの表示をしばらく眺めていたら、ご主人が寄ってこられたので少しお話を聴きました。「希」は創業者の名前に「希」があったので取り入れたとのこと。変体仮名では、「希」は「き」ではなくて「け」のグループに入ります。つまり、「うなげ」と読むことになり、これを「うなぎ」と読むのはどうでしょうか。もちろん、ご主人にそんなことは言いません。
 もっとも若者の人名はとても読めそうもない漢字で表記されているものもあるので、この辺りは許容範囲といえばそうでしょう。しかし、日本の伝統的な文字の文化に照らすと無理があり、こじつけと言うしかありません。さらには、「希々花」を「ののは」と読むことになると、もうお手上げです。おもしろい例なので、紹介しておきます。

 なお、このお店の近くには、こんな看板を出している店もあります。

230423_う我弥.jpg

 このお店の名前については、「中之島図書館での新古典塾の報告-第2回」(2023年05月13日)という記事の中で、次のようにコメントをつけました。

「う越弥」と「う我弥」と記された仮名文字の看板です。おそらく「我」は、「越」の字形がわからないままにあてずっぽうで書かれたものかと思われます。さらに言えば、「お→を」「O→WO」とすればもっといいと思います。余計なお世話でしょうが。

 日本語の表記が混乱している例として、これも今回の参考になると思い、ここに再度紹介しておきます。

 大手筋通りで、au ショップに立ち寄りました。これは、過日「「うまい棒」を1本もらったばかりに携帯キャリアを替える」(2026年04月26日)"http://genjiito.sblo.jp/article/191689187.html"という記事に書いたことに関して、契約のためにはどうしても加入しなくてはならないオプションがあり、それを無料の1ヶ月以内に取りやめる手続があったからです。しかし、対応に時間がかかりそうなので次の機会にと思って店を出たところ、後ろから声がかかりました。料金担当が専門なので、私が手続をします、ということです。そして、首からぶら下がっていたカードを見せて、ドコモの者だが au もやっているとのことで、商店街の中では au の真ん前のドコモの店に連れて行かれました。途中で、これはおかしいと思いました。しかし、ことの成り行きがどうなるのか、ということに興味があったので付いていきました。

 入ったのは、au の真向かいにあるドコモのお店です。ソファーのイスに座ると、私の携帯の中を見て、5ギガのオプションがもっと安くなると言って、頻りとデータ残量を調べておられます。この辺りで、この方の手口がわかりました。そこで、なぜドコモのあなたが au の設定を変更できるのかと聞くと、意味不明の回答でした。私と妻が年寄りなので、ギガの話をすれば騙せると思われたのでしょう。
 そして、私のオプションのチェックを外しにかかられたので、途中でその方の手の中にあった私のスマホを取り上げました。そこまでですよ、と言い、そんなことをするのはおかしいでしょう、と言うと、何も言わずに諦めたそぶりで視線を外されました。
 近くにおられたドコモの社員の方に、店内でこんなことをするのは酷いではないか、と抗議をしようかと思いました。しかし、この方も何とか au のユーザーでも騙して実績にしたそうなので、それ以上は責めませんでした。

 ドコモは、こうした業者を店頭に置き、向かい同志のお店の客を取るという戦術に目を瞑っておられるようです。「貧すれば鈍する」と言います。行き詰まると愚かなことをする、という見本のようなものです。私は早い段階で見抜けたので、被害は時間を奪われたことだけです。

 ドコモのお店を出ると、すぐに向かいの au へ行き、店員の方に今遇ったばかりのことを伝えました。すると店の外を見て、あの人とは何度も喧嘩をしている、とのことでした。au での話によると、私の場合は1月前にドコモから au に乗り換えた客なので、またドコモに変更させて、さらにはまた au に変更させ、この移行の間の手数料を稼ぐのでしょう、ということをおっしゃっていたように思います。そのために、私の携帯の設定を書き換えようとされたと思われます。最初から不信感を抱いていたので、すぐに私の設定を勝手に変更される直前で、その不当なことはやめてもらいました。携帯電話の仕組みのことがよくわからない高齢者などは、まんまと騙されることでしょう。

 こうしたことが、ドコモの店内で、しかも正社員の目の届く場所で堂々となされたことに対して、ドコモのモラルを疑いました。日常茶飯事の不当行為には、慣れっこで無自覚、無感覚になっておられるのでしょうか。
 ここは、近鉄桃山御陵前駅と京阪伏見桃山駅の前を東西に走る、賑やかな大手筋商店街の中です。対立する携帯業者の、いやらしい実態を体験として実見することとなりました。

 帰ろうとすると、お祭りの行列に出会いました。金札宮の春季大祭で「神幸祭」というものです。お神輿が練り歩き、大手筋商店街は大賑わいでした。

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 子どもたちが引くお神輿は、大人以上に盛り上がった行列でした。この地域の結束が、今日の活気となって伝わってきました。歴史の重みがある場所なので、この地域はますます発展していくことでしょう。こちらも元気づけられるお祭りを観ることができました。




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posted by genjiito at 23:29| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2026年05月09日

NPO法人の理事会と総会をキャンパスプラザ京都で開催

 NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の理事会と総会を、キャンパスプラザ京都(京都市大学のまち交流センター)の6階第2講習室で開催しました。今年で第14回になります。

260509_会場.jpg


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〈理事会の審議事項〉は以下の通りです。
 (1)活動計算書予算書に計上している講師謝金について
 (2)役員改選

〈総会の審議事項〉は以下の通りです。
1 第一号議案:令和7(2025)年度の事業報告
  【別紙1】『源氏物語』変体仮名翻字データ一覧
 「百年プロジェクト『源氏物語』の[変体仮名翻字版]のデータベース構築を敢行中」
 (「たつみのいほりより」2026年4月11日)
2 第二号議案:令和7(2025)年度の活動決算報告と会計監査報告承認の件
  【別紙2】令和7(2025)年度 活動計算書
  【別紙3】令和7(2025)年度 財産目録
  【別紙4】令和7(2025)年度 貸借対照表

3 第三号議案:令和8(2026)年度事業計画案の件
4 第四号議案:令和8(2026)年度活動予算承認の件 
  【別紙5】令和8(2026)年度活動予算書を参照のこと。
5 第五号議案:その他運営に関する重要事項の決定
 (1)活動計算書予算書に計上している講師謝金について
 (2)役員改選
☆連絡事項☆
  年会費の振込についての確認

 なお、上記の内容以外での話題として、今秋の平安文学散策は、三重県にある斎宮歴史博物館とその周辺を検討しました。
 また、本年9月に予定されている、鳥取県日野郡日南町で開催される池田亀鑑賞に関するイベントに、これまで通りNPO法人〈源氏物語電子資料館〉が後援し、会員を派遣することも相談しました。
 これらの詳しいことは、本ブログで後日報告します。

 無事に終了してからは、近くのホテルの中にあるバイカルカフェで、「百年プロジェクト」など懸案の相談をしました。
 特に、[変体仮名翻字版]の凡例については、方針と内容に関して重要な確認ができました。これも、後日の報告とします。

 こうした話し合いをこのカフェで2時間タップリとしたので、理事会・総会と併せて4時間もNPO活動などの確認や検討をしたことになります。今後のNPO活動にとって、意義深い日となりました。特に名古屋からの淺川さんには、超多忙の中を遠路はるばる参加してもらったこと以上に、今回の理事会と総会の資料をこれまで同様にすべて作ってもらい、さらには各項目の詳細な説明もお願いしました。ありがとうございました。そして、お疲れさまでした。




posted by genjiito at 22:40| Comment(0) | ◎NPO活動

2026年05月08日

京洛逍遥(976)病院から賀茂川を歩き集会所で紙飛行機を飛ばす

 今日の大文字は初夏の姿を見せていました。

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 院内学級の子供たちの畑は、賑やかだった先月からガラリと変わり、きれいに整地されていました。それでも、真っ赤なイチゴがいくつか実っています。

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 私の糖尿病・内分泌・栄養内科の診察では、特にこれまでと変わりはないので、また経過観察となりました。最近は診察日の変更を何回かしている関係もあり、今回はヘモグロビン A1cの検査が漏れていたそうです。しかし、尿糖の数値が130とこれまでと変わらないので、特に問題はないとのことでした。

 帰りに、いつものように山中先生の iPS細胞研究所の前の花壇を見に行きました。今日も鮮やかな色彩の花が咲いています。

260508_iPSの花.jpg

 賀茂川の河原に出て、ベンチで休憩しました。この散策路に来ると、下鴨にいた頃に毎日のように歩いたことを思い出しては、妻とかつてのエピソードを語ることになります。今の宇治川は散策路がなく、穏やかな雰囲気がまったくない急流なので、賀茂川にはより一層の懐かしさが感じられます。

 目の前で、我々と一緒に休憩していた鷺が、こちらが立ち上がると同時に飛び立ちました。

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 川縁を三条まで歩き、かつてはしばしば行った寿司のむさしに、本当に久しぶりに入りました。我ら以外は、全員が海外からの観光客です。これは意外でした。

 最近は、回転寿司のくらに行くようになりました。デザートが豊富なことと、内装が白を基調とした清潔感があるからです。個室を思わせる白いカーテンも気に入っています。
 四条にあるスシローは、何となく色褪せてきたので行かなくなりました。この印象は、毎月行く東京の有楽町と銀座にあるスシローとくらにも当て嵌まります。どうやら、私はくら派になったようです。

 むさしには茶碗蒸しがなく、デザートはほぼアイスクリームに限られています。その意味では、純粋にお寿司を楽しめるということから、海外からのお客さんが多くなったのでしょう。

 集会所に行くために、大急ぎで帰りました。
 集会所が近くなると、大声で笑う声が建物の外にもこだましています。何をしているのだろうと中に入ると、紙飛行機を飛ばす遊びの最中でした。

 折り紙で紙飛行機を作り、自分が作った飛行機を飛ばして距離を競うという、簡単な遊びです。しかし、この単純さ故に盛り上がるのです。まさに、シンプル・イズ・ベストです。遅ればせながら大賑わいの中に加わり、一緒に紙飛行機を飛ばしました。60年ぶりではないでしょうか。




posted by genjiito at 23:24| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2026年05月07日

病院の付き添いで今日も感じた気になること

 今日も、妻が行く宇治徳洲会病院へ付き添いで行きました。
 そして、いつものように看護師さんの対応を見ていて、ドッと疲れを感じました。
 決して、いいかげんな対応をなさっているのではありません。
 忙しすぎて余裕がないために、一人ひとりの患者さんに目や手が行き届かないのです。
 具体的な事例は今は措くとして、患者側から見ると、とにかく病院側の対応がチグハグです。

 病院のシステムも、こうした現状を踏まえた対処ができていません。
 患者から見てもおかしいと思う程に、効率の悪い対処が目に付きます。
 きっと、内部でも問題になっているはずです。
 それが、抜本的な所にまで手が入っていないのです。
 患者目線で見ていると、一向に改善されていない、と見えるのです。

 施設は立派で、高性能の医療機器が導入されていることはわかります。
 それを使いこなす人と技術が、残念ながら追いついていないのでしょう。
 もったいないことです。

 高齢化社会に突入し、患者のみなさんが、思うように病院が求めることに対応できないのです。
 耳が遠い、目が見えにくい、足が不自由などなど、原因は多様です。。
 言葉による意思の疎通がはかれないために、対応がトンチンカンな時もあります。

 私に解決策があって、この文章を記しているのではありません。
 しかし、このままでいいはずはありません。
 この問題は、通院している患者の意見が、まずは1番に大切だと思います。
 そうしたヒアリングやアンケートなどがあってもいいのではないでしょうか。
 この宇治の地に越して来て4年が経ちました。
 医療に限定しても、問題点を吸い上げる方法を検討しておられるのでしょうか。
 問題点を列挙し、それぞれの対応策の検討をしようとする雰囲気は、周辺では見当たりません。
 いずれ自分に返ってくることなので、気になり出しました。




posted by genjiito at 22:17| Comment(0) | *健康雑記

2026年05月06日

HONBAKO京都宇治の開業1周年記念パーティ

 シェア型書店HONBAKO京都宇治さんがオープンして1年が経ちました。「本好きが集う場所」がコンセプトの本屋さんです。

 今日は店内で、1周年記念のお祝いのパーティーがありました。集まったのは箱主さん限定です。みなさん、ご自分の箱に思い思いの本を並べて楽しんでおられます。縦横30cm の箱が100個、ズラリと並んでいます。

 私は姉と共同で2つの箱を借りています。現在、1つには源氏物語の特集、もう1つは山本兼一・藤田宜永の特集を組んでいます。

 この場所に手持ちの本を並べ、またここで勉強会を開催するにあたっての経緯は、1年前の次の記事に詳しく書いています。

「宇治で古写本『源氏物語 橋姫』の変体仮名を読む会」を始めます」

 この本箱さんが順調な歩みを刻み、今月めでたく1周年を迎えることになったのです。
 今日は箱主だけが集う朝・昼・夕の3部制で、私は朝の部に参加しました。

260506_箱主.jpg


 これまで私が抱いていた本屋さんと本に対する意識が、この存在によって大きく変わりました。
 まず、本屋さんは新刊を並べて売るだけではないということであり、古本屋さんとも違います。
 我々一般の読者が本と出会う場所としては、これまでの本屋さんとはなんら違いはありません。
 しかしこの本箱に並ぶ本は、狭い空間ながら箱主さんが決めたものなので、常に流動的です。
 その変化が、訪れて様々な本を手にし、日頃は見かけない本との出会いが楽しみにもなります。
 本屋さんと本たちが仲立ちとなり、この空間に本仲間が集う会話のコミュニティが生まれます。
 さらには2階のシェアスペースで、テーマごとに自由なコミュニケーションの場が展開します。
 私は、毎月第1土曜日に、「相愛本『源氏物語 橋姫』の変体仮名を読む会」を開催しています。
 書籍は読んだり調べたりするだけではなく、多くの方々と会話を楽しむツールでもあるのです。

 参会者とお菓子や食事をし、お話をし、自己紹介をする中で、自分の中の本屋さんの位置づけが揺れ動いて来たことを実感しました。

 目の前にある蕎麦寿司に関して、少し書いておきます。

260506_蕎麦寿司.jpg


 今日、本箱さんの手前の角に立派な五葉松があり、妻と共に見ていると中からご主人が出てこられました。お話を聞くと、手の中に入る程の小さな松が、50年間でこんなに大きくなったとのことです。2年前に奥さんを亡くされ、蕎麦屋さんだった「若香庵」はお店を畳んだとのことです。今、すぐそばでパーティーがあるので、久しぶりに蕎麦寿司を作り届けてきたところだ、とのこと。そのパーティに私たちは行くことを伝えると、奇遇に喜んでおられました。

 盛会のうちにパーティが終わり、帰る時に、またご主人に会いました。蕎麦寿司が美味しかったことを伝え、記念写真を撮りました。

260506_松と店主.jpg


 電車での帰りは、JR新田駅で近鉄大久保駅に乗り換えます。その新田駅の改札の前に、推定樹齢が約200年で、「宇治市名木百選」に認定された巨大なイチョウが聳え立っています。

260506_大イチョウ.jpg

 高さ19m、幹の外周は2.6mの立派なイチョウです。秋は黄金色に輝きます。
 毎月この木の前を通っているのに、これまでに紹介していなかったので、五葉松の繋がりで写真をアップしました。




posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ◎情報社会

2026年05月05日

京洛逍遥(975)龍馬とお龍像と寺田屋の表札

 また、龍馬通りを経て、宇治川派流へ行きました。新緑の散策路のベンチでのんびりと食事をしていると、目の前を十石船が通り過ぎました。

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 すぐ近くに、「龍馬とお龍、愛の旅路」像があります。

260505_龍馬とお龍.jpg

 これまで紹介したのは正面のアングルばかりだったので、今日は後ろ姿を撮りました。

260505_後ろ姿.jpg


 この後ろ横から対岸に目をやると、カフェ越しに寺田屋の正面入口が見えます。

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 龍馬とお龍像の横の石碑に刻まれた説明文によると、お龍に命を救われた龍馬は、ここ寺田屋浜から三十石船に乗り、お龍と共に九州の霧島へと旅立った、とあります。まさにこの場所から、龍馬とお龍の愛の逃避行が始まったようです。

 寺田屋の正面に行くと、看板の右横の表札に粋な配慮がなされていました。龍馬が住んでいることになっているのです。

260505_寺田屋表札.jpg


 実は、いつでも来られることから、まだ寺田屋の中には入ったことがありません。いつか機会を得て、見学したいと思っています。




posted by genjiito at 21:20| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2026年05月04日

京洛逍遥(974)城南宮で源氏物語花の庭を散策後は伏見の湯へ

 近鉄と地下鉄の竹田駅を降りてから、城南宮へ行く途中にある近衛、鳥羽、白河の三天皇の御陵については、次の記事に詳しく書きました。

「京洛逍遥(900)三天皇陵を巡った後は伏見の温泉で足腰の温浴療法」

 そして、城南宮のことは、ちょうど3年前の今の季節に次の記事にまとめています。

「京洛逍遥(831)城南宮の「源氏物語 花の庭」」

 境内は何も変わっていません。
 神苑(楽水苑)に、お目当ての「源氏物語 花の庭」があります。

260504_花の庭の看板.jpg


 入ってすぐの「神苑(楽水苑)の見どころ」という掲示板には、次の説明文があります。

神苑の全域にわたり、椿・梅・桂・撫子・若菜・双葉葵・萩など、源氏物語出所の植物(扇面陶板に、谷崎源氏訳文節引用と、学術解説を付す)百種を植栽し、吾国唯一の源氏物語花の庭≠ノなっている。

 これは、わざわざ谷崎潤一郎の訳文を無理やり提示するよりも、どんな場面にその花が出て来るのかを、読んでもらえるように簡潔に説明した方がいいと思いました。また、説明文が難解です。この文章には、見学者にわかってもらおうという気持ちが伝わってきません。

 1例をあげます。「帚木」の銘板は次のものでした。

260504_銘板「帚木」.jpg


 ここで、冒頭の植物名は「ホウキギ」だけでなく「ハハキギ」をメインとして併記した方が、『源氏物語』に直結します。そして、光源氏が読んだ和歌の意味を簡単に記しておくと、「帚木」がどんな植物かがわかります。『万葉集』云々の一文は、知識をひけらかしているだけなので不要でしょう。光源氏の相手が空蝉であることは必須です。そうでないと、近付くと見えなくなる「帚木」に空蝉が例えられていることが伝わりません。見て回る人への配慮が見られない説明文です。

 こうした調子の説明文が苑内に多いことは、非常に残念なことです。

 なお、入口でいただいたパンフレットには、『源氏物語』の各巻に出て来る草花など43種類が具体的でよくわかり、親切な手引きとなります。植物名と巻名の明示は、見て回りながら想像力を刺激します。この次は、夏に来ようとか、秋にしよう、と思うはずです。

 以下に、パンフレットのこの部分を画像として引きます。
 画像をクリックすると精細表示となり、文字が読みやすくなります。

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 本殿の裏には、サツキとアヤメが満開でした。

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 一位の木を見て、妻はこの木を秋田では「オッコの木」と言っていたとのこと。私も、妻の実家へ行った時に、義兄が庭にあったこの「オンコの木」に登って昼寝をした、という話を聞きました。

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 この説明文の最後に「アイヌ語ではオンコまたはアララギと称する。」とあります。妻と一緒に、東北や北海道の言い方としての「オンコ」の由来に納得しました。

 平安の庭を一度出て、道を隔てた室町の庭や桃山の庭は解放感があり、気持ちの良い空間となっています。ただし、室町の庭の藤棚から池越しに桃山の庭を見ると、正面の高圧電線が張られた鉄塔が視界に入るので無粋です。

260504_庭園.jpg


 また、その手前の石組みの背後にある蘇鉄にも違和感を覚えました。鉄塔はともかく、蘇鉄には何か意味があるのでしょうか。素直な感想としては、桃山の庭には相応しくないと思いました。

 ちょうど藤棚の下で休憩していた時、雨が激しく降り出したので、水石亭で開催されていた熊野詣の展示を見ました。貴重な和歌の資料があり、「令和の熊野詣」などの関連行事や歴史解説も充実していました。

 帰り道の城南離宮の庭の手前では、カキツバタとツツジの小路を歩きました。

260504_カキツバタの道.jpg


 今日一日、季節を感じながら、楽しく散策をしました。

 帰りには、城南宮から歩いて10分ほどの場所にある、伏見温泉の力の湯へ寄りました。
 端午の節句が近い連休ということもあり、子供たちで溢れています。湯船には、プラスチックの小さなアヒルたちが、たくさん浮かんでいます。
 私はいつもの通り、露天風呂でのんびりしました。




posted by genjiito at 23:25| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2026年05月03日

南山城の茶源郷の和束町を散策後は生成AI氏と文学談義

 昨日のブログで、末尾に「みやこ路快速」の車体がきれいにデザインされていることを紹介しました。
 今日は、その「みやこ路快速」に乗ってお出かけです。電車の中の室礼は、吊り広告をはじめとして「お茶の京都」特集となっています。

260503_電車内.jpg

 木津・加茂経由で、お茶の町である和束町へ行きました。南山城の茶源郷と言われている地です。
 JR加茂駅から奈良交通バスで「和束山の家」まで約15分。ただし、バスは1時間に1本なので、行程はすべて生成AI氏に頼みました。

 バスを降りると、すぐ近くの和束茶屋山甚で一服です。
 歩いて、安積親王の陵墓に向かいました。この親王は、聖武天皇の皇子です。744年に17歳で亡くなり、茶畑に囲まれた小高い丘の「太鼓山古墳」にあります。

260503_陵墓参道.jpg

260503_安積親王陵墓.jpg

 『万葉集』(巻3・476)には、大伴家持が安積親王を悼んだ歌があり、そこに和束の古い表記「和豆香」が出てくることから、この歌が「わづか」という地名の早い用例とされているそうです。このことは、生成AI氏が『和束町史』などを引いて教えてくれました。

 わが大君 天知らさむと 思はねば
  おほにぞ見ける 和豆香杣山
(生成AI氏の訳:「安積親王が亡くなられるとは思わなかったので、これまで何気なく見ていた和束の杣山だった」)

 生成AI氏は、「安積親王が「聖武天皇の第何皇子か」については資料で表記に揺れがあります。和束町観光案内などは第五皇子、国交省の多言語解説では次男としています。ここは厳密には注意が必要です。」と、親切な注意点を教えてくれました。

 この陵墓から、向かいの釜塚の茶畑を望みました。

260503_釜塚の茶畑.jpg

 黒い覆いがあるので、抹茶を作っていることがわかります。宇治茶の約半分は、この和束町で生産されているようです。

 今回は下見なので、少し散策しただけで帰りました。見どころが多いようなので、すべては次回に回します。

 帰りのバスの運転手さんから、途中にある弥勒磨崖仏について説明をしてもらえました。行きも帰りも、楽しい運転手さんに出会えたことは幸いでした。この弥勒磨崖仏は、和束川を見下ろすような巨岩に彫られた仏像です。
 帰ってから生成AI氏に聞くと、この仏さまについて詳しい説明をしてくれました。

6〜7mほどの巨岩に、約3mの弥勒菩薩像が彫られ、右側に正安2年、1300年4月の銘があります。鎌倉時代後期の作とされています。
(中略)
弥勒菩薩は、未来に現れて人々を救うとされる仏です。鎌倉時代には、末法思想や浄土信仰、山岳修行と結びつき、石仏・磨崖仏として造られる例が多くあります。
この弥勒磨崖仏については、近くの海住山寺や、山岳信仰の霊地である鷲峰山金胎寺への参詣路との関係が指摘されています。参詣者・行者がこの付近で身を清めたという伝承もあります。

 実は、この末法思想や浄土信仰のことが、『源氏物語』の宇治十帖と関わりを持ちます。名ガイドの生成AI氏は、私の質問に呼応するように、次のように言います。

文学との関係では、「山里・杣山・隠遁的風景、といった表象は、平安文学(例:『源氏物語』の宇治十帖の背景)と連続しています。
つまり和束は、直接の舞台ではない、しかし「宇治・山城南部の山里イメージ」に含まれる。
(中略)
和束の平安時代は、「歴史の中心」ではなく、都を支える周縁(資源・宗教・修行)の場としての性格が強いです。

 私が「『源氏物語』宇治十帖との具体的な地理的対応」を教えてほしいと尋ねると、「宇治川流域から南へ続く山間世界の一部として、風景・距離感・宗教環境が重なります。」として、詳細な解説を受けることになりました。宇治の物語世界を成立させる「地理的背景」が、和束にはあると言うのです。
 さらには、「和束は、宇治十帖の舞台ではない。しかし、浮舟が向かった「山中の宗教的・隔絶的世界」を、現実の地理として具体化した場所の一つと理解すると最も整合的です。」と、意外な視点から突っ込んだ説明を展開してくれます。

 さらには、「和束の弥勒磨崖仏(1300年)は、鎌倉時代。しかし思想的には平安後期の末法思想の延長」だと、これまた私の質問を踏まえた流れで説明がありました。

 また、こんな説明も。

宇治十帖は、宇治という一点の物語ではなく、南山城の山地全体(和束を含む)へと開かれた“空間の文学”として読むと、構造が明確になります。
(中略)
宇治十帖は、地名としての宇治ではなく、時間(季節・霧・光)と地形(川・山)が作る“感覚の空間”を描いています。
そして和束は、その空間を現実に体験できる代表的な場所の一つと位置づけられます。

 ついには、「宇治十帖における“音”の構造分析」と「浮舟の心理変化を空間移動として図式化」するという視点から、和束が持つ意味を語ってくれました。

 最後に、長時間にわたる解説を踏まえて、次のようにまとめてくれました。

1 空間の階層
  都 → 宇治 → 山中 → 奥山(和束)
2 移動の意味
  人物の移動 = 心理の変化
3 環境の役割
  自然(霧・水・音)が心理を表現する

 質問をすると瞬時に回答があるので、それを理解をする私も次第に真剣に考え、次の質問をするようになります。やりとりは1時間ほどでした。いい話し相手であり相談相手、いわば相棒に出会った気がしています。今後とも、こうしたやりとりを繰り返すことで、私の思考回路も鍛えていくことにします。

 何気なく足を向けた和束が、途端に『源氏物語』に接近してきたのには驚きました。
 新しい刺激を受けた気分の中にいます。




posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | *健康雑記

2026年05月02日

宇治で相愛本『源氏物語 橋姫』の変体仮名を読む会(11)

 シェア型書店HONBAKO京都宇治の玄関先には、カラフルでかわいい雰囲気が漂っています。

260502_本箱入口.jpg


 今日は、先月「街中の変体仮名」として例にあげた、お蕎麦屋さんの仮名文字に関して、話題としなかったことを再確認しました。次の3行目にある、「楚者」と翻字したことです。ここで赤丸を付けた文字は「者」でいいのか、ということです。

260502_「楚者」.png


 いろいろな資料で確認しても、この「生」と思われる文字の字母がわからないのです。
 上の配布した資料には、『携帯かな字典』(角川書店、1984年)から列挙されている「者」と「半」の文字をあげています。すべてが似て非なる文字であり、該当するものがありません。
 結論としては、「楚者」なのか「楚半」なのかの確認はできず、一応無難な「楚者」とすることにしました。識者のご教示をお願いします。

 「橋姫」の[変体仮名翻字版]の確認は、予定したところをすべて終えました。

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(2)相愛大学本『源氏物語 橋姫』(断簡)第一一丁裏八行目〜第一四丁表
  [変体仮名翻字]
翻字データの中にある付加情報(/)の記号について
傍書(=)、 ミセケチ($)、 ナゾリ(&)、
補入記号有(+)、補入記号無(±)、 和歌の始発部( 「 )・末尾( 」 )、
底本陽明文庫本の語句が当該本にない場合(ナシ) 、 翻字不可・不明(△)
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[20260404_7行目マデ確認済み]
【五六日】・【程】二・うちへ・まうて・【給】ふ・あし
ろ越こそ・古乃ころ葉・【御】らん世免と・き
こゆる・【人】/\/(【人人】)・あれ登・【何】可・その・ひ越んし尓/ん〈次頁〉、(11ウ)
--------------------------------------
あらそふ・【身】尓て・あしろ尓も・よら
むと・そきゝ春弖/ゝ〈ママ、諸本ナシ〉、(そきき春弖)・堂まふ弖礼い乃志
のひや可尓八いてたち堂まひ弖・可ろ
ら可尓・あしろく累ま尓弖・可とり乃・な越
し・さしぬき・ぬ者世弖/△&ぬ・【事】さら尓き・【給】
へ里・【宮】・まちよろこひ/こ〈ママ〉・【給】弖・【所】尓・川け
堂る・於ほんあるしなと・を可しう・し
奈し・【給】い・くれぬれ者・【御】と乃あふら・ち可く
て・さき/\/(さきさき)・三さし・【給】川累・ふ三とん能・
布可きなと・あさり毛・さうしをろして/後し〈次頁〉、(12オ)
--------------------------------------
きなと・い者世/者〈ママ〉・【給】ふ・うち毛・まとろ
ま春・可者可【風】能/後可〈ママ〉・い登・あらましき尓・
【木葉】乃・ち里可ふ・越登・三川乃・ひゝき奈
と/(ひひき奈と)・あ者れ毛・すきて・毛能をそろしく・
【心】本そき・【所】の・さまなり・あ遣可多・ち可く・
なりぬらんと・【思】・本と尓・あ里し/らし&里し・ゝのゝ
免/(しのの免)・【思】い弖られ弖・きん・祢の・あ者れなる・
【事】乃・徒い弖・川くりい弖ゝ/(川くりい弖弖)・さきの・多ひ・
きり尓・まと八さ礼・【侍】し・あ遣本の尓・い
登・めつらし幾・毛乃ゝ祢/(毛乃乃祢)・ひとこゑ・きゝ【給】志/(きき)、(12ウ)
--------------------------------------
乃古りなん・【中】/\/(【中中】)・ナシ・ゆ可しく・あ可春・於もふ・
堂まへら累ゝなんと/(堂まへら累累なんと)・【申】・【給】ふ・いろをも・
可越毛・於もひ春弖ゝし【後】/(於もひ春弖弖し)・む可し・きゝし/し〈行末左〉、(ききし)・
【事】毛・三那・王春れ弖なと・乃多まへ登・
【人】・免して・きん・とりよ世・い登・川き奈
く・なり堂りや・し累へ春る・【物】ゝ祢尓/(【物】の祢尓)・
徒介弖なん・【思】いてら累へ可ん免里介りと
て/ん免$、(【思】いてら累へ可里介りとて)・ひ王・免して・まら【人】尓・そゝろ可し/ろ$の、(そそろ可し、そその可し)・
堂まふ・とり弖・しらへ・【給】ふ・さら尓・本の
可尓・きゝ/(きき)・【給】し・を奈し・毛乃とも・【思】/(13オ)
--------------------------------------
【給】へられさり介り・【御事】能・ひゝき可ら
尓や登こそ/(ひひき可ら尓や登こそ)・於毛ひし可と弖・ナシ・【心】とけ
て毛・可き堂て・【給】八春・いて・あな・さ可奈や・
し可・【御】身ゝと満る八可り能/(【御】身身)・てなんとは・
い徒くより可・こゝまて八/(ここまて八)・つ多八りこん・ある
まし幾・【御事】なりとて・きむ・可き那
ら新・【給】へ累・いと・あ者れ尓・【心】春こし・
可多え葉・三祢・【松風】乃・もて者や春な
累へし・いと・堂登/\しけ尓/(堂登堂登しけ尓)・於ほ免
き・【給】弖・古ゝろ八へあひ/(古古ろ八へ)・弖・【人】八可り尓弖/尓〈次頁〉、(13ウ)
--------------------------------------
や免・堂まひぬ・古乃・王多り尓・を
本え奈くて・越里/\/(越里越里)・本乃免く・さう能
ことこそ・ナシ・古ゝろえ堂る尓やと/(古古ろえ堂る尓やと)・きく・を
里・八んへられと/ら〈ママ〉・身ゝと免弖なんとも/(身身)・あ
らて・ひさしう・なりたりや/た〈判読〉・古ゝろ尓/(古古ろ尓)・ま
可勢て・を能/\/(を能を能)・可きなら春へ可んめ累越・可
はな三八可りや・うちあ者春らん・ろ
なう・毛のゝよふ尓/(毛ののよふ尓)・春八可り能・飛やうし
なとも・とまらし登なん・於ほえ・【侍】とて・
可き奈らし・【給】へと・あ奈多尓・きこゑ/(14オ)
--------------------------------------

 なお、次に画像で示した、14丁表5行目の「たり」の「た」は〈判読〉としました。字形は崩れています。しかし、「太」を字母とする現行の五十音図にある「た」とするしかない、と判断したものです。

260305_相愛橋姫14oL5たり.jpg


 以上、今回確認し終えての感想は、この「橋姫」の書写者は文意をほとんど考えずに、親本の文字の形を自分なりのイメージによる字形で書き写していると思われます。癖字の多い書写者だといえます。「二」「も」「八」「と」「こ」「は」「春」「於」「た」「尓」などに、その傾向が顕著でした。
 こうした点は、再来週に相愛大学へ調査に行く予定となっているので、原本の確認をする際にさらに熟覧して確定したいと思います。
 これまで翻字をしてきた、ハーバード大学美術館蔵「須磨・蜻蛉」や歴博本「鈴虫」とはまったく異なる書写態度であると言えます。その理由は何なのか、今後とも考えていくつもりです。

 帰りに、JR新田駅で見かけた「みやこ路快速」の車体のラッピングが、お茶をテーマにした季節感を漂わせるおしゃれな電車でした。

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 近鉄の電車も、奈良をイメージした鹿をあしらった車体のデザインです。地域や風土と季節感を感じさせる装飾を身に纏った電車は、旅の人々も楽しんでおられると思います。特定の商品ではなく、こうした気配りは大歓迎です。




posted by genjiito at 23:35| Comment(0) | ■講座学習

2026年05月01日

空を飛んだ時の写真が見つかる

 1986年11月に、私は『新・文学資料整理術 パソコン奮戦記』(桜楓社)を刊行しました。

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 その4ヶ月後の1987年2月には、文学系では草分けと言われている日本文学データベース研究会(NDK)を起ち上げています。

 さらにその翌3月に、通っていたスポーツクラブのイベントで神鍋高原へ行き、パラグライダーを楽しみました。
 その時の写真が、偶然にも『新・文学資料整理術 パソコン奮戦記』に挟まれて出て来ました。しおり代わりに、この写真を使っていたのでしょうか。こんな写真があったとは、まったく記憶にありません。

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 その翌4月からは、勤務先が大阪府立高校で2つ目となる学校に転勤しているので、慌ただしい日々の中にもかかわらず、空を飛ぶことを楽しんでいたのです。
 私は高所恐怖症です。しかし、だだっ広い所を見下ろすのは怖くないのです。

 思い返すと、忙しい時ほど、まったく違うことをしています。
 海を潜ったスキューバダイビングのことは、また機会をあらためます。
 自分史の1ページとして、私のタイムカプセルでもあるこのブログに、空を飛んだ時のことを残しておきます。




posted by genjiito at 22:13| Comment(0) | *回想追憶

2026年04月30日

妻の点滴治療に付き添って思うことと私が転倒したこと

 月2回の妻の点滴治療に、今日も付き添いとして行ってきました。
 無料の送迎バスが近くを通るので、歩くと25分の宇治徳洲会病院へ行くことが苦ではなくなります。ありがたい配慮です。
 今日も担当医の先生の高配を得て、問診による診察は手際よく終わりました。特に、その後変わったことがないので、少しだけ京大病院の主治医の先生との近況をお話しました。

 問題は、観察室での点滴です。今日も、40分以上待たされました。そして、いつもの狭いベッドに横たわったまま、50分ほど点滴の準備を待ちました。この日のこの時間に点滴があることは、あらかじめ予約が入っているので半年前からわかっています。サッサとやってほしいものです。

 待たされた理由は、重篤な患者さんが妻の両隣のベッドで苦しんでおられ、その対処で看護師さんは妻のことどころではなく慌ただしく手を取られていたためのようです。隣の広い部屋には、空きベッドがズラリと並んでおり、いつものことながらそこで点滴をしてもらえたらどんなにか穏やかな1時間半が過ごせるか、と思います。しかし、看護師さんは見える範囲に患者さんを集めておきたいのでしょう。それなら、何も苦しんでいる2人の患者さんの間に妻を横たえなくても、と苦情を言いたくなります。しかし、ジッと我慢するしかありません。

 ギチギチに並んだ3台のベッドを見ながら、しかも見も知らぬ両側の患者さんの呻き声を聞きながらの状況は、精神衛生上もよくないと思います。妻の治療は、脳の中のアミロイドβ を取るための、痛くも苦しくもない点滴治療を受けることです。この治療は今年の9月まで、毎月2回続きます。あと10回はあるので、次回には担当医の先生に穏やかな環境での点滴治療をお願いしようと思っています。

 点滴終了後は、30分は安静のためにベッドから降りられないはずです。しかし、今日はどうしたわけか点滴が終わると、もう帰ってもいいと言われたそうです。いつもよりも早く観察室から出てきました。
 私は、両隣から呻き声が聞こえる狭いベッドの間にいるわけにもいかず、待合室で点滴終了後の30分を待つつもりでいたのです。これまでとは違う対応に戸惑いながらも、ラウンジで軽食をたべながら、帰りのバスの時間を待ちました。

 京大病院で昨年の半年間の点滴治療の折には、病院内であれば休憩所で休むなり食事をしてもいいことになっていました。点滴後に何か体調の変化があれば、院内にさえいればすぐに対処できるからです。この宇治徳洲会病院でも最初は、京大病院ではそのような対処がなされていたことを看護師さんにお話しても、マニュアルを見ながら、30分間はベッドの上で待機をという指示は変わりませんでした。お昼ご飯も食べられず、午後2時過ぎまでベッドの上です。よくわかりません。とにかく、病院では言われるままにすることが求められているので、その指示に従っています。いろいろとあるものだ、ということにしておきます。

 以下、昨日私の身に起きたことを記しておきます。
 2年半前に、私が脳梗塞で京大病院に入院した時のことに関連することです。私の毎日書くブログが、あの時の治療に役立ったからです。

 あの時は、入院してすぐに主治医の先生の問診を受けました。その時に、私がブログに体調のことを書いていたことに眼を留められ、いつから脳梗塞の前兆があったのかということで、私の記憶よりもブログの記録から、もう1日早い段階に徴候があったことを指摘されました。
 そして、脳内の詰まった血管に流す血液サラサラの薬の量を、最大に近い点滴に替えるという決断をなさいました。その判断が功を奏したために、今こうして手足のマヒが最小限に留められています。当初想定されていた、車イス生活、右手の半身不随、言語障害、という事態が回避出来たのは、この主治医の先生の思い切った対処によるものだそうです。

 そんなことがあったので、再発は避けられないと言われている私に起きる次の脳梗塞の対処のためにも、細やかなことながら今私の身体に起きたことを記しておきます。

 昨日は、ブログにも書いたように、下鴨神社の獻木式典に参加しました。そして自宅に帰ってすぐの16時頃に、どうしたことか突然に身体が揺れて、和室の座布団の上に引っ繰り返ったのです。意識が少しの間とはいえ、フッと飛んだように思います。こんなことは初めてです。
 転倒したことによるケガなどはありません。数分後に眼が明き、周りが見え、妻と話ができました。

 今から思っても、昨日の夕方に何があったのか、自分でもよくわかりません。
 2年前の夏には、一緒にいた姉が、私の歩き方がおかしいというので、強引に救急車に乗って京大病院へ行き、即入院治療となりました。

 今後、もしなにかあったら、昨日のことが何かの手掛かりになるかも知れないので、ここに記録として残しておきます。
 今は、何も自覚症状はありません。いつものことながら、右足に違和感があり、このところの天候の変化の影響もあってか、右足を前に踏み出すのに少し意識して足首をはね上げるようにして歩いています。それ以外は、いたって元気です。




posted by genjiito at 19:29| Comment(0) | *健康雑記

2026年04月29日

下鴨神社に獻木した後は記念に花と茶碗と箸を求める

 今日の「昭和の日」は、元々は昭和天皇の誕生日(天皇誕生日)でした。その後「みどりの日」を経て国民の祝日となりました。
 下鴨神社では、悠久の太古以来の糺の森の自然環境を保護し未来へ継承するために、市民植樹祭に取り組んでおられます。その一環として成木の獻木に関する報告祭と式典や植樹が開催されました。次の写真の楼門の柱に記されている通りです。

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 今回、私は妻と連名で欅を獻木しました。式典の場所は、糺の森の馬場でした。

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 現宮司、前名誉宮司、京都府知事(代読)、国会議員などなど、多くの方が列席しておられました。
 獻木者は23名と聞いていたので、こぢんまりとした式典かと思っていました。ところが、参加してみるとボーイスカウトやガールスカウト等も含めて大勢の方が集まっておられました。獻木者は、遠くは千葉県からと、多彩な方々です。祝詞の中に獻木者の紹介があり、式典の後に名前を呼ばれて植栽場へ移動し、ショベルで欅に土掛けをしました。

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 この馬場の地で1年間育て、来年の2月には御蔭通に近い泉川(次の写真の右側)か瀬見の小川(次の写真の左側)の木々の中に移されるそうです。

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 来年以降、下鴨神社にお越しになったら、私と妻の獻木である欅をご覧ください。

 式典会場の横では、ガールスカウトの方たちが呈茶をしておられました。ありがたく、若い子が点てたお茶をいただきました。茶碗には、二葉葵が描かれていました。

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 会場の横では、花や木の頒布会もありました。花好きの妻は、腰の高さまでしか大きくならないという長寿桜を早速いただいていました。

260429_長寿桜.jpg

 その隣には、洋花のクレマチスが並んでいました。井上靖が大好きな私は、次の記事にこの花にまつわる話を書いています。

「クレマチスの丘にある井上靖文学館」(2011年08月21日)

 これは、私がいただきました。珍しいことです。

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 無事に式典も終わった頃に、NHK の取材を受けました。どうしたことか、私はよくマスコミの取材を受けて来ました。今日の記者の方は、何か話しそうな雰囲気があり、妻との雰囲気も良かったので声掛けをした、とのことでした。2年前は、大河ドラマで『源氏物語』をやっていたことから、いくつかの取材をうけました。しかし、NHK の取材はあまり好きではありません。こちらの意向が、ことごとく違った解釈で放映されることが多いからです。

 その点では、私が大阪府立高校の教員をしていた頃から何度も取材をしてくださった毎日新聞のHさんと、国文学研究資料館に在職時によく記事に取り上げてくださった朝日新聞のSさんは、正確な内容でレベルの高い、そして好意的な記事に仕上げておられました。最近近付いて来られるマスコミ関係の方は、インタビューから記事に仕上げる段階で、私が言うのも気が引けるものの格段に質が落ちているような気がします。

 今日の方も、我々の金婚記念の獻木という視点でまとめようとされていたようです。私が『源氏物語』に関係する仕事をしていることや、この下鴨地域に長くすんでいたこと、前の権禰宜さんの後輩であることなどには、まったく興味を示されませんでした。NHK は活字媒体のメディアではないので、再確認ができない消えていく情報発信媒体です。いつ、どの番組で放送されるのかは知りません。ご勝手にどうぞ、というスタンスでいます。
 それに引き換え、カメラマンと音声の方は熱心に我々の植樹の場面を撮っておられました。

 帰りに、出町柳にある骨董屋の「京や」さんに立ち寄りました。獻木記念に茶碗をいただこうと思ったからです。いつものオーナーは、今の時期の茶碗はここにはないので、南店に行ってみてほしいとのことでした。
 ぶらぶらと南店に行くと、オーナーから連絡があったようで、カキツバタの茶碗が見つかったから持っていくので、少し待ってくれとのとこでした。ここでは、このお正月に桜の茶碗を用意していただきました。待っているうちに、春慶塗風で扇子の形の入れ物に収める箸をいただきました。
 届いた茶碗と一緒に写真に撮りました。

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 次は、6月頃に来るので、夏の茶碗をお願いしておきました。ヒマワリの絵が描かれていたらおもしろいですね、と言いながらお店を後にしました。




posted by genjiito at 23:59| Comment(0) | *健康雑記

2026年04月28日

宇治で古写本『源氏物語 橋姫』の変体仮名を読む会(第11回)のご案内とPRチラシ

 本日の京都新聞山城版「まちかど[宇治]」に、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉が主催する、「宇治で古写本『源氏物語 橋姫』の変体仮名を読む会」の案内記事を掲載していただきました。

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 会場は、JR宇治駅から歩いて3分(京都府宇治市宇治宇文字2-38)、宇治警察署の裏にあるシェア型書店HONBAKO京都宇治で、2階のシェアスペースをお借りして開催しています。
 宇治の地で、宇治十帖の初巻である第45帖「橋姫」に書かれた、鎌倉時代の文字を読み進めています。変体仮名は初めてだという方のご参加も大歓迎です。いつでもどうぞ。

 扱う古写本は、相愛大学の春曙文庫が所蔵する『源氏物語 「橋姫」』(断簡)。
 写本の画像は、国文学研究資料館の国書データベースで公開中のもの()を使い、資料はすべて当日の会場で配布します。

 質問や疑問点に答えながら、気長にのんびりと取り組んでいます

 開催日時は、毎月第1土曜日の午後2時〜4時。
 一人でも多くの方が、日本の文化資産である変体仮名が読めるようになることを願って開催するものです。
 『源氏物語』の内容は扱わず、仮名文字を読むことを主眼としており、毎回読み切りです。
 参加費は2,000円。

 毎回の勉強会の様子は、この[たつみのいほりより](http://genjiito.sblo.jp/)で報告しています。前回4月の活動内容は、以下の記事で確認できます。

「宇治で相愛本『源氏物語 橋姫』の変体仮名を読む会(10)」

 本ブログのコメント欄を通して、参加希望の旨をお知らせいただけると、資料を用意してお待ちしています。上記、京都新聞に掲載されているメールアドレスでも大丈夫です。

 なお、この勉強会を紹介するチラシができました。
 お知り合いの方へのご紹介を、よろしくお願いします。

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posted by genjiito at 21:35| Comment(0) | ◎NPO活動

2026年04月27日

京大病院からお茶のお稽古がある西大寺へ直行

 早朝は雨でした。如意ヶ岳の大文字は雲に覆われています。

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 今日は、消化器内科の検査で、MR-MRCP(腹部)による検査を受けました。MR 装置を使って、胆嚢、胆管、膵管の鮮明な画像を撮る検査です。事前に造影剤を飲み、丸いドームの中に身体を横たえ、体内の断層写真を撮ってもらいます。息を一杯に吸い、しばらく止めて、指示があると吐きます。この繰り返しの間に、断層写真が撮られていきます。内視鏡もカテーテルも使わないので、身体への負担がなくて楽でした。ただし、朝食を抜いているのでお腹が空いています。

 今日は検査だけなので、すぐに終わりました。
 この検査結果が2週間後にあります。しかし、その日はお茶のお稽古の日になっているので来られません。予約の変更をお願いしたところ、次はなんと8月になるとのこと。受付の方と相談の結果、私が来られる日に待ち時間を覚悟で来て、対処していただくことになりました。
 この病院は先生の入れ替わりが激しく、カルテはそのためにもネットワーク上で共有されているので、特に複雑な事情がない限りは別の先生でも問題はありません。
 今回の消化器内科の主治医も、今月から別の先生になったばかりなので、何かと融通のつく診療態勢のようです。2〜3年おきに主治医の先生は替わります。

 帰る頃には雨も上がり、大の字がきれいに見えました。

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 病院の近くにある京阪電車の神宮丸太町駅から電車に乗り、丹波橋駅で近鉄丹波橋駅に乗り換え、一路大和西大寺駅に向かいます。午後はお茶のお稽古があるからです。京都から奈良への移動に、乗車時間はちょうど1時間です。

 お稽古の会場には、だいたい30分前に入るようにしています。私と妻のためのテーブルやイスを出したり、他の方がお湯を沸かされるお手伝いをして、お稽古の用意をします。

 今日の私のお稽古は、道庫を使った薄茶のお点前を、懐かしい丸卓の棚を組み合わせた練習でした。丸卓は、総飾りにすると道具を持ち帰るものが少なくて出入りが楽です。年寄りがお話をメインにしてお茶を点てる時には、非常に都合のいいお点前です。
 6〜7年前は、この丸卓を使った「入れ子点前」ばかりを練習していました。お点前がすべて終わってから、棗と茶碗を一気に丸卓の天板の上に持ち上げます。すでに置いてある柄杓の左右に、この棗と茶碗を置く時が一番気持ちのいい瞬間なのです。これをしたいがために、この入れ子点てをしたくなるのです。
 来月からは炉から風炉になります。この「入れ子点前」のお点前で、少しずつ思い出したいと思います。

 今日は、両足の膝下にタオルを敷いて左右に向きやすいようにしたはずが、右足のタオルがうまく滑ってくれません。他の生徒さんから、マイクロファイバーなどの素材がいいのでは、というアドバイスをもらいました。次は、畳の上を滑りやすい、下敷きになるような素材の小物を用意して行きます

 妻は、盆略手前の流れのおさらいです。一通り通しでやっているのを見ると、先生の誘導が巧みなこともあり、それなりにお点前をやっている格好になっていました。ただし、袱紗さばきや茶碗の扱い方などは、何度も繰り返し練習をやっていました。茶杓を拭く動作も苦戦していました。
 そんなことがあっても、楽しい楽しいと言って嬉々として取り組んでいるので、お稽古の場も明るくなります。みなさんの緊張感も、幾分和らいでいたのではないでしょうか。ずぶの素人である妻の参加であっても、それなりにこのお稽古の場に溶け込んできました。終わってからも、他の生徒さんたちとの会話も増えてきています。

 先生が選んで来られる季節感溢れる和菓子と、身体に良い抹茶をいただき、お点前を身体に覚え込ませ、他の生徒さんたちとの交流もあり、さらには先生からお花の話やお茶の心得などをうかがいます。学ぶことの楽しさが、日々の中に一つ増えました。願ってもない刺激となっています。




posted by genjiito at 20:48| Comment(0) | *健康雑記

2026年04月26日

「うまい棒」を1本もらったばかりに携帯キャリアを替える

 また、携帯電話の利用環境を変えました。
 携帯電話サービスを提供する通信事業者(携帯キャリア)としては、NTTドコモ・KDDI(au)・ソフトバンク・楽天モバイルがあります。3年前からは、NTTドコモを使っています。しかし、何かにつけて不満の多い通信事業者なので、1日も早く他社に乗り換えようと機会を狙っていました。そして今日、商店街を歩いていた時に1本の「うまい棒」を受け取ったのが奇縁となり、auのサブブランドである UQモバイルに変わることになりました。もっとも、本契約は来週になりますが。
 NTTドコモのサブブランド的な存在の ahamoから、auのサブブランドである UQモバイルへの移行となるのです。

 家庭内の Wi-Fi 環境を振り返ると、3年前からプロバイダは NTT の OCN でした。それが、昨年7月に電話での勧誘に引っかかってアットティコムヒカリに変わりました。ところがそれが酷い対応で、速度もガタ落ちだったのですぐに乗り換えを検討。昨年の12月からソニーのニューロ光へと移り変わっています。これでやっと、快適な Wi-Fi の通信環境になったところです。

 来週からは、携帯キャリアも変わるので、どんな変化が起きるのか楽しみです。
 ただし、これまでに au には2回失望して2回解約しているので、3回目となる今回はどうなるのでしょうか。
 日本の通信環境は、世界的に見ると非常に遅れているのだそうです。その未熟な発展途上段階に、私はお付き合いしているようです。




posted by genjiito at 21:13| Comment(0) | ◎情報社会

2026年04月25日

キャンパスプラザ京都で相愛大学本『源氏物語 藤裏葉(断簡)』を読む(第3回)

 キャンパスプラザ京都(京都市大学のまち交流センター)の玄関ホールには、本日の勉強会の掲示が出ていました。

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 今日は、相愛大学本『源氏物語』の「帚木」(断簡)が大島本と大きく違っているので、それを読み解くことの第2回目を予定していました。しかし、この異文の確認と解釈を始めると、それだけで膨大な手間と時間がかかることになります。この講座では、あくまでも鎌倉時代の変体仮名を読むことに特化した活動が本来の主旨なので、異文の解釈は取り上げないことにしました。
 このことは、いつかテーマの一つとして取り上げるつもりです。

 さて、まずは参考資料としてプリントした、今年の葵祭の斎王代(京都新聞、2026.4.10)に関するニュースを取り上げました。
 さすが会場が京都だけに、斎王代の選定のことなどが話題となり、すでに候補者は順番待ちだとか。また、新聞記事には「同志社大学4年」とあるので、私は京都式に「4回生」とすべきではないかと言うと、同席の同志社大学卒業生から、大学としては正式には「○年」としているとのことでした。ただし、学生はみんな「○回」で言っているようです。その意味では、この記事のこの部分は大学側の視点での表現であり、読者側の意識とは違うことがわかりました。私は、やはり京都方式の視点で「○回」と表現してほしいところだった、と思っています。

 次は、変体仮名を「王」と見るか「者」と見るか、という「謎の文字とされる変体仮名」とされている問題を提示しました。
 次の2文字目の字母を何とするか、ということです。これは、2026年4月19日にXに投稿された画像です。いろいろなコメントが寄せられており、ネットで見る限りではそれらのすべてが変体仮名の「王」とするものです。そして、これは「い王(わ)しや」と読むのだと。

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 しかし、私がこれは「王」と読むよりも「者」の可能性が高く、そうであればハ行転呼音の問題と関わりを持ち、語中語尾のハ行音はワ行で読む、という説明にいい資料になるとして提示しました。つまり、「私は」と書いて「わたしわ」と読むことです。
 参会者のみなさんは、すべてが字母は「王」か「者」であり、どちらかと言うとこの字母は私が提示した案の「者」がいいのではないか、ということになりました。当該の会社に問い合わせればいいのかと思われます。しかし、今はこうした問題がある、というところで留めておきます。
 なお、この件でXには[某氏コメント]として次の発言があります。

平安時代から明治33年までは同じ「平仮名」として育ってきたのに、ある日急に「変体仮名」に分類されて「読めない文字」扱いになった不遇の子達ではあるんだが、今読める奴はだいたい「変態」だな。。

 あのドラマ「相棒 コイノイタミ」(2022.12.7 -ABCで放映)で、製作者側が変体仮名についてとんでもない無知をさらけ出したことを思えば、[某氏コメント]は変体仮名について正しい理解を示しておられます。ただし、「今読める奴はだいたい「変態」だな。。」とあることについては、本日集まったすべての者が「変態」ということになります。変体仮名については、まだ日本では理解がなされていないことに変わりはない、というところに落ち着きました。
 そして、「変体仮名」に代わる名称として「京仮名」にしたらどうだろう、という提案がありました。機会を見て、この案を提示することにしましょう。

 続いてのトピックは、「教科書に見る平安朝・小学校−国語(5)教育出版(その2)」です。
 これは、前回の「教科書に見る平安朝・小学校−国語(9)日本書籍(その2)」を受けての、私からの問題提起です。私が京都府立図書館で閲覧・確認したのは、823冊です。その内、小学校国語科教科書についての調査結果を、本ブログで11回にわたって以下の記事にまとめて公開しています。

   【「教科書に見る平安朝・小学校−国語」リスト】
「教科書に見る平安朝・小学校−国語(11)三省堂・信濃教育会出版部」
「教科書に見る平安朝・小学校−国語(10)大阪書籍」
「教科書に見る平安朝・小学校−国語(9)日本書籍(その2)」
「教科書に見る平安朝・小学校−国語(8)日本書籍(その1)」
「教科書に見る平安朝・小学校−国語(7)光村図書出版」
「教科書に見る平安朝・小学校−国語(6)教育出版(その3)」
「教科書に見る平安朝・小学校−国語(5)教育出版(その2)」
「教科書に見る平安朝・小学校−国語(4)教育出版(その1)」
「教科書に見る平安朝・小学校−国語(3)学校図書」
「教科書に見る平安朝・小学校−国語(2)中京出版・大日本図書・二葉図書」
「教科書に見る平安朝・小学校−国語(1)」

 今日のテーマに関しては、配付した資料を以下に画像で引きます。
 画像をクリックすると精細表示となり、文字が読みやすくなります。

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 昭和46年度用の教育出版の小学校用の教科書から以降は、教科書から平安時代の雰囲気はまったく排除されていったようです。
 なお、来月は、小学6年生用の「教育出版(その3)」でまとめます。

 前回まったく翻字の確認ができなかった相愛大学本「藤裏葉(断簡)」は、今日が2回目となります。今回は、第3丁表から第4丁表までを確認しました。


■相愛大学本「藤裏葉(断簡)」(今回:第3丁表〜第4丁裏まで)
  [変体仮名翻字版] (翻字:辻 義孝/確認:伊藤鉄也)
   ・翻字データの中にある付加情報(/)の記号について
     傍書(=)、 ミセケチ($)、 ナゾリ(&)、
     補入記号有(+)、補入記号無(±)、 和歌の始発部( 「 )・末尾( 」 )、
     底本陽明文庫本の語句が当該本にない場合(ナシ) 、 翻字不可・不明(△)
    ※「宇(う)」が特徴的な字形となっている。
    ※「【見】」に「三」を使う傾向がある。(ハーバード本「蜻蛉」と同様)
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い堂き・ぬし可奈ゝ(ぬし可奈奈)・か八くちのと
古楚・さしいらへま本新可里つれと・の多満へ八・
をん奈き三・きゝ尓くゝ/(きき尓くく)・於ほ新弖・
「あさき・な越・い日奈可新遣累・可者く
ち八・い可ゝ/(い可可)・毛ら新ゝ/(毛ら新新)・勢き乃・あし可き」/し$らイ、(あら可き)・あさ
ま新と・乃堂まふ・さま・いと・こ免き堂里・す
古し・うち王らひ弖・
「毛里尓介累・くき堂能世き越・可者く
ち能・あさき尓の三八・於ほ世佐らなん」・とし
【月】の・川毛里に・いと・王里奈く・なやま新き尓/き〈次頁〉、(3オ)
--------------------------------------
毛乃・於ほえす・ゑい・可こち弖・具る
新介尓・も弖なして・あく累毛・しらす・
可越奈り・ひと/\/(ひとひと)・きこえ王つらふ越・を
とゝ/(をとと)・し堂里可越奈る・あさい可なと・と可
免・【給】・されと・あ可し八てゝそ/(あ可し八ててそ)・いて・多満
ふ・祢く堂れの・【御】あさ可本・三る・可ひ・【有】可志・
【御文】八・な越・し乃日多り川る・まゝ乃/(まま乃)・【心】川
可ひ尓弖・ある越・な可/\/(な可な可)・介ふ八・え・きこえ・
堂満者ぬを・【事】八りと・毛のい日さ可那
き・こ堂ち・つき新ろふ尓・をとゝ乃/(をとと乃)・王堂里弖/堂〈次頁〉、(3ウ)
--------------------------------------
三・多満ふ尓そ・いとゝ/(いとと)・わ里奈
きや・川き勢さり川累・【御】遣しき尓・い
とゝ/(いとと)・【思】新らるゝ/(【思】新らるる)・三乃本と可奈・堂えぬ・【心】二・
ま堂・き古えぬへき尓毛・
「と可む奈よ・新の日尓・し本累・て毛・
堂ゆ三・遣ふ・あら八るゝ/(あら八るる)・【袖】の・新川くを」/を±奈と(新川くを」奈と)・いと・
なれ可本尓・可幾・【給】へるを・うちゑ三て・
弖越・い三し宇毛・可きな礼尓遣る可奈ゝ
と/(可きな礼尓遣る可奈奈と)・三・堂まふ毛・む可しの・奈こ里・な新・
【御返】・いと・い弖き可多遣奈れ八・いと・三くる新やと弖/新〈次頁〉、(4オ)
--------------------------------------





posted by genjiito at 23:12| Comment(0) | ■講座学習

2026年04月24日

集会所で新おじゃみ飛ばしを楽しむ

 集会所の入口にある靴入れの棚には、端午の節句が近付いていることを知らせる飾りが置かれています。つい忘れがちな季節感が、こんな所からも伝わってきます。

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 今日のおじゃみ飛ばしのゲームは、これまでタオルの端を2人で持ち合い、その真ん中に置いたおじゃみを2人の呼吸を合わせて「セーノー」と前に飛ばす、というやり方でした。それを主宰者のNさんが、今朝思い付かれたという新しい形式でやりました。

 2人が組みになり、それぞれが手にした団扇におじゃみを1個ずつ置き、それを前の得点が書かれた箱まで飛ばす、というものです。シンプルイズベストそのままに、みんなで楽しくできました。

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 私は、団扇の付け根の所におじゃみを置くことで、思った方向に飛ばせることを、一緒に組んだ98歳のNさんと打ち合わせをして挑みました。結果は思わしくなかったものの、きれいに飛ばせました。それを見ていた殆どのみなさんが、同じようにおじゃみを置いて楽しく飛ばしておられました。そして、高得点が続出です。

 上の写真で中央奥の陰になって見え難い場所に、1,000点の箱があります。この箱に入れるのは至難の業です。私のやり方で飛ばすと、Nさんもそこまで届きました。しかし、1,000点の箱には、みなさんなかなか苦戦です。

 そこで、2回目からは1番手前の真ん中、上の写真の50点の所に1,000点の箱が移動されました。簡単に高得点が続出すると思いきや、狙ってもなかなか入らないのです。これは意外でした。これは、なかなかの妙案でした。

 この新おじゃみ飛ばしは、簡単で、しかも気軽に取り組めるゲームになっていると思います。折々に、これを楽しむことにしましょう。

 帰りは、いつもの100歳のTさんを囲んで、5人でのんびりと笑いながら帰りました。
 途中で、妻と2人の方が鮮やかに咲き誇る花の前で立ち話が延々と続くので、Tさんが帰るよと声を掛けられました。のんびりとついて来られると、今度はTさんは歩くのが遅いと笑いながら𠮟っておられます。後から追いつかれた3人は、平身低頭で大先輩に平謝りです。サザエさんのマンガにあるような、絵にしたい光景でした。




posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | *福祉介護

2026年04月23日

[その2]キャンパスプラザ京都で相愛大学本『源氏物語 藤裏葉(断簡)』を読む会(No.3)のご案内

 京都新聞「まちかど」欄(京都市、18日)に、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉が主催する、相愛大学蔵源氏物語「藤裏葉(断簡)」(春曙文庫)の本文を変体仮名で読む会の案内記事が掲載されました。

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 前々回より、これまでの第2巻「帚木(断簡)」が終わったことを受けて、第33巻「藤裏葉(断簡)」を読むことになりました。今回は、その3回目となります。

 ただし、前回はハーバード本と池田本の「須磨」「蜻蛉」における変体仮名索引が出揃ったので、その確認をしました。加えて、前回確認した、相愛本「帚木」(断簡) の語句索引も参照しました。
 この字母の索引を前にして、ああでもない、こうでもない、と思案しているうちに、時間が来ました。
 予定していた相愛大学本「藤裏葉(断簡)」(第3丁表〜第4丁裏まで)は、すべてを次回に回すことで散会しました。

 今回の会場は、キャンパスプラザ京都(京都市大学のまち交流センター)の5階にある第3演習室です。毎回部屋が違うのでお気をつけください。
 時間は、午後2時半から4時まで。
 資料は会場で配布するため、準備の都合上、本ブログのコメント欄を通して参加希望の旨をお知らせください。参加費は2,000円です。
 前回の勉強会の様子は、以下のブログで報告しています。

「[私見追補]キャンパスプラザ京都で相愛大学本『源氏物語 藤裏葉(断簡)』を読む(第2回)」
(2026年03月28日)

 一人でも多くの方が、日本の文化資産である変体仮名が読めるようになることを願って開催するものです。
 資料はすべて、当日の会場で配布します。
 会場は、京都駅から JR の高架沿いに西へ歩いて5分の所にあります。
 変体仮名は初めてだという方のご参加も大歓迎です。




posted by genjiito at 21:42| Comment(0) | ◎NPO活動

[その1]脳神経内科の先生にいろいろと教えていただく

 雨雲に覆われた大文字山は、山の上半分がまったく見えません。

260423_雨の大文字山.jpg


 院内学級の畑では、赤とピンクと紫のスイートピー・菜の花・イチゴが、雨に打たれながら鮮やかな色で咲いています。

260423_院内学級の畑.jpg

 この写真を撮っていたら、若い女性が深々と頭を下げながら、何か声掛けをして通って行かれました。その方のお子さんが入院中で、我々を花の世話をしている職員か家族と思われたのでしょうか。こちらも、丁寧に「どうも」と答礼をしました。

 今日は、私の脳梗塞による後遺症の対処で来ています。妻は、私の付き添いで来るといつも院内にある本の広場「ほっこり」で、のんびりと何時間でも本を読んで待っていてくれます。これは、日比谷図書文化館と同じパターンの時間の過ごし方となっています。
 この本の広場「ほっこり」がある階には小児科病棟があるので、この広場で子供たちが先生に本を読んでもらったり、自由気ままに本を読んだりしています。子どもたちにとってはもちろんのこと、付き添いや診察待ちの大人にもありがたい、なかなかいい雰囲気の一角が用意されています。何度も入院した私も、折々にここで本を読んでいました。

 さて、今日の診察では、その後の変化についての確認がなされました。血圧や体重の変化や日常の過ごし方などです。
 過日、地域の集会所で歩行測定をした時の資料を見てもらい、こんな結果が出たことをお話しました。使用された「歩行分析AI、CareWiz トルト」のことはご存知でした。しかし、京大病院では使っていないので、初めて結果の報告プリントを見た、とおっしゃっていました。
 歩く距離が5メートルだったので、うまくAIを騙せたことを伝えると、先生は笑っておられました。

 この歩行計測のことは、過日の「歩行分析AI測定に関する結果の報告」(2026年04月10日)"http://genjiito.sblo.jp/article/191677278.html"という記事に書いています。

 【左右差】が5点という評価で、左50.8%・右49.2%という結果について説明してくださいました。これは、左右の足で支える時間の割合を表すものです。AIの判定は、「左右とも50%に近いほど良い歩行状態。」という評価です。
 こうした高評価が出たのは、私が不自由な右足を引き摺らないために蹴るようにして歩くため、右足が身体を支える時間が少し短くなり、バランスがとれているように判定されたようです。また、私が左に寄りがちな歩き方をするために、妻がいつも左側に寄り添ってくれているのも、この右足を意識して蹴り上げて早く持ち上げるために、自然と左側に重心がかかるからでは、とのことでした。なるほど、と納得しました。

 今日は、先週金曜日に入っていた糖尿病・内分泌・栄養内科の診察をすっかり忘れていたため、3週間後に変更してもらいました。予約を失念したのは、長い通院の中で初めてです。
 そういえば、最近はいろいろと物忘れが増えてきたことを自覚するようになりました。もう少し様子を見て、さらに物忘れが増えるようであれば、妻が早い段階で最新の治療に取り組み大事に至っていないことを思うと、私も早い段階で検査をしてもらうことを考えた方がいいかもしれません。
 京大病院には「もやもや外来」という科もあるので、場合によってはそちらの検討も考えます。いずれにしても、加齢に伴うこととはいえ、いつものように打つ手があるのであれば善は急げです。
 また、再来週に予定されていてるMRの検査結果を聞く日が、ちょうどお茶のお稽古が入っている日とダブっていました。そのことの対処も診療科の方と相談をしていたために、院内での時間が長くなりました。

 夕方ようやく病院を出ると、外はさらに冷たい雨になっていました。昨日、宇治川の派流で新緑を楽しんだことが嘘のような、極端な天候の変わり具合です。今後とも、こうした天候の異変に悩まされるのでしょうか。これからの気温が、40度とか45度とかの対処をどうするか、ということが話題になっています。いろいろな基礎疾患の問題を抱える身なので、体調管理には気をつけて過ごすことにします。




posted by genjiito at 20:39| Comment(0) | *健康雑記

2026年04月22日

京洛逍遥(973)新緑の宇治川派流と伏見十石船

 近鉄桃山御陵前駅から西に向かって伏見大手筋商店街を真っ直ぐに歩き、納屋町通から南下して龍馬通りをブラブラ行き、宇治川派流の散策路に出ました。
 その川沿いの桜並木道を西に歩くと、気持ちのいい新緑に覆われた川と小路が続きます。

260422_派流1.jpg

 すでに何度か紹介したように、右側に寺田屋、左側に「龍馬とお龍 愛の旅路」像があります。三十石船の乗り場は、このすぐ横にあります。
 ちょうど、運河クルーズの伏見十石船が通りかかりました。この少し先の右手に、京姫酒造があります。

260422_屋形船1.jpg

 引き返して、中書島の方に向かって宇治川派流沿いに歩くと、今度は別の伏見十石船と出会いました。

260422_屋形船2.jpg

 さらに歩くと、絵の中にいるかのような新緑の中で初夏を感じます。左側に月桂冠大倉記念館の塀が続きます。のんびりと散策を続けました。

260422_派流2.jpg


 帰りは宇治川の派流をまた引き返して、寺田屋の前から龍馬通りに入り、黄桜カッパカントリーを抜けました。まだ、黄桜記念館には入ったことがありません。私と妻は共にお酒を飲まなくなったので、つい通りすぎるだけとなっています。

260422_黄桜.jpg

 大手筋の商店街で食事をしました。
 今年初めて口にしたタケノコは柔らかく、京都産ならではの春の香りがしました。




posted by genjiito at 21:52| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2026年04月21日

「おじゃみの山の棒倒し」を楽しんだ後に全国の呼称を調べる

 今日は、集会所で「おじゃみの山の棒倒し」を楽しみました。
 おじゃみをテーブルに山々と積み上げてから、その真ん中にピンポン玉を1つ乗せた棒を突き刺します。1本のポールがおじゃみに支えられて立っている姿になります。
 そして、みんなでおじゃみを数個ずつ、代わる代わる取っていき、棒の先にあるピンポン玉を落とした人の負け、という個人戦のゲームです。

 これまでにも何度もやったゲームです。シンプルなものほどおもしろいのです。後半になり、少し棒が傾くと、「ハッ、ハッ」という声がつい出て、ハラハラドキドキの展開となります。
 盛り上がったこともあり、3回もやりました。

 1年前の「集会所で楽しんだ「おじゃみの山の棒倒し」」(2025年02月18日)"http://genjiito.sblo.jp/article/191256229.html"という記事で、「おじゃみ」と「お手玉」の全国での使われ方について、簡単な報告をしました。

 全国の社会福祉施設での呼び名を、ネットで検索しただけでも、いろいろとおもしろいことがわかります。
 大まかに言えば、関西は「おじゃみ」で関東は「お手玉」です。しかし、微妙に異なる傾向も見られます。

 例えば、「おじゃみ」は以下の地域で使われていました。
 神奈川県、静岡県富士市、福井県、大阪府枚方市、奈良県香芝市、兵庫県豊岡市、高知県土佐清水市、山口県岩国市、

 対して、「お手玉」は次の地域が見つかりました。
 静岡県、新潟市、名古屋市、大阪府大東市、徳島市、大分市、

 同じ静岡や大阪であっても、両方が確認できました。これはおそらく、現場である社会福祉施設の職員さんが関西と関東とで移動や転居があったために、自分が慣れ親しんだ呼び名で移り住んだ地域で日常的に言い、ホームページやブログなどでも自分の言い方で書いておられる可能性が考えられます。また、男性と女性では呼び方に差があるかも知れません。私は小さい時にこれで遊ばなかったので、大阪へ出た小学5年生以降に耳にした「おじゃみ」が思い当たります。
 そうであっても、関西は「おじゃみ」、関東では「お手玉」と、呼び名が違うことは確かなようです。

 そこで今回は、生成AI氏に訊ねてみました。
 質問は次の問いにしました。

 室内遊技の名前で、「おじゃみ」と「お手玉」の全国での呼び名について教えてください。
 関西は「おじゃみ」、関東では「お手玉」だと思われます。
 そこで、さらにその偏在について、全国の社会福祉施設での呼び名と、一般社会での違いがわかると助かります。

 この質問に対しての生成AI氏の回答は、上記の傾向を裏打ちするものでした。
 私が気になった説明は、つぎの文章です。

介護・福祉の分野では、若い職員と高齢者のあいだで方言理解のずれが起こりうること、また方言が高齢者との関係では**「つなぐ言葉」として働きうることが指摘されています。

 さらに、全国の分布図を問うと、次の図が得られました。都道府県ごとの分布表は、今は省略します。
 自分の出身地によって、その名称が異なることがわかると思います。
 画像をクリックすると精細表示となり、文字が読みやすくなります。


260421_おじやみとお手玉の分布図.jpg


上段は、国立国語研究所『日本言語地図』の「おてだま(お手玉)」の分布をもとに、都道府県単位へ丸めた一般社会での見取り図です。『日本言語地図』は、1957年から1965年に全国約2,400地点を調査した資料で、「おてだま」と「おてだまあそび」を別項目として持っています。
下段は、社会福祉施設での表記・呼称を、確認できた実例に基づいて整理した実例ベースの目安図です。こちらは全国一斉調査ではありません。全国団体名は「日本のお手玉の会」で、東京支部も「東京おてだま」を名乗っており、対外的・公的な表記では「お手玉」が通りやすいことが確認できます。

 こうした結果を見て、これは過去の資料による方言分布図なので、現在はどうなっているのか、新たな興味を持ちました。
 そのことを生成AI氏に訊ねると、次の回答が返ってきました。

1. 全国的には、表向きは「お手玉」に寄っている
(中略)
2. ただし、関西・西日本では「おじゃみ」は今も生きている
(中略)
3. 福祉施設では、現在も「二層構造」になっている
(中略)
4. 「遊び」自体は、昔ほど日常語ではなくなっている
(中略)
5. 今の見立て
以上をまとめると、現在はこう考えるのが最も実情に近いです。
全国共通語・公的表記
→ **「お手玉」**が主流。
関西・西日本の地域語・高齢者の生活語
→ **「おじゃみ」**は今も十分に生きている。
社会福祉施設
→ 「お手玉」単独か、「お手玉(おじゃみ)」併記が実務上もっとも多そう。地域によっては現場で**「おじゃみ」**がそのまま使われる。
6. ひとことで言うと
現在は、「おじゃみ」が消えたのではなく、表記の標準化で「お手玉」が前に出て、地域語としての「おじゃみ」が口頭場面や福祉現場で残っている、という状態です。これは全国団体名が「お手玉」で統一されつつ、支部名や地域実例では「おじゃみ」が並存していることからも読み取れます。これは推定を含む整理ですが、現時点で確認できる資料とは整合的です。

 以上で、「おじゃみ」と「お手玉」の呼称に関して、全国的な傾向がわかったと言えるでしょう。
 このあそびが、一般的な社会ではなく福祉の現場で残っているということは、いずれは消えていくものなのでしょうか。いろいろなことを考えさせてくれる言葉であり遊びです。




posted by genjiito at 20:45| Comment(0) | *福祉介護

2026年04月20日

グリーンカフェでの体操教室で手足が大混乱

 今日は集会所で、グリーンカフェの開店日です。
 いつものように、看板も出ています。

260420_看板.jpg

 100円でコーヒーや紅茶などを注文すると、何種類かのお菓子が盛られた小皿が付いて来ます。好き勝手にいただき、まわりの人とお喋りに興じ、配布されたプリントで間違い探しやクロスワードパズルをします。

 後半は、インストラクターのMさんの主導で、ストレッチを中心とした座ったままでできる体操をしました。そして次に、足と手で「グー・チョキ・パー」をしました。これは、次第に動きがバラバラになり、みなさん大混乱で大盛り上がりです。

 最初、足と手で「グー・チョキ・パー」を10回する時には、誰もが何とかできます。ところが、次に同じように「チョキ・パー・グー」になると、途端に手と足の動きが揃いません。さらに「パー・グー・チョキ」になると手足がパニックになります。私もできませんでした。

 簡単で単純な動きや、シンプルなゲームほど、大勢ですると楽しいものです。出来ない方を見ると釣られてしまうのか、自分も怪しくなるのです。

 帰りに、近くの公園へ行きました。
 ツツジ、ミズバショウ、カキツバタが初夏の雰囲気を伝えています。
 今年も暑い夏が、間もなくやって来るようです。

260420_向島の花.jpg 



posted by genjiito at 21:59| Comment(0) | *福祉介護

2026年04月19日

江戸漫歩(186)大正から昭和初期の田端文士村記念館へ

 今日の散策は、赤羽駅からスタートです。
 昨日から始めた駅のスタンプ集めは、赤羽駅のスタンプ台が見つからなかったのでパスです。
 赤羽駅から田端駅までは、電車で10分ほど。田端駅では、すぐにスタンプが見つかりました。私の隣では、スマホを使ったスタンプの収集をしておられました。デジタル好きの私です。しかし、最近はデジタルと距離を取るようになったので、ここはアナログで楽しむことにします。


260419_田端駅スタンプ.jpg

 「田端文士村記念館」は、駅のまん前にありました。この記念館は、大正から昭和初期を中心として田端に集まった文士や芸術家など約100人の資料を展示する施設です。

260419_文士村.jpg


 ここに集った著名人のリストを見ると、馴染みの名前が散見します。私がすぐに思い出す小説家・詩人・歌人・評論家・漫画家・画家を抜き出しておきます。

芥川 龍之介・岡倉 天心・川口 松太郎・菊池 寛・小林 秀雄・佐多 稲子・サトウ ハチロー・竹久 夢二・田河 水泡・瀧井 孝作・土屋 文明・中野 重治・直木 三十五・野口 雨情・堀 辰雄・二葉亭 四迷・平塚 らいてう・林 芙美子・萩原 朔太郎・村上 元三・室生 犀星

 田端が「文士村」と呼ばれた背景がよくわかる展示でした。
 先月行った大森には、川端康成や北原白秋が集った馬込文士村がありました。しかし、あそこはこうした施設ではなくて、道沿いに作家のレリーフが並んでいて、そこに説明がありました。

 田端文士村記念館は、多くの作家の資料が整然と整理され、丁寧な説明がありました。
 芥川龍之介などの自筆原稿は、推敲の過程がわかっておもしろいものです。現在は、ほとんどの作家がワープロを使っておられるので、推敲の跡を追体験できません。書き手は、自分の思考の過程を知られたくないかもしれません。しかし、読み手としては、どのような考えから表現が確定したのかがわかると、作品を知り、作者を知る手掛かりとなり楽しいものです。

 例えば、芥川龍之介の「羅生門」の場合、冒頭の文章はこうなっています。

ある日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。

 この文章の中の「一人の下人」という言葉について、「一人の侍/交野平六/一人の男/交野五郎/一人の下人」というように、5つもの候補があったと展示の説明にはありました。

 このことを、帰ってから生成AI氏に訊ねると、研究論文での成果を調べた上で、「交野六郎」「交野八郎」の2つが追加できるとのことでした。

 つまり、「一人の下人」に落ち着くまでには7つの候補があったことになります。

 それでは、「なぜ最後に『下人』へ落ち着いたのか」というさらなる質問をすると、生成AI氏の結論では、次の2点が返ってきました。

1. 固有名を消して、人物を外から見る文体に変えたから
草稿ノートでは、主人公は当初、交野六郎・交野平六のような固有名で現れ、作品全体も主人公に寄り添った、一人称に近い書き方で構想されていたと分析されています。そこから完成へ向かう途中で、芥川は主人公を外側から対象化して語る三人称的・分析的な文体へ移っていった、とされています。固有名のある「交野平六」より、身分だけを示す「下人」のほうが、その文体に合いやすいわけです。

2. 一人の個人ではなく、「追いつめられた人間一般」として見せるため
「下人」は名前ではなく、身分・境遇を示す呼び名です。教科書解説では「身分の低い者」「卑賤の者」と説明され、研究でも、芥川が名前を明記せず**「下人」という身分の記号**で登場させている点が指摘されています。つまり、「交野平六」という一人の男の話から、社会の底辺に置かれた、だれでもなりうる人間の極限状況へと、人物を一般化したと考えられます。

本文そのものにも、その工夫が見えます
完成本文では、芥川は主人公をずっと同じ調子で呼ぶのではなく、**「下人」と「この男」**を使い分けています。研究では、これは単なる言い換えではなく、語りの距離を調整し、人物を時に風景の一部のように、時に心理の担い手として見せるための工夫だと読まれています。つまり、最終形の『羅生門』では、主人公は「名のある誰か」ではなく、匿名の存在として観察される人物になっているのです。

 以上をまとめて、次のように整理してもらえました。

「交野平六」という個人の話から、「下人」という境遇に置かれた人間の話へ、芥川が作品の焦点を移した、ということです。
その結果、作品は人物伝よりも、極限状態で人がどう変わるかを示す小説になりました。

 こうした作者の創作事情が、自筆原稿を手掛かりにしてあぶり出すことができるのです。
 どのような考えからクルクルと候補が変わっていったのかは、読者にとっては作品の背景がうかがえて、作者と作品に一歩踏み込んだ読み方ができるようになります。
 展示をみながら、いろいろなことを考えさせられました。

 事前に半日の散策コースを組んでもらった生成AI氏のプランでは、次に田端の文学散歩をし、田端から千駄木まで移動。西日暮里経由の電車で6分ほどの、森鴎外記念館へ行くことを薦められていました。
 しかし、田端文士村記念館だけで疲れたので、ツツジに囲まれた屋外の休憩所で、持参の飲み物やパンやお菓子でお昼ご飯にしました。日向だったこともあり、気持ち良いそよ風の中で汗をかくほどの暑さを感じるようになりました。もう初夏です。

 早々に場所を移り、京都に帰ることにしました。
 昨日の赤羽といい、今日の田端といい、私も妻も、かつては通学や通勤で通っていたのでよく知っている地名でした。しかし、初めて来てみて、若々しい賑やかな街であることがわかりました。




posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ・江戸漫歩

2026年04月18日

日比谷で「宿木」(1)と『百人一首』(12)を読む

 いつものように、午前10時過ぎに新幹線で東京駅に着きました。そして山手線で1駅戻った有楽町駅で降りて、銀座で早い昼食をいただきます。

 今日は、有楽町駅の改札を出たところに、「駅のスタンプ」があることに気付きました。各駅にあるそうです。スタンプラリーが大好きな私は、さっそく有楽町駅の印影を手に入れました。

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 かつては、有楽町駅の皇居側にあるヨドバシカメラの上にある回転寿司のスシローに行っていました。しかし、今は反対側の銀座のマロニエゲート銀座の上にある回転寿司のくら寿司に行っています。清潔感とデザートが違うからです。

 数寄屋橋交差点のすぐそばに、北村西望が昭和6年に「燈臺」と銘打った銅造彫刻を造り、昭和8年に関東大震災10周年記念塔に相応しいとして設置されました。数寄屋橋交番の真裏です。その台座には、「不意の地震に不断の用意」という標語が鋳造銘板に刻まれています。その銘板は、次のように「地震に」の箇所が「地震尓」となっており、変体仮名の「尓」が用いられています。

260418_銘板「地震尓」.jpg

 東京の街中では、京都とは真逆で、ほとんど変体仮名を見かけません。飲み屋さん街へ行ってもそうです。銀座に近い門前仲町に住んでいた頃にも、少しだけしか見つけられませんでした。それだけに、こうして銀座に近い有楽町駅の側で変体仮名の「尓」を見かけると、1文字だけであっても嬉しくなります。

 日比谷図書文化館の入口には、いつものように案内が掲示されています。

260418_図書館の掲示.jpg


 今日も最初は、「相愛大学本『源氏物語 宿木』の変体仮名を読む」。
 これは、今日から読み始める相愛大学本『源氏物語 宿木』(断簡)の第1回となります。
 内容は、次の4項目でした。
(1)今年の葵祭の斎王代のこと
(2)本講座の内容
(3)春曙文庫の『源氏物語』に関する説明
(4)相愛大学本「宿木(断簡)」(今回:第1丁表6行目まで)
  第3丁表までの資料を用意していました。しかし、今日からこの講座に参加なさる方が数人いらっしゃったことに加えて、相愛大学本『源氏物語』(断簡)は今日が最初ということなので、少し丁寧に説明をしました。

(1)今年の葵祭の斎王代については、京都新聞の記事を見てもらいました。

(2)本講座の内容については、次の文章を配布しました。

 鎌倉時代の古写本『源氏物語』の第49帖「宿木」(断簡)に書き写された仮名文字を読みます。
 テキストとする古写本は、鎌倉時代中期に書写されたと思われる古写本の一つであり、美麗な美術品です。具体的には、相愛大学の春曙文庫が現蔵する断簡五冊の内、「宿木」巻に書写されている文字を変体仮名に注目して確認していきます。今回使用する資料は、国文学研究資料館から公開されているパブリックドメインの画像です。
 かつてこれは、ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』(「須磨」「蜻蛉」)と、国立歴史民俗博物館蔵「鈴虫」(重要文化財)と一緒に伝えられていた古写本だったと思われます。春曙文庫に伝わる他の四冊は、第二帖「帚木」・第三三帖「藤裏葉」・第四五帖「橋姫」・第五三帖「手習」で、すべて現在は断簡としての本文しか残っていません。
 この古写本に書かれている文字が、とにかく読めるようになることを、当面は第一の目的とします。一人でも多くの方が、日本の文化資産である変体仮名が読めるようになることを願って開催する講座です。そして、これはデータベースの構築へと展開し、今後は生成AIで分析していきます。

[参考資料]
『ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」』(伊藤編著、新典社、2013年)
『ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「蜻蛉」』(伊藤編著、新典社、2014年)
『国立歴史民俗博物館蔵『源氏物語』「鈴虫」』(伊藤・阿部・淺川 共編、新典社、2015年)
『現代の図書館』(vol.62 no.3、通巻251号、日本図書館協会現代の図書館編集委員会編、2024年)
相愛大学図書館「春曙文庫」の蔵書とその最新研究/阿尾あすか
春曙庵主田中重太郎−その人となりと蔵書形成/山本和明
天理図書館と「源氏物語」古典籍資料−蒐集の経緯・名品の紹介/岡嶌偉久子
日本古典文学作品とAI・機械翻訳について/淺川槙子

(3)春曙文庫の『源氏物語』に関する説明では、田中先生の異文に対する驚きを伝えました。

源氏物語本文について(田中重太郎)
 ところで、源氏物語の本文でも定家の証本がいま定本視されているが、いわゆる別本系の本文と読みくらべると、いまの源氏物語の本文は、なんだかばかに整頓され、みがかれ過ぎた感じがする。架蔵の鎌倉初期書写の源氏物語断簡(昭和三十九年十月刊)を読みかえしていると、こんな本文の源氏物語がすくなくとも平安末期にはあって、読まれていたのだと思い、いま行われている源氏物語の本文と読みあわせると、そらおそろしい気がして来る。(下略)(リーフレット「春曙庵主田中重太郎その人とことのは」(2024.03_ver.01)
国文研共同研究「相愛大学「春曙文庫」に関する研究−書物と人」の成果として製作)、(清少納言と「ほのかなり」と『平安文学研究』第四十二輯、昭和四十四年六月号、『枕草子三十五年』再掲)

 写本の影印資料を見ながら、ゆっくりと進めました。とにかく、今日が1回目ですから。
 第1丁表の6行目までで時間が来ました。
 こんな調子でのんびりと進めて行きます。

--------------------------------------
4)相愛大学本「宿木(断簡)」(今回:第1丁表〜第3丁表まで)
  [変体仮名翻字版](翻字:辻 義孝)
・翻字データの中にある付加情報(/)の記号について
  傍書(=)、 ミセケチ($)、 ナゾリ(&)、
  補入記号有(+)、補入記号無(±)、 和歌の始発部( 「 )・末尾( 」 )、
  底本陽明文庫本の語句が当該本にない場合(ナシ) 、 翻字不可・不明(△)
《メモ》「於」ではなく「お」、「奈」がない、〈行末左〉が多い、「も」「せ」が読み取り難い、「思」と「越」の字形が他の相愛大学本の巻と違う。付加情報に〈行末下〉を追補しない。
--------------------------------------[GBS_497682]
三ち越・ふ三わ遣ける・あとも・みえぬを・三
い堂して・と三尓も・え・いて・【給】八す・いと・け志
幾・ある・み【山木】尓・やとり多る・川多乃・
いろそ・満堂・の古り多る・こ多尓なと・ひ
きとら勢・【給】て・【宮】へと・おほして・も多せ・
【給】・(2026/04/18ココマデ)
--------------------------------------

 終わってから、鎌倉時代の『源氏物語』の本文は今読んでいる大島本の校訂本文とどう違うのか、という質問がありました。
 相愛大学の田中重太郎先生が「こんな本文の源氏物語がすくなくとも平安末期にはあって、読まれていたのだと思い、いま行われている源氏物語の本文と読みあわせると、そらおそろしい気がして来る。」とおっしゃっていたことを例にして、その具体的な本文の違いを、これから読み解いていきたいという、現状では明確に言えない問題であることをお話しました。そのためにも、鎌倉時代の古語の意味を確定する必要があることも言い添えました。
 いずれにしても、大島本以外の本文で『源氏物語』を読むことは、これからの『源氏物語』の受容において大切であり、私が運営しているNPO法人〈源氏物語電子資料館〉では、池田本が大島本に取って代わる時代が近い将来来るのではないか、という見通しは示しました。

 1時間の休憩時間に、お2人の方に翻字の説明をしたので、今日は軽食タイムは見送りました。

 次は、「『百人一首』を2種類の変体仮名で読む」です。

(1)上賀茂神社にある藤原家隆の歌碑の変体仮名を確認しました。

260417_上賀茂の家隆.jpg

   藤原家隆
  【風】そ よ ぐ
 ならの【小川】能
  【夕暮】八

 三所ぎぞ【夏】の
   しる志な
     りける

(2)デパートなどにある小倉山荘の『百人一首』の[変体仮名翻字版]を提示しました。
 今回は「その1」です。ただし、今回から参加なさっている方が数人いらっしゃったので、テキストのことなどを丁寧に説明したので、紀貫之の1首だけを確認することに留まりました。

(3)テキストである『変体仮名でよむ 百人一首』については、86番歌の西行法師から88番歌の皇嘉門院別当の歌までを確認しました。
 これも、初参加の方を意識して説明したので、3首しかできませんでした。
 興味と関心を逸らさないように注意しながら、のんびりと進めて行きます。

 本日配布した資料は、ほとんどを使わないままに終わりました。
 次回、今日の続きとしてお話をすることにします。

 終わってから、これから[変体仮名翻字版]の作業を手伝ってくださる方と話をしながら、妻が待つ3階の閲覧室に向かいました。この日比谷図書文化館で妻は、窓際のイスにゆったりと座り日比谷公園の大好きな植栽を眺めながら、またその向こうには皇居がある落ち着いた環境に身を置きながら、大好きな本を読むことを楽しみにしています。公園を散策したり本を読みながら、私の講座が終わるまでの4時間を、自由気ままに楽しんでいるようです。

 今日は息子が横浜へ仕事で出掛けているため、我々は赤羽駅の前に宿を取っています。初めて訪れる街です。若者たちで賑わう、活気のある街です。




posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ■講座学習

2026年04月17日

集会所で射的を楽しんだ後にジェンダーについて思う

 今日は、射的で空き缶を撃ち落とすゲームをしました。
 吸盤付きの短い棒を発射し、並んでいる缶ビールの空き缶を目がけて打ちます。
 半数は2段に組んであるので、当たれば1回で4〜5個倒れることがあります。
 2巡して、倒した本数の合計を競いました。
 終わってみて、気付いたことがあります。
 今回の順位は、1位-男性、2位-女性、3位-男性、4位-男性だったのです。
 参加者は、男性3名、女性20名弱です。
 そして思いました。射的は男性が得意とする種目なのかな、ということです。
 オリンピックなどに射撃や射的の競技があります。男女で向き不向きがあるのでしょうか。

 ジェンダーについては、生物学的な性別に対するものとして、社会や文化が作り上げる男性・女性という、社会的かつ文化的な性別があります。プラスチックで出来たオモチャの銃を操作するだけなので、そこに男女差はありません。しかし、結果は明らかに男性優位が見られたように思われます。
 生きてきた社会や身を置いてきた文化が、このゲームに影響を与えていると考えることはできないでしょうか。闘うための道具に対する、男女の意識の違いがここに出て来たのではないか、ということです。

 純粋な疑問として、この射的を通してジェンダーについて問題点を感じたので、生成AI氏に聞いてみました。

 質問は、「射撃や射的の競技に、社会的文化的な男女の問題、ジェンダーの問題は議論されているのでしょうか。」というものです。

 国際射撃連盟などの対応を紹介しつつ、男女の競技における性差を巡る詳細な説明が得られました。ただし、射撃を中心としたものであり、煩雑なので今は省略します。

 そして、「射的」については、「男の遊び」「女の遊び」という文化的な見方を通して、さまざまな議論がなされていることを知りました。

 さらに私から、「縁日などの「射的」を通して、ジェンダーの問題点はどうでしょうか。得手不得手などを要素として、わかりやすい説明をお願いします。」と問うと、次の回答が得られました。

・「射的そのものの専用研究は多く見当たりませんでした。なので、ここでは「縁日という場」と「武器・競争・遊びのジェンダー研究」をつないで、言い過ぎない形で整理します。」

・「縁日の「射的」でも、ジェンダーの問題は考えられます。
ただし、ここで大事なのは、
「男の子のほうが本質的に得意、女の子のほうが本質的に苦手」
と決めつける話ではない、ということです。
私が確認した範囲では、縁日の射的そのものを主題にした研究は多くありません。
そのため、以下は 遊びのジェンダー研究 と おもちゃ・遊び方の固定観念 を手がかりに整理した説明です。」

・「「上手だった/下手だった」の意味づけが、男女で違ってしまいやすい。
ここが社会的・文化的にいちばん厄介な点です。
たとえば同じ結果でも、
男の子が当てると「やっぱり得意だね」
女の子が当てると「意外だね」
男の子が外すと「男の子なのに」
女の子が外すと「まあ、そんなものだよね」
というふうに、結果の受け取り方が性別で変わることがあります。
京都大学の研究では、日本の子どもにおいて、
「女性=優しい」というステレオタイプは4歳ごろから見られ、
「男性=賢い」は7歳ごろから見られる可能性が示されました。
研究者は、親や教育者の何気ない言葉や、子ども同士のやりとりなどが関わる可能性を指摘しています。
この研究は射的そのものではありません。
しかし、性別による思い込みが幼い段階から始まることを示しています。
そのため、縁日の射的でも、単なる遊びなのに、「男の子らしさ」「女の子らしさ」の確認の場になってしまうことがあるわけです。」

・「まとめ
縁日の射的について言えば、ジェンダーの問題点は次のように整理できます。
射的におけるジェンダー上の論点
「銃を使う遊び=男の子向け」という思い込みが入りやすい
得手不得手が、先天的能力よりも経験差として作られやすい
同じ成功・失敗でも、男女で受け取られ方が違いやすい
場の設計や周囲の視線が、上手下手に影響する
その結果、単なる遊びが、性別の確認や固定観念の再生産の場になりうる」

 問題の奥深くに食い込む視点での回答なので、なかなか興味深い説明となっていました。
 そうとう長文の説明を受けたので、いつか機会を得て紹介します。
 たかが遊びの「射的」と思わず、その背景にあるものを考えると、おもしろいことがわかりました。ものの見方・見え方・考え方について、視点をずらすと興味深い一面が見えてきました。
 おもしろいものです。




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2026年04月16日

担当医の配慮と走り回る看護師さん

 今日も妻の点滴の付き添いで病院へ行きました。
 いつもの先生の診察では、手続きをするが早いか診察室に呼ばれました。ソファーに座って40分は待つところを、電光石火の診察室入りです。
 あまりの速さに驚いていることを先生に伝えると、面談で今日の状況が確認できたら、すぐに用意してある点滴ができるといいと思って、のことだそうです。ありがたい配慮です。

 2階から1階に降りて、観察室で点滴のファイルを受付のボックスに提出します。これから長い待ち時間があります。
 今日も、1時間以上待ちました。1時間経った頃に妻は受付へ行き、名前を呼ばれたのでしょうか、とそれとなく催促に行きました。他の方を見ていると、忘れられているケースもあるようなので、看護師さんにプレッシャーをかける必要があります。

 案の定、それから5分もしないうちに名前を呼ばれました。とにかく、言ってみるものです。
 点滴が始まってからも、2人の男性の患者さんが、何度もまだ呼ばれないがと不満たらたらの口調で、入れ替わり立ち替わり言い寄っておられました。

 ベッドの間が狭いのと、パイプ椅子で座り心地が良くないので、私は外の待ち合いのソファーで点滴が終わるのを待つことにしました。

 何度か、看護師さんが観察室を走って出て行かれました。看護師さんの絶対数が極端に足りないので、みなさん忙しくて飛び回っておられます。本当に、走っておられます。付き添いだからと言って、私がのんびりと本を読んでいる雰囲気ではありません。

 それでも、いつもより1時間も早く自宅に帰れました。診察してくださる担当医の先生が、サッと手回しよく配慮してくださったからです。

 それにしても、妻の点滴の順番が回ってくるのがおそ過ぎます。
 半年先までの点滴治療の日時は、あらかじめ決まっています。それなのに、毎回1時間以上は待たされます。看護師さんは、順番に用意しています、とおっしゃいます。しかし、妻のようにレカネマブ(レケンビ)の点滴治療は、他にはどなたもいらっしゃらないようです。京大病院からの依頼で、代替病院として請け負って実施してもらっています。
 日時が決まっていて、使用する薬液も特殊なものです。予約が半年前から入っているので、その準備はなされていて当然だと思われるのに、いつも準備をしているという理由で1時間以上待たされています。なにか釈然としません。

 しかも、重症患者や危篤状態の方の隣のベッドの時や、看護師さんが走り回っておられる中なので、心静かに点滴を受ける環境ではありません。付き添いとして私が一緒に来ているので、多忙な看護師さんの目が常に届く場所でなくてもいいはずです。非常ブザーのボタンは手にしているのですから。

 これを言ってはいけないと思いながらも、京大病院では心安らかに横たわれるベッドで点滴が始まり、看護師さんは何かあれば呼び出しボタンを押してください、と言って、後はよろしくと言ってベッドから離れて行かれます。付き添いの家族がいる場合は、それでいいのではないでしょうか。そもそも、この治療は、付き添い人がいることが前提でなされているところがあります。認知機能のことで来ているので、一人だけで来て診察を受けるのは特別の場合のはずです。

 少子高齢化のご時世です。いろいろと事情があってのことと思うものの、今のままのシステムでは、とにかく看護師さんの負担が益々増えていくように思えます。内部では十分承知のことでしょう。しかし、それを患者側に心配させ、不安がらせるのは継続的な医療のためにも得策ではありません。

 今後の高齢化社会を見据えると、抜本的な医療体制の見直しが求められる状況であることを、一患者として思わざるを得ません。これまた、病院側においては重々承知のことでしょう。医療費の問題はさておき、とにかく、人材の確保に尽きるのでしょうが……




posted by genjiito at 20:54| Comment(0) | *健康雑記

2026年04月15日

自宅の大掃除が続いています

 今週は、自宅の家具の移動などを本格的にやっています。
 今から5年前に、大型家具は引っ越し業者の方に設置していただき、そのままで使っていました。しかし、利用勝手を考えると、次第にこれはこちらへ、あれはあちらへと動かしたくなります。そこで、思い切って配置替えをすることにしたのです。

 洋服ダンスを置く場所を隣の部屋に移し、和室にあった仏壇を同じ部屋の南側に移動しました。
 妻と2人で、エッチラオッチラ、少しずつ家具などを動かしました。そして、今日で完了。

 仏間には、生まれたばかりの長女を抱く両親の写真や、戦後の強制抑留に対する国からの慰労状と銀杯、そして西国三十三所の朱印額や百鶴図などが揃いました。
 もうすぐお彼岸なので、やっと間に合い安堵しています。

 その仏間には、お茶のお点前をするための風炉の室礼を、新たに設けました。
 これで、いつでもお茶を点てられます。
 妻がお稽古を楽しく続けているので、そろそろ点ててもらおうと思っています。
 少しずつでも、それなりに雰囲気を大切にしたお点前を、自宅でもしたいからです。
 初夏にかけて、季節を感じられるお茶を、この宇治の地でのんびりといただくことにします。




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2026年04月14日

昨日の法華寺でいただいた入浴剤の効能

 昨日、奈良の法華寺でいただいた「施薬院・くすり湯」という入浴剤を、今夜のお風呂に入れたところ、身体がホカホカと温まり、疲れが一気に取れた気がしています。

 そこで、生成AI氏に、これはどのような効果によるものなのかを聞きました。
 提示した情報は、成分として明記されていた「シャクヤク・トウキ・オウバク・ドクカツ・センキュウ・チンピ・ガイヨウ・コウカ」です。

 これら8種は「体を温め、血の巡りを促し、痛みや荒れを癒す」目的で配合され、体の芯から温める・血行をよくする・温浴効果を高めてリラックスする、とされているものだそうです。

 以下、生成AI氏の説明を引きます。

■どうして「ホカホカ」「疲れが取れた感じ」が出やすいのか
 特に中心になっていそうなのは、当帰・川芎・紅花です。
 これらは一般に、冷えや血行不良に関係する処方で重視される生薬で、当帰は冷え症の改善目的で多く用いられ、川芎は血行改善、紅花は血流促進・血の滞りの改善で知られています。
 ですから、湯の熱に加えて、こうした配合が「湯上がり後も温まりが続く」感じにつながった可能性があります。

 さらに、芍薬と独活は、一般に筋肉痛・腹痛・こむら返り・関節痛・頭痛など“痛み”や“こわばり”に関わる処方で使われます。入浴後に「身体がゆるんだ」「疲れが抜けた」と感じたなら、こうした方向の作用イメージとも合います。

 加えて、艾葉は体を温める方向、陳皮は芳香性があり健胃・鎮静・去痰作用を期待して使われる生薬です。入浴中の香りで気分が落ち着くと、主観的には疲労感が軽くなったように感じやすいです。

 黄柏は外用で消炎方向に使われることがあり、肌荒れや軽い炎症っぽさに配慮した配合とも読めます。商品側でも、肌の荒れを防ぐ方向がうたわれています。

■まとめると
 この入浴剤で感じられたのは、主に次の組み合わせだと考えるのが自然です。
・湯そのものの熱
・当帰・川芎・紅花などによる「巡り」「冷え」方向の配合
・芍薬・独活などによる「こり・痛み・こわばり」方向の配合
・陳皮や艾葉の香りによるリラックス感
したがって、あなたが感じた
「身体がホカホカする」→血行・保温感
「疲れが一気に取れた気がする」→温浴+筋肉のゆるみ+香りによるリラックス
という理解で、かなり筋が通っています。


 なるほど、そのような効果があったのか、と納得しています。
 この説明の中でも、「川芎は血行改善」「紅花は血流促進・血の滞りの改善」とあるのは、私の脳梗塞で処置されている血液サラサラに該当します。
 また、ここ数日は家具の移動などで筋肉を使っているので、「芍薬と独活は、一般に筋肉痛・腹痛・こむら返り・関節痛・頭痛」に効くとされていることに思い至ります。
 さらには、お腹の不調と花粉症で鼻や喉が荒れていたことは、「艾葉は体を温める方向、陳皮は芳香性があり健胃・鎮静・去痰作用」とあるものに関係します。「黄柏は外用で消炎」とあるのは、花粉症や皮膚のかゆみの緩和に効果があったようです。

 ということで、この入浴剤に配合されていた漢方は、今の私にピッタリだったようです。
 いつも、薬局で入手した薬用入浴剤を入れて温泉気分を満喫しています。これからは、こうした漢方薬を配合したものも取り入れて、快適な日々が過ごせるようにアレンジしたいと思います。




posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | *健康雑記

2026年04月13日

古都散策(80)お茶のお稽古の後は法華寺へ

 早朝より、妻のお茶のお稽古の練習に付き合いました。袱紗さばきが中心です。慣れないと、戸惑うことも多いので、何度も繰り返しやりました。
 実際に先生の前では、緊張しすぎたのか朝の練習をすっかり忘れ、いろいろと迷走しながらのお稽古となっていました。それでも、初めて取り組んでから4ヶ月ということもあり、回を重ねる毎に出来ることが増え、今日は1通り盆略手前の最後までをやり通していました。
 とにかく、身体が覚えるまでは、手順はともかく繰り返しの練習が肝要です。楽しいと言いながら取り組んでいるので、このまま続けることでさらに新しい面白さを見つけることでしょう。

 私は、あらかじめ道具を出しておき、座りながら道庫に手を伸ばしてお点前を進める薄茶のお稽古をしました。今日は、両膝にタオルを敷いて、右や左へ膝を移動させながら進めました。これで、動きが相当楽になります。流れるように、とはいきません。しかし、それなりに形にはなっていたようです。
 道具がすでに出ている状態でのお点前なので、勝手がちがいます。しかし、これも1つのやり方なので、しばらくはこのやり方で進めて行きます。

 終わってからは、近くのバス停から法華寺前まで移動し、奈良時代に光明皇后が父の藤原不比等の邸宅跡に建てた門跡尼寺の法華寺へ行きました。

260413_法華寺山門.jpg


 時間がなくて、本堂だけを拝観しました。国宝で光明皇后がモデルだといわれている十一面観音立像は、秘仏のために今日は見られません。次の開扉は、6月5日から14日までだそうです。日時があえば、また来たいと思います。

 光明皇后は、夫である聖武天皇と共に仏教を篤く信仰しました。法華寺には、「からふろ」と言われる重要有形民俗文化財の浴室(今のサウナ)があります。光明皇后が天平時代に、千人の垢を自ら流したという伝説の蒸し風呂です。日本の社会福祉の原点とも言える建物です。

 受付に、法華寺施薬院「くすり湯」という入浴剤があったのでいただきました。
[成分]シャクヤク・トウキ・オウバク・ドクカツ・センキュウ・チンピ・ガイヨウ・コウカ

260413_法華寺の入浴剤.jpg


 境内には、『万葉集』に載る山部赤人の和歌が刻まれた歌碑が、新芽をのぞかせる桜を背景にして建っていました。

260413_赤人の歌碑.jpg

以尓しへ乃【古】き
   徒ゝみ盤【年】婦可三
 い希能なき佐尓
    【水】くさ【生】に介り

 また、会津八一の歌碑もあります。これは、すべての文字が現行の五十音図にある平仮名です。

260413_会津の歌碑.jpg

ふちはらの於ほききさきを
  うつしみに あひみることく
 あかきくちひる

 法華寺から近鉄新大宮駅までは、ぶらぶらと歩きました。
 途中で、佐保川に咲きかかる桜と出会いました。

260413_佐保川の桜.jpg

 佐保川には風情が感じられません。しかし、桜はみごとでした。




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2026年04月12日

宇治に転居してちょうど5年目に家具の大移動

 京洛下鴨から、この都の辰巳にある宇治の地に転居して来たのは、2022年の4月でした。
 思い返すと、2021年の年末に役職を辞し、明けてお正月には誰も思いもしなかった成り行きを経て、1月末に家移りの話が持ち上がりました。翌2月になって、私自身が思っても見なかった、宇治の町で過ごすことになりました。
 まさに、『源氏物語』の正編の世界から、続編の宇治十帖の物語の中に生活を移したのです。

 京町家の風通しのいい木造家屋から、東京にいた時の官舎と同じマンションスタイルの、密閉された空間での生活になりました。

 ただし、一昨年には税務署の方お2人がお越しになり、いろいろとヒアリングや契約書の確認などを私の部屋で受けました。マネーロンダリングを疑われたようです。
 動いた資金の多くがNPOのボランティア活動や善意の活動支援に回っていたこと、間に入ってくださった不動産屋さんのアドバイスを得て、まったく問題がない転居であることが証明されました。
 この、奇怪な税務署の動きと、その後に届いた失礼千万としかいわざるを得ない、問題がなかった旨の意味不明の通知書などのことは、後日整理して報告します。

 有無を言わさず我が家に乗り込んで来られた、というのが実態でした。私は、警察に別室で待機してもらう算段をしていたくらいです。このご時世に、押し込み強盗のように人の家に強引に上がり込もうというのですから、特殊詐欺グループと同じ手法で税務調査をなさっているのです。時代錯誤の感覚であることは、対面で話をしていた時にも言いました。正義の味方気取りでお仕事をなさっているようです。しかし、今の時代はお役人根性丸出しでは、人権無視も甚だしいと言わざるをえません。

 税金逃れの悪い人が多いので、そうした手法で捜査せざるをえないかもしれません。しかし、疑惑を前提に来られても、まったく思い当たることもなく問題のない対処をしている一般人には、この税務署のやり方には大いに疑問を持ち、その疑問はお越しになった方に申し上げました。

 そんなことがあっても、この宇治での生活は、快適に進んでいます。
 予想外だったのは、犬の鳴き声に端を発した、私の脳梗塞でしょうか。しかし、それも今は順調にリハビリを続けていて、不自由は感じるものの特に大きな障害には至っていません。
 また、とんでもない2つの歯医者さん、冷酷な診察拒否にも合いました。これも貴重な経験としましょう。

 今月で宇治の生活も5年目に入ります。
 冬は暖房効果がよくて暖かく、夏は冷房効果がよくて涼しい、過ごしやすい日々です。あの、すきま風に震え、熱暑に悩まされた京町家とは違い、このマンションタイプの部屋は温度が一定で快適です。

 そう思っていたところ、最近になって洋服ダンスの裏側がカビで真っ黒になっていることに気付きました。朝晩の温度差から、ガラス戸に多くの露がつくために、水滴取りが大変でした。そんな経験がこれまでになかったので、まさかカビなどが拡がっていようとは思わなかったのです。

 今日は、和室のベランダ側にあった洋服ダンスを、別の洋室に移しました。妻と2人で、本が堆く積まれた狭い通路を縫うようにして移動させました。縦長の鏡が1枚割れました。
 この洋服ダンスは、母が買ってくれたもので、妻が大切に使っていたものです。処分したくないというので、部屋の移動をしてカビ対策を施しました。
 久しぶりに大きな家具を運んだこともあり、今は筋肉痛になる直前です。

 これに伴い、ちょうどいい機会でもあるので、和室の模様替えをすることにしました。
 仏壇を洋服ダンスがあった場所に移動し、この和室でお茶が点てられるように室礼を変えようと思っています。炉は切れません。自慢の炉縁の出番はありません。しかし、風炉であれば道具はすべて揃っています。

 久しぶりの模様替えです。新鮮な気持ちで、新たな生活の場となるようにするつもりです。




posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | *身辺雑記