2022年05月23日

京洛逍遥(795)京大病院で定期検診の後は左京区役所へ

 糖尿病の検査と検診のために、京大病院へ行ってきました。
 いつもと違い、近鉄と京阪を乗り継いでのお出かけです。大好きな病院通いなので、通院を楽しんでいます。病院へ行くと、自分の身体が今どのような状況にあり、生き続けるためには何に注意をすればいいのかを教えてもらえるのです。こんなに楽しくておもしろいことは、めったにありません。

 電車に乗っているのは30分弱なので、これまでのバスだけの時とほとんど変わりません。降りる駅の神宮丸太町駅は、山中伸弥先生がおられる iPS 細胞研究所に隣接する場所にあるので便利です。
 賀茂川の河原に立つのは久しぶりです。鴨も鷺も、丸太町橋の近くの散策路の脇まで来て出迎えてくれました。

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 病院の間近に聳える大文字山は、少し靄っています。

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 院内では、検温と手指の消毒はいつものままながら、新型コロナウイルスに関する問診票はなくなっていました。感染が少し収まってきたからでしょう。館内放送では、注意喚起のお知らせは相変わらず流れていました。

 今日のヘモグロビンA1cの値は「7.1」。去年の7月からの推移は、
「7.3 → 7.5 → 7.6 → 7.3 → 7.2」
となっていたので、今回の「7.1」は順調に下がり、高い中でも低めに移行して安定していると言えます。消化管がない私には、この高め安定でいいようです。今後とも、上がり下がりが極端にならないように、食事に気をつけることが肝要です。
 課題でもある鉄分は、蓄えがなくなってきたのか少し下がり気味です。もう少し鉄分を摂ることを意識しましょう。
 今回新たに変化が見られたのは、肝臓の機能低下の程度を示す指標(AST や ALT)と、筋肉のダメージがあります。特に「CPK」(筋肉細胞にもっとも多く含まれている酵素の一種)の値が、昨年の7月から今回まで、次のように変化しているのです。
「72 → 106 → 68 → 111 → 120 → 517
 今回は「517」と急激に高く上がっています。CPKが大きく上昇している場合には、過度な運動などによる筋肉のダメージや筋肉に損傷が加わるような病気が考えられるそうです。これは、2週間前に、もののみごとに転倒したことが筋肉の働きに影響しているのでは、とのことでした。それに関連して、肝機能も多少高めに出ているのではないか、との見立てです。あの転倒がどれだけ酷いことであったのかが、あらためて知らされました。この CPK の値は、転倒の打撲と出血に関連しているものと思われるので心配ないでしょう、とのことです。この次の診察でまだ高いようであれば、その時にまた考えていただけます。いずれにしても、今急いで対処する程の問題ではなさそうです。

 主治医の先生からは、この調子で様子を見ましょう、とのことでした。とにかく、私はまだまだ元気に生き続けられるようです。安心材料を提供してくださる先生には感謝しています。これまで通り、後ろを振り返ることなく、ひたすら前を向いて歩んで行きます。

 糖尿病の薬を病院の前の薬局で受け取るのに、40分以上も待たされました。調べてみると、新しい宇治の住まいのすぐそばのドラッグストアでも、処方箋の調剤を受け付けていました。慌てることはなかったのです。

 病院からの帰りに左京区役所へ立ち寄り、引っ越しに伴う残っていた手続きをしました。4箇所の窓口でこれまでにやったことのない手続をしました。息子に電話で確認をしたり、忘れてしまったことを必死で思い出したりと、気疲れの連続です。役所の担当者の方は、手慣れた処理を迅速にしてくださいました。しかし、私の方になかなか面倒なことが多く被さってきて、これまた膨大な時間を費やしました。

 区役所からは、地下鉄烏丸線の松ヶ崎駅から直通で自宅まで帰れます。京都五山の送り火では低い位置にあるために地味で目立たない「妙法」の「妙」の字が、すぐ目の前にあります。「法」の字は、高野橋から高野川沿いに見えるので、これまでにも何度も写真で紹介しました。「妙法」の字は、共に低い山に火が灯されるので、なかなか直接見ることが難しい送り火となっています。

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 家に帰り着いたのは夕方でした。朝早くから出かけて1日仕事をなんとか終え、とにかく一安心しています。この歳になっての引っ越しは、心身共に負担が多いことであることをあらためて痛感しています。それでも、新しいスタートを切る新鮮で爽快な気持ちを味わっているので、これまた良い意味で前向きに生きる充実感があります。
 
 
 
posted by genjiito at 21:03| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2022年05月22日

京洛逍遥(794)宇治川公園を散策

 宇治川公園へブラブラと行ってきました。
 川を挟んで、対岸の右には観月橋駅が、左には中書島駅があります。

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 公園には15面もの野球場があります。もっとも、外野のフェンスがないので、外野手の後ろにボールが飛ぶとホームラン。少年野球の利用を考えてのグラウンドのようなので、これでいいのでしょう。
 土手から近鉄京都線越しに、伏見桃山城が望めました。

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 このお城は模擬天守です。「伏見桃山城」と言われているのは、豊臣秀吉や徳川家康の時代にあった「伏見城」と混同しないように、ということからの命名だそうです。かつてはこの場所に、「伏見桃山城キャッスルランド」という遊園地がシンボルとしてありました。ただし、2003年(平成15年)に廃園となりました。
 私は、子供たちを連れて近畿のいたるところへ車で行きました。しかし、このお城には連れて行った記憶がありません。
 宇治川公園が拡がる河原の方へは下りませんでした。この次に、散策路を探しに来たいと思っています。
 今日の歩数は 10,199歩。昨日の東京では、長時間電車に乗っていても10,306歩。この一週間は毎日9,000歩以上を歩いています。今月の平均歩数は、今日までで 8,973歩、先月4月は 9,853歩。今年の1日の平均歩数は 8,916歩です。快調に日々歩いています。
 
 
 
posted by genjiito at 23:49| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2022年05月21日

日比谷で橋本本『源氏物語』を読み進む(25)

 日比谷図書文化館での源氏講座(終日)は、まず、午前中は「異文を楽しむ講座」です。この講座は、2年半前の2019年11月9日から始めました。それまでの、講座の後に有楽町で課外講座として有志の方々と討議していたものが、本講座として新設されたのです。しかし、2020年2月15日に異文を扱った4回目の講座を開講した後は、新型コロナウイルスが蔓延したため、以降は休講となっていたものです。
 参考資料として用意した、小学館の古典セレクション『源氏物語A』(1998年4月)と岩波文庫版『源氏物語(一)』(2017年7月)の本文・現代語訳・注を見て、内容を確認しながら丁寧に進めました。今回は特に、藤壺が出て来る場面に限定した内容を、3回に分けて扱います。かつて、「日比谷で源氏の橋本本を読む(17)[藤壺の場面の本文異同]」(2019年12月14日)でこの藤壺に関する箇所を扱ったことがあります。それを、さらに詳しく見ていこう、というものです。
 本文と訳と注を見ながら、藤壺に関する部分の三分の一の分量を確認しているうちに、あっという間に90分が来てしまいました。今日は、17種類の諸本を校合した資料を配りました。しかし、そのほとんどは次回に持ち越しです。
 本日取り上げた唯一の事例は、次のものです。

62 光源氏は王命婦の手引きで、病気で里邸に退出中の藤壺と密通する

ふちつほの宮[橋=中陽池御国肖日穂保伏天]・・・・052889
 ふしつほの宮[大]
 ふちつほのみや[尾高尾]
 藤つほの宮[麦阿]
この[橋=尾中陽高天尾]・・・・052890
 ナシ[大麦阿池御国肖日穂保伏]
ころ[橋=尾中陽高天尾]・・・・052891
 ナシ[大麦阿池御国肖日穂保伏]
わつらひ/つ〈改頁〉[橋]・・・・052892
 なやみ[大麦阿池御国肖日穂保]
 わつらひ[尾中陽高尾]
 なやみ/や〈改頁〉[伏]
 わつらふ[天]
給[橋=尾中麦阿陽御国肖穂保伏高天尾]・・・・052893
 給ふ[大]
 たまふ[池日]


 ここで、橋本本のグループは「このころわつらひ給」とあるところを、大島本のグループは「なやみ給ふ」となっています。一般的には、「わつらひ」は肉体的な苦痛を言い、「なやみ」は精神的な苦痛を表現している、とされています。客観的な視点と主観的な視点の違いだとも言えます。
 まだ藤壺の話が始まったばかりのところなので、こうした違いがあることを記憶に留め、次回から2つに分別される本文群を見ていくことになります。

 お昼休みの時間帯には、地下のラウンジで軽食をいただきながら約束していた方と、博士論文を刊行することに関する
打ち合わせをしました。今夏には刊行の予定です。私の持論である、研究書には索引は必須であることを、今日も確認しました。完成が楽しみです。

 午後は「翻字者育成講座」(120分)です。以下の内容で進めました。
 最初に、先週の5月9日にお亡くなりになったコーツ先生のお話と大江健三郎氏のことを取り上げました。これは、過日大阪府立中之島図書館の源氏講座の内容と被ります。
 橋本本『源氏物語』「若紫」の変体仮名の確認は、「小見出し:[96]少納言の乳母は困惑するものの紫の上のことを思って涙をこらえる」からです。テキストでは、59丁裏6行目「【二条】の【院】者・ち可遣れ八」(055081)からとなります。今日確認する範囲は、特に大きな問題はないので、とにかく1文字でも多く見ていくことに徹しました。
 いろいろなお話をしながら、どんどん前に進んだので、気がつくと写本で3丁分、テキストでは6頁も変体仮名の確認をしたことになります。
 今日は「を八春るも・者可那しや」(62裏8行目)まで見ました。次回は、「[103]留守にする光源氏は紫の上のために手習いの手本などを残していく」という小見出しをつけた「き見八・ふつ可【三】可」(62裏8行目)からです。
 『国文学研究資料館蔵 橋本本『源氏物語』「若紫」』も、残すところあと3丁分、テキストで6頁で終わりです。今期の講座は全3回のシリーズなので、次回の第2回ですべてを終わり、その後は第3回を含めて、どのような言葉がどのような字母を用いて表記されているかを、総整理を兼ねて見ていく予定です。例えば、「葉」「盤」「半」はどのような言葉のどのような場所に使われているか、などです。

 朝、日比谷公園に着くやいなやにわかに大雨となった天気も、夕方帰る時にはすっかり上がっていました。野外音楽堂では、若者の歌声とバンドの大音響があたりの空気を激しく振動させています。公園の大広場では、多くの方がビールを飲みながらバンドの演奏や会話を楽しんでおられます。コロナ禍などどこ吹く風、という熱気に満ちています。東京の若者よ、大丈夫かい? と言いたくなりました。どこか別の国に足を踏み入れたような思いで、有楽町から東京駅経由で新幹線に乗って京都に帰りました。
 
 
 
posted by genjiito at 21:18| Comment(0) | ■講座学習

2022年05月20日

本日は昨日に続きお休みです(5月-5/8)

 先月から、原則として週休2日としています。
 今日は、昨日に続きお休みです。

 書庫になる部屋の前も中も、段ボール箱が5段重ねでこの1ヶ月間は埋まっていました。
 それが、今日ようやく隙間を作り、微かな空間を利用して中に入れるようになりました。
 さて、これからこの本たちをこの部屋のスペースにどう並べたらいいのか、悩ましい課題に直面しています。
 とにかく、あせらずのんびりと、なるようになると思って整理を続けます。

 回遊魚と言われる私も、加齢と共に生活と行動の速さをさらに落とし、ゆとりのある日々を心がけるようにしています。
 
 
 
posted by genjiito at 20:12| Comment(0) | *健康雑記

2022年05月19日

本日はお休みです(5月-4/8)

 先月から、原則として週休2日としています。
 今日も、書庫にする部屋が段ボール箱の山で窓が見えない状態なので、どこから手を付けたらいいのか途方に暮れていました。根気強く取り組むしかありません。

 回遊魚と言われる私も、加齢と共に生活と行動の速さをさらに落とし、ゆとりのある日々を心がけるようにしています。


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posted by genjiito at 19:59| Comment(0) | *健康雑記

2022年05月18日

姉の家で会食後は阿保親王の塚へ

 引っ越しでお世話になった姉の家にお礼を兼ねて訪問し、いろいろと楽しい話をしてきました。話し出すとキリがないものです。夕方までのんびりと、長居をしてしまいました。
 帰りに、すぐ南側にある「芦屋十景 親王塚の森」と呼ばれている阿保親王塚古墳に立ち寄りました。阿保親王は、『伊勢物語』で知られる在原業平のお父さんです。この塚のことは、すでに「芦屋の阿保親王塚古墳を散策」(2018年12月24日)で詳しく書きました。ただし、説明板が3年前よりも新しくなっており、文章も簡略なものに変わっています。2つの文を比べると、古い方の説明文が歴史的な背景もよくわかり、いい説明だと思うのですが……

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 今日は表敬訪問です。古墳はきれいに、整然と守り伝えられています。入口の柵の左側には、榊がお供えしてありました。篤信家の方が置かれたのでしょうか。

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 いまだに引っ越しの荷解きをする日々の中で、少し気持ちが休まる1日となりました。
 
 
 
posted by genjiito at 20:35| Comment(0) | ■古典文学

2022年05月17日

京洛逍遥(793)隠元橋から萬福寺まで散策

 過日、「京洛逍遥(791)宇治川に架かる隠元橋」(2022年05月06日)を書いた時、隠元禅師にまつわる「黄檗開山隠元禅師渡岸之地」の碑が隠元橋の袂にあることを簡単に記しました。今日は、その碑から萬福寺までの散策です。
 右の道をまっすぐ東に向かって歩けば、萬福寺に着きます。

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 碑の背面には、関係する情報が刻まれています。画像をクリックすると精細表示となり、文字が読めます。

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 道沿いに許波多神社、西導寺、寶善院があったので、お参りをしました。

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 萬福寺の手前にある宝蔵院には、有名な版木が収蔵されています。今も日常的に見られる明朝体の文字や、原稿用紙の元となった「鉄眼版一切経版木」(重要文化財)がここにあるのです。いつか、ゆっくり拝見したいものです。

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 隠元禅師三五〇年大遠諱の法要が、先月4月3日に執り行なわれました。ただし今回は関係者のみでの法要ということで、いろいろな制約の中で慎重に対応しておられます。

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 境内の三門左手前にあった句碑を、変体仮名の資料とするために紹介します。

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    【出】れ八
【山門】越
  【日本】楚
   【茶摘】う堂
  七十三齢菊舎


 また、総門前に建つ「黄檗宗大本山萬福寺」と刻まれた標柱の背面に「大阪奈ん者"」とあるので、昭和14年の文字資料として掲載します。

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 なお、萬福寺の詳細は、また来るはずなのでその時にします。
 
 
 
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2022年05月16日

病院の診察システムで思ったこと

 先週の転倒で両手両足を擦り剥いた怪我について、5日経った今日、再診で診てもらいました。予約制の病院ではないので、特に再来日を指定されたわけでもなく、自発的に診察を受けに行くことになります。
 前回は、本来なら皮膚科であるところを、担当の先生がいらっしゃらなかったので整形外科で診てもらいました。今日は、最初から皮膚科での初診です。
 待ち時間は1時間半。予約制にしないのは、患者さんのほとんどが年配者なので、約束した日時にきちんと来てもらえるかどうか、という問題がありそうです。また、診察の番号札がないのは、渡しても札が行方不明になり、誰が何番なのかわからなくなるため、結局は看護師さんが患者さんの名前を呼んで診察室に入ってもらうことになったようです。実際にそうした光景を、前回も今日も見かけました。
 また、皮膚科で診てもらった際、先週整形外科で受けた診察の情報がまったく参照されないままに対応されました。こちらから申告して、やっとそうだったのですか、となるのです。
 ケガで擦り剥いている件については、もう直りかけなので水で洗い流すだけで大丈夫だとのことでした。左手の掌は、目を背けたくなるほどにまだ悲惨な状況です。外出の時には、大きめのバンドエイドで隠すことにします。
 ケガのことだけで終わったので、MRIの結果を知りたいと言うと、そうでしたか、それなら整形外科でとなり、また順番待ちです。
 整形外科に行くと、看護師さんがケガの傷の具合を診て終わろうとなさるので、MRIの結果を知りたいと言うと、それならということでまた診察待ちとなりました。前回と同じ先生が対応してくださり、MRIの写真を丹念に見ながら、骨折はないし細かなヒビ割れもないので心配はないでしょう、とのことでした。とにかく、これで一安心です。
 今日の2回目の診察でわかったことは、患者の情報が担当医以外の先生や看護師さんと共有されていないことです。そのため、今回のように2つの科にかかる時には、私の情報が途切れ途切れで管理されており、何度も説明することになり効率が悪いのです。これでは、個人経営の専門店が集まったショッピングセンターのような病院だと言わざるをえません。
 いろいろな経過があって、今の方式になったと思われます。まだ2回目なので、もうしばらく様子を見ることにします。京大病院と連携しているとのことなので、いずれは接点が拡がることでしょう。
 初めて行った病院なので、いろいろなことが見えました。新鮮な目で見ることはいいことです。日時の経過と共に見えなくなるのですから。
 
 
 
posted by genjiito at 21:53| Comment(0) | *健康雑記

2022年05月15日

京洛逍遥(792)宇治川畔の興聖寺と急流

 父の祥月命日に当たる今日は、朝早くから仏壇にお膳をお供えしました。

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 引っ越しのどさくさでお箸が見つからなかったので、大急ぎで割りばしを削って造りました。
 昨夜から、お参りするお寺を思案していました。仏事の原点に還ることにして、宇治川の河畔に建つ道元禅師の初開道場である興聖寺へ行くことにしました。ここは、曹洞宗最初の禅寺です。偶然ながら私の家と妻の家は共に宗派が曹洞宗で、本山が永平寺でした。歴史好きで意気投合していた両方の親が、その奇遇に喜んでいたことを思い出しました。

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 山門に向かう参道は琴坂と言われ、人気の観光スポットです。今の新緑はもちろんのこと、秋の紅葉も楽しみです。

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 禅寺の風情の山門が迎えてくれます。

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 寺内では、禅寺特有の七堂伽藍を巡りました。うぐいす張りの床は、気持ちを明るく楽しくしてくれます。
 宝物殿には、平安時代中期の木造聖観音立像である手習観音が安置されています。『源氏物語』の宇治十帖に関する「手習之古蹟」である「手習の杜」に祀られていたものだとされています。ここは永平寺などと同じように、修業修養の場として今も使われているので、観光感覚での写真は遠慮しています。それでも、『源氏物語』となるとどうしても紹介したいので、受付でいただいたリーフレットから引きます。

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 また、「茶祭り」においては、栄西禅師・明恵上人・千利休など三人の茶祖への感謝と宇治茶の隆盛を祈る行事が行なわれています。茶筅の塚は、山門の近くにあります。さらには、かつては三つ以上の茶亭があったそうです。そうしたことは、また後日にしましょう。

 宇治川に出ると、ダムの放流の影響ということもあり、水の勢いが迫ってきます。

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 夜は、妻と二人だけで父の思い出話をしながら、ささやかな会食です。
 父が最後に入院した大阪赤十字病院のベッドの枕元にあったプレートが、引っ越しの荷物の中から昨日見つかりました。それを仏壇に飾り、伊藤久右衛門の茶そばで父忠右衛門を偲びました。

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posted by genjiito at 21:47| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2022年05月14日

父の祥月命日の用意を進めています

 大正5(1916)年12月生まれの父は、昭和58(1983)年5月15日に68歳で亡くなりました。戒名は「文徳忠衛居士」。文章を書くことと川柳の句作が大好きでした。父の川柳句集については、「わが父の記(1)感謝の念を伝える」(2008年03月26日)を参照願います。
 明日が祥月命日です。これまで両親のために、とりたてて祥月命日に何かをしたことはありません。しかし、宇治という新しいところに住まいを移したこともあり、これを機会に両親の供養をこれまで以上に心がけよう、という気持ちが生まれてきました。法事や法要を営むほどのことは考えていません。折々の節目に気持ちを一新する、ということで供養に代えたいと思っています。
 仏壇は、引っ越しの時に荷造りをしながら整理をしただけだったので、あらためて隅々まできれいに掃除をしました。
 甘いものが大好きだった父のために、小豆の牡丹餅をお供えしています。
 お花は、紫と黄と白の小菊にしました。菊の花言葉は「清浄」とか「高尚」だそうです。菊には邪気を払う力があるので、こんな時には最適な花です。
 西国三十三所の6巡目の札所巡りが、次は4番の槇尾山施福寺(槇尾寺)からです。しかし、これは遠出となり険しい山登りなので、今回は行けません。5番は紫雲山葛井寺(藤井寺)、6番は壺阪山南法華寺(壺阪寺)、7番は東光山龍蓋寺(岡寺)、8番は豊山長谷寺(初瀬寺)、9番は興福寺(南円堂)、10番は明星山三室戸寺(御室戸寺)と続きます。我が家に近い宇治の三室戸寺は、すでに昨年の紫陽花の頃にお参りしています。
 うーん。今晩、ゆっくりと考えます。
 
 
 
posted by genjiito at 20:46| Comment(0) | *身辺雑記

2022年05月13日

本日はお休みです(5月-3/8)

 先月から、本ブログは原則として週休2日としています。
 相変わらず引っ越しの荷物に埋もれる中で、本が詰まった段ボール箱を開けてはその置き場に私案する日々です。
 昨日の転倒による負傷は、足は問題ないものの、手は今しばらく日にちを必要とする状況です。

 回遊魚と言われる私も、加齢と共に生活と行動の速さをさらに落とし、ゆとりのある日々を心がけるようにしています。


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posted by genjiito at 22:28| Comment(0) | *健康雑記

2022年05月12日

道で転倒し両手足を負傷したために病院へ

 昨日、中之島図書館での源氏講座へ行くために駅へ向かっていた時です。慌てなくてもいいのに、キャリーバッグを引っ張って走り出したところ、少しデコボコだった歩道で足がもつれたのか、ものの見事に転倒しました。四つん這いで前のめりに突っ込み、さらに一回転した時に頭も打ちました。頭の痛みはすぐになくなったものの、肩は強く打ったようでずっと痛さが続いていました。
 家を出てからすぐだったので、大急ぎで引き返して消毒スプレーをした後、大小さまざまな大きさのバンドエイドを傷口に貼りました。両手両足の広い範囲で出血しています。左右共に掌なので、外側からは見えません。講座に支障はありません。
 気を取り直して出掛けたところ、電車で乗り換える駅を乗り過ぎてしまっていることに気づきました。痛さに気を取られていたからでしょうか。宇治から大阪へ行くのは昨日が初めてだったということもあります。中之島図書館には、講座の開始時間ギリギリに着くという連絡はしておきました。
 何とか、会場には時間通りに行けました。すぐに、印刷と配布をお願いしていたプリントでお話を始めた頃には、手のひらのバントエイドは出血で真っ赤です。
 講座の内容については、昨日のブログで報告した通りです。しかし、緊張感とお話しをすることに夢中だったので、痛さは気になりません。コーツ先生がお持ちだった『源氏画帖』のことから語り出したので、哀悼の意を込めてなおさら最初から熱中していたこともあります。
 特に違和感もなく『源氏物語』の古写本を受講者のみなさまと一緒に読んだ後、帰りの電車の中でホッと一息つくと、急に手足の出血によるピリピリした感触と、頭を打ったためか少しボーッとし出しました。
 家に着くと、何回目かの消毒とバンドエイドの貼り替えをして、中之島での講座のことをブログに書き、お風呂に入るのは我慢して拭くだけにして休みました。
 夜中に背中が痛み出したので、鎮痛の塗り薬を使いました。

 今日は、どうしても両手の出血が止まらず、節々も痛いので、病院へ行くことにしました。この町に来てまだひと月も経たないので、どの病院へ行けばいいのかわかりません。いつもお世話になる京大病院へ行く心の余裕もありません。とにかく、今後のこともあるので、この近くで一番大きい総合病院へ行きました。
 予約制ではなかったので、当日の飛び込みの受診に問題はありません。診察の手続をすると整形外科に回され、長い時間待たされました。1時間半ほどしてからやっと診察です。問診の後は、すぐに肩関節と頚椎と手首のレントゲン写真を20枚ほど撮られました。その写真を見ながら先生は、骨折はしていないことを確認し、続いてMRIの撮影の指示が出ました。ただし、次の待ち時間が1時間半。撮影が終わると、結果の詳細は後日ということです。外にある処方箋薬局でいただいた薬は、痛みと炎症止め、胃のない私になぜか胃の粘膜を保護する薬、そして細菌感染の塗り薬と湿布薬でした。
 そんなこんなで、左手が不自由な生活となっています。診てくださった先生は、よくこんな大けがをしていながら講座で『源氏物語』の講義をしたものだ、と関心しておられました。本人としては、夢中だったのでそんなに苦痛ではなかったのです。心頭滅却すれば……と言うのは大げさだとしても、集中している時には雑念は吹っ飛ぶのでしょう。
 幸い骨折はしていないので、動き回れることは助かります。
 いろいろなトラブルに巻き込まれながらも、いつも幸運を背負って生きているせいか、今回も大事には至りませんでした。何事にも感謝しながら、マイペースでさらに生き続けて行きます。
 
 
 
posted by genjiito at 21:26| Comment(0) | *健康雑記

2022年05月11日

中之島図書館で『源氏物語』の2022年前期講座(その2)

 中之島図書館の南側では、緑のトンネルが気持ちのいい爽やかさを感じさせてくれます。

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 今日は、【古写本『源氏物語 鈴虫』の仮名文字を読む】の2回目です。
 前回の講座第一回(四月一三日)で確認した内容は、次のブログ[たつみのいほりより]で確認できることを伝えました。
 ■「大阪府立中之島図書館で『源氏物語』の前期講座スタート」(2022年4月13日)http://genjiito.sblo.jp/article/189463904.html

 本日の内容は、以下の通りです。

(1)ケンブリッジ大学の数学者ジョン・コーツ先生ご所蔵の『源氏画帖』から「鈴虫」巻の詞書を確認。
 参照:「昨日お亡くなりになったジョン・コーツ先生を偲んで」
     (http://genjiito.sblo.jp/article/189525993.html

 まず、一昨日お亡くなりになった、ケンブリッジ大学のジョン・コーツ先生がお持ちだった『源氏画帖』の中から、「鈴虫」巻を実際に変体仮名混じりで翻字したものを確認しました。

■資料(1)「在英国・源氏画帖の情報(続7)」(2011年05月19日)
      http://genjiito.sblo.jp/article/178935221.html

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    春ゝむし
  【心】もて【草】能やとり越いとへとも
    【猶】春ゝ【虫】のこゑそふりせぬ
なと支こえ【給】てきむ能【御】ことめして免つ
らしく飛き多まふ【宮】の【御】須ゝひきをこ多り
【給】て【御】こと尓【猶】【心】い連多まへり【月】さしいてゝ
いと八那や可なる本ともあ者れなる尓【空】
を【打】な可免て【世】能【中】さま/\尓つ介て八可那く
う徒里か者る阿りさ満もおほし津ゝけられ
て連いよ里もあ者れなるね尓
          可きならし堂まふ

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 コーツ先生ご所蔵の源氏画帖については、『源氏物語本文の研究』(豊島秀範編、國學院大學文学部日本文学科発行、2011年3月31日、非売品)に私は「在英源氏物語画帖の絵と詞」と題して、あらためて整理し直して選んだものを収録しました。しかし、本日本講座で取り上げた「鈴虫」巻は、その本に収録しなかったものです。

■資料(2)大江健三郎氏の自筆原稿に見られる作者による削除(京都新聞・2022.5.10)の話をしました。現代における作品でも、自筆原稿にはタイトルの変更などの跡が残っており、作品を考える上で作者の意識の変転がわかるのです。その具体例として、大江氏のニュースを取り上げました。

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■資料(3)歴博本「鈴虫」第二丁表を字母に注意して確認
   ※注意する字母/本(ほ)・〈誤植〉ほう→はう・堂(た)・比(比)※飛 悲・
盤(は)・古(こ)・遣(け)・葉(は)・志(し)

■資料(4)歴博本「鈴虫」第二丁裏を字母に注意して確認
  ※注意する字母/勢(せ)・佐(さ)・免(め)・累(る)・日(ひ)

■資料(5)歴博本「鈴虫」第三丁表を字母に注意して確認
  ※注意する字母/春(す)・者(は)・新(し)・世(せ)

■資料(6)前回配布した『古典かなの知識と読みかた』(駒井鵞静、東京美術選書、昭和59年10月)で、変体仮名の問題点を確認
 変体仮名の字母に関するコラムを毎回数例ずつ確認し、変体仮名の字母について考えていきます。
 本日は、「二 弖・天」と「五 介・个」を確認しました。私は、鎌倉期の写本では、「弖」と「介」が多いことを指摘しました。

 なお、架蔵の版木『略解 ○古訓古事記巻中』も回覧しました。写本と違い、木版刷りの版木の現物を手にすることで、その本の文字の違いを実感してもらうためです。詳しくは、「源氏千年(78)我が家でも版木発見」(http://genjiito.sblo.jp/article/178852833.html)を参照願います。

 次回は、6月8日(水)の3時半からです。
 どの回からでも参加していただけるように、講座の内容を工夫しています。
 興味と関心のある方の参加をお待ちしています。
 
 
 
posted by genjiito at 22:53| Comment(0) | ■講座学習

2022年05月10日

昨日お亡くなりになったジョン・コーツ先生を偲んで

 ケンブリッジ大学のジョン・コーツ先生が、昨日5月9日に77歳でお亡くなりになりました。東京大学の加藤和也先生からの連絡で知りました。驚きと共にご冥福をお祈りしながら、これまでのことを思い出しています。
 加藤先生からの連絡の一部を引きます。ありがとうございました。

一年半前の秋に癌の手術を受けられましたが、快方に向かわれているように思っておりました。(中略)こんなに急にお亡くなりになるということは想像もしていませんでした。伊藤様とまたお目にかかることを楽しみにしておりましたのに、かなわなくなりました。私にとって、尊敬もし、いろいろな恩のあるかたでした。コーツさんが伊藤様のブログをいつも見ていることを最近知って、私も毎日拝読するようになり、これからはコーツさんに、伊藤様がお書きのことについて、メールを書いて、コーツさんを元気づけようと思っていた所でした(先日の伊藤様のお祖母様のお写真が可愛いですねと書こうと思っていました)。


 コーツ先生が私のブログを楽しみに読んでくださっていることは、2019年12月20日にコーツ先生からいただいたメイルに以下のように記されていたので、嬉しく思っていました。

I still regularly read (using Google translate of course...) your very interesting blog, with its lovely photographs of Kyoto.


 英語が苦手な私は、コーツ先生のように Google翻訳で日本語にしてみました。

私は今でも定期的に(もちろんGoogle翻訳を使って...)あなたのとても興味深いブログを読んでいます。その素敵な京都の写真があります。


 思い出すことが良い供養にもなる、と言われているので、私のブログでコーツ先生のことを取り上げた記事のリストを以下に列挙します。
 最新の記事は18日前のものでした。そして、以下のリストの中でも、次の3件が私にとって想い出深い出来事でした。

「コーツ先生のお点前をいただく」(2012年10月15日)

「コーツ先生からウェイリー訳『源氏物語』をいただいて」(2015年01月04日)

「【追補】クイーンズから「剣橋」を通ってエマニュエルへ」(2015年02月22日)

 少しでも先生のことに触れている記事のリストなので、文末にほんの少しだけ紹介している記事もあります。適宜お読みいただければと思います。

■ コーツ先生に言及した記事の一覧 ■



「京洛逍遥(785)宇治平等院の周りを散策」(2022年04月23日)

「京洛逍遥(777)宇治川の岸に立つ」(2022年04月01日)

「銀座探訪(35)イェール大学のケイメンズ先生と「銀座のすずめ」を飲む」(2016年03月17日)

「【追補】クイーンズから「剣橋」を通ってエマニュエルへ」(2015年02月22日)

「コーツ先生からウェイリー訳『源氏物語』をいただいて」(2015年01月04日)

「日比谷図書文化館でハーバード本を読む(4)」(2014年11月27日)

「京洛逍遥(324)宇治市源氏物語ミュージアムの「市川海老蔵特別企画」」(2014年06月25日)

「コーツ先生のお点前をいただく」(2012年10月15日)

「コーツ先生を宇治にご案内して」(2012年10月14日)

「授業(2)データベース・写本・翻訳」(2012年04月21日)

「2日目も稔りの多かった国際集会」(2011年11月27日)

「在英国・コーツ版「源氏画帖」の記事一覧」(2011年09月26日)※24本の記事の一覧

「病院内で丸一日を過ごす」(2011年08月11日)

 
 
 
posted by genjiito at 23:59| Comment(0) | ◎国際交流

2022年05月09日

本日は昨日に続きお休みです(5月-2/8)

 先月から、原則として週休2日としています。
 今日は、昨日に続きお休みです。

 回遊魚と言われる私も、加齢と共に生活と行動の速さをさらに落とし、ゆとりのある日々を心がけるようにしています。


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posted by genjiito at 20:43| Comment(0) | *健康雑記

2022年05月08日

本日はお休みです(5月-1/8)

 4月に住まいを宇治に移しました。それに伴い、このブログのタイトルを[鷺水庵 より]から[たつみのいほり より]に変更し、これまで通り日録を引き続き毎日書いています。
 また、年度が変わったこともあり、先月からは原則として週休2日としています。

 回遊魚と言われる私も、加齢と共に生活と行動の速さをさらに落とし、ゆとりのある日々を心がけるようにしています。


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posted by genjiito at 18:17| Comment(0) | *健康雑記

2022年05月07日

河内高安への墓参

 今月15日は父の祥月命日です。39年前に68歳で亡くなりました。新居に移ったことをあらためて報告し、家族みんなが息災であることを伝えるためにお墓参りに行ってきました。姉からは、行けないのでよろしくとのことで、お供えを預かっています。
 春のお彼岸に行ったことは、「大阪の八尾へ墓参に行き布施の回転寿司1号店へ」(2022年03月21日)に書いた通りです。
 新居のお仏壇は、和室の一番いい場所を選び、朝日を背に夕陽に向かえるように設えました。
 両親共に奈良にいた時に亡くなり、その後は京都の賀茂川右岸へ、そしてさらに左岸への屋移りに付き合ってもらいました。今度は南下して、宇治に連れて来られたのです。二人共にキョロキョロと辺りを見回しては、新緑に包まれた環境に戸惑い気味のことでしょう。次の写真は、左から祖父、祖母、父、母です。祖父と祖母は早く亡くなったので、私は話でしか知りません。

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 近鉄信貴山口駅から信貴霊苑までは、送迎バスに乗って行きます。今日は、最終便をバス停にある直通電話でお願いしました。いつも親切な対応なので、気持ちのいいお墓参りができます。
 住まいを移したいきさつを、お墓の両親とご先祖さまにも報告しました。大阪湾を望むと、淡路島の向こうに微かに四国が見えているようです。

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 帰りも、最終のバスで信貴山口駅まで送っていただきました。
 駅には、高安山に登るケーブルカー「ずいうん」が停まっていました。

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 このケーブル道の横の小径は、中学生と高校生の頃にここに住んでいた時、何度も歩いて高安山まで登りました。そして、さらに信貴山まで家族でハイキングをしたものです。
 駅の中にケーブルカーの説明が掲げてありました。これまであらためて読んだことがなかったので、確認のために画像として残しておきます。本ブログでは、画像をクリックすると精細表示になります。

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 間もなくピストン運転をしている単線の電車が入ってきました。この駅が終点です。高校生の頃には、この電車のお世話になって大阪市内まで通学していました。

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 帰りに、乗り換え駅である河内山本駅で電話があり、明るいニュースを聞きました。多くの方々に助けられながら、こうして元気に日々の生活が続けられているのです。みなさまに感謝しています。ありがたいことです。
 お彼岸の時と同じように、布施駅で降りました。母がよく連れて行ってくれた、日本における回転寿司の元祖1号店である元禄寿司に立ち寄るためです。何事もうまく進展するように、予祝を兼ねた食事をいただきました。
 
 
 
posted by genjiito at 22:21| Comment(0) | ・ブラリと

2022年05月06日

京洛逍遥(791)宇治川に架かる隠元橋

 昨日書いたように、宇治橋は日常的な散策コースとしては遠いことがわかりました。以前、宇治川の下流で淀川に合流する観月橋に行った時も、道が狭くて車も多く、散策には適さないところだと思いました。そこで、近場を歩くということでは、同じ宇治川に架かり宇治橋と観月橋の間にある隠元橋を候補に挙げ、今日の夕方に行ってみました。
 ちょうど夕陽が沈む直前で、建物の壁が茜色にうっすらと染まっていて、柔らかな風景が楽しめました。隠元橋は修繕の工事中だったので、その全体像は化粧直しの後の姿を待ちましょう。

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 宇治川の上流を望みました。右手に宇治徳洲会病院、左手に曲がった先が宇治市街です。昨日は、この町並みの中を歩いて宇治橋まで行ったのです。

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 以下の記述においては、ホームページ「京都風光(京都寺社案内)」の「隠元橋」(https://kyotofukoh.jp/report796.html)の解説を参考にして書き綴っていきます。
 隠元橋は、府道245号線(宇治市五ヶ庄〜宇治市槇島)が通る新しい橋です。しかし歴史は古く、平安時代よりこの地には「岡屋の津」という港があり、交通の要衝として栄えたところだそうです。「岡屋の津」の石碑は、次の写真の石碑の左側に置かれています。
 この隠元橋の東のたもとに、黄檗宗の開祖である隠元禅師にまつわる「黄檗開山隠元禅師渡岸之地」の碑が立っていました。

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 江戸時代に中国の渡来僧・隠元は淀川を遡り、宇治川のこのあたりで下船したようです。萬福寺を開くために資材を陸揚げしたことから、「隠元浜」とか「隠元の渡し」とも呼ばれてきました。
 隠元は1661年に萬福寺を創建しました。「美術、医術、建築、音楽、史学、文学、印刷、煎茶式茶礼、普茶料理」などに影響を与え、「隠元豆、西瓜、蓮根、孟宗竹、木魚、明風の書体」などを日本に伝えた僧侶です。
 なお、「渡岸之地」の石材は、隠元の出身地である中国福建省から取り寄せられ、亀の形をした碑の台石の亀趺(きふ)の形になっています。
 この橋の東側の散策路を歩きました。ランニングやウォーキングの方をちらほら見かけます。川岸に降りる石段には、誰かの遊び心なのか、我が家にもある信楽名物の狸の置き物が3体ありました。

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 ここなら、右手に宇治川の流れを見ながらのんびりとウォーキングができます。次は、歩く用意をして来ることにします。
 
 
 
posted by genjiito at 21:25| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2022年05月05日

京洛逍遥(790)宇治公園の塔ノ島を散策

 過日、宇治橋まで歩いて行きました。あの時は、宇治川沿いの寂しい道や民家の抜け道などを通って55分。ひたすら歩きました。今日は公道でガードレールがある道を通ってのウォーキングです。

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 車が行き交う道だったので、田舎町のバイパスや公道を歩くだけの風情のない散策です。宇治橋に辿り着くのに1時間10分。この前よりも長くかかりました。歩いて行くのは大変であることを実感しました。
 今日はこどもの日で大型連休最終日ということもあり、観光地宇治は多くの人出です。紫式部の像も、人が多くて覗き込んで見ることになります。

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 茶そばをいただいてから、平等院へ藤を見に行きました。今日も、拝観待ちで長蛇の列です。藤は、過日の満開の時と違い、連休疲れの様子です。

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 今日も外からの拝観で、鳳凰さんたちには申し訳ないことです。敬いの気持ちは同じなのでお許しを。

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 宇治川に架かる朝霧橋と橘島の手前を、鷺が舳先で先導するかのような遊覧船が通りかかりました。期せずして、こどもの日のサプライズです。

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 その鷺は、やがて鵜の小屋の屋根の上で、してやったりの得意顔であたりを見渡しているかの様子です。

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 喜撰橋を渡って塔ノ島に建つ浮島十三重石塔を見に行きました。

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 対岸の観流橋を望むと、宇治発電所からの大量の水が勢いよく流れ込んでいるのが見られます。

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 賀茂川の鷺とは違って、宇治川の鷺には急流に親しんだ力強さを感じます。

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 海鵜の飼育小屋では、子供たちも大はしゃぎです。鵜飼いのシーズンが楽しみです。

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 今日の散策の歩数は19,833歩。さすがに疲れたので、バスと電車を乗り継いで帰りました。
 
 
 
posted by genjiito at 22:42| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2022年05月04日

京洛逍遥(789)新しい散策コース

 近所に、緑が生い茂る散策路を見つけました。
 これまでは、賀茂川畔の半木の道を中心とした散策路を歩いていました。
 住まいを宇治に移したことを機に、これからはこのせせらぎの道が日常の散策コースになりそうです。緑に囲まれた小径に木漏れ日が心地よい、のびのびとした場所です。全長600メートルの公園の中を、2本の小川が交差しながら流れています。毎日8千から1万歩を歩くのが最近の私のペースなので、ちょうどいいコースです。
 緑豊かな場所なので、四季折々の変化が見られることでしょう。

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posted by genjiito at 19:11| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2022年05月03日

突然の激しい腹痛で京大病院へ

 このところ、連日のように腹痛に苦しんでいました。
 昨夜も、1日6回食の最後の食事を終えるまで、お腹が締め付けられるような酷い痛みが続いていました。休み休みしながら食べ終わったのは、日付がすでに変わった頃です。
 今朝は、朝日の眩しさに起こされてから、軽食でお腹の様子を見ました。何となく重たくてスッキリしません。消化管を持たない私には、これはよくあることです。少し休めばいいのです。
 しかし今日はお昼を食べた後、急激に痛みと締め付けがきつくなったので、もうこれまでと観念し、妻に京大病院へ電話をしてもらい、急患としての診察をお願いしました。時間は13時30分。2ヶ月半前にも似たようなことがあったことは、「急激な腹痛に苦しむ」(2022年02月23日)に書いたとおりです。その時と同じような痛さです。
 あの時にお世話になった消化管外科の久森先生からは、何かあったらすぐに連絡を、と言われていました。事情を説明すると、運良く当直の消化管外科の先生が診てくださることになり、すぐに電車で京都駅へ向かいます。京都駅の八条口からは、直通の京大病院行きのバス(京都大学病院循環路線バス・フープ)で駆けつけました。京都駅から京大病院へ行ったことがなかったので、このバスに乗るのは今回が初めてです。

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 あらかじめ連絡をしていたこともあり、受付を済ませるとすぐに診察室に案内され、救急処置室のベッドの上に横たわりました。
 問診と触診を受けながら、身体の至る所にセンサーが付けられました。採血の後、ストレッチャーに寝たまま別室へ運ばれ、CTスキャンを受けました。手際よく検査が進む、みごとな連係プレーです。
 診察をしてくださった先生は、前回2年前のデータと今回のデータを見比べながら、慎重に検討しておられます。念のために、画像解析が専門の先生とも相談の上、12年前の胃癌に伴う消化管の全摘出や、2年前の「絞扼性イレウス(絞扼性腸閉塞)」とは関連しない症状だと思われることから、単なる腹痛だという結論を出されました。この結果は、私にとって予想外でした。しかし、何はともあれ大事に至らず、心底ホッとしています。いつも早め早めの対処をしていただいているので、今回もまた寿命が延びることとなりました。
 私は、京大病院専用のクレジットカードを持っているので、支払いや書類への署名が簡略化されていて、面倒な手続がスムーズに進むので助かります。
 地下の薬剤部で2種類の消化関係の薬をいただいて帰りました。
 病院のすぐ横に聳える早春の大文字が、よかったな、と見送ってくれていました。

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 今日の市内はとにかく人が多くて、2年前の観光客でごった返ししていた頃を彷彿とさせます。行きの河原町も、帰りの五条坂も、車の大渋滞でなかなか前に進みません。賑わいが戻ったことの嬉しさと、コロナの感染拡大への不安が、複雑な思いを抱かせます。ただひたすら、京の街が活気付き、ウイルスが拡散しないことを願うのみです。
 
 
 
posted by genjiito at 22:31| Comment(0) | *健康雑記

2022年05月02日

[スクラップ 01]35年前のニューロコンピュータと『源氏物語』の記事

 約35年も前のことながら、私が取り組んでいた研究が紹介された記事が見つかったので、以下に記録として残しておきます。
 那野比古氏の『ニューロコンピュータ革命』(講談社ビジネス、1989年1月)という本の冒頭部分がそれです。見返しに著者からの献呈の署名があるので、刊行されてすぐにいただいたものであることがわかります。

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 今回、引っ越しの荷物の整理をしていて、この本が出てきました。この本のことをご存知の方はほとんどいらっしゃらないと思われるので、以下に紹介します。私の研究活動の原点とでもいうべきことなので、関係する箇所を引用します。
 これは、以下の文中に出て来る田中豊氏が仲立ちとなって記事になったものです。田中氏が私の研究に興味を示してくだり、それを那野氏に語られ、いろいろと問い合わせの取材を受ける中でまとめられたものです。私が直接那野氏にインタビューを受けたものではありません。そのため、『源氏物語』の本文を「青表紙本、河内本、別本と大きく三系統」という捉え方は、私見とは少し異なるものの、よく調べてまとめておられます。
 以下の引用文は、本書の「第1章 自分で学習するコンピュータ」の冒頭部を飾る記事です。こうしたビジネス書で『源氏物語』の話から始まるのは、この話題がいかに新鮮だったか、ということを示しています。ただし、この記事の内容は35年を経た今に至るも、ほとんど研究は進展していません。『源氏物語』の本文研究は沈滞し、コンピュータも知的で創造的な使われ方をしていないことが2022年の実状です。残念なことです。
 以下、長文ながら35年前のことであることを意識して、お楽しみください。特に、後半で話題になるくずし字については、すでにコンピュータが読めるようになった、と近年はマスコミなどによって喧伝されています。しかし、それは木版本の印刷文字としてのくずし字の話であり、手書きの写本の文字はいまだにまだまだ認識率は低いのです。
 なお、最後に紹介されている本文資料集成については、『源氏物語別本集成 全15巻』(伊井春樹・伊藤鉄也・小林茂美編、桜楓社・おうふう、各670頁、1989(平成元)年〜2002(平成14)年)と『源氏物語別本集成 続 全7巻』(伊井・伊藤・小林編、おうふう、各800頁、2005(平成17)年〜2010(平成22)年で中断)の22巻を刊行しました。しかし、翻字方針の変更に伴い2010年に刊行を中止し、現在は「変体仮名翻字版」として気の遠くなる作業を続けているところです。このことについては、「『源氏物語別本集成』中断の弁」(2010年06月24日)に記した通りです。

 源氏物語とニューロコンピュータのドッキング



 みなさんは、源氏物語と現代の最先端技術であるニューロコンピュータが、ここにきてドッキングする可能性が出てきたといったら、きっと驚かれることだろう。
 ニューロコンピュータというのは、本書で後述するように、人間などの脳と同じ仕組みで情報処理を実現させようというまったく新しいタイプのコンピュータだ。ニューロコンピュータは"ニュー・コンピュータ"だというややこしい話も出る。
 このコンピュータが、なぜまた源氏物語と関係をもとうとしているのか。源氏物語は周知のように、平安時代、紫式部の作品である。全体で五十四巻の大著だ。式部が、西暦一〇〇一年(長保三年)夫の藤原宣孝の病死を契機に書き始めたといわれているが、これが女流文学の金字塔、わが国での元祖となった。
 紫式部は夫の死後、才能を買われて当時の藤原道長の娘、中宮彰子の女房となり、死ぬまで宮仕えするわけだが、その間にしたためられたのが五十四巻の源氏物語というわけである。
 さてこの源氏物語だが、現在紫式部が書いた原本が、そのまま残っているわけではない。平安時代に紫式部が書いたオリジナルをまず鎌倉時代の歌人、藤原定家が写本し、まとめた。これが、現存している最古の源氏物語だ。このようにして式部の死後百年の間に、定家のものを含めて、二百種以上の写本が出回っているといわれている。
 その中でも青表紙本、河内本、別本と大きく三系統が、現在まで受け継がれてきているが、この三系統も、微妙なところでそれぞれ表現が異なっている。つまり、紫式部が書いたオリジナルが、そのまま現在に伝わっているのではなく、場合によっては源氏物語は別人が書いたものではないかという疑いもでてきているわけである。これが偽作説だが、全部ではないにしても、一部が後世の人の筆になるのではないかという見方は強い。
 ところでこの源氏物語の写本だが、これはすべて「変体がな」というかな文字で書かれている。それ以前の古事記とか万葉集では、日本語の五十音をすべて漢字に当てはめて表現していた。本書は湯河原の大観荘という宿でその多くが書かれたが、亭主の相沢磯雄さんが面白いメモをみせてくれた。それには「阿之我利能刀比可布知爾伊豆流湯能余爾多欲良爾故呂河伊波奈久爾」とある。まるで判じ物だ。シャーロック・ホームズなら暗号ではないかと疑うところだが、実はこれは、万葉集十四巻相模国に書かれている湯河原温泉の記述。「あしかりの、とひのかふちにいずるゆの、よにもたよらに、ころがいはなくに」と読む。湯河原はこの時代「とひ」と呼ばれており、いまでもその地名は残っている。「かふち」は川ふちだ。万葉集などでは、このように、五十音を漢字に当てはめている。
 だが漢字は、なかなかむずかしく読みにくい。そこで、この漢字をもう少しやさしく変えて、だれにでも読めるようにできないものかという考えが浮かんでくる。女性を中心にそのような動きが生まれ、その結果できあがったのが、ひらがなである。女性の手で開発されたかなだから、女手とか女文字とも呼ばれ、手紙などに多用されることになるが、それを徹底活用したのが源氏物語だ。
 むろんこれは、漢字を当てはめた万葉がなをくずした形から出発しているのだから、たとえば、かなの「い」という字も、いろいろな字源(字母)、書体が存在し、「以」「移」「伊」「医」「異」などさまざまな漢字が、同じ一つの音「い」を表わすのに使われてきた。これをくずしたものがひらがなである。だから、ひらがなにもいろいろな書体があった。
 この同音異字を統一したのが、明治三十三年に出された小学校令施行細則第一号表である。これによってひらがなは、いまわれわれが使っている形に統一された。
 ところで源氏物語の写本は、小学校令が出る以前に書かれたものであるから、それにのっとって書くなどありえない。当然ながら、同じ「い」の字にもさまざまなものが出てくる。同じひらがなでも、違った漢字をくずした書体が使われている。このようなかなは、現在では「変体がな」と呼ばれているが、明治の小学校令第一号表に示された以外の書体は、すべて変体がなとして扱われているわけである。いわば標準外のかなということだ。
 つまり変体がなとは、同一の字源、漢字なのだが、略し方の方法が徹底していないものとか、あるいは、同一の字源、漢字なのだが、略化の仕方が異なるものだとか、現在使っているひらがなと字源がまったく異なるものとか、さまざまな変体がなが存在する。
 よくおしるこ屋さんなどで、しるこ「こ」に奇妙な字「古」が使われているケースをみかけるが、これなどは三番目の例といえるものだ。
 源氏物語は、すべてこのような変体がなで書かれているのである。前頁の図1に二つの源氏物語の写本を示しておいたが、これを読むのは、きわめて大変な作業となることがおわかりであろう。(引用者注:『源氏物語』の御物本と陽明文庫本「桐壺」の写本の影印画像2葉は省略した)草書なので、専門家が読むのも大変だということだが、一方ではこのような写本を数多く読破して、式部直筆のオリジナルの源氏物語とはいったいどんなものであったかを浮き彫りにする研究も進んでいる。
 話はかわるが、わが国での草分け的なソフトウエア会社にセンチュリリサーチセンタ、略してCRCという会社がある。このCRC大阪支店のソフトウェア部長である田中豊さんは、たまたま隣りに住んでいる高校の先生と知り合いになった。先生は、大阪府立盾津高校教論の伊藤鉄也さん。伊藤先生は、パソコンが大好きで、教育現場へのパソコンの導入を試みるなどパソコン教育にも熱心な方だが、一方では源氏物語の地道な研究家としても知られている。
 住まいが奈良であるだけに、二人はしばしば古い文学や考古学の話に花を咲かせ、有名な高松塚古墳などにも、ともに足を運んだということである。この伊藤先生は、先にみた青表紙本、河内本、別本の三系統の写本、実に二百種類をコンピュータに入力する作業を続けている。
 もちろん大変な量だけにすべてが終了したわけではなく、現在のところ、十巻あたりまで行き着いているだけだ。
 たくさんの写本をコンピュータに入力し分析することで、いまはもうない紫式部直筆の原典がどんなものであったかを探り出す手掛かりをつかもうというわけだが、このような仕事を進めていると、思わぬナゾの人物に出くわすこともあるという。たとえば、青表紙本を元にした池田亀鑑編著の「源氏物語大成』にも出てくる「すもり」という人物だ。
 このすもりがいったいどのような人物なのか。この源氏物語はいろいろナゾにも包まれているが、このほかにも、写本の中には意味をなさない言葉などもしばしば出てくる。これを徹底追求することによって、幻の源氏物語の原典の姿をあらわにする一方、どの部分が、後世手を加えられたものかなどもわかってくるのではないかと期待されるわけである。
 問題は、変体がなを読み取ること。これが非常にむずかしい仕事で、これを現在のかな文に置きかえるというのは大変な話なのである。
 そこでひょいっと現代の最先端技術に目を向けたとき、場合によっては手伝いができるのではないかというものが現われた。それがニューロコンピュータだったのである。
 ニューロコンピュータは、人間の脳や目と同じ働きをすることができると述べた。われわれが漢字など文字を読むとき、パッと見ればこれは「森」だな、これは「林」だなとすぐわかる。これはパターンが理解ができるといわれるが、その漢字のパターンをみて、その字が何かを直ちに識別している。
 それは漢字ばかりではない。たとえば電車を眺めても、船を眺めても、それぞれの特長を一瞬につかまえて、これは新幹線、これは湘南形電車とか、船ならこれは客船、これは貨物船と見分けることが可能だ。
 このようなパターンの認識、さらに一歩進んで、それが何であるかを知るパターンの理解といった処理は、現在のコンピュータが最も不得手としているところ。だが、われわれの脳は、それをいとも簡単にやってのける。
 このような脳の働きをそのまま実現させようという試みが、これからみるニューロコンピュータである。このニューロコンピュータを使って、変体がなを高速に読み取ることができないものかという発想が、源氏物語をニューロコンピュータと結びつけようとする原点となった。たくさんの写本の解読をニューロコンピュータに手伝わせようというユニークな試みである。むろんこれからの話なのだが、アイディアがなかなか面白い。
 かなは、書き方によっていろいろ変わってくる。現在のコンピュータだと、たとえば封筒に書いてある郵便番号ですら、少し変わった書き方をされると、もう読み取ることができなくなってしまう。いわんや、かな、しかも草書という非常にくずした形となってくると、もはやそれを読み取ることなど不可能な話だ。ところがニューロコンピュータでは、さまざまなかなの形を教え込む、つまり学習させることができる。そうしておくと、ニューロコンピュータは、変わったくずし方のかなに出会っても、それはどのような変体がなかを自分で類推、識別して、これは「い」であるとか、これは「ろ」といった具合いに専門家並みの解読をさせ得る可能性がある。しかも、高速に読み取ることすら期待されるわけだ。
 このようにして、源氏物語の大きなデータベースをつくりあげようというわけである。データベースができあがると、たとえば一つの単語「あはれ」が入っている文節をすべての写本から呼び出せといったことも可能になるし、桐壺の何番目の文節を出せと入力すると、この写本にはこう書かれており、別本ではこう書かれているといったふうに、写本による違いがひと目で分かるようになる。これは源氏物語の研究に対して大変な威力となるに違いない。
 伊藤先生が、これまでになされた仕事のなかで、本文十五巻索引二巻のうちの第一巻については、ある本屋さんから近く出版されるということだが、全巻の完成には、まだ五年以上かかるとみられている。(17〜24頁)

 
 
 
posted by genjiito at 21:35| Comment(0) | ◎情報社会

2022年05月01日

日比谷図書文化館での5月期の源氏講座のご案内

 日比谷図書文化館での本年5月期の源氏講座は、後掲の「2022年5月開講講座のご案内」にある通り、事務局の慎重なコロナ対策と対応の結果、無事に開講の運びとなりました。
(画像をクリックしていただくと、精細な画像が表示されます)
 私は全3回を担当し、今期からは宇治より上京します。
 これまで通り、京都の四季折々の近況を交えたお話をまくらに、国文学研究資料館蔵・橋本本『源氏物語 若紫』に書き写されている変体仮名を読み進めて行きます。
 各回の講座の内容は本ブログで報告し、受講生のみなさまの復習に役立てていただいたり、海外を含めて遠隔地であったり多忙で参加が叶わない方々への情報提供を心がけています。前回の内容は、「日比谷で橋本本『源氏物語』を読み進む(24)」(2022年03月25日)で確認できるようにしています。
 今期も日比谷公園に足を運んでいただき、多くの方がこの源氏講座を受講なさることを楽しみにしています。

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posted by genjiito at 21:36| Comment(0) | ◎NPO活動

2022年04月30日

京洛逍遥(788)観月橋と善阿弥町

 昨日の雨も上がったので、国道24号線に沿ってブラブラと散策しながら観月橋へ出向きました。都名所図会には、江戸時代の巨椋池あたりの『指月・豊後橋・大池』が取り上げられています。このことは、また後日記します。

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 観月橋の上流が宇治川、下流を澱川と名前が変わります。
 上の写真の右側に、京阪観月橋駅があります。無人駅です。ここから西へ1駅目が京阪中書島駅で、そこで乗り換えることによって、京都や大阪へ行けます。反対方向の東に行くと終点宇治駅があり、宇治橋のすぐ袂に出ます。
 この観月橋駅の改札脇に、道標がありました。古びた石柱のため、読みづらい仮名文字で、右側に「きやう可いたう」(京街道)、左側に「やまとかいたう」(大和街道)と刻まれています。

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 観月橋の北詰には、明治十年二月の「明治天皇御駐輦所観月橋」と刻まれた石柱があります。明治天皇が関西行幸をなさった折、神武天皇陵参拝のために奈良へ向かわれる途中で、この地で休憩なさったことを示す標柱です。

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 帰りに観月橋南詰から観月坂を下ると、善阿弥通りの一画が向島善阿弥町でした。相国寺の蔭涼軒や睡隠軒は、室町時代の庭師である善阿弥の作とされています。銀閣寺の庭園は、善阿弥とその子小四郎、孫の又四郎の三代で作られたということです。今この町はその善阿弥と関係するのでしょうか。またこの地域は、豊臣秀吉が向島城を築き、伏見城ができると徳川家康の居館となりました。この周辺には、お城があったころの名残が地名に残っています。
 善阿弥町の、昔は賑わっていたであろう民家の間を、ブラブラと歩きました。今では善阿弥はもとより、歴史の香りはしません。求めるものが違っていたのかも知れません。勝手気ままに想像して楽しむのも、散策のおもしろさの一つです。
 
 
 
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2022年04月29日

本日の記事はお休みです(4月-8/8)

 今月、このブログのタイトルを[鷺水庵 より]から[たつみのいほり より]に変更し、これまで通り日録を引き続き毎日書いています。
 また、年度が変わったこともあり、今月からは原則として週休2日としています。

 回遊魚と言われる私も、加齢と共に生活と行動の速さをさらに落とし、ゆとりのある日々を心がけるようにしています。


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posted by genjiito at 22:25| Comment(0) | *健康雑記

2022年04月28日

京洛逍遥(787)今日も下鴨貴船と烏丸四条で用事

 一昨日と同じように、市内に出かけて多くの用事に奔走しました。
 ただし、今日は午前中にすべてをやり終え、午後は自宅で荷物の整理です。
 朝の6時半には烏丸四条にでかけ、用事を済ませると大急ぎで下鴨貴船へ行き、そこでの用事が終わるとまた烏丸四条に戻って別件での面談です。
 河原町や新京極や寺町通には、四五人の中学生や高校生のグループがチラホラ見かけられます。学校行事としての旅行が再開したようです。人出も多くなり、新型コロナウイルスはもうすっかり忘れ去られたようです。もっとも、みなさんマスクはしっかりと着けての街歩きなので、人々の生真面目さが確認できました。
 いつものように慌ただしいスケジュールとなりました。それでも、午後はのんびりと家で段ボール箱を開けては、その配置を考えることを楽しみました。
 本や資料や文房具の置き場所を考えるのは、これからの生活を大きく左右するものなので、頭を悩ませながらも楽しく取り組めます。いろいろなことを考えて、荷物を右にやったり隣の部屋に移したりと、ジグソーパズルの世界を好きなように組み合わせて遊んでいます。
 今日は、段ボール箱を移動させながら、荷物の置き方を変えて、書棚を入れるスペースを確保しました。先週から、本が入った段ボール箱が2部屋にギッシリと埋まっています。廊下や別の部屋に運んで押し出すことを繰り返したことにより、目的とする勉強部屋に書棚をいれる道ができました。これだけのことを半日掛かりでやったのですから、遅々として進んでいないことになります。
 何を急ぐこともない、0からの配置なので、マイペースでやることにします。
 それにしても、本の重さは並大抵のものではなく、その本が占めるスペースも大きな問題を生んでいます。本に書かれ、語られていることは意義深いことは承知で、またまた、本とは何なのかを考えてしまいます。
 重さがなくて場所も取らない本となると、電子ブックとなります。しかし、それを読むかというと、私は電子辞書や電子事典以外は活用するつもりはありません。
 これから、この本という存在はどうなっていくのでしょうか。今回も、整理をしながらも、頭の片隅には処分するかどうかという視点で配架しています。いつでも捨てられるように置かれる本とは何なのか? これを機会に大いに悩んでみるつもりです。
 
 
 
posted by genjiito at 22:25| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2022年04月27日

読書雑記(329)小西亘『宇治の文学碑を歩く』

 『宇治の文学碑を歩く』(小西亘、澪標、2019年2月)を読みました。

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 本書は、著者の次の問題意識の基にまとめられたものです。

一〇年ほど前宇治に勤務していたときに、宇治に多くの文学碑があることに気づきました。そうして、文学碑を切り口にすれば、宇治の文学について、何かまとまった世界が見えてくるのではないかと思ったのです。文学碑という窓を通して、宇治の文学を、さらには宇治全体を、眺めて
みようと思い立ちました。
(中略)
 見えてきたのは広く深い世界でした。宇治の文学碑に刻まれた作品群は、一地方の地域文学にとどまらない、日本文学を俯瞰できるといってもよいような内容でした。
 宇治に『万葉集』の歌碑は八基あります。そのなかには、柿本人麻呂の代表作のひとつ、網代木にいさよう宇治の川波を詠んだ歌や、歌人額田王の登場を告げる歌があります。『源氏物語』宇治十帖が与謝野晶子の一○首の連作によって語られ、今も広く愛唱される『百人一首』の喜撰法師の宇治山の歌も含まれています。芭蕉の宇治の句碑や、一字庵菊舎の代表作である万福寺の茶摘み歌の句碑が、宇治の名刹に建てられています。近現代の作品では、明治天皇の御製や、放浪の俳人種田山頭火が宇治を訪ね、平等院で詠んだ句も碑になっています。
さらに、地元宇治に住み、宇治の行政や文化に貢献した人たちの詩歌を読み味わえるのも、宇治の文学碑めぐりの愉しみです。(2〜3頁)


 本書の目次をあげます。

はじめに
一、宇治川右岸を歩く
二、塔の島・宇治川左岸の文学碑
三、さわらびの道、源氏物語ミュージアム、大吉山(仏徳山)頂上へ
四、三室戸・黄檗・木幡へ
五、槇島・伊勢田・大久保・志津川へ
『宇治の文学碑を歩く』に寄せて 東義久


 著者は、宇治にある歌碑を一基ずつ取り上げ、文献や資料に記載されていることを精査し、現地を歩き、聞き込みをするという調査を行います。丹念な探査は、文献と言い伝えと現状を踏まえての解釈にまで及びます。採訪調査の基本を守っておられます。
 ただし、本書では同じ和歌や俳句などが何度も引かれるので、目がスッと次の行に飛んしまいます。そうすることを続けるうちに、内容が薄く感じられるようになりました。著者の文学碑への立ち向かい方に真摯な姿勢が認められるだけに、もったいない、残念な仕上がりとなっていることが惜しまれます。
 また、内容の性格上、地名がよく出てくるので、周辺図がほしくなります。一点もないので、ほとんどの方がどこのことなのだろう、と思いながら読み進めていかれたと思います。私もそうでした。
 碑文に関する来歴や逸話や関係する人物の話には、調べ上げた資料から読み解ける日本の文化が立ち上がってきます。脱線気味であっても、楽しく読める文章となっています。

 以下、私がチェックをした箇所を引いておきます。

■喜撰法師に関して
・「喜撰山は、宇治市東部、平家の落人伝説のある志津川集落の東北にそびえる、標高四一六メートルの山です。(中略)
 喜撰山は宇治市街から望める山です。宇治橋に立って眺めると、大吉山(仏徳山)と朝日山の間に、少しかすんで頂上付近が見えるのが喜撰山です。喜撰が隠棲していたと伝える場所は山頂付近で、岩窟に一体の石像が安置されています。」(21〜22頁)
・「先に引用した鴨長明『無名抄』に「これらかならず尋ねて見るべきなり」とありますが、私は、喜撰法師の庵室跡と伝えられているところを、是非訪れたいと思っていました。しかし、宇治橋から見える喜撰山は、山の麓の志津川地区に来ると山容が見えず、どこだか分からなくなってしまいます。
 観光協会で伺うと、喜撰山へは、初めての人は案内者と一緒でないと行かない方がいいだろう、とのこと。コピーしていただいた「喜撰山喜撰法師祠案内」の地図には、志津川集落の喜撰山入り口地点からアスファルトの細い車道を約三・三キロメートル行き、そこから徒歩で約二〇分くらい歩けば祠に到着すると説明してあります。私は宇治市炭山在住の卒業生に案内してもらって笠取・池尾方
面から一度、自分で志津川から一度喜撰山に行こうとしましたが、いずれも天候不順などで目的を果たせないでいました。
 その後、宇治の観光ボランティアをしておられる西田勇さんのお誘いで、地元の宇治市明星町・池尾在住の方々にも案内していただいて、ようやく祠に到達することができました。志津川から池尾へ向かう道中、右手に喜撰山ダム湖が見えます。そこから喜撰山に入って、約一キロほど歩いたところに祠はありました。柔らかい落ち葉の尾根路や山中を、標識もはっきりしないので何度か迷いながら歩き、標高四一六メートルの三角点から急坂を下って少し横にそれ、やっと祠を見つけました。(頂点まで行かずに途中で折れるルートが順路のようです)
 一面の雑木の山の中にそこだけ形の良い岩窟があり、そのなかに喜撰の像がありました。顔はすこし面長で、切れ長の目の目尻が上がっています。怒っているような、皮肉な笑いを浮かべているような、なんとも味のある表情でした。胸のあたりには薄く苔がついていて美しい緑色になっています。長らく見たいと思っていた念願が叶って、私は思わず像に手を合わせました。

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 祠はきれいに掃除され、お酒や仏花、おさい銭が供えてありました。こんな山の中に、六歌仙の歌人を慕って、お参りに来る人の少なくないことが偲ばれました。ふりむくと美しい紅葉の山々が続き、広々として見晴らしがよく、彼方には枚方の街並みが霧がかって見えていました。
 しかし――平安朝の初期に、隠者とはいえ歌僧喜撰が、本当にこの山奥に庵を結んで住んでいたのでしょうか。」(26〜27頁)

■山吹の瀬に関して
・「先にあげた「万葉集」最古の注釈書『秘府本万葉集」は山吹の瀬を、「宇治川にある所の名なり」とするのみで、どことも記していません。山吹の瀬の具体的な場所を記すのは江戸時代の地誌で、『扶桑京華志」(一六六五)に「宇治橋北西」とあり、「山州名跡志」(一七一一)に「宇治橋北」とあります。いずれも宇治橋の下流にあるとしています。宇治橋下流といえば、万葉時代には川はすぐに巨椋池に注いでいたはずです。
 秋里籬島の『都名所図会』(一七八〇)は宇治橋の上流としており、おもしろい逸話を記します。
 山吹瀬は、融大臣此地に別荘ありし時、川岸に山吹多く栽ゑ給ひしよりなづけしなり
 「山吹の瀬」は、融大臣、すなわち『源氏物語』光源氏のモデルとも言われる源融(八二二~八九五)が、宇治の別荘近くの川岸に、山吹を沢山植えたことにより名付けられたというのです。源融の別荘とは後に平等院になったところですから、この伝承によると「山吹の瀬」は、宇治川左岸の平等院の前あたりということになります。」(45〜46頁)

■『源氏物語』の歌碑九基に関して
・「 現在の名木川の辺にも文学碑があります。府道宇治淀線の北側と南側に、「源氏物語」宇治十帖の歌や文を刻んだ、九基の碑が建てられています。九基とも同じ形の、花崗岩に銅板をはめ込んだ四角い小さな文学碑です。
 近鉄大久保駅を降りて府道宇治淀線北側の歩道を名木川に沿って西に下ると、右手に自衛隊大久保駐屯地が見えますが、その敷地の見えるはずれあたり、京阪バス停留所「緑が原口」付近に、小さな歌碑があります。
(41)桜こそ おもひ知らすれ さきにほふ 花ももみぢも つねならむ世を 薫
 そこから一○○mくらい西に行き、「日産株式会社 オートワークス京都」の門を通り越してすぐのところに、
(42)山桜 にほふあたりに 尋ねきて 同じかざしを 折りてけるかな 匂宮
 さらに一〇〇mくらいのところでしょうか、「日産車体前」バス停留所のすぐ側に、
(43)この古宮の梢は、いとことにをかしうおもしろく、常磐木にはひまじれる、蔦の色なども 「総角」
 (43)から約三〇mくらい行ったところ、
(44)濃き鈍色のひとへに、萱草の袴、もてはやしたる、なかなか、さまかはりてはなやかなり 「椎木」
 さらに一〇〇mくらい西に歩くと右手に「日産橋」が見え、そのすぐ東側に歌碑があります。
(45)宮城野の 小萩がもとと 知らませば つゆもこころを わかずぞあらまし 少将
 以上が宇治淀線北側の歩道、名木川沿いに立つ文学碑です。
 そこから道路を南側に横断すると、(44)の歌碑のちょうど対面あたり、「任天堂販売株式会社京都物流センター」の門の西側の、きれいに刈り整えられた生垣の間に歌碑があります。
(46)立ちよらむ かげとたのみし 椎が本 むなしき床に なりにけるかな 薫
 東に歩いてすぐ、三○mくらいでしょうか、「さいかいばし」の対面、南側には更地が広がる歩道の脇に、
(47)はかなくて よにふる川の 憂き瀬には たづねもゆかじ ふたもとの杉 浮舟
 そこから五m弱くらいのところ、バス停留所「日産車体前」の対面、マンションの門の西側に、
(48)いづこより あきはゆきけむ 山里の 紅葉のかげは 過ぎ憂きものを 衛門督
 そして九つめの碑は、(48)からすぐのところ、マンションの東端あたりにあります。
(49)つれづれなりける人のしわざと見えたり またぶりに、山橘つくりて、つらぬき添へたる板に 「浮舟」」(194〜197頁)

(以下、一首ごとに解説が続きます。今ここでは省略します。)

 なお、巻末に置かれ東義久氏の「『宇治の文学碑を歩く』に寄せて」の最後に、次のように記されています。

 ぼくは大久保に住んでいるが、不勉強でこの地の名木川に源氏物語の歌碑があることを知らなかった。
 まずは熟読をし、そして、読破したあとは、この「宇治の文学碑を歩く」を手に、あらためて地元の小さな旅へと出てみようと思わせる、そんな一冊である。(226頁)


 私も、この名木川にある『源氏物語』の碑については知りませんでした。宇治十帖から適宜和歌と文章が選ばれ刻まれているようです。その背景がよくわからないので、この未知の石碑と対面するために、後日出かける機会を作ることにします。
 
 
 
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2022年04月26日

本日の記事はお休みです(4月-7/8)

 今月4月から、住まいを宇治に移しました。それに伴い、このブログのタイトルを[鷺水庵 より]から[たつみのいほり より]に変更し、これまで通り日録を引き続き毎日書いています。
 また、年度が変わったこともあり、今月からは原則として週休2日とします。

 回遊魚と言われる私も、加齢と共に生活と行動の速さをさらに落とし、ゆとりのある日々を心がけるようにしています。


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2022年04月25日

京洛逍遥(786)下鴨貴船と烏丸四条で後片づけ

 すっかり家具や本がなくなった下鴨貴船の旧宅へ、引っ越し後の片づけに行きました。朝の8時に燃えるゴミの収集があるので、掃除の時間をゆったりと取るために7時前には新居を出ました。

 昨日の雨はすっかり上がりました。その影響か、南の出雲路橋を望むと、左に聳える大文字山は雲に覆われています。

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 北山も煙っています。

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 見慣れた景色も、今朝はいつもとは見え方が違っています。

 床の間の横にあった戸袋の引き戸の襖を、引っ越しの荷物と一緒に運んでしまっていたので、それを戻しました。流しのフレームも、運び出した荷物の中から見つけ出したので、元の位置に設置しました。どさくさということもあり、運んではいけないものもいくつかあったのです。
 もう、ゴミはそんなに多くはないはずなのに、不思議なことに真っ黒クロスケのようにヒョイヒョイと姿を見せます。これはこれで結構楽しいことですが……
 些細なことにあれやこれやと対処しているうちに、お昼を過ぎてしまいました。軽く食事をし、少し身体を休めてから、四条烏丸へ移動です。息子がいたマンションを引き渡す前に、最後の掃除と点検です。ここでも、片づけは終わったはずなのに、真っ黒クロスケが出てきました。
 カラーボックス3個は、私の部屋で本を収納するのに使います。車があれば何でもないことが、電車で移動となると解体して持ち運ぶことになります。キャリーバッグに乗せて、エッチラオッチラと運びました。
 地下鉄四条駅では、改札口のすぐ横にエレベータがありました。さらには、運よく乗り換えなくてもいい直通の電車が来ました。目的地の駅では、エレベータ2機を使って駅前に出られ、間もなく来たタクシーのトランクに荷物を積んで帰宅です。
 大変な移動となることを覚悟していました。しかし、幸いにもラッキーが続き、スムーズに帰ることができました。
 明日は、連日の疲れもあり、筋肉痛もさらに倍加することでしょう。
 
 
 
posted by genjiito at 22:44| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2022年04月24日

本日の記事はお休みです(4月-6/8)

 この4月より、住まいを宇治に移しました。それに伴い、このブログのタイトルを[鷺水庵 より]から[たつみのいほり より]に変更し、これまで通り日録を引き続き毎日書いています。

 また、年度が変わったこともあり、今月からは原則として週休2日としました。しかし、いろいろと書いておくことがあり、予定通りに休むことができていません。不規則なお休みとなり、アクセスしてくださった方には申し訳ないことです。

 回遊魚と言われる私も、加齢と共に生活と行動の速さをさらに落とし、ゆとりのある日々を心がけるようにしています。



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posted by genjiito at 21:28| Comment(0) | *健康雑記

2022年04月23日

京洛逍遥(785)宇治平等院の周りを散策

 半袖で出かけられる陽気になりました。引っ越しの荷物を片づけながら、その合間にも筋肉痛を和らげるため、気分転換を兼ねて地元を歩いています。
 宇治橋前の紫式部像から望む山々は、新緑のグラデーションが楽しめます。

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 平等院の表参道には、宇治市源氏物語ミュージアム所蔵の『源氏絵鑑帖』のうち宇治に関連する巻々が掲示板として配されています。

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 表参道の突き当たりにあるおそば屋さんで茶そばをいただいた後、宇治川に沿ったあじろぎの道を散策しました。

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 すると、垣根越しに鳳凰堂が微かに見えます。土曜日ということで観光客で大混雑。拝観の待ち時間が1時間以上だということなので、平日にあらためて再来することにし、今日はここから失礼しました。

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 橘橋から中の島越しに宇治上神社の方を望みました。

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 屋形船を見ると、ケンブリッジ大学のコーツ先生をここにご案内したことが、懐かしく思い出されます。このことは、先日すでに書いたところです。

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 平等院南門の近くにあるトイレで、男女の表示が入れ違っていることに気付きました。海外では男女を色分けせず、姿形で識別します。この男女の絵の入れ違いは、混乱を招いているのではないでしょうか。

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 平等院の中に今日は入らなかったものの、正門前ではみごとに咲き誇る藤を堪能しました。今が満開です。

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 縣神社と橋姫神社にもお参りしました。

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 橋姫神社は改修中です。宇治十帖の古蹟の一つである「橋姫」と刻まれた石柱があるはずなので探しました。しかし、見当たりません。ウェブで見ても、橋姫神社がその古跡・古蹟だとあるだけで、他の巻にあるように巻名を刻んだ石碑・石柱がないのです。事情をご存知の方からのご教示をお願いします。
 境内に建つ駒札の文章を引用します。

源氏物語 宇治十帖(一)

橋姬
「その頃、世に数まへられ給はぬふる宮おはしけり」と「宇治十帖」は書き始められる。
 光源氏の異母弟の八宮は、北方亡き後、宇治の地で、失意と不遇の中に、二人の姫君をたいせつに育てながら、俗聖として過ごしておられた。世の無情を感じていた薫君は、宮を慕って、仏道修行に通い、三年の月日がながれた。
 晩秋の月の夜、薫君は琵琶と琴を弾かれる姫君たちの美しい姿を垣間見て、
「あはれになつかしう」思い、
  橋姫の心をくみて高瀬さす
    棹のしづくに袖ぞぬれぬる
と詠んで大君に贈った。
 出家を望まれる八宮は、薫君を信じ、姫君たちの将来をたのまれる。その後、薫君は、自分が源氏の実子ではないという出生の秘密を知ることになる。
 平成十八年十月
 (財)宇治市文化財愛護協会


 なお、この駒札の左横には、原発に関する警告とでも言うべき掲示があります。感情を抑えた表記ながらも、危険さを訴える気迫が伝わってきます。

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 神社仏閣では、「もんじゅ」に関連して批判的な意見を聞きます。若狭へ行った時にも聞きました。この掲示は、2011年の原発事故に関連しているように思われます。これもその一環なのでしょうか。もっとも、神社本庁は原発推進派だという見解もあります。大方のご教示をお願いします。

 表参道で濃茶アイスを緋毛氈に腰掛けていただき、近くの骨董屋さんに寄りました。お茶道具を中心に、おもしろいものが数多く並んでいます。お軸の写真があるとのことなので、お店のiPadの画像一覧で拝見しました。「ひとはいさ〜」の和歌を書いたものがあり、変体がなの散らばり具合が良かったので現物を出していただき、一軸頂戴しました。
 ぶらぶら歩いていたら、一杯飲み屋や昔懐かしいおもちゃ、そして古本などを売る大阪マーケットという楽しい一角がありました。

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 いろいろと楽しい散策となりました。この宇治橋周辺には、これからも何度も来ることになるはずです。折々に報告します。
 
 
 
posted by genjiito at 23:59| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2022年04月22日

本日の記事はお休みです(4月-5/8)

 この4月より、住まいを宇治に移しました。それに伴い、このブログのタイトルを[鷺水庵 より]から[たつみのいほり より]に変更し、これまで通り日録を引き続き毎日書いています。
 また、年度が変わったこともあり、今月からは原則として週休2日とします。

 回遊魚と言われる私も、加齢と共に生活と行動の速さをさらに落とし、ゆとりのある日々を心がけるようにしています。


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posted by genjiito at 23:26| Comment(0) | *健康雑記

2022年04月21日

四条烏丸と下鴨貴船の部屋の掃除

 四条烏丸のマンションにいた息子が、奈良に引っ越しをしました。親子2代でそれぞれがそれぞれ別の場所に住み処を移したのです。その関係で、マンションの引き渡しを控えた今、大掃除ということで私が新居の宇治から四条烏丸に出かけました。整理が終わりほとんど片付いていたので、雑誌や段ボールなどを朝8時の収集に間に合わせました。京都はゴミの種類によって、色付きの袋を購入して決められた場所に出します。ルールを守らないと置いて行かれるので、気を使います。
 無事に私が出したものが回収されたことを確認してから、今度は自分の引っ越しをしたばかりの旧宅に移動です。

 四条通を歩いていたら、以前紹介したことのある染殿院が気になったので立ち寄りました。詳しくは、「京洛逍遥(428)大晦日の染殿院と錦天満宮と錦市場」(2016年12月31日)を参照願います。ここは、京洛の中でも知らないと行かない所です。

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 河原町オーパのビルの北側にある抜け道を通ったところ、花がきれいに咲いているのに出会いました。雑踏から一歩入った人目につかない小さな花壇で、一見の価値があります。

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 旧宅である下鴨貴船の家には一足早く妻が行き、引っ越しで出たゴミなどをこれも朝8時の収集に合わせて出した所でした。私は収集が終わった頃に着いたので、引っ越し後の室内外の点検などをしました。17日(日)は4人の助っ人みんなの奇跡と言うしかない奮闘の結果、あの荷物ばかりの部屋は今は何一つない、ガランとした空間が横たわっています。まだ、喧騒感が残っています。慌ただしくすべての荷物を運び出したことでもあり、壁に残ったヒートンや外し忘れたフックなどをきれいにしました。
 これで、10年前の入居前の姿にもどりました。いろいろなことがあった時期なので、この部屋を見ていると、言葉にしずらい心を締めつけることが思い起こされます。楽しかったこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、苦しかったこと、などなど。すべての人に、すべての物に感謝の気持ちを感じて、家の鍵を締めました。

 宇治に帰ると、荷物の山が出迎えてくれました。さて、休む暇もなく、また段ボール箱との闘いの続きが始まります。新たなスタートとなることなので、ワクワクして箱を開け出しました。
 
 
 
posted by genjiito at 23:03| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2022年04月20日

元気に段ボール箱と格闘中

 引っ越しの荷物は、着々と開けたダンボールの数が増えています。
 すると、ないものが見えてきて、そのないものを探す時間が増えます。
 ホッチキスを探して30分。
 一旦は諦めたものの、無意識に気にかけています。
 そうしたものが増えてくると、探しているものが何なのかわからなくなります。

 段ボール箱には、中に入っているもののメモを書くようにしていました。
 しかし、箱詰めの後半は時間に追われっぱなしだったのです。
 4人のお手伝いのみんなには、それをお願いするゆとりはありません。
 ただただ、詰め込むことで精一杯です。
 箱詰めが完全に私の手を離れ、助っ人の4人にすべてを託しました。
 忙しい中を、駆けつけてもらえたことはありがたい限りです。
 恵まれた環境に、心から感謝しています。

 中が何かわからず、どの部屋に運び込むのかを示す番号シールだけの箱。
 それは、開けてみないと、何が入っているのかわかりません。
 宝探しの気持ちで楽しんでいたのは最初だけです。
 しだいに、無駄な時間が惜しまれて来ます。
 自分との葛藤を続ける中で、物はそれなりに収まるところに置かれていきます。
 引っ越しは、勘と気持ちの切り替えのエンドレスゲームだと思います。

 今日は相当集中して作業を進めたので、散歩は近場を2回だけしました。
 細々とした作業なので、手足の筋肉を機械的に動かしているだけです。
 明日は、もっと余裕を持って整理を進め、散歩も十分な時間を当てようと思います。
 
 
 
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | *身辺雑記

2022年04月19日

京洛逍遥(784)宇治上神社と源氏の湯

 午前中は、昨日運び込んだ500個以上もの段ボール箱の荷解きに掛かり切りでした。宝の箱を楽しみながら開けては取り出し、取り出してはそれぞれが収まる場所に置いていきます。探しているものが見つかると、無上の喜びを感じます。しかし、賽の河原で石を積む気持ちになることもある、無心の行の時間です。

 午後からは、春らしいそよ風を感じながら、引っ越し疲れの身体を休めるために宇治橋へと散策に出かけました。過日と同じように宇治橋の袂にある函館市場でお寿司をいただき、抹茶のソフトクリームを片手に、気持ちのいい緑に包まれたさわらびの道をそぞろ歩きです。

 今回の行き先は、次のブログで秋の景色として紹介していますので、参考までにご覧いただけるとコースの様子がわかるかと思います。「宇治の街歩きと〈運読〉のワークショップ開催」(2015年12月05日)

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 まずは宇治神社へお参りしました。観光客が一人もいないこともあり、淋しい静けさを感じました。

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 北へ向かい宇治上神社へ行く途中に、『源氏物語』の宇治十帖にまつわる「早蕨の古蹟」の石柱があります。今後は、この10柱の石碑の紹介をするつもりです。ほとんどを、すでに本ブログで取り上げています。しかし、今の姿をあらためて写真に収めて記すことにします。

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 宇治上神社の参道の石柱の文字は、特異な書体なので人目を引きます。

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 宇治上神社の前には、国宝で最古の寝殿造りを残す建物と雰囲気を似通わせる、かそけき枝垂れ桜が咲いていました。

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 ちょうど閉門時間の直前だったこともあり、私が本殿に回った頃に社務所は戸締まりをなさり、門を出るとすぐに門が閉まりました。門を閉め始められた神職の方にお辞儀をしてお礼を言うと、にっこりと答礼をしてくださいました。全国の神職の方のほとんどが私の後輩にあたります。そのため、どなたかはわからないものの気持ちだけとはいえ、感謝とますますの活躍への期待の気持ちを目礼で送るようにしています。

 元来た宇治神社に向かって宇治川に戻ると、匂宮と浮舟の像に出会います。朝霧橋を背景にした観光客の撮影スポットなので、今回も写真をあげます。

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 橋の上から上流と下流を望みました。穏やかで鷺や鴨が群れ集う賀茂川と違い、宇治川は流れが速くて躍動感があります。

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 塔ノ島から宇治神社の方を見ました。山の新緑と朱塗りの門が鮮やかな対比を見せています。

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 京阪宇治駅前から京阪バスで近鉄大久保駅に出て、駅前にある宇治天然温泉「源氏の湯」に入りました。

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 このところ、ずっと引っ越しに没頭していました。身体も悲鳴をあげる寸前だったこともあり、ゆったりと湯に浸かると凝りが解れたように思えます。一風呂で、リフレッシュして帰ることができました。目と身体の保養を兼ねた、実り多い半日となりました。
 
 
 
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2022年04月18日

荷物との格闘の2日目に仏壇を飾る

 久しぶりにぐっすりと寝ました。引っ越しは、骨身を削る大仕事であることを実感しています。
 東と南の窓からの光で目覚めるのは、15年ぶりです。奈良から京都に来てからは、町家に手を入れた住まいでした。町家はあまり日が差さない構えなので、朝日で目覚めることはありません。すこし暗いので、外出や散歩が気分転換になっていました。
 私の書籍と妻の布地が詰め込まれた段ボールで埋め尽くされた各部屋は、立錐の余地もないのです。昨夜は、ダイニングの隙間で寝ることになりました。今朝は、起きるや否や段ボールとの闘いです。宝の箱を1つ1つ開けるワクワク感は、何とも言えません。
 気晴らしに、歩いて5分の大きなスーパーマーケット万代へ行きました。反対側へ5分歩くと、これも負けず劣らず大きな近商ストアがあります。しかし、万代の方が何かにつけて少しずつ安いのです。中学と高校生の頃に母に連れられて、大阪の布施や山本にあった万代によく行きました。特に食品は安かった記憶があります。その懐かしの万代へ、この歳になってまた通うことになりました。縁は異なものとは、よく言ったものです。
 今日は、仏壇を設置することにしていたので、仏花をいただくことにしました。妻がレジで会計をしている時に、私は仏花をナイロンの袋に詰めていたら、初めてということもあってか作ったばかりの万代カードの使い方がわからないようでした。私は、ナイロン袋で包んだ仏花を買い物を詰める台に置いたまま妻の所に行き、大丈夫かと声を掛けて様子を見ました。何とか出来たということなので、仏花を置いていた所に戻ると、お花が見当たらないのです。隣にいた方に聞くと、不審そうな目で見られました。テーブルには、仏花の中にあった榊の葉が2つだけ残っています。辺りを見渡しても見つかりません。通り掛かりの人に持ち去られてしまったのかと思うと、このお店の印象が悪くなりだしました。それでも諦め切れないので、店員の方にお花が見当たらないことを伝えました。大急ぎで奥に走って行かれ、しばらくすると、私が袋に入れた時のままの状態の花を持ってきてくださいました。これですか? と。そうです、ありがとう、と言うと、お客さまがお忘れ物だと言って届けてくださっていました、とのことです。目を離したのはほんの1、2分のことです。微妙なタイミングだったようです。人を疑った自分が恥ずかしくなりました。そして、このお店のお客さんと、このお店の対応に好感を持ちました。もし、世の中には盗人もいるのだからと諦めて帰っていたら、今後はこのお店に来なくなっていたことでしょう。これからの生活の食料品は、このお店でいただくことになりそうです。
 帰ってからは仏壇を掃除し、位牌を元の位置に置き、飾り物を設置して、よもぎの柏餅をお供えとして差し上げました。今日のお花のことは、しっかりと両親やご先祖さまに報告しました。
 
 
 


 
posted by genjiito at 23:59| Comment(0) | *身辺雑記

2022年04月17日

無事に引っ越しが終わりました

 本日の引っ越しは、助っ人4人のおかげで無事に終えることが出来ました。
 ありがとうございます。
 朝の6時半から夜の8時半まで、悪戦苦闘の時間が流れました。
 挫けそうになった気持ちを立て直しながら、すべての品物を運び終えることが出来たのです。みんなが、とても1日では無理だ、と思っていました。しかし、何とかしないと大変なことになる、との思いで果敢に取り組んだおかげで、1日で成し遂げることが出来ました。
 とにかく、手助けに来ていただいた4人の強かさと、引越社の5人の力持ちたちのおかげです。
 あらためて、お礼の言葉をお伝えします。
 ありがとうございました。
 明日から始まる、この膨大な数の段ボールの山との格闘の日々を、楽しみにしています。
 そして、みなさまからの教えである物を減らす、溜め込まずに減らす勇気との闘いに立ち向かいます。身軽な生き方に舵を切ることにします。
 
 
 
posted by genjiito at 23:53| Comment(0) | *身辺雑記

2022年04月16日

本日の記事はお休みです(4月-4/8)

 本日は引っ越しの前日です。
 混沌の中を彷徨っています。
 ブログはお休みいたします。
 
 
 
posted by genjiito at 22:51| Comment(0) | *健康雑記

2022年04月15日

引っ越しは心を空白にする修養です

 明後日の日曜日が引っ越しです。そのための荷造りに追われていたところ、いろいろな手続がまだだったことがわかり、大急ぎで四条河原町へ行きました。区役所と銀行とデパートと郵便局のハシゴをし、とんぼ返りでまた荷造りです。
 大学を退職した12月に、研究室とマンションから持ち帰った荷物は段ボール128箱でした。自宅の荷物は、東京から持ち帰ったものなど、結婚して約50年間に揃えた物や思わず知らず増えた物などが、大事に使用・保管され続けてきました。これらは、その2倍以上はあります。とにかく、家の中は段ボールでぎっしりと埋め尽くされています。
 幸い、ワレモノの食器などの陶器や、仕事に欠かせないパソコン一式などは、すでにキャリーバッグで何度か往復して新居に運び終えています。今は、とにかく日曜日に家の中にあるものすべてを、単純に平行移動させればいいのです。
 最初の引っ越し業者の見積では、3日は掛けないと運べない、ということでした。その次の業者は、2台のトラックを2往復させて、とにかく1日で終える、というものでした。当然のことながら、1日で終える方にしました。我が家では、家具は少なくて質素な生活をしています。問題は持っている本の量です。そのため、とにかく何でも段ボールに詰めておかなければなりません。自ずと、段ボールの個数が増えます。
 あれこれと考えながら本を詰めていると、いろいろな思いが沸き上がり、手が停まりがちです。雑念と必死に闘いながら、今夜も、そして明日の夜まで、本の表紙を見ないようにして詰め込み作業に没頭です。申し訳ないことだとは思いながら、本の著者やその内容はこの際何も見ないし考えないという、単純作業に徹しています。
 明日は、家電製品や道具類の整理です。私は、大工仕事や修理修繕が大好きなので、いろいろな工具や道具や部品を揃えています。もう、捨てる余裕などないので、詰めるしかありません。新居に移ってから、それらの物の始末を考えます。
 数多く引っ越しをして来たために、豊富な経験はあります。しかし、いつも直前になって大慌てです。思いがけないところから、思いがけない物が姿を見せては、悲喜劇に見舞われます。今回も、「これでは間に合わない」と呟いては、焦りながらの作業となっています。膨大な情報量の中を、瞬時に的確な判断をして荷物を振り分けます。もっと早く手を付けて、段取りよくやっていたらという反省も、こと引っ越しに関しては無意味です。引っ越しは人生そのもの、と言うと言い過ぎでしょうか。
 時の流れに身を任せ、粛々と手を動かし、目の前の物を箱に入れては、テープで蓋を閉じる。
 無念無想、まさに修養の空間に身を置いています。
 
 
 
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | *身辺雑記

2022年04月14日

本日の記事はお休みです(4月-3/8)

 今月からタイトルを[たつみのいほりより]に変更し、日々のブログを引き続き書いています。
 年度が変わった今月からは、原則として週休2日となります。

 回遊魚と言われる私も、加齢と共に速さを落とし、ゆとりのある日々を心がけるようにしています。

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posted by genjiito at 21:35| Comment(0) | *健康雑記

2022年04月13日

大阪府立中之島図書館で『源氏物語』の前期講座スタート

 大阪府立中之島図書館で〈古文書塾 てらこや〉が主催する『源氏物語』の講座が始まりました。
 重要文化財となっている図書館の前には、春を告げる花が咲き誇っています。

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 第1回となる今日は、8割方がこれが初めての変体仮名体験だという方々でした。幅広い方々に興味を持っていただけるのは幸いなことです。

 お昼の部は【古写本『源氏物語 鈴虫』の仮名文字を読む】と題して、[水曜日/15:30〜17:00]に開催します。
 次回以降は、5月11日、6月8日、7月13日、8月10日、9月14日となっています。
 なお、夜の部の【『源氏物語 鈴虫』の異文を楽しむ】は、時間帯が厳しかったようで、受講希望者が少なかったために今回は開催を見合わせることになりました。申し込まれた方には、心よりお詫び申し上げます。幸いなことに、お昼の講座にも申し込んでおられた方々なので、いろいろな形でサポートしていきたいと思います。曜日と時間帯を再検討して、参加しやすい講座を提案するつもりです。決まり次第に、お知らせいたします。

 今日は、とにかく初めてだという方々を意識して、古写本『源氏物語』が伝えられてきた背景の説明からしました。特に、糸罫という道具を使って写本が書かれていることを、まずは本日の主たる位置づけにしました。そして、以下の内容で講座を進めました。

(1)平仮名と片仮名の字母の確認(五十音図と変体仮名一覧)

(2)歴博本「鈴虫」の複製本と臨模本を実見する(臨模本は宮川保子氏作成)
   ※ブログ「鎌倉期に書写された『源氏物語』の《宮川版 臨模本》」
        (http://genjiito.sblo.jp/article/187095403.html
   ※解説文「共立ハーバード本複製制作過程」(プリント配布資料)
 ■《宮川版 臨模本『源氏物語』》の詳細な解説(ブログ記事とプリントで)
 ブログ[たつみのいほりより](http://genjiito.sblo.jp/)に、「鎌倉期に書写された『源氏物語』の《宮川版 臨模本》」(2020年01月28日)(http://genjiito.sblo.jp/article/187095403.html)を掲載しています。これは、ハーバード大学美術館蔵『源氏物語 須磨』と『国立歴史民俗博物館蔵『源氏物語 鈴虫』の臨模本2冊について、その制作過程に関する詳細な調査報告と解説文を紹介したものです。次は、宮川さんからいただいた補足のメモです。
  須磨は 雁皮紙使用で なかなか 漉いていただけない 貴重な紙になります。
  鈴虫は 雁皮90%に三椏10%の紙です。
  昭和の手持ちの紙を製作者から譲り受け 使っています。
  打ち紙〔手作業〕をしてます・・・・・
  漉く人も 材料も有りますが 漉く道具〔技術者が亡くなり簀子ができない〕
  この先手に入らないものになりそうです。
 別資料として、宮川さんからいただいた、原本を復元するにあたっての解説文「共立ハーバード本複製制作過程」を、参考までに全文を配布。原本を忠実に臨模した文字だけではなく、料紙も貴重なものであることがよくわかります。千年前の古写本の姿を知る上で、貴重な実証実験の記録となっています。

(3)目が見えなくても古写本が読めること(変体仮名を指で触読する体験、「鈴虫」の巻頭二行分を配布)
   ※『変体仮名触読字典』と『触読例文集』(回覧とプリント)
 ■図録『ユニバーサル・ミュージアム − さわる!“触”の大博覧会』(国立民族学博物館・広瀬浩二郎編、小さ子社、2021年9月2日)より「変体仮名を触読する意義」(174〜175頁、配布資料)

(4)歴博本「鈴虫」第一丁表を字母に注意して確認(復習)
   ※注意する字母/者(は)・那(な)・免(め)・堂(た)・勢(せ)・葉(は)・能(の)・
           累(る)・越(を)・徒(つ)・多(た)・満(ま)・志(し)・遣(け)

(5)丁末外に書かれた不自然な文字「し」
   ※糸罫の実物で、写本が書き写される時を実感する(日本・中国・ミャンマーの書写用の道具)
   ※行末や丁末に誤写や脱字が起きやすい。目や手の動作が余分に加わり、書写活動における集中力が途切れるために発生。
 ■糸罫の確認とその実際(回覧)
   ミャンマー(「ニンティ キャリア」、国立図書館蔵)と日本(石田弥寿子氏作製、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉蔵)と中国(市販品)
   ※ブログ「経典を書写する前に使う横長の木枠と「糸罫」のこと」(http://genjiito.sblo.jp/article/182638631.html
   ※ブログ「ビルマ語にも変体仮名があるのでは?」(http://genjiito.sblo.jp/article/182639098.html

(6)第一丁裏を字母に注意して確認
   ※注意する字母/本(ほ)・佐(さ)・新(し)

(7)『古典かなの知識と読みかた』(駒井鵞静、東京美術選書、昭和59年10月)
   ※変体仮名の字母に関するコラムを毎回数例ずつ確認し、変体仮名の字母について考える(連続コラム)


 本日配布した資料は、32頁もの分量になりました。これは、特に(7)のコラムが18頁分あったためです。このコラムについては、今日は15項目ある内の1番目の「つ」の字母のことだけを確認しました。ここでの結論は、「川」ではなくて「州」ではないか、ということです。
 実際の内容では、『源氏物語 千年のかがやき 立川移転記念 特別展示図録』(国文学研究資料館編、2008年10月、思文閣出版)の糸罫や列帖装の頁を確認しました。そして、2種類の糸罫を回覧し、触読資料を回覧したりなど、受講者ご自身が実際に見て触ることを意識した構成にしました。特に、今日が初めての変体仮名体験の方がほとんどだということなので、あえてこうした体感と体験を重視した方針で臨みました。

 東京の日比谷と大阪の中之島は、文化的にも大きな違いがあります。東京の講座は7年も担当しているので、おおよその雰囲気はわかっているつもりです。受講者のみなさまとのコミュニケーションも良好です。さて、大阪の受講生のみなさまはどのような方々なのでしょうか。しばらくは試行錯誤の中で、よりよい、楽しんでいただける内容の講座になるように努めたいと思います。気長にお付き合いください。

 次回は、5月11日(水)の午後3時半から5時までです。2回目からの参加でも講座の内容についてきていただけるように、いろいろと工夫をしています。前期の途中からということは気にせずに、興味と関心をお持ちの方の新たな参加をお待ちしています。
 
 
 
posted by genjiito at 22:42| Comment(0) | ◎NPO活動

2022年04月12日

京洛逍遥(783)半木の道の桜も見納め

 今日は、電気屋さんと一緒に宇治へ行き、エアコンの移設、電磁調理器のための200ボルトの電気工事、ウオッシュレットの取り付けなどなど、相変わらずバタバタする1日でした。
 そんなドタバタの合間に、アップルのパソコンで2台のM1マシンに関して、1時間以上ものリモートのサポートを受けました。
 MacBook Pro と Mac mini の中でも、2台のM1チップを搭載したマシン2台が、iCloudとの同期に Pro は1年以上、mini は2年以上かかっても終わらないのです。Intel Mac 2台は、すぐに同期が終わりました。どうも変です。最終的には、いくつかのアドバイスで今日のところはサポートを終えました。
 どこにいても、複数のパソコンを同じ環境で使いたいという希望は、なかなか叶いません。特に、M1マックは同期にとてつもない時間がかかっています。年単位なので、私はM1マックはまったく信用せず、過去のデータを見たり活用したりしない、ということを原則にして、ときたま電源を入れる程度となっています。
 私は欠陥商品と出会うことが多いので、今回もそれだろうと思っていました。しかし、この問題は意外と多くの方からの問い合わせが来ているとのことでした。M2マックが出たら、こんなことがあったという話で終わるのでしょうか。
 今日のところでは、私が契約している2テラバイトの iCloud との相性が悪いようだ、というところで終わりました。また時間があったら、教えていただいた対処策を講じてみようと思います。しばらくは、この2台はまた休眠してもらいます。

 帰りに、半木の道へ桜を見るために立ち寄りました。今が満開なので、これで見納めとなるようです。
 次にあげたパノラマ写真では、右に大文字、真ん中に比叡山が顔を覗かせています。
 来年は、旅人としてこの桜を見に来ることになります。

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posted by genjiito at 20:48| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2022年04月11日

本日の記事はお休みです(4月-2/8)

 今月からは、原則として週休2日となります。
 月のはじめは休めなかったので、本日を第2回の休養日とします。

 と言いながらも、今日は電気屋さんの軽トラックに乗せてもらい、エアコンの取り外しや冷蔵庫の搬出など、慌ただしい1日でした。2組の炬燵やテニスラケット12本の裁断を電気ノコギリでやり、日頃は使わない筋肉をつかったせいか、もう筋肉痛が始まっています。
 早々に休みます。

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posted by genjiito at 21:02| Comment(0) | *健康雑記

2022年04月10日

京洛逍遥(782)京都新聞に掲載された鴨川茶店での取材記事

 昨日のブログに書いたように、鴨川茶店が3年ぶりに開催されたので、待ちに待ったイベントなので早速出かけました。
 お茶席で煎茶の接待を受けて出たところで、京都新聞の方からの取材を受けました。妻が問われるままに答えていたことが、今日の京都新聞の「市民版」に取り上げられていました。

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 記者の佐々木千奈さんは、南丹市の支局からこの4月に異動となり、京都本社の勤務となった、とおっしゃっていました。たくさんの方々に取材をなさったはずなのに、幸運にも妻へのインタビューが紙面に取り上げられたのです。
 これまでにも、妻は新聞紙上に取り上げられています。新婚時代に妻の実家である秋田へ帰省した帰りに、埼玉県の大宮駅で朝日新聞の取材を受け、翌日の新聞に載りました。新婚時代は浦和に新居を構えていたのです。
 また、廬山寺で行われた節分会の鬼法楽の時や、上賀茂神社での競馬会の時には、翌日の京都新聞に妻の写真が載りました。
 私は、八坂神社での年末のオケラ参りの時に、神聖な火を火縄に移していただいている時の姿が、朝日新聞に載りました。数日前には、別件で朝日新聞の取材を受けたばかりでした。不思議な縁を感じたものです。
 何ということもない出来事です。しかし、悪いことをしたのではなく、お祭りやイベントに参加していたらコメントや写真が新聞紙上に載るのは、楽しい想い出になる出来事です。
 昨日の鴨川茶店のことも、幸先のよい新年度のスタートを彩る出来事です。今週末には宇治へ引っ越しをするので、これも賀茂川の近くに15年間住んだ、いい記念となります。
 我が家の玄関の横の小さな庭では、チューリップが赤白黄色ときれいに並んで咲いています。

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 この下鴨でのあと1週間を、大切に過ごしたいと思います。
 
 
 
posted by genjiito at 21:06| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2022年04月09日

京洛逍遥(781)第48回 鴨川茶店が3年ぶりに開催

 一昨年と去年の第46回・第47回の鴨川茶店は、残念ながら新型コロナウイルスのために中止となりました。関連する記事を抜き出しておきます。

「京洛逍遥(693)半木の道から北山大橋周辺の桜」(2021年03月28日)

「京洛逍遥(612)半木の道の桜は8分咲き -2020-」(2020年04月11日)

「京洛逍遥(536)河川美化啓発活動「鴨川茶店」」(2019年04月07日)

「京洛逍遥(535)何もしない日の賀茂川散歩(4月)」(2019年04月02日)

 今年は、出店などの出店規模を縮小しながらもとにかく開催され、いつもの賑わいが半木の道の川沿いに戻りました。主催団体の中心となっている「鴨川を美しくする会」は昭和39年11月20日(1964年)の設立です。その活動目的は「地域住民によって、鴨川を美しくするために、その意思をもつ住民が力を合わせ、行政機関と相互に連絡協調をはかり、河川美化と環境保全の輪の広がりを目的とするために結成されたボランティア団体です。」となっており、河川清掃や鴨川納涼に加えて鴨川野鳥観察会などなど、幅広い活動をなさっています。

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 紅枝垂れなどは満開です。

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 開会式には、府知事と市長も列席なさっていました。明日は京都府知事選挙の投票日です。お忙しい中を、こうしたイベントも大事になさっているようです。

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 例年通り、二条流の煎茶席でお茶と花見団子の接待を受け、かわいい小皿をもらいました。このお皿は、もう5組目になったはずです。

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 まゆまろ君が横を通っていきました。

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 門川市長も同じグループの右手でお茶を召し上がっていました。

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 半木の道の小径の木陰では、のんびりと一息ついている方もいらっしゃいます。

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 半木の道の桜並木の全景を、対岸の右岸からパノラマ写真で撮りました。右端が南側で北大路橋、左側が北山大橋の方向になります。

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 茶店の様子も、よくわかるように写しました。

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 お琴と尺八の演奏が始まったようです。

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 お昼ご飯は、半木の道の小径にあるベンチが木陰になった頃を見計らって、お弁当を調達して来ていただきました。

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 比叡山も鴨川茶店を覗いています。

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 ちょうど帰ろうとしていた時、高校生のブラスバンド部の演奏が始まりました。

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 楽しいひと時を、のんびりと過ごせました。来週末にはこの町を引っ越すので、来年からは観光客としてここに来ることになります。訪れ人として鴨川茶店に参加した時、自分がこの桜を見る目の変化が今から楽しみです。
 
 
 
posted by genjiito at 21:23| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2022年04月08日

本日の記事はお休みです(4月-1/8)

 今月からタイトルを[たつみのいほりより]に変更し、日録を引き続き書いています。
 年度が変わった今月からは、原則として週休2日となります。
 月のはじめは年度当初ということもあり休めなかったので、本日を第1回の休養日としました。
 来週の引っ越しを控え、何かとバタバタする日々となっています。
 回遊魚と言われる私も、加齢と共に速さを落とし、ゆとりのある日々を心がけるようにしています。

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posted by genjiito at 20:09| Comment(0) | *健康雑記

2022年04月07日

京洛逍遥(780)京都御所で春の特別公開

 京都御所では昨日6日から10日まで、春の特別展示「宮廷文化の紹介」を開催しています。何かとバタバタする中で、何とか時間を見つけて行ってきました。
 今日は、河原町今出川から石薬師御門を通って京都御苑に入りました。現在の御所の東北の入口です。門を潜って真っ直ぐに進むと、御所の鬼門に当たる築地塀の角が欠けていることで知られる猿が辻があります。

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 今年は、いつもよりも北の清所門から御所に入りました。予想通り、見学者は少なかったのですぐに入れました。

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 荷物のチェックの後に渡された入門証は、私が1番で妻が2番でした。一瞬みなさんの番号は何番と見回して、あらためてなかなか巡り合うことのない幸運を喜びました。

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 新御車寄に飾られている牛車は、見かけたら撮ることにしています。講座などで紹介できるからです。葵祭で見る姿です。

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 建礼門と承明門の間の通りから、如意ヶ岳の大文字が見えました。ここから見られるとは知りませんでした。

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 今回は、「紫宸殿」の中にある「高御座」や「御帳台」も見られました。これは圧巻です。次の写真は、承明門から撮影したものです。なお、「紫宸殿」には「ししんでん」と読みがなが振ってあります。しかし、私は「ししいでん」と教わってきたので、今も「ししいでん」と講座などでも言っています。

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 大規模改修を終えた「清涼殿」なども見ました。その中でも、蔀戸の漆塗替えの説明は初めてです。そのものを見ながら読むと、実際のイメージが湧きます。

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 お腹が空いたので、御所の東側にある中立売御門の横の休憩所の中にある「檜垣茶寮」で食事をいただきました。立派な塗り椀を手にすると、気持ちが豊かになります。お勧めします。

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posted by genjiito at 22:36| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2022年04月06日

京洛逍遥(779)桜を求めて大徳寺と今宮神社へ

 引っ越しに伴う手続は、私が持っているチェックリストだけでも130項目を超えています。今は、その中の8割を終えた段階でしょうか。何度も引っ越しをしているのに、歳と共に項目をこなすのに追われ、日々休む暇がありません。
 今日は、エアコンの移設と電磁調理器具設置について、紫野門前町にある鎌田電気へ行きました。ここは京都に住み出した15年前から、折々にお世話になっているお店です。ご高齢のご主人も元気な姿を見せてくださいました。これまでのお礼などのお話をしました。新居の写真を見てもらったところ、危惧したとおり電気工事が必要だとのことです。いろいろと生まれる、新たな問題に対処して来ました。
 この鎌田電気の西100mの所に大徳寺があるので、帰りに立ち寄りました。
 境内の西奥にある高桐院には、残念ながら入れませんでした。しかし、掲示されていた文字が、漢字・平仮名・片仮名・英語と多彩で、特に片仮名の使い方に興味を持ちました(写真をクリックして精細画像でご確認を)。年配の方がお書きになったのでしょうね。

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 その外の桜は満開です。私は、桜よりもモミジの新芽の鮮やかさが気に入りました。

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 大徳寺のすぐ北にある今宮神社へも行きました。
 門前では、向かい合わせであぶり餅を食べさせてもらえるので有名です。今日はコロナのため、共に閉まっていました。私の好きなかざりやの方の写真を掲載します。

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 今宮神社の本殿前の桜は満開です。

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 この境内でも、これから咲こうとする桜よりも、眩しいほどの新芽をみせるモミジに惹き寄せられました。

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 楼門の南正面には、三十六歌仙絵詞と『源氏物語』の勉強会をしている〈紫風庵〉のある船岡山が見えます。

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 その船岡山に向かって北大路通りまで歩くと、途中で大徳寺塔頭の斬新な塀が楽しめます。

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 また、街中ではおなじみのお化粧をしたかわいいお地蔵さんも、そこここにいらっしゃいます。

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 荷造りに明け暮れる合間に、こうして桜見物を楽しんでいます。
 自宅に帰り夕方からは、旧居と新居の家財と地震保険に関して、お越しいただいた方の説明を伺いながら、解約と契約を済ませました。契約時はお父さんと、解約と新たな契約はあとを次がれた娘さんと交わしました。いろいろなつながりの中で、転居の手続が順調に進んでいます。
 
 
 
posted by genjiito at 22:39| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2022年04月05日

京洛逍遥(778)京都駅前のアクアファンタジー

 4月に入ってからは連日のように、賀茂川縁の旧居から宇治川縁の新居へと行ったり来たり。来週末の引っ越しの前に、大事な物はキャリーバックに詰め込んで運んでいます。
 運転免許証を返納していなかったら、車で運んでいたはずです。しかし、自分の身体を使って電車を乗り継いで運ぶのも心浮き立つものがあり、なかなか楽しいものです。
 今日は、「Mac mini M1」一式とモニタ2台を運びました。メインとして使っているノートパソコンの「MacBook Pro M1」は、早々と転居させていました。私の仕事の環境は、この2台のコンピュータが家移りしたことで、新しい展開となっています。このブログも、両方の家で書き継いでのアップとなっているのです。
 さらに今日は、新居に NTTの方が光ネットワークの工事で来られました。ネットの回線は、これまで10年以上も利用してきた関西電力系の「eoネット」が使えない地域への移転なので、利用可能な4つの提供会社の条件を見比べた結果、ソニー系の「So-net」にしました。今日から、新居でもインターネットとIP電話が使えるようになりました。着々と新生活の準備が進んでいます。
 下鴨に帰る途中、乗り換え駅の京都駅前で、アクアファンタジーの競演を見ました。これまでにも東京からの帰りに、何度か報告したと思います。今日は、新たな気持ちで見たせいか、殊の外きれいで、音楽も楽しめました。

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posted by genjiito at 21:38| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2022年04月04日

CPAPの記録カードを持って京大病院へ

 一昨日から今日にかけての、京洛における桜模様をお知らせします。
 北大路橋から下流を望むと、お花見の人々が多いのがわかります。左端が大文字です。

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 上流の北山方面も、ソメイヨシノが咲き出しました。お目当ての枝垂れ桜はまだです。

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 白川疎水通の葵の小径は満開です。この桜並木は延々と続くので、満開の桜を思う存分に楽しめます。ほとんど知られていない所なので、のんびりと散策しながら桜を楽しめます。

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 高野橋から比叡山を望みました。高野川沿いの柳と雪柳と桜が前景となる見どころです。

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 今日は、京大病院の呼吸器内科で、睡眠時無呼吸症候群の定期診察を受けました。
 途中の丸太町橋から京大病院が見えます。その奥に比叡山が聳えています。賀茂川の中洲は、まだ工事中です。

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 iPS 細胞研究所の前の桜は、毎年みごとに咲いています。

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 さて、診察のことです。
 寝る時に空気を送り込む「CPAP」という機械を使い、鼻をマスクで覆って寝ています。その時の記録がSDカードに保存されるシステムなので、そのSDカードを取り出して診察の時に持参します。
 今回も、1時間に0.1回の無呼吸があったそうです。少ない方だとのことでした。
 最近、獨協医科大学で「閉塞性睡眠時無呼吸症」の新しい治療として、電気信号を活用した治療である「舌下神経電気刺激療法」が保険適用になった、というニュースを見ました。そのことを話題に出して、この「CPAP」は苦しいのでその治療に切り替えられないでしょうか、と先生にお尋ねすると、耳鼻咽喉科でやっているようだが、この呼吸器内科ではまだです、とのことでした。
 今回も、このCPAPのマスクを装着するやり方は、どうしても息苦しくて困っています、と正直に伝えました。1週間の半分くらい付けて寝て、4〜5時間くらいで苦しさからマスクを外します。夜中の3時から4時頃になると、必ず苦しくて起きます。少し間を置いてまたマスクを付けます。考えようによっては、これはもう修行というよりも苦行です。
 先生は、さらにCPAPを使う回数を増やしてください、と、いつも通り5分ほどの診察で終わりました。特に私の場合は異常が認められないので、こうしてサッと終わるのでしょう。寝ている時の呼吸の問題を、この機械で軽減しているのです。このままでいい、というのは、大事に至らないようにとの治療方針で対処していただいているからだと思います。
 ワガママは言わずに諦めて、苦しくてもCPAPのお世話になって大病にならないようにするしかなさそうです。
 そして、機会をみては電気的な刺激を与える方法の「舌下神経電気刺激療法」に移れるように、再度お願いしようと思っています。
 
 
 
posted by genjiito at 21:50| Comment(0) | *健康雑記

2022年04月03日

梯子を外された具体的な例証ひとつ

 昨日のブログで、
「梯子を外され」たということに関しては、説明文の中に記した「法人本部長に七月二七日に談判した」際に、具体的な事例を列記したプリントを当事者との面談資料としましたので、明日のブログでその資料を提示します。
と書きました。
 本日の記事はそれを受けて、「梯子を外される」ということが明確にわかる事例をあげて、その実態を例証したいと思います。掲載にあたって、お名前だけはアルファベットに置き換えていることをご了承願います。また、直接本件に関係ない事項は「(中略)」とし、元資料から割愛しています。

 私は、熱海で発生した土石流災害に関して、大学のホームページを通して受験生や保護者や高校関係者向けの学長コメントを出すべきである、という提案をすぐにしました。しかし、そのことすら、無視と嘘の説明で却下され、大学の問題は、そのすべての判断が私以外の3名によってなされ、それが管財人に提示されていました。そのことを具体的にわかりやすく示す好例が、以下に引く文章です。これは、2021年7月27日午後2時から当時の法人本部長と2人で面談した際、目の前に置いて話をした時の資料です。なお、当本部長には次のメールに資料を添付して、あらかじめ届けてありました。
(K法人本部長宛、2021年7月20日)
7月8日に提案した「熱海問題に対する大学側のコメントの表明」について、もう時期を逸したことなので「ホームページを通して大学の認識について先手を打って表明」する意味がなくなりました。
ただし、今回の経緯は確認しておくべきものだと思いますので、添付のように時系列に出来事を整理してみました。
これを通覧していると、いろいろと矛盾することが生起しているので、いつかKさんに確認しておきたいと思っています。
 この時に添付して送った、時系列に出来事を整理した文章については、面談の場で私のブログにいつか掲載することは確認しておきました。
 この面談の折には、私自身、数ヶ月後に辞任・退職することになろうとは微塵も思っていませんでした。とにかく、大学の運営に関しては、顧問・副学長・法人本部長の3名ですべてが決められ、学長の意見や提案はほとんど無視されて取り上げてもらえない、ということが、本件のみならず数多くなされていました。私は着任早々に将来構想戦略委員会を立ち上げ、そこでの検討課題とすべき私案を38件提出しました。もちろん、最初の3ヶ月間はいくつかが話題にしてもらえました。しかし、その後はほとんどの案件が検討されることなく、私の埒外のところで大学の運営が動いていきました。
 以下に提示したように、たまたま私の手元にあるメモを時間順に整理するだけでも、詭弁と真っ赤な嘘が語られている箇所が筋道だてて読み取っていただけるかと思います。その意味からも、貴重な記録であり資料となっています。
 文中の赤字は、私が注目すべき文言であると思うことを明示するために施したものです。特に最後の「本日の会議で、熱海問題に関してホームページには大学側のコメントは出さないことが了承されたので、もしまだ何かあれば引き続き問題提起として学長が出し続けられるのは自由です」との通告は、まったく事実と異なるものです。会議では「提案」すらされず、もちろん「了承」などあろうはずもないことです。この一時だけで、私への対応が軽視の上に成り立つものであり、嘘と詭弁に満ちた説明に脱していることが証明されています。

210716_熱海問題に関する確認(メモ)

■2021.07.03(土)
・静岡県熱海市の伊豆山地区で土石流災害発生

■2021.07.07(水)
・拡大協議会で伊藤が、熱海のソーラーパネル設置場所を例にして、今回の災害に対して報道されている情報共有を提起。すでに一部のネットでは大学名にまで言及しているので、注視をしていくべきであること。(於:5号館大会議室)

■2021.07.08(木)
・経営会議準備会にK先生がリモートで参加され、熱海の問題について説明があった。(於:小会議室)

・準備会終了後、S局長に「これまでに2回、法人としてのコメントは理事長名で出し、大学としてのコメントは学長名でホームページに掲載したように、今回も教職員向けに加えて一般向けのコメントをホームページに出すべきではないか」と提案。S局長は「検討します」とのこと。(於:小会議室)
 〈参考1〉「元理事長に対する大阪地裁の判決を受けて」(2021.01.28)
 〈参考2〉「日本高等教育評価機構 認証評価「不適合」に関する本学の見解と今後の対応について」(2021.03.25)

・K本部長より、経営会議準備会で決まった教職員向けの伊豆山の説明文のドラフトが、メール添付で回覧される。(14:58 メール通知)
(中略)
・退勤時、K本部長に、S局長にお願いした上記提案を、同じく提案し説明。(於:法人本部室)
 K本部長は、Y顧問とY副学長に相談するとの即答に留まる。(於:法人本部室)

・伊藤からK本部長に以下のお願いメールを送る。
「教職員向けの補訂文案を拝見しました。
そこで、お願いです。
本日午後にお話ししたように、受験生・保護者・高校関係者に向けての、さらに優しい言葉での本件に関するメッセージを、ホームページを通して発信しませんか。
憶測が飛び交っている現状では、早い方がいいと思います。
検討をよろしくお願いします。」(18:48 メール発信)

・K本部長より、伊藤・S宛に以下の返信メールあり。
「拝受しました。
ご提案の受験生などの発信ですが、Y先生、Y先生に転送し、ご意見をお聞きしたいと思います。
いかがでしょうか。
どうぞよろしくお願いいたします。」(20:11 メール受信)

(中略)

■2021.07.12(月)
・大学のポータルシステム(ログインID & パスワードが必要)に、以下のおしらせが関係者にだけ読めるようにセッティングされる。
 「緊急 2021_0712 法人本部より教職員の皆様方へのお知らせ 」(17:24、配信元:大学より、カテゴリ:学校より)
 「法人本部より教職員の皆様方へお知らせがございます。
  添付の資料をご確認ください。
  ●添付ファイル
   20210712 伊豆山の一連の報道を受けて.pdf」

■2021.07.15(木)
・法人本部より、当日11時開催の経営会議準備会の差し換え資料受領(09:18 メール通知)

・伊藤出勤時、K本部長より、熱海の件の大学側のコメントをホームページに掲載することについて、「決してこれまで先生を無視していたわけではありません。本日の経営会議準備会で議案にあげてみなさんに諮り、みなさんに意見をいただいてから対処を決めたいと思います。」と口頭で報告を受ける。(10:10 於:法人本部室)

・本日の経営会議準備会の議題は以下の通り

 T.議案
  本日の議案はございません。

 U.報告事項

    (中略)
  3.伊豆山の報道について(K法人本部長/5分)
    7/12(月)に教職員への通知を完了しました。
    (中略)

・経営会議準備会の報告事項の第3項には、私が提示した「熱海問題に対する大学側のコメントの表明」の案件はない。しかも、ここは報告事項の列記であり、審議議案にもない。

・先週お願いした「熱海問題に対する大学側のコメントの表明」に関するK本部長の説明は、終始曖昧で意味不明な説明。「学長から……」ということばが一度だけ聞き取れたので、後日その前後を録音で確認が必要。

・終了後、N観光学部長とO国際交流学部長と話をしている中で、熱海問題はM理事の考え方が報告されただけで、大学がこの件でコメントを出すということは会議では一言も出なかった、という認識が明確に示される。

・退勤時にK本部長より、「本日の会議で、熱海問題に関してホームページには大学側のコメントは出さないことが了承されたので、もしまだ何かあれば引き続き問題提起として学長が出し続けられるのは自由です」との通告を受ける。(於:法人本部室、18:00頃)

・私からは、「後手後手とならないようにしたいものですね。」と返答。そして、「これから書店へ、本日発売の『週刊文春』と『週刊新潮』を買いに行きます。熱海問題が掲載されているので、大阪観光大学に言及されていないことを願っています。とにかく、ホームページを通して大学の認識について先手を打って表明すべきだと思います。」と、同じことを繰り返し伝える。(於:法人本部室、18:00頃)

・帰りにイオンモール日根野の書店で入手した『週刊文春』(7月22日号)の118ページには、危惧した通りに、「学校法人明浄学院が運営する大阪観光大学」というキャプションと共に、大学の正門から一号館を見上げた写真が掲載されていた。

〈資料〉『週刊文春』(2021年7月15日発行)の冒頭部分(省略)

 
 
 
posted by genjiito at 20:59| Comment(0) | ■大学新生

2022年04月02日

私が2021年12月末日で学長を辞めた理由

 私は、昨年2021年12月末日で大学の学長という職を辞し、突然のことながら年金生活に入りました。
 たまたま古稀になったばかりだったこともあり、多くの方には人生の区切り目での決断だと思われたようです。また、体調が思わしくないのですか、とのお気遣いのことばもいただきました。ありがたく思いつつも、辞めるにあたっての本当の説明はほとんどしませんでした。そのため、新年度となった今、その辞職の理由をここに明示し、遅ればせながらもご理解をいただこうと思います。
 この辞任の判断は、私の気持ちを見える形で明白にしたいとの思いから、あえて昨年12月末日にしました。ことばだけでは理解していただけない方には、態度で自分の意思を伝えるしかありません。
 今は、自分が騙され、体よく利用されたことに対して、長く生きているとこんなこともあるのだ、との他人事のような思いでこの記事を書いています。
 昨秋11月8日に辞表を提出した時、民事再生下にあった大学の管財人で理事長だったN弁護士から、教職員のみなさまには執行部が割れていることを明らかにしたくない、とのご意向を伺いました。それを尊重して、本ブログおよび教職員の方々には、私の辞任と退職に関する説明はしませんでした。しかし、昨日より新年度となり大学の組織は一新し、当初の予定通りに新しく再出発しました。永らく説明責任を果たしていなかったので、この機を逸しないためにも、昨年11月8日付けでN理事長に手渡した書面(実物は縦書き)の全文を以下に引き、遅ればせながらの辞任理由の表明とします。掲載にあたって、お名前だけはアルファベットに置き換えていることをご了承願います。
 なお、以下の冒頭に記した「梯子を外され」たということに関しては、説明文の中に記した「法人本部長に七月二七日に談判した」際に、具体的な事例を列記したプリントを当事者との面談資料としましたので、明日のブログでその資料を提示します。

学校法人 明浄学院
  理事長 N 先生

辞表提出にあたって

・古稀を迎えたこの時点で、自分の思いとはまったく異なる方向で大学運営がなされていることに対して、それに自分を無理に合わせる必要はない、との考えに至りました。昨年来の、長い道のりでした。

・二〇二〇年一二月下旬以降、神輿に担がれたまま梯子を外されてからは、後に、あの人は何もしなかったと言われないように、可能な限り学長としての仕事はしてきました。書類への押印、行事での挨拶、依頼原稿、会議は休まない、などです。

・大学の運営方針が国立発想で進み出した二〇二〇年一二月より、ここは私立大学であるとの信念から、折を見て異見を差し挟みました。しかし、多勢に無勢の状況では、国立大学の附属機関としての位置付けで前のめりになって突き進む状況においては、私のささやかな抵抗は無意味のままで今に至っています。

・日本一をめざすカリキュラムに「文学」がないことは、私が大阪観光大学から身を引く決意を決定的にしました。
 現行のカリキュラムには、「文学基礎」「文学と文化」「Japanese Literature」「文学研究1・2」「日本の文学」「日本文学研究」「日本文学原典講読」「日本古典文学研究」「日本近代文学研究」「日本学基礎教養UB(文学)」があります。しかし、新構想の新カリキュラムには、文学関連のものは皆無です。提示された新しい観光学なるものに疑念を抱きました。「文学」は「歴史」と共に、観光とは親和性の高い基礎科目です。それを一顧だにしない観光学という新しい学問に対して、その未熟さと限界を痛感し失望しています。人間の生きざまと感情を扱う「文学」という科目がない四年制の学校は、大学ではなくて専門学校です。
 大学協議会で、なぜ「文学」がないのかという質問をしたところ、先月一〇月になって「文化実践科目」の中の一・二年次開講の「文化鑑賞・創造実践」という科目の中に
「例:アニメ、文学、コンテンツ、茶道、華道、映画、文楽、歌舞伎、音楽、フェス、ヨガ、スポーツ、演劇、メーク、フード、日本酒、ワイン、フランス料理、チーズ、農業、田舎、健康、自然、戦争、災害、冒険、星空、トレイル、フェス……」(2021.10.13教職員集会配布資料)
というように選択の対象となるテーマが例示され、その中に「文学」という課題名が、いかにも取って付けたかのように入りました。
 この項目については、その一週間前に配布された「大学協議会2021.9.29資料」の例示に、「文学」はありません。
 一一月四日の大学経営会議では、右記「2021.10.13教職員集会配布資料」が承認されました。
 なお、これに関連する「教員人事委員会2021.10.27配布資料」を見ると、「文化鑑賞・創造実践」の科目名には【全教員】という指示が追記されています。教員は、ここに例示されたテーマのいずれかを選択する、ということのようです。ただし、翌週の一一月四日に大学経営会議で承認された資料は【全教員】がない、一つ古いものです。この大学経営会議では、もう私は意見を述べませんでした。そして、辞職を決意しました。

・昨年末から、私には大学運営に関する十分な情報が与えられず、さらには結論に至る過程も知らされない中で、形だけの意見や判断が会議中に求められてきました。無責任な発言とならないようにとの思いから、意見を言わないことを公言してきました。そして、情報を教えていただけないなら経営会議準備会には出ない、と法人本部長に七月二七日に談判したこともあります。
 学長とは名ばかりで責任だけが伴う本職に、これ以上留まる必要はないと判断します。心痛の日々は、本年一二月二八日までにしたいと思います。この二箇月弱の間に、私ができる可能な限りの職務を果たす所存です。

・以上の理由により辞表を提出します。
 本書面は、N先生とO先生に加えて、長くお世話になっている三名、T先生・N先生・S課長に、辞職に至った事情を説明するために記したものです。辞職の理由を語ると、大学の再建で奔走しておられる方々への批判となります。それは本意ではないので、私の辞職はあくまでも今後とも「一身上の都合」で通します。もちろん、この件はY副学長とY顧問をはじめとして、まだどなたもご存知ないことです。副学長と顧問にも、「一身上の都合」で通すつもりです。
 本年末一二月二八日には円満に退職となるように、ご理解とご高配の程をよろしくお願いいたします。

  二〇二一年一一月八日
                  大阪観光大学 学長 伊藤鉄也


 
 
 
posted by genjiito at 23:00| Comment(0) | ■大学新生

2022年04月01日

京洛逍遥(777)宇治川の岸に立つ

 昨日、新しい住まい[たつみのいほり]の鍵を手にしました。引っ越しは今月中旬です。新居での最初の記事は、やはり新しい私の部屋で書くことにしました。
 昨日持ち込んだ自著数冊以外は何もない書斎には、明るい光が差し込んでいます。気分一新の生活が始まることを予祝するように、小鳥の囀りが聞こえ、窓から見える花と新緑の芽吹きも新鮮です。
 宇治橋まで散策することにしました。高速道路の京滋バイパス沿いから宇治川に出て、川沿いに歩きました。誰もいない、寂しい道です。誰か付いてきていないか、何か出てこないかと不安になり、何度も後ろを振り返りました。

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 宇治川の鴨と初めての対面です。これから、よろしくお願いします。

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 宇治橋に到着。川沿いを少し早足で歩いて来たはずなのに、予想外に何と55分もかかりました。もっと近いと思っていました。

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 JR奈良線の宇治川橋梁にちょうど電車が通りかかりました。電車を見ても、ここの住民の目線となっていることに気付きました。立場が変われば、物の見え方が違ってきます。不思議なものです。

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 宇治橋の袂の夢浮橋ひろばに置かれている紫式部の像は、何度も来ているのに今回はまったく違った感じを受けました。私は、『源氏物語』の作者は紫式部個人だとは考えていません。紫式部は、雑誌で言えば編集長であり、映画なら総監督なのです。今日は、その思いを強く持ちました。そして、『源氏物語』の後半の宇治十帖に紫式部がどの程度関わったのか、個人的に聞いてみました。もちろん、会話は成り立ちません。これから、折々に勝手な問答をしに来たいと思います。

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 宇治橋三の間の真ん中から川を望みました。

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 その三の間から左手、東詰に回転寿司の函館市場があります。今日の最終目的地です。

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 食後、京阪宇治駅から帰る前に、宇治橋東詰から対岸の平等院の方を眺めました。

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 上賀茂神社へのウォーキング、という感覚とはまったく違います。川幅は賀茂川よりも広く、流れは速く、しかものんびりと歩ける散策路がありません。見晴らしはよいものの、気ままに歩くという雰囲気はまったくありません。これから、対岸を含めて、いい散策コースを探してみます。
 これまでは、観光客の視点で宇治市や宇治川を見ていました。これからは、日常の延長にある市や川を、生活臭のある視点で見ることになります。どんな姿として見え出すのか、楽しみです。
 宇治橋に来るのは久しぶりでした。
 この前は、目の見えない方々と一緒にここを散策して以来です。

「宇治の街歩きと〈運読〉のワークショップ開催」(2015年12月05日)

 その前は、ケンブリッジ大学のジョン・コーツ先生をご案内しました。

「コーツ先生を宇治にご案内して」(2012年10月14日)

 これから、また新たな宇治との出会いが拡がっていきそうです。

 今年の正月には誰も思いもしなかった成り行きから、月末に家移りの話が持ち上がりました。2月になってしばらくしてから、意外や意外、京洛の東南にあたる宇治の町で過ごすことになりました。私らしいと言うべきか、何でもありのドタバタ劇の中において、さまざまな決断をすることの連続でした。そして今、一つの対処策が確定しました。
 今日を境に気分を一新し、本年度もこのブログを存在証明の意味から書き続けます。
 これまでと変わらぬご愛読のほどを、どうぞよろしくお願いいたします。
 
 
 
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2022年03月31日

ブログのタイトルを[たつみのいほりより]にあらためます

 本日、新居となる宇治市の小さな庵の鍵を受け取り、持参した数点の書籍などを置いて来ました。実質的な屋移りは4月中旬です。しばらくは、片道1時間弱をかけて往き来します。
 京洛を離れるにあたり、このブログの名前も[鷺水庵より]から[たつみのいほりより]にあらためます。
 『百人一首』にある喜撰法師の歌
わがいほは みやこのたつみ しかそすむ よをうちやまと ひとはいふなり
にあやかっての改名です。
 歌の簡潔な意味は次のようになります。
(現代語訳)私の庵室は都の東南にあり、このように心静かに住んでいます。それなのに世間の人は、この世をつらいと思って宇治山に逃れ住んでいると言っているようです。

〈作者伝〉生没年未詳。宇治山の僧以外未詳。六歌仙の一人。

(吉海直人『百人一首で読み解く平安時代』より、36頁、角川選書、平成24年)

 本日からブログの新しい扁額を掲げ、古稀を迎えた後の最終章の始まりとします。
 
 
 
posted by genjiito at 21:49| Comment(0) | *身辺雑記

2022年03月30日

本日の記事はお休みです(3月-3/4)

 日録として書き続けている[鷺水庵より]では、今年から毎週1回の休養日を設けることにしました。
 今日は、今月の3回目。
 そして、来月からは原則として週休2日となります。
 回遊魚と言われる私も、加齢と共に速さを落とし、ゆとりのある日々を心がけるようにしています。

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posted by genjiito at 19:34| Comment(0) | *健康雑記

2022年03月29日

京洛逍遥(776)昨日今日の桜花めぐり

 昨日、相国寺の承天閣美術館における展示で王朝文化に浸った後は、同志社大学と冷泉家の前を通り、御所北にある今出川御門から入って京都御苑を散策しました。
 同志社大学のキャンパスから今出川通りに顔をのぞかせる桜はみごとです。

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 御苑に入ってすぐの近衛邸跡の枝垂れ桜は、今が見頃です。

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 建礼門の西では、桃林が楽しめます。

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 梅林は、もう散りかけています。

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 出水広場の桜はまだまだです。

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 烏丸通を南に下り、4年前に開設した松栄堂薫習館でお香を楽しみ、京都市役所に出ました。市役所は、4年の長きにわたって耐震改修工事が行なわれていました。工事中のフェンスに囲まれていた庁舎も、昨年末までに終わりました。久しぶりに、その全容を見ました。

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 賀茂川散歩では、半木の道で一本だけ桜が咲く木を見つけました。

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 しかし、それ以外は蕾がしだいに花開こうとしているところです。

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 葵の小径の桜が咲き出しました。

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 高野川の桜も、比叡山を背景にちらほら咲き出しています。

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 今週末の京洛は、いろいろな所でお花見が楽しめることでしょう。
 
 
 
posted by genjiito at 20:59| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2022年03月28日

京洛逍遥(775)承天閣美術館で展覧会「王朝文化への憧れ」を観る

 相国寺の中にある承天閣美術館で「王朝文化への憧れ―雅の系譜」と題する展覧会が、先週20日より開催されています。

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 展示室では、江戸時代に京の人々が『源氏物語』や『伊勢物語』など王朝文学のみやびな世界に憧れて来たさまを、屏風絵や絵画や和歌を通して実感できました。ゆったりとした雰囲気の中で、心が豊かになる上質の展覧会です。
 特に、佐竹本三十六歌仙絵の「源公忠」(重要文化財、相国寺蔵)には、京都国立博物館で2019年11月に開催された特別展「流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」以来、久しぶりに対面しました。
 この佐竹本「源公忠」の前には、岩佐又兵衛の「三十六歌仙画帖」が広げてあります。贅沢な展覧会です。「源公忠」の公開は第T期のみのため、5月15日までです。5月22日以降のU期では、「蔦の細道図屏風」(俵屋宗達、重要文化財、相国寺蔵)を見られることが楽しみです。
 また、「藤原定家像」(一幅、絹本著色、江戸時代、元文五年・1740、普廣院蔵)と「藤原定家位牌」(普廣院蔵)も、初めて観るものだったのでしばし見入ってしまいました。

 なお今回の展示でも、和歌や文などに添えてある翻字に違和感を覚えました。
 これまでに何度も記したように、紙面に書かれている文字を忠実に翻字をしてほしいからです。今日拝見した中から、気になったもの1点だけを例としてあげます。
 今回初公開となった中で、「智忠親王和歌懐紙 一幅 紙本墨書 江戶時代 十七世紀 慈照院藏」の場合です。添えられた翻字の右に、実際に書かれている変体仮名の字母を私の判断で括弧で示しました。
   富士山
 ら雲の
(志)

 たへ
(堂え)(耳)

 そとみ
 (連)(え)

 よ
 (里)

 め
 (可)(努)

 ふし高根
  (能)

 なりけ
 (梨个)


 変体仮名を明示した翻字にしてほしいという要望に加えて、ここでは「たへまに」と翻字して掲示されていることに疑問を抱きました。実際には「堂えま耳」と書かれています。ここの「え」の字母は「衣」であり、「者」や「良」や「之」の崩し字に近い縦長の線の状態です。「つ」のように見えたら「へ」と翻字したら間違いない、と言ってきました。ここは、明らかに「者」や「良」に近い「衣」の崩し字です。そのため、書写されている「堂え」は、今風に翻字しても「たへ」とはならず「たえ」だと思います。同じように、「みへし」と翻字されているのは、実際には「みえし」と書かれています。ここでの2例の「へ」という翻字に何か別の意味があるのか、今の私にはわかりません。

 丁寧に各出展作品を見て回ったので、腰がだるくなりました。花粉症の影響もあり、目もショボショボしてきました。
 王朝文化にたっぷりと浸った1時間半でした。

 美術館を出ると、すぐ西にある墓地に向かいました。ここには、藤原定家のお墓があります。私はいつも定家批判ばかりしているので、あらためての表敬訪問です。

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 このお墓は意外と知られていません。相国寺に来られたら、ぜひ足を留めてください。案内はないので、お寺の方に聞かれたらいいと思います。
 
 
 
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2022年03月27日

京洛逍遥(774)下鴨神社と出町柳あたりの桜

 バタバタと日々を送っている内に、下鴨神社の光琳の梅が散っていました。そして、その後ろで桜が自分の存在を主張しています。

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 参道を下って葵公園に出ました。こちらの桜はこれからです。

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 賀茂川と高野川が合流する三角デルタ地帯は、ポカポカ陽気ということもあり、多くの親子連れで賑わっています。

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 賀茂大橋を渡り、右岸から飛び石を見やると、左に比叡山、右に大文字の如意ヶ岳がきれいに見えます。

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 京阪出町柳駅の真上に建つ長徳寺の門前の桜は、今が盛りのものと、すでに散りかかったものがあります。樹の下は、桜の花びらがじゅうたんを織っています。

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 帰り道では、賀茂川左岸の散策路に、桜のトンネルができつつあります。
 満開は、4月に入りそうです。

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posted by genjiito at 18:55| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2022年03月26日

緩やかな生活のために来月から本ブログが変わります

 日録として書き続けている本ブログ[鷺水庵より]では、15年目を迎えた今年から、毎週1回の休養日を設けることにしました。
 しかし、先週は〈紫風庵〉での勉強会がまた延期になったことを急いでお知らせしたため、お休みの記事を掲載できませんでした。本日も、お休みではなく、本ブログについての今後のお知らせを記しています。
 回遊魚と言われる私も、加齢と共に歩む速さを落とし、ゆとりのある日々を心がけるようにしています。そこで、先般(3月12日)も記したように、新年度となる来週4月からは、さらに生活のペースを緩やかにするためもあり、原則として週末の土曜日と日曜日はブログの更新をお休みする予定です。
 実際には書く記事が多いので、この週休2日はあくまでも原則です。現に、4月早々の2日(土)と3日(日)には、どうしても掲載したい記事があり、今から準備を進めています。
 生き方を大幅にスローダウンする方策の一環で本ブログを週休2日にするといっても、その時々に柔軟な対応をしていきます。
 また、本ブログの看板名称であるタイトルも、現行の[鷺水庵より]を心機一転、4月からは[たつみのいほりより]にするつもりです。
 いろいろと変わる本ブログも、書き手も書く内容も、これまでと何も変わりません。
 引き続きお読みいただけると幸いです。

 
 
posted by genjiito at 22:13| Comment(0) | ◎情報社会

2022年03月25日

日比谷で橋本本『源氏物語』を読み進む(24)

 日比谷公会堂の前の桜は、人目を惹くように咲いていました。東京は京都よりも暖かいようです。

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 今日は、まず中之島図書館でスタートする源氏講座のチラシを配り、内容の確認とお知り合いへの広報をお願いしました。
 続いて、昨日と一昨日の2日間にアップしたブログ[鷺水庵より]の記事が、ウクライナ語訳『源氏物語』の話であることを報告しました。平安文学との関係からウクライナを取り上げたので、興味を持って聞いていただけました。

 橋本本『源氏物語』「若紫」については、最後の折に落丁があることを、列帖装の製本の仕組みから説明しました。持参した中山本の複製本と、『源氏物語 千年のかがやき 立川移転記念 特別展示図録』も見ながら、紙がどのように括られて本の形となっているのかを、念には念を入れて確認しました。
 次に、欠落している2ページ分に、どのようなことが書かれているのかを、原文と現代語訳を参照しながら確認しました。このくだりは、私が作成した小見出しで言うと、以下の内容の語りの部分です。
93 少納言の乳母が応対に出るものの光源氏は制止も聞かずに奥へ入る

94 光源氏は父宮の使いであると嘘をついて、寝ている紫の上を起こす

95 二条院へ誰か来るようにと指示して、光源氏は紫の上を連れて行く

 こうしたことを踏まえて、表面と裏面に本文が書写されているはずの、欠落した一丁が意味することを、次の3点から私見を述べました。

(1)読者が、光源氏が年若い若紫を拉致する(連れ去る)場面を読みたくなくて、悪意で破り取った。
(2)書かれている内容が興味深いことなので、切り取った後で一紙両面の書写面を「あいへぎ」にして二枚の古筆切れにしてから装丁し直し、お茶席などに飾り観賞用として披露した。
(3)五紙一括りの列帖装の最終折が裏表紙となっていることから、痛んだ最後の丁が剥落し、それと共に内側に折り込まれていたこの一丁がいつしか欠脱した。

 また、現在の写本の最終丁に残っている小さな紙片は、本書の凡例で次のように書いた状態にあります。

(15) 本書には、巻末丁(66丁)以降に落丁がある。ただし、66丁表の一行目の数文字だけは断片として残存しており、「かしきも」と読み取れる状態である。この断片は、本書が列帖装であることに起因する、偶然の残存物といえる。


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 裏表紙に当たる一丁がなくなった後、この一葉は最終丁となったこともあり、さまざまな外的な要因によって無惨にもその大半を失ったと思われます。

 ただし、私はもう一つの可能性を夢想しています。それは、大島本の第36巻「柏木」の巻末において、河内本などが伝える長文が、大島本では切り取られた状態で今に伝わっていることを思い合わせるからです。つまり、この橋本本の「若紫」の巻末丁では、今は不明の本文が切除されたているのではないか、という勝手な想像です。これは、今では証明や実証などができないこともあり、学問的ではありません。しかし、こんなことも考える楽しさがあると、写本というものと、そこに書き写されている本文を元にして思いが千年前に溯れば、これもまた新しい読書の一つだといえるでしょう。

 この橋本本「若紫」の落丁や破損は、さまざまなことを考えさせてくれる、楽しめる写本です。
 そんなことを受講生のみなさんと考えた後、写本に書かれた文字を確認していきました。

 今日は、58丁裏5行目「可と・うち多ゝ可勢・【給】へ盤・」から始めました。すぐに落丁がある箇所になります。このことはあらかじめ、本日の最初に確認したことです。
 異文については、次の一箇所のみを取り上げました。

本本・・・・050000
 大島本(1)[ 大 ]
 尾州河内本(1)カラー版[ 尾 ]
 中山本(1)[ 中 ]
 麦生本(1)[ 麦 ]
 阿里莫(1)[ 阿 ]
 陽明本[ 陽 ]
 池田本[ 池 ]
 御物本[ 御 ]
 国冬本[ 国 ]
 肖柏本[ 肖 ]
 日大三条西本[ 日 ]
 穂久邇本[ 穂 ]
 保坂本[ 保 ]
 伏見本[ 伏 ]
 高松宮本[ 高 ]
 天理河内本鉛筆なし[ 天 ]
 尾州河内本(1)[ 尾 ]
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あさましく/〈改頁〉[橋]・・・・055055
 あさましう[大中麦阿池御国肖日穂保]
 あさましく[尾陽高天尾]
 あさましう/し〈改頁〉[伏]
いかにと[橋=尾陽高天尾]・・・・055056
 いかさまにと[大中池御国肖穂保伏]
 いかさまにかと[麦阿日]
きこゑあえり[橋=陽]・・・・055057
 思ひあへり[大中伏]
 きこえあへり[尾高]
 思あへり[麦阿国]
 おもひあへり[池日保]
 をもひあへり[御]
 思あへり/あ〈改頁〉[肖]
 思あえり[穂]
 きこえあへり/あ〈改頁〉[天]
 きこへあえり[尾]
ふと[橋=尾麦阿陽高天尾]・・・・055058
 ナシ[大池御国肖日穂保伏]
 ふとさしよせて[中]
のせ[橋=尾中麦阿陽高天尾]・・・・055059
 ナシ[大池御国肖日穂保伏]
たてまつり[橋]・・・・055060
 ナシ[大中池御国肖日穂保伏]
 たてまつらせ[尾陽高天尾]
 奉せ[麦]
 奉らせ[阿]
たまふに[橋=尾陽高尾]・・・・055061
 ナシ[大池御国肖日穂保伏]
 給に[中麦阿天]
わか君も[橋=大御国肖保天]・・・・055062
 わかきみも[尾陽池日穂伏尾]
 我君も[中]
 若君も[麦阿]
 わかきみも/も〈改頁〉[高]
あやしと[橋=大尾中麦阿陽池御国日穂伏高天尾]・・・・055063
 あやしうと[肖保]


 橋本本のグループが伝える「ふとのせたてまつりたまふに」を、大島本のグループは持ちません。若紫をお迎えの車に無理やり乗せることを言うか言わないかは、その写本の本文の評価につながります。私は、元はあったものが、大島本のように本文を校訂した者が不要だと判断して削除したのではないか、と思っています。

 今日は、59丁裏6行目「き可へて・の里ぬ」まで進みました。
 次回は、それに続く「【二条】の【院】者・ち可遣れ八」からとなります。
 今日だけでも、さまざまな問題を提示しました。これらは、明らかな答えがある、というものではありません。〈物語〉の本文を、写本に書かれたままに読みながら、ああでもないこうでもないと楽しみながら読むことを、こうしてみなさんと実践しているところです。研究者の読書会ではないので、自由に参加してもらうことろに意義を感じての講読です。その意味では、この日比谷図書文化館での2時間という時間は、たっぷりとブレーンストーミングができます。
 次回は5月になります。
 また、みなさまと楽しく自由気ままに写本を読み続けて行きたいと思います。
 
 
 
posted by genjiito at 23:54| Comment(0) | ■講座学習